箱船航海日誌 2003年01月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’03/01/31 (金)

OCORA


 結局積雪は40cm程度で済んだ。これくらいならそんなに大事にはならない。だが、庭の除雪は必須である。それが終われば今日はゆっくりレコードを聴くつもり、だったが予定通りに行かなくなるのが僕の仕事である。ほとんど聴けずに終わってしまった。

 なじみのレコードショップから届いたのは、ocoraレーベルが5タイトル。以前から依頼してあったものである。と言ってもタイトルを指定したわけではない。「仏HM、ASTREE、ocoraなんかは入荷があったら全部買うから」と、極めて乱暴な注文の仕方である。

 そのうちの一枚「Georgie/Chants religieux Vol.2」(558 544)である。いい加減なことに、まだ聴いていないのである。聴いていないレコードを紹介するという、神(僕のバヤイ仏か)をも恐れぬ行為をやらかすのは僕くらいのもんだろう。だから内容については全く分からない。いい加減ですな。

 このタイトルはジャケットに特徴がある。二ツ折れダブルジャケット仕様だが、表紙には四角い切抜き窓があり、閉じると内側右ページの写真がそのまま表ジャケット写真にもなるという、妙な構造になっている。「覗き窓式ジャケット」とも言うべきか。レコード本体は右側に入っていて、折り目部分から取り出すわけだ。

 このタイトルに限らず、A級外セレ第一巻94番「Burundi」(558 511)も同じジャケット仕様のものを見たことがある。お手許にある方もいらっしゃるだろう。僕手持ちの「Burundi」は表紙に写真を印刷したごく一般的なジャケットである。どうやら発売当初のものは「覗き窓式ジャケ」になっているらしい。再発を繰り返すたびにだんだん省略され、最後はシングルジャケットになってしまったタイトルもある。

 純然たる中古盤、外観には傷みが目立つし盤質もイマイチ。だが、このジャケットだけで僕はちょっと嬉しくなってしまいました。

 これに満足して、聴かずに終わってしま....っては遺憾な。

’03/01/30 (木)

今回はホンマモン


 猛烈な吹雪である。昼過ぎまではパリパリの晴天だった。午後2時頃から降り始めた雪は夜になって更に激しく、気温はグングン下がり午後10時前で氷点下3度。写真左は愚妻の愛車パジェロミニの気温計である。ご覧の通り、もうすっかり雪に包まれ、車体下部にはご丁寧にもツララが下がっている。

 こうなると降った雪は全く融けず、ただひたすらに積もって行くのみである。現在30cm弱、明日の朝までに50cmは堅そうな感じである。

 気象情報では「一冬に一度有るか無いかの強烈な寒気団が南下している」と報じている。今年のこれまでは「口ほどにも無い」寒波ばかりで、すわ大雪かと構えたわりには大したことにならなかった。今回はどうやらホンマモンらしい。明朝は今季二度目の除雪機出動になること間違いなしである。現在丹後地区には波浪警報、大雪、風雪、雷、低温注意報が出ている。ありそうなことを全部くっつけたような警報注意報。こんなもん要らんのである。

 こんな日にオツトメがあるとヒジョーに憂鬱になる。が、上手いグワイに明日はOFFである。朝の雪掻きが済んだら、あとは何処へも行かず箱船に篭ってレコードを聴こう。丁度注文していたAD、CDが数タイトル届いたばかりだし。

 明日はソフトネタですよと、暗に仄めかしておくのである。

’03/01/29 (水)

音と仲間


 M85さんから先日の訪問記を投稿いただいた。あまりにも過分の評価だと、独り赤面するのである。ありがとうございました。

 '93年の箱船建築以来、何人のお客様が見えただろうか。記録を残していないので正確な数はわからない。が、この9年間、相当数に登っていることは間違いない。今後も増えてゆくだろう。

 僕は基本的に出不精なので、こちらからお邪魔するより御出でいただくほうがありがたい。いろんな人とオーディオについて語るのはとても面白いものである。千差万別、十人十色、同じようなことをやっていながら誰一人として同じ音を出してはいない。更に言えば、複数の人が同時にここの音を聴いたとしても、一人一人全く違った音に聴こえているという事実。

 ある人は「良い音だ」と言い、またある人は「こんな音キライだ」と言う。「ローが出すぎ」と言う人もあれば「ハイ上がりでキツい」と言う人もある。音量についても同様で、僕の常用音量より大きな音で聴く人、はたまた「大音量過ぎて何が何だかわからん」とパニクる人。音が出た瞬間、弩(いしゆみ)に弾かれたような勢いで椅子からガバッと立ち上がった人。僕のほうがびっくりした。

 ことほど左様に、人の感じ方には大きな差異がある。だからこそ、ホストの僕としてはお客様からのご感想に期待するのである。必ずしもポジティブなものではないかもしれない。それはそれで良いのである。その人が感じたままを、その人の言葉で訊いてみたい。それが次のステップへの大きな力になるのである。

 牛の歩みであったとしても、箱船の音が進化して行けるのはこれ全て仲間あってこその結果である。僕一人の知識、経験など多寡が知れている。今後も多くの仲間と時間空間を共有し、オーディオをもっと面白くしたいと、考えるのだった。

 よろしくお願いしたいのである。

’03/01/28 (火)

突然ですが


 古いタイトルである。「CLAIR MARLO/LET IT GO」(米Sheffield lab CD-29)。(P)(C)1989。古すぎてリナンバー再発盤が出ていると思う。廃盤にはなっていないはずだが。当時は優秀録音盤という触れ込みでわりと有名だったので、ご存知の方、お持ちの方は多いかもしれない。

 クレア・マーロー自身の作詞、作曲、歌によるライトなポップロック全10トラックを、2トラックダイレクト録音したCDである。当然スタジオライブということになる。

 ジェフ・ポーカロ(Ds)、スティーヴ・ポーカロ(Key)、リーランド・スクラー(B)、エイブラハム・ラボリエル(B)、パット・コイル(Key)、ルイス・コンテ(Per)他と、ゴージャスなメンバーがバックを務める。このメンバーを見れば、どんな音楽か凡その察しがつくというものである。個人的には好きなCDである。僕はジェフ・ポーカロ(既に故人である)の大ファンなのダ。

 一般的なポップロックからすれば充分過ぎるほどの優秀録音盤だと言える。レンジは広いしハイも綺麗、声にも作為が少なく通りが良い。但し、2トラックダイレクトと言っても音場情報には乏しい。古楽を教会で録音したものとは違うわけだ。

