箱船航海日誌 2003年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’03/05/31 (土)

ただ消え行くのみ


 去る18日、ミューズの方舟主催「長岡先生を偲ぶ会」が方舟で催された。スタッフの尽力と奥様のご厚意によるものである。ユーレイとは言え一応僕も会員の端くれであるよってに、案内は貰っていたのだが残念ながら参加できなかった。

 関東在住の親しい友達(もちろん会員である)から、当日の様子を伝えるメールが届いた。ありがとうございます。

 「3年の月日は大きかった」と彼は言う。建物の経年劣化の所為か音漏れもあるそうだ。やはり主を失った方舟は、最早完全にリタイヤしていると見るべきだろう。彼の報告の中で、僕が胸を打たれたのは次のくだりである。

 「時計は12時で止まり、カレンダーは3年前の5月だったこと・・・」

 あの日以来、まさに方舟も止まってしまったのである。しかも、もう二度と動かない。誰も動かすことはできない。「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」。ダグラス・マッカーサーの名言である。方舟もまた同じく、誇り高いまま佇んで、やがて静かに消えてゆくのである。

 極めて寂しいことである。だが、それを動かし様のない事実として受け容れるより他にない。そして僕は、途方に暮れることなく前向きにオーディオしようと、改めて決心するのである。

 僕の耳に残る「方舟の音」は、いつまでも消えない。

’03/05/30 (金)

三年


 街は夏の様相である。街路樹のハナミズキも花が終わりに近づき、箱船脇の柿の木は新緑と共に花を咲かそうとしている。年中で一番素敵な季節、思い出すのは長岡先生のことである。もう早3年経ったのだなあ。

 '99年まで、毎年決まって7月と12月にお願いしていた恒例の方舟乗船も、叶わなくなって3年以上。2000年の9月に一度"偲ぶ会"で音を聴いたのが最後である。残念ながらその音は、「方舟の音」と呼ぶにはあまりにも寂しいものだった。

 僕はその時思った。先生が亡くなったとき、方舟も一緒に逝ってしまったのだと。先生はご生前「僕独りで方舟へ入って音を聴くことなんか、仕事以外ほとんどないよ。普段はほったらかしだね」とおっしゃっていた。しかし方舟の音は、いつ聴いても間違いなく「長岡先生の音」だった。何を取り立ててするでなくとも、先生がそこにいらっしゃること。それが音を作っていたのである。

 最後にお会いした日の別れ際、「いやあ、もうだめですよ。時代は終ったね」とおっしゃる先生に僕は、「居て下さるだけで結構です。それがいちばん大切なことですから。いつまでもお元気で、またお目にかかれますように」と言った。そう、たとえお会いできずとも、お元気でいて下さるだけでよかったのである。

 今さら未練たらしいことを言うつもりはない。お別れは早晩やってきたことに違いはないのだから。ただ懐かしいのである。今、現状のオーディオについていろんな話ができたら、あの頃よりもっと楽しく会話できただろう。僕は人としての長岡先生が好きだった。

 先生は僕の大恩人である。

’03/05/29 (木)

消える魔線


 次なる目論見の対象はココである。C-AX10→B-2302の間。ここにWAGC302を持って来たい(勝手に持ってきたらそれはドロボー)わけである。そうするとどうなるかはもう分かっている。分かっているから余計に欲しいのである。

 TE27さん曰く「聴いたら素直に買ってしまう」とは正に真理である。その通りなのダ。聴いてしまってはもういけない。異様に重くとも使いにくくともピンジャックをヒン曲げてしまいそうでも機器の位置をケーブルに合わせなければならなくとも、そんなことは何のその。金のワラジを履いてでも、僕はこのケーブルが使いたい。それほど価値あるのが、WAGCシリーズである。

 2月に試聴したときの音は、忘れられない。スピーカーが全て消えてしまい、そこには唯一音だけが存在する感じ。視覚上は見えているにもかかわらず、聴感上ではスピーカーの存在が感じられないのである。と言って決して定位のはっきりしない茫洋とした音ではなく、極めて鮮明でしかも生そのものと言ってよいような音場感が得られるのである。実に不思議な感覚。

 現状でもその音に近いものはある。だが、もう一組加えた時、さらに良くなることを知ってしまっては、そらもうシンボウできまへんな。

 やっぱり、悪魔だ。

’03/05/28 (水)

より高く


 日を追う毎に自然さを増してゆくWAGC302である。こう書くのはもう何度目か、しかし実際に変化してゆくのだから仕方がない。益々雑味が減り、透明感が増し、情報量が増えているのである。1日聴いて3日間ほったらかし、4日目に聴いてまた驚く、ということの繰り返しである。どこまで良くなるのか、底の窺い知れない恐ろしいケーブルである。

 リリース元の案に相違して302の売れ行きが好調だと仄聞する。どう考えても安くない、しかも使い手のオーディオ環境を激しく選ぶにもかかわらず。それが売れているという事実。パフォーマンスの高さを証明した形である。

 聴けば聴くほど次の段階への欲望が大きくなるのである。その実際を既に体験しているだけに猶のこと始末が悪い。これまでのテンカイからしてもう一組導入するのは間違いないと、他人事のように思うのである。ああもう困った困った。

 著名なジャズ評論家、オーディオエンスーであるところのT島氏も、WAGC202を導入されたと聞いた。あのケーブル大魔王を以って202とはどーゆーことか。302はマッチングが悪かったのかな。それとも他に太いケーブルを使い過ぎ、ピンジャックが混み合って余裕が無かったのかも知れん。いっそ、ぜーんぶWAGCシリーズに替えちゃっては如何でしょうか。余計に困るか。

 ともかくも、凄い製品である。正にエポックメイキング、この先更にどんな変化を見せるのか。そう思うと楽しくって仕方ないのである。

 TE27さん。これからですよ、本当の楽しみは。

’03/05/26 (月)

追従不可能


 シマは無事にお届けすることができた。本人(猫)も新しいお宅に問題なく適応できそうな雰囲気だったので、ともかくは安心である。よろしくお願いいたします。

 予定の時間より随分早くお役目を果たせたのと、今日はたまたま愚息2号の誕生日でもあったので、帰り道の途中にあるエキスポランドに寄ってきた。御存知(今やそうでもないか)大阪府吹田市の万博公園内にある遊園地である。僕が前回行ったのは一体何時のことか、おそらく20年ぶりくらいになるだろう。愚息ドモはもちろん初めてである。

