箱船航海日誌 2001年01月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’01/01/31 (水)

やっぱりウマイ


 先々週の金曜日から下の愚息がインフルエンザにかかり、先週末やっと復活したもののカオを見ると何だかアオビョータンみたいである。ヨッシャ、ここはひとつ快気祝いでもして馬力をかけようっちゅうことで、好物の焼肉をぶちかました。炭焼きが一番ウマイ、ビンチョータンはあるかとアオビョータンが言う。へいへいわかりやした、今日はアンタの快気祝いですからおっしゃるとーりにいたしやしょうと、上のようなことになった。

 一度これをやると、もう止められない。ローコストCDで充分と思っていたが高級機を聴いたらもうダメってなもんである。ウマイのは肉だけではない。とうもろこしに醤油+みりんのタレをからませて焼いたヤツは、そりゃーもうたまらん。アルミホイルに包んであるのは皮付きで下茹でしたジャガイモである。焼き始めに網の端へ転がしておけば、終わる頃にはホコホコのヤツが食べられる。塩でもバターでもお好みでどうぞっ。

 愚息の病気にかこつけて、わしわしと食べてしまった。牛さん、野菜さん、キミタチの命をいただいてワタシは生きて行けますと、破戒僧は言っておこう。

’01/01/30 (火)

久々に動物ネタ


 裏庭の雪に残った足跡。ビックリマークみたいなこの形は野ウサギである。後ろの山からやってきて裏庭を横切り、箱船の前を通って隣家の方へ向かっている。勝手口に残り物を出してあるのだが、それに関心を示している様子はない。草食だから当たり前か。

 後ろの山は一部墓地になっていて、夏、掃除に行くと土手に細い踏み分け道のようなものがついているのを見ることが出来る。仔細に調べると、ツメでひっかいたような痕もある。「獣道」である。この道を通って、頻繁に獣たちが行き来をしているらしい。おそらく野ウサギもこのルートを使っているのだろう。

 御出でになった方ならお分かりだろうが、ウチはそんなに山深いところにあるわけではないのである。町は間違いなくイナカだが、深山幽谷には程遠い。にもかかわらず、クマだ野ウサギだとネタにできるのは、自然が身近にあることの証明か。子供達は「動物園みたいだ!」とよろこんでいる。『自然と人間社会の共存』なんて見当外れなコピーをよく見かけるが、ウチはなんにもしなくてもちゃんと共存している。いや、共存と言うよりは「渾然一体」という感じである。

 喜んでいるのは子供達だけでなく、僕も楽しんでいる。見たことのない痕跡を見つけると、嬉しくなってしまうのだった。

’01/01/29 (月)

がんばってます


 このところ暫く、このカートリッジをメインに使っている。オルトフォンMC−Rohmannである。発売当時、彼のMC−L1000を超えたか!と話題になったものだが、確かにL1000を凌ぐ一面も持っている。中でもSNの良さは特筆すべきもの、L1000にこの静かさは、ない。カンチレバーを持ちながら、目の覚めるようなトランジェントを示すところもただものではない。ハイスピード志向のカートリッジであることは確かである。とはいえ、どこか上品な香りを漂わせる辺りは、やはりオルトフォンかと感じさせる部分もある。非常に魅力ある一品だと思う。

 先日、話題の最新カートリッジを試聴する機会に恵まれた。どれも素晴らしい製品であった。もうL1000は要らないとさえ思わせるほどである。しかし、だ。上のMC−Rohmannも含めて、そういうカートリッジを聴いて感激した後、改めてL1000を聴くと、やはり「良いなあ〜」と思ってしまうのはナゼだ?  L1000の音には何かしら魔力があるようだ。

 プリントコイルが断線すれば修理不能、針先の交換も極めて困難、手持ちの現品限り、なんてアブナいカートリッジからは早く脱却しなければと思う。思うがそれが難しい。

 やっぱりL1000中毒かな?

’01/01/28 (日)

こんなのでした


 箱船完成その後を追うページをアップしようと準備している。初代のSPはD−55だったのだが、そのときの写真がどうしても見つからない。撮ってなかったのかなとゴソゴソ捜していたら、大昔の写真が出てきた。母屋の部屋のもう一つ前、今は隠居になっている建物の二階、天井裏みたいな部屋にセットしていた時の写真である。おおかた12年前のことになる。

 やたらとだだっぴろい部屋だった。面積だけでは箱船よりも広かったはずだ。ただし、基本的には物置部屋だったのでゴチャゴチャしていて、エアコンはもちろんなく隙間風がひどかった。冬はコタツとストーブを持ち込んでなんとかしのいだが、夏は厳しかった。遮音は皆無に等しく、それでも迷惑顧みずガンガン鳴らして近所の顰蹙を買っていた。

 D−55にはまだFE−206Sが着いている。トゥイーターは今と同じ、JA−0506IIのようだ。アンプはHMA−9500II、プリは使わず長岡式ボリュームボックス(2P65CS使用のヤツだ)を介してアンプ直結、CD/ADはいちいち差し替えて聴いていた。ADプレーヤーがラックの最上段に2台置いてある。SP−10III+EPA−100IIの自作とGT−2000Lである。GTのほうはターンテーブルをオプションの砲金製に換え、外部電源ユニットを追加、アームをサエクのWE−407/GTに換えて使っていた。CDX−10000、HX−10000の姿も見える。

 こうして書いてみると、かなりエキセントリックなシステムである。この頃の僕は「鮮度こそ命」と、余分なものはできるだけ排除、ストレートアンドダイレクトに徹していたらしい。それはそれで良かったのだが、結果は低音が痩せ気味、高域は突っ張ったかなりキツい音を出していたような気がする。

 この後、初めて方舟を訪問し、あまりの音の違いにショックを受けることになる。それに使い勝手の悪さも手伝って、プリアンプPRA−2000ZRを入れるのだが、そのときの衝撃もまた大きかった。全域に渡る音の力、低音の押し出し、切れ、音場感、多くの点でアンプダイレクトを上回っていたのである。

