箱船航海日誌 2002年06月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’02/06/30 (日)

袈裟と衣とディジタルと


 6月最後の日曜日、今日はウチの親寺さんの法要である。大昔(たぶん300年以上前)からの因縁深きお付き合いなので、馳せ参じなければならないのである。

 この業界特有の準備がいろいろあるわけだが、何をおいても法要のための装束は絶対に欠かせない。言うなればフォーマルな礼服のようなものである。左の紫色のものは法要専用の衣、中央の縄のようなものは腰に巻き付けるもの(手巾という)、右はご存知袈裟である。もちろん数珠も用意してある。

 「男はつらいよ!」シリーズで故・笠智衆氏演じるところの「御前様」は、いつも衣に袈裟をつけて登場していたと記憶している。その他、TVドラマなどに出てくるお坊さんも、たいがいいつも袈裟をつけて出てくるようだ。衣と袈裟が普段着のように描かれている。

 僕はあれが気になって仕方がない。リアルでないのである。四六時中袈裟をつけているお坊さんなんか、ほんとうは何処にもいないのダ。普段は作務着(さむぎ、または作務衣とも)を着ているか、僕なんかはナマグサなのでジーパンにTシャツである。

 業務になればもちろん衣を着るけれど、それでも袈裟をつけるのは法要の最中だけ。あんな非機能的、非活動的なものをつけたまま街を歩き回ったりは絶対にしないのである。坊主肉喰や今朝まで...イヤ違った、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なんて諺もあることだし、やはり「お坊さん=袈裟」というイメージが強いのだろうか。皆さん如何でしょう。どーでもいいことですケド。

 ちゅうわけで、法要専用の衣と袈裟は、道中用の衣とは別に荷物にして持参するのである。袈裟つけたまま車を運転したりするのは、ほとんど自殺行為であるよってに。

 今日の法要は久しぶりに大きなものになる。前回の法要では、彼の鶴田錦史氏のお弟子さんによる薩摩琵琶の奉納演奏があった。今回はどうだろうか。

 いちおうDATとマイク、担いで行くかな。

’02/06/29 (土)

流水の如く


 ハイの切れが良くなったP-700に喜んで、ADばかり聴いている。CDのほうはプレーヤーが古いこともあり、システムの音を追い込むにはちょっと役不足。トドメはやはりADである。

 次から次へと聴いていると、1時間や2時間は瞬く間に過ぎてしまう。両面をじっくり聴くのが一番良いのに決まっているわけだが、なかなかそうも行かない。ADが勿体無いのか時間が勿体無いのか、わけがわからなくなるのである。

 この一週間ほど、いろんなタイトルを聴き、P-700修理前との音の差に喜んだり驚いたりした。中でも差が特に大きく聴こえたのは上のタイトル。「DAFOS」(米Reference Recordings RR-12)である。A級外セレ第二巻186番に選ばれた、たぶん有名なタイトルである。

 このレコードの特長は音場感もそうだが、やはり低域だろう。「迫力というより圧力と言ったほうが良い」という長岡先生の評価通り、凄まじい低域が記録されている。特にB-2「デフォスの門」は凄い。硬いコンクリートの床に、ものすごい重量のある金属の塊を叩きつけるような音が入っている。これもパーカッションの一種だそうだが、この時に出る超低域は猛烈、強烈。初めて聴いた時は、何事が起こったのかと思わず椅子から腰が浮いた。はっきり言って原始的恐怖感を喚起するような音である。

 では、このレコードの魅力は超低域のみにあるのかと言うとさに非ず。中高域の美しさもまた突出しているのである。チューブラーベルズやシンバルの切れと輝きは素晴らしく、ドカンと炸裂するかと思えば時には消え入るかの如く繊細微妙な音も聴かせる。再生は非常に難しく、下手に鳴らすと一番先っちょの部分が詰まってしまい悲しい音になるのである。

 この高域が、今までになく美しく透明感豊かに、しかも繊細さを失わずに再生できるようになったのである。もちろん「これが最高」と言うつもりはゼンゼンない。もっと良い音で再生されるシステムを、僕は複数知っている。それに比べればまだまだ、だが、以前に比べて質感がぐんと上がったのは事実である。

 尤も、AE86さん謹製フォノEQの威力は当然である。これ無しには語れない音だと思う。それに加えてP-700の高域が改善され、良い方向への相乗効果が得られての結果である。

 ここからの追い込みが極めて重要。オイラの腕の見せ処、と言えればカッコイイわけだが、一旦前よりいい音を聴いてしまうとそこで「ま、ええやんか」と安心してしまうのがアホなところである。

 流れのない水は、淀んで最後には腐るのである。流れなきゃダメよ、流れなきゃ。

’02/06/28 (金)

また破戒


 修理から戻ってきて一週間経ったP-700。ここのところ雑事が多いのと夜の踏ん張りが利かなくなったのとで、あまりまともに聴けていない。けれど、短い時間でも良いからと、毎日鳴らしてはいる。全くの新品とは違い、エージングはやはり速く進むようである。

 帰ってきた当初にまず驚いたハイの切れはそのままに、随分としなやかさが出てきた。ギクシャクした感じが減り、かなり動きが良くなったような印象である。ギラギラしたところが影を潜め、全域に渡ってスムースに音が出始めている。それでもやはりハイ上がり、というよりハイが出過ぎている感じは否めない。

 F特を採ってみれば一目瞭然、なのだがメンドクサイので測っていない。たぶん高域は相当なしゃくれグワイだろうと思う。ハイ上がり、ドンシャリ気味の音が好きな僕がそう感じるんだから、これはもう間違いないと、妙なところだけ自信があるのだった。

 ともあれ、音そのものは順調にこなれつつあるようだし、良い方向へ変化しているので上手く追い込めばかなりいいところまで行けそうな感じである。実はそれが一番の難物であったりするわけだが。

 今年になってからは「落ち着いてオーディオする」と再三宣言しながら既に一年の半分が終ろうとしている。結果はご覧の通り、ちっとも落ち着けてなんかいないのである。ムシロ昨年よりドサクサしているようでさえある。なんだこれは。大ウソツキじゃねえか。

 出来ないことを「やる」と言ったり、分かっていないことを「分かる」と言ったりすることほどかっこ悪いことはないのである。僕は「落ち着いて」オーディオすることなんか出来ないヤツだったのね。

 前言撤回。これからも僕のオーディオは落ち着きませんと、開き直って言ってしまうのである。

 嗚呼、不妄語戒は何処へやら。

’02/06/27 (木)

ボウズ肉食や


 久しぶりに家族で晩ゴハンを食べに出かけた。近所の焼肉屋さんである。BSEもなんのその、破戒僧丸出しである。日誌のネタにしようとデジカメを持って行ったは良いが、例によって食べるのにヒッシでいちばんいい所を撮るのを忘れた。なにやってんでしょうか。写真は最後に出てきたオマケのアイスクリームである。

 一連の騒動で閑古鳥が鳴いているかと思っていたら、ゼンゼンそんなことはないのである。以前から人気のある店なので、念のため予約しておいたのは大正解、僕らが行った時既に数人の待ち客がいた。僕も含めて皆さんけっこういい加減してますな。それで良いと思う。

 好物のメニューを一通りタンノウし、僕はチョビッとお酒を飲んで、帰りは妻に運転してもらってシアワセな気持ちになってしまった。おいしいものを食べるのは体にも心にも良いのである。破戒僧だケド。

 ボウズ肉食や今朝までクサイ。

’02/06/26 (水)

火急

 昨日、火急の要件があり早朝から京都市内へ出かけた。どうにも困難な出来事で、当事者同士の話し合いだけに6時間、そのあとの対応策協議は夜中までに及び、結局帰ってきたのはついさっき、今朝の7時半である。ああもうホントにツカレタ。

 これから自分の仕事をやっつけて、午後からはちょいと休ませてもらおうっと。さすがにノウミソは停止(何時もか!)状態、今日の日誌はこれにてご無礼させていただくのである。

 一度くらいの徹夜でグニャグニャになっちゃうなんて、なんともお恥ずかしいことである。

 世の中そんなに甘くないよっ!

