箱船航海日誌 2002年09月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’02/09/30 (月)

秋の収穫


 6年前、隠居のバアさんが孫のためにと裏庭に植えた栗の木が、今年は20個以上の実をつけた。腿尻三年....いや違った、桃栗三年柿八年とは良く言ったもので、一昨年あたりからチラホラ付けてはいたが、今年は結構な豊作である。樹高はまだ2mちょっと、そのわりには良くがんばったほうだろうと思う。

 庭で栗拾いができる環境も、考えようによっては非常に贅沢なことである。昔は都市部でも庭に栗の木が植えてある家もあったが、最近では滅多に見なくなった。塀から張り出した枝に生った実を、竹ざおで落として獲る(盗る)などという場面も、マンガの中だけの風景になりつつある。イナカ住まいならではのメリットか。

 こういうものが獲れるとスグサマ食べてしまうのがくずてつ家の家訓である。栗ゴハンにしてもよかったのだが、素材の味を満喫したいという愚息のリクエスト(ナマイキである)により塩茹でにした。何の世話もせずホッタラカシ状態であるわりには虫食いもなく、よく太って身の入りもイイ。

 味も非常にヨロシイ。甘味、香とも濃厚で、ホクホクして美味しい。今年は記録的な少雨だったから、それも味が濃くなった一つの原因かもしれない。あとはやはり鮮度だろう。獲って来た直後に塩茹で、冷めるのも待たずに食いつくわけだから、これはウルトラダイレクトである。

 木にはまだ実が残っている。今日明日あたりが獲り頃。今度は栗ゴハンにしようかな。塩と味醂でお米に下味をつけ、そこへ上等の羅臼昆布と剥き身の栗を加え炊き上げた栗ゴハン。

 うまいぞっ。

’02/09/29 (日)

右顧左眄


 先日から注文しておいたSACDのうち2タイトルが届いた。SACDソフト漸くの6枚目、100枚まではまだまだ前途遼遠である。

 「TOTO/TOTO IV〜聖なる剣」(日SME SRGS-4540)である。TOTOの作品中いちばんのセールスを挙げたタイトルなので、ご存知の方も多いことと思われる。少なくとも僕と同世代のロックファンなら、これを知らない人はいないだろう。或いはグループ名もタイトルもご存知なくとも、「ロザーナ」という曲はどこかでお聴きになっているはず。それほど売れたタイトルである。

 このタイトルはCD、ADとも昔から持っている。ADはリリースと同時(1982年)に買った。ロックの中では比較的録音が良い方だと思う。歪み感の多さや水平一列人工的定位型音場感(長いね)は致し方なし、だが、レンジはわりと広く中音量では破綻が少ない。但し、優秀録音とは言い難い、かな。

 このSACDはアナログマスターのDSDマスタリング盤である。それがCD、ADとどれほどの違いがあるのか、僕の興味は専らその点に集中するのだった。これまでに感じた不満は改善されているのだろうか。

 冒頭一発音が出たところで、低域がぐんと力強く明瞭になっていると感じた。中域の解像度も上がり、ボーカルがバックに埋もれず鮮明である。これまでには聴こえてこなかった細かい音もよく再生され、全体的に厚みが増す。残念ながらハイの歪み感はあまり改善されていない。ボリュームを上げると俄然うるさくなってしまうが、これも音作りの一部か。それでも以前よりは大音量に耐えられる音になっていると思う。

 さて、この改善が果たしてDSDマスタリング、SACDの恩恵によるものなのかどうか、冷静に考えると僕にはよく分からない。F特からして変っているように聴こえるからである。DSDのフォーマットからしてDレンジが拡がりハイの伸びが良くなるのはわかる。が、そういうこととは別の次元でF特に差異がありそうだ。

 両者を比較してみたところで大した意味はないと思う。が、個人的好奇心としてはどれほど違うか調べてみたい。非論理的ヘボマニアの悲しさは、斯くの如くにも僕を右顧左眄させるのである。

 こんなに音が違うのに、F特の形が全く同じだったらどーしよう。タコ耳くずてつの面目躍如、ちゅうことになりましょうなあ。

’02/09/28 (土)

たまらないんです


 オーディオ・テクニカ AT-1503IIIの復刻生産は、流離いの旅人さんからのメッセージで初めて知った。チェックが甘いのである。旅人さん、ありがとうございました。

 写真は1500シリーズ最後のバージョンであるところのAT-1503IVである。メッセージに触発されて久しぶりに箱を開け仮組みしてみた。

 IIIに比べ全長が10mm短いだけ、実効長など主な仕様はほとんど同じである。実際に触ってみると、やっぱり「タマラン」のだった。何がタマランと言って、そのメカメカしさ(?)に、である。前にも書いたことがあるけれど、トーンアームと言うは純然たる「機械」であって、他のオーディオ製品とは趣を異にする。水平垂直の動きを保証するサポート部、アーム本体を差し込むベース部分のロック機構、最後端に差し込むウエイト、シェルを固定するロックナット、何処を触ってもキカイ機械していて実に魅力的である。

 BTS規格準拠のプロ用がご先祖様だけあって、虚飾は全く無いといって良い。真っ黒けでヒジョーにぶっきらぼうである。そこがまたこのアームの魅力でもある。極めて高感度でありながら、ハンドリングが容易でしかもヘビーデューティー。ちょっと触ればその優秀さがヒシヒシと伝わってくる感じである。

 AT-1503IIIは当時41,000円。それからすると復刻バージョンIIIaの180,000円は高い、ように感じるが、僕は決してそう思わない。今や手に入らなくなったパーツは金型から起して自社生産したというし、組み立てノウハウを持たない若い技術者を再教育し万全を期したともいう。これははっきり言って大変な作業である。それを考えればこの価格は高くない、否、メーカーの苦労を思えば安いくらいかもしれない。アナログのテクニカ未だ健在、である。

 これがきっかけでアナログ周辺機器にブームが起こり、その勢いでEPA-100シリーズ、SP-10MkIIIなんかも復刻バージョンが出る。

 なんてことにはならないンだろうな。

’02/09/27 (金)

運転嫌い

 昨年も、この日は同じことを書きました。クタビレタ。基本的に車を運転するのはキライである。僕の目には近視だけではない機能的不都合があり、人一倍疲れるのである。不便な地方に住んでいるから、仕方無しに乗っているだけ。毎度の事ながら近畿道-西名阪道(関東の方、ローカルでごめんなさい)の混雑にはマイッタのだった。

