箱船航海日誌 2001年10月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’01/10/31 (水)

それは言い訳


 新しい機器を使い始めた時、たいがいの場合はいったん音のバランスが崩れることが多い。特に変更したのがプリであったりすると、それはシステムの司令塔が変わることになるわけで、根っ子から音が変わってしまいオタオタすることになるわけだ。

 昨日(10/30)は久しぶりに体調が良く、午後からは時間があったのでゆっくりとAD、CDを聴くことができた。一枚目のADを聴いた時「アレ? 昨日までと何だか音が違うな」と思った。ずいぶんとスムースになったように聴こえたのである。体調が良くなったせいかな、と一通りADを聴き、今度はCDを聴いてみるとやはり音が違う。プリのパラメーターはこれまでと同じ、全くいじっていない。基本的には同じ音である。けれども全体を支配していた生硬さがとれ、瑞々しさが出てきたように聴こえる。スタビライザーではないが、応力歪みを取り去ったようなイメージである。

 これまでいろんな機器と付き合ってきて、いつも必ず感じることがある。エージングは、なだらかな曲線を描いて進んでいくのではなく、ある時期突然音が良くなる瞬間があるということ。どうも昨日はその瞬間だったらしいのである。

 自分の耳に絶対の自信があるわけでは決してないし、ひょっとすると本当に体調のせいかもしれない。けれども、今までにもこういうことを幾度となく体験しているのは事実である。

 ムカシはエージング効果に対して否定的な声が大きかったと聞く。キチンと作った工業製品が、最初から所期の性能を発揮できないとすれば、それは不良品である、と。今ではこんなことを言う御仁は少なくなったと思うのだが、逆に「エージング」という言葉に逃げ込む畏れなしと言えなくなっているようにも思う。僕自身、その危惧を感じているのである。

 如何にエージングが進んだとは言え、その機器が持つ本来の音色(或いはキャラクター)までが一変するわけではないのだ。ソフトでウォーム、シルキータッチのアンプがエージングに因ってハードでシャープなアンプに変身したり、10cmユニットが38cmユニットに化けたりはしないのである。

 確かにエージングの効果は侮れない。使いこなしも大切である。しかし一番大切なのは、自分が求めて止まない音を構築するにふさわしい機器を間違いなく選択できるかどうか、である。

 「まだエージングが進んでいませんから」 この言葉を口にする時、僕はいつも思い、自戒する。

 自分のヘボさ加減を棚に上げた、都合のよい言い訳ではないのか、と。

’01/10/30 (火)

美味いものは早く食え


 ....というわけで、写真に撮っておくつもりだったケーキは、全部食べちゃいました。家族4人で寄ってたかってウメエウメエと食べ終わってから「あ、写真に撮るの忘れた...」。残ったのはチョコレートプレートだけでゴザイマス。

 昨日(10/29)は12回目の結婚記念日だったのである。ウチのカミさん、こういうことにこだわるほう(どちら様の奥様もそうかしらん?)で、毎年キチンとお祝いしなければならない。忘れるとコワイのである。

 ダイヤモンドのアクセサリーをプレゼントするとか海外旅行へ連れて行くとか、そーゆーことをするほど僕は愛妻家ではないので、ケーキくらいでお茶を濁すわけである。まあしかし、覚えているということだけでご機嫌を損ねないのなら、それは結構なことだと思うべきなのだろう。

 てなことを言いながら、自分のためになら高価なアンプもヘーキで買ってしまうわけだから、まったく以ってワガママなヤロウだと言わざるを得ない。げに罪深きはオーディオマニア、である。

 でも、昨日のケーキは美味しかったしカミさんはご機嫌だったし、わざわざ波風を立てる要もないので、プリアンプのことは黙っていよう。

 もうバレてたりして。

’01/10/29 (月)

急峻


 「音の形」ページで詳しく報告しようと思っていた、サブウーファーのF特写真である。いつまでたってもちゃんとした報告ができそうにもないので、ともかく日誌でチョイとだけ。

 左右の写真で画質に差があるのはどうかご勘弁願いたい。インスタントカメラで撮ったのをスキャナで取り込んだものと、デジカメで撮ったものとの差である。御容赦ください。

 さて、左は6mHコイルでハイカットした時のF特、右がC-AX10ディジタル・ネットワーク100Hz、−96dB/octスロープでハイを切ったときのF特である。どちらもLchモノで鳴らし、リスニングポイントに耳の高さでマイク(テクニクスSH-8000付属の物)を設置して採った。その差は歴然、右は100Hz以下がナイフで切ったように落ちているのに対して、左は3.2kHzまでダラダラと伸びてしまっている。

 中域以上が急峻に切れるのは凄いことだが、これはそういうスロープに設定してあるわけだから、言うなれば当たり前だ。本当に凄いのは、ここまで急峻に切っているのにもかかわらず、100Hz以下のレベルが全く落ちないことである。スーパーネッシーの中域がスペアナの−10dBラインに揃うレベル設定、これまでのF特と比較して殆どレベルダウンしていないことがわかる。パッシヴ・ネットワークでは実現絶対不可能である。

 右の30〜40Hzレベルが僅かに高いのは、おそらくウーファーユニットのエージングのせいだろうと思われる。左の写真を撮ったのは'97年6月27日、このサブウーファーが完成した2日後である。4年間のエージング効果が現れているのだろう。

 左の状態でサブウーファーだけを鳴らしミュージックソフトを聴くと、はっきりと音楽として聴こえてしまうのである。人の声もちゃんと判別できるし、微かにシンバルなども聴こえてくる。それはF特を見ても一目瞭然である。

 サブウーファーとしてはそれでは困る、のは重々承知していたのだが、コイルを増やすと低域の力がなくなり押し出しが弱くなるので、仕方無しにこの状態で使っていたわけである。その代価として中域の透明感は阻害され、見通しの良い音場は出にくかった。

 ディジタル・ネットワークを使った状態でサブウーファーを鳴らすとゴロゴロブンブンいうだけ、音楽は殆ど判別できなくなる。しかも超低域がモリモリ出てくるのである。これぞサブウーファー。

 この2枚の写真で、ディジタル・ネットワーク効果の片鱗くらいはお分かりいただけるだろうか。何度も書いているが、聴感上の効果は絶大である。このスロープ設定で、スーパーネッシー側のレベルを下げるとどうなるのだろう。プリの設定で簡単に実験できるのである。と言いながら、まだ試していないのだが。

 導入してようやく一ヶ月、未だ全く使いこなせていないのである。

’01/10/28 (日)

四十にして惑う


 庭で愚息が叫ぶ。

 「カマキリが卵産んでるぅ〜」。

 見に行ってみると、庭の桜の幹に、頭を下にしたカマキリが懸命に卵を産みつけている。体は微動だにさせず、脚をしっかりと踏ん張ってお尻の先だけを忙しく動かして。

 カマキリの卵(正確には卵鞘=らんしょう=卵のさや、と言うんだそうです)は特に珍しい物ではないと思う。ご覧になったことがある方も多いだろう。褐色の発泡スチロールのような質感で、草の軸や木の幹にくっ付いているアレである。でも、産んでいる最中を見るのも、産み付けられた直後の卵鞘の色が神秘的な青色であることを知ったのも初めてである。

 愚息が言う。

 「なんかしんどそうやね」

 「うん、これが終わったらもうすぐ死ぬんやから、最期の力ふりしぼって一生懸命に産んでるんやなぁ」

 「そうか、もう死ぬんや...」

 次の世代に新しい命を托し、自らは間もなく命を終えることを唯々諾々と受け容れる彼女の姿は、何かしらある種の感動を覚えるものだった。たかがムシケラということ莫れ、僕たち人間だって、終わりの時は刻一刻近づいているのである。