’02/06/25 (火)

文章表現

 文章で物事を表現することの困難さは、日々痛感している。こうして書いている今日の日誌そのものが、まさにそのとおりである。できるだけ簡潔に、しかも理解し易く本質を逃さず誤解は少なく、尚且つ興味を惹き面白く、加えて不用意な表現は絶対に避けなくてはならないのだから、これはもう大変。神業である。はっきり言って僕如きにはとても実現不可能なことだけは間違いない。

 最低限、読み手が不愉快になるような文章だけは絶対に書くまい、とは思う。思うけれども、これがまたナカナカにムツカシイのだった。

 例えば親しい友人と実際に会話していたとする。話の流れで「バカヤロウ」「死んじまえ」などという表現を使ったとしても、それはあまり問題にならない。言葉は発した先からどんどん消えてゆくし、言葉を言葉のみとして受け取っているわけではないからである。

 現実の会話には、相手の表情、目線、声の調子、話の勢いなど情報量が非常に多い。それらを総合的に判断し、お互いが慮りながらの行為だから、常識人であれば突然喧嘩を始めたりはしない。もっとも、初対面のヒトにいきなり「アホンダラ」なんて言ったら(この頃そーゆー御仁も多いケド)掴み合いの大喧嘩になるわけだが。

 ところが文章表現となると話が違ってくるのである。迂闊にネガティブな言葉や表現を使うのは、極めて危険であるといえる。実際の会話に比べ、相手の心情を判断する情報量が激減するために文字列そのままに伝わってしまうことがある。文章は形として残ってしまうことも問題になる。

 特定の相手に向けてだけのものでないことも充分に考慮しておかねばならない。受け取り方は十人十色、必ずしも書き手の思い通りに伝わるとは限らない。慮外な印象を与えていることだって、ままある。「ですます調」で書くか「である調」にするか、これだけでも印象は随分違ってくるわけだ。文章表現は一人歩きするのである。

 では、僕自身が読み手となったときにはどうだろうか。僕はできるだけ行間を読むことに努めたいと思う。書き手はどういう思いでこういう表現を使っているのか、何を伝えんがためにこの言葉を使ったのか。ともすれば深読みしてトンチンカンな解釈をしてしまうこともあるわけだが、それでもできるだけ注意深く読みたいと思う。それが書き手への最低限の礼儀だと考えるから。

 書き手は文章の怖さ(力、と言ってもよい)を良く自覚し、受け手は文字の裏に隠された書き手の心情をできる限り慮る。理想的な伝送系統とは、こういうものであると考えるのである。

 さて、僕の書いているものが、かくの如く読むべきであるほどに完成度の高い文章であるかどうか、それはまったく保証の限りに非ず。おそらくそんな値打ちは無いだろう。駄文である。だが、毎日多くの方々にお読みいただいているからには、出来不出来にかかわらず一定の責任を負わねばならないのは自明の理である。

 受け手からのフィードバックは絶対必要。今後とも、宜しくご叱正をお願いしたいのである。

’02/06/24 (月)

幽けき光


 午後8時前、お風呂の準備をしようと浴室へ行く途中、何気なく窓越しに外を見たら、箱船横手の庭で何か光るのものが見えた。うんにゃ? と思って勝手口から外へ出てみると。

 蛍である。家の敷地内で蛍が見られるとは、これまた優雅なお話。妻と愚息を大声で呼びつけ、しばらくの間その幽けき光に見とれてしまった。数は少ないながらも、画像に見える通りれっきとしたゲンジボタル、それがあちこちで光って見えるさまはなんとも言えない情景である。

 裏庭で蛍が見られるようになったのは7年前、1995年の夏からである。夜、戸締りをしようと玄関へ行ってみると、ガラス戸に一匹の蛍がとまっていた。こりゃあ珍しい、家に蛍がやってくるなんてこんなことは初めてだと戸を開けて外へ出てみると、数匹の蛍が周りを飛んでいた。

 1995年の2月、僕の家族にはとても悲しい出来事があった。三番目の息子が逝ってしまったのである。僅か1日の、それは短い命であった。その同じ年の夏に、蛍は初めてやってきた。

 僕は、心霊写真に代表されるような、TVで面白おかしく取り上げられる心霊現象などは、断固として否定する。大嘘である。実しやかに「除霊」だの「降霊」だのとノタマウ輩、そのほとんどは詐欺師同然。故人の魂を冒涜してはいけないのである。

 しかし、あの年は出来事には、とても不思議な思いでいっぱいである。窓にとまった蛍を見た時僕は、逝ってしまったその子の魂を乗せて帰ってきてくれたのかと、本気でそう思った。

 あの年以来、裏庭には毎年蛍が飛ぶようになった。最初はほんの数匹だったものが、今年はかなり数を増やしているようである。もちろん僕には息子が逝ったこととは単なる偶然の一致だと、分かっている。分かっているけれど、庭の蛍を彼からの贈り物だと思った時、僕の気持ちは深く癒されるのである。

 10日後、蛍たちは次の世代へ命をつないで、短い一生を終える。

’02/06/23 (日)

再びC


 更新がお昼になっちゃいました。

 さて、ハイの出方がすっかり変ってしまったP‐700。やはりトゥイーターコンデンサーは変更することになりそうである。容量はもちろん、銘柄も変えてみようと思う。決して現用のCSが悪いわけではないのだが、新生P‐700のハイとのマッチングはベストとは言えないような気がするのだった。

 とは言っても現在の容量が1.5μF、聴感上これが大きすぎることは明らかなので、同じCSの1.0μFも試してみるつもりでいる。要するに、「良し悪し」ではなく「好きか嫌いか」、或いはシステム全体とのマッチングの問題であるわけだ。

 いろいろ試してみる、のはいいけれど、そんなにたくさんのCを持っているわけでもない。使えそうな容量が揃っているのはΛ、uΛ、CS、UΣ、CU、CM、VX-IIくらいである。マニアの間でよく話題になるASC、AUDIN-Cap、T-Cap、T-CapCu、Jensenその他、などはゼンゼン持っていない。あるのは上記の通り、CSを除いて古色蒼然としたCばっかり。これではちょっと悲しいものがあるのである。

 持っていないものの中でいちばん気になるCというと、それはJensenである。以前AE86さん宅で聴かせてもらい、非常に音の良いCだと思った。艶があり繊細で、独特のしなやかさを持ちながら、しかも切れが良く輝きもある。粗さやキツい感じはまったく無く、0506IIとの相性も抜群、と感じた。ここはひとつコイツを仕入れて試してみたいのである。

 AE86さんからアドバイスを貰い、銅箔オイルコンデンサー耐圧630V、1.0μFに決定。秋葉原の海神無線さんに問い合わせると、残念ながら現在は1.0μFの取り扱いが無いらしい。0.47μFまで。ナニ、問題は無い。片chに0.47μFを2個パラって0.94μF、それでOKである。パラって使うのは音質の上でやや不利にはなるが、これもおおかた大丈夫だろう。

 DHKぶちかましの0506IIとJensen銅箔オイルコンデンサー、このマッチングや如何に。僕はもう上手く行くものと勝手に決め付けてしまっている。

 ホンマかいな。

’02/06/22 (土)

