箱船航海日誌 2007年01月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/01/31 (水)

段取り良し


 アキュフェーズから早速の連絡あり。土曜日に到着すべく搬送用の箱を送るから、その場で梱包し送り出して欲しい、ということである。さすが、段取りが良い。

 故障状況の再確認で二、三やりとりしたあと、故障個所以外にも劣化が目立つパーツがあれば、この機会にすべて交換してほしい、と依頼した。当然費用は嵩むけれど、80,000円で買って7年間酷使し、今後さらに使い続けようというのだから、ゼンゼン構わないのである。再び安心して使えるようになること、それが最優先事項だ。

 修理後の音が、楽しみである。

’07/01/30 (火)

C-17、ダウン


 AD再生系にトラブルが発生した。昨夜、右ラック上段に設置してあるメインADプレーヤーでレコードを聴いていたら、Lchが突然レベルダウン、音場と音像が右に寄ってしまった。まったくの無音になったわけではなく、一応音は出ている。特に妙な雑音が出るでもない、しかし、右に比べて明らかに左のレベルが低いのである。

 こうなれば、先ずやらねば遺憾のは、問題点の検証である。どこに不グワイがあるのか、信号経路上にある機器を一つ一つ調べるのである。

 一旦ADを止めて、CDを聴いてみる。念のため、テストディスクを使って左右レベルを見たが異常なし。次に、現状チューナーファンクションに繋いであるPEQからの出力を外し、そこにCDを繋いで聴く。これも異常なし。プリ、パワーの問題ではなさそうだ。

 次にサブADプレーヤーを聴き、音に異状がないことを確認した後、メインプレーヤー側のC-17とPEQをジャンプし、カートリッジ出力をプリのADファンクションへ直結する。この状態で異状が出れば、原因はカートリッジ(eminent)、正常ならばC-17かPEQのどちらかが怪しい。尤も、ケーブルに起因する異状であるとも考えられるから、検証前にすべてチェックしておいた。結果は、正常である。これで原因をC-17かPEQに絞り込めたわけだ。

 今度はカートリッジ出力をC-17経由でプリのADファンクションへ入力する。ここで異状が出ればC-17、出なければPEQの不グワイ、ということになる。

 原因判明。C-17である。これを経由すると、Lchのレベルが大幅に落ち、明らかに正常な音ではなくなってしまうのだった。故障は残念である。しかし、比較的容易に問題点を洗い出せたのは幸運だと思う。下手をすると、原因究明だけで徹夜仕事になってしまう可能性もあるのだ。

 2000年1月15日に中古品で入手して以来ちょうど7年間、休まず働いてきたC-17である。1984年9月発売の製品だから、入手時点でも16年物、今や23年物になんなんとする。MCヘッドアンプとしては電源が非常に強力で、発熱量も多い。にもかかわらず、よくぞここまでノートラブルで頑張れたものだと、感嘆すること頻りである。

 既にメーカーへの修理依頼を済ませた。輸送用ケースも送付してくれるという。どんなに古い製品であっても、何ら不安なく修理依頼でき、また完璧に応えてくれるアキュフェーズ社は、僕のようなエンドユーザーにとって極めて在り難い存在である。

 僕のAD再生に絶対不可欠の機器である。無事の修理完了を待ちたい。

’07/01/29 (月)

曲面に平面


 スーパーネッシーMkIIの側板は、緩やかにカーブしていて、そのカーブのちょうど曲りっぱなのところに、ターミナルが6本並んで付いている。ターミナルに選んだのはご覧のとおり、今や定番とも言えるFOSTEX T-100である。

 このパーツ、曲面に取り付けるには不向きな構造をしている。根元に広いツバがあるから、相手が平面でなければ密着しないのである。曲面に平面で、ツバが浮いてスキマができてしまうわけだ。初めて設計図面を見た時、僕は思った。シロウト工作なら如何にもメンドウなことになりそうなこの問題を、木工のプロはどうやってクリアするのだろうか、と。

 プロにとっては、文字通り造作もないこと、なのだろう。ツバよりわずかに大きめの径で板にザグりを入れ、ツバと板の接触面に平面を確保してあるのだった。簡単なことのようだが、自分でやるとなったらヒジョーに困難である。少なくとも僕には不可能な工作だ。

 ちょっとしたことだが、極めて理に適っているし、見た目にも高級感抜群である。使う身としてはとても嬉しい配慮だ。こういう細かいところに、製作者のセンスが、出るわけです。

 乗船から7週間弱、スーパーネッシーMkIIはますます快調である。

’07/01/28 (日)

方舟、遠く


 AUDIO BASIC誌第41号である。発売は昨年12月だから、新鮮な話題とは言えないことをご勘弁願いたいのである。

 この号の記事に、いささかならず気になるものがあった。154〜157頁に掲載の「My Audio Life」である。今回は、先のオルトフォン・ジャパン社長、前園俊彦氏のオーディオルームが紹介されている。カメラマン山本耕司氏の手による文章である。

 JBLのユニットをダブルで使ったでっかいウーファー、その上にジャーマンフィジックスのDDDユニット、アンプはハイヤー・フィデリティにマークレヴィンソンと、豪奢なシステム構成である。その中に一つだけ、妙に違和感のある、しかしどこかで見たような機器があるのに気がついた。

