箱船航海日誌 2005年03月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/03/31 (木)

ゴールドラッシュ


 老若男女、一人1台一家に5台、幼稚園児までが持つようになった携帯電話である。この隆盛を、誰が予測しただろうか。すさまじいことである。

 猛烈な勢いで普及した裏側で、不要になった携帯が、これまた猛烈な勢いで廃棄されている。ただ打ち捨てられるばかりのものだと思っていたら、実はコレ、宝の山なのだそうな。

 高品位な金鉱脈に匹敵するという。言われてハッと気がついた。携帯電話には多くのパーツに金が使われている。すぐに目に付くのは充電器とつながる電極である。金メッキされている。そのほか、ソケット部、イヤホン端子、内部基板、いたるところ金メッキだらけだ。

 これら金メッキ部品だけを取り出し処理すれば、相当量の金が採れるわけである。「高含有率、高品位、高効率な、現代の金鉱脈だ」と、携帯から作った金のインゴットを見せる処理業者。1,000kgあたり500g(0.05%)の金を含んでいれば、それはかなりの高品位鉱石とされる。それに劣らない品位であるそうな。余談だが、日本国内最高品位の鉱石は、含有率3.6%。1,000kgあたり36kgの金を含むわけである。今の金相場で約5,760万円。何だか凄い話なのである。

 ケータイから金、と言えば、オーディオから金もアリだろう。含有率では遥かに上回るはずだ。写真のピンジャックをはじめとして、プラグ、基板、パーツの足、半導体、脚。果てはボリュームノブに至るまで、そこらじゅう金メッキだらけ。ケータイの比ではない。金の山である。

 僕が使っているオーディオ機器から金をかき集めたら、どれくらいの量になるのだろうか。1kgくらいにはなるのかな。およそ160万円分。相当な額になるな。ちょっとウレシイ。

 だが、これまでに投資した額はそれどころではないわけで、バカみたいに喜んでいるバヤイではないのであった。よくよく考えてみれば(考えなくても)、そんなもんがつり合うはずはないのである。

 「金より音だ」と、カッコよく言っておこう。

’05/03/30 (水)

納税者

 確定申告で、源泉徴収税の過納付分が戻ってきたといって家人が喜んでいる。スズメの涙ほどのものだが、それでも無いと思っていたものが返ってくると嬉しいらしい。ケッコウでございました。

 ウチは小規模ながらも事業所であるから、年末調整しなければならない。僕は確定申告しないのである。年末調整であらかじめ過不足分をさっぴいてしまうので、後から返ってくる喜びは味わえないわけだ。ちょっと残念。同じことなんですケド。

 この年末調整がまた厄介である。先日も書いた通り、数字に異様な拒絶反応を示す僕には、ほとんど拷問に近い作業である。所轄税務署から送られてくる「年末調整の手引き」を読みながら、僕はもうヒッシである。何度やってもよーわからん。あの手引きの文章表現、ありゃもう日本語じゃありませんな。どーしてもう少し分かりやすく書けないのか。どーしても少し分かりやすい税体系にできないのか。不思議でならない。

 税金といえば、僕のような業種の人間にしばしば向けられる言葉がある。「アンタらはいいね。無税でしょ。丸儲けだね」と。うむ。もしそれが真実ならば、まさに「丸儲け」だ。ところがである。

 世の中そんなにオイシイ話は、ございませんのよ。

 宗教活動によって得られた収入(所謂お布施など)は、一旦すべて法人会計に入る。入れなければならない。この時点では確かに「非課税」だ。この部分が拡大解釈され一人歩きし、「なにもかも非課税」との誤解が世間様に流布されたようである。話としてはそのほうが面白いもんね。

 僕は、法的には法人に勤務する一会社員である。肩書きが代表役員であるだけだ。要するに、法人会計から決められただけの給与を受けるところの、給与所得者である。一般的な勤め人さんと何ら違いはない。給与の支払いを受ければ、当然そこには所得税が発生する。ので、毎月源泉徴収し、毎年末には年末調整して納税することになるわけである。ここに業種による特例はない。粛々と課税されるのみである。

 非課税であるのは宗教活動によって得られた収入についてのみ。別に収益事業などを行えば、その収益にはキッチリ課税されるのである。宗教活動に具する建物、境内地以外の固定資産にも課税される。

 大昔、100年くらい前はどうだったか、僕は知らない。わりとドンブリ勘定だったかも。だが今は違う。怖い怖い税務署さんのスルドイ目が、常時光っているのである。定期的に税務調査にもお出でになるのであって、ゴマカシはまったく利かない。だいたいが、ごまかせるほどの税務知識など、持ち合わせていないわけだが。

 こんなことを書いてみても、屁のツッパリにもならないことはよく分かっている。誤解はとけないだろう。しかし、あまり「丸儲け丸儲け」と言われると、時には呟きたくなるのである。

 「僕も善良な納税者の一人です」と。

’05/03/29 (火)

フクロウとパンタグラフ


 夜、裏山でフクロウが鳴きはじめた。「ホッホー、ホッホホッホー」と、びっくりするような大きな声で鳴く。春が、来たのである。

 本州で一般的なフクロウといえば、ホンドフクロウである。たぶん裏山のヤツもそうだろう。フクロウ目フクロウ科。学名Strix uralensis hondoensis。日本各地の山林や平地に生息する、最も身近なフクロウさんである。

 トリの中では飛びぬけて人間臭く愛嬌のある表情をしている。他の鳥たちと違い、二つの目が同一平面上に配置されているからだろう。これは何もオシャレや愛想でこうなっているわけでは、もちろんないのである。