ツルツル


 またまたDHKネタである。そろそろ(あるいはとっくに)飽きられたことでございましょうけれど、それでもどんどん書いてしまうのである。

 身のほど知らずのDHK総統(総裁じゃなかったっケ?)は、ついにダイヤモンドペースト(DP)に手を出してしまった。手前が#8000、奥は#15000である。再三わかったようなことを書きながら、実物をちゃんと見るのは初めてである。いい加減なヤツである。「灰色の粘土」みたいな質感。4cc5g入りで1本5,000円。

 注射器からむにゅ〜と適量押し出して使うわけだが、このままでは固くて伸びが悪く使いにくい。そこはちゃんと手当てがしてあり、専用の希釈液が付属している。透明青緑色、アルボース石鹸液みたいなものである。これで適当に伸ばし、得意のベンコットに付けて磨くわけだ。

 いきなり本番研磨するのはさすがにコワイので、その辺に転がっていた真鍮板でテストする。まずは#8000から。

 磨いているという感触はほとんどない。ピカールなら如何にも磨けている、という手応えがあるのだが、それがないのである。ただ、ツルツル擦っているだけ、という感じ。それでもベンコットはだんだん黒くなってくる。研磨できているのである。手応えがないままツルツルツルツルやり、適当なところで拭き取ってみると、そこにはこれまで見たことないような透明感ある鏡面ができていた。その上から#15000で仕上げると透明感はさらに上がる。これなら買った甲斐があるというものだ。問題なし、さっそくGMホーンにも使ってみよう。

 ただし、DPだからといって万能ではない。ピカール→#8000→#15000、と順を追って使わないと意味がないのである。粗面にいきなりDPを使っても、ちっとも綺麗にはならない。勿体無いだけである。1cc1,250円ですからね。いぢましいのである。

 #15000がいちばん細かい番手、というわけではなく、色々調べて見ると#24000までは見つかった。それよりも上があるのかどうか、今のところは不明。でも、使ってみた感じでは#15000でも充分すぎるような感じである。それよりさらに上というと、精密レンズ研磨に使われるダイヤモンドスラリー(ダイヤモンドの超々微粉末を浮遊させた液体研磨剤)まで行っちゃうのである。

 そこまで行ったらもう、ダイヤモンドスリラーになっちゃうよ。

’02/06/21 (金)

P-700 READY


 昔、長岡先生が「アンプの脚、あるいは底板を交換するとおそろしく音が変る。その変化はアンプそのものを交換するに匹敵するほどの大きさである」と書いていらっしゃった。何の記事だったか、全く思い出せないのが申しわけないのだが。

 修理点検から帰ってきたP-700、仕事の合い間を縫ってセッティング完了、こういうこともできるところは便利である。しかし、さすがに真昼間からデカい音でガンガン、というわけにもいかないので、ともかく電源だけ投入しておいて夜まで我慢する。

 さて、夜になった。ウォームアップは充分である。さあ行くぞコノヤロウ。久方ぶりの大音量ダ。

 最初の一音が出た瞬間、あっと叫んでしまった。何だこの音は。凄まじい中高域の切れである。研ぎ澄まされた日本刀をヤミクモに振り回すような、というか、ちょっと触っただけでたちまち血が噴き出しそうな、ある種狂気とも言えるような切れ込みである。歪み感はないけれど、相当に緊張感の強い音である。低域は極めてタイトでしかもズシンと強烈、重量感極大、鈍重さは皆無である。

 音場、これはもうムチャクチャに広く、高さは天井をぶち抜き左右は壁を突き抜け前後は無限大に深い。音場感の良いレコードを聴くと、音が縦横無尽に飛び散り眩暈がするほどである。

 良いことばかりでもなく、どこかしら生硬い感じは否めない。何となく不自由に鳴っているという印象はある。修理後もある程度のエージング(というか慣らし運転)が必要か。

 確かにP-700の音に間違いはない。明るくフットワークは軽く、圧倒的なパワーでスピーカーを自在にドライブしている、という印象はそのままである。しかし、修理前とでは随分と音の変化が大きいのは、一体何のせいだろうか。

 劣化していたパーツが新しくなった、のはもちろん音に変化をもたらす大きな要因である。さらに機械的な変更点、つまりトランジスター取り付け金具の追加、ひょっとするとこっちの方の影響がかなり大きいのかも知れない。冒頭に書いたように、底板周りの変更でさえ大きく音が変るのだから、パワートランジスターの取り付け方法に変更があれば影響大なること、推して知るべしである。しかもP-700は片ch11パラ22石、温度監視用のトランジスターも合わせると26石、両chで52石という、長岡派が聞いたら泡を吹いて卒倒しそうな石の数である。

 さりとてドシロウトが原因を詮索したところで屁のツッパリにもならん。何を言っても推測の域を出ないのである。僕に分かることは唯一つ。「音が変った」という事実だけである。それで充分。個人的にはヒジョーに好ましい方向への変化である。

 しばらくはこのままで鳴らしてみる。SWとの関係は問題なさそうだが、トゥイーターコンデンサーについては見直しが必要になるかも知れない。楽しみがまた一つ増えたのである。

 禁断症状は知らん間に治まってしまった。コムプリートなオーディオジャンキーですな。

’02/06/20 (木)

おかえりー


 P-700が帰ってきた。9日の朝に送り出して19日朝の到着だから、ちょうど10日のお出かけだったわけだ。今回は5日間というわけには行かなかったけれど、修理後の安定度などを注意深く見てくれた上での10日間、対応迅速というべきであろう。いよいよ禁断症状が悪化し始めていたので、とてもウレシイのである。

 故障状況も無事(?)再現され(これがそうでないこともよくあるので困るのダ)、原因も判明、当該個所のパーツ、メーターランプ、その他劣化素子も交換し、初期特性を保証してのご帰還である。ヒートシンクや内部に被っていたホコリも綺麗に掃除されている。元箱は、風通しの悪いところに永く置いてあったせいで少々傷んでいたが、それも新品に交換され、しかもご丁寧なことに箱に印字してあったシリアルナンバーもキチンと打ち直してある。微に入り細に渡る心配りには頭を垂れるばかりなのである。さすがアキュフェーズ。

 修理納品書をよく読むと「動作安定の為、パワートランジスターのビス交換、及び取付金具追加」とある。?。「取り付け金具追加」ってなんだろう。

 そこで天板のスリットからライトを照らし、中を覗いてみると。オヲッ、わかりました。パワートランジスターはビスでヒートシンク内側にネジ止めしてあるわけだが、3mm厚はあろうかという頑丈そうなL型の金具(素材まではわからない)で挟みつけるようにガッチリ押さえ込まれている。熱結合が良くなり放熱効率アップ、それが動作安定につながるということか。見ようによっては「トランジスタースタビライザー」とも取れるわけで、制振効果も期待できるだろう。いずれにしても良い方向への変化が期待できそうである。

 早く聴いてみたい、のだが、本業のほうが忙しくて昨日はようやっとラックに入れただけである。放熱を考え、ラックから出してセッティングしたいのが本音。このアンプ、結構熱くなるのである。ところがリヤカノンLにつながるケーブル長が足りず断念した。これは近い将来何とかしたいと思う。

 導入以来5年半経過しての修理と総合点検、これでしばらくは安心して使える。故障するもまた良し、である。このアンプも「20年使う」ことになりそうだ。

 アキュフェーズさん、よろしくお願いいたします。

’02/06/19 (水)

くれぐれも気をつけて


 ぴっころ親父さんからメールをいただいた。T-900Aの研磨についてである。片方のホーン研磨が出来上がったということで、写真を添付してくださったのが上の画像である。恐るべき美しさ。こりゃあDHK総裁の立場もアブナイのである。

