箱船航海日誌 2002年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’02/05/31 (金)

観察力


 例によって突然仕事が押し寄せ、バタバタしてしまって更新が遅れました。申しわけありません。

 昨年は5月27日の日誌に載せた柿の花である。咲き始めたのは昨年よりも一週間くらい早かった。どういうわけか今年の花は昨年よりも大ぶりで、花弁が厚くしっかりしているように見える。拡大して見るとラフレシアみたいな感じ。数も非常に多い。

 一昨年が成り年、昨年は成らず年、このテンカイからすると今年は成り年である。花の様子が違うのもこのせいだろうか。「年々歳々花相似たり」というけれど、注意深く観察すれば「同じからず」ことに気がつくのである。

 観察力というものは、オーディオしていく上でも極めて重要な要素である。凡その使いこなしはこれで大丈夫、と決め込んでいても、じっと観察すると思わぬところにスカタンが発見されたりする。僕にはよくあることである。

 機器の変更でもしない限り、毎日同じ状態が不変に続く、ように思うオーディオシステムも、実は日々変化しているのである。エージングなどはその最たるものだろう。「スピーカーは生き物」とは長岡先生の名言だが「システムも生き物」である。よく聴き、よく観察する。大切なことだと思う。

 「歳々年々音同じからず」。

’02/05/30 (木)

長岡先生


 この写真は五年前、ウチヘ御出でいただいたときのものである。二日目の朝、お宿にしたホテルの前庭から天橋立を望み、先生はこの時とてもご機嫌だった。懐かしい思い出である。

 亡くなってから早くも二年、未だに影響力は衰えない。凄いことである。今後もその遺産が雲散霧消してしまうことは絶対にないだろう。先生は小柄でいらっしゃって、何時かいただいた葉書に「現在逆さダイエット敢行中。+1.5kgまでは実現しました。どこまで行けるでしょうか」と書いておられたほどだったが、遺されたものは余りにも巨大、膨大である。

 僕はご生前から「長岡先生」とお呼びしてきた。今もそうである。呼称だけでなく、葉書、書簡の宛名には「様」ではなく必ず「先生」の敬称を書いたし、宅急便の宛名欄もわざわざ「様」を消し「先生」と書いた。首尾徹底したかったのである。

 面と向って聞いたことはないけれど、「先生とは呼ばれたくない」というような意味のことをよくおっしゃっていたようである。それもまた如何にも先生らしい。だが僕は頑なに「先生」という呼称を止めなかった。

 ご自身が好むと好まざるとにかかわらず、どうやったって「長岡さん」「長岡氏」などとは呼べない。僕にとって先生は「先生」以外の何者でもないのである。この思いは、遺されたものの大小多寡に関係のない、極めて個人的なものである。だから他の人がどう思っていようと意に介さないし、先生の意思を無視した無礼な行為だとも思わない。ただ、僕は今までもこれからも、心からの敬意と愛着を込めて「長岡先生」と呼ぶのである。

 「先生」と呼べることが僕自身の喜びになるような存在。それが長岡先生だった。そういう人がだんだん少なくなって行く。

 これはとても悲しいことである。

’02/05/29 (水)

一心に彫れ


 とばかりにこの板(というより樹の輪切り)を買ってから既に何年経ったろうか。厚さ65mm、直径825mmの輪切り半分。重さは30kg程度、ヒジョーに重い。

 三宮(神戸)の東急ハンズで見つけ、この店としては異様に安かった(ここは端材でもけっこう高価い)ので思わず手が出てしまった。大きさ、形状とも極めて中途半端な故に買い手がつかず、ほとんど投売り状態だったのかもしれない。

 これに毛筆で書いた「箱船」の文字を彫り色を塗り込み、入り口脇に掲げたら感じが良いだろうと目論んだわけである。早速先代に頼んで字を書いてもらい、それをトレーシングペーパーに転写し貼り付け、さあ彫るぞ、と、ここまでは順調。ところが。

 彫り始めてすぐに見込みの甘さを痛感させられる。この木、ブビンガ(ケバジンゴ、アフリカ紫檀とも)言って、おっそろしく硬いのである。その上油分が多く、削り屑が鑿の刃に粘りつき、切れ味を奪ってしまう。手作業ではどうしようもないと、電動ハンドルーターを買い込んで再度挑戦。これは却って上手く行かなかった。油分のせいで回転刃が忽ち目詰まりするのである。

 これはいささか難物。「箱船」の「箱」の字を半分も彫り進まないうちに息切れである。爾来幾星霜、写真の如くホッタラカシにしてある。このままではタダの粗大ゴミ、勿体無いことである。

 しかしこれですっかり諦めてしまったわけではない。こうして日誌に書いて仕舞った手前、どうやっても完成させねばなるまい。いや、どーしても完成させるのダ。と自分に言い聞かせるのである。でないと、一生このままうっちゃりをかましてしまいそうだ。

 ....先代が生きている間に彫り切れるのだろうか。

’02/05/28 (火)

一心に磨け


 GMホーンの写真といったら、ナントカの一つ覚えのようにこのアングルばっかり。面白くも何ともない。どうかご勘弁ください。

 使い始めてほぼ10日、Ver.2は絶好調である。凄まじいまでの切れと輝きを聴かせる。金属の音と言うよりは、ガラスや氷で作ったホーン(そんなものないケド)ような音、といった感じである。ただし、うちでは今のところ友達が言っていたようなエージング効果、落ち着いた音への変化はあまり感じられない。相変わらず明るく元気で、ちょっと品のない音で鳴っている。使い方が悪いのか、あるいは耳がタコなのか、はたまた飼い主に似て下品なのか。たぶんそうだろう。

 友達は、僕が送った時点からさらに細部に渡り研磨をかけている。ホーンの内側、イコライザープラグ(真中のトンガリ)のみならず、ホーン開口周囲、側面まで、鬼気迫る研磨研鑚である。その効果は絶大だそうで、高域の輪郭線は極限まで細く、しかもギョッとするような定位の良さを見せるようになったと言う。そういうことなら磨きの親方である僕としては黙っていられないのである。

 オイラも磨くぞ。

 この効果、何もGMホーンに限ったことではなく、すべてのホーントゥイーターに応用できるはずだ。そもそも僕が磨きに走ったのはJA-0506IIオリジナルアルミホーンがきっかけである。DFリングとんぼさんはT-925Aを磨いて(ナカナカ大変だったようだ)結果は上々だったとおっしゃる。この伝からすれば、今も多くのユーザーがあるだろうFT-96H、66H、90Hなどにも極めて有効な対策だと言えるわけだ。お金をかけずに手間かけてグレードアップ。これこそ自作派の本懐である。

 かなりの労力を必要とする作業になるのは仕方ない。願いを込めて一心に磨け。さすれば汝等鏡面ホーンの輝きが得られるであろう、って新しい教団か?