 京都でCD量販店を覗いてきたけれど、SACDソフトの姿は何処にもなかった。DVD-Aはチョロッとあった。

 売れないものは置かないのが商売である。

’02/09/25 (水)

出そうで出ない


 「LED ZEPPELIN/THE SONG REMAINS THE SAME」である。1973年録音の2枚組みライブ盤。発表は1976年だった。写真のものは1980年に買った何の変哲もない輸入ADである。音は良くない。

 このタイトルの200g復刻盤が出ると聞いたのは先月(8月)の下旬だった。もう一月以上前のことである。もし、この復刻盤が8月28日に載せた「聖なる館」同様音が良くなっているのならば、是非とも聴かずばなるまい。選曲、演奏は素晴らしい出来だけに、これで音が良くなれば無敵のタイトルとなるのである。

 案内には「9月8日リリース」とあった。早速購入予約し、発売日を楽しみに待っていたのだが。

 その日になっても一向にリリースされたという連絡もウワサもない。良く良く確かめると「9月23日に延期された」と書いてある。そうですか、仕方ありませんな。ゆっくり待たせていただきましょう。

 というわけで9月23日がやってきた。やっと手に入る、と思いきや。今度は「10月4日に再延期された」と。ガーン、また延期か! 早く聴きたいのにナァ。

 ま、しかし、こんなことはよくあることで、驚いたり怒ったりしてはイケナイのである。酷いものになると出る出ると言われながらとうとう出なかった、なんていうタイトルもあったくらいだから。ここはじっくり構えて待つに限るのである。

 ムムッ、本当に出るんだろうな。


 
〜閑話休題〜


 明日(9/25)から明後日にかけて、チョイと出張いたします。26日付けの日誌はお休みをいただき、27日付けから再開しますので、何卒よろしくお願い致します。

’02/09/24 (火)

彼岸が来ると


 毎年お約束のように境内の土手で彼岸花が咲くのである。和名もヒガンバナ、別名曼珠沙華(マンジュシャゲ)。正式な和名がマンジュシャゲかと思っていたら逆だった。学名Lycoris radiata var. radiata。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の球根植物である。

 インドの古い仏典の中で、五天華(ごてんげ)の一つに数えられている白い花を「マンジューシャカ」(山口百恵さんの歌にあったな)という。漢訳では「如意花」(にょいげ)。恐ろしいまでに純白で、仏によって天上から雨のように降らされるこの花を見た者は、悪行を全て忘れてしまうという架空の華である。仏典が中国に入り、音訳され本種に当てられたのが「曼珠沙華」の名の由来になる。何故白が赤に変ったのか、それは分からない。白い曼珠沙華もあるので、そのせいか?

 先日載せたコルチカムと同様、この花も有毒植物である。ユリに近い仲間には毒があることが多いのかしらん。ヒガンバナの毒はリコリンという、やはりアルカロイドの一種。アルカロイドと言えば、強烈な毒性で有名なトリカブト(名前がコワイね)も同じ種類の毒である。

 ヒガンバナの毒は花、茎、葉、球根全てに含まれる。茎から染み出た汁に触れると皮膚炎を起す。毒性は下に行くほど強く、球根では特に強力である。不用意に食べると酷い嘔吐を伴う中毒症状が現われ、時には死に至るというから恐ろしい。食糧事情の悪い昔、デンプン質が多くユリネに似た本種の球根を食べ、結構な被害があったそうである。

 子どもの頃、土手に咲くこの花を持って帰ろうとした僕を見て母親がこう言った。

 「その花は火事花といって、持って帰ると家が火事になるから止めなさい」。

 真っ赤な色に加え、燃え上がる炎のような花の形から、その言葉に一種独特の恐怖感を覚え即座に止めたのをはっきりと覚えている。「火事花」と言うはもちろん迷信である。見方を変えれば、有毒植物に触れさせないように、持ち込まないようにという先人の智慧でもあろうかと思えてくるのである。

 一方では「悪を忘却させる美しい花」と言い、もう一方では「毒の花」と言われる彼岸花。善悪一如、表裏一体。二律背反を感じさせる花である。しかし僕はこの花がとても好きだ。

 桜と同様、しみじみと季節を感じさせてくれる花だから。

’02/09/23 (月)

C-2800+AD-290


 今日は番外編、C-2800+AD-290の試聴記である。C-2800でADを十全に再生するにはAD-290絶対必要か? コリャ大変なのである。



 番外編 AD-290での試聴記

 C-2800のフォノイコとしては、上記AD-2800が専用とされているが、AD-2800は、AD-290またはAD-290Vとも互換性がある。ここでは番外編としてAD-290をC-2800に組み込んで試聴した結果について報告する。

 C-2800に組み込んだときの音は素晴らしかった。ラインの飛躍的な向上による寄与が大きいが、C-290Vに組み込んで聴いたときの印象に、さらにスピード感と躍動感を追加した音だ。

 先ず音場が三次元的に広大で、SNが素晴らしく良く、空気の透明度が極めて高くチリ一つ見えない。C-290Vに組み込んだときには聞こえなかった微小なレベルの信号まで、ハッキリと聞き取れる。AD-290の出力には相当な情報量が在ったことが今になって分かった。

 瑞propriusカンターテ・ドミノのB面1曲目、冒頭のコーラスが始まった瞬間から、リスニングルームの壁や天井を全く無視して、教会の広い空間が出現する。2曲目のソプラノにもツヤとハリがあり、コーラスもきれいに分解する。3曲目のアカペラでも子音成分と母音成分の分離が明瞭で、声を張り上げても塗り潰されたり飽和したりせず難所を乗り切ってしまう。このLPは超優秀録音という訳ではないが、音場の広さ、高さ、空気の濁り具合と漂う埃の見え具合、音像の鮮明度、等の表現でアナログシステムの差を敏感に反映するソフトであり、幾たびもテストに用いてきたが、今まで聴いたフォノイコの中でも、AD-290は透明度とSN感と低歪ということではトップクラス。

 RBMの木琴のADでは、バチが鍵盤にぶつかる時の鍵盤の硬さを良く出すし、独HMのミサ・エスピリチュアル冒頭のジャングルを模した部分では、抜群のトランジェントとワイドレンジ振りを発揮し、音が部屋中に散乱する。また、仏HMのアラブ・アンダルシアでの、A面1曲目のベルの音やA面6曲目の水の音など、ADでしか聴けない音が、次から次へと飛び出して、実に爽快である。さらに米Sheffield LAB-1のリンカーン・マヨルガvol.3のA面2曲目「アメリカ」では、バスドラの締り、スピード感、押し出しやカウベル?のコツコツという硬さを見事に表現する等、ダイレクトカット盤の醍醐味が味わえる数少ないフォノイコのひとつである。

 MC入力〜プリアウトの比較で言えば、C-280Vを遥かに超えている。拙宅ではAD-290は出番が無いので手放すつもりでいたが、手放す気が無くなった。

 ADにノスタルジーは求めない、音楽なんて聴けなくても良い、ADに求めるのはオーディオ的快感だけ、という私の様に野蛮な趣味を持つ人には、AD-290+C-2800の組み合わせは自信を持ってお勧めする。




 3日間に渡ってお送りしたM85氏C-2800試聴記は如何だったろうか。導入を考えていらっしゃる方の参考になれば幸いに存ずるのである。僕はM85さんのAD再生に対する情熱に、改めて感銘を受けた。いっそのことご自身のHP、立ち上げませんか?

