箱船航海日誌 2002年03月
日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう
ジャケット買い
今の季節にぴったりのジャケット。超メジャー曲、ヴィヴァルディの「四季」(ロナルド・トーマス指揮/ソロヴァイオリン
ボーンマス・シンフォニエッタ 英Chandos ABR-1004)である。(C)(P)1979。古いレコードである。なんて分ったようなふうに紹介しているけれど、演奏者についてはまったく無知である。ジャケットのクレジットをそのまま書いただけ。お恥ずかしいことでございます。お許しを。 ボーンマス(Bournemouth)は英国ハンプシャー州南西部にある海辺の保養地だそうである。音がハイ上がりで明るいのはそのせいかしらん? このレコードを買った理由はただ一つ、ジャケットが気に入ったからである。それだけ。録音が良いとか、演奏者が好きだとか、曲が好きだとか、まったく関係無し。大阪で外盤漁りをしていて、Chandosレーベルのラックをひっかきまわしているうちにたまたま見つけて買った。録音はともかく、ジャケットには大変満足している。 久しぶりに聴いてみた。悪くはないが良くもない。優秀録音盤とはいえないと思う。この曲でいちばん活躍する肝心要のヴァイオリンは荒れて艶がない。音が痩せ気味で、繊細感に欠けている。勢い良く飛び出してはくるが少しやかましい。そのわりに低音に力がなく全体的にハイ上がり、長い曲ではないのに疲れる音である。ただし、小(微小?)音量再生すればコントラストがはっきりしているように聴こえて、そんなに悪くない。演奏にはゆとりが感じられ、セカセカしないので個人的には好きなほうだ。 音場感は平板で、奥行き拡がり高さともイマイチ、イマニ。雰囲気不足である。名曲、名演奏に名録音なし、というが、これもそのうちの一枚かな。 今まで聴いた「四季」のADで、いちばん良いと思ったのは、やはりA級外セレ第二巻180番のフィリップス盤(蘭PHILIPS 9500 613)である。当たり前過ぎて面白くもなんともないが、本当に良いんだから仕方ない。このADが(P)1980だから、上記のADとほぼ同時期である。聴き比べると、その差歴然。ちょっと勝負にならない感じだ。尤も、フィリップス盤は「良く録れたメジャーレーベルの音」という印象で、いわゆるマイナーレーベルの音とは少し違うように思う。 今さら「四季」の紹介もないけれど、ここは一つ「季節モノ」ということで。 |
今回は見送り
限定販売が始まって既に2週間以上経った、新しいFE-208ES。信頼できるスジからの情報では、現用の旧バージョンとはかなり音が違うと聞いた。鳴らし始めから随分と元気のある音が出てくるらしい。外観ではエッジ形状が僅かに違うだけ。しかしその他ディーテイルにも細かな改良があるのかも知れない。 ESの評価は、使う人によってかなりバラついているような印象である。ある人は「SSのほうが元気があって良かった」と言い、またある人は「歪み感が少なくて気持ち良い」と言う。ESからまたSSに戻る人もいたという話も聞いたような気がする。鳴らし始めの音だけで評価してしまうと、旧ESがかわいそうに思えるのである。このユニット、エージングに時間がかかり、しかも大化けするのである。 どちらの評価もよく分るのだが、個人的にはSSに戻るつもりは全くない。確かに換装当初は「ちょっとスピード感や切れが後退したか」と思ったけれど、バカでかい音を出す僕としては歪み感の少なさと、なによりも大振幅に強いというメリットは極めて大きいと思った。ともかく最初の一音を聴いて「これはイケる」と踏み、以来2年間使い続けている。 お陰様でエージングはかなり進み、当初感じた違和感は全くと言って良いまでに消え失せてしまった。「歪み感は少なく、しかも切れが良い」という、ある意味で二律背反を見事に実現させている名ユニットだと思う。少なくとも僕は、現用208ESに何の文句もないのである。 そこへニューバージョンESの登場である。食指が全く動かない、と言ったらそれはウソ。ピクピクするのは当然である。であるが、今回はダッシュして飛び付く、というわけにも行かない理由があるのだ。 ようやくエージングができ始めているものを換えてしまうのは忍びないということ。今交換したら、また一からやり直しである。それが必要なほど、現状に不満はない。今回の208ESは、導入見送りである。 と、以上は個人的な事情であって、新しい208ESに些かの文句があるはずもない。これは素晴らしいユニットだ。2年前、一回目の限定販売で買い逃し悔しい思いをした人、あるいは意識的に見送って、しかしそれをちょっと悔やんでいる人、達には是非購入をお薦めしたい。それだけの値打ちが、このユニットには間違いなくある。 300セット限定、かなり少ない感じである。5日前の情報だが、キムラ無線ではまだ買えると聞いた。 導入は見送るけれど、エージングが完了した2ndバージョンESの音が素晴らしいことは想像に難くない。是非聴いてみたいと思うのである。 |
6日早く
今年の桜が咲き始めた。昨年は4月3日だったから、6日早いわけだ。生まれてから74年間、ずっとここに住んでいるウチのバアさんに訊いたら、3月中に咲くのを見るのは初めてだという。滅多にないことなのである。写真は昨年載せたのと同じ樹の花である。今年の花も良さそうだ。 町道から境内につながる石段脇の桜も、ご老体ながらがんばっている。思ったとおり小鳥による蕾の食害は少なかった様子で、満開の時が楽しみである。 今年は何とか「花見OFF会」ができないだろうかなあと考えている。困るのは期間限定であること、しかもそんなに永くはない。4月7日に来客の予定はあるのだが、それまで保つかどうかこのグワイでは怪しいところである。とすると、その前の日曜日と言えば31日、イキナリである。やっぱり無理かなぁ。 何時咲くのか、自然の成り行きに予定を合わせるのは難しい。旬を逃せばそれはマヌケである。桜が特に珍しいものとは思わないけれど、一人で見ているにはちょっと惜しいくらい、綺麗な花になりそうなのである。 31日、どなたか御出でになります? |
硬くても大丈夫
って、別にメーカーのマワシモノではないのである。入れ歯安定材で何をしようというのか?