 アンプ群が収められたキャスター付きマウントラックの最上段に、それは置かれている。ロング写真を見て「これはひょっとして」と思い、次の頁にあるアップ写真で間違いないと確信した。

 永く方舟で使われていた、自作ADプレーヤーだった。シナベニヤ積層キャビネット、鉛アームボード、SP-10MkIII、鉛追加ウエイト付きEPA-100MkII。すべてそのままである。バケツのフタを流用したダストカバー、2000年1月に僕が長岡先生に差し上げた純銅スタビライザー(ADスタビライザー1)も揃っている。156頁の写真からすると、今や氏の常用となっているのだろう。

 方舟の機器やソフトが、徐々に整理される方向へ動き始めているとは、既に聞き及んでいたことである。長岡先生が亡くなって既に7年、それは仕方がない、或いは当然のことと受けとめるべきだと思う。あまつさえ、6年以上もほぼご生前のまま保存するに尽力されてきた関係者方々の配慮とご苦労には、感謝すべきである。

 長岡先生と前園氏に親交があったのは、僕もよく知っている。記事中に氏の愛聴盤として紹介されているM&Kのオルガン(RT-114)、このレコードと前園氏との関わりについては、大変面白いエピソードを僕は長岡先生から直接伺ったことがあるのだが、ここではちょっと書けない。残念である。すごく可笑しい話なンだけどなあ。

 使われないまま朽ちて行くのは忍びない。方舟での役目を終え、前園氏の許で活躍できるADプレーヤーは幸せである。しかし、記事そのものには少々文句をつけたい。

 記事中、このADプレーヤーが方舟由来のものだという記述は、一行もない。執筆者の山本氏がご存知なかったのか、見る人が見れば分かるということか、或いは特に記す要はないと考えたか。オマケに「SP-10MkIII」と表記すべき型番を「SP-10」と誤記してあるし。

 いずれにしても失敬千万な話である。氏の使用機器としてアップ写真で紹介するくらいならば、一言だけでも触れておくべきだ。それが長岡先生に対する、最低の礼儀というものである。

 方舟は、遠くなりにけり。

’07/01/27 (土)

ケーブル短縮


 先月26日の日誌で「どんどん切り詰める」と書いたスピーカーケーブルである。あれから1ヶ月近く経って、ようやく実行した。メンド臭かった、と言うよりは、そういうことをやる時間も惜しいほど、まずは音を聴きまくっていた、というのが実情である。

 やってみれば簡単なことで、あっという間に作業完了。ついでにこれまでは上(最上段)のターミナルからつないでいたものを、下からに変更した。どっちが良いのかワカランけれど、視覚的にはこのほうが落ち着いて見える。切り落とした分を測ってみたら、Lchで1.7m、Rchで1.2mあった。結構な長さである。

 音は良くなった。これは明らかにケーブルが短くなった所為である、と判別できるほど僕の耳は敏感ではないのである。もちろんそれも無影響ではないが寧ろ、接点がクリーンになったことや、締め付けを確実にしたことなどのほうが効いているのだろうと思う。接点を綺麗に保つこととターミナルの増し締めは、良い音を聴くに極めて重要なのである。

 しばらくはこの状態で使い、近い将来にはケーブルを新しくしたいと考えている。オーディオ用の高価なものに変更、するワケはない。

 もちろん、○○の一つ覚え、2芯ビニルキャブタイヤである。

’07/01/26 (金)

モノ要り続きにつき


 ここ数年間、定期購読していなかったstereo誌である。最近いささか思うところあり、購読を再開した。細かい部分では違いがあるものの、基本的には昔と何も変らない内容と記事レイアウトである。毎月発売を心待ちにしてヒッシで読んでいた頃を思い出し、ちょっと懐かしい気持ちに、なるのだった。

 先々月くらいからだったろうか。FOSTEXの広告で、今春リリース予定の新しい20cmフルレンジ、FE208-ESRの開発行程が語られている。来月はいよいよ発売日の発表となるようだ。

 アルニコ外磁型磁気回路、アニール処理純鉄ポールピース、改良型HP振動板、亜鉛ダイキャストフレームなど、新機軸てんこ盛りである。これらが音にどのような違いをもたらすのか、興味は尽きない。と同時に、これだけのことをやってしまって、単価はどれくらいになるのか、実はそっちのほうが心配だったりもするわけである。

 少なくとも208ESより高くなることだけは間違いないだろう。スーパーネッシーMkIIにはそれが6本必要。となれば、半端な投資額では済まないことくらい、誰にでもわかるのである。困った困った。

 昨年からモノ要り続きの私儀、今回のESRは、ちょっと無理かしらん。

’07/01/25 (木)

箱入りユニット


 スーパーネッシーMkIIに使ってある3本のFE-208ES。1番3番ユニットはスーパーネッシーからの移植で約5年間(正確には4年8ヶ月)鳴らしたもの、2番ユニットだけはまったくの新品である。