 今、アトラクションの中心は、専らジェットコースター系の乗り物である。昔はそうでもなかったような気がするのだが。その中でも最近導入され話題になっているのが「OROCHI」(オロチ)というアトラクションである。

 「インバーテッド・コースター」と銘打ってある通り、宙吊りコースターである。全長1,200m、最高高度43m、最高速度90km/h。行程中計6回の宙返りつき。こりゃ完全に「絶叫マシン」である。

 下から見ているだけでも充分コワイのである。これに乗ってみた、のならばもっと面白い日誌が書けるのだろうと思う。残念ながら恥かしながら、僕は高さとスピードとグルグルにはヒジョーに弱いのである。そーゆーオーディオなら好きなのだケレドモ。

 んで、結局乗ったのは「ワイルド・マウス」という4人乗り独立小型のコースター。愚息1号のリクエストである。乗った瞬間後悔した。これでさえダメだ。まったくカラダがついて行かん。ゲラゲラ笑う愚息を尻目にグッタリしてしまった。追従不可能である。情けないね、どうも。

 後は大観覧車でゆっくりと見晴らしを楽しみ、「コナミ・ゲームキャラバン」のモービルトラックで鳴っていたエレクトロ・ボイスSRスピーカーに感心しながらお土産を買って帰ってきた。ホンの3時間程度だったが、嗚呼ツカレタ。

 親はクタビレタ。子供はヒジョーに楽しんだ。それで吉、と。

’03/05/25 (日)

一件落着


 洗濯物の間にもぐり込んで眠るシマである。ウチで過ごす夜もこれが最後になった。今日はいよいよお婿入りの日である。ミッケは一昨日、一足先に貰われていった。

 子猫の成長は正に目を見張るものがある。「日一日大きくなる」と言うよりも、一時一時大きくなってゆく感じ。伸びるのが目に見えるのではないかと思われるほどである。まるでタケノコ並みだ。20日の写真と見比べれば、成長のグワイをお分かりいただけると思う。

 この猫は♂である。基本的には白色と灰縞の二毛だが、右耳の付け根、鼻の周りに僅かながら茶色の毛が混じっている。ホンのちょっぴり、ビミョーに三毛なのである。

 三毛猫に生まれるのは、ほぼ完全に♀のみである。ミッケがその通り。三毛♂は極めて少ない。どれくらい少ないかと言えば、30,000頭に1頭程度の確率だそうだから、極めて珍しいわけだ。特に船乗りさんにはとても大切にされる。「♂の三毛猫を船に乗せておけば、大シケでも無事に帰還できる」という言い伝えがその秘密である。一般的にもラッキーキャットとして人気があると聞く。

 希少なものが珍重されるのは何時でも何処でも同じ。オーディオも例外ではない。レア・アイテムなのである。残念ながらシマは、三毛と言うにはあまりにも茶色が少ない。2.5毛にも満たず、2.1毛猫とでも言うべきか。これはこれでレアなのかしらん。

 シロ、シマ、ミッケ、3頭それぞれ大変ありがたいご縁をいただいて安住の地を得ることができた。これらを生んだ母猫は、昨日避妊手術を終えた。先月からの子猫騒動も、これでどうやら一件落着である。御連絡をいただいた方々には、心から御礼を申し上げたいのである。本当にありがとうございました。

 生き物を飼うということは、大抵なことではない。だが、いちばん気の毒なのは誰かと言えば。

 人間様のエゴ一つで生命の行方を左右される、当のネコ達なのである。

’03/05/24 (土)

薬と毒


 庭で芍薬の花が咲き始めた。早速ネタにいただくのである。確か一昨年にもネタにしたことを思い出し過去の日誌を繰ってみたらば、偶然にもまったく同じ日付だったのに驚いた。5月24日である。誰に教えられたのでもなく、時節が来ればちゃんと花を咲かせる。偉いもんですねえ。

 芍薬。学名Paeonia lactiflora。ボタン科であるだけに、花も牡丹そっくりである。僕はいつも見分けが付かなくて困るのだった。しかし、同時に見比べれば違いは明白、牡丹のほうが花に迫力がある。芍薬は「草」、牡丹は「樹木」なのである。

 元々は中国で薬草として育てられていた。花名に「薬」の字が見える所以である。この花の根を乾燥させたものは「赤芍」(せきしゃく)「白芍」(びゃくしゃく)という強力な鎮静鎮痛薬となる。漢方薬として大変珍重されているのである。白色一重花種のほうにより多くの薬効成分が含まれているらしい。日本に入ってきたのは奈良〜平安時代頃だと言われている。

 ペオニフロリン、アルビフロリンちゅうやつが主な薬効成分だそうである。薬になると言うは、使い様によっては毒にもなるということだ。

 薬と毒。対極にあるようで実は非常に近しい存在である。これはオーディオに係わるアクセサリー、あるいは使いこなしについても、似たことが言えると思う。毒と薬の境界線を知ることは、なかなかに困難である。

 ある特定のアクセサリーを以って良い結果が得られた、だからと言って何処までもそれだけで押して行けばどうなるか。クセの強い妙な音になるのである。評判の良い対策を取捨選択せず何でもかんでも取り入れれば、全てのメリットが重なってスーパーサウンドが実現できる。そんなウマい話はない。結果はどこに芯があるのかわからない茫洋サウンドが出来上がってしまうのが関の山である。

 そういうことを幾度となく繰り返しながら、やがて匙加減を自知してゆくことこそがオーディオの面白いところであるとも言えるわけである。僕は未だにその辺りでウロウロしている。

 使い方を誤り音を殺してしまわないようにしなければ、遺憾のである。

’03/05/23 (金)

言った先から

 スイッチ切れました。ちょっとだけ仮眠した後で更新しよう、などと、できないことをやろうとしてはイケナイのである。ガバと起きたら午前3時半である。なんということでしょうか。

 もうしわけありません。今夜はともかく寝ておきます。明日のためにその一。寝るべし。

’03/05/22 (木)

不健康向き

 「夏も近づく八十八夜」(今年は5月2日でした)もすっかり過ぎて、夏至まであとひと月ほどになった。一年で最も夜明けが早く日の暮れが遅い時期である。何かしらワクワクする季節でもある。

 近年、この季節になるとカラダが朝型に移行しそうになって困っている。別に困らんでもいいか。喜ぶべき傾向なのかもしれない。

 夜が眠くて仕様がない。21時を過ぎるともう睡眠モードで、動きを止めるとキゼツするのである。意識断絶。そのかわり朝は5時頃目が醒める。冬とエライ違いである。これじゃまるでトカゲやヘビと変わらない。変温動物並みである。

