箱船航海日誌 2001年03月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’01/03/31 (土)

リング? 否、サブバッフル


 友人の厚意によって製作してもらった、FE−108ESII用のリングが届いた。開けてビックリ、凄い迫力である。10mm厚真鍮板削り出し、サイズは140mm×140mm、重量860g。厚さではフォステクスのP−108に負けているが、面積では勝っている。写真では実物の迫力が伝わらないのがもどかしい感じだ。

 友人から初めて連絡をもらった時は、当然ドーナツ型になるのだろうと思っていた。しかし、何度かFAXで打ち合わせをしていくうち、結果的にはご覧のようなサブバッフル形状に落ち着いたのである。厚くしなかった分、面積で強度を稼ごうという狙い。

 右に写っているのは、スピーカー本体バッフルの裏に仕込む4mm厚ステンレス製のネジ受けリングである。円形にすると抜き穴から中へ入らないので、半円形にしてある。コイツと真鍮サブバッフルで、本体バッフル板を挟みつけてしまうわけだ。切り欠きが四ヶ所あるのは、スーパースワンヘッド内部の補強桟を逃げるため。実に良く考えられている。

 友人曰く、これは試作品だそうである。穴の径が本体バッフル切抜きと同じサイズなので、気筒共振が気になる。外観(表面の仕上げ?)が汚い。これが彼の言う主な理由である。こちらで使ってみて、問題点を明らかにし、本番に臨みたいと彼は言う。

 確かに気筒共振は少し気になるところである。だが、どの程度悪い影響が出るのか、実際に取り付けて音を聴いてみなければ分からない。個人的にはあまり問題ないのではないかと思うのだが。外観が良くないというが、僕には充分美しく見える。写真のウデが悪く、イマイチ上手くお伝えできないが、実物はもっと輝きがあって質感が高い。これより更に美しい仕上げができるなら、すさまじく美麗なものになるだろう。友人には大変な労苦をかけることになってしまった。本当にありがとうございます。

 ともかく、早く取り付けて音を聴くことが肝要である。一生懸命作ってくれた友人に向けても、それが礼儀というものである。

 そこで、すでに出来上がっているスピーカーのバッフルに、正確な位置決めで穴を穿たなければならない。なかなかムツカシイが、早く聴いてみたい。だが焦るとしくじりそうだ。

 今夜はこのサブバッフルを枕もとに置いて、作業をシミュレートしながら寝ることにしよう。

’01/03/30 (金)

利益還元?


 「この地域には文明はあっても文化がない!」などと、くそ生意気なことをぶちあげて周囲に「箱船」建築を認めさせた僕としては、当然のこととして地域貢献(と言うほどだいそれたものでもないが)しなくてはならないのである。もちろんその大口だけが理由ではなく、皆さんの理解のおかげで実現した「箱船」、その利益還元をしたいという思いもある。

 今日はこの地区の公民館活動、「音楽の夕べ」を開いた。聴きに来てくれたのは女性5名男性5名、計10名、箱船のキャパシティからすると、ちょうど好い加減である。午後8時から10時まで、プログラムは参加者任せ、持込のソフト中心である。

 今回で多分10回目くらい、メンバーはおおよそ固定されて来た感じだ。オーディオマニアはゼロである。所謂音楽好きの人たちである。

 クラシックとジャズを中心に、20分の中休みを挟んで約100分間のプログラムだったが、皆さんそれぞれに満足されたようで安心した。

これまで毎回来てくれている男性の感想。

 「いつも言いますが、ここで聴くとウチの10倍くらい音の量(音量ではなくて情報量か?)が多く聴こえます」

今回初参加の男性は

 「臨場感が凄い。ホンモノを聴いているみたいです」

同じく初参加の女性。

 「今まで聴いたことが無いような大きな音ですが、やかましくないので驚いた」

 お世辞8割、鵜呑みにして喜びは出来ないが、まずまず好評裡に終わる事ができてヤレヤレであった。次回は夏頃の予定だそうである。

 この会を引き受けて一番の個人的メリット、それは部屋が綺麗になること。否が応でも掃除整頓しなければならないからである。なんのこっちゃ。

’01/03/29 (木)

遠方より友来る


 久しぶりに炭山さんとカメラマンのI氏が御出でになった。炭山さんが箱船にいらっしゃるのは昨年の6月以来、I氏に至っては「第1回オーディオ諸国漫遊記」以来4年ぶりである。

 お昼前にご到着、一緒に昼ゴハンを済ませ、今日の目的であるところの写真を撮っていただき、そのあとはゆっくり音と映像を楽しんだ。

 スーパースワンESIIも聴いて貰えたし、前回時間が無くてダメだった映像も見てもらえた。実に楽しい時間を過ごし、気が付いたら日付が変わりかけていたのであった。お忙しい中、こんな地の果て(大ゲサだ)まで来ていただけるなんて、本当にありがたいことである。

 これからの時期、雪の心配は無くなり一年を通じて一番良い季節になってゆく。“桜開花記念大OFF会”が無理でも、今日のように仲間と一緒に楽しめる時間をできるだけ多く持ちたいと思う。仲間との交流は、如何にも楽しいものである。

 炭山さん、Iさん、遅くまでお引止めし、申し訳ありません。とても楽しい時間でした。遠いところをお疲れ様でしたが、また是非御出でください。

’01/03/28 (水)

クソ重い


 以前から友人に依頼されていた、紫檀切株がようやく入荷した。お店の人から「相当お待ちいただくことになりますよ」と聞かされてはいたが、結局1年以上かかってしまった。僕も待ち遠しかったが、友人はもっと待ち遠しかっただろうと思う。どうもすみませんでした。

 今回のモノは、僕が持っているものよりやや大きく、サイズは400mmΦ×500mmH、重さは70kg以上ありそうである。当然一人では持てない。店の若い衆二人がかりでドッコイショと届けてくれた。価格は前回よりかなり高くなってしまった。これも申し訳ないことである。だが、店が言うには、こういうものの値はあって無きが如し、その時々でエライ変動するものらしい。なんとなく分からないでもない。もう10年も前のこと、200mmΦ×200mmHくらいの紫檀切株を見つけたことがあったが、それが30,000円だったことからすれば、今回の物は格安とも言える。要は価値観の問題かな。友人は“ワカル人”なので、喜んで買うと言ってくれた。