 この辺りから僕は、「箱船建設」などと言う良からぬことを考えるようになるのだった。

’01/01/27 (土)

K.Zildjian


 本当に久しぶりだが、ドラムセットに座ってみた。前に叩いたのは何時だったか、少なくとも1年は経っているはずである。別に怖がる必要はないのに、何となく恐る恐る叩いてみる。

 こりゃ、ヒドイ。ただでさえヘタクソなものが、しばらく叩かないうちにすっかり錆付いて、見るも(聴くも?)無残なものである。あっちで引き攣りこっちでつまづき、ちゃんとしたリズムにならない。だが、誰かに聴かせてるもんじゃあナシ、運動不足の解消だと開き直り1時間ばかりどつきたおしてしまった。

 ヘボなウデはさておき、改めて生音のデカさと鮮度の高さ(当たり前だな)に圧倒された。タイコの音はもちろん、シンバルのエネルギーも相当なものである。僕が使っているシンバルはZildjian(ジルジャン)というメーカーのものだ。同じZildjianでも、A.ZildjianとK.Zildjianとがある。A.の音はわりと派手で、どちらかと言えば高域寄り、K.のほうはややおとなしめ、ダークな音色に仕上げてある。一聴、A.はめざましくシンバルらしい音に聴こえるのだが、よく聴くとK.の方が切れ、粒立ち、到達力、ハイの伸びなど、上回っている点が多いことに気付くのである。上の写真はK.Zildjianハイハットシンバルだが、ペダルを踏み込みクローズさせたときの「シャッ!」という音で、その差歴然である。

 僕が学生だった頃は高嶺の花で、とても手が出なかったK.Zildjian。そんなものを複数枚使えるようになった今、まともにドラムを叩かなくなってしまうのだから、皮肉なものである。もうちょっと使ってやらないと、「モッタイナイオバケ」が出るぞ。

’01/01/26 (金)

終わりかた


 久しぶりにゆっくりとDVDで映画を見た。「アンドリュー NDR114」である。主演のロビン・ウィリアムス、僕はこの人をそんなに好きなほうではないのだが、いつも気がついたら見てしまっている。しかも見た後、満足していることが多いのだ。やっぱり名優なのかしらん。ヒューマンドラマの帝王か。

 大変良い映画だった。不老不死(アンドロイドだから当たり前)のアンドリューが、それ故に多くの大切な人々との悲しい別れを余儀なくされる。彼は、死ぬことの出来ない自分の存在を悲しみ、自ら命に限りを与え、やがて「満ちたりた死」を迎えるのである。

 人は生まれ方を選ぶことはできない。だが、死に方の選択は場合によっては可能である。「理想的な死」というものが存在するとしたら、そしてそれを選べるとしたら、アンドリューの終わり方は見事であった。

 ストーリー、映像、音声すべてA級。箱船のSPマトリクスシステムでは「音声2」の2チャンネル・ドルビーサラウンドで聴くのが一番良かった。インターレースとプログレッシブ、やはりインターレースの方に一日の長があるようだ。1252QJではプログレを追い切れない?

’01/01/25 (木)

お応えできますや否や



 アクセサリーのページに載せた「ADスタビライザー3」、複数の方から問い合わせを頂いている。WEB上で公開したからには、ご覧になった方からご要望があるだろうことは当然予測していたわけで、何とかお応えできればとは思う。これを僕自身が製作しているのであれば、話はカンタン、「作ります」の一言でOKだ。ところが実は、僕の友人に無理を言って(Mさん、その節はありがとうございました)作ってもらったものであるだけに、迅速大量に対応するというわけにはいかない。

 もう一つ気になることは、その価格だ。ローコストのDVDプレーヤーが充分買えてしまう値段である。量産効果は全く無視した一点もの、しかも構造、形状ともに非一般的ということを考えれば、けっして高くはないのだが、気軽に「おひとつどうぞ」とは言えないのもまた事実である。

 そんなこんなで、なかなか腰が重いが前向きに検討中(なんかセージカさんみたいだ)なので、ここは一つ気を長くして宜しくお待ち願いたいのである。

’01/01/24 (水)

これもその頃


 下のレコードと並んでよく聴いたのがこれ。「チャック・マンジョーネ/フィールズ・ソー・グッド」である。このアルバムは何といっても1曲目、表題曲「feels so good」が一番好きだ。この曲は非常に良く売れたので、タイトルは知らずともメロディーを聴けば殆どの人が「ああ、あの曲ね」と思い出すのではないだろうか。「チャック・マンジョーネ」の名は、必ずしもメジャーとは言えないが。

 バイトしているときに限らず、朝起きたら必ずこの曲をかけていた。一日の始まりにこれを聴いておけば、その日一日げんきに過ごせそうな気がしたものだ。

 この頃僕は特にオーディオマニアというものではなかった。それでもこのレコードを輸入盤、国内盤、国内再発盤の三種類で手に入れ、「むむっ、一番音がイイのは輸入盤ではないか」などと分かったようなことをホザいていた記憶がある。

 20年経った今も愛聴盤である。オーディオ的にはどうと言うことのない録音だが、ガチャガチャしたロックのような歪み感はなく、気持ちよく聴けるCDである。今もBGMにこれを聴きながら書いている。やっぱり懐かしい気持ちになるなあ。

’01/01/23 (火)

冬の思ひ出


 冬になると必ず思い出すのは、学生時代のアルバイトのことである。もう20年も前のことだ。一回生の冬休み、僕はいいドラムセットが欲しくて休み全日をバイトで過ごすことにした。選んだ職種は「交通警備員」。ようするに道路工事現場の旗振りである。京都、河原町七条に事務所がある「K警備保障」という会社だった。当時としては高いほうに入る日勤時給600円、夜勤で1,000円。

