箱船航海日誌 2005年04月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/04/30 (土)

友からの電話

 今夜は電話の日だった。随分ご無沙汰している、複数のオーディオ仲間からの電話あり。重なることが多いのはどうしてだろうと、いつも不思議に思う。週末だから、というわけでも、ないのである。

 久しく話をしていなかったから、つい長電話になる。オーディオネタのみならず、話題は山のようにあり、会話はどんどん広がる。こういう状況から新しいアイディアや面白いパーツが生まれたりするのだから、これはこれで非常に有意義な時間なのである。GMホーンもADスタビライザーも、こういう中からできあがったアクセサリーである。

 好きなことを語り合える友達の存在は、僕にとって宝のようなものだ。

’05/04/29 (金)

好条件の季節


 昨日今日は異様な陽気だった。初夏というより、これはもう夏である。夜になっても寒くならず、一日中半袖Tシャツで過ごすことができた。1週間前、お祭の頃には寒くてファンヒーターぶんぶん回していたのがウソみたい。

 先月4日の日誌に載せた写真では、1階の気温は10℃だった。今夜調べたれば、ご覧の通り21℃である。2階は26℃もある。ファンヒーターも仕舞う時期が来た、ようだがどうだろうか。

 2ヶ月足らずで+11℃。すっかり季節が変わったわけだ。こうなると、俄然AD再生に元気が出てくるのである。

 エアコンもファンヒーターも運転不要、部屋を暖める手間無しにすぐ聴けて、しかも音が良い。S/N抜群、音のざわつきが減るのは一聴瞭然である。もちろん気温に左右されにくいCDも同様だ。静かなほうが良いに決まっている。インドアなオーディオも、アウトドア的要素も持っているのだった。

 これから5月いっぱいが、年間で最も条件のよい季節である。と思ったら、来月は複数の来客がある予定。システムの良し悪しは別にして、好条件で聴いていただけるのは嬉しいことである。

 業務も超多忙になる来月だが「忙中閑有り」で、仲間と一緒にオーディオを楽しめればよいと思う。実は、ナカナカに強力なメンバーが、集まるのである。ちょっと怖いような気もするわけだが。

 また、あらためて報告したい。

’05/04/28 (木)

前兆

 酷い事故である。JR福知山線と言えば、京都府北部に住する人間にとっては非常に縁が深い。大阪方面からこちらへのお客様は、まさにこの路線を走る列車でお出でになるのである。ご閲覧いただいている方の中にも、そう言えば乗ったなと、覚えのある方もいらっしゃるだろう。そう、あの路線です。

 昔はローカル中のローカル路線だった。単線をディーゼルカーがおおらかに走るような。それが近年、大阪―兵庫県三田市間が複線電化され、高速電車が走るようになったのだった。山間地方都市だった三田市はたちまち大阪通勤圏へと変身。便利になったがおおらかさは失われた。

 列車事故と聞いて僕が思い出すのは、ある青年のエピソードだ。19世紀、チェコでの話である。

 毎日汽車に乗って学校(仕事だったかな?)へ通っていた彼は、いつも列車の走行音にリズムを感じながら、それにいろんなメロディーをのせて通学(勤?)時間を楽しんでいた。ある日彼は、その音がいつもとどこか違うことに気がつく。最初は気の所為かとも思ったが、聴いているうち違いがどんどん大きくなる。これはおかしいと確信した彼は、車掌にこう告げるのだった。

 「車輪が叩くレールの音がいつもと違います。何かしらいやな予感がするので、列車を止めて調べてください」

 そう聞いた車掌もレールの音に耳を傾けるが、何も変わったことはない。ガタンゴトンといつもの音である。一乗客の戯言と軽くあしらおうとするが、この青年なかなか納得しない。ので、仕方なし列車を止めて(昔のことでのんびりしてたのかしらん)レールを調べるが異常はない。何もないよと出発しようとしたところへ、線路の向こうから男が走ってきて告げた知らせは驚くべきものだった。

 「この先の鉄橋が、崩落している。このまま走れば大変なことになるところだった。よくぞここで止まってくれた。すでに知らせがあったのか」

 わずかな音の違いを鋭く察知して鉄橋崩落を予見した青年。彼の名を、アントン・ドヴォルザークといった。

 中学生時代に聞いていた、NHK教育ラジオの「続・基礎英語」という番組のテキストに載っていた話である。今や記憶が薄れてしまい、細部には誤りや思い違いがあると思う。お許しいただきたいのである。

 今回の事故は、レールや車輪に異常があってのことではないと聞く。しかし、これほどの大事故になったのだから、何らかの前兆があったに違いない。乗客の中には異変を感じた人がいたようだ。運転士は、車掌は、何も感じなかったのか。オーバーランの遅れを取り戻すのみに、必死だったのか。

 107名の生命が、瞬時にして絶たれてしまった。心からご冥福をお祈りしたい。

’05/04/27 (水)

頑迷


 毎度おなじみのT-300Aである。このアングルでの写真はもう何回載せたことか。マンネリを通り越し、今や偉大なるワンパターンとなりつつある。

 そんなことはどうでもよろしい。

 このトゥイーターを使い始めたのは'03年9月21日。1年7ヶ月が過ぎたわけだ。随分とエージングが進み、当初少なからずあったトンガリ感、刺激臭はすっかり消え失せ、高い解像度に艶と深みが加わった。今やこれ無しには箱船サウンドは語れない。

 ではこれでエージング完了かと言えばそうでもないようである。現在も変化し続けている。しばらく聴かなかったソフトを鳴らしてみれば、それは一聴瞭然である。ハイ上がりで激辛で、とても聴くに堪えないと感じたものが、非常にスムースに鳴ったりする。歪みだらけでジャリジャリしていたソフトが、随分ときれいに聴けたりもする。