 さて、この切株を、送らなければならない。送るには梱包が必要である。ご覧の通り、裸で箱に入った状態、このままでは送れない。敵は70kg、手掛かりも何も無い、ただの円柱である。どう荷造りしようか。何のヴィジョンも無しに取り掛かったのではシンドイ思いをするだけに決まっているので、頭の中でシミュレーションする。

 まず、上下の切り口を柔らかくぶ厚い紙で保護し、ガムテープで固定。十文字にPPバンドを掛け、それをスポンジシートで二重に包む。シートがずれないようにガムテープで固定し、その上からさらにPPバンドを*の形に掛ける。バンドがずれたら意味が無いのでべったりとガムテープを貼り回す。ついでに胴体横方向にもPPバンドを2本掛けて、ふぅ、出来上がり。これでどうだろうか。傷付くことなく、無事に届いてくれれば良いのだが。

 発送するにも、取次店まで持ち込むのは無理なので、営業所へ電話し引きとりに来て貰うことにした。これだけ重いとクロネコ便は無理、ヤマト便を使う。来てくれた若い配達さん、ガッキと手を掛けたは良いが、持ち上がらない。

 「あっ、これ、ムチャクチャ重いですね。中身、何ですか?」
 「紫檀の切株」
 「へ?」
 「だからね、そういう重〜い木なのよ」
 「“木”ですか? ははぁ、ナルホド」

 あんまり良く分かっていない様子であったが、ともかく僕と二人で荷台まで運んだ。友人の住まいは確かマンションの2階だったか3階だったか、配送のオニイサンには非常に気の毒である。くれぐれもイノチに別状ないようにして欲しいものである。

’01/03/27 (火)

これも良かった


 スーパースワンESIIで聴くソフトの中では、クラフィンス・ピアノが非常に良かった。それならばこいつはどうだと久しぶりにラックから引っ張り出したのは、「疾風怒濤の音楽」(P 1990 独TACET TACET18)である。

 なんでこれかというと、トラック5〜7、C.P.E.バッハ「ハンマークラフィールのためのソナタ」が、非常に音が良いからである。ベーゼンドルファー・コンサートグランドなどに代表される現代ピアノに比べて、かなり規模の小さいハンマークラフィール(所謂ピアノフォルテ)だが、フシギなことにあのスーパーピアノ、クラフィンス・モデル370の音に良く似ている。さすがに低弦のパワーは及ばないが、中高域の透明感ある響きはそっくり、現代大型ピアノを凌いでいる、と僕は思う。

 そこでこのCDを鳴らしてみたわけだ。結果は大当たり。凄く良い。音も良いが、それ以上に音場が非常に良く再現される。2本のスピーカーの1mほど奥に楽器の形がありありと現われ、鍵盤がどちらを向いているかがはっきりとわかる。実在感が凄く、演奏者の動きまでが目に見えるようである。録音している部屋の空気、床の硬さ、広さも明確に実感できる。試しに部屋の照明を全て落とし、必殺の「暗黒オーディオ」をやってみたら、これはもう圧巻。あまりにもリアルすぎて、気色悪くなってしまった。どうしてもそこに楽器があり、人が座って演奏しているとしか聴こえない。

 ソフトの良さはもちろんだが、やはりこれはESIIの力によるところが大きいように思う。ただスムースなだけではないのである。生そのものと言っていいほどの音と音場。殊にこの手の楽器にはすばらしいパフォーマンスを見せる。

 108ESII、前途洋々である。

’01/03/26 (月)

蕗の花


 「春色向晩 落花満地」(春色は晩に向って 落花は地に満つ)という禅語がある。春はだんだんと深まり、咲いていた花も随分と散り始めたなあ、というような意味である。まだ「向晩」というほどではないが、春たけなわになりつつあるようだ。

 箱船の周りに顔を出していたフキノトウも、ご覧の通りすっかり呆けてしまい「蕗の花」になってしまった。その根元には、すでに丸い本葉が生え始めている。

 どうも今年は季節の進み方が少しおかしいようで、この間まで大雪だと騒いでいたと思ったら突然春になり、春になったと思ったら一気に深まってしまった。今朝起きたら、山にはコブシの花が真っ白に咲いているし、桜の蕾を調べるともう4〜5日で咲き始めそうなほどになっている。毎年4月10日前後の開花になるが、このままいけば今年はかなり早いかもしれない。

 と、ここまで書いて気象情報を見ていたら、何だかもう一度寒波が来るようなことを言っている。いやもう、アッシにゃあ何が何だかサッパリ。どうしてこんなにデコボコした季節の移り変わりになっちゃうんだろう。もう少しゆるやかなグラデーションを描いてくれないと、体がおかしくなりそうである。

 いつか長岡先生が「近未来には現在の2bit季節(四季)から1bit季節(二季)になるんじゃないか」と書いておられたが、ほんとにそうなるかもしれない。SACDも高速1bitだし、まあいいか。

’01/03/25 (日)

出た出た


 風邪をひいて、しばらく外歩きしないでいたら、箱船の裏庭は土筆でいっぱい。足の踏み場もないほどである。鶯も鳴いたし、本格的な春の到来だ。「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったものである。

 今年はシンドイ彼岸になってしまった。彼岸の入り17日から軽い咳が出始め、中日20日は症状のピークでまったく動けず、彼岸の出23日になってようやく小康、と正に“彼岸風邪”になってしまった。あやうくほんとに“彼岸”(彼の岸=あの世)へ渡ってしまうところだった。ボウズが春彼岸に此岸(此の岸=この世)から彼岸へ渡ってしまったら、これはもう有難いと言うかシャレにならんというか。名僧として後世まで語り継がれる...んなことはゼッタイにねーよ。

 土筆が終われば、今度は待ちに待った桜の開花が近づいてくる。僕は桜が大好きだ。境内には10本ほど桜がある。これが全部満開になると、ちょっとした花見ができるのである。毎年思うのだが、この頃に桜開花記念大OFF会ができれば、さぞ楽しいことだろう。今年は何とか実現して、大雪に降り込められた冬のストレスを粉砕したい。さらにこれを恒例行事にすれば、毎年皆で楽しむことができるなぁ。

 こういう時、もうホンの少しでもいいからミヤコに近ければと、詮無いことを思うのであった。

’01/03/24 (土)

鳴らしっぱなし


 時間が経つにつれ見る見るうちに覚醒していくFE−108ESIIである。面白くなってしまって、CDにリピートをかけて昨日から鳴らしっぱなし、今も1階で鳴っている。一番最初のCDを再び聴いてみると、エージングの進行状況がよく分かる。

