箱船航海日誌 2001年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’01/11/30 (金)

創意工夫


 流離いの旅人さん謹製(謹施策?)、フルテックFI-15プラパテコーティング仕様である。差し込み部分のガタを解消するため、創意工夫が凝らされた逸品である。

 グワイは如何と機器のインレットに差し込んでみると、スポッと嵌まってガタなし、非常に気持ちが良い。旅人さんは「DVD-H1000用に作りました」とおっしゃるが現用パワーアンプP-700にもピッタリなので、ここに使おうと思っている。旅人さん、ありがとうございました。

 ACインレットのガタには困っていらっしゃる方も多いことだろう。ナンデあんなにガタガタなのか理解に苦しむのだが、仮に百歩譲ってガタに目を瞑っても、あの嵌合の弱さは許せない。チョイと引っ張ったらすぐに抜けてしまいそうである。ひょっとするとそこを狙ってあるのかな? 足で引っ掛け、抜けずにコードがブチ切れたり、転んだりしたらしたらその方が危険だもんな。PL法もあるし。

 安全性を考えると、徒に嵌合を強くするのも考えもの、とも言える。しかし、オーディオマニアとしてはやっぱり許せない部分はあるのだ。だからこそ、旅人さんのような創意工夫が生まれるわけで。

 僕もいろいろ考えはしたが実際に対策するまでには至っていない。楔状の小さな木片を挟むとか、ゴムを挟むとか、テープを巻くとか。どれもイマイチな気がする。プラパテコーティングは大変秀逸なアイディアである。でも、僕には不向き。面倒臭そうだから。

 これに換えたからといって、音質劇的向上、というわけには行かないだろう。だが、不安定要素は一つ減らせるわけで、こういう僅かな対策をシツコク積み重ねて行くことが結果的に「良い音」を生み出すのである。

 千里の道も一歩から、オーディオとはある意味で非常に気の長い趣味とも言えるわけだ。

’01/11/29 (木)

文化遺産


 僕は現在住する寺院の他にもう一軒、無住職の寺院を兼務している。規模は小さいのだが、寺歴はウチより古く災害も少なかったので文化的財産が比較的多く残されているのである。

 近年、その寺院所蔵の青銅製香炉が町の文化財に指定された。だが、普段人がいないお寺なので、管理するには非常に無用心である。特に最近、寺院専門の窃盗団が暗躍していると警察当局からの注意喚起があったばかりである。そこで町の教育委員会、地域の関係者に諮り、ウチで保管することになった。小さな町の文化財とはいえ、責任は重大である。

 指定された理由としては、保存状態が良好であることはもちろん、最も重要だったのは製造年がはっきりと刻印されていることだったそうである。胴体ふくらみの上部分に「貞享五歳八月三日」と鮮明に刻まれている。貞享5年というと西暦1688年、313年前の製造ということになるわけだ。

 もう一点、これがどこか他の土地(例えば当時の都、京都など)で作られたものではないことも価値あることらしい。銘文を追ってゆくと、「須津村」(すづむら)の工人が作ったと明記してある。須津というと、現在の宮津市須津地区のことである。僕の住む町と隣接するところだ。当時すでにこの地方でも、高い冶金技術があったと証明していることが重要である、と。

 ご覧の通り、なかなか雰囲気ある意匠である。さすがに313年の星霜を経てきただけのことはある。保存状態は極めて良好、現在までなんら手入れされていなかったのが不思議なほどだ。盗難に遭わなかったのも幸運だったと思う。

 これを眺めながら、僕はオーディオついて思う。300年以上を経て、文化的財産になり得るようなモノがあるのだろうか。ハードにはどうしても消耗品的要素があることを否めない。よほどの名機と謳われない限り無理だろう。しかし、ソフトはその限りではない。どんなジャンルにかかわらず、すべて文化的財産だと言って良いと思う。

 ADは、もはや「文化財」的存在になろうとしている。CD、SACD、DVDなどのディジタルメディアは? ディジタル進化の波にかき消されてしまうのだろうか。

’01/11/28 (水)

CRUMBファン


 A級外セレ第二巻122番「CRUMB/Night Music I 他」(Candide CE-31113)である。AE86さんとのご縁により、手に入れることができた。ありがとうございました。

 僕は今やサウンドマニアを自認しているけれども、元々がロック小僧なので音さえ良ければどんな音楽でも聴けると言うほど徹底してはいない。現代音楽も嫌いではないが、例えばペンデレツキやシュトックハウゼン、シュニトケ、クセナキスなどの曲にはどうしても最後まで聴けないものも多い。

 音が良いのは充分に分っていながら「音が苦」になってしまう曲もあるわけだ。シュトックハウゼンの「シリウス」なんて、頭から最後までちゃんと聴いた人っているのか知らん? 何度か挑戦しているけれど、未だに2枚4面通して聴けたことがない。ペンデレツキの「フローレセンセス」なんかもちょっと苦しい。録音はスサマジイのだが。

 そういう中で、ジョージ・クラムの曲はモロ現代曲であるにもかかわらず、僕は大ファンである。当然自分で探し当てて出会ったわけではなく、長岡先生の推奨レコードで初めて知るわけだ。最初は「真夏の夜の音楽〜マクロコスモスIII」(Nonesuch H-71311)だった。A級外セレ第二巻168番に入っているこのレコード、音と音場感最高である。が、それ以上に音楽としてとても感激したのだった。

 その後手に入れた「魅入られた風景」(NEW WORLD NW-326)「鯨の声」(同 NW-357)「古代の子供達の声」(Nonesuch H-71225)など、どれを聴いてもその視覚に訴えるような曲風が素晴らしいと思った。曲に色彩感があるのだ。

 そういうこともあり、このCandideから出ているタイトルも、欲しくて欲しくてたまらなかったレコードだったのである。同レーベルのレコードは何枚か買っているがどれもハズレである。番号がCE-31112というものもある。一番違いで大違い、カスっているだけ余計に悔しかった。

 本命はやはり素晴らしかった。内容は先生の記事どおりである。クラムの他にブーレーズ、ベリオ=ワイルの曲も入っているが、僕はやっぱりクラムの曲が一番好きである。

 残念なのは盤質がイマイチなこと。ノイズが多めである。CandideはMOSS MUSIC GROUPの一員で、VOX、TURNABOUT、MMGなどもその仲間である。各レーベルそれぞれに数枚のレコードを持っているけれど、どれもおしなべて盤が良くない。当時は廉価盤だったし、致し方無しというところだろうか。

 根本的解決法ではないけれど、レコパックすれば少しは良くなるだろう。

’01/11/27 (火)

乾燥一年


 実家からぶんどってきたブナの切株である。ちゃんと計るのを忘れたが、多分長径Φ450mmくらい、高さは500mmくらいか。紫檀やケヤキに比べるとかなり軽いが、それでも30kgほどはあると思う。一人で持つのがちょっとツラいくらいだから。

 この切株のことは昨年11月21日の日誌に書いている。ブナの他にサクラとクヌギの切株が、全部で10個ほどあった。当然全て強奪したかったのだが、残念ながら僕の小さな乗用車のトランクには三つ積むのが限界、残りは次回のお楽しみとなってしまった。ま、逃げるわけじゃナシ、ヨロシイのである。

