箱船航海日誌 2005年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/05/31 (火)

美味しいお土産


 昨日までのお客様から、とても美味しいお土産をいただいた。横浜崎陽軒(きようけん、と読めばいいのかな?)の特製シウマイである。

 いただいたのが28日、「すぐ冷蔵庫に入れ、29日の夕方までにはゼッタイ食べてくださいねっ」と力強くおっしゃる。旨い物は早く食え、というのがくずてつ家の家訓である。言い付けを堅く守って昨日、晩ゴハンの時間を早めて賞味させていただいた。

 昔懐かしいデザインの箱を開けてみたら、シウマイとともにこれまた何ともレトロなデザインの醤油指しが入っていた。ひょうたん型陶器製でフタはゴムキャップ。なかなかに凝ったものである。ちょっとうれしい。折角の特製シウマイ、電子レンジなんかで暖めたら皮は乾燥してポリポリ、具は硬くなって台無しである。面倒でもセイロで蒸さねばならない。

 待つことしばし、ホカホカのふわふわに蒸し上がった。早速カラシ醤油で食べてみたれば。いやあ、実に美味しい。ハーブ豚の挽肉とホタテの旨味が絶妙である。ジュワッと肉汁が染み出して、こんなに美味しいシウマイを食べたのは初めてだ。

 オーディオファンは音にうるさいだけでなく、食べ物にも一家言持つ人が多い。長岡先生もどこかに書いておられた。そういう人からいただいたものが、マズいわけはないのだと、妙なところで感心してしまった。ありがとうございました。

 食べ盛りの愚息ドモは、ウマイウマイウマイウマイと連発し、あっという間に片付けてしまった。そりゃあ連発したくもなるだろう。

 だって、シウマイだもの。

’05/05/30 (月)

夢の如くに


 箱船へいらっしゃったお客様の中で、2階のサブシステムをこれほど熱心に聴かれた方は初めてである。

 GT-CD1、装甲的PRA-2000ZR、HMA-9500、同MkII、それにD-55ES、DRW-1MkII。良く言えばハイスピード、ハイトランジェントの権化みたいな組み合わせだが同時に、一歩踏み間違えれば無味乾燥ギスギスサウンドの奈落へ転落しそうな危なさも孕んでいる。

 ご持参のソフトを次々にかけ換え、腰を据えて聴き込む姿はまさに真剣そのもの。サブシステムだからと言って使いこなしを疎かにしている自分が恥ずかしくなった。ここまで真摯に聴いていただければ、システムも喜ぶというものである。

 その所為かどうか、いつもよりずっと良い音で鳴っている。全域に渡って随分と軽やかに飛び出してくる、ように聴こえたのはナゼだろう。きっと、スピーカーも人を見るのかもしれない。ンな馬鹿な、とおっしゃるムキもございましょう。一人で聴くよりも人が多い分、吸音効果が上がり余分な音が減ったのダ。うむ、一理ある。しかし、それだけではないような。オーディオっちゅうものは、実にフシギである。

 こうしている間にも、階下では超低域どっすんばっすんソフトが大音量で鳴っている。アヤシげなものをでっかい音で聴くのは誰だ。

 1階2階同時多発的試聴。箱船12年の歴史で初の快挙(?)である。さすがミューズの方舟本部会員。一味違うのである。みんな、本当にオーディオが好きなんだなあ。何だか僕は、とても幸せな気持ちになってしまった。

 28日夕方に到着、帰途につかれたのは29日15時ごろ。24時間に満たないご滞在は、まさにあっという間に過ぎ去ってしまった。いくら話しても話し足りない。今、この日誌を書きながらも、夢だったのではないかと思われるほどである。

 実に楽しく、大いに学習できた充実の2日間だった。幹事として企画し、先頭切ってお出かけくださったばっかすさんには、深々の御礼を申し上げたい。ありがとうございました。さらに、ご遠方にもかかわらずこんなに辺鄙なところまでお越しくださったT中さん、s-ultraさん、Okada Yukidarumaさん、N須さん。心から御礼申し上げます。皆さん、ありがとうございました。

 次の機会を、今から楽しみにしております。

’05/05/29 (日)

何事も勉強


 みんな揃って試聴である。それぞれご持参のソフトを自由に聴いていただく。全員名うてのオーディオファンである。ゆるぎないオーディオ観と独自の音を明確に持つ人ばかりだから、ホストとしてはヒジョーにラクチンだ。ソフトも音量も何もかもどーぞご自由に、と言っておけばそれでOKなのである。まったく気遣い無しに、僕自身大いに楽しんでしまった。

 どのような印象をお持ちになったか。詳しくは後日のご感想に待ちたいとして、とりあえず悪印象ではなかったようで安心した。気遣いなしとは言えども、やはり緊張感はある。相手は海千山千のツワモノなのである。