 これじゃ教祖じゃなくて鏡祖だね。

’02/05/27 (月)

本質的価値


 バブル景気華やかなりし頃、世間様では「高価いものほど良い」という方向に針が振り切れ、質が同じならたくさんのお金を払ってモノ買うのがステータスだった。その針が今や反対方向に振り切れ「同じ買うなら何処までも安く」とばかりに100円ショップ大流行である。どちらの方向も「本質的価値を見ずにものを買う」という点では等価、僕の趣味ではない。「高価にモノを買う」のも「限りなく安く買う」のも、それは所詮付加価値でしかないのだ。

 さてその100円ショップ、覗いてみて思うのは安かろう悪かろうが多いのは確かだが、中には生産者側が大泣きしていそうなものがあるのもまた事実。安きゃあ良い、安くないものはダメだ、安さこそ最高、という考え方が、実は自分自身のクビを締めていることに気がつかないアホな消費者の溜り場である。

 分かったようなことを言ってるんじゃないよ、手前だって買ってるんだろ。まったくそのとおりでゴザイマス。どーもスビバセン。

 上の写真は近所の100円ショップで買った「プッシュライト」というシロモノである。もちろん100円。単三乾電池4本を入れ、白い部分をポンと押せばライトが点灯する。光っているのは安っぽい4.8V豆電球1個だが、これが結構明るい。

 箱船で映画を見るときにこれを使おうというわけ。スクリーンからの照り返しがあるとは言え、やはり手許に明かりがないと不便なことが多いのである。だから小型マグライトを近くに置いてある。ところが、これがさっと見つからず、イライラすることがしばしばである。そこでこれを足元に置き、必要なときはポンとひと踏み、周辺だけをホンノリ照らそうという魂胆である。

 最初にこれを見つけて買ったのは愚息である。こりゃあ良いな、俺にクレといったらイヤダとぬかしやがった。そんじゃあまた今度と頼んでおいたら、この間忘れずに買ってきてくれたのだった。100円払わなきゃあ。何と言っても「本質的価値」を見出して買ったのだからな。

 上手く買い物をすれば安くて良いものを手に入れられそうな気はするが、さてこの「プッシュライト」、いつまで使えるのか、甚だ疑問ではある。

’02/05/26 (日)

爆睡

 してしまいました。愚息の誕生日ということで、ご馳走を食べて久しぶりにちょっとお酒を飲んだらモウダメ。まるで睡眠薬である。なんにもできないままドタッと寝てしまった。気がついたのは今朝5時、それでもたっぷり8時間は寝てしまったわけで、腰は痛いが頭はすっきり。

 日誌の更新もぶっ飛ばし、シアワセなものである。申しわけないのである。こんな駄文を以って更新しましたとはおこがましいことこの上ない。今晩はちゃんとやります。どうかご容赦を。

’02/05/25 (土)

未公開写真


 M85さん宅の訪問で、僕が撮った写真は全部で23枚、訪問記に使ったのはそのうち7枚。残りはアングルが悪かったりひどくピンボケ(というよりブレブレ)だったり、記述の流れに沿いにくいものだったりして使えなかった。しかし、日誌ネタとして使いたいものが何枚か残っているのである。M85さん、この際ホネまでしゃぶらせていただきやすゼ。

 今日の画像は記事に使わなかったもののうちの1枚である。この物体も、M85さんのお宅以外では絶対に見られないものだと思う。テラガキΣ-5000専用ADスタビライザーである。左が標準装備されるもの、右はオプションで用意されているものである。

 しまったことに正確なサイズと重量を量ってくるのを忘れた。標準品は一般的なものに近い、が、たぶん2kgくらいあるはず。ヘビー級である。凄いのはオプションスタビライザーである。上に行くほど広がった形状は何とも言えない威圧感がある。まさに金属塊。怪物プレーヤーにふさわしい威容を誇る。重量4.5kg以上。

 これをセットするのは大変である。片手でひょいと持てるようなシロモノではないからだ。上から右手でガッキと掴んで持ち上げたら、すかさず下から左手で支えないと危険である。ズボラをかまして片手で取り廻したりしたら事故ること必至。機器か部屋か人か、そのうちのいずれかが必ず壊れるのである。

 無事持てたとして、これをセンタースピンドルにはめ込まねば、スタビライザーとしての用を為さない。この作業がまた気遣いである。できれば一発でスカッと嵌めたいところだが、慣れないうちはなかなか上手くいかないだろう。さすがにM85さんは上手いもので、スピンドルの先端でスタビライザー底面をゴリゴリ探るようなブサイクなことは一切ない。ほとんど一発でドンピシャである。

 外す作業はさらにナーバス。真っ直ぐ上方に引き上げないとイケナイ。イケナイのだが、超ヘビー級だけにそれがムツカシイ。うっかりナナメにコジったりしようものなら、重量があるだけに慣性が大きく効いてセンタースピンドルは忽ちヒン曲がってしまうのである。もちろん、テラガキプレーヤーがそのような脆弱構造になっているとは思えないが、良くないことは確かである。

 単なる重石であるスタビライザー、その着脱にさえ細心の注意が必要。この他、アームにはほとんど超高感度原子レベル的測定器並み、神経衰弱を起こしてぶっ倒れそうになるような調整が必須と聞いた。開発者の寺垣武氏は「レコードプレーヤーというより、私は『表面粗サ計』と呼んでいる」と語っている。音溝の凹凸を、限界まで正確に検出する機械、というわけだ。

 もし、僕がこのプレーヤーを手に入れたとしたも、胃には穴があき目からは血を吹いて、ついには音を出せないまま死んじまいそうである。イノチ懸けなのである。

 M85さん、アナタはえらいっ。

’02/05/24 (金)

鉄人M8号


 無事64MBスマートメディアを読めるようになり、M85さん宅訪問記を書くことができた。こういった報告はやはり画像がないと面白くも何ともないのである。文章だけで全てをお伝えできるほどの力量があるわけじゃなし。それと大切なのは旬である。新鮮なうちに料理するのがベスト。

 訪問記は別ページに仕立てたので、そちらを是非ご一読されんことをお願いしたいのである。揃っているハードにまず驚き、そこからぶっ飛んでくる音がまた驚異。

 やはりM85さんは鉄人だった。

’02/05/23 (木)

リヤカノンLに


 秋葉原で買ったもの、その2。おなじみ(かな)オーディオクラフトのSPケーブルQLX-100である。定価800円/mを10m買った。これもこのへんでは店頭買いできないのだった。

 トゥイーター専用に使ってみたらヒジョーにグワイが良かったこのケーブル、先月SネッシーのユニットをFE-208ES Ver.2に換えたとき、その内部配線にも使ったらこれが大当たり。それまでとは比べ物にならない繊細感と切れの良さが出たのはユニットだけの手柄ではないだろう。それというのも、げんきまじんさんにも試聴をお願いしモアの内部配線として使っていただいたところ、大変良い結果が得られたと回答があったからである。

 それなれば、リヤカノンLの内部配線もこれにしてやろうというのが、今回10m買った理由である。マトリクスつなぎしているリヤカノンLだが、アンプ-SP間にどういうケーブルを使うかで音場が広くなったり狭くなったり、思いの外影響が大きい。

 いちばん最初(まだオリジナルリヤカノンの頃)は、オヤイデ電気で買った品川電線の5.5sq平行線(白と黄色のヤツ)を二つに割いて使っていた。安くて使い易いのは良かったが、音はどうにもイマイチ。何だかガサガサした感じで繊細感がない。その後はキャブタイヤの芯線を引き出して使ったり、ベルデンの銀コート銅線に替えてみたりもした。が、どれも何だかパッとしない。

 マトリクスつなぎするわけだから、電線は2芯である必要はない。アンプ-SP間、SP-SP間は単芯で良いわけだ。そこで思いついたのがアクロテックの単芯SPケーブル6N-S1100。これは非常に使い勝手がよい。わざわざ2本に割く必要がないので無駄が出ないのである。最大の問題は値段。4,000円/mと、非常に高価である。う〜むと3秒考えて、ここはひとつ奮発することにしたのであった。

 これに換えたときの音質向上は素晴らしかった。繊細微妙、超微粒子サウンドである。音場が劇的に広くなり見通し最高、これでこそスピーカーマトリクスの本領発揮という印象だった。ン万円出費の痛みは何処へやら、改善策ズバリ的中に大喜びしたものだった。