 こんなカオしてますが、彼らは立派な猛禽類である。狩りの名人(名トリ?)である。小鳥も捕って食べるから、トリトリなんだな。遠くから獲物を見つけ、まっしぐらに飛び、強力な脚で捕獲する。なので、目標物を立体視することが不可欠になる。天敵は少ないので、視角は狭くても大丈夫。結果、眼球同一平面上配置となり、それを見たニンゲンが勝手に人間臭く感じると、こういうわけである。

 夜行性である。動物園で昼間に見ても、起きているのか寝ているのかわからない。たぶんありゃ寝てるな。トリのクセに夜目が利き、しかも、羽音がほとんど出ない。ネズミやモグラが気配にハッと気づいた時には、もうグワシと捕まっている。サイレント・ハンターである。

 風切り羽に秘密があると聞いた。羽の先端にチョコッとした「ハ」の字型の突起(というかふくらみ)があり、そのおかげで風切り音が出ないという。上手いことになってます。

 この構造は新幹線500系車両(先っちょのとんがったヤツです)のパンタグラフの風切り騒音低減に応用されている。専門的には「ボルテックス・ジェネレーター」(渦流生成器)というんだそうです。ぶつかった空気が剥がれる時に大きな渦を作り、それが大きな音を発すると。そこで小さな渦をたくさん作る構造にすれば、空気の剥がれが少なくなり騒音は低くなる、ということらしい。フクロウとパンタグラフ。自然が生み出した構造は、ある意味最新ハイテクを凌いでいたのである。

 風切り音の低減といえば、思い当たるのはバスレフダクトである。入口出口をホーン状にしたり、表面にディンプル加工したり、フェルトを巻いたりしているけれど、フクロウ突起を応用したという話は聞かない。あまり意味ないのかしらん。

 「ボルテックス・ジェネレーター採用」なんて銘打てば、売れそうな気がするンだが。

’05/03/28 (月)

段取り悪し


 いよいよ年度末である。業務に係わる事務処理も大詰めを迎え、僕はもう完全に容量オーバーだ。動きワルイ。フリーズ寸前である。

 僕は生来の数字嫌いで、たとえ簡単な計算数式であっても生理的拒絶反応を起してしまうのである。出納帳や通帳にずらずらと並んだ数字、見ただけでモウダメ。気が遠くなる。何をオオゲサな、とおっしゃるそこのアナタ、算数数学に弱い人間とは、そーゆーものなんですよおお。幼少の頃からオーディオに興味を持ちながらも今に至ってオーディオ原理が理解できないのは、ここに因を源とするわけであります。悲しいのである。

 そういうニンゲンが、無理に数字に関する仕事をすればどうなるか。超低能率である。時間ばかりかかってちっとも捗らない。バカバカパワーを入れても音量感が得られず、これでもかとボリュームを上げればポンッといってお亡くなりになるようなスピーカーと同じだ。机の上の散らかり様をご覧じれば、その段取りの悪さ効率の低さがおわかりいただけようというものである。モノスゴイ仕事をしたワケでもないのに。自分でもイヤになります。

 来月1日の行事が済めば、とりあえずはヤレヤレである。それまでもう少しの間、僕はフリーズ寸前のまま低能率低品位スピーカーのような段取りの悪さで動き回るのである。

 軽い振動板に強力な磁気回路。ダイエットとノウミソのトレーニングが必須だ。

’05/03/27 (日)

時計


 歳を追うごとに時間の過ぎるのが速くなり、これはもう感覚的なものではなく物理的に時間が加速しているのではないかと、相対性理論をぶっ飛ばすようなことまで考えたりする。要するところ、アタマの回転が遅くなっているだけのことなのである。

 たぶん初登場になると思われる、箱船1階の壁掛け時計である。何も珍しくはない、フツーのものである。箱船ができた時にバーゲンで買った。980円だった。

 飾り気のないディザインは気に入っているし、文字も見やすくて良いと思う。これで満足、と思ったら、実はそうでもなかったのであった。

 この時計は秒針のあるタイプである。昔のゼンマイ式振り子時計のようにチクタク大きな音は出さないものの、ステップ運針の機械音がわずかに出る。カシャッ、カシャッという音。これが静かな箱船では耳につくのである。

 真夏、真冬、エアコンやファンヒーターを運転してしまえば気にならなくなる。だが、4月下旬〜6月初旬、9月下旬〜11月初旬、空調が不要な、つまり箱船のSNが最も良くなる時期には、やはり運針音が目立ってしまうのだった。

 それならさっさと秒針無しのタイプに替えれば良い。その通りである。高価なものじゃなし。その辺り、非常にいい加減で不精っタレなのである。気になる気になると言いながら、12年も使っているのだから。

 本家方舟は、さすがに抜かりがない。ちゃんと秒針無しの時計が、かかっているのである。このことを先生に言ったら「たまたまですよ」なんておっしゃっていたが、ホントかな。

 あの時計は、今も動いているのだろうか。

’05/03/26 (土)

何だかおかしい

 FTPソフトの調子がどうにもヘンである。起動した途端エラー出現、強制終了の警告が出たりする。無事起動できてもホストサーバーとの接続が上手く行かない。接続できても転送できない。昨日も、今夜もそうだった。またしても2日分まとめての更新になってしまった。ご容赦ください。

 パソコンを再起動したり、しつこく接続試行を繰り返したりしているうち、ようやく繋がり転送できたのはついさっきである。何だかよくわかりません。原因不明。

 普段使っているソフト、HPB付属のFTPソフト、どちらも不調なところを見ると、どうやらパソコンそのものの不具合ではないかとも思われるのである。

 使い始めておおよそ5年、OSは今やウイルスの標的にさえならなくなったWindows98SEである。昨日のTVではないけれど、いよいよ新調すべき時が近いのだろうか。