 昨年もこの時期はこういうことになっていた。昔は年中典型的な夜型だったものが、どうしたことか。これも中年の弊害(恩恵?)かしらん。

 何が困るといって、先ずはこの航海日誌である。夜の更新がヒジョーに辛い。キーを打ちながらガクッと意識が切れること暫し。ハッと気が付いたら意味不明の文字列が。落ち着いてオーディオできる時間が少なくなるのも問題。朝やれば良い、とも言えるわけだが、何となく落ち着かないから不思議である。

 トム・ハンクス主演の「ロード・トゥ・パーディション」DVDを買ったものの、とてもじゃないが朝5時に起きて見る気分にはなれない。と言って夜中に見たら途中で寝てしまうに違いないのである。困った困った。

 オーディオヴィジュアルって、早寝早起き健康人間には不向きな趣味なのでしょうか。

’03/05/21 (水)

またやってしまった


 写真のADは、昨年11月24日の日誌に載せたものと同一である。米RR白ジャケット「DAFOS」である。同じモノをもう一度載せてどーする。イヤ、実はお恥ずかしい話(多いね、どうも)なのである。

 海外通販ショップを徘徊していて見つけたのは前回と同じ。但し、別のショップである。「オヲッ、またあった。今度はジャケットアリだあっ」と喜び勇んで即注文。前回よりも値段がやや高めだったのも思い込んだ理由の一つである。どう思い込んだ? いや、決まってますがな。「ジャケットアリ」と。

 相手から注文確認のメールが届き、送付方法もすっかり決めてからもう一度ページを見てガクゼンとする。よ〜く読んだら「Still sealed original pressing in a white jacket」と書いてあった。なんだ〜、これも白ジャケじゃないかあ〜。

 もう自分でも厭になるほどマヌケなのである。つまるところ、まったく同じものを単純に高く買ってしまったと、そーゆーわけである。どこ見て買うとるんやオノレは。アホが見るブタのケツ。何をやってるんでしょうか。

 実際に届くまでは淡い期待もあった。もしかしたらジャケアリじゃないかと。そんなことは全然ないのである。荷を開けてみてフニャフニャとチカラが抜けた。入っていたのは写真の通り、しっかりと白ジャケである。ヨカッタヨカッタ。

 この間も同じくRRレーベル「John Sharp/Better Than Dream」の180g盤を見つけた。こりゃ珍しいと大喜びで買ったら中身はレギュラー盤だった。まだ売っているけれど、もう一度頼んだらまたレギュラー盤が届きそうで怖くて買えない。このテンカイからすると次も絶対レギュラー盤だ。根拠はないが確信はある。雪崩式マヌケな僕のことだから。

 ことほど左様にADを買う時にはヒッシになっている。「目が眩む」というヤツだ。今買わなきゃ次は何時出てくるか分からん、という切迫した気持ちがそうさせるのである。尤も、今回はババを掴んだわけではない。良いレコードが1枚増えたと思えるのがせめてもの救いと、言えなくはない、か。

 またやってしまった、が、そのうちまた同じことをやるに違いないのである。

’03/05/20 (火)

どうやら


 写真の「シマ」は婿入り先が決まりそうなグワイである。ネットのご縁はありがたく、同府下の方からご連絡をいただいた。長岡スピーカーファンで、しかも猫好きのお方様である。僕としては地獄に仏、お助けいただいた感が非常に強い。本当にありがとうございます。婿入り道具を携え、謹んでお届けいたします。

 残るは「ミッケ」である。♀。売れ残ったらウチで飼うのも止む無し、と当初は考えていたものの、どうもラクの様子がおかしい。いつもなら夜の時間は居間にいるのだが、子猫が出入りするようになってからというもの、落ち着けないらしいのである。餌もゆっくり食べられず、外や隠居で過ごす時間が長くなっている。これではどっちが外ネコかワカランのである。

 子猫の時から一緒ならばこんなことにはならないはずである。ラクはどちらかと言えばナーバスなほうなので余計のことだろう。ちょっと気の毒。共生は難しいように思われる。

 ちゅうわけで、できれば「ミッケ」も嫁に出したいと。三毛でやや長毛、器量良しで愛想良し、些か臆病だがキュートな猫である。如何ですか。

 押し売りはさらに続くのである。

’03/05/19 (月)

けだるい日


 明日は雨模様らしく、今日はぼんやりと暖かくけだるい日だった。この季節、その感じを更に助長するのは「ハルゼミ」の声である。

 ハルゼミ。学名Terpnosia vacua。本州から九州にかけて分布し、成虫は4月下旬から6月上旬頃発生する。最盛期は5月下旬、今まさにその時である。今日初めて裏山から声を聴いた。

 平地(市街地を除く)、丘陵地、低山地及びアカマツ林など、明るい林に生息する蝉である。特にアカマツ林には影が濃密である。鳴き声は「げ〜きょ・げ〜きょ」というか「ぎょえ〜・ぎょえ〜」というか、あまり立ち上がりの良くないダルそうな声である。これがけだるさを増進させるわけである。

 平地にも生息するというが、ウチら辺では山の蝉の代表格で、ほとんど姿を見ることはできない。僕もまともには見たことがないのである。今日の写真(♂です)も残念ながら借物である。

 僕はハルゼミが好きである。けだるくはあるが、如何にも初夏の到来を告げているかのような存在は、毎年うれしくなるのだった。

 この蝉、昔は結構な市街地にも棲んでいたそうである。最近では数を激しく減らしているという。市街地に近いアカマツ林の酷い枯死がその原因である。京都市内のハルゼミ分布図を見ると、ほとんど分布ゼロに近いのである。

 そう言えばこの近辺でも、10数年前はハルゼミの盛大なコーラスが聴けたものが、最近ではソロ、或いは輪唱様に変わってきている。数は確実に減っているモヨウ。山には立ち枯れしたアカマツが目立つのである。

 アカマツの枯死が酷いのには諸説あるようだ。マツクイムシ説、酸性雨説、大気汚染説など。僕は特にエコロジストではない。けれど、ハルゼミの声が消え、初夏の季節感が失われてゆくのは如何にも寂しい。

 10年後の初夏、ハルゼミの声は聴けるのだろうか。

’03/05/18 (日)