 21日〜23日の写真もM85さんの手によるものをご提供いただきました。ここに重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。

’02/09/22 (日)

AD-2800


 昨日に続きM85さんのC-2800試聴記である。今日はフォノイコユニットをビルトインしてAD試聴の巻。早速いってみよう。



 AD-2800でのAD試聴記

 専用フォノイコAD-2800は、基盤を見る限りではAD-290Vと殆ど同じ回路の様だ。また、使用しているパーツもかなり似通っている。

 C-2800にプラグ・インして聴いた場合は、極めて高SNで低歪の音を聴かせるが、残念ながらライン入力と同等の情報量、解像度およびトランジェントに到達しているとは言い難い。

 例えばRBMの木琴のADでは、バチが鍵盤にぶつかる時の鍵盤の硬さがでないし、独HMギル・エバンスのミサ・エスピリチュアルでは、冒頭のジャングルを模した部分の音が散乱しない。米Sheffield LAB-1のリンカーン・マヨルガvol.3のA面2曲目「アメリカ」では、バスドラの締り、スピード感、押し出しやカウベル?のコツコツという硬さが僅かながら後退し、ダイレクトカットのLAB盤がテープマスターのST盤になった様に聞こえてしまう。

 H-Z1を使用した場合でも、情報量は増加するものの歪感も増し、音場にベールが掛かったようになった。ラインアンプの出来が素晴らしいだけにADの音にも期待していたのだが、DNA残党としては非常に残念でならない。




 と、AD-2800に関しては辛口評価である。ハイスピード派にとっては致命的か。いやいや、話はこれからがイイところなのである。刮目して明日を待たれよ。

 あっ、やっぱり3日間掲載になっちゃった。

’02/09/21 (土)

炸裂ターボパワー


 アキュフェーズからの新しいアナログプリC-2800。それがどんな音を聴かせるのか、高い関心を持っていらっしゃる方も多いことと思う。当然僕もその一人である。とても買えないケド。

 ADの鉄人M85さんからその試聴記が届いた。ご自宅システムに組み込んでの試聴である。それは僕一人読んでいるだけでは勿体無いくらい詳細なものだった。そこでM85さんに御了解いただき、特別寄稿として2日間(3日間かもしれない)にわたり掲載する。

 掲載するにあたり、ご快諾いただいたM85さんには心から御礼申し上げねばならない。ありがとうございました。では、とくとご賞味あれ。



  アキュフェーズC-2800試聴記

 先日、自宅でを試聴する機会があった。先ず、ライン入力におけるC-290Vとの比較では、音が出た瞬間に唖然とした。透明度、情報量、解像度、トランジェント、歪の無さ、音場の広さ、空気の透明度、SNの全てにおいてC-290Vは足元にも及ばない。

 唯一、25Hz以下の超低域の空気感、風圧、押し出し、力強さに関してはC-290Vが上である。この違いは、常軌を逸した電源容量のC-290Vと、必要にして十分な電源を有するC-2800との違いによるものではないかと思っているが、これは、超低域に関しての話であり、SWなしでBH を使用している人をはじめ、システムの低域が25Hz 以下まで伸びていない場合には、気が付かないかも知れない。

 それ以外の部分では前記のようにC-2800の圧勝であり、全帯域に渡って、とにかく情報量が多く低歪でハイスピード、余分な音が全く無いので輪郭の滲みが無く、高解像度の極みである。スピード感に難のあるアンプの場合、いくらボリュームを上げてもうるさくなるだけで、キレ味は感じられないが、C-2800の場合にはボリュームを上げるにつれて、ターボ車の加速のように、パワーとスピード感が二次曲線的に立ち上がる。それでいて、キレがあるのに全くうるさくはならない。まさに、オーディオ的快感である。

 滲んで広がった線しか聴いたことがなければ、線が細いと感じるかも知れないが、C-2800は線に力があり、どこまでも細かく描き分けて見せ、音像は実物の硬さと質量どおりの存在感をもってピンポイントに定位する。しかも音場の空気は、スポットライトを当ててもチンダル現象が観察されないほど透明度が高い。

 C-290Vを初めて聴いた時、C-280Vとのあまりの違いに驚いたが、 C-2800とC-290Vの違いはそれとは比べ物にならないほど大きく、長岡ファンには絶対の自信を持ってお勧めする。




 さて、C-2800の導入を考えていらっしゃる方々には如何だったろうか。明日はAD-2800をビルトインしてのAD試聴記を掲載する。お楽しみに。

’02/09/20 (金)

高効率バッテリー搭載


 突然ですが、土も水も無しに花が咲くこのフシギな植物、皆さんはご存知だろうか? 恥かしながらワタクシは知りませんでした。「コルチカム」と言うんだそうな。

 学名Colchicum autumnale。和名はイヌサフラン。ユリ科の球根植物である。球根にはコルヒチン(アルカロイドの一種)という毒を含んでいて、ユリネと間違って食べると酷い下痢を起す。だれも食わんわな。コルヒチンは痛風の薬にもなるそうだ。

 土なし水なしで綺麗な花を咲かせる辺り、まるで高効率長寿命バッテリーを搭載し、ACラインからのノイズ流入とは無関係に美しい音を聴かせるオーディオアンプみたいなヤツである。

 花が終わると葉が出てくる。そうなったら土に植え、来年の夏前まではそのまま土中に置く。夏の終わりに掘り上げ、その辺に転がしておくと、また写真のような花を咲かせる、と。高効率バッテリーにも充電期間が要るわけですな。