 このカマキリ母、命を受け継いで行くため一心に獲物を取り、交尾し、オスまでも産卵のための養分に具し、今その役割を全うして終わろうとしている。悔いのない人生、いや、カマキリ生(虫生?)だったに違いない。

 翻って僕は、悔いのない人生を送って終われるのだろうか。「四十にして惑わず」どころか、惑いまくっている自分をそこに見るのである。

’01/10/27 (土)

時代遅れ


 オーディオ・ベーシック誌20号の読者コメントを読んでいたら、興味深い意見が寄せられていた。前号の「アナログ特集」についてのコメントである。

 「アナログのプレーヤーは、もはや時代遅れであり、CDプレーヤーにはかなわないので、特集を組む必要性はないと思います」

 '80年代後半〜'90年代初めの頃、AD再生はまさに「時代遅れ」だった。最もAD受難の時代ではなかったかと思う。往年の銘機は次々と生産終了していった。中古市場は最低、買取価格も最悪だったと記憶する。それだけ人気がなかったのである。世の中はディジタル一色、「ディジタルに非ずばオーディオに非ず」といった風潮だった。

 ADの良さが再認識され始めたのは、おそらく'94年頃からか。ハードのほうは相変わらず皆無に近い状態だった。けれどもソフト製作の側から一つのブームが起こり始める。過去の音源をリマスタリングし、重量盤で再プレスするレーベルが出てきたのである。アナログ・プロダクション、シェフィールド・ラボ、リファレンス・レコーディングス、モービル・フィデリティ、ウィルソン・オーディオなどがそれである。RCAリヴィング・ステレオやDECCA、エヴェレストの名録音を復刻するシリーズもあった。

 その流れは今も継続していて、オーディオの流れの中にあってAD再生という行為は、確かに主流ではないにしろ十数年前のような冬の時代でもないことは誰もが認める事実ではないかと思う。

 「時代遅れ」という認識も、極めてうつろい易いものである。レトロという言葉があるが如く、古い事柄こそが新しいという認識もあるわけだ。即今只今このときに「古い」と認識された事象こそが「時代遅れ」なのであって、古くなってからある程度の時間を経過しそれが旧聞になった時、新しい事柄に生まれ変わることもままあるのだ。

 時代遅れにも「旬」がある、と。「新しいこと」と「多くの人が認知しないこと」とが等価であってみれば、まともなADの音を知らない人が増えた今、アナログオーディオは懐古趣味ではない「新しいこと」なのである。

 「アナログは時代遅れ」という認識こそ「時代遅れ」ではないかと、僕は思うのである。もちろんディジタルは進化し続けている。最新最高のディジタルがアナログを凌ぐのも時間の問題だろう。だが、ディジタル進化の恩恵を受けて、AD再生の可能性がひろがるであろうこともまた事実である。

 サウンドマニア、音楽ファン、自作派、オーディオへのアプローチの方法はそれぞれだと思う。けれども、良い音で音楽を聴きたいという思いは皆同じであるはずだ。だとしたら、アナログ、ディジタルにかかわらずバリアフリーで楽しんだほうがシアワセになれるのではないかと、僕は考える。

 自己限定は、したくないのである。

’01/10/26 (金)

3層型


 ...はこれが初めてである。内から真鍮、SUS、純銅の順に重ねてある。このADスタビは9月11日の日誌に載せたものを作ったのと同じ友達が「仕事の合い間に作ってみたからアゲル」と置いて行ってくれたのである。ありがとうございます。でもアゲルって、イイのかなほんとに。

 仕上がりは「仕事の合い間」仕事とも思えない、素晴らしいものである。形状、外形寸法は前回のものと同一。実測重量1,020g、前作は1,030gだった。中心の真鍮部はΦ38mm、その周りに5mmのSUS層があり、外側の純銅になる。2層タイプを初めて見たとき、当たり前だが「こんなん見たことないなぁ」とフシギな感じがした。この3層タイプはもっとフシギ。見ているだけでも楽しいのである。やっぱり僕ってコレクター?

 このスタビは音もフシギである。構造からして前回の物より鳴きが少ないだろうと予測したのだが、案に相違してわりと鳴くのだ。それは音を聴いてみなくてもわかる。上の部分を掴み、下部のスカート部分を指で弾くと、僅かだがシンシン鳴くのである。前作も同じことをやってみたが、こちらは鳴かない。何故だかゼンゼンわからない。ナンデかな? 2層タイプよりも材にかかる工程上のストレスが大きいからかしらん?

 実際に音を聴いてみると、ハイに少し色が付く感じ。非常にシャープでハイスピード、しかし繊細感が僅かに後退、最高端まで伸び切っていないように聴こえる。高域が変化すると、中〜低域の聴こえ方も変わってくる。ほんの少しだが押し出しが甘くなるようだ。自身の鳴きが音に影響しているのだろうか。

 これまでにいろいろなスタビを聴いてみて思ったこと。形状、材質の組み合わせ、重量、底面の処理方法、表面の仕上げなど、音を変化させるファクターが極めて多く一筋縄では行かない。ある形状が良かったからといって、材を変えればまた違う。2層が良いから3層ならもっと良いだろうというと、それがそうでもない。でもひょっとして形状や重量を変えれば良くなるかもしれない。それに、金属にも「枯れる」というエージング効果があるそうだから、ホッタラカシにしておくだけでも良くなる可能性もないとは言えない。

 結論は出ません。ただ「今回はこうやったらこうなりました、では次回はこうしてみましょう、結果はその時まで分りません」という、極めて無責任でいい加減なところへ行き着いただけ、ですな。わはは。

 これでもなおやってみたいことが残っているというのだから、懲りないのである。スミマセン。

’01/10/25 (木)

盤鎮


 文鎮、風鎮、鎮圧、鎮静、鎮痛、鎮魂、鎮守、いずれも「鎮」の意味が「勝手な振る舞いを抑える」ということであってみれば、ディスク・スタビライザーはさしずめ「盤を鎮める」道具、「盤鎮」であろう。掲示板で珍念さんが「あの文鎮みたいなモノは?」とおっしゃったのは、正に真理を突いていたわけだ。

 純銅だ、SUSだ、真鍮だ、砲金だ、いやハイブリッドだといろいろ勝手なことを言い始めてほぼ3年、カスタムメイドのADスタビライザーは7個になった。写真に写っているのは6個、純銅製の1号器スタビ1は現在AE86さん宅へ出張中である。

 エラそうに自分の手柄みたいに言っているが、製作はいつも友達の厚意によるもの、アイディアも大半が友達から示唆のあったものである。んじゃ、僕は何をしていたかといえば、ただアホがメシを待つようにじっと座っていただけ。申し訳ないことだ。製作者の方々、アイディアをくれた友達へは改めて御礼を申し上げたいのである。ありがとうございました。

 この7個、当然のことながらそれぞれに音が違う。それならばソフトに応じて細かく使い分ける、ようなことができるほど僕は器用ではない。普段使うのは専らスタビ3、中心真鍮外側純銅タイプである。僕の耳にはこれが一番ニュートラルで、しかもオールマイティに聴こえるのである。では、他の6個はダメなのか。否、決してそんなことはない。

 ターンテーブルに載せて使うだけの単純な道具だけれども、音の変化は思いの外大きいのがこの「盤鎮」である。周辺機器や部屋、リスナーの好みによって、どれが良いのかはコロコロ変わるはずだ。うちでだって今は「スタビ3が良い」なんて言っているが、そのうちどうなるか分からない。いい加減である。

 音を云々するのとはまったく別の次元で、「こういうものを持っている」という喜びが、僕にはあるのだった。箱船を訪れる人から「ナンデスカ、コレハ」と問われ「コレクションでごぜいます」と答えて喜んでいる僕は、やっぱりフツーじゃないなと、思うけれども。