 もう一点気になるのは低域の薄さである。何となく影が薄いのである。ハイ上がりと言うのとはちょっと違うのだが、中高域のエネルギーについて行けない感じ。レベルは充分出ているわりに力が無い。これはきっとソリッド感が足りないのだなあ。

 と、些かの不満はあれども、まずまず推奨できるCDだと思う。先日もM85さんと話したのだが、シェフィールドはこの手の音楽を録音するのが得意なようだ。過去の録音で言うと、アマンダ・マクブルームと似た感じである。ちょっと及ばないケド。

 なんで突然こんな古いCD? ネタ切れでゴザイマス。

’03/01/27 (月)

労多くして


 功少なし。当地でこの季節に洗車することの馬鹿馬鹿しさよ。どーせ明日は雨か雪である。

 そう分かっていても、酷く汚れた車をうっちゃっておくのは忍びない。やる気になった時やっておかないと、桜が咲く頃までドロドロ状態のままになりそうである。軍手の上からゴム手をはめ、カッパを着込んで寒中洗車に臨む。重装備なのである。

 寒いから水洗いだけしてオワリ、のつもりだった。だが、ボディは撥水力をほとんど失っている。納車から1ヵ月も経つとこうなるわけだ。これでは遺憾と奮発してワックスもかけることにした。たぶんこれも新車と呼べる間だけのことだろうケレドモ。

 さてこのワックスちゅうもの、商品数がメチャクチャに多く、何がいちばんいいのかまったくわからない。実際に使ってみるのが確かである。これまでいろいろ試してきた中では「telecon world」(知る人ぞ知る深夜番組)の通販で買った「オートフォム」というヤツ。これがヒジョーにグワイが良いのである。

 他のワックスと比べても拭き取ったあとの艶が極めて美しく、撥水も強力。しかも被膜の保ちが良い。独自に開発した「フォンブリンA」とかいう成分がその秘密、という触れ込みだが、これがナニモノかは全然わからない。容器に記された成分表を見ると、どうやらテフロンコーティングの類ではないかと推測される。

 深みのある艶と撥水力が戻ったボディはとても気持ちイイのである。感触もスベスベだし、これなら埃が付きにくく汚れも落とし易くなるだろう。DHK的快感と言えなくもない。明日になれば、またドロドロに汚れるのだが。

 困ったのはオートフォムが底を尽いてしまったこと。telecon worldのカタログからは名が消えて久しい。ネット検索すればどこぞで買えるだろう、と思ったのは大きな間違い。何処にもないのである。近所のオートバックスにも置いていない。死んでもこれでなきゃダメと言わずとも、できれば何とか入手したいのである。

 自称DHK総裁なら、ダイヤモンドペーストで磨け? 破産してしまいますがな。

’03/01/26 (日)

ヘロヘロ

 寺院には総代(責任役員)という役割があり、住職(代表役員)と共に「責任役員会」(ウチの場合住職を含めて4人)を構成する。これが寺院運営に於ける基本的な議決権を持つわけだ。だが、実際にはここだけの決定のみで維持運営されることはほとんどなく、責任役員会の下に設けられた「評議委員会」(全13人)、さらには総会にも諮って決定とすることが常である。

 昨晩はその評議委員会の面々を招いて、遅めの新年会を開いた。午後6時から始まり、終わったのは午後11時。手製の鰤シャブをつつきながら呑んでしゃべって大盛会だった。

 僕はといえば久しぶりにまとまった量の酒を呑み、もうヘロヘロである。明日は朝からオツトメがあるというのに、これでは宿酔い間違いなし。ツライのである。

 酒に強いヒトがウラヤマシイ。

’03/01/25 (土)

恥を承知で


 書いてしまうのである。

 一旦はC-280Vの後釜に座ったはずのC-AX10、現在はプリとしての機能を捨て去り、単にチャンネルデバイダ、更に言えばローパスフィルタとしてだけ使っている。はっきり言って勿体無いのである。

 この話題は今まで恥ずかしくて書けなかった。あれほどホメておきながら、この冷遇。くずてつ、オマエのいい加減さにはあきれるぞと言われても仕方ないのであった。しかしながらこのところ些かネタ切れ気味なのと、そもそも「戯言」の存在そのものが恥だともいえるわけで、今さら恥かきを恐れても無意味だと開き直ってしまうのである。

 勿体無い、のは重々承知の上。しかし実際にこの方式を採ってみると、実に使い易くしかも音が良いのである。信号経路はプレーヤー→C-280V→C-AX10→B-2302→SWという形になる。デメリットはボリュームが二段(280VとAX10)入ること。だが、一聴して分かるほどの劣化はない。一方、パワーアンプのゲインを気にする必要が皆無になるのは大きなメリットである。Sネッシー側とのレベル合わせが自由自在になるのは使い勝手最高。コイル時代から見れば夢のような話である。

 いろいろ試してみた結果70Hz、-24dB/octのカットオフ/スロープで決まっている。F特の形がいちばん綺麗になるのはスロープ-96dB/octでつないだ時である。だが、聴感上は芳しくない。中高域の透明感は上がるものの、低域の押し出し、馬力、中低域の厚みが著しく後退してしまうのである。

 Sネッシーはクロス付近でのオーバーラップをやや多めに取ること使いこなしのコツになるような感じ。オリジナルネッシーにも同じことが言えるかもしれない。

 現状大変上手くつながっていると思う。良い音である。同時に、コイル1個だけでつないだ時の良さにも気付かされるのだった。オーバーラップが多く中高域と音場感への悪影響は必定、またレベル合わせも困難である。しかし、コイルの音には独特の力強さと押し出しの良さがある。チャンデバを通るとやや柔らかい低音になる傾向である。

 両者のメリットを同時に併せ持つ方法があるのかどうか、僕は知らない。現在箱船のオーディオ環境では、C-AX10チャンデバに分があるようだ。それにしても、罰当たりな使い様であることは確かである。

 「ボウズは率先して地獄へ堕すべし」という。丁度良いグワイなのである。

’03/01/24 (金)

年男ならぬ


 「年プリ」である。一度はC-AX10に箱船メインプリの座を譲ったかに見えながら、再び返り咲いたアキュフェーズC-280Vである。購入は1991年のヒツジ年だから今年は「年プリ」と、こういう趣向である。

