箱船航海日誌 2001年08月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’01/08/31 (金)

ゲット!


 頒布開始から一週間、ちょっと遅れてフォステクスFE-168ESが届いた。なかなか迫力あるユニットである。16cmとはいえ重量4.9Kgは手にズシリと重く、音の良さを予感させるのだった。

 新設計のフレームは見るからに重厚で、指で弾いてもほとんど鳴かない。コーンはもうお馴染みになったESコーン、HP形状である。108ESII、208ESに比べて彫りの深い、つまり、より立体的なコーンに見える。僅かに開いたアサガオというか、桔梗の花というか、そんなイメージの振動板である。エッジ、ダンパーは、これもお馴染みUDRタンジェンシャル形状である。何度見てもフシギなカタチだな。

 マグネットは超強力、小さなものならかなり遠くからでも引き付けてしまう。考え様によっては非常にキケン。バックプレートの厚みが印象的、いかつい磁気回路である。

 これをリヤカノンLに取り付けるわけだが、バッフル開口を広げる必要があるようだ。168SSの指定寸法はΦ150mm、ESではΦ155mmになっている。取説によると、大型マグネットを使用したため、とある。Φ150mmでは入らないのだろうか? これはやってみないと分からない。できればそのまま強行したいところである。なぜって、メンドウだから。Φ150からΦ155へ、綺麗に広げるのはヒジョーに困難である。やってできないことはないと思うけれども、う〜む、メンドクサイ。

 といっても入らなければやらなきゃならないわけで、グータラしていられないのだが。とんぼさんDFリング、インナーリング待ちということもあるし、ここは焦らず行くか。

 手に入れば早く聴いてみたいのが人情、見切り発車で付けちゃいそうだ。いや待てよ、マグネットがバッティングするかな? やっぱりリング待ちですな。

’01/08/30 (木)

HSモードでデジタルコピー


 鈴原透慈さんも僕も、96kHzサンプリング(HS)で花火録音したので、パイオニアのDAT同士ならHSモードでのデジタルコピーが可能である(はず)。先日鈴原さんがお見えになったとき、氏のマスターテープをチョイと拝借、D-C88->D-07Aでコピーを試みた。

 送り手も受け手も、HSモードにするには特殊な操作が必要になる。マニュアルと首っ引きで、指示通りにやるのだが、上手く行かない。D-C88の方はちゃんとHSでのデジタル信号を出力しているはずなのに、どうしてもD-07Aが受け付けない。あれこれイジッてみること30分、結局原因不明でその日は諦めてしまった。

 後日、鈴原さんからメールがあり、「D-C88のインプットセレクターで同軸デジタル出力を選んでおく必要があったのです」とご指摘いただいた。早速マニュアルを調べてみると、確かにそう書いてある。出力することばかり考えていたので、インプット(つまり入力)セレクターが関係しているとは思いも因らなかったのである。

 現在生録以外には使わないD-C88、しかも集中して使うのはほとんどこの時期だけということで、購入後6年半を経てなおイマイチ手際よく操作できずにいる。こんなことだからローカットフィルターONにも気がつかなかったりするわけである。こんな有様で、よく生録なんかしているモンダ。お恥ずかしいことである。

 結局鈴原さんの手を煩わせることになってしまった。申し訳ない。ありがとうございました。コピーすれば当然劣化するわけだが、D-Dコピーなら最小限に抑えられるはずである。残念なのはHSでのコピーが、パイオニア同士でないとできないこと。音そのものは、44.1kHz、48kHzを明らかに上回っているが、D-Dでのやりとりに制限がかかるのは実に惜しいと思う。

 しかし、考えてみればこのDAT、未だに立派な現行商品であること自体、凄いことなのかも知れない。パイオニアさんには深々の敬意を表したいのであった。

’01/08/29 (水)

高低差


 げんきまじんさん撮影の写真をご提供いただいた昨年の「花火2000」ジャケット。今年は自給自足を狙って、ヘボながら一応撮ってきた。

 だが、結果は悲惨である。シャッターが落ちるタイミングと花火がいちばん綺麗な瞬間とがうまく合わせられず、開く前、あるいは開ききった後の中途半端な写真ばかりである。バルブ撮影ができればもう少しマシになったかもしれないが、残念ながら僕のデジカメはそれができない。こういう時威力を発揮するのは銀塩一眼レフか。もちろんデジカメでも超高級プロ用になれば問題はないのだろう。

 悲しい結果に終わったが、それでも数枚は何とかジャケット写真に具せそうなショットもあった。そのうちの一枚が上の画像である。

 これは大玉花火ではなく、連発(いわゆるスターマイン?)花火の打上げシーンである。右下に光の点が四つほど並んでいる。警戒中の消防車である。何となく花火の高さがお分かりいただけるだろうか。大玉花火になると、これの4倍くらいの高さまで昇っていく。

 目を瞑って聴いていると、ライブ音像の高さは見た目ほど差がない。大玉はほぼ真上で破裂しているというのに、音が上から降ってくるという感じはあまりないのである。録音したものは、上下感がやや強調されているようにも聴こえる。はっきりと音像の高低差が聴きとれるのである。

 実物を目で見ながら音を聴くのと、それをイメージしながら音だけを聴くのとでは、随分違って聴こえるのだ。当たり前の話しだな。もちろん、原音に忠実な録音など出来ているわけもないので、その部分の差がいちばん大きいだろう。ライブを知りながら録再で追体験するのと、生を知らず録音だけを聴くのとでも、感じ方は違うはずである。

 今年の録音も、準備ができ次第頒布したいと考えている。

’01/08/28 (火)

何度目かなぁ


 スヰッチが切れるのは。友達と電話で話ししていて遅くなり、HP更新が遅れたぁ〜と慌ててPCの前に座ったとたん、頭の中でリレーがカチンと落ちたらしい。

 そう言えば今日(8/27)は早朝から来客があったり、飛び込みのオツトメが多かったりで、忙しい日だった。当初は完全OFF日だったので久しぶりに朝寝坊ができると踏んで、昨日は深夜までダラダラと過ごしたのが悪かった。やっぱりボーズは早寝早起きが基本ですな。24時間開店休業みたいなもんか。

 20代の頃は一日や二日寝ないでもそんなには堪えなかったが、40歳になんなんとする今、如何にも体にタメが無くなったと感じている。これが50、60、70代になったらどうなるんだろう。もっとシンドイんだろうなぁ。

