箱船航海日誌 2006年02月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’06/02/28 (火)

明るく朗らか


 ADソフトに始まりADソフトに終わる2月である。28日中12日がソフトネタ。含有率42%はたぶん過去最高である。話題に苦心しております。

 「LOS SALTERIOS PLAYING GOLDEN THEMES」(米M&K REALTIME RT-111)である。(C)(P)1978。得意のD2Dである。

 「ゴールデンテーマ」と銘打つだけあって、極めてメジャーな曲が並んでいる。「ザ・エンターテイナー」「第三の男」「屋根の上のバイオリン弾き」「ゴッドファーザーのテーマ」「コンドルは飛んで行く」など。これらをサルテリオとギターのデュエットで演奏する。

 サルテリオ。ダルシマー、プサルテリウムとも。ピアノのご先祖様ともギターの大じいさん(ばあさん?)とも取れるような楽器である。穴の空いた箱の上に張った弦を、小さなハンマーで叩いて演奏する、古楽器の一つだ。弦楽器か打楽器か。

 彼の有名なジャズピアニスト、山下洋輔曰く「ピアノは打楽器である」、また泉谷しげる曰く「ギターは打楽器だ、どうだコノヤロー」という説からすると、サルテリオは立派な打楽器だろう。

 このレコードは、M&KのD2Dとしてはマイナーなほうだろうと思う。専ら有名なのはオルガンであったりフラメンコであったりドラムであったりするわけだ。僕もさほど注目せず、比較的高価なこともあり発見してもまあいいかと放置してきたタイトルなのである。先日、異様な安価でカタログに載っていた。こりゃあ買わずばなるめいと、大喜びで飛びついたのだった。

 聴いてみて、やはり買ってヨカッタと、また喜ぶ。上に述べた有名タイトルにある凄みや壮絶さはなく、どちらかと言えば地味な録音である。だが、これがまたヒジョーに自然で繊細でチャーミングで、聴いていて心地良くなる音なのである。これ見よがしの切れや輝きは控えめで、しかし何とも言えず明るく朗らかに鳴る。こういう音、大好きだ。

 あまり大きな音を出せる楽器ではないから、たぶんオンマイクで録音しているのだろう。音像は大きめである。だが、楽器の中に頭を突っ込んで聴いているような不自然さはない。ギターとの位置関係も、何となく判別できる。D2Dの良さが出た、優秀なレコードだと思う。

 手許に現物が届いてみて、異様に安い理由がわかった。正規ジャケット盤ではなかったのである。穴空きのマックロケジャケット入り。上の写真はこれを買ったショップから同意を得てコピーしたものである。盤はミント状態だったし、まあ良しとするべし。何せ90%OFFなのである。

 ハイCPということで。

’06/02/27 (月)

慮り


 特に厳しかったこの冬も、ようやく終りに近づいたようである。箱船の周りにあった山のような雪はほとんど融け、ナガグツなしで歩けるようになった。春が、来る。

 写真は箱船東側から撮ったものである。右方向(南)が境内側、左(北)は低い土手を一段上がって狭い道路があり、お隣さんになる。このお宅が最も近接する住宅である。直線距離で10数mというところか。隣家のGLは道路からもう一段高くなっているから、箱船2階がお隣りさんの1階、くらいになるわけだ。

 夜、音楽を聴く時、最も気を遣うのは、この隣家に対してである。箱船の遮音は、決して完璧ではない。120mmコンクリート一重の2階は当然、二重壁の1階でも低レベルながら音漏れはある。僕が気にならないと感じるようなレベルでも、他者にしてみれば立派な騒音になっている可能性は高い。これくらいなら大丈夫だろう、と思っているのは自分だけ、かもしれない。夜間の暗騒音レベルが特に低い当地では尚更だ。

 ご主人さんと顔を合わせるたび、「ご迷惑になっていませんでしょうか」と訊ねる。幸いにしてこれまでの12年間で苦情を呈されたことは一度もなく、良好な関係を保てている。ご近所付き合いは、大切にしましょう。

 オーディオとは自己完結させて何ら問題のない、極めて個人的な趣味である。どのような音楽をどのような音で聴こうとも、それは個人の自由である。音質、音色という点だけに関しては、他者への配慮必要無しとも言える。

 しかし、音量となると話は違う。遮音が完璧でない限り、自分にとっては素晴らしい音も関心のない人から見れば雑音騒音以外の何物でもないことを知るべきだ。その意味ではオーディオマニアにも、社会性は必要欠くべからざる要素である。大音量再生で刃傷沙汰なんて、シャレにもならん。

 人間、独りでは生きて行けない。

’06/02/26 (日)

帰ってきたAD


 23日に載せたDVDに残る映像と、ほぼ同時期('77年〜'78年)に発表された、Rainbowのライヴ盤である。「Rainbow On Stage」(日ポリドール MWZ8103〜4)。(C)(P)1977。国内盤2枚組AD、全9曲。

 1977年の日本公演にヨーロッパ公演の演奏を一部加えてまとめたライヴアルバムだ。DVDよりも少し前の収録で、ベースとキーボード奏者は入れ替わっている。個人的にはこのADのメンバーのほうが上手いンじゃないかと思う。

 僕は日本でのリリース直後に買っている。たぶん高校1年のころだ。友達の中にはファンが多くいて、みんなこれをヒジョーに聴きたがった。しかしレコードは当時高級品で、おいそれとは買えない。2枚組だとなおさらである。結果、仲間内を僕のレコードがグルグル回ることになるのである。

 そうこうしているうちに、行方不明になってしまった。又貸しの又貸しの、そのまた又貸し、みたいなことになっていたのだろう。今日に至るまでついに戻って来ない。仕方がないから諦めてそのまま放置。約10年後、CDになってから買い直したのだった。あのレコード、どこへ行ったのでしょうね。

 先日、とあるお店で超格安中古を発見し、30年ぶりに手許へ帰ってきた。当時と全く同じ、初版オビ、初版限定写真集つきのレア(でもないだろうケド)もんである。

 ジャケットは非常にきれい、傷みも汚れもほとんどない。盤は、さすがにかなり聴いてあるようで、状態としてはプアプラスくらいか。見た目の傷はさほどではなく、問題は状態の良くない針でゴリゴリ再生したことに起因するパチパチノイズである。これはクリーニングしても解決しない。まあ仕方ないのである。

 久しぶりに聴いてちょっと驚いた。CDよりずっと良いのである。もちろんこの手のモノとしては、っちゅう話だケレドモ。国内盤ADとしては立派なものだ。

 CDは低域カスカス中域キンキン高域ジャリジャリ、ウーファーとトゥイーターが壊れたスピーカーみたいな音で、やかましくて聴いていられない。その点このADはバランスが良く音が素直で、落ち着いて聴ける。情報量も多く、それなりにオーディオ的な聴き様もできるのである。これならまずまず。

 残念ながら、ダイアー・ストレイツの敵では、ないけれど。

’06/02/25 (土)

初心


 中央のイスに腰掛け、好きな音楽を聴く時間。僕は、幸せである。幾千万の理屈を並べ立て、難しげに語ってみても、オーディオとはつまるところ音を聴くものである。自分の好む音さえ出ていればそれで吉。単純明快なのである。

 今を去ることン十年前。僕は、山中に不法投棄されていたTVから外した楕円コーンのスピーカーユニット(アルニコマグネットでした)をダンボール箱に取り付け、壊れかけでワウワウフラフラのポータブルADプレーヤーに繋いで遊んでいた。「オーディオ」という言葉すら知らない頃である。

