箱船航海日誌 2000年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’00/11/30 (木)

満八歳

申し込み数が快調に伸びている。「花火 2000」である。前回を大きく上回ってしまった。昨晩
がんばって焼き上げた未発送分だったが、またバックオーダーを抱えることになった。CD−R
マランツDR−17は昼夜を分かたず働きつづけ、大車輪の活躍である。これでこそ購入した甲斐
があるというものだ。送り出しのヤマハGT−CD1も老骨に鞭打って奮闘している。そういえば、
GT‐CD1を買って今日で丸8年である。こりゃホントに老骨だ。未だに日進月歩のディジタル
機器にあって、8年現役は立派なものだと思う。それだけ僕が気に入っているということである。

「花火 2000」には、このプレーヤーの血が流れている?

’00/11/29 (水)

メディア入荷!

「花火 2000」到着のご報告を続々といただいている。ありがとうございます。大変お待たせ
致しました。よろしくご試聴ください。さて、今日夕方、注文していたCD−Rメディアが入荷した。
何とか今晩中に未発送分を焼き上げてしまいたいと、今ヒッシのパッチ(オヤジギャグだな〜)
で作業中である。そういう訳で、本日の日誌はここまでにさせていただく。さあ、あともう少しだ。

’00/11/28 (火)

再掲の効果

昨日、「花火 2000」の申し込み要領を掲示板に再掲したが、今日、早速新たに3人の方から
申し込みをいただいた。ありがとうございました。要領を再掲したのには訳がある。前回の「花火」
頒布のとき、一通りの発送が終わった後、「もう締め切られましたか?」というメールを頂いた事が
あったのである。そこで再掲しておこうと考えたわけだ。今回も勿論そうだが、基本的に締め切りは
設けていない。無期限で受け付けるつもりである。もし、第一弾の「花火」をご希望の方があれば
今でもお応えするので、「2000」と同じ要領で申し込んでいただきたい。CD−Rが未だ入荷せず、
多少お待たせする事になるかもしれないが。

’00/11/27 (月)

発送

ようやくにして「花火 2000」を発送できた。頒布のお知らせをしておきながら、後でジャケットに
悩んだり、途中でCD−Rが底をついたり、ナンバリングスタンプをふんづけてぶっ壊したりと、
前回同様段取りの悪い事で、皆さんには大変お待たせしてしまった。初めてお知らせしたのが
11月1日だったから、約ひとつき経ってしまったわけである。マコトに申し訳ありませんでした。
11月7日以降に申し込みいただいた方々にも今週中にはお届けできるので、よろしくご諒解を
お願いしたい。ジャケット製作で大変お世話になったS氏、写真をご提供下さったげんきまじん氏
には、あらためてお礼を申し上げなければならない。ありがとうございました。

’00/11/26 (日)

混乱

新ページ「箱船への道 その2」をアップしたは良かったが、リンクにトラブルが出ていたようである。
トップページから「その2」ページへ入れず、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。
ご指摘頂いて気が付いたくらいで、僕のPC環境では問題なく見られていた。転送前にファイルを必ず
ブラウザ(IE5.0)で開いて確認、転送直後はリンクにトラブルがないか確認しているのだが、今回の
障害は原因がよく解らない。指摘後見に行ってみると、ちゃんとリンクするのだが、「その2」ページの
ファイル名が勝手に変わってしまっていた。「arc 2.htm」としたはずが、「arc%202.htm」となって
いるのだ。なんだ、これは。それなれば再転送...アレ? やっぱりヘンだ。う〜む、わからんな〜。
大体が、トラブっているはずなのにナンデ僕はちゃんと見られるのよ? でも、外からのアクセスでは
リンク不能になっているのだからどこかおかしいに決まっている。実際変なファイル名になっているし。
暫く考え込んだが、フト思い当たった。「箱船への道」で使っているイメージファイルに「arc2.jpg」と
いうのがあったなと。非常に紛らわしい名前だ。PCの仕組みはじぇんじぇん解らないがこういう事って
トラブルの元ではないかと、シロウトは考えたのである。そこで「その2」のファイル名を「arcsononi.
htm」に変更、リンクを貼り直して再転送した。オンラインでファイル名を確認すると、今度は大丈夫、
「arc%202.htm」の表示はない。指摘してくださった方にも確認をお願いしたところ、改善されたと
連絡を頂いた。なんだかさっぱり解らないが、やっぱり紛らわしいファイル名が原因だったのかしらん?

