箱船航海日誌 2005年08月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/08/31 (水)

プリンタ新調


 長い夏休みも今日を以って終了。愚息ドモは明日から学校である。例によって今夜は宿題の追い込みでワチャワチャしている。こりゃもう風物詩である。

 永く使ってきたプリンタが、ついに動かなくなった。正確に言えば、動きはするが印刷できなくなったのである。インクはあるのに何を刷ってもマッシロケ。ノズルクリーニング、ギャップ調整、何をやっても快復せず。物持ちのよい僕も、さすがに今回は見切りをつけた。修理はもういい。5年2ヶ月使えば、充分である。エプソンPM-2200C、永い間お疲れ様でした。

 2代目は、写真のキャノン PIXUS iP-6100Dである。業務に使うコピー機で付き合いのあるキャノンのエンジニア氏の世話により、良心的価格で手に入った。

 ナントカと畳は新しいほうが良い、なんて言うけれど、プリンタも同様である。ヒジョーにグワイがヨロシイ。速い、静か、きれい、使い勝手良し、コンパクト。言うことはないのである。ナルホド、こういう機器の5年間は、恐ろしく長い時間なのだなあ。

 プリンタは新しくなったが、パソコン本体は相変わらず5年前のままである。今のところ問題なし。しかし、これも早晩寿命が来るだろう。

 次は、本体かしらん。

’05/08/30 (火)

子供坐禅会


 早朝から恒例の子供坐禅会あり。ここ3年ほど、僕は坐禅指導担当である。70人を超える子供たち相手に「さあ、静かにしなさいよ〜」なんてヤワラカい物言いではまったく通用しない。「静かにしろー!」「人の話を聞けー!」「集中しろー!」と、怒鳴り散らしてきた。ああしんど。

 紙芝居あり、和尚さんたちと遊ぶ時間あり、皆でアイスクリーム食べる時間あり。そういう中で、坐禅の時間だけはキビシくやれとのお達しだったので、僕は専ら憎まれ役に徹したのである。おかげでだ〜れも近づきゃしねえ。それでいいのである。

 写真の警策(活入れ棒)でピシピシ打たれた時、今時の子供たちは何を感じたろうか。

’05/08/29 (月)

USJ土産


 夏休みも終りにさしかかった一昨日、愚息2号がUSJへ行った。比較的近くに住む、母方のイトコ家族に混じっての出かけである。1号はすでに中学生でクラブ活動に忙しく、オヤジは出不精。くずてつ家動きが取れません。義兄義姉には大変なお世話をかけてしまった。

 その2号が、土産を買ってきてくれた。普段は親が見ても笑えるほどのマイペース野郎なのに、妙なトコに気の廻るヤツなのである。おそらく義姉からの配慮によるものなのだろうケレドモ。

 細長い包みに入った物体、こりゃ一体なんだろか、と思えば。写真の如く、T2左手(皮をムイて見せた側)仕様「孫の手」である。こらオモロイ。思わず笑ってしまいました。ありがちなキーホルダーや、愚にもつかぬ置物なんかより余程気が利いている。もし、USJが関東方面に建設されていたならば、こういうグッズを企画し得ただろうか。何だか発想が大阪臭いンだなあ。

 まさにUSJ(しかも南大阪)ならではの土産モノである。おそらく本家USにもないだろう。アメリカの日用雑貨に孫の手があるとは思えない。アメリカから来た人も喜んで買って帰ってたりして。

 使ってみるとなかなかよろしい。ほどよい重さとひっかかりグワイが絶妙である。箱船2階に常備し、癒し系グッズとして愛用することにした。

 歳の近いイトコと共に、丸一日(9時〜22時!)遊び倒した2号は大満足で帰ってきた。人気アトラクション「スパイダーマン」に7回乗ったと、コーフン気味に報告するのである。さすが、若いねえ。

 兄上様、姉上様、ありがとうございました。

’05/08/28 (日)

やるぞ


 気疲れのする作業ではあっても、ヤル時にはやらねばならん。と大見得を切ってみたものの、本体を磨き台の上に移動して一服、眺めて一服、イコライザープラグを外して一服、また眺めて一服、ちっとも捗らないのである。アホか。

 写真は、ホーン奥におわすところの、振動板全景である。普段は見ることができない。真っ白で、見た目の質感は陶器のようである。極薄アルミ合金を多孔質ファインセラミックスでコーティングした、PCPD振動板という。なるほど、大雑把に言ってセラミックスは焼き物だから、陶器様なのは当然か。

 ちょっと不思議な質感である。たとえばJA-0506IIの振動板はジュラルミンである。つややかな銀色にキラキラ光って、如何にもトゥイーター振動板然としているわけだ。一方こちらは艶のない白色。このルックスからあの強力な高域が発せられるとは、俄かには信じ難いものがある。開発には随分な時間がかかったと仄聞する。

 この振動板とボイスコイル、リード線が一体化されたものが、ダイヤフラムアッセムブリーとなるわけである。最も重要で、最もセンシティブなキーパーツである。ホーン、イコライザープラグ、磁気回路ももちろん大切だが、こちらはムチャクチャな扱いをしない限りぶっ壊れたりはしない。アルニコマグネットは減磁しやすいというけれど、常識的に使っている分には問題ないと聞く。大きな衝撃を与えてはイケナイ。床に落っことしたり、カナヅチでドツキまわしたりしては遺憾わけだ。

 振動板を傷めないようにすること。DHKするに最も気を使うところである。メーカーメンテはすでに不可能になっている。ホーンを外して磨けば安全、なのは重々承知の上だが、構造上簡単には外れないし、外すことで却って事故につながることも考えられる。

 せめてもの救いは、スロート径、開口径とも非常に大きいこと。空間に余裕があるから、作業は比較的楽である。しかしやっぱり、気遣いなのだなあ。

 と、躊躇っていても先へ進まない。さあ、やるか。

’05/08/27 (土)

