箱船航海日誌 2002年04月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’02/04/30 (火)

生命の音


 ここしばらくD-55ESにかかりっきりで箱船に篭ってばかりいたが、お祭りの屋台に合わせて久しぶりに少しく町を歩いた。ソメイヨシノ、八重桜、山ツツジなど、春の花もすっかり終ってしまったと思っていたら、近くの小学校の校庭で素晴らしいものを見つけてしまった。ご覧の通り、藤の花である。

 もちろんこれを見るのは初めてではないわけだが、今年の花は特別に見事である。何とか全体を写そうとがんばったが、そうするとデジカメをぐっと引かねばならず、迫力のない画になってしまう。といって接近して一部分だけを撮ってもやっぱりショボい画になる。なんとかこの美しさと迫力をお伝えできないかと考えた末、苦肉の策をヒネリ出して撮ったのが上の写真である。

 愚息二人を助手にして「あそこの枝にぶら下がれ!」と命じ、何とかこれで花の規模が伝わるだろうか、と。

 まるで藤の花の滝のようである。高さは凡そ10mくらい。これは一部であって、横10m以上にも拡がっている。おおもとは一本の藤の木、それが大小幾筋かのツルに分かれ、都合三本の桜の木に絡み付いて花を咲かせている。桜が藤棚の役割を果たしているわけだ。ツルは右巻きなので、この藤は「ヤマフジ」である。

 藤が生長するに反比例して桜は年々元気がなくなる。そういうことを嫌って普通は藤を伐ってしまうことが多いのだが、ここは素のままほったらかし。おかげでこんなに美しい藤を楽しめるのである。桜にとっては迷惑この上ないことだろう。

 この花が終り秋になると、緑色の長さ20cmくらいあるバカでかい鞘を持った豆のような実が成る。藤はマメ科の木なのである。花の形を見れば誰でも分るね。この実は木にぶら下がったまま越冬し、茶色く熟した翌年の初夏、天気の良い日一斉にはじけて鞘の中の種子をあたり一面に撒き散らすのである。

 この、はじける時の音が凄まじく、周囲数百メートルに響き渡るほどである。数年前、何だか学校のほうから「ぱっちーん、ぱっちーん」と爆竹のような音がする。何の音だろうと思って見に行ったら、藤の実(正しくは鞘)が次々とはじけていたのだった。想像もつかないような音量で、到達力があって切れが良く、極めてトランジェントの良い音である。

 藤は非常に生命力の強い樹だそうだが、あの子孫繁栄戦略を見ていると深く頷けるものがある。鞘がはじける音にも生命力が漲っているのである。

 オーディオも斯くありたいと思う、のだが。

’02/04/29 (月)

録音の向こう側


 村の神社本殿前、奉納神楽のワンシーンである。僕がこの地方にやってきてすでに14年になるが、これをライブで見るのは初めてだ。なんちゅう不埒なヤツなんでしょう。バチが当たるぞ。

 中型の太鼓と笛に合わせて天狗のお面をかぶり剣を手にした子供と獅子が舞う。獅子舞そのものは特に珍しいものではないけれど、間近で見るとなかなか迫力があってヨロシイ。周りで見ている小さな子供達は頭をかじって貰って泣いたり喜んだりしている。笛と太鼓の音も、周りの森に響いて良い雰囲気をカモシ出している。

 それを聴いているうち、しまった、と思った。マイクとDATを担いでくれば面白かったのに。ひょっとしたら雰囲気ある生録が出来たかもしれない。残念。事前にそういうことが頭に思い浮かばないところが、いかにも詰めが甘いのである。例えばご存知生録の帝王SY-99さんなら、絶対にこういうチャンスを逃さない筈である。

 生録はそのほとんどがやり直しの利かない一発勝負である。今のはNGだったからもう一回、というわけには行かないし、それ以前に僕のようにチャンスそのものを逃してしまっては話にもならない。普段からの心掛けがヒジョーに大切なわけである。

 先日も聴かせていただいたSY-99さんの最新録音、「素晴らしい録音ですね」と言うのは簡単、実はその録音の向こう側には大変なお骨折りがあることに思いを至すのだった。

 さて、お祭りのほうはこのあと抽選会つき「餅撒き」があった。オイラも餅をぶんどって何が当たるかと楽しみにしていたが、惜しいところで特等を逃してしまった。

 抽選は当たらずバチだけ当たる。そんなのイヤダ。

’02/04/28 (日)

祭り


 D-55ES実験に取り憑いていたら、知らん間に今日(4/27)から二日間、この町のお祭りである。加悦谷(かやだに)祭りという。与謝郡の中で野田川町、加悦町を併せた地域を限定して加悦谷と呼ぶ。各地区備え付けの「屋台」を子供達が引っ張り、町を練り歩く。うちはお寺なものだから、毎年必ず表敬訪問してくれるのである。

 僕は元々この地方の生まれではないので、こういう祭りに関してはまったくバックボーンがなく、はっきり言ってあまりピンと来ない。「もうすぐ祭りですね」と言われても「ああそうですね」くらいの感じである。大人も子供もみんな楽しそう(浮かれてる)なのに、僕だけ冷めていては申しわけないと思うのだが、これも仕方ないのダ。

 ところが、ウチの愚息どもはまったく違うのである。両親とも所謂「ヨソ者」だが、こいつらは生まれも育ちもココ。生粋の丹後人である。物心ついた頃から屋台に載せられ、耳元でガンガン打たれる祭り太鼓を子守唄に居眠りして育ったようなヤツである。毎年二人とも祭りの日が来るのを、まだかまだかと待ち切れない様子だ。「ヨソ者」の親としては喜ぶべきことだと思っている。

 再起動したD-55ESで鬼太鼓座の「怒涛万里」を聴いていたら、外から聞こえてくる(箱船2階は遮音していないのデス)祭り屋台の太鼓とごちゃまぜになって、どっちがどっちだか分らなくなった。

 さすがD-55ES、生音にも負けないのである。ほんまかいな。

’02/04/27 (土)

新設


 上の画像の意味するところは、新設した「D-55ESを聴く」ページでご確認願いたいのである。

 こういう話題には「旬」があり、グズグズしていると間抜けなことになってしまう。然るにちょっと慌てて作ったわけで、たぶんおかしな記述や意味不明の文脈が多々あると思う。お気付きの点があれば、逐一掲示板のほうへメッセージ頂けると幸いである。

 よろしくお願い致します。

 ああ、ツカレタ。

’02/04/26 (金)

D-55ES READY


 遂にD-55ES再起動。お待たせしました。NEC CD-10、オンキョー P-308、HMA-9500II(D-55ES)、HMA-9500(SW-1MkII)というシステムでドライブする。トゥイーターはT-500Aを、とりあえずuΛ0.47μF、208ESに対して逆相面位置で繋いでみた。

 詳細は、新たにページを仕立てて報告したい。ここではともかくファーストインプレッションを簡単に述べることにする。

 結論から先に言おう。現在D-55を208S、208SSでメインとしてお使いの方は、今すぐ208ESに換装しましょう。新旧どちらでも良い。これはちょっと凄いのである。これを一度聴いてしまうと、208S、あるいは208SSには絶対戻れない。この差は好みの違いとか、音色の違いとか、一長一短とか、そういう問題では全くない。次元の違いである。D-55を聴いていらっしゃる方なら、僕と同じ思いを持たれることは間違いないだろう。絶対の自信を持ってお薦めできるのである。