 9月7日が来れば丸12年経つ。その間メーカーに出すこと2回。1回目はボリュームにノイズが出て純然たる修理、2回目は所謂オーバーホールである。その度ごとに主要パーツは当時の最新高信頼性タイプに交換、初期特性をギャランティすべく再調整されて返ってきた。そのおかげで「年プリ」となった今も、極めて快調に働いている。

 ご覧の通り、今となってはクラシックなデザインに見えてしまうのは仕方ないところである。何と言っても1982年発表のオリジナルC-280と全く同じルックスなのだから。実に21年前のトレンドである。個人的にはこのクラシックさがヒジョーに気に入っている。

 中身はちょっと違う。昨年オーバーホールしたことで、劣化した重要なパーツは2002年版に交換されているのである。ルックスに相違して、中身はクラシックではない。そこがまた、アキュフェーズ製品の素晴らしいところでもあるわけだ。

 音にも古さは全く感じられず、現状問題何らはない。独特の馬力感と切れは極めて魅力的である。だが、例えばC-290Vなどに比べると粗さや歪み感、自然な音場感などの点では一歩、否、三歩四歩譲ることになる。

 「20年使う」つもりで買った時から12年、あながちウソでもなくなってきた。2回目の「年プリ」は無理でも、購入当初公約は果たせるかもしれない。

 目指すは「成人式プリ」か。

’03/01/23 (木)

季節の味


 一昨日に載せた「季節の顔」は、早々と「季節の味」にヘンシンしてしまったのである。食うことに関しては仕事が速いくずてつ家である。

 フキノトウの天ぷらは、塩で食べるか天つゆで食べるか? 僕は絶対に塩だと思う。塩なら何でも良いわけではなく、できれば食塩(NaCl)やアジシオ(NaCl+グルタミン酸ソーダ)は避けたいところ。キメの細かい天然塩がベストである。沖縄の天塩(あまじお)、伯方の天然塩辺りが非常においしい。好みによって抹茶を混ぜた抹茶塩でも、なかなか粋な味が楽しめる。

 これは正に早春の味である。野生の蕗だけに香りが非常に強くほろ苦い。しかしこの季節のものならば独特の甘味もあって絶妙である。アクが強いので食べ過ぎるとキボチ悪くなることもある、けれど僕は嬉しいのでいっぱい食ってやった。

 庭で採ったフキノトウを食べられる幸せ。ウルトラダイレクトイーティング。ぜいたくである。

’03/01/22 (水)

声は大切である


 例えば僕がCDショップへ行く。そこでこのCDを見かけたとしても絶対に買わないだろう。というタイトルをここで紹介できるのは、愚息1号のおかげである。

 「CHEMISTRY/Second to None」(日 DefSTAR RECORDS DFCL-1091)。お年玉で買った、彼3枚目の「マイ・CD」である。

 これを買うとき、僕も付き合った。しばらく店内のCD棚をグルグル歩き回っていた彼が足を止めたのは、やはりJ-POPのところだった。その中から3タイトル取り出し、腕組みをして沈思黙考。ウタダ(タイトル名忘れた)、ゴスペラーズ(左に同じ)、そしてこのケミストリーである。

 決め手になったのは、年末に見た「紅白歌合戦」である。「ケミストリーの歌が良かったからこれにする」とお買い上げである。イワユル「紅白効果」か。オーディオオヤジとしてはウタダあたりが聴いてみたい、ような気がしたのだが。

 家に帰って早速ポータブルプレーヤーで聴いた彼は「ウン、これ買って良かった!」と満足そうだった。トラック04「My Gift to You」が一番のお気に入りだとか。大変ケッコウなことでございます。

 折角だから、前回と同じく箱舟でも聴いてみることにする。

 う〜む、評価に困った。ボーカルデュオなので、歌がメインなのは当然、バックはほとんど打ち込みである。先ず驚くのは猛烈に高いカッティングレベル。いつもの調子でボリュームを決めたらとんでもなくバカデカイ音が出てその辺を走り回りそうになってしまった。

 フシギな音である。低域は中身がまるで無いようにスカスカしている。ソリッドの対極、ホロウっていうのかしらん。にもかかわらず量感は圧倒的。これはこれで面白いとも言える。ボーカルはどうにも人工的で、なんだかパキパキしている。彼らにとって最も重要なはずの「声」がこの音では、ちょっとグワイが悪いんじゃないかと、思うのは大きなお世話なんだろう。

 元々がこんなふうに聴くCDではないから、これでいいのである。僕も一度聴けば充分満足だ。この手のCD、これからもやっぱり買わないと、オーディオオヤジは思うのである。

 CCCDではなかったのは、良かったねえ。

’03/01/21 (火)

季節の顔


 夕方から降り始めた雪を覆るフキノトウである。毎年箱船の裏手に顔を出すこれを日誌に乗せるのも既に3回目。季節の顔になった感じだ。一昨年は2月19日、昨年は1月16日だった。今年と昨年はほぼ同時期、非常に早いほうだと言える。

 時期的には1年前と変わらないが、作柄(って言うのかな?)は随分違う。今年は豊作である。写真に撮ったものの周りには7〜8個、小さいながらもひとかたまりになって生えている。作付け面積(栽培してるわけじゃない)も広い。こりゃあ呆ける前にさっさと摘んで、天ぷらとフキノトウ味噌にして食べなきゃイケナイのである。

 毎年この季節には同じようなことを書いている。進歩がないのである。考えようによっては、大過なく日々を過ごせている証左でもあるわけで、大いに感謝すべきことなのかもしれない。

 一年のうちで最も寒い季節はこれからである。しかし、この姿を見ると春は確実に近づいているようで、冬がキライな僕としてはとても嬉しいのである。

 ああ、春が待ち遠しい。

’03/01/20 (月)

新しき背広


 1年3ヶ月ぶりにご来訪のM85さん、2日目も専らADを聴くの圖。撮影している時には気付かなかったが、改めて写真を見ると試聴する姿にもタダモノではない雰囲気が漂っている。ホストとしてはヒジョーに緊張するのである。

 1月半ば、雪の多い時期には極めて珍しく2日間とも好天を保ち、行き帰りとも無事だったのは幸いだった。「典型的晴れ男」効果か、あるいは左手を上げる「招客金猫」のご利益か。

