箱船航海日誌 2005年06月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/06/30 (木)

げんきまじんさんご愛聴


 聴いてみました。「MISA ESPIRITUAL / AIRTO'S BRAZILIAN MASS / GIL EVANS WDR BIG BAND」(独 harmonia mundi HM-663)。外盤A級セレクション第2集146番に取り上げられる、超優秀録音盤である。

 この盤、げんきまじんさんの愛聴盤である。こちらへ見えた折には、必ず1度は試聴されるのだった。当然御自分でも持っていらっしゃる。僕の知る限りではCD化されていないようで、その所為もあってかADは入手難である。ネット上で捜しても、なかなか見つからない。僕は'91年10月に、テラークの「ハルサイ」を贈ってくれた友達の厚意で入手できた。

 冒頭から再生困難な音が飛び出してくる。どちらかと言えばエネルギーがハイに偏った印象のあるタイトルだが、それだけに高域の分解能が低いとヒサンなことになる。音が全部つながってしまい、ホワイトノイズのようになる可能性大。逆に言えば、システムを厳しくテストするに最適である。

 Eminentの導入後、それまでに比べて非常に良い音で鳴るようになった。影が薄いと感じた低域も、随分と力強くなった。Eminent潜在能力全開。

 しかし今、fo.Qシートを加えて聴くと、それ以上の音で聴けるのである。音の粒子一つ一つが鮮明になり、鋭さはあっても耳を刺すようなトゲトゲしさはない。チューブラー・ベルズは氷のように澄み切り、本数まで分かりそうなくらい精細、繊細である。先っちょまできれいに伸び切り、抜けが良くもどかしさがない。

 女性コーラスは厚みが出るし、ソロボーカルも実在感がぐんと増す。低域は瞬発力がついてパワフル、太い押し出し、と言うにはまだわずかに弱さを感じるが、このソフトからこれくらい出てくれればまずまず満足である。

 玩具箱をひっくりかえしたような、何でもアリの面白い曲である。クラシックのようであり、ジャズのようであり、ロックのようでもある。録音はもちろん、音楽としても非常に楽しみ得るレコードだ。げんきまじんさんに同じく、僕も大好きなタイトルである。それが以前にも増して上手く鳴るようになったれば、これはもうシアワセなのである。

 今のところ、fo.Qシートの導入は、大成功と言える。

’05/06/29 (水)

コラボレーション


 仕事の合い間を縫ってはチクチクとADを聴いている。音が良い方向へ向いているのがウレシイのである。おめでたいことです。

 得意技のD2D盤「JAMES NEWTON HOWARD & FRIENDS」(米sheffield LAB-23)を聴いて、僕はもう狂喜乱舞してしまいました。以前にも増して豪快、鮮烈、繊細微妙。恐るべきパワフルさ、驚くべき精細さ。こんな音初めて聴いた。

 明らかにfo.Qの効果である。ただし、それのみの使用でこの音を実現できたかどうか、甚だ疑問である。砲金TTプレートあってこその音。これが正しい見方だろう。偶然か必然か、両者の特長が存分に発揮されている感じ。今風に言えば「コラボレーション」っちゅうことでしょうか。

 センターレーベル逃げのザグリがなく、全フラット形状だったことは、大いなる幸いである。直にレコードを載せたい人にとっての不都合が、僕には逆にラッキーだったわけだ。何が幸いするかわかりません。人間万事塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し。

 これだけ楽しい音で鳴るのだから、当然次々と聴きたくなるのである。好きなレコードをどんどんかけ替えどんどん聴いていくのは、何とも言えない快感である。オーディオやっててヨカッタ。

 まだまだ聴きたいレコードがたくさんある。楽しみながら少しずつ聴いて行きたい。さしあたり、次は何を聴こうかなあ。

 あっ、そうだ。明日の一番手は、「ミサ・エスピリチュアル」に、決定。

’05/06/28 (火)

さて、音は


 1mm厚fo.Qシートの上から砲金TTプレートを載せるの図。見た目、シートを敷いていることはほとんど分からない。1mm分高さが上がっているわけだが、使用上の問題は無し。うまく収まった。

 肝心の音だ。実のところモノの質感を見た時に、これはイマイチかと思ったのである。考えていたよりプラスチッキーで、音もそういうイメージの鈍さ弱さが出て来るンじゃないか。やはり何でも重ねりゃヨイってもんでもないなあ、と。

 その予測はみごと大ハズレ。これはヒジョーに良い。鈍さも弱さもまったく無し。特定の帯域が改善されるのではなく、総合的な質感が一段も二段も上がる感じである。余分な音は抑えられ、出るべきものはより鮮明に、しかし音が必要以上に整理されることはなく、解像度は向上する。音抜け、切れがぐんと良くなり、瑞々しさが出て実在感が増す。ゴム臭、プラスチック臭は皆無である。

 尤も、今のところ10枚に満たない程度の試聴である。絶賛するにはデータ不足だ。だが、ホントに悪けりゃ一発で分かるわけで、少なくともこのままアレコレ聴いてみたくなる音であることは確かだ。砲金プレートとのマッチングも良かった。というより、重量のあるプレートの下に敷いたことが良かったと考えるべきか。ツブし合いにはならなかったようだ。

 フシギな素材だと思う。ハード系でもソフト系でもない、今までに聴いたことのない変化が現れるのが、このfo.Qである。もちろん開発者はそれを狙って作り出したのだろう。それもエラいが、元々オーディオ用途ではないものを、コチラ側にひっぱって来た人もエラい。

 この手のアクセサリーには懐疑的なムキも多いと思う。僕もそのうちの一人である。今もそれは変わらない。だが、物事何でも「やってみなけりゃワカラナイ」のである。

 コレ、お薦めです。

’05/06/27 (月)

RS-912


 早速届いてしまった、fo.Q RS-912である。やはり穴空きのほうが1mm厚だった。実際に触るのも見るのも初めてだ。思ったよりコンプライアンスが低く、かなり硬い質感である。少なくともJP-501よりはずっと硬い。厚さのわりに重い感じ。

