箱船航海日誌 2000年12月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’00/12/31 (日)

除夜の鐘

 思いの外早く準備が整い、今日も何とか更新できる事になった。昨日年末ご挨拶をしてしまったので、なんとなくマヌケだがお許し願いたい。
 百八つの煩悩を一つ一つ滅除していくという除夜の鐘、今年も撞く日がやってきた。このオツトメにもかかわらず、僕には煩悩がありまくり、困ったことである。こんなヤツがつく除夜の鐘に、ゴリヤクはあるのか? 煩悩がありまくるからこそ、毎年撞かねばならない職業に就かされたとも言える、かもしれない。

 あと6時間ほどで撞き始めである。誰か来てくれるかしらん?

’00/12/30 (土)

Count10,000

 まさか今年のうちにアクセスが10,000を超えるとは、夢にも思っていなかった。閲覧いただいてきた皆さんには、ただただ御礼申し上げるばかりである。

             ほんとうにありがとうございました。

 管理している僕としては、やはりご覧いただけることが一番の励みになるのである。今改めて自分で読み返してみるが、凡そ「戯言」に違いない。よくぞお付き合いくださっていると恐縮至極、汗顔の至りとは正にこのことである。
 とはいうものの、ご覧頂いてナンボのHP、来年もまた同様のご愛顧を心より伏してお願い申し上げるのである。何卒よろしくお願い致します。
 さて、明日は大晦日である。除夜の鐘を撞かねばならない。23時45分に撞き始める。御出で下されば、撞いていただけますから是非どうぞ。じゃによって明日の日誌が更新できるか不安なので、今日の内に年末のご挨拶を申し上げておく。

         皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。

’00/12/29 (金)

毎年恒例の

...正月準備に追われている。檀家さんへの配布物、元旦の来客準備、本堂の荘厳、
注連縄、内外の掃除、接客手伝いの依頼など、やることが多くて毎年何か一つは忘れる
ことになっている。盆と正月、世間様がオヤスミになると、僕は忙しくなるのだが、普段は
フレキシブルに動いていられるので、文句は言えない。除夜の鐘まであと一日になった。

今年も、もう終わるなあ。

’00/12/28 (木)

回顧

1月 長岡先生にADスタビライザー送る。「いいですね、お宝みたいだ」と電話いただき
有頂天になる。今から思えば先生のお声を聞いたのは、これが最期だった。

2月 この月は比較的余裕があったので方舟にお邪魔しようと考えていたが、雪降りで
中止。春になったらまた、と思っていたらとんでもないことになってしまった。

3月 FE−208ESという、とんでもないユニットが発売されるらしい。これを買わずには
居られない。ウワサでは相当なスグレモノと聞く。早く欲しいなあ。ワクワク。

4月 208ESが届いた。頑丈な箱に入ったそのユニットは見た事がないようなコーンの
形状、10,5Kgという重さ、奥行きの深さなどに驚かされるものだった。凄い。

5月 こんなことがあるのだろうか。ああ、なんということだ。いやしかし、いつかは必ず
やってくる日なんだからと、思い直してはまた悲しむ。先生はご自身の終焉
までもハイスピードに徹しきって、卒然と逝ってしまわれた。最大の悲しみ。

6月 悲しみは癒えない。日を追って深まっていくようでさえある。が、ヘコんでばかりも
居られない。炭山さんには以前からPCネットを薦められていたので、ここは
一丁やってみるか、と3秒考えて決定。しかし、最初から躓く。前途多難だ。

7月 長岡先生宅へ弔問に伺う。ご霊前に一抹の香をお供えし一巻の経を読誦する。
奥様がお茶を淹れて下さった。僕は暫し先生の思い出を語る。奥様はそれを
喜びと深い悲しみの表情で、聞いてくださる。今日が、本当のお別れである。

8月 PCとの悪戦苦闘が続く。インターネット接続は問題なく出来ている。Eメールも、
どうやら使える。だが、またしてはエラーが出たり凍りついたりしやがるのだ。
なんだこのヤローと強制終了、こんなんじゃ仕舞いにはぶっ壊れるなぁ、という
ところへ救世主登場。流離いの旅人氏である。原因は○○フィーであった。

9月 PC導入と殆ど同時に買った「ホームページビルダー」、全く役に立っていない。
これではイカンと強力な助っ人を呼ぶ。げんきまじん氏である。まじん号を
駆って、げんきまじょ子をナビゲーターにやって来てくれた。ようやくサイトの
原型ができる。ありがたや、ありがたや、南東に足を向けては寝られない。

10月 時間切れで完成まで至らなかったHPを仕上げるべく、またまた助っ人を呼ぶ。
再登場、流離いの旅人氏。足掛け三日間に渡ってHP作製集中講座開講。
遂にあとは転送だけというところまで達した。転送できなかったのはアホな
僕が事前にURLを取得していなかったから。が、10月3日深夜アップロード
成功。自分のHPを初めてオンラインで見た時の感激を、忘れることはない。
勿論、北東にも足を向けられず、そのうち立って寝ることになりそうである。

11月 毎日多くの人々がHPを見てくれている。アクセスカウンターはその数を順調に
伸ばしている。まったくお礼を申し上げるばかりである。ページを追加する
のはいいが、自滅しないようにしなければ。僕はひどく不精だからなあ。