 そういうテンカイがあっての内部配線変更という企てである。これがアクロテックのケーブルと同等の結果をもたらすかどうか、それはやってみなければわからない。少なくとも悪くなることはないだろう。4,000円/m VS 800円/m、必ずしも高いほうが良いとも言い切れないところにオーディオの面白さがあるのダ。

 だって2芯ビニルキャブタイヤなんか、電気工事店で買えば14sqでも170円/mだもんなあ。

’02/05/22 (水)

6デアル


 M85氏邸取材写真がまだ手当てできないので、今日は秋葉原で買ってきたモノでお茶を濁してしまうのである。

 東京方面へ出たおのぼりさんの僕としては、やはり秋葉原参りをせずに帰ってくるわけには行かない。昔に比べて驚きが少なくなったとは言え、そこはさすがにアキバである。ウチあたりでは絶対に店頭買いできないものがゾロゾロ並んでいる。おのぼりさんにはこれが楽しいのである。首都圏在住の方にはわかんねーだろーなー。

 と言ってもほしい物を全部買うっちゅうわけにもいかない。当たり前である。今回買ったのは、何年ぶりかのピンケーブル、オルトフォンReferenceシリーズ6NX。シリーズ中ではいちばん安いヤツである。それでも1mステレオペアで16,000円、僕にとっては超高級ケーブルだ。

 信頼できるスジからの情報では、上級7NX、8NXよりもこの6NXがいちばん切れがよくしかもエネルギー感がある良いケーブルであると聞いていた。ルックスは上級種に同等、ジャケットの色目が違うだけ。但し内部の線材、構造はそれぞれ全く別物である。ピンプラグはオルトフォンオリジナルの金メッキコレットチャックタイプで大変しっかり出来ている。7NX、8NXはロジ銀メッキである。

 店頭にあったのは1mもの、CD-プリ間に使うには1.3mほど必要なので、それはそれで注文しておいて、現状写真の如くSWドライブB-2302に使う。黒地に青と白のスパイラル模様が入ったジャケットはゴージャス、というよりウミヘビみたいである。

 一聴して低域の押し出しが大幅に良くなっているのがわかる。レベルが2〜3dB上がったような感じ。単純にレベルを上げたのと決定的に違うのはその締まりである。茫洋とした印象が減り、エッジがクッキリしてくるのである。輪郭強調したような嫌味は全くない。SWに使ったせいで、中高域については検証できないけれど、これならCD-プリ間にも期待感極大である。

 市販高級ケーブルを正しく選択するのは極めて困難である。全てを買って試していたら忽ち破産。オーディオケーブルで首吊り、なんてシャレにもならん。斯くある状況下で、このようなスグレモノを紹介してくださった某氏には心から感謝を申し上げるのである。ありがとうございました。

 アクロテック6N-A2300(1mペア32,000円)はこれを上回るクオリティであるそうだが、さすがに僕には分不相応。6NXはこの半額、それでさえ僕の「分」を遥かに超えている感が強いと言うのに。

 自作ケーブルは6N単線、今日のケーブルは6NX、アクロテックも6N。6Nとは相性が良いのかな。

 ロクデナシのクセに6デアル。変なの。

’02/05/21 (火)

間抜けな話


 ともかく無事に帰れたので、簡単にご報告ナド。

 今回の出張りは関東方面だった。ネタをばらせば実はM85さん宅へお邪魔してきたのである。かの、他称(決してM85さん自称ではない)DNA(大日本アナログ党)次期総裁の、である。それなのに、ナンデ今日の画像は上のようなことになってんの? 訪問記はドウシタ。

 全くマヌケな話であって、僕がデジカメを持参するのを忘れたのが諸悪の根源なのである。M85さん愛用のデジカメで写真を撮り、スマートメディアをお借りして帰った、までは良かった。ところがここからが僕のタワケ本領発揮。PCに画像を取り込むためのFDアダプター、32MBまでしか対応していないことに気がついたのは、開けない事実に直面してからである。お借りしたスマートメディアは64MBなのであった。スマートメディアリーダーくらい用意しとけっての。

 というわけで、M85さん宅訪問記はしばらくお待ちいただきたいのである。写真の手当てが出来次第、すぐに載せたいと考えている。

 M85さん、お忙しい中時間を割いていただき、本当にありがとうございました。大変楽しく、濃密な時間を過ごさせていただきました。にもかかわらず間抜けなことをしてしまい誠に申しわけございません。

 「音は人なり」を、実感したのでありました。

’02/05/19 (日)

二代目は元気


 その結果は実際に使用する友達の感想に待ちたい、と言ったものの、やはり自分でも確認してみたくなり、製作者であるところの友達に無理を言ってもう一組送ってもらった。GMホーンVer.2である。

 実は既に感想を貰っていて、全く問題なく使っているとの由。音もVer.1に負けない優れたもので、大変満足してもらえたらしい。僕が作ったわけではないけれど、仲を取り持った人間としてはとても嬉しいし、何よりも安心した。音云々以前、構造的トラブルがあったのではお話にならないからである。

 そういうことであれば、僕自身もその音を聴いてみたくなるのが人情。送ってもらったVer.2を、例によって早速コシコシ磨き、Ver.1と換装して聴いてみることにする。換えるのはホーン部分だけ、磁気回路、振動板部分は共通である。写真左がVer.1、右がVer.2である。Ver.1のほうが僅かにくすんで見えるのは仕上げの差ではなく、磨いた直後かそうでないかの差である。

 ホーンを付け外しするだけでも音が変る恐れもあるわけだから、ウルサイことを言えば完璧なAB試聴にはならない。その辺はテキトーに目を瞑っていただくということで。トゥイーターの置き方、位置などは厳密に再現する、けれど、これもいい加減なハナシかな。

 改めて重量を計ってみると、Ver.2はホーン部1,100g。Ver.1は1,080gだったから20g重いわけだ。これは金属組成の違いによる比重の相違に由来するものか、あるいはええ加減な秤の誤差か。たぶん後者のような気がする。

 そういうことも含めての換装実験である。そんなには違わないだろうというのが凡その予想。だったわけだが、これが思いの外大きな差異が出たのである。Ver.1は非常に落ち着いた音でありながら、シャープで繊細、切れと浸透力が凄く大変ソリッドな高域が特徴的だった。それに比してVer.2はやや明るい音になる。うるささは全くないが、写真に喩えれば露出を少し大きくしたような感じ。ちょっと若返ったような元気の良い音である。ソリッドな感じも殺がれてはいない。

 何故こんなふうな違いが出るのか、僕には分らない。材質によるものか、もしかしたら磨きグワイのせいかもしれない。友達によれば使い続けているうちにだんだん落ち着いた音になるということだから、ホーンそのものにもエージングがあるということだろうか。そのあたり少しく検証したいので、しばらくこのままVer.2を使い続けることにしよう。

 その間、外したVer.1はもう一度偏執的磨き作業をぶちかましてやるのである。磨き過ぎてスロート断面積が大きくなったりして。

 そりゃナイね。


 
〜閑話休題〜

 5/19〜20にかけて、チョイと出張いたします。20日、21日付けの航海日誌はお休みさせていただき、22日付けから再開いたしますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

’02/05/18 (土)

今夜のプログラムは


 「ハリー・ポッターと賢者の石」である。子供の鼻は良く利いて、発売日が昨日であったことを僕より先に知っていたらしい。そんなふうだから、お馴染みの電気屋さんからDVDが届いたのを見逃すわけはないのである。今年度から学校は完全週休二日制、金曜日の夜にファミリー・シアターが開館することも多くなった。

 写真がマックロケでよく分らないのが申しわけないのである。中央に二男、左に長男、右に妻が座っている。この手の映画としては長めの152分、途中でコーヒーブレイクを入れ、見終わったのは22時だった。愚息二人は顔を上気させ「面白かった!」とご満悦、妻は本を読んでからの鑑賞だったので、それなりに楽しめたようだった。

 まったくのおとぎ話である。僕の好みからすると、ちょっと守備範囲から外れている。外れてはいるが、画がわりと綺麗で、音もそこそこ迫力があり面白かった。付録ディスクつきで2,980円はお買い得感があると思う。欲を言えば本編ディスク1枚でいいから1,500円くらいにならんものか。本質的価値より付加価値を重視する昨今、それはムツカシイことなのかしらん?