チェック完了


 到着3日目にしてチェック完了。並外れて大きく重いトゥイーターだけに、何かしら大袈裟な気分になってしまうのである。基本的には動かしたくありません。

 動作に何ら問題はない。すべて正常である。心配はまったくしていなかったけれど、実際にチェックすれば安心だ。正しくT-300Aの音。ヒジョーに良い音である。当たり前だ。だが、僕はとても嬉しかった。ただ、まったく同じ音、というわけには、やはり行かないようである。

 ややツッパリ感があり、ザラザラした質感である。音の彫りが浅く表現力や厚みが不足している印象だ。平板と言うべきか、生硬と言うべきか。なに、驚くことはない。現用は2年近く大音量で使い倒したものだし、ホーン、イコライザーには磨きが入っている。違って当然なのである。同じだったら却ってビックリだ。

 これを聴いていて、使い始めた頃の音を思い出した。そう言えば最初はこんな音だった。それがCを調整したり位置を追い込んだり磨いたり、或いは単純に時間が経つなどして、今のようになったのだった。使いこなしとエージングは、やはり重要なのである。

 と、思いながらレコードを聴いているうちに、随分と目が覚めてきたようだ。生硬さが消え、厚みが出てくる。解像度、分解能もぐんぐん上がり始めた。初めて使った時に比べ、周辺環境が整っている所為かお目覚めも早いようである。いやあ、ヤッパリT-300Aは、ヨロシイなあ。

 さて、ひとときの休息を得た現用T-300Aである。この間を利用して、曇りが目立つホーンを再DHKしようかしらん。

 これがまた、気疲れする作業なのだケレドモ。

’05/08/26 (金)

大切なもの


 今日は、新着T-300Aの動作チェックをするつもり、だった。ところが予定通りに業務が片付かず。深夜になってしまった。眠気が来た状態でヘロヘロ実行し、落っことしたらさあ大変。機器も人も床もタダゴトでは済まない。ので、今夜は端子と全体のクリーニングに止め、チェックは明日以降のことにする。早く聴いてみたいンだケレドモ。

 初めて実物を見たのは、本家方舟の2階、長岡先生のトゥイーターコレクションにあったものだったことは以前にも書いた。写真で見るものを遥かに上回る巨大さと重さに、ぶっ飛んだことをよく覚えている。確か'95年か'96年頃だったはずである。

 10年後、まさか自分が使うようになるなど、思いもよらなかった。あまつさえ、2セットも所有することになるとは。当時の長岡先生評では「いささか使いづらいトゥイーター」ということだった。巨大、超高能率(110dB)、早めに落ちるハイエンド(公称16kHzまで)、などがその理由であったろうか。FE-208SS(当時)相手に使うには、音色の上でもマッチングが良いとは言えなかったと思う。今だから言えることなのだが。

 元々、フルレンジのハイを補うために作られたトゥイーターではないのである。ホーン+ドライバーシステムとの組み合わせで使うのが、本来の姿だ。取説にもそのように推奨されている。

 それが箱船で使えているのは、208ES2発という特異な環境があるからだ。音色のマッチングはESなら違和感がない。加えて2発使いのおかげで、Cの値を小さめ(と言っても1.8〜2.0μF程度)にとればアッテネーション不要。うまくはまったわけである。尤も、友達からのアドバイスが大きくモノを言ったことはもちろんである。僕の手柄ではない。感謝すべきである。

 おかげさまで、今僕はとても良い音を聴くことができる。シアワセなのである。だが、問題がないわけでもない。T-300A、その上を補うJA-0506II、どちらとも現行機器ではない。これは結構致命的な問題で、常時二の手を考えていなければならない。如何にも不安なのである。だからこそ、こうして2セット目を入手したり、JA-0506IIなら振動板アッセムブリーを買い溜めしたりするわけである。

 斯かる状況は、決して健全とは言えない。理想的には、使用機器すべて現行機器で固めるか、それが無理ならせめてメンテナンス可能なもので揃えるか。健全とはそういうことである。だが、選択範囲が狭まってしまった現在のオーディオ事情では、それがなかなかに実現困難なのである。

 大切に使わねばならない。

’05/08/25 (木)

抱いて寝たい


 2セット目のT-300Aが届いた。実物を目の前にしてなお、夢のようである。ホントに入手できた? 感慨無量。よくぞウチヘ来てくれた。久しぶりに抱えたら、やっぱりヒジョーに重かった。

 元箱、取説はないけれどスタンドは付属している。程度良好、少し錆が出ているところもあるが傷はなく、18〜19年前の製品としては美品である。手持ちのT-500A(新品購入)と同程度だ。文句なし。

 ホーン、イコライザーとも、もちろん磨かれていない。オリジナルのままである。これが正しい(?)姿なわけだ。当面、これをシステムに組み込む予定はなく、DHK(大日本偏執的研磨党)するつもりもない。塗膜を剥すところから始めるのは、並大抵の手間ではないのである。今はそっとしておきましょう。

 シリアルナンバーは881070、881071の連番になっている。ちょっと気になるのはこの番号の意味である。「88」は1988年製造の意か。次の「1」はロットナンバー、「070」「071」が製造順、と、これは僕の勝手な推測。本当のところはわからない。現用のもののシリアルも分かれば面白いのだが、故あって銘板が外してあるのだった。

 外観美品といえども、一度は動作チェックしておかねばならない。ショップに対する礼儀でもある。現用T-300Aをリプレイスし、テストしてみるべし。音、違うだろうなあ。テストだからと言って、片chT-300A×2、コンデンサー1個でシリーズ接続、なんて暴挙愚挙を、やってはイケナイ。

 今夜は、抱いて寝たいような気分です。

’05/08/24 (水)

第一の急務


 遠方にて、いささか急を要する業務あり。前後を外せない業務に挟まれ、強行軍ながら日帰りせざるを得ず、久しぶりに午前様の帰宅であった。さすがにクタビレた。しかし、これが僕の重要な業務なのである。ともかく無事帰れたことを感謝したい。おかげさまです。

 一生懸命目覚ましガムを噛みながらこれを書いているものの、どうやら今夜はこの辺りが限界のようでゴザイマス。明日の業務は早出である。

 して、今日の画像が意味するところは? 御同業なら、お察し下さいますでしょう。

’05/08/23 (火)