家庭内LAN


 愚妻と愚息が共同出資して新しいPCを買うという。オヤジも一枚噛めとの下命である。へえへえ、わかりやしたと、結局僕が一番の出資者になりそうな雰囲気である。

 折角PCを買うなら、やはりネットに繋ぎたい。これを機に大手プロバイダと新規契約し、IP電話の導入に踏み切るのも一案である。それも視野に入れながら、ともかくはルーターを導入して家庭内LANを組むことにした。

 電器屋さんに相談すると、箱船と母屋の位置関係では無線LANは困難であるとの診断。箱船に引き込んである電話線のフレキシブルパイプを利用し、有線LANで行くことに決定。架線だけに丸一日の、結構大掛かりな工事になってしまった。

 昨日はルーターの設置設定をし、今日は新しいPCを母屋の居間に設置してもらった。写真の如くである。あくまでも「してもらった」のであって、「した」のではない。上げ膳据え膳らくちんLAN開通である。トラブルが出た時にはどーするんでしょうか。もちろんオンブにダッコ。お恥ずかしい限りである。相変わらず僕は超PCオンチなのである。

 今回のPCは富士通TOWNS FMV CE22Dというモデルである。CPU1.8GHz、HDD容量80.0GBの最新機種はさすがに動作が速く、現用(今これを書いている)PCは足許にも及ばない。光学式マウス標準装備ちゅうのにも驚いた。この業界で3年の差は恐ろしく大きいのである。快適極まりなし。「オイラのと換えっこしようか」と言ったら露骨に厭なカオをされた。そりゃまあ当たり前だわな。

 それにしても凄い時代になったものだと思う。法外な出費も無しにLANが実現できてしまうのである。10数年前、業務用に導入したDOS‐V機の頃からは考えも及ばない。モデムだけで30万円、などという時代だったのだから。隔世の感あり。

 環境だけは一流、それに使い手が追いつけるかどうか。それが最大の問題だったりするのである。

’03/05/17 (土)

頒布中止に思う


 そういう行為が自分の首を締めることになるのである。それに気付かない輩とは、一体どのような生き物なのだろう。

 とんぼさんがDFリングの頒布を中止された。日記の文面からは、静かな、しかし深い悲しみと憤りが感じられ、些かいたたまれないのである。あの穏やかなとんぼさんをして、斯様な文章を書かしむる出来事とは如何ばかりのものであったか。察するに余りあり。

 僕は2年前からDFリングを愛用している。おこがましくも「DFリング」と命名したのも僕である。とんぼさんのご意志もお伺いせず。ユニット2本配列に使えるよう、特別な加工も厭わぬ姿勢には、深い感銘を受けたのだった。

 導入結果は素晴らしいものだった。もう二度と手離せない。リング無しとは次元の違う音である。これは僕の勝手な思い込みではなく、その後音を聴いてくれた大勢の友達もまったく同意見であった。DFリングが極めて優れたものであることは、今さら僕が言うまでもなく疑い様のない事実である。

 実際の使用にあたって、僕はリングを研磨した。決して仕上げに不満があってのことではなく、潜在能力を発揮させる目的あってのことである。しかしこの行為が後にご迷惑をおかけすることになるのだった。

 一部のユーザーから「仕上げが不充分だ」とのクレームがあったと仄聞したのである。極めて浅薄な見方と言わざるを得ない。とんぼさんとて本来ならば研磨済みのものを頒布したいとお考えだったに違いないのである。しかしながら、次々とやってくる注文、それに迅速対応するための労力を思えば、研磨など凡そ無理なことである。

 自作派を以って任ずる人ならば、自分の手で研磨するに吝かではないはずである。それが自作派の矜持であろうとも思う。趣味とはそういうものである。

 つまらぬクレームと重箱の隅を突付くが如くの指摘を繰り返すことが、如何にも玄人らしき所業と勘違いする。かかる愚かな行為が、優れた製作者と製造物を消滅させるという、最悪の結果を招くことを知るべきである。過去、このケースを辿り消えて行ったものは枚挙に遑なし。DFリングが同じ憂き目に遭うとは。悲しむべし、惜しむべし。

 「正直者が馬鹿を見る」世の中であってはならないはずなのに。

’03/05/16 (金)

こんなに


 大きくなりました。4月11日に生まれた子猫の内の1頭である。白地に灰色の縞模様なので、今のところ仮に「シマ」と呼んでいる。残念ながら行先(コイツは♂なので婿入り先か)は未定である。と落ち着いていてはイケナイのである。

 全身真っ白の♂である「シロ」は愚息2号の友達宅へ無事婿入り決定。4日前に巣立って行った。残るはこの「シマ」と、「ミッケ」(同じく仮称、三毛猫♀である)の2頭。

 先月15日に「弱った」と載せ、何方かに貰っていただければとご連絡をお待ちした。その翌日、ちょっとした期待感を持ってメールチェックした際、新着メール数の表示が一瞬「17」と見えた気がしたのだが、実際に受信できたのは4通ほどだった。単なる僕の見間違いか、或いは何かしら受信に不都合があったのか、何度も再チェックしたが今以てわからないで居る。

 もし「子猫の件でメールしたのに返信がない!」という方がいらっしゃったならば、大変ご無礼ながらこちらまで再度ご連絡をいただきたいと思うのである。まだ2頭います。

 写真の「シマ」は非常に人懐こく、既に親離れし始めているので飼い易いと思う。固形キャットフードもバリバリ食べる。「ミッケ」はちょっと臆病だが「シマ」より器量良しで美人(猫)である。♀なので家にも居着き易いはずだ。こちらもキャットフードOKである。

 先日は「キャットフードを嫁(ムコ?)入り道具にお届けする」と書いたが、今ならネコトイレとネコ砂(杉廃材から作った無臭砂、優秀です)もお付けするのである。参上範囲も拡大し、関東圏まではさすがに苦しいが中部圏までなら何としてでもお届けしたい。こうなってはもう押し売り同然なのである。

 如何でしょうか。

’03/05/15 (木)

問題もあり


 またまた更新が遅れました。ご容赦ください。

 さて、昨日から視聴可能になって喜んでいるハイヴィジョン映像だが、手離しで喜べない部分もある。インターフェースボードの問題である。多機能型IFB-12から単機能型1300に挿し替え、ともかくは映ったものの、これではDVD色差信号を入力できないのである。信号を変える度にボードを挿し替える、のは非現実的である。コードの挿し替えでさえメンドウなのに。