 最近の映画って、ロケシーンが少なくなっているように思うのは僕だけなのだろうか。CGFSXの技術が進んでいるのは充分にわかるけれど、たまには太陽光の下で撮った、目に焼きつくような明るい映像を見たいのである。

 なんて、ロケシーンだと思っているものが、実はスタジオ、あるいはCGだったりして。スビバセン、僕の目はフシ穴なんです。

’02/05/17 (金)

縦か横か


 今日も今井ネタで引っ張ろうかと思ったけれど、さすがにそれはもおええということで、今日は強引にハードネタへ戻すことにするのである。

 機器の上に載せる鉛板、皆さんはどのように置かれているだろうか。この置き方で、微妙に音が変ることを知ったのは、もう随分前のことである。僕は基本的に写真のように横向きに載せることが多い。この方が好みの音になるような気がしている。機器によって横置きではグワイの悪いもの(HMA-9500、9500IIなどがそうである)もあるので、絶対にそうするとは言えないのだが。

 見た目には縦置きがすんなりしているので、鉛を使い始めた当初はそうしていた。ところが、両方試してみると、縦置きでは音が詰まった感じになりスピード感が落ちたように聴こえる。逆に横置きにすると、抑圧感がなくなり、開放感が出てきて非常にグワイが良い。もちろん同じ重量で試してのことである。最近ではDVDプレーヤー、テクニクスDVD-H1000でこれを体験した。

 ジャズ評論家(かな?)、並びにオーディオケーブル魔で有名な寺島靖国氏は「鉛を載せると頭を押さえつけられたような音になるからイヤだ」とおっしゃっていた。もちろん好みの相違はあれども、載せ方にも問題があったのではないかと、勝手なことを考えている。

 一概に「縦より横が良い」と言うつもりは全くない。それぞれで再生環境は全然違うわけだし、音の好みは十人十色である。ただ、置き方による音の変化は想像以上に大きく、これもまたオーディオの面白いところだと思う。

 長岡先生も事ある毎に口をすっぱくしておっしゃっていたが、くれぐれも載せ過ぎにはご注意くださるように。音が抑圧されるのはすぐに解決できるけれど、機器を圧死させてしまっては元も子もないのである。それで済めばまだ良いほうかもしれない。ひょっとすると火事になる危険性だってあるのダ。

 用心しましょう。オマエが言うなってか。

’02/05/16 (木)

落ち着いちゃったな


 何だか再び今井美樹である。「AQUA」(ワーナーミュージックジャパン WPCV-10142)。7月にはレーベル移籍第一作がリリースされると、MYUタカサキさんから教えていただいたが、今のところこの「AQUA」が最新盤である(らしい)。間違っていたら、全国の今井美樹マニアの皆さんゴメンナサイ。

 実はこのタイトル、昨年11月、AE86さん箱船乗船の折り「ナカナカいいよ」と聞いた。されば一応今井美樹ファン(マニアではナイよ)の僕としては買っておかねばならないのであった。

 音を云々するようなタイトルではない。ま、しかしここはシキタリということでF特を載せておく。凄いカッティングレベル! ギリギリいっぱい、1kHzはスケールアウトしてしまっている。音はこの形から想像できる通りで、パワフル、エネルギッシュ、切れが凄いがハイはちょっとうるさい。6kHz〜12.5kHzのしゃくれがその原因か。なんて、また理屈をつけてしまうのである。遺憾である。さりながら、何を歌ってるのかさっぱりわかんねーよ系J-POPに比べれば、立派なものである。

 いちばん気に入ったのはタイトル曲「AQUA」。1曲目である。何処となくジャジーな雰囲気(死語かね)で、彼女の歌の上手さが光っている。トータル11曲、全体的に大人っぽい作りになっていると感じた。さすがにムカシよりさらに歌が上手くなっている。この人の声は、独特の伸びがあり僕は好きである。ただ曲に関しては、以前のほうが元気が出そうで良かったかなと、これは個人的感想。「PRIDE」(FOR LIFE FLCF-3688)はちょっと品がなくてイマイチだったけれど。

 今井美樹も大人になって、しっとりと落ち着いてしまったような印象が強い。以前、自分の持って来たCD(何だか忘れたけれど女性ボーカルもの)を数秒聴いて「あ、ここのシステム、しっとり系はダメですね」と、勝ち誇ったように断定的評論家的秒速評価してしまった御仁がおわしたが、ヤッパリしっとり系はダメなんだろうか。このCD、音はちっともしっとりしてないんだケドね。

 ともかく、AE86さんの「ナカナカいい」という言葉に間違いはなかった。7月に出る新譜も買ってみることにしよう。

’02/05/15 (水)

新緑の季節には


 五月も半ばになり、柿の木はたくさんの新葉を出した。箱船の周囲は今、新緑でいっぱいである。昨年の大晦日に載せた写真と見比べれば、季節の遷り変わりをよく感じていただけることと思う。

 この季節がやってくるたび思い出すのは、やはり長岡先生のこと。箱船へ御出でいただいてから、もう早五年も経つのである。

 先日「不思議の国の長岡鉄男 2」が発売された。この二年でたくさんの追悼本が出版されたが、その中では比較的よく出来た本だと思う。そうは思えど、心の底から楽しく読めるかと問われれば、答えは否である。先生の声が入った付録CDも、未だ封を切らないまま置いてある。

 季節が遷るように、人もまた遷って行く。永遠不変の存在など、何処にもありはしない。諸行無常である。それが真理と解っていても、大切な人を亡くした痛みは容易に癒されるものではない。

 今年は先生の三回忌である。

’02/05/14 (火)

ナンギな奴


 ここのところヒカリモノの話題が多うございますナ。友達に頼んでカスタムメイドしてもらったGT-CD1専用CDスタビライザーである。

 非磁性SUS製、Φ120mm、いちばん薄いエッジ部分は2mm厚。260gある。付属の真鍮製スタビがΦ80mm、160gだから直径で50%、重量で62%アップである。工作精度は最高、偏芯は1000分の3mm以内に抑えられている。センターシャフトとの嵌合精度も精緻を極める。スパッと入ってガタ無し、見事である。

 これについては昨年12月20日の日誌に「イマイチ狙いどおりに行かなかった」と書いた。何が上手くないのかといえば、それは重量である。+62%100gはやはり高負荷になるらしく、モーターが苦しそうである。但し、回転し始めれば問題はなく、特にトラブルもなく正常に再生するのだが。

 音は一聴して変化大である。際立っているのは低域。重量感が増し、実在感がぐんと上がる。余分な付帯音が少なくなったように聴こえるので、それに伴って中高域の透明感が改善され、音場の見通しが良くなる。ディジタル臭が抜け、僅かながらも良質のアナログに似てくる傾向。少なくとも音だけに関して言えばデメリットはほとんど感じられない。

