箱船航海日誌 2005年02月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/02/28 (月)

13年


 箱船以前からずっと手許にあり、しかも一度も使ったことのないユニットである。型番はHSA1238-01Aという。ビクター製アルミコーン10cmフルレンジ。1989年発売のSX-100というシステムに使われていたものだ。

 アルニコマグネットつぼ型ヨークの磁気回路、ガッチリした6本足ダイキャストフレーム、表面をアルミナ化したアルマイトコーン、メタルキャップつきメカニカル2ウェイで実測重量1.9kg(FE-108ESIIでも1.45kg)という、ゴージャスなユニットである。

 どういうわけか'90年ごろからユニット単売され、長岡先生もこれでダブルバスレフシステムを発表しておられた。先生が単売を促されたンだったっけ。stereo誌'90年7月号に載っているところの「F-30V」がそれである。

 僕がこれを買ったのは'92年2月29日である。東京の友達宅を訪問した帰りだったからよく覚えている。しかし、買うに至った動機がよくわからない。

 F-30Vを作ろうとして、ではないことは確かだ。オリジナルに設計しようとしたのかな。いや、そーではない。たぶん、美しいルックス、豪華な仕様、大きな自重、のわりに安い(1本7,000円くらいだった)、つまりハイCPだという理由だけで買ったような。なんちゅういい加減な話なのだろう。

 以来13年、まったく手付かずのまま箱の中で眠っている。コーンの輝きは当時のまま美しさを保ち、もっとも劣化しやすいエッジもいたって健全である。ウレタン系エッジならこうは行かないだろう、クロスエッジだからこそである。

 わりと最近まで市場にあった(今はない、かな?)ようで、持っておられる方も多いだろう。メカニカル2ウェイがイマイチ上手く決まっていない(5kHzあたりに大きな谷がある)とか、フレーム裏(バッフル接触面)に段差があるとか、少々使いにくいユニットである。

 今後もおそらくデッドストックのままになると思う。けれども、僕にとっては手離したくないユニットなのである。

 鳴らしてこその、スピーカーユニット、だよーん。

’05/02/27 (日)

終りにして欲しい


 秋の終わりごろに出た長期予報に曰く「この冬は暖冬で寒さはゆるく、雪も少なめになるでしょう」と。一部正解、一部ウソ。寒さと暖かさが入り混じった妙な冬である。雪は決して少なくない。昨年よりも多いくらいだ。昨日から始まった冬型は、思ったより多くの雪を降らせ、ご覧の通り結構な量になった。

 昨年の日誌を見ていたら、2月23日に庭のクロッカスが咲いたと書いてある。今年は未だ影も形もないばかりか、すっかり雪の下である。してみると、寒さも昨年よりか厳しいのかな。フキノトウは12月から出ていたが。

 まとまった雪は、おそらくこれで終りになるはずだ。否、終りにして欲しい。昨年は3月7日〜8日に大雪が降ったけれど、あんなことはもう要らん。

 明日は早朝から業務あり。夜明け前から除雪せんと遺憾。寒いだろうなあイヤだなあ。

’05/02/26 (土)

押し売り今昔

 強面のおじさんが玄関へ「ごめんよっ」と乱暴に踏み込み、「オレァタタキ(強盗)で前科○犯だ。昨日ムショから出てきたばっかりで食うに困ってる。安くしとくからこの品物買ってくんな」と大声で怒鳴る。如何にも「押し売りでゴザイマス、脅迫でゴザイマス」と言わんばかりである。昔の押し売りは、分かりやすかった。

 だからすぐにケーサツを呼べたし、仮に引っかかったとしても被害は大したものでもなかったのである。「おかあちゃん、今のん誰?」「ああ、押し売りのおっさん。ちょっと買うたったら帰ったし、もう大丈夫」ってなもんである。

 不景気の所為か知らないが、最近性質の悪い電話が多くて困っている。早い話が、セールス電話。言葉尻は穏やかだが、無礼極まりない。

 電話に出るとイキナリ「○○ちゃん(愚息の名前)のお母さん、いらっしゃいますか」と来る。中年女性らしき声である。会社名、所属などの名乗りは一切ない。この時点で教材セールス電話であることは判明する。「どちら様でしょうか」「△△(個人名)と申します」「どちらの△△さんですか」「××(都市名)の△△です」。既に僕はかなり不愉快である。「そのような知り合いはおらぬと申しておりますが」「お母さん、おられないんですかっ」。ヒステリックである。「ワタクシの妻はおりますが、○○の母なる人物はおりません」とワケのワカランことを言うと、電話ブチッと切れる。

 またある電話がかかる。まともに名乗りもないまま「今、お宅では電話回線を2本お使いですね」とまくし立てる。一聴アイソの良さそうな男性の声。そんなことどこで知ったのか。早くも不愉快である。「このたび当社では○×電話料金サービスを始めまして....」「ウチでは御用はございません」と言ったとたんガチャンと切れる。

 この他、コピー機リースの乗り換え、株、相場、書籍(コレは最もタチが悪い)、パソコンにFAXと、ありとあらゆる種類のセールス電話がかかるのである。いずれも慇懃無礼でロクなもんじゃない。