’00/11/25 (土)

忘れた頃に

DATデッキ、パイオニアD−C88の充電池が届いた。すっかり忘れていた。注文したのは8月の末、
9月にあった自衛隊総合演習を録音するためのスペア電池である。遅すぎるって。ま、これは注文
した時電機屋さんから「11月頃になるよ」と聞いていたし、それを承知で頼んだのだから文句を言う
つもりは全く無いのである。それよりも、時間がかかってもちゃんと手に入れることができたことを
喜びたい。D−C88購入当初から、電池のスペアは必要と思っていた。野外で生録することを考え
れば当然の事である。ハイサンプリング(96kHz)モードでは満充電時で1時間30分の録音が
精一杯、REC/PAUSEを繰り返していたらたちまち消耗する。実際、自衛隊の録音時はビクビク
しながらの収録だった。もっと早くに買っておくべきだったが、’94年にDAT本体を買ってから暫くの
間は生録もせずほったらかしだったので、ついつい今になってしまった。まだ入手可能でヨカッタ。
リチウムイオン電池ではないのでメモリー効果も出やすいし、今の内にもう1個くらい買っておいた
ほうが良いかなあ。生産完了してしまったらえらいこっちゃ。¥15,000はちょっと高いケド....。

’00/11/24 (金)

カメムシが多い年は

なんだか生き物ネタが続くが、それだけココは田舎なのである。毎年この時期、カメムシくんが沢山
出てくる。いや、出てくるのではなく、越冬のために人間の生活圏内に入ってくる、と言ったほうが
正確である。彼らはその体の形状からなのか、あるいは保温のためか、スキマに入り込むのが好きで
特に引き戸と鴨居のスキマ、アルミサッシの溝、などがお気に入りのようだ。さらに、一人はお嫌いな
ご様子、かならず十数匹の集団でじっとしている。別に悪い事はなんにもしないおとなしいムシだが、
見てくれは非常に良くない。あれが群れているのは、気色ワルイのである。もっと悪い事に、皆さんあの
ムシが機嫌を損ねた時の強烈な悪臭をご存知だろうか? それが極めて潰されやすい場所に、集団で
存在しているのである。それに気付かず戸やサッシを開けた日にゃあ、エライことになりますぜ、ダンナ。
その辺がクサイだけならまだ我慢もできるが、うっかり手で触ったりしたら、さあ大変。その日一日臭いは
取れず、どこへ行ってもクサイから近寄るなとエンガチョされ、飯を食うのもためらわれ、明日になっても
まだクサイ、あさってンなってようやく消える、なんてえとんでもないことになってしまうのである。

で、このカメムシが今年は異様に多いのだ。何故だかわからない。数年に一度はあるようだ。何か悪い
事が起こる? 村の古老に訊ねると、こういう年は大雪になるという。ムシは人間様より敏感なのだ、と。
しかし去年はこんなに多くなかったが156センチの大雪だったなあ。今年はもっと降るのかなあ。

’00/11/23 (木)

これは一体...

庭掃除していたら、おかしな物をみつけた。下ネタで申し訳ないが、銀杏が混じった大きなウンコ
である。どう見てもイヌではない。タヌキのフンは時々見るがこんなに大きくはない。銀杏が混じって
いるのも初めて見る。そもそもうちの庭にはいろんなケダモノがやってきて、フンをしていく。イヌ、タヌキ
キツネ、ネコ、イタチ、わりと珍しいところでは野ウサギなんかも一発かましてくれる。いや、ここで弁解
しておくが、だからといってうちの庭はいつでもウンコだらけというわけではありませんから御安心を。
ともかく、今回ほどでっかいフンは初めてである。皆さん、もうおわかりだろう。そう、再びである。
山でお暮らしの分には何も申し上げるつもりもないが、こちらまで御出でになるのは、できればご遠慮
願いたいのである。そういえば今日の朝刊に、山で熊と格闘して勝利したおじさんの話が載って
いたっけなあ。僕は手前の庭で、熊と渡り合うほどの度胸も体力も持ちあわせていないぞ、と。

でも、銀杏の果肉って、シブくて苦くてクサくて、とても喰えたものではないんだが。

’00/11/22 (水)