 この遊びはとても楽しかった。プレーヤー内蔵スピーカーよりも低音がボコボコ出てきたり、遥かに大きな音が出せたり。もちろんモノーラルである。コーンの動きが目に見えるのも面白かった。プラスとマイナスのコードをショートさせ、火花が飛んでビックリしたり。壊れかけ、じゃなく僕が壊したのかしら。

 初めて聴いたレコードは何だったかな。従姉が持っていたEP、ビージーズの「マサチューセッツ」か、ひょっとしたらフォーククルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」(おらはしんじまっただ〜)だったかもしれない。どちらも1968年の曲だから、僕は7歳だったわけだ。

 基本的にはその頃の楽しみも今の楽しみも、何ら変っていないのである。アンプにスピーカーを繋ぎ、音を鳴らして喜んでいるわけだ。低域が充実したとか、高能率で音離れが良いとか、シカツメらしく語ってはいるが、内実はちっとも成長していないのである。

 それでよいのだと、思う。楽しいからこそオーディオしている。愚にもつかぬ講釈をタレたり、不毛の議論をするためではないのである。

 初心忘るるべからず。

’06/02/24 (金)

品性


 本山妙心寺から呼び出しがあり、久しぶりに京都市内へ出かけてきた。いや、べつに悪いことをしたわけではない。教学関係の運営委員会があったのである。なんと僕は、「企画研究委員」という、仰々しい肩書をいただいている。こんないい加減なヤツに、企画研究なんかさせたらとんでもないことになると思うのだが。

 日帰りで往復5時間あまり。これだけ運転すると、眼に問題を抱える僕にはいささか堪えるのである。元々クルマ操縦は苦手なほうで、それに加えて運転マナーの劣悪さが、疲れに拍車をかけるのである。

 今日も気になることがあった。福知山市の山間部を走行中、僕の前を走っていた運転手が、窓から空き缶を投げ捨てたのだ。運転席側の窓から捨てたわけだから、当然空き缶は道路の中央付近に落下することになる。

 対向車、後続車、両者にとって極めて危険である。うまいグワイに僕のほうへ転がり、見事前輪にヒットし轢き潰してしまった。無事だったから良かったものの、場合によっては事故のひきがねにもなり得る許し難い行為である。

 このような恥知らずな行為を平気で実行するトモガラとは、一体何者であるか。おそらくはご立派な社会人で在らせられるのだ。ご立派なお方だから、「あなたの行為は品性を著しく欠くものであるから、即刻おやめなさい」と諫言しても、「そんなことは分かっとるわい」と居直るばかりなのだろう。

 なるほど、「社会人」とは「社会性を以って、常に他者への配慮思慮を心掛ける人」と左様解釈していたが、それは誤りである。単に「社会にいる人」を指してそう呼ぶらしい。

 昨今のトレンドは「下品」であると聞いた。そう言えば、人気ドラマの主人公はいずれも非常に下品な言葉遣いだ。殊に某「西○記」の○空に扮する俳優(否、タダのテレビ人)は、悟○の野性味を品性劣悪と取り違えて演じている。孫○空は愚連隊(古いね)ではない。「斉天大聖」(天に斉しい聖人)なのである。

 ついでにもう一つ文句をつけたい。物語は玄奘三蔵法師が天竺へ経典を求めに行く、いわば仏教説話である。「地獄」の対句は「極楽」であるべきだ。なのにやたらと「天国天国」と連発する。神も仏もあったモンじゃない。ムチャクチャである。しかしドラマは大人気だそうだ。なんだかな〜。

 行為も言葉も下品で劣悪。何故にこんなものが流行るのか、僕にはさっぱりわからない。無頼を気取りたい、というのは解らないでもないけれど、そーゆーのは少なくともティーンエイジャーまでくらいに止めておいて欲しい。空き缶を投げ捨てるなんて、ちっとも格好良くないぞ。いい歳コイたおっさんが、ガキみたいな真似してるンじゃないよっ。ボヤいてみてもどうにもならない。これが今の世なのである。

 ただ、僕はヒジョーに疲れます。

’06/02/23 (木)

僕のヒーロー


 今は亡き名ドラマーにして我がヒーロー、Cozy Powellの勇姿である。写真は飽きるほど見てきたが、彼の動く姿を見るのはたぶん30年ぶりくらいになるはず。最も脂ののっていた時期、1977年のライブ映像を得ることができた。

 「Rainbow LIVE IN MUNICH 1977」(日vap VPBR-12464)。(C)2005。リッチー・ブラックモア率いるレインボウ1977年のライブDVDである。タイトルにある通り、ドイツのミュンヘンで収録。

 これまで、何故だかレインボウのライブ映像は数が少なく、たぶん公式にはこのDVDが初めてではないかと思う。間違ってたらゴメンナサイ。僕が30年前に見た映像は、当時NHKが不定期に放送していた「ヤング・ミュージック・ショウ」という番組だったと記憶する。

 この番組は素晴らしいものであった。当時、人気グループのライブ映像など滅多に見られるものではない。DVDどころか、VCRさえ一般的ではなかったのである。CCR、YES、DEEP PURPLE、QUEENなどの動く姿を初めて観たのもこの番組だった。

 DVDの解説には「番組では45分に編集されて放映され、後にそれは海賊版ビデオとなって裏市場に出回る。このDVDは同映像の完全ノーカット版である」とある。つまり、僕が見たものと同じ映像、ということになるわけだが、何だか違うような気がするのは何故だろう。僕の記憶違いかしら。

 それはさておき、このDVDは素晴らしい。リッチーさんはわりとどーでもよろしい。アナタが大将なのはよくわかるし、ギターも上手い。ギターぶっ壊しも爽快だ。しかし僕にとって肝心なのは、コージーさんのほうなのである。

 ハッキリ言ってもうタマラン。「カッコイイ!」の一言に尽きる。26インチツーバス、スパークルレッドのラディックドラムセット、無数のパイステシンバル、スコーンと抜けるラディック#410スーパーシンフォニックスネアの音。やはり僕のドラムヒーローはこの人をおいて他にはない。何がうれしいと言って、チャイコフスキーの「1812年」とシンクロして演奏されるドラムソロが、完全に収録されていることだ。感激しすぎてキゼツしそうでした。

 残念ながら彼は1998年4月に自動車事故で亡くなってしまった。このDVDを記録したヨーロッパツアーで、コージーは自分のフェラーリで移動したという。一緒に乗ったメンバーの一人は「常時140〜150マイル(時速224Km〜240Km)でぶっ飛ばすんだよ」と語っている。スピード狂でカーレースマニア。そりゃ、死にますわな。しかし本望だったかもしれない。

 生コージーさんを、一度でいいから見たかったなあ。

’06/02/22 (水)

ネタ帳


 「今度の日誌はこの話題にしよう」と思いつく。そして次の日、さあ書くぞとPCに向った瞬間「何だったっけか?」と考え込んでしまうのである。頭真っ白。こうなるとどうやっても思い出せない。ヒッシで記憶を辿るのだが、ほとんどの場合が(限りなく100%に近く)徒労に終わるのである。

 生来作業能率が極めて低いノウミソが、老化をきたしてますます低能率化しているのだろう。新生する脳細胞よりも、アポトーシス(自死)する数のほうが上回っているのである。新しい情報がメモリーされにくくなるのはその証左である。悲しいことだが、生きるということはこういうことなのだ。粛々と受け容れましょう。