 M85さんの耳の確かさは言うまでもないこと。僅かな違い、差異にも即座に反応する。トランジェントが良いのである。だが、本当に凄いのは「耳の記憶力」である。前回ご来訪時からの音の変化を的確に指摘、表現してみせる能力。これが僕なら「変わった」ことはどうやら分かっても、どこがどう違うのかを正確に表現することなんか絶対にできない。全く以って感服の至りである。

 その意味でも聴かせる側は精神的直立不動状態になるわけである。さりながら、だからこそ大変に聴かせ甲斐があるとも言えるのだろう。「灯台下暗し」。いつも聴いているからこそ見落としている(見えていない)不具合は多い。それに気付かせて下さっただけでも、僕は感謝申し上げねばならない。

 大変ご遠方をお出掛けくださって、本当にありがとうございました。さぞお疲れだったことと存じます。僕はとても楽しい時間をいただきました。

 「新しき背広をきてきままなる旅にいでてみん〜五月の朝のしののめ〜うら若草のもえいづる心まかせに」。

 再会を楽しみにしております。

’03/01/19 (日)

第一号


 今年のお客様第一号は知る人ぞ知る、アナログの鉄人M85さんである。この時期、御出でいただくのに一番気にしていたのは丹後の天候。雪のグワイである。幸いにも今回は好天に恵まれた。ご自身曰く「典型的な晴れ男」の面目躍如である。

 既に3度目のご来訪だが写真では初登場。ワザとらしく読書(箱船が載ったstereo誌)するM85さんの勇姿である。「オイラもオーディオルームが欲しいなあ」と独言ちながら。

 M85さんとくれば前回前々回に同じく、大アナログ大会になるのである。ご到着から11時間、ゴハンの時間を除いてほとんど聴きっぱなし。いつものことながらその集中力と音への感受性には完全に脱帽である。

 「まだまだ聴くぞ」と元気なM85さん、こりゃ今夜はこのまま半徹夜かなあ。

’03/01/18 (土)

携帯浦島太郎


 2年8ヶ月使ってきた携帯電話、近頃液晶表示がとみに薄くなりヒジョーに見辛くなって来た。実用的には全く問題ナシ。が、表示が見えなくなると困るのである。液晶画面の寿命をもっと延ばして欲しい、けれどそんなことをすれば買い換える人が少なくなって会社は困るのだろう。インボーである。

 ちゅうわけで機種交換。これなら電話番号も変わらないし手続きも簡単、何より新しい機種を安く買えるのがありがたい。

 知り合いが近所で代理店を開いているのでそこへ行く。彼が薦めてくれたのはKYOCERAのA1013Kという機種である。最新鋭機ではないそうだが画面はもちろんカラー、ご丁寧にもデジカメ機能つきである。ハヤリの二つ折れタイプである。カメラなんか要らん、と言ってはみたが、カメラ付きでないものより安いと聞けば仕方ないのである。驚くべき低価格と言ってよい。どーしてこんな価格で売れるんだろう。何処かで誰かが泣いているとしか思えない。

 電話としての機能は特に変わりない。最新の「QUALCOMM 3G CDMA」という通信フォーマットなのだそうだ。「クアルコム社第三世代CDMA」という意味らしいが、僕には何のことだかさっぱりわからない。そもそもがCDMA(Code Division Multiple Access)だってワカランのだから。一ユーザーとしては、音声が鮮明で会話遅れが少なく話し易いのが何よりである。

 デジカメ機能は要らん、と大見得を切ったわりに使ってみるとこれがなかなか楽しいのである。撮れるのは120×160ピクセルのごく小さな画像だが、チョイとメールに添付して送る程度には充分である。イージーモバイル気分が味わえる感じ。こらオモロイ。結局僕は、新しモノ好きなのである。ネットオンチのくせに。

 前の携帯ではメール設定に大苦労したものだが、通信環境が進化した今では極めて容易である。メールネームを決めてしまえば後はボタンを2、3回押すだけで完了。@以降のアドレスも短く、たった3年足らずの間に随分とスマートになったものだと感心してしまった。

 愚息たちが携帯を持つ頃には、どんな通信環境が実現されているのだろうか。

’03/01/17 (金)

CYPHA1ヶ月


 CYPHAに乗り換えてほぼ1ヶ月、やはり車もエージングが大切である。ギクシャク感が減り、随分とスムースに走るようになった。もちろん、手前が慣れてきたとも言えるわけだが。先日少しく遠出したこともあって、現在の走行距離は約1,000km。年間10,000〜12,000kmの良いペースである。

 ここひと月の燃費は15〜16km/lと、ヒジョーに良好である。メーカー発表10・15モード走行での燃費が18km/lであってみれば、極めて優秀な成績である。取り回しも極めてらくちんである。僕の身の丈に見合った良い車だと思う。

 尤も、良いことばかりでもないわけである。雪道、凍結路面の安定性はもう一息の感あり。コルサに比べて重心が高い位置にあるような印象で、ふらつき易いように思われる。当然スタッドレスタイヤを履いてのことである。

 後部ドアが小さく窓の開口が狭いので、交差点を右左折する時に死角がやや多いのも気になるところ。但し、これは僕の運転がヘボな所為もあるのだから、車にばかり責任を押し付けるのも気の毒ではある。

 この間の遠出で、初めてナビの目的地案内モードを使った。これはなかなかのスグレモノ、ご丁寧な音声案内には恐れ入った。「700m先、右折です」「あと300mで右折です」「間もなく右折です」と事細かに世話を焼いてくれる。雪崩的方向オンチの僕には何ともありがたいことである。

 ただ、これもまた良いことばかりではない。表示された道順を無闇に信用すると、時にはとんでもない道へ案内されてしまうこともあるようなので注意が必要。要は使いこなしが大切と、オーディオみたいなことを言っておくのである。

 「育てる車」ちゅうのがCYPHAのキャッチコピーになっている。そうか、ナルホド。なのに手前が「育てられている」ような気がするのは、いったいどーゆーワケだ?