季節

もう、冬になる。僕は冬が大嫌いだ。もともとそうなのだが、12年前、この町に来てから更に
嫌いになった。日本海側の冬は最悪である。晴天は珍しく、ほとんど毎日曇天だ。仮に午前中
晴れていたとしても、午後には必ず崩れてしまうのである。12月の半ばを過ぎると今度は雪の
心配をしなければならない。ここを豪雪地帯と呼んでは北陸、東北地方の方々に失礼だが、雪の
降らないところで育った僕から見れば、とんでもない大雪が降るのである。まあしかし、雪は仕方
がない。寒いのも嫌いだが、それも百歩譲ろう。せめてこの憂鬱な天気だけでもどうにかならんか。

毎年文句をぶーたれる季節が、今年もやってきた。

’00/11/21 (火)

切株

実家から電話があった。裏山の木を伐ったが、オマエいらんかと言うのである。何の木だと訊くと、
ブナ、サクラ、クヌギ、すべて直径40センチはあるという。色めき立った。切株マニアの僕としては
黙っちゃいられない。ひまが出来たらエンジンチェーンソーかついで切りに行くから、それまでは
どこにもやるなと念押しして電話を切った。ありそうでないのが切株である。杉や檜なら、製材所の
庭先にころがっていることもあるが、建材になりにくい木はほとんど見つからない。ましてブナなどは
滅多とお目にかかれない材である。サクラもしっかりと目の詰んだものは珍しい。クヌギは大きな物が
なくなってしまった。これからだって切株があると聞けば、チェーンソかついでどこへでも行くぞ。

’00/11/20 (月)

ジャケット出来!

「花火 2000」のジャケットが、やっと出来た。ってほとんど全部、作ってもらったような物だが。

お世話になりました

ウラ表紙も一緒に作ったので、前回の「花火」よりは愛想良くなったと思う。今から裁断して、
体裁を整えることにする。お申し込みいただいた方々、申し訳ありません。もう少しお待ち下さい。

尚、ジャケット写真はげんきまじんさんからご提供いただいた。この場を借りてお礼申し上げる。

ご快諾いただき、ありがとうございました。

’00/11/19 (日)

チャンデバは難しい

チャンネル・デバイダーを入れて約二ヶ月、一旦システムから外すことにした。なんのことはない、
元のコイルに戻しただけである。チャンデバを使うと、低域のカブリがなくなり、確かに透明感は
向上する。切れは良くなるし、音場も広くなる。しかし、ものごとすべて一長一短、メリットばかり
ではない。コイルに比べると、低域の締りがイマイチ。押し出しも弱くなる。鮮度が落ちるという
よりは、力が殺がれる感じである。僕としては、多少カブリがあってもパワフルな低音を聴きたい
と思う。F特の形がデコボコでも、聴いて楽しければそれでいい。聴くのは僕なのだから。しかし、
チャンデバって、やっぱり難しい。ガサツな僕には不向きかな?

チャンデバはもう一度、あらためて挑戦したい。周辺整備をして、上手く使えれば良いんだが。
コイルのほうも、インダクタンスの見直しをしてみようと思う。現用のSWを使い始めた当初は、
現用の6mHでOKだったが、今ならもう少し大きい方が良いかもしれない。チャンデバ、コイル、
いずれにしても、追い込むのはなかなか面倒である。14スケアのキャブタイヤケーブル、また
買っとかなきゃあな。端末処理がめんどくせーなあ。でも、太いからなあ....。

’00/11/18 (土

ジャケット

悩んでしまった「花火 2000」のジャケットだが、僕のPC師匠ともいえる某氏から、強力な
バックアップがあり光明(おおげさだ)が見えてきた。考えてみれば頒布のご案内をしてしまって
からつまづいていること自体、アホな話である。PCに関するオノレの知識の薄弱さを自覚して
いれば、こんなことにはならなかったはずだ。見込みが甘いんだ、オメーはよー。

皆さん、ごめんなさい。

しかし、怪我の功名というべきか、「フォト・エディタ」やプリンタのちゃんとした使い方が少し
解るようになった。実は僕のPC理解度、こんなモンなんです。お恥ずかしいこってす。

’00/11/17 (金)

