箱船航海日誌 2002年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’02/11/30 (土)

気がつけば

 11月も終わりである。明日からは12月、時間は矢のように過ぎ去ってゆく。考えてみれば今月の17日は、箱船9周年だったのである。早いものだ。

 オーディオ機器と同様、部屋にもエージング効果がある。このことには長岡先生も再三触れておられた。箱船もこの9年でシステムに関わらない部屋そのものの音が、随分変ったと感じている。

 完成当初の音は、それはもう酷いものだった。最初に持ち込んだスピーカーは、使い始めて4年経っていたD-55。箱船以前の部屋ではそれなりに(当時としては)良い音で鳴っていたものが、とんでもない音で鳴り出した時、僕はもうゼツボウしてしまいそうにナリマシタ。

 ン千万円をイノチ懸けで借金し、ヒッシの思いで作った部屋で、出てきた音がコレか? ボカァもうだめだ。

 カサカサで潤いがなく、やたらとボーボーゆって解像度もクソもない。デカイ音は出せるけれど、デカイだけで力はなく、無節操にがなり立てているような音。低品位のラジカセをトランペットスピーカーで大音量再生したような音、だったのである。ワタシャ眩暈がして気が遠くなったものでございます。

 完成後しばらくの間は、部屋の音響対策に専らだった。余分な響きを抑えようと壁にカーテンを吊ったり、座布団を丸めて隅に置いたり、脱脂綿を貼り付けたり、天井から布をぶらさげてみたり。しかし功を奏した対策は一つもなかった。

 却って音を殺してしまったのだった。潤いは益々なくなり、ライブ/デッドのバランスがさらに悪くなり、情報量は激減した。やり方が悪かった所為も、もちろんある。だが所詮ドシロウト、小手先の対策ではどうにもならなかったのである。

 現在、そういった対策は一切行っていない。すべて撤去してしまった。それで問題ないのである。撤去するために何かやったかといえば、なんにもしていないのである。ただ鳴らし続けるうち、時間が解決してくれたのだった。ソフトや機器が増え、音響条件が変ったこともあるかと思うが、部屋のエージング効果は絶対無視できないのである。

 エージングとは正に「老化」である。箱船もある時期からは遮音特性が著しく低下し、やがて破壊に至るだろう。そうなるまでにはかなりの時間がかかる。多分僕自身の老化と破壊のほうがずっと早いはずだ。それまでは変化し続ける箱船の音を、楽しませてもらうのである。

 箱船も10年目である。

’02/11/29 (金)

私的広告的日誌


 今日の日誌はヒジョーに私的(これはいつものことか)、加えて些かコマーシャル的であることを、先ずお断りしておかねばならない。オーディオにもまったく無関係。お赦し願いたいのである。

 毎日郵便受けを覗くと、そこに私信はほとんどなく、一番多いのは各種DMである。私信が少ないのは、その多くをe-mailで済ませてしまうからということもある。

 いろいろなDMが来るわけだが、仕事柄最も多いのは仏教関係のものである。今日も数通郵便受けに入っていた。そのうちの一枚「すねいる教材研究社」というところから来たものにフと目を遣ると、どこかで見たような人の写真が載っている。ナニ?「宗門安心章法話/葛葉睦山」? こりゃ僕のオヤジじゃないか。そらあ見たことあるワナ。写真はそのDMの一部である。

 そう言えば昨年の夏ごろ実家へ電話したら「今、法話集の録音に行ってる」と忙しそうにしてたっけなあ。それがこのシリーズだったわけである。

 「宗門安心章」(しゅうもんあんじんしょう)とは、わが宗門(臨済宗妙心寺派)の根本的な教義を、比較的わかり易い和訓文で表わした経文の一つである。和文と言ってもそれは漢字の連続ではないだけで、一般的な文章からすればかなり生硬な、伝統的文語文である。僕の目から見ても、一読して全てが理解できる、ほど平易でもないように思える。

 但し、内容は大変に優秀である。深い教義を極めて簡潔な、しかも的を射た言葉で表現してある。これが広く一般的に理解されることは、宗門人としても大いに望むところである。恥かしながら、僕も宗門布教師の一人なのである。

 そこで、これをさらに噛み砕いて布教する必要が出てくるわけで、この法話集はその一環である。全体を6部に分割し、6枚のCD(またはCC)に収めてある。1話につき50〜60分。それに法話編4枚と「般若心経・宗門安心章」読誦編1枚、全11枚セットで19,000円。1枚のみの分売にも対応、その場合は1枚2,000円だそうだ。

 これを作った本人に話を訊くと、それなりに苦労があったようである。毎月1話の予定で収録したそうだが、声の調子や体調により1時間話した後でNGが出たり、上手く行ったと思いきやPBしてみると言葉の選び方に問題があったり。結果的には完成まで16ヶ月かかったそうだ。

 ディジタルレコーダーで録音、編集(マスタリング?)も全てDだったのが幸いし、一文節だけ、テニヲハだけの差し替えが容易で助かった、とも言っていた。ディジタルの恩恵である。しかしながら74歳のご老体には、結構堪える作業だったろうと推察できる。

 詳細は上のリンクから。だが、今のところ未更新の様子である。2、3日中にはアップされる予定だという。よろしければご一覧をお願いしたいのである。

 箱船航海日誌にこういうことを書くのは場違い、なのはよく承知している。だが、ムカシ親に背いてばかりいた愚息としては、webの力を利用し恩返し(大袈裟だって)のつもりでこれを販促しておきたいと思うのだった。

 反則ムスコが販促する。ヤヤコシイのである。

’02/11/28 (木)

偉大なるワンパターン


 このタイトルは昨日のレコードほど有名ではないかもしれない。「HOT STIX/Ed Graham」(米M&K REALTIME RT-106)である。(C)(P)1978、D2D、45回転盤。長岡的初出は、別冊FMfan28号「長岡鉄男の外盤ジャーナル」だと思う。「レコード漫談」にも載っていたっけな。違っていたらご指摘ください。

 「音は豪快、強靭、鮮烈、トランジェント最高、歪み感はまったくなく、そこで本当に演奏している感じ」という先生の評価を読み、どーしても欲しくなり捜し続けていたレコードである。昨日のRT-113と一緒に見つかった。ちょっと高かったが、未開封新品ということで奮発してしまった。例によって大喜びである。

 ともかく聴いてみる。うむ、いい音だ。僕が多くを語る必要はまったくナシ。先生の評価通りの音である。シンバルが極めて自然に鳴るのには驚いた。人工的な派手さは皆無、しかしズバリと強烈に切れ込む。これは稀有の録音である。買ってよかった。

 WILSON AUDIOから「S'Wonderful Jazz/Eddie Graham Trio」(W-8418)というタイトルが出ている通り、演奏者のEd Grahamは有名なジャズドラマーである。一概には言えないが、ジャズ系ドラマーのドラムチューニング(皮の張り具合)はロック系ドラマーよりも高め(強く張る)のことが多い。しかも一つ一つのドラム口径が小さく、どちらかと言えば高域寄りの音になるのである。

 実際このレコードの音もそうなっている。低域の力で聴かせる、というよりは、どちらかと言えばトランジェントと立ち上がりにその良さが目立つ感じ。タムタムにリムショット(ドラムの打面とフチを同時に強く叩く奏法)をかけた時の音は特に強烈である。「パーン!」と鋭く立ち上がる音には目が眩みそうだ。