 高域に変化が出れば、その影響は低域にまで及ぶ、ことは昔からの常識である。最近になってローの分解能がさらに上がったように感じるのも、おそらくはT-300A効果だろう。

 フルレンジをスルーで鳴らし、その上をCだけでトゥイーターに繋ぐやり方は、すでに古典的手法となった。優秀なデバイディングネットワークが比較的安価で手に入り、高効率で音のよいディジタルアンプが存在する現在、マルチチャンネルドライブも充分選択肢の一つになり得るわけだ。

 そうではあっても僕は、フルレンジ+トゥイーターにこだわりたい。アンプ直結フルレンジの音が好きなのである。有体に言えば、混変調歪みは多くオーバーラップで滲んだりもする。F特もデコボコし易い。それを承知で、僕は今後もこのやり方を変えることはないと思う。頑迷なのである。

 馬力のある音が、好きですから。

’05/04/26 (火)

習慣


 オーディオ機器やソフト、書籍などには購入年月を必ず書き付けるのが僕のクセである。中学2年生の時に買った初めてのLPレコードに書いて(1976年2月7日)から、ずっと続けている。30年近くになるわけだ。

 時々うっかりして書き忘れる。数年経ってから「いつ買ったっけ」と思って書き落としを見つけたりすると、もう悔しくて悔しくて。ヒッシで思い出そうとする。いささか病的でもあると、思うが仕方がない。習慣とは恐ろしいものなのである。

 ずっと手書きしてきたのだが、数年前から写真の機械を使うようになった。CASIOのNAME LANDである。テープライターと言うのだろうか。6mm〜20mm幅のテープに印字する機械である。ンなこたァよくご存知ですよねえ。コレ、なかなか便利である。

 この手の機械で最メジャーと言えば、やはり「テプラ」だろう。文房具店でも、テプラ用のテープはどこでもあるがNAME LAND用のものはないところが多い。マイナーなのである。

 自分で買うなら文句なくテプラだろう。実はコレ、何かの記念にもらったものなのである。何だったか忘れた。そのまま打っ遣っておくのももったいない、ので、年月書き入れ専用に使い始めたというわけである。

 例えば今日、Aという店でレコードを買ったなら「'05/04/26 A店」と6mmテープに打ち、ジャケットの内側に貼っておく。オーディオ機器なら同じように打ってリヤパネルに貼る。自作スピーカーなら完成年月日を打って貼る。CDにも貼る。アクセサリーの類にも貼る。本にも貼る。何でも貼る。

 それがどうした、と言われたら、別にどうもしないのである。何にもならんと思う。くだらない個人的習慣である。ただ、こういうことをやっているとフシギなことに気がつくこともある。

 とあるレコード、或いはCDを聴きたくなってヒョイと購入年月を見たら、ぴったり1年前、2年前だった、というようなことがよくあるのだった。最初は単なる偶然だと、思ったがそれにしては頻度が高い。その季節になると決まった音楽を聴きたくなるのか、無意識の意識で時間経過を認識しているのか。ちょっと面白いのである。

 ところでこのNAME LAND。これにももらった年月を印字して裏に貼ったはずだ。何の記念だったかも書いたかな。裏返してみる。

 「'99/04/25 ○○開店記念」と印字したテープが貼ってあった。

’05/04/25 (月)

言いわけ

 昨日は無断休載してしまい、申しわけございませんでした。

 業務と来客と祭とがいっぺんに重なり(昨年もこんなことゆってました)、夜は完全に電池切れを起してしまった。どうやら僕は、今頃を境目に夜型から朝方へ移行するようである。過去の日誌を見てもこの時期にしばしば夜の電池切れをやっている。今日も日帰りで遠方業務あり。すでにフニャフニャである。

 祭が終われば初夏である。僕が最も好きで、最も思い出深い5月がやってくる。じっくりと味わいたい、と思えども、今年の5月は異様に多忙な月になる予定である。またしばらく、本格的なオーディオはオアズケ状態になりそうな気配だ。

 SネッシーIII、早くなんとかしなきゃイケナイんだけどなあ。

’05/04/23 (土)

有終の美


 ソメイヨシノが散り、八重桜が咲き始めれば、やってくるのは当地の祭である。屋台と呼ばれる小型の山車が、子供たちに引かれて街を練り歩き、神楽が家々を巡り歩く。

 愚息2号が神楽を舞うのは昨年が最後の予定だった。しかし、新しく入る子供たちの頭数は揃ったものの、年齢の低い子達が多い。その指導の意味もあって、もう1回だけ舞うことになったらしい。来年は中学生になるから、今年こそ本当の最後である。

 3年生で神楽組に入れてもらい、今年で4年目である。すっかりベテランさんになった。舞いそのものはもちろんだが、神楽を通して他の大人たちと交流することで、彼は多くのことを学んだようでもある。成人したのちヨソから来た僕よりも、よほど村のことに詳しくなったかもしれない。これはとても良いことである。

 明日は神社境内での奉納舞である。有終の美を、飾ってくれい。

’05/04/22 (金)

数ヶ月ぶりのピカピカ


 久しぶりに登場の、わが愛車CYPHAである。寒さに負けて一冬、まったく洗車できずに越してしまった。これはあまり、というよりまったく良くないことである。特にこちらでは冬の間、路面には融雪剤が散布されることが多く、この薬品は車にとってヒジョーに悪い影響があるのだ。

 ずっと気にしていながら、ようやく洗車することができた。何ヶ月ぶりだろうか。汚れがこびりつき、さぞ大変だろうと思ったらそうでもない。冬前にかけたワックスのおかげである。