御礼

アクセスカウンターが5,000を超えた。この日誌を書き始めた11月6日、4,000を少し超えた
くらいだったから、10日余りで1,000アクセスを数えたことになる。一日あたり約100アクセス。
想像を遥かに越えた数である。ご覧頂いている皆さんには、どうお礼を申し上げてよいか言葉が無い。

みなさん、本当にありがとうございます。

何かと後手後手に廻り満足な更新もままならないが、これからもよろしく「戯言」にお付き合い願いたい。

’00/11/16 (木)

お待たせしています

「花火 2000」CD−R、お待たせしている。実はジャケット製作(と言うほどのものでもないのだが)
で苦労しているのだった。SY−99さんCD−Rの素晴らしさに打たれ、前回の「花火」のブアイソさを
恥じ、何とか今回は表ジャケだけでもと思ってはみたが、PC初心者の悲しさ、どうにも思うに任せない。

どなたか良い智慧をお持ちの方、アドバイスくださいませんか?

’00/11/15 (水)

寝てしまいました

やっぱり睡眠不足なのかなあ。晩ゴハン食べた後、急激に睡魔が襲ってきてなんにも出来ずに
寝てしまいました。睡眠が足りないと活性酸素が増えて、ノウミソの細胞を殺すってテレビで
やってたなあ。将来はボケるかなあ。って、今でもボケてるけど。

’00/11/14 (火)

寝不足

慢性的だ。僕の寝不足は。ボウズのくせに、夜型人間なのが災いしている。夜の時間が
楽しくて楽しくて仕方ないのである。誰にも邪魔されず、好きな事を存分にやれるのは
この時間しかないのだ。楽しいときはあっという間に過ぎ去って、はっと気付くともう午前様。
なんて書いていたら、今日も午前零時をまわってしまった。仏に仕える身(!)としては
忸怩たる思いを抱くのだが、ともかく明日も早いので、やっぱり寝不足は解消できない。

オーディオやめますか、それともPCやめますか? どっちもやめません。

’00/11/13 (月)

 箱船の東側にある柿の木。「与謝柿」という、シブ柿のような形の甘い柿である。小ぶりだが味が濃く、わりと美味い。今年は当たり年で、枝がしなるほどなっている。もいで置いておくと、どういうわけか腐りが速く、流通には乗せられない柿なのである。

 この柿を狙って深夜、甘い物が好きな、熊がやってくるのである。3日ほど前の午前2時ごろ、箱船2階でPCを触っていた。階段室の窓を開けると件の柿の木に手が届きそうになるのだが、その方向から「フゴー、フゴー」と明らかにケダモノの鼻息と思われる音が聞こえる。息を殺して耳をそばだてると、カサカサと葉っぱがこすれる音、小枝が折れる音も聴こえる。こりゃー熊だな。

 キツネやタヌキは毎日やってきて、残飯を処理してくれるのでよく見かけるが、熊は初めてだ。よほど窓を開けて見てやろうかと思ったが、相手は熊である。いきなり出くわすのが最も危険だと聞いている。ここは好奇心を抑えて去ってくれるのを待つが良い。30分も経っただろうか、やがて音は消えて静かになった。おそるおそる窓に近づき、気配をうかがってそっと開けてみたが、もはや熊の姿を見ることはできなかった。

 この辺りに出没する熊は「ツキノワグマ」である。この熊も今では個体数が減り、「絶滅危惧種」に指定されている。イナカとはいえ、こんな人里まで柿を食べに出てくるのは、山の食べ物が減ったせいだろうか。

 熊も暮らしにくくなったものである。

’00/11/12 (日)

HX−10000 その後

 開けてビックリ、のHX−10000だったが何をそんなに驚いたのか、その内容を報告する。

 実測重量23Kg、フロントパネルは9mm厚コの字型アルミ押し出し材、天板はπ字型とT字型6mm厚のアルミパネルを組み合わせる形で、サイドウッドとともにコの字型ボンネットを構成、4,180g。底板は鉄板3mm厚、大小2枚に二分割され、大が260×330mm 2,040g、小が128×330mm 1,080gある。それぞれ10本のネジで本体フレームに取り付け。脚は60Φ×20mmアルミムク、接地面に1mm厚フェルトが貼ってある。2個は本体フレームに、2個は底板に接着されネジを緩めても外せない。ピンジャックは真鍮削り出し金メッキ、ACコードは10mmΦ丸型キャブタイヤ。当時のヤマハ独特の品川電線製GTコードじか出しである。