 0506IIのホーンに比べると、外径がかなり大きいわりにホーン開口が小さく、平面部分の面積が広い。見た目もかなり平べったい感じ。それだけに前方から見た時の輝きがモノを言う。ルックス一変、それだけでも音が良くなりそうである。

 ホーン内面、イコライザープラグも見事に磨き上げられている。これが音にキクのである。もう片方の研磨が完了したあとのぴっころ親父さんのご感想が楽しみである。

 DHKは順調に勢力を拡大し、今や党首党員合わせて10名以上という巨大勢力に成長した。立ち上げ以来一週間で10倍である。潜在的党員も合わせると、おそらく全国に50万人(アホか)はいるだろう。最早世界征服は目前であるわはは、わはははははわは。なんだかあぶねいよ、オマエは。

 世界征服はもおええとして、ホーン研磨の効果は絶大だと思う。しかし、前にも書いたがリスクゼロでは決して無いのである。掲示板上シトさんからの投稿にも見えるように、0506IIはホーンが外しやすく振動板の交換もやり易くできている。そういうトゥイーターなのである。他のものもこれと同じように考えて良いのかどうか、それは極めて疑問。ぴっころ親父さんは完全に自己責任に於いて実施されているので何の問題も無い。

 だが、対象がT-500Aとなれば僕にはその分解方法さえわからず、危なくて手が出せない。仮に分解方法がわかったとしても、作業段階で不グワイが起こる可能性は極めて高い。分解時、振動板アッセンブリーがホーンの側に貼り付きそれに気付かずそのまま外してリード線を引きちぎってしまう、と言うことだってあるのダ。無茶して壊した時の修理費はシャレにならないし、そんなふうに壊したものを修理させられるフォスさんだって迷惑な話だろうと思う。

 ホーンを磨いて音が良くなる、のは結構な話だが、その前段階で振動系を傷めたりしては本末転倒である。そのあたりくれぐれもご注意くださって、決心ができてからDHKしましょう。

 あっ、気がついたら今日もDHKネタになってる。遺憾です。

’02/06/18 (火)

癒し系


 今月はDHKネタがヒジョーに多く、なんだかゴツゴツした日誌ばかりである。自分で読み返してみても、ちっとも気が休まらない。生硬である。どうにも申しわけないのである。

 そこで今日は癒し系の内容にしようと思う。といってもカワイイおねいちゃんが出てくるわけは絶対になく、「ドクダミ茶」の話。残念なのである。それのどこが癒し系やねん。

 箱船の裏手には雑草が伸び放題。草刈りを怠けているからである。その中にはドクダミがいっぱい生えている。これを刈り取ってきれいに洗い、陰干しにして小さく刻み、軽く炒ったあと煎じればドクダミ茶の出来上がりである。簡単至極。ただし、刈り取る時の臭いには閉口する。ご存知の方も多いだろう、ヒジョーにクサイのである。あの臭いはドクダミに含まれる「デカノイルアセトアルデヒド」という物質によるモノだそうだ。

 では、お茶にしてもあの臭いがするのだろうか。もしそうならそんなもん飲めたもんじゃない。ところがご安心下さい、乾燥させればすっかり消えてしまうのでした。ヨカッタヨカッタ。

 ちょっと青臭さが残るけれど、冷やして飲むとなかなかおいしい。しかし、おいしいだけでこれを飲むのはあまりにも酔狂である。

 ドクダミ、別名十薬(じゅうやく)とも言い、十の薬効があるといわれる薬草である。曰く、食中毒、冷え症、肩こり、水虫、湿疹、にきび、肌荒れ、血行促進、高血圧、動脈硬化、腎炎、膀胱炎、心臓病、脳出血、便秘、尿の出が悪いとき、などに効果があるという。そう言えば、初めてこれを飲まされたのは小学生の時に膀胱炎になった時だった。もう死んでしまったが、父方の祖母が「これ飲んだらな、オシッコがよう出てスグ治るさかい。きばって(がんばって)飲みや」と言って煎じてくれたのだった。

 今ではウチの隠居が高血圧対策のためにせっせと陰干ししている。余分な水分を排出して血圧を安定させようという狙いだろう。飲み過ぎて干乾びないようにしてほしいものである。

 これをお読みの男性オーディオファン諸氏はおそらく「今日の日誌はナンジャ?」とお思いでしょう。実はこれには含みがあるのでゴザイマス。利尿効果があり便秘にもキク、ということはつまりダイエットにも繋がるわけで、そちらに関心の高い奥様には是非お薦めいただきたいのである。

 オーディオHPだって役に立つこともあるっちゅーことでカミ風当たりを弱めよう、とまあこういう趣向である。そういう意味でも癒し系。え? 大きなお世話?

 イヤ、失敬。

’02/06/17 (月)

どこまでも行きます


 「D-55ESを聴く」ページを少しく追記更新した。0506IIGMへの交換についてである。音の変化に関しては一昨日の日誌をお読みいただくとして、交換した言いわけ、今後の展開などと共にF特写真も載せておいたので、よろしければご一覧いただけると幸いである。

 状況は益々研磨研鑚の方向へ動いている。どこまでやれるか、行けるところまで行ってみよう。そうすれば、また今までとは違ったものが見えてくるかもしれない。

 「アナタは何処まで行かれるんですか?」

 「ええ、僕は何処までも行くんです」

 「そうですか、そりゃあケッコウですねぇ」

’02/06/16 (日)

なかなか


 「矢野顕子/ごはんができたよ」(MIDI INC. MID-3001)。CDである。(P)(C)1986と、毎度のことながら古いタイトルなので、廃盤再発(ひょっとしたらQ盤とかの廉価盤で)されていると思う。僕が買ったのは'86年9月13日、当時は3,400円だった。いつも古い話で恐縮です。0506IIGMを付加したD-55ESで色々聴いているうち、こんなものまで引っ張り出してしまったというわけである。

 僕は彼女がデビューして以来のファンである。このタイトルの頃は、YMOとのコラボレーションで一気に知名度を上げた時期である。「TONG POO」や「在広東少年」など、YMOが演奏していた曲も収録されている。こっちが元ネタである。

 バックミュージシャンは正にYMOそのもの。坂本竜一、細野晴臣、高橋幸宏、大村憲司など。そのままである。「YMOフューチャリング矢野顕子」という感じ。何せ、プロデューサーが坂本竜一なのだから、これはもう致し方なしだろう。

 純粋に彼女のファンとしては、良く出来たタイトルだと思う。バックメンバーには不安も不満もないし、曲もヒジョーに良い。とても好きなCDである。

 では、オーディオファンとしてはどうだろうか。これがなかなかイケる。実はこのCD、ステレオ誌のベストレコーディングに選ばれていたのである。たぶん'86年中だったと思う。何月号だったかはすっかり忘れてしまった。

 歪み感が少ないのがヨイ。全体にスッキリしていて見通しが良く、グチャグチャにならない。こういう音楽だから自然な音場感などは望めないが、エコーの付け方がわざとらしくないのでイヤミなく聴けるのである。この手の音楽にこういう録音は多くないと思う。F特採るの忘れました。ゴメンナサイ。Fレンジ、Dレンジともそんなに広くないはず。「ベスト」レコーディングの評価はちょっと甘いかな。と、16年も前のことをゆっても仕方ないのである。

 ジャケットは...う〜む...。「矢野顕子も若かった」とだけ言っておきましょう。

’02/06/15 (土)

我慢できずに


 毎度お馴染み、GMホーンである。最近こればっか。P-700がなかなか帰ってこないので、こんなことばっかりやってます。御勘弁ください。

 GM Ver.1の再研磨がほぼ完了したので、音を聴いてみたくて仕方ない。と言ってもメインシステムはダウン中、聴けないのである。それなれば残るは2階のD-55ESシステムである。T-500Aには何の不満もないけれど、ここはひとつ実験ということで。とうとうガマンできずにやってしまいました。

