箱船航海日誌 2003年07月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’03/07/31 (木)

こら買えん


 コーリアンに代わるものがあるとすれば、それは何がベターなのか。トゥイーター下のボードである。検索をかけてみると、タングステン板も入手可能なことが分かった。厚さは0.1mm〜10mmまで、大きさはかなりの自由度があることも。それなればいっぺん見積もりだけでも取ってみるかと問い合わせたら。

 買えねえ買えねえ。上の段、8×170×155サイズで1枚30万円以上。下段の表面研磨品になると40万円近くにもなる。あまりにも次元が違いすぎてゲラゲラ笑ってしまった。スミマセン、甘く見てました。無知と謂うは何よりも強くまた恐ろしいものである。ナンボなんでも2枚で60〜80万円では非現実的に過ぎるのである。いやあ、タングステンって、ホントに高価なものなんですねえ。びっくらコキました。

 ちゅうわけで、タングステン板は遥か手前でアッサリ玉砕。二の手としては、常識的に真鍮、砲金、ジュラルミン、非磁性ステンレスあたりだろうか。モリブデンも硬いよ、とアドバイスしてくれる友達もいるが、訊いてみるとやはり高価だそうである。

 どーしてもタングステン系の素材にこだわるのならば、粉末という手もある。それを何か袋に詰め、座布団様にしてトゥイーターの下に敷くわけだ。これはなかなか面白そう。んでも、値段は?

 また甘く見てるんじゃないかな。

’03/07/30 (水)

ぶっ飛び


 久方ぶりのSY-99さんご来訪は、極めて有意義な2日間だった。録音のノウハウ、裏話からオーディオに対する考え方、スタンス、狙わんとするところまで、示唆に富んだお話を聴けたのは僥倖だった。

 大阪生まれ大阪育ちの僕から見ると、彼は関西人がイメージする「関東の人」そのままというキャラクターである。頭の回転が早く歯切れの良い関東弁が耳に心地よい。主義主張が極めて明快で迷いがない。

 「ま、何だね。俺ァどこまで行っても俺のやり方しかできねえんだな。他のことやれって言われたってできねんだからこりゃもう仕方ないね」。江戸前落語なのである。うれしいなあ。

 上の写真はSY-99ブランドのCD-R「2003 インディジャパン300マイル」である。2003年4月11〜13日、栃木県のツインリンク茂木でのインディカーレースを収録したものである。コチラ方面にはまるで暗く、詳細は氏のwebページ「CDソフト紹介 5」コンテンツをご一読いただきたい。僕としては純粋に音の記録として聴かせていただいた。

 聴き所はいろいろある。とりわけトラック18で聴けるレースカー通過音は凄いのである。コース向こう側右手からマシンが近づき、猛烈なエンジン音と共に眼前を通過する。そのスピード感といったら他に比類がない。横っ面を100連発で右から左へ思いっきり張り倒されるような、そーゆー音。無意識に顔が右左に振れてしまうのである。うひー、こんな音聴いたことない。

 しかし、音の良さだけに終らないのがSY-99ブランドたる所以である。音場感が凄い。走り抜けていったマシンが、今度はスピーカーの遥か奥手で左から右へ大きく弧を描いて右手前へ戻ってくるのがありありと再現されるのだった。場内アナウンスとの対比から醸し出される雰囲気は生そのものといってよい。そして再び目の前をすさまじい音とスピード感で走り去る。こりゃたまらん。サウンドマニア必聴。

 オーバルコース周回レース故、上に書いた情景が繰り返されるのだから飽きがくるんじゃないか。それがそうならないのは製作者の抜きん出たセンスの賜物である。公式練習風景からデモラン、開会アトラクションでのブルーインパルス飛来シーン、マシンクラッシュの瞬間まで、飽きることなく最後まで聴かせるのである。秀逸。

 画も無しにレースの音だけ聴いて何が面白い。それが面白いからオーディオヤメラレナイ。この音を(音量も含めて)どれだけ生に近い状態で再生できるかどうか。それが音楽ソフトをより生々しく再生するための試金石となるのである。そういうスタンスの僕にとって、このソフトは極めて有益貴重である。

 その他、「朝の小鳥 八ヶ岳5月、6月、7月」も聴かせていただいた。昨日も書いた通り、部屋の空気一変。音の鮮度最高、滅多に聴くことのできない深く高く広い音場は圧倒的である。完全に脱帽です。

 SY-99さん、ご遠方のご来訪、本当にありがとうございました。2日間はあっという間でした。またお会いできる日を、心から楽しみにしております。

’03/07/29 (火)

空気一変

 「箱船の空気を変える」というコンセプトを用意してお出でくださったのは、ご存知生録の帝王SY-99さんである。前回から1年8ヶ月ぶり、新録音をひっさげてのご来訪である。氏のコンセプトは大成功、箱船の空気は一瞬にして八ヶ岳の森に大変身した。さすが帝王、マイリマシタ。

 明日は何が飛び出すのか、楽しみにしながら今日はこれにてお開き、である。

’03/07/28 (月)

嗚呼掃除


 明日はお客様ご来訪。そうなれば例によって、掃除である。これはもう来客時恒例であって、だが、こんなことを恒例にしているようではナサケナイのである。普段からきちんとやんなさいって。

 あまり良くないのを承知で掃除機を使う。後方へ向けて細かい埃を盛大に噴出しているわけだ。今は「ナントカターボ」と言って排気に埃を出さない掃除機があるので、そろそろ買い換えようかしらん。写真の掃除機は箱船が建った時以来のものであるよってに。

 軽くて静かでパワーが強く埃を出さず細かいところまで綺麗に掃除できるノズルがたくさん付きしかもコードレス、というようなオーディオルーム用掃除機。

 なんか、出ねえわな。

’03/07/27 (日)

恥かしながら


 どうやらお役目を果たせた(???)ようで、ヤレヤレである。徳さんには御礼と共に、お粗末なモノをお聴かせしたお詫びを申し上げるのである。失礼致しました。

 「継続は力なり」。今回はこの格言を死ぬほど思い知らされたのだった。オーディオもwebページ運営も同じことなのだろうと思う。

 ああ、恥ずかしかった。

’03/07/26 (土)

お休みの間に


 ブーツを試聴している間、メインシステムはちょっと休息である。その間に今まで気になりながら手を付けられなかった、トゥイーターのセッティングを少しく変更した。大したことではなく、Sネッシーの天板とトゥイーター本体の間に敷物を入れただけのことである。たったこれだけのことが永い間できなかったのだから、僕のナマケモノぶりがバレようと言うものである。

 敷いたのは8mm×170mm×155mmの人工御影石、そう、彼の有名な「デュポン・コーリアン」である。この材料には以前から関心があり、いつか使ってみたいと思っていた。「コーリアンを使えば音が××になるから」という狙いがある、のなら立派である。自慢じゃないがそんなものは全くないのである。ともかく何か挟んでみたかっただけ。狙いも予測もない。あるのは好奇心だけである。