 過去日誌を読んでいたら、これを買ったのが1年前になることに気がついた。2006年1月27日。その日の日誌には「これでスーパーネッシーMkII実現にはずみがつく。ほど、単純ではない。第一段階をクリアしたに過ぎないのである。低インピーダンス化への対応、サブウーファー、リヤスピーカーとのレベル合わせ、トゥイーターのつなぎ方、など、問題は山積している」と書いてある。

 実はこの時、本当にスーパーネッシーのMkII化なんかできるのかと、自分でやることでありながら半信半疑だったのである。だから上のようにイロイロ理屈を捏ね、逃げを打っているわけだ。ユニットだけ用意できたって、ホントに実現できるどうかは分りませんよ、と。

 1年後の今、スーパーネッシーMkIIは現実となり、長らく箱入りだったユニットも元気に鳴っている。僕は感慨無量である。よくできたものだとも思う。多くの縁故ある友達の力は大きく、それがなければ到底不可能だったはず。まったく以っておかげさまである。

 5年の差を埋めるべく、箱入り2番ユニット只今奮闘中。

’07/01/24 (水)

エコ狙いか


 近所にある大型電器量販店へ蛍光管を買いに行ったら、コピー用紙のワゴンセールをやっていた。サイズはA4、一冊500枚入りのPPC用紙が298円。これは安い、と、飛びつきそうになって3秒考えた。

 安すぎる。ちゅうことはナニか裏があるわけで、大喜びでたくさん買って銭失いになるのもクヤシイ。ので、試しに一冊(500枚)だけ買ってみることにしたのである。

 PPC用紙と言っても、僕が使うのはPCプリンタ用としてである。あくまでも個人用途。ウチには業務に使うコピー機があるけれども、その用紙とは厳格に分けておかねばならない。公私混同はできないのである。

 早速使ってみて、なるほどこれなら安いはずだと、納得したりガッカリしたり。異様に薄いのである。ヒラヒラスケスケである。それだけならまだしも、インクの滲みがひどい。個人用途だから大した問題はないものの、あまり気持ちのよいものではない。湿気にも弱く、カセットの中でカールしてくるのである。やはり、安いだけのことはあったわけだ。

 しかし、である。考え様によっては、資源の節約倹約につながるのではないか。スケスケだろうが滲みがひどかろうが、実用上問題なし。カールしてはいるけれど、今のところ紙詰まりも起きない。限りある資源である。薄い紙を使って資源保護に努めましょう。

 それが狙いで、薄く安くしたのかしらん。

’07/01/23 (火)

倹しさ


 スーパーネッシーMkIIが山越木工房謹製であることを証明する、ステッカーである。巨大なスピーカーのわりには、随分と小さなサイズである。僕としてはもっと大型のものをお作りになっては如何かと、思うわけだが。

 「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」。真実、力があり自己に確固たる自信と信念を持つ人は、どの道に限らずおしなべて謙虚である。つまらぬ虚勢を張ってみせたり、徒に人を貶めたりしない。自分は誰よりも優れているなどと、下らぬ自讃もしない。謙虚であるから努力精進を怠らない。常に向上心を持っている。結果、さらに力のある人となる。

 小さく倹しいステッカーに、僕は山越木工房さんの職人としての矜持と謙虚さを、感じるのだった。仰々しく顕示せずとも、全ては作品が物語るのである。

 僕もまた、斯くありたいと、思うのである。

’07/01/22 (月)

南禅寺


 我が盟友であるところの憲さんは、5月に晋山式(しんざんしき:住職就任式)を挙行する。それにあたり、憲さんの修行時代に於ける直接の師匠、現在は南禅寺(臨済宗南禅寺派大本山である)管長でいらっしゃる中村文峰老大師を、お訪ねしてきた。晋山式の主賓として、お招きするのである。

 僕は管長老大師にお目にかかるのは初めてである。非常に緊張したわけだが、お会いしてみると、物静かで、しかし暖かなお人柄に深い感銘を受けたのだった。もちろん、多くの弟子を厳しく育ててこられたお方である。柔和な中にも、峻烈さを内包していらっしゃることも強く感じた。やはり、ゼン・マスターなのである。

 臨済宗の僧職にある者としては、時に応じて「老大師」と呼ばれるお方にお会いすることが、極めて重要である。

 生涯妻帯せず、常に厳格な修行の場にあって臨済本来の清浄枯淡な宗教生活を実践される老大師は、己がレゾン・デートルを裏付けてくださるような気がして、僕は大いなる勇気を与えられるのだった。名実打ち揃った、本来の意味での「権威」である。

 僕の直接の師匠(妙心寺派元管長、春見文勝老大師)は、既に故人である。修行時代の師匠は、ある意味実の親以上の存在でもある。管長老大師と親しく会話する憲さんを見ていて、僕はちょっと羨ましい気持ちになった。お師匠様がお元気でいらっしゃることは、とても在り難いことなのだ。

 徳さん、憲さん、J栖寺様、総代様、今日はありがとうございました。

’07/01/21 (日)