既にこれをオーディオ用に具していらっしゃる流離いの旅人さんならお分かりかな。 底面の平面性が悪く、ハウリングマージンがもう一息足りないAD再生。鉛板と底板の隙間をポリグリップで充填、安定を図ろうという、アホな魂胆である。これはどこまでも馬鹿な実験であって、ダメで元々、上手く行ったらお慰み、というくらいの低次元的対策である。個人的にはこういう馬鹿げたことが好きなのである。 残念ながら僕はまだ入れ歯のお世話にはなっていないので、この「ポリグリップ」なるものがどんな質感なのか、まったく知らない。たぶんグニャグニャしているのだろうが、必要な面に塗り、ギュギュッと押し付ければ、何となく固めの物体に変化するような気もする。 明日、さっそく薬局へ行って買ってこよう。これが上手く働き、ハウリングマージンが大きくなれば、萬萬歳。 これがダメなら、今度は低発泡ウレタンも使ってみたい。厚さ5mmくらい、600×450のシート、なんかはどこで手に入るのかな。御存知の方、いらっしゃいませんか? |
短く
ヘッドアンプC-17とフォノEQをつなぐケーブルである。自作6NCu単線ケーブルを使っている。手持ちの中ではこれが一番好みに合っているようだ。ただし、問題がないわけではない。 長過ぎるのである。ご覧のとおり、わざわざS字型に曲げてつないである。C-17―EQ間の距離は、もっと接近させられるのだが、これ以上近くするとケーブルに強いストレスがかかってしまう。どう考えても良い状態とは言えなくなるので、仕方無しにこうなっているのである。 そこで、ちょうど良いグワイ長さのケーブルを一組作ることにする。50cm、ひょっとすると30cmでも充分かもしれない。そうなると、この部分専用のケーブルになるだろう。30cmではとても他へは使えない長さである。 ここにどれくらいの長さのケーブルを持ってくるかで、随分と音に違いが出そうだ。もちろん、短いほうが良いに決まっている。単線を使うとなれば尚更で、如何にダンプしてあると言えども、長く使えば癖が出るのは避けられない。単線の宿命、原罪である。 折角新規製作するのだから買い置きの残りは使わず、ここは奮発して単線も新規購入しよう。今、山本音響工芸で買える単線には3種類ある。一つは従来からの6NCu1.6Φ単線、もう一つは同2.0Φ単線、さらに1.6Φ単線に金メッキしたもの、の三つである。 さて、どれを使うか。この部分に2.0Φは太すぎるような気がする。なんでもかんでも太きゃあいいってものでもない。とすると、従来通りのものか、或いはその金メッキバージョンか。僕の興味をそそるのは後者である。多少なりとも金メッキしたことによるダンプ効果が期待できそうなのと、線材の表面が酸化しにくいのも良いかな、と。 但し、気になることもある。信号はケーブルの表面だけを流れているという説がある。いわゆる「表面効果」である。ちゅうことは、信号は金メッキ部分だけを流れるってことか? 実際にどーゆーことになるのか、専門的に過ぎて僕にはよくワカランが音が違ってくるのは確かだろう。 両方仕入れて比べてみようかしらん。しかし、どうせ僕のやることである。作り方がいい加減なだけに、両者の音の違いが本当にメッキ有無によるものなのか、公正な判断はできないような気がする。 馬鹿の考え休むに似たり、ともかくやってみるしかなさそうだね。 |
願い
今回の久留米行きは、西宮修行時代の仲間に乞われてのことだった。ご子息が得度を受けるので、それに因んだ法話を依頼されたというわけである。 得度とは、僧になるための大切な儀式である。寺に生まれたからと言って、生まれながらに「出家」しているわけではない。たとえ寺のムスコであろうとも、得度を受け戒を授けてもらわねばならない。もちろん僕もそうだった。写真は、神妙な面持ちで戒師(得度式のマスターオブセレモニーである)に向い、僧として持戒を誓うT君(9歳)の勇姿である。 大乗仏教の僧として持たなければならない重要な戒律、それを「十重禁戒」(じゅうじゅうきんかい)という。次のようなものである。
だいたいが一番目からして既にダメである。「殺すな」と言われても、他の命を殺さずして自己の命を保つことはできない。食べなければならないからである。五番目「酒飲むな」。お酒好きは多い。七番目「自慢するな」。残念ながら、します。九番目「怒るな」。怒りますなぁ。 できないことばかりである。では、なぜできないことばかりをやれというのか? できなくてもいいから誓いなさい、というのである。あるいはそうありたいと願いなさい、願うことで人は清浄になれるのだと教えているのである。これらはいわゆる「出家」のみに大切なことではない。一般的に円満な社会生活を送る上でも、大きな意味があると思うのである。 まっとうな宗教的原初体験ができにくくなった昨今の社会にあって、今回の得度式はT君にとって極めて重要な意味を持つ体験になったことだろう。おそらく一生の宝物になると思う。少なくとも僕はそうである。得度式から30年、未だに鮮明な記憶として残っている。 始終厳かな雰囲気に包まれて、無事円成したT君の得度式。彼は今、僧としてのスタートラインに立ったばかりである。 T君、おめでとう。これからも大変だけれど、がんばり過ぎないようにがんばってください。 |
苦手
無事帰宅しました。 やっぱり僕は飛行機は苦手である。6年ぶりに乗ってみて、改めてそう思った。関空から福岡まではほんの1時間ほど、その間、体は硬直状態である。まったくクツロゲない。もちろん居眠りもままならない。要するに恐怖感があるわけだ。なさけないね、どうも。 普段、わりと開放的な環境に暮らしているせいか、機内独特の閉塞感もシンボウならないのである。ああ、苦しかった。今度また行く時には、新幹線にしようっと。時間とお金がかかっても、そのほうが僕には向いているのである。 それはそれとして、ドウさん、どうもありがとう。二日間、お世話になりました。今度はこっちへ遊びに来てね。 もちろん、ヒコウキで。 |
黄砂を追って
久しぶりのスイッチ切れを起こしてしまった。昨晩は風呂も入らず(汚いね)午後8時には意識が遠のき、気が付いたら朝の6時半だった。 今日から明日にかけて福岡の久留米へ出張である。移動時間短縮を狙い、関空から飛行機利用で行く。向う先は福岡空港である。 と、掲示板を見たら、SY-99さんとあきやまさんが「黄砂」のことでメッセージのやりとりをしていらっしゃる。福岡空港周辺も相当な黄砂が見られる様子。昨日はウチでもなんとなく景色が黄色かった。 黄砂で欠航、なんてことにはならないのかな? というわけで、申しわけありませんが24、25日付けの航海日誌はオヤスミさせていただきます。26日付けから再開いたしますので、どうかよろしくお願い致します。 |
もう少しで