 こういう電話があるたび、僕はもう腹が立って仕方ない。名乗ったら切られるから名乗らない。相手にその気がないと分かればバチッと切ってしまう。相手がマトモな会社ではないことなど、充分承知しているけれど、それでもあまりの無礼さに怒髪(ないケド)天を突くのである。

 コレはもう立派な押し売りだと、僕は思うが皆さんどう思われるか。振り込め詐欺同然の悪質さである。相手はさっさと切り逃げするし、多くの場合非通知設定でかけてくるから着信拒否もできない。こちらの電話番号を知られているのもブキミである。伝統的押し売りなど、カワイイものだ。

 セールスしないと食えないからやるのか、存外引っかかってしまう人が多いのか。電話をかける方だって、決して楽しくはないだろうに。こんな仕事を毎日続けていたら、人格が壊れてしまいやしないか。

 必要なものは自分で求めます。だから、もうかけてくんなっ!

’05/02/25 (金)

自灯明


 旧知の友達から久しぶりに電話があった。以前、金属加工などで大変な骨折りをしてくれた友達である。その頃の彼は特にオーディオマニアというわけでもなく、ギター演奏とレストアを趣味にしている人だった。最近になってオーディオに目覚め、あれこれとこだわって楽しんでいる様子である。

 今、電源ケーブルに凝っているという。ある銘柄のケーブルを導入しようと考えているが、音はどうだろうかという相談の電話である。

 そこで迅速正確丁寧な答えができれば、なんとも格好の良い話なのだが、残念ながら僕にそんなことは不可能である。価格を聞けばムチャクチャ高価なものでもないようだ。それなればとりあえず聴いてみてはどうかと、当り障りのないことしか言えないのだった。

 アクセサリーと言い機器そのものと言い、聴いたことのないものを導入する時には、誰しも不安と期待が入り混じるものである。これでよいのだろうか、おかしな音になりゃせんだろうか、お金をドブに捨てるような愚行なのではなかろうかと。

 よほど高価なものでない限り、基本的には聴いてみることしかないと、僕は考える。世間の評価も気になるところではあるが、ほとんどの場合あまりアテにならない。無闇に信じるよりも、疑ってかかったほうがヨイのである。と言って、なんでもかんでも否定していたのでは進歩がないから、認めるべきは認めることもまた大切であるわけだが。

 自分の耳で聴き、良しと判断したものを使えばよいのである。世間の言うことなど、気にする必要は一切なし。誰のためでもない、自分の好きな音を聴くために、オーディオしているのだから。

 お釈迦様もおっしゃっている。「自らをよりどころとせよ」と。

’05/02/24 (木)

またしてもヘロヘロ

 通常、外へ出て食事したり呑んだりする機会が増える時期と言えば、それは年末であったり年始であったりするのだろう。僕のバヤイ、それが今月にずれ込んできたような感じである。

 今夜は業務関係の新人歓迎会だった。オイラなんかまだまだ下っ端の若僧だと思っていたらば、知らぬ間に若え衆が7人もできていたのである。おそろしいことだ。よくよく考えてみれば僕も今年で44歳(まだ43ダ)になるわけで、ちっとも若くないのである。

 とゆーわけで、またしてもヘロヘロである。しばらくお酒は、要りません。

’05/02/23 (水)

もう少し


 昨日は好天ながらも寒い日だった。この地方には珍しく乾いた風が吹き、同じ寒いならこんな冬が良いと、叶わぬことを思ったりする。

 夜遅く、外へ出てみると、日中ほどに寒くない。気温が上がっている(というより下がっていない)のである。お昼はまったくの冬だったのに、夜になって何となく春の匂いがする。イナカ暮らしはそういうことがよくわかるのである。空を見上げればお月様には笠がかかり、明日からは下り坂かと思う。

 ところが今日はご覧のとおりのよいお天気である。非常に暖かく穏やかな日になった。こうなると春への期待も盛り上がってくるというものである。春といえば桜。いささか気が早いようだが庭へ出て芽の付きグワイを見てみよう。

 まだまだである。あたりまえだな。しかし、数はなかなかに多そうだ。昨夏の酷暑で、今年の花粉飛散量は平年の100倍とも200倍とも言われている。花粉症の皆様方には誠にご愁傷様というお話である。その伝で行けば、今春は桜も例年になく豪勢な開花を見せてくれるかもしれない。

 冬至から2ヶ月、春分までの2/3が過ぎれば、ずいぶんと日が長くなる。午後6時を過ぎても西の空には残光あり。1週間のうちに今日のような日がいちにちふつかと増えて行き、もう春はすぐそこなのである。

 雪が融ければ、春になる。

’05/02/22 (火)

彌栄え


 昨日発売されたAA誌116号である。買い始めから今に至るまで、まったく途切れずに購読しているオーディオ雑誌は、これとMJ(無線と実験)、それにAUDIO BASICの3誌だけになった。最も多い時は、これらに加えてstereo、レコード芸術、VISIC、AV FRONT、AV REVIEW、HIVI、さらにFMfanにBSfan、もひとつついでにデジビと、10誌〜12誌購読していたのだから、ずいぶんと寂しくなったものである。

