箱船航海日誌 2002年10月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’02/10/31 (木)

naive


 上の画像は、昨日の日誌に載せたCDをリリースしているレーベル「naive」のサイトである。何だか妙な雰囲気のトップページだ。ライナーノーツにURLを載せてあったので、興味本位でちょっと行ってみたわけである。

 ページはフランス語と英語で記述してあるので、恥かしながら何が何だかわからない。けれど、スクリプトを多用したサイト構成は非常に凝っていて、見ているだけでも面白くもあり、またブキミでもある。各種スクリプトについては、以前窓が開きまくってPCが止まっちゃったという寅馬(?)があり、あまり好みではないのである。

 語学力不足により、未だに正体不明のレーベルである。TOP左下には「CLSSIQUE」「ELECTRONICA」「ENFANTS」「HIP HOP」「JAZZ」「POP ROCK」「WORLD」とクリックできる表示があるところをみると、なんでも扱うかなり規模の大きいレーベル、或いはレーベルというよりもディストリビューターに近いのかも知れない。

 ジャケットクレジットには「auvidis/naive」という文字があった。auvidisと言えば、以前は仏VALOISやASTREEを抱えていた巨大レーベルである。優秀録音盤の比率が高く、一時はヤミクモに買ったこともあった。auvidis系のレーベルならば、期待しても良いと思う。

 英語、フランス語に造詣が深く、しかもオーディオマニアの方がいらっしゃったら、一度ご覧になっても面白いかと。

 但し、ちょっとブキミですが。

’02/10/30 (水)

DP-85効果


 今月はソフトネタが非常に多くなってしまった。実はコレ、DP-85効果なのである。何を聴いても新しい発見があるものだから、すっかり面白くなってしまって後先考えずソフトを買い込むわけだ。そうすると、先日のαレーベルのような素晴らしいCDにも出会うわけで、結果日誌ネタにせずにいられなくなると、こういうわけである。

 と、言い訳をしておいて、今日もソフトネタである。

 今日のタイトルは「marie/CHOEUR GREGORIEN DE PARIS/VOIX DE FEMMES」(仏naive V4868)。女性のみ13名のグループによるグレゴリアン聖歌である。「VOIX DE FEMMES」とは「女性の声による」というほどの意味か。仏和辞典が手許にないのでかなりいい加減である。誤っていたらご指摘ください。1999年4月、仏フォントフロイデ修道院での録音。クレジットには「24bits recording」とあるがサンプリング周波数についての記述はない。

 これまでに何枚ものグレゴリアン聖歌のソフトを買ってきた。もちろん中には優秀なものもあったけれど、僕にはどれも退屈に感じられてしまい、最近はグレゴリアン聖歌と聞けば何となく敬遠していたのだった。しかし、である。αレーベルを紹介してくれた友達に「まあ聴いてごらんなさい」と言われ、聴いてみてぶっ飛び、である。

 このタイトルは一味も二味も違う。声が良い、のはもちろん、それに続くエコーが息を呑むほど美しいのである。おそらく修道院内にある礼拝堂での録音と思われるが、その天井の高さ、壁の材質、果ては照明の加減、礼拝堂内の気温までもがありありとわかってくるようなエコーである。透明、鮮明でありながら、エコーだけが別に定位するような不自然さは全くない。

 特に独唱パートが素晴らしい。ボーカリストの口から発せられた声と、礼拝堂に響き渡るエコーが絶妙のハーモニーを醸し出し、朝日の中に立ち昇る霧の如く渾然一体となって神々しい響きを聴かせる。しかも一切の混濁感はなく、直接音と間接音は見事に分離しているのだから恐れ入るのである。オーディオ的快感ここに極まれり。これは凄いCDだ。

 全曲独唱とコーラスのみ、強烈な音は全く入っていない。だが、Dレンジは超極大、システムの能力を厳しく問われるソフトである。グレゴリアン聖歌ファンにはもちろん、サウンドマニアにも特薦。是非とも聴いて欲しい一枚である。

 何よりこういうソフトを見つけ出してしまう友達には完全に脱帽。恐れ入りました。と共に、深々の敬意を表し、ここに感謝申し上げるのである。

 ありがとうございました。

’02/10/29 (火)

カメムシ予告2002


 この手の甲虫類を苦手とされる方々には申しわけない。御存知カメムシである。ぷあさんから「今年のカメムシ予告は?」というメッセージを頂き、ネタ切れ気味のくずてつとしては早速お題を頂戴するのである。タイムリーなネタ振り、ありがとうございます。

 「くずてつ発表、2002年10月28日午後11時現在のカメムシ予告をお伝えします。例年この時期になると、あちこちから『クサイクサイ』の声が上がりますが、今年のカメムシは出現量が異常に少なく、ほとんど姿を見かけません。写真の個体も、生きているのもを見つけることができず、窓際で息絶えていたものを撮影しました。家の中が臭くならないのは結構なことです。しかし、このように少ないと却って不気味でもあります。」

 村の古老曰く「カメムシが少ない年、カエルが土中深くで冬眠する年は雪が少ない」と。本当に今年は少雪になるのだろうか。

 雪が少ないと、地表の保温効果が弱まり深くまで凍結しやすくなる。人間には具備されない能力を持つカエルはそれを事前に察知、少雪を予知し土中深く潜って冬眠するのだそうな。農業に従事する人々の間ではよく知られていることだという。

 この話からすると、カメムシが少ないのもその絶対数が減ったわけではなく、暖かい屋内で越冬しようとする個体が少ないだけのことだと思う。彼らは「今冬は屋外でも充分越冬可能」と踏んだのだろう。

 だがしかし。ここ2日間ほど寒さが非常に厳しい。今日などは12月初旬並みという寒波である。この所為で、明日にも大移動が突然始まるかもしれない。カメムシ大挙をなしてやってくる。「スターシップ・トゥルーパー」みたいだ。気色わる。くずてつ発表カメムシ予告、あまりアテにはならないのである。

 多雪か少雪か。その結果は来春を待ちましょう。

’02/10/28 (月)

徐に、しかし確実に


 この柿の木にはたいへんお世話になっている。階段室の窓から至近にあるので、ネタに具するにちょうど良いグワイなのである。お手軽ネタでゴメンナサイ。

 今日は天候が安定せず、とても寒い日だった。柿の葉も木枯し様の強い北風に吹かれ、随分落ちてしまった。昨日まではもっともっと残っていたのだが。いよいよ冬の到来は遠くないらしい。

 昨年10月24日の日誌にもこの木を載せている。見比べると、葉は昨年のほうが黄色いように見える。時期的には今年のほうが冬に近いにもかかわらず。

 落葉樹が綺麗に紅(黄)葉するに必要な条件、それは昼夜の寒暖差が大きいこと、である。つまり、最低最高気温の差が大きくなればなるほど美しく紅葉する、というわけだ。しかも、気温の推移が徐であるほど好条件だと言う。急激な気温変動は却って良くないのである。

 ものの本によれば「秋になって気温が下がると、樹木の葉に糖分が蓄積されて赤色色素(アントシアン)を作る。一方で、緑色色素を持つ葉緑体(クロロフィル)が分解する。こうして赤色が目立つようになる」のだそうで、またイチョウが黄色くなるのは、元々糖分が蓄積しにくい上に「葉緑体が分解して、もともと葉にある黄色色素(カロチノイド)が現れて黄葉する」というわけらしい。何だかわかったようなワカランような。

 紅(黄)葉の時期が遅く、またイマイチぱっとしないのは、やはり今年が比較的暖かい年だからだろうか。僕は個人的に冬が大嫌いである。殊に日本海側の憂鬱な冬は。だが、いくらキライでも冬は冬として、ちゃんと寒くなってもらわないことにはキショクワルイ。キリッと張りつめた冬の寒さがあるからこそ、春の到来がなお一層嬉しく感じられるのだから。徐に、しかし確実に遷り変わってこその「四季」である。