 ドラム演奏のみ(『HOT SITX』は一部ピアノ、ベース入り)収録のレコードで、しかもD2Dと言えばSheffield Labの「DRUM RECORD」(LAB14)が対抗馬か。但しこちらは通常の33回転盤である。

 「DRUM RECORD」で演奏する二人のドラマー(Ron Tutt、Jim Keltner)は、両者ともロック系の人である。一聴してチューニング、ドラム口径の違いが明らかで、全体的に低域寄り、中でもバスドラムの圧力が際立っている。シンバルの繊細感、高域の伸びはやや抑え気味だが、これはこれで非常に優れた録音である。

 「HOT STIX」の入手で、僕の大好きなドラム優秀録音盤が一枚増えた。世の中にAD、CD数あれど、こういう録音は極めて少ないのである。

 しかし、この人のドラムって、偉大なるワンパターンなんだな。

’02/11/27 (水)

大切だから


 ご存知「THE POWER AND THE GLORY Vol.2」(米M&K REALTIME RT-113)である。このレコードを入手できたのは、まったくに縁の為せる業である。そのあたりの経緯については昨年7月10日の日誌に詳しいので、よろしければご一読頂きたい。

 音が良いばかりではなく、友達の厚意によって得られたものであるだけに、先日載せた「DAFOS」同様僕にとっては格別特別なレコードである。大切にしなければならない。疎かには扱えないのである。

 ところがあまりに内容が素晴らしいので、それも忘れてバンバン聴いてしまうのだった。遺憾である。尤も、聴くためにあるのがレコードだし、贈ってくれた友達だってそれを望んでいるはずである。それはよくよく承知している。けれど、これがもう一枚あれば、もっと安心して楽しめるだろう。

 と思い、継続して捜し続けていたのだった。それをようやく見つけました。上の写真は今回手に入れたものである。開封済みの純然たる中古盤、やや汚れがあったけれど基本的にはニア・ミントコンディションの美品である。キズはない。汚れによるパチパチノイズがかなり多かったので、得意のレコパックを2回ブチかましたらすっかり綺麗になり、ほとんどノイズフリーになった。これなら友達から贈られたものにもひけを取らない。

 これでもうまったく安心。友達から贈られたほうを慈しみ大切にしながら、しかも好きなだけ聴くことができるのである。僕はとってもうれしい。レコードがそう簡単に磨り減ったりはしない、が、聴けばノイズが増えるのは避けられない問題だから。

 大切だからこそのスペア入手である。

’02/11/26 (火)

黒白二猫


 庭で遊ぶのは、既にお馴染みウチの極悪猫「ラク」と、ウチの境内で生まれ育った半ノラの「パフ」である。名を付け餌をやり、これではもう「半ノラ」ではなく「クォーターノラ」と言ってよいかもしれない。方やマックロケ、方やマッシロケ。まるで「黒白二鼠」ならぬ「黒白二猫」である。

 「黒白二鼠」(『くろしろにねずみ』ではなく『こくびゃくにそ』と読んでください)。昔から伝わる仏教的逸話である。

 ≪見渡す限り何一つない荒野を空腹に疲れた旅人が彷徨っていました。そこへ何処からともなく狂った巨大な象が現われ、旅人に襲いかかろうとします。慌てふためいた旅人は、どこか身を隠すところはないかと荒野を必死になって逃げます。しかし、そんなところは何処にもありません。

 精も尽き魂も果て足ももつれ、もうだめかと諦めかけた時、ようやく一つの空井戸を見つけました。しかもうまいことに、その井戸には一本の蔓が中へ垂れ下がっています。これをつたって中へ入り、じっとしていればあの巨象をやり過ごせるに違いない。そう考えた旅人は蔓を頼りに井戸の中へ入ります。

 すると、あっ、なんということでしょう。井戸の底には大きな蛇が真っ赤な口を開けて、旅人を飲み込もうとするではありませんか。旅人は慌てましたが、よく見るとこの井戸には見を隠せそうな横穴が四つ空いています。よし、ここに入ってやろう。

 ところがその穴からは四匹の毒蛇がシャーッと飛び出してきます。穴には入れません。しかし、この蔓につかまっている間はどうやら大丈夫、何とか早く巨象が去るのをここにつかまったまま待つしかないと、一息入れて。

 フと上を見上げると、あっ、またしてもなんと言うことでしょう。白と黒の二匹の鼠が命の頼りともいうべき細い蔓を、カ〜リカリカ〜リカリとカジっているではありませんか。嗚呼、今やオイラの命もこれまでか、と思ったその時、蔓の根元に咲く美しい花から一滴の甘い蜜がポトリと落ち、それが旅人の口に入りました。

 『おお、なんと甘い蜜だろう』

 旅人は、巨象も大蛇も毒蛇も二匹の鼠のこともすっかり忘れて、もう一滴、もう二滴甘い蜜が落ちるのを待ち望んだということです≫

 さて、これは譬え話である。「荒野」は各人が歩み行く「人生」、「旅人」は正に「人(私)」、「狂った巨象」は「不可抗力な自然の力」、「井戸」は「安住の場所、幸せな家庭生活」、「蔓」は「生命(余命)」、「大蛇」は「接近する死の影」、「四匹の毒蛇」は「生、老、病、死の四苦」、「黒白の鼠」は「昼夜の時」、そして最後の「甘い蜜」は「いつも身の周りにある煩悩」、ということになっている。

 人が生きるうちには数限りない危機と、それに加えて逃れようのない行く末が待っている。にもかかわらず、目の前にぶら下がった欲望に我を忘れ、限りある命であることも忘れて煩悩に振り回されている。斯くも脆弱な人間、光陰矢の如し、時人を待たず。短い一生を無為に過ごしては勿体無いよ。という教えなのである。

 なんてことを書きながら、僕は毎日欲望丸出しでLP捜しに血道をあげるのである。

 「黒白二猫」にカジられていることにも気付かず。

’02/11/25 (月)

乗ってみました


 will-トヨタ「CYPHA」、早速乗ってみました。わざわざ舞鶴営業所から持ってきてくれた試乗車である。残念ながらこの近所には営業マン1人、案内嬢1人の小規模展示場しかないのである。

 試乗車はご覧のとおりグレーで、僕の好みからするとちょっとジミに感じる。丹後の陰気な冬に、この色は面白くないのである。この車には7色のカラーバリエーションがあるので、個人的にはもっと明るい色を選びたい。赤もあるけれど、それは仕事柄グワイが悪いかな。

 デザインは何度見ても僕の好みにピッタリである。真正面から見るとこの車はやっぱり犬のイメージだ。個性的ではあるが格好良いという印象とは違う。タテ目4灯ヘッドランプは何処となくクラシックな雰囲気をカモシ出している。後ろから見るといささか重厚にも見え、安っぽさは感じられない。

 この車はシャシーが「VITZ」と共用だそうだ。つまりVITZベースの派生車なのである。だからこそ量産効果が効いてのハイCPということもある、とは営業氏の言。ナルホド。その辺はオーディオ機器と同じなのね。先日VITZに試乗した友達からは「車は乗ってみないとダメだよ。VITZってもっと乗り易い車かと思ったらそうでもなかった」という話を聞いている。それがベースのCYPHA、さて、どうなのだろうか。試乗車は1.3リッター4AT、2WD/FF仕様である。10/15モード燃費は18km/l。