 切株状態になってから既に一年以上野外でシーズニングされているので、おそらくこれ以上割れが進むことはほとんどないだろう。

 切株マニアというのもヘンなものである。文章では上手く表現できないが、とにかく理屈抜きで魅力を感じてしまうのだから仕方がない。クス、ケヤキ、カシ、紫檀、ブナ、クヌギ、サクラ、以上が現在のコレクションである。あと、黒檀、柿、カリン、チーク、クルミ(ヒッコリー)、樺(バーチですな)、メイプル、ローズウッドなどの切株があれば欲しい。どれも入手困難なのは分っているのだが。

 ピュアオーディオに限って言えば、重くて硬い材の切株を椅子にすると、大変良い結果が得られる。ただし、座り心地はヒジョーに良くない。背もたれも無いのでゆったりとリラックスもできない。母屋でD-70を鳴らされていた頃の長岡先生はケヤキの切株を椅子にされていたが、きっとオシリが痛かったに違いない。オーディオマニアはストイックなのである。

 VAとなるとそうも行かなくなるのである。映画を見るのに切株の椅子では、はっきり言って苦行である。如何にストイックだといっても、修験道の行者じゃないんだから。箱船以前は僕もケヤキを椅子にしていたが、今ではフツーのソファになっている。

 リアルハードオーディオマニアから見れば「堕落」ですな。

’01/11/26 (月)

ドングリの夢


 例によって昨日とは何の関係もない話題で失礼するのである。

 愚息が山で拾ってきたドングリが芽を出したのはひと月ほど前である。暖房をかける部屋の片隅にほっぽり出しておいたら、春と間違えてしまったらしい。いったん芽を出しかけたものをこんな時期に庭に埋めたところで育つはずもない。そのまま枯れて腐ってしまうのが関の山である。

 そこで、脱脂綿に水を含ませタッパーに敷き詰め、その上に転がして約一ヶ月、ご覧のようにぐんぐん芽が伸び脱脂綿に細い根を張り、とうとう緑色の葉っぱが出てきたのであった。いまのところはどうやらドングリ内部の養分で生長を賄っているのだろうが、これからは苦しくなるだろう。ここまで来たらあとは土に埋めてやらないと遺憾。ともかくは小さな植木鉢に移植するか。

 愚息は「木になるまで大きくして、庭でドングリ拾いができるようにするんだ」と言う。結構でございますが、これが大木になる頃アンタはもうオトナよ。それでもドングリ拾いしますか?

 この大型のドングリはクヌギドングリである。はっきり言ってクヌギは庭木として非常に不向きな木である。綺麗な花が咲くわけでなし、美味しい実が成るわけでなし。秋には落ち葉がひどく掃除が大変と、ヒジョーに厄介。けれども子供にとってはそんなことはどーでもヨロシイのである。

 クヌギといえば、その樹液はクワガタやカブトムシ、カナブンなど、子供大好き昆虫の大好物だ。秋にはドングリがなるし、如何にも子供好みの木である。宮崎アニメ「トトロ」にも、これを一気に生長させるワンシーンがある。子供から見れば夢のある木なんだろうな。

 斯く言う僕も、子供の頃はクヌギが好きだった。もちろん庭木ではなく、里山のクヌギである。夏は毎日のようにクワガタ採りに行った。楽しかったなぁ。その里山のクヌギも時の流れと共に伐採され、今ではすっかり姿を消してしまった。「今の子供は外で遊ばない」と文句をタレるジジババがいるが、遊べるような環境を壊してしまったのはアンタ達だろうがと、恨み言の一つも言ってやりたくなるのだった。

 とはいうものの、これが庭で生長するとやっぱり困るだろう。その頃僕はすでに土へ還っているだろうから、実際に困るのは愚息達だろうケドね。

 それもまた面白いかな。

’01/11/25 (日)

帝王再来


 リラックスするSY-99さんである。二度目のご来訪。ご自身で車を運転されての長旅、本当にお疲れさま、である。ホストの僕としては御出でいただけるだけで嬉しいのだが、如何せんちょっとばかり遠いのであった。申しわけないのである。

 今回御出でになったのは、ご自身の新しい録音の試聴をしたいというご希望があってのこと。ウチのシステムで試聴ご希望とは如何にも身に余る光栄である。

 SY-99さんの新録音、それはそれは素晴らしい出来である。事情により現時点では詳しい内容をお知らせすることは出来ないが、近いうちにSY-99さんのHP「音の風景」で紹介されるということなので、そちらのほうをご覧いただきたい。

 この録音の経緯についてお話を伺うと、それは実に不思議なご縁によって実現できたものだという。僕自身も無関係ではない、というより、非常に深い縁があるのだった。ちょっとビックリ、である。

 今回の録音は、数あるSY-99録音の中でも一二を争う優秀なものであると断言できる。こんな録音が実現できるとは、まさしく「生録の帝王」の仕業である。いや〜、参りました。ただし、装置の良し悪しをあからさまに出してしまうようなソースなので、ある意味恐ろしい録音でもある。尤もサウンドマニアにとっては、そこがまたタマランわけだが。

 SY-99さん、素晴らしい音源を聴かせていただきありがとうございました。HP上でのご紹介、楽しみにしています。

’01/11/24 (土)

半休

 今日は何だか忙しい日だった。予定ではわりと余裕のある日だったはずだが、例によって急な仕事が入り、いきなりモード切換え。帰って来たのは午後11時前である。それから明日の準備をし、雑事を片付けて、気がついたら既に午前3時である。こりゃ、遺憾。

 日誌の事が気になって気になって、木に成ってしまいそうだった。でも、今日は超夜型の僕もさすがに眠いので、今日は半分休みのような日誌で失礼します。申しわけありません。

 最近、徹夜がツラくなった。これも遺憾なあ。

’01/11/23 (金)

B級でしょう


 久しぶりにDVDソフトを一枚。「インビジブル」(SPE SDD-29085)である。2000年米、ケヴィン・ベーコン主演のSF。原題は「HOLLOW MAN」(中空人間、つまり透明人間か?)。

 内容は詳しく説明するほどのものではない。はっきり言ってバカバカしい映画である。実験体であるゴリラが透明状態からフツーに戻る場面や、主人公が透明化するシーンなどはかなりグロテスク、CGSFXは良くできていると思うがあまり趣味ではない。

 「透明人間」とくれば男が考えることに洋の東西はないらしい。アホか。オーディエンスサービスのつもりかどうか、かなりしつこくスケベなシーンが出てくる。う〜む、どうしたケヴィン・ベーコン、えらく下品ではないか。「激流」や「アポロ13」とはエライ違いである。ギャラが良かった?