 リヤパネル3本、底面6本のネジを緩めて上記ボンネットを開けると、中は複雑な形の3mm厚アルミケースに仕切られ、左側1/3に電源、右側2/3に回路基板が設置されている。別筐体に入れた二つを一つにした準セパレート構造である。電源トランスは80D×80W×70mmHケース入り、EI型。フィルターコンデンサーは40Φ×80mmH、35V10,000μFエルナー製デュオレックスが6本。それぞれに0.47μFのフィルムコンデンサーがパラってあり、高域特性の改善を狙う。

 右側には、3mm厚サイズ130×90mmのアルミシールドケースが4個並んでいて、各々5mm厚アルミの蓋がつく。蓋は1枚160g、六角ネジ4本で固定。ケースと蓋の間にワッシャが入っているが、これが不思議な材質で、石綿かセラミックのような感じ、蓋側にエポキシらしきもので接着されている。どういうわけか蓋を締め付けている4本の六角ネジが、16本すべて緩んでいた。意識的なものか、経年でそうなったのかわからない。基板はガラエポでがっちり取り付けてありビクともしない。基板上のパーツを見ると、東芝製MOS−FET K442、J123という石が載っている。他に双信のSEコンデンサー(黒くて大きなヤツ)が使ってある。大きな方の底板を開けるとメイン基板が見える。この基板上に35Φ×30mmH、25V4,700μFの電解コンデンサーが6本載っている。やはりエルナー製デュオレックス。

 基板、パーツすべてがちがちに固定されていて、ふらつきなどはまったくない。ゴムブッシュ、モールドワッシャなど、コンプライアンスの高いものも見当たらない。あるとすれば、脚に貼ってあるフェルトくらいである。

 以上がHX−10000の構造である。まさに物量投入型だが、共振が多い。厚く重い部材の鳴きを止めるのは容易ではない。対策を始めて今日で4日目、まだ終わらない。また明日の夜かなあ。

 ’01年02月06日の日誌へ

’00/11/11 (土)

動物園へ行こう

本山に用事があり、京都(市内)へ出かけた。ついでに愚息たちを連れ出し、京都市立動物園まで
足を伸ばしてきた。何年ぶりになるだろうか。ほんとうに久しぶりである。大阪府北部の衛星都市に
育った僕が子供の頃、遠足と言えばこの動物園だったが、ひょっとするとそれ以来かもしれない。
愚息たちはもちろん初めて、イナカ育ちの彼らには刺激が多く、おおいに楽しめたようだった。
市立だけに、規模は小さいが、半日程度楽しむには充分である。僕もそれなりに楽しかった。

全てのケージをまわって気になったのは、所謂、「絶滅危惧種」に指定された動物の多さである。
ここで声を大にして自然保護を叫ぶつもりはない。しかし、今まさに消え行こうとする、「種」としての
生命力が衰退した(あるいは、させられた)動物達を見るとき、なにかしら物悲しい思いを抱くのも、
素直なところである。そういう「種」に限ってその目の中に、一種透明な光を湛えているように感じたのは
僕の勝手な思い入れ、なのだろうか。

’00/11/10 (金)

更新

久しぶりに「箱船への道」を更新した。このページ、思いのほか人気があるようで、複数の方から好評を
頂いている。僕としては、それこそ戯言の最たるモノかという認識があって、更新をサボっていたところも
あるのだ。お言葉、ありがとうございます。がんばって更新しますので、今後ともよろしくお願いします。

さて、昨日からのHX−10000への対策だが、やり始めてみるとこれがなかなかの難物である。
TE27さんの日記に「対策に期待したい」とのお言葉アリ、しかしながら、一日にしてならず、といった
感じである。鉛シート、Pタイル、発泡ブチル、フェルト、テフロンテープなど、考えつくもの総動員で
やっているが、まだ終わらない。TE27さんもおっしゃっているが、共振を上手くコントロールするのは
本当にムツカシイ。寄生共振も、音の内。

’00/11/09 (木)

ダンプ

HX−10000、いちかわさんからのアドバイスを得て、ボンネットを開けることができた。あけてびっくり!
金属の塊である。昨日の柱時計じゃないが、まさに重厚長大、お金がかかっている。
詳しくは改めて報告するが、各部材が厚く重いので、それぞれが振動のコンデンサーになりそうだ。
これはダンプせざるばなるまいと、これから作業に入ることにする。というわけで、今日の日誌は
下に柱時計の写真を追加して終わりにする。ダンプの結果は、また後日ということで。
さあ、どう料理するかなあ。