 長岡先生は、本当にお疲れだったろうと、改めて思ってしまうのである。

’01/08/27 (月)

やっぱりヤバン


 S氏こと鈴原透慈氏ご来訪。QTC-1使用鈴原録音とECM-23F3使用くずてつ録音を箱船のメインシステムで比較試聴する。再生DATデッキはパイオニアD-07Aである。

 まずは鈴原録音から。一聴してレンジの広さがわかる。全域に渡ってスムースで、妙なアクセントや強調感が皆無である。音場は前後上下左右とも広大で、特に左右の広がりがすごい。破裂音が背後の山にこだましながら消えて行く感じが細大漏らさず捉えられている。大玉花火の破裂音は、プリのボリューム12時でピーク500W以上(8Ω表示)、P-700のピークメーターレッドゾーンへ針が入る。だが、聴感上はまったく危機感のない音である。エレガントな印象さえある音だ。歪み感が極少なのだろう。

 大変優れた録音だと思う。無指向性マイクであること、加えてLRマイクの間隔がやや広くなってしまったことなどで、僅かに定位が甘くなった感もあるが、さほど気にはならない。マイクホルダーと僕持参のアダプターがうまく合わずガムテープで固定したり、風防が無かったりと万全でない状況であったことを考えに入れれば、これは立派な録音である。

 斯く斯く斯様に端正な鈴原録音に比べ、くずてつ録音は何てヤバンなのだろうか。ドッカンバッスン如何にもハデな音である。良く言えば鈴原録音よりサウンドマニア向け、実は歪む寸前のアブネー音である。連発花火のシーンでは、思わず奥歯をくいしばってしまう。疲れるんだよ、テメーの音はよー。

 マイクとセッティングの違いだけでこうなったとは思えない。音は人なり、結局僕が録音再生すると、何でもかんでもこうなっちゃうんじゃあないの。何だかちょっとカナシイ。

 マイク、セッティング以外はほぼ同一条件の録音を、一つのシステムで比較するなんてことは、容易に実現できるものではない。多くのことを学べる貴重な機会だったと喜んでいる。鈴原氏は、既に来年へ向けての改善点を明確にしておられるご様子だった。

 鈴原さん、願っても無い機会を、本当にありがとうございました。来年もまた、ご一緒しましょうね。

’01/08/26 (日)

ハイの切れは良いけれど...


 今年も録音してきました。氷上町愛宕祭り花火大会。昨年一緒だったげんきまじんさんはどうしてもお仕事の都合がつかず不参加、残念である。でも一番残念なのはご本人だろう。一緒に見たかったね。もうお一人神戸からS氏、この方も昨年同行、今年は超強力なアイテムを携えて、初の生録に挑戦である。

 上の画像はマイクをセットしたところ。内側の2本は、お馴染みのくずてつECM-23F3パンスト+茶漉し風防つき、である。外側の2本、これがS氏の秘密兵器である。

 earthworks社製、QTC-1という無指向性マイクである。詳しいことは聞いていないが、なんでも40kHzまで一直線の特性をもち、超高感度、しかも耐入力もケタはずれに大きいというスグレモノだそうだ。DATは僕と同じくパイオニアD-C88。このマイクは乾電池で駆動できるような安モノとは違って、ファントム電源が必要になる。C88はそれに対応していないので、更に超高級マイクアンプを介しての入力である。僕もS氏も、サンプリング96kHzで収録。

 花火の内容は昨年とほぼ同等、時間が少し短くなった。不景気のせいかな。マイクセッティングは少し変えた。高さをやや低くし、開き角はやや浅め、仰角も抑え気味にしてみた。地面からの反射を少し多めに録ろうという狙いだが、上手くいくかどうか。昨年は写真に見える道路の右側にスタンドを立てたが、今年は道幅分後退した。

 詳しい報告は後日別のページに仕立てることにして、ここでは簡単に。以下はECM-23F3でのくずてつ録音に就いてである。

 昨年の録音と一聴して違うのはハイの切れである。非常に切れが良く透明感がある。音場は上下左右に広く、虫の声も低い位置に定位する。その辺は良いのだが、低域の馬力、圧力は後退してしまった。もちろんローカットフィルターはOFFである。なぜこうなったか僕には分からない。やはりマイクセッティングの違いが音に出たと見るのが正解だろうか。

 スピード感のある良い音で録れたとは思うが、やはり低域の圧力不足は否めない。一昨年のローカットフィルター入り花火ほどではないけれど、もうちょっと空気感が欲しいところである。

 S氏の録音は、ヘッドフォンPBで聴いたのみにおいて大変上手く録れているようだった。さすがレンジが広く感度の高いマイクだけあって、相当生に近い音のように聴こえた。

 明日(8/26)、S氏が箱船にご来訪。二つの録音を聴き比べようという趣向である。急なことですが、一緒に聴きたい方は是非どうぞ。くずてつまでメールください。

’01/08/24 (金)

トックリバチの工房


 自然ネタをやるのは久しぶりである。ご覧のモノ、ご存知だろうか? 直径、高さとも1.5cmほど、泥でできた小さな壷のような物体。トックリバチの巣である。いや、巣というより「保育器」と言ったほうが正確かもしれない。親子がこの中で一緒に暮らすわけではないからである。

 交尾を終えたメスのトックリバチは、まず写真の保育器を作る。泥を捏ね、玉にして足で抱え、お気に入りの場所で、写真のような見事なトックリを作るのである。

 それが完成すると、今度は幼虫の餌となるアオムシをさがしに出かける。見つけたら、お尻の針でチクチクッと数回刺し、アオムシを仮死状態にする。全殺しにしてはイケナイ。あくまでも半殺しである。幼虫のための、大切な蛋白源なのだから。

 自分と同じくらいの大きなアオムシを抱え、トックリの口からぎゅうぎゅう押し込む。無事保育器に納められたら、そのアオムシに卵を1個だけ産み付ける。産卵したら、トックリの口は泥玉で閉じてしまう。外敵の侵入を防ぐためであろう。中で孵化した幼虫は、いつでも新鮮な餌を食べ、大きく育ち蛹になり、ついには羽化しトックリの横っ腹を破って飛び出す、というわけである。

 写真のトックリは、まだフタがされていない。ということはアオムシを運び込む前なのか? どうもそうではないらしい。なんとなくヒト気(ハチ気?)がない。この場所に作ってはみたが結局気に入らなかったそうで、放棄されたような感じである。

 それにしても見事な造形だ。何にも道具を使わず(当たり前ダ)フリーハンドならぬフリーレッグで作り上げるのである。本能の為せる業とは言え素晴らしいという他ない。文中リンクしたHPでは、来月このトックリバチの壷作りを詳しく伝えてくれるらしい。

 ひょっとすると、自作スピーカー工作の参考になるような記述があるかもしれない。「動物たちの土木建築学」。何だかすごく惹かれるなあ。でもシロアリはキボチワルイ。

’01/08/23 (木)

コレナニ?