 オーディオに対する姿勢を明確に持っていらっしゃる人々と話をするのは、とても楽しく、また疲れないものである。ツーと言えばカーみたいなところがあって、好みの違いを認識しながら穏やかに、しかも前向きな議論ができるのである。これは稀有のことである。世の中には「プチ評論家」みたいな御仁が多く、はっきり言ってヒジョーに疲れるのである。

 僕自身「違いの分かる人」には程遠いだけに、今回の方々のお話には目を開かされることが多かった。心から感謝せねばならぬ。ありがとうございました。

 1階メインシステムの試聴のみに終わらず、この後さらに2階サブシステム試聴に、なだれこむのであった。

 強力なBHファンが、いらっしゃるのである。

’05/05/28 (土)

無事お迎え


 掃除整頓も完了、無事にお客様をお迎えすることができた。ヨカッタヨカッタ。

 今回のお客様は、彼の有名(?)なオーディオサークル「ミューズの方舟」東京本部会員5名様である。「箱船ツアー」と銘打ち、ご遠方はるばるのお出ましである。滅多にない機会だ。ホストとしてはとてもうれしいのである。ありがとうございます。

 2氏とは旧知の間柄、3氏とは今回初めてお出会いする。といっても会の機関紙やらネット上やらオーディオ雑誌やらでお名前は拝見していたし、メールの遣り取りをしたこともある方ばかりだから、初対面という印象はあまりない。ユーレイではあっても、僕も一応会員なのである。

 夕刻到着、チョイと音を聴いてもらったあと、再会と初見を祝し2階でカンパイ。この夜は試聴もそこそこに宴会で盛り上がるのであった。

 奇しくも明日は長岡先生のご命日である。大切な日に、教えを蒙った者が集まり先生を偲ぶことができる。これも何かのお導き、在り難いご縁である。

 本格的な試聴は明日。さてさて、皆さんの箱船イムプレッションや如何に。

’05/05/27 (金)

やっぱり、掃除


 明日、明後日はご来客である。関東方面から5名様。初めての方もあれば、久しぶりにお会いする方もいらっしゃる。考えてみれば、今年になって最初のお客様である。時期としては最高。長岡先生の漫遊記も、ちょうど今頃だった。

 お迎えする側としての急務は、例によって掃除と整頓である。先月までは問題なかったものが、今月は業務繁忙を極め、そこへ持ってきて体調不良で慌てまくり。部屋はあっという間にメチャクチャになってしまった。遺憾である。

 今から、やります。

’05/05/26 (木)

忘れ得ぬ


 「長岡鉄男のスーパーAV」(共同通信社刊)によると、本家方舟が完成したのは'87年8月31日である。今から数えて18年前。なんだか随分昔のような気がする。初めてお邪魔したのは'89年7月23日だったから、それからでも16年経っているわけだ。ボカァ28歳だったのだなあ。

 今年も先生の御命日が近付いてきた。2000年5月29日。晩年のトレードマークとなった「方舟」だが、先生がお元気で方舟をドライブされたのは、数えてみれば13年に足らなかったのである。74年のご生涯のうち、たった13年だったのだ。非常に中身の濃い時間ではなかったろうか。翻って思えば、それが先生の寿命を短くしたと、言えるかもしれない。

 方舟に比べれば、まだまだ新しいと思っていた箱船も12年である。仮に僕が74歳までの命を得られたとしたら、42年に渡って箱船を使うことになる。ただし、予定では60歳で死ぬことになっているから、しかしそれでも28年。あと16年ある。

 その間に僕は、先生の晩年ほどの充実したオーディオを実現することができるのだろうか。不可能としか思えない。そもそも先生と比べること自体、不遜な話である。

 到底及ばないことは分かりきったことである。さりながら、先生を超えるとか、音を良くするとかいうことはさておき、オーディオに対しての純粋な思いを、これからもずっと持ち続けたいと、願う。これは先生からの大切な贈り物である。

 亡くなって間もなく5年。僕は、先生を忘れない。

’05/05/25 (水)

感謝


 25日は愚息2号の誕生日である。'93年生まれ、今年は年男の満12歳である。2歳になる頃、非常に重篤な病を得た彼だが、優秀なお医者様に助けていただき今日まで無事に成長した。ありがたいことである。

 '93年といえば、この箱船が着工完成した年でもある。そう、今年はこの建物も年部屋(年箱船?)なのである。12年経つわけだ。早いものである。

 その当時、計画実現にあたり僕の身近でご尽力くださった方々12人のうち、すでに5人の方が鬼籍に入られている。干支がひと回り、短くない時間なのである。心から感謝せねばならぬ。もちろん、今も健在の方々に対しても、同様である。言うまでもないことだ。ありがとうございます。