信じ難く


 このトゥイーターの話題になると、いつも同じような写真ばっかりだ。まったく能がない。お許し願いたいのである。

 AE86さんからのアドバイスもあり、「T-300Aをお譲りください」と書いたのは2ヶ月前だ。世に出た数が非常に少ないトゥイーターである。そう簡単に入手できるはずもない。書いてはみたものの、ほとんど不可能に近いと半ば諦めつつのお願いだったわけである。

 昨日、いつも拙webサイトをご閲覧くださっている方からメールをいただいた。件名には「T-300A中古出ました」とある。一瞬シンゾウが縮まり、俄然色めき立つくずてつであった。僕が欲しがっていることを知り、とある中古ショップに出ているとお知らせくださったのである。

 ワチャワチャとリンクをクリックし、確認してみる。あった。間違いなくT-300Aである。かなりの美品で、しかも価格はヒジョーに良心的である。これを見逃して何とする。くずてつ男が廃るというモノである。

 フォームを埋めるのももどかしく、大急ぎで注文を確定させる。何といっても受注は先着順である。一瞬の遅れがイノチ取りになるのは稀少レコード探索でイヤというほど思い知らされている。早く着け(っても無意味である)と、心は焦るばかり。

 とりあえずは受注されたようだった。後は良い結果を待つばかりである。ドキドキしながら頻繁にメールチェックする。今日の午後になって「T-300A受注の件」というメールが、ショップから届いた。

 件名だけではOKかNGかの判断はつかない。開いてみた。こういう瞬間、童心に返ってしまいます。

 おめでとうございます。「在庫は取置きしております」との文面に狂喜乱舞、手の舞足の踏むところを知らず。まさに大喜びである。いやー、なんともうれしい。こんなに早く手に入るなんて。俄かには信じ難いのである。

 現用のものを入手した時も、その稀有なご縁に感謝と不思議を感じずにはいられなかった。今回も同様である。如何にネットが進化したと言えども、やはりそこには人と人との縁がなければ、こういう結果は得られない。僕は唯々感謝するばかりである。貴重な情報をお知らせくださって、本当にありがとうございました。

 到着が待ち遠しい。2セット目のT-300A、楽しみだなあああああ。

’05/08/22 (月)

序曲集


 晩ゴハンのあと、テレビを見ていたら、ニュース番組のBGMにスッペの「軽騎兵序曲」が流れてきた。知らない人はいないンじゃないかと言えるほどのウルトラポピュラークラシック、だと僕は思うのだが、チガウかな。私儀、この曲大好きであります。

 そこでこのCDである。「WILLAM TELL & OTHER FAVORITE OVERTURES / ERICH KUNZEL / CINCINNATI P.O.」(米TELARC CD-80116)。(P)(C)1986。

 「軽騎兵」の他、オーベール「フラ・ディアボロ」、エロール「ザンパ」、スッペ「詩人と農夫」、レズニチェク「ドンナ・ディアーナ」、オッフェンバック「天国と地獄」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」の全7曲収録。最も長い曲でも12分20秒。これでもかと序曲序曲の目白押しである。どの曲も、一度はどこかで聴いたことがあるものばかり。おそらく誰が聴いてもそうだろう。

 久しぶりに「軽騎兵」から聴いてみた。さすがテラーク、名曲連発でも音が良い。と、言いたいところだが、ちょっと待った。確かにグランカッサなどはどすーんと来るし、金管楽器の切れもよい。ところが、AD時代のテラークとは明らかに音が違うのである。

 気になるのは弦楽器である。威勢がよいのは結構だが、荒れ気味でヒステリックだ。繊細感に欠ける印象。分解能もイマイチ、fffではやや混濁して聴きづらくなる部分もある。トライアングルの連打やシンバルの強打にも濁りを感じる。

 一般的な水準なら充分優秀と言えるCDだが、テラークのタイトルとしてはいささか残念ではある。この録音ではサウンドストリーム社のレコーダーは使われていない。おそらくCD時代に入って、標本化50kHzから44.1kHzへの変換を嫌ってのことだろう。

 と、文句ばかりつけているようで僕はこのCDが好きである。ただし、これ以降のテラークCDを、積極的には買わなくなったのも確かだ。'85〜'86年頃を境に、テラークは音作りを変えていったように思う。

 今やすっかりメジャーレーベルに、なってしまいました。

’05/08/21 (日)

2世スイカ


 季節外れのスイカである。ウチの庭でできました。と言っても、苗を買って育てたわけでは、ないのである。

 昨年の夏、愚息ドモが庭先で食べた大玉スイカの種が、たまたま畑に落ちて芽を出し、どんどん大きくなって行く。この先どうなるンだろうと興味本位で水をやり続けたらば、とうとう実がなった。こういうのは、たいがい大きくならずに腐るのが常である。行けるところまで行けと、それでも水をやる。結果、ついに直径30cm弱にまで成長してしまったのだった。

 こんなのが一つならず三つできている。どれも叩くとトントンと良い音がする。成長はすでに止まっているようだし、そろそろ食べ頃かと、思うが僕は農業のプロではないからわからない。詳しい人に尋ねてみたら「まだちょっと早いようだ」との御託宣である。焦ってはイケナイわけだ。

 美味いか不味いか。冷静に考えれば美味いわけはないのである。だが、自発的に生えて自発的になった野性的2世スイカが、楽しみだ。面白いじゃありませんか。

 どんな味かな。

’05/08/20 (土)

中古盤の声


 購入するADの中古盤含有率が高くなって久しい。すでに10年以上は経つだろう。ここ数年、復刻新盤の数が増えてきたとはいえ、昔買えなかったタイトルについては、ほぼ100%中古盤ということになるわけだ。現状、致し方なしである。入手できるだけありがたいと思うべきだろう。

 ヒトコトで中古盤と言うも、盤の状態は様々である。開封のみでほとんど聴いていないと思われるものから、聴き過ぎて擦り切れ寸前のものまで、Dレンジは広い。

 中古に汚れや傷、経年劣化は付き物だから、それは覚悟の上である。イヤなら手は出さないわけで。気になるのは、見た目ヒジョーに美しく、しかし聴いてみると内周へ進むほどにノイズが増えてゆくレコードである。こういうのは、いささか残念に思うのだった。