 2年前に買ったこのワックス。一味違う艶が出るのはもちろんだが、長期間使ってみれば効果はそれだけではないことがわかってきた。

 ワックス効果が異様に長持ちするのである。一般的な市販品によく見る「ナントカコート○ヶ月」なんてものは鎧袖一触。問題にならない。取説には「一般的な長期間保持タイプのワックスに比べると、効果は劣ります」とある。控えめというか、過小評価していると言うか。

 メンドウなので今日は洗車だけにするつもりが、日が暮れかけてからワックスもかけてしまった。強い陽射しの下では酷くムラになるとか、拭き取りにくいとか、なかなか気難しいわけだが、仕上がりの美しさと効果の永さを考えると、多少手間でも使いたくなるのだった。

 一般的な相場からすれば、非常に高価である。しかし、結果的にランニングコストは低いと思う。1回(塗装面すべて)に使う分量は僅かである。2年経って3割減ったくらいだ。少なくともあと4〜5年は使えるだろう。

 数ヶ月ぶりにCYPHAはツルツルピカピカになった。写真で見る限り、新車同様である。やっぱり気持ちヨイ。

 これからの季節、せいぜい洗ってワックスしようね、

’05/04/21 (木)

コレはなかなか


 レコパック完了、早速聴いてみるのである。

 心配した盤質だが、まったく問題なかった。レコパックの皮をペロッと剥せば、まさに脱皮よろしく美しい盤面出現。これなら「M−」も偽り無しだ。

 内容は、明るくライトな取っ付きやすいジャズである。ジャズがいささかニガテな僕でも気持ちよく聴ける。

 これはなかなかヨイ。ちょっとドライでとんがった感じもあるが、歪みが少なくきれいな音である。主役はジャック・シェルドンのトランペット、のはずが、脇役であるサックス(奏者不詳)のほうが音が良い。切れが良く艶もある。定位は明確だが、音場感には乏しい。楽器それぞれにマイクを配した録音なのだろうか。かなりオンマイクのように聴こえる。人工的なエコーが付加してあるようだが、わりと自然で厭味は少ない。

 シンバルは繊細で粒が立っていて快く耳に響く。生音に比べて多少きれい過ぎる感じもあるが、これはこれで良いと思った。グシャグシャに潰れたシンバルよりずっといい。スネアのスナッピー音も細かく出て、これまた快感。

 惜しいのは低域である。締まりが足らない。かなり下の帯域までしっかり入っているし量感はたっぷりだが、やや不明瞭。ボンつきが気になる。尤も、僕のシステムの所為である可能性も捨て切れない。

 総合的には良いレコードだと思う。同じM&Kでも、D2Dのような凄みや鮮度の高さには及ばないものの、これよりもっとヒドいレコードは掃いて捨てるほどある。D2D"だから"良い、とは限らないのである。

 こうなるとレギュラー盤も聴いてみたくなるのだった。UHQRプレスの効果とは、どれほどのものなのか。或いは、さほどの違いはなく、やはりおおもとの録音が優秀だからこその結果か。1,000円そこそこで買えるレコードだから、次回は注文してみようかしらん。

 と書いて今気がついた。最初っから一緒に注文すればよかったのだった。

’05/04/20 (水)

好奇心にマケた


 11日に書いたAD、キャッチコピーと好奇心に負けて、買ってしまいました。「稀少中の稀少」は凄いと思う。けれど、というよりだからこそか、状態はあまり良くない。純然たる中古盤である。白いはずのジャケットは薄汚れて灰色、折り目は破れているしクツで踏んだような痕もある。「M−」(ミントマイナス:新品同様よりちょっと落ちる)という盤質評価だが、ホントに大丈夫なんだろうか。

 盤面の埃は多いほうである。猫か犬の毛と思われるものもくっついている。これらはレコパックすれば問題ない。それより怖いのは傷、なわけだが、見た目上重大なトラブルを惹起するようなものは無さそうだ。M−にはもう一息かな。実際に聴いてみないとワカランのである。

 写真はセンターレーベルである。ご覧の通りサンプル盤で愛想も懸想もない。日本JVCプレス、確かに厚く重くフラットでUHQRの看板に偽りはない。だろう。いつ頃のプレスなのかまったくわからないが、原盤の(P)(C)が'81年だから、少なくともそれ以降であることは確かである。

 まずはレコパック、それからゆっくり聴いてみたい。

’05/04/19 (火)

春風吹けば


 2日間のお休みをいただきました。

 その間何をしていたかといえば、毎年恒例の托鉢、である。衣腰上げ脚半に草鞋網代笠という、伝統的托鉢スタイルで、町内を練り歩くわけである。時代劇みたいですな。

 行事が恒例なら、脚のぶっ壊れ方もまた恒例。筋肉痛に加え、新しい草鞋に擦れて噛まれてもうズタズタである。普段如何に便利安全な生活に甘んじているか、こういう時思い知るのである。

 体力的にはつらいものがあるけれど、終わってみれば達成感もある。2日間とも非常な好天に恵まれ、無事に完遂できた。春風と托鉢。ありがたいことである。

 というわけで、すでにスイッチ切れかかってます。明日も早くからの出張あり、今夜はオーディオっ気なしに、終わるのである。

 また明日。

’05/04/16 (土)

小さくなって


 「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」

 小学生の頃、学校の図書室にあった「坊っちゃん」を読んで以来の夏目漱石ファンである。それは小学生向きに多少なりともリライトされたものだった。後に一般向けの文庫版を読んだが、やはりこちらのほうが質は高い。当たり前である。夏目の作品中最も好きな小説で、暗記するほど繰り返し読んだ。