 この奇妙な物体は? と言うほど不思議ではないな。スーパーネッシー用ステンレスインナーリングの抜き板である。10mm厚ステンレス板だから結構重い。用途はまったく思いつかないけれど、面白いから貰っておいた。穴が開いているのはご愛嬌、フツーの注文主なら抜き板もクレなどと変なことは言わないので、職人さんが何かに使ってしまったらしい。

 いよいよ明日(というか今日)、FE-168ES頒布開始である。手にできるのはいつになるだろうか。早く届いて欲しいものである。

 いろいろ調べてみると、奥行きだけを考えるならリング無しでリヤカノンLにも付けられそうである。ただし、ユニットL型配置なので、マグネット同士がバッティングする恐れはある。やはりリング付きの方が安全だろう。

 もちろんフォステクス純正リングP168も素晴らしい。モノからして18,000円は決して高くない。しかし、スーパーネッシーにはとんぼさん謹製DFリングを使っているので、ここは前後を揃えたいと思うのであった。DFリングの効果とモノとしての品位の高さは充分に確認済みである。とんぼさん、またお世話になります。

 で、インナーリングだが、これはまた友人のI氏にお願いする心積もり。今度はリヤカノンLの構造からして紐をつけてひっぱり上げるというわけには行かない。二分割半月型インナーリングにしてもらわねばならないだろう。

 超強力16cmフルレンジFE-168ES。DF、インナーリングを介しリヤカノンLにつけると、どんなふうになるんだろう? 楽しみだけれど、ちょっと心配でもある。

’01/08/22 (水)

ネッシーJr.ES


 21日の青垣町花火大会は台風11号のため23日に順延となった。残念ながら23日は都合がつかず、録音は見送らねばならない。24日の氷上町はゼッタイ行きたいので、お天気が良くなることを祈っておこう。

 さて、21日と言えばAA誌102号の発売日である。仄聞によると炭山さんがFE-168ESを使って大物SP工作に挑んでおられるらしい。これは見逃せないと、早速本屋さんへ行って買ってきた。

 そのスピーカーの正体とは? ネッシーJr./F-2000ESである。ネッシーJr.がES仕様になって帰ってきた。これは素晴らしい。

 ネッシーJr.の初出はAVレヴュー24号(1989/03/17発売号)である。このスピーカーには思い出があるのだ。

 まだ箱船を作る前、僕は共鳴管スピーカーを自分の部屋で鳴らしてみたくて仕方なかった。だが、ネッシーは背が高すぎて使えず、管を短くして作るのも何だか気が進まなかった。そこに出てきたのがF-2000だったのである。これなら僕の部屋にも充分入ると思った。しかし、その頃メインSPにしていたD-55と入れ替えると言うほどの気持ちもなかった。ともかく聴いてみたかったのである。

 ちょうどその頃、VAに嵌まりかけている友達が一人いた。彼にネッシーJr.の写真を見せると「これカッコエエなあ」という。んじゃ、作ってあげようということになった。

 テレビの真横に置いて使うというのでフルレンジユニットには防磁型のFE-167を、トゥイーターにはEAS-5HH10を選んだ。製作記事中ではこの他にFE-166Σ、EAS-16F20を取り付け、それぞれの測定結果が掲載されていた。

 一番バランス良く鳴るのは166Σ、シャープでハイスピードだがちょっとハイ上がりなのは16F20、167はF特のカタチが一番綺麗、音はかなりマイルド、という評価だった。ま、TV間近に置くのだから仕方ないだろうということで167にしたのだった。

 彼に引き渡すまでの間、自分の部屋で聴いた。確かにマイルドサウンドで、ややもどかしい感じはあったが、いわゆるBHにはない開放感があり、Dレンジの広さ、音場感のよさ、かなり下の帯域まで再生している威力は充分に確認できたのである。これに強力なユニットを使えば、相当なパフォーマンスを見せるだろうことは容易に想像できる音だった。

 そして今。理想的な16cmフルレンジユニットFE-168ESを纏ってF-2000ESの登場である。AA誌に掲載されたこのスピーカーのF特は凄い。SWなしで25〜40Hzが中高域と同等、或いはそれ以上のレベルで再生されるのである。スペアナ表示が25Hzまでなのでそれ以下は見られないが、20Hz以下も充分なレスポンスがあるのは間違いない。しかも特にコーナーへ押し込み、低域増強を狙ったセッティングではないらしい。こりゃスゲーわ。

 ホームシアターはやりたいが、ネッシーは大き過ぎて...という方々には大きな福音になりそうである。AA誌102号、一読の価値あり。次号ではSWまたはリヤスピーカーの工作になるというから、更に楽しみである。

 ただ、記事に誤りがあったそうで、それについては「箱船の客室」中、炭山さんからのメッセージをご参照いただきたい。

 FE-168ES、実に楽しみである。頒布開始まで、あと1日。ワクワク。

’01/08/21 (火)

現実はメタ再生


 忙しくなるほど何かしたくなると作り始めた6Nコードだが、さすがにお盆の間は何にもできなかった。ちょっと一息ついたので製作再開である。ようやく2回目の自己融着テープ工程に入ったところ、遅々として進まない。いつになったら出来上がるのか、自分でも心配してしまうのである。

 このコードを使い始めて既に久しい。Fケーブル時代から数えれば、ラインコードに単線を使い始めてから10年以上経つと思う。Fケーブルに比べ、透明感、繊細感、音の粒立ち、情報量などの点で大きく上回る6N銅単線だが、そのワケはどこにあるのだろうか。

 僕個人的な受け止め方としては、純度はさほど問題になっていないような気がしている。まったく関係ないとは言えないと思うが、音に影響しているいちばんのファクターは、線材の硬さ柔らかさだと感じているのである。