 食卓の中央に置いて毎日眺めているが、日当たりが悪い(直射日光は避けた方が良いらしい)と花の色が薄くなってくる。

 ナルホド、ソーラーバッテリーでもあるわけだ。

’02/09/19 (木)

それはSACD


 15日の日誌に書いたSACDタイトルの続きである。「超優秀録音ADからスクラッチノイズだけを綺麗に取り去ったような音」と表現したが、所謂「ADの音」とはもちろん違うわけである。と言って従来のCDの音でもない。これが「SACDの音」なのだろうと感じる。

 同じ音源で聴き比べることは不可能なので、極めて主観的、恣意的な見方(聴き方?)であることはお断りしておかねばならない。かてて加えて手持ちのSACDはたったの4枚、まともな評価など出来るはずも無い。それでも敢えて書くのは、将来この文章を読んで「とんでもねえ勘違いしてやがる。馬鹿だねこいつ」と嘲笑するのもまた一興と考えるからである。その辺りをお含み願ってお読みいただきたいのである。

 一聴して感じるのは強調感の少なさである。初期のCDにあったような「これがディジタルだっ!」というようなハッタリは全くない。極めて自然である。少なくとも僕が聴いた4枚はすべてそうだった。SACDサウンドや如何に、と構えて聴くと肩スカシを食う感じ。

 しかし眤と聴いていると、その情報量の多さ、繊細感、実在感はCDを遥かに上回っていることがわかってくる。CDにも優秀録音盤は数多く存在するが、それとは明らかに一線を画した音と音場である。

 ホールに鳴り渡るフルートの響きが、細大漏らさず見事に捉えられている。CDでは表現し切れなかったであろう楽器の質感、ホールの壁の状況、空気の温度までも再現しているように聴こえる。非常に端正な、しかも冷たさのない豊かで瑞々しい音。これは理屈ではない。フォーマットが何だろうと良いものは良いのである。

 「SACDの音には作為がある」とおっしゃるムキもあると仄聞する。現状僕の耳にはそうは聴こえない。ADともCDとも違う、高い可能性を秘めた素晴らしいフォーマットだと、僕は思うが皆さん如何だろうか。

 これを仇花死屍累々の仲間入りさせるのはあまりにも惜しい。優秀なDSD新録音タイトルをバンバン出してもらわないとイケナイのである。

 ガンバレSONY/PHILIPS陣営。

’02/09/18 (水)

ひとまず終了

 今日(9/17)の帰宅は午前様。しかし、これでひとまずキリがついた。ここ数日の出来事については、書きたいことが山のようにあるのだが、事情がそれを許さない。ご覧いただいている方々には何がなんだかわけがワカランという、なんともご無礼な話である。どうかお許し願いたいのである。

 これで全て一件落着、なら嬉しいのだが、どうもそうは行かないようである。暫くは後に尾を引きそうな気配。乗りかかった船と、地獄の果てまで付き合うことにするのである。

 明日からはいつもの更新ペースに戻ります。変らぬ御閲覧をよろしくお願い致したいのでゴザイマス。

’02/09/17 (火)

10年目のメンテ


 箱船が出来てから今年で丸9年、11月末から10年目に入る。完成時に現場監督から「内装はほとんどメンテナンスフリーに近いけれど、外装については10年目くらいで一度点検したほうが良い」と言われていた。そこで、先日総合点検実施。

 結果はほぼ問題なし。クラックも少なく、塗装は多少の汚れだけで傷みは無い。ただ、屋根の防水塗装はかなりハゲている。今すぐ問題が起こることはないが、このまま放置すればいずれ防水シートが紫外線で傷み雨漏りの可能性もないとは言えない、ということだった。

 そういうことなら転ばぬ先の杖。見積もりを依頼する。今なら洗浄と再塗装だけでOK、10万円くらいで済むそうだ。防水シートの貼り替えからとなると、4〜5倍はかかるという。うむ、早期対策しておくに如くは無し、である。

 今日は小雨の降る中、先ずは屋根の洗浄作業から始まった。9年前、塗装全般を施工してくれたのと同じ職人さんが来てくれた。安心して任せられるのである。

 「雨が降るのに大変だね」と言うと「いやあ、洗浄には雨降りの方がエエんです」という。ナルホド、そーゆーもんか。手際よく準備して高圧水流で汚れを吹き飛ばす。後は晴れた日に銀色の保護塗装をしてメンテ完了である。

 建物も人と同じく歳を取り、歳を取ればグワイの悪いところも出てくる。早期発見、早期治療が大切なのである。

’02/09/16 (月)

あと2日

 今日と明日は深夜までの拘束になる予定。それが終われば少しく落ち着けると思われる。

 普段の更新ペースに戻るまで、もう少しお待ちいただきたいのである。

’02/09/15 (日)

スクラッチノイズ、だけ


 友達から「これはいいよ」と教えてもらったSACDタイトル。「小澤征爾指揮/水戸室内管弦楽団/モーツァルト フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313(285c)他」(日SONY SRGR-714)。1999年4月2日〜6日、水戸芸術館コンサートホールATMで収録。DSD録音である。CDハイブリッド盤ではないので、SACD対応プレーヤーでないと聴けない。

 これは凄い。昨日から危急の用件にかかりっきりで、ゆっくり聴けないのがヒジョーに残念である。この音を聴けば、SACDに懐疑的な人も考えを改めるのではないか。今日はクタビレ果ててヘロヘロなので、詳しいことはまた後日。でも、一言だけ。

 超優秀録音ADからスクラッチノイズだけを綺麗に取り去ったような音、である。

’02/09/14 (土)

危急

 の用件発生。今日から三日間くらいはちゃんとした日誌更新ができないかもしれない。どうかよろしくお願いしたいのである。

’02/09/13 (金)

勇姿初公開


 良く良く考えてみれば表題のとおりである。使っているデジカメでそのデジカメを撮ることは出来ない(鏡を使えば出来るナ)わけで、これがはじめてのお目見えっちゅうことになるのである。

 FUJI FinePix1500。150万画素。随分使い倒し、ヒジョーに愛着あるデジカメである。航海日誌を書き始めてから一昨日(9/11付け)まで、載せた写真のほとんどをこのカメラで撮ってきた。獅子奮迅の大活躍(ちょっと大袈裟かな)である。

 昨日から新しいデジカメ、4500を使い始めた。新しいマテリアルを採用しているのと画素の多さがモノを言って、同じ条件ならこちらに分があるようだ。但し、昨日書いたアクセサリーと同様、使い手次第であることは言うまでもない。ヘボが使ったのでは仕方ないのである。どーもスミマセン。