 裏表(の区別はないようだ)両面とも薄いプラスチックのようなものでコーティングしてあり、ツルツルスベスベしている。fo.Q生成りでは粉っぽく、LPを直接載せるにはグワイが悪かったのかな。ただし、センターレーベル部分のザグリがなく、まったくペッタンコのシートだから、いずれにしても直載せはちょっとグワイが悪そうである。何らかの工夫が要るだろう。

 僕はこれをプラッタと砲金TTプレートの間に挟んで使うつもりだから、却って完全平面のほうが都合が良いわけである。写真は砲金プレートを外し、プラッタに1mm厚fo.Qシートを載せたところ。この上から砲金プレートを載せることになる。

 表面の質感からするとスリップが出てしまいそうなのだが、これが意外に大丈夫である。平面精度が高いのだろう、ピタリと密着して問題なし。

 fo.Q+砲金プレートの2段構えで聴くわけだが、さてさて効果や如何に。互いの良いところが相乗効果を発揮するのか、或いは両者がバッティングしてツブし合うのか。

 願わくは、前者であらんことを。

’05/06/26 (日)

ヒイキの引き倒し


 前回はいつだったかと調べたら、昨年の9月だった。ずっと以前からの縁が続く、レコードショップからの連絡である。今回は9ヶ月ぶり。

 「長鉄センセの推奨盤が、4タイトルほど入りました」という。当然、全部買いである。すべてA級セレクション盤で、第1集3番、第2集113番、197番、第3集230番の4タイトルだった。

 3、113、230は、ちゃんとした(!)音楽である。197番、独wergoレーベルのリゲティは、凄い。長岡先生をして「徹底したゲテモノである。耳あたりのよい楽しい音楽では決してないから、買う場合は充分な覚悟が必要である」と言わしめたレコードなのだ。

 ショップのマスター曰く「ウチのお客さんで、こんなん買うてくれはるのん、くずてつさんだけです」。お店の品格を著しく下げているのである。どーもスミマセン。

 だがこのショップとの縁は貴重である。ネット通販では欧州系レーベルのLPを探し当てるのがなかなかに困難なのである。特に英crd、仏ASTREE、芬FINLANDIAとなると非常に少ない。僕にとっては大切なショップなのである。

 経営は決して楽ではないと聞いた。大阪市内でも老舗レコードショップが次々と閉店している。レコードブーム、アナログブームと言うけれど、それはごく一部に限られたものなのである。

 近くに住んでいたなら、毎日でも通うンだけどなあ。って、僕みたいな客じゃダメか。

’05/06/25 (土)

看板どおり


 今日の幹事役も無事終了。クソ暑い日(本日の第1位 豊岡市/36.9℃)ではあったが、好天に恵まれたのはヒジョーにありがたかったのである。ご参加の皆さん、タイヘンお疲れさまでした。

 さてさて、近頃気になるアクセサリーがある。上の画像がそれである。fo.Q製ターンテーブルシート、RS-912。1mm厚、2mm厚シートの2枚組に、調整用0.5mm厚テープが付属して税込9,240円。ちょっと高い、とお感じのムキもありましょうけれど、個人的には適正価格かと。たぶん穴空きのほうが1mm厚だと、思う。いい加減な話だが、まだ実物を見ていないのでワカラナイのである。

 ターンテーブルシートといえば、ウチではY31さん謹製の砲金TTプレートで決まりである。アレを超えるものは容易には出てこないだろう。ならば他のものは必要ないわけである。

 そこはスケベなくずてつ。スピーカー周りで優秀な効果を発揮した素材、fo.Q製のシートと聞けばじっとしていられないのだった。1mm厚10cm角シートを見た時、これをツギハギにしてTTシートを作ったらどーなるンだろうかと、ヒソカに考えていただけに尚更である。

 尤も、これまでに良い結果が得られたからといって、今回も上手く行くという保障などありはしないのである。とんでもないことになる可能性も高い。が、ともかく試してみようというわけだ。有体に申さば、単なる好奇心である。

 箱船は看板通り、常時「実験レベル」なのである。

’05/06/24 (金)

またもや幹事役

 明日は早出の業務あり。またしても幹事役で、終日慌しくなる予定である。ここしばらく、お盆前まではこんな調子が続くことになるだろう。

 人様のお役に立てれば、幸いなのである。

’05/06/23 (木)

わかるかな


 友達からちょっと面白いものをもらった。銅箔スチロールコンデンサー、である。Φ13mm×18mmと、小さなものだが持ってみると存外に目方を感じる。実測してみたら6.0gあった。1円玉6枚分。大きさからすれば重いと言えるだろう。

 「104J」と刻印してあるから、「0.1μF、容量誤差5%以内」ということになるわけだ。耐圧についての刻印は無し。メーカー表示もない。0.1μFにしてはデカいコンデンサーだな。

 ご覧の通り、足(リード線)が短い。つまり、基板搭載用なのである。銅箔スチコンといえば、高級パーツの代名詞、みたいな印象があるのだが、皆さんどう思われるか。現在は入手困難であるとも仄聞する。ばっかすさん、貴重なパーツをありがとうございました。

 さてこの基板搭載用銅箔スチコン、如何にして使うのか。自作アンプ用、なわけはない。僕がアンプを作ったりしたら、サルが喋り出すのである。

 トゥイーターのハイパスコンデンサーにパラって使えば、音が良くなるという。容量が増えることでの音質変化、ではなく、質の改善になるというわけだ。

 例えば箱船のT-300A。1.8μFで繋がっている。JENSENのコンデンサーがどれくらいの誤差なのか表示がないから分からないが、仮に同じJ級だったとする。1.8の5%で0.09、元々0.1μF程度の誤差があるわけだ。そこへこの銅箔スチコンをパラっても、F特上の変化は、ほとんどないに等しいだろう。

 だが、音は明らかに変るという。おしなべて良い方向へ行くそうだ。と、これは話を聞いただけ。自分のシステムで音を聴いたわけではない。ここは一つ実際に試してみるべきである。短い足をなんとかして、支配力の強いT-300Aに使ってみよう。

 しかし、もし違いがワカランかったら、それはとっても悲しい話なのである。

’05/06/22 (水)

秋への憂い


 21日の日本海側は、ヒジョーに暑かった。兵庫県豊岡市では、気温35.4℃まで上がったそうだ。この時期としては異常である。梅雨だというのにほとんど降らず、農業に従事する人々、特に畑で作付けをしている人は「カラカラでどーにもならん」と弱っている。