’00/11/08 (水)

柱時計


 母屋の玄関に、古い柱時計が掛けてある。もちろんゼンマイ式、おそらく80年は経っていると、うちの年寄りは言う。「SEIKOUSHA 8DAYS」と紙のシールが、振り子の後ろに貼ってある。

 実はこの時計、ここ20年ほど、動いていなかったのである。古くなって動かないものと決め込んでいたらしい。ヨシ、ここは一丁動かしてやるかと、ドライバーとラジオペンチを片手に奮闘3時間。内部を覗くと、グリースと埃でコテコテになった歯車の群れ。アルコールとCRC‐556を動員して洗浄すると、真鍮製のギアにはほとんど錆がない。時計本体を構成する木部はすべてムクの樫材、文字盤はブリキ板に紙を貼ったもの、針は鉄製、カバーはガラス、振り子は真鍮削りだしと、所謂プラスチック、合板の類は一切なし。当たり前である。そんなモンが無い時代の製品なんだから。

 しかし、う〜む、と唸ってしまった。重厚長大。現代日本が失ってしまった物を、ここに見せられたような気がしたのである。

 修理完了、立派に時を刻むようになった。チクタクと、優しい音を20年ぶりに発しながら。しっかりと固定された柱時計の、時を知らせる音は芯があり、切れが良い。

 これも、オーディオか?

’00/11/07 (火)

箱船7周年

 今月の17日で、箱船が就航して丸7年である。心置きなく大音量再生できる部屋をという目的で作った箱船だが、同時に思わぬ産物を手に入れることになる。それは、「縁」であった。

 これまでに幾多の人々がここを訪ねてくれた。その数は、おそらく延べ300人を超えているだろう。絶賛する人、呆れる人、冷笑する人、狂喜する人、無反応な人、音を聴く人、音楽を聴く人、コケて怪我した人、リヤSPを倒した人、コーンを触る人、レンズを触る人、寸法を測る人、写真を撮りまくる人、寝る人、歩く人、走る人、ドラムを叩く人、カベを叩く人、床を叩く人、機器を調べる人、死ぬ人(はいなかった)、泣く人、笑う人......。

 そういった、全ての人との「縁」を得る事ができたのはこの部屋を作ったからこそである。これからも
新たなる訪れと出会いがあるだろう。僕にとっては全てが感動である。沢山の思いを乗せて、箱船の航海は21世紀へ続いて行く。

’00/11/06 (月)

HX−10000のこと

 HPをアップして早くも一月が過ぎた。アクセス数は4,000カウントを超え、これほど
大勢の方々に見ていただけるとは思っていなかっただけに、ただ驚いたり喜んだりしている。

ここに「航海日誌」を新設する。少しずつコンテンツを増やしてきたが、サイト全体を改めて見渡してみると
まさに「戯言」だらけであって、汗顔の至りである。そもそもHPというものが自己満足の極致であってみれば、
かくあることも至極当然である。さればここは一つ、毒をくらわば皿までということで、地獄までのお付き合いを
あらためてお願い申し上げる次第である。

 さて、航海日誌初日だが、くずてつ的旬の話題というと、今ならやはり ヤマハ HX−10000 である。

 旬といってもこのアンプ、発売は1987年秋、既に13年前の製品だ。’88年に、一度は手にしておきながら
よんどころない事情で手放し、後悔しきりであった。このモデル以降、ヘッドアンプ内蔵、独立ニ系統入力、
実測重量23Kgなどという単体フォノイコライザーアンプは、何処にも無い。そんなものを、事情とはいえ
手放したわけで、悔やむのも当たり前。おまけに音が良いとくれば、これはもう夜も寝られないわけだ。
ええと...「航海日誌」のはずが「後悔日誌」みたいになってしまったが、ともかくそのHX−10000が再び
帰ってきたのである。これもまた不思議な縁によって手に入れることができたのだが、僕としては大喜びだ。
9年前、使い切れないまま手放した悔しい思いを、存分に取り戻したいと奮闘中である。今のところは、
まだお目覚めでないご様子、それとも早速鉛を背負わされてゲンナリしているのかしらん? すまんの〜。