 しかし、なぜこうなるのかよく分らないのである。ADプレーヤーはCAV(角速度一定)、つまり定速回転である。さればこそ、ターンテーブルのマスを増やすことは回転ムラを均すという大きな意味があるわけだ。ところがCDプレーヤーはCLV(線速度一定)である。光ピックアップが内から外へ進むにつれて回転数が落ちてゆく仕組み。定速回転ではない。常時サーボがかけられ、時々刻々変化する回転数は厳密に管理されている(はず)。ちゅうことは廻すもの(この場合CD+SUSスタビ)のマスをやたらと増やしても無意味ではないのか。デメリットのほうが大きくなるようにも思える。

 TEACのVRDSプレーヤーのように、最初からそういう思想で設計、生産されたものならメリットが生きてくるのはよく理解できる。だが、僕のプレーヤーのように、正規の使い方から外れたことをやってはサーボの量が増え余分な電流が流れ、結果信号を汚してしまうというようなデメリットもあるのではないかと、シロウトは考えるのである。

 例えばこういうことも考えられる。スタビの使用によってディスクのソリや音圧による振動が抑えられ読み取り精度が向上、エラー補正の頻度が下がり、その結果上に書いたような音質向上が得られる、と。

 残念ながら僕はこういう専門知識にあまりにも浅薄である。ヒジョーに見当外れ的考察であろうことは重々自覚している。ただ、はっきりしているのは「音が変る」という事実。ドシロウトの僕にはこの事実だけで充分である。が、しかし。

 ナンデこうなるのか説明されても分らないクセに知りたがるのもまた、ドシロウトである。

 ナンギなやっちゃなあ。

’02/05/13 (月)

11年間


 ほぼ絶え間なく聴き続けている。お恥ずかしいことである。「今井美樹/retour」(FOR LIFE FLCF-31078)。随分前のCDなので、廃盤再発でナンバーは変わっているかもしれない。でも、メジャー(かな?)な人だから店で捜せばすぐにわかるだろう。

 買ったのは'91年5月31日、まさに11年前である。僕は特に熱心な今井美樹ファンでも何でもない。買ったきっかけは、当時TVで放送されていたアニメである。

 '91年といえば、'92年バルセロナ夏季オリンピックの前年である。日テレ系で毎週月曜日19:30〜20:00に放送されていた「YAWARA!」というアニメを覚えていらっしゃるだろうか。オリンピックを目指す天才女性柔道選手、猪熊柔を主人公とした他愛のないアニメ。本編の終りに「バルセロナ五輪まであと○○日!」というキャプションが出ていたアレである。放送期間は'89年10月16日〜'92年9月21日。

 このアニメのオープニングテーマに使われていた「雨にキッスの花束を」という曲を、僕はとても気に入ってしまったのだった。この曲が入っているアルバムが上のタイトルだったというわけである。最初は今井美樹が歌っているということさえ知らなかったが、輸入盤でもマイナーレーベルでもないので、近くのCD屋さんですぐに見つかった。

 その頃のD-55を中心としたピュアオーディオシステムで聴くと、かなりけたたましい音だったけれど、ボーカルはわりと綺麗だったし、この手の音楽の中では歪み感も比較的少なかった。ちょっとハイ上がりなのを我慢すれば充分聴けると、それなりに満足していたのだった。

 その後、本家方舟へお邪魔し、このCDを持参し聴かせていただく機会に恵まれた。たぶん'92年の2月頃だったと思う。件の曲を方舟システムで聴き始めて数秒、おもむろに長岡先生はスペアナのスイッチを入れ、F特を確かめられる。「おっ、ひょっとすると先生の琴線に触れるような音なのかな?」と、喜びかけた次の瞬間。

 まだ曲が2分も進まないうちにさっとボリュームを下げた先生曰く「スペアナで見るとレンジが広いのに、出てくる音はそうでもないね。聴感上のレンジは狭いです」。

 あっ、やっぱりダメか。ガックシ。と、先生の言葉には落胆したけれど、実のところ僕はその音に感激していたのだった。自分のシステムで聴くのとは次元の違う音である。特に低域の充実が凄く、方舟システムの底力を改めて見せ付けられたような気がしたのを、今でもはっきりと覚えている。

 以来、箱船を作ってからもずっと聴き続けている。このCD、再生システムによる音の違いがわかり易いのである。先生の評価は辛口だったケド。今、あの時の音に近づけたか、それはどうだか分らない。ただ、D-55時代に比べれば少しは良くなったとは思うのである。

 「雨にキッスの花束を」は4曲目。6曲目の「幸せになりたい」もなかなかヨイ。でも、この手の音楽って、11年も前のCDになるとほとんど化石ですな。

’02/05/12 (日)

磨き魔


 0506IIアルミホーン、GMホーン、DFリング、真鍮サブバッフル、ADスタビライザー、コンデンサースタビライザー、SP-10IIIのターンテーブル、真鍮製テーブルタップ、その他諸々。こういうものを手にすると、僕は見境なくヤミクモに磨きたくなるのである。

 磨くと言ったって、所詮シロウトのやることである。使えるものには自ずから限りがあり、ナントカの一つ覚えのようにいつも同じものばかり。上の写真のとおりである。

 左、おなじみピカール、中、キムワイプ、右、ベンコット。手前にあるベロベロしたものは、カミさんをキョウハクして職場から強奪させた塩ビ製医療用保護手袋である。これらを駄使、イヤ違った駆使して手当たり次第磨いてしまうわけだ。

 磨くとは、「研磨」とも云うが如く、要するところゆるやかに削り飛ばすという作業である。デコボコした表面を削り、平たく均すっちゅうわけである。例えば昨日載せたGMホーン。

 工作から上がってきたものは旋盤のバイト(刃)切削痕がクッキリと残っている。酸化膜さえ剥ぎ取れればこのままでも充分に美しいのだが、拡大してみれば表面はギザギザしているので鏡面にはならない。そこを研磨し、VVVV(ギザギザ)の表面を〜〜〜〜(なだらか)のような形に均すことで、準鏡面を実現しようというわけである。

 プロなら番手違いのダイヤモンドペースト(超微粒子ダイヤモンド粉末を特殊なオイルで練ったもの。凄く高価)などを取り揃え、ほぼ完全な鏡面を実現するのだが、そんなことアナタ、ドシロウトの僕にできるわけないのである。専ら偏執的に磨き倒す、という原始的な方法だけで対抗するのであった。

 昨日の写真をご覧いただくと、ホーン内側はかなり偏執的痕跡が認められる。ぱっと見はほぼ鏡面のように見える。これはもう本当に偏執的であって、ただただひたすらにコシコシコシコシコシ作業の連続である。ある程度まで仕上ってくると、あとはピカールに含まれる研磨剤(アルミナ系鉱物粉末だそうです)粒子の大きさに制限されて変化がなくなってくる。そこまでがシロウトレベルの限界である。ホーン外側に至ってはすでに息切れ、酸化膜を除去するのみに終っているのがお分りいただけると思う。

 生来無精でものぐさで怠惰でナマケモノで懈怠でグータラで懶惰な僕が、何故こんなに磨くのが好きかといえば。

 第一はルックスである。金属のツヤツヤした質感と輝きが大好き、異様なまでに好む、と言っていいと思う。ちょっとアブナイ。触ったら錆びるからダメだと分っていながら触ってしまい、あとで仕舞ったと思うことしばしばである。アホである。