 僕がいちばん好きなシーンは第一章の終り。四国へ教師として赴任する坊っちゃんと、下女(今は差別語である)の清との別れの段である。

 「車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て『もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう』と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた」

 なんとも、いい。清の「随分ご機嫌よう」という、美しくも今や失われてしまった別れの言葉。万感の思いがこもっている。「何だか大変小さく見えた」。坊っちゃんの言葉もいい。このくだりは何度読んでも、もう少しで泣くところまで行ってしまうのである。

 「坊っちゃん」は、ユーモア小説として語られることが多いようだが、僕はその説に違和感を覚える。確かに表現はユーモア的で軽妙洒脱である。しかしよく読み込めば、そこには時代へ対する怒りや悲しみ、どうすることもできない無力感のようなものを感じ取ることができる。何の解決にもならないことを知りながら、赤シャツと野だいこをブン撲ってしまうやるせなさ。哀しい小説なのである。

 漱石ファンの僕としては、1985年から1997年まで漫画アクション(双葉社)に不定期連載された「坊っちゃんの時代」五部作は、見逃すことのできない漫画だった。写真はその第五部「不機嫌亭漱石」の単行本(関川夏央・谷口ジロー著 1997年双葉社刊 ISBN4-575-93523-9)である。現在は五部とも安価な文庫版がある。

 第一部「坊っちゃんの時代」で漱石、第二部「秋の舞姫」で森鴎外、第三部「かの蒼空に」で石川啄木、第四部「明治流星雨」で幸徳秋水、第五部で再び漱石を描く。当時の文人を通して明治時代末期を描くという作品だ。どれも非常に面白く、傑作である。やはり僕には第一部と五部が特に面白かった。マンガにアレルギーがなければ、是非ともご一読をお薦めしたい本である。

 「好きなことだけして、小さくなって、懐手して暮らせんものか」

 漱石最晩年の言である。

’05/04/15 (金)

T.O.


 スピッツを書いたら、これも書かねばならんのである。「奥田民生 / 29」(日SME SRCL-3134)。(P)(C)1994、1995。全12トラック48分54秒。コカ・コーラのCMに使われていた「息子」(トラック3)、TVの歌番組で聴いた「愛のために」(トラック10)が特に気に入って買ったタイトルである。'95年6月9日購入。10年前である。

 他の曲も、奥田らしくてヒジョーによろしい。トラック9「BEEF」、「ビールを飲んでマッサージしちゃうモー」には笑ってしまいました。

 楽曲はもちろんだが、演奏もシンプル&ストレート、小細工無しの真向勝負で潔い。今時あまり聴けなくなったタイプのロックである。僕は大好きです。バッキングメンバーは、国内ミュージシャンと海外(アメリカ)ミュージシャンを使い分けているようだ。どちらも上手いが、奥田にマッチングが良いのは国内組のような気がする。粗削りというかヘタウマというかヤケクソというか。海外組は、遠慮もあってかこじんまりとまとまり過ぎている印象だ。

 加えて、立派なのが録音である。Fレンジはほどほどだが、中低域が厚く太く、充実しているのがヒジョーによい。押し出しが良くソリッドでパワフルな中〜低域である。瞬発力もある。声も明瞭で通りがよい。高域の伸びは言わずもがな、だが、昨日の「正夢」に比べれば歪みはぐんと少なく切れも透明感もある。かなりの大音量でも苦しまずに聴ける。僕が言うのだからマチガイナイ。(ほんとか?)

 10年前に聴いた時は、何だか音がお団子状態であまりパッとしない印象だった、のが、今聴くとなかなかイケる。多少なりとも進化したシステムの恩恵か。システムの質向上に伴って音が良くなる。うむ、侮れないCDなのである。

 骨太ロックが聴けなくなったとお嘆きの貴兄に、お薦めしたいタイトルである。

’05/04/14 (木)

スピッツ


 ユニコーンの時代から、僕は奥田民生のファンである。彼は1965年生まれ、ちゅうことは僕より4歳若いわけで、わずかながら世代にズレがある。にもかかわらず、彼の書く曲はどれもノスタルジックで、何かしら懐かしい匂いを感じさせるものが多い。初めて聴くはずなのに、どこかで一度は聴いたことがあるような。

 ユニコーンを解散したあと発表したソロ・アルバム「29」は、大ヒットした。その頃はCMソングなどでしばしば耳にしたものだが、最近はあまり聞かなくなった。

 ぼんやりとTVを見ていたら、聴いたことのあるような曲がCMに使われている。どことなくユニコーンのような、奥田のような、しかしそうではない。最近目立って色気づいてきた愚息1号に「これ誰の曲?」と訊いたら即答である。「スピッツの『正夢』。そんなんジョーシキやん」と。ナルホド、ジョーシキか。オイラもおっさんに、成り下がったものである。

 愚息に頼んでCDを買ってきてもらった。レンタルお下がりの中古シングルCDである。315円。高いのか安いのかよくワカラン。

 聴いてみる。こういうことを言うとリアルハードスピッツファンにお叱りを受けるかもしれないが、何となくノンビリとして、明るいけれども憂いを含んだ曲風は、やはり奥田に通じるものがあると感じた。つまりそれは、僕の好きな曲風なのである。

 デビューは1991年。歴史のあるベテラングループである。メンバーは、全員1967年生まれで、奥田よりさらに若い。といっても、奥田40歳、スピッツ38歳と、充分中年おじさんダ。僕に至っては44歳。いやになります。が、皆元気である。スピッツ。今後はちょっとヒイキにしてみようかしらん。

 しかし録音は、いささかキビシイ。

’05/04/13 (水)