 一番変わったのは、音の艶。ガサガサした感じが少なくなり、鏡面仕上げ的な艶と輝きが出てきた。もともとパワーが入るユニットのようだが、サスペンションの動きがこなれてきたせいか鳴らし始めよりもさらにパワーが入る。見た目、もの凄い振幅でも聴感上の歪みは少ない。流離いの旅人さんが「一家言」でおっしゃるとおり、かなりボコボコに鳴らしているんだろうと思う。一般的にはとんでもない大音量である。こんなところへ来たESIIも気の毒なことである。しかし、ぜんぜん使わずうっちゃって置かれるよりも酷使されたほうがシアワセだろう、と自己弁護しておこう。

 このユニット、型番こそ「FE」だが、これまでのシリーズとはまったく別物である。208ESを聴いた時も同じように感じた。今回はそれ以上のインパクト、圧倒的パフォーマンスである。スーパースワンのキャビネットが如何に優れたものであるかを、またしても証明したとも言えるだろう。だからこそ尚のこと、いずこかの達人によって「ウルトラスワン」の創出がないものかと、期待したくもなるわけだ。

 昨日からかなりの時間聴いたが、ソフトの優劣にはより敏感になっているようである。良いものは更に良く、悪いものはさらに悪く、といった感じ。今日までに聴いたソフトの中で、一番驚いたのは「クラフィンス・ピアノ」(KM−001、008)の再生。スワンではイマイチ上手く鳴らせなかったこのソフトを、力強く、鮮明に、透明感高く、見事な音場感で鳴らして見せたのにはいささか驚いた。

 ともかくこのままの状態では遺憾。早く仕上げをして、完全形にしてやらねば。108ESIIがスーパースワンに、新たな生命を与えてくれる。

’01/03/23 (金)

やっちまった


 今日は朝から比較的気分が良く、すんなりと起きられた。といってもガンガン動きまくろうというほどの元気も未だ出ない。ぼけーとしているのもシャクなので何かしてやろう。そうだ、108ESIIをスーパースワンに着けよう。AE86さんの掲示板でもいろいろと話題になっていることだし。休み休みやれば病み上がりの僕にもできるだろう。

 仕上げ出来ていないことは、この際棚に上げてとにかく着けるのだ。ネジ穴が四つしかない? それもまあ良いことにして、ともかく測定のため、ということで。仕上げできているほうにはESが着いているので、比較測定にはちょうど良いやと、かなり乱暴である。

 と、着け終わってセッティングしたのが上の図。左右白黒スーパースワン、極めて異様である。これを見て、こりゃ実験じゃねーなー、ただのボウケンだと自分でも呆れてしまった。

 最初、白はESのままで測定。黒にのみESIIを着けてこちらも測定。測定結果は「音の形」ページに載せてあるのでご参照いただきたい。その後白もESIIに換えてミュージックプログラムで試聴した。吸音材、抜き穴のテーパー加工などは皆無である。

 試聴結果。今までスーパースワンに使ったユニットの中で最高。文句なし。はっきり言って次元が違う。「10cmユニットでこの凄い低音」などという陳腐な表現はもう使えない。これまで、どうしても超えられなかったスケール感の壁を、ついに打ち破った感じである。これは凄いユニットが出てきたものだ。何を聴いても素晴らしい。これにリングを加え、がっちり取り付け、エージングがゆきとどいたらどんな音になるんだろう。楽しみだなあ。

 108Sにと設計されたスーパースワン、このエンクロージャーではESIIの潜在能力を完璧に引き出せていないのではないか、そんなことさえ思えてしまうほどのパフォーマンス。僕の手には負えないが、どなたか「ウルトラスワン」設計されませんか?

 って、その前にさっさと仕上げしろ、テメーはよー。

’01/03/22 (木)

動き出す


 まだ完全復調には程遠いが、何時までも寝ているわけにも行かず、無理やりにでも動き出そう。体の痛みはやや軽くなった。しかし、鼻がまったく利かない。ゴハンを食べても味わいは半分以下、面白くも何ともない。タバコはまったく吸えない。このまま止められればと思うが、たぶんそうは行かないんだろうと思う。三日間寝付いたせいか、平衡感覚が著しくオカシイ。20代の頃からすると、ホントにすっきり治らなくなったと、少し悲しいのであった。

 かなり暖かくなって、動き出すのは僕だけではないらしく、「カメムシくん」もいっせいに動き出したようだ。いっぱいいる。あまりお好きでない方(好きな人なんかいないか)にはお気の毒だが、箱船の階段室に現われた勇姿である。見つけるたびに、ご機嫌を損ねないようソッと紙に載せて外へお旅立ち願うのである。時々しくじって怒らせてしまい、猛烈な臭気に仰け反ることもある。

 毎年秋と春には彼らの言葉無き脅迫に悩まされるわけだが、これもまた歳時記のようなもので、まあいいかとも思う。

 直接吸入した時の臭気は確かに猛烈な悪臭だが、かすかに匂う時のその香りは、日に干した布団のにおい、日向(ひなた)のにおいにも似て、過去を想起させる懐かしさを含んでいるから、不思議である。

’01/03/21 (水)

峠を越える

 昨日よりは良いようだ。でも、まだ体が痛い。もう少しお待ちください。年取ると快復が遅いね〜。何だか他人の体背負ってるみたい。

’01/03/20 (火)

ピークです

 起きられません。体痛いっす。12月の風邪よりも性質が悪いヤツみたい。うー、しんどいぞー。

’01/03/19 (月)

風邪です

 ツライです。ちょっと更新できそうにありません。元気になったらまたやります。しばらくお待ちください。申し訳ないことでございます。

’01/03/18 (日)

HEAVY LOAD


 僕には5歳年上の兄がいる。この人、30年来の筋金入りロックマニアで、特に’68〜’74年にかけてブリティッシュロックシーンで活躍したバンド『FREE』へのこだわりは人後に落ちない。その『FREE』の中でも、ギタリストのポール・コゾフ(上の写真で左から3人目、立っている人物)に対する思い入れは相当なものである。先年、イギリスへ旅行した彼は、永年の念願であったポール・コゾフの墓参りを果たしたのである。

 ポール・コゾフ。ロックバンド『FREE』のギタリスト。激しくヴィブラートをかけた独特のギターは「泣きのギター」と呼ばれ熱狂的ファンを持つ。1950年9月14日ロンドン生まれ。1968年4月、ポール・ロジャース、サイモン・カーク、アンディ・フレイザーらとともに『FREE』結成。’74年解散後自身のグループ『BACK STREET CRAWLER』を結成。’76年3月19日、セカンドアルバム発表後のツアー移動中心臓麻痺により飛行機内で死去。享年25歳。