 助手席に営業氏、後部座席に愚妻と愚息1号2号を乗せ、5人満席で試乗開始である。

 オートマチック車を運転するのは久しぶりである。加速減速停車発進のたびに左脚と左腕がヒコヒコする。これはすぐに慣れるだろう。走行感は大変にヨロシイ。満席状態でもさほど負荷感はない。最近の1.3リッターはパワーがある。

 後部座席に座った3人は「思ったより広い」と言う。と、後の3人と話しをしていて気がついた。このクラスの車としては客室内の騒音レベルが低いのである。オーディオ的に言うならS/Nが良いわけだ。音声認識タイプのカーナビを誤動作なく動かそうとすると、これくらいの静粛性が必要だったのかもしれない。

 座席、サスペンションとも現用のコルサに比べてかなり固めだが、ガクガクする感じはない。比較的急なカーブも、足周りに粘りがありバランスよく走れる。腰砕けしない感じ。トヨタの車は足周りがウイークポイントだと昔から言われるが、随分と改善されたのではないか。車に弱い愚息2号曰く「これなら酔わない!」。彼はフニャフニャした車がニガテなのである。車幅感覚は現用車と比べても違和感が少なく、これなら問題なく乗り換えが利きそうである。感覚オンチの僕にはヒジョーにありがたい。

 30分程度試乗しての総合的なイムプレッションは◎、そりゃまあ90,000km乗った車よりエエのは当たり前だわな。それを差し引いてもこの車は「買い」である。買いではあるけれど、後はこちらの懐グワイ。

 C-2800+AD-2800より安いぞ。

’02/11/24 (日)

見つけた!


 友達に薦めてもらい夏から始めた海外通販。すっかり面白くなってしまって後先考えずにバンバン買っている。一日一度は必ずレコード、SACD捜し。そーゆーことをやっていて、最近見つけたのが上のレコードである。

 「DAFOS」(米REFERENCE RECORDINGS RR-12/45回転盤)。A級外セレ第二集、186番に取り上げられた優秀録音盤である。このタイトルは今から11年前、友達の厚意で一枚譲ってもらったものが手許にある。彼が大切にしていたスペア盤を「喜んでもらえるなら」と贈ってくれたのである。そのときの喜びと感謝は、今も忘れない。

 以来、新盤はもちろん中古盤にも出会えず今に至っている。それがようやく見つかった。しかも純然たる未開封新盤である。こりゃもう大歓喜のうちに即お買い上げ、こういうことがあるからハマってしまうのが海外通販なのである。

 ところが。

 左の写真に見えるが如く、ジャケットは真っ白。要するに、中身はあるがガワがない、というものである。ジャケット左上、切手のように見えるのは、5cm角ほどのオリジナルジャケット写真。ボケボケのモノクロである。新聞から切り抜いた写真を貼り付けてあるみたいだ。いかにもアッサリ、というか殺風景なジャケットである。

 肝心要の中身を検分すると、右の写真のように正しく「DAFOS」のADが入っている。もちろん音も確認した。まったく問題ナシ、キズがあるわけでもなく汚れているわけでもない。正真正銘の新盤である。ジャケットがシロなのはちょっと寂しくもあるが、この音を聴いてしまえば何ら文句はないのである。

 さて、ドシロウトの僕が疑問に思うこと。ナンデ中身だけあるんだろう。RRにはこういうものが他にも数タイトルあるようだ。盤だけが倉庫かどこかに残っていた? 実にフシギである。

 一つのシロウト考え。嘗てADが一般的に流通していた頃、検盤段階で不良品としてハネられたものがどこかに残っていた。それをもう一度検品、実際にプレイしてみて問題ないものが販売されている、なんてことはナイかな。

 目には見えても音に出ないキズ、というのがADには良くあるのだが。ADがパッケージソフトの主役を張っていた頃なら、そういう危ないものはすべて不良品扱いだったはず。それが廃棄されないまま保管されていたという可能性は、ないこともないように思える。

 真相はどうあれ、これが買えるのはとてもうれしいことである。素直に喜びたい。このADと一緒に同タイトルのRR盤CDも買った。もちろん新盤。国内では入手困難である。以前から持っているRYKOレーベル盤を遥かに上回る。これもまた大喜び。ああうれしい。

 こうして僕は、海外通販にズブズブ沈んでゆくのです。

’02/11/23 (土)

やるならやらねば


 導入から間もなく3ヶ月が経とうとしている、DP-85である。その間、最初のセッティングから一切変更無し。まったく触らずそのままである。エージングで変ってゆく様を、より明確に感じたいからだ。そうそう、一つだけ変った点があった。金箔貼りマネキネコを置いたことである。コレで音が激変、なんてことがあるわけはないのである。

 使い始め当初から極めてスムースで繊細、しかも抜け、切れが良く、圧倒的な情報量の多さで格の違いを見せつけたこのプレーヤー。今に至って情報量がさらに増え、解像度が上がってきたようだ。その変化は全域に及ぶわけだが、特に低〜超低域の変わりようは際立っている。

 鳴らし始めに比べ輪郭が鮮明になり、タイトでありながら非常に重量感のある低音に変身した。もちろん最初からそういう印象の低音だったことは当然、それがさらに良くなったということである。そんなに良くなったのなら、そりゃすげえ音だろうと問われれば、「まったくその通りでゴザイマス」とお答えする他ない。

 残念ながらこの凄さは僕の使いこなしに拠るものでも、箱船システムの良さを証明するのものでも何でもない。専らDP-85のみの手柄である。この音を「これがワタクシの音ですっ」と胸を張って言えるや否や。それは極めて疑問である。現状では、まだまだ自分のものとして使いこなせていないということだろう。

 DP-85の導入で飛躍的に音が良くなったことはよ〜く解った。それがエージングでさらに向上することもわかった。ヨカッタヨカッタ。と言って安心していたのではツマラナイのである。その音をここからどうやって自分の音にして行くのか。今後の使いこなしに全てがかかっている。正にそれがオーディオの最も面白いところ、いちばんオイシイ部分なのである。

 このプレーヤーの支配力は圧倒的である。ヒジョーに強い。自分のものとして使いこなすにはそれを上回る支配力を発揮しなければならない。僕にそれができるのだろうか。

 やらねばなるまいテ。

’02/11/22 (金)

古いのは


 このタイプのポータブルプレーヤーが市場にあったのは一体何時頃までなのか、僕は知らない。写真のものを買ったのはそれほどムカシではなく、多分十数年前だったと思う。良く行く楽器屋さんの店先に「新品 1,980円!」と札が貼ってあったのを見つけ、面白半分で買ったものである。そのまま使いもせず、箱船の片隅で眠っていた。

 メーカーはナショナル、型番は「SG-323N」となっている。ポータブルであることに間違いはない、と思うのだが、電源はAC/100Vのみなので野外では使えない。33/45回転対応、ということはEP(所謂シングルレコード)のみならず、LPも再生可能である。実際にやってみたが、まったく問題なし。但し、33/45ともかなりワウ/フラッターがキツイ。極めて簡略化されたアイドラードライブ、仕方ないだろう。第一、そーゆーことを言うようなモノではないのである。

 左端のツマミが回転数セレクター、右のツマミはスイッチ兼ボリュームになっている。回転数を決めスイッチON、プラスチック製のアームを載せる。先っちょを見るとかなりおおらかな針が付いている。大丈夫か。交換針の型番は「EPS-04LP」だそうだが、これって今でも買えるのかな?