 受け容れるのは結構だが、差し障りがあっては困るのである。日誌のネタ如き、他愛もないこととは言え夜中にPCの前でウンウン唸るのはイヤダ。何とかせんと遺憾のである。

 そこで今日からネタ帳を作ることにした。成る成らんは別にして、思いついたことを手当たり次第に書き付けておくわけだ。こうすれば少しは作業効率が向上するはず。

 という都合の良い目論見だが、そんなに上手く行くのかしらん。あっちこっち持ち回り、遂にはネタ帳をどこへやったか忘れました、なんてことではシャレにもならんのである。僕なら充分ありそうな話だ。

 して、昨日思いついた今日の話題は、何だったンだろう。

’06/02/21 (火)

ASTREEの魔力


 見つけたら必ず買うレーベル。先日書いた米REFERENCE RECORDINGSだけではない。仏ASTREEもそういうレーベルの一つである。元々のプレス数が少ないらしく、今となってはなかなかに入手が難しい。ぽつぽつとしか見つからない。あっても高価である。

 久しぶりに3枚まとめて手に入った。珍しいことである。2枚は既に手持ちがあったもの、1枚は初めてのものである。「BEETHOVEN / GRANDE SONATE POUR LE PIANO-FORTE "Waldstein" Op.53 & DEUX SONATES POUR LE PIANO-FORTE Oeuvres 78 & 90 / Paul Badura-Skoda」(仏ASTREE AS73)。(P)1981。1980年9月、ウィーンのバウムガルトナー・カジノで録音。パウル・バドゥラ・スコダ演奏によるベートーヴェンピアノソナタ集シリーズの1枚である。

 使用楽器はウィーンのゲオルグ・ハスカ1815年製、6本ペダル音域6オクターブ73鍵のハンマーフリューゲル。太い脚で地に踏ん張った、堂々たるものだ。ジャケット写真の楽器がそれである。クレジットには「Collection de l'Artiste」とある。つまり、パウルさんご自身のコレクション・ピアノであるわけだ。

 ASTREEの音は独特である。長岡先生も再三書いていらっしゃったように、とにかく厚く脂っこく濃い音だ。決してハイファイではないと思うけれど、これがまたヒジョーに魅力的なのである。但し、再生は難しい。システムに難があると、何とも冴えない音になってしまうのである。

 「熱情」が含まれているAS74(外盤A級セレクション207番)を初めて聴いたのは1989年だったが、僕はその良さがちっとも分からなかった。何だか曖昧模糊とした音で、「レンジが広く、切れが良く、底力がある」という先生評が、まったくピンと来なかったのである。

 このAS73も、使用楽器は違うものの同じ傾向の音だと思う。レンジと切れはやや後退する感じだが、やはり重厚で濃厚で、一音一音に力感が漲る。高音鍵を強打した時の立ち上がりは、現代ピアノよりも強烈だ。こんなふうに再生できるようになったのは、恥かしながらわりと最近のこと。違いが分かる男になるには、時間がかかるのである。

 ASTREEの音には魔力がある。一度この音に取り憑かれたらもうヤメラレナイ。入手難だろうと高かろうと、何が何でも欲しくなるのである。早速レコードショップに電話する。「今回も素晴らしかった。また入ったら電話ください。全部買います」。

 憑かれているのである。

’06/02/20 (月)

憧れのSOUND EDGE


 ワタクシ儀愛用するところの、ハイハットシンバルである。K.Zildjianの「K.HATS」というモデルだ。使い始めて10年になるけれど、音にいささかの曇りもない。輝かしく切れが良く、しかも耳障りな音を出さない、極めて優れたシンバルである。本来は僕のようなヘボが使うべきものではないわけで、しかしまあそこは良いものを使えば上手くなったような気がするという、思い込みがあるわけだ。

 そういう状況でありながら、実は今、新しいハイハットに浮気しようとしているのだった。分不相応極まりない愚挙であることを分かっていながら、欲しくてたまらんヤツが、あるのダ。仕様がないのである。

 Zildjianと並ぶ有名シンバルメーカー、PAISTE(パイステ)のハイハットである。シグネイチュアシリーズの「SOUND EDGE HATS」という。

 ご覧の通りハイハットシンバルとは、直径13インチ〜15インチ(32.5cm〜37.5cm)のシンバルを2枚セットで使うものである。14インチ(35cm)が最も一般的で、写真のものもそうなっている。上下向かい合わせでバネのついたスタンドにセットし、フットペダルで開けたり閉めたりして演奏する。

 シンバルは譬えれば杯のような形状だから、2枚を踏み合わせると内側に空気がたまり「パフッ」という感じの音になりやすい(外盤A級セレクション第2集118番『TENSION-RELAX』のA-3では、非常にリアルなハイハットの音が聴ける)。それが特徴とも言えるわけだが、演奏者によっては嫌う人もいるのである。

 そこで、下にセットするシンバル(ボトムシンバルという)にエア抜きの穴を開けたタイプがあったりするわけだが、PAISTEはボトムシンバルの縁を全周波型に成型することで音抜けを改善しているのである。音(sound)のミソは縁(edge)にあり、というわけで「SOUND EDGE」。

 LED ZEPPELINのドラマー、ジョン・ボーナムが愛用していたことで有名である。コイツの音は、極めて爽快痛快だ。エア抜けが良いことと、上下のシンバルが点接触になることの相乗効果で切れは最高。一発踏めば「シャキーン!」とエッジの立った目の醒めるような音が出る。透明感抜群。K.HATSも優秀だが、この味は出せない。ああ、欲しいなあ。憧れのSOUND EDGE。

 いや待て。愚息1号のドラム熱に当てられるのは結構だが、浮き足立っては遺憾。一応これでもオヤヂなのである。

 イゲンを保たねばならんのだが、もうとっくに本性バレてるかしらん。

’06/02/19 (日)

シンバルDHK


 昨日触れた楽器屋さん、近頃愚息1号もバンド仲間達と頻繁に出入りしているようである。何だか30年前の自分を見ているようでもあり、いささか気色悪くもある。遺伝子とは斯く言うものか。それとも日頃の育て方が悪かったのか。

 昨日、シンバルを手にして帰ってきた。堂々たるブランド物、A.Zildjanの16インチクラッシュである。ビンボー中学生にはおいそれと買えるシロモノではないはず。何かワルイことしたんかと、思わず色めき立ったわけだが。

 難ありの中古モノで、異様に安かったという。定価の1/30。97%OFF。ちょっと安心した。それならコイツにも買えるだろう。シンゾーに悪いよオマエ。

 写真では目立たないが、かなり大きな難があるものである。少し工夫を加えないと、短期間でおジャン(正に!)となる可能性大。それでも彼にとっては初めてのブランドモノだ。大喜びである。矯めつ眇めつ、「うーん、どーしよーかなー」と嬉しそうに悩んでいる。

 「よし!」と叫んでガバと立ち上がり「磨くのんて、難しい?」と言う。そりゃあまあ難しくはないが手間はかかるわなあ、というと「シンバルクリーナーって、高い?」とくるので「そのシンバルより高いな」と答えてやったらまた「うーむ」と悩む。

 僕はDHK(大日本偏執的研磨党)自称総裁である。研磨と聞いて黙っていたのでは名が廃る。高価なシンバルクリーナーなんか要らねえピカールで充分だあるぞ使うかやってみろと、水を向けてしまったのである。よせばいいのに。

 結果は写真の通り。朝からコシコシコシコシコシコシ研磨専一である。愚妻は「要らんことゆーから部屋が油クサい!」とご機嫌ナナメ、だがそんなことにはお構いない。表はおおかた磨けて新品同様の輝きである。作業は辛いがこの輝きに魔力があるわけだ。さて、裏面はどうするつもりだろう。息切れして終わるのか、それとも両面研磨完遂するのか。

 見事完全研磨の暁には、チミのDHK入りを許可しよう。

’06/02/18 (土)

