箱船航海日誌 2004年12月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’04/12/31 (金)

回顧と御礼


 2004年も今日で終りである。疾風怒濤、366日は矢のように過ぎ去ってしまった。オーディオの回顧は29日にやってしまったので、今日は拙webページの一年をふりかえってみたい。

 村の古老曰く「古来、申年は荒れると言われておる」。その通りになった感が強い。台風地震、最後は超巨大津波で幕を閉じる2004年である。拙webページや如何に。

 「毎日更新」と看板を上げている航海日誌だが、今年は15回も休んでしまったのである。過去最高だった2003年は14回だったから、不名誉記録更新である。特に7、8月はお寒い状況だった。2ヶ月で6回休み、そのうち3回が無断休載である。どんな言いわけも通らない。看板に偽りあり。恥じ入るべきである。

 6月中旬には、BBS全ての記事がぶっ飛んでしまうというアクシデントもあった。不可抗力と言えばそうかもしれない。しかし、こまめにバックアップを取っておかなかった僕のミスだ。申しわけなく、残念なことであった。

 他のページは、相変わらずまともな更新もできず、ほったらかしである。考えてみれば、まとめて報告できるような活動も、大ネタもなかったわけだから当然である。良く言えば平穏無事、実情は停滞期とも言える。寒いのである。

 このような恥ずべき状況でありながら、年間アクセス数は200,000件超を記録した。これまた新記録である。1日あたり540件強のご閲覧をいただいたことになる。恐ろしい数字だと、思う。心から深々の御礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました。

 毎日書くことは、苦しくもあり。しかし、個人的にはそれも含めて楽しんでいる。根本的にそうでなければ、さすがに続かないと思うのである。如何せん一人でやっていることである。誤認、思い違い、恣意的な決め付けが多々あることだろうし、或いは僕の意図とは違う方向(時には正反対)に伝わってしまったこともあると思われる。

 送り手は一人、受け手は多数。オマケに送り手の文章力が極めて低いとくれば、誤解や取り違えは必至である。よくよく自覚しているつもりではある。だからこそ、不快なネタはできるだけ避けるようにしている、つもり。あとは、僕の能力の問題である。底の浅いバケツには、たくさんの水は入りません。どうかご容赦願いたいのである。

 いつもの如く言いわけがましいことを書いている。ともあれ、ご閲覧いただいた皆さんに再度御礼を申し上げるのである。この一年、ありがとうございました。来年もまた、何卒よろしくお願い致します。

 2005年、皆さんにとって良き年となりますことを、心からお祈り申し上げます。

’04/12/30 (木)

プリンタ不調


 お目にかけるのもためらわれるような、古代プリンタである。エプソンPM-2200C。ご存知の方は多いだろう。PCと同時に導入したものである。もう4年半以上使っていることになるわけだ。物持ちがよいと言うか、新製品にウトいと言うか。

 これで写真を印刷することはほとんどなく、専ら文書ファイルや通販ページを記録に残すくらいのことである。その程度ならまったく問題なし。故障さえなければ、まだまだ使うつもりでいる。

 普段はそんなに使わない。それが今の時期、急激に使用頻度が上がるのだった。たくさんの配布物を作らねばならないからである。特に今日は朝から晩まで動きっぱなし、ご老体は大丈夫かと心配していたところが。

 何だか異音が出始めたのである。キコキコいう。今までに聴いたことのない音だ。どこから出ているのかとフタを開けてみる。見たってわかるワケもない。が、印刷ヘッドが折り返す時に音を発しているようだ。ベルトが滑って軋んでいるような音。う〜ん、気色ワルイ。

 異音は出るが今のところ印刷には差し支えなく、ともかくは使えそうである。頼むからせめてもう一日だけちゃんと動いてクレ。しかし、もう寿命が近いのかしらん。そういえば最近、インクノズルの目詰まりがしばしば起るし、正体不明の汚れが出たりもする。こりゃ遺憾かな。

 新年になることだし、フンパツして買い替えるべきかもしれない。しかし問題あり。OSが未だにWindows98SEなのである。今時これに対応する機種など存在するのか。なかったらPCそのものを新調しなければ遺憾。こうなると途端に億劫になってしまうのだった。

 オーディオでは、良いものを永く使うのもケッコウなことである。僕のバヤイは先立つものがナイだけのことなのだが。PCに関しては定期的に、しかも比較的短い間隔で新調したほうがよいらしい。ヴィンテージPCなんか、あり得ないのである。

 うーむ、如何にも億劫である。

’04/12/29 (水)

そこにあるのは友


 2005年まであと3日になった。やっぱり今年も瞬く間に過ぎ去ってしまったのである。歳をとった証左である。

 今年1月1日の日誌を読んでみる。「ソフトの充実に力を入れたい」と書いてあるのだった。さて、それが実現できた1年だったのだろうか。

 大きなことは決して言えないけれど、まずまずだったのではないかと、思う。友達からの協力に依るところも大きかった。内訳はADに偏った感が強い。SACDはあまり増やせなかったのである。ADにはそそられるタイトルのリリースが多かった反面、SACDにそれが少なかったことが大きな原因である。あとは個人的プライオリティの問題。

 両者で迷ったときは、どうしてもADを選んでしまうのである。音の良さ、手にした時の実在感、持つことの喜び。どの点でも僕の中ではADの勝ちである。これではADに偏るのも当然だ。今後も変わらないだろう。

 ハードのほうは、比較的落ち着いたものだった。4月にeminentを導入しただけ。といってもケッコウな高級カートリッジである。ひょっとすると分不相応だったかもしれない。今思えば、親しい友達からの力強い支援があってこそ実現したものだった。深々の感謝を表したい。結果は大成功である。実に素晴らしいカートリッジだ。

 もう一点、カスタムラックの導入である。一般的にラックはアクセサリーにジャンル分けされるようだが、これは一味違う。自体が音を出すわけではないものの、立派な機器といって良いほどのものである。

 このラック導入がきっかけとなって機器レイアウトを変更、ADプレーヤーを増設できた。超強力ラックとケーブルレイアウト整理の相乗効果で、音はヒジョーに良くなったのである。当初から予定していたわけではないラック新調が、実は今年の目玉だった。これまた得難いご縁とご厚意の為せる業であった。深く感謝するのである。

 この他にも、表立っては目立たないパーツの変更などもあり。顧みて思えば、やはり今年も多くの友達に助けられた年だった。僕独りでは何もできなかったに違いない。持つべきものは、友。

 みんなと仲良くオーディオできることが、最もの喜びなのである。

’04/12/28 (火)

2階へ翔ぶ


 1階のモノ減らしに挑んでいて気になったのが、このレアESである。モアには及ばないものの、16cm1発BHとしてはかなりの大型である。存在感抜群。ちゅうことはつまり、スペースファクターは良くないわけだ。

 このまま1階に置いておくのも、どうなのだろうか。レアESから見れば、滅多に鳴らさないからもったいない。Sネッシーから見れば、鳴らさないSPが近所に同居しているのは不利である。どうやらデメリットのほうが大きいようだ。と判断して2階へ移動させることにする。D-55、それにSスワンも2階にあることだし、10、16、20cmESユニットBH揃い踏み。なかなかヨロシイんじゃないでしょーか。D-55がモアなら、さらにフラミンゴ(ユニットは、ある)もあればもっと良い。そこまではよーやりませんな。