 何時の製品なのか、本体を調べても解らない。ので、ACコードを見てみたら、なんと「1987」と刻印してある。コードだけを後で交換したわけもなく、正しくその頃の製品なのだろう。そんなに最近まで作られていたのである。つまり、十数年前「新品」としてあったのは、あながちウソではなかったのだ。ひょっとしたら今でも作られているのかしらん?

 内蔵スピーカーからはとても懐かしい音が出てきた。僕のオーディオ原初体験を思い起こさせるような。32年前に初めて買ったシングルレコード(CCRの『雨を見たかい』当時370円)を鳴らしたら、懐かしくて涙が出そうになった。そうだった。僕はこういう音からオーディオを好きになったんだったなあ。

 愚息2号に「古いものを調べましょう、という宿題が出た」と言われ、引っ張り出してきたこのプレーヤー、実はあまり古くはなかったわけだが、僕にとっては何とも言えず「古い」体験を思い出すものになった。

 「古い」のは、オヤジだったわけね。

’02/11/21 (木)

浮気


 次の車はプリウスだぁっ! とぶち上げながら、この秋出てきた上の車に早速浮気である。willブランドからの、トヨタ「CYPHA」である。

 ルックスには非常に特徴があり、何だか妙な雰囲気である。前から見るとイヌみたいだ。大変ブサイクに感じる方もいらっしゃるだろう。個人的には愛嬌があり個性的で良いと思う。タテ目ヘッドランプが気に入った。

 カーナビ、道路情報、e-mailなどが、携帯電話をつなぐことなし使える「G-BOOK」(Windows CEで動いているそうだ)という機能が売りらしい。SDカードで地図データのアップデートも自由自在。この辺はさほど魅力を感じない。否、方向オンチの僕に、カーナビはありがたいアイテムなのかもしれない。使ったことがないので良く解っていないだけか。前時代的人間なのである。

 MDもCDもラジオもOFFなのに、車内でBGMが流れていてちょっと驚いた。これはSDカードの恩恵なのである。60分程度の音楽データ(MP3か?)をメモっておく領域が設定されているんだそうな。結構な音でした。

 装備のわりに値段が安いのは大いに助かる。プリウスの約半分くらいなのである。その他、車種設定に4WDがあること、小さくて取り回しが楽そうなこと、燃費が非常に良いこと、低排ガスであること、なども浮気の原因である。専ら業務中心用途になるので、大きな車はまったく不要。長い竹槍を振り回しているような車は要らない。

 展示車に座って触ってみた感じでは悪くなさそう、しかし客室はチョイと狭い。特に後部座席は圧迫感がある。荷物スペースもかなり割を食っていて、4人乗った時にはあまり積めないだろう。これはわりと大きなマイナスポイント。まあしかし、考えてみれば荷物満載で遠出することなんかほとんど無いから問題ナシとも言えるわけだが。

 あとは、実際に運転してみること。これが大切である。僕は元々感覚サイテーのヘボドライバーなので、なおのこと重要なのである。2、3日中には試乗車を持ってきてくれるそうだから、それでイムプレッションが良かったら買っちゃおうかな。

 一風変った車が好きなのである。

’02/11/20 (水)

食べるということ


 今日はくずてつ家の忘年会と称し、久しぶりに寿司を食べに宮津まで出かけた。前回行ったのは昨年の夏だから、1年半ぶりのことになるわけだ。尤も、こんなゼイタクはこれくらいの間隔でちょうど良い。こーゆーことを頻繁にやっていたら、くずてつ家は忽ち破産するのである。

 例によって愚息共は寿司とともに鰈のから揚げ、キスの天ぷら、酢牡蛎(将来は酒飲みになるかな?)などを矢継ぎ早に注文し、ウマイウマイを連発しながらあっという間に食べてしまった。僕は家長(死語!)の権限で、好みに応じて握ってもらう。

 いろいろ食べたが、中でも絶品は上の写真。サザエの軍艦巻きである。これってあまり一般的とは言えない寿司ネタだと思うのだが、寿司に詳しい方、如何でしょうか。

 海苔とサザエの香りが絶妙な風味を醸し出し、そこへ紫蘇の葉が爽やかなアクセントを添える。僕は基本的に生の魚介類をガバガバ食べる方ではない。が、この寿司は本当に美味しかった。ただし、この味は大人でないと理解できないのかもしれない。1個は愚息2号が食べ、「美味しいやろ?」と尋ねたら「う〜、ようワカラン」と言う。くそ、2個ともオイラが食えばよかった。

 「食べる」という作業は、命に直接関わる極めて重要な行為である。餌を食べている最中の犬や猫にちょっかいを出せば激しく怒る。人間も同様である。食事を邪魔されたり、或いは好みでないものを無理矢理食わされたり飲まされたりするのは非常に苦しいのダ。大袈裟に言えば、不本意な食事は寿命を縮めるともいえる。極めてカラダに悪いのである。

 心から美味しいと思えるものをシアワセな気持ちでおおらかに食べる。そうであってこそ、食べ物が命の糧となるのである。偏食は良くないと、一般的には言われるけれど、嫌いな物をムタイに食わされるストレスとどっちが体に悪いのだろうか。

 体と心が幸せになれるものを食べましょう。

’02/11/19 (火)

回転違いで大違い


 ネタ切れくずてつ、今日もADに逃避するのである。どうかお許し願いたい。

 「RICHARD STRAUSS/Also speach Zarathustra」(フリッツ・ライナー指揮 シカゴSO 米RCA LIVING STEREO LSC-1806-45)である。昨日と同じく45回転盤だが、これは最近リリースされた200g盤仕様である。180g33回転盤は数年前に買って持っている。45回転盤はこれが初めてだ。

 180g33回転盤は、初めて聴いた時からややハイ上がりなのがひっかかり、イマイチ気に入らなかった。冒頭、低域の空気感、恐怖感が特にモノを言う曲だけに、非常に残念に思えたのである。中高域の鮮度とスピード感が高い分、押し出しの弱さが尚更に感じられる。非常に良い録音、だが、そこだけが唯一の不満だった。

 その不満が、この200g45回転盤では見事に解消されている。太く深々とした低域に大変身、空気感も十全に再生され恐怖感満点。中高域も、これを聴いてしまうと33回転盤はややチリチリしていたことに気付かされる。瑞々しさが大幅に向上し、特に弦楽器の鳴り方がまったく違う。繊細で高分解能、切れがよくしかもキツくならない。これは相当な改善である。

 「シェエラザード」も45回転盤の音の良さに感激した。しかし、33、45で音の傾向までは変っていない。大きく質が上がった感じ。ところが今日のこのタイトルは、基本的に音が違うように思えるのだが、何故だろう。200g盤効果、とも言えなくは無いが、それだけでこんなに差が出るとも思えない。

 マスターは同じものの筈。ならばあとはマスタリングの違いか? 所詮ドシロウトの下らない詮索である。本当のところがわかるはずもないのだが。こうなると180g45回転盤も聴きたくなる、とはもうすっかり中毒患者なのである。

 ともかく音の良いADが手に入ったことを喜ぼう。200g45回転盤の良さは充分にわかった。次は「シェエラザード」がこの仕様でリリースされるのを待つばかりである。

 今度は逃さないようにしなくちゃね。

’02/11/18 (月)

