箱船航海日誌 2002年07月
日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう
釈然とせず
掲示板、或いはメールなどで、ベテランの方々から多くのありがたいご教示をいただき、今回のウイルスメール騒動も事実関係が判明し始めている。本当にありがとうございました。 どうやら「KLEZウイルス」、或いはその亜種によるものの所業らしい。他人のメールアドレスを騙ってウイルスメールをバラ撒くという、ヒジョーに手の込んだ、しかもタチの悪いやつばらである。全く以ってけしからん。 しかしながら、僕もウイルス感染を侮っていた部分もあり、これは猛省に値することである。如何にプロバイダがフィルターをかけているとは言え、それに引っかからない場合も充分にあり得るわけだ。日々(というより秒々、か)新型が出てくるウイルスを甘く見てはいけなかったのである。 それにしても、何だか気持ちが晴れない。これもウイルス感染の一種と言えるのではなかろうか。 釈然としないのである。 |
感染?
げんきまじんさんからメールをいただいた。僕のメールアドレスからウイルスメールが届いたとのことである。これはえらいこっちゃ。こういうことの常として、僕には全く自覚がない。ウイルスバスターも警告を発しなかった。定期的にアップデートしてあるのだが、網から漏れたか?
念のため全ファイルにウイルス検索をかけてみる。結果は検出なし。どういうことだろうか? 件のメールはHTML形式で、件名は「A humour game」、内容は英文で「Hello,This is a special humour game.This game is my first work.You're the first player.wish you would enjoy it.」というものである。もし、同様のメールを僕のメールアドレスから受信された方が他にもいらっしゃれば、大変申しわけないことだが、是非ご一報下さることをお願いしたいのである。併せて、ここに心から深くお詫び申し上げます。大変なご迷惑をおかけし、誠に申しわけございません。 さらに強力な対策を打つ必要がありそうだ。但し、PCドシロウトのやることだから、どこまで有効な作戦を立てられるかヒジョーに不安である。ベテラン方々に良いお考えがあれば、是非ご教示いただけると幸いである。 よろしくお願い致します。 |
盛夏
である。気温は毎日35℃超、クソ暑い日が続く。殊に今日(7/28)の暑さといったらそれは酷く、大阪府枚方(ひらかた)市(僕の実家、高槻市のお隣である)では38.2℃を記録したそうだ。たぶんココはそれよりも少しばかりは涼しいはず、だが、37℃はあったと思う。体温並みである。 嘗ての地場産業である丹後ちりめんが栄えたのは、丹後地方が湿度の高い気候であったからと言われている。乾燥した気候だと、生糸が乾き切れ易くなり織物どころの騒ぎではなくなるからだそうだ。イナカのこととて緑が多く人が少ないせいで、今日のような気温にまで達することはそんなに多くない。それよりも、湿度が高いのは堪えるのである。 ニンゲンだけでなく、湿気が多いのはオーディオにとっても決して良いことではない。機器類は常時電源を入れておけばまず大丈夫だが、問題はユニットコーンと、何よりも困るのはADの保存である。 今でこそ、完成以来9年弱で箱船もすっかり乾き、エアコンの多用で室内の湿度は低めに保てるようになった。完成直後は生乾きのコンクリートから上がってくる猛烈な湿気と、それに喜んだカビの猛威にさらされてエライことになっていたのである。 幸いユニットコーンは無事で済んだが、ラックに収めたADの一部は酷いことになった。何となく様子が変だと思い、ラックから出してみて愕然とする。ジャケットが極彩色のカビに彩られていたのである。黒、青、茶、赤、ピンク、白、灰、世の中のカビすべてがここに集まっているんじゃないかと思えるほどの惨状だった。ペニシリンでも作るか。思わずオェともグェともギャともつかぬ声を上げ、怪しそうなADを次々出してみると、もうほとんど世界衛生博覧会状態である。 不幸中の幸いは、萬艦飾だったのがジャケット部分だけに踏み止まっていたこと。中の盤本体までは侵食されていなかった。カビは種類によってプラスチックやビニール、果てはガラスやコンクリートをも溶かす酵素を出すので、盤までやられたら致命傷である。複雑怪奇なキズが入り、二度とはまともに聴けなくなる。もう少し気が付くのが遅れていたら、盤までやられていたのは間違いない。 グロテスクなカビジャケADと、モノスゴイ臭いの中で千思万考、どないすんねん状態である。ともかくジャケットを天日に干し、そのあと固く絞った雑巾でカビを拭き取り、さらに無水アルコールで消毒脱脂する。そのあと再度天日干し、どうやらカビの再発生を抑え込むことに成功した。成功したが、数枚はヨレヨレグニャグニャのハゲジャケになってしまった。悲しいことである。 部屋のほうはコンクリートが乾き切るまで悩まされた。発生を見つけては風通しを良くし除湿材を置きエアコンを回しまくり乾燥にこれ勤め、ようやくカビと縁が切れたのは箱船完成から5年経った頃だったろうか。この地方が乾燥した気候であれば、もっと早くに、しかもこれだけの増殖もなく済んだに違いないのだが。 夏はカビも大喜びする季節である。ADファンの皆さん、気をつけましょう。って、こんなしくじりは僕くらいしかしませんやね。 |
タコミミか
RCA LIVING STEREO200g盤シェエラザード、昨晩HP更新後少しく試聴できたので報告したい。 本当ならY31さん謹製砲金TTプレートを使った状態で聴きたかった、が、只今DHK中なので仕方ない。聴きなれたJP-501に戻しての試聴である。 まずは180g盤から聴く。文句無しである。凄まじい高域の切れと透明感、ハイトランジェントとはこういう音だと言わんばかりのすごい音である。良い音だ。さて、そこで200g盤登場。 一聴、やや穏やかなふうに聴こえる。ちょっと切れが後退気味かな? と思っていたら。後半、クライマックスにさしかかるとがぜん本領発揮、おとなしいと思わせたのは、実は歪みの少なさによる所業だったようである。200g盤を聴いた後、再び180g盤に戻ると、こちらはややオーバーシュート気味に聴こえなくもない。高域の静かさ、自然さ、低域の芯、全体的な歪み感の少なさ等の点で、180g盤をわずかながらも上回っていると感じた。低歪み高分解能、ハイトランジェント、というのが200g盤を聴いての印象だった。 こういう感想を得て、今朝方掲示板を覗いてみたら「SCHEHERAZADE200g」という、AE86さんからのメッセージが。そこには「100回以上こすった180g盤のほうが、筆おろし200gより情報量で勝っていました」とある。う〜む、なるほど、AE86さんはそう聴いたか。「100回以上こする」ことによる盤のエージングみたいなものがあるのだろうか。ウチの180g盤はそんなには聴いていないしなぁ。それとも僕の耳がタコミミなのか。 この印象の違いは、ひょっとすると聴取音量の差によるものかも知れない。良し悪しはともかく、おそらく僕のほうがデカイ(馬鹿デカイ、と言ってよい)音で聴いているはずである。限度を超えた大音量で聴くと耳が飽和してしまい、正確な判断が出来なくなるのは当然のことである。もちろん、僕の音量はそれほどの大音量ではないわけだが、それでも僕は自己評価にイマイチ自信が持てない。無責任なのである。 とは言え180g盤と200g盤の差はかなり高いレベルでの事であって、どちらかの圧勝、完敗というわけでは決してない。どちらを選んでも後悔はないと思う。これは自信を持って言える。今ならプレミア付き180g盤を高額で入手するより、現行200g盤を適正な値で買ったほうが良いだろう。 今後は他のタイトルも順次200g盤化されるようなので、ここはひとつ大いに期待したい。こうなってくると、やはりAD漁りに専一とならざるを得ないのである。 ビョーキですな。 |