 途切れず、といっても創刊号からの購読ではない。僕のAA誌を読み初めは第42号(1986年秋号)であった。年4冊刊行として、10年半分は読んでいないのである。もっと早くから読んでおけばよかったと、その時思ったのだった。

 この雑誌、ヒジョーによくがんばっている。上に挙げた雑誌のうち、休刊(事実上の廃刊)になったものは4誌もあるのだ。VISICとAV FRONTに至っては創刊号から休刊号まで全号購読したという、つまりこれは、極めて短命な雑誌だったことの証明でもあるだろう。斯く言うオーディオ・ヴィジュアル雑誌風波大難の時代も乗り越え継続すること30年。立派である。

 本棚の奥から42号を引っぱり出してみる。懐かしいのである。広告や製品紹介に時代を感じるのは当然だが、全体としてのレイアウト、特に表紙のロゴ、ディザイン・コンセプトはほとんど変わらない。偉大なるワンパターンである。ページから立ち昇る独特の雰囲気も、いささかの違いもない。19年経ってもAA誌はAA誌なのである。

 今やオーディオは、受難どころか絶滅寸前と言ってもよいほどの凋落ぶりである。喜んでヒッシになっとるのはオッサンジイサンばっかり。若え衆はほとんどいない。惨憺たる状況下、こういう雑誌が存在すること自体、稀有のことなのかもしれない。今後も僕は購読し続けるつもりであるし、ますますがんばって欲しいものである。

 オーディオ・アクセサリー誌彌栄え。

’05/02/21 (月)

ナゾのCD


 このCDタイトルはよく分からない。但し、出所は確かである。'97年12月に、長岡先生からいただいたもの。方舟へお邪魔した折、「欲しいのがあったら1枚アゲル」と言われ、床にほっぽり出してあったのをもらったのだった。おそらくどこかで紹介されているに違いないのだが、それがどうしても発掘できない。ご存知の方、ご教示ください。

 「ENGLESKYTS」(瑞Kirkelig Kulturverksted FXCD136)。(P)(C)1994。内容は、Nils Henrik Asheimのオルガン伴奏でソプラノのAnne-Lise Berntsenが北欧トラディショナルを歌うというもの。大きなパイプオルガンとボーカルの組み合わせは、ヒジョーに録音が難しそうに思われる。

 15ページの丁寧な解説書付きなのだが、全てスウェーデン語で書いてあるのでまったく解読不能。さっぱりわからん。タイトルもレーベル名も、どう読めばよいのかさえワカリマセン。広くて天井の高い教会での録音であることだけはどうやら解読できた。

 音は極めて優秀である。オルガンはレンジが広く力と透明感があり、Dレンジも非常に大きい。驚くのはそれを上回るボーカルのパワーである。fffでは声がグーンと伸びて痛快爽快、圧倒的な力感はちょっと他では聴けない。エコーも素晴らしく美しく、広大な教会の空間が極めてリアルに再現される。是非とも多くの人に聴いて欲しいCD、なのだが、入手可能かどうか。それが心配である。

 うーん、しかしコレ、いつどこに紹介されていたっけなあ。気になって仕方ないのである。

’05/02/20 (日)

添うてみよ


 「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」という。一見しただけで人を判断せず、先ずは付き合ってみなければ何もわからないよ、という諺である。

 ナルホドこれは真理である。極めて良くない第一印象を抱いた人が、付き合ってみれば実は大変誠実で真摯なお人柄だったことがわかって驚いたり、初対面から意気投合したところが、案外底が浅く軽薄極まりない御仁と気がつき落胆したり。いささか意地の悪い見方をすれば、最初っから調子の良い御仁にはご用心、ということになるのかもしれない。

 人とオーディオ機器の関係もこれに似たところがあるようだ。販売店で聴いたら凄い音だった。ので、大喜びで買って家で鳴らしたらサッパリ鳴らなくてガクゼンとする。買って聴いたは良いが何だかピンとこない。まあこんなもんかと鳴らしているうちにどんどん良くなり、数年後にはシステムに欠くべからざる存在になってしまった。そういう体験、アナタにはありませんか。

 自分にはどんな機器がフィットするのか、正しい判断は極めて困難である。琴線に触れる機器の全てを、自分のテリトリーに於いて試聴できればそれは一つの理想である。だが、現実にはほとんど不可能。仮に可能だったとしても、1日や2日の仮添いでは何もわからない。困ったことである。

 ほとんど一発勝負、出たとこ勝負である。だからこそ、僕はニブいながらもヒッシの勘働きで選んできたわけである。当然友達からの助言もある。幸い(不幸い?)にして、いずれの機器とも永く添うことができている。喜ぶべきことである。

 諸先達の意見を聞き、自己の意思を明確に持ち、あとは実際に「添うてみ」るしかないのである。

 と、気の短い僕は、考える。

’05/02/19 (土)

キミもやるか


 愚息1号が友達と一緒にバンドを始めるという。かなりの暴挙と僕の目には映るわけだが、考えてみれば僕自身もスタートはそんなもんだったから、おおかた大丈夫なのだろう。

 昔のバンド小僧が最初に手を出す曲と言えば、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ハイウェイ・スター」、ちょっとヒネってレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛」あたりと相場が決まっていた。リッチー・ブラックモア、ジミー・ペイジはギター小僧たちのヒーローであったわけだ。