 その旅行中、兄は「Free Appreciation Society」という会を主宰するDavid Claytonと言う人を訪ねた。Clayton氏は兄を遥かに上回る程のFREEマニアであって、大変貴重な話が聞けたと大喜びであった。その時に、間もなくFREEの伝記が出版されると聞き、予約してきたと言っていたが、今月になってその本が届き、僕にも一冊分けてくれた。それが上の画像。

 洋書なので、完全には解読できない(情けない!)が、凄い本である事だけは確かである。FREEに関する事柄を、結成前から解散後まで微に入り細に渉り網羅してある。これはFREEファンにとって、最高の贈り物だろう。僕は兄ほどではないにしても、FREEファンであることには違いない。挿入してある写真を見ているだけでも楽しかった。

 昨年は未発表テープなどを集めた6枚組のCD(これもClayton氏の尽力によるもの)が発売されたり、FREEが再評価され始めている。解散後27年、当時のメンバーはほとんど50歳代、今は昔の感ありだが、改めて彼らの音楽を聴くと、昨今のロックが失ってしまった“力”を感じることができる。

 ポール・コゾフが生きていたなら、きっと面白い事になっていただろうなあ。

’01/03/17 (土)

再び「竹」


 昨年12月14日の日誌に載せた「竹」CD、それのレギュラー盤である。普通のプラケース入りで、値段も普通だったと思う。中に入っているCD本体デザインは竹ケースのものと同じ、だが、印刷の加減か色相が少し違う。こちら色のほうがやや濃いのである。この違い、ケースによるものなのか、プレスの時期による違いなのか良く分からない。楽曲内容は同じ。

 竹ケースのほうには竹に関するウンチクを述べた多ページのライナーノーツが入っていたが、こちらはあっさりしたもので、見開き2ページで終り。しかもその内容は「このCDには竹ケース入りのコレクターズ盤があります。竹について詳しく述べたリーフレットが付いています」というインフォメーションだけである。下の画像がそれ。廉価盤というところか。

 竹ケース入りが入手不可能ということであれば、こっちのほうが買い易いかもしれない。でも、CD番号はやっぱり「BAMBOO」らしく、記号や数字は見当たらない。これが困るんだよなあ...。

’01/03/16 (金)

何やってるんだか...


 まだ108ESのままである。スーパースワン。初出直後に作って仕上げなしで鳴らし、これは凄い、仕上げをすればもっといいだろうとユニットを外して仕上げに入ったまでは良かった。ホワイトピアノ仕上げにして、白鳥のイメージを出すんだと取り組んだが、これが大変。

 生地仕上げから始まって、トノコで目止め、更に磨いてカシューパテで再び目止め。そのあとカシュークリヤーを塗っては磨き塗っては磨き、この辺りで息切れを起こして作業中断。ああしんど。それからなが〜い間ほったらかし、突然音が聴きたくなって仕上げ途中のキッタネエままでしばらく鳴らしていた。

 そのうちそれも厭になって、ある日突然作業再開、またカシュークリヤーから塗っては磨き。クリヤーだけで充分鏡面にしておいて、その上からカシュー白を塗る。2〜3回塗れば充分だろうと思っていたら、これが大間違い。ピアノ仕上げなんかには程遠い。また塗っては磨きの繰り返しである。だいぶんしつこく塗ったなあと思って磨くと、黒い下地が露出してくる。まだ足りんかと、そんなことを十数回繰り返し、やっと仕上ったのが上の画像。最後は車用のコンパウンドとテフロンワックスで磨き倒してやった。どうだ、まいったか。

 この作業も一本やって息切れ、片方はクリヤー準鏡面段階でほったらかしてある。今回108ESIIを着けるにあたっては、これも完全に仕上げてしまわないと遺憾と思う。当たり前だな。

 ちゃんと音が聴けるようになるのは、いったい何時になるんだ? いっそ、白黒スワンで聴いちゃうか。きっと左右で音が違って聴こえてしまうだろうなあ。我乍らヒドイ話である。

’01/03/15 (木)

最後のサイン


 サインをお願いすると先生は、いつもちょっと照れ臭そうに、しかしとても気さくに応じてくださった。いくつかのご著書にいただいたが、上のサインは講談社ソフィアブックス刊「世界でただひとつ自分だけの手作りスピーカーをつくる」に書いていただいたものである。

 サインの日付通り、’99年9月4日。方舟へお邪魔した時。「先生、今度新刊を出されたそうですね。まだ買っていませんが、読むのを楽しみにしています」と言ったら、先生は黙って2階へ上がり、ややあって僕にこの本を差し出した。「あげます」と言って。「いや、ちゃんとお支払いします」と僕。「いいですよ、アナタにはいろいろもらってるしね、悪いから」とおっしゃる。それじゃあとウヤウヤしくおしいただいて、その上にドあつかましいのですが記念にサインをと、お願いしたのである。

 いつもの通り先生はちょっとテレ臭そうに、「そうォ、じゃ、書こうか」とマジックを取り「何て書こうか? なんかある?」「いえ、先生にお任せします」というと、「長岡鉄男」と書いてくださった。日付を入れるとき「’99年9月4日..と。’99年9月9日だったら面白かったのにね」と笑っておられた。

 方舟を辞する時「あ、さっきのサイン、“○○さん江”って入れときゃ良かったね」とおっしゃったのが、僕の心にとても深く残っている。

 これが、僕がもらった最後のサインになってしまった。

’01/03/14 (水)

先生からの便り


 昨日の日誌に載せたテーブルタップ、長岡先生へお送りしたあと確か葉書をもらったなあと捜してみたら、あったあった、懐かしいなあ。消印は’98年6月16日になっているから、「諸国漫遊記」で御出でいただいて約1年後である。

 ちょうどこの頃、AA誌「長岡鉄男のワンダーランド」では複数号にわたって電源周りの記事が掲載されていた。そのことに触れていらっしゃるわけだ。このAA誌90号で、先生は「電源ケーブルは奥が深い。というより、いわく不可解。もう1年ぐらいやってみないと最終結論は出そうもない」と書いておられる。