 やめられまへんな。

’01/10/24 (水)

初冬


 季節ネタは久しぶりである。

 初夏、青々とした葉をつけ小さな花を咲かせていた箱船脇の柿の木も、すっかり黄葉し冬の準備である。5月27日の日誌に書いた通り、今年はほとんど実が成らなかった。この木も既にかなりのご老体だから、休み休みでないとシンドイのだろう。

 実が成らなかったので、クマもお出ましにならないようである。今のところ夜中の不気味な音は聴こえてこない。その代わり、と言ってはナニだが、今年は鹿がすぐ近くまで来ている気配がする。いること自体はそんなに驚くことではない。夜遅く車で帰ってくる途中、道路を2〜3頭のグループが悠然と横断する姿は何度も見たことがあるし。

 でも、うちの近くで見たことはないし、気配を感じたこともない。それが今年は、家のすぐ近くで鳴くのである。なんでかな? やっぱり食糧事情のせいだろうか。

 鹿ならクマより怖くない、と、お思いでしょうが。

 奈良公園にいる「家畜的」鹿と、野生の鹿は、ゼンゼン違うのである。まず第一に、野生の鹿は異様にデカイ。車の窓越しに至近距離で見ると、その大きさに圧倒されるのである。とくに牡鹿。ありゃあでかいッス。初めて見たとき、わたしゃウシかと思いました。

 それに、目の光がまったく違う。野生動物だけが持つ独特の迫力。道路の真中に超然と立ち尽くしこちらを眤と見る姿には、なんとも言えない威圧感があるのだ。

 夜中にあんなモンとじかに出くわしたら、そりゃあコワイですよ〜。アタマかじられそうである。って、草食だから喰わんケド。でも、蹴っ飛ばされたら死ぬだろうな。

 夏の間は虫ネタ、動物ネタに事欠かないと思っていたら実は逆で、ケダモノさん達は寒くなると近くまでやって来るのでした。

 そう言えば、ここのところタヌキの姿を見ないなあ。どうしたんだろう?

’01/10/23 (火)

Good Condition


 さて、在り難いご縁によって、手に入れることができた初版RINGSET。盤にあった多少の汚れは、レコパックでかなり綺麗になりそうである。写真はレコードの虫干し、ではなくレコパック乾燥中。赤色のセンターレーベルは「ジークフリート」5枚である。サブウーファーの上に乗っているのには特に意味はない。床では「ワルキューレ」5枚が広がっていて、場所がないだけ。

 改めて盤を仔細に点検すると、音に出そうなキズは全くと言っていいほど無いことが分かった。目に見えないほどのキズがわずかにあるだけ、これは相当良い状態である。

 センターホール周りの探りキズは「黄金」と解説盤で目立つが、「ワルキューレ」と「神々」では僅か、「ジークフリート」にはまったくついていない。新盤同様。グッド・コンディションである。これを相場の半額程度で譲っていただけたのだから、超ハイCPと言うべきだろう。

 クリーニングが終わった順に聴いていくことにして、まずは「ラインの黄金」である。音については先にM氏からお借りしたセットで確認済み、当然良いのである。問題は目に見えないキズがどの程度音に出るか、だ。

 レコードのキズには、はっきり目に見えていてもほとんど音に出ないものと、目立たないのだけれども酷いノイズを出すものとがあって、もちろん困るのは後者のほうである。1965年リリース、36年前のレコードだけにその辺を心配するのである。如何なレコパックでも取り切れない汚れもあるわけだし。

 「黄金」では嬉しいことにトラブル皆無だった。M氏所有セットに比べると僅かにノイズは多いが、ノンサッチなどには新盤でもこれよりS/Nの悪いものもある。このころのDECCA盤は、ビニールの質が良いのか重く硬く厚く、経年による盤の傷みが少ないようだ。

 試しに目方を量ってみると、このセットのレコードが一枚155〜160g。ノンサッチのノイズ多め盤で100〜110g。別のレーベルでは95gなんていう軽いレコードもある。RTIが出している一連のHQ-180ディスクが実測165g〜180gだから、当時のDECCA盤はかなり重いほうに入るだろう。これだけで音が決まるわけではないけれども、条件としては良い傾向である。

 未聴分があと19枚。クリーニングは残り9枚。M氏からお借りしているほうもまだ3枚聴き残しているし、全部聴くにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 「指環」を全曲通して聴いたのは、恥かしながら過去一度だけである。しかもかなりストイックな聴き方だった。今回は、心から楽しみながら、全曲2回は聴いてしまいそうである。

 う〜む、重厚長大だ。

’01/10/22 (月)

因縁果


 DECCA「ニーベルングの指環」初版オリジナルフルセットが2セット! 壮観である。ネットを始めて以来、「縁」の不思議を体験することが非常に多くなっているが、今回もまた、実に不思議で在り難い「縁」によって超レアアイテムを手に入れることができた。しかもこんなに早く!

 M氏がこのフルセットをお貸しくださったのはつい先日、10月1日のことである。それまで僕は、これの存在を知ってはいたものの、実物を見たことも聴いたこともなかった。極めて希少品、僕には縁遠いものとしてあまり関心がなかったのである。ソフトを持つにも分相応というものがあるよ、と。

 ところが、である。

 実物を見てビックリ。すごい威容と迫力である。一見して魅了されてしまった。音を聴いてもっとビックリ。このセットは希少品だから値打ちがあるのではない。レコードの命脈であるところの「音」が極めて優れているのである。入手は極めて困難なことを承知で、どーしても欲しくなってしまった。これが「因」。

 以前から世話になっているレコード店に話を持ちかけ「出たら買うからね」とクギを刺してはおいたが「あんまり期待しないように」などと望み薄なことをいう。それはそうだろう。そんな簡単に手に入る物じゃナシ、けれども諦めずに待てば何時かは買えるだろうから、くらいに思っていたら。

 件のM氏から突然電話があり「例のフルセット、譲っても良いとおっしゃる方がいらっしゃいますよ」とのお言葉。不可思議な「縁」である。

 ひぇぇ〜、渡りに船、地獄に仏、蜘蛛の糸、とんとん拍子に話は進み、げんきまじんさんからのお力添えもあったりしてあっという間の入手実現となったのでアリマシタ。ある意味では長岡先生推奨タイトルより遥かに入手困難なセットである。極希少タイトル。それが、初お目見えから安直に欲しいと思ってひと月も経たないうちに買えるとは! 俄かには信じ難いのである。すごく大きな「果」。

 送られてきたセットは写真左。右はM氏からお借りしている物である。表紙の色目が多少違って見える。10月2日の日誌に載せて以来、ぷあさんやM85さんというADの達人方からそれぞれお手持ちセット(やっぱり持ってらっしゃるワケね。流石)の写真を見せていただいたが、M氏ご所有のセットだけ表紙、背表紙の装丁に違いがあるようだ。中のレコードそのものは同じモノ、らしい。

 ウルトラミントコンディションのM氏セットには及ばないが、状態はかなり良いほうだと思う。少し汚れがあるけれども、キズは少ないようだからクリーニングすれば問題ないだろう。今、はやる気持ちを抑えながら丁寧に掃除している最中。ああ、聴くのが楽しみだなあっ。

 お譲りいただいたYさん、何かとお世話いただいたMさん、げんきまじんさん、ぷあさん、M85さん、本当にありがとうございます。僕はただじっとしていただけ、皆さんのお力で貴重なセットを手にすることができました。

 「因」と「果」をリンクするのが「縁」。自分の力や思いが及ばないところで、「縁」は結ばれて行く。だからこそ大切にしなくっちゃ、いけないんですねえ。

 「袖ふれあうも 多生の縁」。オロソカにはできません。

’01/10/21 (日)