 僕が初めてコピーしたのは、そういう主流からいささかズレていて、フリー(ご存知かしらん?)の「オールライト・ナウ」という曲だった。理由は至極単純で、ドラムが簡単そうに聴こえたから。少なくともイアン・ペイスさんやジョン・ボーナムさんよりも容易にマネできそうに聴こえたのである。実はカンタンなんてとんでもない話で、しかし当時14歳のドラム小僧に深い味わいが解るワケもない。

 で、愚息1号である。バカ正直に「ウチにはドラムセットがある」なんちゅうことを言ってしまったものだから、当然彼がドラム担当になるわけである。さしあたっての目標は、秋の文化祭で演奏お披露目することだそうな。曲目は既に決めていて、曲名も聞いたがよーわからん。少なくともD・PやL・Zではないことだけは確かである。これも時代だ。がんばってくれ。

 確かに彼の言う通り、ウチにはドラムセットがある。写真の如くである。現状ほとんど死蔵状態。それが役に立つのであれば、25年物ヴィンテージドラムの供養にもなるかと考える。坊主は慈悲深いのである。

 セットと練習場所の提供はして進ぜよう。後は一切手出ししない。僕がそうだったように、好きなようにやればよい。今さらおっさんの出る幕はないのだ。

 半年後、どんなものが出来上がるのか、お手並み拝見。楽しみにしております。

’05/02/18 (金)

クールダウン

 2日間のご無沙汰でした。

 今回の出張は、業務関係の研修会であった。これがなかなかに厳しく、しかしそれだけに大変勉強になったのである。業務上の学習は極めて重要で、またとても楽しいものでもある。充実した3日間だった。

 ただ、いささか疲れた。普段あまり使わない(使わなきゃ遺憾のだが)前頭連合野フル回転。オデコの辺りがどよーんと重く、熱っぽい感じである。CPUの処理能力が低いのダ。眠たいのに頭は冴えているというヤヤコシイ状態である。こういう時は、良い音楽を静かに聴きノウミソをクールダウンさせてから寝るべし。

 などと言いつつ、くずてつフトン方面へ去る。

’05/02/15 (火)

健康優良自作派


 今日の写真は、記事にあまり関係ないのである。

 昨日の会合で、思わぬ人から「実は私、この間D-57を作りまして」と声をかけられた。オーディオになどまったく無縁の人かと思っていた。ヒジョーに驚いたのである。びっくりしたなあもう。

 よくよく考えてみれば、思い当たるフシがないでもない。数年前、この人のお宅へ業務でお邪魔した時のことである。夏のクソ暑いさなか、庭先でノコギリ片手にたくさんの太い木材と格闘していらっしゃる。何ができるンですかと訊ねると「いやあね、ここに東屋を建ててアウトドアライフを満喫してやろうと思って」とおっしゃる。ははあ、東屋。

 それからしばらく後、どうなったかと覗いてみて、僕は感歎の声を上げた。八角屋根の立派な東屋が、堂々と建っていたのである。とても自作とは思えない。大工さんに頼んだらナンボかかるだろうか。レンガでつくった囲炉裏まで完備している。いや、マイリマシタ。

 「最初はガレージを自作(!)し、2作目があの東屋。さて次は何を作ったろうかと考えた末、スピーカーにしたワケですよわはは」

 よくよく聞けば、オーディオはムカシから好きだったそうだ。僕が知らなかっただけ。長岡先生のファンでもあったとも。でなければ、イキナリD-57作ったりしませんわな。大物工作マニアで長岡ファン、とくれば、これも自然なながれなのかな。

 D-57を選んだ経緯はいろいろあるそうだが省略。ともかくシナ合板を仕入れ、自分で裁断し、チクチク作ったという。ユニットはFE-208E狽選び、アダプターリングもちゃんと着けたと。

 で、肝心の音である。思いッ切り感激したと、興奮気味に彼は語る。音の生気、透明感が抜群、こんなに生きの良い音は聴いたことがない。作るのも楽しかったが、聴けばもっと楽しい。自作スピーカーって、素晴らしいもんですなあと、こんな話を聞かされたものだから呑み過ぎました。

 現在、トゥイーター選定中。あまり高級なのは使いたくないらしい。そうか。それなれば、僕のところでリタイヤ中のT-500Aを抱え、焚き付けに行ってこようかしらん。悪魔だな。

 ガレージ、東屋、スピーカー。健康優良児的自作派である。イヤ、素晴らしい。

’05/02/14 (月)

今夜はヘロヘロ

 業務関係のお疲れ様会でちょっと出掛けがあり、仕事が一段落した安心感で呑めないお酒が少々過ぎたようである。今夜はヘロヘロ。これを書いていると、意識が遠くなるのである。

 ので、もう寝ます。明日に残らなきゃいいンだケド。

’05/02/13 (日)