17日に載せた桜の蕾は、こんなに大きくなった。まだ一週間経っていないのに、である。今日(21日)は風が非常に強かったが、まったく寒くなかった。こんな日が続くようなら、あと4〜5日で咲いてしまいそうである。このあたりで3月中に桜が咲くのは、非常に珍しいことだ。 今年は2月までで冬が終ってしまった感じだった。昨年3月の日誌を見ても、今年は春の進みグワイが随分と早い感じである。雪もかなり少なく済んだ。個人的には喜ぶべきこと、なのだが、本当はちょっと歪んでいると見るべきなのだろう。 昨日ニュースを見ていたら、中国の北京では猛烈な黄砂で大弱りだと報じていた。空はオレンジ色に染まり、視界は日中でも数十m、マスク無しでは歩けない、と。冬の間の雪や雨が少なかったせいで砂の乾燥がひどく、巻き上げられる量が増大したのがその原因だそうだ。 その影響は日本海側であるこのあたりでもモロに出ていて、車の汚れ方が尋常ではないのである。窓を開けておくと部屋の中まで入ってくる。テーブルがザラザラになるのである。中国奥地の砂漠から遥々ここまでやってきた砂。黄砂現象が始まると本格的な春がやってきた証しにもなるので、さほど腹も立たないけれど、北京のような状況だとそんなに風流なことも言ってられなくなりますな。「花粉症」ならぬ「黄砂症」になりそうだ。こんなことになるのも、今年はやっぱり気候がヘンになっているのかな。 そのせいかどうか、体の切れが良くない。春は大好きなのに、毎年この頃は体調を崩すことが多くて困るのである。昨年は大風邪を惹き、ウンウン唸って寝込んでいたし。それに比べりゃ、今年は元気なほうだ。病気は気から、あまり気にしないのが良いのである。 体がダルいと、音までダルく聴こえるのは気のせいかしらん? |
中日
お彼岸の中日である。春、秋とも、この日には「彼岸講」という行事を営むのだが、これがなかなか手間取りで、毎回準備にあくせくするのである。そこへもってきて今回は予期せぬオツトメが二件ほど飛び込んできたので、今日などはもうワチャワチャしてしまった。例によって、いきなりお仕事モードに突入である。 というのを理由に日誌をいい加減にするのはヒジョーに苦しい言い訳であることは重々承知している。のだが、さすがに今日はネタを整理しておく時間がなかった。朝から晩まで筆と墨で字をカキカキ、毛筆を能くすることはある意味で僕の業種のイノチである。にもかかわらず、僕はひどい悪筆である。時間ばかり食ってちっとも先へ進まない。ああ、ツカレタ。 っちゅうわけで、今日の日誌は全編言い訳で、しかも画像も無し、というお恥ずかしい状況で終らせていただかねばならない。申しわけありません。これで「更新」などと、おこがましいのである。 明日もちょっと危ないかもしれません。と先に言い訳しておこう。 |
お聴かせしたかった
'93年1月号を最後に休刊してしまったAV FRONT誌。彼の銘誌別冊FMfan(通称別F)が前身である。僕はその時代からの正に「ファン」だった。別Fが通巻59号('88年秋号)で終わり、60号から「AV
FRONT」という月刊誌になると聞いたときは、些かガッカリしたものだ。 別Fには独特の雰囲気があった。長岡先生のオーディオ・クリニックは毎回とても面白かったし、フルテスト、外盤ジャーナル、SP工作記事と、たっぷり読めたのはもちろん、その他にも高島誠氏、高城重躬氏、傅信幸氏などの評論も充実していた。黒川晃氏のマニアックな自作記事にも興味を惹かれた。「希望者にはカスタム基板とパーツを有料で頒布する」なんて、今から思えば夢のような話である。 AV FRONTなんていうハイカラな名前になってしまっては、それまでのクロウトっぽいイメージがなくなっちゃうんじゃないかと、保守的な僕は思ったりしたわけだ。ああ、別Fも遂にAVへ靡いたか、と。 大判化され装丁はゴージャスに、カラーページが増え紙質もぐんと良くなったAV FRONT創刊号。あっ、やっぱり何だか小奇麗になってしまったではないか。こりゃどーだろーねーと内容を読んでみると、これがなかなか。 別Fにあった独特のクロウトっぽさは薄まったけれど、当時あった他のAV誌に比べて記事の充実ぶりは雲泥の差。別F時代同様強力な執筆陣が健在、実に上手くバランスの取れた雑誌に仕上っていた。以来、休刊に至るまで毎号欠かさず購読したのだった。 どの記事も残さず目を通したが、毎号真っ先に読むのは「長岡鉄男のディスク・ホビー」(前身は外盤ジャーナル)だった。別F通巻18号('78年夏号)から連載が始まったこのページ、初期はもちろん外盤ADのみの紹介である。だから「外盤ジャーナル」だったわけだ。時代とともにCDが加わり、方舟建立以後はVHD、LDも紹介されるようになった。内容的には「外盤ジャーナル」ではなくなったので、別F通巻58号から名称変更、「ディスク・ホビー」となった。 AV FRONTが休刊する頃にはCDとLDの紹介、どちらかといえばLDに重きが置かれていたような印象だった。ADが紹介されることはほとんど無い、と言うより皆無になっていた。 「ディスク・ホビー」で最後に取り上げられたAD、それが今日の画像である。「EILEEN FARREL sings Torch Songs」(米 REFERENCE RECORDINGS RR-34)。マスタリング・エンジニアの中にStan Rickerの名前が見える(盤上にもS/Rのサインあり)。'92年1月号掲載。このタイトルを最後に、ディスク・ホビーでADが取り上げられることは二度となかった。 20kHz、25kHzのレベルが6kHz〜16kHzよりも高いという、もの凄いハイの伸びを示すこのADを、AE86式フォノEQで聴く。長岡先生は「音は実に透明で美しい。低域は深々として厚みと力があり、高域はシンバルが優しくさわやか、中域はボーカルの美しさが驚異的」と評されている。今改めて聴くと、この評価がさらに際立ってくる。それに加えてかすかな演奏ノイズや、奏者と歌手の間の空気の揺らぎ、気配まで感じられ、一面を聴くあいだに何度もギョッとした。レコードも凄いが、やはりこのフォノEQは、これまで聴けなかった音を軽々と再生する、とんでもないヤツなのである。 晩年、ほとんどADを紹介されることのなかった長岡先生。それはオーディオ・プロフェッショナルとして当然のスタンスであったろうと思う。極一般的に買えないものを評価することはできなかったわけだ。それはそれとして、このフォノEQの音を先生ご存命のうちに一度はお聴かせしたかったと思うのは、誰よりもAE86さんご本人に違いない。 今さらながら、残念極まりないのである。 |
歩いてる
何だこれは? ご覧のとおり、大根である。歩く大根。なんだか楽しそうな雰囲気をカモシ出しているのが妙に可笑しい。愚息に見せたら「アタマの毛まで付いてるやん」といって大笑いしてた。 隣町に住む知人の自作である。「形が面白いので持って来た」と言うが、それだけではない。巨大なのである。葉っぱがついているすぐ下の部分で、胴回り約40cm、重さはたぶん10kgくらいはあると思う。どうやったらこんなに巨大化させられるのかと訊いたら「今年はどこでもよう出来とるで」とあっさりしたものだが、そんなに簡単なことでもないのだろう。 とてもオイシイ大根だそうで、食うなら早いほうがいいぞと言い残して帰っていった。そりゃあそうだろうが、この形である。カミさんは「どこから食べても何かかわいそうでいややなあ」と言ってる。愚息は「ずっとおいといたらええやん」という。そんなもんクサってしまうやないかいっ。 どんなに美味しくても商品としてはまったく無価値、流通には絶対に乗らないだろう。しかし、自作ならではの面白さ、このあたりは野菜作りも自作オーディオも似たようなものである。 この大根、狙ってこの形にしたのなら、凄いんだが。 |
千花生觜