 コンデンサー容量、位相、位置はそのままに、トゥイーターだけを入れ替える。ここは当然ながらあとで追い込みが必要である。現状はともかく音色の違いだけを確認したいわけだ。

 0506IIと208ESの相性がヒジョーに良いのは、メインシステムのほうで充分過ぎるほど確認している。それでも改めてこのトゥイーターの素晴らしさを再確認するに至ったのである。

 艶と切れが見事に両立した超高品位サウンドである。クールでシャープ、しかも厚みはまったく失われない。誇張感は皆無。砲金の鳴き、色付けもまったく感じられない。透明感繊細感抜群。高域の改善は当然全域に良い影響を与え、総合的な質感がぐんと上がる感じ。楽器の余韻が俄然美しさを増し、瑞々しい響きを持って豊かに再生されるようになった。本当に良い音だ。これではもう後戻りできないではないか。困ったな。

 オリジナルホーンのままでは、ソリッド感、誇張感のない自然な感じという点でT-500Aに譲っていた0506IIだが、こうして執拗に磨いたGMホーンを得た段階でそれを凌いだと思う。単純に入れ替えただけの現状でこの結果なのだから、周辺を追い込んで行けばなお一層良い音で聴けるに違いない。困ったけれど大成功である。

 この大幅な改善は、単にGMホーンだけの効果でもなさそうである。手前味噌になって恐縮だが、やはり偏執的研磨が大きく音に寄与していると思う。こうなったら身のほど知らずは承知の上、ダイヤモンドペーストでもう一段上の鏡面を狙うか。それともう一つ、忘れてならないのは208ESとの相性の良さである。このトゥイーターが入手困難なのは極めて残念。

 だからといって現行T-500A、或いはT-900Aの価値に些かの瑕疵が付くものではない。個人的には0506IIを取るが、前二者もたいへん素晴らしいトゥイーターである。特に、最近聴いたT-900Aは素晴らしく良い音だった。あのホーンを磨いたらどんなふうになるのだろうか。DHKの親方としてはヒジョーにムズムズするのである。

 だが、オオヤケには絶対薦められない。ぴっころ親父さん、またのご報告をお待ちしています。

 う〜む、やはりトゥイーターはオモシロイのであった。

’02/06/14 (金)

プロとアマ


 の間には大きな溝がある。こんなことは誰でも知っている。知っている人は多いが、分かっている人は案外少ないようだ。アマが思うほど、プロの世界は甘くないのである。

 DHK総裁、などといい気になっているけれど、僕が仕上げる鏡面などプロから見ればお笑い種程度のものであると自覚している。これは皆さんよくご存知の通り。技術と環境の及ばない部分は根気と手間で補うとしても、専門的なノウハウを持たないのは決定的致命的な差である。

 もし、アマがプロに勝れる部分があるとしたら、それは「時間」ではないかと思う。商行為ではないので、好きなだけ時間、つまり手間をかけることが可能なのである。納期があるわけでなし、自分の納得が行くまでどこまでも追い込める。どこでヤメるかは自分次第、妥協点だけで仕上がりの良否が決定されるというわけだ。

 「磨く」という行為のみならず、これはオーディオそのものにも深くかかわってくる問題である。一家言を持つ友達のオーディオを見ると、それぞれに恐ろしいまでの追い込みを実行している。AE86さん然り、M85さん然り、TE27さん然り、である。ある意味でプロを遥かに凌ぐような仕上がりを見せる彼らのオーディオ、だが、皆あくまでもアマチュアリズムに徹している。もっと高効率な方法があることは良く良くご存知のはずだが、敢えて時間と手間をかけ独自の世界を構築されているのである。

 5年前、スーパーネッシーの設計図をお見せした時、長岡先生はおっしゃった。

 「うらやましいですよ。僕なんかこういうことをやりたいと思ってもできないもの」

 この言葉は、深い。プロとアマの(意識的)断絶が思いのほか大きいこと、超一流のオーディオプロとしてやって行くことの厳しさ、プロとしての矜持、多くの意味を含んでいる。徹底したプロ意識の発現である。

 では僕は、徹底したアマチュアリズムの発現、に至っているのだろうか。極めて疑問、である。未だに中途半端なところでウロウロしていると言わざるを得ない。稚拙でもあり不遜でもある。

 「自分なんかまだまだですよ」と思いながら、今日も一心に磨くのである。

’02/06/13 (木)

勢力拡大


 早くも党首党員合わせて3名、3倍増の大躍進である。DHK(ドコサヘキサエン酸じゃないよ)。この勢いで勢力を拡大すれば、近い将来世界征服も夢ではないのである。さあ、皆さんもご一緒に。といってもリスクゼロではないので、研磨に挑戦される時は自己責任でお願いしたい。世界征服は無理かな、ヤッパリ。

 さて、昨日買ってきた研磨材を使い、GMホーンとセットになるイコライザープラグを磨いてみた。ピカールでかなり執拗に磨いたつもりだったが、モノが小さいだけによく見ると研磨の甘い部分が残っているのである。

 さらにピカールのみの研磨でも充分に対応はできる、けれど、時間はかかる。右手の中指の腱が伸びきって曲がりにくくなるのはあまり嬉しくないので、何とか時間短縮を狙いたい。そこで登場、プロ用研磨材「青棒」である。プロ用と言ってもDIY店で簡単に手に入る。ウチの近所で買えたんだからどこでも買えるだろう。

 取説には「サイザルバフ(?)、テツバフ(?)、綿バフ等に塗布し、各種金属の研磨、ツヤ出しにご使用ください。銅、真中(原文ママ)、アルミ、亜鉛などのツヤ出しに高い能力を発揮します」と書いてある。「真中」は「まんなか」ではなくて真鍮のことだろう、って、わかるよそれくらい。

 「青棒」というが、実際には緑色の油粘土を強く押し固めたような質感のものである。柔らかい砥石という感じ。イコライザープラグの背景に写っているのがそれである。これに気になる部分を押し付けてコシコシ(こればっか)磨く。本当はバフに塗り付けて使うものらしいが。これがナカナカのスグレモノで、ピカールと併用すると本当に綺麗になる。上の写真の如くピカピカのツルツル、しかも作業時間は大幅に短縮(党義に反する?)できた。500gの塊が1本2,000円と、ピカールより少々高いけれど、消費量と効果を考えればかなりCPは高い。

 こんなにグワイの良い研磨材があることを、僕はまったく知らなかった。友達から教えてもらって初めて知ったのである。ひょっとすると他にもハイCPな研磨材があるかもしれない。ダイヤモンドペーストばかりに呆けていてはイケナイのである。

 あんまり上手く行ったので、他のホーンも磨きたくなってきた。あぶねいからヤメなさいって。

’02/06/12 (水)

DHK


 GMホーン Ver.2を送った友達からメールを貰った。絶好調だそうである。ありがたいことである。僕が作ったわけではないが、それでもとても嬉しい。

 彼によると、磨けば磨くほど音が良くなる、というより、自然な音に近づいて行くという。金属音が消え失せ、とうとう仕舞にはトゥイーターそのものが消えたようになり、けれどこれまでにはない切れと透明感が得られる、と。不思議なことである。それもこれも、全て「磨き」の恩恵らしい。この上はさらに研磨を重ね、より美しい鏡面を目指すのだと意気軒昂、彼も最早立派な偏執的磨きマニアである。

 そうなれば自称DHK(大日本偏執的研磨党/党首党員合わせて1名の大勢力である)総裁の僕としては黙っていられない。早速新たな研磨剤を買い込み、Ver.1の再研磨開始である。