 1500はこのままリタイヤか? 否、そうでもないのである。光の加減、色温度によっては1500の方が綺麗に撮れる(綺麗に見える)こともあるようなので、二つを使い分けることになると思う。

 皆様にはできるだけ綺麗な画像をご覧いただけるよう、今後一層の努力をいたす所存でゴザイマス。

’02/09/12 (木)

リタイヤ


 GT‐CD1と共にこれも現状リタイヤ。オーディオリプラスの石英ガラス円柱OPT‐1である。この手のものをあまり評価されたことの無かった長岡先生が、珍しく褒めておられたアクセサリーの一つだった。

 これを使えば確かに立ち上がりが良くダイナミックな音になる。但しそれにはやはりマッチングというものがあるわけで、なんでもかんでも良くなるわけではないのである。DP‐85の音を聴いてしまった今、果たしてGT‐CD1との組み合わせがベストだったのかどうか、疑問に思い始めている。

 GT‐CD1のやや腰高なキャラクターを強めていただけではなかったか? 立ち上がりが良くなった、のではなくて、高域のキャラクターを聴いて喜んでいたのではなかったか?

 使いこなしとは如何にも難しいものである。機器の良さを引き出せた、と思い込んでいたのが実は特定の帯域にクセを付けただけだった、などということがままあるわけだ。もちろん、このアクセサリーはそういうためのものではない。要するに、使い手の感性こそが最も重要だということ。

 今、DP‐85を聴いていると、あまり対策の必要性を感じない。鉛をどかどか載せる、足回りをコチコチに固める。それらも一つの方向ではあろうけれど、一辺倒で何処までも押して行って本当に良い音が聴けるのか、極めて疑問である。

 てなことに今さら気がつく僕はやっぱりアホである。本質的に優れたものを見抜く目、それが身に付くには随分永い時間がかかるようだ。まともなオーディオを始めて多寡だか十数年である。

 まだまだですよと、謙虚な姿勢でやって行きたいと思うのである。

’02/09/11 (水)

もらっちゃった


 徳さんが遊びに来てくれた。ご近所ながらお互いなかなか空いた日のマッチングが取れず、本当に久しぶりのご訪問である。ヨタ話と共に仕事カンケイの重要な案件も相談できたし、DP-85の音も聴いてもらえたし、とてもゆったりと時間を過ごせた。こんな時間は幾久しく無かったような気がする。やっぱり古い友達は良いものである。

 やってきて早々に徳さんがバッグから取り出したのは、上のデジカメである。FUJI FinePix4500。僕現用のもの(これも徳さんから譲ってもらった)を大幅に上回るスーパーCCDハニカム採用240万画素、それでいてサイズは二回り小さい。バッテリー、スマートメディア込みの撮影時重量は210gと非常に軽量である。36mm〜135mm無段階ディジタルズーム付き、USBでPCに直接繋げる。機能的にもスグレモノである。「良いデジカメ持ってるね、さすが趣味人徳さん」などと言ってると。

 「これ、あげる」と徳さんは言った。え? ナンデ? だってアナタ、これ買ったのはほんの一年ほど前でしょうに。まだまだ新しいじゃああーりませんか。前回も徳さんから超激安で譲ってもらい今回もまた、しかも「あげる」ってえのはどーゆーことよ。

 聞けば、新しいデジカメを買ったそうだ。なんでもニコンの高級機であるらしい。だからこれは僕にくれると言う。う〜む、なんてキトクな。なんて思い切りの良い。それじゃあんまりだから幾許かのものを払うと言っても頑として受け取らない。ここは徳さんの厚意に敬意と感謝を表して、素直にありがたく頂戴するのである。

 これで僕手持ちのデジカメは2台になった。ほとんど無投資である。なんということだろう。ちょっと恵まれ過ぎてやしないかい、アンタ。いや、ホントにそう思う。徳さんには感謝感激、御礼の言葉もない。ありがとうございました。末永く大切に使わせていただきます。

 ところで、DP-85は如何でしたか?

’02/09/10 (火)

大化けにビックリ


 ADでは有名(かな?)な「JAMES NEWTON HOWARD & FRIENDS」のCD版(米Sheffield Lab 10055-2-G)である。このタイトルはかなり前にレギュラーCDで発売されているが、今日のものはシェフィールド得意の「20+→16 ULTRA MATRIX PROCESSING」でリマスターしたゴールドCDバージョンである。CDとしての(P)(C)は1995。僕が買ったのは'97年10月である。

 収録時間26分26秒で3,200円(1分100円以上。そーゆーのはイジマしいからヤメなさいって)は割高感がある。それでもこれを買ったのは、レギュラーCDの出来があまりにも悪かったからである。

 このタイトルのAD(LAB-23)は非常に音が良い。シェフィールドの最大セールスポイントであったダイレクトカッティングが見事に決まって、この手の音楽としては最高レベルと言って良いほどの名録音。シェフィールドのD2Dでは最晩期(最後のD2DはLAB-24)のADである。

 それが初めてCD化された時、僕は大きな期待を寄せて飛びついたわけだ。ところが結果は悲惨だった。切れと輝きがすっかり失われ、何とも形容し難い音に成り下がっていたのである。何故そうなったのか、僕には全くわからない。

 今日のゴールドCDが発売された時も、今度はどーだとまたしても飛びついたのだった。音を良くするプロセスと、しかも純金蒸着CDと聞いて期待は大きかった。多少のCP低下もなんのその。

 これは比較的良いCDだと思った。輝きと切れが戻ってきたし、透明感もぐんと向上。靄の向こうでゴジャゴジャなんかやってる、という感じもなくなった。しかし、全体的に厚み不足、シンバルの最先端はちょん切れ、ADに比してかなりバシャバシャした高域、という印象。期待したほどではない。う〜む、現状CDではここくらいまでかな、などと分かったようなことをここ数年はノベてきたのだが。

 これをDP-85で聴いてみたところ。

 アイヤビックリ大化けである。シンバルは先っちょまでしっかりと伸び切り、中域の透明感は更に向上、ややドボンとしていた低域はグッと引き締まってしかも厚みと深さがある。ドラムスティックでカウントを出す部分も、木の質感がよく出る。プレーヤーによるキャラクターの付加も感じられない。これなら文句なく優秀録音CDである。26分3,200円も決して高くない。