+20gの効果
今月はどうしたことかソフトネタが多くなってしまった。7タイトル目である。ネタ切れバレバレか。 今日のタイトルはADである。「ライナー/シカゴシンフォニー/シェエラザード」(米RCA LIVING STEREO LSC-2446)。これは昨年5月の日誌で紹介済み。ネタ切れくずてついよいよ血迷った、というわけではなく。 以前紹介したものは、180g復刻盤。ご存知超優秀録音盤である。今回のブツは最近発売された、さらに重くなっての200g復刻盤である。ジャケットデザインは全く同一、違いは外装のビニール袋に楕円形のシールが貼ってあることくらい。写真の右下に見えるのがそれである。シールに曰く「200 GRAM SUPER VINYL PROFILE/CLASSIC RECORDS QUIEX SV-P」とある。 デザインは同じだが、よく見比べると多少の違いはある。200g盤のジャケットはボール紙のような質感の厚い紙で作られている。そのせいか、表面の艶がやや落ちている。紙を厚くしたのは200gの重量に耐え得るための変更だろう。ジャケットの高級感では180g盤に分がある。 180g盤には通しのシリアルナンバーシールがジャケット裏に貼ってあったが、200g盤にはそれがない。ナンデかな。180g盤より多くプレスしたのかな? 盤本体は、さすがに貫禄がある。厚く、重く、硬い。数字にするとたった20gの増加に過ぎないが、実際に持ってみるとかなりの差に感じられる。厚みも僅かに増えているような感じである。初めて手にした時は180g盤も随分硬いと感じたものだが、この200gの硬さは尋常ではない。但し、Qが高く盛大に鳴きそうな硬さではないように思う。 さて、肝心要はその音である。申しわけない、残念ながら未だ聴けていないのだった。早く聴きたいとは思えども、週末はバタバタして時間が取れない。同じ聴くなら時間的にも精神的にも、余裕を持って聴きたいのである。 180g盤と200g盤、音にどれほどの違いがあるのだろうか。ヒジョーに楽しみである。 ROKUさん、どうもありがとうございました。 |
当たるかな
Y31さん謹製砲金TTプレートネタで5日間も引っ張ってしまったので、そろそろ他のネタに振るのである。DHKは現在進行中である。 梅雨が明けて以来、毎日イジョーに暑い日が続いている。熱中症、脱水症状には充分注意しましょう。あまりに暑いので、何か涼しそうなソフトはないかいナ、と出してきたのは上のCD。「鳥の楽園セイシェル」(日CBS/SONY 38DG28)である。ジャケットが爽やかでなかなかヨイ。夏向きである。(P)(C)1984と、毎度のことながら古〜いタイトルである。 このCDは、長岡先生の記事を読んでいた方なら良く良くご存知のはず。あちこちで紹介されていたし、冒頭に入っている波の音を、先生は晩年までテストに使っておられた。海水が浜辺に打ち寄せ、また引いて行くときの水音、砂浜(珊瑚砂?)の上で細かい泡がはじける時の音、それにフェードインしてくる鳥の声の定位、などをチェックポイントにテストしておられたご様子だった。 これを探している人は結構いるらしく、しかし18年も前の国内盤、とっくの昔に廃盤になっていて入手困難だそうである。それなれば、再発盤は存在しないのだろうか。 そこでHMVで「セイシェル」をキーワードに検索をかけてみる。そうしたところが、それらしいものが3タイトル見つかった。 SMEアクアプラネットレーベルから出ている「セイシェル鳥の歌」(CSCL1650)と、同じくSMEから「セイシェル-鳥の歌」(MHCL104)という2タイトルである。CSCL1650が1991年発売で2,718円、MHCL104は2002年発売で1,000円。ひょっとすると、この二つは同じモノかもしれない。ただし、これらが38DG28と同じ内容かどうかは保証の限りに非ず。聴いてみなければわからない。 アクアプラネットレーベルの他タイトルを見ると「波のささやき」(CSCL1648/1991発売)というのもあった。これの紹介ページではサウンドサンプルが聴けるようになっている。でも、聴くためのソフトがない。ので、Windows Media Playerをダウンロードして聴いてみた。 サンプルを聴いた限りに於いては、38DG28とまったくの同一内容では無さそうということだけは分かった。音はヒジョーに良く似ている、ように聴こえた。同じマスターからの抜粋かもしれない。尤も、PCのオモチャSPで聴いたのでは確かなことはわからない。しかもサンプル音源は圧縮されている上に1分程度でオシマイなのである。う〜む、ようワカラン。 つまらないことで悩んでないで、さっさと買ってみればよいのである。それが一番ハナシが早い。ちゅうことで、この3タイトル、早速注文してしまったのだった。 このうち、どれか一枚でも当たれば良いのだが。 |
見とれておっては遺憾
昨日と変り映えのしない写真で、恐縮至極である。今日は比較的時間に余裕があり、外へ出てもひたすらに暑いばかりでもあるので、涼しい部屋でTTプレートDHK三昧。ともかくも早く完了しないと音が聴けないので、ヒッシである。 職人さんが心を込めて作ってくれたモノだから、ドシロウトの僕が手を出すにもいい加減なことは決してできない。であってみれば、研磨にはやはり時間と労力が必要なのである。一日中コシコシコシコシコシ、研磨完了領域は昨日の倍、にも達したかどうか。右手中指の先っちょがシビレているのである。 明日から週末にかけてはちょっと時間が取れそうにない。寸暇を縫っての作業になる。全面鏡面が実現できるのはいつ頃になるのか、う〜む、先が見えん。ちょっと磨けて綺麗な面ができると、それに見とれてしばらく眺めて喜んだりしてるからなかなか進まんっちゅうハナシもあるわけだが。 サクサクやりましょうね。 |
もう一日
今日もY31さん謹製TTシートで引っ張るのである。 到着から今日まで寸暇を惜しんでADを聴き続け、その優秀さを益々思い知らされている。このまま使い続けるに如くは無し、僕のAD再生に必須のものとなった。 仕上げは先日も書いた通り素晴らしい。この面積をここまで磨くのには計り知れぬ手間がかかっているのである。しかも一枚だけのことではない。複数枚、この作業を繰り返されたわけだ。恐ろしいハナシである。本当にお疲れさま、ありがとうございました。 さて、自称DHK総裁の僕としては、その後を受け更なる鏡面を目指して研磨研鑚に専らとなるべし責務がある。と、勝手に思い込むのである。簡単な作業ではないことは明白、しかも一旦磨き始めたら完遂するまでこの素晴らしい音が聴けないという、またしても禁断症状を発する危惧がある。にもかかわらず、ついに我慢できず実行に移してしまったのである。 誤解のないように申し上げておくが、仕上げに不満があってのことではない。単純に磨きたいのである。「山がそこにあるから登る」ではないけれど、ここにTTプレートがあるから磨くのである。さればこその、自称DHK総裁なのだった。 始めてすぐに後悔した。この面積はシャレにならん。GMホーン如きの比ではない。と言うも始めてしまったら前進あるのみ。ようやく1/5程度が磨けたところである。ああシンド。 写真の左半分が未研磨部分、右半分が研磨済み部分である。ダイヤモンドペースト容器についている目盛り、1と2の間くらいがその境目になる。元々の仕上げ精度が極めて高いので、根気を持ってひたすらに磨けばご覧の通り、美しい鏡面が出現する。まさに砲金の鏡である。 こうすることが音のために良い結果となるのかどうか、それはわからない。少なくとも悪くはならないだろうと、これまでの経験則から判断するだけである。 ピカールでほぼ鏡面まで磨き、次に#8000と#15000のDPで仕上げることとする。全面が鏡のように美しくなれば、音ももっと美しくなるかな。 しばらくはまたぞろDHK勢力拡大運動に専一となりそうである。 |