 差し上げたテーブルタップはその後も継続して使っていただけた。「思わずやられたと一言」とあるが、先生に時間の余裕があれば、はるかに凄いものを作られたに違いないのである。鉛が封じ込んであるので充分に重かったが、ある日方舟へ行ってみると、底に分厚い鉛板が貼り付けてあった。「こうするとね、随分良くなるんだ。アナタ、やってる? え、まだ? やってごらんなさい。いいよ、これ」と楽しそうにおっしゃっていた。そういえば未だにやってないなあ。今晩やろうかな。

 「7月12日はあいていますからどうぞ」と書いてあるのは、方舟にお邪魔したいとお願いしたその返事である。先生に電話するのが苦手(電話の先生はブッキラボウで怖かった)で、毎回ほとんど封書に返信用の葉書を同封するか往復葉書でお伺いを立てていた。お忙しかった先生にとっては却ってご面倒であったことだろう。しかし、何時も必ず返事を下さった。

 だから僕の手許には、長岡先生からの書簡が数多く残されることになった。

’01/03/13 (火)

梢枝瑣末


 申し訳ありません。今日は先ず訂正から。昨日の日誌でFE−108ESIIのダンパーを「HP形状ダンパー」と書いてしまいました。大きな間違い。正しくは「UDRタンジェンシャルダンパー」です。フォステクスさんをはじめ、ご閲覧の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。ここにお詫びして訂正致します。昨日の日誌記述も既に訂正いたしました。どうか平にご容赦ください。

 さて、今日の画像は箱船で使っているテーブルタップである。自作品だ。松下電工のプラスチック製コンセントボックス+同真鍮プレート+CSE製CONCENT1、コンセントプラグはCSEロジウムメッキ仕様、コードは5.5スクエア2芯ビニールキャブタイヤSFチューブ被せ、というものである。ボックスの中にはサランラップで包んだ粒鉛を詰めてある。何だか物々しいですな。

 一時期、電源周りにこだわっていたことがあり、そのとき勢いに乗って作ってしまった物である。当時の勢いは相当なものがあったらしく、同じモノを計四つ作った。そのうち二つは箱船で使用、残り二つの内一つは方舟へ、もう一つは友人のところで使ってもらっている。

 これによって音は向上したのか? 少なくとも悪くはなっていない。確かに良くはなっていると思う。だが、その差はそれほど大きくないという印象である。

 こんなところに金をかけるのはバカだという向きもあるだろう。それは理解できる。だが、ホンの僅かな差を積み重ねることによって総合的なクォリティを向上させるのがオーディオという趣味であると、言えなくもない。なんだか煮え切らない言い方だが。精神衛生上、良いだろうと思われることは一応やってみる、それでアカンかったらやめたらエエねんというのが僕のスタンスである。どうも今日は言い訳臭いなあ。

 先日げんきまじんさん宅へお邪魔した時、この辺について彼はまったく無頓着、こだわっていないように拝察した。にもかかわらず、豪快ダイナミックしかも繊細な音が再生されている。

 もし、このテーブルタップをまじんシステムで使うとどうなるか。きっと更に良くなるであろうことは想像に難くない。しかし、決定打にはならないだろう。つまりやっぱり、電源周りは最後のトドメ、その前にやっておくべきことが沢山あると、そういうことなんだろうなあ。

 でもね、なんでもやってみたいのよ、と。

 
                〜閑話休題〜

 アクセス件数が20,000カウントを超えた。いつもご閲覧くださって、
本当にありがとうございます。一日のアクセス数が立ち上げ当初より増加気味、それにお応えできているかどうか、毎度毎度忸怩たる思いを抱いてゐる。昨日の如く、今後もとんでもない間違いをやらかすことと思うが、その時々でご叱正賜れば幸いである。

 今後とも宜しくご愛顧願いたいのである。

’01/03/12 (月)

ますますフシギ


 僕も一応スーパースワンユーザーなので、FE−108ESIIをゲット。10cmユニットとは言え、なかなかの迫力である。持った感じ非常に重く、どれくらいあるのかと規格表をみると、1.45kgもある。108ESが1.08kgだったから、370g34.2%増である。マグネット重量はES442g、ESII585g32.3%増、その差143gだから、残り227g分はフレームで稼いでいることになる。実際フレームはかなり強化されている。8本脚、内2本は左右に振り分けられた端子板が付くので形状と太さが違う。このフレームは強力である。叩いてもあまり鳴かない。取り付けネジは8本になった。

 m0はES2.2g、ESII2.7g。Q0はどちらも0.23。m0は大きくなりQ0が変わらないということは、磁気回路が強力になっていることの証明。f0はES80Hz、ESII75Hz、能率ES93dB/w、ESII91dB/wということで、より強力な低域再生が期待できそうだ。

 コーンとエッジは208ESで素晴らしい結果を得た、HP形状コーンとUDRタンジェンシャルエッジである。さらに今回はダンパーまでがUDRタンジェンシャルダンパーになっている。これにはちょっとビックリした。ただものではない。メビウスの輪かクラインの壷のように、裏と表がフシギな形で繋げられているが、どうやって成型したんだろうと考えているとノウミソが位相反転しそうになる。フォステクスさん、アナタはえらいっ。

 早く聴いてみたいのだが、ネジが8本ということもあり、まだ取り付けできないでいる。別売りのアダプターリングP−108も使ってみたい。しかしスーパースワンはヘッドをR加工しているので、リングのエッジが一部浮いてしまうのである。どうすべえか。

 と思っていたら、友人がオリジナルのリングを作ってくれるという。まだ設計段階だが、最終的にはリングというよりもサブバッフル様の形状になりそうである。

 僕のスーパースワン、永く鳴らしていないが、早く復活させてやらないとなあ。鳴かずに泣いているぞ。

’01/03/11 (日)

これで終りか?