 元々はFE-206S用にと設計されたD-55。それにもかかわらずこのウルトラパフォーマンスである。これがより208ESに適しているD-58ともなると一体どういうことになるのか、想像するだけで恐ろしいのである。

 さて、D-55とD-55ES、どこがどのように違うのか、何を以って次元の差と言わしめるのか、その辺りは新ページで。

 暫し待たれよ。

’02/04/25 (木)

狙うものは


 D-55ES始動。ユニットが換わり、DFリングが付くと随分印象が変るものである。始動と言ってもまだLchを付け終わり、F特を採っただけ。Rchの交換はこれからである。

 簡単に付け替えられるだろうとタカを括っていたのだが、やり始めるとこれがなかなか面倒である。永年キツイ使用に耐えてきたユニット取り付け用の鬼目ナットはネジ山崩壊寸前。これは遺憾とインナーリングの将来的使用も見込んでドリルで揉んで削り飛ばしてしまうことにする。ユニット周りに貼ってあるコルクシートも、このままではリングの下敷きになるので切抜きを大きくしないとグワイが悪い。内部コードは'98年に一度交換したが元々がチョイと短か過ぎ、今回の交換でさらに短くなってしまった。本当はオーディオ・クラフトのQLX-100あたりに交換したいところだが、ギリギリで届くしメンドクサイので見送りである。

 リングを付けることで、バッフル切り抜き穴と磁気回路とのクリアランスが小さくなり、ユニット後方への気流に悪い影響が出る、という話はあちこちで俎上にのぼっている。それを避けるため、二枚目板の切抜きを大きくし、さらに裏側をテーパー加工する、という方法が一般的(らしい)。しかし、僕はやったことがない。メリットばかりではないと考えるからである。

 取り付け強度の低下がどうしても気になるのである。10cmユニットでさえそうなのに、総重量13.3kg(DFリング2.8kg、ユニット10.5kg)に達するものを支える部分をわざわざ薄くするようなことは、僕には怖くてできない。あまつさえ、気流抵抗が多少増えても、もっと強度を上げたいとインナーリングの使用さえ考えるほどなのに。

 ユニット背面の抜けを良くするメリットと、取り付け強度を上げるメリット。どちらほうが音に良い影響をもたらすのか、僕には分らない。仮にAB試聴したとしても、正確な判断は難しいだろう。一点だけをたがえて、他のファクターを完璧に同一化することなんかできっこないからである。とすれば、どちらか一方にこだわるのを良しとすべし。中途半端はよくない。個人的には取り付け強度増強を採る。キャビネットとユニットをできるだけ強固に一体化し、その上でシステム重量を充分に増し、トランジェント、分解能、音場感などの向上を狙いたいのである。

 というわけで、D-55ES実験は只今着々と進行中。メインシステムのこともホッタラカシにして、こんなことやってて良いのだろうか。

 知的好奇心の為せる業、とカッコウ良く言い訳しておくのである。

’02/04/24 (水)

ご先祖様とは


 実験準備開始。まずはLchのD-55を寝かせ、208SSを外す作業から。初めてSSを持った時は何という重いユニットだろうと思ったが、ESの重さに慣れた手には軽く感じてしまうのだった。これでも20cmフルレンジとしては非常に重いユニットなのだが。ESが重過ぎるのである。

 久しぶりにキャビネット内部を覗いたら、空気室背面の板に黄色い字で「FE-206S→208Sへ '90・12・23」と書いてあった。写真はその様子。キタナイ字である。点々としている白い斑点は塗装に使ったカシューを水研ぎした時に付いたものだ。綺麗に拭き取っておけばよいものを、それほどヒッシになって仕上げしたんだろう。

 このD-55を作ったのは'89年6月だから、1年半ほど206Sを使い208Sへ乗りかえたことになる。その後は6N-208S、208SSときて、今回208ESへの換装ということになる。ちゅうことは、206Sから始まったFE限定ユニット中、最新バージョン208ES Ver.2 以外の全ユニットで鳴らしてきたことになるわけだ。

 今、改めてこれまでのテンカイを振り返ってみると、新しい限定ユニットがリリースされるたび「D-55ではハイ上がりになる」と言われ続けてきたような気がしている。しかし実際にはまったく問題はなく、それどころかその度にクオリティは上がっていった。これは何を意味するのか。

 D-55の基本設計が極めて優れていることの証明に違いない。さらに遡ればこのシステムのご先祖様、CW(Constant Width)ホーンの名作D-50に行き着くのである。D-50はFE-206Σを2発使ったD-70の習作として発表された1発使いモデルだ。20cm2発BHはその後D-77で一応の完成形をみるわけだが、1発使いのほうは逆に進化を続け、D-55、D-57、D-58と今に続くのである。D-50はそれ以後の20cmBHすべて(モアは別系統ですな)のご先祖様と言ってよいと思う。

 ご先祖様のご恩に報いるためにも、今回の実験は完遂させねばなるまい、って、そんなおおげさなものでもないケド。ともかく、今後も新しいユニットが出るたびにD-55で実験し続けるのも供養かなと、ボウズは考えるのである。

 長岡先生がご存命であれば、報告もできたのになぁ....。

’02/04/23 (火)

実験セット


 力強い協力者氏が出現し、あっという間にアダプターリングを入手することができた。とんぼさん謹製DFリングDF208。「スペアがあるから送ってあげる」というキトクなお申し出である。御礼の言葉もない。ありがとうございました。謹んで使わせていただきます。

 DF208が極めて優秀なものであることはすでに確認済みである。理想的にはインナーリングも使いたいところだが、今回はD-55ES化実験ということで見送り。日を改めて手当てしたい。

 ともかくこれで実験セットが揃ったことになるわけだ。「リングがないからもう少し待ってください」という言い訳ができなくなってしまった。これはもうやるしかないだろう。といっても、近頃ちょっと寝不足気味、もうそろそろスイッチ切れを起すんじゃないかと予測している。今日もグズグズしていたら真夜中の更新になってしまった。

 例によって僕は臆病なので、キャビネットを立てたままでの交換は怖いのである。寝D-55にするには、それなりの体力が必要。寝不足フニャフニャ状態ではアブナイ。明日こそは早寝して実験に備えるべし。

 寝D-55の前に、寝くずてつになって、と。

’02/04/22 (月)

オイシイところ


 上の画像は、今から10年以上前に採ったD-55+SW-1MkIIのF特写真である。大阪に住んでいた友達が持って来てくれたサンワSS-32RTで測定してもらったものである。部屋はもちろん箱船以前、当時築65年の隙間風ヒューヒュー吹き込む母屋2階の和室。ガタガタの畳部屋である。ユニットはFE-208S、トゥイーターはたぶんJA-0506IIだったと思う。

 320〜640HzにU字溝みたいなディップがある。部屋の影響かユニットのせいかよくわからないが、後々ユニットを交換してもこの傾向は残ったので、部屋だけのせいでもないのだろう。聴感上で凹んでいるようにはまったく聴こえなかった。この部分を無視すれば25Hz〜25kHzフラットとも言える素晴らしいF特である。

 このF特と現在の箱船メインシステムのF特を比較すると、10年前の形のほうが圧倒的にフラットである。現在のF特はローが盛り上がり、中域は凹み、ハイは早めに落ちているという、それはもうヒドイ形をしている。はっきり言ってムチャクチャである。