 ここに何を敷くか。おそらく高域の音色を決定付ける大きなファクターの一つになるだろうことは僕でも分かる。長岡先生は鉛板を使っていらっしゃった。

 金属なら砲金板、真鍮板、銅板、ステンレス板、鉄板、アルミ板、ジュラルミン板など。入手困難でしかも超高価なタングステン板とか。いろいろ考えられる。非金属なら石英ガラス板、ファインセラミック板、オーソドックスに木の板、では意味がないか。と、徒然考え、第一号は入手しやすいコーリアンに決定したのである。

 ベタ置きにするとかなり滑りやすい。これでは面白くないので、裏側四隅と中央の五点にタングステンシート小片を貼る。ホントは全面貼りにしたいところだが、勿体無いのでケチって五点。これも良いか悪いか、音を聴いてみないことには判断できない。トゥイーター本体とコーリアンの間にもタングステンシートを挟むか。これについては少々思うところがあり今回は見送った。

 出来上がりは写真の如くである。コーリアンが下に入っただけで、見た目には大きな変化無し。しかし音は随分変った。

 高域の陰影が鮮明になり、繊細感向上。輪郭の滲みが減った感じである。これはなかなかヨイ。コーリアンでこうなるなら、もっと硬いものを使えばさらにトランジェントを良くできるかもしれない。ピーク、クセを作らず立ち上がりだけが改善されるような素材とは何か。機会を見ていろいろ試してみたいと思うのである。

 タングステンの厚板って、どれくらいの値段で入手できるんだろうか。

’03/07/25 (金)

秀作


 昨日は高原木工所さんからメールをいただいた。「エージングについては、まだまだでしょうか。スパルタで構わないのでビシビシお願いします」とおっしゃる。うむ、ビシビシ。そうはおっしゃっても大音量派くずてつがチョーシに乗ったらロクなことにはならない。コーンの振れを見ながら注意深く音量を決め、一晩鳴らしっぱなしにしてみた。充分スパルタだったりして。

 DP-85→C-280V→P-700と、メインシステムをそのまま使って聴く。一般的な6畳間容積の約6.5倍ある箱船1階でも充分な音量が出せる。危機感は皆無。レンジが広く音場感が良い、という第一印象である。細かい音が良く再生され、繊細でしなやか。ハードでシャープというよりはナイーブでスムース、音とルックスに共通の印象がある。ハイスピード系の音ではないが、と言って決してロースピードで眠たい音とは違う。ハイの伸びが良く、非常に綺麗で耳に心地よく響くのである。

 仮想点音源的なヘッドデザインが音場再生に与えるメリットは大きい。スピーカーを無視してふわりと拡がる音場は非常に気持ちがよく、外側にもちゃんと定位する。セッティングを追い込み、ソフトを選べば、2本だけでの後方定位も可能だと思う。音が前に張り出すタイプではなく、どちらかと言えば奥行きの深い音場で聴かせるタイプである。

 ただ、製作者ご自身も認めていらっしゃる通り、まだまだエージングが足りない感じはある。一晩鳴らし続けたことでかなり改善されたものの、ユニット、キャビネット共に硬さが残るのは否めない。ボーカル帯域で若干のクセが感じられる。これはユニット、というよりもキャビのエージング不足が原因なような気がする。

 キャビネットのエージングは極めて重要である。曲面加工された板に溜まったストレスは小さくないはず。強いテンションがかかった状態でのキャビは非常に鳴き易いのである。ギターの弦と同じ理屈である。板がテンションに対する抗いに疲れ、チカラが抜けた頃には瑞々しさと艶、ソリッド感などが向上してくるだろう。

 加えて、ユニットの動きが良くなりホーンを十全にドライブできるようになれば、まったく別物のように鳴り出すこと間違い無し。これには確信がある。但し、そうなるには時間と手間を惜しんではイケナイ。相手はラワン合板よりもずっと硬い、バーチ合板なのである。時間かけずにお湯かけてもダメ。スピーカーは生き物じゃによって。

 ユニットはFE-108E狽ェ使われている。中高域の美しさは素晴らしい。クセがなく非常に素直である。108ESIIを使ったSスワンに比較しても明らかにハイが伸びている。低域はややソフトか。では、ブーツに108ESIIを載せたらどーなるのか。個人的には興味深いところである。

 このシステムは、BHとも共鳴管とも取れるような設計になっている。実際に音を聴いても、BHよりは空気感がよく出、しかし共鳴管よりはソリッド感がある。かなり良いところで両者がバランスしているような印象である。一作目にして非常によく出来たシステムだと思う。

 こうして聴いている間にも音はどんどん良くなって行く。ユニットも板も、ガンガン振らせてやることが極めて大切なようだ。やり過ぎて壊してしまっては元も子もないが、できればある程度の大音量で鳴らしたいのである。

 高原木工所さんでは、このブーツを一般ユーザー向けに販売されるそうである。詳しくはwebページをご覧いただくのがヨロシイかと。

 価格を見てビックリ。はっきり言ってこれは超ハイCPである。

’03/07/24 (木)

お伝えしたいことが多く


 細部まで見れば見るほど素晴らしい仕上げである。「ブーツ」。今回は高原木工所さんのご厚意により、試聴させていただけることになった。ありがとうございます。

 写真はスロート部から後方へ立ち上がる音道部への折り曲げ部分である。それがシステム全体を支えるベースを兼ねている。実に上手い設計だと思う。スロートから降りてきた音はここで2本の音道に分かれ、後方でセパレートされたホーンへ導かれるわけだ。ベース部分には小物入れのようなスペースがあり、ここにウエイト(砂粒鉛、砂、ジルコニアサンド等)を充填できるようになっている(のだろうと僕は思う)。これまた上手いアイディア。GC#16などを充填しても面白いか。

 プロの技が光る加工である。ご覧のような構造、仕上げはアマチュアではまず不可能だろう。板の合わせ目もバッチリ決まって段差やズレ、妙な隙間は皆無。バッフルエッジ、稜線は美しく面取りされている。これが独特の高級感をカモシ出すわけだ。プロからすれば至極当然のことだろうけれど、シロウトの目からすれば感歎の声を上げずには居られない。実に魅力的なシステムである。

 15mm厚バーチ(樺)100%合板使用。バーチ材をかつら剥きにした1.5mm厚単板を積層し、合板に加工するところから始められるのは高原木工所さんの面目躍如、独壇場である。積層する枚数によって厚みは自由自在。僕には考えも及ばないことである。