 DVDで見るのは映画ソフトだけにして、ヴィデオ収録モノは捨てれば問題ないわけだ。しかしそうも行かないのである。さてさてどうしたものか。

 IFB-1300の古さも気になる。7年以上前の製品なのである。故障すればおそらくそこまでのものだと思われる。と言って新しいものはもう手に入らない。IFB-12で入力できるだろうと、取説をちゃんと読まなかった僕のしくじりである。マヌケなんだなあ。

 解決策。プロジェクターを替える。液晶か、或いはG70の中古か。しかしこれはボードを挿し替えて使うよりも更に実現困難である。液晶は好みでないし、中古が簡単に見つかるとも思えない。仮に見つかったとしても経済力が追いつかないのである。

 僕にとって能力的には何ら問題のない1252QJ、しかし時代からは確実に取り残され始めているのである。

’03/05/14 (水)

8年目にして


 導入以来初めて見る箱船1252QJでのハイヴィジョン映像である。僕は大変感動いたしました。おかげさまである。

 夕方、仕事から帰ってみるとD→3RCAケーブルが届いていた。大喜びで箱船へ持ち込み、早速繋ごうとしたわけだが。

 現状1252QJへの入力状況は、INPUT1にインターフェースボードIFB-1400を挿し、DVD-H1000からプログレッシヴ信号を入力。INPUT2には同IFB-12を挿し、同じくDVDから色差コンポーネント(Cy、Cb、Cr)信号を入力している。空きがあるのはビデオコンポジット入力だけ、つまり、HD信号(Y、Yb、Yr)を入力できるところが無いのである。

 IFB-12は便利にできていて、ボード側に1番〜6番までのディップスイッチがあり、そのON/OFFの組み合わせで複数の映像信号を受けられるようになっている。2番スイッチON、残りオールOFFで色差コンポーネント入力可。HD信号入力では3番スイッチON、あとオールOFFという設定になる。

 色差/HD信号の選択は、スイッチの組み合わせを変えケーブル差し替えで対応するしかない。と不便を承知で早速スイッチ設定変更し、チューナーからHD信号を送り込む。これでハイヴィジョンが映るはず、だが、僕のやることがそう上手くいく筈はないのだった。

 一応画は出た。しかしそれは「緑モノクロ画像」である。R、B信号が正常に入力されていない。ガーン。なんでやねん。おかしいやおまへんか、大将。

 そういえばIFB-12には取説と別に「このボードを使える機種」という注意書きが付いていた。それを読むとこう書いてあった。「1252QJの場合、スイッチを設定してもHD信号は正常に入力できません」。なんじゃそら。

 こうなったら仕方がない。1252QJ購入当初に付属してきたIFB-1300を使うしかないのである。このボードはHD信号入力専用。大昔の製品だが、これならイケるはずだ。

 これは大成功である。上手くいった。写真に見える如く無事ディジタルハイヴィジョン映像をゲットすることができたのだった。おめでたうございます。

 綺麗である。高精細である。立体的である。はっきり言ってギョッとする。解像度の高さはこれまでと次元が違う感じ。文字通り圧倒的である。ボードが古いこと、ケーブルが糸のように細いこと、等はヒジョーに気になる部分ながら、それでも印象は極めて強烈。細部を追い込みたくなったのだった。

 いやいやこれは楽しい。明日もこの話題で引っ張ってしまうのである。

’03/05/13 (火)

幸いと知れ


 オーディオマニアには親切な人が多いのか、またまたありがたいご連絡をいただいた。今度は光ケーブルである。

 昨日の話題に具した光ケーブル、これはまったくのありあわせであって、おそらく極々一般的な普及品だろうと思われる。何といっても付属品なのである。芯線(てゆーのかな?)は多分樹脂製、光透過率は程々なのだろう。当然音も程々になるはず。急場しのぎにはこれで充分だが、ハイヴィジョン環境が落ち着いたら交換すべしと考えていた。

 そこへ「使っていない石英光ケーブルがあるので、よろしかったらお送りします」とのメールをいただいたのである。これこそ渡りに船、ありがたく使わせていただくのである。どうもありがとうございます。

 最近のみならず、僕のオーディオは多くの方々の在り難いご厚意によって成り立っていると感じること頻りである。GMホーンを始めとする金属加工もの、アクセサリー、パーツ、機器などハード関係のみならず、AD、CDなどのソフト関係、果てはソフトの買い方や機器の使いこなしに至るまで、お世話になっていることを挙げればキリがない。

 もし、これらのご縁がなかったとしたら、僕のオーディオは極めて空虚で寂しいものになっていること間違い無しである。モノが豊かであることも幸せなことだと思う。しかし、多くの方々とのご縁はおのずから望んでも得難く、ましてやお金では絶対に買えない。これを幸いと呼ばずして何と呼ぶ。

 新しいアイテムを手に入れては「音が良くなった」などと、まるで手前の力だけによる手柄であるが如く偉そうなことを書いている。大きな間違いである。僕一人の力なんぞ屁のツッパリにもならん。尊大不遜の輩に非ざれと自戒しつつ、今後も皆さんとのご縁を大切にしたいと、深く思うのである。

 皆さん、ありがとうございます。

’03/05/12 (月)

音だけ


 D→3BNC(RCA)ケーブルはまだ届かない。早く欲しいが仕方ないのである。画が見られない間、ともかく音だけでもと、先ずはチューナー音声ラインアウトからプリへ繋いでみた。当たり前とは言えちゃんと音が出たのには思わず喜んでしまった。初心者丸出しである。

 正常に音が聴けることを確認し、ヤレヤレと思っていてハッと気がついた。ひょっとしてチューナーD/OからDP-85のD/Iに繋げば、高品位DACの音で聴けるんじゃないか? 早速試してみたのである。

 DST-BX500の音声D/Oは光出力1系統だけである。同軸はない。DP-85の光D/Iも標準では1系統のみ、尤もこれで充分である。さて、こうなると光ケーブルが要る、わけだがそんなもんあったかな。3秒考えて思い出した。CD-R(マランツDR-17)の付属品にあったはずだ。忘れかけていたヤツを引っ張り出し、無事接続完了。これで音を聴くと。

 さすがである。雲泥の差。音場感、繊細感、情報量、質感、切れの良さなど、全ての点でDP-85DACの圧勝である。こりゃもうこっちで決まりだな。

 もし映像が出ていれば、これほどの差を感じたかどうか非常に疑問である。画の良さに引っ張られ、シビアな判断はできなかったかもしれない。ディジタルハイヴィジョンチューナーとプロジェクターがありながら画なし音だけというマヌケな状況も、あながちバカにしたものでもないのである。