 同じΦ1.6で比較しても、Fケーブルの芯線は非常に硬い。フォーミングしてもバネのようにビヨ〜ンと元に戻ろうとするのだ。6N銅単線はハンダ並みの柔らかさ、テフロンチューブに通す時にも手許でグニャグニャするほどである。この差が音に出ているのではないか、と。

 例えばピアノの弦を思い浮かべてみよう。「ピアノ線」とも言われるように、非常に硬く高張力にも耐え得るようにできている。だからこそ立ち上がりが速く鋭い音が出せるわけだ。もしピアノ弦にグニャグニャの柔らかいハリガネのようなものを使ったらどうなるかは、想像するに難くないだろう。要するに硬い弦でないとちゃんと鳴らない、逆にいえば硬い金属線は鳴き易いわけだ。

 ラインコードが鳴きやすいと、どんな不具合が出るのだろうか。以前、スピーカーコードに3mのFケーブルを使ってみたことがある。これはヒドイ音だった。付帯音がやたらと多く、何を聴いてもボーボーいう。低域はボケボケ、中高域は繊細感のかけらもない。情報量もクソもない、二度と聴きたくないような音になってしまったのだ。鳴らしながらコードを触ってみると、ギターの弦のように激しく振動している。おそらく線材の鳴きが、音に悪さをしているのだろうと推測したのであった。

 そこでラインコードに使う電線。単純に鳴きにくさだけで言えば単線より撚り線のほうが鳴かないはずである。んじゃ、単線なんか使わずに撚り線でいいじゃないか。ところが単線には撚り線にない独特の力感がある。文字通り音が“ソリッド”なのだ。而して単線にこだわるのだが、今度は鳴きの問題が出てくるわけだ。


 単線でありながら鳴きにくい線材を。となればピアノ線の例から、柔らかい単線が良いことになる。6N銅単線はその条件を満たしているのである。とは言うものの、撚り線よりは鳴きやすいのは事実。そこで偏執的に巻物をしてダンプを試みているわけである。

 必ずしも柔らかいものが良いとも言えないとは思う。音の好みは千差万別、存在するのは「良い音」ではなく「好きな音」であるからだ。だが、「ハイファイ」という観点からすれば、できるだけ源信号を変形させずに再生したいとも思うのである。

 箱船の音を聴いた耳の確かな友人はこう言った。

 「ゼロ再生ではなく、メタ再生だね」

 う〜む、前途遼遠ダ。

’01/08/20 (月)

活躍の季節


 僕愛用の生録用マイク、ソニーECM-23F3である。愛用といってもこれしか持っていないわけだから、そうならざるを得ないのである。

 ここ数年、この時期になるとにわかに活躍の場が増えるのだ。今年も花火、自衛隊をこれで録音することになるだろう。

 実は、新しいマイクを仕入れようかと考えはしたのだが、いやちょっと待てよ、と。確かに生録は好きだが、決して達者ではない。ウデに覚えはないのである。音を発する物の近所へ出かけて行って、テキトーにマイクを立て、ただ録音してくるだけである。そんないい加減なヤツが、マイクにこだわってどうする? 23F3でさえ、使いこなせているかどうか非常なギモンなのに。と、思い直して新しいマイクの導入はヤメました。

 マイクのセッティングは大変微妙である。高さ、間隔、開き角、仰角の違いは当然のこと、さらにはマイクスタンドでも音が変わると言う。音を左右するファクターが多いのである。そうであってみれば、23F3一種でも、まだまだ使いこなすべき余地があるはずだ。それでこそ趣味の生録と言えるだろう。

 況してや生録はぶっつけ本番の一発勝負、NGならばハイそれまでよである。使い慣れないマイクで大NGを出したら、きっと悲しいに決まっている。もう何年も使っているDATでさえ、ローフィルターを間違えてONにしたりするアホのくずてつである。もう暫くは慣れたマイクでやりましょう。

 昨年の「花火2000」は比較的上手く録れたと思うが、問題は自衛隊演習である。ありゃ僕のウデでは無理だな。一応今年も録音してみるが、凡そ上手く行きそうにない。

 またあの凄まじい生音にシビレて来よう。

’01/08/19 (日)

オフかい

 OFF会ではないのである。HP更新をしようとPCの前に座り、HPBを開いたとたん、生命の危険を感じるような恐ろしい眠気がやってきた。なんだ、今夜もオメーはスイッチオフかいっ。というクダランお話です。ごめんなさい。

 気が付いたら午前2時だった。写真とネタは用意してあるのだが、この状態ではワケのワカランことを書きそうなので明日に譲ることにして、今夜は(も)パワーインジケーターを消燈させましょう。

 やっぱりお盆のあとは、伸びがないなあ。

’01/08/18 (土)

クタビレマシタ

 お盆が終わった。はっきり言って、クタビレました。昨日まではそんなに疲れているとは感じなかったが、終わったと思うと緊張が弛んで今日はヒジョーにしんどいこってす。

 毎年お盆が終わってから暫くは無気力状態が続き、ほけ〜としてしまうのだった。普段でも決してゲインが高くないヤツなのに、ここ暫くはさらにゲイン低下。パワースイッチは入っているが、ボリュームをいくら上げても音が大きくならない、という感じである。壊れてますな。

 低ゲインのままでは遺憾のである。21日には兵庫県青垣町の花火大会、24日は氷上町、9月に入ったら自衛隊演習と、楽しいことが目白押しである。いっぺんスイッチを切って、またがんばりましょう。

 それでも能率低いケド。

’01/08/17 (金)

海の見える庭


 お盆最終日(8/16)、枯れ枯れの声で隣町へ盆行事のお手伝いに出かけた。ここは小高い丘の上にあり、とても風光明媚で庭から宮津湾が一望できるのである。お手伝いが恒例になって既に十年以上、毎年8月16日と決まっているのでマトモな声で行けたことはないのだが、僕はわりと楽しみにしている。写真に撮ってしまうと美しさが半減するのは残念、この風景を見るのが大好きなのだ。

 ちょっと惜しいのは、バブル華やかなりし頃に建てられた売れもしないリゾート型マンション。海への風景を遮るように2棟建っているのがそれである。無粋なことだ。手前の電柱も以前はもっと背が低く、こんなに目障りではなかった筈だが。

 それでもこの風景は値千金である。毎日ここで暮らすことができればどんなに良いだろうか。住環境は人格に大きな影響があると思う。この風景を常に見て暮らせば、度量の大きな人間になれそうである。海に沈む夕日に向って「バカヤロー」と叫ぶつもりはないが。

 好きな風景といえば、如何にもありきたりだが富士山も特にそうである。今年も9/2に陸上自衛隊東富士演習場へ出かけるが、沼津から御殿場までの車中、それはそれは素晴らしい風景を見ることができる。日常的に間近で富士山を見ながら暮らせる住環境は、本当に羨ましいことである。いや〜、富士山はイイ。静岡県東部、山梨県にお住まいの方、羨ましいなァ。

 うちは眼前を山に遮られ見晴らしイマイチである。箱船オーディオシステムの音、抜けやおおらかさがもう一息なのは、そういう住環境にいる使い手のせいかな?