 方向オンチ、PCオンチがそうさせるのよ。

’03/01/16 (木)

本懐遂げたり


 GMホーンVer.3、ようやく研磨完了。ああ、しんどカッタ。が、綺麗に仕上がった鏡面を眺めていると、なんとも言えない満たされたキモチになるのである。こうなると音のことなど二の次で、自分が納得できるところまで磨けたことにただ感謝するのみである。何のために磨いてるんだかさっぱりわからない。自称DHK総裁の本懐、ここに遂げたり。

 今回の研磨で学んだのは、純銅がこれまで考えていた以上に柔らかく、しかもおそろしく錆びやすいこと。

 最後の仕上げに水と中性洗剤で洗浄するわけだが、サヴィーナミニマックスで水を拭き取っても微細なキズが付く。わずかな糸ゴミや埃を巻き込んでしまうからである。

 と言って拭き取りを疎かにすると、僅かに残った水滴部分から忽ち酸化が始まるので、いい加減にはできず。圧縮空気で水を吹き飛ばしてしまうのがベスト、だが、当然コンプレッサーなんか無いのでダメ。スプレー缶タイプのブロワーは空気と一緒に高圧ガスが噴き出し、これが盛大なシミになるので上手くない。

 結果、そぉっと拭いて、後に残った水分はファンヒーターの温風で乾燥させるという、如何にもアマチュアライク(というと格好ヨイね)、要するに原始的ドシロウト手法に頼るのみである。おそらくこれでも時間が経てばマダラ模様に酸化するだろう。これはもう致し方無しである。我慢できるところまで使い、あとは再研磨するしかないのである。

 さて、このあとは実際に装着して試聴ということになる。現用0506IIGMはあまり触りたくない。さりとてスペアの0506IIに着けて試聴しても、その音の違いがホーンの差なのか個体差か、判別し難いかもしれない。

 試聴する、というよりは、この美しいホーンの音を早く聴いてみたいという純粋な気持ちの方が強いのだった。実はこれが偽らざるところである。

 実験サウンドマニアの風上にも置けねえのである。

’03/01/15 (水)

DHKの極意


 DHK(大日本偏執的研磨党)は、オーディオマニアを深く静かに侵略し始めているモヨウ。自称総裁の僕としては祝着至極。2003年に入ってからは各地に党員増強、破竹の勢い(?)である。世界征服は今や目前に迫っているのである。

 アホな話はもういい。GMホーンVer.3のDHKは微々たるグワイながらも進捗してはいる。残っていた片方は外側の研磨完了、ホーン内側ももうすぐ仕上がる。ホーン内面部分の鏡面出しがいちばん音に効く、のは当然だが、その中でも特に大切なのが写真に見える部分。いわゆるスロート部である。

 どの部分も疎かにできないのはもちろんである。しかし、スロート部分は特別念入りに磨き上げたい。ホーン内壁とイコライザープラグに挟まれ、極めて狭い空間を構成する部分。ここでの空気の流れが音に甚大な影響を及ぼすのである。

 と、エラそうに力んでいるが、何らかの実証データがあるわけでも何でもない。単なる経験則によるものである。切削痕がわずかに残っているものと、ほぼ完璧に鏡面化したものとでは明らかに音が違う。その理由、原因はわからない。ただ、デコボコよりはツルツルのほうが良いんだろう、くらいのことしかわからないのである。

 昔、クルマニアの友達が「キャブレターのエアインテイク部分をツルツルに磨くと、吸気効率が上がって吹けが良くなりパワーが出る」とか「排気マニーホルド内面の鏡面化も効く」とか言ってたのを、今思い出している。油だらけになってコシコシ磨く彼の姿を見て「ご苦労なこってす」などと思っていたが、あながちそれと通ずる部分があるのかもしれない。

 空気の流れが良くなれば音も良くなる、のかどうか、僕にはわからないし、実は見た目の美しさで音も美しくなるのだ、というようなバイアスがかかっているだけかもしれない。いずれにしても「音は良くなるに違いないのダ」と信じ、ただひたすら一心不乱に磨き倒すこと。これがDHKの極意である。

 さてさて、Ver.3はいつになったら試聴できるんでしょうか。

’03/01/12 (日)

AKIRA


 このアニメのDVDが出ていたとは、恥かしながらまったく知らなかった。映像系の雑誌を読まなくなると、こういうことになるわけだ。

 「AKIRA」(日 パイオニアLDC PIBA-1267)。元々は大友克洋のコミックが原作である。この作品にはもの凄いエンスージアストが沢山いて、僕如きが内容を云々することはとてもできない。映画は本編124分と常識的なものだが、原作は非常なる長編である。ストーリーもやたらと込み入っていて、単なる娯楽作品とはワケが違うのである。

 1988年に劇場公開、翌'89年にLD化されている。これを方舟建築直後の長岡先生が大々的に取り上げ、VAマニアの間で一躍有名になったのだった。芸能山城組によるサウンドトラックも質が高かった。

 アップよりもロングを多用、近くのものより遠景背景に力を入れたような細かな描き込みは、どう見ても大画面向き。動きはスムースで色数も多く、加えてグラデーションの美しさは、線画ベタ塗り的アニメとは明らかに一線を画した作品だった。

 当時、長岡先生の映像機器テストには必ずと言っていいほどこのLDが具されていたし、その頃方舟へ訪れた人は絶対見ているはず。僕も見せてもらった。確か年間リクエスト数ナンバー1と、先生も何処かに書いておられたと思う。「若い人だけでなく、いい歳をしたオジサンまでもがこれを見たがって閉口した」と。「あれだけホメれば誰だって見たくなりますよ」と先生に言ったことがあった。

 さて、そういうイワクつきの「AKIRA」がDVDになった。早速観てみたわけである。やはり映像の美しさは変わらない、というよりLD時代よりも良くなっているようだ。色の深み、グラデーション、画の切れ味、フォーカス感、映像Dレンジ、S/N、おそらく全ての点でDVDの圧勝である。最新のアニメとは違いCGを使ったシーンなどは無いが、古さは感じさせない。今見ても見事な力作である。

 LD時代から唯一の欠点は、音である。効果音、台詞ともハイ上がりでウルサイ。これはDVDになっても改善されず、いささか残念である。但し、このDVDには音声トラックが2つ付いていて、1は日本語5.1chサラウンド、2が日本語5.1ch/DTSサラウンドとなっている。

 ウチのシステムではこれらを正確に再生することはできない。聴けるのは通常5.1chサラウンドを2chにダウンミックスしたもののみである。それをSPマトリクスで鳴らしているわけだから、何を聴いているのかさっぱりワカランのである。極めていい加減である。DTSに至っては再生することさえできない。

 この辺りをキチンと世話してやれば、きっと良い音を聴けるに違いない、のだが、僕はもうメンドクサイのである。よって「音が良くない」という僕の評価は全くアテにならないので悪しからず。

 ともかく、この作品がDVDで観られるのはヒジョーにうれしい。金田や鉄雄がしゃべる不良言葉が現代若者語のプロトタイプのように感じられるのは、妙に懐かしいのである。

’03/01/11 (土)