 Dレンジの平坦化、希薄化する季節感。不気味、と言うより、僕は悲しいのだった。

’02/10/27 (日)

オーバークオリティ


 愚息の部屋にセッティングした(させられた)システムを見ての感想である。パワーアンプ オンキョーM-508、プリアンプ 同P-308、CDプレーヤー NEC CD-10、スピーカー JBL J-216proというラインアップである。総額50万円超の、小学生には豪華すぎるシステムだと、思う。いきなりセパレートアンプなのだから凄いのである。僕が初めてセパレートを使ったのは、25歳の時なんだからな。

 ラックは箱船のPJがVPH-100QJ時代に使っていたものを流用した。金魚の水槽置き台に永く使っていたのでかなりバッチイが、これくらいはガマンしてもらおう。

 ラインコード、SPコードは何かに付属していたものを適当に使った。それで充分である。スイッチON/OFFの順番、使い方を一通り説明し、早速愚息手持ち(と言ってもほとんどがCD-Rだが)のソフトを聴いてみる。まずはヒッキーである。

 これはこれは。なかなかに良い。箱船で聴くとガチャガチャの壮絶な音になるものが、適度に整理されて非常に心地よい音で鳴るのである。J-216proは16cmウーファーとチタン蒸着セミハードドームトゥイーターの小型2ウェイバスレフで、どちらかと言えばナローレンジドンシャリ系のSPである。ミニチュアSRふうとも言える。それがこの系統の音楽にはマッチングが良く、極めて明快なサウンドである。こりゃあ気持ちイイ。

 ポルノグラフィティーもなかなかイケているし、先日「ジャケットが気に入った」と言って僕のラックから強奪して行った喜太郎のシルクロードも、非常によく拡がって面白い。これは絶対にオーバークオリティである。愚息は「いい音だ! 今まで使ってたヤツとはゼンゼン違う」と大喜び。当たり前ですやんか。

 これでSPの質をもう少し上げれば、相当な音が出るだろう。来年は6年生になることだし、夏休みの工作と称して焚き付け、なんぞ自作させてやるか。

 後悔するは我に在り、だったりして。

’02/10/26 (土)

身の為には


 ご来訪のWROMさんは、至極ご満足の裡に帰途に着かれた。遠いところをお疲れ様。ご無事でご帰宅との由、安心致しました。

 さて、昨日も書いたように今回は箱船で再生できるメディアの全てを試(視)聴した。その中で僕にとっての刺激は、DVDソフトである。映像へのこだわりが強いWROMさんご持参のDVDソフトはいずれも優秀で、ウチのような前時代的Vシステムで視ても非常に綺麗である。

 上の写真は、その中でも特に画が綺麗だったタイトル、御存知「スパイダーマン」(日SPE TSDD-32161)。10/23発売の新譜である。WROMさんを駅まで送った帰りに、早速買ってしまった。元ネタがアメリカンコミックなだけに内容は破天荒、というかモロSFマンガ調というか、正しくアメリカンな娯楽映画である。個人的にこういうのは馬鹿馬鹿しく(失敬!)て好きダ。

 内容はともかく、画はたいへんに綺麗である。抜けが良く高解像度、色数が多く、何よりも明るいのが気に入った。この映画も先日書いた「モンスターズインク」同様、インターレースよりプログレッシブで見るほうが圧倒的に綺麗である。

 最近の映画ソフトにはこのタイプが増えてきたように思う。昔はこうは行かなかったものなのだが。プログレッシブ再生可能が一般化したハードの側が、ソフトのクオリティを引き上げたということだろうか。走査線が目立たず、しかも高精細な映像に一旦目が慣れてしまうと、もうインターレースには戻れなくなるから困るのである。

 ウチでさえこの有様、これが良いグワイに調整されたHTPCであったりすれば、結果は推して知るべし。こだわる方々の気持ちは察するに難くないのである。「次回は車で来て、HTPCのセットを持ってきますから是非試してください」とWROMさんはおっしゃる。わけだが。

 見ないほうが身の為、という気がしてならないのである。

’02/10/25 (金)

遊戯三昧


 只今オーディオ仲間ご来訪中。CD、SACD、DVD、DAT、ADとフルメニュー試聴で既に12時間。なんともはや物好きなことである。まだこれから夜中に至るまで試聴するつもりだから、お互いシンボウ強いのである。だからこそのマニアとも言えるわけだが。

 明日(10/25)の午後まで、正にオーディオ三昧の時間が続くのである。結構でゴザイマスこと。

’02/10/24 (木)

例によって掃除


 明日(10/24)は2ヶ月ぶりのオーディオ仲間の来訪である。ちゅうことはつまり、例によって掃除しなければイケナイのである。整理しなければイケナイのである。片付けなければ...モウわかったからさっさとやりな。

 8月末のご来客時にはADを整理し、今回はラックから溢れて床や椅子の上に積み上げてあったCDを片付けるのである。いちばん話が早いのは唯一つ。ラックを買え。それだけである。

 うむ、その通り。んだが、それは向後の課題(では遺憾のだが)にして、今日はホームセンターの安売りで買ったプラスチックケースでお茶を濁すのであった。雑然と積んであったCDもこうしてケースに入れて並べると、何となく片付いたようなふうに見える....のは僕だけでしょうか。

 このあいだ「あたしンち」(けらえいこ著 メディアファクトリー刊)の単行本を読んでいたら、「ユズヒコ(ご存知でしょうか?)の整理法」として「無節操に置いてある物を真っ直ぐにする。こうすると何となく片付いたように見える。キミもやってみよう!」という話が載っていた。僕の程度もそれと大して変わらん。中学生レベルである。

 部屋を綺麗に片付けられるかどうかは、その人の空間認識能力に大きく関わっているという話をどこかで読んだことがある。この能力に長けた人は整理整頓が上手い他に、正確でわかり易い地図を手早く書けたり、上手に道案内できたりするのである。方向感覚にも優れているわけだ。そう言われれば、深〜く納得するのである。

 自慢じゃないが、僕はとんでもない方向オンチである。自分で車を運転するようになってからは、ややマシにはなったものの、不案内な場所ではカラッキシ。特に地下鉄、地下街ではメチャクチャである。何処を歩いているのかさっぱりワカラン。悲しいね、どうも。

 こんなふうなヤツに上手な片付けなどできるわけがない。にもかかわらず、ソフトや書籍はどんどん増殖するのだから、そりゃあ部屋はゴチャゴチャにもなりますわな。こりゃもう仕方ないのであるわはは。

 方向オンチは左脳型人間に多いと言うが本当だろうか。何にでも好奇心を示し、イッチョ噛みたいのは右脳型、だそうだ。僕は方向オンチの右脳型か? 妙なヤツである。

 片付けがヘタクソ、なのは音にも影響があると思う。つまり、機器のセッティングだって一つの整理整頓だから。僕のシステムがイマイチ端正で音場感豊かな音を出せないのは、実は空間認識能力薄弱の所為だったりするわけである。

 そんなことはどーでもいいから、とっとと掃除しなさいって。

’02/10/23 (水)

Alpha


 間が悪いと言うべきか、或いは偶然と言うべきか。HMVからまたまたソフトが届いた。注文当初の予定では、到着が適当にバラけて支払いが楽だと踏んでいたのだが、こう一気に届いたのではいささか苦しいのである。上手く行かないものだ。

 上の写真はそのうちの1枚、「ジャン・バリエール/チェロと通奏低音のためのソナタ集」(ブリュノ・コクセ&レ・バス・ユニ 仏α Alpha015)。CDである。恥ずかしいことながら、作曲家や演奏者について僕は非常に疎いので、バリエールもコクセも全く知らない。もちろんレ・バス・ユニのことも。