 ピカールだけでは限界があると思い、カー用品の中から使えそうなものを選るのだが、これがなかなか良いものが見つからない。「鏡面コンパウンド」なるモノも、使ってみたところではどうもイマイチである。さほど綺麗にならないクセにキズだけは盛大についてしまう。これはダメだ。あと2、3種類あるのでそれも試してみるけれど、改めてピカールの優秀さを思い知らされた。超ハイCPである。ン十年にもわたって愛用されている秘密を見たようである。

 さて、それにしても限界があることに変りはない。ちゅーわけで「研磨剤」をキーワードに検索してみた結果、やはり「ダイヤモンドペースト」にトドメを刺すようである。半導体産業などではシリコンウェハーの鏡面仕上げにも使われているらしいし、アマチュアレベルでは自作ナイフメイキングという趣味の世界で、ナイフブレードのミラー仕上げ(要するに鏡面ですな)に頻用されている。磨きマニアはこんなところにいたのである。

 是非とも使ってみたい、けれど、ヒジョーに高価である。5g入りで5,000円を下らない。ピカールなら500g缶で700円くらい、じつに714倍以上の価格差である。凄いDレンジ。こんなものを買ってしまって僕のようなドシロウトに使いこなせるのか、あるいは本当にそこまで必要なのか、極めて疑問ではある。

 でもね、DHKだからね、使ってみようかなぁ。音の為だしなぁ。どうしようかなぁ。

 う〜む....。

’02/06/11 (火)

カッコウ


 早起きシフトは順調に進行中。順調すぎて昨夜は20時に寝て今朝は3時半に起きた。7時間半。寝過ぎだな。腰が痛いのである。何にもせずに寝たので風呂に入ったのも朝。規律正しい生活なのか、オハラショースケさん生活なのか何だかよくわからない。朝寝朝酒じゃないから大丈夫かな。

 朝のオツトメをしようと本堂の戸を開けたら、向かいの山でカッコウが鳴いていた。同じ杜鵑(とけん)科仲間のホトトギスは珍しくないけれど、この辺りでカッコウが鳴くのは希である。僕がここに住み始めて14年、これまでに2、3回聴いたことがあるだけ。初夏に南方からやってくる渡り鳥なので、時々寄り道していくのだろう。

 「昔々あるところに母子が住んでいました。ある日母が『背中が痒いから掻いてくれないかい』と子に頼みました。ところが子は遊びに夢中で掻いてくれません。仕方がないので川辺の岩に背中をこすりつけていましたが、あっ、なんということでしょう、母は誤って川に落ち、溺れて死んでしまいました。子は『なんという親不孝をしてしまったのだろう』とひどく悲しみ、鳥になって『掻こう、掻こう』と鳴くようになりました。だからカッコウは今でも母を想い『カッコウ、カッコウ』と鳴くのです」。

 こんな物悲しい昔話ができたのも、カッコウがまだ暗いうちから鳴き始め、しかもどことなく裏寂しい声で鳴くからだろうか。4月19日に書いたトラツグミと言いホトトギスと言い、夜から早朝にかけて鳴く鳥には、何やら不気味な雰囲気が付いてまわるようである。

 個人的にはカッコウの鳴き声は大好きである。もっと日常的に聴ければ良いとは思うけれど、ここはそういう避暑地的なロケーションではないのである。

 現在午前6時半、もう鳴き声は聴こえない。

’02/06/10 (月)

禁断症状


 システム全てに問題が無く、うまく機能している時にはさほど強く感じなかった。いざこうして中枢を担うパワーアンプがなくなってみると、二日目にして禁断症状発症である。何時でも聴けると思うとホッタラカシにするくせに、まったく聴けないとなると、強迫観念があるのかやたらと聴きたくなる。身勝手なものである。

 昨日今日は土日で、アキュフェーズからの連絡は無く、P-700の詳しい故障状況は今のところ不明である。早く治ってきて欲しいなぁ。

 禁断症状の対症療法としては、2階のHMA-9500IIを下ろして繋ぐ、という手もあるわけだが、これは上手くない。P-700のSPアウト端子は馬鹿でかく、8sqキャブタイヤも楽々入る。9500IIは、これがまた端子がカナシイくらい小さく、8sqなんかまったく入らない。3.5sqでも無理なくらいである。わざわざ端末処理してまでは面倒臭くてイヤダ。B-2302でスーパーネッシーだけを鳴らす、のも却ってストレスが嵩張りそうでイヤ、結局ガマンするしかないのである。

 こういう時に限って、頼んであったADがレコード屋さんから届いたりするのである。精神衛生上ヒジョーに良くない。2階でなら聴けるとはいえ、それだけでは満足できないのであった。

 聴けなくなって気付いたこと。僕は強度のオーディオ依存症である。

 今さら何ゆってるんだか。

’02/06/09 (日)

信頼


 2月23日の日誌に「次は何が壊れるんだろう」と書いたら、ほんとに次が来てしまった。今度はスーパーネッシードライブ、P-700である。今年はどうにもこういう年なんだな。

 「電源入れっぱなしも一長一短」と、最近では聴き終ったらできるだけOFFするように心がけていた。昨日も朝の一仕事を終え、小一時間くらい聴こうかなとスイッチON、数秒あってプロテクションリレーがカチンと繋がったその時。左chから「バリバリッ...バリッ」というノイズ出現。さほど大きな音ではないが、明らかに尋常ならざることが起きているとわかるようなノイズである。使い始めて5年半、こんなことはもちろん初めてだ。

 しばらく経ってノイズは消えたが、このまま使うのはあまりにもグワイが悪い。他の機器、特にスピーカーまで傷めてしまっては遺憾と、すぐ電源を切りさっさと修理に出す算段をする。ドシロウトの生兵法、大怪我の元である。

 アキュフェーズに電話をしたら「了解いたしました。修理受け入れの態勢を整えておきます。ところで元箱はお持ちですか?」とご丁寧な対応。それは大丈夫、捨てずにちゃんと取ってある。この辺はスペースに恵まれたイナカモンの特権か。

 ともかく元箱に梱包し、最寄のクロネコ集配センターへ電話する。梱包重量50kg超、ご覧の通り巨大な二重箱である。重量だけなら持てないこともないけれど、この大きさではとても無理。落っことしてさらに破壊を進めるのが関の山である。「取りに来てくれ」と頼む。電話してから30分ほどで、トラックとともに体格の良いお兄さんが来てくれた。二人で持てば軽いもの、P-700は修理の旅へ出かけて行ったのである。

 故障発覚から発送完了まで2時間ほど、おそらく今日(6/8)中にはアキュフェーズへ届くだろう。ここからがこのメーカーの凄いところなのである。

 故障確認から修理完了、再発送までがおっそしく速い。以前、C-280Vを修理に出した時は、送ったのが月曜日、故障確認と修理手順の連絡が翌火曜日にあり、木曜日に修理完了と同時に発送、金曜日には僕の手許に戻ってきたのである。発送〜故障確認〜修理完了〜返送到着までたったの5日間。速いからといって手抜きはまったくない。修理は完璧である。こんなメーカーが他にあるだろうか。

 今回は土日を挟むことになるし、故障個所の修理だけでなく全体の点検(オーバーホールということになるか)も依頼したので、多少時間がかかるかもしれない。そんなことはまったく問題なし。僕はアキュフェーズに全幅の信頼をおいている。

 どんなに完璧な製品でも、人が作ったものである以上必ず故障する。特にウチのように電源ほとんど入れっぱなし、鳴らせばピークメーターレッドゾーンなどという環境下では、頻度が高くなるのは当然。酷使しているのである。問題は、故障時にメーカーがどう応えてくれるか。コレが極めて重要になる。