いざとなると


 年が明けたら実験する、などと見得を切りながら、まだ何にもしていないトゥイーターハイパスコンデンサーである。実は些か迷っているのである。

 CSコンからJensenに交換したのは昨年7月4日である。ようやく半年が経ち、すっかり馴染んできたところである。ここでまた新しいCに交換するのは如何にも勿体無いような気がする。実験なのだからまた元に戻せば良い、とは言うものの、一旦触ってしまうと完璧な原状復帰は望めない。間違いなく音は変ってしまうのである。

 そう言いながら、一方では試してみたいとも思っている。要するに、煮え切らないのである。こんなことは珍しい。僕は基本的にガサツで馬鹿だから、こういうことはさっさと実行するのがこれまでの常である。今回は何故こんなに思い切れないのだろうか。

 それはもちろん、現状がヒジョーに上手く行っているからに相違ない。それに加えて、現用Cのエージングがすでに充分かどうか、見極めができていないということもある。しかし、そんなことを言っていたら、現状からの向上は望めないのもまた事実。ゴチャゴチャ細かいことは考えず、サクッと実験するに若くは無しか。

 GMホーンVer.3(GM-Cu)のDHKもまだ終わっていないし、どーもグズグズしているのだった。遺憾なあ。

’03/01/10 (金)

MO-KA-VE


 2003年になってからADが3タイトル届いた。上のジャケットはその内の1枚「MOKAVE Volume 2」(米 AudioQuest AQ-LP1007)である。180g盤。Glen Moore(B)、Larry Karush(P)、Glen Velez(Per)のトリオで、ジャズのようなエスニックのような音楽を演奏する。MOOREさんの「MO」、KARUSHさんの「KA」、VELEZさんの「VE」をつなげて「MOKAVE」(たぶん"モカヴェ")というわけらしい。わかり易いのである。

 「Volume 2」となっているからには「1」があるわけだ。こないだもこんなこと書いたな。「1」は長岡先生もダイナミックソフトでCD版を取り上げておられたと記憶する、のでFMfanのファイルをヒッシで繰るのだが、どーしても見つからない。何年の何号だったか、ご記憶の方、ご教示ください。

 「1」についての先生の評価は高く、推奨盤になっていたはずだ。ここに紹介するのは「Volume 2」で、しかもADである。

 厚く豊かでソリッドなベース、トランジェントが良く爽やかで濁りのないピアノ、繊細感透明感抜群のパーカッションと、文句ナシの優秀録音盤である。定位感も良く、埃っぽさや不自然な感じはない。明るく優しい曲を、3人がリラックスして演奏している印象で、聴いているとシアワセな気持ちになる。

 AudioQuestといえばオーディオケーブルで有名。この録音に使われているケーブルは、当然全て同社製である。「ダイヤモンド」「ラピス」「ディジタルプロ」というモデルを使ったと書いてある。これらがどういうものか、市販ケーブル事情に疎い僕には全くわからない。きっと安いものではないのだろうな。それくらいは分かるのである。

 マイクも管球式とFETタイプを適材適所で使い分けているようで、相当音にこだわって録音されていると言えるだろう。実際それは成功していて、キチンと音に表れている。非常に厚くソリッドな音は独特、ちょっと他では聴けない。実に魅力的である。

 これを買ったのは、たまたまこのレーベルのバーゲン中で異様に安かった(180g新盤にもかかわらず900円!)からだが、他のタイトルも買わなきゃいけないな、こりゃ。

 結局そこへ行くわけね。

’03/01/09 (木)

遅めの正月休み

 年末から年始にかけてのバタバタと、ここ3日間ほどの強烈な寒さで疲れが出たのか、今日は些か体調が良くない。風邪を惹いたのでは無さそうだが、どうにも心身ともにシャキッとしないのである。こういう時は何にもせずに早く寝る、というのが復調のための基本的対策であろうと思う。

 ちゅうわけで、今夜は早寝いたします。そもそもが寝不足なんだなあ。申しわけございません。遅めの"正月休み"ということで、ご勘弁ください。

’03/01/08 (水)

統一感


 「The All Star Percussion Ensemble III」(米 GOLDEN STRING GSCD-022)である。(P)(C)1995。一昨年7月11日に載せたCD(これが"I"になるのかな)の第三弾、ということになるのだろうか。「III」があれば当然「II」も出ているわけで、それも別の機会に買おうと思う。

 「GOLDEN STRING」(以下GS)というレーベルは、イマイチよくわからない。V24Cさんは「I」のGS盤金蒸着CDを持っておられるとお聞きしたが、それはメイドイン台湾だそうである。この「III」は同じく金蒸着CD(ショップのカタログにはレギュラーCDと書いてあった)、しかしメイドインUSAである。CDには珍しく横帯付き、そこには中国漢字で「鼓撃歌劇」と縦書きしてある。ただしライナーノートは全て英文。一応「米」と書いたが、GSレーベルの正しい国籍は何処になるのだろう。

 それはともかく、「鼓撃歌劇」のタイトルからもわかるように、内容は打楽器によるオペラ序曲集である。「セビリアの理髪師」「椿姫」「ローエングリン」「こうもり」など非常にポピュラーな曲ばかりで、何処かで一度は聴いたことのあるメロディーが次々に飛び出してくる。単純馬鹿な僕としては大変楽しめた。

 1995年3月20〜21日、サニー・パーチェイス・パフォーマンス・アートセンターのオーディトリアムCで録音。マイクはホールの残響音用にゼンハイザーMKH-20、打楽器群には同MKH-40、ノイマンKM-140、TLM-170、ティンパニだけにはB&K4006を使ったとクレジットされている。2トラックディジタルレコーダーによるライブ収録である。

 音は非常に優秀。透明感が高く極めて見通しの良い音場である。金属打楽器が大活躍するのは「I」と同様、切れが良く繊細感抜群、実に爽快な音である。歪み感が少ないのだろう、かなりの大音量でもまったくうるさくならない。聴いているうちにどんどん音量を上げたくなる感じ。低域もここぞの一発ではズシンドスンと強烈。打楽器大好きサウンドマニアの僕には極めて痛快である。

 「I」と比較してみると、音と音場に見事な統一感がある。アンサンブルの指揮者であるところのハロルド・ファーバーマンさんが録音にもかなり深く係わっているようなので、その所為もある。というより、録音まで含めたものがこのアンサンブルの「音楽」なのだろう。サウンドマニア、音楽マニア、両者とも大いに楽しめる、ヒジョーに良いCDだと思う。