 と思ったら、長崎県では記録的な大雨が降っているという。どうにもバランスが悪い。もうちょっとまんべんなく降らんものかと、言ってみても仕方がないのである。相手は自然現象なのだから。

 昨夏は猛烈な暑さだった。今年もそうなりそうな感じ。となれば、心配なのは秋の台風である。100年に一度と言われるような災害を蒙った昨秋、これからは毎年のように用心していなければならないのかもしれない。

 とゆーわけで、ウチも業務に具する建物の保険を新しくした。火災のみの保障から自然災害にも対応するタイプへの乗り換えである。保険金は多少アップするものの、この気象条件を考えれば「転ばぬ先の杖」は絶対必要だ。

 と、分かったようなことを言うけれど、これすべて僕をサポートしてくださっている方からのアドバイスによるものである。僕は生来バカでグズだから、「そんなことでは遺憾」と、お叱りを頂戴するわけである。申しわけないことである。

 おかげさまで、良い条件で契約することができた。ひとまずこれで安心、だが、本当は大きな災害なんか無いほうが良いわけで。

 秋の無事を、今から祈るのである。

’05/06/21 (火)

知って欲しい


 季刊「analog」第8号(2005年夏号)を読んだ。今や数少なくなった、発売を楽しみにしているオーディオ誌の一つである。

 ディジタル全盛の今、よく続いていると思う。否、今だからこそ存在価値があると言えるのかもしれない。CDが世に出たのは1982年。同じ年に生まれた人が23歳に、なる。箱船を訪れるお客様の中にも、「アナログレコードなるもの、初めて見て初めて聴きました」という人を数年前から散見するようになった。そういう時代だからこそ。

 購読を楽しみにしているオーディオ誌にケチをつけるつもりは毛頭ない、が、気になるところもある。記述から受けるADサウンドの印象が「メロウで甘口、しなやかでソフトタッチ」という方向に、固定化されているような気がしてならない。

 もちろんそれを否定するものではなく、確かにそういったADサウンドがあることは事実だし、体験的にも知っている。しかし、たとえば箱船で再生するADは、切れが良くハイスピード、瞬発力に秀でてパワフル、情報量も非常に多い。少なくともメロウでも甘口でもないのである。

 優劣議論ではない。ただ、ギスギスしたディジタルメディアの音に比べ、アナログの音は優しく暖かく穏やかである。このようなステレオタイプ的認識が一般化しつつあることに、僕は強い違和感を覚えるのである。

 ADの音は、再生環境によって千変万化する。周囲の環境が音に与える影響は極めて大。まったく同じプレーヤーシステムを使っていても、設置状況が異なれば出てくる音は唖然とするほど違ってしまうのである。エレキな環境よりも、アクースティックな環境のほうに音を左右する因が多く含まれていることを、僕は体験的に感じている。

 尤も、analog誌に紹介されている現行ADプレーヤーを見渡せば、しなやかソフトタッチADサウンドが主流になるのも致し方なしかとも思う。質実剛健、ハウリングや回転ムラなんかフローティングに頼らず目方とイナーシャでぶっ飛ばせ。といったコンセプトの剛毅なプレーヤーは、ほとんどなくなってしまった。SP-10MkIII、GT-2000、SX-8000II。斯くも遠くなりにけり。

 ソフト&メロウ大いに結構。だが「ADサウンドとはそういうものだ」と固定観念化するのは、オーディオにとって極めて残念なことだと思う。目の醒めるような冴え渡ったADサウンドがあることを、知っておいて欲しい。僕はそう願うのである。

 時代が欲してないのかな。

’05/06/20 (月)

こんなの多い

 業務に係わる事務処理と格闘していたら、時間は過ぎて仕事は捗らず、気がつけば真夜中である。いつもの如く超低能率。もうグニャグニャです。

 ネタはあるけれど書く元気なし。また明晩、とゆーことで。

’05/06/19 (日)

幾久しく


 今日は午後からお客様がお出でになった。各オーディオ誌でご活躍中、炭山アキラ氏である。AB誌最新号(35号)の巻末「EDITOR'S VOICE」をお読みになった方も多いと思う。氏は最近ご結婚なさったのである。今回は御夫婦でのお越しである。炭山さん、奥様、おめでとうございます。

 数時間のご滞在であった。が、とても楽しかった。お二人とも吹奏楽団でユーフォニウムを演奏されるところの、ミュージシャンである。音への感性は鋭い。奥様は「オーディオに関してはまったく知識がありません」とおっしゃるけれど、イヤイヤなかなか侮れないのである。

 ウインドオーケストラのADを中心に幾枚か聴き、あとは奥様のリクエストにより映画をハイライトで3本ほど。大音量大画面は初体験ということで、随分楽しんでいただけた様子だった。プロジェクターに火を入れたのは、いつぶりだろうか。バチが当たるのである。

 オーディオに関する話題は尽きず、あれこれしゃべっているうち、あっという間に時間が経ってしまった。奥様にはほとんど暗号か別の国の言葉に聞こえたに違いない。さぞごタイクツでいらっしゃったことでしょう。ゴメンナサイ。

 御遠方を、ありがとうございました。幾久しく、お幸せに。

’05/06/18 (土)

甘い


 このグループのCDを載せるのは、初めてである。「オフコース / as close as possible」(日ファンハウス 32FD-1054)。'87年4月に買ったものだから、CD番号は変わっていると思う。当時は3,200円だった。実はワタクシ、大ファンです。

 初期のオフコースは見向きもしなかった。苺に練乳かけて、さらにその上から砂糖をどっさりぶっ掛けたような甘ったるいモンなんか誰が聴くかい、などとウソブいていたわけだ。見方が変ったのはアルバム「Three and Two」あたりからだった。高校3年の頃である。気に入ったのは「Save The Love」という曲。当時人気のあった「BOSTON」のパクリ(『Don't Look Back』にソックリだ)、とも言えなくもないが。

 以降のオフコースは、かなりロックを意識した演奏になっている、が、やはり中身は甘いに違いはない。アンチに言わせれば「ロックの皮をかぶったヘナヘナ歌謡曲」。そんなことゆったら○ーズや○○イはどーなる。