それでもAD


 以前からドラムやシンバル方面でお世話になっている近所の楽器屋さんが、リニューアルオープンした。のは、もう昨年末のことで、遅れ馳せながらチョイと覗いてきた。

 広さ、レイアウトなどは以前と少しも変らず、しかし非常に綺麗になっている。新築だから当たり前である。楽器やアンプが所狭しと積み上げられ、如何にもマニアが好みそうな雰囲気の奥に、ヒゲのマスターが笑顔で構えている。この辺りではたった一軒の、稀有な楽器屋さんなのである。

 ロック系の中古LPが無造作に積んであるところも以前と同じ。四方山話をしながらゴソゴソ漁ってみたれば、うむ、琴線に触れるLPが数枚見つかった。1枚500円。もちろん、買いである。

 上はそのうちの1枚だ。「DEEP PURPLE / Come taste the band」(日ワーナー P-10066W)。(P)1975。国内盤ADである。リッチー・ブラックモア脱退後、トミー・ボーリンが加入して最初で最後のアルバム。1975年12月発表。そう言えば、これもまた30周年になるわけである。

 ジャケットは内外ともカビがつき、状態は良くない。しかし、盤は比較的きれいで、大きな傷もないようである。これならレコパックで何とかなるだろう。ジャケット汚れはアルコールで拭いてみるか。なんと言っても500円なのである。

 このタイトル、何故だか今日までADに縁がなく、紙ジャケ仕様のCDだけしか持っていなかった。ディジタルリマスターしてあるこのCD、どうも音が気に入らんのである。DEEP PURPLEのタイトルに音の期待を持っては遺憾、のは重々承知しているものの、それにしても埃っぽく神経質で、高域のけたたましさは許せない。

 ADも傾向は同じである。ウルサイ。だが、それでもアナログの良さが感じられるからフシギである。限られたレンジの中でも高域に素直な伸びがあり、ジャリジャリした歪み感が少なく聴こえるのだった。中低域も実在感があり、CDに感じる影の薄さがない。うーむ。ロック国内盤とは言え、やはりADなのだなあ。

 実兄が輸入盤を持っている。借りて聴いてみようかしらん。

’06/02/17 (金)

これは20周年


 このタイトルを載せるのは、たぶん2回目である。前回はSYMPLY VINYLの復刻180g盤ADだった。今回は初リリース20周年記念ハイブリッドSACDである。

 「DIRE STRAITS / BROTHERS IN ARMS / 20th ANNIVERSARY EDITION」(英VERTIGO 9871498)。ジャケットディザインは大きくトリミングされていて、原盤とは随分と印象が異なるのである。最近こういう企画物ソフトが多く見られるようになった。ちょっと嬉しかったり、上手く釣り上げられているようでもあったり。

 SACDトラックはマルチチャンネル5.1サラウンドで収録されている。が、残念ながら箱船の再生環境では2chステレオでしか聴けないのである。以下のイムプレッションはその限りに於いてのものであることをお断りしておきたい。

 一聴してADとは音が違う。低域が非常に太く豪快である。バスドラムはドスが利いていて痛快だ。音色の違いは明らかだが、どうもそれだけではないような感じでもある。意識的にローブーストしてあるか。全体のバランスとしてはADのほうが良いかもしれない。

 中域、高域は切れがあり音抜けが良い。かなりハードな音である。透明感抜群。SACDの良さは充分出ている。ただ、ちょっとデジデジ(?)した感じもあり、音の艶としなやかさという点ではADに分があると思う。尤も、「艶=歪み」という説もあり、その伝でいけばSACDのほうが低歪み、とも言えるわけだ。

 個人的な好みからすると、やはり復刻ADを取りたい。このSACDでは、音楽の躍動感というか生気というか、言うに言われぬ雰囲気が殺がれているように感じるのである。

 よく整備された5.1サラウンドシステム、或いは最新最高のプレーヤーで聴けば、また違った印象を受けるのだろうと思う。こういう音楽を5.1サラウンドで聴く必要があるのかどうか、そちら方面に真っ暗な僕は疑問に思ってしまう部分もある。が、一度聴いたら「やっぱりディジタルだね、5.1だよ、オマエ」などとヒョーヘンするかもしれない。

 いい加減してます。

’06/02/16 (木)

春の兆し


 昨日の日誌には、複数の方から励ましのお便りを頂戴した。最近、見当外れな中傷メールと鼻持ちならない自己顕示メールが立て続けに舞い込み、それも楽しむとは言え少々ゲンナリしていただけに、僕はとてもうれしかった。心から御礼を申し上げたい。ありがとうございます。

 さて、極めて厳しかった今年の冬も、確実に終りが近づいているようだ。昨日今日は雨が降る鬱陶しい天候だったが、気温はさほど低くない。昨年末から積もったままの庭の雪も、随分と融けて地面が見える面積が増えてきた。

 天気図を調べると明日17日は一時的に冬型になるものの、すぐに緩んで快復しそうな気配である。天気の移り変わりが早いのも、春がやってくる予兆である。ああ、うれしいなあ。

 箱船を取り巻いていた雪もかなり減った。東側の地面には、恒例春の便りが顔を出している。フキノトウである。過去の日誌を調べてみたら、ほぼ毎年のようにネタにしているのである。歳時記のようなものだとご勘弁ください。

 ついさっき、外へ出て撮ってきた写真である。暗闇で懐中電灯片手に撮影していたら、裏山から「ホッホー、ホッホー」とフクロウさんの声が聴こえる。おお、こりゃあホントに冬が終わるらしいと、ますますうれしくなってしまったのだった。

 ホンモノの春にはまだ時を待たねばならないだろう。けれど、少しでも兆しが見え始めたことを、大いに喜びたいのである。

 花の季節が、待ち遠しい。

’06/02/15 (水)

毎日書くのは何のため


 毎日愚にもつかぬ日誌を書き連ねていると、ふと考え込むことがある。自分は何のためにwebページを運営し、日誌を書いているのだろうか、と。

 「毎日書くなんてエラいねえ、よほどヒマなんだね」と、たぶんこれは褒め言葉ではなくて皮肉だろう。ヒマだから書けるのであれば、僕は毎日ヒマだということになってしまうわけである。

 確かにお宮仕えの人々に比べれば、余裕ある生活をしていると思う。通勤の要はないし、勤務時間が厳格に決まっているわけでもない。だが、もし毎日ヒマだったら、一族郎党たちまち餓死してしまうのである。オーディオやwebページなんかあったもんじゃない。

 少なくとも他にやることがないから書いている、のでは、ないわけだ。では何故かと言えば、やはり基本的には己が楽しんでいるのだろうと思う。

 オーディオは楽しい。しかし、どちらかといえば孤独な趣味だと思う。自分の好きな音楽を、自分が気に入った装置によって、自分の好きな音で聴けばよいのだから。それぞれが孤高でよいのである。

 とは言ってもそこは皆人間である。仲間がいるとさらに楽しい。親しく同好の士がいてくれるならば、それに越したことはないのである。そういう仲間たちといつもつながっていられる安心感。僕が毎日日誌を書くのは、そこに大きな理由があると感じている。

 まったく存じ上げない方から励ましのお便りなどをいただくと、僕は本当にうれしくなる。時に見当外れな、或いは大きなお世話だと感じるお便りを頂戴することもあるわけだが、それもこれも含めて、僕は心から楽しんでいるのである。何事も勉強と学習だ。