 では、聴感上でも10年前が圧倒的に優れていたかというと、ゼンゼンそんなことはないのである。今から思えばこの頃の音はやたらとドライで無味乾燥、ハードでシャープといえば聞こえは良いが、実は痩せぎすで輪郭強調がかかったような不自然なものだった。コントラストが強めな分、ちょっと聴きには明瞭な音だが、よく聴くと情報量がどこかでネグられているのは明白。F特の形だけが良くても、何の意味もないのである。

 もちろんフラットでしかも音が良いに越したことはない。デコボコでヘンな音(!)、というよりは良いに決まっている。だが、「フラット=良い音」と単純に決め付けられるほど、オーディオは簡単ではない。こんなことは今さら僕が言わずとも、ずっと以前から長岡先生が折に触れおっしゃってきたことである。

 だが、オーディオ界には未だ「フラット信仰」なるものがあり、F特の形のみで全てを判断してしまうような風潮があることも、また事実。「F特フラット」とは一つの目安、程度に考えておいたほうが健全なオーディオライフを送れるような気が、僕はしている。

 スピーカーシステムの音を決めるファクターはほとんど無尽蔵、その全てを完全に洗い出すことなど不可能である。F特はそのうちたった一つのファクターに過ぎない。立ち上がり、立ち下がり、スピード感、トランジェント、微小信号への対応、各帯域のクオリティ、音色。F特だけでは判断できないファクターは多い。

 もちろん世の中は広いもので、定規を当ててカッターで切ったようにフラットなF特を実現させ、しかも大変良い音で聴いているマニアさんもいる。こういう人にしても、狙ってフラットにしたわけではないのだろうと思う。自分の好きな音を出すために、あれこれ追い込んでいった結果のフラットと音の良さ、なのだろうと想像できる。

 「フラットな音」。それを充分に認識した上で、そこからどのように自分だけのオリジナリティある音を構築するのか。そのあたりがオーディオのいちばんオイシイところだろう。

 近々に実行しようとしているD-55ESの実験結果が、上記の如きオーディオライフの一助になればと思う。おこがましいことと充分に承知しながら。

’02/04/21 (日)

再起動


 2階で大アクビしているD-55である。初代の箱船メインSPだったが、'94年4月にその座をネッシーIIに奪われて以来8年間、かわいそうにほとんど出番がなくなってしまった。2階に引っ張り上げた当初のユニットは6NFE-208Sだったが、その後208SSに交換して現在に至っている。

 今、これを鳴らすことはほとんど無い。PCを使う時、たまに小音量でBGMを鳴らすくらいだが、僕はどうしても「ながら」ができないタチらしく、すぐに止めてしまうことが多い。208SSになってからはまともに鳴らしてやったことがない。これでは良い音で鳴らないのも無理はないのである。

 というような状況のD-55だが、42ECさんからのメッセージがきっかけとなり、どうも実験しなければならなくなったようだ。208ESへの換装実験である。

 すでにD-55に208ESを着けて(以下D-55ES)鳴らしていらっしゃる方は多い。今さら僕如きが実験するまでもなく非常に良い結果が出ているわけで、特にユーザブルな実験になるとも思えない。ただ、僕自身実際にD-55ESを聴いたことはないし、スペアナでF特を採ってみるのも面白いとは思う。スーパーネッシーから外した208ES Ver.1 はとても売れそうにないし、その辺に転がしておくのも勿体無いので、そのうち実行してみたい。D-55、D-55ESに変身して再起動である。

 この実験に必須なのは、サブバッフル、またはアダプターリングだ。素のままでは208ESの磁気回路が空気室背面の板につっかえて取り付け不能。うむ、それなりに投資の要る実験になりそうである。

 ちゅうことで42ECさん、garasuさん、気長にお待ちください。待ち切れなくなったら、僕のことなんかほっといてドンドン先へ進んでくださいね。

’02/04/20 (土)

鮮度と輝き


 ご存知生録の帝王SY-99さんから新録音のCD-Rが届いた。今回の録音は、富士スピードウェイに於ける2002年フォーミュラ・ニッポン第2戦の模様である。モータースポーツについてはヒジョーに暗く、きちんとした説明はできない。詳しくはSY-99さんのサイト「CD-Rソフトの紹介」ページをご覧いただきたい。

 さて、僕はと言うと、SY-99レコーディングスの一ファンとして、このCD-Rを楽しませてもらうことにする。こうなればもう完全にサウンドマニアモードである。

 聴きどころは、各車がヘアピンカーブに突入し、コーナーを抜けて行く音を捉えたトラック3〜5である。シフトダウンしたエンジンの唸り、そして再び加速しコーナーを立ち上がってゆく情景が見事に捉えられている。右手遥か後方(おそらくそこがヘアピンカーブ入り口)でシフトダウン、左手やや後方を大きくカーブし、中央から右手前方へ一気に加速して走り抜けて行く。まるでホログラフを見ているような立体感のある録音である。

 音は極めて鮮度が高く、切れが良い。スピード感があり、しかもまったく薄味にならず充分な厚みを持っている。残念ながら僕は、フォーミュラ・マシンの生音を聴いたことがないので、それと比べてどうであるかということは言えない。だが、生音に極めて肉薄しているであろうことは想像に難くないのである。そう思わせるだけの力感と鮮度が、この音にはある。

 スペアナでF特を採ってみると、400Hz〜1.2kHzの中域にエネルギーが集中している。特に500Hzはスケールアウト寸前というレベルの高さ。超低域のレベルはさほどではないので、コーンの振れは少ない。これを良いことにどんどんボリュームを上げたりすると、フルレンジのボイスコイルが危ない感じ。と、分っていても全体的に歪み感極少なので、ついボリュームノブに手が伸びてしまうという、困ったソフトである。

 これまでに数多くのSY-99レコーディングを聴かせていただいた。その度毎に驚かされるのは、何と言っても鮮度の高さである。どのタイトルも、聴けば一度は必ずギョッとする瞬間がある。異様に生々しいのである。それともう一つ。ロケーションやマイクが違っているにもかかわらず、全てに共通した音の輝きがあること。これは必ずしも原音に忠実と言えないのかもしれないが、この一種独特の輝きがSY-99サウンドの大きな魅力である。

 原音に肉薄しながら一聴してそれとわかるSY-99レコーディング。こんなことが容易に実現できるわけはない。全く以って素晴らしいのである。

 SY-99さん、今回も良い音を聴かせていただき、本当にありがとうございました。今後、更なるご活躍を祈念して止みません。

’02/04/19 (金)

幽けき声


 昨夜午前2時ごろのことである。箱船から母屋へ帰ろうとして外へ出たら、裏山の方から「ヒ〜...」という、ちょっとブキミな声が聴こえる。おっ、今年は早いなと思いさらに耳をすませばまた「ヒ〜...」と鳴く。夜中、それもちょうど丑三つ時に幽けき声で鳴く生き物、それは「トラツグミ」である。

 「ヒ〜...」と表記した鳴き声、人によっては「ヒュ〜」とも「シュ〜」とも聴こえる、実に不思議で微妙な声である。ウグイスのように鮮明な声ではなくどこか儚いような、ともすれば夜の闇に消え入りそうな弱々しいものである。「幽けき声」という表現がいちばんぴったりくる感じだ。ご興味を持たれた方はこちら「闇の精の口笛」で聴くこともできそうである。