 おそらく前オーナーさんのAD環境が劣悪だったのだろうと推測される。著しく感度の低いアームを使っていたか、オーバー(アンダー)ハングが大幅に狂っていたか、針圧が適正でなかったか、スタイラスがひどく磨耗していたか、プレーヤーの水平が取れていなかったか。他にも原因はいろいろ考えられる。

 いずれにしてもこの内の何か一つ、或いは複数のファクターが絡み合い、レコード内周部の音溝をゴリゴリ削り取った結果である。トレースするんじゃなくてカッティングしてしまったわけだ。盤が傷むことはもちろん、カートリッジもおかしくなっちゃうと思うンだが。

 「ADはスクラッチノイズが多くて聴くに堪えない」とは、CD派の人からよく聞く言葉である。接触再生型なのだから、ノイズが出て当然である。しかし、こう言う人たちは、どんな環境でADを聴いたのだろうか。僕はいつもそれが気になって仕方ないのである。

 上に書いたような各調整をきちんと最適化し、盤と針先を常にクリーンに保てば、ノイズ感はほとんど皆無にまで抑え込めるのである。実際、箱船を訪れるお客様の中には「ADってこんなにも静かなものだったんですね」と驚く人が多い。拙システムが特に秀でたもの、なのでは決してない。最適化されていないことが多いのである。

 環境を整えられることなく、埃も汚れも巻き込んで音溝を傷められ、結果ノイズだらけになったレコードを「だからADはダメ」と打ち捨てる。中古盤のやるせない声が聞こえてきそうである。

 僕らだってほんとうはもっと良い音を提供できるのに、と。

’05/08/19 (金)

少年と金魚


 6日に書いたCDが届いた。「BOY WITH GOLDFISH」(米Albany RECORDS TROY053)である。(C)1980、(P)1991。

 ジャケットはAD同様、この曲の基になっているハワイ神話を題材に採ったジョン・トーマスの絵(7枚連作)である。ただし、ADでは第7作「Rainbow Falls」が、このCDには第6作「The Battle」が使われている。第7作はホノルルのコンテンポラリー・アートセンター・オブ・ハワイに展示されているそうだから、ハワイ旅行の際には是非ご鑑賞を。

 長岡先生のA級外セレ第1集に、この神話が短く解説してあるので、それを引用する。

 「天地創造の時、一人の少年が生まれ、金魚に姿を変えた悪魔も生まれた。少年を誘惑する金魚、少年に警告し、救けようとする少年自身の良心(アニマという名の少女として人格化して登場)。少年は金魚を追って池に飛び込み、地底の世界に入り込む。やがて正体を現した悪魔は巨大な海蛇の姿となって少年に襲いかかる。しかし、少年は俄かにたくましい青年に成長、海蛇の頭と尾をつかまえ、海蛇の口に尾をねじこんで輪にしてしまう。海蛇は自分自身を焼きつくし、七色に輝き、透明になり、ついに天空にかかる虹となる」

 7作ともノーツに載っている。とてもカラフルで美しい絵である。曲風もまさにそのままで、視覚的で色彩感の強いものである。僕の好みだ。

 録音についての技術解説は下記の如くである。

 「1979年7月に、サウンドストリーム社のディジタルレコーダーで録音されたオリジナルマスターテープを基に、トーマス・マクルスキーによって1991年に再編集した。その際には作曲者本人の監督を得、完成した最終ヴァージョンをソニー1630マスターで変換し、このCDのマスターとした」

 サウンドストリーム社のディジタルレコーダーは、16bit/50kHzとサンプリング周波数が高い。ADなら不要なSRCだが、CDとなればそうは行かない。再編集されているようでもあるし、その辺りが音にどう出るか。早速聴いてみた。

 ADに比べると、切れ、透明感、力感、浸透力、厚みなど、多くの点で一歩後退、という印象は拭えない。ADにあった壮絶な凄みがややネグられ、フツーの音に近くなったような印象である。野性味が薄まり上品になったと言ってもよい。

 ただし、そう感じるのはADの音を知っているからであって、CDだけを聴いていればまったく文句なし。そんじょそこらのCDでは絶対に聴けない音であることは確かである。「パフ」のパワーも充分、変らぬ大爆発サウンドである。よくできたCDだ。これならディジタルメディアしか聴けない環境の方へ、自信を持ってお薦めできる。もちろん、ADをお持ちの方へもお薦めしたい。

 このCDの初出は1991年。14年間も存在を知らなかったのは、残念極まりなし。

’05/08/18 (木)

プログレではナイ


 TRILLIONを聴いた。何年ぶりかもわからない。ムカーシ、まだ母屋でオーディオしている頃、兄に借りて聴いたことはあるが、どんな音で鳴ったかゼンゼン覚えていない。箱船では初めてである。

 曲はよく覚えていて、高校生時代を懐かしく思い出させてくれる。当時('78年頃)のロックシーンでは、BOSTONがバカ売れしていて、新人グループは大なり小なり影響を受けていた。TRILLIONもその例に漏れず。乱暴な言い方をすれば、BOSTONにYES風味の調味料をふりかけたような曲風、といった感じである。確か、プログレッシブ・ロックにジャンル分けされていたような記憶がある。

 ロックとしては良いほうに入ると思う。ハイは歪み感が少なくきれい。ボーカルは痩せ気味で厚みが足りない。ちょっと電気ボーカル風。低域は馬力があって良いが締まりがイマイチ。ボソボソしている。歪みも多い。バスドラムの強打でクリップする感じだ。尤も、ロックでこれくらいならおおかたOK。大音量再生に充分堪え得る。

 全曲通して聴いた感想。これは間違ってもプログレッシブ・ロックではありません。ちょっとヒネリの利いたアメリカン・ロック、である。どの曲も暗さや重さは微塵もなく、どこまでも明るく抜けが良い。個人的には大好きだが、個性的かと言えばそうでもなく、やはりBOSTONの二番煎じという印象は免れない。商業的には不成功。頷けるのである。