 オーディオには勝ち負けがない。「良い音」を明確に定義することができないからだ。「俺の装置は音はいいぞ凄いぞ。どうだ参ったか」とふんぞり返ってイバってみても「アンタの音嫌い」と言われてしまったらそれまでだ。屁のツッパリにもならんのである。自己をよりどころとし、自信を我が心に内包していれば、それでよい。他者に誇る虚栄の自信は無用である。

 謙虚であれと、自戒を促すための、日誌でもあるわけだ。

’06/02/14 (火)

匂い


 懐かしいCMネタは、好評のようで僕もうれしかった。みんな好きなんだなあ、こーゆーの。要するに、歳を取ったということか。

 嗅覚情報は海馬に大きな影響を及ぼす。言い換えれば、昔の思い出を呼び起こすに最も大きな引き金となるのは「匂い」であるわけだ。

 LPレコードには独特の匂いがある。30年前のものでも買った当時の匂いが残っていて、ジャケットを開くと中学生時代をリアルに思い出させるのだった。輸入盤は国内盤よりも匂いが強く、音楽との相乗効果で懐かしさは一入である。

 写真は僕が初めて買ったLDである。'91年12月24日。LDにも特有の香りがあった。貼り合せに使っていた接着剤の匂いだと思う。特に初期のものはその匂いが強く、後期になるほど弱くなっている。有機溶剤がカラダに良くないという理由で、改善されたのである。

 カラダに悪くても、僕は初期盤が好きだ。当時、VPH-100QJの導入を決心し、現物が届く前からソフトに先行投資し始めていたその時のことをありありと思い出すのである。画のクオリティは随分とプアなものだったけれど、今にないトキメキが、あったなあ。

 CD、DVDにはこの手の匂いが少なく、ひょっとするとそれが購買意欲の盛り上がりに欠ける理由の一つになっているのかもしれない。極めて個人的な感じ方であるわけだが。

 尤も、ムカシを懐かしんでばかりいても仕方ないわけで。松下電器のTechnicsブランドがなくなったりして、オーディオ冬の時代はますます厳しい。しかし一方ではDIATONEブランドのスピーカーが復活したとも聞く。

 前向きにオーディオを楽しみましょう。隠栖逼塞するにはまだ早い。

’06/02/13 (月)

まずは無事に


 ここ数日、恒例の業務関係委員会の準備に追われ、今日、それが無事に終了した。すべての責任を負うところの代表役員としては、まず以ってヤレヤレである。議事後の打上げ会も和やかなうちに終り、片付けまでお世話になって、ただ感謝するばかりである。皆さん、お疲れ様。ありがとうございました。

 これから5月下旬までは、業務関係の年度末年度始め会議が目白押しである。こなして行かねばならない事務処理も多い。毎年書いていることだが、なんべんやっても僕はこの手の仕事が苦手である。時間ばかりかかってちっとも捗らない。超低能率である。人間、向き不向きはどうやってもあるようだ。

 苦手でも不向きでも、やるべきことはやらねばならんのであって、できるだけ周囲に迷惑をかけないようにする、くらいのことでご勘弁願っている。ともかくもこの時期を無事に乗り切れれば、季節は僕の大好きな初夏になるのである。

 それを楽しみに、がんばりましょう。

’06/02/12 (日)

接近遭遇


 箱船東側の雪上についた無数の足跡。もちろん人間(僕である)の物もあるわけだが、最も多いのは、山のケダモノ達の訪問マークである。

 調べてみれば、イノシシとシカがほとんどのようだ。その他にも野ウサギやタヌキ、キツネがお出ましになっているようで、箱船の周りは大変な賑わい様なのである。

 先日も、箱船から母屋へ帰ろうと玄関のドアを開けたら、土手の下(写真では柿の木の向こう側)からなにやら生き物の気配がする。何かいる。眤と構えていると、サクサク雪を踏んで2頭の大きなシカが目の前に現れた。

 ちょうど柿の木の真下、僕との距離は3mほどだ。1頭はこちらを一瞬見て山のほうへ走り去る。角はない様子だったから、雌鹿だろう。もう1頭はその場に立ちつくし僕をギュッと凝視する。長い角を持った立派な雄鹿である。肩の高さは僕の背丈くらいか、或いはもう少し小さかったかもしれない。おそらくご夫婦さんであろう。

 しばらく、といってもホンの数秒(しかし僕には永く感じられた)、見つめ合う1頭と1人。彼の眼には、明らかにフレンドリーでない光がある。警戒している、と言うよりは突進攻撃モード寸前の感じである。こりゃ危ない。箱船へ戻ろうと、ドアノブに手をかけたその時、雄鹿もぱっと身を翻し、山へ走り去って行った。ほっとした。角で突かれるかと思いました。

 僕も怖かったが、彼らはもっと怖かったのだろう。いきなり人間に出合ってしまったのだから。僕にとっても極めて危険な遭遇の仕方である。しかしさすがは雄鹿、妻を逃がし自分は体を張って敵を駆逐しようとする。鹿ながらアッパレなヤツである。近頃では、鹿にも劣るようなニンゲンの雄が、ヒジョーに多くて困る。

 山に棲む野性の鹿には、独特の凄みと迫力がある。全身から研ぎ澄まされたようなオーラを放っていて、何の遮りもなく近距離で遭遇すると、如何にもブキミである。できればお出会いしたくはないのだが。

 今年は雪が多く、山の食糧事情が悪化しているのだろうか。

’06/02/11 (土)

関西限定


 たいへんな好天ながら、今日はヒジョーに寒かった。業務に出るにもコート(もちろん和服用である)が欲しくなるくらいである。滅多に使わないものだから、タンスの奥でアクビをしている。久しぶりにひっぱり出したら、防虫香の小袋がくっついて出てきた。

 その名の通り、虫除けのお香である。写真のようなものだ。僕らの業界では、化学系防虫剤よりはこっちを使うことが多く、正に「抹香臭い」お坊さん、というわけである。

 そろそろ新しいものに入れ替えねば遺憾なあと、考えているうち、昔々(40年くらい前)TVでやっていた防虫剤の妙なCMをふと思い出したのだった。

 (女性)「あんたほんまにウイックやねえ」
 (男性)「いや、なんでウイックやねん」
 (女性)「虫の好かん人」
 (男女同時に)「衣類の虫除けにウイック。ウイック防虫錠!」

 確か、画面は静止画で、防虫剤のパッケージが写っているだけ。ベタベタの上方夫婦漫才調で、たぶんこのCM、関西地方限定ではないかと思う。吉本新喜劇なんかのスポンサーだったような気がする。ナンデ突然思い出したのだろう。防虫香の匂いの所為か。嗅覚情報は古い記憶をメモリーする脳の部位「海馬」に強く影響を与えると言うし。バカバカしさとCMのベタさで、独りゲラゲラ笑ってしまった。ご存知の方、いらっしゃるかしらん。

 関西限定版らしきCMと言えば。

 「一で万代、十で万代、百で万代、千で万代、万で、ウ〜ン。まんだ〜い百貨店!」の万代百貨店、「てなもんや三度笠」の冒頭で藤田まことがやっていた「あたりまえだのクラッカー!」、「メタル〜インド〜カレエ〜」、「毎日ドリプシ」、「大島屋海苔」。関東育ちの方には何のことやらさっぱり、という話だろうと思う。逆に僕と同年代の関西人なら、どれかは覚えがあるはず。「ムーミン」のスポンサーだった「お菓子のパルナス」も懐かしい。あのメロディーは耳について離れません。

 検索してみると、この手の話題専門のBBSがあったりして、どーでもエエようなことだがなかなか面白いのである。どんな世界にも、マニアは存在する。なくても命に別状ないモノに血の道を上げる。これを以って趣味と称するのであってみれば。