 メールを遣り取りする、インターネットする、webページを編集、転送する。あとはワードとエクセルをチョイチョイと使うくらい。こんな用途だから、実用的には98SEで何の不都合もない。慣れている分、却ってXPより使いやすいくらいだ。

 しかし、これほど頻繁にFTPの不都合が出ると、はっきり言って困るのである。そのうち他のアプリケーションにも影響が出てくるかもしれないし、そうなったらホンキで新調を検討しないと遺憾のである。

 パソコンの世界で「5年」っちゅうと、それはほとんど化石化するほどの時間である。ともかくは完全にお亡くなりになるまでは使いたいと、思うのだが。

 炭山さん、このパソコンも、ずいぶんご老体となりました。

’05/03/25 (金)

展示会


 近くの電器屋さんから写真のようなファイルが届いた。どことなく高級感の漂う黒い表紙には「QUALIA」の文字が入っている。そう、中身はSONYが推進するクオリアプロジェクト新製品特別展示会の案内である。

 大江山の向こう側、福知山市の展示場での開催だそうである。40、46インチの大型液晶TV「QUALIA 005」、70インチ大画面リアプロジェクションTV「QUALIA 006」が展示の中心である。特に006は北近畿初のお目見えという。間もなくこの地方でも地上波ディジタル放送が始まるというから、それを睨んでの展示会なのだろう。

 クオリアプロジェクトには大いに興味を持っている。いささか貴族的趣味とも言えなくもないけれど、オーディオ・ヴィジュアルが際限なくコンビニエントなものになりつつある昨今、こういう存在は貴重だとも思う。ただし、今回展示の製品群は「超高級家電」という感もあるわけだが。

 この日は業務があり、見に行けそうにないのは残念である。招待状には「購入に関しては万全の体制を敷いている」とある。ナルホド。

 居間で使っているTVは、太古の20型である。最近色と明るさがガクガク変わったりして、ヒジョーにグワイが悪い。家族から「もうそろそろ買い替えようよー」と言われるたび「地上波ディジタルが始まったらな」と、まだまだ先のことだとそれを口実にシンボウさせてきたのである。が、俄然状況は変わってきた。ホントに買い替えねばならんかも知れん。

 と言ってもまさかクオリアはないのである。40型の005で840,000円。そんなもん買えまへんがな。

 展示会、やっぱり行けないでヨカッタ。

’05/03/24 (木)

二度目も不可能


 完成当初の箱船には、フロアコンセントが4つ設置してあった。1個あたり2口、合計8口分である。リスニングポイントのすぐ前にラックを置き、機器を並べてその向こう側(スクリーン側)、ちょうどいい加減の位置に設置した。つもりだった。

 プロジェクターがVPH-100QJの時代は、それでまったく問題なかったのである。そりゃそうだ、100QJの120インチ投射距離とラックの配置から寸法勘定して設置したのだから。高価なプロジェクターを買い替えるなど、当時は考えてもいなかったのである。

 その後、プロジェクターをVPH-1252QJに替えるという暴挙に出て状況一変。100QJよりガタイはでかいが同じ画面サイズなら投射距離が短くなったのである。要するにラックが前進するわけで、こうなるとヒジョーにグワイの悪いことになってきたのである。

 4個のうち、両端の2個は前進したラックから逃れた。困ったのは中央2個である。マトモにラックの下敷き。どうしようかと3秒考えて撤去決定。自分で○○を○して○○○し、○○○○ってしまった。電取法(現在は電安法)違反だ。決してマネしてはイケナイ。あとには直径10cmほどの穴が口を空けた。ので、ガラス繊維入りテフロンテープで塞いでラックを載せてある。何か詰め物をしたほうが良いかとも思ったが、何だか気色悪いのでヤメた。

 で、残った両端2個の現状は写真のとおりである。隣りに写っているポップアップ式からコンセントボックスに替えてしまったのだった。コンセント本体はCSEのロジウムメッキCONSENT ONE、プレートは松下の真鍮タイプを使った。

 ポップアップ式は、可動部分を持たせるために幹線とコンセントの間に2つの接点を持つ形になる。デメリットはあってもメリットはない。スマートで格好は良いが音には良くないのである。CSEに替えて音は格段に向上、したわけでもないけれど、これは精神衛生上の問題だ。

 結果的に4個あったポップアップ式フロアコンセントはすべて撤去となり、外した本体は2階でご永眠である。いつかどこかで、復活の時が来る、かもしれない。

 多寡がコンセントの配置であっても、ことほど左様に当初の目論見通りコトを運ぶのは困難である。造り付けのレコードラック、も一時は考えたりしたけれど、今となっては見送って良かったと思っている。

 家は三度建てて満足するものができる、という。箱船MkIII。一生無理ですな。

’05/03/23 (水)

清寥々 白的々


 昨日はFTPソフトの不具合で転送ができなかった。今日になってどうやら復帰したので、昨日分とあわせて2日分更新した。よろしくお願いしたいのである。

 左のSネッシー脇の壁にかけてある板に書かれた漢文。これは本山妙心寺第4世、日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)禅師(1368〜1448)の言葉である。ご本人の自筆を板に写し取ったものだ。

 「清寥々白的々に似て、只本分の事を以って人に接す」(せいりょうりょう、はくてきてきににて、ただほんぶんのじをもってひとにせっす)と読む。

 「清寥々白的々」とは、何の汚れもなく清らかで真っ白、清廉潔白の意。一切の先入観なく、ただ物事の本質のみを見て人(だけではなくすべての事象)に接する、という言葉である。

 500年以上も前に書かれたこの言葉が、僕は好きである。如何にも潔く、しかもズバリと真理を突いている。人やものごとに接する時、すべての先入観を捨ててあたることがどれほど困難なことか、多寡が趣味であるオーディオでさえ、思い知らされることが多いのである。