 バリエールは1707年5月2日フランス・ボルドー生まれ、チェリスト出身の作曲家である。1747年6月6日40歳で没。演奏者のコクセはフランスのチェリスト、ヴィオール奏者。ウィリアム・クリスティのレザール・フロリサン、ヨルディ・サヴァールのエスペリオンXX(このあたりのアンサンブルは長岡先生のA級外セレでお馴染み)などにも参加しているそうだ。レ・バス・ユニは通奏低音楽器のみによるアンサンブルである。と、以上は全て解説書からの抜粋である。詳しいことは質問しないでください。受け売りですから。

 僕自身の言葉で語れるのは、音についてのみである。ただし、それもわりといい加減であることは毎度の事と御了解いただきたいわけだが。

 2000年10月、パリ、ノートルダム・ド・ボン・スクール病院礼拝堂で録音。音は非常に良い。厚く豊かで深みがあり、繊細感抜群。通奏低音楽器が中心であるだけに、低域のクオリティが低いと話にならないわけだが、これが素晴らしい。力強く、しかし柔らかく嫋々と鳴り響く低音は一聴の価値大いにあり。音場感も極めて自然で、演奏が途絶えた一瞬の間に残って響くエコーは絶品。これはとても良いCDだ。

 そもそも僕がこのCDを買ったのは、ソフト名人の親しい友達から「音の良いレーベルがあるよ」と紹介してもらってのことである。それがこのαレーベルだった。数タイトル聴かせてもらい、すぐ気に入ってしまったのである。その節はありがとうございました。当時はGT-CD1での試聴、今改めてDP-85で鳴らすと、その良さが更に引き立って聴こえるのである。

 αレーベルの音は、昔で言うと仏ASTREE、少し新しくなって西GLOSSAなどの系譜に入ると思う。独特の艶と深みのある音。他にも多くのタイトルがリリースされているようなので、まとめて買ってみたいレーベルである。

 従来CDも、まだまだ捨てたものではないのである。

’02/10/22 (火)

がんばってくれ


 日誌のネタ探しには毎日腐心する。PCの前に座っていろいろ考えたり、2階の部屋を歩き回ったり、それでもダメなら1階をウロウロしてみたり、外を歩いてみたり。そーゆーことをしていてフと気がついた。そう言えばSWドライブに使っているサンスイのB-2302Vについてはあまり書いたことがなかったなと。ちゅうわけで、今日はSWアンプネタである。

 SWドライブアンプをこれに決めた理由、それは単純至極。長岡先生が使っておられたからである。恥かしながらサルマネである。もちろん本家方舟で何度も音を聴き、そのソリッドでしかも押し出しが良く、クソ馬力のある低音に惹かれたからでもあるわけだが。

 箱船に導入したのは'94年7月28日のこと。ゴールドタイプを選んだのは僕の好みである。先生は目立たないブラックタイプを推奨しておられた。使い始めて8年超、まったくのノートラブルである。8Ω370Wのハイパワーアンプとしては発熱が少なく、ラックに入れていないせいもあってあまり熱くならないのが良い方向へ働いているのだろう。

 当時74万円のアンプを低域ドライブだけに使う? まったく以って勿体無い話である。更にこのアンプ、全域でちゃんと使えば凄く良い音で鳴るのである。低域の良さも然ることながら、ハイの伸び、切れ、繊細感は特に素晴らしい。音場感も良く、これが74万円なら今となっては超ハイCPだと思う。しかし、ウチではメインに使えない。バランスアンプなのである。SPマトリクス中毒の僕にはヒジョーに辛いわけだ。

 当初はSW-6E、その後SW-5IIに変更、5年前からは現在のE-145×2のSWをドライブしている。38cm2発、4ΩSWを相手にしても力不足は全く感じない。極めてソリッドで、深みのある低音を再生するのである。ユニットがブルブル言うほどボリュームを上げても平然としている。特性以上に底力のあるアンプである。

 今後も使い続けたいとは思うけれど、問題なのはメンテナンス。故障した時の修理は可能かどうか、それは些かアヤシイのである。随分前にweb上で確認したら「一部修理不能」みたいなことが書いてあったような、なかったような。

 壊れて使えなくなったら、次は何にすれば良いのだろう。P-1000? イヤイヤM-8000×2ってか。

 何を言ってるんでしょうか。

’02/10/21 (月)

不発


 7月にHMVへ注文しておいたソフトのうちの1枚がやっと届いた。在庫切れで入荷に時間がかかったらしい。「Airto Moreila、Flora Purim/THE COLOURS OF LIFE」(独 IN+OUT Records 001)。ADである。(P)(C)1988。

 このレコードは狙って注文したのではない。「ミサ・エスピリチュアル」のCDが何処かにないかと検索しているうち、「AIRTO」のキーワードに偶然ヒットした1枚である。詳しいことについての予備知識は全く無し。単純にアイアート・モレイラとフローラ・プリムの名に惹かれて買ったものである。

 「IN+OUT Records」というレーベルについてもまったく知らない。今初めて知った。どうやら獨逸のレーベルらしく「Schallplatten unt Vertriebs GmbH」(シャルプラッテン・ウント・フェアトリーブス・ゲーエムベーハー/レコード製造並びに販売有限会社)とクレジットされている。サイトは無いかと検索してみたが、僕には見つけられなかった。

 レコードに貼ってあるシールには英語で「LIMITED AUDIOPHILE EDITION by IN+OUT RECORDS/180g PREMIUM QUALITY VINYL」とあり、さらに「THIS EDITION IS STRICTLY LIMITED TO 2500COPIES!」と、なかなかに物々しいのである。実際にも盤は厚く重く硬い。但し、リヴィングステレオ復刻180g盤に比べると、やや軽いような感じがする。限定2500枚プレスということだが、シリアルナンバーのようなものは見当たらない。

 さて、肝心なのは能書きよりも実際の内容である。モレイラ-プリムの組み合わせといえばあの「DAFOS」、あるいは「ミサ・エスピリチュアル」に見られるような音楽をイメージさせるし、加えて音の良さにも期待を抱かせるのである。だからこそ買ってみたわけだ。

 A面4曲20分24秒、B面4曲17分30秒。両面ともサンバ、エスニックフュージョン風の曲で、個人的にはあまり面白いとは思わなかった。A面の2曲目に「Espiritual Rain Forest」という曲があり、これだけはちょっと興味を惹かれたがやはりイマイチ。上記2タイトルには遠く及ばない。

 録音は可もなく不可もなく、と言ったところ。ギョッとするような部分はない。歪みは少ないほうだと思う。Dレンジは狭く抜けが良くない。抑えつけられたような感じである。低域はゴリゴリと勇ましいが、ハイは伸び悩む。モレイラとプリムのボーカルもやや不明瞭で聴き辛い。

 まあ、こんなものだろう。ちょっと珍しいレコードが手に入った、っちゅうことで、個人的には喜んでいる。

 これじゃレコードコレクターじゃねーか。遺憾遺憾。

’02/10/20 (日)

キロンキロン


 1年9ヶ月ぶりの登場、ウチの極悪ネコ「ラク」である。昨年1月21日の写真に比べ、アングルが違うせいもあるがやはり随分成長したように見える。

 煮え切らない体色は相変わらず、ネコに詳しい人に訊くと、この色は日本猫とシャム猫の雑種に多いそうである。ナルホド、そう言えばシャム猫の黒い部分(鼻、手足、シッポの先)の色が全身に広がったらこういう色になるのだろう。やたらと気性がキツイのもそのせいか。

 この猫、どういうわけか箱船に入りたがって仕方がない。猫というドウブツは、たいがい警戒心が強く非日常的な場所へは近寄らないのが一般的、なはずだがコイツは違う。ちょっと油断して箱船の入り口ドアを開けると、一瞬の隙を突いて駆け込んでくるのである。これもほぼ100%人間に育てられたことによる本能の歪みかもしれない。

 箱船で先ずコイツがやること。サブウーファーのダクト開口から箱の中へ入る。吸音材(脱脂綿である)がフカフカしてて気持ち良いのかしらんが、中でゴロゴロいうのは頼むからヤメテクレ。慌てて追いかけ回すと余計に出てこなくなるので暫くそのまま放っておく。それでも出て来ない時はもう仕方が無い。音を鳴らすのである。