 これは間違いなくB級SF映画である。ちょっとツラかった。

 ただし、映像の美しさは超A級、いや、超S級と言っていいかもしれない。高解像度、超高忠実度、極めて立体的で奥行き感が素晴らしい。色も自然で物の質感が非常によく再現される。昼間の明るい野外シーンはほとんど(まったく、だったかな?)なく、室内と夜のシーンばかり。だが、暗さはまったく感じない。

 525インターレース(以下I)、スクイーズで見ても綺麗だが、この映画の映像美は525プログレッシヴ(以下P)で本領が発揮される。これまで僕が見たDVD映画ソフトの中で、Pの美しさは最高である。

 これまでいろんな映画ソフトをIとPで見比べたが、そのほとんどがIの勝ち、Pは滑らかにはなるがどこかベールがかかったようなもどかしさを感じてきた。第一世代P対応プレーヤーの限界かと思ったりしていたけれど、このソフトを見てプレーヤーばかりの責任とも言えないような気がしてきた。ソフトの側にもやるべきことが残っているのだろう。

 映像の美しさには大満足、だが、この内容はなんとかならんか。透明人間になる薬物を血管から静注して、ナンデ髪の毛や胃の内容物まで透明化するのよ。荒唐無稽なSF映画にツッコミを入れてみてもしゃあないけれど、ご都合主義が多すぎて感情移入できないのであった。

 そんなふうに見る映画ではナイ? こりゃどーも失礼いたしやした。

’01/11/22 (木)

毒再び


 こういうものを聴かされてしまうと、ヒジョーに困るのである。「毒」とは、AE86さん自作フォノイコライザーアンプ、である。電気回路オンチ(なんだかオンチだらけだ)の僕には詳しいことがわからないが、ベースになっているのは窪田式フォノイコライザーアンプであるらしい。

 ご覧の通り、回路部と電源部はセパレートされている。電源は凄い。TANGOの巨大なトランスが2基、コネクターなどは使わず太いケーブルで回路部に直結してある。パワースイッチもない。ON/OFFはACプラグの抜き差しで代行する。ウルトラダイレクトである。

 失礼ながら、筐体はバラック状態、ご本人曰く「今後もケースに封じる予定はない」そうである。もちろん音を最優先させての決定である。活線が剥き出しになっているので、はっきり言って危険。うっかりトランスやフィルターコンデンサーの端子を触ろうものなら忽ち感電するわけだ。う〜む、感電に関して深いトラウマを持つ僕にとってはたいへん恐ろしいアンプである。

 だが、実際に音を聴いて、そんなことはどーでもよくなってしまった。

 カートリッジはZYX、ヘッドアンプはC-17、フォノイコライザー部分だけC-280Vからこの自作アンプに交換して試聴する。

 強烈。これは世界が違う。全域に渡って超微粒子サウンド、高域の切れと繊細感、中域の伸びと透明感、低域の押し出しと空気感が一段も二段も三段も向上する。解像度が上がるせいなのか、繊細微妙な音の重なりグワイが極めて良く再現され、しかも歪み感がほとんど感じられないのでいくらでもボリュームを上げられるのである。歪みっぽいのはソフトのせいだと思っていたレコードが朗々と鳴り始めたのには恐れ入りました。

 音離れが素晴らしく良く、エコーや余韻が散乱しては消えてゆくさまは圧巻である。以前聴かせていただいたAE86ADシステムの音にちょっと似てきたかなと思っていたら、「ウチの音に似てきた」とAE86さん。考えてみれば(考えなくても)当たり前のことである。でも、感じ方が同じというのも面白い。

 この組み合わせでこういう音が出るとなれば、次の興味はHELIKONとのマッチングである。そこを見透かすかのように「HELIKONで聴かなくていいですか?」とAE86さんの一声あり、そりゃあもう言うまでもないと早速交換である。

 曖昧さの少なさ、スピード感、切れ味、炸裂するような感じではZYXを上回る。ただ、やや表現力が落ちたように聴こえる。ほんの少し色彩感が淡くなるような、と言えば良いかな。けれどもやっぱり、僕の個人的好みからするとHELIKONを採ることになるんだろうなぁ。

 いずれにしてもこの自作フォノイコ、超スグレモノであることは絶対間違いなし、である。これを聴かせていただけたシアワセは、何物にも代えがたいのである。

 AE86さん、ありがとうございました。

’01/11/21 (水)

予兆


 箱船の客室にいただいたAE86さんのメッセージに登場する「ZYX」である。ポリカーボネイトベースに振動系がハダカの状態で乗っかっているだけの、おっそろしくシンプルな構造を持つカートリッジである。自重2g、これまた常軌を逸する軽さである。

 これを聴くのはもちろん初めて。HELIKONを採らずにZYXを採ったAE86さんの選択には非常に興味があり、是非聴きたいカートリッジの一つだった。

 PH-L1000とのコンビでも総重量20gと軽く、V24Cさん謹製シェル一個分にもならない。これほど軽いセットの使用はまったく想定していないので、僕の「鉛巻きEPA-100II」でゼロバランスと針圧がきちんと取れるかどうか心配だったが、ウエイトを最前位置まで持ってきてギリギリで2.0gの規定針圧を確保できた。理想的なセッティングには程遠いので、最高のパフォーマンスは期待できないはずである。

 この状態でも、このカートリッジが素晴らしいものであることは充分感じられた。まず、中高域の表現力が凄い。一本調子にならないのである。音の重なり具合が繊細微妙に再現され、混濁しない。音を構成する粒子が細かい。冷たさや硬さはなく、しなやかに、しかも切れ味鋭く鳴らして見せる。

 ただ、低域に関してはややトランジェントが悪くなったような印象である。少し後に尾を引く感じ。量感は出るのだが、ソリッドさがイマイチか。ハウリングマージンが下がったような鳴り方になってしまうのである。ただし、これはセッティング条件の悪さによるところが大きかったことは、このあとの試聴で判明するのだった。

 この段階の試聴では「僕の好みはやっぱりHELIKONかな」などと思っていたのだが。

 ところが実は次に控えた「猛毒」機器の、単なる予兆に過ぎなかったのである。(猛毒+ZYX)+箱船システム=のけぞってビックリする。本番はここからだったらしい。

 掘っても掘っても底が見えない、AD再生。「毒」機器については明日の日誌で。

’01/11/20 (火)

沁み込む


 AE86さん箱船乗船の図。今日はとても楽しい一日だった。何度も会ってお話しているわりに、よくよく考えてみれば僕はAE86さんがどんな音楽を好まれるのか、あまり知らなかったのである。改めてお聞きすれば僕の好みと一致する部分も多く、それが実に楽しい時間を過ごせた大きな理由の一つだろう。

 遠路遥々お越しいただいたにもかかわらず、僕の手前勝手な都合で何となく慌しかったのはなんとも申し訳ないことであった。しかし、言葉を交わせば交わすほどに、AE86さんのオーディオに対する思いや考え方が心に沁み込んでくるような気がして、僕にとっては非常に意味深い時間だったのである。

 僕のほうからリクエストしたものも含めて数点のADタイトルをご持参くださった。A級外盤あり、J-POPあり、ジャズあり、クラシックあり、ロックあり、楽しそうに次々と試聴されるAE86さんの姿を見て、僕はとっても嬉しかった。3秒で帰られたらどーしよーと思ってましたから。

 ソフトだけでなく、ハードまでお持ちいただいた。これがまた凄い「毒」を持ったとんでもねぇシロモノで、僕はさらに狂喜することになるのである。これらについては明日以降の日誌で詳しく報告する。う〜む、こいつはヤラレタ。なんだか最近こんなんばっかり。

 AE86さん、厳しい予定で、しかもこんなくそド田舎まで御出でいただき、本当にありがとうございました。慌しいことで本当に申し訳なかったです。次回はゆっくり、是非お泊りを。