 まったくに得難いご縁によって、箱船は実現した。「夢は実現するものである」とは長岡先生の名言だが、それは己一人の力では絶対に不可能である。少なくとも僕はそう思う。多くの方からの支援、在り難い出会いがなければ、今の幸いは、なかったのである。

 これは今後も忘れてはならない、極めて大切なことである。

’05/05/24 (火)

デカウマ


 久しぶりの食べ物ネタである。

 このモノが何か、おわかりでしょうか。タラコである。横にあるライターと比べてみれば、その大きさが分かろうというものだ。冷凍モノなので、霜がついているのはちょっと残念なのだが。北海道在住の方からの頂き物である。

 巨大である。はっきり言って僕はこんなにデカいタラコを見たことがない。これでも一腹の半分以下である。完全形となるとこれの倍以上あるわけで、その辺のスーパーで買えるヤツの5倍、イヤ6倍くらいありそうだ。なんちゅう大きさでしょうか。

 通常に比べて異様に大きい食べ物は、だいたいが大味で美味しくないというのが通例である。冬場、日本海側の海岸で獲れるところの「タルイカ」(ソデイカとも)は、体長が80cm〜1mと巨大なイカだが、あまり美味いとは思えない。スイカやキュウリも大きくなりすぎると大味だ。ダチョウの卵はなかなか旨いというけれど、個人的にはあまり食べたいと思わない。

 しかし例外も沢山ある。このタラコもそのうちの一つらしい。冷凍モノと侮る莫れ。自然解凍して食べたらものすごく美味しかった。香りが良くプチプチしていて、しかも塩加減が絶妙である。大きさも然ることながら、こんなにウマいタラコも初めてである。白いゴハンがガバガバいける。単品オカズで白米を馬鹿食いするのは体に良くないそうだが、精神にはヒジョーにヨロシイ。幸せである。よくぞ日本に生まれけり。

 贈ってくださった方によれば、冷凍状態のままコンガリ焼いて食べるとこれがまた絶品だそうだ。そりゃあそうだろう。お茶漬けにしたら、美味すぎてキゼツするかもしれん。

 明日は焼きを入れて、食べてみよう。

’05/05/23 (月)

気楽な素人


 帯域に係わらず、音をコントロールするのは難しいものだと、思うのである。低域に比較してエネルギーが低い高域は、やや容易だというのが一般的だが、それでもやはり難しいことにさほど変わりはない。

 透明感とスピード感を求めているうち、ハッと気がつくと恐ろしくとんがった生硬な音になってしまっていたりする。瑞々しさとしなやかさを出すつもりでいたら、知らぬ間にカッタルい音になっていたり。どーすりゃいいのよと、迷路に迷い込んだような気持ちになることもある。

 元の状態に戻して一から仕切り直す。とんがってててもカッタルくても何でもいいからそのままで押し切る。カンシャク起してスピーカーもろともぶっ壊す。スネて寝る。シクシク泣く。

 方法はいろいろあるわけだが、僕の場合元に戻すのはキライである。不精だからである。メンドクサイ。ので、音に難があるのを承知でそのまま押し切ってしまうことが多い。で、どーなるかと言えば、時間の経過で結果オーライだったり、何年経ってもやっぱりNGだったり、そのうち耳が慣れてしまったり。極めていい加減なのである。

 多寡がオーディオである。世界は自分を中心に回っている、などという気は毛頭ないが、ヘンテコリンな音が出ていたところで、誰の存在を害するものでもない、とも思う。命に別状なし。近隣迷惑顧みない大音量で警察沙汰になる、のはまた別の問題である。上手く行ったりしくじったり、成否諸共楽しみ遊ぶのがオーディオなのである。良い音が出せないからといって東尋坊から身投げした、という話は聞いたことがない。

 僕は気楽なドシロウトである。好きなことを楽しくやるだけだ。

’05/05/22 (日)

顔が命


 この写真は約4年前、まだT-300Aはなく、0506II一発で高域を補強していた頃のものである。今に比較すると随分こぢんまりして見える。否、現状が大掛かりに過ぎると言えるのかもしれない。

 トゥイーターの上にはビニール袋に入れた粒状鉛が載っている。両脇から鉛ブロックで挟むだけでは不安、上からの押さえ込みが欲しかったのである。これはこれで一定の効果があり、多少のルックス難を承知でT-300A導入までこの状態だった。これを見た長岡先生曰く「温泉でタオルを頭に乗っけてるみたいだね」と。

 現在、この対策は施していない。T-300Aの外径が大きいのと、自重が充分(1個9.5kg)重いのでさほど必要はなかろうという判断からである。しかし、よくよく考えてみれば、自重が大きいからこそ上からの押さえ込みがなお必要であるとも言えるわけだ。