 イロイロあるわけだが、僕は懐かしさ半分(以上)で、今も聴くことが多い。オーディオ的には何とも言えない。というか、まあちょっと苦しいわけです。そういう中で、このタイトルはまだ聴ける部類に入ると思う。生音とは程遠く、どの楽器もいじくりまくった人工的な音、だが、歪み感が少ないのは救い。

 トラック6「Love Everlasting」(ああ、オフコース!)では、ジェフ・ポーカロのドラムス、デヴィッド・ハンゲイトのベース(TOTOです)が聴ける。全曲中最も素直な音で、これはまあまあ。ただし、低音不足は如何ともし難い。ナンデこうなるかなあ。

 先日、ちょっとした縁で箱船に遊びに来た高校生の女の子達。ラックの中にオフコースを見つけ「うわ、こんなのある!」と叫ぶ。中年のキタネエおっさんがオフコース。こりゃハズカシイ、と思ったら、彼女ら小田和正の大ファンだそうだ。ムカシの小田が珍しく映るのか、たまたまダブっていた「over」を大喜びで持って帰った。世代間ギャップが埋まったようで、僕はちょっとうれしかったのである。

 何でも聴いておくもんですな。

’05/06/17 (金)

慌しい週末

 一つ大きな行事が無事済んだ、と思ったら、突然我が業務がドドドとたたみかけて来た。とても慌しい週末に、なってしまったのである。

 明日はかなりの早出をしなければならない。ので、今夜は「いいわけ日誌」で切り上げるのである。

 また、明晩。

’05/06/16 (木)

承知で


 会合は、大過なく無事終了した。

 但し、エラい人は本番にあっても自由な御仁ぶりを存分に発揮、僕はさらにゲンナリするのであった。集まってくださった会員さん、周囲でサポートしてくれた仲間たちの誠実さが、大いなる救いである。皆さんお疲れ様。ありがとうございました。

 さて、久しぶりに客室へAE86さんからの投稿があった。T-300Aに関しての話題である。

 「狙ってる機器がある場合の原則は、褒めたりせず、露出を控える。又は、日記のようにオモイッキリ露出して提供者を待つ、のどちらかです」

 う〜む、ナルホド。僕はたいへんなウレシがりなので、前者の方法を採るのは不可能だと思う。黙っておくがよいと分かっていても、言いたくて言いたくて仕方ないのである。ガマンしてもし切れず、地面に穴掘って叫んでしまいそうだ。アホです。

 後者ならできそう。既に何度もT-300Aネタで日誌を書いている。ただ、僕のイムプレッションにAE86さんがおっしゃるような影響力があるとは到底思えない。ので、この方法もあまり役に立たないかしらん。

 それを承知でお願いしてみよう。T-300A、譲ってくださる方がいらっしゃれば、是非ご連絡ください。

 ズーズーしいなあ。

’05/06/15 (水)

幹事

 明日は少々忙しくなりそうである。近くの町営施設を借り、総員200名弱の会合をドライブしなければならない。僕は幹事なのである。ここ数日、その準備にかかりっきりだった。

 例によって僕の出力事務レベルは超低能率である。それに加えて僕の上にいる業務上のエラい人が「口は出す、手は出さん、責任は取らん」という、非常に自由な御仁であって、僕はもうくたびれ果ててしまうのだった。

 ついさっき、ようやく準備完了。あとは明日一日が無事に終わることを願うばかりである。

 始まる前から、疲れています。

’05/06/14 (火)

探索開始


 今やこのユニット無しに箱船サウンドは語れない。それほどに重要なトゥイーター、T-300Aである。

 既にディスコンになって久しく、メーカーのメンテ期間もとっくの昔に終わっている。仄聞したところによれば、最も重要でしかも消耗部品的パーツであるところのダイヤフラムアッセンブリーは、もうどこにもないそうだ。

 要するに、切れたらオシマイ、である。修理不可能。信頼のおけるスジからは「よほどのムチャをしない限り、滅多に切れるものではない」と聞かされてはいる。ものの、だいたいが僕はバカでスケベだから、いつ何時「よほどのムチャ」をヤッテシマウカワカラナイノダ。

 そう思うと急に不安になってきた。これは何とかせんと遺憾。お世話になった友達の恩に報いるためにも、もう一組入手しておくべきか?

 と言っても話はそう簡単ではない。僕はこのトゥイーターが売りに出ているのを、一度も見たことがないのである。そもそも、どれほどの数がこの世に出たのか。おそらくかなり少ないのではないかと想像する。一説によれば、50ペア(100本)出ていないとも聞く。それがもし真実ならば入手は極めて困難と言えるし、現用に具していられることを大いに感謝すべきである。

 困難なれど何もせずにいるのも情けない。ともかく動いてみるべしと、検索開始。ヒットするのは溶接用電源ユニット「T-300A」やら、柔道着「T-300A」やら見当違いのものが多い。あとは僕の航海日誌にヒットするくらい。意味ないのである。

 と思ったら、とある中古ショップに、あったのである。あくまでも「あった」のであって、「ある」ではない。残念でした。今年の2月に入荷し、すぐに売れたらしい形跡がある。そうかー、あったんだあ。しかもわりと最近である。う〜ん、惜しいこと。ヨシ、決めた。今後は得意技、「メゲず腐らず諦めず」の精神で、捜し続けよう。

 念ずれば、花開く。

’05/06/13 (月)

アオサギとカッコウの山


 箱船2階、西側の窓から午後4時頃に撮った裏山である。

 今日、この山からカッコウの声を聴いた。前回は'02年6月11日の早朝だったから、ぴったり3年ぶりになるわけだ。

 「カッコウ カッコウ カッコウ」と3回一まとめを2回、都合6回歌って声は止んだ。それきりである。たぶん北への渡り途中、ちょっと一休みしてまた飛び去ったのだろう。ほんの束の間、とても幸せな気持ちになれたのだった。

 この山にはいろんな野生動物が棲んでいる。タヌキはもちろん、キツネ、イノシシ、シカ、ツキノワグマ、ついでにニホンザル。野鳥も数多く、写真に写る樹のてっぺんには、数年前からアオサギが営巣している。何やら居心地がよいそうで、最初は1個だけだったものがだんだん増えて、今年は4個ほどの巣をかけている。