 最初は毎朝会社に出勤し、制服に着替えて現場へ送ってもらっていたが、しばらくして慣れてくると現場直行になった。特に思い出深いのは京都市伏見区、醍醐三宝院近くの現場である。深く記憶に残っているそのワケは、出勤が極めて早朝だったからか。確か、午前7時現場集合だったとおもう。

 その頃僕は大阪府高槻市に住んでいた。現場へ7時に着こうとすると、5時には起きなければならない。5時に起き、阪急高槻市駅まで歩いて15分、早朝は特急の運転がないので急行に乗り、河原町まで約30分、駅の売店でグレープフルーツジュースと焼きソバパンを買い四条河原町の市バス乗り場へ。伏見方面行きバスに飛び乗ってパンを齧る。これがケッコウ遠くて現場最寄のバス停まで約40分。待ち合わせのロスタイムを入れて6時45分頃現場到着。

 この時、いつも聴いていたのが上に挙げた「クリストファー・クロス/南から来た男」だった。もちろんその頃はCDなんかないのでADからカセットにダビングして、ウォークマンが買えるほど裕福ではなかったからモノラルのポータブルカセットプレーヤーに無理やりヘッドフォンをつないで聴いていた。

 特に好きだったのは4曲目の「NEVER BE THE SAME」という曲。今も大好きだ。この曲を聴くと、あの時の朝の匂い、冷たい空気の感覚、町の風景、一緒に働いた友達の事、いろんなことが極めて鮮明に思い出される。

 こういう時僕は、音楽っていいなあと、思うのだった。

’01/01/22 (月)

何だ、これは


 東急ハンズで見つけたこの物体、何かお分かりだろうか? 上の画は接写して拡大されているので大きさが解りにくいが、実物は小さいものである。おしりからトンガリのてっぺんまでが8mm、鍔の径が10mm、胴体の径は5.9mm(半端だがこれにはワケがある)。4個一組で売ってある。いくらだったかすっかり忘れてしまったが、300円か400円くらいだったと思う。正確な商品名も失念、ダメだなあ。

 これは所謂「ジグ」である。これで本棚やラックなどの棚板を支える「ダボ」の位置決めをするわけだ。使い方は、棚板の木口にダボを入れる位置を決め、そこに6mmの穴を二つ開ける。その穴にこれをおしりのほうから嵌め込む(だから5.9mmなのでした)。それをラック側の棚をつけたい位置にぎゅっと押し付けると、トンガリによってダボを受ける位置にマークされる。そのマークをセンターとして6mmの穴をあければダボを正確に受けられる、という仕掛けである。だからこれは直径6mmのダボ専用だ。大型のラック用として8mm、10mmの物も売ってあったと思う。

 リヤカノンLを作ろうとしているときにこれを見つけ、そういえばFE−168SSのフレーム穴径は6mmだったなあと。いつも苦労するんだなあ、六角ネジを受けるTナットや鬼目ナット位置のセンター出し。以前すごく悲しいことがあったなあ、鬼目ナットをねじ込んで、さあユニット付けようとして8本のネジのうち7本までは何とか入ったけど、最後の1本がどうしても入らず、バッフル板だけ一から作り直したっけなあ、あれは悲しかったなあ、ちょっとでも位置がズレるとそーゆーことになっちゃうんだよなあ、ネジ8本だからなあ、でも今度のリヤカノンLにこれを使えば8個の穴全部のセンター出しが一発で決まるなあ、こりゃあ良いなあ、買ってみようかなあ。

 ということで、FE−168SSを裏返し、このジグ8個をフレーム穴に嵌め込み、バッフル板をギュッと押し付けると、鬼目ナットを入れる穴のセンター位置8個を一発で決めることが出来るのである。実際にユニットを付けるまではホントに大丈夫かしらん精度はとれているのかなあと心配だったが、それは杞憂。無事総計32本の六角ネジを軽くねじ込むことが出来た。

 同じような悩みを抱えた方がいらっしゃれば、これはお薦めだと思う。

’01/01/21 (日)

GOOD LUCK


 ウチの愚猫、「ラク」である。昨年5月12日の朝、ダンボール箱に入れて捨てられているのを愚息が拾ってきた。ようやく目が開いたかどうかくらいの子猫、体長は15cm未満、体重は200g程、色は黒ともいえず茶ともいえずアズキ色ともいえず、なんとも煮え切らない色をしている。

 拾われて来た時の状態は極めて悪く、前日からの雨で体はビショビショ、体温は低下、目ヤニだらけでブルブル震えていた。こりゃあダメかなと思ったが、何かの縁でウチへやってきたんだろう、やれることはやってみよう。それでダメなら仕方がない。

 まだ固形物は食べられる時期ではない。母乳が必要である。そんなものはないので新生児用の粉ミルクを買いに走り、醤油差しで飲ませてみる。おっ、喰いつきが良いじゃないか。グングン飲んでくれる。これならひょっとするとイケるかもしれない。醤油差し2本分くらい飲んだろうか、僕の股座で眠り始めた。あとはオシッコが出れば凡そ大丈夫だろうと思っていたら、何か生暖かいものが。おおっ、出た出たオシッコだ。もう一日放置されたら死んでいただろう。運が良かったね、ということで「GOOD LUCK」から「ラク」と命名。

 当面の危機を脱した彼女はその後スクスクと育ち(やがり)、今やすっかり極悪猫に成長した。ちっとも「GOOD」じゃない。早くに親猫と離されたせいか、来客と雪が好きなヘンな猫になってしまった。

 動物は飼い主に似るというが、音楽を鳴らすと気持ちよさそうに耳を傾けている。お気に入りは「高橋美智子/クリスタリーナ・グラスハープ」(日CBS/SONY 32DG83)。猫の聴覚は50kHzまで伸びているそうだから、グラスハ−プの高域が気持ちいいのかしらん。

 アナログならなおのこと?