 「本分の事」を見抜くことは難しい。ラベルや価格、高名な人の評価、ショップの甘言に惑わされ、自分が本当に求めているものから遠く離れたものに手を出してしまうことも多いのである。確固たる自己を持ち、揺るぎのない自信を以ってオーディオできたならば、それが最もの幸いなのは、誰もがよく知っている。知っているが実行は大難である。

 ともすれば右顧左眄する、或いは開き直り、居直ってしまう自分を戒める意味もあって、リスニングポイントからよく見える壁にこの板を高く掲げているわけだ。

 「我、只本分の事を以ってオーディオに接す」と行きたいところ、だが。

’05/03/22 (火)

無事


 これと同じような写真を載せたのは、'01年5月17日である。おおかた4年前だ。この間、一度も中を覗いていないのがフと気になり、同じようにバスレフダクトからデジカメを突っ込んで写真に撮ってみた。

 ご覧のとおり、何にも変っていない。ちょっと安心したのである。ユニット背面がサビていないだろうかとか、吸音材(タダの脱脂綿である)にムシがわいてないかとか、クモの巣だらけだったらどーしよーかとか、バカみたいな心配をしていたのだった。問題なくてヨカッタヨカッタ。

 中でも特に心配していたのは、ヒラタキクイムシ禍である。Sネッシーから屋移りしていないかと。それも問題ないようだ。いろんなアングルで撮ってみたが、穴や木粉は確認できなかった。

 リヤカノンもOKだし、ラックも感染(ってゆーのかしらん)していない、ところを見ると、Sネッシーのムシは最初から板に棲みついていたものと考えるのが自然である。棲んでいらっしゃったのね。作る前に気がついていたらば、駆除できていたのだろうか。不可能だったように思うのだが。

 ともかくSWは、ユニットも箱も無事である。使い始めから今年で8年、作り替えの予定は全くない。動かすのも、もう一度この規模のSWを作るのも、もうイヤダ。たぶん死ぬまで二度と作らんだろう。

 半永久的に、がんばってもらうしかないのである。

’05/03/21 (月)

春へ


 昨日夕方、午後6時ごろの風景である。雨降りでありながら夕焼けになっている。この地方得意の天気雨である。この冬最後の抵抗か。

 光の色にいつになく赤みが強く乗っている、というよりも、風景全体が黄金色に輝いているのである。遠くの山も黄色く霞んで見える。何故だろうと3秒考えて気がついた。これは黄砂の影響なのである。今年は比較的少ないかと思っていたら、ちゃんとやってきている。これも春の訪れを告げる現象の一つだ。

 中途半端な雨と黄砂。風景はとても幻想的できれいだが、車は酷いことになっている。超微粒子の黄色っぽい砂でコーティングされてしまうのだった。乾くとこびり付いてなかなか取れない。水を流しながら洗っても塗装に傷をつける。なかなかの厄介者なのである。

 天気雨と黄砂。冬と春が同居しながらも、季節は確実に春へ向かっているようだ。今日はとても暖かい日だった。

 今年初めてのウグイスを、今日聴いた。

’05/03/20 (日)

寒い中日


 春彼岸中日である。午前中は近年になく異様に寒く、どーなっとるのかと思ったが、午後からはやや春めいて安心した。天候はあまり良くなかったが。

 桜の花芽は固く、ご覧のとおりである。先っちょがチョロッと緑色になっている程度、今月中の開花は到底望めないだろう。過去4年間の咲き始めは、2001年が4月3日、2002年は3月29日、2003年は4月7日、2004年が3月29日と、隔年で早かったり遅かったりしている。今年は遅番、つまり、周期どおりなのである。

 毎年のように、ニュースの天気予報コーナーでは開花予想を出している。「桜前線北上中」なんて言ってるけれど、たいがいはギリギリまで修正に次ぐ修正であまりアテにならない。ありゃいったいナニのために、誰のために出しとるのか、よくわからんのである。

 みんな春が待ち遠しいのだろう。「桜前線」と聞けば春の声が近くにあるようで、ウキウキするのかもしれない。或いは、気の早い人が花見の日取りを決めるためのモノサシに使っているのか。

 「社長、今年は○月○日の開花になるそうです。花見はこの日に決めました」「うむ、よきにはからえ」。これでスカタンかましたら決めたヤツはクビにされるのである。「花が咲いておらんではないかっ!」とか言って。生活かかってます。気象庁さん、責任重大ですぜ。

 ゴザ敷いてお重に詰めた料理を食べ、大酒呑んで怪気炎を上げる。ような花見は苦手だけれど、日当たりの良い縁側で桜を観ながら食べるお弁当は、如何にも美味しいのである。今年の冬は特に長かっただけに、とても楽しみにしている。

 早く咲け咲け桜の花。咲かなきゃはさみでちょん切るぞ。

’05/03/19 (土)

賛否両論


 ここ4週間ほど、週末になると天候が悪くなり雪が降ることが続いたが、さすがにお彼岸である。今日は春らしい好天だった。ようやく雪も終りになるか。明日は彼岸の中日である。

 写真は2階のD-55についているFE-208ES Ver.1である。これが初めて限定発売されたのは2000年の春、すでに5年が経つわけだ。

 今に至ってなお、このユニットは賛否両論が続いている。先代SSを大きく凌ぐ素晴らしいユニットだという人、SSまで続いた伝統的FEの音が失われたと嘆く人、紙臭さが取れて質感が上がったという人、いつまでたっても寝ボケた音で切れが出ないという人。ローハイのバランスがよくパワーも入って最高だという人、低域が出過ぎ、ハイはうるさい上に伸び悩んでバランスが悪いという人。一つのユニットでもこれほどに感じ方が違うのかと、とても興味深いものがある。