今月2回目の登場。先日は黄色、今度は紫色に群れて咲くクロッカス(サフランじゃないよ)である。この間載せた時、「ウチの妻が見て、綺麗だと喜んでおりました」とご連絡をくださった方がいらっしゃったので、嬉しくなってしまっての再登場である。奥様、今回は如何でしょう。 『春風入門 千花生觜』(しゅんぷうもんにはいって せんか、しをしょうず)という禅語がある。僕のお気に入りである。「春の風がそよそよと家の中に入ってきた。ふと外を見てみたらいろんな花が咲き始めている、ああ春だなぁ」というほどの意味である。「觜」とは「嘴」と同義、「くちばし」を表す。それを形として花の芽や蕾に喩えてあるわけだ。 今まさにこのときである。庭ではクロッカスの他に路地植えのヒヤシンス、スイセンが咲き、チューリップが開花の準備をしている。箱船の裏は土筆(これも花の一種かな?)だらけで足の踏み場もないほどである。ああ、春ってなんて好い季節なんでしょう。 生命の息吹を実感させてくれる春。僕のオーディオもAE86式フォノEQの力によって新たな生命が吹き込まれた。それは大いに喜ぶべきことである。だが、このアンプの支配力は極めて大きく、現状僕の支配力を大きく上回っているようである。使いこなしを徹底し、僕の意思通りにコントロールできるようになるまでには時間がかかりそうだ。 実りの秋が来る頃には、「僕の音」として収穫を得たいと思うのである。 |
春になってた
ここしばらくハード系のネタが多く、そっちに一生懸命になっているうちに季節はすっかり春になっている。先週は「三寒四温」ならぬ「一寒六温」という感じだった。東京では今日、桜の開花宣言があった。1953年の観測開始以来最も早い開花で、昨年より一週間も早いそうだ。 こちらは開花にはまだまだ遠いようだが、それでも例年に比べて蕾が大きくなるのが早いように思える。昨年の開花は4月3日、花の付きが良く綺麗な桜だった。今年はどうだろうか。 気になったので、今、庭に出て写真を撮ってきた。知らぬ間に随分大きくなっている。花の数も多そうである。雪が多い年だと小鳥のえさになる虫などが少なく、桜の蕾は彼らの非常食に具されてしまうというようなこともあるが、今年はたぶんそれも大丈夫だろう。 1月にプロジェクターが故障して以来、機器のメンテナンスに追われた冬だった。ヤレヤレとりあえず全部修理できたと思って外を見たら春になっていた、という感じ。直すべきは直したし、これから6月一杯くらいまで、一年のうちでいちばん素敵な季節がやってくる。 桜の開花よろしく、箱船にも春がやってくるとうれしいなあ。 |
不知天井
昨日も朝から晩までげんきまじんさんとAD三昧。結局この二日間、AD以外何も視聴しなかった。こんなことは初めてだ。ことほど左様にAE86式フォノEQの魔力は超絶大なのである。 何を聴いても新しい発見があり、二人してびっくりしたり喜んだりしたわけだが、その中で僕が特に驚いたのは、写真のタイトル「JOHN ADAMS/HARMONIUM」(独ECM ECM-1277)である。外盤A級セレクション第二巻129番に取り上げられている。 この本の記述以外にも、長岡先生はこのタイトルについて「これはシステムのクォリティが上がれば上がるほど、いくらでも情報が汲み出せるという恐ろしいレコードである」と書かれていた。これを手に入れてからすでに12年、折に触れ聴き続けているが本当に満足の行く再生はまだ実現していなかった。 混濁するのである。第二面冒頭の霞たなびくようなコーラス部分はどうやらクリアできても、中ほどから終盤にかけてのクライマックス部分では、先生が書かれるところの「波打つ透明なマンダラを重ねてすかして見るといった趣き」がうまく再現されない。どうしても濁りが付いてまわるのである。「情報量は極めて多く、分解能も高い」のがこのレコード最大の魅力だが、その良さを引き出せないのはヒジョーに悲しかったのである。 それでも永い間には僅かながらもマトモな音で再生できつつあったのが、今回のフォノEQは一気に壁をぶち抜いたような感じである。情報量激増、音場感広大、混濁皆無。低域の力がイマイチと思っていたのは大きな間違いで、圧倒的なエネルギーを持って音がぶっ飛んでくる。一音一音がとても鮮明なので、音の重なりグワイが良く分るのである。これがこのレコード本来の音だったのかと、今さらながら驚いたのだった。12年間、僕は何をやってきたのか。 では、ここがこのADの終着点かと言えば、決してそうではないと思う。まだまだ先がありそうだ。天井知らず、これから先は僕の使いこなしにかかってくるわけであって、今までみたいなスカタンを打っているバヤイではないのである。これはえらいことになりましたなあ。 このタイトル、CDでも出ているが、同じく相当な優秀盤である。 げんきまじんさん、ご無事で御帰宅のご様子、安心いたしました。二日間お疲れ様でした。とても楽しい時間を、ありがとうございました。来月、またお会いしましょう。 |
聴いて呑んで
久しぶりにノンベのおっさん御来訪。げんきまじんさんである。午前中にご到着、そのあとゴハンの時間を除いてほとんど聴きっぱなし、これもAE86式フォノEQの魔力である。 午後10時を過ぎてようやく一段落し、シアワセな気持ちで枡一酒造所の純米酒「白金」を呑むまじんさんの勇姿である。ホストの僕としては、ヒジョーに嬉しいのであった。 時間にして10時間以上、ほとんど連続でADばかりを聴いた。一人でこれほど集中して聴くことは、まず無いといっていいだろう。そのおかげで、フォノEQの音が時間とともに変化してゆくのを実感できるという、滅多にない体験をすることができた。 夕方になってカートリッジをHELIKONからMC-L1000に交換。これは凄かった。聴いてはイケナイものを聴いてしまった感じ。う〜む、困っちゃったなあ。 今晩はもう少し聴いてからオヤスミするわけだが、げんきまじんさん曰く「今年も落ち着かれへんみたいやね」と。いや、おっしゃるとおりでゴザイマス。そのうちまた「生息分布図」の更新をお願い、することになったら、コリャ大変。 |
再生機
「凄い音でした。おわり」と言って済ますことができれば、それがいちばんらくちんなのである。実際のところ僕には、この音を全て表現し皆さんにお伝えできるような力も言葉も備わっていない。どう表現しても、それは単なる言葉でしかないのである。百聞(文?)は一聴に如かず、僕の文章など屁のつっぱりにもならない。 しかしながら、ものすごい手間と時間とノウハウをつぎ込んで製作してくださったAE86さんに対して、それではあまりにも無礼に過ぎようというものである。貧困な語彙を融通し、どうにか表現することを試みよう。 設置完了後、早速に音出しする。天板を付けていないのは、そのほうが音が良いみたいですと、AE86さんからアドバイスがあったから。さらに「万が一不グワイがあってはいけないから、最初は中小音量で様子を見るように」とクギを刺されていたにもかかわらず、音が出た瞬間、うれしくなってしまったアホな僕は、ガバッとボリュームを開けるのであった。そうしなくてはいられないような音だったのである。 「清澄」。そう言うより他に表現の仕様がない音が箱船いっぱいに拡がる。歪み感皆無、S/N極大、無限の彼方まで見通せるような透明感である。繊細微妙、細大不漏、しかも圧倒的なエネルギーを持った音がドッと押し寄せる。聴感上のFレンジ、Dレンジ超極大、しかし押し付けがましさはまったく無く、一陣の清風よろしく爽やかこれ極まりない音である。 微細な信号への反応が大変良いらしく、音場感も素晴らしい。前後上下左右、スピーカーを完全に無視した広大無辺音場出現。と言ってなんでもかんでも節操無く拡がるのではない。誇張感なく至って自然に「今ここにある音場」といったふうに再生してみせる。「生の音場」とはこういうものだと、改めて提示されたような感じ。特に高さの表現力の凄さは特筆モノ。思わずのけぞってしまった。 と、表現すればするほど、このアンプの本質的価値から離れていくような気がするのである。上に書いたようなことは、ある一側面に過ぎない。しかも多寡だか一両日聴いた程度の印象である。聴いたADタイトルの数も知れている。今後、もっともっと発見があるに違いないのだ。 このEQアンプを聴きながら、僕は以前読んだ長岡先生の一文を想起していた。それはstereo誌'89年6月号に書かれた、D-55の初出工作記事中の文章である。 「音は実物を聴いてもらう以外に伝えようがない。言葉で伝えようとすると、必ずウソをつけといわれてしまう。とにかく何を聴いても音楽が生きている。再生という言葉が、生命の復活、甦りを意味するのであれば、D-55こそ再生機であろう」 文中「D-55」という部分を「このフォノEQアンプ」と置き換えれば、正にその通りである。生命力漲る音。それこそがこのアンプの本質である。正真正銘の「再生機」だ。 AE86さんという人、まったくに凄いものを作ってしまった。それを使える僕は、なんというシアワセ者なのだろうか。 本当にありがとうございました。今夜もまた、寝る間を惜しんで聴いちゃいそうです。 |