 2枚目のアルバムはファーストにも増して売れず、知らぬ間にフェイドアウトしてしまったバンドである。

 セカンドも、捜そうかしらん。

’05/08/17 (水)

TRILLION


 先月28日に載せたレコードが届いた。「TRILLION」(米CBS/EPIC 35460)である。(C)1978。「NITE CITY」同様、とても懐かしいレコードである。兄に自慢できるなあ。

 ジャケットは先月載せてしまったから、今日は裏側の写真を挙げておく。収録曲名、メンバーパーソネルとともに、「TRILLION」の意味が解説してある。「兆」(10の12乗)、或いは「百京」(10の18乗)などの数の単位を意味する単語とは別のようだ。

 語源は「TRILL」。タルティーニの「悪魔のトリル」の「トリル」である。解説に曰く「ROOT WORD : TRILL - Vibrate ; Shake ; Warble ; Sound ; Quaver ; Roll ; Twirl ; Revolve ; Trickle. The alternation of two musical tones a scale degree apart. Rapid alternation of the same tone.」とある。バンドとしてのグルーブ(いわゆる"ノリ"。ゆらぎと言ってもヨイか)、ハーモニーなどを意識してのネーミングだろうか。ちょっと理屈っぽいような独善的なような気もする。名前に凝ったワリには売れなかった? ジャケット表にディザインされている三つ頭のライオン(トラみたいだケド)は、シャレかライミングだろう。

 ショップによると、出荷前に業務用バキューム式クリーナーで厳重にクリーニングしてある、そうだが、袋から出してみると埃がひどい。汚れも残っている。僕としては、当然レコパックするわけである。

 久しく聴いていない。ヒジョーに楽しみである。

’05/08/16 (火)

AD圧勝


 8月16日。京都大文字焼、送り火である。これを以ってお盆2005が終了したわけである。丹後のイナカは風に秋を感じ始めている。

 と言っても日中はまだまだ暑く、気温は30℃を下らない。何か涼しい音楽はないかと、レコードラックをごそごそしていて見つけたのは、「AKA-GUY」のAD(日FOR LIFE 28K-107)である。(P)1986。

 3年ほど前、CDを載せたことがある。「輪郭強調をかけたような不自然さがあり、深みや艶はない。冷たい音なのである。つまり、『冷たい』=『涼しい』というわけ」などとタワケたことを書いている。苦し紛れのネタである。今日もそうだケド。

 ADがあったことなんかすっかり忘れていた。何時何処で買ったのかもまったく覚えていない。'90年6月29日と、確かに僕の字で書いてあるから自分で買ったのだろう。いい加減してます。箱船で聴くのも今回が初めてである。

 CDは、以前にも書いた通りあまり芳しくない。3年前からすれば多少は進化した(はずの)現システムで聴いても同じようなモンである。しかし、ADの音にはいささか驚いた。

 モノがモノだけに、いわゆる優秀録音盤とは違う。が、CDにあった艶不足色気不足は感じられず、音に実在感と力があり、これはこれでヒジョーに良い音だ。各種エフェクターかけまくり、みたいな録音だがADではイヤ味が少なく聴こえる。CDよりも歪み感が少なく抜けも良い。一音一音に生気がある。

 この違いは大きくて、オーディオファンならもちろん、オーディオに興味を持たない人が聴いても明らかにわかるほどの差だと思う。箱船の環境下では、AD圧勝。何故こうなるのかは、まったくワカリマセン。

 音に生気が出て冷たさが消えれば、涼しさもクソもないわけで、夏向きのタイトルではなくなってしまうのであった。

 企画倒れしてますな。

’05/08/15 (月)

起きろ


 お盆行事、本日にて全日程終了。多少の残務整理はあるものの、今日のこの日の達成感と解放感は堪えられない。ともかく無事故で終えられたことを、感謝するばかりである。

 今月5日から今日までの11日間、まったく音を聴かなかった。クタビレていたせいもあるが、それよりも気持ちが落ち着かないのである。

 夕方、久しぶりに少し聴いてみた。何だか冴えない音である。普段、如何に大音量で鳴らしていようとも、10日以上も動かさずにいれば少々寝ぼけてしまうようだ。ここは一丁叩き起こしにかかるべし。間もなく「少年と金魚」のCDも到着するはずだし、これなら寝ッシー目覚ましに最適である。サメ皮パフでドッカーンと1発。

 ヤバンである。

’05/08/14 (日)

声は大切です


 朝起きてみたら、声枯れが昨晩よりも悪化している。こんなんでちゃんとお経が詠めるンだろうか。「声がムチャクチャなので休みます」というわけにも行かず、ともかく務めはしてきたがヘロヘロだった。遺憾なあ。

 薬もノドアメも効かない。2、3日大きな声を出さずにいれば自然に治るだけのことである。だが、もっと良いのは、タバコをやめることだろう。

 ある人から「ホンキでやめたいと思っているのなら、良いものあげる」と言われた。「大ホンキです」と、もらったもの。断煙(禁煙ではナイ)に驚異的効果を発揮するという。

 ホントにやめられたら、報告する。と、先に逃げを打っておくようではダメかな。

’05/08/13 (土)

あと少し


 棚経全日程終了。疲れたけれど、この安堵感と達成感はなかなかのものである。無事に回り切れたことを、心から喜びたい。おかげさまです。

 明日から2日間は近隣寺院のお手伝いである。声枯れでいささか苦しくもあるが、もうひとがんばりしよう。

 今夜もオーディオする元気なし。寝ます。

’05/08/12 (金)

明けるまで待って


 4日目終了。朝のうち、中途半端な雨が降った所為で湿度が高く不快指数極大。セイロの中で蒸されるニクマンジュウの気持ちがよく分かった。今日でお盆行事も峠を越えた感じである。イヤハヤ、歳とともにシンドくなります。

 先月下旬に「入荷予定です」と、なじみのショップから連絡があったレコードが届いた。3タイトル、どれも既に持っているものばかりだが、この手のものは見つかった時に手当てしておくことにしている。次がない可能性が高いからだ。自分のスペア盤に、或いは未だ入手できずにいる仲間のために。