 例のブツ、宜しくお願い致します。ありゃスゲー。

 って、結局毎度お世話になってばかりである。なんのこっちゃ。

’01/11/19 (月)

大御所登場


 大御所、それは言わずと知れたアノ人である。上の画像は彼が初めて紹介された「AV FRONT」1991年1月号である。この記事を読んだ時、僕はまだ箱船を作る以前、それどころかプロジェクターさえ持ってはいなかった。世の中には凄いことをやってる人がいるもんだと、ただ驚くばかり、同時に「長岡先生のクリニックを受けられるなんて、ホントに羨ましい限りだなぁ、いいなぁ」とも思っていたことを憶えている。

 それからどういう経緯があってお近づきになれたのか明確な記憶がないのだが、知らないうちに友達になってしまっていた。多分お互いが方舟へ出入りしているうちのことだったのだろう。短くない付き合いである。しかし、僕が彼のお宅へお邪魔したのは一度きり、しかもわりと最近である。長岡先生が亡くなってからのことだから。

 その大御所が、いよいよウチに襲来(失礼!)することになった。今日(11/19)である。しし座流星群と共に、彼はやってくる。もちろん初めてのことである。

 なかなか時間の取れない中ご遠方を、しかもヒジョーに厳しい行程でのお出張りには恐縮至極、しかしこれは僕にとって滅多にない機会である。楽しい時間が過ごせることは間違いないと思う。これで明日の日誌ネタは決まったな。

 音を3秒聴いて「あっ、わかりました。そいじゃ」って帰られちゃったらどーしよー?

’01/11/18 (日)

フレーム化

 HPをフレーム使用の体裁に変更した。その大きな理由は二つある。毎月末、全部のページにある「今月の日誌」のリンクをはりかえるのが面倒だから。毎月必ずどこかに間違いやリンク切れが出てしまうから。基本的にまぬけなのである。それに、これはどうでもいいことだが、フレーム表示のHPにしてみたかったから。初心者から見ると、なんだかスマートでかっこよく見えるのだ。しかし僕が作るとちっともスマートに見えないのは、ちょっと悲しいのである。

 はっきり言って「シンドイ」です。やってるうちにわけがわからんようになってしまいました。ファイルをあっちこっち動かしたり、コピーしたり貼り付けたり、出来たと思ってファイルを開こうとしたら「このファイルを開くと無限ループになる可能性があります。それでも開きますか」なんていうキョウハクのエラーが出るし。

 エネルギーをそちらに使い果たし、今日は日誌に画像を付ける余力がなくなってしまいました。遺憾なあ。

 ともかく、非常に知識が乏しいままに作業しているので、おそらくとんでもないしくじりが随所に見られることと思う。フレーム表示にしたことで、画面表示幅の問題も出てくるだろう。

 ご閲覧のみなさまへお願いです。表示に著しく不都合があった場合には、お手数でも是非お知らせいただきたく存じます。箱船の客室メール、いずれでも結構です。

 何卒よろしくお願いしたいのでございます。

’01/11/17 (土)

8周年記念とコハコブネ


 とても久しぶりにROKUさんからメールが届いた。随分ご無沙汰、なんかあったかなとメールを開いてみると。

 おおっ、そこには何処かで見たような部屋の写真が。って、コレROKUさんの部屋だよなぁ。そう、ついにプロジェクターとスクリーンが入ったというご報告をいただいたのだった。導入までの経緯はWROMさんが「つれづれ日記」に触れていらっしゃるので省略。

 「初めて自分の部屋で見る大画面は感動的でした」とROKUさん。そりゃあそうでしょうとも。そのキモチ、よ〜く分ります。僕だって初めて見たときは、感激してナミダが出たのだから。

 奇しくも今日11月17日は箱船竣工8周年記念日である。末広がりである「8」周年記念の日に「コハコブネ」を構築されるとは、なんとも気持ちの良いことだ。同じ誕生日、これも何かのご縁であろう。


 プロジェクター、スクリーンの導入で、ROKUさんのシステムも一つの完成形を見たことになるだろう。形としては「完結」したと言えるが、本当の泥沼はここからが「始まり始まり」だったりもするわけだ。幸いにして(或いは不幸にして)近くにはWROMさんというウルトラエキセントリックマニアが棲息しているので、この先もろともにVA底無し沼へ沈んで行くだろうことは間違いない。お気の毒なことである。

 僕は現在のところAのほうに重きを置いていて、Vに関しては休閑気味である。PCオンチが災いしてHTPCなんかはさっぱりだし。でも、強力なVが持つ圧倒的な支配力の恐ろしさはよく承知しているつもりである。大画面の魅力は、まさに麻薬的でもある。一度やったらヤメラレナイ。

 おめでとうございます。ヌカルミの世界へようこそ、ROKUさん。

’01/11/16 (金)

氷点下


 昨日(11/15)の朝は寒かった。オツトメ関係で午前4時半に起きたら、外は氷点下。もちろん夜明けにはまだまだ、朝と言うより深夜である。車のドアを開けたら「バリバリ」だって。凍り付いているわけだ。とうとうこんな時期になってしまったか。

 一仕事終えて箱船二階の窓から午前6時半に東の空を撮った写真が上の画像。丹後の冬はキライだが、冬の朝焼けは好きである。寒そうで、緊張感と透明感があって、でも、何か期待できそうな感じ。冬でもお天気さえ好ければそんなに嫌わないのだケレドモ。

 しかし、寒い寒い雪だ雪だと言ったって、この辺りなんかタカが知れているのである。長野県木曽郡開田村というところに住む知り合いがいる。ここの寒さと雪はそりゃあもうシャレにならなくて、最低気温の日本記録保持村だったこともあるそうだ。本尊様にお供えする花筒の水が凍結し、破裂することもしばしばだと言っていた。

 いくらなんでもウチでは起こり得ないことだ。せいぜい外の水道蛇口が凍り付くくらいのものである。

 ここまで寒ければ面白い実験ができるかも。CDやパーツを一晩外に放り出しておき、それを沸騰したお湯かなんかでイッキに暖める。金属ならオーブントースターとかキンキンに起こした備長炭の中へぶち込むとか。素材が鍛錬されて音が良くなるかもしれん。

 そーゆーことをゆってるとね、バチが当たるよ。

’01/11/15 (木)

エラーレコード


 今月はどうしたことかADの紹介が多くなった。5枚目である。

 今日のADは先日も載せたWILSON AUDIOの「S'Wonderful Jazz/Eddie Graham Trio」(W-8418)である。このタイトルは長岡先生が別冊FMfan49号(1986年春号)誌上「外盤ジャーナル」で取り上げておられる。A級外セレには入らなかったが、「確かに音場感は抜群、稀有のジャズ録音といえる」というトドメの評価だった。僕個人的にも非常に気に入っているレコードのうちの1枚である。

 特に意図してWILSON AUDIOのADばかりを紹介しているわけではないのである。今日これを選んだのは、僕手持ちのこのタイトルが「エラーレコード」であるからだ。

 何が「エラー」なんでしょう。レコードをジャケットから取り出してみると....あっ、なんということだ、センターレーベルがA面B面とも同じものが貼ってあるではないか。裏も表もA面表記である。内容はちゃんとジャケットに印刷されている通りの曲順になっていて、問題はない。違っているのはセンターレーベルだけである。内容まで裏表同一だったら、ちょっと悲しいけれどさらに希少価値が上がっていたところかもしれない。