 さらに驚くのは板目の積層方向までが管理可能なこと。タテヨコタテヨコでもタテタテヨコヨコでもタテヨコヨコタテでも何でもできるという。もちろんこのブーツもそれがキチンと管理されている。合板最大サイズは1,200×400まで、サブロクベニヤよりはかなり短寸である。が、心配ご無用。恐ろしく綺麗にジョイントできる技があるのだそうな。なるほどその辺は抜かりなく、細工は流々なのである。

 最大全高1,310mm、ベース部分405W×430D。ユニットが付くヘッド部分はU字型に曲げ加工した板を使いバッフル板と裏板の間には平行面が存在しない。130W×200H×最大150D。床からユニット中心までの高さ970mm。ホーン開口と2本の音道を繋ぐ部分は厚手の無垢アルダー材(日本で謂う所、カバノキ科ハンの木。エレキギターのボディなどにも頻用される)でしっかり補強されている。重量は実測できなかったが、持ってみた感じ、ゆうに30kg以上ありそう。ウエイト付加すれば40kgにも50kgにもできる。

 10cmユニット用キャビとしてはかなりの大型、大重量型と言える。占床面積はスワンとほぼ同等。高さでは大きく上回る。但し、ヘッド部は極めて小さく自由空間にポッカリ浮んだような形になるので、小口径ユニットとの相乗効果で音場再生には有利に働くはずである。

 システムの全体像を紹介していたら随分字数が増えてしまった。これに試聴のイムプレッションを書いたりしては只でさえ冗長な駄文が益々酷いことになる。ので、音については明日書きます。

 実物を見たら、絶対欲しくなりますゼ。

’03/07/23 (水)

工芸品


 stereo誌7月号で一目見て「こりゃ凄いっ」と思ったスピーカーシステムが今、箱船で鳴っている。これもまたwebを通じて得られたご縁の為せる業、である。

 写真で見たとおりの素晴らしいデザインと仕上げだが、実物をライブで見るとなお凄い。これはもう自作の域を遥かに超えた逸品である。工芸品と言ったほうが良いだろう。まさしくプロの仕業である。現用Sネッシーの作りがあまりにも悲しく見えてしまうのである。

 してその音は。そこが一番知りたいところ、だが、聴き始めて未だ1時間弱、この程度の試聴で尤もらしいことを書くのは、余りにも無礼に過ぎるのである。もう少し聴いてから、明日以降にご報告申し上げたい。

 試聴の機会をくださったことに、心から感謝いたします。ありがとうございました。

’03/07/22 (火)

スーパーセンシティブ411


 いつかは使うこともあるかと大昔に買っておいたスネアドラムケース。無茶苦茶久しぶりに出番がやってきた。ひょっとするとこれが最後になるかも知れない、のはちょっと悲しいのである。

 555mmW×430mmD×240mmH、アルミサッシ製の大袈裟なケースである。かなりラフな扱いにも耐え得るヘビーデューティー仕様。本来は多忙なツアードラマー御用達のものだろう。僕なんぞにはまったく不要のものである。

 分かっていながら買ったのにはわけがある。中に入れるスネアドラムがミソなのである。写真のスネアがそれだ。

 米ラディック製 6 1/2(胴の深さ6.5インチ)×14(径14インチ)メタルスネア、スーパーセンシティブLM411。レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムが愛用したスネアとして夙に有名である。これの兄弟機スーパーフォニックLM402は、僕が敬愛するコージー・パウエルが愛用していた。今や両ドラマーとも故人だ。30年以上にも亘って作り続けられている、超々ロングセラースネアドラムである。

 高校生の頃、僕はこれが欲しくて欲しくて、毎晩夢に見るほど欲しくて、でも120,000円もするようなスネアが小僧に買えるわけもなく、いつかは絶対買ってやると半ば恨みにも似たような気持ちでいたのだった。ナンデそれほど欲しかったか。それは、このスネアでないと絶対に出ない音があるからだった。

 スコーンと爽快に抜け切り、しかも軽薄でなく厚みと重量感のあるスネアの音。「レッド・ツェッペリンIV」(ジョン・ボーナム)や「ジェフ・ベックグループ」(コージー・パウエル)などをお聴きになればお分かりいただけると思う。国産スネアではどうやっても出ないのである。ヘッド(皮)の選び方やチューニング次第ではイイところまで迫れるのだが、それはやはり似て非なるもの。ラディックの音はラディックでしか実現できないのである。

 すっかりオヤジになり、マトモにドラムを叩かなくなってからでも憧れは断ち切り難く、分不相応を承知で数年前に買ってしまったのである。初めて叩いた時はいたく感激した。正真正銘ラディックサウンドである。気分(だけ)はボンゾかコージーか。ヒジョーに嬉しかったのである。

 大切にせねばと勢いで買ってしまったのが、このアルミスネアケース、というわけ。今回使うまでに1度だけ、昔々やっていた三十三間堂っちゅうグループの再結成ライブで'97年に使ったキリである。嗚呼、これまた宝の持ち腐れ。なにをやってるんでしょうか。

 ケースはともかく、楽器は継続して使うこととメンテが命である。クロームメッキのメタル胴が錆びないようにと、手入れはしているけれど、それよりも何よりも叩いてやらんと遺憾のである。ホンマに腐るぞ。

 無様にたるんだ腹を引き締めるためにも、ドラム、また叩き始めようかしらん。

’03/07/21 (月)

気力減退すれども


 SWドライブの信号経路にWAGC302を入れて20日経ったところである。例によってエージングの効果は大きい。3月に導入した1組目のWAGCよりも変化の度合いが大きく感じられるのはどういうことだろう。

 思い当たることというと、一つは気温である。被覆に使われているタングステンシートが温度に影響を受け、まだ寒い3月よりは柔らかくなっているはずだ。その分フォーミングへの馴染みが早く音の変化も大きくなるのかもしれない。フニャフニャになり過ぎてはグワイが悪いのだろうけれども、硬すぎても面白くないのだろう。ケーブルも生きているのである。

 かくて、どんどんよくなるホッケの太鼓。こういう音を聴いていると、ケーブルを自作する気が湧かなくなってくるから困ったものである。いや、決して自作ケーブルを否定するつもりは無い。実際今だって使っているわけだから。ただ、WAGCの音はどうやっても自作レベルで到達できるものではないことを思い知らされるのである。

 と思えども、単売AGC単線を使って自作したらどんな音になるのか。その好奇心は抑えられなくもあるわけで。自分で作る楽しさと苦しさを一度知ってしまったら、なかなか抜け出せない。出来上がったときの喜びは一入ですものねえ。音は二の次でも。

 根っこはやっぱり自作派である。

’03/07/20 (日)

大慌て


 いつから叩いていないのか。正に宝の持ち腐れである。いくら優れた道具が揃っていても、それを使う人間がヘボヘボではどうしようもない。オーディオも楽器も同じことなのである。