 そうするとカオに死相を貼り付け、もの凄い勢いでダクトから飛び出してくる。低域もこんな速さで飛び出したら凄いケド。

 一度これをやっておけば、懲りてもう二度と入らなくなる、のはフツーの猫である。全本能歪み率が高いこの猫は、今日も箱船のドアが開く音に反応し、何処にいても目をキロンキロンさせて飛び出してくるのである。なんちゅうヤツだ、こいつは。そーゆー猫に育ててしまったのは、他でもない、僕自身なんだろうなあ。

 猫育てもムツカシイのである。

’02/10/19 (土)

誤った道標


 箱船2階のサブシステムに使っているCDプレーヤー、NEC CD-10である。往年の名機も今やすっかりご老体。外観、音とも古くなってしまった感は否めない。メインシステムに使っていたGT-CD1がリタイヤしたので、今度はそれを引っ張ってくる予定である。

 ではこのCD-10はどうなるのかといえば、そこはちゃんと行く先が決まっている。愚息の部屋である。

 今、愚息は自分の小遣いで買った4,850円のポータブルCDプレーヤー(れっきとしたパナソニック製である)を使い、耳かけヘッドホン(これも立派なA・テクニカ製)で聴いている。最近のお気に入りはヒッキーとポルノグラフィティー(小学生が口にする言葉とも思えないのダ)だそうで、友達が遊びに来ない日はいつも聴いているようである。

 押入れで勝手に見付けた昔のスピーカー(JBL J-216pro)を、知らぬ間に部屋に持ち込み「これを鳴らせるようにしろ」と偉そうなことを言う。仕方がないのでこれまた昔ムカシ使っていたオンキョーのA-817RXIIというプリメインアンプを引っ張り出し、繋いでやることにした。が、肝心のCDプレーヤーが上手く繋がらない。ラインアウトが無いのである。ヘッドホン端子からステレオミニプラグ→ピンプラグ変換コードを使って繋いでみたところSNが非常に悪く、聴くに堪えない音になってしまった。

 これでも愚息は喜んでいる。納得できないのは寧ろ僕のほうである。こんなんじゃイヤダ。ちゅうわけで、CD-10の引越しと相成ったわけである。ほとんど自分の趣味だね、これじゃ。

 考えてみれば極めて贅沢な話で、小学生の分際でオーバークオリティこの上ないのである。と言ってこのままCD-10を朽ち果てさせるのも勿体無い。ぶっ壊れるまで使い切ってもらうことにするのである。上手く行けば彼が高校生になるくらいまでは使えるだろうか。

 恵まれ過ぎた環境からでは豊かな趣味性は得難いと、僕はそう思っている。欲しくて欲しくてシンボウ堪らんかったモノをようやく手に入れた時、その趣味性はより一層深まるのである。モノを慈しんで使う気持ちもそこから生まれ得る。

 その意味に於いて、僕は彼の「清く正しいオーディオマニアへの道」を、大きく踏み誤らせているのかもしれない。

 遺憾である。

’02/10/18 (金)

黄鐘調の寺


 今日の京都市内はたいへんに好天だった。本山の境内を歩いていてもヒジョーに気持ちが良く、ちょっとした行楽(ではないのだが)気分を味わえた。

 我が本山妙心寺には、国宝の梵鐘「黄鐘調(おうじきちょう)の鐘」がある。銘の入った梵鐘としては日本最古、西暦698年の鋳造である。現在は鐘楼から降ろされ展示されている。代わりに撞かれているのは昭和49(1974)年3月、形状、材質ともに極めて忠実に複製鋳造されたレプリカである。

 「黄鐘」とは唐楽(雅楽のうちで、主に中国大陸より伝えられたもの、あるいはその形式により日本でつくられた曲)で用いられる音階の一つである。西洋音階に置き換えていちばん近い音は「ラ」になる。周波数にすると109Hz、「ラ」が440Hzだから、2オクターブ下の「ラ」に相当するわけだ。

 梵鐘の音色は大別して三つに分けられる。撞木が当たった瞬間に出る衝撃音を「アタリ」、次に発生する比較的高い音を「オシ」、その後1分以上持続する余韻を「オクリ」と呼ぶ。大雑把に言うと「ゴォ〜ン」の「ゴ」がアタリ、「ォ」がオシ、「〜ン」がオクリ、ということになる。この「オクリ」部分がその梵鐘の音色を決定付けることになる。

 妙心寺の梵鐘は、この「オクリ」の調子が上に書いた「黄鐘」とほぼ同じ音程であることから「黄鐘調の鐘」と呼ばれるわけだ。だが、オクリを実際に測定してみると129Hzで共鳴している。これでは「黄鐘調」とは呼べない、と思いきや、「唐古律」という音階では129Hzが「黄鐘」にあたる。鋳造698年当時には、これが正しい「黄鐘」だったわけである。現在の雅楽では「神仙」という音階にあたり、「神仙調」と呼んでも間違いはない。が、ネーミングとしては、やはり「黄鐘調」の方が優れていると思う。

 この鐘(レプリカだが)は、今も毎朝毎夕規則正しく撞かれている。関西在住の方なら、比較的容易にライブ黄鐘調を聴けるだろう。既に廃盤になって久しいのが残念なCD、「梵鐘」(日CBS/SONY 32DG36)のトラック1と17でも、この鐘の音を聴くことができる。余韻をスペアナで測定すると、125Hzにたいへん綺麗なピークが現われ、響きもたいへんに美しい。まさに「黄鐘調」の名に恥じないレプリカであることを思い知らされるのである。

 妙心寺は観光寺院ではなく、けっしてコマーシャルな寺ではない。悪く言えばぶっきらぼう、反面良く言えば誰でも気軽に散策できる寺であるとも言える。

 「牡蠣食えば 黄鐘響く 妙心寺」

 シツレイいたしやした。

’02/10/17 (木)

次の車は


 明日は早朝から京都市内の本山(ヘッド・テンプルである)へ出仕する。早く寝なきゃイケナイのである。

 僕が京都へ出かけるときは、ほとんどの場合自分の車で行くことになる。荷物を背負って汽車に乗るのは嫌いなのである。約3時間の道のり。ちょっと混雑すれば3時間半かかる。大阪や神戸なら2時間程度、ぐんと近いのである。同じ京都府でありながらこの有様はどうしたことだ。「京都縦貫道」。早く工事してくれよー。ローカルでスミマセン。

 現在の走行距離は写真の通り。乗り始めてちょうど8年でこれだから、多くもなく少なくもなく、といったところだろう。エンジンの調子はすこぶる良いし、典型的ファミリーカーであるので取り回しは極めてらくちんである。ムチャクチャな遠乗りは皆無、街乗り一本槍の僕には過分な車だ。

 だが、近頃外装の傷みが目立ち始めて困っている。日頃の手入れが悪いせいで塗装はかなり傷んでいる。この間なんか運転席側のドアを開けた瞬間、取っ手部分が割れてあさっての方向へぶっ飛んでいった。かっこわる〜。こんなことでわざわざ車屋へ行くのもメンドクサイので、瞬間接着剤でくっつけてやった。クルマニアが見たら卒倒するだろうな。

 来年は4回目の車検がやってくる。当初から100,000km乗ったら替えるつもりだった。ちょうど取っ手もぶっ壊れたことだし、潮時である。次の車は、ハイブリッドのプ○ウス、と決めてはいるのだが。

 雪国には不向きかな?