ピタシと密着
砲金TTプレートネタで引っ張ってしまうのである。Y31さん、おかげさまです。 写真は実際にレコードをかけているところを、真横から撮ったものである。レコードとTTプレートの密着グワイをご覧に入れたかったのだが、イマイチ上手く行かず企画倒れの感アリ。見事にピンボケである。何となく雰囲気くらいは感じ取っていただけるだろうか。 この撮影に使ったレコードは、わりとソリの大きいものである。しかも単純なかたちではなく、グニャグニャと複雑怪奇な反りかたである。それが凡そ平面に矯正され、プレートにピタシと密着している。このメリットは大きい。 サブソニックフィルター必須だったディスクも、フィルターなしで楽々再生できるようになる。但し万能とは言えず、波の細かいソリに対しては対応し切れないのは致し方なし。吸着シートでもそう上手くは行かない。 外周から中心に向って1.2度の傾斜、つまりごく緩やかなスリバチ形状に仕上げられているわけである。と言うことは、針先に対して盤面が傾いていることになる。盤面に対して針は垂直に降りるのが基本ではなかったっけ? もちろんそのとおりである。そうでなければイケナイことになっている。 仮に盤面が完全平面であるとするならば、厳密な垂直にこだわるべきである。しかし、実際には盤面はひどく凸凹であって、誇張して言えば平面などどこにも存在しない。寧ろ重視すべきは、盤面に対して垂直を実現することではなく、針先が鉛直であることではないかと思う。 1.2度傾いている盤面に対してどうしても針先を垂直に落としたいのなら、ヘッドシェルを内側に1.2度傾ければ見かけ上は垂直に接触させることができるわけだ。だが、これがヒジョーにグワイの悪いことはADファンならすぐわかるだろう。左右の重量バランス(所謂ラテラルバランスである)が均等でなくなるからである。僕にはこのデメリットのほうが大きいように感じられるのだが。尤も、シェルを傾けるなんてこと、誰もやらんだろうケド。 このあたりの話を始めると、EPA-100MkIIはS字型アームにもかかわらず元々ラテラルバランサーが付いていないじゃないか、とか、ストレートだろうがS字型だろうがJ字型だろうがラテラルは無いほうが良い、とか、ストレートだけに不要なのであって、こだわればS、Jには絶対必要、とか、極めてヤヤコシイ話になるし、僕の無知がバレるのでもうヤメておこう。いずれにしてもAD再生周辺は、妥協の産物だらけなのである。 ええと、ともかくこういうわけ(?)なので1.2度の傾きは、メリットがデメリットを上回っているのではないか、と。。これまで使ってきたJP-501(たぶん701も)だってちゃんとスリバチ状になっていたわけだし。 何だか結論を強引に乱暴なところへ押し込んでしまったようである。この件については、ベテランADファンの方々に教えを乞いたい。理屈は後から付いてくるもの、要するに音が良ければいいじゃないか、とおっしゃるムキもあるだろう。それも然り。だが、専門知識に浅薄な僕にとっては、理屈を知っておくこともまた重要なのである。無知な僕が「音が良ければOK」などと言ったら、それはタダの負け惜しみにしか過ぎない。 よろしければ、どうかご教示くださいますように。 |
好調
砲金TTプレート、絶好調である。日誌の更新もそっちのけ、昨日からヒマさえあればADを聴き倒している。音の抜けが非常によくなったので、何を聴いても実に気持ちが良いのである。 もう少し聴き込む必要はあると思う。タイトルによってはやや低域が勝ち気味になるものもあるからだ。そのあたり、使いこなしに一工夫要るかもしれない。いずれにしても、これはスグレモノである。 またしても、AD再生の奥深さを思い知らされるのだった。 |
による砲金製ターンテーブルシートである。AE86さんもHPで述べておられるとおり、これはもう「シート」ではなく「プレート」と言ったほうが正しい。最外周の実測厚み6.6mm、中心に向って1.2度の傾斜がつけられている。実測重量3,080gと、かなりのヘビー級である。頑固な旋盤職人さんによるこだわりの仕上げはご覧の通り非常に美しく、質感は最高。持つことの喜びを感じさせる逸品である。もちろん、Y31さんの「DHK」も効いているわけだが。お疲れ様でした。 単体では鳴き易い。ただし、非常に綺麗で澄んだ音である。濁りは一切感じられない。実際の使用状況では鳴きはピタリと止まり、写真の状態で軽く叩いても「コツコツ」という音がするだけ。まったく問題ないだろう。 ちょっと心配だったのは、プレートとディスクの間でスリップしないかということだった。スタビライザーを使えばまったく問題なし。ピッタリと密着する。その状態でダスパーを当ててもスリップは皆無、1.2度の傾斜は極めて効果的である。 やや明るめの派手な音、あるいは硬質な音になるのかと思いきや、さに非ず。余分な音が減り、聴きたい音がより際立ってくるような印象である。低域は良く締まってしかも豪快、力感が増す。中域、特にボーカルの解像度が上がり他の音との混濁が少なくなる。高域は粒子が細かくなり輪郭鮮明、透明感増大、しなやかさもありキツイ音はまったく出さない。トータルで見てこれまで使ってきたJP-501を明らかに上回る音だと思う。 まだ数枚のレコードを聴いただけであって、上記はその範囲での印象。所謂ファーストインプレッションに過ぎない。あまり尤もらしいことは語れないのである。これまでの経験からすると、こういうものにもエージングはあるので、ともかく使い続けることが大切である。少なくとも悪くなることはないと思う。 音云々の前に、モノとしての素晴らしさに打たれるのである。しかも、この仕上げ、この材質、この精度からして35,000円はおっそろしく安いということ。ほとんどボランティア状態。僕はこの製品に、儲けを度外視した職人さんの「魂」を感じるのだった。こういうものを世に出してくださったY31さんには、深々の敬意を表し、心から御礼申し上げたいのである。 ありがとうございました。大切に、永く使わせていただきます。 |
ハクのおにぎり
「千と千尋の神隠し」のパッケージソフトが発売になった。チマタでは記録的な興行成績を挙げた映画である。内容については今さらここ書く必要はない。流離いの旅人さんは、いみじくも「トトロ + 魔女宅 + 紅豚 +