最後のWiLL-Vシリーズ


 WiLLブランドの商品を専門に扱うwebページ、willshop.comが閉鎖されたのは、昨年の夏である。いささか旧聞ではある。要するにWiLLプロジェクトが終了するわけで、ファンの僕としては寂しい思いを禁じ得ないのである。

 「WiLL」。1999年8月、アサヒビール(株)、花王(株)、近畿日本ツーリスト(株)、トヨタ自動車(株)、松下電器産業(株)の5社が参画し始まった異業種合同プロジェクトである。発足当時のインフォメーションには「20〜30歳台を中心とする"ニュージェネレーション層"と呼ばれる生活者に対して、近年ヒット商品が生まれにくくなっていることから、新たなマーケティ ング手法を開発することで、新商品の展開を狙う。具体的には、今年9月以降、参画各社が"WiLL"という統一シリーズ名称を使用していく」と謳われている。

 発足後、文具用品のコクヨ、お菓子の江崎グリコも加わり、プロジェクトは一時期7社にまで膨らんだ。が、'02年にアサヒビールと花王が脱退。旅行代理店、自動車屋さん、電器屋さんの3社は、最後までがんばったわけである。

 トヨタはWiLLブランドの乗用車を3車種発売したことになる。最初が'00年1月のWiLL-Vi。シンデレラに出てくるカボチャの馬車をモチーフに作られたこの車、僕にとってはヒジョーに気になる存在だった。ディザインがチャーミングで良い。ただ、買い替えのタイミングに合わなかった。今、中古でも欲しいくらい。カミさんに「買え」と言ったら「トタン板で作ったような車はイヤダ」とヒトコトで終わってしまった。ヒドイなあ。

 次がWiLL-Vs。'01年4月発表。これはスポーツクーペで、僕の範疇外である。ディザインはやはり一風変わっていて、一目見ればWiLLとわかる車である。モチーフはステルス戦闘機だったそうだ。何をか言わんや。

 そして三代目、今僕が乗っているところのWiLL-Vc、いわゆる「CYPHA」である。'02年10月発表。これだけにはペットネームがついたわけだ。ディザインコンセプトはサイバー・カプセル、「ネットワーク社会と車の融合をイメージしたもの」というが、イマイチよーわからん。例によって個性的なルックスである。こんなマンガみたいな車はイヤダというムキも多いと聞く。さもありなん。写真はミニカー群だが、そもそも実車がミニカーみたいなのだから仕方ないのである。僕は大好きだけれど。あまり売れているとは思えない。

 この後、WiLLブランドの車はどーゆーテンカイになるのかと、楽しみにしていたら、どうやらこれでオシマイになりそうなグワイである。後年「レアもん」としてネウチが出るかな。

 各社個別にWiLLブランドを紹介するwebページは現在も存続していて、今すぐ全てが終りになるわけではないようである。作ってしまった商品を売り切るまではヤメられん、というところか。いずれにしても、あとは消え去るのみだろう。

 6年弱続いたこのプロジェクト。成功だったのか、或いは。

’05/02/12 (土)

クラック


 11日は業務関係の書類作りに追われ、更新できなかった。大変失礼致しました。相変わらず、このテの作業は苦手で仕事が遅い。遺憾である。

 今年の箱船は、年箱船である。完成以来12年が経つわけだ。目立った傷みはないものの、さすがに新品同様とは行かない。禁煙にしていても壁紙には黄ばみが見えるし、床もあちこちに汚れやキズがついている。

 中でも少し気になるのは、床のクラックである。いつも座っている椅子の真下あたり、部屋の短辺方向に1本だけ、走っている。完全に横断してはおらず、両端1mくらいを残し、ちょうどホットカーペットの幅くらいの長さである。幅は0.5mm〜0.8mmくらい。深さはよくわからない。

 今のところ(といっても気が付いたのはずいぶん前のことだが)床にクラックが見えるのはここだけである。他にはない。なぜここなのかと考えてみる。

 ここは床下に梁が入っている部分なのである。こちらをご覧いただけば、分かりやすいと思う。梁がない部分とは、コンクリートの収縮グワイが違うのだろう。乾燥し切らないうちから表面をホットカーペットで暖めたのも、原因の一つか。もう一箇所の梁入り部分にクラックはない。完成したのは11月下旬、床の冷たさにガマンできなかったのである。

 さて、これをどうするか。箱船を建ててくれたプロに相談してみた。まったく問題ないそうである。これくらいのクラックなんぞ屁でもないと。どうしても気になるようだったら、いつでも補修は可能だとも。補修専用の、粘性が極めて低いエポキシ樹脂を注射器のような工具で充填するらしい。ナルホド。プロが大丈夫だと言うのだから、このままでいいか。特に困ることもないし。

 幅がどんどん拡がるようだったら、その時また考えましょう。

’05/02/10 (木)

INDIAN SUMMER


 きのうは春、今日は厳冬。気温差−10℃以上、トランジェントの悪い僕に、この寒暖差はキビシイのである。

 昨日の日誌に「小春日和とは既に季節外れ」と書いてから、どうも気になって仕方がない。ので、国語辞典で調べてみた。「小春日和:冬のはじめの、春のようにおだやかであたたかな天気」とある。季節外れどころか、これでは完全に誤用である。大変失礼致しました。知ったようなことは言うもんじゃありません。