 山削るってか?

’01/08/16 (木)

納期は14年


 電動式スタイラスクリーナーである。以前、マクセルのSC-441を紹介したことがあるが、これはオーディオテクニカ製、AT637。

 このモデルは竹男さんも6月25日の「漂流日誌」で取り上げておられる。その時、僕はこれを持っていなかった。実はとっても羨ましかったのである。

 '86年か'87年ごろ、一度注文したことがあるのだ。ところが時既に遅し、カタログには載っていたのだがメーカー品切れ、再入荷の予定はないという答えだった。それじゃ他に何かないかと訊ね、紹介されたのがマクセルのものだった。

 どう考えてもAT637の方が使い易そうである。ターンテーブルの上に置くだけ、高さ調整不要。マクセルはその構造上、カートリッジによって使えないものもある。AT637はその点オールマイティ、どんなカートリッジにも対応出来るのである。

 爾来14〜5年、ひょんなことから手に入れることができた。注文してからの納期が長かったと思うことにしよう。しかも中古ではなく新品未使用品、箱、取説完備である。こんなことは滅多にないだろう。

 マクセルも同様だが、これの効果は非常に高く相当に汚れた針先も見事にクリーニングできる。逆に言うと、盤、針先ともこまめに掃除していればそんなに汚れるものではないので、これの出番はほとんどない、ということになるのかもしれない。

 なんだか勿体無くてまだ封を切っていないのである。もしかするとこのまま博物館入りしそうな気もする。だが、こういうアクセサリー類は持っているだけで心が豊かになるから不思議なことだ。

 アナログ周りのアクセサリーには、使うと使わざるとに係わらず持っているだけで楽しくなるものが数多くある。使いもしないスタビライザーやEP盤用センターアダプター、ヘッドシェルにリードチップ、そんなものが箱船にはかなりあるが、これもまたアナログを楽しくする大切な小道具なのである。

 「モノ」としての魅力が、アナログ周辺にはある。この辺り、CDプレーヤには欠けている部分であろう。アナログが完全に消えず未だにある程度の人気を保っているのは、音の良さはもちろん、こういう楽しい一面を持っているからかな?

’01/08/15 (水)

気をつけて

 仕事で隣町まで行ってきた。普段なら15分くらいで着くところだが、倍以上の40分もかかってしまった。

 毎年この時期になると、海は人で一杯になる。民宿を経営する人に話を聞くと好景気の頃に比べて客は随分減っているというが、それでも道路は混み混み、海岸には人がウジャウジャいる。

 だがこれも、凡そ今日明日までである。盆を過ぎるとにわかに波が高くなり、赤クラゲがワラワラ湧いて出て海水浴どころではなくなるからだ。太平洋側でもそういうことになるのだろうか? 日本海だけかな?

 ここは田舎だけあって、沢山の人が里帰りしている。お盆の帰省というやつである。その人たちが海へ出かけるわけだ。そろそろそれも終りに近づき、間もなくUターンラッシュが始まるのだろう。

 僕はこの時期に車で遠出することはゼッタイにない(というよりできない)ので、京都市内まで7時間かかったとかそういう禍々しいできごとに遭遇したことはない。みんな大変だなあと思う。それでも帰省しなければならないらしい。

 車を運転するオトーサンへ。きっと休みが休みでなかったことと思う。疲れた体に鞭打って、渋滞でゴチャゴチャになった道を帰るのは一苦労。くれぐれも気をつけて欲しいものだ。

 特に居眠りには、ね。

’01/08/14 (火)

苦しみ


 ウランバーナ。これを音写すると「盂蘭盆(うらぼん)」、さらに縮まって「盆」。盆の語源である。サンスクリット語で「倒懸」の意である。「倒立懸垂」、つまり逆さ吊りにされた状態を表すわけだ。逆さに吊るされるのはとても苦しい。では、誰がそんなに苦しんでいるのだろうか。

 先に亡くなって逝った人々が、あの世で苦しんでいるという。

 仏教はインドに起源し、中国を経て日本に伝来した。故人の魂があの世で苦しんでいるというのは、どうやら中国の思想らしいのだ。

 苦しんでいるのなら、それを和らげてやりたい。今生きている人間の義務として。そこから始まったのが「盆」の供養である。

 僕ら日本人には「成仏」という思想がある。特定の宗教を持つ持たざるに係わらず葬儀(お別れ会なども含めて)を挙行する事により、死者の魂は落ちつくべき所へ落ち着くと考えるのである。死者の苦しみを緩和するという思想は、やや受け容れ難いものがあるように思う。

 仏教徒であれば迎え火に始まり、お墓参り、菩提寺への参拝、最後は送り火と続く現代日本のお盆行事。その間はできるだけ殺生してはならないという。普段は有無なく駆除するハエや蚊、ゴキブリなども、この時期ばかりは見逃すに吝かではない。全ての「生命」に対する敬意を発現せよと提起しているわけである。

 だが、そんなことははっきり言って不可能である。蚊やゴキブリなどならまだしも、では相手がO-157、エイズウイルス、赤痢菌だったらどうだろうか? 彼らだって「命」を持ち、生きているのだ。

 不可能なことを、それと分かってやろうとする。あるいはそのように心がける。そうすることで、人は美しくなれるのだと思う。できない、だから最初からやらない。確かに高効率ではあるだろう。

 オーディオとて同じことである。できないと自己限定してしまってはいないか? 結果的には実現が不可能であったとしても、それをやろうとする姿勢こそ、大切にすべきものではないだろうか。そのことが、システムの音を美しくして行くのだと、僕は信じるのである。

 「夢は必ず実現する」。盆の季節を思う時、長岡先生の言葉を、また思い出すのだった。

’01/08/13 (月)

峠の昇り降りもひとあしずつ

 一番キツイ4日間終了。13日からは少しく楽になるのである。声はボロボロ、足はガクガク、カラダはフニャフニャ、はっきり言ってしまっちゃうおじさんにしまっちゃわれる寸前である。だが、どうやら今年も無事に峠を越せたようで、ヤレヤレと安心している。おかげさまです。

 「紺屋の白袴」とは良く言ったもので、生まれてこの方お盆をしみじみと味わったことがない。ドトウのように押し寄せてくるオツトメをこなすのに腐心し、あっと気がつけば秋風が立つ季節になっているのだ。やっつけ仕事では遺憾と思いながら、ただひたすらに走り回る季節。一度はゆるやかなお盆を過ごしてみたいと思うのは、やっぱりない物ねだりかな?