 僕はESに替えた当初からの絶賛派である。鳴らし始めは確かに切れが悪く感じる部分もあった。しかし、歪み感の少なさに驚き、しかも大パワーを入れても音に崩れがないことに、大きな可能性を見たのも事実。その時点で質感ではSSを遥かに上回っていると聴いたのだった。

 かくてガンガン鳴らし込み、2002年春にVer.2へ換装する頃には、切れと低歪みを高次元で両立させた素晴らしい音で鳴るようになっていた。

 現在、Ver.2も使い始めから3年が経った。Ver.1、2どちらにも共通して言えることは、エージングが極めて重要であることだ。SSに比較して構造が複雑で重めの振動系。その所為かどうか、レンジの広いソースで充分に大振幅させてやらないと、なかなかに目覚めてくれないユニットなのである。

 長岡先生は、208ES搭載のネッシーMkIIIが完成して間もなく亡くなってしまった。「今のところSSの方に魅力を感じる」と、完成当初はおっしゃっていた。その後「強烈ソフトの大音量再生で100時間エージングしたら、目がさめたように生き生きと鳴り出した。これならSSに負けない」と書かれたのが、最後のイムプレッションである。

 もし、先生がご存命ならば、今どんな感想を持たれるのだろうか。

’05/03/18 (金)

感激したのは音のみならず


 昨日のタイトルと同じ時(別冊FMfan28号)に紹介されているレコードには、あとになって「外盤A級セレクション」入りしたものがたくさんある。数えてみたら5枚あった。含有率が高いのである。

 極めて高評価で、しかしセレクションから外れているタイトルもある。M&KのD2D「HOT STIX」と、もう1枚は写真のレコードである。かなり有名なので、お持ちの方は非常に多いと思う。テラークの「春の祭典」(DG-10054)。

 「すばらしい迫力と解像度とナチュラルなバランスと臨場感。グランカッサがステージ奥からマッハ3でぶっとんでくるショックはただごとでない」というイムプレッションを読めば、長岡ファンならずとも聴きたくなること必定。さらに「レコード漫談」(赤本)では「他のすべてのハルサイは捨ててしまってもいい。これだけは聴いてほしい」とまで書かれている。もうイケナイ。これで見逃しては男が廃る(?)というものだ。

 残念ながら僕は、どちらの記事もリアルタイムでは読んでいない。昨日紹介したレコードを追いかけていたくらいだから、'80年ごろといえば、まだロックに呆けていた頃なのである。

 初めての入手は'89年だった。そろそろADが入手困難になり始めていた頃である。イナカ暮らしでAD入手に苦心していた時、知り合って間もない友人から贈られたものだ。聴いて感激したのはもちろん、もっと嬉しかったのは、彼の厚意である。「同じ仲間同士、良いものは一緒に楽しむべきです」という言葉は、その後の僕のオーディオスタンスに大きな影響を与えたのだった。

 実際、このレコードの音は凄い。地の底から吹き上がるマグマのようなエネルギー感、それでいて繊細微妙、力感と繊細感が極めて高い次元で両立している。優秀録音が多い当時のテラークの中でも、最高傑作間違いなし。大型システムで大音量再生すれば、まさに痛快爽快。オーディオ的快感ここに極まれり。

 これから見ると最近のテラークは、ずいぶんとフツーのレーベルになった感が強い。大きな失敗作はない代わりに、圧倒的優秀録音盤もなくなってしまった。25年前マイナーレーベル、今メジャーレーベル。

 なんだかツマランのである。

’05/03/17 (木)

最良の頃


 1月3日の日誌で少し触れたレコードである。「EAGLES / LIVE」(日ワーナー・パイオニア P-5589〜90Y)。(P)(C)1980。長岡先生が紹介されているのはアメリカ盤で、Asylum Records BB-705のほうである。残念ながら僕のは、'81年に買ったベタベタの国内盤だ。当時2枚組で3,800円のレコードは、ずいぶんなゼイタクをしたような気分だった。

 先生の記事は、別冊FMfan第28号(1980年冬号)に載っている。「外盤ジャーナル」で取り上げておられるわけだ。「ちょっぴり拾い聴きしただけだが、なかなかいい。演奏も録音もいい方だ。いろいろな面でバランスのよい録り方。ヒステリックなところが少なく、人間が自分の声で歌っているという感じがする」と、なかなかの好評価である。

 25年後の今、あらためて聴く。確かにロックとしては歪み感が少なく、聴き疲れし難い音である。ロックにありがちな絶叫調にならない。ただ、やや甘口のモッサリした音に聴こえるのは、国内盤だからだろうか。外盤を探して買ってみようかな。

 僕としては「hell freezes over」のほうを取りたいところだが、殊、演奏に関しては文句なくこの「LIVE」である。メンバー全員が若く、しかもグループとして最も脂が乗っていた頃(一説には、解散前でメンバー間の関係は最悪だったとも)の録音である。細かいところまで完璧、痒いところに手が届くような演奏だ。イーグルスの必殺技、コーラスも破綻が全くなく、バチッと決まっている。

 彼らは今も健在で、相変わらず高い人気を誇っている。昨年は来日公演もあったし、またいずれコンサートを聴ける機会があるだろう。

 しかし、'80年頃のイーグルスを、一度は観て聴いておきたかったと、このレコードを聴きながら思うのだった。

’05/03/16 (水)

8年使っているけれど


 電源は大事だよー、と書いて思い出したアクセサリーである。インフラノイズのAC-21という、これは何と説明すればよいのだろう。製品名は「ACハーモナイザー」としてあり、取説には「超高速ショットキーダイオードとコンデンサーを用いたノイズダンパー」とある。どうやらノイズフィルターであるらしい。