 アオサギとはちょっと面白い鳥だ。フクロウでもないクセに夜目が利く。夜行性の鳥なのである。夕方、すっかり暗くなった時間、近くの川で超然と川面を凝視するアオサギを見ることがある。決して魚鑑賞が趣味なのではない。狙っているのである。明るい間は警戒して潜んでいる魚も、夜になれば安心して泳ぎ回るようになる。アオサギはそれを知って待ち伏せしているのだ。

 獲物を獲ったらば巣に持ち帰って雛に給餌する。その時の騒ぎが凄い。「グワグワグワ、ケケケケ、ゴァーゴァーゴァー」と子供たち大喜び。夜の山に響き渡るこの声は、ヒジョーにブキミである。初めて聴いた時は、ウチの裏山には得体の知れぬ妖怪が棲んでいるのかと、ホンキで思ったくらいだ。

 アオサギ。学名Ardea cinerea。コウノトリ目サギ科の大型留鳥(北方分布型は渡りをする)である。全長90cm〜98cm、翼開長160cm〜175cm。サギ科の中では最大種。ウチの庭を低空飛行でしばしば横切るが、その姿はなかなかに壮観である。英名Gray Heron。山下達郎の曲にある「ヘロン」は、この鳥を歌っているのだそうな。「♪飛び立てヘロン♪」と歌われるにふさわしい飛翔姿である。

 ケモノにアオサギにカッコウ。大自然に囲まれて暮らせる幸せを、感謝すべきである。

’05/06/12 (日)

クセ


 昨日いただいたご感想メールには、箱船サウンドに対する問題点のご指摘もあった。

 「メインシステムを聞かせていただいて気になった点は音の立ち下がりというか、音が残ってしまう点です」 と。

 まったくご指摘の通りである。8年前、長岡先生からも同じ指摘があった。特に低域においてその傾向が強いのである。38pユニットとしては振動板が軽く磁気回路は強力、いわゆるオーバーダンピングタイプのウーファーの効果で、直接音はスピード感を保てているものの、部屋の特性として音が残ってしまうのだった。このことは、システムを鳴らさずとも、部屋の中で咳払いをしてみればすぐに実感できる。コンクリート密閉箱である箱船の、大いなるクセである。遮音の良さと引き換えになったわけだ。

 入力信号とは無関係な音が後に残るわけだから、良い影響があるわけはない。残らないほうがヨイ、と言うよりも残ってはイケナイのである。そこまで分かっていて、現状何の対策も打っていないのである。残りっぱなしでホッタラカシにしてある。

 実はこれまでに何度も対策したことはあるのだった。壁にカーテンを吊ってみたり、天井に厚手のフェルトを立体的に貼り付けてみたり、コーナーにフトンを丸めて置いてみたり、床のタイルカーペットを大幅に増やしてみたり、その他諸々。結果はどれも最悪だった。

 確かに低域の残りは、わずかながら改善される。しかし、得るものよりも失うもののほうが大きいのである。音の生気がきれいさっぱりなくなり、やたらとドライで艶のない音に変化してしまうのだった。いわゆる「音が死ぬ」というヤツである。ちっとも面白くない。

 そこで徐々に対策物を減らし、ちょうどいい加減のところを探っていったわけだが、結局は何も対策しない状態に戻ったのである。低域が残っていても、僕にとっては無対策が最も好ましい状態であることが分かったのだった。

 低域はエネルギーが大きいだけに、吸音するにも生半なことでは不可能である。それなりの体積と質量をもってあたらないと、効果は微々たるものに終わることが多い。反して中高域は比較的容易に吸音できる。低域を調えるつもりで打った対策が、実は中高域バスターになっていたという、笑えない話なのである。そりゃあ無味乾燥な音に、なりますわな。

 智慧と技術と根気を以って注意深く対策すれば、きっと解決できる問題点なのだろう、と、思う。思うが僕には不可能である。智慧も技術も根気も、まったく、ナイ。得意技の「○○の考え休むに似たり」を持ち出し、何もせず(できず)にいる。お恥ずかしいのでゴザイマス。

 修行が、足らん。

’05/06/11 (土)

隠れた名機


 先月お出でくださったお客様の一方から、ご感想メールをいただいた。身に余るような評価であって、少々恥ずかしくもある。

 ディジタル再生系の、DP-85を高く評価してくださったのは、とてもうれしかった。どういうわけかこのプレーヤー、話題になることが少ない。発表当時はそれなりに雑誌などで取り上げられてもいたが、最近さっぱり名前が出てこない。尤も、すっかり旧製品になってしまったこともあるのだろうけれど。

 価格のわりに派手なところがないのが原因の一つかとも思う。ティアック(エソテリック)にあるVRDSのような機構はないし、特にカスタムパーツも使っていない。装甲車的いかつさもなく、ディザインはオーソドックスで、どちらかと言えば地味である。

 しかし、特に重量付加パーツも使わずして実測重量19.5kg。持ち上げてみれば、そのルックスに相違して非常に重い。フロントパネルはムクの15mm厚アルミ板、脚は大径の鋳鉄製である。押えるべきところはしっかり押えてあるのだ。筐体に妙な鳴きや響きは皆無である。

 音もルックスに通ずるものがある。歪み感が極めて少なく、極めてオーソドックス。ハッタリも鬼面人を驚かすようなところもない。但し、優秀録音盤を鳴らすと、一瞬ギョッとするような生々しい音を再生する。ディジタルを見直してしまうのである。詳しくは導入直後の日誌にあるので、これ以上は省略。

 価格が価格だけに、手軽に買えるようなものではない。その意味では一般性に欠けるわけだ。だが、何となく過小評価されているような気がするのは、僕のヒガミなのだろうか。

 仮にそうであっても、オノレが気に入って使っているのならばそれでよいのである。まったく問題はない。ただ、こういう音のプレーヤーが過小評価されているとしたら、それはオーディオにとって非常に寂しいことだと、思うのである。

 DP-85サウンドに耳を傾けてくださった方は久しぶりである。T中さん、ありがとうございました。

’05/06/10 (金)