 箱船2階より境内を望む。ドンヨリ曇った冬空、雪はまだ完全に上がりそうもない。3月の中旬を迎えようとするこの時期にこれだけまとまった積雪があるのは、ここでも珍しい。今回は約60cm、まったく冬へ逆行してしまった感じである。せっかく春が来たと喜んでいたのに。チクショー、ヌカヨロコビさせやがって。

 といっても暦は3月、このまま冬が続くはずもなく、確かに春は来るのだろう。雪質はベタベタで沈みが早い。今朝ほどは正味60cmあったが、昼過ぎには半分ほどにヘコんでしまった。半日でも日照があればあれよあれよと融けてしまうんだが。

 希望的観測もあるが、今年の雪はさすがにこれで終りだろう。終りにしてほしいっ。雪はいやだとボヤいていたら「凄いとこやねえ、ワタシなら我慢できんな。気が狂いますわ」とげんきまじんさんに言われてしまった。そりゃね、僕だってそうですよ、だから箱船建ててストレス粉砕する訳ですと言ってみたが、ここよりもっと凄い豪雪地帯もあるわけで。

 どーもスミマセン。でもやっぱり雪はキライだ。車はハマるし。

’01/03/10 (土)

支配力



 げんきまじんのじまんべや訪問記である。道中は、昨日書いた通りなので省略する。なんとか迷わずにまじんさん宅へ到着、しかし入り口がわからない。当該地番表示があるのでここに違いないはずだ。道が狭く、そこに停まっていると大迷惑なので、とりあえず広い道に出て電話する。やっぱり間違いなかった。まじんさんの誘導でどうやら車を庭に押し込み、早速じまんべやへ案内していただく。

 おお、これが“げんきまじんのじまんべや”か。雰囲気あるなあ。如何にもオーディオファンの部屋だ。何処へ行っても凡そ共通した匂いがあるのも不思議なものである。さて、まず何から聴かせてもらおうか。まじんさんのご希望により『仮想のコンサート』(INA/GRM INA C1000)と『すさまじく冒険的な音響』(フォアレコード FRCP−1019)をCD−Rにコピーして持参したので、いきなり強烈かと思ったが『仮想の〜』トラック10、「Bocalises」(ガラス瓶を叩き割る、例のヤツだ)からいってみる。ヤバンでごめんね。

 このシステムになんら問題がないことは、3秒聴いて分かった。それどころか、文句の付けようがない音である。ちょっと気がかりだった超低域の圧力も十二分に再生されている。全域に渡ってハイスピード、甘さは微塵もない。中低域の張り出しは猛烈、でかくて分厚いフライパンでガーンと一発、ぶっ飛ばされるような感じ。痛快である。高域は繊細でしかもシャープ、切れ込みの鋭さは言うに及ばない。スワン族の血統を受け継ぐモア、定位の良さ、音場の広さは非常に優れている。

 細かい使いこなしは何にもやってないと言うまじんさん、確かにそうかもしれない。しかし、急所はキチンと押さえているし、何よりもご自身の好みが極めて明確なのがイイ。「聴いていて楽しい音」「幸せな気持ちになれる音」。まさにその音が目の前で鳴っている。自分にはこれくらいの装置が分相応とおっしゃるが、それはご自身の機器に対する支配力を充分に理解し、発揮されている証明に他ならない。

 気持ちよくなってしまったので、次々に聴いてみる。何を聴いても実に楽しい。持参したADも十全に鳴らし切って見せる。お見事というほかにないのである。

 忠実な再生機としては、D−55シリーズのほうに分があるのかもしれない。だがスワン族は、明るく開放的でとても楽しい音がする。以前、方舟でスーパーレアを聴いた時もそういう印象だったのである。まじんさん、実に上手くモアを鳴(慣?)らしている。システム詳細については今日のタイトル画像をクリックしてほしい。

 聴感上、大きな問題があるとは思えないが、せっかく持ち込んだスペアナだから一応伝送特性を測定してみる。リスニングポイントに耳の高さでマイクを設置、左右個別にピンクノイズでF特を見る。L、Rとも25Hz〜20kHzまでワイドでフラット、非常に良い特性である。左右差はほとんどなく、良く揃っている。200Hz〜500Hzにかけて少しディップがあるが、何かしら部屋の影響が出ているのだろうか。但し、聴感上問題はない。Rchの12kHz、Lchの10kHzにピークが見られる。トゥイータークロスの辺りである。これも大きな問題ではないが、トゥイーター位置を調整することでフラットにできるかもしれない。

 ピンクノイズを再生し、F特を見ながら位置を前後させる。トゥイーターが載っている鉛ブロックの前縁をバッフルから約6mmほど後退させたところで両chともピークが消え、20kHzまで一直線、驚くべきフラットな特性になった。聴感でも透明感が増し、さらに繊細な切れ込みが出てきた。この音を聴くと、調整前の高域はやや大味だったかと思われる。まじんさんも同意見、納得している。スペアナを持ち込んだ甲斐があったというものだ。

 一通り音を聴き、後は映像を見せてもらう。持ち込んだDVDは、音と画の良さで『コバケンのマーラー5番』(ポニーキャニオン PCBC−00004)、僕の好みで『パイオニアDVDスターターディスク』(HE−701 非売品)の2枚。

 DVDプレーヤーはともかく、プロジェクターは三菱LVP−1200G、10年選手である。さてどうかなとおもったが、これがなかなかイケるのである。もちろん、最新の三管式に比べると解像度、精細感、明るさなどで差をつけられるが、色の深み、画の奥行き、力感、実在感などは決して負けていない。スクイーズもプログレッシヴも何もなく、はっきり言って走査線は目立つ。だが、問題にならないのである。却って鮮度の高さが出て、まじんさんが好む「楽しい音」に共通した「楽しい画」になっている。特にパイオニアスターターディスクのチャプター1(ガイアスドーターからの抜粋)は素晴らしい。ある意味、感動的な画を見ることができたのである。

 まじんさん宅へ出張って感じたこと。オーディオは機器が主役ではなく、「人」が極めて重要である事。元来自分が持つ支配力を上回るような機器は使わないこと。もしそういうものを買ってしまったときは、自分の支配力を強化すること。これは好みの音、目指す方向を明確化するということだろう。『オーディオA級ライセンス』で、長岡先生が述べておられる通りである。重箱の隅を突付かず、明るくほがらかに楽しむ事。ソフトを多く聴くこと。そして最重要要素は、やはり“部屋”であること。

 改めて多くのことに気付かされた訪問であった。自戒の念も込めて、僕も斯く楽しんでいこうと思うのであった。

 気楽さが手伝って、ご無礼な事も申し上げたかも知れない。げんきまじんさん、ありがとうございました。妄言多謝。

’01/03/09 (金)

ハマる


 出張った帰りにハマる。往路はまったく問題なし、雪も大したことなく無事到着。問題は復路である。

 げんきまじんさん宅を辞したのが午後7時半ごろ、順調にいけば10時ごろには帰宅、その後すぐに写真などを編集し今日の日誌で報告しようと考えていた。

 ところが。出発時は月が煌々と輝く晴天、こちらに近づくにつれ雲行きが怪しくなり福知山からは激しい降雪、大江山峠に至っては既に30cm超の積雪だった。視界はほとんど0m、猛烈な降り方である。とても40km/h以上では走れない状況、そんな中を後続車がパッシングで煽ってくる。