 使い方は至極カンタンである。オーディオ電源を取っている空きコンセントに挿すだけ。アンプ背面にあるリザーブコンセントに挿してもよい。方向性を持っていて、音の向上が顕著だと感じた方向で使えと。メーカーからの指定はなく、ユーザー任せである。環境によって異なるということか。

 これを買ったのは'97年だから、もう8年も経っているわけである。ディジタル機器の電源を取っているコンセントに挿しっぱなし。寿命についての注意書きはないから、たぶんキケンはないと思う。効果のほどは....う〜む、イマイチようわからんのである。

 少なくとも悪影響は、ない。音が鈍るとか、切れが悪くなるとか、かったるくなるとか、イワユル僕が嫌う方向への変化はなし。しかし、格段に良くなったかといえば、それがどうもわからんのである。幾度も差し替えて方向性も確かめたが、やっぱりワカラン。何だか申しわけないのである。なのに8年も使い続けているのは、主に精神衛生上のことである。ナイよりゃあるほうがいいかな、と。

 箱船は単独で商用電源を引き込んでいる。それに加えて人の少ないイナカであるから、電源に乗るノイズが少なく、その分効果が出にくいのかもしれない。かなり自分に都合のよい解釈であるが。

 実は、タコ耳がすべての原因だったりして。アヤシイなあ。

’05/03/15 (火)

電池新調


 FinePix(FUJI FILM)のデジカメに永らく使ってきた、リチャージャブルニッケル水素電池(パナソニック製)が、ついに寿命を迎えたようである。ナンボ充電しても1、2枚撮っただけで電池切れを起すようになったのである。2001年1月からたっぷり4年間、思えば酷使したと言ってよいような使い方をしてきたのだから、これはもう天寿を全うしたと言うべきである。お疲れさまでした。

 リチウム・イオンバッテリー電源の新しいデジカメがあるのだから、今さらFinePixはもういいだろうとも、思うがそうは行かない理由がある。OLYMPUS μ-15というデジカメ、綺麗に撮れるのは大変結構だが、接写にはカラッキシ弱いのである。小さなアクセサリーなどを撮るとき、まったく使い物にならない。この点において、まだまだご老体FinePix4500にはがんばってもらわねばならないのである。

 そこで電池新調。当然ながら同じくニッケル水素電池を選ぶのである。これまで使ってきたのはHHR-3GPSという、min.1550mAhタイプである。当時はこれしかなかったし、充分すぎるほどの超寿命バッテリーだった。しかし、4年の間に電池も進化する。

 今回仕入れたのは、HHR-3SPS。min.2230mAhの強力型、容量1.4倍である。充電時間は多少長くなるけれど、長持ちするのはヒジョーにありがたい。これでまたしばらくは大丈夫だろう。

 電池といえば、充電式ではないものの、最近のブライテスト・ホープとして話題にのぼるのは、オキシライド乾電池である。アルカリ乾電池を凌ぐ超寿命。発売直後から使ってみたが、実際かなりの長持ち電池である。ネーミングが良い。「オキシライド」なんて、ちょっとカッコイイじゃありませんか。

 さらに、音響用に使ってみたれば、音が大変良いことがわかってきたという。CMでもモロにそれをアピールしている。最近では珍しいことではないか。この辺りについてはAB誌最新号上、炭山アキラ氏のレポート記事に詳しいのでご一読をお薦めしたい。

 よーく考えよー、電源は大事だよー。というわけで、電池を新しくすれば、老体デジカメ画像も質が上がるかもしれない。

 その前に、僕のウデとセンスが、問題なのである。

’05/03/14 (月)

恐縮ながら身内ネタ


 写真は僕の実家、大阪府高槻市の、とあるお寺である。

 この寺の住職であった(現在は先住職)父が「テレフォン法話」を始めたのは、1985年のことである。着信専用回線を引き、留守番電話機能を使ったエンドレステープに3分間の法話を録音し、料金は受け手が負担する形でスタートさせたのだった。以来、週に一度、土曜日の深夜に内容更新をしながら20年間、今日まで継続してきた。

 開設した時、父は56歳。壮年期である。住職とともに教職にもあり、心身ともに充実した時期であったのだろうと思う。僕は24歳で、修行に名を借りてヘラヘラ過ごしていた。

 その父も今年76歳に至り、さすがに衰えが目立ち始めた。教職はずいぶん前にリタイヤしたし、住職も4年前に兄へと譲り、殊に先々月、ちょっとしたことから脊椎を圧迫骨折してからはすっかり弱気になってしまったようである。

 今月、「テレフォン法話」が第1000回を迎えるにあたり、これをキリに最終回とすることを決めたという。不肖のバカ息子としては「長い間お疲れさんでした」と言うほかないわけだが、20年の蓄積がこのままフェイドアウトしてしまうのも惜しいと、考えるのだった。

 1000回分の法話は、1回あたり約800字の原稿として保存してあるという。それを利用しない手はない。元ネタは山のようにあるわけだ。いっそwebページを立ち上げてしまえと、言ってしまったのは僕である。

 ちゅうわけで、「テレホン法話」はwebページ「くずはぼくさんのブッディズム・トーク」に場を移し、継続することと相成った。筆者は父だが管理人は僕である。大丈夫なんでしょうか。

 拙「船長の戯言」とはまったく趣を異にするページである。まだまだ未完成だが、時間をかけて充実させて行きたい。ご笑覧願えれば幸いなのである。

 よろしくお願い致します。

’05/03/13 (日)

逃すなチャンスを


 お彼岸も近い今日この頃、外は季節外れの大雪である。ありがたくないことに、当地方には大雪警報が出ている。ビョーキで寝込んでいる間は4月中〜下旬並みの陽気、治ったとたんに真冬へ逆行。よほど日頃の行いが悪いと見た。どうにも仕方ないのである。