 既存のものでも、一通り聴かねばならない。盤の状態くらいはチェックしておきたいのである。しかし、今晩はその元気も気力もなし。今聴き始めたら、一瞬で居眠り状態に入りそうだ。ADを聴きながらの居眠りは厳禁である。はうっと気がつきリードアウトエリアで空転する針を慌てて上げたら、カンチレバーがどっか行っちゃった。なんて恐ろしい体験はしたくないのである。

 お盆が明けてから、聴こうね。

’05/08/11 (木)

盆が明ければ


 中日3日目終了。今日も大過なく終われたが、足腰と声にいささか疲れが出てきたようだ。あと2日である。ガンバロウ。

 棚経が終り、近隣寺院の施餓鬼お手伝いをこなせば、お盆も終りである。お盆明ければ、日本海側の海水浴もほぼ終り。波が荒くなりクラゲがお出ましになるからである。夏休み突入とほぼ同時に多忙となるくずてつ家では、もう何年も海で泳いでいないのである。ブヨブヨの体を人様に曝すつもりはないから、それでよいのだけれど。

 お出ましになるクラゲは、写真のアカクラゲさんである。こいつはなかなかに強力で、長い触手に少しでも触れたらさあ大変。大ヤケド、あるいは強烈な電撃のような強い痛みと酷いミミズ腫れを起し、なかなか治らない。さらに強力なカツオノエボシほどではないにしろ、人によってはショックで死んでしまうこともある。波打ち際に打ち上げられているヤツも油断ならない。本体は死んでいても、触手の刺胞は生きているからだ。絶対に触っちゃイケマセン。

 この時期、波が高くなった海を狙って集まるサーファーのオニイサンオネエサン。このクラゲを見て「まあキレイ」と素手でつかもうとした。たまたま通りかかった地元のオジサンに「触ったらアカーン!」と怒鳴られ無事だった、という話を聞いたことがある。海にイノチを賭けるサーファーさんともあろうものが正しいクラゲ知識も持たないとは、イカガなものか。

 お盆明けにクラゲで彼岸へ渡っちゃったら、シャレにもならんのである。

’05/08/10 (水)

心は健全


 2日目も無事終了。クタビレました。ただし、達成感のある快い疲れである。精神衛生上たいへんヨロシイ。心は健全である。

 あと3日。明日からはやや涼しくなるという、気象予報士さんの言葉はホントだろうか。あまりアテにはならんような気がするが。

 というわけで、今夜も早寝するくずてつなのである。もうしわけない。

’05/08/09 (火)

効かず


 1日目無事終了。今日はとても良いお天気で、つまりヒジョーに暑かったわけである。ともかく事故なく終えることができ、ほっとしている。恒例行事とはいえ、何年やっても緊張するに変りはない。

 帰ってきた直後は、さほど疲れてはいない感じだった。お、オイラもまだまだ若えかなと、思ったのは、大きなマチガイ。晩ゴハンを食べてお風呂に入ったらもうグニャグニャである。日誌を書こうとPCに向った瞬間、生命のキケンを感じるほどの恐ろしいネムケが。

 お盆の間はきっとこーゆーことになるだろうと予測し、買っておいたのが上の写真。ロッテの眠気醒ましガム「BLACKBLACK」である。これを噛めばキャッチコピーどおり「眠気スッキリ!☆」、どんな時でも日誌サクサク書ける。はずだった。

 遺憾。ゼンゼン効かねえ。いっぺんに4粒噛んだが意識モーロー状態は変わらない。要するに、ガムでごまかしが利くほど、若くはないのであった。無駄な抵抗はよして、今晩はもう寝ます。

 明日も、よいお天気だそうで。

’05/08/08 (月)

稲の花咲く頃


 昨日の法要は、おかげさまで大過なく終了した。それにしても尋常ではない暑さであった。汗がキモノを通り越し、衣も貫いて袈裟まで染み出していた。少しはダイエットできたかしらん。終わってからゴハンをわしわし食べていたのではあまり意味ないか。

 明日早朝からは、これまた恒例の全檀家回り「棚経」である。毎年同じことを書いている。夏の風物詩みたいなものだから、仕方ないのである。この時期のネタはこれしかありません。

 棚経の時期になると、毎年咲くのが稲の花である。汗を拭きながらたんぼ道を歩けば、あの独特の香りが漂ってくる。懐かしいような、どこか秋の気配を含んだような、香り。

 もう暫くは暑い日が続くのだろう。しかし暦の上では昨日が立秋である。既に秋なのである。そう言えば昨日の夜風は、ずいぶんと涼しかった。裏庭の草むらでは、スイッチョン(正しくは、ウマオイ)が喜んで鳴いている。よくしたものである。

 残暑お見舞い申し上げます。

’05/08/07 (日)


 庭の百日紅が咲き青空に入道雲が立てば、今日は恒例の施餓鬼供養会である。お手伝い皆さん方のおかげさまで無事準備完了。ひととき中休みを入れて、午後3時からの開式である。

 今日も暑い日になった。御参詣いただくのもお気の毒なくらいに。だが、施餓鬼は暑くなくちゃあイケナイ。蝉の声と読経を聞きながら、汗をかきかき御先祖様へ供養する。これは一つの行なのである。

 さあ、気合入れて、行くぞ。

’05/08/06 (土)

CD発見


 「BOY WITH GOLDFISH / LEE HOLDRIDGE / THE LONDON S.O.」(米VARESE SARABANDE VCDM-1000.30)。(P)1979。このレコードもなかなか手に入らず、モンモンとしていたところへ友達の厚意により手にすることができたという、いつもと同様のパターンなのである。'91年10月16日。もうはや14年も経っちゃったンだなあ。当時僕は大喜び。その節は、ありがとうございました。

 全域に渡って輝きと厚みが凄く、恐るべき力感とスピード感が漲る録音である。特に恐ろしいのは、ココナツの大木をくりぬきサメ皮を張った「パフ」という大太鼓、である。この音をどう表現すればよいのか。硬く、しかも圧倒的な厚みと圧力のある音が、強烈な風圧を伴い「ドッカーン!」とくる。大袈裟ではなく後方へぶっ飛ばされそうな音だ。もうタダゴトではないのである。初めて聴いた時、思わず立ち上がり何事が起きたのかとオタオタしてしまった。