’02/10/16 (水)

期待感大、復刻盤


 ADとSACDにノボせ上がり、DVDも買っていたのをすっかり忘れていた。と言ってもケチケチな買い方で、期間限定1,500円シリーズを2枚だけ。そのうちの1枚が「LED ZEPPELIN/THE SONG REMAINS THE SAME〜IN CONCERT AND BEYOND」(日ワーナー・ホーム・ビデオ HP-11389)である。1973年のマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートを中心に構成した、LED ZEPPELIN主演(?)の、ドキュメントのようなプロモーションのためのような、ファンタジーのような映画である。1976年制作、DVDとしての(C)は2002。9月25日に載せたライブ盤は、この映画のオリジナルサウンドトラックということになっている。

 この映画はLDでもリリースされていたし、その前はヴィデオソフトで出ていた。まだ僕が三管PJを買う遥か以前の話である。その頃にレンタルしてテレビで一度見たきり、音も画も非常に悪く、ガッカリしてLDも買わなかった。考えてみれば失敬な話ではあるのだが。

 で、今回店頭で1,500円DVDを見つけ、これならスベっても損はないと買ってみたわけだ。尤も、もうすぐ発売される(んだろうな?)200gAD復刻盤の音と比較してみたいという、あざとい(小利口だが考えはあまり深くない)目論見もあったりするのである。

 画も音も、昔見たものとは比べ物にならない。システムがゼンゼン違うわけだから当たり前の話である。それを差し引いても、特に音のほうは立派なものである。モノがロック、しかもライブだけに粗さ不味さが目立つのは致し方なし。けれども僕が既に持っている輸入盤ADなどより遥かに歪みが少なくレンジも広い。かなりの大音量再生にも堪え得る音である。低域が変にふやけておかしな音になる部分もあるが、今日の写真に挙げた「MOBY DICK」のドラムソロでは、相当しっかりした低音を聴かせる。ジョン・ボーナム、ムチャクチャかっこいいっ。

 この画、この音なら文句なくハイCPである。ZEPPELINファンには特薦。当たり前である。DVDのサウンドトラックでこのような音が出るのなら、AD復刻盤への期待は大きい。

 現在の予定では明日、リリースされるハズ、である。

’02/10/15 (火)

ライトなジャズデュオ


 今月の日誌を読み返してみると、ほとんど食べ物ネタとソフトネタに終始している。他に話はないのんかと自分につっこみたくなるほどだ。考えてみればどちらも「食べたい」「聴きたい」という欲求を満たす手段である。「手段が目的化することを趣味という」。この定義からすると至極当然のこと、とわけのわからんロジックでアホな所業を自分勝手に正当化し、今日もソフトネタで話をどんどん進めてしまうのである。スミマセン。

 「SALAMANDER PIE/Jay Leonhart with Mike Renzi」(米dmp SACD-07)。Jay LeonhartのアコースティックベースとボーカルにMike Renziのピアノがバックをつける。ベース弾き語り+ピアノという小編成もの、ジャズデュオである。これも先日大阪日本橋で買ったうちの1枚。

 録音は古い。クレジットによると1983年3月19日と29日、三菱製2トラックディジタルレコーダーX-80(サンプリング周波数50.4kHz)で一発録音されたとある。凡そ20年前である。この辺りは「FLIM & THE BB'S/TRICYCLE」と同じ。

 そのマスターテープをX-80で再生、EMM Lab(とは何者か?)オリジナルのDSD A/Dコンバーターを経由しソニーのDSDレコーダーでDSDマスターが制作されている。どの経路にもイコライザー等の余分なエフェクターは入っていない。SACDとしての(P)は1999年。

 このタイトルのレギュラーCD(dmp CD-442)は'92年6月に買って聴いている。とても綺麗な音だと思った。が、ハッとかギョッとかするところの無い、やや平板な録音という印象だった。それがSACDになると随分違う。透明感がぐんと上がり、ベースの音はふやけた感じが減り深みを増し、ボーカルは定位が良くなり、ピアノは立ち上がりが速くなって非常に美しい。全体的に細かいニュアンスがよく出るので、ベースとピアノがかけひきしながら演奏している雰囲気がよく伝わって面白い。

 Jay Leonhartのボーカルは、凄く上手いというものではないけれどなかなか味があってイイ。ちょっとハスキーで、何処となく憂いがあり、でも明るく屈託がない。曲とのマッチングはベストである。全17トラック64分43秒。最も長い曲でも5分24秒と、ライトな曲ばかりである。

 これを聴いて、やはりSACDフォーマットは優れているという思いを強くするのである。

’02/10/14 (月)

載せたかったのは


 この「若鶏のチーズ焼き」ではないのである。もちろんこれも美味かったが、本命は「ざるそば」だったのダ。

 一昨日大阪へ行った帰り、徳さんに教えてもらった福知山の蕎麦屋さん「やすいや」。ここのざるそば、これが絶品である。白く細くしなやかでツヤツヤしていて、しかもクミクミした歯応えのある麺は全面的に僕好み。そば殻も共挽きの黒い粉で打った、太くてボソボソした蕎麦こそがホンモノ、というムキもおありでしょうが、僕は所謂「更科蕎麦」(蕎麦の実の胚乳部分だけを挽いた粉を使って打った白い蕎麦)に近いものが好きなのである。

 「やすいや」の蕎麦は、更科粉ではなくたぶん1番粉か2番粉くらいで打ったものだろうと思う。この辺りでは珍しい存在である。以前から近辺に美味しい蕎麦屋さんがないことを嘆いていた僕としては、とうとう巡り会った名店、という感じである。徳さん、どうもありがとうございます。早速家族で行ってきました。

 蕎麦屋さんと言っても、うどんもやっているし、ちょっとした一品料理もある。上の写真はそのうちの一つ。この他に「一口ヒレカツ」を頼んだら、でっかいカツが3枚も盛り付けられたものが出てきて、これじゃあ「四口ヒレカツ」、それが3枚で都合「十二口ヒレカツ」じゃないかと驚いてしまった。

 ともかくもメインは「ざるそば」である。ちゃんと写真を撮って日誌ネタにするんだとデジカメを用意した、のに、なんで「若鶏のチーズ焼き」? そこが「美味いものは早く食え」を家訓とするくずてつのアホなところである。

 「ざるそばの大盛りね!」と注文し、運ばれてきたのを見たと同時に「デジカメで撮影する」というコマンドは瞬間削除、「早く食え」というコマンドに上書きされてしまったらしい。あ〜、美味しかった....ハ、と気が付いた時には既になんにもなく、すべてはオナカの中、という馬鹿馬鹿しいお話である。

 と、要するにそれほど美味しい蕎麦であるわけで、これからは格別贔屓のお店にしたいと思うのである。次回は写真をしっかりキープしてきます。

 僕好みの蕎麦といえば長岡先生宅近く、「砂場」のざるそばも大変美味しかった。今となってはそれも懐かしい味である。

’02/10/13 (日)

また日本橋へ?


 7日の日誌に載せたリヴィングステレオ復刻盤、LDS-2625の45回転盤である。片面カッティング4枚組、例によって常軌を逸したレコードである。これは4枚ともちゃんと同一デザインのジャケットに収められているが、タイトルによってはデザインジャケットに入っているのは1枚か2枚だけ、あとは白無地ジャケット入りというものもある。どういう基準でそうなるのか分からない。

 33回転盤を聴いて、その音の良さに刮目したこのタイトル。45回転盤ではどんな音になるのか、期待は大きい。

 その期待をいささかも裏切らない、素晴らしい出来である。音が出てすぐに感じるのは、前後上下左右、音場感が向上し、楽器の位置関係が非常に明確になること。33回転盤に比べ、透明度が上がり空間表現が豊かになるわけだ。輝き、艶、深み、瑞々しさが増し、逆に歪み感は減少。繊細極まりなく、しかも生命力漲る音である。45回転の威力か。

 先日は「1950年代前半の録音か」と書いたがそれは間違い。「1961年の録音です」とM85さんからご教示いただいた。僕の生年が同じく'61年である。41年前の録音ということになるわけだ。にもかかわらず古さは一切感じさせない。昨日録音したばかりかと思わせるような鮮度の高さには、ただ驚くのみである。