 元々のヘタレドラマーが日頃まったく叩かないとなれば、ウデは益々錆びつく、どころか腐ってしまうわけで、今や人様の前で演奏するなどとてもできたものではない。尤も、そんな機会は二度とないだろうからゼンゼン問題ないもんね、と居直っていたら。

 友達の徳さんから「ちょっと叩いてくれないか」と突然の依頼が。ヤメテクレ、そらアカンやろ、と一度は固辞したけれど、我イノチの恩人たる徳さんの頼みではムゲに断ることもできない。ホンマにちょっとだけですよと念押しし、謹んでお受けすることになってしまった。はっきり言って暴挙である。

 期日まであと1週間。依頼を受けてから慌てて叩いてみるけれど、有体に言えばそれは悪あがきである。最悪。弱ったなあ。

 普段は専ら聴く側にいて「この演奏はイマイチだ」などとエラそうなことを言う。それがひとたび演奏する側にまわれば、なんともはや情けない状態になってしまうのである。天に向ってツバを吐けば、全て自分の身に返って来る、わけだ。

 スミマセン、練習します。

’03/07/19 (土)

これもまた


 このタイトルもまた「進化の恩恵」に与かったものである。「グノー/バレエ音楽 ファウスト、ビゼー/カルメン:アレクサンダー・ギブソン指揮 ロイヤルオペラハウスオーケストラ」(米RCAリヴィングステレオ LSC2449-45Q)。45回転復刻200g盤4枚組である。(C)1960なので、録音は少なくともそれ以前である。多分1959年くらいか。

 グノーのファウスト、ビゼーのカルメンと言えば曲名は知らなくてもメロディーは知っている、というくらい有名な曲である。クラシックの中のポピュラーと言っても良いだろう。「名曲名演奏に名録音なし」というセオリーにジャストミート、みたいなレコードだが、例外はどの世界にもあるようで。

 このレコードを初めて聴いたのは、恥かしながら最近である。M85さんから分けていただいたものの中にあったのだった。それは33回転復刻180g盤だったが、聴いてビックリ。モノスゴイ押し出しと圧力、瞬発力である。テラークの「カルメン」真っ青。切れとスピード感、鮮度の高さで遥かに上回る。僕はもうシビレてしまいました。

 こうなったらいつものテンカイとして45回転盤が欲しくなるのである。ところが時既に遅し。180g45回転盤はどこを捜しても見つからない。しまった手遅れだと悔やんでいたところへ200g45回転盤がリリースされてきた。レコード番号末尾の「Q」表記は200g盤を示している。これを逃しては末代の恥、飛びついたのである。

 僕の期待にいささかも相違しない、凄い音である。この復刻シリーズの45回転盤はほとんどが秀作であって、これまでに何度も書いているので細かいことは省略。超優秀盤「シェエラザード」45回転180g復刻盤(LSC2446-45)には繊細感、しなやかさ、艶などの点でやや劣るものの、力強さではひけを取らない。ともかくオーディオファン、アナログファンなら絶対必聴のレコードである。

 片面のみカッティング4枚組で約6,000円。1枚あたり1,500円を、高価いと見るか安いと見るか。

’03/07/18 (金)

進化の恩恵


 このタイトルは今年1月28日の日誌にも載せている。「CLAIR MARLO/LET IT GO」である。今日紹介するのは最近CISCO MUSICからリリースされた再発盤(米CISCO MUSIC CLP-7008)。ジャケットが違うと随分印象が変わるのである。こっちのほうが音が良さそうに見えるのは僕だけかな?

 米RTI(Record Technology Inc.)の180g重量盤である。ダグ・サックス所有のオリジナルスタンパーを使い、一切手を加えず忠実にプレスした、とクレジットしてある。

 音を聴くとそれは間違いないようで、シェフィールド盤との差はほとんど無い。ボーカルのサ行が僅かに歪むクセもそのままである(これはCDでは出ないし、ADでもカートリッジによって抑えることはできる)。全体的には却って良くなったようにも聴こえる。埃っぽさが減り、見通しが良くなった。やや薄味だった低域も力強さが増し、上と下のバランスが上手く取れた良い音である。

 1989年に出たシェフィールド盤に比べると随分丁寧に、注意深く作ってあるような気がする。プレス段階の分溜りを意識的に下げ、ちょっとでもマズイものはどんどんハネていったような。シェフィールドも後に180gを出したが、それよりもこっちのほうが良いと思う。正確には何が違うのか、わからないのだが。

 個人的には好きなタイトルなので、この再発はヒジョーに嬉しい。プリ・オーダー可能の告知から永く待った甲斐があったというものである。

 SACD(SCD-2033)も同時にリリースされている。CDハイブリッド盤である。こちらにはボーナストラックが3曲付いているが、これは聴かずもがな。オリジナル曲との違和感が強く、音も良くない。

 最近、オリジナル盤を上回る再発盤、復刻盤が多く出てくるのも、テクノロジー進化の恩恵なのである。ありがたや、ありがたや。

’03/07/17 (木)

怪しい


 もうかなり以前から、ヒジョーにアヤシイ。現用フォノモーターSP-10MkIIIの電源ユニットである。モーター本体にある回転監視用のストロボライトが点灯しなくなってから既に1年以上。瞬時に回転を止めるメカニカルブレーキの効きも良くない。スリップが大きいのである。回転そのものには支障がなく、ワウやフラッターが出ることもないのでホッタラカシにしてきたわけだ。僕は不精モノなのである。

 昨日友達から「そりゃもう末期症状だぜ。そのうちボウソウするか回らなくなるか。早いうちに看てもらったほうがいいよ」と言われて急に心配になってしまった。友達の言は如何にもご尤もである。

 暴走型の故障は以前に経験済みである。聴いている最中、突然狂ったように回転し始めるのである。78回転どころの騒ぎではない。あれはコワイ。その時は大慌てで修理に出したものだが、今回はわりとおとなしい型の故障だったから、ゆっくり構えていたのだった。

 こうなってはもうイケナイ。今日早速修理を依頼してきた。但し、完璧に修理できるかどうかは保証の限りに非ず。部位、部品によってはダメかもしれない。それは仕方がないだろう。テクニクスさんにお任せするより方法はないのである。無事に直って帰ることを祈りたい。

 電源ユニットを修理に出せば、当然モーターは動かないわけである。それじゃ困るじゃないか。大丈夫、スペアにとってあるもう一台のSP-10MkIIIの電源ユニットを流用する。マヌケくずてつにしては上出来である。

 これはグワイがよかった。消えていたストロボライトもちゃんと点灯し、ブレーキの効きも復活。こころなしか音も良くなったような気がする。ひょっとするとトルク低下なども惹起していたのかもしれない。いい加減なモンですな。遺憾です。