 袋入り粒鉛は、素材として悪くないと思う。形状や重さは自由自在だし、鳴きも少ない。だが、ベストかと言えばそうでもないのである。粒形がわりと大きいので、僅かにガサガサした音色が乗る印象がある。鉛特有の鈍さ、重さも感じられる。他にもっと良い素材が、あるはずだ。

 と、分かっていながら、現状これしかないので、ともかくT-300Aの上に載せてみた。導入以来初めてである。

 予想以上の効果にちょっと驚いた。上記の難点はあるものの、滲みが減り透明感が増す。かなり明確な差である。これはなかなかイケるのである。となればあとは素材だ。素材次第でさらに大きな効果を狙えると思う。さてさて、何を持ってくるかなあ。ただし、ルックスはサイテーである。「温泉でタオル」どころではない。

 オーディオは、顔が命です。

’05/05/21 (土)

お導き


 某自動車メーカーのTVCFで、ジャーニーの曲が流れている。よーく知っている曲(なにせ昔、この曲からリフをチョビッとお借りしたことがあるくらい)なのだが、曲名を完全に忘れた。実は僕、ジャーニーのレコード、1枚も持っていないのである。

 スティーブ・ペリーは非常に上手いボーカルだし、職人的ギタリスト、ニール・ショーンは夙に有名である。友達の中にも熱狂的なファンがいる。昔々、「ジャーニーはテクニックに走りすぎて、ちっとも面白くない」と言ったら「オマエはヘボだから、好きなバンドもヘボが多いな」と売り言葉に買い言葉、掴み合いのケンカになりかけたことがある。アホか。

 レコードは持っていなくても、それなりに聴き込んだことはある。非常にスマートで暑苦しさが少なく、クセのないロックだと、思う。その辺りが僕にはニガテに感じられるのである。ゴツゴツして骨太なロックを好む人間には、都会的に過ぎるような気はする。そこがジャーニーの魅力なんだろうけれど。

 上の写真はスティーブ・ペリーがチラリと参加しているところのアルバム「WE ARE THE WORLD / USA for AFRICA」(1985)である。これもまた一世を風靡したタイトルだから、ご存知の方も多いだろう。1985年、アフリカ大飢饉救済のためのチャリティプロジェクトアルバムである。

 レイ・チャールズ(故人になりましたねえ)やらボブ・ディランやらスティービー・ワンダーやらブルース・スプリングスティーンやら、その他諸々の大物と一緒に、ほんのワンフレーズだけだが、スティーブさんのボーカルが聴ける。上手いです。他のモノスゴイ大物たちにちっともひけをとらない。ただ、やっぱりスマートなんだなあ、このヒト。

 ところでこの「USA for AFRICA」。今年は20周年ということで、未公開録音風景などを収録した2枚組DVDが、6月24日に出ると聞いた。ネタに困ってTVCF→ジャーニー→スティーブ・ペリー→USA for AFRICAと、連想ゲーム(古い!)みたいに書いてきて、いろいろ調べてみたらたまたま20周年だった。

 これも何かのお導き。DVD買おうかな。

’05/05/20 (金)

そうだった


 またまた休んでしまいました。昨日は決してグワイが悪かったのではない。単純に、ネムかったのである。これもたぶん復調した証しだろう。と、勝手に正当化する。誠に申しわけないのである。これじゃ「毎日更新」じゃなくて「一日おき更新」だ。サギですな。

 さて、最近の箱船システムの音は、低域の解像度が上がったような気がして、僕としてはとてもうれしく思っている。しかしながら、何故そうなったのか、自分でコントロールしたはずなのに原因がわからない。いい加減な話である。トゥイーター(主にT-300A)のエージングに伴うもの、にしては都合が良すぎる感じ。アレコレ考えながら御影石の害光防止キルトをめくってみて、ああそうだったと、気がついた。

 フォックシートを載せたのだった。たぶんこれだ。ご覧の通り、面積にすればわずかなものである。載せた当初は歴然とした差は出ていないように感じたが、半年経って効果が現れてきたみたい。フシギである。これもエージングの一種なのかしらん。否、タコ耳の証明でしょう。

 テキトーな位置にA4版シートを5枚載せてある。注意深く聴きながら枚数と位置を追い込んでゆけば、もっと良くなるかもしれない。が、悪くなる可能性もある。使いすぎは良くないと、説明書きにもある。要するに、野暮な使い方はNGなのである。

 物量(力任せ、とも言う)で余分な振動を抑え込むのも一策、だが、時には物理的な方策にも目を向けるべきである。と、自戒。

 僕のような無知の輩には、その取捨選択が、難しいのであります。

’05/05/18 (水)

鳴かない

 「目に青葉 山時鳥 初鰹」(めにあおば やまほとぎす はつがつお)と詠んだのは、江戸時代の俳人、山口素堂である。なんて知ったかぶり。詠み人までは知らなかった。とまれ、有名な句である。小学生の頃から聞き知っていたような気がする。