 2階にあれば試聴も気軽にしてもらえる。1階ではメインシステムに繋いでのことになるため、接続変更がメンドウ、というよりもあまりやりたくなかったのである。夜間の大音量再生は絶対不可だが、お昼間なら多少は大丈夫。遮音が悪い分だけクセが少ないということもある。但し、再生系は古色蒼然化石的機器、共振の巣であるドラムセットもあったりして、好条件とは言い難いのである。まあこれは仕方ないだろう。

 そうと決まれば早いとこ移動したい。が、一人ではムリである。このキャビネット、やたらと重い。10年前にはD-55を一人で2階に上げたこともあるが、今は昔。そんなこと今やったら即死である。いつまで経っても箱船から出てこないと見に行ったら、階段でレアの下敷きになって死んでました。スピーカー諸共死ねるなんてオーディオマニアの本望、だが、格好は良くないのである。

 年内はもうダメ、なので、来年早々やるかな。憲さん、またよろしくね。

’04/12/27 (月)

きれいに散らかす


 業務関係の大掃除が予定以上に段取り良く終わった。そこへもってきてdyson DC12という強い味方の出現もあり、勢い余って箱船1階の大掃除までやってしまったのである。

 写真に撮ると、な〜んにも変わっていないように見えるのがちょっと悲しいのである。実際には随分と整理されきれいになった(と、思う)。特にCDラックの上である。ここにはゴタゴタといろんなものが置いてあったが、全て片付けてしまった。例によって半分以上がゴミである。いつも同じこと、ゆってます。

 モノが多すぎても少なすぎても良い音は聴けない。多すぎるとデッドになったり正体不明のビリつきが出たりしてNG、少なすぎるとライブになったりフラッターが出たりして、やっぱりNG。モノは多からず少なからず。さらに、適当に散らかっているのがベターである。

 綺麗に散らかっている、という状態が最も良いわけだが、これがなかなか難しい。僕は生来不精でナマケモノなので、散らかり始めると歯止めが利かなくなるのである。際限なくどこまでも乱雑になり、ついにはゴミ屋敷寸前状態。空間認識能力が低いのも、大きな原因だ。整理の仕方が、おそろしく下手なのである。

 その点本家方舟は、いつお邪魔しても綺麗に散らかっていた。否、散らかっていたといっては失礼である。グワイ良くモノが散在していた、と言うべきだ。四角四面に整理整頓されているわけでもない、しかし雑然とした感じはまったくない。床や机の上にはいろんなものが置いてあるわりに、乱雑には見えない。上手く表現できないが、ともかくヒジョーに居心地の良い空間であった。もちろん、音も然りである。

 オーディオにとって部屋は最も重要なパーツだという。その通りだ。しかし、それをどのように使いこなすかもまた、極めて重要。僕はまだまだヘボヘボなのである。

 来年はひとつ、その辺りにこだわってみようかな。

’04/12/26 (日)

DC12


 dyson DC12animalproである。11年間使ってきた掃除機がついに故障(まったく動かなくなった)、修理したら新品が買えるほどかかるという。ので、先日書いた埃減らし効果も狙っての導入である。ちょうど大掃除の時期でもあるし。

 独自のルート6サイクロン
TM方式で、ゴミの溜り加減にかかわらず吸引力が落ちないというのが最大の売りである。加えて排気は部屋の空気より150倍清浄であるとも。これはオーディオルームにとって、極めて重要なことである。ウソかホントか、早速に使ってみるのである。

 大変ケッコウである。吸引力は非常に強い。ごく細かい埃はもちろん、animalproの名に恥じず、極悪ラクの抜け毛もガンガン吸い取る。ゴミの溜りグワイが良く見えて面白い。こんなに汚かったのかと、ちょっとビックリするのである。排気がきれいなのもよい。これは使ってみればすぐに実感できる。埃臭くないのである。掃除機を使うと必ず出ていたクシャミもまったく大丈夫。ヒジョーにありがたい。

 騒音レベルはそれほど低くないようだが、どちらかといえば高域寄りのさわやかな音で耳障りな感じは少ない。11年使ったものよりもずっと静かである。

 機能的にも良く考えられている。手元スイッチに乾電池が入っていて、何で電源が要るのかと思ったら、赤外線式ワイヤレスリモコンスイッチになっているのだった。何故だ。

 普通はパイプに仕込んだ電線で本体と電気的に繋がっていて、ワイヤードスイッチになっているわけだ。ところがこうするとパイプが硬くなり取り回しが悪くなる。収納性も下がる。内部断線のトラブルもある。それらを避けるため、わざわざリモコン方式にしてあるのだろう。電池交換が必要になるデメリットよりも本質的な機能性を取ったということか。

 紙パック方式ではないからゴミ捨ての時に埃が飛び散り易いとか、各パーツの加工がやや雑でデザインのわりに質感がイマイチとか、ちょっと重い(5.6kg)とか、いろいろあるけれど、僕は大満足である。これは優秀なクリーナーです。

 頻繁に掃除すれば、箱船の埃も減るかなあ。

’04/12/25 (土)

聖夜


 昨年も一昨年も、クリスマス前後に積雪を見ている。一昨年12月27日、昨年12月21日。今年は未だ積もらず。一昨日からこの冬一番(といっても例年よりずっと弱め)の寒気が来ているけれど、まともな雪降りはない。この調子で行けばよいのだが、そーは行かんだろう。

 雪は降らずとも、くずてつ家も世間様に同じくクリスマスである。自家製ピザを焼きノンアルコールシャンパンを開け、お寺で聖夜を祝う。神仏混合和洋折衷東西融合的クリスマス。平和でヨロシイ。

 この日に聴くべき(別に聴かないでもヨイ)タイトルはいろいろある。今日の写真に載せるのは、あまりにも有名なタイトル「CANTAE DOMINO」(瑞proprius PRSACD-7762)である。記号からお分かりのように、これはSACD(CDハイブリッド盤)である。

 有名すぎて陳腐でさえあるタイトルだ。そのわりにSACD化はゆっくりしていて、まだ1年も経っていないような気がする。

 僕は過去にリリースされたCDを持っていない。ADだけ、それもたぶん再発盤だと思われる。録音は1976年と古く、何度もリイシューされているので同じADと言っても時期によって音に大きな違いがあると聞く。友達所有の初期盤を聴いたことがあって、僕手持ちのものよりもずっと良かった。

 初期盤にやや劣る手持ちADに比べて、このSACDは一長一短という感じである。SNは良い、が、切れと透明感がもう一息。コーラスの分解能と歪み感の少なさはなかなかのもの、但し厚みがやや不足する。SNで有利なら音場感も良くなりそうなもの、ところがどういうわけか前後左右上下ともわずかに圧縮されて聴こえる。何故だか分からない。フシギである。総合的には僅差でADの勝利か。

 聖歌を聴いて聖夜が終われば、本格的な年末年始準備に突入する。毎年のことながら、慌しいのである。

 メリー・クリスマス。

’04/12/24 (金)

早すぎる春


 12月の末になってもフキの葉が青々としている。のはヒジョーに珍しい、やっぱり今年は暖かいのだなあと、思っていたらおっとビックリ、フキノトウまで出てしまっているのを発見した。こんなのは初めてである。冬が始まったとたんに顔を出すなんて、何を考えているのだろうか。