カスタマイズ


 昨日までに報告したフォノイコライザーの試聴だが、始まりはM85さんの助言とアイディアからだった。おかげさまで、またAD再生の奥深さを味わうことができたわけだ。ありがとうございました。

 そのM85さんが帰途につかれるのと入れ替わるようにして、とんぼさんから素晴らしいお宝が届いた。ご自身のHPで紹介されているのでご存知の方も多いだろうし、既にお求めになった方もいらっしゃるだろう。そう、とんぼさんカスタムADスタビライザーである。

 中心に純銅、外周部に砲金という、これまでにない材質配分である。重量は1,200g、仕上げは最高、堂々たるルックスである。細かい寸法などはとんぼさんのHPに詳しいので省略。早速AD再生に使わせていただく。

 豪快、である。僕が普段使っているスタビ3に比べ、底面積が大きく重量もあるので、抑えが良く効いて余分な音が少ない感じ。傾向としては更にハードでシャープ、非常にソリッドな音だ。外側にあるのが砲金のせいか、真鍮ほど鋭くはなく、銅ほど明るくない。確かに砲金の音、なのだが、純銅と組み合わせてあるので固有の鳴きは感じられないという、これまでのハイブリッドタイプと同じメリットが出ていると思った。やはり外側にある材が音色を決定付けているようである。

 1,200gという重量のせいか、ロック、フュージョン系のソフトではバスドラムがバッと出てバッと止まり痛快、オケのグランカッサなどではちょっとデッドになる。

 センターホールの精度が高く、着脱時は慎重を要する。真っ直ぐにゆっくり抜き差ししないとフォノモーターのセンタースピンドルをコジってしまいそうだ。かなり重量があるので、トルクの弱いモーターではサーボが外れてヨタることも考えられる。よく分かったアナログディスクファンに使って欲しいスタビライザーである。

 とんぼさん、この素晴らしいスタビライザー、大切に使わせていただきます。

 ありがとうございました。

’01/10/20 (土)

試聴と体調


 連日同じような写真が続き、申し訳ない。あるのは接続の違いだけなので、画像の差別化に苦しんでおります。ともかく、カートリッジ〜C-17〜HX-10000〜C-AX10という信号の流れになっていることだけお分かりいただければ結構かと。

 さて、この組み合わせでも低域のエネルギーがすごいことに違いは出ない。中域から高域にかけてはC-17の持ち味だろうか、スムースで繊細、しかも切れ味鋭い感じが出てくる。全体を支配するのはフォノイコライザーらしく、やはりHX-10000の音である。

 僕の好みからすると、一番気に入ったのはC-17+C-280V/MMの組み合わせ。C-17+HX-10000/MMの組み合わせも捨て難い。ソフトによって使い分けたいという気にもなるが、不精な僕のことだから、外付けフォノイコライザーを使うことに決定すれば、どちらか一方に固定してしまうだろうな。

 これでひとまず外付けフォノイコの試聴は終わるわけだが、実はもう一つ、ヘッドアンプH-Z1を試していないのである。もちろん候補に入っていて繋いでみたのだが、見事に故障していた。プリのボリュームを絞り切った状態で、異常としか思えないレベルの発振音が出るのである。本来の音ではなくなるらしいが修理は可能だそうなので、治ってきたら試してみたいと思っている。

 いろいろやってみて感じたこと。接点やケーブルが増えるデメリットを感じなかったとは言え気になることに違いはない。できればC-AX10内蔵ディジタルフォノイコ+C-17でイケればそれに越したことはないのである。

 カートリッジで発電された信号はmVオーダー、ラインレベルの千分の一以下という微小な信号である。ごく単純に考えて、入り口で「1」の違いがあったとすると出口では「1000」以上の差になって現れるわけで、ADの音がいかに蜻蛉の如く幽けきものか、理解できようというものである。もちろんそれだけにエージングによる音の変化も大きいだろう。今後の推移を見極めて行きたい。

 ところで、体調が戻らないままちょっとシステムの音を聴いてみたが、ダメですね。少し熱があるらしく、頭の中で音が混濁して音色も音場もあったもんじゃない。ますます調子が悪くなりそう。やっぱりオーディオやるにも体が大切です。

 季節の変わり目、みなさんも充分にご自愛ください。

’01/10/19 (金)

一発


 ...で風邪を治せるクスリを開発すれば、それはノーベル賞モノだ、というハナシは昔から聞いているが、ホントにひつこいものである。まだシャキッとしません。

 C-17〜280V/MM〜C-AX10で聴いたあと、今度はHX-10000/MC〜C-AX10という環境で聴いてみる。HX内蔵のヘッドアンプによるMC対応で聴くわけだ。

 HX-10000の特長は低域の太さにあると感じていたが、今回も同じ印象、というより、さらにその傾向が強まった感じだった。40Φ×80mmH、35V10,000μFエルナー製デュオレックスが6本という強力なフィルターコンデンサーを積んだ電源のせいか、低域の押し出しとエネルギー感は正に圧倒的で、他ではまず聴けない音だろう。それに比べて中高域はやや大人し目に振れるので、全体としてはどうしても低域寄りのゆったりサウンドという印象になる。ただし、「ゆったり」と言ってもかなりハードでシャープな「ゆったり」であって、決してBGM的な音でないことだけは確かである。

 低域の力感は圧倒的、だが、超低域までの伸びはもう一息の感アリ。馬力はあるが空気感がやや後退する。高域も同じくもう一つ伸びが欲しい。切れやレンジの広さでは、C-17+280Vに一歩及ばない。とはいうものの、この音は非常に魅力的だ。以前、280VにHX-10000を組み合わせて聴いた時とは随分音が違うのである。

 こうなるとやはり接点が増えることを覚悟の上で、C-17を追加してみたくなるのが自然な流れなのである。

 どうなるかな?

’01/10/18 (木)

行くところまで行かないと...

 治らないのが風邪ってぇヤツで、今日は昨日よりシンドイなぁ。げんきまじんさんも不調のご様子、お互いここのところちょっと(というか大分)無理が祟ったようである。もう若くはないのね。

 ちゅーことで、今夜もこのまま寝床へGO! まともな更新まで、今しばらくお待ちくださいね。

’01/10/17 (水)

体が教える冬の到来

 こちら丹後地方は既に冬の様相である。朝晩は特に寒く、ストーブとコタツが要るくらいになった。と思っていたら、今朝からなんだか気管支がゴシャゴシャし、咳がケホケホ出る。体は正直なもので、空気が冷たくなった途端にこれである。だから冬はキライなんだよっ。

 折り悪く明日からしばらくオツトメが混んでいる。ここで風邪を悪くすると各方面に多大なるご迷惑をおかけすることになるので、今晩は薬を飲んで早仕舞いさせていただく。申し訳ない。

 HX-10000の試聴記は、明日以降ご報告します。どうか御諒解ください。

’01/10/16 (火)

接点と鮮度


 折角コードがすっきり整理できたと思ったのに、またぞろゴチャゴチャしてきた。繋ぐ機器が増えれば仕方ないことではあるのだが、なんだかな〜。ま、実験だしな〜。

 それはそれとして。

 C-17〜280V/MM〜C-AX10という経路で聴くAD、これは素晴らしかった。低域のエネルギー感を失わないまま、中高域の切れと抜けの良さが加わった。レンジも非常に広く上下とも十全に伸びきっている。細かい音まで鮮明に描き出し、「ミサ・エスピリチュアル」の冒頭では、正に細密画のイメージである。「デフォス」でも、床の硬さ、超低域の空気感が良く出て快感、聴いていて痛快である。

 カートリッジ出力と280Vの間にヘッドアンプが入るわけだから、当然介在するケーブルと接点の影響は無視できないはずだ。少なくとも「良い」影響ではないはず、にもかかわらず、鮮度の高さで上回っているように聴こえるのはこちらのほうである。M85さんもウムウムと頷いている、というよりも「してやったり」という感じかな?