到着
楽しみにしていたAE86式フォノEQアンプが届いた。お昼前に受け取ったので、ゴハンを食べてからゆっくりセッティングに取り掛かろうか、と、思ったけれど、やっぱりガマンできずいそいそと開梱しドドドと箱船へ持ち込んだ。写真手前が電源ユニット、それに繋がる奥がアンプ部である。 アンプ部は300W×200D×175H、約7kg。電源ユニットは300W×200D×180H、約18kg。両方合わせると25kg超、EQアンプとしては超重量級である。脚はタオックの鋳鉄製がアンプ部に3本、電源ユニットに5本使ってある。どちらも厚手のアルミ板とL型フレームを組み合わせ、多数のネジでガッチリ作られている。試しに電源ユニットのネジ数を調べてみたら、見えるところだけでなんと102本もあった。これだけでも凄い手間である。質実剛健、重厚長大、どの面を叩いてもいやな鳴きは皆無である。 電源ケーブルはコンセント→電源部、電源部→アンプ部ともに3.5sqキャブタイヤケーブルにSFチューブを被せたもの。ACプラグは明工社のホスピタルグレードUL規格品。電源部→アンプ部は2本のケーブルで繋がれる。大型のネジ止め式3Pメタルコネクターを使い、安全確実な接続を保証する。必要以上に感電を恐れる僕への心遣いである。ありがとうございます。 僕の性分からして「急いてはことを仕損じる」のは間違いないのである。しかし、これが急かずには居られましょうか。注意深く慌てるというわけの分らん状態で、ワクワクしながら設置を進める。 電源-アンプ間に充分な距離を取り、S/Nの向上を狙うためケーブルはやや長めになっている。コンセントの位置も睨みながら、だいたいこんなもんかと決まったのが上のセッティングである。この位置関係が音に微妙な影響を与えるので、今後はさらに追い込んで行きたいと思う。 アンプ部は3本脚なのでガタはない。電源ユニットは5本脚、箱船の床(ゼンゼン平らじゃないのダ)ではどうしてもガタが出る。幸い1本の脚にごく薄い板鉛(釣り用の板錘)を挟むだけでガタを取り去ることができた。 信号経路は、カートリッジ→ヘッドアンプ(C-17)→EQアンプ→プリアンプ(ライン入力)という順になる。各機器間のケーブルも今後は充分な吟味が必要だが、今日のところは有り合せのケーブルで、ともかく音出しする。 ヘッドアンプスイッチON、ドキドキしながらEQアンプのトグルスイッチON、プリアンプの入力セレクターを所定の位置に合わせる。耳に付くノイズは皆無。問題ナシである。無音状態でボリュームノブを回してみるがこれも問題なし、S/Nは極めて良好である。 さて、いよいよ待ちに待った音出しの瞬間である。この後のことを書き出すと、容易なことでは済まなくなりそうなので、音についての報告は明日以降の日誌に譲ることにしたい。 「えらいこっちゃ」ちゅう音でした。 |
転んだ後の
JA-0506IIが断線してからというもの、スペアのダイヤフラムをもう少し持っておきたいという気持ちになってしまった。「転ばぬ先の杖」ならぬ「転んだ後の添え木」という、あまり褒められた話ではないのである。 これがそんなにバチバチぶち切れるものではないと思うけれど、サービスキットさえあれば復活させられるということを思えば、持っておいて如くは無しである。僕の場合(AE86さんもそうだが)、GMホーンなどというバカゲタもので特殊化している手前、少なくともあと10年は使い続けたい。あれが1〜2年でタダの飾りになったら、それはもうヒジョーに悲しいのである。 前回買ったのは随分と昔のことである。今でも在庫があるのかどうか、いささか心配だったがどうやら無事入手できた。一安心である。だからといってドンドン切れてくださいとは言えないわけで、現用のダイヤフラムができるだけ長持ちすることを祈るばかりである。バカみたいに音量上げちゃいけないのだよ。 僕のシステムを改めて振り返ってみれば、それぞれに皆御老体になってしまった感が強い。現行機種といえば昨年導入したプリアンプC-AX10、カートリッジHELIKON、これだけだ。フルレンジユニットは現行といえなくもないが、限定品である。いつでも入手できるものではない。ウーファーユニットはディスコンになって既に久しい。 残りの機器はすべて生産終了品、修理できるかどうかさえ危ういものもある。壊れたらそれでオシマイ。この状況はひょっとしてヒジョーに遺憾のではないのかしらん? ある程度の若返りは必要かと思う。だが、音を気に入って使っているのものを古くなったからといって徒に打ち捨てるのも愚かな行為である。本当にボロボロになり、これはもうどうにもならんというところまで使い切ってやるのが、モノに対する最大の慈悲であろうと、ボウズは考えるのである。 そんなふうだから、何年かに一度は今年のような「壊れ年」が巡ってくるのは致し方なし。それでも使い続けられることに感謝すべきだろう。 |
これでどうだ
ADプレーヤーが載っているラックは作り直すことを前提に、今後のためいろいろ実験してみることにする。L型補強金具もそのうちの一つである。 天板に25kgの御影石を置いたことで、かなり横揺れが少なくなった。LD、DVDプレーヤーが入っている部分にも御影石を敷けばさらに安定が良くなるだろう、というのはAE86さんのアドバイス。なるほど、その通りだと思う。ならば買ってしまう前にモノは試しと、以前から持っている400×420×100、約50kgの御影石を置いてみよう。ただし、サイズの都合上これを置くにはLD、またはDVDプレーヤーどちらかに御退出いただかなければならない。 使用頻度からすると、やはりLDプレーヤー様ご退場となるのだった。部屋の隅で大アクビしていた御影石をヨイショヨイショと運び、その上にDVDをセットする。ラックの中央に置くとケーブルが届かなくなるので、少し左に寄っている。あまりかっこ良くないが仕方ないのである。そのせいで右側に120mmほどのデッドスペースができてしまった。 しばらくぼんやり眺めていたが、ここを空にしておくのは精神衛生上良くない。2階にあるD-55の天板には、1本12kgの鉛インゴットが片chあたり4本載せてある。あれを持ってくるべし。というわけで、写真のような状況と相成った。 御影石が約50kg、DVDプレーヤー16kg、その上に鉛プレートとインゴットで約30kg、右側の鉛が12kg×4で48kg、合計約144kg。これでどうだ。 ラックの横揺れはさらに減少、全体の安定が良くなった。ハウリングマージンも増加する。が、思ったほどではない。既にラックの構造強度が限界にきているのだろう。ともかく僅かでも改善できたので、新しいラックができるまではこの状態で行くことにしよう。 困ったのは、外へ押し出されたLDプレーヤーの処遇である。最早ラックの中に置き場所はない。さて、どうするかな。左端のラック下部にはP-700が入っている。パワーアンプは電源のON/OFF以外操作することはないので、ラックに入れておくのに必然性はない。放熱を考えれば、外にあるほうが良いくらいだ。これをLDと入れ替えるか。しかしそうなると現用の映像ケーブルでは長さが足りなくなるのである。う〜む。 どこか一点を変更すると、システム全体に影響が波及する。それが分かっているからあまり触りたくないのだが、だからといって良くないまま使いつづけるのも愚行である。ここは前進(後退かも?)するしかないだろう。 ちっとも落ち着けねーじゃん。 |