 冬の終り、春の始まりを告げる代表みたいに思っていただけに、少々驚いた。尤も、僕がモノ知らずなだけとも思われる。よくあることを大騒ぎしているのだったらハズカシイ。チョイと調べてみたら、フキノトウが地表に顔を出すのは2月〜3月であると、書いてあるのがほとんどである。やっぱりなあ、そうだろうなあ。

 冷え込みが遅く、地熱が下がりにくかったのが原因か。この間、近所の山へ行ったらヤマツツジが満開だった。どーもおかしい。暖冬、というよりは異様な感じである。

 まあ、こういうこともあるのだろう。どうということもない。が、僕は残念なのである。冬はまだこれから、なんちゅう時に出てきてもらっては、季節感もクソもない。降り積もった雪がようやく融け始め、その間から見えるフキノトウに、春の始まりを予感してワクワクするのが楽しいのに。

 冬は雪、春は花。季節の声を、順序よく聞かせてくれないと僕は困るのである。

’04/12/23 (木)

根本的解決に向けて


 箱船はオーディオ専用の部屋である。ここを日常的生活の場に使うことは、まずない。ゴハンを食べたり寝たり起きたりしないわけだ。おかげで埃は少なくて済んでいる。

 しかし、クリーンルームではない。当たり前ですな。何もしないで放置すると、機器の上には埃が積もってしまうのである。さてそこでどうするか。

 1.気にせず放っておく。 2.時々気が付いたら掃う。 3.毎日掃う。

 1 は普通の人である。2 にあてはまる人はオーディオマニア。3 を選んだら、たぶんアナタはビョーキです。

 僕は、毎日掃うのである。部屋がムチャクチャなのは一向に構わんクセに、機器に積もるホコリはヒジョーに気になる。ホコリで白くなった天板、ヒートシンクの間に入り込んだホコリ。何だかビンボ臭くてイヤなのである。だから一日一度は必ず埃掃いをする。

 はっきり言ってこれは徒労である。埃をどかしているだけで、根本的解決にはならない。イワユル希釈原理の嘘、である。どぼどぼ垂れ流す有害廃液も大量の水で希釈すれば無害、だから海が汚れるワケはない、というアレだ。機器の上に落ち着いた粉塵を、舞い上がらせて目立たなくしているだけ。リーズナブルに考えれば、まったく無意味である。

 少しでも効果があるかと、ダスキンの静電吸着ダスパー(拂子、ではナイ)を使っているけれど、どーだかわからない。それでも掃わずには居られない。毎日埃を舞い立たせリセットし、キレイになったと悦に入る。ビョーキである。

 最近この無意味さがちょっと気になり始め、根本的解決に向けて新兵器を導入しようかと、考えているところでもある。箱船ができてから11年間、無意味な行動を続けていたのである。アホですなあ。

 dysonの掃除機って、どーでしょーか。

’04/12/22 (水)

よーく考えよう


 今朝、友達にメールを送ろうとしたところが、どうしたことかサーバーからの応答がない。もう一つのサーバーならどうかと試すがダメである。ブラウザを起動したら、webページもまったく表示しない。要するに、接続障害である。

 ははあ、またADSLモデムがヘソを曲げたか。最近は機嫌良く動いていたのに、突然こうなるから困ったもんだ。仕方がないから電源を切ってしばらく放置する。たいがいはこれで復帰するのである。

 半日放置して再起動。ところがやっぱりダメである。異常を知らせるランプは消えている。問題ないはずだ。ルーター、LANケーブル、電話線、すべて正常に繋がっている。ワカランのである。

 母屋のPCから接続を試みる。ちゃんとwebに繋がるのだった。いよいよ以ってわからん。モデムやルーターの不グワイならば、こっちもダウンしているはずだ。それが生きているっちゅうのんはどーゆーワケであるか。

 箱船2階の私用PCも、使い始めて4年を超えた。OSは未だにWindows98SEである。古色蒼然。いつぶっ壊れてもおかしくないような機械である。とうとうその時が来たかと、覚悟しかけて気が付いた。ルーターとPC本体の接続は大丈夫なのかと。

 アホ丸出し。昨日本体リヤパネルを掃除した時、ケーブルを一旦外したのだった。単なるつなぎ忘れ。そりゃあ線が繋がっとらんかったら、ワヤですわ。あらぬ疑いをかけられたモデムもPCもいい迷惑である。マヌケでスミマセン。

 電源が入らない、故障だーと大騒ぎ。よく調べたらACコードをコンセントに挿してなかった。音が出ない、大変だと狼狽する。よくよく調べればラインケーブルのつなぎ忘れ。オーディオメーカーのカスタマーセンターには、この手のクレームが非常に多いと仄聞する。馬鹿じゃなかろかと、その言葉は僕自身に振り向けられるべきである。危うくサポートセンターへ電話するところだった。ああハズカシ。

 よーく考えよー基本は大事だよー。

’04/12/21 (火)

冬至


 冬至である。さすがに日は短く、午後5時にはすっかり夜の空気だ。セロトニン不足に悩む僕としては、1年の内で最もツラい季節である。もっと光を。

 二十四節気の一。この日は柚風呂に入り小豆粥、カボチャを食べると風邪を惹かず無病息災に過ごせるという。

 柚風呂は体が温まりひびやあかぎれによく効く。「冬至」と「湯治」の語呂合わせも上手く決まっているわけだ。昔、カボチャは輸入野菜で珍しく貴重だったので、神様のお供えにしばしば具された。ありがたい野菜だったのである。霊験灼かなものとして魔除けになる、つまり無病息災。小豆は赤い色が災厄を祓うという、中国の習慣から来たものである。なるほど、調べてみればそれぞれちゃんとイワレがあるのである。

 冬至といえば修行時代、普段は小ウルサイ規則に縛られコチコチの生活をしている雲水(修行僧)達が待ち焦がれる日でもある。年に一度、この日だけは合法的にドンチャン騒ぎできるのである。雲水大爆発。

 大きな声では言えないが、常なら絶対ご禁制のブツ(ま、イロイロあるわけです)がこの日に限り解禁されるのである。常住典座(庫裏)の守護神、韋駄天様に目隠ししておき、上へ下への大騒ぎ。通常キツい生活をしている若者集団である。エネルギーは半端でない。おかげであくる日は死人のようになるのだが。懐かしい思い出である。

 今日を境に畳一目ずつ日脚が長くなってゆく。春への準備が、始まるのである。冬の本番はまだまだこれからだけれども、春を予告する日はやっぱりうれしい。

 一日千秋の思いで、春を待つ。

’04/12/20 (月)

愚考


 時々思い立ち、聴く頻度の高いADをCD-Rへ落とすことがある。チョイ聴きには便利だからだ。それを他の人へ譲渡することは、ゼッタイにしない。自分で聴くだけである。ので、違法性はない。安心である。

 プリのREC OUTからCD-R(マランツ DR-17)へ繋ぎ、その他の機器(V関係はもちろん、パワーアンプ、CDプレーヤー、使わないほうのADプレーヤーなど)は全部電源OFF。ACコードも抜いてしまう。さらに徹底するならラインケーブルも引っこ抜く。もっと病的にやるならプリもジャンプする。PEQからダイレクトにCD-Rへ繋いで落とすわけだ。イムピーダンス不整合でダメか。できてもメンドクサイからやらないのである。