 もう一つは音のため。殊GMホーンについてはそうである。音の通り道であるホーンの表面なのだから、VVVV←こんなのよりは〜〜〜〜のほうが、スムースに音が通るだろうという、極めて単純な発想。初めてアルミ製オリジナルホーンを磨いた時は、予想以上の音質向上に驚いたのだった。その時に味を占めたとも言える。

 磨くのはとってもメンドクサイ。でも、この快感を一度知ったらもうやめられまへんな。

 さあ、皆さんもご一緒に。

’02/05/11 (土)

こっちも負けずにVer.2


 別に勝負をしているわけではないのである。複数の親しい友達からたっての願いを受けて、JA-0506II用GMホーンVer.2を製作してもらった。製作者氏には心から御礼を申し上げたい。ありがとうございました。

 例によって文句なしの仕上がり。最高である。写真は得意のピカール+ベンコットで磨き終ったあとのもの、ご覧の通り非常に美しい。

 Ver.2と銘打つからには、どこかに変更点あるわけだ。メーカーで言うところの「予告なしの変更」である。それというのは。

 形状、寸法に変更はない。これを変えてしまっては所期のF特が得られなくなってしまうので、当然のことである。

 第一点は、イコライザープラグの構造変更。オリジナルではアルミ本体の底部に穴を開け、真鍮製のネジ部が圧入されている。おそらくネジ部の強度を確保するためだろう。Ver.1ではその構造まで忠実にコピーしたが、本体が砲金であれば強度に問題はない。わざわざネジ部だけを別仕立てにし圧入する必要はないと考えられる。そこでVer.2では本体と一体削り出し、全砲金構造とした。

 第二点、これは大きな変更と言えるかもしれない。材質の変更である。砲金は銅と錫の合金(真鍮は銅と亜鉛)だが、その配合によって随分沢山の種類があるらしい。今年2月26日の日誌にも書いた通り、Ver.1で採用した砲金は、特殊な用途のためにカスタマイズされた素材だったらしく、今回は入手困難となった。そこで比較的入手しやすい砲金を使ってのVer.2である。Ver.1に比べやや黄色が勝ち、どちらかと言えば真鍮寄りの色調になった。表面には砲金独特の結晶模様が美しく浮き出ている。

 さて、二つの変更点がどのような形で音に反映されるのか、非常に興味深いところである。Ver.1に使った砲金が特別な素材だからといって音響的にも優れているのかどうか、それは何とも言えない。イコライザープラグの構造についても同様である。

 いずれにしても今回は僕自身が使うものではなく、実際の使用に具するのは友達である。今後のためにも、謹んでご感想をお待ちしたいのである。

’02/05/10 (金)

何でも欲しがる


 装甲的2000ZRの脚に使われている真鍮円板、これはとても魅力的である。

 2階でD-55ESをドライブするHMA-9500IIの脚は、ムカシムカシ東急ハンズで買った真鍮円板に替えてある。一方SW-1MkII用のHMA-9500は、極めていい加減な脚にしか交換できていない。ここにもまともな物を使いたいのである。

 そこでど厚かましくも装甲的キャビの作者に「オイラもあれが欲しい」と言ったら「もう一組(4個)あるから分けてあげる」と早速に送ってくれた。大感謝、ありがとうございました。

 Φ80、15mm厚、梨地仕上げで1個640gある。脚としては超重量級である。9500IIの脚も同サイズ。何を隠そうこの元ネタは、ソニーのLDプレーヤーMDP-999である。このプレーヤーのには5個の真鍮製が使われていて、前2個がこのサイズになっている。シャシー下部からちらりとのぞく真鍮の輝きがヒジョーに美しい。このルックスを狙って9500IIの脚を交換したのだった。

 それを見た友達が、そんなら2000ZRもこれにするかと採用。またそれを見た僕が馬鹿みたいに欲しがった、というわけ。何やってるんでしょうか。

 アンプの脚を交換すると、それは相当な音の変化をもたらすのである。あくまでも「変化」であって、結果が良いか悪いかは分らない。9500IIに限って言えば、ハイが明るくなり中域の張り出しが向上、ローの伸びが増すという印象である。鉛に比べると、スピード感は上がるけれどやや色が付く感じ。どちらを採るかは使い手の好みとスタンス次第である。

 僕は個人的にややハイ上がりで明るい音が好きなので、真鍮への変更は成功と言える。こういうテンカイがあって9500も真鍮脚に換えたかったわけである。

 東急ハンズで買ったものは、単純にΦ80の真鍮丸棒を輪切りにしただけの原始的なシロモノだった。対して今回はちゃんとセンター穴あき、しかもネジ隠しのザグリまで加工してある。キッチリ仕上げもしてある。格が違うのである。

 例によって接地面にはエンジ色のフェルトを貼って、9500に付けることにしよう。音はともかく、ルックス飛躍的向上。それが僕にはとてもうれしいのだった。

 オーディオマニアの風上にも置けねえのである。

’02/05/09 (木)

テッセンかカザグルマか



 鉢植えだったせいか何だか元気がなくなり枯れそうになっていたものを、花作りが好きなバアさんが路地植えにしてみたら、こんなに元気になりました。テッセン(クレマティス)である。

 学名Clematis florida。キンポウゲ科クレマティス属の蔓性多年草である。「テッセン」の名は、蔓が鉄線のように丈夫なことから付けられたという。その通り、糸のように細い蔓だが非常に丈夫である。

 と、思い込んでいたら、あっ、なんということだ、写真の花はテッセンではないのだった。カザグルマであるそうな。学名Clematis patens。同じクレマティス属ではあるが別の花である。見分け方は花弁の数。テッセン6枚、カザグルマ8枚、よって上の花はカザグルマ、ということになるわけだ。

 以前日誌に書いたクロッカスとサフラン同様「似ているけれどチガウ花」なのである。何だかヤヤコシイのである。

 クレマティス属は原種系が9系統以上あり、今、園芸種として手に入るものは全てその交配種であるらしい。このpatens系のカザグルマも原種は大型一輪咲きが基本であって、このように数輪まとまって咲くのは別系統との交配による結果である。ああ、益々ヤヤコシイ。

 思うにこのややこしさが園芸ファンの心をくすぐるのかもしれない。実にマニアックなのである。オーディオも似たようなものだ。関心のない人にFE-208Σ、208S、208SS、208ES、208ES Ver.2 の違いなんか分かるわけはない。「全部おんなじもんやんケ、ヤヤコシイのー」と言われるのがオチ。

 僅かの差異に大きな意味を見出し、そこにこだわるのが趣味というものであろう。重箱の隅を突付いて針小棒大に騒ぎ立てるのではなく、かすかな違いを感じ取れるような感性を磨き豊かにするということが趣味の本質である。

 「『わずかの差を針小棒大に騒いでいるだけだ』というような人は、オーディオを語る資格はない」。長岡先生もそうおっしゃっていた。

 まったくその通り、である。

’02/05/08 (水)

低分解能


 肝機能には相当な個人差があるようで、僕のバヤイはアルコールを分解する機能が極めて低いようである。

 それが分っているので、普段は全くと言っていいほどお酒は呑まない。美味しいお酒を少しだけ、ならいいのだけれど、呑んだ後のツラさを思うとまとまった酒には二の足を踏んでしまうのである。それでも仕事カンケイで、どーしても呑まなければならない場面もあるわけだ。これはヒジョーに苦しい。

 上の画像にあるところのADH、ALDHなるものが僕には少ないのだろう、アセトアルデヒドが長時間に渡り体内に駐留、呑んだその日のうちから二日酔いが始まり、キボチ悪くて仕方ないのである。