 受信可能なチャンネルすべての音声を聴いたが、随分と差があるものだ。チャンネルの差というよりは番組の差だろうと思う。映画、ニュース音声は比較的優秀、コマーシャル音声にもギョッとするようなものがあった。あとは玉石混肴である。

 ちょっと驚いたのは、アニメ「ポケモン」の音声が非常に優秀だったこと。台詞は明瞭でしかもカンカンせずうるさくない。効果音はふわりとサラウンド(もちろんスピーカーマトリクスだが)して音場感が良い。これにハイヴィジョン映像が付けば、内容如何にかかわらず相当楽しめそうなグワイである。

 早く来い来いDコード。

’03/05/11 (日)

これからハイヴィジョン


 この間の日誌に「次はハイヴィジョン」と書いたところ「ディジタルBSチューナーをお試しになりませんか」と、大変ご親切な連絡をいただいた。モデルはSONY/DST-BX500である。BSディジタルハイヴィジョン放送を見ることができる。願ってもない、そりゃもう是非にと新品同様の品を格安でお譲りいただいた。ありがとうございました。

 箱船の屋上には一応BSアンテナが上がっている。9年半前、箱船完成以来のものである。かような太古アンテナで大丈夫なのだろうか。友達に尋ねる。コチラ方面にはとんと暗いのである。「取り敢えずは大丈夫だろう。けれど、もちろんベストではないしベターでもないね」という答えが。ではともかく現状のままで試し、ペケなら交換っちゅうことにしよう。

 早速アンテナとチューナーを繋ぐ。あとはチューナーとプロジェクターを繋げばハイヴィジョン放送が映る、のだが、残念そのためのケーブルがない。箱船の環境ではD→3BNC、あるいはD→3RCAピンケーブルが必要なのである。だいたいがD端子なるもの、見るのも初めてなのだから仕様がないのである。すぐさま注文し只今入荷待ち。コレが来ないと画は見られない。

 それにしてもありがたいご縁である。こんなに早くハイヴィジョン映像を見られる環境が出来上がるとは思ってもみなかった。先日電器店の店頭で見たディジタルハイヴィジョン放送は、ヒジョーに美しかった。最新液プロによるものだったが、三管ではどうなるのだろう。

 もう10年以上前になるか、ベースバンドハイヴィジョンLDを見たことがある。ゴォゴォとすさまじい騒音を出して回るプレーヤー、30cmLD1枚に10分程度(だったかな?)しか記録できないフォーマット、しかも値を付ければ1枚数万円という、どう考えても商売にはできないようなシロモノながら、無圧縮ハイヴィジョンの美しさは恐ろしいばかり。その後見たMUSEハイヴィジョンLDとは雲泥の差であった。

 タイトルはSONYの「メタモルフォージス」、出始めのハイヴィジョン対応テレビ(確か32インチワイド/230万円くらい)でのデモ、ブラウン管に吸い込まそうな映像だったことは強烈な印象として残っている。これが僕のハイヴィジョン原初体験である。

 それに匹敵するような画を期待するのはいささか苦しいかもしれない。だが、なんてったってハイヴィジョン。僕は大いに期待するのである。

 「画の人」に、豹変するか?

’03/05/10 (土)

お恥ずかしい話


 「松竹梅」。寿司で言うなら特上が「松」、上が「竹」、並みは「梅」。この並びになることは日本人なら常識である。その常識に欠けているのが僕であるという、「お恥ずかしい話」なのである。穴があったら入りたい。

 この伝からすると、先般から「梅だ梅だ」と叫んでいるFOSTEX/WAGC302、正しくは「松」である。何を思い違ったか、突然ハッと気がついた。申しわけございません、ここに謹んで訂正致します。WAGC302は「松」ケーブルでございます。

 改めましてこの「松」ケーブル、使い始めて2ヶ月が過ぎたところである。当初から驚天動地パフォーマンスを示すも、ここに至って更にクオリティが上がってきたように感じている。尤も、友達の尽力による支持器の力が大きいことは既に書いた通り。それと同時に、ケーブル自体が機械的にこなれてきたことも少なからず影響していると思う。

 つなぐ前のフォーミングが絶対必要、その感触はまるで太い銅管をヒン曲げているようなものである。ただひたすらに硬く重い。構造的には相当なストレスがかかっていると想像できる。それが漸く分散し始め、元々鳴きにくいものが尚更に鳴かなくなっての結果なのかもしれない。人間だって強いストレスがかかると泣きが入るのである。ちょっとチガウか。

 今のところ、変化の度合いが比較的早く大きいので、未だ落ち着き切ったとは言えないようである。この先まだまだ変化がありそうな気がする。それはおそらく、良い方向への変遷だろう。実に楽しみである。

 値段だけを聞くと、後ろへでんぐり返ってしまいそうなケーブルだが、その潜在能力の高さは100回連続でんぐり返りをキメねばならないほどである。蓋し、「松」を以って超ハイCPと言うべきだ。

 やっぱりもう一組、サブウーファー用に....。

’03/05/09 (金)

お越しになるのなら


 箱船が完成した'93年11月以来9年間、冬の間ずっと活躍しているファンヒーターである。温風吹き出し口のガラリがかなり錆びてしまったが、それでも一切の故障も無しに働いている。型落ち品を安く買い叩いて超ハイCPである。

 5月も中旬にさしかかれば、これももうシーズンオフになる、はずが今年はどーもそうは行かないらしい。昨日はやたらとムシ暑かったのに、今日は一転してヒジョーに寒いのである。箱船は熱的なトランジェントが悪い、つまり断熱が良いので昨日の予熱が残ってはいるものの、どこかウソウソする。1時間ほど火を入れてしまった。

 しかしながらこんなことはもう終わりになるだろう。今月から来月半ばくらいまで、箱船のオーディオ環境は極めて優秀になる。季節限定でシステムのグレードが上がるわけではない。ファンヒーターもエアコンも不要の時期になり、S/Nがぐんと良くなるのである。

 この差はかなりのものであって、特に音場感には影響が大きい。細かな音へのマスキング効果が減る所為だろうと思う。部屋S/Nの重要さを思い知らされる時期でもあるわけだ。

 6月下旬から9月になると、ファンヒーターは不要だがエアコンは必須。如何に断熱が良いと言えども、真夏には室温が30℃近くまで上がるのである。機器の放熱もバカにならない。真夏真冬にはS/Nが劣化する箱船なのである。