大奮発


 このジャケット写真を冒頭に掲げるのは'01/05/07'02/07/27に続き3回目である。「RIMSKY-KORSAKOFF/SCHEHERAZADE」(フリッツ・ライナー指揮 シカゴSO 米RCA LIVING STEREO LSC-2446-45)。1回目は180g復刻盤、2回目は200g復刻盤。今回は、ジャケット右上のシールをご覧になればお分かりになるだろうか、180g45回転復刻盤である。例によって片面カッティング4枚組み。

 このバージョンを初めて聴いたのは、今年5月にM85さん宅へお邪魔した時のことである。「こういうのも、あるんですよ」と、ラックから出されたそれを見て「ナンデ4枚組みなのデスカ?」とマヌケな反応しか出来なかった僕は、音が出た瞬間後ろへ仰け反ってしまった。

 33回転盤(180g、200gとも)の音は素晴らしい。他ではちょっと聴けない音である。だが、この45回転盤の音は、さらにその上の次元である。全ての点で33回転盤を大きく上回る。ベールを一遍に5枚くらい剥がしたような音とも言うべきか。他タイトルの45回転バージョンと同様、音の力感と空間表現の向上が著しい。元々が良い録音なだけにこれはもう圧倒的である。壮絶な音の洪水でありながら、ボリュームを上げてもまったくうるさくならない。

 これはどうしても手に入れなければならないタイトルだと、思えども極めて入手困難である。しかもプレミアがついて非常に高価、僕には分不相応だと一旦は諦めたのだが。

 一度聴いてしまってはその音を忘れられる筈も無い。これを平気でガマンできるようならオーディオマニアなんかとっくにヤメているのである。悶々とする間にもM85さんからのありがたい後押し(唆し、とも言う)があったりして遂に大奮発、買ってしまいました。プレミアが怖くてAD買えるか。最早開き直っているのである。

 買って良かった。箱船で聴くのはもちろん初めて、間違いなく凄い音である。感激した。確かに高価なレコードではあるが、それには換えられない喜びがある。

 これだからオーディオはヤメラレナイのでございます。

’02/11/14 (木)

進化するPEQ


 AE86さん謹製フォノEQ Ver.1,5の回路基板である。導入以来幾度か天板を付け外ししてみたが、製作者のアドバイス通り開けっ放しの方が音が良い。だからこうして簡単に写真が撮れるわけだ。フタしてしまうと筐体内部での共鳴、定在波のようなものが悪さをするのだろうか。天板裏にフェルトを貼り付けてみたりもしたが、やはり開けっ放しには敵わなかった。

 使い始めてちょうど8ヶ月、のっけからウルトラパフォーマンスを示したにもかかわらず、このPEQは今も進化し続けている。清澄さはますます際立ち、押し出し切れ味とも更に向上、音の鮮度、瑞々しさは他に比類がないくらいである。少なくとも箱船では過去にこれ以上のアナログサウンドは存在しなかった。現状言うことは何も無い。

 そこへ気になる機器の登場。コンパクトな筐体、微小信号を扱うPEQに従来の常識を覆すパルス電源採用、それでいてAE86さんをして「AD-290も2000ZRもC-280Vもみんな捨ててコイツを買いなさい」と言わしめる、CHORD/SYMPHONYである。これはどうやらスグレモノらしい。

 パルス電源については、晩年の長岡先生がその復活をしばしば示唆しておられたと記憶する。凡そ以下のような論旨だったと思う。

 「かつてのパルス電源はスイッチング周波数が低く、雑音垂れ流しのひどいものだった。そういうものしか作れなかったのである。結果パルス電源は高雑音低品位の烙印を押され、過去の産物と打ち捨てられた。今は違う。技術と素子の進化で高い周波数でのスイッチングが可能になった。こうなればパルス電源のメリットが出てくるのではないか。今後、パルス電源を搭載した小型高品位の機器が出てくる可能性は大きい」

 電気回路に精通し、その道のプロでもある友達も「現在のパルス電源は嘗ての欠点を克服している」と、先生の言葉を裏付けるようなことを言っている。知識浅薄な僕には、これを理論的に理解することはできない。けれど、CHORD/SYMPHONYにその実際を見ることができるのならば、それは間違いのない事実なのだろう。

 斯くの如く気になる機器ではあれども、僕にはAE86PEQ Ver.1,5を大きく上回るとも思えない。多寡だか8ヶ月間で、その能力を全て出し切るような使いこなしができているとは言えないのだから。

 AE86PEQは、今後も進化するのである。


 
〜閑話休題〜


 明日から業務が少しく多忙になります。ので、11月15、16日付けの航海日誌はお休みを頂き、17日付けから再開いたします。どうぞよろしくご了解ください。

’02/11/13 (水)

晩秋雑感


 季節は晩秋である。上の写真は、僕が兼務する寺院の境内にある楓の画像だ。今年は紅葉がイマイチだと思いながら、それでも一度は見ておこうと行ってみてビックリ。イマイチどころか、近年でも珍しいくらいの見事な紅葉である。写真に撮ってしまうと迫力激減、それがちょっと残念である。

 この寺は村内でもかなり山手にあり、正に「山寺」と呼ぶにふさわしい。すぐ近所でありながら、寒さはウチより厳しい筈。先週末のキツイ冷え込みで、一気に紅葉したのだろうか。急激な気温変化はあまり好条件ではないというが自然現象は極めて微妙で、人智の及ばぬところがあるのだろう。

 こうして見ると紅葉とは如何にも美しいものである。赤、朱、橙、黄、黄緑の葉が繊細微妙なグラデーションで混じり合いながら、まるで樹が燃え上がっているかの如く鮮烈な色を放っている。無作為の作為とでも言うべきか、規模は小さいけれど一見の価値は充分にある。

 楓は人を喜ばせるために紅葉しているわけでは、決して無い。葉を落とす前に樹本体へ養分を送り返し、来春の新芽吹きに備えるため。ひいては多くの種子を実らせ、自己の遺伝子を持つ子孫をより繁栄させるための、重要な戦略なのである。人はそういう楓の姿に本能的な感動を覚えるのかもしれない。

 ≪ この道を 行く人なしに 秋の暮 ≫

 元禄7年9月23日、松尾芭蕉51歳の句である。この19日後に芭蕉は亡くなっているから、最晩年の句になる。その所為もあって如何にも寂寥とした句だ。晩秋は斯くの如く寂しい季節ではあるが、同時に生命の甦りを予感させる季節でもある。

 紅葉の時期が過ぎれば、葉はやがて散ってゆく。しかしそれは生命の終わりを告げるものではなく、同時に新しい生命が始まるサインでもあるわけだ。

 甦り、言い換えればそれは再生。正にオーディオの大命題である。

’02/11/12 (火)

語るに堕ちる


 外観上は全く変化のないADプレーヤーである。しかし実はTTロックナットがY31さん謹製砲金バージョンに交換してある。見ただけではまったく分からない。当たり前である。

 今日になってようやく風邪が快方に向いつつあるようなので、交換後の試聴をしてみた。聴くタイトルに決まりはない。思い浮かぶものを無作為に次々聴くという、ヒジョーにいい加減な、しかし僕にとってはいちばん音の差がわかり易いやり方である。