 ごく単純に考えれば、接点やケーブルが増えるデメリットを、C-17というヘッドアンプ追加のメリットが上回った、ということになるのだろうか。あるいは僕の耳がヘッドアンプの音を異様に好んでいるのか。接点、ケーブルのデメリットは別にしても、明らかにハイゲインイコライザーの音とは違うのである。

 現時点ではC-AX10が完全に目覚めていないとはいえ、この音は麻薬的でもある。一度聴いたらヤメラレナイ。C-280Vのフォノイコの力強さ、C-17の分解能、C-AX10のディジタル・ネットワークによる混濁の少なさ、これらのメリットが上手くバランスしているようだ。

 ここで安心して実験を終わってしまったのでは面白くない。まだHX-10000が残っている。このアンプは内蔵ヘッドアンプでのMC対応型である。いわゆるヘッドアンプ・フォノイコライザー。以前、C-280Vのラインに入れて聴いた時はちょっと傾向が違うのかなと思ったが、今回はC-AX10との組み合わせである。

 どんな音が出てくるのだろうか。

                                      さらに、続く。

’01/10/15 (月)

知的好奇心


 C-17、C-280V、HX-10000をうまく組み合わせ、C-AX10内蔵のディジタルフォノイコライザーを上回るAD再生を狙う。それが今回の目的である。

 C-AX10のフォノイコに大きな不満があるわけではない。ただ、現時点では厚み、低域の馬力、押し出しに若干の弱さを感じている。先日炭山さんのお骨折りで借りた試聴機には充分なエネルギー感があったので、おそらく時間と共に改善されるだろうと思うのだが、まずまず一つの実験ということで。M85さん曰く「知的好奇心の為せる業」だそうです。うむ、よくワカル。

 C-17はMC用ヘッドアンプである。C-280Vはハイゲインイコライザーで、HX-10000は内蔵ヘッドアンプで、それぞれMCに対応している。つまり、カートリッジをMC型に限定すれば組み合わせは次の四通りあるわけだ。

 1.280V/MC〜C-AX10 2.HX-10000/MC〜C-AX10 3.C-17〜280V/MM〜C-AX10 4.C-17〜HX-10000/MM〜C-AX10。

 実際にはこれにカートリッジロードとゲインの選択が加わるので、組み合わせは更に増えるのだが、そこまでやるには時間が足りない。そこで、ロードインピーダンスは100Ω、ゲインは26dBに固定として試聴する。

 試聴に使ったソフトは、RCAリヴィングステレオ復刻盤「シェヘラザード」、独HM「ミサ・エスピリチュアル」、テラーク「火の鳥」、リファレンス・レコーディングス「デフォス」、同「幻想交響曲」、ノンサッチ「中世のクリスマス」、シェフィールド「ドラム・レコード」、ウィルソン・オーディオ「センター・ステージ」など、その他色々。

 最初にC-AX10内蔵ディジタルフォノで聴いてみる。高域の情報量、歪み感の少なさ、透明度の高さ、見通しの良さは抜群だが、やはり低域の薄さがちょっと気になる。「シェヘラザード」の終章近く、グランカッサの重量感とぶっ飛んでくる感じが出にくく、もどかしい。

 そこで1の環境に変更。俄かに馬力が出る。低域はドカンと大爆発、しかも締まりは充分で緩い感じは皆無である。レンジは広く音場も広大。解像度も高い。しかし、清澄で冴え冴えとした高域と言う点では一歩、いや、半歩後退、ハイゲインイコライザーのキャラクターを感じさせる音である。これでも充分ハイクォリティADサウンドといえるが、C-17があるのだからやはり使ってみたい。

 ということで、次は3の環境を試してみる。

                                久しぶりに、明日へ続く。

’01/10/14 (日)

深さ


 今日はM85さん来訪。ホントに今月はお客様が多いのである。M85さん、言わずと知れたアナログの帝王である。

 先日からご来訪の打診を受けた時点から、C-280Vをフォノイコライザーアンプとして復活させてはどうかという、とんでもない提案があった。しかし、冷静に考えてみればそれも選択肢の一つである。接点は増えるが、280Vフォノの音色そのまま(A-D/D-A変換は入るものの)に、ディジタルネットワークで分割した音を聴くことができるわけだ。

 ついでに彼のHX-10000も復帰。C-17との組み合わせなどいろいろ試してみることにする。その結果や如何に。

 これがまたなんとも.....それは後日のお楽しみ。またまたオーディオの深さを思い知らされることになったとだけ、言っておこう。

’01/10/13 (土)

ぷあさんからの贈り物


 愚息の買い物に付き合っておもちゃ屋さんへ行った。そうしたらショウケースに「トトロ」のDVDが置いてある。この間、ぷあさんからのメールに「トトロのDVDはわりと良いです」とあって、それじゃあ買わなきゃと思っていたところだったのでちょうど良かった。でも、トトロって、DVDまでおもちゃ扱いなのかしらん?

 この映画にはとても懐かしい思い出がある。正確には「この映画のLDに」と言ったほうがよい。

 僕がようやく三管プロジェクターを買おうと決心した頃、長男が生まれた。ちょうど10年前のことである。プロジェクターを買うのは良いが、その時点で僕はLD(当然まだDVDは出ていない)を一枚も持っていなかった。ハードがあってもソフトが無ければハナシにならないと、事前にソフト集めを始めたのである。

 それを見たぷあさんが「ちょうどお子さんが生まれられたところですし、お祝いに『トトロ』をお贈りします。見せてあげてください」とLDを下さったのだった。

 とっても嬉しかった。ソフトが増えること以上に、お気持ちに感激したのである。今でも忘れない。そのLDは、それから何度見たことか分からないほどである。長男はもちろん、二男に至るまで、何度も何度も繰り返し同じシーンを見ては喜んでいた。おかげでキズだらけ、銀色が珍しくヨダレだらけの手でベタッと触ったりして、盤面はひどい状態になってしまった。

 今、DVDで買い直し、これがひどく汚れることはもうないだろう。傷付き汚れてしまったLDだが、僕にとっては忘れる事のできない、一番大切なLDソフトである。

 長男10歳、二男8歳、今もトトロが大好きである。

’01/10/12 (金)

よくワカランが効果アリ


 多くのパラメーターが調整できるC-AX10。その中でも面白いのはタイム・アラインメント補正である。低域SPと高域SPの距離差を等価的に補正してしまう機能だ。ディジタルプリならではの機能だろう。高域側を±8.0msの範囲で調整できる。写真の「FWD」表示はSPを前に出したのと等価という意味。後退の表示は「BACK」になる。

 箱船の環境では、サブウーファーに対してスーパーネッシーが約45cm後退した位置にある。音速は340m/秒だからして、ネッシーを45cm前に出したのと等価にするには...えーと、0.0013245秒進めれば良いわけだ。ミリセカンドは1000分の一秒だから、1000をかけると1.3245で、つまり[FWD 1.32]にすればヨイのだな。

 というわけでその数値に設定してみたが、確かに変化がある。力強くなるのである。調整前はどことなくナヨナヨした感じだったのが一本芯が通り、ソリッドで実在感のある音になった。ヒジョーに良い傾向である。

 計算通りの数値でいいはずだが折角0.01ms刻みで調整できるのだからと、イッチョ噛みの僕としてはやっぱりいじってみたくなる。音を聴きながら1.0〜1.5msくらいの間でいろいろやってみた結果、写真のように[FWD 1.35ms]とした時、いちばん馬力が出るようだった。って、0.03msといえば距離にして1.02cm、その差が耳でわかる? いや、自信はありません。何となくそう聴こえるという、キモチですよ、キモチ。