 ただ安いだけのものならチマタに横溢する昨今である。大量消費こそ美徳と、次々に使い捨てるのも結構、だが、一末端ユーザーの僕としては、アキュフェーズのような「心ある」メーカーを大切にして行きたいと、心から思うのである。

 「故障して 初めてわかる 信頼性」。

’02/06/08 (土)

サラサかミルンかクズテツか


 もう10年くらいになるだろうか。毎年この時期になると、必ずやってくる。わざわざ家の中まで入ってくるのである。オニヤンマに良く似た色と斑紋、しかしそれに比べてかなり小型、初めて見たときから今に至るまで、ヤンマ科のトンボであること以外はっきりと種を断定できないでいる。

 数年前、昆虫図鑑で調べた段階ではおそらく「サラサヤンマ」だろうというところに落ち着いた。のだが、今年の個体を見ると、やはりちょっと違うようにも見える。

 そこで、「ヤンマ」をキーワードに検索サイトにかけてみる。かなり多くのサイトにいろいろなヤンマの画像が見つかった。それらからすると、「サラサヤンマ♀」のようでもあり「ミルンヤンマ♀」のようでもある。発生時期からすると「サラサ」が近い。斑紋と体型からすると「ミルン」のようだ。

 その道のプロ、或いはマニアが見れば、一発で識別してしまうのだろう。サラサかミルンかどっちかだ、なんて言うこと自体ひどく見当外れなのかもしれない。ぜんぜん別種の可能性も高いのである。

 オーディオに暗い人が、例えばC-280、280L、280Vを見て即座に判別できるかといえば、それはおそらく無理だろう。HMA-9500と9500II、FE-208ES Ver.1とVer.2、こんな例はいくらでもある。あまつさえメーカーがまったく違う機器でも、識別不能ということになるかもしれない。

 検索サイトで見る限りヤンママニアな人はかなり多くいらっしゃるようである。ならば、ヤンママニアでオーディオマニアな人は? かのトンボさんならご存知、なワケないか。

 これ、正確には何ヤンマなのだろうか。写真を撮った後、大空へ解き放ったら気持ち良さそうに山の方へ飛び去っていった。

 未発見の新種が見つかる可能性が一番高いのは昆虫の世界であると、どこかで聞いたことがある。ひょっとしてこのヤンマ、未だ知られていないまったくの新種だったりして。だったら僕はこう名付けるのである。

 「クズテツヤンマ」。勝手にゆっとけって。

’02/06/07 (金)

シフト


 6月に入ってから、睡眠時間帯を前にずらそうと努力している。睡眠時間そのものは5時間程度で充分、それ以上寝ると腰が痛くてダメである。早寝早起きモードに切り替えようという試みである。

 遅くとも23時には寝たい。起きるのは4〜5時頃を目標にするのだが、なかなか23時に寝るのはムツカシイのである。ちょっと油断をすればすぐ午前様、そうなると5時に起きるのも困難、ハッと気が付いたら6時過ぎ、なんてことが多い。

 人間はゴキブリやコウモリではないので、夜は寝なければイケナイことになっているらしい。睡眠時間帯シフトを思い立ったのは、体の不調がきっかけである。遅寝遅起きすると、一日中頭が痛いとか、体の切れが悪いとか、20代の頃にはまったく無かったような不グワイが出るようになってのこと。厭な言葉だが、僕はすっかり中年なのである。

 モードを切り替えて一週間、体調良好である。起き抜けはスッキリするし、体の動きも良い。がんばってこれを続け、習慣にしてしまえばこっちのもの。そうなるべく努力すべし。

 ただ、困るのは、夜にゆっくりオーディオできないこと。晩ゴハンの後、レコードを聴いていると、恐ろしいほどの睡魔がやってきて居眠りしてしまうのである。HPの更新も、今日の如く朝になる。

 中途半端は良くないので、いっそもっと早く寝て早く起きるか。18時には寝て23時ごろ起きる。それからゆっくりオーディオしてHP更新して....。

 それじゃ前と変んねーよ。

’02/06/06 (木)

蚊帳の外


 ワールドカップワールドカップと草木も靡く。チマタでは大変にカマビスしいことである。どのTVチャンネルもそればっか。サッカーオンチの僕としては、周りが騒ぐほどに冷めてしまうのである。サッカーマニアの方が読んでいらっしゃったらごめんなさい。

 キャンプ地に選ばれた町や村ではさらに大騒ぎ、特にカメルーンを受け入れた村ナドは本当にいろんな意味で大騒動だったようだ。相対性理論をぶっ飛ばすような時間感覚は、さすが「カメルーンのオペラ」の国。当事者は喜んでばかりもいられない。

 僕の住む地方では、そんな喧騒とはまったくまったく無縁。同じ日本とは思えない。「ワールドカップ? ナニソレ?」っちゅう感じである。人里離れた長閑な村、というわけでもなく、しかし京都まで出るのに3時間、東京までなら裕に6時間。どっちつかずの中途半端に辺鄙な町には、何らセールスポイントがないのである。

 そういう町であればこそ、「箱船」を実現することができたと言えなくもない。これ以上辺鄙であれば、物理的に多くの困難が伴うだろう。逆に人口集中部であれば、地べたの手当てに困って実現不可能だったに違いない。蚊帳の外に置かれるのも、あながち悪いことばかりではないのである。

 今夜もそこらじゅうFIFA(フィーファですか、フィファですか?)ワールドカップ一色である。喧騒をヨソに、僕は箱船でアナログレコードを聴く。

 タイトルはもちろん、ロッド・スチュワートの「明日へのキックオフ」である。

’02/06/05 (水)

NFB

 昨日の日誌には沢山の方々からメッセージを頂いた。反響が多いのには驚いたり喜んだりしている。ありがとうございます。

 どのご意見もひとつひとつ納得できるものである。あんなことを書きはしたけれど、特に迷いがあるわけでも弱気になっているわけでもない。「自分の好きな音を出すためなら、どんな方法を取ろうとも他者の関知するところではない」とはまさに真理である。

 しかし時には己(僕自身)へ向けてのフィードバックをかけることも必要かと考えるわけだ。脚下照顧である。他の方への批判、或いは教訓などというような尊大不遜な考えはけっして持っていないし、「派閥論」を論じるつもりもない。どうか御理解いただきたいのである。

 いろんな理屈を述べてみても、つまるところ頼りになるのは自分である。自己中心的な意味合いではない。自分が自分のために自分の音を構築しようとしているのだから。それぞれに思いはおありでしょうけれど、「あれもある、これもある、いっぱいあってよかったよかった」と、みんなで仲良くできればいちばん良いと思う。

 皆さん思った以上に元気である。とても心強いのである。よかった。

’02/06/04 (火)

長岡派とは


 長岡先生推奨機器を取り揃え、スピーカーは長岡BH、或いは共鳴管システム、ユニットはもちろんフォステクスFEシリーズ、アクセサリーも同じもの。使いこなしは鉛の重石に頼り、果ては部屋、インテリアまで同じものにこだわり推奨ゲテモノソフトを三角形の頂点に座り大音量で聴く。

 なんだ、そりゃてめえのことじゃねえか。クソ面白くもない。どーもすびばせん。

 って、そーゆー話をしようとしているのではない。そもそも「長岡派」なるものが本当に存在するのか。上のようなやり方を揶揄するための枕言葉としては使われているようだが。

 強引に「長岡派」という言葉を説明するならば。

 自分の好みを明確に目的化し、そこへ向ってまっしぐらに走る。人に頼らず自分なりの考え方を以って走る。常識は悉く疑ってかかり、教科書的方法論には見向きもしない。他者言うことは信用しない。音の悪いものは使わないが、意識的に使うこともある。基本的にケチである。自分で作れるものは一応作ってみる。何でも自分でやってみないと気が済まない。