くずてつの優雅な一日


 午前中降っていた冷たい雨も上がり、その後は終日境内の草ムシリ。春になって動き出すのはヒトやムシだけではないわけである。放っておいたらあっという間に原野になってしまうのだった。花は満開、ウグイスさえずり、実に良い気分である。浮世離れしてますなあ。

 夕方までムシって、やれやれと晩ゴハンに缶ビールをチョビッと飲んだら、スイッチ切れました。ある意味、如何にも優雅な暮らしを、していると思う。

 来週は、いささか忙しくなるし、ちょうどいい加減かしら。

’05/04/12 (火)

満開2005


 昨年より10日遅れて、満開2005である。いつも昼間の桜を載せてきたが、今年は夜桜にしてみた。が、残念ながら写真のウデがついて行かず、何だかイマイチである。企画倒れだな。

 6日から10日の日曜日までは毎日20℃超の初夏、その所為で一気に咲き始めたところが、昨日から気温一ケタ台に急転。オマケに冷たい雨付きである。桜もどうしてよいのかワカランだろうに、しかし一旦咲き始めたものを閉じるわけにも行かず。寒い中での満開である。

 過去4年間、非常に花の付きが良く、美しい光景を楽しめたわけだが、今年はどうしたことかグワイが良くない。最も若い桜がいちばん勢いがない。老いの所為だけでもないらしい。生えている地面の影響か。コヤシをやらんと遺憾かなあ。

 京都市内の桜名所、清水寺境内では、定期的にソメイヨシノの若木を植えていると聞いた。やはりきちんと維持管理しているのである。極小規模ながら村の桜名所になっているウチは、それに比べると随分なグウタラをカマしている。

 数十年後を鑑みて、僕も今から植えるか。

’05/04/11 (月)

The RAREST of the RARE


 ショップページには「2005年1月に発売される」と案内してあるにもかかわらず、未だにまったくリリースされる気配のないADがある。それが出たら他のタイトルもまとめて注文しようと待っているうちに、4月になっちゃったのである。いつ出るんでしょーか。こんなことはよくあることなのだが。

 しばらくソフトを仕入れてないなあと、思っていたところへショップから新入荷の知らせが届いた。以前、M&Kの「フラメンコ・フィーバー」が出たところである。

 覗いてみると、M&KのカタログにおもしろそうなADがあった。「JACK SHELDON / PLAYIN' IT STRAIGHT」(米M&K REALTIME RT-303)である。D2Dで有名なM&K、だがこのタイトルはディジタル・レコーディングシリーズのうちの1枚である。その所為かどうか、D2Dタイトルに比べると随分安く買える。

 ところが今回のブツは、とんでもない値がついている。相場を遥かにぶっ飛ばすような値である。もちろん内容に変わりはない。ナンデこんなに高いのか。

 上の写真の如くである。UHQRテストプレス盤なのだった。ご覧の通り、サンプル盤非売品である。ジャケットは白、解説も何もない。いわゆる稀少盤だ。キャッチコピーにはこうある。「The RAREST of the RARE ! I've never even seen one offered for sale !」(稀少中の稀少! 売りに出されたのを見たこともない!)。ナカナカに奮っているのである。

 僕の手持ちにRT-303は、ない。これまでは何となく購買意欲が湧かず、と言ってまったく無視するでもなく、比較的買い易いタイトルなので、いつかまたね、くらいに考えていたわけだが。

 今回はどーしよーかなー。高いしなー。でも「The RAREST of the RARE !」だしなー。UHQRだしなー。逃したら後悔しそうだしなー。こーゆーの、1枚くらい持っておきたいしなー。

 録音は、それほどでもないそうだが。

’05/04/10 (日)

それでこそオーディオ


 時が経つのは本当に速い。試聴機を借り、第一音を聴いただけで後先考えず導入してしまってから、もう1年である。eminentはその後、すっかり箱船メインカートリッジになってしまった。稼働率はきわめて高い。導入は大正解である。

 当初から恐ろしいほどの低歪み、高分解能、しかも無機質さ冷たさは皆無、艶やかで豊潤、という音に驚いたわけだが、1年経ってますます快調。繊細感がぐんと増し、細かい音の再現能力はさらに向上したと思う。発電効率の高さゆえか、音に厚みと生気がありパワフルである。

 もちろん良いことばかりでもない。音が分厚いのはたいへん結構、しかしソースによってはスピード感が不足して聴こえることもある。尤も、これはカートリッジの所為ばかりとも言えず、システムが抱える根本的な欠点なのかもしれない。

 昨日書いたIKEDA9シリーズにしても、このeminentにしても、極めて個性が強く自己主張が明確である。趣味性が高い、とも言えるわけだ。ここがAD再生最大の魅力だろうと思う。

 オーディオという趣味は、優劣を決めて楽しむものではない。自分が聴きたい音楽を、自分の好きな音で聴くことを求める趣味である。自分がOKと判断したものを、他の人がNGと判断することもままあるわけだ。まったく方向性の違うものが、同じ価値を持って同時に存在する。

 すべての人が同じものを絶賛し、他方を排斥する。これは趣味ではなく、何か別のものである。僕はeminentが好きで、またある友達はIKEDA9シリーズが好きで、また別の友人はMC-L1000が第一と言う。

 それでこそオーディオだろう。

’05/04/09 (土)

開花の頃は


 待ちに待った開花である。雲一つない青空のもと、昨年より11日遅れて咲き始めた。大好きな風景が、今年も見られて大満足。特にこの冬は何だかフン切れが悪かっただけに、明るい気持ちになれるのである。

 そういえばちょうど昨年の今日、僕はeminentを買ったのだった。'04年4月の日誌はeminentの話題ばっかりである。もう早1年経ったのである。今やすっかり箱船メインカートリッジに、なってしまった。