 なんちゅう奴だ、オマエは死にたいのんかとボヤいてみても仕方ない。譲ってやるよと左へ寄ったその瞬間。「ゴリゴリゴリゴリドスン!」。側溝へ、ハマってしまいました。ご丁寧にも左前後両輪が、完全にハマっている。動けまシェン。この時点で、時刻は午後10時過ぎ。さあどうしよう。

 不幸中の幸いは、いつも頼りにしている親友、徳さんの家が近かったことである。大迷惑を承知でオタスケの電話をかける。「そら大変やな。よっしゃわかった、すぐ準備して10分で行くわ」。はっきり言って涙が出ましたね、ボカァ。なんという頼り甲斐のある言葉であろうか。

 防寒雨具、手袋、ライト、添え木、へヴィーデューティー仕様のジャッキなど、オタスケグッズ一式を携えた徳さんが来てくれたのは、それから10分経っていなかった。状況を確認し、作業手順を組み立て、無駄なく動く徳さん、僕はそのマワリでアホのごとく狼狽するばかりである。

 雪はますます激しさを増す。悪いことに側溝の脇からは除雪の為の水が激しく噴き出している。川のような路面、大流量の側溝、猛烈な降雪、気温は-3℃。ずぶ濡れになりながら作業してくれる徳さんイワク「風呂入る前でよかったわ、あはは」。また涙が出ましたね、ワタシャ。

 「よっしゃ、これで出られるやろ。一気に行ってや」。格闘1時間超、徳さんの指示に従いハンドルを切りエイヤッと前進。上がりました。見事に。思わず徳さんに抱き付きそうになった。「ほんなら気ィ付けて」。そう言って見送ってくれる徳さんの背後に、後光が差して見えた。

 帰り着いたのは午前零時前、写真は箱船2階の窓から撮った柿の木だ。積雪40cm超、この時期としては明らかに異常である。

 というわけで「げんきまじんのじまんべや訪問記」は、明日以降のアップにさせていただく。一言だけ。「凄い」音でした。文句なし。

 げんきまじんさん、お世話になりありがとうございました。更に御心配をおかけし、申し訳ありませんでした。無事帰りました。しっかり報告させていただきます。

 徳さん、本当にありがとう。イノチの恩人です。お礼の言葉もありません。

’01/03/08 (木)

出張る


 久方ぶりの出張りである。オーディオ仲間襲撃は昨年9月以来だ。何処へ? へっへ〜、実は『げんきまじんのじまんべや』へ、である。前々から一度お邪魔したいとお願いしていた。1月の迎春大OFF会は当然行くつもりにしていたが、丁度良いグワイに大雪が降り、すっかり足止めを喰らってしまった。やっぱり冬の間はダメである。そこで今日、やっと念願叶いて怪鳥モアの雄叫びが聴けることになったのである。

 出張るにあたっては、お土産、ソフトはもちろんのこと、これも持って行かねばなるまい。スペアナと測定用マイクのセットである。こいつで『じまんべや』の特性を測り、丸裸にしてしまおうという趣向。まじんさん、楽しみにしててね。

 まじんモアの音を聴くのは初めてである。一昨年9月、WROMさんの『はこぶね』で長岡先生にお会いした時「あそこの音は凄いよ。モア+T−925Aをね、大音量でガンガン鳴らすんだから。激辛ですよ、激辛。」と聞いて以来、ずっと聴きたいと思ってきた。一時は自分でも作っちまうかと考えたが、思いとどまった。あんな巨大なモノ、どこに置くというのだ。そのまじんモアを今日は聴けるのである。期待せいでか。長岡先生をして「凄い」と云わしめた、まじんサウンドや如何に。

 ところで、今夜はグワイ良く春の雪がガシガシ降っているが、明日の朝はどうなるんだろう。

’01/03/07 (水)

リサイクル


 3年ほど前から、箱船の軒下にツバメが営巣するようになった。写真は去年作った巣である。トックリを縦半分に割り、軒下にくっつけたような形。古くなって少し欠けているが、入り口部分が細く絞られている。

 人家の玄関などにお椀型の巣をかけるタイプのツバメとは種類が違うようである。親鳥の姿形も所謂一般的なツバメと少し違っている。早速ネットで調べてみた。「コシアカツバメ」という種類らしい。珍しい種類かと思っていたが、そうでもないみたいだ。

 毎日のように大音量で音を鳴らすというのに、ツバメは平気なんだろうか。如何に外とは言え、超低域は充分伝播すると思うのだが。もしかすると、彼らにとってはそれが却って安心感につながるのかなあ。ツバメって超低域マニア?

 前年作った同じ巣を再び使うことはなく(と思ったら、古い巣を補修して使うこともあるんだそうな。失礼しました)、毎年新しい巣を作っている。それじゃあ古い巣は打ち捨てられ朽ちてゆくだけ? どっこいよくしたもので、留鳥であるところのスズメ達がキッチリ再利用している。今、箱船の軒下にはこの巣が四つあるが、全部にスズメが入居している。

 スズメはリサイクルの達人...いや、達鳥か。

’01/03/06 (火)

止めいっ!


 3月だというのにこの雪である。もうエエ加減にしてくれ。この写真は昨晩(3/4夜)撮ったもの、5日の朝は思ったほどの積雪はなく、安心した。冬型とは言え、さすがに3月ともなると日中少し日が差しただけであっという間に消えてしまった。融けて流れりゃ皆同じ、と。

 そろそろスタッドレスタイヤからノーマルへ交換しようかなあと思っていた矢先の雪である。この時期、大雪にはならないしすぐに消えてしまうのだが、朝方のことを考えるとまだちょっと早いようである。燃費は悪いし走行音はうるさいし乗り心地も悪いし、良いとこなしのスタッドレス、しかしこれがないとイノチに関わるので仕方がない。もう少し我慢するか。

 8日〜9日にかけても冬型になると、天気予報では言っている。寒いのはかまわないが、雪はほんっとにもうイラン。

 行きつ戻りつ、しかし春はもうすぐだ。

’01/03/05 (月)

最近よく出る


 テラーク DG−10106「TIME WARP」である。CDを買ったのはもう10年以上前、アナログは永く手に入れることができず、1枚目は中古で1年位前、写真はつい先日手に入れた2枚目である。これはヴァージンシールそのままの新品未開封盤、ちょっと高かったが選択の余地はない。