 では、補正ナシで聴いてとんでもない音になるかと言えば、ゼンゼンそんなことはないのである。杓子定規に数値を決める必要はないと思う。厳密な距離差補正というよりは、音作りに利用できる面白い機能の一つと見たほうが良さそうである。

 ムツカシイ理屈は良く分からないが、これは相当効果アリ、だ。

’01/10/11 (木)

15g


 メガネができました。ご覧の通り、ホネだけみたいなフレームである。フレームと言うのも憚られるようなシロモノ。実測重量15gと極めて軽く、着装ストレスはほとんどない。前のメガネでも25gくらいだったから決して重くないのだが、ここに来ての10g差は大きいのである。

 ここまで軽いと、まともにふんづけたりしない限り壊れないだろう。フニャフニャのチタンワイヤーなので、多少のストレスは柳に風と受け流してしまうわけだ。

 そう言えばムカシ「アンプは軽いほうが良い」と、薄型軽量級アンプが目白押しになった時代があった。「軽いほうが振動の影響を受けにくい」と謳っていたメーカーもあったと記憶する。このメガネを見ていると、確かにそれも一理あるかと思うけれども、メガネとアンプが一緒にはなりませんな。だって「メガネは重いほうが良い」なんて誰も言わないだろうし。

 キズのないレンズはやっぱり良いもので、視界がぐんと明るくなった。プラスチックの透明度も、以前に比べて上がっているようだ。こんなことならぶっ壊れる前に新調しておくんだった。馬鹿みたい。

 これで画も音も良くなるはず。僕にとってはメガネもオーディオパーツのうちか?

’01/10/10 (水)

ハイビジョン


 と言っても走査線1125本のアレではない。メガネレンズの話である。まったく無関係でもないのだが。

 メガネがぶっ壊れてしまったのである。写真では一見なんともないようだが、実は左右のフレームをつなぐブリッジ部分が断裂しているのだ。原因はよく分からない。多分金属疲労だろうと思う。知らないうちにヒビが入り、外した瞬間にポロッと壊れてしまった。急場しのぎに瞬間接着剤でくっつけてある。ともかくこのままでは困るので、早速新しいメガネを注文してきた。

 メガネフレームにも流行り廃れがあって、最近の流行は「軽く小さく」というものらしい。その中でも主流はチタンフレームである。Φ2〜3mmくらいのチタンワイヤーを折り曲げ溶接部分を排除、徹底的な軽量化と構造の単純化を図ったものである。グニュ〜とヒン曲げてみたがまったくOK、これは良さそうである。レンズ形状は横に長く縦に狭いタイプがほとんど、円に近い形が好きな僕としてはちょっと不満である。

 試しに横長楕円のレンズがついたヤツをかけてみた。これは遺憾。スネオのママみたいである。

 そこで、レンズに穴を空け、直接チタンフレームを取り付けるタイプにする。そうすればある程度レンズ形状の選択に幅ができるからだ。レンズを支える部分にフレームがないので強度はイマイチだが、何よりも軽いのはありがたい。重厚長大は大好き、けれどもメガネだけは軽薄短小が良い。多分、重いよりも軽いほうがオーディオ的にも良いと思う。

 フレームが決まればレンズを選ぶ。よほど特殊な事情がない限り、今はプラスチックレンズがほとんどである。1.ハードコート 2.マルチコート 3.ハイビジョンコート 4.スーパーハイビジョンコートと、四つのグレードがある。「コート」とはレンズの表面処理のことで、キズ付きにくくしたり、レンズ内の乱反射を抑えたりする。プラスチック基材の差もあるようだ。実際の使用では明るさ、透明度の差となって現われることになる。

 1と2、あるいは3と4ではさほどの差にはならないが、2と3ではかなりの差になる。3も良いが4は圧倒的な透明感、高解像度、妙な反射が少なく使用感最高である。一般的な環境では3で充分、ところがプロジェクター映像を見ると、大きく差が出るから不思議である。矯正度数は同じなのに、4で見るとフォーカスがバッチリ決まって見えるのだ。

 さらに不思議なのは、メガネが良くなると音も良くなるという現実。聴覚に与える視覚の影響は想像以上に大きいことを実感できるのである。

 もちろん今回も4の「スーパーハイビジョンコート」レンズにする。泣き所はその価格。高い。フレーム、レンズの合計で結構なCDプレーヤーが買えるほどの値段である。

 しかし、考えてみれば視力の低い僕にとってメガネは「第二の目」とも言えるわけで、それをケチッてグワイ悪くなるのもバカバカしい。ぶっ壊れた方のレンズはキズだらけ、新しくすることで画も音も良くなるわけだから、安い投資かもしれない。

 メガネ必須VAファンの皆さん、プレーヤーやプロジェクターをグレードアップする前に、メガネレンズのグレードを上げてみてください。きっと良くなります。

 見えすぎちゃって困る、かな?

’01/10/09 (火)

仲間


 今月はお客様の多い月になった。昨日はRaioさんとそのお友達のSさんTさん、げんきまじんさんの4人ご来訪。例によって夜遅くまで遊び呆けてしまい、更新がお昼になりました。

 Raioさんは5月以来、前回から見ると箱船システムはDFリング、GMホーン、リヤカノンLのユニット、プリアンプなど、変更が極めて多く、「ぜんぜん別の音になりましたね!」と驚いている。イヤ、そーなんです、どーもスミマセン。

 RaioさんとSさん、お二人ともスーパースワンユーザーということで、箱船の「白黒スワン」も聴いてみた。ここしばらく鳴らしていなかったのでちょっと寝ぼけていた感じだが、聴いているうちに目が醒め、調子に乗ってトゥイーター(FT-90HG)を付加したらとても良く鳴ってくれた。音場感はやはり圧巻、時々鳴らしてやらないとバチが当たるぞ。

 メインシステムではAD中心の試聴。SさんはADを聴くのが初めてという。「アナログは良いですよ」と言いながらハッと気が付いた。C-AX10を使っているわけだから「ピュアアナログ」とは言えないのだった。「A-D/D-A変換した後のアナログレコードの音」を聴いているのである。

 若いSさんの耳にこの音がどう響いたろうか。僕とまじんさんのおっさん組は「アナログはいいね〜」などど分かったようなことを言っている。ホントはディジタルなのに。

 Raioさん、Sさん、Tさん、楽しかったです。ありがとう。また来てね。まじんさん、いつもお忙しい中、時間を割いていただきありがとうございます。

 音を聴くもオーディオ、仲間と交わるもオーディオ。

’01/10/08 (月)

整理


 プリアンプをC-AX10に変更し、中央ラックの裏側はずいぶんスッキリした。トライアンプしていた時に比べると何だか寂しいくらいである。その頃の裏側を見て「工場みたいだ」と言った人があったが、今ならそうでもないと思う、のだが。

 整理された原因は、まずCDをディジタルで繋いだこと、これでコードが1本減った。それからサブウーファー用のコイルがなくなったこと。この二点が大きい。まだDVDをつないでいないから、コードがあと1本、或いは2本増えるわけだ。それでも以前のようなコード錯綜ラーメン工場状態にはならないだろう。入力機器は元々少ない。CD-R、DATなどは使う時だけつなぎ、普段はシステムから外してある。一見大掛かりに見えるシステム、実は意外にアッサリしたものなのである。

 全体的に音の見通しがよくなったのは、もちろんディジタルネットワークの効用が大きいわけだが、コードが整理された結果の副次的効果もあると思う。特に僕の使っている自作コードはシールドが入っていないものが多いので、できるだけ錯綜しないほうが良いに決まっているのダ。