 今回は予想通り、交換前に比べても歴然とした差は出なかった。タイトルによっては幾分低域が力強く聴こえるものもあるけれど、顕著な差ではない。しかし、僅かではあっても音は確実に向上しているわけで、こういうことの積み重ねが総合的なクオリティアップに繋がるのである。この辺りがオーディオの楽しいところでもある。

 逆説的に言うと、もしこれで飛躍的に音が良くなったりすれば、どこかにグワイの悪い部分があったということにもなるのではないか。ロックナットの締め付け不十分、或いは経年による弛み、など。

 このカスタマイズドロックナットは、音よりも機械的なメリットがかなり大きいように感じられる。締まりと食い付きが良くなりセンタースピンドルとTTがより強固に一体化。接合面の曖昧さが減って軸ブレが減少し歳差(スリコギ)運動を抑制、結果的には軸の歪みを抑え軸受けの寿命を延ばす効果があると考えられる。

 と、ここまで書いて今気が付いた。良く良く考えてみれば歳差運動が抑制されるのならば、それに伴って音も良くなるはずだ。その差がよくワカランというのだから、而して僕の耳はやっぱりタコ耳であるという証左なのであった。

 こーゆーのを「語るに堕ちる」と、一般的には謂うのだよ、くずてつ君。

’02/11/11 (月)

どれが正しいの?


 というタイトルで、いしころさん、いういうさんからメッセージを頂いた。DEEP PURPLEの作品中、最も有名で最も出来の良いアルバム「LIVE IN JAPAN」についての話題である。ありがとうございます。お返事できなくて申しわけありません。日誌のネタに頂いてしまいました。

 リッチーのギターとジョンのオルガン、これがバージョンによって左右反転している、ということである。写真は僕が1976年に買ったAD国内盤(ワーナーパイオニア P-5506〜7W)。このレコードではいういうさんのおっしゃる通り、ギターが左、オルガンは右、になっている。これのバージョン違い、1993年に出たCD3枚組み(僕の手持ちは英EMI 7243 8 27726 0)では、まさに左右反転。ギター右、オルガン左の定位である。

 このCD3枚組は「TWENTY-FIRST ANNIVERSARY COLLECTORS 3CD SET」というもので、1972年の来日公演を完全にパッケージしたCDである。CD1が'72年8月15日大阪公演、2が同16日大阪、3が同17日東京公演、というふうに公演日別に収録されている。パープルファンにはたまらんCDだろう。正にコレクターズアイテムである。

 何故左右反転しているか、本当のところはわからない。ただ、こういうケースはさほど珍しいことではなく、特にロックのタイトルにはよくあることである。僕が知っているだけでもこの他に2、3タイトルあるくらいだから、かなりの率で起こっていることなのだろうと推測できる。反転していると思ったら、反転の反転でまた元に戻っていたり、ロックなんて極めていい加減である。コトの真相はマスターテープを聴いた人だけが知っている。

 このタイトルには他にもナゾが多い。AD「LIVE IN JAPAN」に収録されている「SMOKE ON THE WATER」と同テイクのものがCD3枚組みのほうには入っていない。CD1だけに同曲が入っていないところからすると、'72年8月15日に大阪で演奏されたものがAD「LIVE IN JAPAN」収録されたのか? 何故にCDから落とされたのだろう?

 更に、ベストアルバム「24CARAT PURPLE」に収録されている「BLACK NIGHT」ライブバージョンも、'72年公演のアンコールからのもの、だそうだが、これも何処にも見当たらない。これは単にカットされているだけかもしれないけれど、いずれにしてもこれではCD3枚組みの「完パケ」看板はウソではないか。いや、べつに構わないケレドモね。

 音だけのことを言えば、'93年CDに分がある。手持ちのADは、音に力はあるがかなり歪みっぽい。ハイが勝ち過ぎ、低域不足である。CDは歪みが少なく解像度もそこそこあり、ローハイのバランスもまずまず。但し、低域はやや甘く締まりはイマイチである。

 久しぶりに聴くこのレコードは極めて痛快。特にA-1「HIGHWAY STAR」(誰かが『高速道路の星』とか言ってたな)は、ムカシのヘボドラマーの血が騒いでしまった。録音はともかく、演奏は素晴らしい。曲の始めと終わりでテンポがゼンゼン違うのもイイ。イワユル「ドラム走ってるで!」っちゅうヤツだが、これがライブらしくて爽快なのである。

 この疾走感は第二期パープルならではのものである。う〜む、やはり'70年代ハードロックは、いいねえ。

’02/11/10 (日)

今日のところは


 この土日は風邪惹きの上に発狂しそうなくらいの混み混みスケジュールで、さすがにグッタリしている。Y31さん謹製ロックナットも何とか交換だけはしたものの、試聴するまでには至っていない。

 耳管狭窄、とまでは行かないにしてもややその傾向が出ていて、この状態では微妙な音の差を聴き分ける自信は皆無である。正常な状態でもアヤシイと言うのに。いわんやこの状態でをや。

 ちゅうことで試聴は後日に譲るとして、砲金カスタマイズドロックナットの使用感。これは最高である。ご覧の通りばっちりジャストフィット、違和感は全く無い。そこは同じくオーディオファンのY31さんプロデュース、抜かりはないのである。締め込む感じは柔らかく、しかもより軽い力でタイトにロックできるような印象。食い付きが良くなっているようだ。ヒジョーに気持ちイイ。

 オリジナルアルミ製が約20gの重さに対してこちらは3倍増、約60gある。おそらく音の差はほんの僅か、極めて微妙だろう。しかし機械的に見れば、どう考えたって悪かろう筈はない。

 上からTTシートを載せてしまえば普段は全く見えなくなる部分である。音だけ聴いて「おっ、これは砲金製ロックナットを使っているナ」と見破る人も、おそらくは居るまい。となると、これはもう「裏地にこだわる江戸っ子」的快感、なのである。

 などと言いながら、比較試聴してみたら思いの外大きな差が出たりして。これまでのテンカイを見ていると、その可能性も大である。

 風邪が完治したら、ちゃんと聴いてみますよってに。

’02/11/09 (土)

優れた発想


 風邪はシンドイ。早く治してしまわなきゃ。

 さて、Y31project謹製SP-10MkIII用TTセンターロックナット(長いね)が届いた。オリジナルパーツはアルミ製。こちらはご覧の通り、砲金製にカスタマイズしてある。ナルホド、こういう手があったわけだ。僕には発想できなかった。流石でございます。

 サイズ、重さ、アルミ製との使用感の差、などをリポートしたいのだが、今日は残念ながらその元気がない。後日改めてということにして、ともかくこういうスグレモノがあるというご報告だけ。入手方法など、詳しくはY31projectまでどうぞ。

 僕のような金属パーツ好き磨きマニアには、魅力的な逸品である。

’02/11/08 (金)

季節恒例


 の風邪惹き、である。3日ほど前からどーもアヤしかったのが、とうとう本格的なヤツに発展したようだ。鬼門の10月を無事に乗り切ったと安心していたら、11月の急激な気温低下に僕の気管支は追従できなかった。トランジェント最低である。

 ホームドクターから貰った薬を飲んで、今晩は早寝するのである。だが風邪というやつは、一旦罹ったら行くとこまで行かないと治らない非常に厄介なもの。今のグワイでは、日曜日あたりにピークが来そうな感じだ。困ったなぁ。