真樺


 スーパーネッシーMkIIに使われているところのバーチ材、「マカバ」とはどんな木なのか。気になって気になって、木に成ってしまいそうなので少々調べてみた。

 「マカバ」(真樺)。マカンバ、ウダイカンバとも。カバノキ科シラカンバ属の落葉広葉樹である。学名Betula maximowicziana。本州中部以北に分布し、多くは北海道に自生する。今回のエンクロージャーに使われているのも北海道産の材だ。高さ30m、直径1mくらいの大木にもなる木である。

 材は重く硬質で、家具、床材などに多用される。と言っても、最近は大木が減り稀少材になりかけていて、樺のフローリングは相当な値段になると聞いた。高級材なのである。

 モノの本に拠れば、気乾比重(含水率15%で定義される、材木の比重)は0.50〜0.69となっている。今回の材は同0.8と、水準を大きく上回る。自然木だけに、バラツキが大きいのだろう。いずれにしても重いのは大歓迎、だからこそ搬入時に死にかけたのである。

 シラカバ、ダケカンバ、それにミズメも同じ属の材である。材木業界では、カバ材のことを「サクラ」と呼ぶのだそうだ。エンクロージャーをはじめ、スピーカースタンドなどに使われることも多いミズメザクラ材、実はバーチだったのである。樹脂を含浸させた「強化材」に多用されるのも、カバ材である。

 バーチ製のエンクロージャーは音がカンカンする。共鳴管システムはボーボー鳴る。ちゅうことは、スーパーネッシーMkIIはカンカンボーボーした、とんでもないスピーカーということに、なるわけだが。

 そんなふうには、ゼンゼン聴こえない。何故か。

’07/01/20 (土)

名実ともにメインスピーカー


 このレコードは、以前にも話題にしたことがある。「レスピーギ/ローマの祭、ローマの松 / マゼール指揮 / クリーブランドSO」(米MOBILE FIDELITY SOUND LAB MFQR 1-507)である。元々の優秀な録音を、MO-FIこだわりのUHQR盤に仕立てたものだ。超優秀盤である。これをスーパーネッシーMkIIで聴けばどうなるのか、昨夜、久しぶりに聴いてみた。

 筆舌に尽くし難い、とはこういうことを言うのだ。なんちゅうかもう、尋常ならざる音の大洪水である。上から下まで猛烈ハイスピード、超低歪み。一音一音が眩いばかりの輝きと、これ以上あり得ないと思わせるほどの透明感を持っている。それが圧倒的な力感と厚みを以って炸裂するのである。情報量、分解能無限大。まさに異次元サウンドである。

 スーパーネッシー時代にも、この盤が優秀なことは充分に分った。しかし、その頃とは、一段も二段も格が違う感じ。音の傾向は変らずとも、質感がまったく違うのである。スーパーネッシーMkIIから発せられる音には、強い生命力が漲っている。

 両面聴き終わり、僕はしばらく茫然自失である。何故にこれほど違うのか。ユニットを1発増やしたこと、だけの所為では絶対にない。基本設計(僕の、ではなく、長岡先生の、である)の良さ、エンクロージャー材の良さ、そして何より、強靭高精度な施工の恩恵である。

 同じ材、同じ構造であったとしても、僕のような工作下手が作って同等の結果は得られない。ことほど左様に、工作精度を高めエンクロージャーの強度を上げることは、極めて重要なのである。このレコードを聴いて、僕はそれを痛切に感じたのだった。

 箱船乗船から5週間。MkIIは、完全にオリジナルを超えた。

’07/01/19 (金)

シアワセならば


 写真は19日午後5時半頃の西の空である。業務の帰り、とても綺麗な夕焼けが見えたので、車を停めてケータイで1枚。当地の冬には珍しい光景である。冬至から約ひとつき経ち、5時半でもこの明るさ。目立って日が長くなってきた。春が近づいているのを実感できて、僕はとてもうれしいのだった。

 この冬は、これまでになく早く過ぎるように感じられる。ナゼだろう。最大の原因は、雪無し暖冬であること。雪がだばだば降ると、如何にも憂鬱で1日が長い。イヤなことをやっていると、時間がなかなか経たないのと同じ理屈だ。そういう日が、今のところ1日もない。ヒジョーにありがたいのである。

 もう一つは、スーパーネッシーMkIIの存在である。毎日必ず聴けるでもない、しかし、箱船にこのスピーカーがあると思うだけで、僕の日々は充実するのである。エージングが極めて順調に進んでいること、持つ喜びが大きいこと。シアワセな気持ちで日々を過せば、寒い冬も追い払えるのである。

 一冬をエージングにあて、暖かな春の到来を待つ。

’07/01/18 (木)

やってみないと分らない


 20cmフルレンジユニットFE-208ESをチャンネルあたり3発使った共鳴管システム。スーパーネッシーMkIIのプロフィールである。そこからイメージされる音は、D-55を2発化した大型BH、D-77の長岡先生評「迫力は抜群、ほとんど、音の暴力という感じ」に似たものがあるのではないかと、思う。

 実は僕自身も、そういう音になると予測していたところがあったのである。やたらとデカい音が出せるとか、壮絶大迫力サウンドになるのかしらん、とか考えていたわけだ。

 実際に聴いてみると、確かにそういう部分もある。超高能率で恐ろしいほどの大音量が可能だし、低域の圧力は大幅に上がっている。今、エージングが進むにつれ、ユニットを増やして得られる本当のメリットが徐々に分ってきた。実は、それだけではなかったのである。