もののけ」と表現しておられたのである。何となく拡大再生産風に思えるのは、僕がコンジョ曲がりのせいだろう。でも、それなりに楽しめちゃったケド。 内容はともかく、画はとても綺麗である。部分的にCGも使われているようで、異様なまでの立体感と実在感のある風景描写は圧巻。カラフルで鮮やか、しかもどぎつさがない。人間よりも妖怪(物語上ではヤオヨロズの神々というが、ありゃどう見ても妖怪だな)のほうがリアルに見えるのはちょっと皮肉である。 画は間違いなく大画面向き、惜しいのは音である。SEと台詞の音量差が大きく、確かに大音量を意識した音作りなのはわかる。しかし、イマイチ。SEに芯がなく、台詞はややうるさい、にもかかわらず明瞭度が足りないというフシギな音である。尤も、この映画をそんなふうに観たり聴いたりする人なんかいないんだろう。 上の写真は予約特典の付録「ハクのおにぎりフィギュア」である。?。なんのこっちゃ。 「千尋がハクからもらったおにぎりを食べる」シーンが作品中特に印象的であるということで、宮崎監督が握ったものを原型にフィギュアを作り、それが付録になっている。う〜む、いまいちようワカラン。 働くことが尊いことは論を待つまでもないことである。当たり前だ。不労所得は良くない。我が宗門の祖師、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師(720〜814 中国)も「一日不作、一日不食」(いちじつなさざれば、いちじつくらわず)と遺されている。 わざわざおにぎりフィギュアを付けるほどに、この映画の伝えんとするところがそういうことであってみれば、あまりにもテーマがボケ過ぎていやしませんかと突っ込む....ようなヤツは観ちゃ遺憾のだろうな。イエ、決してケチを付ける気はゴザイマセン。 キーパーソンは「カオナシ」ですかねぇ、ヤッパリ。 |
こだわれば
妻が楽しみにして育てている鉢植えブラックベリー、今年は僅かながらも実をつけた。理想的には鉢植えでなく路地植えにし、好き放題伸びるに任せたほうが出来が良いのは分かっている。ただし、その状態で景観をまとめるのには多大な手間がかかることも分かっているので、気の毒だが窮屈な鉢植えで辛抱願っているわけである。 ただ取って食べるだけでなく甘くて美味しいジャムを作るんだと、妻は張り切っている。そうなるにはこの先かなりの時間がかかりそう。バケツいっぱいほどの実が成る頃、アンタはバアさんに成ってるんじゃないの。ここまで来るだけでも2年以上かかっているというのに。楽しみにしてるからぐゎんばってください。 上の愚息が収穫係である。毎朝熟しグワイを調べては「こんだけ採れた」と、朝ゴハンのデザートにする。「ちょっと触ってぽろんと取れるのが美味しいヤツだ」と、いっぱしのことを言う。4人家族で一人充て2〜3個。それもあと3、4日で終りそうである。まことにささやかな収穫ですコト。 数は少ないながらも味はなかなか良い。鮮度が高いからかな。水のやり方、土の選定、コヤシの種類、摘枝の方法などにこだわれば、もっと大きくて美味しい実が沢山付くんだそうな。何だかに似たハナシである。 そこまでやり切れるのか、ウチの妻。たぶんやらんだろうな。 |
HMV
僕のような地方在住の者が輸入CDを買おうとする時、グワイ良く通販してくれるお店を探し当てるのが非常に重要になる。京都、大阪、あるいは神戸まで出れば店頭で買えるのだが、なかなかそこまでの時間が取れないのが現状であるだけに。 ヒデヨシさんから教えていただいたHMV、早速試してみた。ヒジョーにグワイがよろしく、前々から気になっていたタイトルと、先日友達が紹介してくれた優秀録音盤数タイトルをまとめて一度に注文できた。 検索し始めると面白くなってしまって思いつくキーワードでどんどんやってみると、食指の動くタイトルが随分見つかった。AD時代に買い逃したもののCD、好きな作曲家の新譜など。中でも嬉しかったのはジョージ・クラムの新録音盤があったこと。僕はこの人の大ファンである。 ジョージ・クラムと言えば、やはり上のタイトルだろう。「魅入られた風景」(米NEW WORLD RECORDS NW 326-2)。A級外セレ第二集で「100枚中ナンバーワン」と評価された優秀録音盤である。写真はCDだが、ADに遜色ない音を聴かせる。「スピーカーを無視した三次元的音場」「ピンポイントの定位」「手で触れそうな音」という表現が誇大でもウソでもなかったことを知ったのは、このレコードを聴いた時である。曲そのものも僕の好みにぴったりはまり、それ以来のクラムファン、というわけである。 このタイトルはHMVのカタログにちゃんと入っているし、英CALAレーベルからの「ブラック・エンジェルス」もあった。あとは「マクロコスモスIII」「古代の子供達の声」の新録音、「クリスマスのための小組曲」ナドナド。録音が良いかどうか、それは全く分からない。けれど、おしなべてクラムのタイトルは音に統一性があり大ハズレは少ないので、期待しているのだが。 ここのところCDはほとんど買っていなかっただけに、しばらくは新しいタイトルの発掘専一になりそうである。 ヒデヨシさん、ありがとうございました。 |
マルチでなくとも
僕が紹介するソフトは、いつもいつも古いものばかりで誠に恐縮至極。今日はなぜか突然スティングである。「Sting/The
Soul Cages」(日ポニーキャニオン PCCY-10168)。(P)(C)1991。11年前のタイトルである。古いね〜。例によってこの番号では廃盤になっていると思われる。尤も、輸入盤のほうが安くて音も良いかも知れない。 僕は特にスティングのファンでもなんでもない。この人の音楽は、ポリス時代からどちらかと言えば苦手である。にもかかわらずこのCDを買ったのは、これが全曲「Q SOUND」で録音されているからである。 「Q SOUND」とは、2本のスピーカーだけでサラウンド感を実現するという、一時期流行った録音方式である。あの時もフォーマット林立(と言うほど多くもなかったか)、テラークは「SPATIALIZER」という方式(TWO SPEAKER・3D SURROUND SOUND と銘打ってあった)を推進していたし、他にもローランド開発の「RSS」ちゅうのもあった。サンスイの「QS MATRIX」も復活しそうになっていなかったっけ? 沢山のスピーカーや専用デコーダーなどが全く不要なのは大きなメリット。しかも後方定位まで完璧に実現するという触れ込みで盛り上がりそうになっていたものの、知らぬ間にどこかへ消えてしまった。今も細々と生き延びているのかもしれないけれど、僕にはよくわからない。当時長岡先生はそれなりに評価し、その後の展開に期待しておられたようでもあったが。 純然たる2chで聴くのが正しい聴き方である。確かに広大な音場感である。が、自然な音場をそのまま再生しているのとはまったくちがうわけだ。人工的である。いきなり目の前にギターが飛び出してきたり、後方からSEが聴こえたり、突然耳もとで人が囁いたりと、かなり好き勝手なことをやっている感じ。ただし、非常に面白いとは言える。「完璧な後方定位」も看板に偽りナシ。ピンク・フロイドあたりがこれで録音すれば効果絶大か。 僕のシステムは常時SPマトリクスで聴くことになっている。2chで再生すべきものをこれで聴くとどうなるか。やっぱり面白いのである。音場がさらに広く、移動感は大げさなくらいに強調され、ちょっと気色ワルイくらい。2chでは聴こえなかった音がゾロゾロ出てきてギョッとする。だが、これが正しい音なのかどうか、極めて疑問である。たぶん誤った再生方法だろう。聴こえちゃ遺憾音まで聴いているのだろうな。 正誤はともかくとして、このCDはSPマトリクスの良否を判断するのに便利なので、時々鳴らしてみるのである。2ch再生時より音数が減り音場が混濁するようなら、リヤSPの設置位置やユニット能率などを調整する必要あり。F、Rのユニットキャラクターにも敏感で、不揃いだとモロに継ぎ目が分かってしまう。決して優秀録音盤ではないのに、そういう違いは実に良くわかるという、フシギなCDだ。 2chはもちろん、SPマトリクスで聴くにも、一聴の価値あり、か? |