 幸いにしてA面4曲、B面3曲となっているから、音溝を見ればどちらの面か判別できるにはできる。だが、時々どっちがどっちだか分らなくなり、針を落としてから「あっ、違った!」なんてことになるのだった。不便なのである。

 どうしてこんなことになったんだろう。たしかセンターレーベルはプレス後に貼り付けるのではなく、プレスする前のビニール塊の上下に置き、そしてプシューとプレス、結果レコードの中心に貼り付く、という工程ではなかったかな。だとすると「A、B、A、B」...という順に置いて行くべきところ、どこかで「A、B、A、B、A、A」というふうに間違えたのかな? まさか人が手で置いているわけではないだろうから、センターレーベルを送り出す機械にセットする時のミスだろう。

 この他にもエラーレコードは何枚かある。センターレーベルが著しく中心からズレているもの、センターホールが中心から一目で分るほどズレているレコード(これは再生できない、というよりもカートリッジがキケン)、ジャケットと中身が全く違うもの(A級外セレ盤だったから悲しかった)、2枚組タイトルなのに一枚目も二枚目も「DISC1」だったもの(これも悲しい)など。

 今日のレコードは表記が違うだけで、再生や内容には何の問題もないのでこれはご愛嬌。話の種に面白い。

 中には回転数がヘンなレコードもあったりして。聴きなれた曲なのに、なんだかシャカシャカして聴こえるのである。よく調べてみたら回転が3.7%速かった。送り出しのテープデッキ回転が速かったのか、カッティングレースの回転が遅かったのか。こーゆーレコードはあまりシャレにならないのである。

 これも希少価値かな?

’01/11/14 (水)

こいる COIL コイル


 今日もぷあさんのメッセージからお題を頂戴。C-AX10導入以来、出番がなくなり箱船の隅で世を拗ねているローパス用のコイルである。三栄無線製CS-100。手前二つが6mH、中二つ9mH、奥二つ12mHである。知らない間に6個も溜まってしまいました。

 5月8日の日誌に「現用の6mHから9mHに変えなきゃ」なんて書いておきながら、結局全コイルリタイヤとなったわけだ。

 ディジタルネットワークに変更して中高域の透明感が劇的に向上したという話は、クドいほど書いてきた。では、パッシブネットワークであるところのコイルを「これはもうダメだからね」と断じることができるのか? 否、である。

 コイルには、アクティブネットワークでは絶対に出ない力強さがある。C-AX10の導入で中域の解像度、音場感の向上を得たのと引き換えに低域〜超低域にあったドドウの寄り身がやや殺がれたのは否定できない。いつも思うことだが、ものごと全て一長一短、オーディオとは妥協の産物である。

 だが、妥協ばかりもしてはいられないのである。今のところコイルに戻るつもりはまったくない。時間をかけて透明感と力感の両立を狙って行きたいと思うのである。けっして急いではイケナイ。ここでいい加減なことをやったら後になって....あっ、大ボケダジャレをカマそう思ったら、客室に書いちゃってた!

 しまったぁぁ〜と、クイル。

 もおエエっちゅうねん。

’01/11/13 (火)

冬でござんす


 今日の写真は2週間くらい前に箱船北東側から撮ったものである。柿の木にはまだ緑が残っているし、光の感じも秋真っ只中という色をしている。このヘボ写真からでも、空には秋独特の透明感と明るさの片鱗くらいは感じていただけるだろうか。

 たった半月ほどしか経っていないというのに、今日(11/12)の天気はまるっきり冬の天気だった。午前中は晴天、しかし気色が悪いほど生暖かい南風が強く「冬の南風(ミナミ)は雪連れる」というこの辺のことわざを想起させるような天気だな、と思っていたら。

 午後3時前から「一天俄かに掻き曇り」魑魅魍魎は出なかったが、大粒のアラレ、というよりありゃもう「雹」である。雹がバラバラバラバラと降り注ぎ気温は急低下、おそらく一気に10℃くらい下がった(ちょっとおおげさ)のではないかな。

 以後、夜に至るまで天気雨を交えて冷たい雨と晴天のモザイクである。典型的冬型気候。この天候のことを丹後地方では「うらにし」と呼ぶ。語源はわからない。冬の挨拶は「こんちには、好いお天気ですね」という代わりに「いや〜、うらにしですなあ」ということになるわけだ。

 村の古老たちはこう言う。「弁当忘れても傘忘れるな」。来年の3月いっぱいまでは、これが続くのである。

 ああっ、げに羨ましきは太平洋側。

’01/11/12 (月)

知らなかった


 昨日は「電池の日」だったらしい。ぷあさんからのメッセージで初めて知りました。11月11日がなぜ電池の日なのか、詳しくはコチラをどうぞ。なぁ〜るほどねー、そーゆーことですか。ぼくはまた11が電池の回路記号に似ているからかと思ったけれど、違ったわけだ。

 ついでに、12月12日は何の日だかご存知かな? ぷあさんはもちろんご存知でしょう。ヒントは野球のポジションナンバー。1はピッチャー、2はキャッチャー、それをまとめて何と呼ぶ? そう、「BATTERY」ですねぇ。んだから12月12日は「バッテリーの日」なんだそうだ。かなり苦しいというか、よく考えついたというか。これもまったく知りませんでした。

 電池といって最近感激したのは「ニッケル水素電池」である。写真はパナソニックの単三形ニッケル水素電池HHR-3GPSである。デジカメ用の電池として極めて重宝している。

 初めてデジカメを手にした時この電池が手持ちになく、とりあえず急場しのぎにそこら辺にあったアルカリ電池を使った。デジカメがもの凄く電力を食うこと、アルカリでは使い物にならないことを聞いてはいたのだが、これほどだったとは、とひっくり返ってしまったのである。アルカリ電池を使うと、3枚くらい撮ったところであっという間に電池切れ。もちろん新品電池である。はっきり言って話にならない。

 すぐにニッケル水素電池を仕入れ、使ってみたところが素晴らしい。相当な長持ちである。しかも充電式だから高効率。値段は高いがハイCP。デジカメには絶対必需品である。

 11月7日の日誌に書いた「メタルカラーの時代」第二巻に、この電池の開発過程談話が載っている。オリジネーターは三洋電機。従来の充電式電池であるニッカド(ニッケル・カドミウム)電池に比べ、1.8倍の長寿命電池である。開発成功のキーマテリアルは「水素吸蔵合金」である。自己体積の1000倍の水素を吸収し貯蔵する、スーパー合金だ。この辺の話はV24Cさん、M85さんご専門。シロウトの僕はあまり深入りしないでおくのである。

 できるだけ多くの水素を吸収できる合金配合を見つけるのに13年かかったそうである。それでも13年で見つけることができたのは幸運なほうだと、技術者は言う。

 今では当たり前のように使っているニッケル水素電池、実は凄い労苦とノウハウが詰まったスーパー電池だったのね。

 エンジニアさんたちに、ひたすら感謝するのである。

’01/11/11 (日)