 電源OFF、ACコード外し。これでどの程度のメリットがあるのか、実はよく分からない。他の機器の電源を入れたまま落としたものと比較試聴したことがないからである。主に精神衛生上の問題だ。スピーカーから音を出さないわけだから、音圧の影響を受けない。これは再生側(AD)にとっては大きなメリットである。

 プリからCD-Rへはアナログ入力になるわけだ。つまり、ADC(A/Dコンバーター)はDR-17内蔵のものが動くことになる。当たり前である。現状、まったく不都合なく、非常に劣化が少なく良い音で落とせる。問題ないのである。

 されど僕はオーディオマニアである。何だかエラそうだな。外付けのADCを使い、そこからディジタルでDR-17へ送ったならば、さらに良い音でCD-Rが焼けるンじゃないか。と、善からぬことを考えるのである。接点増えてダメか。最も手近な実験としては、C-AX10をADCとして使う手がある。PEQ出力をC-AX10のアナログ入力へ、そうしておいてディジタルアウトからDR-17へ。これが最も簡単な実験方法だろう。

 何となくピンとこない。確かにDR-17内蔵のADCよりは質が高いかもしれない。だが、そこまでやって得るものがあるのかどうか。甚だ疑問である。複雑な接続になるデメリットのほうが大きくなるンじゃないかな。

 音の良し悪しは別にして、実験としては面白いと思う。44.1kHzで出力、SRC(サンプリングレート・コンバーター)を介さずに焼いたり、48kHzで送ってSRC経由で焼いたり、色々楽しめるのである。96kHzでも送れると面白いのだが、残念ながらDR-17のほうが受け付けない。

 こんなことやってるなら、ADそのまま聴いたほうが早いね。ああ、愚考。

’04/12/19 (日)

木を見て森を見ず


 このタイトルを聴かなくなって何年経つのだろうか。遥か彼方に忘れ去ってしまうほど久しぶりである。

 「WISHBONE ASH / LIVE DATES」(日MCA MCA-9244〜5)。知る人ぞ知る、'70年代ブリティッシュロックの雄、ウィッシュボーン・アッシュのライブ盤である。'73年録音、'74年発表の2枚組。僕が買ったのは'77年3月31日だから、27年以上前、ということになる。もちろん国内盤である。

 確か、高校に入る直前の春休みだったと思う。当時の僕に2枚組3,600円はヒジョーに高価で、普段ならゼッタイに買えないレコードだった。しっかり勉強するようにと貰った入学お祝い。そのお金で買ったのだろうなあ。全部レコード代に消えたような気がする。ナニを勉強してるンでしょうか。

 ヒッシになって聴き倒したレコードである。特に「キング・ウィル・カム」から始まって「戦士」「剣を捨てろ」へ続くA面3曲メドレーは、スリ切れるほど聴いた。この頃はオーディオマニアでも何でもなく、タダのロック小僧だったから、音に関してはまったく無頓着。しかし、DPの「LIVE IN JAPAN」ナドに比べると、けたたましさの少ない音だと、思ってはいた。

 何年か前、既にオーディオマニアと化してから、その時も久しぶりにこれを聴いた。ひどい音。高音も低音もない。超ナローレンジでカスカス、壊れたラジオみたいな音である。いや、ラジオのほうがマシだったかも。やっぱりロックはこんなモンかと、昔の感動が褪めてしまうほどガッカリしたのだった。

 今また、これを聴く。どうせダメだろう、前に聴いた時はヒドかったもんなあ、と思いながら。音が出てビックリ。悪くないのである。もちろん優秀録音というわけには行かないまでも、前回聴いた時とは雲泥の差である。レンジは狭いがローハイのバランスが取れている。中域がしっかりしているのもよい。ロックとしては歪みが少なく絶叫調になりにくい。さすがに30年前の古さはあるものの、録りっぱなしの良さが充分感じられる。これはこれでなかなかにヨロシイ。ちょっとうれしくなってしまった。

 そこで僕は考え込むのである。前回聴いた時のヒドさは、一体ナニだったのか。システムの所為だったとしか、思えないのである。当時使っていた機器、使いこなしがどんなふうだったのか、よく覚えていないのが残念だ。おそらく、ある一方向に突出した音で、聴いていたに違いないのである。

 音の悪い、否、自分の好みに合わない音のソフトが存在するのは確かである。何度聴いても何で聴いてもやっぱりダメ。そういうソフトもたくさんある。しかし、オノレのヘボさを棚に上げ、音の悪さを全てソフトの所為にするのは如何なものかと、自省するのである。

 今後、さらにシステムの質を上げてゆけば、このタイトルのようなものが次々と出てくるかもしれない。こりゃダメだと恣意的に断じ捨てていたソフトの中に、優秀盤が隠れている可能性大。遺憾なことである。

 音を良くしようと血の道を上げる。そうしていながら、音の変化に気がつかない。総合的に判断しているつもりが、実は極めて近視眼的だったという、笑えない話なのである。

 「木を見て森を見ず」とは、まさにこのこと。

’04/12/18 (土)

経時変化


 ラックを新調して1ヶ月が経った。ますます絶好調である。システムにすっかり溶け込み、もう何年も前からそこにあるようなふうだが、それでも僕は見るたびにうれしくなる。音のよさも然ることながら、ルックスが如何にも、良い。使えば使うほどに魅力を増すラックである。

 時間の経過と共に音が変化してゆく現象を、エージングと謂う。常識である。だが、本当にそーゆーことがあるのかと、未だに懐疑的な人がいることも事実である。エージングとは、ヒジョーに都合のよい言葉で、見当外れなことをやって音がメチャクチャになっても「エージングで解決するのである」と言ってしまえばOK、みたいな部分も確かにある。だから僕は、不用意に使いたくないわけだが、どう考えてもエージングとしか言えない如くの不思議な現象があることは否定できないのである。

 このラックについても、そうである。当初から明らかに音が向上したと感じた。と同時に、新しい機器にありがちな音の生硬さは拭えなかった。何やら落ち着かない感じ。おろしたての服を着るに似た感じ、といえばお分かりいただけるだろうか。違和感があるわけだ。

 未だ多寡だか1ヶ月、それでも音はずいぶんしなやかになったと感じる。耳が慣れた、ということももちろんあると思う。だが、それだけでは説明がつかないほどの変化が、あるのだった。

 床や機器との接しグワイ、材木の乾燥、塗膜の変化、接着剤の強度など、多くのファクターが変わってきた所為だろう。これはもうエージングとしか言い様がないのである。

 昨日紹介したCDのオルガン奏者、岩崎真実子氏は解説にこう書いていらっしゃる。

 「1998年に完成、奉献されて6年、ようやく日本の気候にも慣れ、このオルガンの音色も整ってきました」

 まさしく、エージングである。

’04/12/17 (金)

音源


 AB誌33号が発売された。何をしていたのか前号32号は購読をすっかり失念、創刊からの連続購読が途切れてしまった。残念。バックナンバー、まだあるかな。

 今号の付録CDは、石田善之先生の手によるオルガンの生録音源である。M&Kのダイレクト盤で聴けるオルガンなどに比べると、小ぶりのオルガンである。M&Kのほうは11,848パイプ、最長32フィート管を備え16Hzまで出せる。こちらは3,000パイプ43ストップ、最長16フィート管で32Hzまで。