 テラークやデロスと同じく、サウンドストリーム社のディジタルレコーダーを使っての録音である。Dレンジが広く抜けのよい音は、やはり共通するものがある。低域の充実感も同様である。最近こういう音が少なくなったような気がするのは、僕だけだろうか。

 ADは、入手難である。レーベルは今も活動しているが、カタログのほとんどが映画のサウンドトラック盤になっている。もちろん、現行タイトルにADはない。中古市場でも滅多に見かけない。僕の検索がヘボなだけかしらん。

 久しぶりに思い立って検索してみたらば、残念ながらADにはヒットせず、しかしCDが見つかった。以前はCDにも当らなかったのだが。知らぬ間に、リリースされていたのである。

 米ALBANYというレーベルから「TROY053」のカタログナンバーで出ている。恥かしながら、僕はこのレーベルを寡聞にして不知。まったく聞いたこともなかった。ナルホド、VARESE SARABANDEで捜しても見つからないはずである。

 アメリカ音楽中心のカタログを揃えていることで、以前から有名な巨大レーベル(でも、メジャーではない?)だそうである。ただ、ここ5年間ほどは日本でのディストリビューターがなく、ほとんど入荷がなかった、と。今年の初めになってTobu Tradingが輸入を開始し、国内でも買えるようになった。

 と、ここまで判明したのは、ALBANYのwebサイトから直接購入を決めた後だった。僕の知る限り、国内ショップならカデンツァで買えるようだ。おそらく他にもあると思う。CD本体の価格は直接購入のほうが安いが、送料込みではカデンツァのほうが安くあがる。当たり前なのである。ちょっと勇み足。

 CDになって、あの壮絶猛烈サウンドが、どんなふうに鳴るのだろうか。非常に興味深く、楽しみでもある。

 試聴でき次第、改めて報告する。

’05/08/05 (金)

廃れる


 「音場再生についてのユーザーの関心は低い」とは、那須さんのご投稿である。僕もそう思う。機器のディザイン、音質、価格については大いに気になるところ、しかし、音場感にうるさい人はぐんと少なくなるようだ。web上で見るいろんな意見、或いはオーディオ誌上で読む評論でも、音場の再現性に言及するものは極少である。

 2ch2スピーカーで、あっと驚く広大無辺な音場が再現できる。おそらく昔は常識だっただずだ。どこでどう間違ったか知らないが、いつの間にやら「スピーカーあるところに定位あり」という認識が蔓延してしまった。

 初めて「センタースピーカー」なるものを見た時、僕はヒジョーな違和感を持ったのである。「明確なセンター定位をとるには、センタースピーカーは不可欠」というなら、センターとLch、Rchの間はどーするンだ。スピーカーないところ定位なし、というのなら、部屋をスピーカーで埋め尽くさねばならないはずである。尤も、愛・地球博でのスーパー・ハイビジョンには83個ものスピーカーが使用されているそうだから、理屈に合っているわけだ。

 それはそれで存在価値があり、決して否定するものではない。よくできたマルチチャンネルサラウンドには、格別の感動があることも知っている。しかし、真正ステレオ再生とは、そういうものとはまったくの別物である。スピーカー、部屋を完全に無視して定位する音像、音場を一度でも体験すれば、誰でも分かることなのだが。

 音だけでなく、音場情報をも多く取り込んだ録音。そういうソースが圧倒的に少ないのも、ユーザーの関心を低くしている大きな原因なのだろうと思う。僕がよく聴くロック系のタイトル、音場を感じるものは皆無に近い。J-popも同様である。

 市井の一エンドユーザーに過ぎない僕が、いくら「音と音場情報はステレオ再生の両輪だ」などと力んでみても、屁のツッパリにもならないことはよく分かっている。分かっていながら、僕は思う。

 真正ステレオが廃れて行くのは、如何にも寂しいことである。

’05/08/04 (木)

phase


 折に触れ、ご自身が録音された音源をCD-R化し送ってくださるのは、皆さん御存知SY-99さんである。今回は3タイトル、いただいた。

 今日はそのうちの1枚を紹介したい。「phase」(YO-00061)である。ジャケットに見られる如く、ジェット機の飛行音を捉えたものだ。2005年6月22〜23日、羽田沖城南島での録音。全4トラック29分50秒。

 SY-99さんによる解説を引用する。「ステレオ再生において位相は、音場感や移動感に大きく影響する。しかし、実際のソースで真のステレオを体験することは極めて困難な状況だ」とある。phase、まさに位相である。そういった認識の上で、1.前方から上空通過 2.後方から上空通過 3.右方向から上空通過 4.右手方向から上空旋回通過 と、ロケーションに変化をつけた4トラックが収録してある。これは一つの挑戦なのである。

 ジェット機の飛行音だけを聴いて何が面白いのか、というムキもあるはず。だが、オーディオを少しでもカジったことのある人なら、このCD-Rを聴いたあとも同じことを言えるだろうか。おそらく沈思黙考するに違いないのである。それほどにこの録音の音場感、移動感は凄い。

 トラック1。前方上空からジェット機が徐々に近付いてくる。スピーカーも部屋の壁も天井も完全に無視して遥か上空に定位する。音像は実物大でピンポイント。高さを保ったまま頭上を通過し後方へ飛び去る様は、圧巻と言うほかなし。知らず首をすくめてしまうのである。真上に来た時の音圧は相当なもので、しかし歪み感ゼロ、耳をつんざくような轟音でありながら危機感はない。生そのものといって良い。歪みがないからと言って調子に乗ってボリュームを上げれば、トゥイーターが危ないと思う。壮絶録音と言うほかなし。

 トラック2、3、4も、それぞれすさまじいばかりの音場感である。箱船システムはスピーカーマトリクス再生ということもあり、後方定位は比較的明確である。しかしこの音源なら、純粋な2スピーカーステレオ再生でも後方定位が可能だと思う。実際そのような狙いで録音されているのである。