早く寝なきゃ
今(7/15)晩は忙しい夜だった。どういうご縁か、オーディオ仲間からの電話が4件集中したのである。こんなことは極めて珍しい。しかもほとんど間髪入れず、1件終って数秒で2件目、また数秒で次と、何だかあらかじめ順番を決めてあったみたい。フシギである。 それぞれに楽しい話題がたくさんあり数分で終れるようなものでもなく、ついつい話し込んでしまう。平日、しかも週明けの夜、みんな早く寝なきゃイケナイのにね。 メールや掲示板での遣り取りも良いけれど、電話でリアルタイム情報を交換するのもまた楽し。それに呆けて今夜の日誌は半ばサボり状態である。 ゴミンナサイ。 |
一味違うね
このタイトルは、晩年の長岡先生がしばしばテストに具しておられたCDソフトである。「frofro/JOCULATORES」(独RAUM
KLANG RK-9503)。先日ここに載せた、友達製作によるFE-103Memorialシステム試聴時久しぶりに聴き、録音の優秀さ再確認しての登場である。こういう音を聴かされると、CDもまだまだ捨てたモンじゃないと、思うのである。 まだ先生がお元気だった頃、方舟へお邪魔するたび僕は新しいCDタイトルを数枚持ち込んではお聴かせし、不遜にも先生を出し抜いてやろうと躍起になっていた時期があった。もちろんそのほとんどは聴き始めて数秒で玉砕、あるいは「もう聴きました」「これならあります」の一言で終ってしまうのだった。 それでも1〜2タイトルは「ダイナミック・ソフト」に取り上げてくださったし、ジャケットをお見せしたとたん、「これはすでに次回のダイナミック・ソフトでの紹介が決まってます」ということがあったりして、とても楽しかった。 ある日、いつものようにこれは良いかなと思われる古楽のCDを持ち込んだことがあった。それを数秒聴いた先生はラックから一枚のCDを取り出し、黙って僕に聴かせて下さった。それは僕が持参したものを全ての点で遥かに上回る優秀録音盤だった。「あっ、これは....」と驚く僕を見た先生は、ニヤリと笑って一言。 「一味違うね」。 それがこの「frofro」だった。思い出深いタイトルである。 全18トラック、70分35秒。どの曲を聴いても美しい響きと伸びのある音、広大で高い音場感に圧倒される。特にトラック12の3分45秒から、大量のベル(と言うより幅5cmくらいの小ぶりなカウベルみたいなものか?)が一斉に鳴らされるところは一聴の価値大。高域の分解能が厳しく問われる部分である。 どういうわけかRAUM KLANGレーベルの中でもこのタイトルは入手困難で、手に入れるのに少々時間がかかった。僕が買ったのは'99年9月5日、3年も前である。今もそうなのかどうか検索サイトで「フロフロ」をキーワードに検索していたら、入手の難易度は分からなかったが面白いページにヒットした。これとこれとこれとこれとこれ、がそうである。既にご存知の方も多いと思うけれども。 なるほど、先生はこんなところでも「frofro」を使ってテストしていらっしゃったわけだ。門外漢の僕には、新鮮な驚きである。 「眼を閉じて聴けば拡がるかもしれないが、ドライバーが眼を閉じたら大変なことになる」という一節には、思わず笑ってしまいました。 |
痛快
友達からの置き土産、「雷」の生録CD-Rである。雷の録音は、僕も何度か挑戦したことがある。結果は惨敗、全敗である。録音レベル設定が極めて困難なのである。デカイ一発でたいがいレベルオーバー、仮にレベルOKでもマイクがひどく叩かれ音にならない。やや上手く行ったと思われるものが一回だけあるものの、やはりピークが潰れ極めて不自然である。 このCD-Rは素晴らしい。御本人は「高さが出ないのが不満」とおっしゃる。そんなことはないのである。遥か上方、というわけには行かないが、充分高い位置に定位する。これくらいのほうが却って自然とも言える。 相手が雷ということで、小音量ではちょっと寂しいのは当たり前。ボリュームを12時くらいまで上げるとがぜん本領発揮、痛快、爽快である。雷パワーここに炸裂。バリバリと空間を引き裂く音の後に続く猛烈な超低域の噴出でズボンの裾がはためくのは、実に快感である。ピークにクリップ感がないので音に伸びがあり極めてナチュラル、相当な音圧にもかかわらずうるさくはない。この録音は、正にお見事である。 完璧な再生は極めて困難である。小口径ユニットではもちろん20cmクラスでも、方式にかかわらず一発では苦しい。雷パワーに対抗するには圧倒的物量が必要である。現状の箱船システムでも、完璧に対応しているとはとても言えないと思う。「かなりホンモノらしく聴こえる」という程度のことである。 録音は最高でも、再生側に問題があればその真価は発揮されない。雷にかかわらず、全てのソフトについて言えることである。中でもこのCD-Rのように、機器にとって厳しい条件を突きつけてくるソフトを再生することは、現用システムの能力を計る上において大きな意味があるのである。 「雷や大砲の音を鳴らすのにどれほどの意味があるのか。オーディオとは音楽を聴くためのものだろうに」とは、僕のようなスタンスでオーディオしている人間に向けられる批判の言葉である。お説ご尤も、とは思う。思うけれど、より良く、より忠実に、より自然に「音楽」を再生するためには、音楽以外の厳しいソフトも必要になることを知って欲しい。 数ある音楽ソフトの中には、雷や大砲を再生する以上に厳しい条件を満たさねばならないものもあるという事実。それを知ったとき、オーディオはさらに深まるのである。 |
また会う日まで
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうのである。5年ぶりに訪ねてくれた友達は、相変わらず素晴らしい耳と音に対する感性の高さで、僕に多くの示唆を与えてくれた。たくさんの貴重な音源を聴かせて貰えたのも、稀有の体験だった。 彼との付き合いは、オーディオ仲間の中では一番永くなった。僕が丹後にやってきて間もない頃に知り合ったわけだから、もう12年以上になる。箱船に至るまでの僕のオーディオシステム全てを聴いているのは彼一人のみ、非常に貴重な存在である。 超高感度の耳と多くの経験則に裏付けされた豊かな感性を持つ彼に音を聴かせるということ、これは極めて緊張感の高い行為である。しかも上記の事情により手の内は知り尽くされているだけに、ゴマカシは一切効かない。ジャッジを待つ被告のような心境である。 一通り音を聴いた彼は、「誠に失礼ながら」と前置きののち曰く。 「以前のくずてつさんは、長岡先生の音を真似ることに専一だったように思います。しかもそれは総合的に真似るのではなく、ある一部分、例えばハイスピードであることのみ、或いは音に切れを出すことのみに、こだわっていたようなふうでした。確かにそれは成功していたかもしれません。しかし、バランス、さらには独自性の表出という点においては必ずしも上手く行っていなかった。現状の音は、その辺りが大幅に改善されています。SネッシーとSWのつながりも良く、SPマトリクスもうまく決まっています。立ち上がりが良く、しかも大音量再生でも全くやかましくならない。非常に良いです」 この言葉は、僕にとって最大の賛辞である。彼一流の心遣いがあることを差し引いても、僕は素直に嬉しいのである。 この他にも、オーディオに対する姿勢、音の追い込み方、今後の方向付けに関して幾つかのアドバイスがあり、極めて充実した時間を過ごさせてもらった。こういう友達は、本当にありがたい。頻繁に御出でいただきたいと思えども、それを気軽に叶えられるような近在ではないのがヒジョーに残念である。 ご遠方を遥々、本当にありがとうございました。御礼の言葉は尽くせません。次回は是非お宅へお伺いできればと、本気で考えています。 奥様にはくれぐれもよろしくお伝えください。 |