 大音量再生時の静かさが、圧倒的なのである。音に独特の静謐感がある。大きな音を鳴らしているのに「静か」とはコレ如何に。つまり、余分な音が少ないのである。雑味がない、と言ってもよい。音量としては、明らかに以前よりも大きくなっているにもかかわらず、やかましさ、うるささを感じない音。そういう意味での「静謐感」が、スーパーネッシーMkIIには、ある。

 この傾向はAD再生において特に顕著で、聴きなれたLPに「ギョッ」とすることが多い。これまで聴こえなかった音が、鮮明に出てくるのである。従来まではおそらく、何かにマスキングされていたのだろう。

 ユニットを増やして得られるメリットは、大迫力大馬力だけではなかったわけだ。より低歪みで、より静かに、より美しく音を聴くに、スーパーネッシーMkIIは大きな能力を持っていたのである。僕には予測できなかったことだ。

 やはり「やってみないと分らない」のである。

’07/01/17 (水)

暖冬


 雪が少ない、つまりは、暖冬である。この傾向は、箱船の光熱費に如実に表れている。昨年同時期の電気使用料と比較すると、3割以上少ないのである。それもそのはず、1階2階とも、エアコンをほとんど使っていない。石油ファンヒーターのみで、充分しのげるのである。寒さの本番はこれからとは言え、こんな冬も珍しい。

 寒い冬が殊更ニガテな僕としては、とてもありがたいのである。オーディオ、特にAD再生に心配が少なくて済むのもうれしいことだ。昨年は、厳しい寒さで盤もカートリッジも冷え冷え、とても聴く気が起きなかったものだが、今年はファンヒーターを点けてしばらく待てば大丈夫。安心して聴ける。

 ADが特に良く鳴るスーパーネッシーMkIIがやってきた冬に、ADを安心して聴けるとは、何とも間の良いことだと、僕は喜んでいるが、本当はノーテンキに浮かれていては遺憾のだろうな。

 今月末〜来月中旬になっても、暖冬暖冬と喜んでいられるかどうか。

’07/01/16 (火)

カメムシ予告的中か


 この冬の航海日誌は、専らスーパーネッシーMkIIのことばかり書いている。久方ぶりのメインスピーカー新調に、浮かれているのである。いい歳コイてみっともないことだ。ご容赦願いたいのである。

 浮かれてふと気がつけば、1月も半ばになっている。例年この時期は、雪を話題にするのがシキタリであったはずが、今年はまだ一度もネタにしていない。しようにもできないのである。何とも珍しいことに、雪がまったくナイのである。

 12月下旬に1回だけチラリと降り、5〜6cmの積もり様で終わってしまった。それからはほとんど降らない。先日、強烈な冬型気圧配置になった時も、いよいよ来るかと手薬煉引いて待ち構えたが見事空振り。うっすらと白くなった程度で済んだ。

 思えば昨年同時期には、ヒッシの思いで雪と格闘していたのである。写真にご覧の通りである。除雪機毎日出動、大袈裟でなく、朝から晩まで除雪除雪で、いやもうホントに勘弁してくださいよダンナ、っちゅう冬であった。この冬は、除雪機出動回数0、である。カメムシ予告、今年も大当たりか。

 通常の市民生活にとっては、雪がないのは結構なことだ。しかし、降るべき時には降らないと、夏の水不足が心配されたり、畑や田の害虫が大量発生したりもする。

 自然はいつも、人の思惑通りには、動いてくれないのである。

’07/01/15 (月)

新しい匂い


 写真は、1階のドアを開けたところの風景である。今、箱船には新しい匂いが充満している。言うまでもなく、スーパーネッシーMkIIから発せられるものである。

 木の香り、接着剤の匂い、塗料の溶剤など、いろんなものが混ざった、新しい匂い。それは新車、或いは新しい家具、もちろん新品オーディオ機器などにも共通した、曰く言い難いときめきのような感情を抱かせる、一種独特のものである。

 このひとつき、ドアを開けるたび僕は幸せな気持ちになるのである。音を聴く時間がない日でも、一度は部屋に入り匂いを楽しみ、スピーカーの周辺をウロウロし矯めつ眇めつ、ナデナデしたりコツコツ叩いたり抱きついたりしてみる。ほとんどビョーキである。ハタから見たら、さぞ気色ワルイに違いない。

 新しい匂いも、やがては消えて行く。その頃、僕はスーパーネッシーMkIIの能力を十全に引き出せているだろうか。

 そこへ至る道程を、楽しみたい。

’07/01/14 (日)

自灯明


 スーパーネッシーMkIIが箱船にやってきてから、1ヶ月が過ぎた。先日も報告したとおり、エージングは極めて順調に進んでいる。昨日よりも今日、今日よりも明日と、日を追うごとにクセが取れ、素直な音になって行くのである。