12月 2000年は僕にとって、極めて変化の大きい年であった。その最大事はやはり、
長岡先生のご逝去である。悲しみと喪失感は今も大きい。しかし、先生は
亡くなったのちも、新たなる「縁」を結んで下さっている。「ナガオカリンク」を
海図にして、箱船の航海は21世紀へと向かっていく。新世紀もがんばろう。

’00/12/27 (水)

半年

炭山さん達がパソコンを持ち込んでくれてからちょうど半年である。早くも半年、まだ半年と
いう感じである。しかしこれだけはハッキリと言える。もし持ち込んでもらえなかったら、僕は
未だにPCユーザーになっていなかっただろう。「インターネットォ? そんなモンやらんでも
死なん!」「E-メールだぁ? 自分の手で書きゃーいーじゃねーか」とタレていたに違いない
のである。それは正に負け惜しみに相違ない訳で、心の中では「ネットって楽しそうだなァ」
「僕もHP作りたいなあ」と、羨望の思いが渦巻いていたのである。にもかかわらず自分でコト
を起こす気には中々なれなかった。無知の悲しさ、である。実際、PCがウチへやってきて、
「ああ、買って良かった」と思えるようになったのはつい最近のこと、炭山さん達がPCを設置
して帰ってしまったその夜、「こんなもん勢いで買ってしまって、このまま粗大ゴミになったら
どうしよう?」と胸のあたりがドヨ〜ンとしたのだった。二日後、プロバイダと契約し、こうして
ネット出来るようになり、10月にはHPをアップすることもできた。半年前からみれば隔世の
感アリ、である。正におかげさまでしたという他にないのである。PCの導入は、僕に大きな
恩恵を齎した。ネットから得られた一番大きなもの、それは情報ではなく人との「縁」だった。

’00/12/26 (火)

ちょっと再編成

少しだけHPの構成をいじってみた。これまでは「スピーカー達」のページにADスタビライザーや
Cスタビライザーやらがゴチャまぜになっていてそれが気になって気になって、樹に生ってしまい
そうだった。掲示板でご指摘いただいたように、現用スピーカーの製作動機、設計意図について
の記述があったほうが良いのはよく承知していたのだが、同一ページに異質なものを混在させて
しまったが為に、身動きが取れなくなっていたのである。これは偏に僕のHP製作に対する認識
不足、技術不足が原因だ。つまり、PCが良く解っとらんのである。お恥ずかしい限りであります。
樹に生る前に何とかせねば、ということで「スピーカー達」のページからアクセサリー類を分離して
「箱船のアクセサリー」ページを追加した。これでSPについて記述しやすくなるし、何より閲覧頂く
のも楽になるだろう。アクセサリー類はこの先順次紹介していくつもりだが、山のようにネタがある
わけでもないので細々と小出しにするか、などとセコいことを考えている。今日は独立記念という
ことで、2品紹介した。でも、あれってアクセサリーというより“道具”だな。初日から早速脱線か。

’00/12/25 (月)

冷たいのはお好き?

猛烈に寒いと思ったら、やっぱり雪降りである。はっきり言って吹雪だ。夕方オツトメへ出かけて
その帰り道、横殴りの風とバケツをひっくりかえしたような雪で前が見えないほどだった。ホンの
一時間ばかりで10cmの積雪、このまま続けば明日の朝40cmはカタイだろう。ウチの周辺は
この町の中でも雪が多いところで、車で5分走れば随分積雪量が違ってくる。地形のせいか、或
いは風向きのせいか、ともかく雪の吹き溜まりになっているようである。昔は現在よりも、もっと降
ったそうで、1963年(昭和38年)には250cmの積雪を記録し「サンパチ豪雪」と語り継がれて
いる。近年はせいぜい1m止まり、昔を知る人達は「こんなモン大したことない」と涼しい顔だが
僕にはやっぱり堪えるのである。何よりイヤなのは、フットワークが重くなること。これがカナワン。

’00/12/24 (日)

やっぱり壊れてた

可動部分を持つ機器は、永く使わず放置すると再び使おうとしたときに故障していることが多い。
ご経験がおありの方も多いだろう。そういう状況にあったCDプレーヤー、ヤマハCDX−10000を
2階で使おうと、久しぶりにラックに載せてみた。コードをつないで電源を入れ、2時間ばかりその
ままにウォーミングアップ、温まったところでオープンボタンを押す。「・・・・」反応なし。開かない。
もう一回押してクローズしたつもり、さらにもう一回押してオープン。「・・・・・・ググググ」重病人が
ベッドから起き上がるようにゆっくりトレイが出てきた。この段階で「あ、これは故障だな」と思った
が、せっかくトレイが出てきたんだからプレイしてみたくなる。CDを載せてクローズ、また「グググ」
と閉まる。すると今度は中から「シュシュシュシュ」と何かが擦れたような音が聞こえる。いよいよ
おかしい。TOCも読めないようである。これはもう要修理だが、一応中を見ておくかと天板を開け
ドライブメカ部を調べてみたら、クローズした後、トレイを下方へ引下げる為のモーターとベルトが
ヘタっているようだった。そのせいでディスクとトレイが擦れて回転が不安定になりTOCを読めなく
なっているらしい。トレイが引き込まれた瞬間に、強制的にトレイを押し下げると正常に動作する。
プレイもOKである。オーディオ系は健全で、音には問題がない。メカ部分のみの故障らしい。購入
して13年、まともに使わなくなって4〜5年、なんだか気の毒だ。年末だが、修理に出してやろう。