その音は
極めて豊かで、艶があり、立ち上がりが良くしかも鋭くなく、きめが細かく瑞々しく、暖かい響きを持ちながら鮮明なことこの上なし。音場は晴れやかにどこまでも広く、箱船の空間いっぱいに音が充満する。ストレスをまったく感じさせない、早い話が超々高品位サウンドなのである。 友達オリジナル設計のシステムである。サイズは350H×300W×250D。正確な重量は計れなかったがたぶん10kgを下回ることはないと思う。サイズのわりに重い。ユニットはフォステクスFE-103Memorial 1発。ご覧のとおりのバスレフシステム、だが、エンクロージャーが凄い。6面琉球松ムク板(貴重品!)仕様。バッフル、裏、底、天板は30mm厚、側板はなんと50mm厚ある。ルックスはご覧の通り、非常に美しく堂々としていて、見ているだけで勇気が湧いてくる。 構造的には極めてシンプルで、バスレフダクトも板厚分がそのままダクト長になる。パイプの類は使われていない。ただし吸音材には細心の注意が払われていて、最小限度の量で最大の効果を発揮するように独自の工夫が凝らされる。材質の組み合わせと配置方法は「伸身後方宙返り一回半ヒネリ前方二回宙返り半ヒネリ降り」(?)と言った感じである。僕には絶対マネできない。 冒頭に書いた通り、音は素晴らしく良い。ユニットの良さももちろんある。しかし決め手はエンクロージャーの設計と材質、それに良く考えられた吸音材だろう。「たまたま上手く行ったね」とはご本人の弁、これはご謙遜である。こんな音を「たまたま」で作られたんじゃカナワナイ。 同じFEシリーズとは言え、僕が使っているものとは対極にあるようなユニット、システムである。これを聴いていると自分のやっていることがまったく無意味に思えてくるから困るのであった。10cm一発。これでええやんか。馬鹿みたいに大掛かりなことやる必要ナシ。 超強力な磁気回路と軽い振動板を組み合わせたユニットをBH、或いは共鳴管で使い、不足する低域はSWで補強、ハイスピード高解像度サウンドを狙う、という方向。上手く行った時には素晴らしい結果を得られるが、音に独特のストレスが付いて回るのもまた事実。ストレスと言って誤解があるなら、緊張感の強い音、と言い換えても良い。 それに比してこのシステム、10cmフルレンジ一発にそのユニット最大限能力を発揮できるようなエンクロージャーを設計。寸法比、材質、ユニット取り付け位置、吸音材に万全の注意を払い、けれども総合的にはおそろしくシンプルで単純明快である。結果、妙なストレスがなく極めて素直な、しかも音楽ファン、サウンドマニア両者が高い次元で納得できる音が見事に実現されている。これは一つの極みである。 オーディオとは決して一方向ではない。アプローチは無限である。このスピーカーを聴いて、僕は自作の原点を改めて思い知らされたような気がしたのだった。 自分の音は自分で作る。当たり前のこと、だが、極めて困難でもある。 |
毎度毎度
苦労するのである。お客様が見える前の掃除に。「苦労」なんて、まるで人のせいみたいなことを言うが、我が心掛けの悪さが全ての原因である。 今日は遠方から、5年ぶりに旧友(もちろんオーディオ仲間である)が来てくれる日である。昨年結婚した彼が、奥様を伴ってやってくる。彼一人なら、さほど気も遣わない。この部屋の状態で、奥様をお迎えするのはあまりにも恥ずかし過ぎるのである。 かつてホームシアターがまだ珍しく市民権を得ていなかった頃、導入した三管式プロジェクターVPH-100QJの様子を遠路遥々見に来てくださったS社のM松氏は、僕の部屋を一目ご覧になってこうおっしゃった。 「今後は是非、女性も呼べるようなお部屋にしてください」 箱船建築以前の話である。それから既に10年、箱船に至った今も、僕の部屋は「女性を呼べない部屋」のままである。まったく進歩なし。どうしようもないのである。 今さら慌ててみても仕方ない。一日やそこらで「女性を呼べる部屋」になんか、ゼッタイにならないのである。たぶん一生不可能。しかし、現状では「誰も呼べない部屋」と言うべきほどのキタナサである。なんぼなんでもこれはなんとかせねばならない。 例によって、散らかっているものの置き場所を変えるだけの「ブルドーザー的整理」しか出来ないんだケド。 奥様、ゴメンナサイ。 |
悟りの境地
竜安寺、言わずと知れた石庭で有名な禅(臨済)宗寺院である。絶妙に配置された石と波模様がつけられた白砂で、臨済宗の世界観、悟りの境地を表しているという。彼の有名な(といっても現代音楽ファンだけに、かな?)ジョン・ケージの作品にも「Ryoanji」という曲(この人の作品には『曲』と呼ぶも憚られるものが多いのだが)が含まれたAD(米
mode records mode1/2)がある。面白い曲かどうかは別として、優秀録音盤である。 今日の会議は竜安寺境内で開かれた。残念ながら会議に専一で、石庭を拝観する余裕はなかった。写真は帰途に立ち寄った縁故寺院の中庭にあった石庭。小さいながらも実に雰囲気のある良い空間である。重ねられた年月の為せる業であろう。 竜安寺が禅宗寺院であることはつとに有名、だが、その中でも臨済宗、しかもウチと同様妙心寺派であることはあまり知られていない事実である。実は僕も大学時代までは知らなかった。お恥ずかしいハナシである。 妙心寺にも竜安寺にも、境内に目立つのは修学旅行の学生さんと、もう一つは外国のお方の姿である。最初に出会ったのは中学生たち。言葉のイントネーションから察するに、関東方面から来ている様子だった。僕らの姿を見てムジャキに走り寄り「一緒に写真撮ってくださ〜い!」と言うので応じておいた。住所も訊かれたけれど、写真、ちゃんと送ってくれるのだろうか。 外国の方はそれほど積極的ではなく、僕らを遠巻きに見て何やらヒソヒソ話。おおかた「あれが日本のお坊さんだ」「そうね、ガイドブックで見た写真と同じね」とか言ってるんだろう。見せモンやないで。中には片言で「コンニチワ」と声をかけてくれる人もいた。 石庭に象徴されるが如く、「禅」に特有の神秘的なもの、スピリチュアルなものに関心があるのだろうか。残念でした。僕はそんなご立派なものではござんせん。 そう言えばオーディオ界にも「SATORI」というアンプ(否、メーカーでしたっけ?)がある。語源はやはり「悟り」なのかしらん? あるいは「サトリのバケモノ」の「サトリ」、って、んなワケないか。 「オマエは今、こんな音を聴きたいと思ったろう」と、リスナーの望む音をかたっぱしから再生してみせるアンプ、だったら凄いなあ。 |
再び火急