 トラツグミ。学名turdus dauma。スズメ目ヒタキ科ツグミ亜科の留鳥である。大きさはムクドリくらい、やや大型の鳥といえるだろう。春から夏にかけての繁殖期、前述の如く真夜中に鳴く。地方によってはこの鳥を「鵺(ヌエ)」と呼ぶところもある。

 ヌエとは頭が猿、胴体は狸、シッポは蛇で手足が虎というムチャクチャなキメラ生物、要するに妖怪のことである。想像上の動物。それが何故トラツグミと混同されてしまったのか、おそらくそれはこの鳥の真夜中に不気味な声で鳴く習性あってのことだろうと想像できる。

 真夜中に鳴く鳥はトラツグミに限ったことではない。例えば宮沢賢治の童話でよく知られるヨタカや、「テッペンカケタカ」の鳴き声とド厚かましい託卵で有名なホトトギス、その同じ仲間のカッコウなども、初夏の夜明け前、真っ暗なうちから鳴き声を聴くことができる。それなのに、トラツグミだけがとんでもない妖怪と一緒にされてしまうのは、あの「ヒ〜...」という得体の知れない鳴き声が災いしているのだろう。

 この鳥の声が聴こえはじめると、いつも「ああ、初夏がやってきたなぁ」と嬉しくなるのだが、未だ晩春のうちから鳴き始めてしまった。花と言い鳥と言い、今年は季節が1ヶ月以上早く進んでいるようである。

 鳴き声からすると生命力の弱そうな鳥に思えるが、案外そうでもないらしい。今晩は本来の季節に戻って寒い夜である。それでもまた元気(?)に鳴き声を聴かせてくれるのだろうか。

 「鵺の鳴く夜は恐ろしい」

’02/04/18 (木)

ナルキッソス・ナルシスト


 庭に咲く水仙である。ギリシャ神話に登場する美少年ナルシッサスが、池の水面に映る自分に見とれ、遂には花となる話は有名である。その花がこの水仙だという謂われ。だから学名はnarcissus という。そのままである。自意識過剰、自己愛、自分のことを過大評価している人のことを「ナルシスト」と呼ぶのもこの伝説が原典である。

 オーディオマニア(に限ったことではないのかもしれないが)には変った人がわりと多く、箱船ができて以来、訪れた人の中にもそうとうな変人が多くいた。割合からすると、その出現率(!)はかなりの高確率である。ひょっとすると、僕自身が変人の親方だったりして。そーゆー人を引き付ける磁石でも持ってるのかな。

 もちろん極めて常識的で礼儀正しい人も多い。さればこちらも安心してお付き合いできるわけだが、ちょっと変った人と二人だけで、しかもある意味密室内で時間を過ごすのはヒジョーにつらいのである。

 これまで訪れた人の中で度外れて変人だったのは、箱船ができて数ヶ月たった頃にやってきたあるマニアさん。この人、話を聞いてみるとお好みの音が僕とは全く正反対。何を勘違いしたか、なんでうちへやってきたのか未だに不明である。訪問を承諾する前にもう少し話をしておくべきだったと、後になって悔やんだが時すでに遅し。

 音を数分聴いて「ここの音は変です。これでは音楽の真髄が全く伝わってこない。私のシステムで鳴らせば....」と講釈が始まった。それからお帰りになるまでの数時間、彼は自分のシステムが如何に素晴らしいか、それを構築するまでにどれほどの苦労があったか、それに比して箱船のシステムがどれほど低次元なものかを陶々と語りつづけたのであった。

 僕はそれを厭なカオ一つせず謹んで拝聴、できるほど人間ができていないので、多分露骨にいやな顔をしていたんだろうと思う。実際、カオが歪むのが自分でも分かるほどだったから。しゃべるのを唐突にヤメた彼は、僕を哀れむような表情を浮かべながら帰っていった。

 これほど変った人は、後にも先にもこの人だけ。怒りを通り越し、珍奇な人もいるもんだとまるで滅多に出会えない天然記念物的生物を見たような、ちょっと得したような気分になったのを覚えている。

 彼には「オーディオナルシスト」の称号を与え、その栄誉を永く顕彰したい。誰しもそういう側面を持っているのは否定できないとは思う。僕もその例に漏れないだろう。しかしアンタなぁ、なんぼなんでもそれはナイやろ、と。

 綺麗に咲く水仙と一緒にしては、水仙に気の毒だけれども、ナルキッソスという学名から昔のことを思い出してしまった。自分の音を愛するあまり、他者の志向や音を認められないようなマニアにはなりたくないのである。

 自戒自戒。

’02/04/17 (水)

進捗


 FE-208ES Ver.2に交換してちょうど10日経った。7〜9日はお客様があったので集中して聴くことができ、初期エージングには非常に良い機会だったと思う。その後は何だか雑事が多く、ゆっくり聴く機会に恵まれていない。それでも毎日一時間くらいは大音量で聴いているわけで、それなりにエージングは進んでゆくのである。

 透明感、音離れ、音場感、分解能、切れ、瑞々しさ、艶。これらのファクターがかなり向上した感じである。特に中高域の抜けの良さは素晴らしく、何のストレスもなく音が前にぶっ飛んでくる。しかもそれは荒々しい音ではなく、指の間から極細目の白砂がさらさらとこぼれ落ちるような繊細感を持っているのである。

 低域のリニアリティに優れていることは12日の日誌に書いた通り。それからまだ5日しか経っていないにもかかわらず、低域が随分と力強くなっている。鳴らし始めはやや影の薄さを感じたけれど、中身が詰まってソリッド、しかし鈍重さが無いという低域になってきた。これは一つの理想である。

 Ver.1を初めて聴いた時、相反する複数の要素をものの見事に融合させたユニットだと思ったが、Ver.2はそれをさらに高い次元で実現した極めて優秀なフルレンジユニットである。

 では、Ver.1はまったくダメなユニットなのか? 否、そうではない。エージングを行き届かせるには物量(早い話が時間と音量)が必要という、不利な条件のせいで随分損をしていると思う。Ver.1は経時変化の度合いが非常に大きいのである。そういう意味では本当の実力を発揮する前に打ち捨てられようとしている、不遇のユニットだったと言えなくもない。いえ、これはけっしてセールス文句ではありません。本当にそう思うのでゴザイマス。

 Ver.2は確かに素晴らしい。だが、Ver.1をこのまま風化させてしまってはボウズの僕としては寝覚めが良くないのである。バケて出られても困るし。

 2階のD-55に着けて鳴らしたらどんな音になるんだろう。あるいはD-77ES(D-78?)を作って4本使い切るか? 良い供養になりそうである。

 あのね、そんなことやってるヒマがあったらね、さっさとスーパーネッシーII作んなさいって。

’02/04/16 (火)

オマエはすでに


 今日(4/15)は毎年恒例行事の「町内托鉢」だった。約7時間、ワラジを履いて歩きっぱなし、死ぬほど疲れた。昔の人は一日で数十km歩いてもなお平気だったという。歩いて5分で行けるところを車で10分かけて行く運動不足の不精モノが、ウォーミングアップも無しにいきなり十数km歩くと、こういうことになるわけだ。

 昨年の日誌には「町内を歩くだけだから大したことはない」なんて書いているけれど、今年は随分クタビレました。大腿骨と骨盤の接合部分がイタイのである。う〜む、おっさんである。

 というわけで、今夜はこれ以上書き続けてもケンシロウから「オマエはすでに死んでいる!」と言われそうなので、「ひでぶっ」とハレツする前に寝てしまうのである。もう思考停止してわけのわからんこと書いてますな。