 というわけで、今日は早仕舞いさせていただくのである。乞う御容赦。

’02/11/07 (木)

90番


 友達の厚意により、このタイトルを手に入れることができた。「FLAMENCO FEVER」(米 M&K REALTIME RT-107)である。(P)1978。仲間ウチでは夙に有名、これを知らなければモグリである。って、ンなこたあないか。

 「エル・マタドール」というフラメンコクラブにカッティングレース(レースについてのクレジットはない)を持ち込み、現場でそのままマスターディスクをカッティングしてしまったという、ウルトラダイレクトディスクである。ジャケット写真に見える通り。何だか凄い光景である。

 フツー、こういう企画は立案の段階で「無理やね」「埃対策とかどないすんねん」「振動凄いで」「電源弱いやろ」などとチャチャが入ってボツになりそう、なのを力技で実現してしまうところが流石のM&Kなのである。しかも結果は大成功。よくもまあ上手くいったものだと思う。録音スタッフ自身も驚いたんじゃないかな。

 今さら僕がここで書くまでもなく、モノスゴイ音である。特にB-1のカスタネットは壮絶。立ち上がり、切れ、そして何よりその定位感にはビックリ仰天、これぞ立体音像である。目の前でカスタネットが「踊る」のである。その動きでダンサーが目に見えてくる。加えて猛烈な圧力で押してくる床を踏み鳴らす音。実在感、生々しさ最高、否、ひょっとするとある意味生を上回っているのではないか。オーディオの面白さとは、こういうところにあるわけだ。

 このレコードを持っている友達が箱船へ来ると聞けば、いつも必ずご持参リクエストして聴かせてもらっていた。その度ごとに物欲増進、精神衛生上ヒジョーに良くなかった、のなら聴かなきゃいーのに。いやいや、それでも聴きたくなるくらい魅力的なレコードなのである。今、こうして所有しいつでも聴ける状態にあるのが夢の様だ。毎日でも聴きたいくらいである。

 一日一度は静かに座って、フラメンコ・フィーバーを聴きましょう。そうは行かない。磨り減ったら勿体無いのである。

’02/11/06 (水)

また1年


 経ってしまった。箱船航海日誌を書き始めて丸2年である。「毎日更新」を掲げ単純に数えて365×2=730、ここから休みを差し引いて700話くらいは書いたことになるのだろう。よく続いているという感慨よりも寧ろ、よく読んでいただけている、といった思いのほうが遥かに強い。生来こらえ性のない僕が、ここまで続けられるのは何をおいてもご閲覧いただいている方々のおかげさま、というほか無いのである。

 皆さん、本当にありがとうございます。

 昨年から1年分の日誌を飛ばし読みに読み返してみる。相変わらず文章表現力の進歩は見られない。進歩どころか意味不明の文章も散見され、まったくに汗顔の至りである。恥曝しもいいところ。と言いつつ、今日も駄文を書き連ねるのだから仕様がないのである。

 以前、もの書きを生業とされる方にお話を伺ったとき、こうおっしゃった。

 「文章が上手くなりたければまず、毎日書くこと。長い物を書く必要はない。と言って1、2行ではダメ。最低600字くらいの文章を毎日書きなさい」と。

 600字を毎日。容易に思えてこれがナカナカ。しかも「人に読まれることを意識するのも大切である」ともおっしゃる。極めて困難である。所詮ドシロウト、加えて浅学非才な僕がやることである。読む人をして唸らせるようなことが書けるはずもない。唯一毎日更新の縛りを守り、愚の如く魯の如くに戯言独呟を書きつのって行くばかりである。

 斯くの如く申しわけない状況ではありますが、今後とも何卒よろしくご愛顧のほどを、伏してお願い申し上げるのでございます。

’02/11/05 (火)

自作派


 仕事の関係上、日祝に何処かへ出かけることは非常に困難である。普段の休日は愚息1号2号も少年野球クラブの練習があったりして忙しく、文句も言わない。この3連休はたまたまそれがお休みになり、こうなると「タイがクツ履いて歩き回ってる〜」と少々ウルサイ。オヤジは仕事なんだから仕方ねえよ。

 オヤジにはまともに取り合ってもらえないと見た彼ら、午後からは母親に取り憑き何かやり始めた。ケーキ作りである。今は「ケーキ作りキット」なる便利なものがある。これを使えば子供でも簡単にできるのである。自作スピーカーキットのようなものですな。

 出来上がりはご覧の通りである。多少母親のアシストがあったようだが、ほぼ2人で完遂したという。ホントかな。クルミの剥き実は愚息1号のオプションアイテムである。形は多少イビツだが、まずまずの出来か。

 味はまあまあ、というところ。それよりも「自分達で作ったケーキ」ということの方が嬉しかった様子、上機嫌でパクつく2人であった。この辺りが所謂「自作」の面白さなのかもしれない。

 スピーカーの自作も同様だろう。ミカン箱に廃棄されたテレビから引っこ抜いてきたユニットをくっつけて「自分で作ったスピーカーだ」と満足し、やがてそれがベニヤ板の箱に代わる。この頃は、音のことなどどうでもいいわけだ。大切なのは「自分で作った」という事実。これのみである。

 そのうち長岡先生の記事に出会い、その設計に忠実な物を作る。そうこうしているうちに「自分の部屋に合わせた設計でないと遺憾」などと偉そうなことを言い始め、この辺まで来るともう足抜けできなくなるので、あまり褒められたものではない。

 お菓子、スピーカーに限らず対象が何であれ、自作するのは面白い。「親の欲目」というべきか、多少ブサイクになっても不味いことになっても納得できるものである。その快感を体験するのも、彼らにとって結構なことだろうと思う。

 いや、別にSP自作マニアになれともパティシエになれとも申しませんが。

’02/11/04 (月)

虹と言えば


 昨日今日の気圧配置は典型的な冬型、こうなるとこちらは得意の天気雨、である。半分は青空晴天、そこへ雨が降れば虹が出る。虹と言うは夏の夕立後に出るイメージ、ところが当地では冬のほうが出易い。何だかヘンである。ヘンではあるが、風景としてはご覧の通りなかなかに美しい。

 虹といえばRAINBOW、RAINBOWといえばリッチー・ブラックモアである。かなり強引、しかも古い話で恐縮至極に存じます。

 僕は高校生時代、このグループの大ファンだった。DEEP PURPLEからのお流れである。ファーストアルバムの「銀嶺の覇者」(考えてみれば凄い邦題だね)は、ELFというグループに無理矢理リッチーが割り込んだ形で、あまりパッとしない。グループ名も正しくは「BLACKMORE'S RAINBOW」だった。

 本領を発揮するのは、ボーカルのロニー・ジェイムス・ディオを残してメンバー総入れ替え、グループ名も「RAINBOW」としたセカンド「虹を翔ける覇者」(コレも大仰な邦題)からである。ドラマーにコージー・パウエルが加入し大幅パワーアップ、ハードロックの快感ここに極まれり、というアルバムだ。今聴くと馬鹿馬鹿しいくらいに大袈裟な曲ばかり。ボカァこんなのが好きだったんだナァ。

 この後のライブ作「RAINBOW ON STAGE」くらいまでが僕の守備範囲である。1977年発表、このライブ盤は未だに好きで時々聴いている。演奏が非常に良い。特にコージーのドラムは愉快痛快、名演である。但し、録音は最低。

 ハードロックに必要不可欠と思われる低域が、悲しいくらい入っていないのである。AD、CD、国内盤、輸入盤、全部カスカスだ。この手の録音に多くを期待してはイケナイ、のは重々承知しているけれど、これではあまりにも酷いのである。何故にこーゆーことになっちゃうのか、さっぱりわからん。マスターからしてこうなのだろうか。

 LED ZEPPELINなどは、マスターに忠実(だと思われる)な高品位復刻盤がリリースされるのに、どうしてDEEP PURPLE一族のレコードは出てこないのだろう。版権の問題?