 多くの機器をつなぐと、コードがゴチャゴチャする以外にもAC極性の管理がヤヤコシくなるという、面倒臭がりの僕にとってはヒジョーな難題が発生するのだ。プリに繋がったままOFF状態にする機器が多かったりすると、これは大変である。ON-OFFでのアース電位差を一つ一つ測り、使用頻度に応じて電位差組み合わせを決めなくてはならない。しかもそれがベストの組み合わせであるかどうかは、耳で決定しなければならないのだ。そんなこと、僕にはとてもできない。機器はできるだけ少ない方がいいのである。

 使用状況はそれぞれだが、その中で一番シンプルな使い方を選択するのが基本ということか。その意味でもC-AX10は、箱船システムで大いに役立っているのである。

’01/10/07 (日)

解説盤の謎


 ぷあさんからメールをいただいた。お借りしているセットの「解説盤」(いちばん右端)にのみ、シールと背文字がない点の確認である。ぷあさんがお持ちのセットの写真も見せていただいたが、解説盤にも文字が入っている。よく見ると字体も少し違うように見える。???

 このオリジナルRINGSETは、全世界完全限定でリリースされたものだから、相手先の国によって若干装丁を変えていたのだろうか。それとも単なる印刷原版の違い?

 中のディスクそのものはまったく同じ物のようである。「ZALナンバー」と呼ばれるスタンパー識別番号も一致しているようだ。

 ぷあさんの言葉をお借りして言えば「これだから、デッカはわからない」のである。ぷあさんにわからないものが、僕にわけるわけもない。

 このセットのオーナーでいらっしゃるMさん、何かご存知でしたら是非ご教示ください。

’01/10/06 (土)

Ultra Mint Condition


 お借りしているオリジナルRINGSETの背表紙である。左から、「ラインの黄金」「ジークフリート」「ワルキューレ」「神々の黄昏」「解説盤」の順に並んでいる。

 RING研究家のぷあさんによると、写真のようにシールつきのものは非常に珍しいそうである。僕は恥かしながら不勉強で、初めて見るのがこのセットだから特にすごいものだとはまったく気が付かなかった。無知とは恐ろしいものだ。お貸しくださっているMさんにも大変失敬なことである。申し訳ありません。

 さて、この貴重なレコード、謹んで試聴させていただいた。といってもまだ「ラインの黄金」2面だけ、まだ21枚分残っているのだが。

 結論から言えば、これは正真正銘のお宝アナログレコードである。

 改めて盤を仔細に点検すると、その状態の良さに驚きの声を上げずにはいられない。恐ろしく美しいのである。とても36年前のレコードとは思えない。センターホール周辺の探りキズは22枚全て皆無である。これは凄いことなのだ。盤面にも目立ったキズはまったく無い。目を皿のようにし、光にすかしてようやく僅かな汚れと思われる曇りが見えるくらいである。ウルトラミントコンディション。スーパーレアアイテム。入手は極めて困難、と言うより、ほとんど不可能に近いだろう。よくぞこんなものをお貸しくださったものだと、感激を新たにするのである。

 実際に聴いてみても古さは感じられず、知らない人に黙って聴かせれば新盤と思うだろう。音は今まで聴いた黄金の中では最高。1959年のオリジナル黄金をも上回っていると感じた。何が違うといって、その情報量の多さと歪み感の少なさである。全域に漲る圧倒的な力感、しかもヒステリックな感じはまったく無く、極めてスムースで繊細。独DECCA盤ではボーカルが荒れがちになるところも、この盤では非常に美しく聴ける。国内盤はまったく勝負にならない。情報が多いせいか音場感も大変良く、移動感が凄い。まったく文句のつけようがないレコードである。う〜ん、コイツはすっかり参りました。

 Mさん、素晴らしい体験をさせていただいております。本当にありがとうございます。

 国内盤、独DECCA盤、英DECCAオリジナル盤、同再発盤、米LONDON盤、これだけ持っていればもういいかと思っていたが、こんなふうに聴いてしまうとモーレツに欲しくなった。ヨシ、ここは一丁本腰を入れて捜すことにしよう。

 でも、これほどのコンディションのものは、到底無理だろうなぁ。

’01/10/05 (金)

ブレーク・イン


 ムカシムカシ僕が中学生の頃、まだロックミュージックに目覚める前、模型エンジンに熱を上げていた時期があった。中学生の小遣いでできることには自ずから限界があり、RC(ラジコン)などにはとても手が届かず、もっぱらUコン(細いワイヤーで繋がった模型飛行機をグルグル飛ばす原始的なヤツ)で遊んでいた。

 それに使う模型エンジンは09(ゼロキュー)とか15(イチゴー)とか呼ばれる、排気量の小さなもので、それもかなり無理をして買っていたような記憶がある。初めて買ったのはFUJI(フジ)という国内メーカーの09。ビギナー向けで安かったのである。OS(オーエス)、ENYA(エンヤ)といったブランド品は高嶺の花でとても買えなかった。

 重量200gにも満たないような小さなものとは言え、立派な2サイクルエンジンである。純然たる内燃機関。「ラジコン技術」という月刊誌を買い込み新しいエンジンの使い方を調べると、「イキナリ高回転させてはイケナイ」と書いてある。「ブレーク・イン」という手順を踏むのである。

 言うなれば低速での慣らし運転である。擦り合わせと言ってもいいだろう。新しいピストン、シリンダー、クランクシャフトは噛み合せが固く、イキナリ高速で回すと金属微粉末が発生し、それらにキズをつける。ピストンとシリンダーにキズをつけると気密性が低下し、圧縮比が下がって正しく点火できなくなる。つまり、動かなくなるワケだ。

 いちばん最初は油を差しながら手でゆっくりカクンカクンと回す。それを十数時間続けた後、黒く汚れた油を充分に排出、ここで初めてバッテリーを繋ぎ始動させ低速で運転する。徐々に回転を上げ、一週間ほどをかけて最高回転(排気音でだいたい分かる)まで持っていくのである。

 ああ、前置きが長くなっちゃった。

 今日の画像はC-AX10の裏側である。底板と脚。「ペンタ・レイヤードシャーシ」と銘打った5枚重ねの底板に、真鍮ムクの脚が付いている。重量は量っていないがかなり重そうである。筐体も金属フレームと仕切り板を多用しているようで、とにかくコチコチのアンプである。

 使い始めの音に独特のトゲトゲしさがあるのは、この辺の影響がありそうだ。これだけ金属板を組み合わせると、鳴きは無いにしても互いの噛み合わせがギクシャクしているのではないだろうか。もちろんミクロレベルの話である。

 模型エンジンの「ブレーク・イン」、それは正にエージングなのである。このアンプもガンガン鳴らして筐体を揺さぶり金属境界面をよく擦り合わせ、「ブレーク・イン」することでスムースな音が出るようになるはずである。

 これはC-AX10に限ったことではないと思う。すべてのオーディオ機器に共通するものだろう。やはり最初の1ヶ月程度、出来れば数ヶ月はじっとガマンすべきなのだ。

 「急いてはコトを仕損じる」のである。

’01/10/04 (木)

IR168


 昨日から今日にかけ箱船の客室に、多くの方から一周年お祝いのメッセージを頂いている。僕はもう、ナミダが出るほどうれしいのである。いつも同じことばかり言ってますが、他に言葉を思いつきません。唯ただ感謝申し上げるばかりです。本当にありがとうございます。

 さて、今日はげんきまじんさんと、いつも金属パーツの加工でお世話になっているIさんが御出でになった。げんきまじんさんはADを数タイトル、Iさんは例によってお願いしていたリヤカノンL用インナーリングをお土産にお持ちくださった。