 まさに青葉の季節である。山は常緑樹の濃い緑と、落葉樹の新緑が美しいコントラストを描き出している。ところがちょっと妙なのは時鳥、ホトトギスである。

 まったく鳴き声を聴かない。とっくに聴けるべきものが、である。今頃になると夜中の2時頃からあの独特の声が、聴こえ始めるはずなのだ。何故だろう。

 同じ仲間、同じ渡鳥のカッコウは、この辺りでは滅多に聴けない。数年に一度、1日か2日だけ鳴いてどこかへ飛び去って行く。風土が合わないのだろう。それに比べてホトトギスは珍しくない鳥である。居て当然、鳴いて当たり前だ。今年は寒くて渡りが遅れているのか、あるいは托卵が上手く行かなかったのか。それとも托卵相手の鳥が減っているのだろうか。いずれにしてもフツーじゃないみたい。

 最近の体調不良も、これと無関係ではないような気もする。今日も冷たい雨と強い風で、憂鬱な日だった。

 鳴かぬけど 鳴いてほしいよ ホトトギス。駄作。

’05/05/17 (火)

再認識


 少しく良くなった、と書きながら、また1日休んでしまった。状態が良い日悪い日がモザイクのようになっていて、我が事ながら困惑するのである。総合的には良い方向へ推移しているようなので、だんだん元気になる。と、思っておこう。

 体調を崩す前の数週間、ほとんどまともに音が聴けなかった。今日は業務のあと、どうしても聴きたくなったので、ちょっとシステムの前に腰を据えてみた。

 やはり僕は、音を聴かねば遺憾らしい。体の中に染み渡るような気がして、とても気分が良かった。音と音楽が好きでオーディオやってるンだから、それが当たり前なのである。が、あらためてそれを再認識する瞬間が、あるのだった。ナルホド、僕にとってオーディオとは、精神の自由解放であるわけだ。ちょっとオオゲサかな。

 誰か他の人に誇るような音が出ているとは、到底思えない。「何方に聴かせてもご納得いただけるだけの自信があります」、なんて一度でいいから言ってみたい。言えねえ言えねえ。そこにはただ、僕の好む音があるだけである。それを聴いて喜ぶ。以上完結、である。

 長岡先生が亡くなって間もなく5年。何だか最近思いっきりの良いオーディオを、忘れていたことに、僕は気がついたのだった。音が良いとか悪いとか、やり方が間違ってるとか正しいとか、アレは良いけどコレはダメとか、そんなことはどーでもよろしい。自分が幸せになれる音が出ていれば、もう全部OKだ。○○の考え休むに似たり、思い切って楽しむが吉。先生もそういうスタンスでいらっしゃったはずだ。

 ちょっと元気が出てきたぞ。

’05/05/15 (日)

ようやくにして

 快方へ向いつつあるようで、いささか安心している。驚くべきシツコイ風邪(なのかどうか)で、こんなに長引いたのは初めてである。それだけ回復力が落ちているということなのかもしれない。もう若くはないさと、どこかで聞いたことのあるようなフレーズを、思い浮かべるのである。

 掲示板にはご心配のご投稿をいただき、恐縮している。こんな駄文でも、読んでくださる方がいらっしゃると思えば、それは大いなる励みである。ただただ頭を垂れて感謝申し上げるばかりである。ありがとうございます。

 永く休んで、オーディオネタはあるのかと問われたばらば、なんにもございませんと、これまたお恥ずかしくも情けない状況である。業務も滞り、問題山積。困ったことである。

 これじゃ、何のwebサイトだか、わかりゃしませんな。

’05/05/13 (金)

ともかく再開

 1週間ぶりの更新になってしまいました。誠に申しわけございません。学校を永く休んで再登校する時のテレ臭さにも似て、何かしらバツが悪いのである。とりあえず再開したい。今しばらくは休み勝ちになるかもしれないけれど、お含みおきいただいて、よろしくお願いしたいのである。

 7日の土曜日から突然グワイが悪くなった。症状は風邪に似ているが何か違うような気もする。診察を受けても判然としない。通り一遍の薬をもらって飲んでみるが一向に良くならない。何だかいやな感じ。

 3日前からは酷い咳である。再度診察。「気管支炎。ヘタすりゃ肺炎ですぞ。安静にしなせえ」と言われてビックリ。もっと早くゆってくれ。

 とゆーわけで、完治まではもう少し時間がかかりそうなグワイである。年中で最も素敵な季節に、これじゃ台無しである。こんなはずじゃ、なかったのに。

 ま、クヨクヨしても仕方がない。元気出して行きましょう。

’05/05/07 (土)