 全体としてはかなり緊張感の高い音である。だが、生硬であるとか、粗暴であるとかいう音ではけっしてない。相当なボリュームで聴いても、まったく喧しくならないのである。こういうレコードは稀有の存在と言える。

 うむ、やっぱり買っておいてヨカッタ。昨日買い逃した45回転盤、悔しいからまた大阪へ行ってこようかな。

 懲りないのである。

’02/10/12 (土)

やっちまった


 刺激を受けるべきだ、と大阪日本橋へ行ったのは良いが、刺激を受け過ぎてソフトをガバガバ買ってしまった。

 AD6タイトル、うち4タイトルがRCAリヴィングステレオ45回転復刻盤、2タイトルは米Groove NoteレーベルのD2D45回転盤である。タイトル数のわりに枚数は多く、リヴィングステレオは全て4枚組み、Groove Noteは2枚組み、計20枚。持って歩くのには非常に重たかった。

 SACDも6タイトル、dmp4枚、Groove Note1枚、Red Rose Music1枚。全てCDハイブリッド盤である。

 予定ではこんなに沢山のソフトを買うつもりは無く、できれば質の良いピンコードなんかも欲しかった。しかし、こうなってはもうイケナイ。とても他のものにまでは手が回らないのである。

 どのタイトルも友達に聴かせてもらったことがあるか、或いは通販サイト上で見たことのあるものばかりである。その度に食指が動いていたものの、そういう状況ではわりあいに冷静でいられるわけだ。ここは慌てずゆっくり行こうか、などとPCの前で余裕をぶちかますのであった。

 だが。それらの実物を目の前にして、僕のような自制心の欠如著しいニンゲンが我慢できるはずもないのである。3秒考えたのは最初の1、2タイトルだけ、あとは一気に行ってしまった。帰宅後サイフを覗いて「はう〜」と深く大きな溜息をついても、もう遅い。こんなヤツにクレジットカードなんか、絶対持たせては遺憾のである。

 溜息は付けども上質の(と思われる)ソフトがたくさん手に入ったことは大きな喜びである。楽しみにしながらじっくり聴いてゆこう。そのためには、もう少し時間があればナァ。

 破戒ボーズの欲望は尽きないのである。嗚呼、遺憾。

’02/10/11 (金)

朝駆け


 只今10月11日午前5時半、気温は12度、天候はご覧の通り晴れ。随分と寒くなった。すっかり秋である。

 今日はノッピキならぬ所用で間もなく出かけなければならない。そのためというわけでもないのだが、昨夜は久しぶりに午後7時半にはブラックアウトしてしまった。生命の危険を感じるほど(大袈裟ダ)の恐ろしい睡魔。これには勝てない。

 所用が無事に終わったら、永くご無沙汰している大阪日本橋にも足を伸ばしたいと思う。丹後の片田舎に引き篭もってばかりでなく、たまにはそういう刺激も受けないとイケナイのである。

 徳さん、今日は宜しくお願いいたします。

’02/10/10 (木)

9年後


 隠居のバアサンがF二家に頼んでくれたアイスクリームケーキ(!)のプレートには「けいちゃん」と書いてあり、ペコちゃんのメレンゲが載っているところを見ると、女の子と間違われたかな? 漢字一字の名前はどっちだかわかりにくいもんなあ。

 今日は上の愚息の誕生日である。ご覧の通りローソクが11本、さっき生まれたばかりだと思っていたら、もう11歳になったらしい。ナマイキにもなりますワナ。

 彼が生まれた1991年というと、プリアンプC-280Vを買った年である。彼の年齢がそのまま使用履歴になるわけだ。「20年使う!」と家人に宣言して買ったものの昨年言を翻し、C-AX10に乗り換えた、と思ったら君子豹変宜しくやっぱり出戻ったC-280V。何が君子だ、バカヤロウ。今はまたセンターラック下段にふんぞり返っている。「20年使う」公約も実現できそう、なんて言うとまた「不妄語戒」を犯しそうなので黙っておくのである。

 これを20年使えば愚息もハタチになるわけだ。本人曰く「僕は清く正しいオーディオマニアの道を歩み始めている」そうだから、上手いことゆってお古のC-280Vを高値で20歳の彼に無理矢理売りつけ、オヤジはC-2900(?)か何かをラクショーで買う、なんてえのは如何にも悪徳、極悪、凶悪です。親のやることではないのである。

 9年後を楽しみにしておこう。

’02/10/09 (水)

「Pearl」と「PEARL」


 ソフトネタが続くのをお許しいただきたい。些か旧聞だが、7月にリリースされた今井美樹の新譜「Pearl」(東芝EMI TOCT-24800)である。5月16日の日誌に「出たら買ってみよう」などと書いておきながら、すっかり忘れて今になってしまった。バカボンのパパか、オマエは。

 タカサキさんの「レーベル移籍直後のアルバムには力作が多い」というお言葉通り、本作はなかなかの出来である。キャッチコピーには「布袋寅泰をはじめ、いつものバックメンバーによる力作、サウンドもハイクォリティー」とある。

 前作「AQUA」に比べてバックに勢いがあり、リズムセクションがしっかりしているのが良い。音そのものもクリアで切れが良く、歪み感も少なく聴こえる。「サウンドもハイクォリティー」というコピーもあながちウソではない。いつものこと、今井のボーカルがウリなわけで、そこは上手く聴かせるのである。やはりこの人は明るい歌を元気良く歌うのがいちばん似合っているように思う。

 F特も採ってみた。ポップスとしてはレンジが広く、カッティングレベルは高い。が、ことさらにお見せしなければならないほどのものでもないので省略。

 さて、アルバムタイトル「Pearl」と聞いて、ムカシはロック小僧(今はオーディオオヤジか?)だった僕が思い出すのはアメリカの女性ボーカリスト、ジャニス・ジョプリンである。1943年1月19日生まれ。1970年10月10日、ハリウッドのホテルに於いて27歳で急死。死因は未だに不明。

 この人最後のアルバムタイトルが「PEARL」だった。この作品中、特に有名なのは「MOVE OVER」という曲だろう。邦題「ジャニスの祈り」。僕と同世代のロックファンなら、一度は耳にされたことがあるはずだ。彼女の死後、1971年に発表されたこともあって、名盤名曲の一つに数えられる。

 ソウルフルというべきか、ちょっと怖いと言うべきか、彼女の歌には鬼気迫るものがある。独特の暗さと迫力。当時小学校4年生の僕には、充分すぎるほどのインパクトを与えた曲だった。「ジャニスの祈り」、バッドフィンガーの「嵐の恋」、ツェッペリンの「移民の歌」。この辺りが僕のロック原初体験になるわけだ。

 「Pearl」と「PEARL」。同じタイトルながらまったく異質のボーカル、音楽である。オッサンに成り下がった今、「PEARL」は随分と体に堪える。「Pearl」くらいが丁度良いみたい。

 もし、ジャニスが今も生きていたなら、どんな音楽を演っていただろうか。

’02/10/08 (火)

読みたかった


 皆さんご存知、「John Antill/Corroboree」(ユージン・グーセンス指揮 ロンドンSO 米EVEREST SDBR-3003)である。A級外セレの記事を読み、聴きたくて欲しくて、でもなかなか手に入らず。そうしているうちにCD化され、それの評価がまた高く、飛びついて聴いたら凄く音が良い。それで満足したかと言えばまったく逆で、余計にADが欲しくなった。あっちこっちのレコード屋さんに手を尽くし、漸く手に入ったのが上の写真である。

 1958年発売のオリジナル盤である。ジャケットに特徴があり、イラスト表ジャケットに銀色の内ジャケットを入れ込む構造。レコード本体は内ジャケに格納される。内ジャケの背(写真では右端)には木製の角棒が入っていて、ストッパーと背表紙を兼ねている。御丁寧な造りである。