 それだけではないような気が、するんですケド。

’02/11/03 (日)

ソフト考


 昨年から今年上半期にかけては、オーディオに対する関心がハードに偏向していたように思う。尤もそれには理由があった。トライアンプからバイアンプへ移行するに関連したプリアンプの問題、AE86式フォノEQの導入、古くなったCDプレーヤーの更新と、それらを乗り切るにあたってはハード偏向にならざるを得なかったわけである。

 DP-85の導入を以って一段落し、気持ちに余裕ができた所為かそれ以降はソフト購入に専らとなっている。日誌にソフトネタが非常に多くなっているのもその所以である。写真はここ1ヶ月ほどの間に買ったCD、SACD。大した数じゃあございませんが。

 現在僕のソフト所有数は、AD約2,000枚、CD約1,000枚、DVD約100枚、SACD17枚、既に役割を終えたLD約200枚と、全て合わせても3,000枚強。少ないとも言えず、しかし特に多いとも言えない数である。コケ脅し的大掛かりな箱船システムからすると、個人的にはもっとソフトを増やさねばという思いが強い。システムとソフトの不均衡である。

 嘗て長岡先生は「システムの豪華さに比してソフト保有数の少ない人のサウンドは、概してプアである」と書かれた。もちろんこの論が必ずしも正しいとは考えない。しかし、ハードとソフトの関係は車の両輪にも似て、どちらかに偏るのはあまり得策とも言えないのは確かなところだろう。数百万円クラスの装置に数十枚のソフト、というケースは実際に知っているが、19,800円のラジカセにソフト数千枚、というような人は見たことがない。どちらかと言えばハード偏向の側に落ち込み易いようである。

 僕自身、褒められた状況では到底無いと言える。比率からすれば完全にハード偏向である。片方の車輪が突出して大きいわけで、これでは真っ直ぐに走れない。あさっての方向へ突進するか、或いは同じ所を際限なくグルグル廻るだけである。現状の音を冷静に客観視(聴?)した時、あながちそれは見当外れな見方ではないと思えるのだった。

 ハードを充実させるのは大変結構、喜びも大きい。だが、ソフトの手薄に気付かずそのまま走り続けるのは極めて遺憾。オーディオ無間地獄に堕する危険性大である。

 自戒、自戒。

’02/11/02 (土)

やっと到着


 9月25日の日誌に書いたレコードが、今日ようやくのことで届いた。「LED ZEPPELIN/THE SONG REMAINS THE SAME」200gAD復刻盤である。

 予約注文したのが8月28日、当初は9月8日リリースの予定だった。それが9月23日、10月4日、10月16日と再三延期され、今になってしまったのである。2ヶ月待ち。いや、ちゃんと入手できたし、待ったことには文句はない。楽しみは後に取っておいたほうが良いということもあるし。

 などと分かったようなことを言いながら、実は10月26日に一度シビレを切らし注文先へ催促メールしたのは、何を隠そうワタクシでゴザイマス。「入荷までまだ時間がかかるようなら、揃っているタイトルだけでもいいから先に送ってくれ」と。「いやいや、そんなことをしたら送料がもったいないし、何より間もなく入荷するからもう少し待て。入荷したらスグ送る」と、間髪を入れず返事が返ってきた。それならばと待っていたら、29日に発送の知らせがあり、今日になって届いたと、こういうわけである。

 早速聴いてみた。大満足である。ジャケットは極めて忠実に、美しく再現されている。もちろん内袋に至るまで完璧な復刻である。例によって盤は厚く重く硬い。音はもう文句なし。レンジが広く低歪み、元々持っていたムカシの輸入盤など鎧袖一触である。但し、元ネタがロック、しかもライブ録音であるだけに、所謂優秀録音盤、とはまた違った世界であることをお断りしておかねばならない。個人的には大喜び、である。

 先日載せたDVDのサウンドトラックと比較しても、切れ、ローハイの伸び、力感、多くの点でこのADの圧勝。尤も、DVDは映像、音声トラックの容量割り当てが綱引きになるのでその分不利、一概に単純比較はできない。ADが音でDVDに負けたのでは困るのである。特に「天国への階段」では差が大きい。DVDのあの曲は、何故あんなに音がフヤけてるのかな?

 さてこのレコード、僕は非常に気に入ってしまった。「限定盤」と特記されてはいないけれど、品薄であることは間違いないだろう。

 もう一枚買っとこうかしらん?

’02/11/01 (金)

ご無沙汰DHK


 Y31さん謹製砲金TTプレートのDHKが完了したのは8月14日、既に2ヶ月半が過ぎてしまった。その間、綺麗な面をできるだけ永く保持するべく、細心の注意を払ってきた。曰く、素手ではもちろん、基本的に面を触らない、埃はブロワーで吹き飛ばす、近所で喋らない(ツバが飛んでシミになるからね)、その他諸々。これは貴重品なのである。

 しかし。何の防錆処理もないままでは徐々に酸化するのは致し方なし。当然の帰結である。10月の初め頃からくすみが気になりだし、ここ1週間ほどはとうとうムラムラが浮き出し始めた。もう我慢ならない。頻繁な付け外しはあまりしたくないのだが、ここは思い切って再研磨することにした。久しぶりのDHKである。

 ムラムラといっても、要するに薄い酸化膜が表面を覆っただけである。面が荒れてしまったわけではない。研磨とは誇張していえば表面を削り取っているわけだから、こういうバヤイには必要最低限度の研磨でないとグワイが悪いのである。特にこのTTプレートは、中央に向って微妙な傾斜が付けられているだけに注意が必要である。ピカールでは粒子が粗くて削れ過ぎ。というわけでお得意のDP(ダイヤモンドペースト)#15000の登場である。

 写真(photo by 愚息2号)の如く、注射器様の容器から適量を押し出し、ベンコットに希釈液を染ませて磨く。方向は外側から内側に向って放射状に。DPは希釈液を使うと非常によく伸びるので、ごく微量で充分である。というと聞こえが良いけれど、実は勿体無くてガバガバ使えないのだった。5g5,000円だからなぁ。

 満遍なく研磨したのち、キムワイプと無水アルコールで仕上げ拭きをする。うむ、元の輝きが見事に復活、知らぬ間についていた細かいキズも目立たなくなった。これでまた暫くは大丈夫だ。

 再研磨して思ったこと。今回のようなバヤイ、DP#15000ではまだ粗い感じ。もっと細かくてもよいと思う。ではどこまで番手を上げればよいのか、その辺りの呼吸がイマイチ判然としない。第一、#15000の上が幾番なのかさえ知らないのである。大丈夫か、くずてつ。先日DPについて検索していたら、#60000、#100000なんちゅうのがあった。これではちょっと細か過ぎるかな。

 #20000〜#25000くらい。そのあたりがちょうど良い加減、かも知れないね。