原初体験

 さて、好みを明らかにする、ということ。我が事を考えてみるにどうだろうか。僕は誇れるほどの経験も知識もないけれど、好きな音ははっきりしていると思う。少なくとも現状、アレも良いコレも良い、どれにしたらいいのか分からない、と困惑することはない。

 音の好みを決めたのは、中学生時代に初めて聴いたロックコンサートのPAサウンドに、その原点があるように感じている。

 1976年10月31日、大阪厚生年金会館大ホール。BTO(バックマン・ターナー・オーバードライブ)というバンドのコンサートである。音に感激したのは、メインアクトであるBTOのPA、ではなく、その前座バンドの音に、である。

 それは、当時ジャパンロックの雄と言われていた「めんたんぴん」というバンドであった。前座だけに派手な演出もなく、淡々と演奏するだけだったが、音は素晴らしかった(と思った)。PAサウンドだから、純然たる生音とは違うし、レンジもそんなには広くなかったはずだ。だがその圧倒的大音量。加えて音飛びのよさ、スピード感、体を芯から揺さぶる低域。すべて当時の僕には初体験だったわけである。こういう音が自宅でも聴けたら、と大いに感激したのだった。

 これがどうやらその後のオーディオを決定付ける原初体験になったらしい。現用のSWユニットに、SR用途のE-145を選んだのも、そういう下地があってのことかもしれない。どこかで未だにつながっている、ような気はする。

 思うに、音に関する原初体験が、わりと大きな影響を与えるのではないかと。もし、僕の原初体験がヘッドフォンステレオ(そんなモノはなかった)の音だったならば、現在のような馬鹿げたオーディオシステムを構築するには至らなかったかもしれない。幸か不幸か。

 皆さんのオーディオ原初体験、如何なるものであったろうか。

’05/06/09 (木)

好みを明らかに


 先月のお客様に再評価していただいた、2階のD-55ESである。決して万全の使いこなしができているわけではないので、スピーカーシステムとしての基本的能力を評価されたのだと思う。くずてついい気になってはイケナイのである。

 208ES1発2発の違いはあれども、基本的に同じユニットを使ったシステムであるにもかかわらず、BHと共鳴管では音の出方がまったく違う。

 D-55は、FE-206SからFE-208Sの時代までの5年間、メインスピーカーとして使った。箱船でも最初の半年間はこれだった。全域に渡ってのスピード感、特に中低域においての締まりと明瞭度、ソリッドに飛び出してくる感じは、BHならではの魅力である。この点で共鳴管は遠く及ばない。

 不満もあった。ホーンロードを外れる帯域(D-55では40Hz以下)では、まったく音にならない。振動板盛大に空振り、スカスカである。空気感がどうやっても希薄になり、SW(スーパーウーファー)で補強しようにもスピード感の揃ったものがない。現状、2階ではDRW-1IIを繋いであり、F特は見事にフラットだが音色のつながりで言えばマッチングはイマイチだと思う。

 スピード感と明瞭度は後退するも、空気感では共鳴管(ウチの場合Sネッシー)の圧勝である。超低域までしっかり入ったオルガンや、特定のソフトで言えばクラフィンスピアノなどを聴けば一聴瞭然だ。僕はここに共鳴管の魅力を感じて使っているのである。D-55では鼓膜を圧迫されるような空気感が後退し、もう一息楽しめない。

 尤も、共鳴管システムにSW(サブウーファー)は必要不可欠である。80Hz付近からダラ下がり、50〜60Hzあたりが不足気味になる傾向にある。Sネッシーは2発で管をドライブしている所為か、凹みはやや少ない。とは言え力感では物足りないわけで、やはりSW絶対必要。BHほどではないにしろ、これがまた簡単には行かない。

 「共鳴管とBH、音が良いのはどちらでしょうか」。これまでに何度となく受けた質問である。非常に困惑する問いだ。僕には「どちらも良い」としか言い様がないのである。しかしそれでは質問者は納得しないだろう、とも思う。だから、上に書いたようなことを伝え、あとは貴方のお好みによって決定してくださいと、逃げを打つしかないわけである。

 両方聴いてみて、自分の好みに合ったほうを採ればよい。と、一見親切そうな答えだが、事態はそう簡単ではない。「自分の好み」なるものが明確でないと、何を聴いても迷いが深まるばかりだからである。両方聴いてどっちも良いと感じたらどうする? 両方とも悪いと感じたら?

 自分の好む音を明確化する。BHか共鳴管かという選択に限らず、すべてのオーディオ機器を選ぶ際に、最も重要なことである。実はこれが最も困難で、時間のかかる作業なのである。では、明確化するための方策は、と言えば。

 市販品、自作取り混ぜ多くのスピーカー、機器を聴きまくるしか、ないのだろうなあ。

’05/06/08 (水)

キゼツしました

 丸一日遅れの更新になってしまった。昨夜(8日夜)は、完全にスイッチ切れ。アンプのプロテクション回路が働いたように動けなくなった。特に疲れているわけでもないのに。

 今晩、改めて書きます。ご容赦のほどを。

’05/06/07 (火)

恐るべき音場感

 昨日から今日にかけ、お客様ご来訪。どなたかといえば、それは皆様ご存知生録の帝王、SY-99さんである。前回のお越しは'03年7月29日だった。ほぼ2年ぶりである。2年も経った気がゼンゼンしないのは、どういうわけだろう。折に触れ、連絡を取りあっているからかな。

 例によっていくつかの新録音を聴かせていただいた。当然、録音最高の優秀盤である。が、凄いのは、年々質が上がっていること。特に音場感は、恐ろしいほどに向上している。ご本人は「いつもの通り録音しただけだよ」とおっしゃる。帝王をして未だ向上の余地があるわけだ。生録の奥の深さは、計り知れない。

 それはもう、怖くなるような音場感である。しばしば長岡先生がおっしゃった「スピーカーを完全に無視して拡がる三次元音場」という表現そのまんま、である。どう聴いてもスピーカーが鳴っているようには聴こえない。前後上下左右、スピーカーどころか部屋の壁や天井さえも無視して渺々とした音空間が再現されるのだった。これぞ本物のステレオである。

 そこで僕はハタと考え込んでしまうのである。マルチマルチと草木も靡く。本当にマルチチャンネルサラウンドが必要なのだろうか、と。

 センタースピーカーで中央定位を取る、という。ではセンターとLch、Rchの間の定位はどうやって取る?後方定位を取るのも2本では足りないから、リヤセンターにもスピーカーを置く。それじゃあその間は?