居場所がナイ
トゥイーター用のケーブルを交換したのは2月15日だった。その前の日、あまりの部屋の汚さにとうとうガマンならず大掃除したのだったが、ケーブルの交換作業でまたとっ散らかってしまった。その後すぐにトゥイーターがぶっ飛び、修理作業でさらに散らかる。それが済んだら今度はADプレーヤーのハウリング対策で、部屋の状況は2月の100倍くらいヒドイことになってしまった。「足の踏み場もない」とは正にこのこと、真っ直ぐ歩けないのである。 どんな世界でも、優れた仕事人は作業後の綺麗さが際立っているという。たとえば料理人。手早く調理しながら同時に片付けもやっていて、料理が完成した直後でも、厨房は非常に綺麗である。大工さんでも同じようなことが言える。名工=整理の名人でもあるわけだ。 写真をご覧に入れるのもお恥ずかしいような状況。なんじゃこりゃ。普段、オーディオ仲間の訪問でもない限り、来客がないのをいいことにいつも整理整頓を後回しにするのである。もし、オーディオに花板さんや棟梁がいればブン殴られそうだ。音が聴ければそれでOKといえばそうなのだが、オーディオとは微妙なもので。 綺麗に散らかっている、のならば、それは音にも良い影響があるわけだが、ここまで雑然として汚いと、音も同様に汚れてくるのである。それはあながち気分だけのものでもないようで、おおげさに言えば何か科学的根拠がありそうなほど、影響が大きい。ほったらかしにしてはいけないものが部屋中に散らかっていると、それが余分な共振のアンテナになってしまうのかもしれない。 「500円玉大のフェルトを壁に貼るだけで音場激変」、「1cm角の真鍮板で共振コントロール」なんていう恐ろしいグッズも沢山あるようだが、殊、僕の部屋に於いてはそんなものより「整理整頓」が何よりも音に効きそうである。 3月14日〜15日、久しぶりにげんきまじんさんがご訪問くださるという。おかげさまで掃除ができそう。御出でいただく最大のメリットは、それだったりして。 どーもスビバセン。 |
トドメの一発
AE86さんから「件のフォノイコの電源回路に適当なフィルムコンデンサーを使ってみたいのですが、何か良いものないですか」と連絡があったのはだいぶんと前のことである。「了解、すぐ送ります」と言っておきながら、実際に送ったのはほんの4日前。全然「すぐ」ではないのである。申しわけないのであった。 同じ種類、容量を4個一組にして適当に選んで欲しいということだった。「適当に」と言われたらホントにテキトーにしか選べない自分が悲しいけれど、手持ちのフィルムコンデンサーの中で4個揃うものといえば、ΛあるいはuΛしかないのである。他に全くないわけでもないが、クオリティの面でちょっと不安、CSコンデンサーも考えたけれど、アンプに使ったときの素性がイマイチはっきりしないので今回は見送り。 結局、Λの1.3μF、同0.47μF、uΛ0.82μFを各4個ずつ送った。すべて未使用新品である。と言っても古いものだケド。翌日さっそくAE86さんから「ラムダコン到着」というメールをもらい、開いてみるとそこには既にΛコンを取り付けたアンプの写真が。上の画像がそれ。到着と同時に作業完了、おそろしく仕事が速いのである。ありがとうございます。 「直感で電源の電解コンデンサーにΛ1.3μFを1個ずつ計4個、アンプの出力にuΛ0.82μFを2個使った」と、そのメールには書いてあった。写真中央の基板裏にくっついている黒い物体がそれである。こうして見ると、Λコンって存在感あるのね。 これでどんな音になったんだろう、追加は正解だったのだろうかと、些か心配していたら。 昨日再びメールがあり、それには「ラムダ追加大正解!この音を聴け!!!!」と、何だか凄いことが書いてある。さすがAE86さん、フィルムコンデンサーの追加は彼の予測どおり相当な効果があったらしい。 もうしばらくの間AE86さん宅でバーン・インされた後、送っていただくことになっている。このアンプには期待感絶大極大である。未だ改善の余地はあるにせよ、ともかくハウリング対策も完了できたし、実に楽しみなのである。 しかし、アンプってちょっとしたことで音が大きく変るものなんだな。こんなモノを自作するなんて、やっぱり僕にはとても手が出せないのである。 なまじ知識がないほうが気楽ではある、けれど、ヤヤコシイことを頼まれるほうは大変ですよね、AE86さん。 |
企て再び
ラックのコーナーをL型金具で補強(ちょっとかっこ悪い)し、天板に600×450×30、25kgの黒御影石を置き、その上に鉛板を敷き、キャビを載せて、ADプレーヤーの復帰である。 ラックと御影石の間には0.5mm厚のゴムシートを全面に敷き、御影石と鉛板の間には極薄(たぶん0.2mm以下)のコルクシートを全面に挟んだ。できるだけコンプライアンスを持たせないように、しかもスリップを止めるというところを狙った、つもりだが、理に適っているかどうか僕には分らない。もし、見当外れだったら御指摘ください。 というような変更で、ハウリングマージンはかなり大きくなった。L型補強金具の効果は、あまりたいしたことはない。ないよりマシかという程度である。いちばん効いたのは、そう、御影石である。これが有ると無いとで大違い、低域の明瞭度がとても良くなった。 残る問題はキャビの底板と鉛板の接触面である。ラック天板の平面度は、先日も書いた通りかなりいい加減だが、キャビ底板も相当アヤシイ。工作する前から、板がひどく反っていたのである。それを矯正し切れないまま作ってしまった。鉛板とは全面でピッタリ密着するのが理想だが、凡そ程遠い状況である。極薄の鉛シートを適宜挟んだりしてゴマカシてはいるが、根本的な解決には全くならない。 ラックの交換は必須、同時にキャビも作り替えが必要なのかもしれない。もしやるなら、今度は常識外れの超大質量キャビに挑戦してみたいなどと、またまた良からぬ企てをするわけである。 そうなると木製は候補から落選。これもついでに御影石で、という手もあるが、現実的にはやはり金属製だろう。単一金属では面白くないので、異種金属の厚板を交互に積層する、というのはどうだろう。要するに長岡式ADキャビを、そのまま金属板に置き換えたような構造である。 越えなければならない問題点は多くあると思う。それらを何とかクリアして、キャビだけで100kgくらいを目標に実現できたら、これは面白いことになるのだが。 「そんなモノあったら見てみたい」というのが、いつも僕の原動力になっている。早い話がタダの好奇心なのである。 「今年は落ち着いてオーディオする」のではなかったか? |
一皮剥ける