 設置してあるロケーションもまったく違う。比較的小規模の礼拝堂のオルガンである。天高く立ち昇るようなエコー、空気を揺るがすような超低域は控えめだが、音源に近いぶん細かな音まで鮮明に捉えられている。低歪み、高SN、極めて端正な音である。とてもすっきりと見通しの良い音で、聴いていて気持ちが良い。音場感は自然で、実在感がある。鮮度の高い音とはこういうモノだという、よいお手本である。

 低域は控えめであるといっても、出る時はしっかり出る。32Hzの風圧はなかなかのもので、締まりのよいソリッドで力のある低音が聴ける。個人的にはもう少し超低域をフューチャーした曲を、聴きたかった。M&Kのダイレクト盤、こんなものを比較の対象にしてはイケナイのではあるが。

 ダミーヘッド録音は面白い。音場の立体感が俄然向上。自然な距離感をもって眼前にオルガンが現れる。録音方式による制限もあり、小型マイクを使っての録音である。にもかかわらず、これは優秀だ。わずかにナローレンジでドライなふうにも感じるけれど、音場感の良さでまったく気にならない。さすが石田先生。生録は、機器では決まらない。腕とセンスで決まるのである。トッカータとフーガの冒頭2分42秒間だけなのが惜しい。もっと聴きたいのである。

 この企画も、残念ながら今回が最終回だそうである。編集部からの結び言葉に「自分で聴いた生の音を自宅システムで再生した時のワクワク感は、実際に体験すると病みつきになるほどの面白さです」とある。まったくその通り。生録は、ことほど左様に面白い。しかし、問題は音源である。何を録るのか。一介のアマチュアが録音できる音源は、自ずから限られてしまうのである。

 生録がメジャーになり切れない原因か。面白いンだケドなあ。

’04/12/16 (木)

光燦々


 冬、のはずだが好天が続く。例年ならとっくに初雪を見る時期であるにもかかわらず、連日春のような陽気である。カメムシも異様に少ない。どーなってるンでしょーか。

 おかげで気分はヒジョーによろしい。箱船2階もカーテンを全開すれば、光燦々。今のうちにセロトニンをたくさん溜め込み(できるのか?)、やがて間違いなくやってくる鬱々とした冬に、備えるのである。できればこのまま記録的暖冬になってくれればよい、と思うがそれはそれで困ったことになるのだろう。南禅寺近く、湯豆腐店の大将も「売れまへんな」とボヤいていた。

 オーディオはインドア(陰気、とも言う)な趣味なので、天候には関係ない。ように思うがそうでもないのである。この地方はおおよそ湿度の高い土地で、だからこそかつては丹後縮緬の一大産地であったわけだ。

 湿気はオーディオに禁物である。さすがにスピーカーコーンにまでカビが生えることはないものの、レコードジャケットやテープメディアの類は油断できない。レコードラック周辺には「湿気とるぞう君」(だったかな)を置き、テープ(DATやDV)はタッパー様の容器に乾燥剤と共に密封してある。デシケーターの導入を真剣に考えることもあるくらいだ。

 湿度の高さは音にも影響を及ぼし、今日は何だか音がサエないと感じる時は、大概ジケジケした日なのである。パルプコーンは敏感なようだ。ここ数日、明るくわだかまりのない音で鳴っているのは、天候とあながち無関係ではないのである。

 明日からは、光燦々というわけに行かなくなりそうである。

’04/12/15 (水)

流星群


 昨晩はふたご座流星群の極大日だった。午後8時頃〜明け方まで、多い時は1時間に50〜60個もの流星が見られるという。是非とも見たいものだと、思うけれども夜半の天気は曇りである。深夜〜未明にかけては快復傾向というから午前2時半過ぎ、外へ出て空を見上げた。

 快晴。オマケに新月である。満天の星。晴れさえすれば田舎の特権、害光が極めて少なく非常に鮮明な星空が望めるのである。観測には最高の条件だろう。放射冷却でヒジョーに寒いから、ダウンジャケットを着込み頭にはタオルを巻いて、流星を待つ。

 流れる流れる。1分間に1個はカタい。多い時には3連発4連発、天空の一点から放射状に流れる。僕はもう大感激である。これまでにいろんな流星群、流星雨を見ようとしてきた中で、今回は最高の天体ショウである。大昔(1972年だったかな)、1分間に100個以上の流星が雨のように降り注ぐと大騒ぎになり、実際には見事空振りに終わったジャコビニ流星雨(りゅう座流星群)とは比べものにならない。残念ながら写真に撮れるような腕も設備もなく、今日の画像は借物である。

 最も素晴らしかったのは、数えて31個目の流星である。午前3時20分頃。僕の真上を、火花を散らして大流星が空を長く横切る。オレンジ色の鮮烈な輝跡を残し、最後は二つに分かれて消え去った。時間にして3秒間ほど。こんなに長い時間、しかも分裂(爆発?)して飛び散る流星を見たのは、過去に一度もなかった。生まれて初めてである。あれくらいになると「流星」ではなく「火球」ということに、なるのだろうか。いやあ、ええモン見せてもらいました。思わず拝んでしまった。寿命が延びるかな。

 寒いのも忘れて約50分間、流星群に見惚れたのである。流れた星の数は目視で確認できたものだけで41個。看板に偽りなしの、天体ショウであった。大満足。

 もちろん、皆々様のご健康を、心からお祈りしておきました。

’04/12/14 (火)

なくなって知る


 二日間のご無沙汰でありました。

 長岡先生がお元気でいらっしゃった頃には、毎年この時期になると方舟へお邪魔するのが僕の年中行事のようになっていた。方舟の音を聴き先生と話をし、年末年始の行事を乗り切るエネルギーをもらっていたようである。とても楽しく、僕には必要欠くべからざる貴重な時間であった。

 朝の4時、まだ暗いうちから家を出て京都駅へ。クルマを駐車場に放り込んで新幹線に乗り、昼前に到着。「砂場」で蕎麦をゆっくり食べて、午後一番に方舟へお邪魔する。その道中の楽しかったこと。今となっては懐かしい思い出である。

 最後にお会いしたのは'99年12月16日である。明けて'00年1月15日、電話でお話ししたのが本当の最後になってしまった。アクセサリーのページに載せてある「ADスタビライザー1」を送った、そのお返事をもらったのである。まず感想を記したFAXが届き、そのあとすぐに電話がかかった。「忙しいかと思ってFAXにしたんだけど、在宅のようだからもう一度電話しました」と。先生はマメだったのである。

 その時先生はとてもお元気で、直前にあった「オーディオ諸国漫遊記」の取材旅行のこと、今後の予定をいろいろと話してくださった。「とても面白かったンだけど、寒くてね。年寄りはダメだね」「春になったら新しいFE(FE-208ES Ver.1のこと)でモアをグレードアップする予定です。楽しみだね。工作の時にはアナタも来れればいいね」などと、楽しいお話ができたのだった。

 あれから5年、もう方舟へお邪魔することも叶わなくなった。当時は唯々楽しいばかりで、先生と時空を共有できることの重大さ、在り難さを充分に自覚認識できていなかったのではないかと、今さらのように、思う。もっともっといろんなことを訊いておくンだった。「なくなって知る師の恩」とも謂うべきか。