’01/08/12 (日)

また会えた


 珍しく長岡先生の夢を二日続けて見た。面白いのは、続き物の夢になっていたことである。一日目は箱船へ来てくださっている時のこと、二日目はそれが終わって駅までお送りしたときのこと。

 WROMさんがHP中つれづれ日記に、『大切な身近な亡くなった人の魂が、自分のところに帰ってくるんやで、そっと会いに帰ってくるんや』というおばあちゃんのことばを書いておられる。とても優しく、懐かしい響きをもってしみ込んでくるような、いい言葉だと思う。

 興味本位で取り上げられるたぐいの「霊魂」というのものは、僕は全く相手にしたくない。大きな間違いだと思っているからである。「霊」あるいは「魂」が存在するとしたら、それは僕の心の中にこそ、在るのだと信じている。先に旅立っていった大切な人々のことを僕自身が忘れない事、その人のことを語り続けることが、何より大切であるのだ。

 先生、またお会いできましたね。

’01/08/11 (土)

もうすぐ


 今日(8/10)は、昨日よりちょっとだけ早く終わることができた。天気はやっぱり悪く、雨が降ったり止んだり。日が差さない分気温はさほど上がらないが、湿度が異様に高く汗がまったく乾かない。不快指数はかなり高かったんじゃないかな。

 忙しがっている間にも日はどんどん過ぎて、FE-168ESの発売まであと二週間を切った。もちろん取りこぼしが無いよう、いつも御用聞きに来てくれる近くの電気屋さんに「ゼッタイ4本確保してね!」と依頼してあるのダ。

 画像は現用のリヤスピーカー、自称リヤカノンLである。現在FE-168SS使用。スーパーネッシーのユニットが208ESに変わってから、前と後でのキャラクターの違いがちょっと気になるのである。

 スピーカーマトリクスではF/Rユニットのキャラクターを揃えることが非常に重要なファクターだと、長岡先生はいつもおっしゃっていた。ならばRユニットも208ESがベスト? 「スピーカー達」ページにも書いたが、それが必ずしもそうではないから問題は微妙である。

 フォステクスからの発表によると、今度の168ESはハイがもの凄く伸びているらしい。Rに168SSを2本使うこと既に贅沢なハナシなのに、こと168ES2本使いに至っては完全にオーバースペック、オーバークォリティ。

 それを承知で、やはり使ってみたいのである。208ESのFに比べて、ややツッパリサウンドの168SS。微かに継ぎ目が見える現在のマトリクスサラウンドが、よりスムースに繋がることを期待している。

 「やってみないとわかんないね。やってごらんなさい」。先生の声が聞こえる。

’01/08/10 (金)

ああしんど

 「書き入れどき」を「書き込みどき」と間違うところなんざぁ如何にも僕らしい。ノウミソが煮えとるぞ、オマエは。

 ハードスケジュール一日目終了。午前中はムチャクチャにムシ暑くひーひー言いながら歩き、午後からは大雨に祟られて足止めを喰らう。小降りになったなとまた歩き始めたその時、頭上で閃光一発、ぐわらぐわらどっしゃーんと雷鳴が。おおこわと軒下に隠れたら、近くに背の高い樹があった、という前途多難を予感させる一日であった。

 明日も天気は良くないという。日常底、行状が悪いと、こういうことになるのよん。

’01/08/09 (木)

書き入れどき

 なんて言うと不謹慎かしら? 9日から16日までが一番厳しい時期である。早朝から夜まで休み無しに走り回ることになる。

 12月を「師走」というが、実は8月のほうがよっぽど走っているのである。そういうわけで、航海日誌も更新できない日があるかもしれません。どうかよろしくご了解ください。

 さあ、明日は4時起きだ! ....イヤダナァ.....。

’01/08/08 (水)

小L1000


 と言われていたサエクC-3(左)とエクセルサウンドC-3II(右)である。この二つ、外観はまったく同じで見分けがつかない。3IIの方は新品を買った('92年)ので、ケースから取説、保証書までちゃんと揃っている。3はモロに展示品、シェルに取り付けショウケースに陳列してあった物を店のオヤジに友達と二人で頼み込んで売ってもらったものである。だからケースもな〜んにもナイ。本体のみ。でも、ちゃんとした完動品なのである。

 サエクとエクセルサウンドの関係を詳しくは知らないが、兄弟会社みたいなものなのだろうか。このカートリッジのあと、サエクからはC-1が、エクセルサウンドからはC-11というのがリリースされていた。

 3、3IIとも、基本設計はまったく同一、針圧、自重、出力なども同じだったはずである。うろ覚えだが、カンチレバーの材質が違っていたような気がするのだが、詳しい資料がなく良く分からない。3IIのカンチレバーは「ボロン」であると取説に記載がある。×18ルーペで見ると、ソリッドではないことが分かる。ボロンパイプである。

 スタイラスチップはどちらもラインコンタクト針らしいが、拡大して見ると両者微妙に形状が違う。3の方が接線方向に長い、つまり横から見ると幅が広く短い針が付いている。接着材も多めである。

 分厚い金属ベース、すべてネジ止めにより固定された金属ボディ、自重9.5gと、かなりハードな傾向で設計されたカートリッジである。針圧は1.7g標準。

 音はまったく違う。3はとにかくハード、質実剛健を地でいくような筋肉質サウンドである。切れが良く瞬発力があり、骨格のしっかりした音を聴かせる。音が飛び散るような爽快さがあり、L1000の1/3以下の価格でそれに近い音が聴けるということで、長岡先生推奨のカートリッジだった。

 それに対して3IIは、ややおとなしめである。散乱する感じは抑えられ、3に比べると女性的にも聴こえる。ガッチリしたボディに支えられているせいかナヨナヨしたところはないが、僕の好みからするとちょっと喰い足りないのも事実。しかし、今やこんな音のカートリッジはなくなってしまった。

 ART2000、HELIKONを聴いて、ますますアナログが面白くなっている。オーディオ的には退化と言えなくもないが、古いカートリッジを引っ張り出して聴くのもまた楽しいのである。

 デモ、劣化してっかな?