 呑みたくないものをムリヤリ呑む、というのは苦しいものである。元々あまり好きでないものだけに、余計に辛い。呑みたくねーなーと思いながら呑むのも後でキボチ悪くなる大きな要因の一つだろうと思う。好きなオーディオだって、聴きたくないものを無理矢理聴かされるのはクルシイのである。

 いまさら呑めるようになりたいとはまったく思わないけれど、せめてこの辛さを軽減できないものか。

 というわけで、現在高濃度アセトアルデヒド残留中。このまま寝れば明日はひどい頭痛が残るし、でもカラダは早く寝ろと言ってるし、ああシンドイよ〜。

 酒は遺憾。

’02/05/07 (火)

50mm厚なんて


 この黒い物体は、この間友達からもらった鉄板である。400×600×20mm、例によって容積と鉄の比重から重さを計算すると、一枚37.44kg。くり抜きなしの一枚板なのでこれが正味の重量になる。非常に重いのである。

 友達はこれをオーディオボードとして使っていたらしいのだが、部屋の模様替えで不要になり捨てるというので、捨てるなんてもったいない、僕にチョーダイと言ってもらってしまった。重くてソリッドなものなら何でも欲しくなってしまうのである。個人的にはヒジョーに喜んでいる。

 以前から僕は、50mm厚総鉄板製ラック、などというものを使ってみたいと考えていたのだが、それがどれほどムチャで馬鹿げたことだったか、これを持ってみてよく分った。はっきり言って暴挙、否、愚挙である。

 50mm厚総鉄板製、天板のサイズを450×600mm、高さ400mmのラックと考えたとき、計算上の総重量は315.9kgに達する。天板一枚だけでも105.3kgになるわけだ。数字だけ見ていると、なんとなく実現できそうにも思えるけれど、実物を持ってみるとそれが極めて困難で危険なことであるかはすぐ分かるのである。

 組み立てることを考えると、それは恐ろしい。シロウトが手を出すとヒトジニが出そうなほど危険である。箱船へ御出でになったら、是非上の鉄板、持ってみてください。

 貰ったこの鉄板、新しいラックの一部としてありがたく使わせていただく予定である。50mm厚鉄板製ラックは断念。

 .....などと言いながら、まだちょっと未練があったりして。

’02/05/06 (月)

ホンモノはどれだ


 今日の画像は、今月一日に載せた「PAT COIL/STEPS」新旧のスペアナ写真である。左が「20+→16 ULTRA MATRIX PROCESSING」でリマスターした新盤、右が旧(オリジナル)盤である。どちらも全トラックを通して再生し、スペアナにピークホールドをかけて採ったものである。

 カッティングレベルはほぼ同等、形も一見そんなに違わないように見える。が、細部を良く見るとけっこう差があるのだった。40Hzではほとんどレベル差がないが、32Hz、25Hzでは新が5dBくらい高い。中域のピーク、1.6kHz以上の高域で2〜3dB程度新のほうが高くなっている。

 聴感でもこの通りの差が出るわけで、新盤のほうがレンジが広く抜けが良い。ただし、低域の締まりグワイはあまり改善されていないし、もともと派手目な高域がさらに明るくなったような感じで、写真でいうとハレーションを起したようなイメージがややあるのだった。

 明るくなった高域に引っ張られて一聴ハッとするものがあるのだが、よく聴くと音のクオリティそのものはさほど改善されていないようにも感じられる。逆に言えば、旧盤はレンジこそやや狭いけれど、質的にはそんなに劣るものではないということである。

 さて、このF特、音の差は「20+→16云々」リマスターしたことによるものなのだろうか。旧盤ではネグられていた情報が、リマスターにより蘇ったということか。それとも、リマスターすると同時に多少なりともイコライジングしてあるのか?

 僕にはまったくわからない。尤も、それが分ったからといってどうということもないのだが、F特まで違っていると、やはり気になるのである。

 同じPAT COILのCDで「PAT COIL GOLD」という金蒸着ベスト盤も出ている。「STEPS」からも数曲入っているので、それもスペアナ比較してみると面白いかもしれない。

 どれがホンモノなんでしょうね。

’02/05/05 (日)

録音は人なり


 このジャケットをご覧になれば、もうお分かりだろう。SY-99さんの最新録音。栃木県のツインリンクもてぎで開催されたCARTシリーズ第三戦、公式予選の様子である。例によって概要は氏のHPに詳しいので、そちらをご覧いただきたい。

 今回はDATではなく、MD(ミニディスク)での録音である。MDと言えば、それは大量消費ゼネラルオーディオ機器の権化(失礼!)みたいに僕は感じてしまうわけだが、この録音を聴けば、そういう失敬なイメージはぶっ飛んでしまうのである。ただし、誰がやってもこうなる、というわけでは決してなく、やはりそこはSY-99さんの腕前によるところが大きいと見なければならない。

 目の前を左から右へレースカーが、まさに空気を切り裂いてぶっ飛んでゆく。猛烈なパワーと浸透力を持った音である。毎度のことながら鮮度は最高。はっきり言って小音量ではつまらない。圧倒的大音量再生すると極めて痛快、爽快である。歪み感がないので、いくらでもボリュームを上げられる感じ。だが、スペアナを採ってみると、それがどれほど恐ろしいことかよく分るのだった。

 このスペアナは、この予選で最速タイムを叩き出したドライバーの走行音である。さすがに音も最強、400Hz、640Hzは完全にスケールアウトしている。リミッター、アッテネーターの類がまったく入っていないことの証明。フルレンジにはヒジョーに厳しいし、何よりも危険である。ボイスコイル焼損の危険性大。

 これがポータブルMDによる録音とは、俄かには信じ難い。「オーディオは人なり」とは良く言ったもので、使い手のポテンシャルが高ければ機器のグレードはあまり関係ないのかもしれない。こういうことは他でも感じたことがある。明らかに僕のシステムよりお金をかけず、しかも遥かに良い音を出している人が、いるのだ。考えてみれば当たり前である。僕など長岡先生のサルマネしかできないヘボなヤロウなのだから。

 要は使い手のセンスが問題。大切なのは勘所である。SY-99さん、今回は(も)恐れ入りました。ポータブルMDでこんな録音されちゃあ、モウイケマセン。

 降参。

’02/05/04 (土)

ソリッド


 再び「装甲的2000ZR」である。前回は時間がなくて聴かせてもらうことができなかったが、今回はしばらくお借りすることができた。無体なことをゆって申しわけありません。ありがとうございます。

 改めて仔細に点検するも、やはり強力である。キャビネットのコンプライアンスは極少、極めてリジッドである。リジッドすぎて、このままラックに置くとガタが出る。そこで真鍮製の脚の裏に粘着剤付きの薄いフェルトを、丸く切り抜いて貼る。どうでもいいことだが、色はサンスイのマネをして濃い赤にした。これでガタは取れた、けれどスリップは残るので0.5mm厚ゴムシート小片を、ラックと脚の間に挟む。

 天板は後ろ1/4に放熱スリットがあり、その部分がグワイ良く(悪く?)共振子のようになって盛大に鳴くのである。それなれば、と友達が持ってきてくれた工業用防振ブチルゴムシートを写真のように載せ、鉛で押さえる。これで鳴きは少なくなったが、まだ抑えきれない。このアンプはかなり熱くなるので、この程度で留めておくほうが安全だろうと思う。或いはスリットの裏から何らかの対策をしたほうが良いのかもしれない。