 僕が使い始めてから数えて既に16年。生産終了してからでも10年以上、修理不能も致し方なし。だからと言ってそう簡単に諦めることはできない。

 僕にとってはAD再生の生命線なのであるからして。

’03/07/16 (水)

遠方の友より

 深く潜行中のオーディオ友達から久しぶりに電話アリ。とても元気そうで安心した。彼と喋ると話題が果てしなく広がり、ついつい長電話になるのが申しわけないのである。

 僕には凡そ考えつかないようなアイディア、方法論を持つ彼との会話は実に楽しい。毎度のことながら多くのヒントと、そしてこれはありがたいようなそうでないようなソソノカシを得て、新たな気力が充満したのである。悪いねえ、アナタも。

 音を聴くも楽しく、オーディオ談義するもまた楽し。仲間はありがたいのである。

’03/07/15 (火)

再会


 僕がスーパーレアを初めて聴いたのはご本家方舟で、たしか'98年の7月だったか。長岡先生から「最近はスーパースワンとこれをテストに使ってます」と聞き、厚かましくも「聴かせていただけますか」とお願いしたのだった。

 「自分でセッティングするならいいよ」とおっしゃった。スーパーレアは重いのである。やりますやりますと大喜び、テスト用サブシステム(プリDC-300、パワーM-08、CD忘れた)に繋いで聴いたその音は。

 当時ユニットはまだFE-168SSだったし、アダプターリングも着いていなかった。だが、レンジが広く爽やかで明るく散乱するその音は素晴らしく、とても感激したのを覚えている。MYUタカサキさんがCDに復刻された「零戦 日本の空を飛ぶ」では、遥か上空に零戦が、脚下には虫の声が鮮明に定位し、ヘタなサラウンドシステムを遥かに上回る音場感に仰け反ったのがついこの間のことのようである。

 そのスーパーレアが今、僕の手許にある。5年ぶりの再会。と言っても、もちろん方舟にあったものではなくFE-168ESのリリース以降少しく改良された、正しくは「スーパーレアVer.ES」である。友達から「引き取ってもらえないか」と打診があり、後先考えず反射的に頂戴してしまったのである。ありがとうございました。

 方舟ではさほど大きいとは感じなかった。部屋が広いからである。こうして自分の家(母屋の8畳間)に持ち込んでみると、さすがにデカイ。相当な威圧感である。もしこれが「モア」なら? げんきまじんさん、アナタはえらいっ。

 当初はリヤカノンLからリタイヤしたFE-168SSを着けて使おうかと、いい加減に考えていた。が、非常に綺麗で堅牢なつくりのキャビネットを見て考えが変わった。FE-168ESを買おう。内外リングも揃えるぞ。これをいい加減に扱うのは慙愧に堪えないのである。

 と、独りで盛り上がるのは結構だが、どこへ置くつもりなのか。箱船1階にあるスーパースワンを2階に移し、これを1階に常駐させるか。でもデカイぞ。2階へ持って上がるのはキケンそうでイヤだし、できるだけ良いオーディオ環境で使いたいとも思う。

 方舟で聴いたあの音とも、再会できると良いのだが。

’03/07/14 (月)

亡国ニッポン

 大型ショッピングセンターによくある階上型立体駐車場。休日などは混雑し、急な坂の途中で渋滞して厭な思いをすることもしばしばである。それがわかっているから滅多にそーゆーところへは行かないのだが、先日止むを得ない用件で出かけてきた。

 思ったほど車は多くなく、これなら大丈夫だろうと、思ったらどうしたことか車の列が停まって動かない。周りを見渡すと、けっこう空きスペースがあるのにもかかわらず。事故でもあったのかというとそうでもない。ナンデこんなに動かんのか。と、先頭車が通路のド真中で停車している。エンストではない。信号でも無い。

 さて皆さん、ここで問題。このヒト、後ろに多くの車を従えながら、迷惑も顧みず何故停まっているかお分かりでしょうか。

 答えは簡単。店舗への入り口に一番近いその周辺に駐車するため、停車してスペースが空くのを待っているのである。少し先、或いは一周回ればいくらでも駐車場所はあるのに、だ。

 運転しているのは30代くらい、子ども連れの女性である。僕はもう、あまりのことに言葉が出ませんでした。絶句である。フツー立体駐車場でこーゆーこと、しますか? さほど混雑していないとは言え休日である。後ろからはどんどん車が入ってくる。渋滞の列は長くなる一方である。なに、そんなこたあ関係ねえのである。アタマの中は「ワシ、ここに停めたいんだもんね」ちゅうことだけ。

 業を煮やした2台目の運転手から「そんなとこ停まってたら皆が迷惑するだろう!」と怒鳴られ、渋々動き出し、5メートルほど先でまた停まる。×××。筋金入りである。どーしても停まりたいならちっとは端に寄せろバカ。

 どうやら横をすり抜けたくさん空いているスペースに駐車。ちょっと気になったので先ほどの車を振り返ったらまだ通路上に停まっていた。アホもここまで来たら救われない。さらに驚くのは、こういう御仁が一人だけではなかったこと。僕が駐車場にいた20分ほどの間に、少なくとも4人は同じことをやっていた。最近ではこういうのがスタンダードなのだろうか。公衆マナーの堕落ここに極まれり、である。これが都心ならどうなることやら。

 僕が持つ常識からすれば、こういう輩はもう宇宙人である。全く理解不可能。心象の端っこさえにも思いを至らすことはできない。どのような育ち方をしたヒトなのだろうか。親はどのような育て方をしたのだろうか。憤りを通り越し、いささか不気味でもあるのだった。

 このような御仁たちが、上っ面は「思いやり」「優しさ」を錦の御旗と振りかざし、ご立派な子育てをなさるのである。「思い遣りのある優しい子になって欲しいです」。なるかバカヤロウ。オマエが親じゃ絶対ならねえよ。結果出来上がるのは、劣悪なオリジナルよりさらに劣化したコピーモノ。社会性を著しく欠いたニンゲンが次々と生み出されるのである。

 嗚呼、亡国ニッポンどこへ行く。

’03/07/13 (日)

MkIIを考える


 前回買ったのは何時だったか思い出せないほど久しぶりである。stereo誌。間もなく8月号が発売されるという今頃になってから買うのも、はっきり言って間抜けな話ではある。

 恒例の「工作特集号」である。全国の自作ファンから力作、秀作の報告があるのは昔とちっとも変わらない。思えば「箱船」に取材を受けたのは'94年7月号だったから、もう早9年経ってしまったわけだ。光陰矢の如し。

 記事の中には市販品を遥かに凌ぐような美しい仕上がりと優れたアイディアのスピーカーもあり、感歎の声を上げずにはいられない。シナベニヤに塗装もしていない現用スーパーネッシーなどとは格が違うのである。