’01/01/20 (土)

フィッシュアイ・レンズとは

 素晴らしい。写真のほうは全くの門外漢、魚眼レンズとゆーものがあるのは知っていたが、実際に撮影させてもらったのは初めて、こんな風に撮れるんだなあ。「超広角」の名に恥じない画角の広さ、おんでれえてしまった。これで撮るとたいして広くもないウチの境内が、おっそろしく広大に見える。本当はこんなに広くはありません。

 冬型の気圧配置もとりあえず緩み、気温は上昇(といっても5〜6℃までだが)、雪は止んで青空が出てきた。青い空と真っ白な雪のコントラストはやっぱり美しい。昨日からは雨が降り、雪もかなりヘコんでくれたが状況は上の写真とそんなに違わない。

 雪のないところにお住まいの方、この風景で雪見酒など如何ですか? 雪で冷やしたビールは絶品ですぜ。

’01/01/19 (金)

寒い冬を追い払うために

 タカノツメ。市販品ではなく、知り合いのオバアチャンが畑で作った自作(?)品である。実の大きさは、一つが1.5cm未満と非常に小さい。畑で赤く色付いたら刈り取って2週間ほど陰干しにする。カリカリに乾いたら実を採って蓋がしっかり閉まる瓶などに保存する。
 使い方は色々、粉々に砕いて一味トンガラシ、ただしこれをやると風味が保てないので、面倒でも使うたびにはさみで細かく切って食べると、これはもう絶品。

 実が小さいからと侮ったら大変。これの辛さは尋常ではない。小三の愚息にホンのひとかけら舐めさせたら、ギャッと一声叫んで部屋を飛び出し庭を駆け抜け隣の家へ駆け上がりネコのシッポを踏んでオジサンの顔をかきむしった、というくらい辛い。辛いだけではなく、風味が極めて豊かなのである。うどん、ソバはもちろん、丼モノ、カレー、焼肉のタレ、餃子のタレ、もみじおろし、漬物、ピザ、湯豆腐、キムチ、何に使っても食欲増進、一度これを食べたら市販品は相手にならない。強烈な辛味とともに、お日様の香りとなんともいえない旨みがシアワセな気持ちにさせてくれるのである。

 辛さに弱い人にはお薦めできないが、この味と香り、他ではちょっと味わえないと思う。寒い冬はこのトンガラシで体を暖かくしよう。

’01/01/18 (木)

デジタルカメラ

 学生時代からの友達である“徳さん”がデジカメを借してくれた。FUJIのFinePix1500。スマートメディア使用、FDアダプターを介してFDDから画像を取り込むタイプである。思いついたとき、すぐに撮って即取り込みができるのは大きなメリットだ。嬉しくなってしまって昨日からカシャカシャと撮りまくっている。PC初心者にこんなものを持たせるとロクなことはない。上の写真もそのうちの一枚。箱船1階の近景を上げてみた。

 「いつまで貸してくれるのん?」と訊いたら「う〜ん、いつまででもエエけど...春くらいまで、どう?」と非常にありがたいオコトバ。どうもありがとう。大切に使わせていただきます。お返しするまでには自分も買いますから。

 取り込んだ画像を、「ホームページビルダー」に付属していた「デジカメの達人」でイヂルのだが、これが良く解らない。容量を小さく、しかも綺麗に見えるようにするのに四苦八苦、やっと出来たと思ってページに引っ張ってきたら、ドーンとでかくて使えない。トリミングしたら上手く切り抜けない。解像度を落としたらモザイクだらけで何の写真か解らなくなった。元に戻そうとしたら戻らない。jpgファイルにしたつもりがgifになっている。すべて僕の操作ミスで起こっていることである。HPBを使い始めた頃もまったくこの通りだった。ちゃんと使いこなせるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうである。

 デジカメを借りている間に、勉強しておこう。

’01/01/17 (水)

♪ ようこそここへ〜 ♪

 Kuck Kuck〜♪ということで、KUCKUCKレーベルのお話。以前ROKUさんとの会話の中で、マイナーレーベルに話が及んだ時、特に盛り上がったのがこのレーベルについてだった。と言うのも、「長岡鉄男の外盤A級セレクション」第三集245番、「チャイタンヤ・ハリ・ドイター/蝉/KUCKUCK056」がここからリリースされているのだが、それをROKUさんがゲットしたというのである。先日CLARITY RCORDINGSはどうなったんだろうと書いたが、このKUCKUCKも最近見ないレーベルの一つだ。それをゲットするとはエライもんだ、こんなレーベル誰も知らんよと盛り上がった訳である。そもそもこのレーベル、正しくは何と読むんだろう。「クッククック」? それとも「クックック」?

 残念ながら僕は持っていない。その代わりと言ってはナンだが、同じ演奏者の「CELEBRATION/KUCKUCK040」というのを持っている。上の写真はそのレコードのセンターレーベル部分。「蝉」を聴いたことがないので正確なことは言えないが、先生の記事からするとこの「CELEBRATION」も似たような内容のようである。「一瞬の祭典」「人生は愛」「草は自ずから成長する」「孤独な小鳥」など全8曲、環境音とインド楽器、それにドイターの呟き歌。どうもこの人、インド思想に傾倒しているようで(“チャイタンヤ・ハリ”というネームもそれに関係しているらしい。本名はゲオルグ・ドイター)音楽にもそれが色濃く表れている。個人的にはわりと気に入っているレコードである。センターレーベルも綺麗で、なかなか良い。

 A級外セレに載っているのだから、もちろん“誰も知らん”ことはないと思う。だが、正にマイナー・レーベルであろう。まだ存続しているのだろうか。このあいだ女将さんから教えていただいた検索サイトで調べてみようかな。

’01/01/16 (火)

大雪一過...かな?

 とりあえず、晴れた。15日朝の時点で70cm超、鐘撞き堂もすっかりダンプされてしまった。しかし、今回の雪はこれで終わりというわけにはいかないらしい。15日16時10分発表の天気予報によると、15日夕方から16日朝にかけて再び冬型の気圧配置が強まり、更に大雪の危険があるということだ。

 現在15日23時30分、日中は晴天が続き朝からの積雪はない。さっきからまたチラホラ降りだしたが、気温が低い(−5℃)のであっという間に白くなる。さて、明朝のグワイや如何に?