’01/08/07 (火)

セッカチ野郎

 NEOCITYの掲示板サービスが廃止されると聞き、大慌てで新しい掲示板をくっ付けたものの、どうもしっくりこない。多少のトラブルは、無料で借りている手前ある程度辛抱しなければならないのが当然だと思うが、お客さまに使っていただくものであることを考えれば、心苦しい物があるのだ。

 過去ログをある程度保持したまま移転できるBBSがあると、NEOCITYから紹介があった。皆さんもご存知だろう。その内の一つ、CsideNetのサンプルを見ると、これがなかなか使いやすそうである。ベースになっているのは、皆さんお馴染み、AE86さんの掲示板と同じものである。

 僕がもっとPCに詳しく、CGIを自由自在に駆使できようなスキルを持っていれば良いのだが、悲しいかなさっぱりワケが解らない。

 バタバタと落ち着かず誠に申しわけないことだが、またまた間もなく掲示板を移転させることになりそうである。そんなことなら最初から機が熟するのを泰然自若と待てば良かったのである。良く言えば素早い行動ということにもなるのだろうが、単にセッカチなだけ。待てないのである。アホですな。

 そういうわけで、皆さんには多大なるご迷惑をおかけしますが、これに懲りず今後ともよろしくご愛顧を頂戴したいのでございます。

 新々掲示板は、只今準備中。今しばらくお待ちください。

’01/08/06 (月)

もっと買っとけば


 バイアンプドライブへの変更に伴い、トゥイーター用コンデンサーの容量を少しく見直すことにした。というのも、P-700は9500IIよりゲインが2〜3dB低く、これまでのままではハイのレベルが足らなくなるからである。

 今まではμΛの0.82μF1個で繋いでいた。このままでP-700に繋ぐと、やはり3dBくらいレベルが落ちてしまうのである。そこで、1.0〜2.0くらいの間で探りを入れてみる。コンデンサーはできればμΛを使いたいが、0.82の上はΛの1.3までしか手持ちがない。2個パラって使えば、0.47+0.47で0.94、0.33+0.82で1.15、0.47+0.82で1.29、0.68+0.68で1.36、0.68+0.82で1.5、0.82+0.82で1.64など、この他にも1.3μFを基本とすれば2.0μFまでのバリエーションはいろいろ考えられる。

 但し、問題がないわけではない。これまでにいろいろやってみた感じでは、コンデンサーはできれば1個で使った方が良さそうなのである。0.68+0.82=1.5よりも、1.5μF1個のほうが音が良い。まあ、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。接点は増えるし、振動の影響も単純に考えれば倍になるわけだから。

 と、いろんなことを睨みながらカットアンドトライで追い込んで行く。その結果、μΛを使うのはあきらめて、以前(といっても随分ムカシだが)フォステクスから出ていたCUシリーズコンデンサーの1.5μF1個でつなぐことに決定。

 このコンデンサー、ディスコンになって久しい。初めて作ったD-70のトゥイーター用(この時から0506IIだったな)として買ったのは、もう14年も前になる。2.2、1.5μFそれぞれ2個ずつ買ったのである。CMシリーズにしなかったのは、高価いほうが音が良いだろうと単純に考えたから。

 結果的にはそれが正解だったのである。CUシリーズはそれから間もなくカタログから落ちてしまった。当時はその優秀さに気が付かなかったが、その後各種のコンデンサーと比較してみると、これがなかなかのスグレモノなのである。

 切れ、浸透力、力感などはμΛに譲るが、歪み感の少なさ、キメの細かさ、瑞々しさなどでは決して負けていない。トータルでは一長一短。少なくとも現行のUΣよりクセがなくスムース、しかもハイスピードタイプだと思う。

 今回久しぶりにメインシステムに使ってみて、その優秀さを改めて思い知らされた。音に嫌味がなく非常に素直、しかし眠たい音ではない。永らく使わないまま放置してあったコンデンサーなので、これからまだまだ良くなると思われる。今さらだが、もっと沢山買っておけばよかったな。

 ムカシは良いコンデンサーが、わりと手軽に入手できたのである。フォステクスさん、T-900Aという良いトゥイーターをリリースするんだから、今度は是非、フォステクスでカスタマイズした良質のキャパシター、出していただけませんか? 期待してます。

’01/08/05 (日)

雑草の如く


 今日は朝5時半から地区の方々にお願いして、恒例の草刈りである。今朝は最近には珍しく涼しい朝だった。途中から天気雨になり、西の空に虹がかかった。本当はもっと綺麗なのだけれども、ウデがヘボなのとデジカメの限界で、何だかぼんやりした画像になってしまった。
 草刈りのほうは、ありがたいことに50人以上が集まってくれ、敷地を囲む四方の土手、墓地、裏庭、すべて綺麗に刈り上げてもらえた。

 ほとんどの人がエンジン刈り払い機を持って来てくれたおかげで作業は1時間半で終了。もしこれを僕一人でやったら、明日の朝になっても終わらないのである。皆さん、お疲れ様でした。
 雑草ってヤツは如何にも生命力の強いものである。刈っても引っこ抜いても後から後からナンボでも生えてくる。僕としてはどちらかといえば生えるに任せておきたい(草刈りキライ!)ほうなのだが、境内をバケモノ屋敷みたいにしてしまっても仕方がないので、普段はヘラヘラやっている。

 地区の人々は、それを知ってか知らずか一生懸命手伝ってくれるのである。いやまったく、ナマケモノには困ったものである、と。

 ともかくこれで、無事お盆を迎えられる準備ができた。やれやれであるけれども、あとの行事はまさに僕の範疇である。こればかりは誰にも手伝ってはもらえない。

’01/08/04 (土)

早起きは


 三文の得、という。この間、スヰッチが切れてからというもの、完全に早寝早起きサイクルにシフトしてしまった感じである。晩ゴハンが終わると眠くて眠くて仕方がないのである。マブタにつっかえ棒をしても、ビョ〜ンと弾き飛ばして閉じてしまいそう。