 今日の写真は彼の名機、MC-L1000であるが、これの話題ではない。

 AB誌最新号を読んでいたら、アクセサリー紹介のページにいささか気になるものが載っていた。eminentで名を馳せた、マイソニックラボからのシェルリード線である。

 リード線はMR-1Rhという。元々はヘッドシェルSH-1Rhに付属していたものの単売版である。芯線はOFC、リードチップは光輝ロジ銀メッキ、カシメ+無鉛ハンダで接続。4本1セットで4,200円。この価格をどう見るか、意見は分かれるところだろう。これ、ヒジョーに興味あります。

 写真のカートリッジ、現用eminent、HELIKONに使っているのは以前にも書いた通り、AC社のCW-Rh1である。極めて優秀なリード線だ。残念ながら既にディスコン。これに匹敵するようなものは、今のところない。と思う。

 そこへMR-1Rhである。おそらく開発者は同じエンジニアさんではないかと、これは僕の勝手な想像。大いに期待するのである。明日、早速販売店へ問い合わせてみよう。入荷していれば、4セットくらい買っておこうかしらん。16,800円。うーむ、ケッコウな額であるなあ。

 CW-Rh1は4本×2セットで3,900円(だったかな)、今思えばモノスゴいハイCPだったわけである。くっそー、もっと買っておくンだった。と、悔やんでも後の祭り。そうならないよう、今度は多少の出費覚悟で多めにストックしておくのである。

 備えあれば憂いなし、と。

’05/03/12 (土)

おかげさまで復調


 3月の日誌は惨憺たる状況になってしまった。全くに申しわけないことである。掲示板、メールなどでお見舞いくださった方々には、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。おかげさまで、ようやく復調いたしました。

 それにしてもインフルエンザウィルスの威力(と言ってよいのかどうか)は、猛烈である。特効薬タミフルを服用してなお39℃を超える発熱を見たわけで、もしこの薬がなかったらどうなっていたかと思うとゾッとする。皆さん、くれぐれもご自愛ください。インフルエンザは、風邪ではありません。

 さて、復調してみれば、やはりオーディオしたくなるわけである。ほぼ1週間ぶりのまともな音出し。聴きたくなったのはADである。週末、再び冬に戻って寒くなった部屋をちょっと暖めておき、ADに針を落としてみる。

 久しぶりに聴くADは、とても良い音である。まだ体調完璧とは行かないらしく、ちょっとハイ上がりに聴こえる感もあるけれど、片面を聴き終わる頃には耳も慣れてきたようだ。明日以降は、もっと元気が出て音もよく聴こえるようになるだろう。

 業務も忙しくなるし、仕事も趣味も、健康あってこそのものである。

’05/03/11 (金)

強烈インフルエンザ

 5日連続で休載してしまった。こんなことは初めてだが、それほどに今回のインフルエンザは強烈である。7日の夕方には体温が39.3℃まで上がり、本当にもうキゼツしそうだった。

 まだまだ本調子には程遠く、体はダルく力が入らない。頭の中には霧が立ち込めているようですっきりしない。早く元に戻りたいと思えども、自分の力ではどうにもならないのがヒジョーにもどかしいのである。

 いつもの更新ペースに戻るまで、もう少し時間がかかりそうである。ご容赦ください。

’05/03/06 (日)

NHK特集に思う

 NHK特集「東京大空襲 60年目の被災地図」を見た。昭和20年3月10日未明の大空襲に際して、新たに見つかった犠牲者名簿を元に、都が作成した被災地図を追うドキュメンタリーである。

 内容については多くを語る必要はない。極めて質の高い番組であった。戦争は悲惨で理不尽である。後に残るのは哀しみと憎しみのみ。馬鹿で愚鈍な指導者のワリを食うのは、常に善良な市井の人々だ。

 昨今、いろいろと取り沙汰されることの多いNHKである。受信料の支払いを拒否する人が増えているという。今後、NHKの番組は見ないという人もいる。

 残念なことである。NHK特集に代表されるような真摯な番組作りを、民放に期待できるだろうか。否である。スポンサーの意向に左右されない番組制作を実行できるのは、唯一NHKだけなのである。内容のみならず、放送のクオリティも群を抜いている。ディジタルハイヴィジョン放送を最も美しい映像で見られるのは、NHKなのである。

 責任者の過ちは、もちろん糺されるべきである。しかし、実際に番組制作に携わっている圧倒的多数の人々は、極めて真摯な態度で取り組んでいると思う。受信料の不払い、放送の無視は、視聴者自身の首を締める結果になりはしないかと、僕は危惧するのである。

 企業が何か不始末を起すと、それいけとばかりに皆で寄ってたかって総叩きする。そこへ勤務する人々まで極悪人扱いである。何十年も前からちっとも変らないヒステリックな反応。イヂメの構図である。

 罪は罪、人は人として、真実を正しく見たいと、思うのである。

’05/03/05 (土)

ケータイは進化する


 携帯を新しくしてから無料着メロ取りが面白くて、Sony Ericssonのezサイトからいろいろ集めて喜んでいる。無料といってもパケット通信料はしっかりかかるわけで、しかしまあ着メロくらいならそれほどでもないのである。

 電話機はSony Ericsson W21Sという、たぶん最新機種ではないはずだが、64和音ステレオ再生対応。小さいながらも本体背面にはスピーカーがステレオペアで付いている。ナマイキなのである。