ディジタルかアナログか


 ミューズの方舟主催の「サウンドフェスティバル」、今年はA級外盤300タイトル総試聴という、かつてない企画を挙行し、盛大かつ成功の裡に終わったようである。準備から本番まで、大変な苦労があったようだ。本部スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。僕も一応は会員(ほとんどユーレイ)なので、お手伝いできれば良かったのだが、如何せんこのイナカからではどうしようもない。申し訳ありませんでした。

 それに関連し、M85さんからの呼びかけで自作派ホームシアターwforum
ではイヴェントに参加された方々からの感想が寄せられている。ご意見にはそれぞれ頷ける点があり、非常に興味深い。

 僕は実際にイヴェント会場の音を聴いていないから、それに関しては何も言えない。ただ、第三者として状況を見ると、アナログディスク再生にとっては決して良い条件とはいえなかったのではないだろうか。

 当日機器を持ち込みセッティング、終わって即撤収というような状況では、ベストのアナログ再生を望むのは酷というものである。この条件下であれば、やはりディジタル有利は否めないだろう。それでもアナログサウンドの片鱗を感じられたとおっしゃる方もあるわけだから、これは主催者側の手腕に負うところが大きいはずである。しかも多数のオーディエンスに音を供給するわけだから、益々困難極まりない。この条件下、イヴェントを実行されたスタッフには深々の敬意を表したいのである。

 ワタクシは、このHPをご覧いただけばお分かりになるが如く、アナログディスク派である。何せDNA(大日本アナログ党)の三下使い走りを自任しているくらいだから。ただし、ディジタルを否定している訳ではけっして無いのである。残念ながら、最新最高のディジタルを聴いたことがないだけだ。

 よく「アナログを極めるにはそれなりの投資が必要」と言われる。それは間違いではない。その通りだと思う。だが、ディジタルと言えども状況はまったく同じであるはずだ。最新最高のトランスポート、DAC、それに原子時計によるクロック、ディジタルケーブルを揃えれば400万500万は当たり前、という世界になるだろう。

 どんな機器が「最高」か、それがまた難しいところでもあるが、一度はそういう世界でアナログ、ディジタル両者を比較試聴してみたいものである。要するに、大きな感動感激をもたらしてくれるならば、僕はD/Aどちらでもよいのである。

 箱船の再生環境では、現状あまりにもディジタルが冷遇されている。こんな状況でディジタルを語ったのでは、極めて公正さを欠くのである。

 極めて遺憾である。


 今日の画像はプロカメラマン、生田浩氏撮影によるものをご提供いただきました。生田さん、ありがとうございます。

’01/11/10 (土)

ウィークポイント


 最近思うこと。この航海日誌、毎日更新するのは良いけれども、はっきり言って脈絡も節操もないなと。三題噺のように毎日をうまく関連付けて書けるとイイのにと思いながら、やっぱりそんな味なマネはできないのだった。乞御容赦。

 というわけで、今日の話題も昨日とは何の関係もないのである。

 長岡先生も再三書いておられたが、ネッシーの弱点はこの長い第2パイプである。寸法の割に板厚が薄く鳴き易いのである。僕のスーパーネッシーはそこを考えてネッシーIIよりも補強桟を多めに入れてあるが、それでも叩いてみるとよく鳴く。これを抑えるために厚みを増やしたりフェルトを巻いたりしている人もいる。ネッシーIIIでは18mm厚フィンランドバーチ材を使い、かなり改善されたと聞くが。

 僕は耳がいい加減にできているので、さほど気にならない。それでも叩いた時の音が再生音に大きく影響していることは解る。

 完成直後、この部分を叩くと「ボンボン」と如何にも湿って切れがなく、濁った音で鳴っていて、再生音も音離れが悪くユニット周辺に纏わりついたような音だった。それが4年半たった今では、かなり板が乾いてきたのだろう、「コンコン」という立ち上がりの良い澄んだ音に変わっている。システムとしての音も、同じような変化が見られるのである。

 今は本堂で大アクビしているネッシーII、これは作ってから7年半、すっかり乾いている感じである。さらに余分な音が少なく、ピッチの高い、シャープな音で鳴く。

 スーパーネッシーを作った時、ちゃんと鳴らせるまでに最低3年はかかるだろうと思ったが、4年半経って尚、未だに使いこなせていないのである。

 もう一度言っとくか。

 「最低でもあと3年はかかるでしょう」

’01/11/09 (金)

ダストルームだけど


 先日、友達からもらった(もらってばっかりダ)クリーンルーム用ワイピングクロスである。サヴィーナ・ミニマックスというものだそうで、ケバがまったく出ず、静電気も起こらない。これで拭けば何でもピカピカ、オソロシイまでのクリーニング能力である。業務用なので一般的には入手困難ではないかと思う。

 僕はこの手のハイテククロスがとても好きで、初めて買ったのはテイジンの「ミクロスター」というものだった。オーディオ用に買ったのではなく、当初はメガネ拭きとして使っていたのだが、ある日0506IIのホーンを掃除するのに使ってみたら、これがヒジョーにグワイが良いことに気がついた。それからというもの、なんでもかんでもこれで拭きまくり、おかげでそのミクロスターはボロボロになってしまった。

 その後、ミクロスターで縫製した手袋を見付け、それもまた大喜びで酷使しヨレヨレにしてしまった。代わりはないものかと東レの「トレシー」なども試してみたが、カサカサした質感がどうも気に入らない。さりとて大判のミクロスター、ミクロスター手袋を置いている店がなくなってしまい、どうすべえかと困っていたのである。そこへ友達が「サヴィーナ・ミニマックス」を持ってきてくれたわけだ。

 厚手でしなやか、非常に質感が良く大変使い易い。プロジェクターのレンズにも使える。もちろん0506IIGMホーン、DFリング、ADスタビ、コンポのキャビネット、何に使っても素晴らしく綺麗になるのである。裏表があるそうで、友達は「ツルツルした側が表ね」と言うが判然としない。どっちで拭いても綺麗になるので、あまり気にしなくても良いのだろう。

 ただし、拭く前に充分埃を取り除いておかないとイケナイ。ホコリを巻き込んでキズをつけてしまうからである。これはどんな布でも同じことだが。

 クリーンルーム用。ホコリだらけの箱船(寝起きしないから少しはマシ?)には完全にオーバースペック、でも一度使うと止められません。基本的には使い捨てだそうだが、勿体無いので僕は汚れたら洗濯して使っている。それでクリーニング能力が落ちたとは思えない。

 プロが聞いたら卒倒しそうだケド。

’01/11/08 (木)

薄い軽い柔らかい


 薄い、軽い、柔らかい、けれども音は良い、というフシギなレコードである。「Dave Grusin/DISCOVERED AGAIN」(sheffield lab LAB-5)である。ダイレクト・カッティング盤。シェフィールドの中では特にメジャーなミュージシャンが演奏しているだけあって、非常に良く売れたタイトルだそうだ。ダイレクト盤であることや、スタンパーがヘタったりして早くに廃盤になり、その後同時に収録していた2トラックマスターテープからスタンパーを起こしたシリーズで再発もされている。「トレジャリー・シリーズ」という。そっちのほうのレコード番号はST-500。

 音はやはりオリジナルのダイレクト盤に一日の長あり。圧倒的ではないが、鮮度、透明感、トランジェント等の点で差が出る。盤質、これは圧倒的に再発盤のほうが良い。厚く、重く、硬い。オリジナル盤と正反対である。