出ました


 今日の写真はあまりにもグロテスクなのでモザイク自粛。おおよそおわかりだろう。そう、ムカデである。

 そろそろ出るかと、思っていたらやっぱり出ました。10cm超の大物である。黒緑色のボディ、暗赤色の頭とシッポ、黄色い脚。見方によってはメカニックでカッコ良くもあるわけだが、僕はもうムチャクチャにニガテである。遠目に見ただけでオカンが走る。お母んは走らんケドモ。

 詳しく言うと、コイツは「トビズムカデ」であるそうな。頭が鳶色なので「鳶頭」(トビズ、正しくはトビヅ、ですな)というわけだ。5〜6年生きて15cmを超えることもある。国内最大種のムカデである。

 コオロギやバッタなどの小さな昆虫を食べて生きている。ので、それを追って人間の生活圏へ入ってくることもしばしばである。とゆーとどうなるか。知らず踏んづけたり握ったりして、思いっきり噛まれるわけである。

 痛いのなんのってそりゃあもう。まさか噛まれるとは思わなかった。そのまさかが命取り。毒液ドクドク流しこまれ、激痛一閃真っ赤になって腫れあがる。毒の主成分はセロトニンとヒスタミン。噛まれたらイタイのガマンして噛み口を絞り、毒を排出させる。水で流しながら絞るとなお良い。人によってはアナフィラキシー・ショックを起す(二度目がアブナイ)こともあるから、すぐにお医者さんへ相談すべきである。特に小さな子供は、痛みのショックで危険な状態になるケースもあるから恐ろしい。

 箱船内にお出ましになったことは、今のところ、ない。しかし昔、母屋の2階にシステムを組んでいた頃は、毎年この時期にお越しになったのだった。音を聴いている最中、SWのバスレフダクトから大物がニョロッと出てきて卒倒しそうになったこともある。

 世の中は広い。これをペットに飼育する御仁もいらっしゃるという。考えるだにオソロシイのである。

 趣味は、多様です。

’05/05/06 (金)

こんなのも、あったんだ


 この間入手したレアAD、それと同じシリーズのCDである。「THE JOHN DENTZ REUNION BAND」(米REALTIME RECORDS RT-3004)。要するにM&K REALTIMEのCDなのだが、どういうわけか頭の「M&K」が取れた表記になっている。アナログD2Dをやっていた時と差別化しているのだろうか。日本プレスである。

 ジョン・デンツのドラム、チック・コリアのピアノ、アンディ・シンプキンズのベース、アーニー・ワッツのサックス。ジャズカルテットである。メンバーにチック・コリアの名が見えるから、どんなものかと思ったら、わりにフツーのジャズである。ちょっと安心(?)した。

 先日のADよりも新しい録音で、機材も進化しているようだ。録音場所は同じ。ビバリーヒルズの同社スタジオである。同列比較はできないけれど、ADの音に触発されて10年ぶりくらいに聴いてみた。買ったのは箱船以前、'92年6月なのである。持っていることも、忘れてました。

 同じ系統の音だと感じた。歪みが少なくきれい。だが、少々ドライでとんがった感じもある。低域は薄めで押し出しイマイチ。高域はやや突っ張っているが繊細感もなくはない。定位はちょっと残念。全部の楽器がセンターに集中してしまう。モノーラルみたい、は言い過ぎだが、ちょっと面白くない。少なくとも、D2D時代の音とはまったく違うのである。当たり前ですな。

 このタイトルもADが存在するのかどうか、僕は知らない。あれば聴いてみたいとも思うが、シャカリキになって捜すほどのものでも、ないかな。

 残念でした。

’05/05/05 (木)

外でゴハン


 毎年のことながら連休は業務で埋まり、何処へも出かけること叶わず。尤もこの時期、どこへ行っても人ばかりで疲れるだけだという説もある。と言って何もしないのもつまらない。ので、久しぶりに外でゴハンを食べたのだった。一日早い、子供の日特別記念大パーティーである。

 昨日の夕方はお天気も良く、比較的暖かくてよかった。愚息ドモも食いつきよく、しかし12歳14歳ともなると食べる量がハンパでなくなり、見ていて怖くなるやらキボチ悪くなるやら。ハラペコ小僧の威力や恐るべし。

 最後に醤油を塗った焼きおにぎりで締めて、大盛会の裡に終了した。僕はといえば、ちょっとアルコールを飲んだらスイッチ切れ。しかし、とてもシアワセな時間だった。

 ストレス解消、今日もこれから業務である。がんばりましょう。

’05/05/04 (水)

地味ながらも


 境内から町道への坂を下ったところ、お隣さんの庭にはカエデの樹がある。毎年花をたくさんつける。今年は特に多いようだ。すでに終りに近く、ご覧の通りもう種が実っているものもある。