 今日までにDP-85で聴いたCD(と言っても多寡だか50枚程度だが)の中で、最も化けグワイが大きかったのはこのCDである。これまた何故だかジェンジェンわからない。理屈はサッパリだが、ともかく音が良くなったのだから素直に喜ぶべきなのである。

 DP-85、今後更に多くの驚きと喜びをもたらしてくれるに違いない。ああ、買ってヨカッタ。

’02/09/09 (月)

SACD不足


 写真はこの5日間で聴いたCDたちである。約50枚。50タイトル全トラックを聴いた、なんてことはまったく無くて、ほとんど部分聴きである。いささか礼を失した話ではある。部分聴きというも、短期間にこれだけまとめてCDを聴くのは久しぶりのこと。近頃はADに呆けること専一だった。

 DP-85導入以前に比べて、飛躍的に良く聴こえるようになったもの、やや良くなったもの、あまり変わらないもの、いろいろあったが、少なくとも悪くなったタイトルは無かった。良いものは更に良く、それなりものはそれなりに鳴る。当たり前か。

 6日にも書いた通り、鳴らし始めから極めて多い情報量と超絶分解能を示したわけだが、それに加えて日を追うごとにしなやかさと瑞々しさを増している。エージングである。

 ルックスは穏やかでゴツゴツした感じはない。しかし筐体を含めたコンストラクションは男性的で、かなり武骨である。重量約20kg。付加的要素なしでこの重量だから、実質的には相当なヘビー級プレーヤーと言えるわけだ。フロントパネルはゴマカシ無しの15mm厚アルミ板で迫力があるし、ボディも厚手の金属板構成である。強度は極めて高い、からこそエージングには時間がかかるタイプだと思われる。

 5日間50枚じゃゼンゼン足りない。もっとガンガン聴かなきゃな。ともかくSACDソフトが決定的に不足している。先行き不透明と言われるニューメディアだが、そんなことはどーでもいいからできるだけ早くに沢山のタイトルが欲しいのである。

 ソフトは極めて重要、これがなきゃハナシにならんのダ。

’02/09/08 (日)

終らない


 連日DP-85ネタで恐縮至極。嬉しくて仕方ないので書かせてください。

 アキュフェーズのCDプレーヤーを使うのは初めてである。音の良さは昨日も書いた通り、加えて使用感も実に快適である。CDトレイが出入りするときの音は極めて静か。ほとんど無音である。演奏中の回転音も同様。いささかクタビレたGT-CD1とは比べられない。

 写真はリモコンユニットである。実測重量230g、GT-CD1のものは160gだったから43%増しになる。約1.5倍あるわけだ。その理由はボディの材質にある。厚手のアルミ板を使ってあるから、当然重いわけである。質感は非常に良いし、ボタンの操作感はカチッと決まって気持ち良い。ただ、持ったときちょっと重く感じるのは否めない。もう少し軽い方が取り回しに楽、なような気がするが、この重量が効いての快適操作感ということもあると思う。

 リモコン側にオープン/クローズのボタンがないのはアキュフェーズの良心か。うっかりリモコンの上にモノを置いた時、知らぬ間にボタンが押せてしまい不用意にトレイが出てくる、のを防ぐため、かな? 実際にそうなって慌てたことがあるのは、僕がマヌケなだけかしらん。中空に突き出ているトレイに気付かず、引っ掛けてバキ...なんてことになったら怖い。10年間トレイ式から遠ざかっていた僕には、ありがたい配慮と言えるのである。

 音のほうはますます絶好調、時間がいくらあっても足りないくらいである。朝から晩まで聴いていたい、と思うけれどそうは行かない。そんなことをやったらそれこそオ○クである。

 これでシステムのグレードアップはひとまず完了。今度こそ落ち着ける....それを言っちゃうとまたウソツキでいい加減になるおそれもあるので、黙っておくのである。

 オーディオに終わりはありません。

’02/09/07 (土)

楽しさ拡大


 DP-85には同軸と光、各一系統のディジタル入力端子が標準装備されている。DP-75Vもそうであったように、DACとしての機能も持っているわけである。

 ロックできるサンプリング周波数は32kHz、44.1kHz、48kHz、88.2kHz、96kHz(各16〜24bit 2ch PCM)。オプション・ボードをプラグインすれば176.4kHz、192kHz(各24bit 2ch PCM)、2.8224MHz(1bit 2ch DSD)も受けられる。ほとんどなんでも来いの世界である。

 ちゅうことは、これまでパイオニアのDATでしか再生できなかった96kHzサンプリングで録音したものをDP-85のDACで聴けるっちゅうことやないかい。素晴らしいやおまへんか。コーフンして大阪弁になってしまった。

 早速D-07AのD/OからDP-85のD/Iに繋ぎ、先日録った花火を聴いてみる。う〜む、ナルホド。確かに音はかなり良くなるが、シロウト録音のマズさ、底の浅さが露見するのもまた事実。記録されたデータを忠実に再生すればこういうことになるのだろうな。要するに器が如何に大きくとも、入るものがショボければ話にならん、ということの証左でもあるわけだ。

 そこで、先日居眠り学生さんから預かったSBMデモテープを聴いてみる。48kHzサンプリング。これなら音の差がもっとよくわかるはずだ、と。

 アンティーク・オルゴールである。DP-85DACで聴けば、レガートリンク・コンバージョンとは無関係である。これは素晴らしかった。劇的改善。高域の伸びがさらに増し、恐るべき自然さである。最先端まで真っ直ぐに、揺らぎ皆無で伸び切った超高域には息を呑む。しかも全く作為のない音。ディジタルメディアで、これほど滲みがない音を聴いたのは初めてである。ひょっとするとよく出来たADでもこの音は実現困難かも知れない。確認のためF特も採ってみたが、2日の日誌に載せたものと寸分違わぬ形になった。高域の伸びはホンモノである。この間もひっくり返ったけれど、今回も再びのけぞってしまった。居眠り学生さん、こりゃあもう一回聴きに来なくっちゃ遺憾ヨ。

 DACとしても使えるDP-85、僕のオーディオ環境に於いてこのメリットは極めて大きい。単なる付加機能の範疇を遥かに超えたパフォーマンスである。

 最新ディジタルテクノロジーを甘く見ては遺憾かったのである。

’02/09/06 (金)

心を伝える音


 到着以来の3日間で聴いたCDタイトルは数知れず。寸暇を惜しんで聴きまくっている。SACDソフトが1枚しかないのはいささか悲しい状況ではあるが。

 極めてスムース、妙なストレスを全く感じさせない音である。こう書くと、それはまるでつまらない音のように受け取られそうだが決してそうではない。スムースでありながら恐るべき解像度、分解能を持っていて、情報量は超極大。CDにはこれほどの音が入っていたのかと驚くこと頻りである。陳腐な表現で恐縮だが、今あるCDソフトを全て聴き直したいという衝動に駆られるのだった。