 オーディオも、然り。

’06/02/10 (金)

黎明期


 「KOTEKAN / PERCUSSION AND...」(米Reference Recordings RR-3)である。(P)(C)の表記はなく「(R)1977」とある。1976年11月26〜27日、サンフランシスコのヴィジテイション・ヴァレー・オーディトリアムで録音。プレスは西ドイツ(当時)テルデック。RR-2はショパンのピアノ作品集で、打楽器好きの僕としては、どうしてもこちらのほうから聴きたくなるのである。

 「KOTEKAN」はどう発音すれば正しいのか。ローマ字読みで「コテカン」、では何だか違うような気がする。「コーティカン」かな。いい加減でスミマセン。

 バスドラム、バスフルート、バーバリアン・ゴートベル(山羊鈴?)、ブレイク・ドラム、カウベル、ベース、フルート、フルーテッド・ケーキ・パン、ハーデングロッケン、マリンバ、ナイチンゲール・コール、スプリングコイル、タムタム、テンプルブロック(木魚)、ヴィブラフォン、シロフォン、それにソプラノが入るパーカッションアンサンブルである。中にはどんなものだかよくわからない楽器もある。「フルーテッド・ケーキ・パン」てえのは、もしかしたらフライパンみたいな物かしら。

 ラッカーマスターから取るメタルマザーは3枚だけに抑え、さらにそれから作るスタンパーは各5枚にとどめる。1つのスタンパーからプレスする枚数は1,000枚を上限とする。このレコードもまた、スタン・リッカー氏の手によるハーフスピードマスタリングである。すべてより良い音質を得るための方策だ。

 オリジナル・ラッカーマスターは1枚しか作らなかったとある。ということは、メタルマザー3×スタンパー5×プレス1,000で、15,000枚の限定プレス盤、ということになるわけだ。RR-2も、同様である。ひょっとするとRR-1〜4まではすべてそうかもしれない。15,000枚は多いのか少ないのか。たぶん少ないンだろうな。

 A面3曲18分03秒、B面3曲15分35秒。6人の作曲家、各1曲ずつ収録。僕が名前を知っている作曲家はジョン・ケージ1人だけである。あとの5人は寡聞にして不知、勉強不足をご容赦願いたい。

 A-1はケージの「危険な夜 第6楽章」。6曲のうちでこれが最も面白く、音も良い。各楽器の音、音像のサイズ、音場が異様なまでにリアルで、音が出た瞬間ギョッとする。極めて生々しく、ブキミなのである。立ち上がり、立下りとも生そのものと言ってよく、あまりにも自然であることに驚いてしまうのだった。他の曲では部分的に歪む(レベルオーバー?)こともあるが、これはいいレコードだ。

 後年のR・Rとは、随分と音の傾向が違う。良く言えば無色透明キャラクターなし。意地の悪い見方をすれば、アマチュアの生録っぽい音。良くできたD2Dに似た感じもある。これに比べると後年の音は、かなりお金をかけた豪華なものだと思えてくるのである。

 RR-2、3とも、RR-5以降では看板の如くにクレジットがされているキース・O・ジョンソン教授の名前がどこにも見当たらない。1976年当時は、まだレーベルに参画していなかったのだろうか。それとも裏方に徹していたのか。この辺りの事情が、音の違いとなって現れているのかもしれない。

 R・Rの黎明期を知る上で、貴重なレコードだと思う。

’06/02/09 (木)

R・R大好き


 僕はアメリカのレコードレーベル、リファレンス・レコーディングス(以下R・R)の大ファンである。初聴きはわりと遅くて、'88年頃。レーベルの立ち上げが'76年というから、既にかなりのタイトルが揃っていたわけだ。

 最初に手にしたのはレスピーギの「教会の窓」(RR-15)だったか。長岡先生推奨の45回転盤ADである。音は凄い。ちょっと荒れる感じもあるけれど、45回転のメリットが効いてパワー感絶大。加えてジャケットディザインの良さ、レーベルのロゴマークなど、すべて一発で気に入ってしまって以来の、R・Rマニアなのである。

 それからは推奨の有無、録音の良否に関係なくR・Rと見かけた限り集め続け、ADでリリースされている全65タイトル(だったと思う)のうち57タイトルまでは揃えることができた。欠けているのはRR-1、2、3、4、42、44、46、49の8タイトルである。

 66番以降はCDのみのリリースで、現在RR-104CDまで進んでいる。全カタログコムプリートは望むべくもないが、せめてAD65タイトルコムプリートは目指してみたいところだ。何せ、あと8タイトルなのである。

 RR-40番台4タイトルは、ショップをチクチク捜すことで何とかなりそう。RR-49は持っていたのだが、いつだったか長岡先生に差し上げたのである。それからとんとご無沙汰。これも良いレコードだった。

 難しいのはRR-1〜4の4タイトルである。ショップ、個人所有、ネット上、過去一度も見たことも聴いたこともない。ホントにあるのかどうか、それさえアヤシイものである。イヤ、きっとあるのだろうけれども。

 諦めずに捜してみるものだ。最近、RR-2と3を、ついに発見したのである。但し、ヒジョーにアヤシイお店で、しかも両タイトルとも高価である。うーむ、どうしようか。欲しいなあ。と、3秒考えて注文してしまった。欲しいものはどうしたって欲しいのである。高価だといっても1枚何万円もするわけではない。虎穴に入らずんば虎児を得ず。多少のリスク何のその。

 とは言うものの、届くまではいささか不安であった。ダイジョーブかしらん。が、今日、無事到着。ああ、ヨカッタヨカッタ。RR-2は純然たる中古盤である。盤、ジャケットとも少々傷みアリ。嬉しいことにRR-3は、未開封新盤だった。これなら多少高価なのは致し方なしだ。

 RR-5以降に比べて、どちらも随分と殺風景なジャケットである。ほとんどモノクロ印刷だし、ゲイトフォールドでもないしペナペナだし。ロゴマークは間違いなくR・Rである。現在のロゴ(ロールス・ロイスみたいなヤツ)よりも、僕はこの旧型のほうが好きだ。

 貧弱な英語力でジャケットのクレジットを読むと、この頃のR・RのADは限定リリースだったようだ。市場に出た絶対数が少ないのである。音にこだわりプレス数を制限したらしい。ナルホド、中古市場に出難いわけだ。

 さらに詳しいことは、また明日。

’06/02/08 (水)

こちらも30周年


 リリース30周年なら、僕のレコード購入歴も30周年である。初めて自分のお金で買ったLPレコードは、昨日載せた「オペラ座の夜」だった。ご覧の通り、ジャケット内側には「1976・2・8」と記してある。書いておくものだなあと、30年経って、殊更に思う。僕は14歳だったのだ。

 当時2,500円。30年前、お金のない中学生に2,500円はヒジョーにゼイタクな買い物だった。親から貰っていたひと月の小遣いがちょうどそれくらい、月に1枚のレコードを買うのが楽しみで楽しみで。お店の中をグルグル歩き回り、時間をかけて迷いに迷い、大切に買ったのを覚えている。LPレコードは、輝かしい宝物だったのである。

 好きなグループが2枚組のアルバムなんかを出した日にゃ、悔しくて悔しくて。3,800〜4,000円になってしまって、簡単に買えないのである。お正月など、チョイと小金が貯まる時期、いっぺんに2タイトルまとめて買った時などは、この上なくリッチな気分になれたものだ。

 30年。短くない時間である。今やパッケージソフトの存続さえ危ぶまれる時代になった。当時の僕と同じ歳になった愚息1号は、i-podを駆使しネット経由で音楽をダウンロードする。環境はすっかり変ったわけだ。