 このひとつき、掲示板やメールで、多くの方から完成を祝うお言葉をいただいた。感謝せねばならない。ありがとうございました。

 FE-208ESを3発並列で鳴らす共鳴管システムには、皆さん非常な興味をお持ちのご様子で、「是非聴きたい」とおっしゃる方が多い。もっともなことだと思う。僕自身「そんなものがあれば聴いてみたい」という好奇心で設計を起したわけだから。

 中には「共鳴管システムは低域に締まりがなく、ボーボーするが大丈夫なのか」と、ニュアンスとしては共鳴管否定論者の如き人からのメールもあった。

 僕は別に共鳴管システムの布教伝道師でも何でもないから、否定する人がいても一向構わない。己の好みとして使っているに過ぎないのである。人様に絶対の自信を以ってお薦めする、などということも、しないしできない。「大丈夫か」と問われれば、「大丈夫です」と答えるより他になく、「共鳴管はオーディオにNGだ」と言われれば「左様でございますか」と申し上げるのみである。

 「共鳴管システムは低域の締まりが悪い」というイメージは、オーディオファンの中に抜き難く存在するようだ。BHシステムに聴けるような固く締まったスピード感ある低域とは、趣を異にするのは確かである。だが、クセの少なさ、Dレンジの広さ、抜けの良さなどの点では、共鳴管に分がある。と、僕は感じている、からこそ、13年間もそればかり使っているわけだ。

 オーディオマニアは概して保守的で、しかも困ったことに独善的でもある。そうでありながら、他者の動向を異様に強く意識し、自分の意にそぐわないものを攻撃したり誹謗してみたりもする。よほどヒマなのだなあと、思う。

 自己の好みを明確化できていれば、後は何も要らない。それで全てOKである。他者にチョッカイを出すヒマがあるのならば、先ずは己事(自分の本当の姿)を究明すべきである。誰が何をしていようと、何を言おうと、意に介する要は、まったくない。

 「自らを灯とし、自らをよりどころとせよ」。お釈迦様も、そうおっしゃっている。

’07/01/13 (土)

そのとき僕は


 P-700が10年物なら、こちらは13年物になんなんとするところの、サンスイB-2302Vである。'94年7月購入。以来、相当な酷使にもかかわらずノートラブルで働き続けている。アタリが良かったことと、大出力のわりに発熱量が少ないのも、長寿命の遠因だろう。

 新品の頃に比べれば、当然劣化しているはず、だが、聴感上ではさほど感じないのである。わずかに締まりが緩くなったような気がする、くらいのものだ。スーパーネッシーMkIIの低域を補強するにも、まだまだ充分な力を保っている。

 P-700同様、僕はこのアンプがとても好きである。音はもちろん、上品で高級感のあるルックスも大いに気に入っている。購入当時、ブラックタイプなら即納、ゴールドタイプは販売店在庫なし、メーカーも品切れ状態で2ヶ月待ち、だった。僕はどうしてもゴールドが欲しかったから、5月注文7月納品、ということになったのである。

 当時の定価740,000円は、ヒジョーに高価だと感じた。と同時に、こんな高級アンプをSW専用に使うなど如何にも分不相応なことだと、それは今も思っている。しかし現在、この価格でこれほどの国産アンプがあるだろうか。答えは否、である。

 たった13年、されど13年、オーディオ機器はすっかり二極分化し、1万円機器の上は100万円機器、みたいな状況になってしまった。選択肢が少なくなったのは、とても残念なことだと、思う。

 B-2302Vも永遠不変ではない。いつかはリタイヤする時がやってくるのである。その時、僕は何を選べばよいのか、いや、何を選べるのか。少々心配でもあるのだった。

 大切に使わねばならない。

’07/01/12 (金)

杞憂


 スーパーネッシーMkIIは、現状FE-208ESを3発並列にして鳴らしている。当然、旧スーパーネッシーよりもパワーが入り、音の崩れが少ない。同じ音量で見た時の混変調歪みも低減されるし、Dレンジも拡大した。良いことばかり、のように見えるわけだが。

 その分、インピーダンスが下がってアンプにとっては厳しい条件になっている、はず。しかしP-700は、以前よりも生き生きとしているように聴こえる。カタログスペック以上に力があるのだろう。

 昨日の「Response」を、圧倒的大音量で鳴らす。まったく問題なし、である。さすがにメーターのレッドゾーン越えは怖くて遺憾けれども、寸前まで振らせても危機感はない。ギリギリの絶叫調にもならず、益々快調。改めてP-700の底力に感じ入ってしまったのである。いいアンプです。

 今月8日で、導入から丸10年経ったP-700である。しかし老いて衰えたような印象は皆無だ。昔と変らぬ、或いはそれ以上に若々しい音でスーパーネッシーMkIIをドライブしている。あれこれ考えたことは、杞憂だったのである。

 ハイCPとは、正にこのこと。

’07/01/11 (木)

ほとんど生


 SY-99さんから最新録音が届いた。「Response 2007」(YO-00077V)。48kHz/24bitフォーマットDVD-Vである。96kHz/24bitフォーマットDVD-Aが再生できない箱船のオーディオ環境に配慮してくださったのである。

 内容は、戦車砲の発射音と、梵鐘である。前者は2006年8月27日、東富士演習場で、後者は2007年1月1日、奈良市東大寺で、それぞれ録音されている。両者とも録音データは氏のwebページ「ようこそ音の風景へ」に詳しいので、是非ともお読みいただきたい。