 花と言っても桜のようなものではない。軸とガクからメシベが出ているだけの素っ気ない地味な花である。だが数が多く軸が真っ赤なので赤い花が咲いたようにも見え、新緑と青空とのコントラストがとてもきれいである。これも初夏の風景。

 カエデは種類が非常に多く、葉と花の形だけでは特定しにくい。写真のものはおそらくイロハモミジかオオモミジの仲間だと思われるが、正確なところは判然としない。

 葉が手の形に似ていて、秋になると落葉し新しいものと換えるから「換える手」、それが訛って「カエデ」。これが名の由来かと、勝手に思っていたら違っていた。蛙の手に似ているから「蛙手」、そこから「カエデ」となったというのが正しいそうだ。半分は当っていたのね。

 英米ではメイプルと呼ばれる。メイプルと言えば、楽器用材として有名である。ヴァイオリンの裏板、ピアノの駒、ギターのボディ、ついでにスピーカーエンクロージャーにもしばしば具される。基本的に外材(サトウカエデやブラックメイプル)で賄われるが、日本のイタヤカエデも使われているそうだ。

 カエデは樹液に糖分が多く(1〜5%のショ糖を含む)、砂糖採取もできる。イワユル、メープルシロップである。サトウカエデだけからかと思っていたらとんでもない。国内でもイタヤカエデから採られているという。これは知らなかったなあ。ホットケーキやプリンに付いてくる、お湯で溶かして作るヤツはカラメルでごまかしてある。本物はもっと匂いが強くて甘い。アクが多いから歯がギシギシするし、食べ過ぎるとオナカを壊すのである。でも、ホンモノがいちばん美味しいけれど。

 楽器や音響用材として重宝され、シロップが採れ、秋になると紅葉して人を楽しませる。普段はどちらかといえば地味な存在だが、随分と人間に近しい樹なのである。

 残念ながら、ウチの庭には、ない。

’05/05/03 (火)

親のイゲン


 愚息1号はドラム教則本を買い込み、いよいよホンキで取り組むつもりらしい。「ウソキンとちゃうで!」とはりきっている。喜ぶべきか、悲しむべきか。

 きちんと躾をするのが親の役目(特に父親の)ならば、こーゆー時にエエトコ見せるのも大切な役目だと、僕は思う。ので、久しぶりにちょこっとドラムを触ってみた。

 一昨年11月、ほんの少し叩いてからほとんど触っていない。錆を吹かないように手入れするくらいのものである。おかげでスネアシェルは錆びないがウデのほうはすっかり錆びつき崩壊同然だ。極めて遺憾である。

 シングルストローク、ダブルストローク、パラディドルなどのルーディメントをやってみるが、もう全然ダメ。手がまったく動かない。ひきつる。ショットの粒が揃わない。ヒットポイントがズレる。これでは初心者以下である。「エエトコ」なんてとんでもない話だ。単に不恰好なだけ。かっこわる。

 我が安易な考えを、大いに反省しました。これからは1日5分でもいいから、ルーディメントをやってみるべし。いくら忙しくったって、それくらいの時間はあるだろう。親のイゲンがかかっている。オイラもヒッシである。続けていればそのうち何とかなるかもしれん。何をするにも、継続努力は不可欠なのである。

 愚息たちよ、チミらも同様であるぞよ。

’05/05/02 (月)

初めてのお客様


 好天続きの4月だった。5月は雨からのスタート、ちょうど田植えの時期でもあるし、これは慈雨である。

 田んぼではトノサマガエルたちの大合唱である。彼らもカラカラでつらかったろうと思う。初夏の声を聴きに外へ出てみたらば、外灯の下に極めて珍しいお客様がお見えになっていた。

 ご覧の通り、ヒキガエル君(さん?)である。又の名をガマガエル。ハナの先からお尻まで7〜8cm程度の小さな個体である。灯火に集まるムシを食べに来たのだろう。

 ウチには色んなカエルさんがお出ましになる。アマガエルはもちろん、トノサマガエル、イボガエル、モリアオガエルなど。しかし、ヒキガエルがやってきたのは初めてだ。僕は何だかとっても、うれしいのである。ウチの庭にも、ヒキガエルがいたんだなあ。

 日本のヒキガエル科は1属4種。4つの亜種がいるという。基亜種となるニホンヒキガエル。西南日本に分布する。北海道南部から本州北東部を中心に分布する、アズマヒキガエル。本州中央部の山間帯に生息する、ナガレヒキガエル。宮古島などに分布する、ミヤコヒキガエル。

 写真の個体は、色と斑紋から推測するにニホンヒキガエルであるらしい。学名Bufo japonicus japonicus。「日本産ヒキガエル」の意である。面白いのはアズマヒキガエルの学名で、Bufo japonicus formosus とある。「ハンサムな日本のヒキガエル」という意味だそうで、なるほど写真の個体に比べると体のイボがやや少なめで色が白っぽく、顔つきも端正に見えなくもない。