 失礼をばいたしました。

’02/04/15 (月)

大陸的DVD


 この間、友達から一枚のDVDを貰った。ラッセル・クロウ主演「GLADIATOR」である。でも、何だかジャケットの雰囲気が変? そうなんです、これ、友達が中国で買ったものなのでした。ちょっと珍しいので日誌のネタにと、置いて行ってくれたのである。どうもありがとう。

 包装が凄い。二つ折りにしたペラペラのジャケットの間にビニール袋入りのディスクを挟み、それを安っぽい透明袋に放り込んであるだけ。ディスクは全く固定されていない。袋を振ったらガサガサゆってる。逆さにしたらディスクが飛び出してきそう。中国で10元、日本円にして160円くらいで買えるそうだ。日本人の感覚からすれば超激安である。

 こんなんでキズは大丈夫かいなと誰でも思うだろう。それがどうしたことか、案に相違なくやっぱりディスクは傷だらけである。さすが中国、やることが大陸的。再生に問題なければだいたいOKなんだろう。こんなもん日本で売ったらクレームの嵐である。一応ピクチャーディスク仕様だが極めて目の粗いシルクスクリーン印刷でボケボケ、茶色モノクロプリントみたいである。

 リージョナル・コードはALLだから、ちゃんと見ることはできる。音声は英語5.1サラウンドとフランス語モノラルの二つ。ナンデフランス語なんだろ。日本盤はスクイーズシネスコだったが、これはスクイーズ無しのシネスコ、画質についてはそこで既に損をしている。

 さて、画と音。僕は日本盤しか見ていないから、それとの比較になるわけだが、これはちょっと困りましたねぇ、という感じである。折角の高解像度映像が、見るも無残な状態である。アップもロングもボケボケ、これでは評価のしようがない。音についても同様である。凄いディスクである。

 しかし何というか、このディスクを見ていると細かいことにはこだわらない中国という国のクソ力みたいなものが感じられ、いささかタジタジするのである。目に見えないほどのキズがあったり、僅かな不グワイでもすぐにクレームをつけたがる日本人の国民性。だからこそ世界に名だたる「MADE IN JAPAN」品質を維持してきたわけである。しかし、だ。

 重箱の隅を突付いてばかりいると、そのうち足元をすくわれるんじゃないかという危惧を、僕は感じてしまうのである。

’02/04/14 (日)

磨けば光る点と音


 HMA-9500、9500IIをお使いの方、あるいは使ったことのある方なら、上の写真の意味するところをお分りいただけるだろうか。内部基板上、スピーカーアウト直前に入っているリレーである。プラスチックカバーを外し、接点部分を取り外したところ。この写真は2階のシステムでサブウーファーをドライブしているHMA-9500(IIではない)のほうである。この部分は9500IIも変りはない。

 4枚の燐青銅製片にそれぞれ1個ずつ、真鍮製(だと思う)接点が付いている。ここがリレー本体側に固定されている接点につながるわけだ。リレーは信号経路に対してシリーズに入っているし、出力の直前にあり、全ての信号がここを通ることになる。極めて重要な接点である。

 リレーが動作し、接点が繋がる時には僅かながらも火花が出るのか、外してみると接点は真っ黒である。それは煤のようでもあり、金属の錆のようでもある。この汚れはかなり頑固なもので、綿棒と無水アルコール程度では容易に落ちない。こんなところはおそらく20年以上クリーニングしていないだろうから、それも仕方ないのである。綺麗になるまでには相当しつこく磨かなければならなかった。写真は磨き終わって撮ったもの、真鍮の色が見えるようになっている。これ、磨く前は真っ黒でした。

 同時にリレー本体側の接点も磨いたが、こっちもやっぱり真っ黒け。こんな状態でよく音が出ていたもんだと驚くほどの汚れ方だった。

 かなり以前から時々不穏な動作をしていたこのアンプ、リレー接点を磨いてからは全く問題なくなってしまった。どことなく違和感があったリレーの動作音も「カチン」と切れが良い。再生音にも馬力が出たように聴こえる。これは大正解だった。

 オリジナル、IIとも、非常に古いアンプなので、動作に異状が出てくるのは致し方無しということはあると思う。パーツの劣化が最大の原因だろうことは容易に想像できるわけだが、案外この接点トラブルを見過ごしているのかもしれない。現在も9500、9500IIをお使いで、しかも原因が良く分らない不穏な動作に悩んでいる方がいらっしゃるのなら、実行してみる価値はあるかもしれない。

 但し、リスクが全く無いとはいえないし、実施後の経年変化も検証できていないので、そのあたりは充分にお含みいただきたい。「絶対にぶっ壊れません」との保証は出来ない。実施する時はそれぞれの責任に於いてお願いしたいのである。

 既に実行しておられる方がいらっしゃったら、ごめんなさい。ご笑読(?)ください。

’02/04/13 (土)

これは便利


 今日は画像がデカくて恐縮です。

 CADのことを書いたのはいつだったろうか。過去の日誌を調べたら昨年の6月15日である。ついこの間だと思っていたらもう10ヶ月も経っちゃったのね。

 先日、友達から使い方をレクチャーしてもらえる機会に恵まれた。あまり時間が無かったのと、僕にこらえ性が無いのとで、ごくごく基本的なところまでの講習だったが、それでも4時間くらい集中して教えてもらったおかげで、曲がりなりにも平面図くらいは書けるようになった。生徒はアホだが先生が大変な教え上手、さすがである。ありがとうございました。

 何だかとても嬉しくなってしまって、練習のつもりでリヤカノンLの板取図を書いてみた。まだまだ非常にグワイが悪く改善すべき点は多いのだが、PCドシロウト現状の戯言ということでお許し願いたいのでゴザイマス。

 CADを使いたかったそのワケは、「戯言的図面集」ページを刷新したいから。現状手書きの図面をスキャナーで取り込み、それをjpgファイルにして載せている。そんなことやるものだから、やたらとデカくて重いくせに極めて不鮮明、あれでは何のための図面だかわかりゃしない。バカバカしいこと極まりないのである。何とかもっと軽くスマートに、しかも鮮明に見ていただけるにはどうすればよいか。そこでCAD、というわけである。

 聞くところによると、何もこれを使わなくとも、綺麗な図面を挙げることのできるソフト(ってゆうんでしょうか?)があるらしい。だが、この際CADの使い方を知っておけば、例えば何かの加工を依頼する時、図面の遣り取りが非常に楽になるのである。

 もう少し上手く使えるようになったら、スーパーネッシーMkIIの設計をCADでやってみようと考えている。少なくともホウガンシと鉛筆よりは早くてらくちんだと思う。

 消しゴムカスは出ないし、紙もクシャクシャにならないし。

’02/04/12 (金)

フルフル


 僕は大音量派である。これは自分でも認識している、つもり。そもそも箱船を作ったのも、何時でも心置きなくデカい音を出せる環境が欲しかったからだ。それに、オリジナルネッシーでは事足りず2発に増やしてしまうのだから、これは間違いなく大音量派だろう。耳を大切にしましょう。

 新208ESは、かなりのパワーを入れても音の崩れが少ないユニットである。旧型もそうだったが、新になってさらに天井が高くなったと感じている。部屋か人か、どちらかが壊れるほどの大音量でも、ユニットは涼しい顔をしている、そんな印象である。