 積雪の後、スカッと晴れたときの風景はいかにも美しい。正に「白銀」である。庭の雪空かしも済んで、道路も除雪された後、ふらっとやってきて「うわー、きれいだにゃあ」と言って帰れたら、雪が好きになるだろう。僕も昔はそうだった。

 雪なんか、嫌いだ。

 何だか今年は雪が多いようである。HP開設したからネタをくれてるのかしらん。明日の日誌も雪のことを書こうか? もっと積もったりして。

’01/01/15 (月)

きっつぅ〜

 平成13年 1月14日16時30分 舞鶴海洋気象台発表
丹後地区大雪警報風雪,雷,波浪,低温注意報
((京都府北部丹後地区では、15日昼にかけ大雪となり、降雪量が多い所で60−80センチの見込みです。))

 もお、ええっちゅうねん。13日の晩から降り始めた雪は止むことを知らず、14日日中も降りっぱなし、夕方になっても止まず、5m先が見えないほどの吹雪になり積雪は既に50cm超、どうなってるんだと気象情報サイトで調べてみたら、上のような有様。京都府北部の中でも、丹後地区限定の大雪警報である。そんな限定、いらんわい。

 10日の日誌に「モドリがこわい」と書いたが、ほんとに来たようだ。昨年2月に156cm積もった時でもこんな降り方はしなかった。今年の雪はダイナミック且つハイスピード、立ち上がりが良く高能率、しかも圧倒的パワーで押してくる。

 やっぱり冬場のOFF会は、できないかな....。

’01/01/14 (日)

CLARITY RECORDINGS 健在

 表題レーベルのWEBサイトを女将さんより教えていただいた。健在だったらしい。リリース状況をみると現在CCD−1017まで、この6年余で13タイトル、超低速である。ただし、ADは既に止めているようだ。当時から限定リリースだったから、致し方なしか。

 僕は以下の4タイトルを持っている。

Catalog Artist Title

CCD-1001

Mary Stallings

Fine and Mellow

CCD-1002

Claudia Gomez

Salamandra

CCD-1003

Redwood Symphony

Petrushka and The Soldier's Tale

CCD-1004

Kevin Gibbs and Friends

A Piano For All Seasons


 1001、1003はCD、AD両方、1002はADのみ、1004はCDのみ、という内訳である。01、03、04は優秀録音と言って良いと思う。02はどうかな〜、内容はラテン・フュージョンというか、エスニック・フュージョンというか、なんとなく泥臭い音楽である。色々と能書きを並べて録音に拘ったわりにはイマイチ上手くいっていないようで、優秀とは言えない。

 ジャケットを見たとき、こりゃイカンかなと思ったが、やっぱりそうだった。何だかこのタイトルだけ、異様に趣味が良くないのだ。「名は態をあらわす」、「ジャケットは音をあらわす」? 1005〜1017も是非聴いて(見て?)みたいところである。

’01/01/13 (土)

前歴

 昨日から地震が続いている。一回目は昨日の朝8時ちょうど。震度4。これはけっこう大きかった。特に被害はなかったが、給湯ボイラーの対震装置が働いてお湯が出なくなった。そのあとも余震が収まらない。今もまた揺れあり、震度は1くらいだろう。震源は兵庫県北部、豊岡市あたりらしい。

 丹後には大地震の前科がある。「北丹後大地震」である。昭和2(1927)年3月7日午後6時05分、網野町を震源としたM7.3の地震が丹後全域を襲った。死者2,925人、家屋の全壊全焼2,584戸。人口の少なかった当時としては、相当な被害であった。震度は現在の基準で表すと「7」以上であったと推測されている。

 この辺りの地震周期は60〜70年と言われている。そうすると、北丹後大地震から今年で74年、そろそろ危ないかという感じだ。危ないといって、どうすることも出来ない。非常食を用意するか、逃げ場所を決めておくか、せいぜいそんなところである。震度7なんてのが来たら、どんな家だって潰れるだろう。家具が倒れるとか、ガラスが割れるとか、そんな問題ではない。良寛さんもおっしゃった。「災難に遭うときは、災難に遭うがよろし候。死ぬときは、死ぬがよろし候」と。

 と、いいながらこの箱船は、震度7までなら倒壊しない設計になっているそうだから、母屋が潰れてなお生き残っていたら、ここで暮らすことにしよう。でもウチの境内全部、町から「非常時広域特定避難区域」に指定されているから、ここは救護所になってしまうかな。それとも霊安所か...。

’01/01/12 (金)

寝てしまいました II

 電源コードを引き抜かれたパワーアンプのように、寝てしまいました。年末から半徹夜が続いていて、とうとうエネルギー切れを起こしたようだ。おかげさまで12時間睡眠。やっぱり時々これをやらないと辛くなってきたなあ。だが、徹夜続きが持たなくなったことよりも、12時間寝た後に腰が痛くなることに若さがなくなったと感じてしまうのであった。

 運動不足、かな。

’01/01/11 (木)

CLARITY RECORDINGSは何処へ?