どうも先月から身辺が落ち着かない。個人的なことについては何ら問題ない。仕事に関係して周りの状況がひどく不安定な感じなのである。 今日も火急の用件で一日非常に慌しかった。明日(もう今日だな)はそれに関連して京都市内に午前8時必着、ヤヤコシイ会議が待っている。できればご遠慮申し上げたいところだが、そうも行かないらしい。 というわけで、申しわけございませんが今晩はこれにて失礼をば致します。明日はマトモな更新に致します。お赦しください。 |
香
最近本堂などで常用している線香である。白檀粉末100%、余計な香料、着色料は一切不使用のスグレモノである。写真は短いタイプ、この他に長手タイプもある。 線香にもピンからキリまであり、キリはお徳用と銘打つ写真の3倍くらいの量で数百円のもの、ピンは数十本で数千円から一万円くらい、あるいはさらに高価なものまである。僕は特に高級志向ではないけれど、質の悪い線香を使うのは避けたいと思っている。上の写真のものはそんなに高価なものではないが、実に良く出来た線香である。 質の悪い線香は組成のほとんどが人工香料で占められている。そのせいか、焚いた後あまり上品でない匂いが永く残ってしまうのである。これで燻された日にはもうたいへん、鼻の奥に出来の悪い香水のような匂いがこびり付き、一日中不快である。そういうものはできるだけ使いたくない。毎日必ず焚くものだから。 線香の銘柄にもレコードレーベルと同じくらい数多くの種類があり、どれが良くてどれが悪いのか、なかなかに選択が困難である。単純に値段で選んだりすると痛い目に遭うこともある。高価=上質、とは言えないのも何かに似ている。買う前に箱を開けて香りを確かめはするけれど、実際に焚いて見ないと本当のところは分からないのも困り物である。 これまでにいろんな銘柄を試してきた。どれもイマイチ、特に、ウヤウヤしい桐箱に入って一束9,000円、という高級品を買って焚いた時にはひっくり返った。香りが強すぎて如何にも品がない。「希少香木の沈香をふんだんに使った高級品」という触れ込みにかなり期待したのだが、見事にハズしてしまった。沈香だけに香りは人工的? シャレにもならん。 永い遍歴を経てようやく見つけたお気に入りの逸品が、今日の線香である。もともと沈香の香りよりも白檀のほうが好きだという、個人的な好みの問題もあるわけだが、それを差し引いてもこれはヒジョーに質が良い。極めて自然で、押しつけがましさがなく、上品な中にも芯のある香りはスバラシイ。残り香もそこはかとなく漂い、不快なこびりつきもない。今後はこれ一辺倒になるだろう。 香りの好みも音に似て千差万別、十人十色である。白檀の香りは甘すぎてダメ、やはり力強い香りの沈香が一番、あるいはもっと高価な伽羅(きゃら=1g10,000円以上する超希少香木)でなくては遺憾、というムキもある。「香道」という世界もあるわけだから、その奥は非常に深いのである。 こんなところにハマったら、それこそ大変である。ハマるのはオーディオだけにしておこう。白檀粉末100%線香、これで充分である。 |
今月の一枚
は、久しぶりに届いたSY-99さんの新録音である。「アカゲラ」。奥日光と軽井沢でのキツツキドラミングを収録してある。先月録音されたばかり、出来立てホヤホヤである。 もう多くを語る必要はまったくない。相変わらず透明度の高い音場と音が存分に楽しめる、優れたタイトルに仕上がっている。 昨年6月29日に載せた「八ヶ岳高原/夜明けの出来事」と比較試聴してみると、ちょっと音が違うように感じた。八ヶ岳のほうが透明感はあるのだが、僅かに音が冷たい感じがする。それに比して今回の「アカゲラ」は、透明感では譲るものの全体の雰囲気がややウォームな印象である。こちらのほうがより自然な音場(実音場というか?)に迫っていると、僕の耳にはそう聴こえた。録音の良し悪しではなく、現場のロケーションが忠実に再現されている証左なのだろうか。 森のあちこちで木を突付くアカゲラが、凄い距離感と立体感をもって再現される。突然目の前に飛び出してきたり、はるか彼方森の奥から聴こえてきたり、スピーカーを完全に無視して定位するさまは圧巻である。奥日光と軽井沢での空気感の違いも興味深い。森の違いが音場の違いとなって現れてくるのだろう。 ちょっと面白いのは最終トラックに収録されている、カラスの声である。まずは一発眼前で鳴いたかと思うとバサバサと木を移動し一声。今度は左手奥の木に飛び移ってもう一声と、なんだかこのカラスは録音を意識しているようでもある。この移動感は実に面白い。カラスもSY-99さんから発せられる「気」に操られたか? SY-99さん、今回も楽しませていただきました。いつもありがとうございます。 |
年々
ネジバナが咲いた。昨年は7月12日に載せたから、1週間ほど早いわけである。数はさらに増えた。限られた芝生スペースに林立である。 個体の出来グワイは昨年のほうが良かったように見える。今年は全体に軸が細いうえに背も低く、1本に付く花の数が少ないみたい。梅雨入りの頃の少雨が響いたのだろうか。この花が咲けば梅雨明けも近い。暑い夏がやってくるのである。 1年経つのは速い。ネジバナを話題にしたのがついこの間のことように感じるのである。近頃特に速くなったような気がする。年々加速しているようだ。子供の頃は1日がものすごく長かったのに、今ではあっという間に終ってしまう。このまま加速を続けたらどーなってしまうんだろう。筒井康隆氏のショートショートにそんなのがあったな。 1年が短いということは10年が短いということ、10年が短いということは一生が短いということである。短い人生を生きるなら、円満に、みんなと仲良く、穏やかに、楽しく、イツモシズカニワラッテ過ごしたいと思うのは僕だけなのだろうか。 これからの時期、僕はシズカニワラッテいるバヤイではなくなるのだが。 |
毎日鳴らせ
只今コンデンサーエージング中。バランスが良くなったのは昨日書いた通りだが、まだまだ生硬さがあるのは否めない。ガタイが大きいだけにエージングにも時間がかかりそうである。信頼のおけるAE86スジからの情報では「バーンイン最低50時間は必要。それからが本領発揮デアル」と聞いている。そうであってみれば、ともかく今は一所懸命に聴くのである。あんまり一所懸命過ぎて日誌の更新もそっちのけ、また朝になってしまった。失礼いたしました。 CD、AD両方聴くわけだが、ディーテイルまで判断しようとするとCDでは追い切れない感じもある。尤も、これはCDそのものの限界だけではないと思う。如何せん、プレーヤーが古すぎるのである。いかに当時名機と謳われたGT-CD1と雖も、10年経てば古色蒼然プレーヤーである。いきおい試聴はAD中心にならざるを得ない。 音を聴く、と言うは思いの外体力と気力を要する作業である。BGM的に聞き流すのであればさほどではないけれど、ある程度気を入れて対決姿勢で聴くにはそれなりの構えが要るわけだ。ひとたび集中して聴き始めると、時間はあっという間に過ぎて行く。 コレがこう鳴るならアレはどうだ、そうかこう鳴るか、ではコッチはどうだ、ふむなるほど、それじゃ今度はコイツだと、イモヅル式に次々聴きたくなる。その間は一所懸命だから気がつかない。終ってからグッタリするのである。ああツカレタ、と。 その疲労感はけっして不快なものではなく、一種爽快さを伴うものである。オーディオファンなら良く分かっていただけることだろう。それが気持ちイイからオーディオヤメラレナイ、とも言えるわけだが。 毎日鳴らせ。そうすればコンデンサーが目覚めるだけでなく、P-700もさらにスムースになる。結果、システム全体のクオリティアップにつながる、はず。そんなに上手くいくのかしらん。 あまりムツカシイことは考えないほうが良い。○○の考え休むに似たり。なんでもいいからガンガンいくぞ。 |