 ユニットにどこまでパワーが入り、どの程度で悲鳴を上げ始めるのか。そういうことを確かめる時によく使うソフトがこれ。「POMP & PIPES」(米REFERENCE RECORDINGS RR-58)である。このタイトルはCDが「ダイナミック・ソフト」に取り上げられていたが、僕が使うのはADである。これにも2種類あって、一つはレギュラープレス盤、もう一つはRTI(RECORD TECHNOLOGY INC.)のHQ-180(180g)盤。写真は180g盤である。レギュラー盤も優秀だが、ハイの伸び、歪み感の少なさ、低域の力などの点で180g盤有利。

 このレコードの第4面2曲目(CDではトラック9)、ワインバーガー(ワインベルガー?)の「笛吹きシュワンダ」をテストに使うわけだ。7分55秒と、さほど長くない曲のクライマックス1分間(CDでは5分50秒あたりから)、20Hz以下がグヲーッと上がってくるところで、どこまでボリュームを上げることができるか試すのである。

 この部分、10cm以下のユニットではとても大音量再生は無理である。物理的に不可能。コーンの空振り現象が起こり中高域がモジられて音にならない。要するに「ブルブル」ゆってしまうわけだ。では20cmなら大丈夫かというとそうでもないのである。1発では僕の常用音量に苦しい。2発でもいい気になってボリュームを開くとコーンが飛び出しそうになって慌てることになる。はっきり言って恐ろしいソフトである。

 新208ESになって、かなり満足の行くところまでボリュームを上げられるようになった。もちろん、ブルブル言わない範囲で、である。新型は中高域の切れ、情報量の多さが際立つユニットだが、低域のリニアリティにも非常に優れていて、オルガンの空気感が良く出る。鼓膜がぐうっと圧迫される感じ、服の袖などがフルフルするのが如何にも快感である。

 こんなことばっかりやってるから、僕が鳴らし込んだユニットはみんなヤバンな音になっちゃうのである。音を聴くのが目的か、服をはためかせるのがうれしいのか。何だかよくわからないのである。

’02/04/11 (木)

得るもの


 裏返した装甲的2000ZRである。強烈。キャビネットに関して言えばコンプライアンス極少。真鍮製の脚にはフェルトさえも貼っていない。箱船の床に直置きすると、設置のショックがアンプの脳天(?)まで突き抜けるようなイメージである。

 2000ZRは、元々ハイスピードでトランジェントが良く、F1マシンみたいなアンプである。それに加えてこのキャビ。これならかなりの重量付加にも耐えられるだろう。ひょっとしたら100kgくらい載せても壊れないんじゃないかな。尋常ならざる音が出そうなのは想像に難くない。狂気のハイスピードアンプ。しまったぁ、聴いておくんだった。次回は聴かせてくださいね。

 実際に使うとなれば、もう少しキャビをダンプしておきたいとか、せめて脚にはフェルトを貼りたいとかいろいろあるわけだが、こういうスゴいものを提案してくれた友人には兎にも角にも大感謝である。これはオールアルミ製。天板、底板、側板それぞれで材を変えるという手もある。天に真鍮、底に純銅、両サイドにジュラルミン、なんてこともできるわけである。考えているだけでも楽しくなってくるのダ。

 だが、格好が良いから、美しいからとか、ただやってみたかったから、という動機だけで上手く行くほどオーディオは単純ではないのである。こういう実験から何を得、自分の音を構築するにどう生かすのか。ここがはっきりしないままヤミクモに突き進んだところで、それは只の愚行でしかない。まずは「自分の音」をイメージすること、これが一番大切なことになる。昨今、ここがオロソカにされているような気がするのは僕だけだろうか。

 などとエラそうなことを述べているけれど、これは僕にとっての自戒でもあるのだった。

’02/04/10 (水)

装甲的2000ZR


 どこのアンプか俄かには分らなかった。こんなアンプあったっけ? よくよく見れば、それはDENONのPRA-2000ZRである。

 金属加工の得意な友人が、キャビネットを全てアルミの厚板に変更したものである。天板、底板は8mm厚、側板は15mm厚。脚はΦ80、15mm厚の真鍮円板。元々はダークブラウンのウッドキャビにゴールドのフロントパネルというルックスである。それがまるで装甲車のような姿に変身した2000ZR、この迫力は凄いのである。

 一年程前、僕は彼にこう言った。「2000ZRの底板って、わりといい加減なベニヤ板でしょ? あれって厚手の金属板に換えてみたいところだよねえ」と。物静かな彼は「そうだね」とひとこと言って何か考えている様子だった。彼も2000ZRオーナーなので、何らかの方法を考えてくれるのかなと思っていたら。

 その時の答えが上の2000ZRである。まさかキャビ全てをアルミ板に置き換えてしまうとは思わなかった。びっくりして目が点になった。もともと10.5kgと比較的軽いプリアンプが、倍以上の重量になっている。ちゃんと量ったわけではないので正確にはわからないけれど、持ってみた感じでは20〜25kgくらいは楽にありそうだ。

 驚いたのはボリュームノブを回した時、ファンクションボタンを押した時の感触がウッドキャビの物とはぜんぜん違うこと。カチッと決まって痛快である。鉛を載せてマスを付けた時ともまったく違う。

 だからと言ってこうすることが良いのか悪いのか、それは一概に決め付けられないと思う。金属板の鳴きが問題にもなるだろう。だが、これはあくまでも一つの実験なのである。こういうことをやるとどういうことになるのかという。ご本人も「これはくずてつさんへの見本のつもりで作りました」とおっしゃっている。

 残念ながら今回は時間がなくて音を聴けなかった。だが、こういうことができることはよ〜く分ったのダ。これを踏ンまえた上で何かに生かせればと、アホのくずてつはまたしても良からぬ企てを謀るのである。

 C-280Vもダークブラウンのウッドキャビ、である。

’02/04/09 (火)

大感激


 今回のご来客も、前回のげんきまじんさん来訪時と同じくほとんどの時間をAD試聴で過ごした。新208ESの導入で、確かにCD、DVDのディジタル系も相当な音質向上があったわけだが、殊ADに関してはそれが極めて顕著である。導入前に比べると、ディジタルとアナログの差がさらに広がってしまった。新ESはAD再生でこそ真価を発揮する?

 上の写真はご持参いただいたADの内の一枚である。「Japon 3/Gagaku」(仏 OCORA 558551)。OCORA「Japon」シリーズ3枚目。このシリーズはどれも録音が優秀で、4の「地唄」と5の「能の音楽」はA級外セレに入っている。この3「雅楽」も何処かで取り上げられたタイトル、のはず。調べるのだがどうも良く分らない。御存知の方がいらっしゃったらご教示願いたいのである。

 僕は雅楽が好きである。特に惹かれるのが笙の音色だ。あの透明感ある「ニャ〜ン」という音、実に魅力的である。雅楽のレコードやCDを色々買ってみるのだが、なかなか良い録音に出会えない。かなりこだわって録音したという能書きのあるものでも、どうもイケナイのである。

 このタイトルは素晴らしい。やや殺風景ながらも音場感抜群、伸びと艶があり、一番気になる笙の音色も非常に美しい。打楽器は切れと実在感がありパワフル、全ての音に生気が漲っている。このレコードいいなぁ、ほしいなぁ、でも買えないもんなぁ、何処で捜すかなぁ、なんて思ってたら「おみやげに差し上げます」と信じられないような御言葉が。うっひゃあ大喜び、こんなお宝ADをいただけるなんて。御礼の言葉もないのである。