 戦車砲発射音は、昨年11月に箱船へおいでくださった折、96kHz/24bitマスターを聴かせていただき、従来の録音を遥かに超える優秀さに驚かされた。今回のダウンコンバート盤はどんなものか、多少の劣化は致し方なしかと、思って聴いたわけだが。

 マスターにほとんど遜色ない優秀さである。立ち上がりの恐るべき速さ、レンジの広さ、歪み感の少なさ、圧倒的生々しさ。もの凄い音である。発射の瞬間、風圧で一撃顔を叩かれる感覚は、生音に肉薄するものだ。

 前回聴いたのはFE-208ES×2のスーパーネッシー、今回は3発のMkII、ボリュームを上げて聴ける、その差もありそうだ。歪みが少ないから、さらに上げたくなるのを禁じ得ず。スピーカーはもう少しイケそうだが、アンプのメーターを見るとレッドゾーンぎりぎりいっぱいまで振れている。この辺りで止めておくが無難なようだ。恐ろしいが爽快な音である。客席のどよめきも極めてリアル。文句無しの100点満点。150点でも200点でもよい。

 東大寺梵鐘は、録りたてホヤホヤの新録音である。元旦に東大寺まで出かけてしまうSY-99さんの行動力には完全に脱帽。今年の元旦はヒジョーに寒さが厳しく、特に奈良市は盆地気候で冷え込みがキツいのである。そういうロケーションでの録音は、さぞお大変だったろうと思う。

 これまた優秀だ。除夜の鐘を撞きに集まった人々のざわめき、鐘の音、撞木が振れる音、雰囲気抜群。辺りの暗さ、空気の冷たさまでが感じられるから不思議である。

 この鐘の音は、かつて長岡先生が優秀録音盤として推奨されたCD「梵鐘」(日CBS/SONY 32DG 36)にも収録されている。23年前、1984年の録音である。これよりも強調感がなく、より自然でリアルに聴こえる。機器の進化、ロケーションの違い、信号経路の長短、それに加えてSY-99さんの録音センスが成功の原因だろう。

 すっかり堪能したのである。SY-99さん、ありがとうございました。

’07/01/10 (水)

質実剛健


 大電力バッテリーのような形状をしたこの物体。端子を除いた大きさ50W×70H×30mmD、重さは220gある。端子は発電所をイメージさせるような碍子が付いた大型ネジ止め式で、何やらヒジョーに大掛かりである。

 高耐圧オイルコンデンサーである。この寸法重量で容量は0.5μF、耐圧は何と2500VWある。友達の厚意で「イタズラ用にどうぞ、NGならインテリアに」ともらったものだ。雑誌に載ったカタログ写真などで見たことはあっても、実物を手にするのは初めてである。

 堅牢な角型金属ケース、220gはずしりと重く、指で弾いてもカチカチで鳴きはまったくない。何とも質実剛健というか、武骨というか、一般的なオーディオ用途のものにはない凄味のようなものを感じるのである。

 友達曰く「フィルム系に比べて、おとなしい音になるかもしれない」と。豪快な外見に相違しているのである。インテリアにするなど勿体無い。是非とも使ってみたいのである。スーパーネッシーMkIIにはちょっと使いづらい容量だが、2階のサブシステム、D-55ならJA-0506IIを0.47μF1個でつないであるから、そのまま換装できる。

 ちょうどホーンを磨き直さねばならんと思っていたところだし、ここは一つ実験してみるに若くはない。折角のいただきものである。活かさねばバチが当たるのだ。

 ご厚意、ありがとうございます。

’07/01/09 (火)

快調


 スーパーネッシーMkIIは、乗船から3週間を過ぎてますます快調である。特にこの3日間くらいは、一気にエージングが進んだように感じている。ツッパリ感と生硬さがほぐれ、音に艶が出てきた。トゥイーター、サブウーファーとのつながりもスムーズになってきた。音に一体感が現れてきたわけだ。

 何かセッティングを変えたわけではなく、対策を打ったわけでもない。ただ、ひたすらに鳴らし続けているだけのことである。「何もしないでもエージングは進む」とは長岡先生の言、であってみれば、小音量でも24時間鳴らしっぱなしとは、結構なエージング効果があるのだろう。

 写真は、トゥイータースペース上方から側板の断面を見るものである。曲面加工された30mm厚バーチ(国内産マカンバ材)合板は、ソリッド感重量感抜群である。それだけにこの板に貯まったストレスは大きいはず。もちろんこの他の曲面加工部分も同様である。そのストレスが徐々に開放され、エンクロージャー本来の音を出し始めているのだ。

 9年半使ったスーパーネッシーとの単純な比較はできない。しかし、導入1ヶ月程度のスーパーネッシーが、現状のMkIIのような音を出していたかと言えば、それは否である。比べるまでもなくMkIIの圧勝だ。当然と言えば当然である。ハコの出来が違いすぎる。

 1ヶ月足らずでここまで良くなるのならば、半年後、1年後にはどんなことになっているのか。楽しみで楽しみで、仕方ないのである。

 持つ喜び、見る喜び、使う喜び、聴く喜び。1台で4度おいしい。

’07/01/08 (月)