 英語では「Indian Summer」という。秋の終りから冬の初めにかけて、あたたかな日が数日続くことを指していう言葉である。あたたかさが一日だけで終わったならば、そうは言わないそうだ。なぜ「インディアンの夏」なのだろうか。

 語源には諸説あって、どれが本当なのかはまだワカランそうだ。その中で最もそれらしいものは次の如くである。

 「昔ネイティブ・アメリカン(インディアン)達は、秋に狩りをしていた。暖かい日が続くと動物たちが活動的になり、苦労せずに狩りができるという利点があったため Indian Summer と言われるようになった」

 この説とて「ネイティブ・アメリカンの狩りは秋だけではなかった」という指摘があったりして、イマイチ信憑性に欠ける。だが、話としては面白い。

 「Indian Summer」と聞けば、僕にとっては上の写真「POCO / INDIAN SUMMER」だ。POCO。知る人ぞ知るアメリカン・ロックの雄である。オリジナルメンバーにはジム・メッシーナ、リッチー・フューレイ、ランディー・マイズナー(のち、イーグルスのベーシスト)などがいて、'70年代には絶大なる人気を誇ったグループである。

 僕はこのグループがとても好きで、特にこの6作目はレコードがスリ切れるほど聴いた。ジャケットもはげちょろけのボロボロである。脱退してイーグルスに加わったランディー・マイズナーからティモシー・シュミットにベーシストが変わり、リズムがタイトになったのが気に入ったのだった。面白いのは、後年ランディーがイーグルスを脱退した後、そこに加わったのがまたもやティモシーだったという話。この二人、何か因縁でもあるのかな。

 1989年にはオリジナルメンバーで再結成し、「レガシー」というアルバムCDも発表したことがある。その勢いで1990年10月には来日公演大敢行。大阪公演の会場は、僕の実家すぐ近く、高槻市市民会館だった。情報誌で見つけて腰が抜けるほどビックリ。当時、メジャーどころはたいがい大阪フェスティバルホールか大阪厚生年金会館で公演したものである。メジャー扱いじゃなかったのかしらん。

 驚いたけれど大喜びでチケット買ってしっかり観に行きました。あの時は、ナミダが出るほどうれしかったなあ。まさかPOCOを高槻で観られるなんて。

 あれから15年。POCOは今、どうしているのでしょうか。

’05/02/09 (水)

雪の恩恵


 立春を過ぎれば暦の上では春である。ので、「小春日和」という言葉は既に季節外れになるのだろう。しかし実際にはまだまだ春は遠く、今日はまさにそう言いたくなるような日だった。明日からはまた冬に戻るそうだが。

 屋根に積もった雪は、今日の日和でどんどん融ける。本堂の樋から下げてある導水鎖を、雪解けの水が勢いよく伝うのである。雪は嫌いだが、春を予感させるこの風景は好きだ。学校から帰ってきた愚息2号が「今日は春の匂いがした」とうれしそうに言う。

 春の匂いとは、雪が融ける匂いでもあるのだろう。山にも里にも等しく積もった雪が、日の光に熱せられ、土と木の匂いを巻き込んで蒸発する。それが「春の匂い」になるわけだ。季節感満点。悪くないのである。

 雪がたくさん降った年の夏は、水不足になりにくい。地表に留まった雪はジワジワと融け、土に染み込んで山の保水量を上げるからである。雪の多い地方は水が美味しいとも言われる。厄介モノではあるけれど、実は大きな恩恵を受けているのだった。あまり文句を言っては遺憾のである。この冬の雪降りは、もう一山あるかどうか。それを越せば、本当に春である。

 もう少しのシンボウである。

’05/02/08 (火)

黒幕は誰だ


 心から観たいと思って買う映画ソフトはいつぶりになるだろう。以前はニューリリースがあるたびにトキメいたものだが、いつの間にか冷めた目で見るようになってしまった。良い映画が減ったのか、僕の感性が枯渇寸前なのか。たぶん後者だろうな。だから「スターシップ・トゥルーパーズ 2」なんてえのを掴んでしまうのダ。遺憾である。

 ともかく、この映画は観たかった。「BAD BOYS」以来のウィル・スミスファンであることも理由の一つ。予告編で「ロボット三原則」の文字を見て、これは絶対観なければと思ったのが決定的である。

 アイザック・アシモフが提唱した「ロボット三原則」。僕が初めて知ったのは、手塚治虫の「火の鳥 〜復活編〜」だったと、思うが違ったかな。簡潔にして真理をついた原則は、非常に印象的だった。

 2035年のシカゴが舞台になっている。自動車のディザインがものすごくカッコイイ。全方向性の球形タイヤ付き。ただ、あと30年でここまで行くとはちょっと思えない。の、わりにロボットのディザインはクラシックでもある。意識的にそうしてあるのかな。スプーナー刑事が部屋で使っているCDプレーヤーにはJVCのロゴが見える。

 ターミネーター+マトリクス+スターウォーズ=i,ROBOT、という説もあるそうだが、僕は最初の5分間で引き込まれ、全編1時間55分、大変楽しく観せていただきました。ストーリー・テリングにスピード感があり、しかも人間ドラマを感じさせる深みもある。今回のウィル・スミスは、あまりオチャラケないのである。SF映画としてもよくできていると思った。

 音はワイドレンジで、超低域の空気感もよく出る。ただ、惜しいことにここ一発の爆発力がやや不足する。尤も、いつもの如くうそっぱちダウンミックス2chで聴いているので、本当のところはワカラナイ。ちゃんとした5.1chサラウンド、或いはDTSで聴くべきものである。画は非常に綺麗で文句なし。

 さてさて、黒幕は誰か! サニーの運命や如何に!