 そういえばスーパーネッシーに巣食ったヒラタキクイムシ、未だ完全に駆逐することができないでいる。以前に比べればぐんと少なくなりはしたものの、時々新しい微小穿孔が発見されるのである。即音質劣化、あるいは即崩壊に繋がりはしない程度であるが、あまり気持ちの良いものではない。今は大丈夫でも、5年後10年後にはどうなっているかわからないのである。

 こう考えると、早めにスーパーネッシーMkIIのことを考えておいたほうが良いのかもしれない。「MkII」と名乗るからには同じものを作っては意味を為さないのであって、どこかに改良(ひょっとすると改悪)を施さねばならないのである。僕のような浅薄知識人間にテクニカルな改良などできるわけもない。凡そ僅かばかりの共鳴管断面積変更、板材を奢るくらいのことになりそうである。

 stereo誌掲載の美しい自作スピーカーを見ていると、羨望を禁じ得ない。あの板材、あの仕上がり。あの施工をスーパーネッシーMkIIにも実現できれば、それは一つの夢の具現である。

 う〜む、垂涎。

’03/07/12 (土)

多忙な日

 今日は忙しかった。朝から研修会(ボウズも勉強するのである)に参加、途中で急な業務が入り中座、帰ってから山積した事務にとっくみ、横目でプロ野球中継を見たら某弱小球団が14点も取っていてひっくり返り、部屋を掃除して、あっと気が付いたら夜中の零時過ぎだった。

 明日は倉の片付けをする。ちゅうわけで、今夜はオーディオもしないまま、これでスイッチOFFにします。

 ああしんど。

’03/07/11 (金)

吸引力


 ADを聴き始めるとき、僕はいつも何かしら思い切りが必要になるのである。思い切り、それは「構え」、或いは「決心」と言い換えることもできる。CD、SACDなどのディジタルメディアを聴き始める気持ちとはまったく異質のものである。何故だろうか。

 吸引力である。支配力と言ってもよい。一旦聴きだすと止まらなくなるのである。正に「寝食を忘れ」るような状況に、必ず陥るのだった。オーディオファンにとって幸せな時間であることは間違いない。だが、物事に熱中することが必ずしも周囲の人に利する行為であるとは言えない。ありていに申さば、「傍迷惑」なのである。

 「カネに目が眩む」という。ADを聴いているときの自分は「音に目が眩」んでいるのであって、周りの状況を斟酌するを完全に忘却しているわけだ。このような大迷惑野郎に堕することを、僕は充分に自覚している。と同時に、聴き終えねばならない時の辛さも知っている。ので、聴き始めに思い切りが必要になるらしいのである。なら聴かなきゃいい。でも、聴いてしまう。ホンマに迷惑なヤツなのである。

 この吸引力、支配力、残念ながら現状箱船のディジタルメディアには、無い。DP-85で再生するSACD優秀盤は、極めて音が良いのは確かであるが、やはりAD優秀盤とは何かが違うようだ。

 WAGC302/2ペア、WS50の威力(と言うよりも魔力)は、ADの支配力をさらに強大なものにした。オーディオファンとしては大いに喜ぶべきである。それは大変ケッコウでございますが、社会性を失っては遺憾のである。

 疾っくのムカシに消え失せているというハナシもあるが。

’03/07/10 (木)

思いの外


 結果は上々である。WS50巻きカウンターウエイト。8日の写真と見比べれば、違いをおわかりいただけると思う。本体と同系色になり、随分とスマートに見えるのである。巻物の容積が減ったのも効いているようだ。

 音はかなり違う。一聴、ハイの伸び、音場の見通しが良くなったと感じた。低域も力強さを増し、より一層押し出しが向上したのである。レンジの広いソフトほど、違いが良く分かる。雑味が減るところなどはWAGCと相通ずる部分があるように思われる。ヒジョーに良い傾向である。この対策は成功だと思う。今のところデメリットを見つけることができないので、今後はこのまま使うことに決定するのである。

 成功した原因、それが僕にはよくわからない。同じ25g分の付加でも、密度が違えば巻物の容積が違ってくるのは当たり前である。それが音に影響を与えたか。

 誇張して考えればわかり易いかもしれない。

 例えばスカスカのスポンジのような密度の低いもの25g分と、スプーン一杯で数トンあるようなブラックホール寸前白色矮星みたいなもの25g分とでは、容積に雲泥の差が出る。アームの最後尾にふわふわと大きなものがくっついている状態と、芥子粒のようなものがくっついているだけの状態とではアームの動作に違いが出て当然。と、物理知識のない僕でもイメージだけはできるのである。

 もちろんそれだけではないだろう。カートリッジを一度外し、何もせずにそのまま元に戻しても音が変るのがAD周辺事情である。純粋に鉛シートとWS50の音質差だけを表出させ、しかもそれを客観的に判断する、なんてこと、僕には絶対不可能である。他のファクターとの相乗効果である可能性も否めない。

 だとしても、結果的に音が良くなったのならばそれは大変ケッコウなことである。ルックスも少しばかり向上したことだし、ドシロウトはあまりムツカシイことを考えず単純素直に喜んでおけばよいのダ。

 やはりADは楽しい。

’03/07/09 (水)

誂えたような


 カウンターウエイト重量付加にWS50を使うという企て、早速実行してみた。対策の前にアーム本体からウエイトを外し、鉛シート込みの重量を量ってみる。それが左の写真である。些か見難くって恐縮だが、ディジタル表示は137gになっている。

 鉛シートを剥がした状態での重さは112g、25g分の鉛が巻かれていたことになる。次にWS50を量ると1枚が37g、全部巻いてしまうと12g超過してしまうことがわかった。いずれにしても適当な大きさに切って巻くわけだから、そこのところで調節は可能だろうとどんどん作業を進めるのである。

 ウエイト後部には滑り止めのギザが切ってある。その幅が約17mm、それに合わせて先ずは17mm×50mmのタングステンシートを切り出すわけだ。長辺はWS50のサイズで自動的に50mmに決まってしまう。これを2枚用意し、ここで一旦重さを量ることにする。重すぎることは無い、不足なら短いやつを切り出して足さなきゃ、と思いながら。

 量ってみてビックリ、まるで誂えたようにピッタリ25gである。鉛を剥がしたウエイトも一緒に載せたのが右の写真である。秤は左とまったく同様に、137gを表示している。1g以下の誤差はあれど、これには驚いた。偶然とは恐ろしいものである。

 改めて惟んみるに、25gという付加量。これが最適値であるかどうか、僕にはまったくわからない。そもそもがPH-L1000+MC-L1000の組み合わせでEPA-100MkIIのバランスが取れるようにとテキトーに決まったものである。感じとしてはもう僅か少なくても良いような気もする、のだが、今回は実験でもあり。同じ量でやってみることにしたい。