 長岡先生の評価にもあったように、総合点ではCDの勝ちである。古いレコードだけにSNが悪く、音場感でだいぶんと損をしている。尤も、EVERESTのレコードはおしなべて盤質が悪いのだケレドモ。低域のレンジが狭く、厚み不足。ハイの切れでADの良さを感じさせるも、やや腰高なサウンドである。必ずしもオリジナルが最高とは限らない。

 だが、'99年に出た180gAD復刻盤、これは凄い。CDを上回るワイドレンジ、ADの良さがフルに発揮され、凄まじい切れと繊細感、猛烈なエネルギー、広大で生々しい音場感は聴く者を圧倒する。芸術的マスタリングと高品位ビニールプレスの成果か、ノイズが安定していて耳に付きにくく、物理的にも聴感上もSNが非常に良い。オリジナル盤と比較し、改めて復刻盤の優秀さを思い知らされたのだった。これまた昨日に続き必聴盤である。マイリマシタ。

 長岡先生は、この復刻盤をお聴きになったのだろうか。この音をどんなふうに表現されるのか、そこが読んでみたかったなあ。「金粉を撒き散らしたような」とか、「指の間からさらさらとこぼれ落ちる細かい砂のように」とか。

 ああ、残念。

’02/10/07 (月)

醍醐味


 DP-85にウツツを抜かしていたここ最近だが、親しい友達からRCAリヴィングステレオ180g復刻盤を譲ってもらったのを機に、またADへ戻ってきた。ああ、なんて楽しいオーディオライフ。

 かなりの枚数をまとめて送ってもらったので、全部をいっぺんに聴き尽くすのは大変である。それに、やっつけ仕事のように聴くには勿体無い優秀盤ばかりである。一枚一枚慈しむように、味わうように聴きたいと思う。

 今日聴いたのは写真のタイトル「Darius Milhaud/LA CREATION DE MONDE、SUITE PROVENCALE」(シャルル・ミュンシュ指揮 ボストンSO 米RCA LDS-2625)である。正確な録音日時が分からないのだが、たぶん1950年代前半ではないかと思う。誤りがあればご指摘ください。

 RCAリヴィングステレオ復刻版には毎度のことながら驚かされ、今や話としては面白くもない。だが、やっぱり「ひっくり返った」としか表現のしようがないのである。なんだ、この音は。音の洪水である。数限りない音が一気に噴出するようなエネルギー感に圧倒される。何万発かの花火が一度に打ち上がったような、圧倒的な色彩感と炸裂感。図らずも感歎の声を発してしまうのだった。ハイがどうの、ローがこうの、などというチマチマした評価はまったく的外れである。音楽ファン、オーディオ(サウンド)マニアとも必聴盤と言ってよい。

 この音の力はなんということだろう。浸透力、貫通力、到達力。この力感だけは、進化したディジタル技術を以ってしても未だ実現できていないように思う。それが何故なのか、僕如きにはまったく分からない。

 こういう音が出せるからこそ、AD再生を捨てることはもちろん、こだわらずには居られないわけである。現状出ている音が終着点では、おそらく無いはずだ。まだまだ上がある。

 やってもやっても天井が見えてこない。蓋し、趣味の醍醐味である。

’02/10/06 (日)

秋の匂い


 この花の香りが匂い始めると、秋がやってきたという感慨が深くなる。キンモクセイ(金木犀)である。学名Osmanthus fragrans var. aurantiacus。モクセイ科モクセイ属、中国原産の常緑小高木樹である。写真のようにオレンジ色の花を咲かせる種を「キンモクセイ」、白い花の種を「ギンモクセイ」(あるいは単に『モクセイ』)と呼ぶ。どういうわけか日本にあるのはオスの木のみだそうだ。ナンデかな。

 僕はこの花の香りが好きである。子供の頃を思い出させるような、とても懐かしい匂い。これから寒い季節になるよと知らされているような、ちょっと寂しい匂い。いずれにしても僕にとっては非常にノスタルジックな香りなのである。

 フシギな香りでもある。花から遠ざかるほどに甘い匂いになり、近づくとさほど良くはない。風に乗ってそこはかとなく匂ってくるのがいちばん良いのである。到達力は相当なもので、これが近所で咲き始めるとすぐにわかる。ただ、僕の友達の中には「あの臭い(匂い、ではナイ)には気持ち悪くなる」という人もいて、好みはハッキリと分かれるようだ。

 この匂い成分は比較的容易に人工生成できるそうで、芳香剤などにはよく使われている。しかしそれはやはりあくまでも「人工的」であって、ホンモノとは似て非なるもののように僕には思える。若い人の中には「トイレの匂いがする花」と表現する人もいるらしく、こうなると一体どっちがオリジナルなのか分からなくなってしまうのだった。如何にも心寂しい思いがするのである。

 ライブキンモクセイに触れる環境が減ったのか、或いは身近に環境があってもそれを受容する感性が枯渇しているのか。はたまた人工的なものに飼い慣らされてしまった結果なのか。

 何となくオーディオにも通じるモノがあるような気がするのは、穿った見方に過ぎるのかしらん?

’02/10/05 (土)

前時代的ではあれども


 箱船のVは、最近すっかりファミリー用になってしまった。今日の出し物は、皆さん既にお馴染みの「モンスターズ・インク」である。

 今さら内容に触れる要はないだろう。純然たるおとぎ話である。愚息達は非常に喜んだ。CGの見事さは大人の鑑賞にも充分に堪え得るもの。全ての点で「トイ・ストーリー2」を遥かに超えている。ワタクシも楽しめました。

 DVDの映像や音について語るには、箱船のVシステムでは最早時代遅れと言える。プレーヤー、プロジェクターは前時代的、HTPCも導入していない。音声についてもDTSはおろか、5.1chさえまともに再生できないのである。

 その限りに於いて言うならば、このタイトルは超Aクラス、否、特S級だと思う。特に主人公サリーのふわふわした毛の質感が良く出るのが印象的だった。細い毛の一本一本まで数えられそうなくらいの高解像度、高精細映像である。525Iではシャープネスを強めにかけたようになり立体感がイマイチだが、Pに切り替えると自然さが増ししなやかでしかも高精細、俄然立体感が出てくる。

 音声も優秀で、中でも量感と締まりが両立した超低域は最高。音場感も自然である。但し、これは本来DTS、或いは5.1などのマルチチャンネルサラウンドで聴くべきものだろう。

 いろいろと問題のある箱船Vシステムだが、Aと同じくらいの熱意を以ってVに臨めるかと問われると、それは否である。個人的には今のレベルで充分満足している。

 VとAの両立は、物理的にも個人的資質の上でも、極めて困難なような気がする。もちろん、どちらも非常に高い次元で融合させていらっしゃる方が、沢山おいでのことはよく承知しているわけだが。

 僕には無理みたい。

’02/10/04 (金)


 ちょっとタイミングを外した感ありだが、先月29日の日誌に載せた「TOTO IV」のSACD、CD、F特比較である。トラック1「ロザーナ」のみを採ってみた。左がSACD、右がCDである。

 ご覧の通り、カッティングレベルはSACDのほうが8〜10dB程度高い。それを補正して見ると、全体的な形はそっくりである。やっちまった。「タコ耳くずてつの面目躍如」と書いたのがホンマモンになってもーた。えらいこっちゃ。

 細かくみれば低域の伸びに僅かの差があったりするわけだが、驚くほどのことではない。だが、実際にスピーカーから出てくる音は驚くほど違う。SACDの全面的圧倒的勝利である。

 CD制作当時から見れば周辺機器の進化、ノウハウの蓄積などがあることも考えに入れねばならない。カッティングレベルが高いのも、聴感上では有利な方向へ働くだろう。それらのことを勘定に入れても、実際にこの音を聴くとSACDフォーマットの優位性を認めざるを得なくなるのである。う〜む、なるほど。

 今後SACDソフトを買って行くに当面の狙い目は、アナログマスターのDSDマスタリング盤、あるいはDSDマスター盤あたりか。ローリング・ストーンズの初期盤など、古いロックのDSDマスタリングSACDなどはどうなのだろう。ともかくたくさん買って、聴いてみるしか方法はないのだろうな。