 「2001年宇宙の旅」、「スター・ウォーズ」、「スター・トレック」等のテーマ曲を、ドン・ドーシーのシンセサイザーとエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラが演奏する。冒頭からシンセが強烈な一発をかましてくれる。最高とまでは行かないがレンジが広く優秀録音。個人的には大好きなレコードである。新品はうれしいが、逆に開けるのがもったいなくなるのは不思議である。聴くのは中古盤にして、これは開けずに保存する? それじゃあ本物の良い音が聴けないなあ。何言ってるんだろう。

 ここ1年ほど、中古市場でテラークの新盤(新譜ではない)を見かけることが多くなったが、どういう訳だろうか。勝手な想像だが、大元の出所は同じ所のような気がする。倉庫の片隅に忘れられていたものが何かの拍子に見つかったのだろうか。いずれにしてもテラーク大好きの僕としては、うれしい限りである。

 『チャイコフスキー4番』(DG−10047)、『1812』(DG−10041)、『カルメン/ペールギュント』(DG−10048)、『オルフ/カルミナ・ブラーナ』(DG−10056〜57)なども同様に新品が手に入った。惜しかったのは『オムニ・ディスク』(DG−10073〜74)を取り逃がしたこと。これは悔やまれる。テラークは50枚以上持っているが、このレコードは未だ入手できずにいる。次に期待...だが果たして次回はあるのか。

 ADに明日はない?

’01/03/04 (日)

野生化


 クロッカスである。今日、咲いているのに気がついた。この花、基本的には観賞花であって、野草ではないのだが、うちの庭ではほとんど野生化している。誰が球根を植えたわけでもないのに、何時の頃からか毎年同じ場所でまとまって花を咲かせるようになった。

 何年か前に庭木の植え替えをしたとき、何かの拍子で土に球根が混ざってしまったのだろうか。まともな世話などしたこともないのに、元気に咲いている。それどころか、少しずつ数を増やしてさえいるようである。人間と同じで、過保護は良くないのか知らん?

 写真は紫のタイプ、このすぐ左側には少数だが黄色いタイプが咲いている。花の少ないこの時期に、庭の一角で鮮やかな色を見せるクロッカス。ちょっとうれしくなってしまった。これからも元気に咲かせるには、何も世話しないのがいちばんかな。

 いじり過ぎが良くないのは、オーディオも同じこと、か。

’01/03/03 (土)

お疲れ様


 今やすっかりレアアイテムになってしまった感のある、ビクターMC−L1000である。手持ちは2本あったが、昨年そのうちの1本が遂に断線、その役目を終えた。写真は元のケースに収まり、静かに眠る嘗ての勇者である。

 今となっては諦めもついたが、断線当初は悔やみ切れず危険を承知でカバーを開け、分かりもしないのにルーペで調べてみたりもした。無駄な抵抗である。右チャンネルの音が出ない。悔しいのは、左チャンネルからはとても良い音が出ていることだ。しかし、こうなってはどうなるものでもなく、諦めるより他にはないのである。

 昨年秋、この方面に詳しい友人が「一度調べてあげよう。でも、プリントコイル断線だったら諦めなさい。それ以外の不都合ならなおるかもしれない」と言ってくれた。最後の望みをかけて友人に託したが、結果はやはり右チャンネルプリントコイル断線、修理不能であった。極めて残念である。

 ’86年に初めて聴いたこのカートリッジ、「水の中で鳴っていた音が、いきなり目の前に飛び出してきたような」音、これがその時の第一印象だった。それ以来15年経ってもこの音から抜け出せないでいる。幸いにももう1本は今も元気に働いているので悶々とせずにいられるが、それもいつかはダメになるときが来るだろう。

 闇雲にしがみつくつもりは、ない。これを凌ぐカートリッジもある。もったいないといって使わずに置いても、経年劣化は避けられない。それなら今のうちにガンガン使い、良い音を楽しんだほうが健康的である。

 ともかく、永い間お疲れ様、と。

’01/03/02 (金)

ビックリした


 AA誌が実施する、100号記念特別企画「本物のネッシーIIモニタープレゼント」に載っていたネッシーIIを見て、ちょっと驚いた。僕が貼ったユニット周りの植毛シートがそのままになっている。

 あれは確か一昨年の12月、最後に方舟へお邪魔した時だったろうか。あらかじめ写真のような形に切り抜いた赤、深緑、黒、三色計6枚の植毛シートを持ち込み、先生に色を選んでいただき貼り付けたのである。

 赤いシートを試しに引っ掛けてみた時の先生曰く、「お地蔵さんの前掛けみたいだね」。深緑、「ちょっと中途半端かな」。黒、「これが無難だろうなあ」。ということで黒に決定。赤、深緑のシートは、まだ方舟の何処かにあるはずだ。

 この時、その場におられたAE86さんに「そのカタチ、テストの末に決まったの?」と突っ込まれ、「ゼンゼン。何となく決めただけ」といい加減に応えた覚えがある。このカタチに深い意味はないのである。

 このシートは商品名「アルコア・デコレーションシート」という、粘着剤つきのものである。東急ハンズの壁紙などを売っているフロアで買った。450mm幅の巻物になっていて、1m単位で切り売りされている。価格は、うろ覚えだが1,200円/mくらいだったか。10色くらいあったと思う。

 これを貼った効果については、ついぞ聞くことは無かった。あんまり変わらなかったんだろうな。却ってデザインをぶち壊しにしたのかも知れない。でも、優しい先生は、黙ってそのままにされていた。そのネッシーIIが、読者へモニタープレゼントされるという。なんとも表現し難い、妙な気分である。

 下の写真は切り抜くのに使ったボール紙製の型紙である。何だか懐かしいなぁ。

’01/03/01 (木)

早春の花


 イヌフグリである。まだ数は少ないが、箱船周りの土手で咲き始めた。僕は観賞用の花を育てる趣味は持たないが、野に咲く花を見るのは大好きである。その中でも早春に咲き始めるこの花は、寒い冬の終りを告げてくれるようで、特に気に入っている。

 この写真を撮るとき、土筆は顔を見せないかと探してみた。さすがにまだ早いようで、見つからなかった。胞子を飛ばし始める前に採って、ハカマを取り除いてアク抜きし、佃煮にすると美味い。塩バターで炒めてもイケる。って、結局食うことばっかりかいっ。イヌフグリは食えねえぞ。

 しかし、このイヌフグリにしても、これから芽を出すゲンノショウコ、ドクダミにしても、野草には何となくブキミでグロテスクな名前が多いのは何故だろう。

 “フグリ”の意味、ご存知ですよねぇ。