’05/02/07 (月)

タイトル次第


 昨日載せたADを聴き、差が分からなかったらハズカシイ(たぶんワカラン)ので後回し。先にD2Dタイトルの「Harry James & His Big Band / STILL HARRY AFTER ALL THESE YEARS」(LAB-11)と「JAMES NEWTON HOWARD & FRIENDS」(LAB-23)を聴いてみた。どちらも180gプレス再発盤である。

 再発と言っても、D2D盤だからリマスターやリカッティングはあり得ない。テイクの違い、スタンパーのロット違いはあるかもしれないが、D2Dであることに違いはないはず。11年前に買ったオリジナル盤との違いはあるのだろうか。

 外観はまったく同じ、と言いたいところだが、そうでもない。11のオリジナル盤は1枚モノにもかかわらずフタ付きケースに入っている。ゴージャズなのである。再発盤はフツーのシングルジャケット。23はどちらも同じくシングルジャケットだが、再発盤は写真の発色が赤に傾いている。

 11はオリジナル、再発とも非常に優秀である。ズバリと切れ込むブラスは最高。全域に渡って歪み感極少、かなりの大音量でもまったくうるさくならない。解説にはワンポイントステレオマイク1本だけで録音したとある。それでビッグバンドがこんなに鮮明に録れるなんてウソみたい。距離感がよく出て音場感もヒジョーに良い。高域の繊細さではオリジナルに、低域の太さ、ソリッド感では再発盤に分があるか。しかし違いはわずかである。

 23は差が大きかった。再発盤も悪くないのだが、うっすらとベールを被ったような印象がある。イマイチ音に元気がない。若干鮮度が落ちた感じである。ハテナと思いながら、オリジナル盤を聴く。と、俄然鮮度が高い。音に生気が漲っている。文句なし、である。

 同じ180g再発盤でも、タイトルが違えば結果も違ってくるようである。180g盤だから良い、ということでもなさそうだ。何故だかわからない。尤も、こんなことはよくあることで、驚くに値しないのである。23の再発盤がオリジナルにやや劣ると言っても、それはかなり高いレベルの話であって、こんなモノはダメだと打ち捨てられるものでは決してない。

 何と言っても未開封新盤である。こんなものが手に入るだけでもありがたいことだと、思う。しかも超低価格。価値は大きいのである。

 ここのところの寒さでADを聴くのは久しぶりである。やっぱり、良い音だ。

’05/02/06 (日)

ロット差215の違い


 昨日届いたADのうちの1枚である。「Pat Coil / JUST AHEAD」(米Shefield Lab TLP-34)。元はディジタル録音のCDタイトルである。それを重量盤アナログにプレスし、5,000枚限定でリリースしたシリーズの1タイトルだ。

 ご覧の通り、1枚1枚ロットナンバーを打ったシールが貼ってある。左の「617 of 5000」のほうは11年前の'94年4月、リリースされた直後に4,800円で買ったもの。右の「402 of 5000」は今回1,575円で入手したものである。11年後に68%OFFで買ったもののほうがロットナンバーが若い、というのも面白い。

 大体がこの手のもの、番号が若いほうにネウチがあるとされるようである。MO-FIなどの限定プレス盤を中古市場で見かけても、「#0001」とかいうヤツはヒジョーに高価である。スタンパーのヘタりが少なく音が良い、というよりも、やっぱり「#0001」のネームがモノを言うのだろう。

 今回は402番と617番、多寡だか215番の違いである。これが大きな差になるのかどうか。大方同じようなものだと思う。「0001」とまで行かずとも、一桁台ならそれなりに違いが出るのかもしれないが。

 さて、僕の耳で215番違いの音の差を聴き分けられるか。たぶんワカランのである。仮に差があったとしたら、それは11年間で何度も聴いた盤と、倉庫に眠っていて一度も針を通していない盤、の違いではなかろうか。どっちのほうがいいのかな。

 ゴタクを並べてないで、さっさと聴けっちゅう話なのである。

’05/02/05 (土)

大放出


 思ったよりも悪天候にならず、しかしやたらと忙しい日で、グッタリして帰ってみれば、レコードが届いていた。ちょっとうれしいのである。

 シェフィールド・ラボのAD4タイトル。うち、トレジャリーシリーズ1タイトル、ディジタル録音盤1タイトル、D2D盤2タイトル。すべて180g盤である。

 D2Dで有名なシェフィールド、買える時に買っておかねばと、僕は1989年に全タイトルをまとめ買いした。その頃はそういうことができたのである。今回は友達から「とあるショップで新盤1枚1,575円で投売りしてる!」と情報が入り、それなら買っておこうと手を出したものである。手許にあっても安ければ欲しくなる。ケチケチ根性は治らないのである。