’00/12/23 (土)

梵鐘試録

くずてつ生録シリーズ第四弾「梵鐘」。(え?第三弾はどうしたって?来年初頭にご案内の予定。
内容は...)そのテスト録音をしている。一回目は、鐘から約5m、高さ160cm、マイクの間隔は
25cmというセッティングで試してみた。結果は悪くなく、箱船システムでPBしてみてもなかなか
良い感じで聴けるものになった。ただし、撞木が鐘に当たった時のアタック音がやや弱い。生音に
比べて立ち上がりが鈍くなってしまった。勿論、生音と寸分違わない音など不可能だが、それでも
もう少し立ち上がりをシャープに出来ないものだろうか。と考えて、二回目は高さ、間隔などはその
ままに、マイクを2.5mまで近づけてみた。仰角もやや大きめにし、鐘を正面に捉えて再挑戦する。
結果は大失敗。原因は極めて単純、マイクを近づけすぎたのである。梵鐘のアタック音は、人間が
耳で感じている以上にエネルギーが大きいらしい。「ゴーン」の「ゴ」部分で完全にマイクがクリップ
し、ジリジリと厭なノイズが乗ってしまった。耳の機能は非常に優れていて大入力があるとそれに
素早く反応し自動的にリミッターがかかるらしい。正確には脳が制御しているのであろう。マイクや
DATは、そうは行かないらしく、物理的エネルギーそのままを記録しようとするので、聴感との差が
大きく、今回のような失敗を招くのである。こんなことは録音のプロ、あるいは生録のベテランなら、
常識なんだろう。だが、僕はやっぱりドシロウト、お約束の如く失敗しそれによってコツを覚えていく
しかないのである。一回目と比較すると音に力はついた感じだが、音像が肥大気味で、音場感を
著しく阻害している。クリップノイズを除けばこれはこれで悪くないと思うがやはり、NGテイクだな。
立ち上がりよくしかも音場感豊かに余韻も美しく、というところを狙うには、機器か腕か。腕だろうな。

’00/12/22 (金)

SAYDISCのクリスマス

街を歩くと、それはクリスマスムードでいっぱいだ。オメーには関係ねえだろ、と言われそうだが
近頃はこちらも間口が広くなりまして、ウチの居間にはツリーが飾ってあるんです、スミマセン。
そこでこのCDである。「JOY TO THE WORLD」 (P)1977/1979 英 SAYDISC CD-SDL357。
ゲオルグ(ジョージ?)・シュミット演奏のパンパイプ(パンフルート)による20曲すべてクリスマス
ソング、49分20秒。曲は馴染み深いものが多く、「聖しこの夜」「緑の樅の木」「ジングルベル」
「赤鼻のトナカイ」など。SAYDISCのクリスマスCDといえば長岡先生がA級外セレ第三集で
紹介された「魅惑のキャロル」(CD-SDL327)をご存知の方が多いと思うが、このCDも優秀だ。
伴奏にオルガンとパーカッションが入る。録音は東フランスの小さな町(語学力不足でスペル
が読めません。ごめんなさい)にある教会で行われた、らしい。エコーがきわめて美しく、厳かな
気持ちになる。パンパイプの暖かくしかも鋭い音色が良く捉えられたいい録音である。「赤鼻の
トナカイ」、「ジングルベル」ではパーカッションがチャーミングで、僕は特に気に入っている。AD
も持っているがCDも優れていて、差は少ない方だと思う。こんなに良いソフトをリリースしていた
SAYDISCが今、存続を危ぶまれているという。リベルテさんが、AE86さんの掲示板で語って
いらっしゃった。如何にも惜しむべき話である。SAYDISCが活動休止なら、当然AMON-RAも
共倒れか....。品位があって、優美で艶のあるいい音を聴かせてくれたレーベルだったのに。

’00/12/21 (木)

通販は翌日到着

一昨日、流離いの旅人さんが、そのHP中「本日の一家言」で秋葉原タイガー無線について
語っておられた。僕もこの店をよく利用している。秋葉原へ出かけるたび、かなり以前から気に
なる店ではあった。「無線」と名のってはいるが、電子パーツを扱っている訳ではなく「管もの」
専門店といった感じである。熱収縮チューブ、ガラス繊維チューブ、ゴムチューブなどが各種、
各色、各サイズ取り揃えて店先に所狭しと並べてある。天井からはいろんなチューブの長巻物
リールがぶら下がっていて、暖簾をかき分けるようにして買い物をしなければならない。そういう
店だから最初は利用しにくかったのだが、このHPで紹介している「6NCuラインコード」の材料
を買ったのが付き合いの始まりだった。秋葉原へ行くと必ず立ち寄って、この辺りでは絶対に
買えない材料を調達していたが、こういうことをやっていると必ずあるのが“買い忘れ”である。
帰ってみると、あれがない、これも忘れたとジダンダを踏むわけだ。このへん田舎住まいの悲
しいところである。「通販も可能」とは何処にも案内はないが、頼んでみるかとタイガー無線の
領収証から電話番号を調べ、かけてみた。「通販は可能ですか」と訊ねると「ええ、やりますよ。
必要な物と送り先を書いてFAXして下さい。折り返し、送料込みの値段と振込先の銀行口座を
書いてFAX送りますから」と大変親切に対応してくれた。更に、「振込み確認後、商品を発送
します。あ、そうそう、もし急ぐんだったら銀行の振込み受領証をFAXしてくれればすぐに発送
できますよ。それが一番速いね」という。なんという親切な店なんだろうと感激一入である。通販
で一番気になるのは、頼んだものが間違いなく届くかどうか、という点だと思う。タイガー無線は
そこも抜かりはない。注文FAXを受けるとすぐ電話があり「このチューブ、本数は○○と書いて
あるけどこれで間違いないね」「同じタイプでもメーカーが変わっちゃったんだけど大丈夫かな」
と確認してくれる。もちろん他にも親切なお店はあると思うが、こういう訳で、専らタイガー無線を
贔屓にしている。この頃はすっかりご無沙汰だが、そういえばSFチューブが無くなってるなあ。