 内容は全く同じ、と言いたい所だが、これが不思議なことにテイクの違う曲があるのだ。A-2だけ明らかに演奏が違うのである。ST-500のライナー・ノーツによれば、「ダイレクトカッティング時にアンペックスA-300改造の全管球式テープレコーダーでパラ録りしたマスターテープから改めてカッティングしたもので...」とあるから、同じもののはずなのだが。しかし考えてみれば収録時にOKテイクが一つだけ、なんてことは考えられないから、別テイクがあって当たり前なんだろう。でも一曲だけ別テイクってのも、面白いなぁ。

 盤はフニャフニャでも、音は豪快である。これで盤が良かったらと、少し残念。ただ、このタイトル全てがこういう盤質かと言えば、必ずしもそうではないと思う。同レーベルの他のタイトルでも、時期によって盤にかなりの差があるからである。

 盤質だけですべてが決まるわけではないけれども、オリジナル硬質盤の音も聴いてみたいと思うのだった。

 このレコードよりフニャフニャの盤、まだ見たことないです。

’01/11/07 (水)

愛読書


 「メタルカラーの時代 5」(山根一眞著 小学館刊)である。元々は週刊ポストの連載記事である。著者の山根氏が、いろいろな業界の技術者、特にモノ作りに係わっている仕事人にインタヴューし、その苦労や工夫、ノウハウなどを聞き出す、という企画である。

 「メタルカラー」の「カラー」は「colour(色)」ではなく「collar(襟)」、つまり「ホワイトカラー」「ブルーカラー」と同列の山根氏による造語である。山根氏はこう言う。「モノ作りに係わる創造的技術者を『金属の色に輝く襟の人々』という意味から『メタルカラー』と命名したのである」と。

 画像はその最新刊であるところの第5巻である。1〜5巻、それぞれに読み応えがあり、とても面白い。目次から興味深いものを拾ってみると、「『絶対に破れない』金庫扉の大秘密(第1巻 熊平製作所)」「半導体より繊細な『50万ボルト地中電力線』の製造法(第2巻 古河電工)」「工業の必須品『マイクロメータ』開発の大使命(第3巻 ミツトヨ)」「凸凹10万分の1ミリ以内『デジタルテープ用樹脂フィルム』(第4巻 東レ)」「世界の作り方を日本が変える『強度2倍の鉄革命』(第5巻 物質材料研究機構)」など。ほかにもオーディオに直接かかわるソニーや松下電産の記事もある。

 僕のアタマは思いっきり文系なので、こういう世界で活躍する技術者には非常に大きな憧れがあるのだ。最先端の技術者が「ここまで精度を追い込んでいくと、あとはもう神の領域、測定器でこの精度は絶対に出せません」とか言うと「そーかー、そーゆーことかー、うーむなるほど」なんて分りもしないのにやたらと感激したりするのである。

 日本は物を作らなくなったと言われて久しい。けれども、まだまだ真摯に物を作り続けるエンジニアさんたちが大勢いるのだ。僕に近しい友人にも、技術者はたくさんいる。僕のような非生産的な仕事しかできない人間から見ると、なんて素晴らしい仕事なのだろうと思わざるを得ない。

 オーディオファンなら絶対楽しめる本です。是非ご一読を。

’01/11/06 (火)

航海日誌一周年


 航海日誌を書き始めて一年が経ってしまった。昨年11/6の日誌には「戯言の羅列的HPだが、毒をくらわば皿までということで、地獄までのお付き合いをあらためてお願い申し上げる次第である」などと、HP公開一ヶ月にしてすでに開き直ったようなことをほざいている。「汗顔の至り」とも書いているが、この一年「汗顔」過ぎてヤツレたかといえばちっともそんなことはなく、まったく太てぇヤロウなのである。

 いずれにしても、ヘボはヘボなりにこうして続けることができているのは、全てご閲覧くださっている皆様のおかげさま以外のなにものでもない。ただただひたすらに御礼申し上げるばかりである。

 ありがとうございます。

 「過去の航海日誌」改造作業についてはすべて出来上がってからの公開にしようと思っていたが、流離いの旅人さんからありがたいアドバイスがあったことや、ちょうど一年経った記念という意味もこめて、完了順に公開していくことにした。今日のところは2000年11月分〜2001年2月分まで見出しページを付けたので、どうかよろしくお願いしたいのである。

 毎日更新するのに困るのはやはり「ネタ」であって、ネタが見つかると更に困るのが文章である。文章力、それは取りも直さず「表現力」であり「国語力」である。特に音楽、映像ソフトを話題にした時などは、その音や演奏を表現するのに四苦八苦するのである。ネタにするのにソフトは非常に都合が好いわけだが、安易に取り上げると自分で自分の首をシメることになりかねない。イマジネイション、ボキャブラリーの貧困を毎日曝け出しているようで如何にもお恥ずかしいのである。

 だが、個人的には苦しみながらも楽しんでいるわけで、けっして苦痛にはならない。何よりも皆さんからのリアクションが楽しみである。箱船の客室にその日の日誌についてメッセージを頂くと、これはもう本当にウレシイのである。ああ、書いていて良かったな、と。

 エネルギーが日誌の更新に偏っていて、他のページはほとんどほったらかしの状態である。これも問題だ。何とかしなければ。

 ところで今日の画像は日誌を毎日打っているPCのキーボードである。どんな写真にすればよいのか、これも苦し紛れの一枚でゴザイマス。

’01/11/05 (月)

勿体無い


 リヤカノンL用インナーリングを切り抜いた後のSUS厚板である。リング本体よりも残った部分のほうが多いという、非常にもったいない話である。リングは4本作ってもらったから、これも当然4枚あるわけだ。8月23日の日誌に書いた、スーパーネッシー用インナーリングの抜き板もあるし、SUSの厚板なんかそうそう手に入る物じゃナシ、何とか有効利用できないかといろいろ考えている。

 1枚4,040gと相当重いので、積み重ねてウエイトに? な〜んだか芸も工夫もないなあ。面白くも何ともない。それ以前に、ウエイトに使うにはSUSでは鳴きが多くてあまり良くないだろう。やはり何らかの加工をしてみたいところである。

 丸く切り抜いて円板を何個か作り、アンプやプレーヤーの脚にする。これじゃTE27さんのマネッコだな。採れる限りの大きな円板を切り出し、中心に穴をあけて積み重ね式のADスタビライザーにする。重ねる枚数により重さを調節できるわけだ。でも、これも昔オーディオ・クラフトから出ていたヤツのパクリだね。う〜む、何ができるかな〜。

 極めて非建設的だが、このままオブジェとして部屋のどこかにディスプレイしておく、のは多分うまく行かないだろう。なぜって、僕の部屋はオブジェが置けるほど綺麗ではないのである。オブジェだかゴミだか訳のワカランことになるのでよしておこう。

 アイディアの貧困である。と言ってこのまま放置しておくのは悲しいので、いずれ何かに役立てることにしたい。

 15mm厚のSUS板は、使わずには居られなくなるような迫力を持っているのである。

’01/11/04 (日)