 鼓膜のうしろにある耳腺から、毒液を出すのは有名。かなり強力である。ブフォトキシンという。主成分はブフォニンとブフォタリン。ブフォニンはアミン系の神経毒で、幻覚作用がある。何処かの国では、これを意識的に舐めてラリっちゃう人がいると。マジック・マッシュルーム並みである。ヒキガエルジャンキーって、なんかヘンですなあ。

 ブフォタリンはステロイド系の毒で、これは猛毒である。もし人間の口に入ったら、そのヒトは泡を吹いてキゼツする。運が悪ければキゼツし続け、そのまま息が止まって目が覚めないかもしれない。つまり、死ぬのである。止血効果や強心効果もある。これがイワユル「ガマの油」というわけだ。

 無意味にイキナリ毒を噴いたりしないから、玄関先に構えてもらっても一向に構わない。が、極悪ラクに見つかったら大変である。彼女なら躊躇なく喰らいつくだろう。そうなれば、当然毒を噴く。自衛行為である。結果ラクがどうなるかは自明の理であるわけで、それは困るのでチリトリに乗っけて藪へ放しておいた。外灯は点けておくから、またあとで来てね。

 でも、1匹だけだから悠長に喜んでいられるけれど、こんなのが大挙なしてグワグワやってきたら、相当に怖いだろうなあ。

 「鳥」ならぬ、「カエル」になっちゃいます。

’05/05/01 (日)

こんなのもレア盤


 5月である。一月でこうも季節が進んでしまうことも珍しいのではないか。冬からイキナリ夏になってしまった感じである。暑いのはヘーキだから、個人的にはうれしいのだケレドモ。

 先日、久方ぶりに「BOSTON」のSACDを聴いた。最初から悪い印象はなかったものの、高域にけたたましさがあり、繊細感がもう一息かと、思っていたわけだ。今聴くと、随分とスムースになった印象。いささかながらも進化したシステムの恩恵か。それとも実は退化したのか。何とも言えない。

 そのうち、同じタイトルのADも聴きたくなった。国内盤はハイ上がりでイマイチ。外盤は2枚あるがどちらも埃っぽくてNG。もう1枚、SIMPLY VINYLの180g復刻盤がある。ノウガキだけを見れば、当然これが最も音が良い、ように思えるのだが、実はコレ、ちょっと困ったレコードなのである。

 買ったのは'98年5月8日。7年前である。このタイトルに異様なこだわりを持つ僕にとっては、とてもうれしいリリースだった。大喜びで飛びついたのである。180g限定盤になってどれほどの向上があるのか。ワクワクしながら早速に聴いてみたのだった。

 ?

 なんかヘンである。ずいぶんとシャカシャカ忙しく聴こえる。音がそうなのではない。曲が忙しいのである。誇張して言えば、33回転盤を45回転で再生した時のように。「オラは死んじまっただ〜」(ふっ、古い!)じゃないンだから。

 一度針を上げ、回転数を確認。間違いなく33回転盤、プレーヤーも33回転で回っている。再度聴く。やっぱりオカシイ。国内AD、CDと比較してみて決定的である。明らかに、ピッチが違っている。33回転では早回しに、なってしまうのだった。

 箱船のADプレーヤー、SP-10MkIIIにはピッチコントロールがついている。±9.9%まで調節可能である。まさかこの機能を使うことがあるとは思わなかった。CDのピッチを基準にして調節したところ、33回転−3.6%でほぼ同じピッチになった。ごく僅かに低い感じもあるが、−3.5%では高くなる。そこまでは追い切れない。

 以前聴いた時はピッチ狂いにイヤケがさし、すぐにヤメてしまったが今日は全部聴いた。ピッチ補正後の音は、悪くないのである。少なくとも国内AD、CD、いい加減な外盤ADよりはずっと良い。そうでなきゃ困るのだが。

 ADはCAVである。ゲンミツに言えば、正確な33回転に比べて線速度が3.6%下がっているわけだから、音質にとっては不利である。その所為かどうか、SACDを遥かに上回るところまで行かないのは、ちょっと残念。

 なんでこんなことになってしまったのか、ゼンゼンわかりません。製造プロセスのどこかで、何かの回転数が3.6%程度落ちていたのだろう。それに気付かずプレスしちゃった、と。SIMPLY VINYL4番目の復刻盤(SVLP-0004)だけに、ノウハウが不安定だったのかしらん。現在は絶版になっていて入手不可能。他のロットも、同じ不グワイがあるのかなあ。

 当時は悔しかったが今は得した気分になっている。これはこれで貴重だと。こんなエラーレコードは滅多にないのである。

 もう1枚、買っておくンだった。