また、頼まなきゃ。早ければ翌日には到着するし。

’00/12/20 (水)

少年座禅会?!

近くの小学生達がやっている少年野球チーム。僕と監督とは同年代で友達だ。その彼から先日
電話があり「座禅させてくれ」という。詳しく訊くと更にこう言った。「どうも勝てない。技術的には
そんなに劣っていると思えない。だが集中力に欠けているようだ。何か良い策はないかと考えて
いたんだが、オマエのことを思い出した。座禅で気力を充実させられないだろうか」。うむ、全くの
見当外れではないと、僕も思う。が、座禅というもの、今日始めてすぐに違いが出るというような、
即効性は全く、無い。一日のうち、座禅に割く時間は短くても良く、それよりも続けることのほうが
大切である。1年、2年と時間をかけて初めてなにがしかの効果があるという、実に大陸的精神
作業なのである。生まれがインド中国だから仕方がないか。そう言うと「それでも良いからさせて
くれ」と熱心に言うので、ほいじゃ一つやってみるかと引き受けて、今日がその第一日目だった。
座禅は通常約45分を一区切りとする。しかし相手は小学生、しかも初めて座禅をするという子供
がほとんどである。45分はとても無理、30分間貰って20分間を説明に充て、実際に座るのは10
分間とした。小三〜小五の子供達にとって10分間じっとして居ろ、動いてはいけないという注文は
拷問に近いものである。動いたヤツは警策(シャモジの親方のような平たい棒である)でぶっ叩くぞ
と最初に宣言しておいたので、それでもヒッシに座っている。体と呼吸と心を整えて、静かにじっと
座ることなど、凡そ無くなってしまった昨今、彼らにとっての座禅とは一体どんな効果を現すのか、
この先が楽しみでもある。脚がシビレたぁ〜。これが彼らの感想であった。結構でございます。

’00/12/19 (火)

スタッドレス・タイヤ

交換しなきゃあなぁ、面倒くさいけど。ノーマルタイヤのままでは、死にかけること間違い無しだ。
一昨年だったか、交換をサボってノーマルのまま大江山の峠を走り「後方一回転半スピン横向き
対向車線上停車」というウルトラCを決めてしまったこともあったしなあ。対向車がなかったので、
10.00!ってシャレになりまへんな。今年は、2月に降った雪が屋根から落ちてボンネットがへこん
だり、9月に倉敷へ行った時後輪のベアリングがぶっ壊れてゴリゴリゆったり、くずてつ号受難の
年だったので、気をつけたほうがイイかもしれない。では、やるか! あっ...カミサンのもか..。

’00/12/18 (月)

源氏物語

一昨日の土曜日、「混浴温泉 連続殺人事件」なんていうバカバカしいドラマが放送されていたが、
その中で「源氏物語」が謎解きの鍵になっていた。ぼんやり見ていたのだが、ああ、そういえば長岡
先生の推奨盤に「紫式部-源氏物語」ってのがあったなあと思い出して、久しぶりに聴いてみた。
そのCDがこれ。(P)’87年EPIC/Sony 32・8H-148、音楽は細野晴臣である。当時としては
めずらしい紙ケース入り、豪華なジャケットである。琴、笙、能管など雅楽器と共にシンセサイザー等
を使った楽曲はいかにも細野調、なかなか良い。劇場アニメのオリジナルサウンドトラック盤である。
特筆すべきはその音場感である。マルチモノには違いないのだが、スピーカーマトリクスで再生すると
音場が部屋いっぱいにファッと拡がり非常に気持ちが良いのである。音は切れが良く、見通しも良い。
聴感上のレンジは広く力がある。僅かだがほこりっぽい感じもあるが、殆ど気にならない程度である。
13年前と古い国内盤なので、現在手に入るかどうかちょっとわからないが、持っていても良いCDだと
思う。特にスピーカーマトリクスファンにはお薦めである。先生がいつどこで紹介されていたか、やっと
わかった。「長岡鉄男のディスク漫談」176項「大霊界の音楽会」の段で紹介されている。でも、僕の
記憶では、ほかでも紹介されていたような気がするのだが。「AV FRONT」に連載されていた「ディスク
ホビー」のバックナンバーを繰ってみるのだが、どうもわからない。何処だったっけなぁ、気になるなぁ。

’00/12/17 (日)