 その音に慣れ親しんだ耳で、友達からのCD-Rを聴くわけである。

 最も衝撃を受けたのは、IKEDA9スプレモである。この音は、どのように表現すればよいのか。僕はこんな音のカートリッジを聴くのは、初めてだ。極めて透明、極めて高分解能。氷の刃のような鋭さと脆さを併せ持った、如何にも独特孤高の音である。

 特に高域の解像度は正気の沙汰ではない。何もかもすべて見通してしまうような怖さがある。と同時に、歪む寸前ギリギリのところで踏み止まったか止まらんかったか、片足はすでに落っこちているような危なさもある。トランジェント最高、スクラッチノイズはパチッとはじけ飛び散乱する。ある意味非常にエキセントリックなカートリッジなのである。

 音場は広く、定位も良い。が、ソフトによっては左右の位相がズレたように聴こえる部分もあり。おそらく各種バランスのスイートスポットがものすごく狭いのだろうと想像する。僅かな狂いも許されないという感じ。音からして恐ろしく敏感に反応しそうである。

 惜しいのは低域だ。いささか、弱い。量的にも出にくいし、質としてもソリッドな低域は望めないようである。普段、専らeminentを聴いている者の耳には、それがことさら顕著に感じられるのだった。

 中高域の切れと分解能にノックアウトされる人、低域の弱さは致命的だと断ずる人。評価は真っ二つに分かれそうな音だ。僕はといえば、ある種の魅力を感じながら、ちょっと困ったな、という印象である。音以前、使いこなしの段階で悶死しそうだ。結局使い切れないまま、途中で投げてしまいそうな気もする。いずれにしても貴重な体験だった。こういう音だったのね。

 だからこそ、オーディオは、面白いのである。

’05/04/08 (金)

ショック!


 友達から1枚のCD-Rが届いた。これはとても興味深く、しかも貴重なものである。複数のMCカートリッジで同じADを再生し、それをCD-Rに焼いてある。さぞ手間のかかったことだろうと思う。脱帽。ありがとうございました。

 テクニカART-2000、ビクターMC-L1000など全部で7種類。IKEDA9シリーズも3機種含まれていて、これまでIKEDAの音を聴いたことがない僕にとっては、大いに楽しみなCD-Rなのである。ワクワクしながら早速聴いてみるのである。

 音源はアナログだが媒体はCD-R、つまりディジタルである。A/D、D/A変換による劣化、録音側CD-Rレコーダーのキャラクター、加えて再生側CDプレーヤーのキャラクターなど、多くの要素がからんでくるから、この音がそのまま各カートリッジの本質、というには気の毒である。しかし、それを差し引いても、カートリッジによる音の違いは、非常によくわかる。

 一通り聴いて、僕はいささかカルチャーショックを受けている。ナルホド、こういう音のするカートリッジも、あるのだなあ、と。

 詳しい感想は、また明日。いや、なかなかの衝撃でした。

’05/04/07 (木)

いろはにほへと


 昨日は、日誌を書いている途中、生命のキケンを感じるような恐ろしいネムケに襲われ、なんともいい加減で中途半端(いつもか)な日誌になってしまった。朝起きて読んでみたら、妙なところに句点がついている。完全に寝ボケていたらしい。お恥ずかしいことである。謹んで訂正加筆した。失礼の段、ご容赦ください。


 突然、冬から初夏の陽気へ一足飛びに転じた天候は今日も続き、何だかキショク悪いほどの暖かさ、というより暑さである。今日の気温23℃。舞鶴ではそれ以上で、夏日を記録したと聞いた。二季化ますます顕著。時代も季節も1bitである。

 4日に書いた「今月中旬」という僕の開花予想は大きく外れ、ご覧のとおり、明日には咲いてしまいそうなふうである。3日間の陽気が強烈に効きました。実際、境内で最も低いところにある桜は、今日の夕方に一輪二輪咲いてしまった。アスファルトの道路に近く、おそらく路面からの輻射熱の影響で早く咲くのだろう。

 この時期、毎年同じような写真を載せている。芸がないのである。しかし、過去の写真を見て、思う。多少の早晩はあっても、春が来ると花を咲かせる桜の命の力強さを。そうしてみれば僕は、芸のないことも承知で写真を載せずには居られないのである。また、咲いてくれるなあ、と。

 春が来れば咲いて当たり前。そうだろうか。当たり前が当たり前でなくなる時が、来やしないだろうか。明日も今日と同じ日常が在る保証は、どこにもないのだ。いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ。

 今年も美しい花を見ることができる。これは、とても在り難いこと、なのである。

’05/04/06 (水)

久しぶりにDHK


 写真に撮れば、さほど汚れているようには見えない0506IIとT-300Aである。実は、かなり曇っているのである。前回磨いたのは'04年1月だったから、1年3ヶ月。そろそろ再研磨しなければ遺憾だろう。これが億劫なのである。

 しかしそうも言っておれない。来月末にはまとまった来客予定がある。メンバーはなかなかのツワモノ揃いである。どんなにがんばったって、粛々と現状の音を聴いていただくだけである。が、せめて改善できるところは手を入れておきたい。

 いろいろあるわけだが、先ずはトゥイーターホーンの再研磨から始めましょう。0506のほうはホーンを外して磨くことになる。T-300Aは、前オーナー氏から「ホーンは外さないほうがよい」とアドバイスがあったから、前回と同じく本体そのままイコライザーだけ外して磨く。いずれにしても非常にデリケートな作業になるのである。だから億劫なわけだ。