 この状態でADを聴く。フォノ入力は3系統あって、1がトランス昇圧のMC、2は内蔵ヘッドアンプMC、3がMMである。僕はもちろん2に入力するのである。

 このADの音は素晴らしい。ソリッドでシャープ、切れ込みが鋭くしかも繊細、きつい音は出さない。但し、オリジナル状態に比べると、僅かに抑え込まれたような感じがあるようにも思う。その他には金属キャビネットに変更したデメリットはあまり感じられない。メリットのほうが上回っているようで、オリジナル2000ZRの良さそのままにクオリティを引き上げたような感じの音である。もっと金属的な音になるかと心配したが、それは杞憂だったようだ。

 あとはもう少し重量をかけたいとか、鳴きを抑えたいとか、いろいろあるわけだが、そんなことをしてはイケナイ。僕はアホだからやり過ぎて壊してしまっては大変なのである。この辺で止めておこう。このアンプは借物なのである。

 こういう結果が出てしまうと、僕手持ちの2000ZRも改造したくなるのである。そうすればぶっ壊れる寸前まで好きなことができるのダ。

 ....って、あぶねえんだよ、オマエは。

’02/05/03 (金)

サブシステム


 昨日友達が置いていってくれたADプレーヤーである。モーターはSP-10MkIIA、アームはEPA-100MkII。それを550×450×30mm鉄板に取り付け、60□×450の真鍮角材2本の上に乗っけてある。構造的には極めてシンプルである。30mm厚の鉄板は凄い迫力。

 鉄の比重は約7.8だそうだから、容積から計算すると57.9kgになる。モーターを設置するためのくり抜き分があるので、実際には30kg超くらいか。ヒジョーに重いのである。真鍮の比重は8.6〜8.8、これからすると角材一本約14kg、それが二本で28kg。モーター、アームを除いたキャビネット(と言えるかどうか)の計算上総重量は60〜70kgに達する。強力である。

 箱船2階は、1階の天井がそのまま床になっている。デッキプレート(波型の鋼板)の上にΦ10の鉄筋を15cm格子で二重に配し、120mmのコンクリートが流し込んである。一般的な住宅の床に比べるとかなり強力と言えるだろう。それでも1階に比べると弱いことは確かで、D-55ESを大音量で鳴らすと脚元に振動が伝わってくるのを避けられない。

 というような床だが、キャビネットの重量が効いてインシュレーター無しでもまったくハウらない。マージンも充分に取れている。ADの良さがよく発揮され、立ち上がりが鋭くシャープで繊細、CDとは一味も二味も違う音を聴かせる。

 斯様に重いのはADプレーヤーにとって大変良いことだが、気になるのは鉄が磁性体であること。近くに磁石があるとくっつくのである。当たり前である。このキャビの近く、グワイの悪そうなところに磁石が? 実はあるのだ。

 EPA-100MkIIのカウンターウエイトである。これには「ダイナミック・ダンパー」という仕掛けがあって、中に磁石が仕込まれている。実際、これを外し鉄板キャビの上に置くと、引き付けられるのがわかる。

 実装状態では、キャビの面からウェイトまで35mm程度の距離がある。この状態でアームの動作に何かしら悪い影響があるのだろうか。

 針に糸を通し、ウェイトの近くに吊り下げてみる。すると、ウエイト真後ろに吊った時がいちばん強く吸い付くようである。真横、真上ではほとんど動かない。ちゅうことは真下に鉄のキャビネットがあっても、ほとんど影響はないだろう、と言うのが僕の結論。実際音を聴いても何かヘンなことが起きているという感じはまったくないので凡そ大丈夫、ということにしておこう。どーしても気になるのなら、ウエイトの可動範囲だけを厚めの鉛シート、あるいは非磁性体金属で覆ってしまえばOKである。

 いずれにしても、そーゆー細かいコトを気にさせるような音ではないのである。今さら言うまでもないことだけれど、基本をキッチリ押さえたADの音はやはり素晴らしい。SP-10MkIIAを実際に使うのは初めて、これもまた極めて優れたフォノモーターである。

 208ESへの換装と強力ADプレーヤーの来訪で、2階の音が飛躍的に向上した。サブシステムなのだが、音はその範疇を超えているかもしれない。

 もっと音を良くするには、ドラムセットを片付けシステムを移動し、部屋を長手方向に使えるようにして西側の窓を塞ぎ.....。

’02/05/02 (木)

いいのかな


 こんなふうになりました。と言っても決して買ったのでも譲り受けたのでもない。キトクな友達が「うちにあってもしばらく使う予定がないからここに置いとく。オマエの好きなように使っていいよ」と置いていってくれたものである。なんだか凄いハナシだ。

 これについてはいろいろと面白い話があるのだが、今日は刺激が多すぎて少々クタビレたので詳しいことはまた明日。今晩は(いつもだって)良く寝られそうな感じ。

 やっぱり箱船のオーディオは、1階2階ともADで決まりである。

’02/05/01 (水)

飽きもせず


 もう早五月である。春は晩春、と言うより今年はすでに初夏の雰囲気だ。今月一杯、一年のうちで僕のいちばん好きな季節がやってきた。

 さて、今月の航海日誌第一日目は、久しぶり(かな?)にソフト紹介をしてみたいと思う。「PAT COIL/STEPS」(米Sheffield lab 10031-2-F)である。CD。何故このタイトルかといえば、初めて買ったのがちょうど今ごろの季節だったから。それだけの理由である。

 内容は何処にでもあるようなキーボード主体のフュージョンである。この手の音楽に関心がない人が聴いても、面白くも何ともないと思う。個人的には大変気に入っているCDである。

 シェフィールド独自の「20+→16 ULTRA MATRIX PROCESSING」という音質向上技術を使って再発された'97年盤である。これがどういう理屈の技術なのか、僕にはまったく理解できないので、当然解説も出来ない。申しわけありません。

 原盤は'94年発売。そのCD番号は「CD-31」と、再発盤に比べると簡単でよい。これを買ったのが'94年5月、というわけである。

 初版、再発盤とも、録音最高というわけでは決してなく、鮮度は比較的高いがどちらかと言えばハイ上がりでメタリックな音だと思う。スタジオ・ライブ、2トラックレコーダー一発録り、というのがウリ。再発盤も何だかややこしい能書きが付いているわりに、さほど改善されているとも思えない。F特からして違う訳だから、「20+→16云々」という技術のメリットだけで音が良くなっているのかどうか、正確な判断は難しいところである。

 このCDのトラック2と3を、僕は必ず試聴に使うのである。曲が好きだから、というのが最大の理由だが、買ってから8年間、未だに飽きもせず聴き続けているので差がわかり易いということもある。ハイが派手なわりにローはやや締まりが悪く茫洋とした感じがあるので、そこがどう聴こえるか試してみるわけだ。だからと言ってこれでスピーカーなりアンプなりの素性が優れているかどうか、そんなことが判断できるほどの優秀録音盤ではない。要するに僕の好きな音で鳴るかどうか、それが分かればOKなのである。

 このタイトルはAD限定盤でもリリースされている。HQ-180盤、5,000枚限定シリアルナンバー入り。それも持ってはいるが、残念ながらADの良さがあまり出ていない。歪みがやや多めに聴こえ、全体的に埃っぽくなってしまっている。1枚に充分収まるものをわざわざ2枚組みにし、2枚目は片面にしかカッティングしていないというこだわりのADだが、イマイチ上手く行っていないようだ。

 録音イマイチ、といっても一般的なフュージョンからすれば充分優秀なので、一応はお薦めできると思う。超有名どころスタジオミュージシャンを各種取り揃えての演奏は、危なげなく安心して聴けるものである。