 さて、早速これを巻きつけるわけだが、ウエイトを一周するにはホンの少し長さが足りない。仕方ないので2枚のシートの隙間が同じ((○)←こんな感じ)になるようにし、付属の両面テープで接着する。ところが下地がギザギザな所為で端っこがヒジョーに剥がれ易くて困るのである。ここも次善の策、テフロンテープ(ニットー UL903)を上から巻き付けてOKである。

 以上で準備完了、残るは試聴である。さて、プラスαを得られるか、あるいはマイナスαとなるか。

 細工は流々、あとは仕上げをご覧じろ。

’03/07/08 (火)

どう使う


 WAGC302を導入以来、つながりが良くなりエネルギッシュになった低域。その変わり様はADの再生に於いて更に顕著である。ぐんと深みが増し力強さは比類がない。これぞまさしくドトウの寄り身、しかも押しつけがましさが無いのは不思議である。と、自画自賛していればシアワセなのである。遺憾です。

 ともあれタングステンシートの効果は大きいようである。単なる重量付加だけでなく、巻き方にも細かなノウハウがあるのだろう。重いからイイ、というほど単純ではないはずだ。但し、僕のような大音量派にとっては、重いことが極めて重要なファクターになることは間違いないのである。遮音特性はモノの質量で決まるが如し。

 そのWS50、何かシャレた使い方はないかと思案中である。機器の脚下に敷く。もちろん悪くないけれどそれだけではヒネリが無い。

 小さく切ってリヤパネルの鳴きそうな部分に貼る。トゥイーターの下に挟む。ガタ取りに使う(勿体無い)。ピンプラグに巻く。インナーリングに貼る。ユニット取り付けネジの頭に貼る(ネリケシ詰めるのとどっちが良い?)。フレームに貼る。ターミナルに貼る。空き端子(ピンジャック)に貼る。テーブルタップに貼る。メガネに貼る、カオに貼る、アタマに貼る、足の裏に貼る。膏薬ではないのである。

 ADを聴きながらトーンアームをぼんやりと眺めていてフと思いついた。カウンターウエイトに巻いてある鉛シートをWS50に替えたらどーなるんだろう。鉛の密度は11.342、確かWS50はそれ以上あったような(11.8だったかな?)気がする。量的には問題ないと思われる。

 現状巻いてある鉛を剥がし、目方を計ってその量だけ巻けばヤジロベエ的にはOKかと。密度の差による容積差が音に響き、音的にはOKかNGかわからない。AD周辺は、僅かな違いが大きな音の差となって現れることが常であるよってに、実験としてはヒジョーに興味深いのである。

 まずはやってみましょう。

’03/07/07 (月)

ニンニクパワー


 どうも体がイマイチしゃんとしない、ので、何とかして馬力をかけねばならない。お盆を前に今からグッタリしてばかりも居られないのである。どうすべえかと3秒考え、ここは一丁ニンニクパワーにおすがりするに決定したのである。

 などと大袈裟だが、要はニンニク醤油漬を作るだけのことである。作り方は極めて簡単。ニンニクの皮を剥き、佃煮やジャムの空き瓶に詰めて醤油をたっぷり注ぎ出来上がり。あとはしっかり蓋を閉めて冷蔵庫に保存し、5〜7日後くらいから食べ頃になる。ニンニクをそのまま食べて良し、油で軽く炒めて良し、漬け汁(醤油)を色々な料理に使って良し、である。特に焼肉などとは相性がヒジョーに良い。ちょっとクサいケド。

 注意したいのは、瓶と蓋の消毒である。漬け込む前に沸騰したお湯の中で5分間くらい煮沸消毒するのを忘れずに。これをやらないと早々にカビが来たりして、あとで悲しいことになる。

 クタビレくずてつ、これで夏を乗り切れるだろうか。

’03/07/06 (日)

梅雨寒


 昨日今日と如何にも梅雨らしい天気が続く。低く垂れこめた雲から落ちる細かい霧のような雨が充満し、体感湿度は極めて高い。気温は上がらず、所謂"梅雨寒"である。

 こうなると僕はダメなのであります。わけもなく気分が憂鬱で昂揚しないのである。昨晩も、まるでタマシイを抜かれたようにフトンへ倒れ込んでしまった。

 音を聴いても、心なしか冴えが無いような気がする。ESコーンとは言えその素性は紙である。常時換気の箱船では湿度の影響皆無とは言えないだろう。

 雨がなければ田んぼの米は育たない。夏の水事情にも大きな影響が出る。梅雨は大切なのである。

 早く夏にならんかなあ。

’03/07/05 (土)

WS50


 買わなきゃイケナイ、と思いながらなかなか買えなかったタングステンシートWS50。ようやく買えました。以前、友達が持って来てくれたものを見せてもらったことがあり、質感は知っていた。大きさ厚さから予想する重さを遥かに越える重量感に、あらためて驚くのである。

 早速3号機所定の場所に貼り込んでみる。カッターでサクサク切れるのは非常に便利で、ちゃんと両面テープが付属しているのも親切である。微粉末+バインダー、とはいえそこはさすがにタングステン、数回切っただけでカッターの刃が忽ちナマってしまった。はさみは使わないほうが良いような気がする。

 使い方は工夫次第で無限である。以前、ベリリウムカッパー丸棒削り出し、両面タングステンシート貼り、という友達カスタムインシュレーターを使わせてもらったことがある。その音は素晴らしかった。一見ゴムシートのように見えるが、それにありがちな音の鈍さはまったく感じられない。どちらかと言えばハードな音に振れるようでもある。ゴムシートとは似て非なるもの。

 貼り込む量にはかなり敏感で、多く使いすぎると音がデッドになってしまう傾向もあるようだ。そこは使い手のウデ次第、ということになるのだろう。現在リタイヤ中の、石英ガラス円柱に貼って使うのも面白そうである。

 50mm×50mmサイズのWS50を自作ケーブルに使う、とは僕のような横着者には向かない。手間を考えただけで気が遠くなるのである。大判サイズのリリースを期待したい。だが、大判の実現は困難なのかもしれない。大きくなれば自重でちぎれてしまいそうなほど、比重が高いのである。

 ユーザーは現場の苦労も知らず、いつも勝手なことを言うのである。

’03/07/04 (金)

改善低域


 低域の再生はムツカシイ。一般的な木造住宅環境でオーディオした時、先ず問題になるのが低音不足だろう。スピーカーシステム本来のF特で鳴ってくれればそれでOK、だが、そうはいかない。遮音特性の良くない木造住宅では、程度の差はあれども低音が室外へ逃げてしまうのである。30Hz以下の超低域ともなればほとんど歯が立たず、部屋の外のほうがよく聴こえたりして悲しいことこの上ないのである。