 このCDを買ったのは’94年5月3日だから、もう7年近く前になる。KEVIN GIBBS & FRIENDS / "A PIANO FOR ALL SEASONS" / CLARITY RECORDINGS CCD-1004。このレーベル、一時期高音質録音を謳って彗星の如く現れたが、僕の知る範囲では4〜5タイトルをリリースして、市場から姿を消してしまった。

 このCDは番号からすると4番目、この後があるのかどうか僕は知らない。純金蒸着CD、しかも盤の素材にポリカーボネートではなく、当時の新素材ZEONEX(ゼオネックス)を使ってある。この時期、金蒸着や新素材が流行し、ZEONEXのほかにもARTON(アートン)なんていうのも話題になったことがあった。ポリカと何が違うのか僕には良く解らない。高分子テクノロジーがうんたら、結晶結合がどーたらで素材の応力歪みがなんたら...というようなハナシだったかなぁ。ゼンゼンワカラン。すんまへん。

 内容はカル〜いJAZZ、女性ボーカルも入る。CDらしからぬ繊細微妙な高域を聴かせるソフトである。非常に良く出来たアナログっぽい高域とでも言うべきか。シンバル、チューブラーベルズなどの金属打楽器が極めて高い透明感で再生される。ボーカルも異様に生々しく、口は小さく実物大で定位する。生の声に極めて近い。ただし、体温や叩きつけるような迫力といったものはあまり感じられない。全体を通してクールなのである。サックスも綺麗だが、すばりと切れ込んでくる感じではない。歪み感、ほこりっぽさは皆無。優秀録音である。

 このタイトルではないがADも出ていて、A面、B面を二枚に分けてカッティング、わざわざ二枚組にして出すというこだわりも見せる。表裏にカッティングすると、相互に干渉して音質劣化を招くということらしい。確か限定でダイレクト盤もリリースしていたと記憶する。他のタイトルもこのレーベルの録音は概して優秀である。

 CLARITY RECORDINGS、今何処? ニューリリースはないのだろうか。それよりレーベルそのものが存続しているかどうか、極めて怪しいものである。御存知の方、ありませんか?

’01/01/10 (水)

十日戎

 毎年十日戎には雪がつきものだが、今年はちょっとズレているようだ。ウチは天橋立が近いのだが、そこで毎年開かれる十日戎の日はたいがい雪模様である。今日はめずらしく雪のない日になった。

 ここ2、3日天気は良くないが比較的気温の高い日が続き、正月に降った雪もほとんど消えてしまった。良いことである。しかしこれは嵐の前の静けさであって、15日を過ぎると必ず大雪になるのだ。昨年は1月中旬に好天が多く、めずらしいこともあるもんだと思っていたら、そのモドリが2月半ばにまとめてやって来た。

 雪のない十日戎、なんだかブキミである。昨年のようなモドリがなければいいのだが。

’01/01/09 (火)

備長炭

 ホームセンターへネコの餌を買いに行ったら、入り口のところに「バーベキューコンロ」と銘打った大型の七輪が置いてあった。丸型と角型があったが、どちらも2,980円とハイCPである。う〜む、これで炭を使って焼肉したらウマイだろうなあ。炭は備長炭が一番だがなあとか思っていたら、さすがそこは商売、ちゃんと近くにおいてあった。3kgで2,980円、コンロと同じ値段である。ナラ材などを使ったフツーの炭に比べてかなり高い感じだ。人工材を使った六角形の炭とは比すべくもない。ま、しかしコンロと備長炭、セットで6,000円ならいいかと買って帰った。

 備長炭。備中屋長左衛門という商人の名前からそう呼ばれるようになったとは知らなかった。ウバメガシという堅い木を1,200℃以上の高温で蒸し焼きにして作られる最高級の炭である。紀州備長炭が有名だが、僕が買ったのは上土佐備長炭である。質感はソリッドで堅く、とても重い。木からできた炭というよりは、金属に近い質感である。叩くと澄んだ良い音がする。ノミを当てて裁断すると、破断面がピカピカ光って非常に美しい。焼肉の燃料にしてしまうのが惜しいくらいである。10cmくらいに裁断しタワシで良く洗い15分ほど煮沸すれば、おいしい水作り、ご飯炊き、臭い取りなどにも利用できるそうなので、さっそく5本ほど作っておいた。前からやってみたかったのだ。

 破断面をながめているうち、これオーディオに利用できないかしらん? などと思ってしまった。炭とは要するにカーボンであるわけで、オーディオとは縁が深い。炭そのままではどうにもならないから、ちょっと工夫する。太いところで30Φ〜40Φはあるので、それをできるだけ揃った厚さ(20mmくらいか?)の輪切りにし、断面をサンダーか何かで磨いて平面を出しインシュレーターにする、なんてのはどうかな? カーボン粉末を焼き固めたものより良さそうに思うのだが、どうだろうか。

 でもこの工作、炭の微粉末が飛び散りあたり一面真っ黒、鼻の穴も真っ黒、塵肺起こしそうでイヤだなあ。誰かやってみませんか。オマエがやれって? 失礼致しやした。

’01/01/08 (月)

スワンはいいSPです

 箱船の客室hamaさんkanaさんご夫婦からメッセージを頂いた。現在hamaさんがお使いのスーパースワンに関する話題である。詳しい内容はそちらをお読みいただくとして、メッセージを要約すると、「スーパースワンの長所と短所」についてのご意見であろう。今日はそのお題を拝借して、スーパースワンについて書いてみたい。
 僕は物量投入にのみ執念を燃やしているような印象を皆さんに与えているかもしれないが、決して小口径ユニットを否定する訳ではないのである。上に画像を挙げたように、スーパースワンもちゃんと(?)作って聴いている。(詳しくは何れSP達のページで)。FE−88ESを使ってオリジナルSPを作りたい(何時作る?)と考えてもいる。ここんとこ、ちょっと言い訳デス。

 スーパースワンは素晴らしいスピーカーシステムだと思う。やはり特筆すべきはその音場感の良さであろう。kanaさんのお言葉通り、ふわりと拡がる音場感はこのSPならではのものだ。前方定位のみならず、セッティングを追い込みソフトを選べば、マトリクスなしで完全に後方定位させることも可能である。リミッターとなるファクターが少なく、ソフト、アンプ、プレーヤー、コード、セッティングなどの差をあからさまに見せてくれるのもマニアとしては面白いところだ。振動板が軽く非常に敏感なので、微小信号への応答速度が速い。結果、大変見通しが良く、透明繊細な微粒子サウンドが聴けることになる。長岡推奨盤はもちろんだが、J−POPなどを聴いてもなかなかイケる。ユーミンや今井美紀なんかを聴くのが僕は好きだ。