 友達よれば、売り出し当初は出足が悪く、さほど売れていなかったという。しばらく経ってから突然売れ始め、今はもうほとんど売り切れたそうだ。大きなコマーシャルがなかったらしく、口コミで情報が広がるのに時間がかかったのだろう。4タイトルでも買えて良かった。お世話になりました。どうもありがとう。

 シェフィールドのタイトルは、海外ショップを見ればまだまだ買えるようである。ただし、中古盤中心になるし、未開封新盤になれば相当な値になる。特にデイブ・グルーシンのLAB-5(ST-500ではない)などは中古でも$100を超えることがあり、とても1,575円では買えないのである。

 ショップの倉庫に永く眠っていたものの処分セールと聞いたが、こういうADがまだまだ残っているのではないか。あればどんどん放出して欲しいものである。

 1枚2,000円でも買うぞ。

’05/02/04 (金)

西微南でゲラゲラ笑う


 久しぶりの青空を見ることができた。僕はとてもうれしいのである。お日様のチカラは素晴らしく、除雪し切れず参道にこびり付いていた固い雪もどんどん融ける。気温もやっと10℃まで上がり、今日の業務も穏やかに終えることができた。いやあ、やっぱりお天道様はありがたいのである。

 と、喜んでいたら、明日からはまたまた冬型悪天候に転じるという。気が滅入るのである。しかし、昨晩は今年の恵方である西南西(正しくは西微南)に向いてゲラゲラ笑いながら巻寿司を丸のまま齧り、追儺おにやらいの豆撒きをしたから、きっと良い春がもうすぐ来るだろう。と、勝手に決めてしまうのである。ヒイラギにイワシの頭、忘れたなあ。

 今日は、立春である。

’05/02/03 (木)

風邪、腰痛、転倒、でもシアワセ


 雪未だ降り止まず、積雪は60cm超に達した。写真は境内の鐘楼である。地面から約70cm立ち上がっている台座がほぼ雪の中。ほんっとにもう要らん、のだが、今もどんどん降っている。

 昨日、今日と雪掻きに3時間以上、おかげで治った風邪がまたぶり返し、ハナミズずるずるである。カミさんは重い雪に腰をグキッとやってウンウン唸っている。愚息1号は帰り道に4回コケたと雪まみれで機嫌が悪い。雪なんかとんでもねえヤロウだ。

 と思ったら、愚息2号は明日からのスキー旅行に雪がいっぱいでワクワクすると喜んでいる。彼だけはシアワセなのである。

 明日は業務で忙しい日になる。こんなんで無事遂行できるのだろうか。心配である。

’05/02/02 (水)

上空5,000m−36℃


 今年の雪は少ないでしょう、と毎年のように長期予報されるわけだが、やはり降る時は降るのである。1日の未明から降り始めた雪は止むことを知らず、只今50cm超の積雪を見る。

 わりとまとまった積雪になった。それもカナワンけれど、寒さがまた強烈である。空気が異様に冷たく、除雪作業にマスクは必須。スのままで長く外にいると、たちまち鼻の奥が痛くなる。3km先の中学校まで自転車で通う愚息1号、「生命のキケンを感じるような恐ろしい寒さだった」と死にそうになって帰ってきた。昨晩の最低気温は、庭先で−5℃。冷蔵庫は要らんのである。

 なんて言ってたら、木曽に住む友達のところでは−18℃を記録したそうだ。どんな寒さなんでしょうか。尤も、北海道では−30℃とか−40℃とかが当たり前なわけで、上には上(下には下?)があるのだった。こわやこわや。

 寒波は明日まで続くという。はよどっか行っておくんなせえ。

’05/02/01 (火)

如月


 2月になれば日は随分と長くなり、ほんの少しではあるが春の匂いも漂ってくる。この冬は暖冬なのか厳冬なのかよくわからない。猛烈な冷え込みのある日、4月のような陽気の日が入り乱れ、草や花も右往左往している感じである。

 今日の写真は、この時期毎年お馴染みのフキノトウである。いつもなら箱船東側の庭に出るものを載せるのだが、これは参道脇にある棕櫚の根元に顔を出したものである。これも非常にお早いご誕生だ。

 庭掃除したあとの落ち葉や枯草を肥やし代わりに積んであるところだから、さぞエイヨウがよいのだろう。ヒジョーにでっかい。箱船産の3〜4倍くらいある。こんなに大きなヤツは、初めて見た。美味しいのかな、コレ。

 ここは初夏になるとミョウガがボコボコ生えるところでもある。昔々、母方の祖母(生きていたら111歳)が植えたものであるらしい。これがまた、デカい。大きさも然ることながら、丸々太って容積は市販の5倍はありそうなものだ。

 元は植えたものであっても、永の間にすっかり野性化してしまっている。香りは強烈鮮烈、これまた市販品に大きく差をつける。キライな人なら卒倒しそうだ。僕は大好きで、毎年楽しみにしているのである。食べることばっかりですな。

 今月ひとつき過ぎれば、春はもう間近である。