 映画音声は、もともとそのような再生を前提に「作った」音だから、マルチチャンネルサラウンドが必須である、という理屈は理解できる。世界が違うのである。

 現場にある情報をできるだけ多く取り込み、注意深くしかもシンプルな機器で録音されたソースならば、スピーカー2本だけで恐るべき豊かな音場を再現できるのだ。作られた音ではないからこその鮮度と生々しさ。箱船システムはスピーカーマトリクスで再生するわけだが、リヤスピーカーをOFFにしたといって音場が萎縮することはない。本物のステレオだからこそ、である。オーディオファンを自認するのなら、この音を聴かずして何とする。

 SY-99さんからは、いつも多くのことを学ぶのである。と同時に、大いなる勇気を得られるのだった。自分は自分のやり方を徹頭徹尾つらぬけばよいのだ、と。

 ご遠方のお越し、ありがとうございました。再会を祈念しながら。

’05/06/05 (日)

yesterday-today-and-tommorow


 このような花があること自体、僕は知らなかった。家人が昨年春に小さな苗を買い、鉢植えにしたものである。昨夏はたった一輪だけの開花だったが、今年はこんなにたくさん咲いた。彼女曰く「カオリバンマツリ」なる花である。姿のみならず、品種名を聞くのも初めてだ。なんだか語呂の悪いネーミングに感じる。

 6月から8月にかけて、ご覧のとおりの花を咲かせる。白と紫の2色咲き、のように見えるが実は、咲いたばかりの花はすべて紫色である。その後徐々に色が薄くなり、散る直前には真っ白に変化するという、ちょっと変ったヤツなのである。

 正体はどーゆーモノかとネット検索してみた。「カオリバンマツリ」では異様にヒットが少ない。園芸品種だったらこんなことはあり得ないはずだ。少ない記事を読んでみれば、どうやら通常は「ニオイバンマツリ」で通っているらしいことがわかった。そこでキーワードを「ニオイバンマツリ」に替えて再検索。一気にドッと出てきた。

 漢字表記すると「匂蕃茉莉」或いは「香蕃茉莉」となる。学名Brunfelsia australis。ナス科ブルンフェルシア属の半耐寒性低木(草ではない)である。ブラジル南部、アルゼンチン原産。暖かいところからやってきたのだなあ。

 「匂」「香」の文字通り、非常に強い芳香を発する。それは特に夜間で著しい。上の写真は午後10時ごろ撮ったものだが、野外であるにもかかわらずジャスミンに似た強い香りがあたり一面に充満している。同じナス科で、夜にブキミなほどの大きな花を咲かせるチョウセンアサガオにも似た香りだ。

 「蕃」は「外国」の意、「茉莉」はジャスミンの和名だから、「外国から来たジャスミンのような香りの花」というネーミングであるわけだ。語感が良くないのは、即物的に三つの言葉をくっつけた所為だな、きっと。一捻り欲しかった感じ。

 いろいろ記事を読むと、特に珍しい品種でもないようだ。園芸を趣味にする人なら誰でも知っている程度のものである。とは言え、玄関先にあるこれを見たお客様のほとんどは「コレ、珍しいですね、何という花ですか」と言う。趣味の世界では常識、一般的な認知度は低いということか。そーゆーことって、オーディオにもありそうです。

 英名が面白い。「yesterday-today-and-tomorrow」(一説には『morning-noon-and-night』とも)という。日々変化する花の色からついたと聞く。

 「ニオイバンマツリ」よりずっと気が利いている。

’05/06/04 (土)

実に、面白い


 このタイトルは以前にも載せたような気もするし、初出のような気もする。確かなところがよくわからない、というのはあまりにも無責任不親切に過ぎる。

 ので、調べてみたらば、やっぱりありました。初出ではゴザイマセン。'02年4月12日の日誌に、同タイトルのADを載せている。

 今日紹介するのはCDである。「POMP & PIPES / FREDERICK FENNEL / Dallas Wind Symphony / PAUL RIEDO / organ」(米REFERENCE RECORDINGS RR-58CD)。(P)(C)1994。長岡先生の「ダイナミック・ソフト」で取り上げられている。内容については先の日誌に重複するので省略。

 208ES Ver.2に換装して間もない頃の日誌である。パワーを入れた時の崩れの少なさを喜んでいる。その思いは、導入後3年経った今もまったく変わらない。箱船の再生環境は、ユニットにとっては酷使と言ってよいものだと思うけれども、それでも腰が抜けてしまった感じはまったくない。それどころか、今が絶好調なのではないか、と。

 久しぶりに上記タイトルを聴いて、その感を強くした。3年前の使い始めより更にパワーが入る、と言うよりも、同じボリューム位置での崩れ、濁りが少なくなったのである。盤の反りや歪みによるサブソニックの影響がないCDだからかと、もちろんADも聴いてみたが、中高域の混変調歪みも含めて、やはり明らかにリニアリティが向上している。

 超低域の風圧は凄い。トラック9はもちろん、トラック2の終り部分、トラック4のクライマックスは、そりゃあもうエライ騒ぎである。以前にもまして圧力が上がった感じ。大袈裟ではなく、手に持っていたCDジャケットが吹き飛ばされそうになった。

 ユニットのエージングやら周辺機器の変更やら使いこなしやら、要因はいろいろあるのだろう。「どこをどうしたからこうなった」という明確な答えを、僕は持たない。総合的要因による結果、としか言えないのである。こうなってくると、僕は思う。オーディオてえやつは、なんて面白い趣味なのだろうか、と。

 ヤメラレマセン。

’05/06/03 (金)

2代目冷蔵庫


 先月末のご来客直前、2階の冷蔵庫が突然故障してしまった。ウンウン唸るばかりでちっとも冷えない。12年間、よく頑張りました。お疲れ様である。

 何とも間の悪いことである。宴会するには飲み物を冷やしておくこと必須、つまり、冷蔵庫無しでは非常にグワイが悪いのである。

 修理すればおそらくまだ使えると思う。但し、箱船ができた時に超バーゲンで買ったシロモノ(正に白物?)だから、修理代は買値より高くつくだろう。新品を買うほうが安くなるはずだ。