 新幹線の窓に映る12月の風景を見ながら、先生を偲ぶ。

’04/12/11 (土)

元から断て


 僕は決してSOFT99のマワシモノではないし、クルマニアでもない。ンなこたァ言わずと知れたことである。

 と、前置きしておいて。

 先日からやや病的なソージマニア化していて、母屋と言わず箱船と言わず、毎日掃除しまくっている。やるとなったらシャカリキになってやる。もう少し平均化できないものかと、自分でも思う。

 僕は、今や社会から忌み嫌われる存在に成り下がったところの、喫煙者である。お酒はほとんど呑まないけれど、これだけはどーしてもヤメラレマセン。タバコと謂うもの、非喫煙の方々からすればまさに百害あって一利なしである。千害万害と言ってもよい。迷惑千万この上なし。

 僕にとっては、百害あって一利あり。なので、皆々様にゴメイワクをおかけしないよう、マナーに細心の注意を払いながら喫煙する。車の中などの密閉空間での喫煙、歩き煙草はゼッタイやらない。ついでに、箱船1階は完全禁煙である。それができるンなら、いっそのことヤメりゃあいいのに。

 2階ではバコバコ吸う。たぶん、煙草がなければファイル整理することも日誌を書くこともできない(だろうと勝手に思い込んでいる)。その所為で、パソコンは私用も業務用もヤニだらけである。燻されて茶色くなっていた。これはなかなかヒツコイ汚れであって、ゾーキンで水拭きしたくらいでは落ちないのである。

 これを綺麗にするため、いろいろと試してみたわけである。その中で、わりと安くて効果が高かったのが上のブツ。車用の窓クリーニングウエットクロスである。ヒジョーにグワイがよろしい。汚れがよく落ちるし、拭いたあとの乾きが早くサラサラになる。プラスチックへの悪影響もない。

 初めて使った時、拭き終わったクロスを見て絶句した。まっ茶色である。ひでえ汚れ。オイラの肺はこれ以上に....などと考えると不味くなるので思考停止。これが遺憾のである。

 以後、掃除魔と化した僕はPC電源を落としたあと、必ずこれで全体を一拭きするのである。やっぱりキレイなほうが気持ちヨイ。トドメにタバコ用消臭剤を置く。これで完璧だな。独り悦に入るのだった。

 元から断て、っちゅう話です。

’04/12/10 (金)

思い込みは、遺憾


 「DIRE STRAITS / BROTHERS IN ARMS」である。原盤は英VERTIGO RECORDS(1985年)だったと記憶する。これはSIMPLY VINYLからの180g復刻盤(SVLP-182)である。見つけたのはわりと最近のことだから、リリースされてそんなに時間は経っていないのだろうと思う。

 ダイアー・ストレイツと言えば、有名なのはやはりリーダーでギタリストのマーク・ノップラーである。このヒト、サム・ピッキング(親指にピックをはめて弾く)の名手で、ピックを人差し指と親指でつまんで弾く(これが一般的)ギタリストとは一味違ったグルーブと雰囲気をカモシ出すのである。僕は好きです。

 もう一つの特徴は、ロックのクセに(失敬)録音が良いのである。どのアルバムも悪くない。その中でもこのタイトルは優秀である。復刻盤を入手するまでは、国内盤と通常の輸入盤を持っていた。シャープで繊細に切れ込む音は、ロックの中では特に優秀。歪み感の少なさでも群を抜いている。低域も力強く、深みがあってヒジョーにヨロシイ。どちらかといえばドンシャリ系だが、それがまた僕の好みに合っているわけだ。

 通常盤でこの音ならいつか復刻盤が出るンじゃないかと思っていたら、やっぱり出た、のである。ヨーシ買うぞ、と力んだわけだが、レーベルを見て手が止まった。

 実は以前、同じSIMPLY VINYLで、とあるロックバンドの復刻盤を買ったところが、どういうわけか出来がヒジョーに悪くて弱ったことが、あったのだった。その辺のことをあまり詳しく書くとグワイが悪そうなのでヤメておく。ともかくその時はガッカリしたのである。

 斯く言う経緯があり、同レーベルの復刻盤は永く敬遠していた。しかしそれから既に10年近く経っている。あの時は復刻シリーズが始まったばかりだった。きっと今ならノウハウの蓄積もあるだろう。ドシロウトが勝手にそう予測し、今回は買ってみたわけである。何よりも、僕はこのタイトルが、好きなのである。

 大当たり。これはいい。レンジが大きく広がり、音抜けがぐんと良くなっている。全域に渡ってトランジェント大幅改善、しかもトゲトゲしさがない。艶と瑞々しさ、それに透明感が増し、アナログの良さが存分に発揮されている。これなら復刻した価値大いにアリ。こうでなくちゃあ遺憾ですよ。

 ショップカタログには、このタイトルの隣りにイーグルスの「ヘル・フリーゼズ・オーヴァー」が載っている。2枚組。ハズしたらイヤだったから前回は注文しなかった。ケド、こんなに出来が良いのなら、買わずばなるまいて。

 と言って過度に期待するのはよしておこう。○○だから良い、○○だから悪いという思い込みほど、怖いものは、ないのである。

’04/12/09 (木)

Dレンジ拡大


 桃色仙人さんからCDを送っていただいた。箱船の客室で話題になっていた、独GLASS-AUDIO DESK SYSTEME社のCDサウンド・アップグレーダーで対策したCDである。この機器は、わかりやすく言えばCDのエッジを斜めに削り音質を向上させるというものである。理論的なことが僕にはよーわからんので、詳しくはwebページをご一読いただきたい。

 写真上方向が信号面、下方向がレーベル面である。左が対策前、右が対策後のエッジ形状になる。信号面に向かって切れ込むように面取りされるわけである。角度は36度。音が最も向上する角度だと説明されている。微妙である。削った後は斜めになったエッジに付属のフェルトペン(黒色?)を塗る。切削面は非常にきれいである。ケバ立ちやザラザラした感じは皆無。

 僕の手持ちにもあり、しかもいろんな音楽を聴けるもの。ということで、AA誌108号付録のチャンネル・クラシックス・サンプラー、同110号付録のリン・ハイブリッドSACDサンプラーの2タイトルを送ってくださった。

 どちらのサンプラーも、対策なしの状態でもなかなかの優秀盤である。これがどれほどの向上を見せるのだろうか。早速聴いてみた。

 一聴して感じるのは、明瞭感が上がること。シャープネスを利かせたというよりも、本質的な解像度が上がった印象である。音の粒子が細かくなる。空気感もよく出る。音場の見通しが良くなり、音像の実在感が増す。Dレンジが広がる方向なのだろう。僕としては、音色よりも音場・音像変化の大きさに耳を取られた印象だった。

 ちょっと気になったのは、対策前に比べると音に生硬さが出る感じがあること。寒色系の音に振れたように思われた。ひょっとすると、時間が解決してくれる種の問題かもしれないのだが。

 結果、向上は明確に感じられた。ただし、これが劇的改善とまで言えるかどうか。そこはヒジョーに微妙なところである。桃色仙人さんによると、大きな向上があるCDとそれほどでもないCDとがあるそうだ。不思議である。

 個人的には、原状を変形させ、しかも復帰できない対策に、いささか抵抗があることは否めない。webページ上の注意書きにも、その辺りについての文言が見える。リスクとリターンの綱引きに、なるのである。