前回磨いたのは、いつなのか忘れてしまったくらいの過去である。SP-10IIIのプラッタ(ターンテーブル)。実際、いちばん目に付くエッジ部分はかなり錆が目立ち、特に真鍮部分はすっかり艶と輝きを失っている。JP-501が敷いてある部分は普段見えないわけだが、めくってみるとやっぱり相当黒ずんでいるのである。 こんなことは今さら言うまでもなく、それならさっさと磨けばよいのである。よいのであるが、それがヒジョーに億劫な、そのわけは。 フォノモーターユニットSP-10IIIはDD(ダイレクトドライヴ)である。モーター軸がそのままセンタースピンドルになるわけだ。これはその考えをさらに徹底させ、ターンテーブル(以下TT)自体がモーターの一部というような、一種特殊な構造になっている。TTを外してしまったら、既にモーターとしては成立しなくなるのである。つまり、モーターがTTを回している、と言うよりも、TT込みで1個のモーターとして回転している、というべきか、あるいはモーターの回転子がそのままターンテーブルに化けたような構造、というべきか、ああ上手く表現できない。これではどーゆーことだか良くわかりませんねぇ。ごめんなさい。 ともかくそういう構造なので、TTを外すということは、僕にしてみればモーターを分解するような感覚になるわけで、とても抵抗があるのだった。しかも(これは全てのモーターに共通して言えることだが)着脱するたびにセンタースピンドルが歪んでしまいそうで、とても気色ワルイのも外したくない大きな理由の一つである。 磨くだけのために外す、のは絶対にイヤなのである。今回は必要に迫られて外したので、それを良い機会にして、久しぶりに磨くことができた。 例によってピカールとベンコットで、まずはエッジ部分から。メンドクサイので当初は見えるところだけのつもりだったが、やっぱりTTシートに隠れているところも気になってくる。滅多にやらないことだし、今やらなかったら次はいつになるか保証の限りに非ず、いっそ全部やっちまえとコシコシコシコシ。 結果は上の写真の通り、まさに「一皮剥けた」のである。ピカピカ。新しい時にはこんなに綺麗だったのかと、永い間手入れを懈怠した自分が恥ずかしくなってしまった。 さて、これでTTは綺麗になったし、中山式フォノイコ(快癒器じゃないよ)は既に完成しているし、あとはハウリング対策だけである。それがいちばんの問題だな。 実はキャビの変更も、アホな企てを考えているのである。それが実現できれば、凄いんだけどなあ。 |
バラバラ
ハウリングの泥濘に足を取られた僕のADプレーヤーは、とうとうバラバラになってしまった。泥濘というほど酷いハウリングではないのだが、それでも多いよりは少ないほうが良いに決まっている。 ADプレーヤーのハウリングというのは面白いもので、少しセッティングを変えればハウリングする周波数もコロコロ変るのである。ベテランになると、その帯域によって概ね対策の見当がつくようになるのだが、愚鈍な僕はなかなかそうは行かない。それでも昨日からヒッシになってガタガタやっていると、なんとなく分ってくるからありがたいものである。 インシュレーターを使っていないので、ガタの有る無しがモロに音へ影響する。それを取り去るのに腐心するわけだが、どうも上手く行かない。特に鉛アームボード、プラッタを載せたままでは重過ぎてヒジョーに不自由。指を挟んで夜中に一人で「ギヤー」と叫ぶのも異様な光景である。 どうせやるなら一からやり直しと、アームボード、プラッタを外してしまう。これでかなり軽くなり、楽に動かせるようになった。ついでにキャビを横倒しにし、モーターユニットを裏から固定しているネジを締め直す。現用キャビをセットしてから既に4年半、その間一度も触っていなかっただけにかなり弛んでいた。これもハウリングマージンを減らす一つの原因になるはずである。 改めてラックの天板を点検すると、その平面性は相当アヤシイのである。差し金を当ててみると、誇張して言えば中央辺りがカマボコのように盛り上がっている。こんなことにさえ気が付かないのだから、我ながら情けない話である。ラックとキャビの間には8mm厚の鉛板を挟んであるが、これが天板と同じような形に歪んでいた。鉛板は柔らかいのである。これではガタ取りに苦労するはずだ。 仮にガタが取れたとしても、キャビ底板と鉛板は中央部分のみでしか接触していないような状況になるわけだ。これでは重ね置きの効果が期待できないばかりか、却ってデメリットばかりがシャシャリ出てくることになるだろう。今まで上手くセッティングできていると思っていたのは、登山途中に狭い尾根の上で片足立ちしているような不安定なものだったのである。「薄氷を踏むが如く」と言う表現があるが、足元が薄氷であることに気付いていれば賢者、それに気付かないまま走るヤツは大愚者である。もちろん僕は後者である。どこかでちべたい水の中にはまり、シンゾウマヒで死んじゃうよ。 早急にラックを作り直し、充分な重量付加をして余分な振動が寄生しないようにすることが絶対必要。 なんだか大掛かりなことになっちゃったなぁ。 |
泥濘
ハウリング対策をやり始めたら、深みにはまって抜けられなくなってしまった。現用のラックは作り変えることに決定。それならば今後のために、補強その他の対策がどんな効果をみせるのか、捨てるのを前提に実験し始めたのがいけなかったのである。 現在午前3時過ぎ、まだまだ終れそうにない。今晩中に結果を出し、日誌のネタにしようと思ったのは余りにも見込みが甘かった。プレーヤー周りはおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎ、写真さえ撮れないのである。 あれこれやっているうちに、方向だけは見えてきた。ラックの交換は絶対必要、その他にわかったことは、28mm厚メイプル集成材6枚重ねのキャビを以ってしても、理想的な重量にはまだ不足しているという事実。ガタを徹底的に排除することで、かなりのマージンを稼ぐことはできるが、その上で全体重をかけて押さえ込むと、さらにマージンが大きくなるのである。アナログにごまかしは効かない。100kgくらいのキャビを用意せんと遺憾かな。どこまで行くつもりだ。 AE86さんの掲示板では、件のフォノイコが少しく話題になっている。M85さんのメッセージにはキョウハク的なことまで書いてあり、えらいことである。これはもう、ナニが何でも環境整備しなければならない。もちろんそのつもりで始めたハウリング対策だが、一筋縄では行かなくなってしまい困っている。早くフォノイコ聴きたいけれど、このままではちょっと申しわけないのである。 ウォーン、まいったなぁと、僕もハウリング。 |
十年殺し
AE86さん謹製フォノイコアンプを導入するにあたり、今ADプレーヤーの周辺を整備している。いろいろ点検してみたところ、ハウリングマージンが以前より少なくなっていることがわかった。原因は一つではないが、一番大きな問題はADプレーヤーが載っている自作ラックにあるらしい。 15mm厚シナ合板4枚重ね、60mm厚のラックである。数字だけ見るとヒジョーに強力、そうだが、板の裁断精度が悪く、思ったほどの強度が取れていない。自分で切ったのだから、誰に文句を言えるようなことではないのである。 コーナー部分の接合面に隙間があり板が密着していないので、横方向からの力に弱くなっているのである。誇張して言うと、ロの字断面が菱形に変形しているわけだ。 できたばかりの頃のこのラックは非常に頑丈で、横から蹴っ飛ばしてもびくともしなかった。もちろんハウジングマージンも充分に取れていたし、実際にそれで困るようなことはまったく無かったのだが。それが何故今になってこんなことになってしまったのだろうか。 おそらくは経年変化で合板が痩せ、自然に隙間が広がってしまったのだろう。それに加えて経年による木工ボンドの接着力低下が重なり、ラック全体の構造強度が落ちてしまったと考えられる。元々の裁断精度が高ければこんなことにはならないはずだ。要するに僕のいい加減さが10年経った今、露呈されているというわけである。 ハウリングマージンを稼ぐには、プレーヤーをもっと重くして共振周波数を下げ、可聴帯域外へ追いやってしまうとか、あるいは逆に軽くして見かけ上のコンプライアンスを下げ、揺れにくくする方法とか、もっとグータラな方法としては三角隅木などを使ったラックの急普請的補強という手もある。それが一番簡単で、ハイCPで、しかし見た目がキタナくなる対策である。 一番オーソドックスな解決方法は、当然ラックの新調である。今度作るとなったら自分で切ったりせず、信頼のおける然るべきプロに裁断を依頼したほうがよさそうだ。設計も全面変更、背(間口)の低いラックを2個重ねるタイプが良いかもしれない。 さあて、どうするかなぁ。 |