 時代はディジタルとネット配信である。今さらADにかかずらわるなど懐古趣味で時代遅れも甚だしい。蓋し、新しいか新しくないか、だけで価値が決まるのならば、確かにADは過去の遺物で時代遅れである。しかし、出てくる音は決して古いものではない。

 最新のディジタルに比しても、優りこそすれ劣らない。決して懐古趣味ではないのである。絶対の自信がある。僕にとっての価値はまず「音」であって、フォーマットの新旧などは問題にならない。これを以って「時代遅れ」と称するならば、それで結構である。

 この先、ADが生き残れるのか僕にはわからない。消える消えると言われながら今日まで存続しているところを見ると、このままずっと消えないとも思える。いずれにしても、僕はこれからも集め続けることは間違いないのである。

 向後30年、オーディオはどう変って行くのだろうか。

’06/02/07 (火)

止まらなかった


 「これを以って『Opera』は打ち止めにしよう」と書いたのは昨年の8月1日である。得意のウソツキである。またやってしまった。

 今回は「QUEEN / A Night At The Opera / 30th ANNIVERSARY EDITION」(英EMI 00946 3 38478 1 1)。(P)(C)2005。イギリスでの初出1975年11月21日(米では1975年12月2日)から30周年を記念した限定盤である。ホントに「もうエエか」と思ったわけだが、いつの間にか注文してしまっていました。

 EMI独自のハーフスピードマスタリング、180g盤仕様。「MADE IN ENGLAND」とわざわざ書いてあるのだから、英プレスだろう。写真のようなジャケット大の封筒に入ってヴィニールパックされている。4人とも、若いねえ。

 8月に入手したヴァージョンは音が良かった。今回の30周年記念盤は、さらに良いと思う。盤は同じEMI 180gだが、やはりハーフスピードマスタリングが効いているのだろうか。音抜けが良く鮮明で埃っぽさがない。音場感は望むべくもないものの、人工的電気的な印象はかなり改善されていると感じた。

 手許には'76年に買った国内盤AD、ミレニアム180g盤、MO-FIの限定盤、30周年記念盤、ディジタルリマスター国内盤CDと、5つのヴァージョンがある。その中では今回のADが最も良いものだ。今ならどこでも買えると思う。もちろんCD(DVDとの2枚組)もある。QUEENファンにはお勧め。

 ちょっと残念だったのは、内ジャケットにビニールスリーブがなく盤が裸で入っていたこと。その所為で細かいスリ傷が多いのである。これは如何なものか。MADE IN ENGLANDにあるまじき行為である。

 今度こそ本当に、「打ち止め」。になるのかな。

’06/02/06 (月)

本格的始動


 愚息1号が「友達とバンドをやる!」と言い出してから、ほぼ1年が経った。集まったメンバー4人、まったくの初心者で、どーなるンだろう最初の勢いだけでいずれ立ち消えするンじゃないかまあそれも良しかと、思っていたわけだが。

 侮ってはイケナイ。この1年、それぞれに個人練習を重ねてきたらしく、いよいよ本格的な始動と相成ったようである。なかなかやるじゃないか。「今度の日曜日、集まって練習がしたいのだが、場所を提供してくれんか」という。当初からの約束である。そういうことなら提供いたしましょうと、写真のようなグワイになった。

 ボーカル、ギター、ベースのアンプを自分達で持ち込み、ドラムセットは僕の26年物を使い、箱船2階はにわか練習スタジオと化している。今、日誌を書いているうしろで、ガシャガシャ練習している最中である。

 ゴーイング・ステディ(ゴイステ、ってゆーらしい)のコピーだそうで、うーむ、ヒジョーにやかましい。が、なんとなく音楽になっているような、なっていないような。ナニ、これでいいのだ。4人ともすごく楽しそうで、僕は見ていてうらやましくなってしまった。いいねえ、若いってえなァ。

 ウチの業務に差し支えのない限り、日曜日の午後には1時間程度の練習がしたいから、アンプなどは置いて帰りたいという。ヨロシイでしょう。勉強第一、遊びも第一。何事も継続と努力である。昔ロック小僧、今オヂサンは、キミタチを応援するにヤブサカではないのである。

 がんばってな。

’06/02/05 (日)

ADの勝ち


 昨年5月6日に載せたCDのアナログディスク版である。「THE JOHN DENTZ REUNION BAND / DECEMBER 5 & 6」(米REALTIME RECORDS RT-304)。(C)(P)1981。1980年12月5〜6日、ビバリー・ヒルズのM&Kスタジオにおいて、ソニーPCM-1600レコーダーでディジタル録音。2枚組全14曲は、CDより4曲多い。

 CDの音については「歪みが少なくきれい。だが、少々ドライでとんがった感じもある。低域は薄めで押し出しイマイチ。高域はやや突っ張っているが繊細感もなくはない。定位はちょっと残念。全部の楽器がセンターに集中してしまう。モノーラルみたい、は言い過ぎだが、ちょっと面白くない」と書いてある。

 ADではかなり印象が違うのである。音にグッと艶が乗り、とげとげしさが少なくなる。トランジェントは明らかに向上して聴こえる。それでいて冷たさがないのが良い。やや細身な感じは残るけれども、CDに比べると厚みと重量感がある。音場感の狭さも改善され、それなりに気持ちよく聴けるのである。これなら優秀盤と言えるだろう。D2D時代のM&Kとは、全く毛色の違う音ではあるが。

 44.1kHz/16bitディジタルレコーダーでの録音なのだから、明らかにCDほうに分がありそうに思えるわけだが、実際に音を聴くとそうなっていないところがフシギである。尤も、ADの音がマスターに忠実なのかどうか、それはわからない。僕の耳にはADサウンドのほうが快く響く、というだけのことかも知れないのである。シンバルのアタック音、ピアノの立ち上がりなどは、どう聴いてもADのほうがリアルなのだがなあ。

 このタイトルはどういうわけか未開封新盤で、しかも安価で出ていることが多い。よほど売れないのか、よほどたくさんプレスしたのか。今回もヴァージンシールそのままの状態で$20。中古ショップだけではなく、新盤専門のショップにもカタログアップされているから、入手は容易である。

 M&KのADに興味ある方には、お勧めである。

’06/02/04 (土)

ソフト重視へ


 今月の日誌はソフト3連発で始めてみた。などと言うとあたかも意図してやったみたいで、実はそんなに格好の良いものではなく、単に他の話題がないからである。苦し紛れのソフト3連発、というわけだ。

 ハード方面の使いこなしで何か特筆すべきものがあるわけでもなく、あまつさえ大ネタ(例えば新しい装置の導入とか)があるはずもなく、要するになーんにもしていないのである。ただ好きなソフトを聴いているだけ。これでいいのか。

 いいのだろうと思う。いろんなソフトを聴いているうち、自ずからシステムの不グワイが浮き出てくるのである。それが我慢できる範囲のものならばそのまま放置。どうしても辛抱ならんものなら、そこで初めて対策を打てばよい、と。

 ハード重視型、ソフト重視型、両方のバランスを取る型。マニアにもいろいろある。僕はこれまで永い間ハード偏重型で、欲しいものの第一位はいつも機器だった。一般的に見ても、このタイプが多いンじゃないかと思う。オーディオマニアなるもの、やはりみんなキカイ好きなんだな。

 システムのほうは既に分不相応とも言えるほどの装置が揃っている。機器の能力いっぱいまで使いこなせているかどうかのほうが問題なのである。ソフト重視型への路線変更。一所懸命になってソフトを仕入れるのは、これまでの反省もあるわけだ。