 こうなると益々「II」が欲しくなった。買わねばばらぬのである。

’03/01/07 (火)

仲間誕生


 掲示板にAIRさんからメッセージを頂いた。FE-208ES2発使用のネッシーを自作されたということである。僕現用のスーパーネッシーの仲間が、遂に出現したわけだ。尤も、世間は広い。2発ネッシーユーザーが他にもいらっしゃるかもしれないが、少なくとも僕の知る限りではAIRさんが初めてのことである。何だかとっても嬉しいのである。

 上の写真は'97年7月16日、Sネッシーが完成した時のものである。両者の相違が分かり易いように、当時使っていたネッシーIIの真横に並べて撮った。Sネッシーの奥行きが深いのをおわかりいただけるだろうか。トップパイプの余白を切り落とさずに作った(メンドウだったから)分だけ背が高くなっている。ユニットは当時の最新限定バージョン、FE-208SSである。

 2発にして最大のメリット、それは音の厚みがぐんと増したことである。僕にとってこの良さは、複数ユニット使用によるデメリットを補って余りあるものだった。208ESに換装してからはそれが更に際立ち、しかし反面SWの使いこなしに苦労することになるのである。

 AIRさん、仲間を増やしてくださって、ありがとうございました。次はSWですね。超強力なもの、大いに期待しています。オールシステム完成の暁には、是非ともお聴かせくださいね。

’03/01/06 (月)

雪は怖い


 箱船玄関の庇分部にはツララができ始めている。写真に点々と白く見えるは、天から落ちてくるありがたくない贈り物、雪である。

 今回の寒波はなかなかに強力である。夕方から激しくなった雪は、すでに15cm積もった。今もかなり良い調子で降っている。明日の朝は毎冬恒例「雪スカシ」が待っているのである。イヤダナア。

 正月休みも終わり、ほとんどの方は明日から通常どおりのお仕事に戻られることだろう。それに合わせたようなこの寒波、何とも煩わしいことである。こういう日には、箱船にじっと閉じこもって一日中オーディオしていたい、けれど、そんなことができるほど良い身分ではない。

 CYPHAに換えて初めてのまとまった積雪、この車の雪道走行性はどうだろうか。もちろんスタッドレスタイヤ装着済み。オートマチック車のアクセルワークに不慣れなだけに、ちょっと心配である。

 油断するとトンデモナイことになるのダ。雪は、怖いのである。

’03/01/05 (日)

TRIPTYQUE


 昨日の日誌で「昨夏に注文してまだ届かない」と書いたCDが、今日届いた。ワルクチ(ではないけれど)が聞こえたのかな。

 「TRIPTYQUE/Georges Aperghis」(仏TRANSES TE-014)である。現在TRANSESレーベルは入手がやや困難なようだ。カタログナンバーによっては廃盤になっているものもあるらしく、ご存知「PARCOURS」(TE-008)はHMVではヒットしなかった。上記タイトルも注文から配送まで5ヶ月かかった。時間がかかっても、手に入ればそれでOKである。

 ブリジット・シルベスタ(シルベストレ?)のハープとガストン・シルベスタのパーカッションで、アペルギスの現代曲三部作を演奏する。1はパーカッションと電子音のための「Coup de foudre」(13分28秒)、2はハープとパーカッションのための「Compagnie」(14分58秒)、3はハープのための「Fidelite」(16分36秒)。トータル45分02秒。曲名はフランス語なので、恥かしながら意味がゼンゼン分からない。仏和辞書をお持ちの方、お調べください。

 1曲目は打楽器と電子音のデュオ(っていうのかな)である。電子音と言ってもシンセサイザーなどではなく、人の声や自然音を録音し、それを加工してスピーカーで再生しているみたいに聴こえる。所謂「ミュージック・コンクレート」の類か。それに打楽器が絡むわけだが、この音は壮絶である。

 パーカッションの立ち上がりが非常に良く、目の覚めるような切れと力がある。冒頭、いきなりガーンと強烈な一撃、迂闊にボリュームを上げていると椅子から飛び上がりそうになる。遮音の悪い部屋で深夜に大音量再生すれば、これは間違いなく警察沙汰だろう。意味不明の叫び声、唸り声も入っているから、なおのことヤバいのである。

 非常に良い音だと、思う。が、ほんの少し埃っぽさと歪みがあるような気がしないでもない。抜けと透明感がもう一息か。ピークがわずかに抑圧されているように感じた。音場感もどちらかと言えば中央集中型で「広大な音場感」というふうではない。

 あらためて「PARCOURS」を聴くと、音の抜け、歪み感の少なさ、透明感、分解能、音場感などの点でこちらに一日の長があるようだ。「TRIPTYQUE」は、音の粒子がやや大きく粗い感じ。但し、これは非常にわずかな差である。

 強烈無比な音であることに間違いはない。こりゃあ好きな人は好きだろうなあ。ねえ、炭山さん。僕はというと、音が良いのは認めるけれど45分02秒を聴き通すだけのコンジョーは、ないのでアリマシタ。

 「レシタシオン」、聴きに行かれるんですね。

’03/01/04 (土)

音とジャケット


 2003年買い初め(なんて言葉、あるのかな?)は、HMVからCDを3タイトル。いずれも昨年の10月22日に注文したものである。速い時は速いが、遅い時にはムチャクチャに時間がかかるHMVである。昨夏に注文して、まだ届いていないものもある。3ヶ月くらい当たり前。尤も、「待つからキャンセルしないでくれ」と言ってるのは僕だから問題はないわけだが。

 仏αレーベル3タイトルである。ついさっき届いたばかりなので、まだ封も切っていない。音が良くて大いにお薦めできるレーベルだが、同時に特筆すべきはジャケットの良さである。CDホルダー以外は100%紙製三ツ折りジャケット。デザインに統一性があり、どのタイトルも非常に重厚である。印刷には艶があって大変美しい。嘗てのASTREEやHarmonia Mundiにも通ずる豪奢な意匠である。

 チマタではCCCDの話題でかまびすしい。ソフトメーカー曰く「違法コピーする不貞の輩が多いからパッケージCDが売れなくなった」のだそうな。違法が遺憾というのなら、CCCDだってノンスタンダーダイズド・アーティクルだろうに。