 だがしかし。いかにスーパースワンが優れたSPであっても、物理的限界があることは否めない。10cmユニットなのである。エンクロージャーがどんなにがんばっても10cmが30cmに化けたりはしない。小口径フルレンジユニット泣き所の一つ、それは「混変調歪み」である。超低域の入力によりコーンが空振りを起こし、中高域がひどく歪んでしまうアノ現象である。特にBHは一種の後面開放とも言え、ホーンロードがかからない超低域の大入力には弱い。これについてはネッシー、スーパーネッシーにも同様のことが言える。更に、振動板面積の小ささによる限界もある。小さなウチワをどんなに扇いでも送れる風の量は知れている。大きなウチワを悠々と扇いだほうが効率は良いのだ。40Hz以下の低域を充分なエネルギーを以って再生することは不可能である。

 これらスーパースワンのメリットデメリットをそっくり裏返せば、それが大口径のデメリットメリットになる。どちらか一方が良いか、悪いか、という単純な二元論ではなく、要は使い手が再生に何を求めているのかが大切なのだろう。小口径、大口径それぞれ得意分野があり、ともに存在価値があると、僕は考える。どちらも否定しないし、どちらか一方にしがみつくつもりもない。

 昔、ジャズピアニストの山下洋輔氏がその著書で次のようなことを書かれていた。

「これもある、あれもある、それもある、みんなある、いっぱいあってヨカッタヨカッタ。そういう考え方のほうが良いんじゃないか」

 僕もそう思う。

’01/01/07 (日)

昔からオーディオマニア

 昨日は鐘の事を書いたが、もともと寺院には荘厳や仏事に具する鳴らしモノが多くある。梵鐘はもちろん、大小の和太鼓、妙鉢(“みょうはち”2枚セットのシンバル様の打楽器)、引磬(“いんきん”携帯用のリン。決してカユいわけではない。いや、失敬)、振鈴(“しんれい”いわゆるハンドベルですな)、拍子木、大磬子(“だいけいす”デスクトップの大型リン)、小磬子(“しょうけいす”同じく小型リン)、木魚、半鐘(小型の鐘)、殿鐘(“でんしょう”中型の鐘)、雲板(“うんぱん”雲型青銅製の板)、木板(“もっぱん”ぶあつい木の板)、など。宗旨が違えばさらに種類は増える。

 荘厳や仏事のほかに時を知らせたり、出処進退を指示したりするのに用いるわけだ。どの寺院も大変年季の入ったものを使っていることが多く、どれもよくエージングされている。10年20年はあたりまえ、100年200年なんてものもある。

 ある老和尚さんイワク「お宅の鐘は何年経ってる? ナニまだ25年? なるほど、それで音がキツイんじゃな。ウチのは戦争の供出を免れたから○○年間鋳造の鐘をそのまま使っておる。既に300年を超えた。ちょうど好い加減に音が練れて、まろやかでしかも遠くまで届くエエ音がしよる。アンタんとこの鐘もあと100年ほど撞いたら、少しは練れてくるじゃろう」

 ウチの鐘は、初代が昭和19年に太平洋戦争へ供出され、弾丸となって何処かへ飛んでいった。そのため昭和50年に再鋳した二代目なのである。和尚さんの言う通り、エージング不足だ。僕のヤシャマゴくらいの時代には、音の良い吊り鐘になっているはずである。
 この人に限らず、僕の業界には鳴らしモノの音に拘る人が多い。○○とボウズ(ボーズではナイ)にはオーディオマニアが多いと聞くが、それはン百年前の昔から変わっていないのかしらん? 僕がオーディオにハマったのも、こりゃ必然か。

’01/01/06 (土)

梵鐘の四季

 冬型の気圧配置が続き、とても天気が悪い。今日も雪降りだった。雪が積もり始めると、街の音場感(?)が一変する。積もった雪が強力な吸音材になって、極めてデッドな音場へと変化する。誇張して言えば街全体が無響室的になるわけだ。音の到達力が弱まり遠くの音は聞こえにくく、近くで聴く人の声は間接音が少なく、ドライな声になる。

 先日から試験的に録音している鐘の音も、雪が積もる前とはまったく変わってしまうのである。地面やまわりの樹木からの反射音が減り直接音が勝ってくるので、普段の音に比べ鋭く聴こえる。鐘楼の屋根に積もった雪の重みも関係しているようだ。鐘楼は末広がりの支柱が四つの礎石に乗っているだけ、固定はされていない。自重と鐘の重量によって安定している訳だ。それに雪の重量(この辺りに降る雪は水分が多く、非常に重い)が加わり更に安定、鐘楼にマスを付けてダンプしたような形になり、トランジェント(生音にもあると思う)が良くなるのだろう。ただし、純粋に鐘の音として楽しむには少しばかりドライに過ぎて、ベストとはいえないと思う。

 こんな話を友人としゃべっていたら、「梵鐘のCD−R作るんだったら春夏秋冬折々の鐘を録音すれば? 録音対象、マイク、機器、ポジションは常に同一で。音に違いが出て面白いと思うよ。“梵鐘の四季”なんてイイじゃない」とアドバイスしてくれた。うむ、それは確かに面白い。以前ソニーから出ていた「梵鐘」もそんなことはやってなかった。庭に鐘があるウチならではの企画だ。同じ鐘が四季の中でいろんな表情を見せることを記録しておくのも、また貴重なことだろう。ハイ、企画決定。くずてつ生録シリーズ第四弾は「梵鐘の四季」です。

 でも、このCD−Rが完成するのは早くて来年の冬だから、一年以上あと? インターバル永いなあ。

’01/01/05 (金)