 幸いというか何というか、近所に大量の在庫を持つ大規模な電器屋さんができているのである。○'sデンキという。昨年暮れにオープンした。普段なら昔から馴染みのパパママショップで買うのだが、到底間に合わない。在庫を持っていないのである。今回は急を要する。なんと当日の午前中、買いに走った。

 あることあること。ピンからキリまで、ズラリ並んでいる。4ドア5ドアのピンには目もくれず、ひたすらキリの方向へ突進する。

 シングルドアのパーソナル冷蔵庫なら数千円だ。さすがにそれでは小さすぎるので、写真の2ドアタイプを選んだ。国産品ではないが、2階で使うには充分。内容積もちょうど良い加減である。デザインは何となくクラシックで、個人的には気に入っている。驚くほど安かった。

 配達して欲しい、今すぐ持ってきて欲しい、というと、それは無理。明日以降になると言う。それではこの店に来た意味がなくなるわけで、それじゃあ仕方がない持って帰ると、サイファに無理矢理積んで帰ってきた。

 冷蔵庫というもの、基本的に横にしては遺憾らしい。冷媒が偏って冷えなくなったりするンだそうな。といっても僕のクルマでは横にしか積めない。横にしたらどうなる、10分以内に帰れるがと訊ねたら、車から降ろしてから1時間以上は立てた状態で静置し、その後電源を入れるように、ということだった。ナルホド、そーゆーものだったのね。

 注意を守ったのが良かったのか、無事冷えている。無事どころか、猛烈に冷える。うっかりすると冷蔵室でも冷凍できるくらいである。優秀というべきか、何というべきか。

 気になるのは電気代である。本体はハイCPだったが、かえって高くついたりして。

’05/06/02 (木)

新規開拓市場


 AA誌最新号(117号)を読んでいたら、福田屋さんでケーブルインシュレーターなるものが取り上げられている。ケーブルの下に敷いたり、上に載せたりして、音を良くするというアクセサリーである。製品としては、オーディオテクニカからAT6825という、真鍮製の豪華なものが出ている。他にもあるようだが、従来インシュレーターと呼ばれてきたものほどの数は出ていない。その意味では新規開拓市場なのである。

 福田屋さんでは、製品として出ているものだけではなく、硬軟各種取り揃えて実験なさっている。オーディオ用途以外のものもある。なかなかに面白い。特に、釣り用として手に入るというタングステンのオモリは、興味深いのである。

 ケーブルを重量で抑え込むという手法は、随分前からやっている。尤も、ゼッタイ効果があると踏んで実行したのなら、さすがということになるわけだが、そんなに格好良いものではないのである。

 きっかけは極めて単純、というよりも情けない話なのである。たくさん買いすぎて余ってしまった鉛インゴットやインシュレーター。置き場所に困った。いい加減にその辺にころがし、ておくと蹴っ飛ばして腹を立てねばならない。あれはイタいんです。

 どうせならケーブルの上にまとめて載せとけ、と。デメリットもあるのだろうが、ウチは音がでかいからメリットが勝つかもしれない。乱暴なのである。バラバラに放置するよりは見た目もきれいである。上に載せて振動を抑え込むのが狙いだから、インシュレーターではなくスタビライザーと言うべきか。

 載せてみたところが、とくにヘンな音にはならず、といって強烈な効果があるとも感じなかった。が、少なくとも悪くはならないようなので、以来そのままである。蹴っ飛ばすことも少なくなった。今、すべてを急に外してしまったら、効果の程度がよくわかるかもしれない。が、重いしメンドクサイからやらない。

 ケーブルの近くに金属があるのは良くない、という説もあるけれど、その辺はどうなんだろうか。E川先生などがご覧になったら卒倒しちゃうかな。

 ウチのは古い鉛や粒鉛をビニール袋に入れた、如何にもキタナイものである。その点、メーカー製品は豪華で綺麗だ。ヒカリモノが好きな僕としては、いささかそそられるものもあるわけだが。

 ダメだ。ケーブルが太過ぎ多過ぎで使えません。ヤバンですなあ。

’05/06/01 (水)

思わぬ副産物


 6月である。先月は体調不良で、日誌の更新はヒサンなことになってしまった。今月は健康に気をつけながら、毎日更新の縛りを守りたいと思う。元気なのがイチバンである。

 さて、お客様がお帰りになって今日で3日が過ぎた。今思い返しても、何とも楽しい時間だったと思う。ADあり、CDあり、SACDあり、DATあり。聴けるメディアすべて聴いた、つもり。だったが、ご投稿にもあったようにDVDを見るのだけを忘れてしまっていた。僕も含めて今回は、最初に音ありきマニアの集まりだったのだと、改めて思い知るのである。

 いつも感じることなのだが、来客後は音が良くなるという、不思議。特に今回は、音場感が少なからず向上したように聴こえるのである。気の所為か。

 実は不思議でも何でもないのかもしれない。自分一人であれだけまとまった時間聴き続けることは、通常ない。一気の集中試聴で、プレーヤーもアンプもスピーカーも動きが良くなっていると考えれば、至極当然のこととも言えるわけだ。短期集中強制エージングをぶちかましたような効果が、あるのだろう。

 加えて、皆さんが持参されたソフトのほとんどが優秀録音盤であり、しかも僕が聴いたことのないタイトルだったことも大きな原因の一つだと思われる。普段オノレが選ぶタイトルは、どうしても固定化する傾向にある。似たようなものばかりを聴くわけだ。聴いたことのない、或いは滅多に鳴らさない音源で、普段は動きの少ない部分までが揺さぶられた結果が、音場感の向上につながったのではないか。だとすれば、ヒジョーにありがたい副産物である。

 オーディオ機器も人間と同じで、時にはストレッチしないとダメになるのである。僕が如何に大音量派であったとしても、四六時中常識外れの音で聴いているわけではないのだから。

 そういった意味でも、仲間同士の交流には大きなメリットがあると、再認識するのである。