 これからお盆に向けては否が応でも早起きしなければならないので、非常に良い傾向ではあるのだが。暫くは早朝HP更新ということになりそうです。よろしくお願い致します。

 午前4時半頃起きると、外はまだ涼しく山の方ではヒグラシの大合唱である。「日暮」というくらいだから夕方にももちろん鳴くが、朝のほうが元気なようである。「蜩」とも書く。ムシ偏に「周り」、言い得て妙である。

 遠くの一匹が鳴く。すると近くにいるやつがそれに呼応して鳴き始める。そのうちに次々と反応して鳴きだし、ついには大合唱となるのである。蜩の三次元音場に取り囲まれたようになる。「周り」一面蜩だらけ。

 午前5時を過ぎると、測ったようにピタリと鳴き止むのである。気温が上がってくるからであろう。その頃からはニィニィゼミとアブラゼミの起床時間である。先ずニィニィゼミが歪みと逆相成分の多い声(音?)で鳴き始める。暫くすると、アブラゼミが、良く言えば切れのある、実は耳障りな声でギリギリとやり出す。

 上の画像は、足を踏ん張り羽をやや開き気味にし、腹筋に力を込めて鳴くアブラゼミの勇姿である。

 アブラゼミ、ニィニィゼミの声は録音しても面白みに欠けるが、ヒグラシは音場録音できそうで興味深い。これを実現できるだけでも、早起きは三文の得?

’01/08/03 (金)

作り方忘れた


 トライアンプからバイアンプ駆動への変更に伴い、現在バランスで繋いでいるプリ−パワー間の接続をアンバランスでも試してみることにする。ところが困った、コードが足りないのである。長さが足りないのではない。ピンコードの数そのものが足りないのだ。どうでもエエようなコードならその辺に転がっているが、同じやるならここは6NCuコードを使いたい。

 そこで、久しぶりに一組作ることにした。これを作るのは多分2年ぶりくらい。長岡先生用に作って以来だな。エラそうにHP上で記事にしておきながら、その本人が製作手順を忘れてしまっている。写真を見たり、HPを確認したり、なんちゅうエエ加減なやつなんでしょう。

 基本的には同じ手順、同じ構造で作るつもりである。しかし、折角久しぶりに作るのだから、何か新機軸を投入したいとも思うのであった。

 新機軸といっても、巻物を増やすことは避けたい、と言うよりこれ以上増やせないと思う。デクデクと太くなり、非常に醜いコードになるおそれがあるからだ。取り回しも更に困難を極めるだろう。辛うじてできそうなことは、銅箔テープによるシールドの追加くらいか。

 シールドなしの方が音は良い、と思っていた。ところが事態はそれほど単純ではないことが最近になってようやく分かってきたのである。条件にも因ると思うが、箱船の使用環境ではシールドを付けたほうが良さそうなのである。

 シールド付きにすること以外で、何かできることは? 今すぐには思いつかない。これからグルグルグルグルと巻物をしなければならないので、その間につらつら考えることにしよう。

 古人曰く、「動中の工夫は静中に勝ること、百千萬倍す」と。

’01/08/02 (木)

お疲れさま


 生録の名人、SY-99さんが御出でになった。ご家族旅行中の寄り道ということで、2時間ほどのご訪問だったが、いろんなお話が聞けてとても楽しかった。殊に生録に関するコメントは、実に急所を突いていて、とっても勉強になったのである。SY-99さん、わざわざ時間を割いていただき、ご遠方をありがとうございました。次回はゆっくりと御出でください。

 さて、SY-99さんが御出でになるとなれば、もう少し調整しておきたいところもある。とりあえず何か聴いてみて....アレ? トゥイーターがおかしいぞ。なんだかジリジリゆってる。アレレ〜?

 P-700、B-2302を切って9500IIでトゥイーターだけ鳴らしてみる。あ、ダメだ。両chともノイズ混じりに音が出たり消えたりしてる。このままではモウダメダナア。7月の半ばまでは凄く調子良かったのに。消える寸前の輝き?

 ともかく音にならないので、9500IIは外してしまおう。トライアンプは暫く中断。トゥイーターはP-700で鳴らすことにする。元のバイアンプドライブに戻すわけである。

 ハイの感じは随分変わったが、決して変な音ではない。だが、調子良かった頃のトライアンプドライブに比べると、僅かにレンジが狭くなったように聴こえなくもない。僕にとってはこの「僅か」が問題なのである。

 今後はどうしようかなあ。トライアンプにこだわりたいような気もするし、このままバイアンプで追い込んで行くのも面白そうである。トライアンプなら9500IIを修理するか、或いは新しいアンプを買うか。

 新しいアンプと言っても今すぐには無理である。ここはちょっと鷹揚に構え、そのうち何とかなるかとバイアンプでやってみよう。「僅か」の差を追い込み切れるだろうか。

 9500II、永い間お疲れさま。

’01/08/01 (水)

無尽蔵


 HELIKONの話題が続き恐縮です。書かずにはいられないのである。仕事の合い間を縫って次々いろんなレコードを聴いている。何を聴いても情報量の多さに驚いてばかりである。

 SHEFIELDなど、ダイレクトカッティングのレコードでは曲間もカッティングレース回しっぱなしなので、演奏者の雑談やカウントが入ったりしていることが多い。その曲間の気配が、ものすごく実体感を持って聴こえるのである。今までは聴こえていない音があったことに、ようやく気が付いた。これほど鮮明に描き出したのは、HELIKONが初めてである。

 ただし、ややクールな印象になるのは、HELIKONのキャラクターなのか、エージング不足か。L-1000などに比べると、透明感、見通し、切れでは遥かに上回ると思うが、実物が持つ埃っぽさや体温を感じさせるような点では、L1000に一日の長があるようである。

 しかし、長いカンチレバーを持ちながら、どうしてこんな音が出るんだろう。どうにも不思議で仕方ない。ともかく情報量の多さはもうメチャクチャで、どらえもんの4次元ポケットみたく無尽蔵に音が出てくる感じ。しかも全体としては、やはり端正な印象なのだから恐れ入るのである。

 聴きながら思ったのだが、これをCR型フォノイコライザーで鳴らせば、もっと繊細で晴れやかな音が出るんじゃないだろうか。いっぺんPRA-2000ZRで実験してみようかな。

 戻れなくなったりして。