 0506はともかくも、T-300Aに至ってはメーカーにも振動版アッセンブリーはないと聞く。うっかり突き破ったりしたらワヤである。生来ガサツな僕だから、人百倍注意をはらわねば遺憾のである。

 ともかくも、久しぶりに、DHKだ。

’05/04/05 (火)

初夏の匂い


 今日はとても暖かく、初夏を思わせるような陽気だった。実際、宮崎市では気温26℃を超え、今年初の「夏日」になったと聞いた。昨日は冬、今日は夏。忙しいことである。

 僕がFMfan連載の「長岡鉄男のダイナミックテスト」を毎号欠かさず読み始めたのは比較的遅く、1986年13号掲載分からである。連載開始は1976年1号からだから約10年分、リアルタイムでは読んでいないのである。前身の「体験的製品ガイド」は、何かの拍子に読んだ覚えがある。たぶん兄が買ったFMfanを、たまたま読んだのだろう。ラジカセ(今や死語かね)の記事だったように記憶する。

 '86年13号から'00年13号最終回まで、偶然にもちょうど14年。この間は一度も欠かさずすべての記事を読んだ。最初の3年間ほどは雑誌姿そのまま保存していたが、だんだんかさばって置き場所に困るようになった。ので、'89年ごろからはダイナミックテストのページだけを抜き出し、ご覧のようにファイルに整理することにしたのだった。

 年2回の工作特集、不定期特集なども一緒にファイルしている。中でも'86年21号、長岡先生初の海外旅行特集記事などは貴重である。後にも先にも、先生の背広姿が拝めるのは、この記事だけだろう。なかなかよく似合っている。渋い老紳士然としてダンディーだ。ご本人は窮屈でたまらんかったそうだが。

 工作特集の白眉は、やはり'92年12号のD-101S「スーパースワン」だろう。「創刊26周年特別企画」と題されての記事だった。僕はすでにD-101a「スワンa」を作っていたが、この記事を読んで友達に売り飛ばし、凄い勢いで作り始めたのだった。同じような人は少なくなかったのではないだろうか。

 僕個人にとって絶対に忘れられないのは'97年17号である。「長岡鉄男のオーディオ諸国漫遊記 第1回」。長い間の夢が叶った記事だった。この号だけは、雑誌姿のまま5冊保存してある。うれしかったのである。あれから8年も経ってしまったのだなあ。

 2週間に一度の発売を待ち焦がれ、記事の一言一句を貪るようにして読んだ。機器のテストリポートはもちろんだが、巻頭言がまた面白かった。数ある先生の連載の中で、特に楽しみにしたページであった。

 今、長岡先生は故人となり、FMfanは休刊してしまった。生あるもの必ず滅し、会えるもの必ず別る。無常なるは迅速にして、時、人を待たず。

 このファイルは、単なる資料にはとどまらず。僕から見ればたくさんの思い出が詰まった宝箱みたいなものである。持参して取り上げてくださったソフト、方舟で一緒に聴いた機器、搬入セッティングを手伝った機器、など。その時その時の状景を、僕は記事を読みながら思い出すのである。

 初夏の匂いは、長岡先生の思い出を運んでくる。

’05/04/04 (月)

桜餅の食べ方


 先月20日に載せた桜である。2週間経っても未だこの状態である。かなり大きくなったものの、開花には程遠い感じだ。今日も非常に寒い日で、この調子だと今月中旬過ぎの開花になるかもしれない。どうにもフン切れの悪い冬で、困ってしまうのである。

 今の季節、和菓子屋さんでは桜餅が一押し商品である。僕は大好きで、来客用とカコつけて自分で買って食べたりする。あれはまさしく春の味ですねえ。

 さて皆さん、桜餅を食べる時、本体を包んである桜の葉は、どーしますか。1.そのまま餅と一緒に食べる。2.葉っぱを剥して餅だけ食べる。3.葉っぱは剥すが捨てずにあとで食べる。

 僕は1である。葉っぱも一緒に食べないと気が済まない。塩漬けにしてある葉っぱのしょっぱさと桜の香りが、餅の味を一層引き立てるのだ。葉っぱを剥して食べずに捨てるなんて、僕に言わせりゃもったいない話なのである。

 と、こういうことを友達に言ったら「オマエこそ邪道外道だ」と猛然抗議されてしまった。あの葉っぱは、餅本体に塩味と香りをそこはかとなくつけるためのものである。食する時ンば、ちゃんと葉をはがし、ほのかなる塩味と香りを楽しまねばならん。あんなものをバリバリ食うヤツは下品ヤバンなのであって、桜餅道の風上にも置けねえ、というのが彼のお説である。

 ナルホド。言われてみればそうかも知れん。和菓子というもの、そもそもがほのかな風味が身上であってみれば、塩の強い葉っぱを食べるのは邪道だという説はよくわかる。

 よくわかるが、僕はヤッパリ葉っぱも一緒に食べるのである。この辺は好みなのだから自由にさせてもらうのである。

 多少ヤバンでも外道でも、コントラストのハッキリした味を好む派、上品さにこだわり、そこはかとない味を楽しむ派。何だかオーディオの好みにも通じるものがあって、面白いのである。

 アナタはどっち派か。

’05/04/03 (日)

さよならポープ


 第264代ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が亡くなった。84歳だった。在位27年、それまでは閉鎖的、排他的だったローマ教会を「開かれた教会」へと改革し、他宗教との対話を大切にした、極めて革新的、平和的な法王だった。

 他宗教との対話路線は、日本の伝統仏教教団との交流にも大きな影響を与え、特に禅教団との対話は「東西霊性交流」として今なお続いている。

 僕は1987年8月21日〜9月18日、第3回東西霊性交流に参加した。雲水修行時代のことである。4週間のうち、はじめの2週間をオランダの修道院でカソリック修道士と生活を共にし、あとの2週間をイタリアでヨーロッパ各国の修道士と過ごしたのである。