 再び解説から引用したい。「基本に忠実、シンプルな録音(筆者註:マイク2本をDAT直結)を心掛けることで、その場の音場をありのままに記録できるということを是非、知って欲しいものだ」と。僕もまったく同じ思いである。これぞ本物、真正ステレオである。この音、この音場を聴かずして何とする。

 音そのものにこだわるのも結構、だが、音場再現性を無視してしまっては、ステレオとは呼べない。音と音場。真正ステレオ再生において、欠くべからざる両輪なのである。

 SY-99さん、今回も素晴らしい音源を、ありがとうございました。

’05/08/03 (水)

欣喜雀躍


 先月26日の日誌で「求ム」のお願いをした「NITE CITY」。ワガママなお願いにもかかわらず、書いた翌日お二人の方から情報提供をいただき、10日も経たないうちに、なんと2枚もゲットできてしまった。まったくの別ルートなのに、今日の午後ほとんど同時に届いた。なんたる偶然。お二方には心から深々の御礼を申し上げたい。ありがとうございました。

 実物を手にした今も、何だか信じられないような気持ちである。こんなに上手く行くなんてウソみたいだ。ネットの力、いや、そうではなく縁のなせる業と言ったほうがよいだろう。僕のオーディオは、いつも友達に助けられ支えられているのである。如何にもありがたいことだ。

 レーベルは米20th CENTURY RECORDSとなっている。あまり聞いたことのないレーベルである。20世紀FOXとは、無関係だろうな。レコード番号はT-528。(P)1977。どちらも純然たる中古盤、ジャケットは傷みが目立つ。両者色目が違っているのは、ロットの違いだろう。盤は同一ロットのようだ。

 ジャケットからすると盤は比較的きれいである。やや傷が目立つが問題はなさそうだ。汚れは酷くないし、得意のレコパックで取れるからこれも問題なし。何よりもこのレコードを、今聴けることがうれしくてうれしくて。

 レコパックは時間がかかるから後回しにし、早速聴いてみる。ガマンできないのである。ともかくはA-3「Love Will Make You Mellow」だ。

 うむ、ヒジョーにヨイ。28年前にエアチェックしたカセットテープとは全く別物である。当たり前だ。センター集中型定位なのはちょっと気になるけれど、思ったより音は悪くない。曲はパワフルで大袈裟で無理矢理ドラマチックで、ボカァこんなの大好きです。今や滅多と聴けなくなってしまった、骨太で男性的な、アメリカンロック。いやー、手に入ってほんとによかった。

 70年代ロックは、イイ。

’05/08/02 (火)

一人よりも三人


 若え衆の熱気に当てられ、くずてつ久しぶりにセットを叩いてみるの図。お昼間は何かと不都合が多く、かと言って夜は御近所迷惑になる(2階は音がヌケヌケである)ので、スネアにはミュートをかけ、ハイハットは固くクローズし、ごく軽く叩く。それでもうっかりするとバキッと大きな音が出てしまうから油断はできない。

 力任せにバコバコぶっ叩くのはカンタンだが、ひそやかに小さな音で叩くのはなかなかに難しいのである。それでしっかりとしたビート感を出せれば名人クラスだ。僕にそんな芸当ができようはずもないわけで。

 夜のヒソヤカドラムは、結構なトレーニングになる。この状況でしっかり基礎を叩き込めば、ひょっとすると20年前レベルくらいには、戻せるかもしれない。と、極めて都合のよいことを思う。馬鹿みたいに楽観的なのである。そう感じるだけで、実際にはそう上手く行かないのが、楽器というものであります。

 まあ、それでよいわけだ。僕にとってはドラムは、趣味のうちの一つなのだから。今さら昔のように太鼓でメシを食おうなどと大それたことを考えるわけでもなし。ヘボでもイモでも、自分が楽しけりゃそれで吉。ただ、一緒に演奏できる友達が近所にいてくれたら、もっと楽しいだろうにとも、思う。

 大阪時代、「親方バンド」(なんちゅうセンスでしょうか)というグループを組んでいた頃の友達に、連絡取ってみようかしらん。バッド・カンパニーが大好きだったベースのY、エリック・クラプトンに命を賭けていたギターのA、今も元気にしているだろうか。

 明日、電話してみよう。

’05/08/01 (月)

3枚目


 8月もADからスタートである。

 今日のタイトルは「QUEEN / A Night At The Opera」(英EMI 7243 8 55674 1 4)である。これを載せるのは何度目か。日誌ではたぶん2回目、プロフィールのページにも載せている。ちょっとクドい。くずてつ初めて買ったLPレコードということで、思い入れが深いのであります。ご勘弁ください。

 1枚目は'76年2月購入。ごく普通の国内盤である。2枚目は昨年7月14日の日誌に載せた通り、MO-FI盤である。これは高価だった。今回の3枚目は、英EMIのミレニアムシリーズ限定盤。'97年にリリースされた、180g復刻盤である。とあるショップサイトで見つけ、最初は「もうエエだろう」と思いながら、結局ガマンできずに買ってしまいました。これはそんなに高くなかった。

 MO-FI盤は、プレミアがついているわりに音はイマイチである。尤も、盤の値段と音に相関があるわけもなく、凡そプレミアなどというもの、本質的価値とは無関係に値が決まることが多い。数が少ない上に多くの人が求めるものであれば、価格は自動的に高騰するのである。ジャーニーのMO-FI盤「エスケイプ」なんか、$750です。さすがに買えねえ。

 話が横に行ってしまった。今回の盤は、開封のみ未試聴ミント盤ということで、ジャケット、盤面とも非常にきれいなものである。価格も常識的だ。ヒジョーにありがたいのである。

 音は、この盤がいちばん良い。明らかにMO-FI盤を上回っている。埃っぽさ、歪み感が少なく、音がきれいである。音に伸びがあって抜けも良い。CDも含め、今までに聴いた中では最良だと感じた。大正解である。

 これを以って「Opera」は打ち止めにしよう。あと、心の片隅に引っかかっているのは、「A Day At The Races」のMO-FI盤である。未だに逡巡しているのだ。フン切れが悪いったらありゃしない。一時期よりも価格が落ち着いているようだし、今度こそ買っちゃおうかしらん。

 遅い仕事はネコでもするぞ。