 クラシック、ジャズ、フュージョン、ロック、J-POP、何を聴いても必ずギョッとする一瞬がある。今までは入っていないと思い込んでいた音が出てくるのである。超微小信号まで極めて正確に再生している感じ。これは音そのものより音場再生に大きな力を発揮、渺々たる音場を構築してみせる。

 高域の切れは素晴らしく、しかも厚みとしなやかさがある。GT-CD1をカッターナイフ的切れ味と喩えれば、DP-85は名刀鍛冶が丁寧に打った肉厚の鍛造ナイフ的切れ味と言うべきか。機能的切れ味というよりは芸術的切れ味という印象。GT-CD1には決定的に不足していた艶と輝きが見事に再現される。

 中域の浸透力も驚くべきものがある。ボーカルが素晴らしく明瞭で、正にそこで人が歌っているという雰囲気がありありとわかるような鳴り方である。低域は厚く豊かでしかも締まりがあり音程明確、超低域の押し出しはオソロシイほどの力がある。RRの「POMP&PIPES」ではオルガンの風圧で吹き飛ばされそうになった。凄い圧力である。快感極まりない。

 こうしてヘタクソな文章で音を表現してしまうと、実際の音からどんどん遠ざかっていくような気がする。上手くお伝えできないのが如何にもモドカシイのである。ぷあさんの奥様がおっしゃった「奏でる人の心が伝わってくる」というお言葉。DP-85の音を一言で表すにこれほど的を射た表現は無いように思われる。

 ディジタルメディアをこういう音で聴けるとは、恥かしながら僕にとっては初めてのことである。三管式PJを除いて、僕のシステム中最高価格の機器になったが、支払いの痛みは一瞬にして雲散霧消。お金では計れない感激がここにはある。

 今後の課題はSACDソフトの充実だろう。国内盤を待つのみでは追い切れず、いきおい海外通販に頼らざるを得ない。少なくとも30枚、近い将来には100枚を目指し充実を図りたいと思う。

 今回のCDプレーヤーグレードアップは、大成功である。

’02/09/05 (木)

10年ぶり4回目


 と言っても甲子園出場回数の話ではナイ。当たり前である。

 僕のCDP履歴は1984年12月に始まる。初めて買ったのはCDP-11SというSONY製のヤツ。ミニコンポ用のものが安くで単売されていたのだった。当時の定価で110,000円くらい、それを40,000円程度に買い叩いたような記憶がある。

 もの珍しさもあって最初は喜んで使っていたが、しばらくするとあまりにも使い勝手が悪いのに業を煮やしはじめる。そこで当時の最新鋭機、同じくSONYのCDP-553ESD(定価160,000円)に変更。これが1回目のグレードアップ。

 このプレーヤーには対になるDAS-703ESというDACがあった。定価250,000円、553ESDとセットでは410,000円という、当時の僕にはとても買えるようなモノではなかった。いつかは吃と買ってやるからな、覚えてやがれと一人で勝手に嘯いているうち、ヤマハからバケモノのようなプレーヤーが出てきた。

 かの10000番シリーズのCDプレーヤー、CDX-10000である。初めて写真を見たときから、これが欲しくて欲しくて、気になって気になって木に生ってしまいそうだった。はっきり言って音なんかどーでもよかった。あのルックスに参ってしまったのである。されど定価は400,000円。これもまた高嶺の花である。

 一旦は諦めたものの、ヤッパリ欲しくて仕方ない。相手はヤマハ創業100周年記念限定モデルである。ここで買わなきゃ一生の不覚、エイヤッと思い切って買ってしまった。これが2回目のグレードアップ。

 このプレーヤー、当時としては異様に音が良く、大大満足だった。全身是アルミパネルの塊、重量25kgというのも嬉しかった。これで暫くは大丈夫と思っていると、その4年後またもやヤマハから怪物プレーヤーが登場する。

 GT-CD1である。これも音を聴く前に一目で「欲しいっ」と思った。おまえはパブロフの犬か。一見UFOの基地みたいなルックス、分厚いガラスのフタ、ピカピカツルツルのウッド部分、余分なものを省いた潔いデザイン、どこをとっても僕好みである。オマケに音が良いとくればもう我慢できない。500,000円という定価に二の足を踏みはしたが欲しいものは仕方ない。意を決して販売店へ電話すると、信じられないような答えが返ってきた。

 「今ならほぼ半額でお買い上げいただけます」という。もちろん新品が、である。即決。と、これで3回目のグレードアップ。

 ヤマハの突然変異体、このプレーヤーの音には再びぶっ飛び。その透明感の高さはCDX-10000も鎧袖一触、もうこれ以上のプレーヤーは要らないと思えるほどだった。

 それから10年、最近の事情はこれまでしばしば書いてきた通りである。日進月歩、否、秒進分歩と言ってよいくらいのディジタル技術進化の前に、さすがのGT-CD1も古色蒼然プレーヤーとなったことは否めない。

 後継機種については千思万考、いろんなケースを想定した。その経緯はヤヤコシイので省略、結局現状ではアキュフェーズDP-85しかないだろう、という結論である。もっとお金を出せればこれ以上のものもあるのだろう。そりゃそーだがそんなことは不可能である。

 10年ぶり4回目のCDP新調には、非常にトキメいてしまった。この感じはC-280Vを買ったとき以来。期待感極大である。

 その期待に違わぬ凄い音を、このプレーヤーは聴かせてくれた。SACDはもちろんのこと、CDの音も極めて優秀である。これまで聴いてきたCDの音は何だったのかと、思わず叫びそうになるような音である。

 と、音については二、三行の文章で終らせる、わけにも行かないので、詳しいことはまた明日以降に。下らないことをダラダラ書いてるバヤイじゃないよ。

’02/09/04 (水)

夏と秋の間


 久しぶりのネイチャーネタである。

 5月31日の日誌に載せた柿の花は、ここに至って写真のように立派な実をつけた。「一昨年が生り年、昨年は生らず年、このテンカイからすると今年は生り年である」という予測は大当たり。予言者になれるかな。チガウって。