 ともあれ、大変貴重な体験をさせていただいた。桃色仙人さんには、心から御礼を申し上げねばならない。

 ありがとうございました。

’04/12/08 (水)

何となく鳴っている


 バーゲンで手に入れた極安物のソファ(母屋にちょっと置いたスキに、極悪ラクにバリバリされてしまった)などを置いてみたりして、ちっとはアイソ良くなったかしらん。

 何ヶ月かおきに突然鳴らし始めてはまた休眠、しばらく経ってまた鳴らす、ということを繰り返している2階のサブシステムである。使っている機器は、そりゃあもう太古製品ばかり。昨日の18年物にも負けない。一番新しいもので13年前のGT-CD1なのだから状況が知れるというものだ。スーパーウーファードライブにHMA-9500、D-55ESドライブにHMA-9500MkII、プリアンプに装甲的PRA-2000ZR。そういえば、ユニット(FE-208ES Ver.1)は新しいと、言えるかな。

 CDプレーヤーは時々ピックアップから異音が出てカラ回りする。プリはスイッチONからミュート解除までやたらと時間がかかる。パワーアンプはどちらも元気なふうに見えながら、何だかアブナイような気もする。

 まあしかし、出てくる音は至って健康体である。2階は遮音が良くないから、特に夜は大きな音を出せない。ボリューム9時さえ不可能である。なので7時半くらいでヒソヤカに鳴らしているわけだが、これがなかなか良いのである。

 大音量再生のようなスケール感は出ないけれど、とてもリラックスして聴ける良い音である。使用機器のキャラクターはどれも、良く言えばハイスピードで高解像度タイプ、悪く言えば生硬で緊張感の高いタイプである。実際、大音量ではソーゼツな音が出る。こんなのは絶対イヤダと、即刻うっちゃりをかます人も多いと思う。

 たぶん、使いこなしを徹底すればオールマイティなシステムにできるのかもしれない。が、ここではこれでイイノダ。1階のメインシステムで血眼になり、その上サブシステムでも同じことをやったら、僕はもう身が持たない。それほどのオーディオ名人でもなし。一つのシステムにヒッシになって手一杯なのである。

 何となく鳴っている音。それもまた良し。

’04/12/07 (火)

18年物


 先日のご来客以来、2階の掃除整頓を続けている。これまでの懈怠を猛省してのことである。大切な箱船、粗末に扱ってはバチがあたるのである。

 「整理の極意は捨てることにアリ」とは真理である。よくもまあこれだけ要らんものばかり溜め込んだものだと妙な感心をするくらいに、次から次へとゴミが出る。ヒタスラに捨てる捨てる。いつもならちょっと置いておこう、なんてものもどんどん捨てる。これも要らん、と捨てかけて踏み止まったものが、上の写真。

 NAGAOKAの「ARGENTO113」。LPレコードクリーナーである。未使用のまま箱に入った状態で、不要物の山の中から発見された。いつの物かと、底を見たら「'87・1・29」と書いてあった。18年! これはもう発見というより"発掘"に近い。 当時は、このようなLP周辺アクセサリーがどんどんなくなって行く時代であって、入手できなくなることを恐れて買い置きしたのだった。すっかり忘れ去っていた。

 クリーナー面に張ってあるベルベットは、残念ながら青色だった。後期型である。初期型は臙脂(えんじ)色ベルベットだった。こちらのほうが布の目が細かく毛が密で、クリーニング効果が高かったのである。耐久性も良かったと思う。製造コストの問題か、単に供給できなくなったのか、途中から青色ベルベットに変更されたのだった。'87年時点で既に青だったのだなあ。僕はこの臙脂モノを1個だけ持っているが、使い倒してハゲチョロケ。残念ながら寿命である。

 時空を越えて(大袈裟な)やってきたLPクリーナー、ちょうどADプレーヤーを増設したことだし、喜んで使ってしまうのである。クリーナーも18年物となれば、熟成されるのかしらん。

 ところでこの「ARGENTO113」、今も立派な現行商品です。

’04/12/06 (月)

ヤル気


 近頃どうもいろいろやってみたくて仕方ない。ナンデかな。実情は大したことなんかゼンゼンなくて、どれもこれも小手先のケチケチ対策である。おっさんが夜中独りハンダゴテを片手にニタニタしている姿は、たいへん気色ワルイ。まあ誰にも見せんからいいケド。

 趣味にもバイオリズム(死語です)ちゅうモノがあるらしい。ガーッとやる気が出るとき、もうワシどーでもええもんねとほったらかしにするとき、いろいろある。今回の「ヤル気」は、先日の来客が一つの契機になったようでもある。感謝すべきことである。

 こういうチマチマした対策が、どれほどの効果を上げるのか。一つ一つ個別に見て行くと、本当に僅かなものである。僕の耳ではほとんど感知できないことも多々ある。見方によっては大いなる無駄、無意味、徒労とも言えるわけだ。

 こうした一見ムダに思えるような対策の積み重ねが、音を向上させる大きな原動力になっていることも、また事実である。ある時気がつくのである。何だか最近音が良くなったな、と。おそらくそれは、1年後か2年後か、或いはもっと先のことか。気の長い話である。だからこそ、趣味たり得るのだと、僕は思う。

 と、エラそうなことが言えるのも、今が「ヤル気」になっている時であるからだ。これが「オーディオ鬱」時だったらば「やっても変わらんならやらんほうがいいもんね」とフテ寝してしまうわけである。いい加減なもんです。

 いつまで続くか、オーディオハイ状態。

’04/12/05 (日)

チカラ加減を知れ


 野暮だとわかっていながら、やってみないと気が済まない。このタチのおかげで、過去に機器をぶっ壊したこと少なからずアリ。やり過ぎは遺憾のである。健康のため、対策の打ち過ぎには注意しましょう。

 C-AX10の空き入力端子にもショートピンを、ご覧の通り5系統10本挿した。これでSNさらに大幅向上。超静謐サウンドが実現したのである。なんてことは、残念ながら、ない。しかし多少の改善は見られた。トゲトゲしさが取れて音に素直さが出てきたように思う。音が暗くなる懸念もあったわけだが、それは杞憂だった。

 全体的には、やや落ち着いた音へ変化したようである。これまでは無軌道に鳴りまくっているような部分もあったから、ちょうど良いとも言えるか。何となく食い足りない音と聴こえないでもない。その辺りヒジョーに微妙、僕はできるだけ抑圧されない音を聴きたいのである。

 元に戻すのは極めて簡単容易である。抜けばよい。ので、何にでもウォームアップとエージングがある、と都合よく決め付け納得し、しばらくはこのままにしてみようか。エージングという言葉は、便利である。

 もう一方で、改良版ショートピンのことも考えている。充填素材と制振材を再考し、もう少し重く鳴きにくくすればどうなるのか。自重を倍(14gを28g)くらいにして実験してみたい。そーゆーことゆってると、またピンジャックを壊しちゃうよ。

 やり過ぎは遺憾てば。

’04/12/04 (土)

また野暮なことを


 空いている入力ジャックのすべてに、昨日のショートピンを挿してみたの図。間違っても出力に挿してはイケナイ。前科者の僕は、何度も何度も確認するのである。大丈夫だ。挿したのはPHONO2、LINE2、同3、TAPE PB1、同2の5系統10本である。