 まじんさんのADは僕の食指がムズムズするものばかり、ちゃっかりお譲り願った。まじんさん、ありがとうございました。大切に聴かせていただきます。

 IさんのIR168は、上の画像に見えるようにいつもながら素晴らしい加工精度と仕上げである。今回はリヤカノンLの構造上、幅を狭くした分厚みを15mmに増やしてもらったのだが、これがなかなかの迫力である。断面が正方形に近くなり、幅は狭くとも如何にも頑丈そうなIRが出来てきた。

 半月型本体1本420g、ジョイントパーツ1個80g、1セットあたりちょうど1,000g。IR208が1,050gだったから、あまり変わらないことになる。

 分割したIR本体を繋ぐジョイントパーツも平面精度抜群である。実際に取り付けてみると本体にピタッと密着し、非分割タイプより却って強度が出るのではないかと思わせるほどの出来である。原案を考えてくださったAE86さんには大感謝、ありがとうございました。

 あんまり仕上げが良いので、バッフル裏側に隠れてしまうのが口惜しく思われる。当然のことながら、まったく目に触れないところで働きを見せるのがIRなのだから仕方がない。

 早速に取り付けた。エンクロージャーのマズイ工作精度から来るトラブルをいちばん心配したが、逃げを考えIRの外径をやや小さめに作ってもらったのが功を奏して、一発でバッチリ収まった。オニメナットをドリルで削り飛ばしておいたのも良かったようだ。

 これを使って音が劇的に良くなった...なんてことはまったく無いのである。但し、取り付け強度は飛躍的に上がっているはずである。これが良くないわけはない。それはスーパーネッシーのIRでも同じこと、こういう僅かな積み重ねが大切なのだと思う。

 Iさんには、復も取り付けまでお世話になってしまった。いつもながらゆきとどいたご配慮、本当にありがとうございました。

 これでユニット周りの環境はすべて整った。あとはC-AX10をどう使いこなすか、だが、これが一番の難物だったりするのである。

’01/10/03 (水)

一周年


 あまり綺麗でない画像をお見せするのは本意ではないのだが、HP開設一周年記念ということでお許し願いたいのである。

 上の画像は一年前、ようやくアップできるかと思えるところまで来た頃のトップページである。コンテンツはまだ五つだけ、幅の設定が上手く行かず中央の写真が右に寄っていたり、サブタイトルが妙なところで改行されていたりと、不具合だらけである。

 この後、げんきまじんさん流離いの旅人さんなどから強力なサポートを受け、どうにかアップに至って以来、今日でちょうど丸一年を迎えた。PCについての技術はまったく進化していない。確かにコンテンツは増えたと言えども、本質的な向上があったとも思えない。正に「戯言」を書きつのっての一年であって、内心忸怩たる思いで一杯なのである。

 にもかかわらず、この一年で63,000件を超えるアクセスをいただいた。まったく以って一年前の僕から見れば夢のような数字である。折に触れ申し上げて来たことではあるが、ただひたすらに感謝申し上げる他にはない。曲がりなりにもここまで続けることができたのは、すべて皆さんのおかげさまです。本当にありがとうございました。

 さて、次の一年はどうなるのかといえば、それはきっと何も変わらないのだろうと思う。閲覧のし易さ、コンテンツの充実など問題は山のようにあり、もちろん改善の努力はして行きたいと考えているが、どこまで行ってもいい加減な僕のことだから、今後も同じく「戯言」の羅列に専一となるに違いないのである。

 申し訳ないのは重々承知の上でお願いしたい。これからも変わらぬご愛顧を賜りますように。

’01/10/02 (火)

全て重厚長大


 この威容をご覧いただきたい。「ニーベルングの指環」初版オリジナルフルセットである。「ラインの黄金」3枚、「ジークフリート」5枚、「ワルキューレ」5枚、「神々の黄昏」6枚、ハイライト3枚、合計22枚セット、超豪華な化粧箱入りである。各パートごとに立派な背表紙(分厚い木製)が付いたケースにセパレートされていて、重々しく引き出せるようになっている。重量を量ろうと10kg秤に載せたら、針が振り切れ底を打ってしまった。軽く13〜14kgはあるだろう。デカ過ぎてウチのADラックには入らない。

 外観、盤とも状態は極めて良く、ミントコンディションである。こういうものがあると話には聞いていたが、実物を見るのはこれが初めて、なんとも言えない存在感と威圧感のあるセットだ。紙化粧箱入りセットとは比べるべくも無いのである。

 買った? いえいえ、こんなものがそう簡単に手に入るはずも無い。奇特な方が、ご親切にもお貸しくださったのである。なんということだろうか。これはもう感謝し切れないほどの喜びである。本当にありがとうございました。

 今日は少々多忙で、未だ聞けてはいない。1965年の全曲録音完了を記念して、初めてリリースされた初版フルセット(で、間違いない..ですか、ぷあさん?)、どんな音がするのか、非常に楽しみである。

 曲、演奏、録音、装丁、全ての点に於いて正に重厚長大、おそらくこれを超えるものは何処にも存在しないだろう。これぞアナログ、眺めているだけでもシアワセな気持ちになるのだった。

 実物を見てしまうとなぁ....。

’01/10/01 (月)

メールに思う

 今日から10月である。夜になると外は随分寒くなり、涼しいなどと言ってはいられなくなった。ああ、カナシイなぁ。また寒さと雪に文句を言いまくる季節がやってくるのだ。ああイヤダイヤダ。

 ところで。

 毎日数通のメールをもらうが、気心の知れた友達からのものはもちろん、初めての方からのメールも多い。そのほとんどがHPネタに対する感想、質問、指摘などである。いずれにしてもメールをいただけるのは非常に嬉しいもので、HP管理者としては読ませていただくのをとても楽しみにしている。

 だがしかし。

 最近あまりにも礼を失したメールが多いのには困り果てるのである。僕はネット初心者なので、いわゆるe-mail特有のエチケットなるものをキチンと認識していないところは大いにあると自覚している。だが、如何にe-mailと言えども、基本的には一般的な書簡に準ずる「礼儀」が存在するはずだと思っているが、これは見当が違うのだろうか。掲示板への書き込みとは、その性格を異にすると存ずるのである。

 堅苦しい挨拶文など必要とは思わないが、せめて件名、文頭の宛名、文末の自署あるいは結文くらいは最低限必要ではないのか? しかもそれが初めてのメールであれば尚更のことであろう。気心の知れた友人との遣り取りではないのだから。

 件名ナシ、宛名ナシ、自署もナシ、結文もちろんナシ、分かるのは要件とくっ付いてくるメールアドレスだけ。それで充分じゃないか、内容がわかり返信できれば良いのだからとおっしゃるムキもあるだろう。だが、僕はイヤだ。非常に不愉快である。そんなメールに返信などしたくない。

 誤解のないように申し上げたい。僕は何もムツカシイことを言うつもりも、不遜な態度をとるつもりもけっしてないのである。朝起きたら「おはよう」、お昼には「こんにちは」、夜には「こんばんわ」、ゴハンの前後には「いただきます」「ごちそうさま」、何かしてもらったら「ありがとう」と言うが如く、極々普通であって欲しいと願うだけである。もし、今やそれが「普通」でなく「困難」な、あるいは「非常識」なことであったならば、僕はもう世の中にゼツボウしてしまいます。

 オーディオネタが基本の航海日誌に、こういうことを書くのは本意ではない。けれども、ほんの少し相手を慮る気持ちがあれば、お互い不幸になることを避けられると思い、場違いを承知で書いてしまった。

 どうか僕の悲しみ(憤りではありません)をご理解いただき、ご容赦願いたいと思うのでございます。