 一昨年はこの柿を狙ってがやってきた(と思われる)。ご覧のように実はまだまだ青い。どうやらクマさんは熟柿をお好みになるようなので、今年もまたお越しになるとしてもだいぶんと先のことになるモヨウ。できればお出でいただきたくないような、でも生クマさんにお出会いしてみたいような、見てみたいような、でもやっぱりライブ熊は怖いだろうな。僕は大山倍達じゃないし。って、あのお方は「牛殺し」か。

 柿の実が生れば秋はもうすぐそこ、だが、今年の残暑は極めて厳しく、夏の蝉を聴きながら柿を眺め、田んぼでは稲刈りが盛ん、というわけのワカラン状態になっている。ネジれた季節感。夏が続くのは嫌いではないけれど、ちょっと妙な感じはある。

 「暑さ寒さも彼岸まで」。個人的に、どことなくうら寂しい秋はあまり好みではない。

’02/09/03 (火)

ビックリオーディオ


 「THE GREAT FANTASY ADVENTURE ALBUM」(米TELARC CD-80342)である。ダイナミック・ソフトでも紹介されていたと記憶する。

 初めて箱船にご乗船のお客様で「超低域とはどんなものか聴いてみたい」とおっしゃるムキには、ともかくこれを聴いていただくことにしている。先日のお客様には、特にリクエストもないにもかかわらずムリヤリ聴いていただいた。下品コレ極まりないのである。

 トラック21「Jurassic Lunch」。T.REXが彼方から眼前までやってきて、ギャオーと一声、獲物をカリポリと喰いグェーップと満腹して立ち去ってゆくまで、その間わずか1分11秒。ただそれだけのことである。クレジットによると5Hzからのカッティングだとある。それに違わぬもの凄い超低域がモリモリ出てくる。音波が気圧変化による伝播であることを実感できるソフトの一つである。鼓膜をググッと圧迫される音は、一部の変人(オマエだ)には快感、正常な人にとっては不快感。

 5Hzからといっても、そんなところから音になっているわけはない、と思う。ユニットコーンは動いているけれども。実際には20Hz以上から、耳に聴こえているのはおそらく25〜30Hzあたりだろう。

 如何に僕が変人だと言っても、四六時中こんなものばかり聴いているわけではないのんである。これはビックリオーディオ、コケ脅しの類。そう割り切って、超低域の再生能力チェック用、あるいはデモンストレーション用として重宝するタイトルである。

 これの良さ(なんてあるのかな?)を充分に発揮させるには大面積振動板、大音量再生が必須。小口径ユニットで音量を上げたらヒジョーにヤバい。音にならずにおじゃんになるのである。

 箱船オーディオの野蛮さ、ここに極まれり。どーもスビバセン。

’02/09/02 (月)

磨り減っちゃうからね


 箱船の客室にいただいた居眠り学生さんからのメッセージ。そこで触れられているナゾのDATの正体は、彼が数年前買ったSONY製ポータブルDATデッキにオマケで付いてきたSBM(スーパービットマッピング)録音のデモテープである。「Digital Audio Tape SBM Special Edition 1」と銘打たれている。NOT FOR SALE。1993年2月となっているから、既に9年半。決して新しいとはいえない。

 1.ザ・ベリー・ソフト・オブ・ユー/ドリー・ベイカー(ジャズ・ボーカル) 2.アストリアスのイメージによる即興曲/千代正行(クラシックギター) 3.ピューレン・マーチ/アンティーク・オルゴール 4.オータム・ファンタジー/虫の声 5.オールド・マン・タイム/ドリー・ベイカー(ジャズ・ボーカル) 6.ジョージ・フラム:無伴奏チェロ・ソナタ/苅田雅治、全6トラック。「SBM処理技術を用い48kHzでサンプリングした、唯一のDATです(1993年3月現在)」というクレジットが見える。

 6トラックそれぞれに優秀録音である。トラック1と5のドリー・ベイカーはCDでも聴けるが、明らかにDATの勝ち。透明感、ハイの伸び、ローの締まり、多くの点でCDを上回る。48kHzサンプリングのメリットか。

 居眠り学生さんと二人してひっくり返ったのは、トラック3のアンティーク・オルゴールである。独ポリフォン社製大型ディスクオルゴール(100年以上前のものらしい)だが、これが凄い。内蔵されたベルの音が、あまりにも壮絶である。一聴して超高域まで伸び切っているのが分かる。尋常ではない。

 SONYのオルゴールCDには、以前「MUSICAL BOX」(日CBS/SONY 38DG5)という優秀なものがあった。(C)1984だからたぶん廃盤になっているだろう。これは今聴いてもよく録れていると思う。

 上の写真左はそのCDの中で最もハイが伸びているトラックのF特である。CDとしては20kHzのレベルが高く、聴感上でも歪みが少なく透明感大。優秀である。写真右はひっくり返ったDATトラック3のF特。20kHzまで伸び切っている。12.5kHzよりも20kHzのレベルが高い。歪み感皆無、極精細の超高域が耳に心地よい。壮絶な音だが全く不快感なしに聴ける。GMホーン+jensenオイルコンデンサーの本領発揮という感じである。

 尤も、録音対象オルゴールには違いがあるし、44.1kHz、48kHzとサンプリング周波数も違うわけだ。このCDの時代にはSBMも無い。それに何より忘れてはならないのが現用DATパイオニアD-07Aには「レガートリンク・コンバージョンS」という高域補正(創生)回路が入っていること。DATの高域F特に特徴があるのはこれの効果かもしれない。単純に同列比較するわけにも行かないのである。

 しかし、それを差し引いてもこのDATは音が良い。トゥイーターにとってはキビシイ試金石になるソフトである。DATの潜在能力や恐るべし。民生用としては既に消えつつあるのが残念でならない。悪貨は良貨を駆逐する。音が良いだけでは生き残れないのである。

 居眠り学生さん、素晴らしいソフトをどうもありがとうございました。バンバン聴きたいけれど、磨り減ったら勿体無いのであまり聴けません。

 CD-Rに落としたら、それは無意味と言うものだしねぇ。

’02/09/01 (日)

閑中忙あり(?)


 お客様にお出でいただいたのは、一日フリーの予定だったからこそ、である。ところがそうは問屋が卸さないのが僕の仕事である。途中で用件が発生し、なんだかバタバタした一日になってしまった。折角ご遠方を出かけてくださったのに。申しわけありませんでした。

 それでもお三方それぞれ楽しんでいただけたご様子だったので、ホストとしてはこれに優る喜びはない。僕自身も多くの刺激を受けることができた。ありがとうございました。

 またお出かけください。お待ちしています。