思わぬ効用

たった二ヶ月しか使わなかったチャンデバだが、意外なところでメリットがあったようだ。カットオフ
を下げ、レベルを上げていたせいで、ウーファーのエージングが急速に進んだようなのである。そう
いえばソフトによっては、ウーファーが軋むような音を出していたっけなあ。あれはきっと悲鳴だった
に違いない。JBLのE−145というウーファーはもともとがSR(Sound Reinforcement)用のユニット
である。38cmとしては、コーンが軽く磁気回路が強力、エッジは幅が狭くサスペンションが硬い、
つまり動きにくいユニット、オーバーダンピングタイプである。f0は40Hzと高く、Q0は低い。早い話が
超低域が出にくくしかし壊れにくいという、正しくもSR用ユニットなのである。耐入力は一発あたり
600Wと大きい。僕が大音量派だといっても、これまでの使い方でこのウーファーを軋ませることは
ゼッタイになかった。用途が違い、エージングもなかなか進まなかったのだろう。そこへチャンデバ
を入れ超低域でブルブルやったものだから、仕方無しにエージングができてしまったに違いない。
どうしても詰まった感じが抜け切らない低域だったが、かなりスムースに出るようになったと思う。
こうなると欲が出て、またぞろチャンデバかコイルの交換か、と善からぬことを考えるのである。

’00/12/16 (土)

好奇心

オルトフォンの新しいカートリッジKontrapunkt-a(ドイツ語で“対位法”)興味あるなあ。劇的に
安くなっているが、MC Jubileeの量産効果だろうか。それとも価格相応に簡素化された部分が
あるのだろうか? 磁気回路にネオジウムを使ったクローズド・マグネチックサーキットを採用して
いるのはJubileeと同じ、6N銀線コイルも同じ、基本的なデザインも同じ、である。Kontrapunkt
のデータは広告に載っていて分かるのだが、Jubileeのほうは全くわからない。何処を調べても
僕手持ちの資料には載っていないのである。紹介記事は幾つかあるのだが、データは記載されて
いない。Jubileeを現用している人達から話を聞くと、いずれの人も絶賛されている。Kontrapunkt
や如何に。やたらと好奇心が強い僕としては、非常に気になるカートリッジである。買ってみるか?

否、その前にやっぱりMC Jubileeだろう。

’00/12/15 (金)

今日は晴、明日は?

めずらしく今日は、すごく好い天気だった。一片の雲もない青空、気温も16℃くらいはあったろうか。
この時期としては滅多にないことである。が、しかし「冬の南(風)は雪つれる」と村の古老は言う。
そのとおりなのであった。こういう好天のあくる日は体感確率99.9パーセント雪なのだ。暖かい南風
は気持ちを穏やかにしてくれるが、その後はたいがいとんでもないことになるのである。今日も吹いて
いたなあ、南風。明日は冬型、雨か雪だろう。まだ冬になったばかりだが、早く春になってくれいっ!

’00/12/14 (木)

人気あるんだなあ。「竹」のCD。既に持っている人は勿論、うちで初めて聴く人も多くの人が気に入って
しまうようだ。このCD、長岡先生もFMfan’98年6号(’98年2月18日発売)誌上ダイナミック・ソフトで
紹介されている。フランスshootingstarレーベル、演奏者はPierre ESTEVE(ピエール・エステヴ?)
タイトルは「BAMBOO」、正に「竹」である。僕は先生が紹介される前に、あるベテランオーディオファン
の友人から「ヘンなCD見つけたよ」と教えてもらい京都の十字屋で手に入れた。ナニがヘンと言って、
そのケースである。普通のプラケースではなく、もちろん紙ケースでもない。あっ、なんということだ、木と
竹でできたケースに入っているのである。でかくて、重くて、さらに開けにくい。開けにくいというよりは、
どうやって開けたらいいのか解らない、と言ったほうが正確かな。とにかくヘンなCDなのである。CD
が「BAMBOO」だというのも困った話である。僕は店頭で買ったから問題なかったが、注文購入した人は
随分困ったと聞いている。これだけ「変」で価格は僕が買った店では¥4,800、高価いのである。これで
内容も「変」だったら暴れてしまうが、これが優秀なのである。すべて竹で作った楽器のみで演奏した、と
あるが、部分的にはシンセサイザーなども使っているように聴こえる。音は鮮明で切れが良く、力がある。
鳥の声や自然音もミキシングされているが見事にサラウンドする。スピーカーマトリクスでも2ch再生でも
イケる。楽曲もフランス人の東洋趣味にしては良く出来ていて、全体になにかしら暖かさと懐かしさを感じ
させる。竹製の管楽器が中心だが、尺八ほどハスキーではなく、フルートよりまろやかという不思議な音色
を聴かせるのである。打楽器も竹製、ジェゴグを思い浮かべるが、あれほどパワフルでもない。ともかく、
一聴に値するCDだと思う。紹介されてから3年近く経つが、まだ買えるらしいのでお持ちでない方は是非。

フツーの店で頼んだら「北島三郎の竹」しかないと言われたというハナシもあるが。

’00/12/13 (水)

再び 御礼

アクセスカウンターが8,000件を超えた。10月3日深夜にアップロードして72日、1日あたり110件
以上のアクセスを頂いた計算になるわけだ。ただひたすらにお礼申し上げるより他にはないのである。

みなさん、ほんとうにありがとうございます。

しかし、考えてみれば順調に更新を重ねているのは、この「航海日誌」と「箱船への道」のページだけ、
あとのページはほったらかし、である。「道」もいよいよ完成に近くなってきたし、そうなると他のページの
充実が必要になってくる。自己増殖的にコンテンツを増やしたは良いが、ガン細胞よろしく最後は自滅、
なんてことにならない様にネタを考えておかなきゃいけないなあ。近日中にコンテンツを再編成することも
考えにいれておくべきだ。自己満足の極致、只の「戯言」とは言うものの閲覧いただいているわけだから。