 つまり、長岡先生と同じことをやる、のはこの定義からするとまったく「長岡派」ではないことになる。たとえ対象が長岡先生であっても、そのやり方を鵜呑みにするようなヤツはダメなのである。僕なんぞはその親玉みたいなもんだ。実際、あるオーディオサークルのメンバーからは面と向って「オマエのやってることは愚の骨頂だ。あんなことしかできないなら、さっさとオーディオなんかやめちまえ。うっとーしーんだよー、てめーはよー」と悪態をつかれたこともある。

 ダメの親玉としては、申し開きもあるわけである。

 何かを始めようとする時、よほどの天性と才能がある人を除き、一般的には目標となる師匠的存在が必要になる。例えば茶道や華道を見ると、新弟子はまず師匠の「型」を「真似る」ところから入るのである。噺家修行なども同様である。

 やがて「型」が身に付き、一通りのことができるようになると、次は自分なりのアレンジメントが必要になってくる。そのままでは単なる「複製」にしか過ぎない。複製がオリジナルを上回ることは絶対にないわけで、その努力は自己のレゾンデートルに関るものだから事態は重大。それが飯のタネであったりすると、さらに深刻である。趣味のオーディオをこれと同様に語るのは極めて大仰、そんなに大したもんじゃない。けれど、こういう考え方も必要だろう。

 真似ることそのものは否定するべきではないと思う。大多数の人は、おそらく誰か(或いは何か)を真似るところから入っているはずだ。「教科書的方法論には見向きもしない」ようになるには、そうするための知識が要る。真似、あるいは模倣を完全に否定してしまっては発展も望めない。批判されるべきは、そこに安住してしまうという姿勢である。

 と、申し開いておいて、さて僕はこれからどーするんだろう。一応は方舟のアップサイジングをやってみたわけだが、これだって要するにバージョンでしかない。お釈迦様の掌上で暴れる孫悟空みたいなものである。安住して満足、というわけではないのだが、ここから先は個人の資質にも係わってくることなので、どうしようもない。

 「明日はきっと檜になれるだろう」と思い続け、遂になれなかった翌檜(あすなろ)みたいなものである。否、それにさえ及ばないかもしれない。

 「あさってもなれない」。

’02/06/03 (月)

価値観


 友達から教えてもらってヤフオクを覗くと、確かにそれは出品されていた。テクニクスのトーンアームEPA-100MkIIである。僕はオークションIDも何も持っていないので、単なる冷やかし、否、それでさえないと言える。只の傍観者である。

 開始価格70,000円、終了日は5月31日深夜となっていた。驚いたのは希望落札価格である。275,000円。どっひゃー、なんちゅう高値だろうか。ンな馬鹿な。ナンボなんでも275,000円はナイだろう。こりゃあ何かの間違いかと思っていたら。

 終了間際になってどんどん値を上げ、最終落札価格は、なんと241,000円。僕はもうでんぐりがえってしまいました。希望落札価格はムチャな値付けではなかったのね。ヤフオクとは凄過ぎる世界、やはり僕は傍観者に徹することにするのであります。

 僕がこれを買ったのは'88年1月のこと。使い始めて14年半、未だに元気で活躍中である。もちろん当時はカタログ落ちもせず、バリバリの現行商品。フォノモーターSP-10MkIIIと一緒に買った。その頃の僕としては大奮発である。stereo誌に掲載された「最後の自作プレーヤー工作」という長岡先生の記事に危機感を強め、思い切ったのである。

 定価130,000円のアームと250,000円のフォノモーター、合計380,000円。買値は21%OFFの300,000円だった。消費税導入以前のことである。「すげえ高級品を買ってしまった。どうしよう」なんて思っていたが、今となってはそれも夢のような話になってしまった感あり。

 何にどのような価値を見出すかは人それぞれ、他者が口を差し挟むようなことではない。ましてやその対象が評価の高いモノであって、しかも垂涎のブツとあればそれなりの対価も覚悟の上、という心情はヒジョーによく理解できる。どうこう言ったって、オークションなのだから。

 しかし、である。

 あまり深くは語れないにしろ、何だか釈然としない思いが残るのは、僕だけなのだろうか。長岡先生がご存命なら、何とおっしゃっただろう。

 「いいんじゃないの。納得して取引してんだから」。

 ナルホド。

’02/06/02 (日)

超高能率


 先月29日の日誌に載せた木彫り銘板その後である。

 ぴっころ親父さんから教えていただいた電動彫刻刀を早速買い込み、今日から使ってみた。リョービDC-501。これが極めて素晴らしいのである。

 手彫りだと硬くて硬くてすっかり参っていたブビンガも、いとも簡単にサクサク彫れる。ご覧の通り、あっという間に「箱」の字彫り込み完了。これまでの進捗状況からすると、恐るべき超高能率である。先日の写真と見比べれば、作業進行の早さがお分かりいただけると思う。こりゃスゴイ。「絶対完成させる」とは言ったものの、もう一生このままうっちゃってしまうんじゃないだろうかと、ホンネはヒジョーに不安だったのである。

 あとは「船」の字と筆者の花押、印影を彫り込めば彫刻作業は終了。表面をサンダーで軽く仕上げ、字の部分にコバルトブルー、印影に赤の顔料を塗り込んだら「箱船」銘板完成である。

 この調子だと、どうやら先代が生きているうちに完成できそうだ。これもすべてアドバイスくださったぴっころ親父さんのおかげさまである。ありがとうございました。

 これほど楽に彫刻できるのなら、他にもやりたくなってきたぞ。実はもう一枚、30×300×500mmのイチョウの板があるのダ。これにもなんか彫るかな。「超首長竜」とか「猛烈電音」とか「戯言船長」とか。

 そのうち銘板屋を開業したりして。

’02/06/01 (土)

今月の一枚


 6月ともなれば、もうすっかり夏という印象である。これから梅雨に入り、それが終ってホンモノの夏になるわけだが。

 だんだん暑くなるということで、今日は涼しい一枚を紹介してみたい。

 「AKA-GUY」(FOR LIFE 35KD-47)である。「アカガイ」と読む。(P)1986。古いタイトルで恐縮です。たぶんとっくのムカシに廃盤になっているはず。写真はCDジャケットだが、'86年発売ということでADもある。斎藤ノブ(Per.)、松原正樹(G.)、島村英司(Ds.)、長岡道夫(B.)など、日本で有数のスタジオミュージシャン達が集まって作った「趣味のバンド」(本人達がそう言ってた)である。

 内容は、歌謡曲ともロックともポップスとも言えるような、アクもクセもない音楽である。ジャンル分けではどこに入るのか、僕には判然としない。むりやり言うとやっぱり歌謡曲かな。はっきり言ってあんまり面白いとは思えない。ただし、演奏はヒジョーに確かである。上手い。

 このCDのどこが「涼しい」のか。音そのものである。聴感上は見事なドンシャリでレンジも狭い。F特を見ても40Hz〜8kHz止まり、ハイもローも伸びてはいない。全体に輪郭強調をかけたような不自然さがあり、深みや艶はない。冷たい音なのである。つまり、「冷たい」=「涼しい」というわけ。オソマツでございます。

 ただし、ミニコンポ、ミニミニコンポで聴くと丁度いい加減になり、ちっとも冷たくも涼しくもない音になる可能性もある。涼しく聴こうと思うと反応の良いハイスピードなシステムで聴くべきだ。って、誰もこんなもん聴かんって。

 決してオーディオ的に優れた、あるいは面白いCDではないので、その点はご了承ください。