力任せは良くない
見た目不揃いなのがやっぱり気になり、右chのGMホーンも磨いてしまった。外すのはとても気を遣う作業である。ダイヤフラムを傷めることもあるからだ。取り付け復旧時も同様。僕は基本的に大変な粗忽者だから、慎重の上にも慎重を期さなければならない。これまでに幾度も悲しい思いをしているのダ。 ホーンはバックプレート側から本体(磁気回路)を貫通する形の真鍮ネジで引付けて固定される。ネジは合計三本、三点支持である。ホーンが本体に引付けられることで、ダイヤフラムは二者の間に挟まれる形で固定される。ちゅうことはネジの締め付けグワイで、ダイヤフラムにかかるストレスに変化が出るわけで、それはそのままF特の、要するに音の変化としてハッキリと現れるのだった。 これに気が付いたのはわりと最近のことで、冷静に考えてみれば当たり前のことである。ダイヤフラムは極めて薄いジュラルミン箔、振動板としては強度があると云えども自ずから知れている。それに必要以上のストレスがかかれば、再生音に影響が出るのは至極当然のことだろう。 さて、その締めグワイである。力任せにぎゅうぎゅう締めりゃア良いってもんでもないらしく、三本のバランスによく注意しながら、必要にして充分なところ、イワユル好い加減の締まりグワイを見つけなければならない。締めすぎても緩すぎてもイケナイのである。 これまでやってみた感じでは、締め付けが必要以上に強すぎると全体の能率が下がり16kHz以上が落ちてしまう傾向。聴感上の音も伸びがなく妙に詰まった感じ。逆に緩すぎるとやはり能率低下、歪みが大幅に増し聴くに堪えない。思ったよりも大きな変化があり、しかもヒジョーに微妙である。 スペアナでF特を確認しながらカットアンドトライ、どうやら両chとも好い加減のところで決められたようである。但し、このグワイが最高とは言えない。たぶんエージングで変化があるだろう。ガチガチに締めてはいないので、Sネッシーのキャビからの振動でネジが弛んでくることも考えられる。今後の経緯を見て行くべきだと思う。 20kHzにもなると、サインウェーブ単音ではほとんど聴取不能、少なくとも僕には聴き分ける自信がない。ところが高域の伸びた音楽ソフト、特にADを聴けば、有ると無いとで大違い、これは誰にでも分るほどの差が出る。同時に低域の感じ方まで変ってしまうのだから、実に不思議なものである。 蓋し、トゥイーターの追い込みは難しいのである。 |
見分けがつかない
今日は本当に暖かく、すっかり春が来たかと思わせたが、明日からはまた冬型、雪が降るらしい。行きつ戻りつ、こうしてだんだん春になるのだろう。 今年も庭のクロッカスが咲いた。昨年日誌に書いたのは3月4日だったから、ほぼ同じ時期である。花は良く知っているのである。これが咲くと、春のかかりがやってきたと少しうれしくなる。 恥かしながら、僕にはクロッカスとサフランとの違いがよくわからない。花好きのWROMさんなら知ってるかな。この二つ、そっくりである。ある友達に訊いたら「そんなん同じモンやろ」と、かなりいい加減なことゆってたけれど、実際には別の花である。 クロッカスの学名はCrocus、そのままである。サフランは学名Crocus vernus。あれ? これもクロッカスではないか。サフラン属学名クロッカスのクロッカス、サフラン属学名クロッカス・ヴェルナスのサフラン、ああヤヤコシイ。これではシロウトに区別できないのも仕方ないのである。 一番簡単な見分け方は「春に咲くのがクロッカス、秋に咲くのがサフラン」と、これだけ覚えておけば大丈夫である。ある本ではサフランのことを「秋咲きのクロッカス」と記述していたそうだから、友達と同じくらいいい加減である。花の色も識別方法の一つである。クロッカスは黄色の他に紫、白などがあり、カラフル。それに対してサフランは紫だけしかないそうだ。これだけ分っていても、僕はまだ間違えそうだが。 最近のディジタル・オーディオの世界も、僕からすればこれに似たような状況と見える。フォーマット林立、次から次へと新しいフォーマットがゾロゾロ出てきて、ナニが何だかさっぱり分らない。SACDとDVD-Aの違いくらいは分るけれども、そこへRWだのROMだのMVだのと言われたらもうダメ。互換性があるものもあれば、まったくないものもあるという。今度は青色レーザーを使った大容量DVDだそうで、アナクロ・アナログオーディオファンの僕としては「ソウデスカ、ドウゾ御自由ニ」と言うほかないのである。 そうは言うものの、不景気オーディオ界を救うことになるのならば、それは大歓迎である。クロッカスが咲けば春になるように、新しいフォーマットの大容量ディジタルメディアが大輪の花を咲かせ、冬のオーディオ業界に春を呼べれば良いのだけれど。 これまでのDVDソフト、どうしましょうね? |
謎のSFチューブ
今日から3月、春はもうすぐそこまで来ている。と言いながら昨年は3月9日に大雪が降って、げんきまじんさんのお宅から帰途途中、ヒドイ目に遭ったのだった。油断ならないのである。 さて、その効果は未だに謎である、SFチューブ。謎ではあるが確かに音が良くなる傾向にあるので、自作ケーブルやテーブルタップのケーブルに被せて使っている。本来はオーディオ用ではなく、工作機械などのコードや、大量の配線をひとまとめに保護するための電材である。誰が何時何処でオーディオ用に使い始めたのか、詳しいことは分らない。たぶん海外の高級ケーブルメーカーあたりだろうか。 写真右がこれまで使ってきたサイズ6、右は今回流離いの旅人さんに譲っていただいたサイズ4である。詳しいことは旅人さんの「一家言」をお読みいただきたい。 違いはサイズだけでなく、ご覧のとおり色目も変っている。灰色である。質感もわずかに違い、従来の物よりしなやかな感じで、あまりゴワゴワしない。これはなかなか良さそうである。 無理を言って譲っていただいたのは、トゥイーター用のケーブル(オーディオクラフト QLX-100)にSFチューブを被せてみたかったからである。ところが従来品ではサイズが太すぎ、一つ下のサイズでは細すぎ、帯に短し襷に長し、思案していたのだった。そこへ旅人さんがこのSFチューブのことを書いていらっしゃるのを読み、卑しいハナシだが譲っていただけまいかとお願いしたのである。 見たところサイズはバッチリ合いそう、上手くいくだろう。旅人さん、ありがとうございました。ダイヤフラム交換したトゥイーターが馴染んできたら、被せてみます。良くなるかな。 ところで、「タダほど高価いものはない」の件、しかと承知いたしました。やっぱり「性悪」だな。 |