今後ともよろしくご閲覧くださいますことを、伏してお願い申し上げます。

’00/12/12 (火)

あれから一年

 今日は朝から、なにかしら懐かしいような少し悲しいような気分だった。何故だろうと考えるがどうもわからない。雪降りで気が滅入っているのかといえばそうでもない。夕方箱船へ入ったとたん、あっと気がついた。

 最後に長岡先生と会った日から一年が経つのである。同じ季節がやってきて、記憶が呼び起こされていたんだなァ。ああ、もう一年経ってしまった。あの日は炭山さん、AE86さん達も方舟に来ていて、とっても楽しかった。ダイナミック・テストの手伝いをしたんだっけ。先生もお元気だった。

 方舟を辞する時、先生と交わした会話はいまでも忘れることはできない。多分これからも。

 「先生、寒い時期ですからお体には充分注意なさってくださいね」「いやね、注意はしてますよ。でもねもうトシだからね、わかんないですよ、どうなるか」「そんなことおっしゃらないで、どうかお元気でいらっしゃってください。またお目にかかります」「ハイハイ、じゃあ」と先生は照れくさそうに母屋へ入って行かれた。

 それが先生との本当のお別れに、なってしまった。「またお目にかかる」のは絶対不可能になった。あれから一年、僕はあらためて思い知るのである。

 今この瞬間(とき)が、どれほど大切かを。

’00/12/11 (月)

初雪

「近畿地方は今夜から明日にかけて冬型の気圧配置が強まり、北部を中心に荒れ模様の天気になる
でしょう....」嗚呼、遂にやってきた。雪、だなこりゃ。天気図を見ると、等圧線の間隔が狭まり見事な
縦じま模様、絵に書いたような西高東低である。これからさらに強まるなどと、恐ろしい事を言ってる。
「季節風の吹出し口に伴う筋状の雲」が「ひまわり」の画像にハッキリと写っている。こうなるともうダメ。
冬だけに限れば、僕は「気象予報士」になれるんじゃないかしら。この風の匂いからすると、夕方6時頃
から降るな、と読んでいたら大当たり。初雪である。「年々歳々花相似たり 年々歳々人同じからず」と
いうが、季節もまた「時」を知っているようだ。地球温暖化だの暖冬だのヒートアイランドだのと喧しい。
けれどもやっぱり、「時」が来れば雪は降るのである。毎年はかったように、12月10日前後、である。

除雪機のエンジンを始動してみる。大丈夫、明朝は雪スカシかなあ。

’00/12/10 (日)

冬のお約束

久しぶりに風邪を惹いてしまった。鼻水、クシャミ、咳、発熱、関節の痛み、頭痛、とフルコースである。
昨日辺りが症状のピークだったらしく、今日は少しく楽になった。体がシンドイのも困るが、気力が減退
するのはもっと困る。20代の頃には無かった感覚である。体が多少辛くても、やるぞと思ったら動けた
ものだが、モウダメ。動けまシェン。情けねー。箱船を計画したとき、「若いうちが良いよ。歳を取るとね、
無理してでもやろうという気力が無くなるから。今の内にやっときなさい」といってくれた人たちの気持ちが
少なからず分かるような気がする。体力も勿論大切だが、それを上回るほどの気力を持ちつづけるのは
もっと大切で困難なことらしい。ともかく今はこの風邪が早く治って欲しい。もおええやろ〜、シンドイぞ。

’00/12/09 (土)

また御出でください (四)

タガミさんご持参のADは、懐かしくもマニアックなものだった。60’S〜70’Sロック中心である。この手の
レコードを持参された人は初めてじゃないかな。実は僕のADラックの中にも沢山混じっているのだった。
MOUNTAIN(ワカルかな?)LIVEから「ナンタケット・スレイライド」(ワカルかなぁぁ?)を聴く。タガミさん
大喜びである。それじゃあもう一発と、CREAMの「アイム・ソー・グラッド」(LIVE)をかける。と、タガミさん
突然立ち上がってスーパーネッシーとサブウーファーの真ん前に座り込む。曲が終わるまでその状態で
聴き続け、終わって一言「最高やぁ〜、この曲何回聴いたかわからんけど、こんなん初めて! ジャック・
ブルースが目の前におる。マーシャルがそこで鳴ってる! 最高!」。この後、二人のロックオジサンは、
延々とムカシロックの話題で盛り上がるのだった。僕が感激したのは、タガミさんがBBA(ベック、ボガート
&アピス)’73年5月18日の大阪公演をリアルタイムで体験しておられたことであった。このコンサートは
「BECK BOGERT&APPICE LIVE」としてアルバムになっていて、僕の愛聴盤である。さらに聞けば
そのとき、ティム・ボガートと握手したというではないか! クーっ、なんて羨ましい。うらやましいので、すぐ
そのアルバムを引っ張り出して聴くことにする。曲が終わったところで二人揃ってハクシュー。オッサン二人
はさらに盛り上がるのだった。時間は既に19時を廻っている。喜んでばかりもおられず、そろそろお帰りの
時間である。タガミさんのお好みと、うちの音が上手くマッチしたようで安心したし、僕も楽しかった。再会を
約し、握手して見送る。これで今回のご来客は予定終了、さすがに疲れたが、実に楽しく、濃いい2日間
であった。皆さんがお帰りになった後の箱船は、僕と同様、なんだかホッとしているように見えたのだった。