 それはともかく、「売れない」のは「思わず買いたくなるようなものを作ら(れ)ない」からじゃないのかな。内容ももちろん、一般的なCD量販店に並ぶタイトルをざっと見て「オヲッ、良いデザイン。音も良さそうだ」と思わせるようなものが幾つあるだろう。僕にはほとんどのものが「ジャンク・ディスク」にしか見えない、と言っては言葉が過ぎるか。

 愚にもつかぬ付録やボーナストラックを付けるのも、プレーヤーを破壊する可能性のあるようなものを売りつけるのもさっさと止めて、本質的価値を高める努力をして欲しいと思う。美しいジャケットも、見方によっては付加価値と判断されるかもしれない。しかし、ジャケットと音に共通性があるのは皆さんよくご存知のとおり。「ジャケットは音を語る」のである。

 僕は決して舶来至高主義者ではない。良いものは良いのである。易きに流れては音楽のみならず、オーディオまで絶滅させてしまうのではないかと、危惧するのである。

 「良い音しか残れない」とキャッチコピーしたのは、TDKでしたね。

’03/01/03 (金)

今年もこれか


 今年のオーディオネタは、DHKで始まるのである。昨年末から格闘中のGM-Cuホーン研磨はまだ終わらない。片方は完了したが、もう片方は全体の1/3も磨けていないのである。

 同じ工程を2回、どうしても経なければならない時、皆さんはどうされるか。一方の作業を全て完了してから次へ進む直列作業か、一方が進んだらもう片方も同じだけ進めるという並列作業にするか。スピーカー工作も、この二通りの工程が考えられる。

 僕はだいたい馬鹿でセッカチだから、片方を先に終わらせてしまう直列タイプである。完成品を早く見たいのである。この方法の大きなデメリットは、もう一方の作業にかかった時、ゲンナリすること。

 先が見え過ぎるのである。あのシンドイ作業をもう一回やるのかと、思っただけで厭になってしまうわけだ。完成品と未完成品の差にグッタリするということもある。それでもやらなきゃ音が聴けないからやるのだが、途中で息切れして出来上がりが不揃いになる可能性大。これは最悪である。

 どうも並列作業のほうに分がありそう、だが、こっちにもデメリットはある。同じ失敗を両方に繰り返してしまうおそれがある。仕上がりの不揃いは避けられても、出来の悪いほうに揃ってしまうことになるのである。そりゃ事前の準備とイメージトレーニングが不充分な所為だ。その通りでゴザイマス。そんなことになるのはくずてつだけですな。シツレイいたしました。

 これを考える時、僕はいつも「弁当のおかず、好きな物は先に食べるか後に食べるか」というバカな話を連想するのである。言うまでもなく「うまいもんは早く食え」をモットーとする僕は、先に食べちゃうほうである。この性質は変えられない。生まれついてのバカセッカチなのである。

 プロに話を聞くと「そりゃ絶対並列作業しなきゃダメだよ。不揃いになる可能性が高いからね」という。ヤッパリそうか。そうだろうな。う〜む、もうこのホーンについては直列でやってしまったな。んじゃ、どっちも未了ということにして今磨いているほうを同じレベルまで持っていけば、そこからまた両者並列再スタート、にできるな。

 意味ないって。

’03/01/02 (木)

チカリタビー


 なんて言葉、ご存知の方が何人いらっしゃるだろうか。パーヘクト死語の世界である。おっさんでゴメンナサイ。

 こう言いたくなるほど、今年の年末年始はくたびれたのである。やることは毎年毎年変ることはなく、ただ粛々と準備するだけである。が、仕事の量は同じ、こちらは年々歳をとるわけで、当然疲労の快復が遅くなるのだった。ともかくも無事に元旦が終わってヤレヤレである。

 正月はあちこちでOFF会があるように聞いている。いつも何とか参加できないかと考えはするのだが、どうしたことかここ3年は連続で2〜4日にかけて大雪になっているのである。一昨年も昨年も、げんきまじんさんのお宅へお邪魔しようとしながら、雪で足止めを食っている。余程日頃の行いが悪いらしい。

 今日(元日)も、日中は好天だったにもかかわらず、夕方から雪混じりの雨になり、今はすっかり雪に変った。「雨は夜更け過ぎに/雪へと変るだろう」。変らんでもいいのである。外は既に真っ白だ。今年も怪しくなってきた。

 こうなると箱船でのOFF会など、絶対に無理である。強行で御出でいただけないこともないが、僕はもう心配でたまらない。イノチ懸けでお出掛けいただくほどのものじゃなし。やはりこの時期、箱船は冬篭りになってしまうのだった。

 だからこそ春が待ち遠しいのである。早く春にならないかなあ。毎年同じことゆってますが。

 雪が融ければ何になる? 春になるのである。

’03/01/01 (水)

計とも言えず


 明けましておめでとうございます。2003年が皆さんにとって素晴らしい年になりますように。

 「一年の計は元旦にあり」とは昔からよく聞く。僕にとっては些か縁遠い言葉である。「今年はこうする!」と気張ってみても、ほとんど実行できないことはわかり切っているのだから。

 年が新しくなったからといって、特に何が変わるものでもない。今まで通りやって行くだけである。ただ、人間の生活には節目も必要、その意味でお正月はやはり大切なのだろうと思う。

 「計」と言うほどもない今年の目標。サブウーファー用パワーアンプと、スクリーンを交換したい。 ...って、結局物欲丸出しじゃねえか。仕様がないのである。

 両者とも現状特に問題ない。スクリーンは丸9年使って未だ綺麗なものである。目立った劣化もない。10年程度で寿命がくるようなモノならそれは欠陥品である。たぶん20年でも使えると思う。但し、新品を横に並べて見比べれば歴然とした差がつくのは当然だろう。製品としての問題はなくとも、9年間の埃と汚れはバカにならないのである。巻き上げメカ部分はそのままに、スクリーンだけの差し替えで済むはずだ。

 アンプはどうだろうか。今年の秋に出てくる新製品を狙いたい。これは相当な出費を覚悟しなければならない。ただ、コイルをやめてC-AX10によるチャンネルデバイディングに変更したので、ゲインの問題からは解放されたわけだ。選択範囲が広がったことになる。

 と、元旦に言うだけは言っておくのである。実現できるかどうかはまた別の問題。またまたウソツキでいい加減、なことになる可能性は極めて高いのだった。

 新年早々バカなことを言っておりますが、今年も何卒よろしくお願い致します。