 このあともチョイチョイとCDを挟みながら大部分の時間をAD再生に割く。その間にも新208ESはエージングが進行して行く。聴感でもはっきりとそれが分るのである。AD特有の超低周波(盤のソリによるもの)でコーンが揺さぶられるのも、エージングを加速させる原因の一つか。

 今回のご来客は、いろんな意味で有意義だった。ユニット交換直後ということで少々心配だったが、それが却って面白かったとも言える。

 遠いところをわざわざ御出でいただき、ありがとうございました。おまけにこんなに素晴らしいおみやげまでいただいてしまって、僕はもう本当に感激です。

 再会を祈念して。

’02/04/08 (月)

来客中です

 昨日からほとんど鳴らしっぱなしにしている新208ES。交換完了から約20時間、瞬く間にエージングはどんどん進み、繊細感、艶なども出るようになってきた。このユニットはお目覚めのご機嫌が非常に良いようである。ここは旧ESとの大きな違い。

 只今来客中、みんなで大喜びしながら、いつもの如くAD中心の試聴である。旧ESもそうだったが、新ESはAE86式フォノイコとの相性がさらに良く、互いの長所を引き出しあっている感じである。豹変して導入した新ES、結果的には大成功。しかしながら、些かの忸怩たる思いが残らないでもない。 ....何だか歯切れが悪いね。

 今後さらにエージングを進め、経過を報告して行きたいと思う。ということで、今晩はもう少し皆で楽しませてもらうことにしよう。

’02/04/07 (日)

間に合った


 只今4月7日午前4時。ようやく208ES新旧交換が終った。三度目のユニット交換で内部コードが短くなってしまい、交換を余儀なくされたのでよけいに時間がかかってしまったが、どうやら明日(もう今日ですな)のご来客に間に合った。ヨカッタヨカッタ。けど、しんどかった。眠いっス。

 ちょっとだけ聴いた感じでは、AE86さんの言葉に間違いは無いことが良く分った。鳴らし始め直後から切れが良く、見る見るうちに音がほぐれてくる感じである。あまりもっともらしいことはまだ言えないけれど、オーバーシュート気味のSSと、低歪みで聴かせる旧ESを絶妙のところでバランスさせたような音である。僕がこれまでに書いてきた旧ESの「低歪みでありながら、しかも切れが良い」という音をさらに追い込みグレードアップさせた感じ。非常に良い音だと思う。

 但し。エージングが行き届いた旧ESとの比較では、次元の差とまで言えるかどうか。旧ESが優れたユニットであることに些かの変りはないのである。逆説的に言えば、エージング不足の旧ESと比べると圧倒的な差になるのかもしれない。新ESはいきなり凄い音で鳴ってしまう感じである。これが1年、2年後にはどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、期待感は極めて大きい。

 交換直後のファーストインプレッションはこんなところ。今からしばらくはCDを鳴らしっぱなしにしよう。本当はADでそうしたいのだが、一晩中傍にくっついているわけにもいかないのである。

 上手く鳴らし込み、旧ES以上の音に仕上げられるかどうか、そこは僕のウデ一つ。だが、どうせまたヤバンな音に育っちゃうんだろうなぁ。遺憾遺憾。

’02/04/06 (土)

ウソツキでいい加減で


 とは、まさに僕のことである。「見送り」なんてウソばっか。いい加減なことゆってるわけです。FE-208ES Ver.2(AE86さん曰く208ESS)が今日届いた。

 その音については既にAE86さんが詳しく述べていらっしゃる。あの記事を読んで導入を決意された方も多いのではないか。僕ももちろんその一人ということになるわけだが、その前に直接お話を聞き、注文してしまったのだからちょっとズルいのである。インサイダー取引みたいだ。

 買ってしまったからにはさっさと交換し、早く音を聴いてみたい。もちろん間違いはないと思うが、片ch1本使いとパラで2本使った時とで、印象が変るものかどうかも知りたいところである。といっても同時比較はできないのだが。AE86さん、また聴きに来てください。

 日曜日にはお客様がみえるので、できればそれまでに交換してしまいたい。あるいは、まず旧208ESで聴いていただき、それからVer.2に換え音の違いを確認する、というのも面白いと思う。けれども、交換作業はそんなに簡単ではないのである。それまでにやっておくほうが良いだろうなぁ。

 ちゅーことで、今から作業します。こりゃ今日は半徹夜、ひょっとすると全徹夜。

’02/04/05 (金)

川つながり


 デンキウナギ、ピパと、アマゾン川産の生き物ネタが続いたので、何か川つながりのソフトはないかと探した。なかなか良いものが無くて困りながら、ジャケット写真が川だということでひっぱり出したのがこのレコード。同じ川でもアマゾン川ではないけれども。

 「Echoes of a Waterfall 〜 ROMANTIC HARP MUSIC OF THE 19th CENTURY / Susan Drake」(英hyperion A66038)。(P)(C)1982。ADである。タイトルを直訳すれば「滝の響き」ということになるのだろうか。スーザン・ドレイクの演奏によるハープ曲が11曲入っている。音楽に造詣が深ければ、一曲一曲の作曲家に詳しく触れ、深みのある紹介ができるわけだが、残念ながら僕にはそんな知識も能力も無いのである。ゴメンナサイ。

 このレコードもジャケット買いである。緑豊かな森の中を流れる川のジャケットが、とても気に入ってしまった。今風に言うなら「癒し系ジャケット」ってヤツか。

 録音はあまり良いほうではない。曲によってはハムノイズが乗っていたりして、ちょっとマズい感じである。全体的に埃っぽく、透明感不足。靄の向こうでハープが鳴っているという感じ。低域は比較的豊かだが、ハイに切れがない。A級外セレのマリエル・ノールマン盤とは随分違う。オーディオ的には食い足りないレコードである。

 と書いてしまうと、なんだカス盤かということになりそうなのだが、さに非ず。曲、演奏、ジャケットのイメージが見事に一致し、聴いていると何ともいえない良い気持ちになるのだった。特に曲が良い。

 明るく穏やかで暖かく、心に染み入ってくるような曲ばかりである。オーディオ的にはマイナスポイントになる透明感不足が、却って良い雰囲気をカモシ出している。こういうレコード、僕は好きである。けれどもリアルハードサウンドマニアには、とてもお薦めできない。

 ADはもう買えないかもしれないが、同タイトル同ジャケットのCD(CDA66038)も出ている。こちらはまだ買える、のかな。

 ストレス蓄積気味の方には、良い「ヒーリング・ミュージック」になると思う。ジャケットも曲も「癒し系」ね。

’02/04/04 (木)

ペッチャンコの理由


 須磨海浜水族園には巨大水槽が設置されている本館の他に、テーマ別の別館が幾つか設けられている。その中で僕が特に楽しみにしていたのは「アマゾン館」である。ここにはアマゾン川に棲む珍しい魚や両生類が展示飼育されているのである。

 写真はそこにいた「ピパ」というカエルの一種である。和名コモリガエル。つまり「子守り蛙」というわけだ。これも昨日述べた「私説博物誌」にとりあげられている。読んだ当時は日本では何処にも実物がいないということで非常に残念な思いだったが、デンキウナギを見に行ってコイツに出会えるとは、存外の喜びだった。

 カエルとしては大型の種で全長20cmくらい。一生を水中で暮らす、両生類とも言い難いようなカエルである。体はご覧の通り扁平な形をしていて、特に背中が非常に平たくなっている。この形が「コモリガエル」の命名由来に関連大なのである。