’00/12/08 (金)

また御出でください (参)

あっ、もう11時半だぁっ。えらいこっちゃ、今日(12/4)はタガミさんが御出でになるのに。まだゴハンも
食べてないぞ。急ぎ箱船へ入ってみるとげんきまじんさんは既にお目覚め、1階で音を聴いておられた。
WROMさんはまだ夢の中、フトンと一体化している。カーテンを開けて朝(否、昼前)の光を入れるが、
一切反応せず爆睡状態。起こすのが気の毒になるがそうもいかないのでご起床願う。お二人に洗顔を
薦めて、さっぱりしてもらったところで朝昼兼用のゴハンを食べに出かける。タガミさんからは「昼過ぎに
着く予定」とメールを頂いているがすでに13時半、帰ったら到着されているかもしれないので急いで戻る。
タガミさんはまだだった。昨日思いっきり聴けなかったまじんさんご持参の芸能山城組「輪廻交響楽」を
聴くことにする。ADである。CDでは持っているが、ADで聴くのは初めて、これは強烈だった。かなりの
大音量だが、まじんさんは目を閉じて聴き入っている。さすが、大物、である。実はまじんさん、山城組
マニアなのである。初めて御出でになったときも「アキラ」のCDをとんでもない大音量(スーパーネッシー
がビリついた!)で鳴らし、他の人をぶっ飛ばした前科(失敬!)があるのだ。一面を聴き終えて、WROM
さんご希望の第四楽章へ〜というところでようやくタガミさんご到着。お聞きすれば、三重県からといっても
ほとんど愛知県寄り、6時間の行程だったそうだ。本当にご遠方をお疲れ様。もちろん初対面、その仙人
のような風貌に只者ではない雰囲気が漂っている。御自身は「ネッシーII」を製作、当初トゥイーターに悩み
今はサブウーファーに悩んでいるとおっしゃる。自作されているからといって、特に長岡マニアではなく、どち
らかといえば音楽ファンでいらっしゃる御様子。しかし、お好みの音量はデカイ。御持参のADを少し聴いた
ところで、げんきまじんさんタイムアップ。今回は沢山良いADを聴かせてもらった。ありがとうございました。
再会を約して固く握手、まじん号を見送る。タガミさんにはまだお茶も飲んでもらっていなかったので、2階で
コーヒータイム。その間、WROMさんとタガミさん、二人でサブウーファー談義に盛り上がる。「スピーカー工
作全図面集/2」や、STEREO誌のバックナンバーなどを引っ張り出して、ああでもない、こうでもないと思案
投げ首である。そうこうしている内にWROMさんもお帰りの時間がやってきた。最寄の駅までお送りしなけ
ればならない。タガミさんには一刻お待ち願って出発する。駅で、再会を約しこれまた固く握手、無事定刻の
特急列車にご乗車いただけた。箱船へ帰り、再び試聴を続ける。この後、タガミさんの反応は強烈だった。

あれ? まだ終わりませんね。またまたまた明日に続く。

’00/12/07 (木)

また御出でください (弐)

プロジェクター、スイッチオン。ここから20分待たねばならない。すぐに投射もできるのだが、待った
ほうが少しでも綺麗である。その間、DVD−H1000のウォームアップを兼ねてCDを再生しておく。
WROMさんはDVDを数枚持ってきてくれた。まじんさんはDVD、LDを数枚。実はMDP−999の
調子が非常に悪く、今LDは再生不能なのである。まじんさん、残念そうである。ごめんなさい。LD
のことは全くアタマにありませんでした。999、早いとこ修理に出しとかなきゃあなあ。あれだって、
そのうち修理不可になるだろうし。LDは諦めてDVDを見る。まじんさんはこれまでに2回ご来訪だが
映像を見てもらうのは今回が初めてだ。WROMさんの映画ソフトを、インターレースとプログレッシブ
両方で見る。いろんなシーンを頻繁に切り替えながら落ち着きのない視聴であった。輪郭の自然さ、
きめの細かさ、肌の質感、背景のぼけ味などではプログレッシブ。映像Dレンジ、画の力感、スピード
感、エッジがキリッと立った感じ、などの点ではインターレース、というのがまじんさん、WROMさんの
共通したご感想であった。プログレッシブは、これからまだ良くなるだろう。現用の1252QJはメモリー
バスが少なく、一つの入力に対して一つの映像アスペクトしかメモっておけない。この辺り、いかにも
前時代的プロジェクターである。まじんさんお手持ち、4:3スクイーズなしソフトをプログレッシブで見ら
れなかったのは残念。勿論設定変更してメモリーし直せば可能だったがメンドーでした。ごめんなさい。
そうこうしている内、時間は本当に朝になってしまった。さすがに眠い。ここまでにして、お休みなさい。

ありゃ、まだ12/4まで行けない。またまた明日に続く。

’00/12/06 (水)

また御出でください (壱)