待ってました
コンデンサーが届いた。Jensen銅箔オイルコンデンサー、630V耐圧0.47μFである。箱を開けてビックリ、0.47μFとは思えない大きさである。何となく話には聞いていたけれど、見ると聞くとで大違い。百聞は一見に如かず、とは正にこのことである。1個2,600円を高いと見るか適正と見るか。個人的には高いとはまったく思わない。 外径Φ35.3mm、長さ35mm、重さは約70gと、容量に似合わぬ威容を誇る。刻印には「AUDIO SIGNAL CAPACITOR/PURE COPPER FOIL/SILVER LEADOUT PAPER IN OIL/0.47μF/630V WVDC/DENMARK/140209-3/01.11」とある。 リード線に独特の艶と輝きがあると思ったら、純銀線だったわけだ。末尾の「01.11」の文字だけが後でスタンプしたようなふうに見える。製造年月か。だとすると、昨年の11月製造ということになる。メイドイン・デンマークだったのか。Jensenのサイトを見ていながら知らなかった。アホみたい。 うれしいので早速交換しよう。の、前に現用のCS1.5μFを同1.0μFに換えて聴いてみる。今回は面倒がらずにF特も見ながらの作業である。1.0にするとF特は大変フラット、やはり1.5ではかなりしゃくれていたようだ。CS1.0でもまったく問題ない。切れも良く、良い音である。だが、今回の本命はJensen、ということで。 サイズが大きい上に2個パラって使うことになるので、あのせせこましいSネッシーのトゥイータースペースに収まるかしらん、と心配だった。ガラス繊維入りテフロンテープで2個をしっかり固定し、右の写真のようにどうやら収まっている。ちょっとブラブラしているのが気になるけれど、とりあえずはこんなもんだろう。 さて、試聴。ヒジョーに良い。繊細でシャープで切れが良く透明感がある。音の粒子が細かく、F特以上にハイが伸びているように聴こえる。0506IIGMとの相性抜群。粗さがまったくない。CSほど派手ではなく、uΛよりもしなやかさがある。うむ、AE86さんのアドバイス通り、大成功である。 日本国内では買えないタイプ(1000V耐圧など)も、Jesnesnのサイトで海外通販可能なようだ。ただし、カード決済になる。恥かしながら僕は未だ嘗てカードというものを持ったことがない。正常な経済観念が欠落した人間の持つものではないと思っているからである。しかし、サイトを眺めているうち、別のタイプがどーしても欲しくなってしまった。630V1.0μF、1000V1.0μF。この2種は、是非とも使ってみたい。純銀箔オイルコンデンサーにも興味はあるが、630V1.0μFが1個950$(約113,000円!)。こりゃ買えねえ。 ところでクレジットカードって、どこでどうやって作るんだっけ....? |
24時間戦えません
早く寝たいと思えども、オツトメの関係でどうしても実現できない日もある。今日などがそうである。夜の会合がある時に急なオツトメができたりすると、早寝なんかしていられなくなるのである。 早起きが最低限の責務であるということと、24時間営業を保証しなければならないという現実は二律背反、であるように思うのだが、平日は比較的フレックスに動けると言うのは大きなメリットだと思う。どんな仕事であろうとも、楽ばかりしてやって行けることなどない。不労所得はよくないのである。 と、言い訳のような前振りをして、今日の日誌を短く終ることの正当化をするのであった。ヒジョーに眠いのである。 明朝の早起きは無理、かな。 |
鮮度ばつぐん
遠方の友達から荷物が届いた。クール宅急便でやってきた箱を開けると、そこにはとても瑞々しいライチーが。お恥ずかしいことながら、僕はこんなに鮮度の高いライチーを見るのも食べるのも初めてである。葉は青々とし、実は美しい鮮紅色。こんなに綺麗なものだったんですね。知りませんでした。僕の頭にあるのは、黒褐色で半ば枯れかけたような実の姿である。皮も、もっとバリバリして硬かったような気がするんだが。 こういうものをいただくと、いつもは食い気が先に出て写真撮るのを忘れるわけだ。けれど今日はしっかりと押さえました。では早速家族みんなでいただくことにしましょう。 これはおいしい。甘さの中に僅かな炭酸様の刺激があり、それが独特の食感と一緒になって、なんとも美味いのである。今までに食べたライチーとは随分味が違うぞ。やっぱり鮮度ばつぐんのものは、文字通り「一味違う」のである。 ライチー。ムクロジ科レイシ属の常緑樹である。「れいし」は中国名「茘枝」の音読みで、最近では「ライチ」或いは「ライチー」と呼ばれることが多い。楊貴妃はこれが大好物だった、という話は有名、だそうだが、僕は不勉強で知りませんでした。 僕が初めて聞いた名は「レイシ」だったな。だが、レイシといえばニガウリ(ゴーヤチャンプルーで有名です)の別名でもあるので、ちょっとヤヤコシイ。癌の特効薬と言われる魔法のキノコも「霊芝」(レイシ)だし。 原産地は中国広東省、福建省。ベトナム、ビルマでも自生しているそうである。南方の樹なんだな。トロピカルフルーツの仲間ということになるのだろうか。初めて食べたのは20年くらい前になる。プルンとしたゼリー状の果肉がフシギ、食べてみると味もフシギ、如何にも「異国の果物」という感じだった。 今日のライチーは、その時のものを遥かに上回る鮮度の高さである。そう言えばこれを送ってくれた友達のオーディオは、おっそろしく鮮度の高い音で鳴り渡っていたっけ。 こだわる人は、やっぱり「一味違う」わけだ。 |
盛大に
法要は盛大成功裡に終った。厳かな雰囲気の中で約一時間、僕はとても気持ち良かった。残念ながら生録はできなかった。考えてみれば僕もお役目をいただいていたので、とても録音の準備をする時間など、なかったのである。 僕のお役目とは「維那(イノウ)」である。お経を始める役目。法要の主役はあくまでも写真中央においでである「導師」、所謂MC(Master of Celemony)であるのは当然。維那などただの脇役、添え物に過ぎない。しかし、一番最初にお経を一人で詠み出す役割だけに、コイツがドアタマでずっこけたらこりゃ大変。厳粛であるべきものが「お笑い法要」になってしまうのである。オペラに喩えると、第一幕の冒頭でソロをとるボーカリストが、いきなり音を外して歌いだすようなものである。全てぶち壊し。 ちゅうわけで、添え物ながら緊張感の高い役割である。特に今回のような数年に一度の大切な法要で、アタマからしくじったりしたら末代の恥。一生「あの時オマエは」とありがたくない語り草になることは間違いない。 幸いにして友達の徳さんから、力強くしかも心配り細やかなサポートを得ることができ、曲がりなりにも無事お役目をまっとうすることができた。上の画像も徳さんの手によるものである。徳さん、どうもありがとう。おかげさまです。 終って衣を着替えたら、さほど暑い日ではなかったのにもかかわらず、全身に大汗をかいていた。この汗は、有酸素運動して出た汗では、もちろんナイ。イワユル冷や汗、油汗の類。いやいや、キンチョーいたしました。 生録については、僕がこの業界にいる限りもっと良い条件で挑戦できる場に出会えることだろう。その時までのお楽しみということで。 上手くいったときには「OTERA」レーベル、立ち上げますかねえ。 |