 それにしても「そういうこととは別の次元でF特に差異がありそう」とはお粗末極まりない。底の浅さが知れるのである。

 すみません、ウソついてました。

’02/10/03 (木)

二周年

 「船長の戯言」をアップして、早二年が経った。一年目、63,000件ものアクセスをいただき「まるで夢のような数字」と大喜びしていたら、二年目には197,000件を超える、もの凄い数字になってしまった。この一年で134,000件以上のアクセスをいただいたことになる。

 これは恐ろしい数である。1日当たり延べ360人以上の方にご閲覧いただいている計算になるわけだ。心から感謝申し上げるのはもちろん、この駄文をそれだけの方が(たぶん)読んでいらっしゃるのかと思うと、全くに恐縮至極、身も細る思いなのである。脈絡も意図も無く、ましてオーディオから大きく外れたネタが多いにもかかわらず。

 本当にありがとうございます。

 トップの各コンテンツにはエラそうに「○月○日更新」などと書いてあるにもかかわらず、継続して更新しているのはこの日誌だけという、ヒジョーにお恥ずかしい状況が続いている。鋭意更新しなければと思いながら、息切れネタ切れでなかなか叶わない。今後の大きな課題である。

 斯くの如くエエ加減な拙HPに、これだけのアクセスをいただけることへの感謝は言葉に尽くせない。忸怩たる思いは昨年と何ら変らず、己が進歩の無さにガクゼンとするのである。

 などと懺悔しながら、次の一年もまた同じようなことになる、のだろうと、先に申し上げておくのである。そう言えば昨年も「今後も同じく『戯言』の羅列に専一となるに違いないのである」と書いてあったな。ホントに進歩の無い輩だ、僕は。

 たどたどしくも日誌のみながら毎日更新して来られたのは、何と言っても皆さんからのお力を得てこそである。日々の日誌に関するご感想、ご教示などを掲示板にいただくと、僕は本当に嬉しいのである。皆さんのおかげさま、ありがとうございます。

 不遜を承知で申し上げます。今後ともこれまでと変らぬご愛顧を、心から伏してお願い致します。

’02/10/02 (水)

学生さんは


 兵糧攻めに極めて弱いと、居眠り学生さんはおっしゃる。ので、意地悪く面白がって今日も台所ネタである。

 昨日(9/30)はやたらと暑かったのに、今日は雨降りでやたらと寒い。この寒暖差に毎年ヤラれ、10月は僕にとって鬼門の月である。こういう日のおかずには、何か暖かいものがよい。妻に「おでんが食いてえ」と言ったら「そりゃ簡単でエエわ」っちゅうことで、朝から仕込んで今夜はヌクヌクのオデンである。

 おでんと言えば、大阪方面では「かんとだき」と呼ぶことが多いようだ。つまり「関東炊き」のことである。大阪(関西)では何故におでんを「関東炊き」と言うのか、そのワケは。

 「おでん」の由来を皆さんはご存知だろうか。「田楽」が元である。豆腐、コンニャクなどを焼き、味噌で食べるアレである。それがどのような変遷を辿って現在の「おでん」になったかはよく分かっていない。今ではすっかり別の料理である。その「田楽」を、宮中に仕える女官たちが「おでん」(『おでんがく』の略?)と呼んでいて、それが語源になったわけである。

 おつゆを使わずタネを焼いて食べる田楽が、煮込み風に変ったのは江戸時代の後期。いわゆる「おでん」の誕生である。ところは江戸。それが幕末に関西へ伝わり「関東炊き」と呼ばれるようになったと、こういうわけらしい。

 現在の関東で主流になっているおでんは、一旦関西へ伝わり出戻ったものであるそうだ。一般的に「ダシの利いた関西風、醤油味の関東風」と言われることが多いが、おでんの味付けに関してはそう単純ではないような気がする。

 タネはおおよそ一致するようだ。大根、厚揚げ、コンニャク、ジャガイモ、チクワあたりは東西どちらでも定番だろう。「おそ松くん」の名キャラクター「チビ太」のおでんも厚揚げ、ガンモ、コンニャク(△○□)が串に刺してあったしな。あれは旨そうだった。イヤ待てよ、いちばん下はチクワだったのか? 或いはちくわぶか。

 僕はあの「ちくわぶ」なるものが何者なのかよく知らない。たぶん関西のおでんではタネに使わないと思うのだが如何でしょうか。少なくともくずてつ家「おでんに関する家訓」に「ちくわぶ」の名は無い。仄聞するところでは小麦粉を捏ねたものらしいが、すいとんのご親戚さんだろうか。

 同じモノで呼び名が違うのが「ガンモ」である。関東では「ガンモドキ」、関西では「ヒリョウズ」(または『ひろうす』とも)。それぞれ正しく書くと「雁擬」「飛龍頭」となる。ユリネ、銀杏、木耳、ヒジキなどが入ったアレはとても美味しい。元々は精進料理の出身で、残り物の豆腐を崩し、野菜屑を練り込み油で揚げた、言うなれば無駄を嫌ったリサイクル料理である。今の飛龍頭はご出世なすって、随分とゴージャズである。

 と、おでんの薀蓄をタレている間にも、ハフハフハフと食ってしまった。ああうまかった。居眠り学生さん、食べに来ない?

 これくらいならいつでもご馳走しますぜ、ダンナ。

’02/10/01 (火)


 10月ともなれば秋も随分深まってきた感じ、と思っていたら、今日(9/30)はとても暑い日だった。昨年の日誌を読むと、もう少し涼しかった(寒かった?)ようなことを書いてある。やはり今年は暖かいのかな。こういう年に限って冬は大雪になるのである。イヤダイヤダ。

 暖かいと言っても日暮れは早いのに変りはない。秋の夜長はゆっくりとオーディオを楽しんで....と行きたいところだが、何だか雑事に追われまくってちっとも落ち着けないでいる。

 それでもせっせとSACDを買い込み(と言っても手持ちはたったの8枚)、短い時間ではあるが毎日聴いている。先日書いたTOTO IVのF特はまだ採っていない。聴くのに忙しくてメンドクサイのである。

 今日聴いたのは「BOSTON/幻想飛行」(日EPIC ESGA-513)のSACD盤。TOTOと同様、アナログマスターからのDSDマスタリングである。このタイトルも今風に言うならメガヒット、ロックを聴かない長岡先生でさえ「レコード漫談」に取り上げていらっしゃった。確か当時でも700万枚(違っていたらゴメンナサイ)くらい売ったんじゃなかったかな。トム・ショルツさんはこれでレコーディング・スタジオを建てたんだと、誰かがゆってた。ホントかな。

 このタイトルにはちょっとばかり個人的な思い入れがあり、AD3枚、CD4枚、それにこのSACD1枚と、全部で8枚持っている。全部音が違うのである。最も音が悪いのは....差し障りがあるといけねえのでそれは省略、一番良いのは今日聴いたSACDバージョンである。

 聴感上のF特、Dレンジが広く音に厚みと力がある。ギターには元々エフェクターとしてのディストーション(正に歪ませているわけだ)が掛かっているが、薄っぺらくならず埃っぽさが少ないのでまずまず聴ける。TOTO IVよりはうるさくない。低域も一本スジが通って力強く、従来持っていたどのソフトよりも音程明確で気持ち良い。

 SACDだから、DSDだから音が良い、のかどうか、それはわからない。たぶんそうじゃないような気がする。CDだってマジメに作ればこのくらいの音は出せるだろう。では、SACD不要? それがまたそーでもないところがヤヤコシイのである。

 古伊万里のお椀でインスタントラーメンを食べる、のも立派な趣味だとは思う。が、やはり器に見合ったものを盛って食べたいのである。

 もちろんBOSTON=インスタントラーメン、ではありませんから悪しからず。