爆裂ソフトのオンパレードである。「自衛隊」、「花火」、トランセスレーベル(パルクールをリリース
しているレーベルだ)の新録音、INA/GRMレーベルの「仮想のコンサート」、etc.etc.....。
これらをこのシステムで大音量再生すると確かに強烈、痛快ではあるが、こんなのばっかりでは
ゲンナリするのもまた事実。誰からともなく「”音楽”を聴きましょう」という声あり、当たり前だな。
今回はげんきまじんさんがアナログを多く持って来られていたので、それらを次々に聴く。中には
”音楽”ではなく”音が苦”みたいなソフトもあったが、そっちへ行きそうになるのを引き戻しながらの
試聴であった。お持ちのアナログソフトはどれもいい録音だった。カートリッジはオルトフォンMC−
Rohmann、フォノイコライザーはヤマハHX−10000という組み合わせである。C−17+C−280V
に比して低域の力強さが印象的と、これは皆さんのご意見。あと、シェフィールドの「DRUM RE
CORD」、「JAMES NEWTON HAWARD」、テラークの「チャイコフスキー4番」など、かなりの
タイトルを聴いたが、全部は覚えていない。時間は既に23時を廻っている。DVDなどもお見せした
かったが、ROKUさん、Kさん、UENOさん、Tさんはこれからお帰りである。明日、月曜日は勿論
皆さんお仕事、これ以上お引止めする訳にもいかない。身支度を整えていただいて外へ出てみると
日本海側特有の冷たい雨。それぞれにご遠方、夜の雨は心配である。それでも仕方がないので
無事のご帰還と再会を約して固く握手し、まじんさん、WROMさんの3人で見送るのであった。

さて、残った2人、これがまた一癖も二癖もある御仁である。見送りで冷えた体を温めようと、2階
で熱いコーヒーを飲む。この後、朝方までのプロジェクター+DVDの視聴が始まるのである...。

さらに明日に続く。

’00/12/05 (火)

皆さんいらっしゃいませ

12月3日昼過ぎ、今回のお客様第一陣UENOさん、Tさんご到着。早速箱船へご案内..と、
UENOさん「これ、おみやげです」と、大量の牛肉。うっひゃ〜、スゲエ。冷蔵庫へ仕舞いこみ
箱船へ。一通り音を聴いてもらい、2階でひとやすみしていると、入り口のドアが開く音がする。
げんきまじんさんのご到着である。「開いてたから勝手に上がってきた」とニコニコ顔で固く握手
する。UENOさん、Tさんを紹介して再び1階へ移動。大音量でガチャガチャやっていると、そこへ
ROKUさんから電話アリ。「今、着きました」。箱船に引き篭もってしまうと外の事が分からない。
音を止めてROKUさんを出迎える。再会を祝してこれまた握手。皆で2階へ移動して、お茶を飲む。
そこにKさんから電話、「近くまで来ました」。現在位置を確認してお迎えに行く。うちから車で5分の
ところまで来られていた。寒い中を車の外でお待ちいただいて、恐縮でした。無事落ち合い、箱船へ。
そうこうしているうちに時間は17時前、WROMさんを迎えに行かなければならない。彼のみ、鉄道
利用である。「天橋立」で無事再会、途中で晩御飯を調達して帰り、みんなで楽しく会食。初対面の
人あり、既知の人あり、年齢もバラバラだが、話をしてみると意外なところで共通の友人があったり、
中古品の情報を交換したり、使いこなしの相談をしたりでとても楽しかった。車の運転を控えている方
が多かったのでビールの売れ行きが悪かったのが残念。日帰りされた皆さん、今度は泊まってね。
1階へ移動、みんな揃ってご試聴タイム。CD、AD中心に聴いていく。僕も含めて7人が入るとかなり
音が変わるのが分かる。人間は結構な吸音材になるのである。聴いているのはそれぞれがツワモノ
マニア、ホストの僕はまるで裁判官の前に出た未決囚のような気分である。「僕が聴いて気持ち良い
ように決めてますから、皆さんのお好みかどうかは分かりません」などと、当たり前の事を言い訳に
ホザいてしまった。アホですな。そんな訳で、実に楽しい時間だったが緊張もしたし、些かくたびれた。

この続きは、また明日。

’00/12/02 (土)

掃除だ

えらいこっちゃ。まだ掃除と整理が終わらない。特に2階。物が溢れかえってどこから手を
付ければいいのかわからんぞ。これでは恥ずかしいので、とにかく続きをがんばることにする。

明日と明後日の日誌はオヤスミさせていただく。12月5日にご来訪の報告をまとめる予定。
よろしくお願い致します。

’00/12/01 (金)

さあ、ご来客

CD−R発送作業もようやくメドが立ち、一息つけそうである。無事到着のメールを沢山頂いて
いるが失敬にも返信が出来ないでいる。申し訳ありません。この場を借りて御礼申し上げます。

ご連絡ありがとうございました。よろしくご試聴ください。

さて、少し落ち着いたところで、12月3日は賑々しくもご来客だ。オツトメのない日曜日は本当に
久しぶり、そこをめがけて約6名のお客様ご来訪である。僕としてもうれしい限りではあるが、一つ
問題があるのだ。それは、部屋の整理と掃除、である。1階オーディオルームはCD−R焼き作業と
HX−10000の対策作業の残骸でグッチャグチャ、2階ゲストルーム(ってほどのモンでもないが)は
PC関連作業とジャケット製作の残骸でもっとグッチャグチャ、こんなモンどないすんねん状態である。

明日一日で片付くんだろうか。ワタシャ心配だ。