LYRA HELIKON


 今年欲しいもの。ALESIS MASTERLINK ML−9600(24BIT/96kHzまでならダイレクトにCD−Rを製作できるレコーダー)、ライラ HELIKON(カートリッジ)、トゥイータードライブアンプ(現用のHMA−9500IIを替えたい)、リヤスピーカーのユニット(FE−168ESが発売されれば替えたい)、FE−108ES(すぐには使わないがリングも一緒に欲しい)、生録用マイク(無指向性のイイのが欲しい)、デジタルカメラ(HP製作に便利)、PC用CD−RドライブかMOドライブ(なんだか欲しい)、PCに関する深い知識(これは無理)、明晰な頭脳(死んでも無理)、ハイスピードな行動力(ゼッタイ無理)、など。
 こうして書き出してみると沢山あるものだ。今思いついただけでもこれだけあるのだから、本当はもっとあるに違いない。ボウズの風上にもおけねー奴だ。
 この中でも特に欲しい、というより既に買うことに決めているのは、ライラ HELIKONである。信頼おける筋からの情報によると、相当なスグレモノらしい。価格も相当なものだが、その価値は充分ありそうだ。カートリッジの新製品を買うのは久しぶり、とてもトキメイてしまうのである。早く聴いてみたいなあ。

’01/01/04 (木)

カメムシ予告的中か

 昨年11月24日の日誌に「カメムシが多い年は大雪になる」と書いたが、どうもこの様子だと的中ということになりそうだ。昨日の夕方から降り始めた雪は今朝の時点で15cm、今日の日中も降り続き現在30cm弱の積雪である。今も外はしんしんと降っている。正月からまとまった積雪があるのは近年珍しいことである。やっぱりカメムシ君は知っていた?
 今日は朝から雪かきだった。除雪機(といっても5.5馬力の小さなヤツだが)を始動して境内すべて除雪するのに約3時間、ケッコウな仕事である。雪に踏み込む前、庭を眺めるとそこには野ウサギの足跡。(ビックリマーク)みたいな形をしているのですぐわかる。いつも遊び(?)に来ているらしいが、未だ姿を見たことはない。いつかはお出会いしたいものである。

’01/01/03 (水)

工事中

 「スピーカー達」のページ、只今大工事中である。何だか統一感のないページだったが、それを改善しようという訳だ。スーパーネッシー、サブウーファー、リヤスピーカーそれぞれに設計意図などを追加し、共鳴管断面積や内容積も表にして示したいと考えている。ただし、僕はこういう能書きについて書くのはあまり好きではないのである。理由は簡単、無知だから。お恥ずかしい話だが、はっきり言って良くワカランのである。書けば書くほど底の浅さがバレそうでコワイのでした。だから皆さん、あんまりムツカシイ質問はしないように。ああ、困った困った。結果、戯言が増えるのみ、と。
 ええと、つまりその、何の話だっけ、ああそうか工事中だった。その工事がなかなか思うように捗らないから、また困る。ホームページビルダーの使い方も、かなり慣れてきたとはいえ、まだ解らないことが多くあってモタモタしてしまうのである。

 何でもできるってことは、何にもできないことと等価だったのね。

’01/01/02 (火)

Mr.WROMの離れ業

 100名以上の来客があった元旦も無事終り、やれやれである。しかし、ツカレタ。同じ挨拶をエンドレステープのように繰り返すのはシンドイ。
 フニャフニャ状態でインターネットしてみると、ナントナントあのWROMさんがHPを開設できたと言うじゃあありませんか。早速拝見してきたが、これがなかなかのモノである。レイアウトは明るくスマートで、非常にしゃれている。コンテンツも最初から充実していて、どっかのマヌケが作った「○長の○言」とは大違い、今後は更に充実させていくということで、期待感は大きい。
 思い起こせば、WROMさんとの付き合いも短くはない。「箱船」が完成した翌年(’94年)の夏からだから、もう6年半を過ぎたわけだ。初対面の彼は、歳が若かったせいもあって、かなりとんがったお兄ちゃんという感じだった。しかしそれは、彼のHPを見ても分かるように、オーディオに対する溢れんばかりの情熱が、そう感じさせるのだということに気付くまで、さほど時間はかからなかった。
 いよいよ「はこぶね」の建築が始まろうかという時(既に始まっていたっけな?)初めて「箱船」にやってきた彼は、僕に質問の雨を浴びせ、図面をツブサに点検し、寸法を測り、大音量再生しておいて外を歩き回り、壁を叩き、ドアを調べ、窓に手を当て、床で飛び跳ね、それはもう偏執的とも言えるまでの熱心さであった。かなりの人々が訪れた中で、彼ほど詳細に点検して帰った人は他に無い。この情熱があったればこそ、一般住宅の中に本格的なホームシアターを作り込むナンテいう離れ業が達成されたことは言うまでもないのである。
 その情熱は、今に至っていささかの翳りもなく、いや、もしかしてPCという新しいツールを手に入れた彼は、さらにヴァージョンアップしているのかも知れない。これまでの行動パターンを見ると、半端なところで終わらないのがWROMさんの展開である。そういうことも含めて、「期待感大」と書いたのだが、とんでもないサイトに成長するだろうことは、まずまず間違いないと、思う。

 WROMさん、随分好きなこと書きましたが、ゆるしてチャブダイ。春、暖かくなったらまた一緒に遊ぼうね。

’01/01/01 (月)

21世紀

            明けまして、おめでとうございます。

 昨年は、自作派オーディオファンにとっては、大変悲しい思いをした年であった。今年はあまり悲しい事がないように祈りたい。
 個人的にはHP開設を実現でき、多くの方に閲覧いただくことが出来て本当にうれしかった。今年も同様のご愛顧を、よろしくお願い致します。
 世間様は新世紀にお祭りムードだが、こんなモンは人が勝手に決めたこと、時間は途切れることなくただ流れていくばかりである。21世紀だからといってなんら良い事が起こるわけでもない。去年は変化が多く、何だか浮き足立ってしまったので、今年は地に足をつけてじっくりとオーディオしてみたいと思っている。気になるところは山のようにあるのだ。その中でも特に改善すべきは、SWの使い方だろうなあ。う〜ん、今年も低域に悩むか....。