 このカエル、メスが自分の背中で子蛙を育てるのである。要するに、背中で卵を孵化させるというわけだ。この特異な繁殖形態がペッチャンコなカタチなる所以である。では、いったいどうやって卵を自分の背中まで運ぶのだろうか。

 一説に因れば、まずメスが長い産卵管を出し、それをオスのカエルが抱えて(あんな手でどうやって抱えるのかな?)卵を1個ずつメスの背中にくっつけていく、のだそうだ。卵がくっ付いた部分が徐々に窪み、やがて卵の格納器になる。一回の産卵で60〜70個産むそうだから、メスの背中は穴だらけになってしまうことになる。あまり気色の良い話ではないな。

 しかし、こんな作業がカエルにできるのかと疑問に思う。話としては面白いが、ちょっと面白すぎるような気がする。そこで、最新の情報はないかとサイト検索したら、ありましたありました。「ピパピパなペエジ」。このサイトは凄い。実際にピパの飼育をされ、産卵まで観察されている。それによれば、やっぱり上のハナシは眉唾だった。

 但し、一概にそうとも言えなくて、最近までこれが眉唾だとは誰にも分らなかったそうだ。生態が謎に包まれていたのである。それからしても上記サイトはスバラシイ。カエルに興味のない方も、是非ご覧下さい。産卵方法の真実が分ります。いや〜、僕は感激しました。

 背中の格納器で保護された卵はやがて孵化し、オタマジャクシになり、子蛙になった時点で背中から這い出してくるのだそうだ。背中がカユくならないのかしらん。う〜む、実にヘンなやつである。昨日のデンキウナギといい、アマゾン川にはどーしてこんな変った生き物がいっぱいいるんだろう。いや、面白い。

 ところでこのカエル、どんな声で鳴くんだろう。あるいは鳴かないのかな? もし鳴くのなら、ちょっと聴いてみたい。生録してCD-Rにするかな。

’02/04/03 (水)

クリーン電源


 先日、筒井康隆氏の著作「私説博物誌」を久しぶりに読み返した。僕は中学生の頃から氏の大ファンで、特にこの作は名著だと思っている。

 どの項を読んでも大変面白い。その中でも「デンキウナギ」の項は特に気に入っていて、愚息にも読んで聞かせたら「何処かでホンモノのデンキウナギが見たい」という。関西周辺でこれが見られる処と言えば神戸市にある「須磨海浜水族園」しか思いつかない。春休みでもあることだし、お天気も良いし、そんじゃあ見に行くかと出かけてきた。

 入館してすぐのところに設置されている巨大水槽に泳ぐ大型のサメやエイに驚き、世界最大の淡水魚ピラルクに圧倒され、アロワナの如何にもつまらなさそうな顔を笑いながら、今日のお目当て、デンキウナギのいる水槽へ向う。

 この魚、ウナギの名前が付いてはいるが、ウナギとはまったく別の種である。南米のアマゾン川、オリノコ川に棲み、最大では2.5mにもなる。須磨で飼育されている個体は全部で3匹、オリノコ川産である。写真で不敵な面構えを見せているのは2番目に大きい1.5mほどのヤツ。

 全長の約80%が発電器官に占められる。写真で言うと胸鰭の真下あたりに肛門があり、それから後ろは全部発電器官という、ミョーな魚である。ここに1個あたり0.15Vの電気を起こす細胞が4,000個以上、シリーズ配置されていて、最大では855Vの発電をするという。要するに、体の中に電池をいっぱい持っているわけだ。コイツがいる川に入った馬が感電死したという、古い記録もあるそうだ。ナカナカ強力なヤツである。

 世の中にはキトクな人がいるもので、この魚を食べてみた、と。何だかネバネバしていて、はっきり言ってまったく旨くないそうだ。そりゃあそうだ、電池を食ったって旨いわけはないだろう。

 発電するからといって、四六時中バリバリやっているわけではない。目が退化して、ほとんど見えないコイツ、発電は給餌行為なのである。水族園では水槽の上にピークレベルメーターとオシロスコープのようなものを設置し、餌を採る時の発電の様子を目と耳で確認できる工夫をしている。

 まず、餌になる小魚が何処にいるのか低い放電で検索、捕捉できたら本気でバリバリッとくる。すると小魚は忽ちマヒ、そこをでっかい口でパックリいただく、という寸法である。850Vでドカンとやられてはひとたまりもないのである。

 大きなメーターを光らせ、スピーカーをドライブできるほどの発電をするのなら、オーディオ用電源にコイツを使えば究極のクリーン電源実現である。ウルトラダイレクト、しかも無公害。1匹だけでは実用にならないので、たくさんの水槽に何十匹も飼って次々と発電させればいい。餌代が電気料金というわけ。誰かやってみませんか。

 ウナギだけに脂っこい音が出ます、ってか。

’02/04/02 (火)

満開2002


 今日(4/1)は日中の気温が20℃を超え5月並みの陽気、暖かいというよりも暑い日だった。桜は大喜びでチカラいっぱいの満開である。昨年の満開は4月7日だったから、やっぱり一週間早いことになる。今度の日曜日に見えるお客様、この調子では残念ながら散ってしまいそうです。惜しいなあ。

 桜の花が春風に吹かれて揺れている風景を見ていると、何だか本当に幸せな気持ちになる。何故だろう。もう何回も何回も見てきた風景なのに。懐かしい出来事を思い出すような、心の温度が少しあがるような、ちょっとフシギな感覚。

 あんまり綺麗なので、今日のお昼ゴハンは縁側まで運んで愚息二人とお花見しながら食べた。なんだか浮世離れしたようなハナシだが、これも田舎住まいの特権である。春風と桜、フツーのお昼ゴハンもこうして食べれば、また格別である。

 早いのは桜だけではないらしく、コブシの花もヤマツツジも早かった。4月になったばかりだと言うのにツバメが姿を見せ始めているし、裏の山では昨晩からフクロウが鳴きだした。これでは早春というより晩春の風景である。晩冬から晩春へ一足飛び、桜とコブシとヤマツツジとツバメとフクロウが全部同居する春。これはめったにないことである。

 テンペンチイでも起こるのかな?

’02/04/01 (月)

悪魔か音魔か


 もう4月になってしまった。冬は長くてイヤダ、なんてゆってたらすっかり終って今は春。ありがたやありがたや。桜の開花も順調である。ああ、春はスバラシイ。

 4月1日といえば「エイプリル・フール」である。って、こんな習慣まだ残ってるのかな。死語の世界ではないのか? 近所にこんなことやってる人なんか最近では見たことないような気がする。今度愚息に知ってるか訊いてみよう。

 上の写真はウソではない。正真正銘ニューバージョンFE-208ESの勇姿である。現物が手許にないので、誠に失礼ながらAE86さんのHPからお借りした。申しわけありません。ありがとうございます。

 さて、困ったことになった。3月30日の日誌に「今回はダッシュして飛び付く、というわけにも行かない」などと書いてしまったが、AE86さんの試聴記を読むとどうもそれでは収まりそうにない気配になってきた。う〜む、これはヒジョーにややこしいことになっちゃうのである。

 煩悩捨て切れず、僕はやっぱり破戒僧である。悪魔の囁きならぬ音魔の囁きには、抗い難いものがあるのだった。今回は見送るんじゃなかったの? え、「君子豹変す」? いつから「君子」になったんデスカ。

 今から。