目が点


 なんだかADの紹介が続きますが。

 RCAリヴィングステレオの復刻盤には優秀録音が多いということは僕も何枚か聴き、知ってはいたがその認識はヒジョーに甘かったようである。

 M85さんのお世話により新たに数タイトルを入手、その中には彼の有名な「シェヘラザード」も含まれている。それがどれほど優秀なのかは5月7日の日誌に書いた。超A級盤である。

 上の画像は同時に入手した「Strauss Waltzes」(フリッツ・ライナー指揮/シカゴ響 LSC-2500)。タイトル通り、シュトラウス一族のワルツ曲集である。録音は1961年、僕の生年とおなじ年だ。つまり40年前。

 シェヘラザードの録音には大変驚いたけれども、このレコードにもひっくりかえってしまった。完全に「目が点」である。A面、B面どこを聴いても素晴らしい。特に凄いのはB面ラスト「雷鳴と電光のポルカ」である。

 超有名な曲だから、圧倒的多数の方がご存知だろうと思う。ムカシ(今も?)は小学校の運動会などでよく使われたものである。

 録音の前にまず、演奏そのものが素晴らしい。歯切れがよくハイスピードで極めてダイナミック、これほど吹っ切れたような演奏を聴くのは、僕は初めてである。録音は全く文句なし。管は切れが良くしかも繊細、美しい艶を持ちながらスピード感が落ちない。弦はシャープに切れ込むが荒れる感じはなく、鮮明で瑞々しい。「電光」を表現するシンバルは目の覚めるような音で炸裂し歪み感は皆無、頭を抑えられているような感じは全くない。「雷鳴」を受け持つティンパニとグランカッサは何事かと思わせるようなもの凄いエネルギーを持ってグォーッと押し寄せる。こりゃもう最高である。

 2分46秒と短いのが惜しいくらい。陳腐な表現になるけれども、これがホントに40年前の録音かと思わざるを得ない。今、こんな録音を探しても何処にもないだろう。

 音が凄いわりにジャケットは優雅で美しい。これだけ見せられたら、きっと買わないんじゃないかという気がする。いわゆる「逆目狙い」的レコードと言えるだろう。

 あんまりホメると、またM85さんに叱られちゃうかな?

’01/11/03 (土)

法螺は吹かない


 昨日に続きもう一つファンファーレのレコードを。WILSON AUDIO「WINDS OF WAR AND PEACE」(W-8823)である。指揮者、演奏者、録音日時、録音スタッフすべて「CENTER STAGE」(W-8824)と同一。番号から分るようにこちらのほうが先にリリースされたものである。紹介の順序が逆になってしまった。

 一曲目は「Liberty Fanfare」。1986年、自由の女神建立百周年記念式典のために作曲されたファンファーレである。作者はやはりジョン・ウィリアムス。この曲も明るくおおげさで勢いがあり非常にヨイ。

 演奏はやや表面的なようにも感じられるけれども、ファンファーレとはそういうものなのだろう。W-8824と同じ条件で録音されたいるにもかかわらず、音が違う。こちら(8823)のほうが低域に馬力があり、音場も多少広く聴こえるのである。一聴して雰囲気に違いがある。なぜだかわからない。ひょっとするとマイクのセッティングが違うのかも知れないが、僕の耳ではそこまで正確には判別できない。

 二者それぞれに優秀な録音だと思う。低域の力と伸びで8823、中高域の透明感と繊細感で8824という感じである。ここのところ8824ばかり聴いていて8823の良さを忘れていたので、これからはまたどんどん聴くことにしよう。

 ファンファーレといえばコープランドの「庶民のファンファーレ」が有名、テラークに良い録音のADがある。それと組んで箱船常時デモレコードにする....。

 え? 「ほらふき」はもういい? そう言われてもコレ吹奏楽ですからねぇ、法螺も吹...かないか。

’01/11/02 (金)

ファンファーレ大好き


 ちょっとコッパズカシイことだが、僕はファンファーレが大好きである。fanfare:おおげさな見せびらかし、誇示。フランス語より。原義は「ほらふき」。と小学館の英和辞典にある。思わず笑ってしまいました。

 確かにどのファンファーレを聴いても、やたらと威勢が良く大上段に構えた如きおおげさな感じがあるのは否めない。暗くて悲しいファンファーレなんて聞いたことないのである。戦意高揚、祝賀、ナショナリズムの発揚、壮行、開会。これらの目的達成のためにあるのがファンファーレであってみれば、悲壮な曲風であろうはずもない。底抜けの明るさこそ最大の要素、そこがまたタマランのである。

 画像はWILSON AUDIOのAD「CENTER STAGE」(ローウェル・グラハム指揮 ナショナル・シンフォニック・ウィンズ W-8824)である。このレコードの一曲目が「オリンピック・ファンファーレ」。1984年ロサンゼルスオリンピックのために、映画音楽で有名なジョン・ウィリアムスが作曲したファンファーレである。メロディーをご存知の方も多いだろう。

 威勢が良く、やたらと明るく、ハッタリをぶちかましたような曲である。如何にもアメリカーン! という感じ。大好きである。録音がこれまた曲に合っていて、ブラスはバリバリと空間を切り裂き、シンバルはスカッと爽やかに炸裂、バスドラムはここぞいう時に大爆発する。Dレンジ、Fレンジとも極めて広く歪み感がないので、圧倒的大音量で聴くと痛快、爽快。試聴に良く使うのは、判断の材料というよりほとんど個人的趣味である。

 箱船にいらっしゃるお客様には必ずお聴かせする。

 「おおげさな見せびらかし、ホラフキ」。そのとーりでゴザイマス。わはは。

’01/11/01 (木)

アクセス向上のために


 ずっと気になっていた「過去の航海日誌」ページを改造中である。まず第一の問題、アクセス速度の遅さについては、サーバーをCsideNetさんに変更することで改善を狙う。僕の環境からアクセスしてみた限りに於いては、少しく速くなったと思う。皆さん方は如何でしょうか?

 「過去の航海日誌コンテンツ」ページからのアクセス方法も問題である。各月の日誌へ行けるのは良いけれども、もっと細かくアクセスできるようにしたい。例えば流離いの旅人さんの「過去の一家言」ページのように。日付別にアクセスできるようにしてあるのだ。実に親切なリンク方法である。

 しかし、である。考えてみるとこれはヒジョーに手間のかかる作業になる。とりあえず昨年11月の日誌分だけ手を入れてみたが、スキルの無い人間がベテランのマネをするのは、はっきり言ってムチャである。上の画像のような表を作るだけのことですっかり疲労困憊してしまった。流離いの旅人さん、アナタはえらいっ。

 ベテラン諸氏なら、HPを製作する最初の段階でキチンと先を見通し、こういうスカタンなことにならないよう対策を打っておられるのだろうと思う。その辺、やっぱり僕は解っていないのである。一年分も溜まった日誌にひーひー言いながら作業するという、アホな所業になるわけである。

 この作業は自分のためでもあるのだ。昔の日誌からネタを拾う時、こうしておけば簡単に見つけることが出来るし、タイトルの重複も避けられる。

 死ぬほど時間がかかりそうだが、何とかアクセス良好なページにしたいと、PCドシロウトのくずてつは考えるのである。

 いつになったら出来上がるのだろう。それがいちばんの問題だったりして。