 再生してみると、思いのほか音が良い。この前に使っていた電話機とは雲泥の差である。ちょっと面白いから調子に乗ってF特を採ってみた。写真がそれである。

 背面スピーカー軸上15cmにマイクをセットし、採ったものである。200Hzのディップ以下、160Hz〜25Hzのレスポンスはバイブレーターのブンブン音なので、純粋な楽音とは違う。実際のレンジは300Hz〜20kHzというところだろう。

 マイクが近い所為もあるが、ハイの伸びは凄い。20kHzまでキーンと伸びている。聴感でもこの通りで、歪みが少なく綺麗な音である。F特から受ける印象よりも低音感があり、あまりハイ上がりには聴こえない。2個のスピーカーは本体の幅いっぱいまで広げてある、と言っても中心距離3cm(!)くらいである。それでもちゃんとステレオ感が出るからフシギだ。2ツ折した状態よりも開いた形のほうが音が良い。これもバッフル効果なのかしらん。

 もちろん、僕がやっているようなオーディオとは世界が違うとは思う。思うがヒジョーに面白い。

 携帯は最早単なる「電話機」とは呼べないほどの進化を遂げた感が強い。1台あれば、電話、カメラ、ネット、音楽、ゲーム、ヴィデオ、テレビ、ラジオ、ナビ、手帳、時計、リモコンetc、なんでもアリだ。海外でもそのまま使えるヤツもある。こうなると昔「沈黙の戦艦」でスチーブン・セガールが使ってた「マグナフォン」並みではないか。

 ウチのようなイナカではFOMAなど無縁だと、思っていたら、近所にアンテナが立った。間もなく稼動するという。時代は凄い速さで動いているのである。オーディオは近い将来パソコンに呑まれる、なんちゅう見方はもう古い。

 ダークホースはケータイだったのである。

’05/03/04 (金)

寒い音


 昨日は夕方から業務関係のオヨバレがあり、フニャフニャになって帰ってきたところで完全にスイッチ切れました。今日の朝までの記憶がゴザイマセン。これもまた、僕のお仕事である。無断休載、失礼致しました。

 今晩はまとめて音を聴こう、と思って箱船に入り、ヒーターのスイッチを入れたらご覧の通りである。室温10℃。こんな写真は昔にも載せた。'01年12月18日である。その時よりも3℃低くなっている。丸2日間まったく入室していないわけだから、この室温も致し方なし。しかし10℃は、寒い。

 ここですぐに音を出しても、マトモには聴けないのである。もちろんADは完全にNG、CDでさえ何とも冴えのない音になってしまう。機器が暖まっていないことと、もう一つは冷め切った部屋の空気そのものにも原因がありそうだ。

 科学的根拠についてはサッパリだが、チメタイ部屋で聴く音は、ハイ上がりなクセにスピード感が落ちたように感じるのである。動きづらそうというか不自由というか。部屋が暖まってくるにつれ、徐々にほぐれ始め、15℃くらいでやや聴ける音になる。もう一息という感じがなくなるのは、20℃に達する頃である。

 してみると、今晩のケースで行けば室温を10℃上げねば遺憾のであって、10℃上げようと思うと数時間かかるわけで、その頃には朝になっているわけである。要するに今晩中にマトモな音は聴けん、っちゅうことになるのであった。

 嗚呼、春は遠い。

’05/03/02 (水)

言い訳

 既にお気付きのことと思うが、ここのところマトモなオーディオネタをほとんど書けていない状況である。SネッシーMkIIの話はどこへ行った。押し売りや季節の話ばかり書いているバヤイではないのであるが。

 実は、ヒジョーに忙しく、落ち着いてオーディオする時間がないのである。ある人に言わせると、僕の業務はとてもヒマそうに見えるらしいのだが、案外そうでもなく、特にこの季節は年度末年度始めの事務処理が多くて忙しいのである。

 ここ2週間ほど、ほとんど音を聴いていない。その所為で箱船1階は冷め切ってしまっている。一旦こうなると暖めるのに時間がかかり、余計に聴くのが億劫になるのだった。悪循環である。

 ヘタはヘタなりにでも、何かしら興味深い話題で日誌を書ければと、思えども現状叶わない。

 申しわけないことである。

’05/03/01 (火)

春の歌


 大の月に比べ、3日短いだけの2月だが、何だかヒジョーに短いように感じるのは毎年のことである。28日間はあっという間に過ぎてしまい、今日から3月である。冬と春との境目、今月後半には、本物の春がやってくるだろう。

 「船長の戯言」を始めて5回目の春になる。長く続けているもんだと思ったり、まだ多寡だか5年かと思ったり。

 春になると必ず聴きたくなるタイトルがある。「高中正義 / TAKANAKA」(日KITTY RECORDS 3133-14)。CDとしての(P)1984。元はもちろんADで1977年発表、僕は1979年に買っている。このCDは大昔、'85年に買ったものだから、当然品番が変わっている。当時は3,500円もしたが、今は1,500円台で買える。よい時代になりました。

 高中正義といえば、春より夏のイメージが強いのが世間様の見方だろうと思う。このタイトルも雷鳴と夕立の音で始まる「SUMMER BREEZE」という曲で幕を開けるのである。思いっきり「夏」だ。

 ところが僕にとっては、何故だか「春」なのである。僕はトラック3、「SWEET AGNES」が大好きで、この曲を聴くために買ったようなものである。初めて聴いたは高校2年生の春だった。それが春を感じる大きな理由かしらん。

 初めて聴いたのが春、ADを買ったのは4月、CDも4月、どこまでも春付きなのである。28年経った今もなお聴きたくなるというのだから、よほど印象に残る体験だったのだろう。

 高中正義氏は、現在もバリバリの第一線ミュージシャン、ギタリストである。彼の底抜けに明るく暖かな曲風は今も変わらない。ただ、僕はこの頃の高中さんが、いちばん好きである。

 TAKANAKAを聴いて、春本番を待とう。