 と、カッコウをつけてみても、やはり新しい機器が出てくると、それを横目に見て落ち着かない。P-7000欲しいDF-45欲しいC-2800欲しい(アキュフェーズばっかりすでな)。イヤ、遺憾遺憾。今はせっせとソフトを充実させるべき時期なのである。

 と言い聞かせ、webショップ方面へ去る。

’06/02/03 (金)

ラッキー


 同じレコードを何度ネタにするつもりだ。アホと違うか。以前から拙日誌をお読みいただいている方なら、きっとそう思われることだろう。このタイトルは、4回目の登場である。

 「RIMSKY-KORSAKOFF/SCHEHERAZADE/REINER/CHICAGO SO」(米RCA LIVING STEREO LSC-2446-45)。米CLASSIC RECORDSによる復刻盤、45回転180g盤片面カッティング4枚組バージョンである。イムプレッションについては'02/11/18の日誌をお読みいただきたいのである。

 このタイトル、'02年頃には新盤の状態で既にプレミアがつき、非常に高価だった。$300を超えていた時期もある。僕が買ったのは少しく値が落ち着いた時、しかしそれでも$250と、思い切りの要る値段であった。尤も、プレミアがついてなお、それ以上の価値があるレコードであるとも思う。

 先日、とある海外ショップにこれがあるのを見つけた。どうせ凄い価格だろう、僕は1セット持っているから要らんもんね。と冷めた目でよくよく見れば、なんと$100とある。ウソだ、何でこんなに安いンだ。

 安いものにはワケがある。web上の解説には「4枚のうちDISC1は開封済みで、しかしほとんど聴いていない(Looks unplayed)。あとの3枚は未開封」とある。開けてあったって盤がきれいなら何ら問題なし。これで$100なら、本当に安いのである。前回のものと合わせても$350、最も高騰していた時期なら1セットの値である。

 即、買い。で、届いたものを詳らかに検分して、僕は喜んでしまった。4枚とも未開封なのである。何かの勘違いか見立て違いか、要するに全くの新品だったのである。

 このお店、以前からこういうことが多く、だが今までは悪いほう(45回転盤のはずが33回転盤だったり、180g盤の約束がフツーの盤だったり)へ外れていたものが、今回は良いほうへ外れてくれたのだった。ラッキー。

 ひょっとするとこういう店だからこそ、こんなに安い値付けをしたのかもしれない。ネウチがわかっとらんのか、それとも、以前の値がバブリーだったのだろうか。よくわかりません。

 折角だから、開けずにおいとこうかしらん。意味ないね。

’06/02/02 (木)

サイケなAD


 このサイケなジャケットを見た時「どーせまた旧作の中古か、良くて復刻盤だろう、CREAMの復刻盤にはキョーミないなあ」などと無視、しかけたのだった。

 しかしインフォメーションをよく読み、ジャケットの細かいところに目を遣ってギョッとした。「ROYAL ALBERT HALL LONDON MAY 2-3-5-6 2005」(米Reprise 49416-1)。これは2005年のCREAM再結成ライブ盤だったのである。(P)2005の立派な新譜、180gAD3枚組である。ああ、ビックリした。

 調べてみればちゃんと国内盤CD、DVDが出ているのだった。ADに国内盤があるのかどうか、それは知らない。同じジャケットディザインで、色違い。CDはオレンジ色、DVDは赤、どちらもさらにケバケバしく見える。今もCREAMはサイケデリック・ロックであるらしい。

 CREAM。エリック・クラプトン(g)、ジャック・ブルース(b)、ジンジャー・ベイカー(ds)の3人が1966年に結成した、伝説のロックバンドである。この頃のまともなロックバンドといえば、まるでビートルズしかいなかったように考えられているフシがあるがとんでもない。マニアックな人気という点では、ビートルズを遥かに上回っていたのである。

 バンドのことについて語り出すと、とても一晩では終わらないから全部省略。ロックファンなら語らずとも既知だろうし、ご存知ない方は検索してみてください。

 タイトル通り、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのライブ録音である。2005年5月2、3、5、6日。3枚組6面19曲は、なかなかに聴き応えがある。

 メンバー3人とも、ヒジョーないいお歳だ。エリックさん60歳、ジャックさん62歳、特にドラムのジンジャーさんに至っては1939年(昭和14年!)生まれというから実に66歳、有体に言ってオヂイサンである。平均年齢62.7歳のトリオ・ロックバンド。ジャックさんは肝臓移植の手術直後でいささか苦しかったそうだが、ダイジョーブなのだろうか。

 ダイジョーブなのである。若かりし頃に比べれば、確かに勢いはなくなっているものの、老獪な上手さというか余裕綽々というか、妙な底力を感じさせる演奏である。さすがにバンドとしてのまとまりには欠けるようだが。体調不良のジャックさん、声は昔のままでちっとも変わらない。

 ADは180gビニールに加えハーフスピードマスタリングで丁寧に作ってある。マスタリングエンジニアは、偶然にも昨日のレコードと同一人物、名手スタン・リッカー氏である。「SR」のサイン明らかなり。

 音はまあまあだと思う。レンジが広く歪みも少ないけれど、低域の締まりがイマイチ。ロックのライブ盤としてはホールの響きが比較的多めに入っていて、音場感らしきものも感じられる。さすが建立以来134年になんなんとする、英国伝統のホールである。

 リアルハードなCREAMファンなら、ADも揃えておきたいところ、か。

’06/02/01 (水)

SO GOOD


 2月である。例年なら最も寒い月になるわけだが、今年は既に厳寒と大雪を飽きるほど経験している。と言って今月が暖かくなるはずもないのであって、やっぱり寒い寒いと文句を言うことになるのだろう。あとひと月ほどの辛抱である。と、言い聞かせておこう。

 今月もソフト紹介から始めたい。僕にとっては、ちょっと嬉しいADが手に入ったのである。「CHUCK MANGIONE / feels so good」(米MOBILE FIDELITY MFSL 1-068)。

 タイトルとしては、以前にも紹介したことがあるし、'77年の発表当時バカ売れしたレコードだから圧倒的多数の人に知られる、つまり有名な、要するに珍しくもないものである。表題曲「feels so good」は、名前は知らなくても曲は知っているという人が多いだろうと思う。ハナウタで聴けば、誰でも分かります。

 元々は米A&Mからリリースされたレコードである。紹介するものは、ご存知MO-FI、オリジナルマスターテープからのハーフスピードマスタリング盤である。一応限定盤だったはず。以前載せたことがあるマゼールの「ローマの松」やクイーンの「オペラ座の夜」なんかと同じシリーズだ。このタイトルが出ているとは寡聞にして不知で、発見した時はとても嬉しかった。

 マスタリングエンジニアは、彼の有名なスタン・リッカー氏で、リードアウトエリアには「SR」のサインが見える。だから音が良い、というほど単純ではないだろうけれど、期待感大であることは間違いなし。

 お見事。期待をいささかも裏切らない良い音である。これまでに国内盤を2枚、輸入盤を1枚、国内CDを1枚、都合4つのバージョンを聴いたが、それらすべてを捨ててしまってもよいと思えるくらいの出来だ。どこがどうとかいうような細かいことではなく、生まれも育ちも全く違う感じ。今まで聴いていたのは何だったのだ。

 同じシリーズでも、向上の度合いがさほどではないものもあり、一方にはこういう凄いヤツもある。どこでその差がつくのか、やはりオリジナルマスターの違いなのだろうか。シロウトに真相はワカランけれど、うむ、これは良いレコードが手に入った。素直に喜びましょう。

 予備にもう1枚欲しくなった。強欲なのである。