 ユニット取り付けネジの頭にフォックを貼った時とは違って、今回は比較的確かな違いを感じた。明らかにSNが良くなっている。音に静けさがある。細かい信号がネグられた印象はなく、音の陰影が深くなった。音の階調表現が豊かになったと言うべきか。あまり期待していなかっただけに、この差にはちょっとばかり驚いたのである。役に立って、ヨカッタヨカッタ。

 なるほど、こーなるわけか。残念ながら僕には電気知識が皆無だから、理論的に説明することができない。何故こうなったのか、ぜんぜんワカラン。機械的な理屈もあるのかな。な〜んもわからんけれど、音が変わったことだけはわかる。ナニ、ドシロウトは、それでよいのである。音が良くなったことを、素直に喜べばそれで吉。

 入力端子に空きのあるアンプが、もう1台。C-AX10である。数えてみたらば、こっちにも5系統10本挿せることになっている。 .....挿してみようかな。勢い余って22本も作ってしまったから、まだ12本あるぞ。

 また野暮なことを考えてからに。

’04/12/03 (金)

ショートピン


 以前友達からもらった(こればっかりである。ありがとうございます)ピンプラグを使い、ショートピンを作ってみた。作り方は極めて簡単である。ホット端子とコールド端子をハンダ付けし、スリーブを被せる。以上、おしまい。では、あまりにもブアイソなので、チョイと工夫を加えてみる。

 スリーブを被せると、その中は空洞状態である。フツーならここにケーブルが入るわけだ。ピンジャックに中空の物体がぶらさがるのは、精神衛生上良くない。何かで充填したいのである。素材はいろいろ考えられる。ここは簡単便利なホットボンドを流し込むことにする。プラグを暖めながらやれば、うまくスキマが埋まる、はず。

 これでカラッポ状態はほぼ解消できるだろう。以上完成。いや待て。もうひとヒネリできないものか。市販高級ショートピンは、もっとかっこいいぞ。

 よし、フォックシートを使ってみよう。音のため、というよりは主にルックス向上を狙ってのことである。スリーブ外周には1mm厚シートを12mm×41mmに切ったものを巻き、上からテフロンテープで止めておく。ついでに10mmポンチで円形に打ち抜いたものをお尻に貼り付けた。今度はホントに完成。上の写真がそれである。ルックス向上を狙った? ホンマかいな。

 プラグ本体、スリーブ両方とも金属製で、もともとガッチリした作りである。ホット端子もパイプ式ではなくムク棒だ。小さいわりに手応えがある。実測してみたら1個14gあった。軽〜中量級ヘッドシェル1個分くらいあるわけだ。さてさて、あとは空き入力端子に挿して音を聴くだけ、である。何らかの効果があるのか、それともまったくの役立たずか。否、タダの役立たずならまだよい。音を悪くするアイテムを一所懸命に作った、のかも知れないのである。

 だったら悲しいなあ。友達に顔向けができないのである。

’04/12/02 (木)

ADはADで


 友達の一人から、ADをもらった。上のタイトルである。長岡先生A級外セレ第一巻39番。「印象派の水の音楽/キャロル・ローゼンベルガー」(米DELOS DMS-3006)。これはヒジョーにうれしい。これまで何度も買い逃し、そうしているうちにとうとうどこにも無くなってしまった。オークションには度々出ていると聞いたけれど、僕は競りが苦手なのである。それが手に入った。ご厚意のおかげさまである。

 CDは2年程前に見つけて買っている。当時はまだGT-CD1の時代で、どうもイマイチだったわけだが、DP-85に替わってからでも以前借りて聴いたADほどの感激がなかった。こんなモンだったかなあ、もっと感動のある音だったがなあと、ADへの思いは募るばかり。

 「あまり状態の良くない中古盤だから、クリーニングしてね」とは友達の弁であった。それではと得意のレコパックをぶちかまし、乾燥待ち遠しく聴いてみるのである。

 最初の一音が出た瞬間、ギョッとした。CDとはまるで違う、忽ちにして引き込まれてしまうような音である。柔らかく、しかも芯のある、力感溢れる音。そうそう。この音だったンだな、僕が待っていたのは。つややかで繊細で、生気が充満したこの感じ。僕はこれに感激したのである。やはり、ADを聴かねば遺憾かったのだ。

 あまりに違いに唖然とするのである。CDが悪い、というつもりはない。元々ADだったものは、やはりADで聴くべきだと、いうことだろう。マスターがサウンド・ストリームのディジタルレコーダー(50kHzサンプリング)で録音されていることも関係しているのかもしれない。チーフエンジニア及びディスクマスタリングエンジニアには、スタン・リッカーの名前が見える。

 友達は盤の汚れ以上に、A面中ほどにある大きなキズを大変気にしていた。確かにハッキリと目に見える、比較的大きなものである。どれくらいのものかと注意して聴いたところが、まったく音に出なかった。問題皆無である。プチ、ともいわない。見た目派手なだけで、極めて浅いキズだったのである。ご心配には及ばず、結果的にはミントコンディション盤でありました。

 音の良さに加えて曲、演奏とも最高。あっという間に両面聴いてしまった。大喜びである。

 ありがとうございました。

’04/12/01 (水)

ご縁に、感謝


 一度に5人のお客様は、とても賑やかだった。

 今回は箱船システムの音だけでなく、ご持参スピーカーの音も聴いた。写真がそれである。どこかで見たことある? そう、stereo誌8月号の「自作スピーカーコンテスト」にエントリーし、見事「村井裕弥賞」を受賞した、「デコイ」である。

 詳しくは誌をご覧いただくとして、このスピーカーは極めて優秀である。まず、ルックス最高。まさに「鳥」である。「デコイ」と言うよりは「ドレイク」、或いは「ティール」と名乗って欲しいくらい。実にチャーミングなプロポーションだ。実物を一見して、すぐに欲しくなってしまった。僕なんぞにはゼッタイ不可能な、四次元的工作である。

 コンテストではユニットにTang Band/W3-593SDを使っておられたようだが、その後FOSTEX/FF-85Kに変更。エンクロージャーのエージングが進むにつれ、マッチングユニットが変わってきたそうだ。換装は大正解である。FF-85Kって、こんなに音の良いユニットだったのね。不勉強、恥じ入ります。

 音は非常に良い。低域については8cmユニットの限界を感じるものの、ハイの素直さと繊細感、中域の明瞭度と伸びの良さは、それを補って余りあるものだ。音離れがおそろしく良く、音場感は最高である。特にボーカルものはすばらしい。明るく伸びやかに響き渡る音を聴いていると、シアワセな気持ちになってくる。音にケンがなく、リラックスして聴ける。と言って眠たい音では決してない。中高域の情報量がとても多いのである。「ディザイン優先で作ったスピーカーですから」とはご本人の言だが、それはご謙遜。初めて聴いた4人が口を揃えて「素晴らしい」と評価したのだから、自信を持ってください。

 久しぶりに2階のシステムを大音量で鳴らしたり、スーパースワンを聴いたり、ホストとしても得るところの多い、充実したオーディオ一日を過ごさせていただいた。おかげさまである。皆さんは如何だったであろうか。それは後日のご感想に待ちたい。

 皆さん、ご遠方をお疲れさまでした。得難いご縁に、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。