 それはもう本当に貴重な体験だった。通常、修道生活の中に外部の人間が立ち入ることなど絶対に不可能である。仮にカソリック信者であっても、である。そんな世界に他宗教の、しかも日本の僧が飛び込み、寝食を共にできたのは、これすべて法王ヨハネ・パウロ2世の対話方針があったればこそである。

 法王は、バチカンを訪れた僕ら一行のために謁見の日を設けてくださった。1987年9月9日のことである。

 「この交流を性格づけている相互のこまやかな傾聴と尊敬を通して、宗教間対話は今後一層深いレベルへと達することができましょう。私は、このような出会いが将来も続くことを期待しています」と、心のこもったメッセージと共に、一人一人を親しく握手抱擁で祝福し、記念のロザリオを手渡してくださったのである。当時法王は66歳、優しく穏やかな風貌、しかし確固たる意思を秘めた目の光。柔らかく温かな手の感触は、18年経った今もはっきりと残っている。

 当時の日誌に僕はこう書ている。「お出迎えくださった枢機卿は『これはお互いにとって歴史的会見です』とおっしゃるが、僕個人にとっても歴史的である。ローマ法王と親しく謁見できるなんて、僕の生涯に今後二度とないだろう」。

 ご自分の居室で最期の時を静かに迎えられたという。本当に、二度とお出会いできなくなってしまった。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。

’05/04/02 (土)

完動に感動


 さがしものがあり、箱船の隅っこをガサガサ家捜しいていたら、懐かしい、しかし今も使われることの多い、テクニクスの電子針圧計SH-50P1が出てきた。明るいところへ出るのは何年ぶりだろうか。

 1986年7月購入。針圧測定範囲0.5〜3.0g、W147mm×D52mm×H24mm、重量125g。元箱に入っていたので非常にきれいである。外観は新品同様。ゲイン合わせの基準分銅(1.5g)がわずかに汚れているくらいだ。当時の定価6,000円。箱に貼ってある値札シールは4,500円になっていた。25%引きである。

 ウィンズのALM-01を買って以来、まったく出番がなくなってしまったのである。極めて正確な針圧測定が可能だが、如何せん使いにくい。針受け部が小さなスリバチ状になっていて、そこへピンポイントで針を乗せないと精度が出ないのである。この作業が一苦労。

 カンチレバーが長く、針先位置の確認が容易なタイプのカートリッジならまだよい。しかし例えばMC-L1000のように、ボディの下に針先が隠れてしまうタイプでは、ポイントにヒットさせるのがたいへんな困難になるのである。

 これがとってもキボチ悪いわけだ。メーターの針が1.5gを指していても、本当にそうなんだろうかと疑心暗鬼になる。気になりだすと夜も眠れない。極めてクリティカルな正確さが逆にアダとなったわけである。

 そんなこんなで、ALM-01に後を譲ったのだった。それでも、これが優れた針圧計であることに違いはない。今に至って現役で活躍しているのだから、名機と言ってよいのである。表示メーターが如何にもアナログで、それがまた良い、という人もいる。

 '96年2月にALMを購入するまでの間、10年使ってリタイヤ。今、ほぼ9年ぶりに電池を入れて動作させてみる。購入以来19年経っても完動である。さすがテクニクス、と言うべきか。MC-L1000がほぼリタイヤした今、HELIKONやeminentならこれで充分イケるかもしれない。ALM-01と、どちらが正確か比較してみるのも面白いかな。

 とは言うものの、現役復帰することは、ないと思う。箱船オーディオ博物館で、その栄誉を永く顕彰したいのである。

 お疲れ様。

’05/04/01 (金)

粋なウソは難しい


 インフルエンザにタタられ惨憺たる状況だった3月も、最早終わってしまった。今日から4月、新年度が始まり、本格的な春も始まるのである。

 4月1日といえばエイプリル・フール。子供の頃は「今日はウソをついていい日だ」と、他愛もないウソのつきっこをして遊んだ。そこで、今日の日誌はちょっとシャレたウソで皆さんをあっと言わせてやろうと、思ったわけだが、あまり頭の回転が良くない僕にそんなことができるはずもない。3秒考えてとりやめ。

 他になんぞ「ウソ」に係わるネタはないものかと、思いついたのが今日のソフトである。「QUEEN / 戦慄の王女」(日 東芝EMI TOCP-8271)。'94年に発売された、ディジタル・リマスターCDである。

 僕と同世代の方なら、おそらく良くご存知のタイトルだと思う。'76年に「ボヘミアン・ラプソディー」で一躍有名になったロックバンド、QUEENのデビューアルバムである。初めての入手はもちろんADで、'76年3月6日に買っている。当時中3で14歳。もう29年も経ったなんて。

 このCD、ウソツキに何の関係があるのか。トラック5(ADではB-1)に「LIAR」という曲が入っているのである。アルバムの中では最も長く(6分26秒)、最もドラマチック(大仰、とも言う)な曲である。僕はこれが大好きで、高校生に至って悪友とQUEENのコピーバンドを組み、ヒッシになってコピーしたのは楽しい思い出である。

 確かに「LIAR」は「うそつき」の意だが、かなり強い意味でもあるという。英和辞典にも「特に常習的なうそつき。【You're a liar.】という表現は、強い意味になることが多いので軽い気持ちで使ってはならない」と注意書きされている。

 エイプリル・フールで一発カマすのはいいけれど、「You're a liar ! 」なんて罵倒されるようではシャレにもならん。野暮の極みである。

 やはり粋なウソは、なかなかに難しい。