 10月初めから11月半ばまでになると再び静かになる。インドア趣味の代表格のようなオーディオも、自然の推移と無縁ではないのである。

 静かな箱船へお越しになるのなら、初夏初秋がお薦めでございます。って、まるで行楽、旅行代理店みたいなことゆってますね。

’03/05/08 (木)

コムプリート


 気の長い話といえば、レコード探しもまたそうである。A級外セレに載っているタイトルはもちろん、その他にも欲しいものは山のようにある。が、今やおいそれと買えなくなったのは皆さんご存知の通りである。高くて買えない、というよりは選択の自由が失われてしまった感じ。

 海外通販を利用すればまだまだ買えるものの、入手困難タイトルは国内と変りない。あせらず慌てず諦めず、何時かは手に入るだろうとじっくり構えるより他にないのが現状である。

 というような状況下で、遂に入手が叶い狂喜乱舞しているのが上のタイトルである。御存知長屋の金さん、ではなくてオルガン金さん、である。正しくは「The Power And The Glory Vol.1」(米M&K Realtime RT-114)。Vol.2が手に入ってからというもの、それ以前にも増して渇望(希望ではナイ)していたタイトルである。ああもう堪らん。うれしくって仕方ないのである。

 乾いたスポンジが水を吸うかの如く聴いてしまった。噂に違わず素晴らしい。涙が出た。ほんとですぜ。静かでありながら恐ろしいまでの力を持った超低域はやはり格別である。これぞパイプオルガン。長岡先生はしばしば、最も超低域のレベルが高いA-2をテストに具しておられた。確かにこの曲は凄い。全編コレ超低域、みたいな曲である。100kgを超える箱船の遮音ドアが盛大にビリつく。

 個人的にはB-2が気に入った。遥か彼方から響いてくる鐘の音で始まる極めて静かな曲である。何とも言えぬ神々しい雰囲気があり、心にジンと染み渡る佳曲だ。しかしこの曲、オーディオ的には極めてキビシイのである。

 後半部分、超々低域がハイレベルでカッティングされていて、アームが振り回されるのである。ユラユラ揺れているのがはっきり目に見えるのダ。スピーカーコーンの振れも尋常ではない。ヘタをするとどこかが壊れるという、恐ろしいものである。

 さて、これで金銀両タイトルがそろった。2枚を続けて聴くと、両方揃ってコムプリートという印象を非常に強く持つのだった。当たり前である。だが、これがなかなか叶わない。

 毎度のことながら1枚だけでは安心できないのである。どうしてももう1枚、できれば3枚くらい持っていたいと思う。

 今後も偏執的捜索を継続するのである。

’03/05/07 (水)

本物のシッポ


 先日ご来訪のあったげんきまじんさん、掲示板には身に余る評価をいただいて恐縮している。一流のお心遣いがあってのことと充分に認識しながら、前回に比べ多少なりとも進化できているようで安心頻りである。ありがとうございました。

 まともなオーディオを始めたのは1985年1月である。今年で18年経ったわけだ。それ以前の黎明期を数えると30年くらいになる。時間的には随分永くやっているようだが、近頃になってようやく本物のシッポが見えてきたように感じている。本物そのものではなく、見えたのはあくまでもシッポの先っちょである。

 「現状の考え方は、ひょっとすると自分の目指すところへの正しい道かもしれない」といった程度のものだ。とはいえ、これまで確固たる感触もないままヤミクモに突き進むのみであったことを考えれば、個人的には大きな進歩と言えなくもないのである。30年かかって漸くシッポを掴みかける。嗚呼、なんと遅きに失した話であることか。

 この調子でいけば、本物そのものを手にするのにはあと50年くらいかかりそうである。92歳、とても生きちゃいねえのである。だったらこの辺でこだわるのをヤメにして、あとはテキト〜に楽しむのが得策か? いやいや、そんなことなら箱船まで建てたりはしないのダ。到達するのは無理でも、10年経てば10年分、20年経てば20年分の進歩があるはずと信じ、またのたうつのである。

 その時々を楽しみ苦しみ、やっぱり僕は死ぬまでオーディオと遊んで行くのだろう。ともかくは今日より明日、明日より明後日、良い音が出せればそれが僕の幸いである。

 気の長いハナシだが、だからこそオーディオは趣味たり得るのである。

’03/05/06 (火)

鳴砂青松


 どうしたことか、昨晩からホスト・サーバーへのFTP接続が上手く行かず、またまた更新が遅れてしまいました。どうかご容赦ください。

 さて、子供の日の昨日、午後から海を見に出かけた。毎年お馴染みの網野町琴引浜である。以前はウチから小一時間かかったものだが、最近「丹後広域農道」という道が整備され、30分強ほどで行けるようになった。

 5月の日本海は非常に綺麗である。海水浴客のサンオイルやゴミによる汚れが無く、琴引浜名物「鳴き砂」も大変良く鳴いた。まるで雪の上を歩くが如く、である。特にスリ足で歩かずとも、足の裏に独特の感触が伝わってきて快感である。

 昨日は好天だったものの海風が強くしかも冷たかった。おそらく水温も低かったのだろう、磯の生き物はイソギンチャクとミズクラゲ以外ほとんど見られなかった。怖い怖いアカクラゲも打ち上げられたりしていて、磯採集は叶わず早々に引き上げてきたのだった。

 それでも子供というヤツはありがたいもので、ウニの殻や甲イカの甲羅、微小貝などを拾い集めてご満悦である。僕は鳴き砂を少々失敬して帰った。ゲンミツにいうと違法行為である。1合ほどなので許してチャブダイ。

 これを綺麗に洗い、器に入れてガラス棒で突付けば「キュッキュッ」と良い音がするのである。箱船にお越しの際は、是非ご体験ください。

 白砂青松。失われつつある日本の風景が、琴引浜にはある。

’03/05/05 (月)

次はハイヴィジョン


 「ハリー・ポッター 秘密の部屋」をファミリーシアターした後、久しぶりにいろんなDVDを見た。まとめて映像を見るのは何時ぶりだろうかと過去の日誌を繰ってみたら、1月12日に「AKIRA」を見て以来だった。約4ヶ月。音に呆けているのである。

 映画、音楽もの、ドキュメントなど沢山見た中で、相変わらず綺麗だと感心したのはやはり「パイオニア・DVDスターターディスク」(HE-701 非売品)である。僕が手にしてからでも既に7年、進化の早いDVDからすれば、太古イニシエのディスクと言えるだろう。