 足らないのならもっと出せと、低域だけをブーストする。あるいはイコライザーなどでレベルを上げる。それでもダメならSWなどを追加し量でカバーする。悪戦苦闘である。その結果、量的には満足できるところまでは行けた、としても、今度は質が気になってくるのである。もっとソリッドに、歪み感なく20Hz以下超低域まで伸ばしたい、などと思うようになれば、それはもう低音無間地獄である。

 現在箱船システムのF特は、ローブースト型になっている。聴感上このほうが自然であるし、何よりも快いからこれでイイのだ。そのうえ質も高品位、と言いたいところだがそうは行かない。スーパーネッシーとの繋がりは以前よりスムースになったとはいえ、まだまだ改善すべき点は多いのである。

 そこへ今回のWAGC302の導入である。先ず驚くのは、つながりが恐ろしく自然になること。境界線完全消滅、音源分散を感じさせない。当然音場感もぐんと向上するわけである。これだけでも清水ダイビング60万回の甲斐があったというものである。

 質そのものも大幅改善、しなやかでキメが細かく、しかもパワフルでエネルギッシュ。量感はそのままにソリッドで深みのある低音が出てきたのには、改めてひっくり返るのだった。低域再生に付いて回る「量感」と「質」の二律背反を見事に解決してみせるのである。

 低域の改善が、中高域へも良い影響を及ぼすのはオーディオの常である。鮮明感向上。音の陰影が深く音像がクッキリと浮き立ち、音場の見通しが良くなった。音の艶と瑞々しさが増し、何を聴いても楽しくて楽しくて。導入大成功である。ヨカッタヨカッタ。

 この変化、ただケーブル一組を交換しただけのことである。はっきり言ってウソみたい。だが現実にこうなるのだから仕方ない。WAGC302は、どこから見てもラインケーブルである。当たり前だ。その範疇を遥かに超えた能力を持っているらしい。エポックメイキングである。

 「高価いから良くて当たり前」。そんな在り来たりの見方では収まり切らない器の大きさを、WAGC302は有している。

’03/07/03 (木)

消滅境界線


 とうとう2組目のWAGC302に手を出してしまった。清水の舞台から飛び降りるのも、これで60万回に達するわけだ。やっぱりガマンできなかったのである。こういうテンカイになることは、2月にフルラインナップで試聴させてもらった時から決まっていたのだろうなあ。わかりやすい奴である。

 今回はC-AX10→B-2302の間に使う。つまりSW用である。上流に使うほど本領発揮、ということからすれば、やや勿体無い使い方になる。しかし、機器配置、ピンジャックの混み合いグワイなどを睨んでゆくと、箱船の環境ではここが最適所になるのである。それでも驚くべき音質向上を見ることは、充分に検証済みである。

 注文したのは0.8mサイズ、余裕を見ての長さである。これが余裕を見過ぎたようで、実際にはB-2302とC-AX10の間隔を少し広げることになった。久方ぶりに重いアンプを持ち上げたらシンドかった。無理すればそのままでもイケそうだったが、できるだけ緩やかな曲げで済ませたかったのである。短か過ぎて届かないよりは余程良いのダ。

 ご覧の通り、C-AX10側には支持器3号機を使用に具する。これが素晴らしい。ものの見事にばっちり決まってガタやぐらつき、スリップ皆無である。ケーブルの垂直水平をほぼ完璧に実現でき、ピンジャックへの機械的負担はほとんど無し。ケーブルを支えるだけでなく、ガッチリ挟んで固定できるので信頼感は絶大である。これは間違いなく音質向上に貢献するだろう。

 B-2302の側は当座有り合わせの支持台でしのぐ、のだが、これもまた友達の厚意に甘えることになるのである。大変恐縮でございます。

 さて、その音。そりゃあもうひっくり返るのである。未だに「多寡がケーブル交換でそんなに音が変るなんてオカシイ」とおっしゃるムキもあると仄聞する。そういうお方は是非一度はお聴きになることを強くお薦めしたい。僕も実際に聴くまでは、極めて懐疑的だったのだから。詳しくはまた明日、ということにして、今日は一言だけ。

 SネッシーとSWの境目が、綺麗さっぱり消え失せました。

’03/07/02 (水)

ヤメラレナイ


 ....またやってしまった。

’03/07/01 (火)

愛読書


 今日から7月である。もうすぐ梅雨も明け、本格的な夏がやってくる。お盆はツライが夏は大好きである。人間はやはり、自分が生まれた季節を好むのだろうか。

 さて、突然ですが今日は僕の愛読書を一冊紹介したい。「電子立国 日本の自叙伝」(全7巻 NHK出版 相田洋 著)である。(C)1996。

 この本は、1991年に「NHK特集」としてテレビ放送されたものを、プロデューサーであるところの相田洋氏が上梓されたものである。ご存知の方も多いと思う。

 内容は、トランジスタから始まる半導体素子の開発と、半導体産業の発展の歴史ドキュメンタリーである。点接触型Trに始まり超LSIまで、どんな人がかかわりどんなドラマがあったのか、極めて詳細に、しかも感動的に描かれた秀作である。電気オンチの僕が何度読んでも面白いと思うのだから、ちゃんとした知識を持つ人が読めばもっと面白いのだろうと思う。

 1巻から7巻まで、どこから読んでも楽しめる。僕が特に好きなのは、写真の第7巻(最終巻)である。日本の半導体産業に黎明期から係わり、1991年当時ソニーの技術顧問を務めていらしゃった菊池誠氏(元・同社中央研究所所長、現・東海大学名誉客員教授)のインタビューは特に印象的である。

 「よく日本人てのは、模倣の人種とか、いろいろ言われますよね。そのへんは、いかがお考えになっていますか」という問いに、菊池氏は次のように答えていらっしゃる。

 「先日イタリアで会議があった。その主題が『模倣から創造まで』という題でした。で、僕の番になったとき、『僕は題が気に入りません。"模倣と創造"っていうのは対置概念ではないと思う』と言ったんです」

 「僕が癇癪を起して本をポンと投げると、僕の子どもが急いでやって来て同じようにポンと投げる。つまり、知的な活動ってのは真似するってことと不可分なんですよ。学ぶ意欲、知的な活動力のある人ほど、何かを取り入れようとしますから、『真似る』というプロセスが必ず入るんです。だから、真似ってのは、クリエイティビティの第一歩だと思っているわけ」

 日本はいつもオイシイところだけをつまみ食いする。オリジナルな基本技術など何も開発していない、とは、欧米諸国からよくある批判である。何処かでも聞いたような話だ。

 何をか言わんや。大いに同感するのである。僕自身を「知的な活動力のある」人間だと自負するつもりは、当然のことながらまったく無い。そんな不遜な。菊池氏もそれは「第一歩だ」とおっしゃっている。だがしかし、大変勇気づけられるお話ではある。

 このようなエピソードが満載の「電子立国 日本の自叙伝」。是非ともご一読されることをお薦めしたいのである。