 いちばん綺麗なのはチャプター1、「ガイアス・ドーター」からの抜粋である。ヴィデオ収録(大元はハイヴィジョンマスターだったかな?)らしいので、箱船環境のプログレッシヴ再生では不自然さが目立ってペケ、インターレーススクイーズで見ることになる。やや走査線が気になるものの、高解像度、ハイコントラスト、質感の高さは素晴らしい。写真のシーンではファンデーションが丸見えになり、モデルさんには気の毒である。

 こういう画を見ていると、映像も捨てたモンじゃない、もうちょっとこだわってみようかという気になる、のだが、またぞろ知らぬ間に「音」のほうへ吸い寄せられるのである。どうも僕は基本的に「音の人」であるらしい。

 プロジェクターは言うまでも無く、DVD-H1000も今年で5年目、これまた太古イニシエプレーヤーである。ここまで来たら次はBlue-Ray、ハイヴィジョンDVDを狙うべきである。1252QJを買うに至った大きな理由の一つが「ハイヴィジョン信号も受られる」ことだった。購入以来7年にして漸く実現するか、1252ハイヴィジョン再生。

 そうなれば「音の人」が突然「画の人」に豹変するかもしれない。僕はウソツキでいい加減なのである。

’03/05/04 (日)

息切れ


 昨年はちょっと見ることができないほど見事な花を咲かせた小学校の藤、今年は一旦休憩の年であるらしい。咲き始めも随分と遅く、花の数は比較にならないほど少ない。昨年がんばり過ぎたか。楽しみにしていただけに、些か残念である。

 そのかわり、と言ってはナニだが、種鞘(豆の親方みたいなヤツ)は盛大に成っている。見事な花から当然の帰結であるわけだ。すっかり茶色く熟し、あとは弾けるのを待つだけ。5月に入ってからというもの、気温が一気に上がったので、間もなくぱっちーんとくるだろう。それはそれでまた楽しみである。

 その種を拾い庭に蒔けば、藤は生命力が強いので間違いなく大きく育つだろう。藤棚を作って名物にしようかしらん。

 何年先の話をしてるんでしょうか。

’03/05/03 (土)

聴いて笑って


 昨日はCD、SACD中心、今日は朝から夕方までADばかりをたくさん聴いた。お二人とも満足のご様子で、ホストとしては大変嬉しいご訪問だった。ご遠方をお疲れさま。ありがとうございました。

 今回の試聴では、これまでに無く大ウケだったCDタイトルが1枚出現。「JOHN CAGE/SIXTY-TWO MESOSTICS RE MERCE CUNNINGHAM」(瑞HAT HUT CD2-6095)である。写真はMESOSTICSの楽譜(記号?)である。「jump have courts, danc ningeve」と書いてある。これを記号の如く強弱大小をつけ読み上げる、のがMESOSTICSというものらしい。記号の解釈は演者の自由である。タイトル通り62のMESOSTICSを、CD2枚に渡り延々とエーベルハルト・ブラムさんが怒鳴り散らす、のであった。

 これはウケました。お二人とも大笑い。録音も良く声の実在感、Dレンジの広さが凄いのも然ることながら、この妙な雰囲気はタマランものがある。だが、こんなモノを「好き」だと公言して憚らないような御仁は、はっきり言って変人である。遮音の悪い部屋では聴かないほうがよい。僕は好きですケド。

 このタイトルも長岡先生が紹介されて久しく、すっかり既知のものだと思う。テストにも良く使っておられた。

 まじんさん、学生さん。捜しておきますからね。御両人とも、お好きでショ?

’03/05/02 (金)

呑んで喋って


 それでオマエラは何時音を聴くのか、と突っ込まれると困るのである。連休三日目の今日、実に久しぶりのげんきまじんさんご来訪。たまたま居眠り学生さん(正確には"学生"に非ず)のご来訪日と重なり、その結果はご覧の通りである。いや、ちゃんと音も聴いているから大丈夫(何が大丈夫だ?)なのである。

 げんきまじんさんは、実に1年2ヶ月ぶりのお越しである。これほど間隔が開いたのは初めてのことだ。前回に比べ、随分と音が変って(良し悪しは別ヨ)いるとおっしゃる。落ちついたオーディオを、などと分かったようなことを言いながら、結局いつもあちこちいぢくり廻しているのがバレバレなのである。ウソツキだ。

 例によって今晩は遅くまで聴く(呑む、ってか)のである。楽しいなあ。

’03/05/01 (木)

鳥肌モノ


 今日から5月である。長岡先生の祥月でもある。もう早3年、まだ3年。いずれにしても方舟は遠くなりにけりの感を強くするのである。

 今日紹介するのは、米First impression MusicレーベルからリリースされているSACD(CDハイブリッド盤)である。「antiphone blues」(米FIM SACD 050)。(C)2001。

 Arne DomnerusのサックスとGustaf Sjokvistのオルガンでスタンダードジャズと宗教曲を演奏する。全15曲53分55秒。トラック1〜10までが1976年Spanga Churchで、11〜15までは1994年Stockholm Cathedralで録音。どちらもスエーデン国内の教会である。

 このタイトルの元ネタは「カンターテ・ドミノ」で有名なスエーデンプロプリウスレーベルのADであるらしい。おそらくADをお持ちの方もいらっしゃるかと思う。残念ながら僕の手持ちには無い。随分以前、何処かの店頭で見かけたような記憶が有るような無いような。それをDSDリマスタリングし、SACDに仕立てたのがこれである。

 さて、この音。言葉が無いのである。これはもう実際に聴いていただくより外にない。三次元、四次元的音場感、サックスの伸びと輝き、厚く豊かなオルガン、演奏、どこを取っても文句の付けようがないのである。幾千万の講釈も、この音を実際に聴けば鎧袖一触、屁のツッパリにもならんのである。前半1〜10まで(27年前の録音)が特に優秀。これは鳥肌モノである。ゼッタイ聴いてください。

 CDトラックももちろん優秀だが、SACDになると俄然艶と色気、繊細感と本物だけが持つ鋭さが増し、よりシアワセな気持ちになれる。トラック8にはデューク・エリントンの「Come Sunday」が入っていて、これがまた如何にも素晴らしいのである。SACD万歳。

 もし、長岡先生が今もご存命ならば、この音をどのように評価されただろうか。SACD優秀盤を聴くたびに思うのである。もうあと少し御健勝でいらっしゃれば、と。

 残念である。