3年ぶりの研磨


 スーパーネッシーMkIIの導入で、以前にも増してADが良くなったことは、既に書いたとおりである。僕としては大いに喜んでいるわけで、勢い余って久しぶりに砲金TTプレートの研磨を実行した。

 前回から数えてほぼ3年ぶりである。ずいぶんとナマケていたものだ。さすがに酸化と汚れが目立ち、研磨にも時間がかかってしまった。それでも1時間程度で完了。最初のDHKからすれば、楽なものである。

 例によってダイヤモンドペースト#15000を使う。仕上がりは、ご覧のとおりである。新品同様の輝きが戻り、とても良い気分だ。インターバル3年は長すぎる。己が懈怠を猛省し、せめて年に一度くらいは磨かんと遺憾と思った。ルックスが良くなれば音も良くなるのがオーディオの常である。音のためには手間を惜しんではならない。

 ディジタルメディアのほうも、何とかしないとなあ。

’07/01/07 (日)

プロの矜持


 今後、ハシゴに昇ってまでてっぺんを部分を写真に撮ることは、おそらくないと思う。僕は高いところがニガテです。記念の意味もこめて、もう1枚載せておくのである。

 管の内側を覗くと、そこには無数の木ネジが打たれている。これがまた丁寧な作業である。工程写真を見れば、1本1本すべて適正な下穴と、木ネジ頭の飛び出しを防ぐための沈ませ穴(って言うのかしら)を穿ってのねじ込みである。

 トップパイプ部分だけでも何本使ってあるのか。木ネジの総使用本数は凄い。1,000本を大きく超えているのである。自作したことのある人なら、木ネジを1,000本以上使う工作がどれほど手間のかかるものか、体感的にお分りいただけるだろう。

 その昔、今は懐かしいBHの名作D-7MkIIを、全接合部木ネジで締めて作った友達がいた。ビンボー学生だった彼は、すべて手作業で締め上げた。工作を終えた時には掌の皮がボロボロになっていたという。自作派の鏡のような御仁である。

 山越木工房さんはプロであるからして、もちろん電動ドライバーを使われたことだろう。手作業ではひどく低能率で仕事にならず、何よりもトルク不足で強固な接合が望めない。この念の入った工作を見るにつけ、僕はプロフェッショナルの矜持に感じ入らざるを得ないのであった。

 栄光の「MADE IN JAPAN」。一味違うのである。

’07/01/06 (土)

単純明快であればこそ


 スーパーネッシーMkIIをてっぺんから覗き込むの図、である。本来なら、搬入時立ち上げ前に撮っておくべき画であるところ、その時は作業にヒッシで余裕がなかったのだった。んで、ハシゴをかけて今日撮った。ハシゴ上3,875mmは、ちょっと怖かった。日誌の話題にするため、よりは、一度はじっくり自分で覗いておきたかったのである。

 内側まで実に丁寧な工作が行き届いている。表からは見えない部分と言えども、手抜き誤魔化しは一切皆無である。尤も、そんなことは先刻承知。しかしこうしてその実際を見ると、また感激を新たにするのだった。

 ベース部分から第二パイプ、トップパイプに至る最も長大な部分の前後板には、H鋼型の補強桟(補強ブリッジと言ってもよい)が最下端から最上方まで一直線に走る。船で謂う所の竜骨(キール)のようなものである。最も薄いところでも24mm厚純国産バーチ合板との組み合わせで、大きい構造強度を生み出すわけだ。

 本家方舟専用スピーカーとして生まれた「ネッシー」、そのヴァージョンであるスーパーネッシー、今回のMkII、すべて構造的には極めて単純明快である。上の写真からもそれがよくお分りいただけることと思う。基本的には1本の管をJ字型に折り曲げ、片端を閉じてユニットをくっつけただけの構造だ。単純であればこそ、エンクロージャーを疎かにはできず、また使い手の能力が厳しく問われるのである。

 細部を見れば見るほど、このエンクロージャーは完璧に近い。これをきちんと使い切れなかったりした日には、大罰が下ること間違いなし。勿体無いこと甚だしい。心せねばならないのである。

 今夜も、鳴らします。

’07/01/05 (金)

まず添うてみよ


 リスニングポイント左隣の椅子にはCD、SACDが一山。この3週間、スーパーネッシーMkIIで聴いてきたものである。4〜50枚あると思う。これで全部というわけではなく、ADはさらに枚数を聴いているから、すでに100タイトル以上のソフトを鳴らした勘定になるわけだ。尤も、ハイライト的飛ばし聴きがほとんどである。

 これだけ聴いても、僕は未だ新システムの音を把握し切れないでいる。「このソフトがこう鳴るなら、次はコレだ」と、ある程度鳴り方を予測する。ところが、まったく予想外の音が飛び出してきて、いささかならず驚くことしばしばである。

 旧スーパーネッシーでは歪みっぽくて聴くに堪えなかったものが、案外素直な音であったり、低域に力があると感じたソフトが、実はフニャフニャの音であったり。もちろん、良いものがさらに良くなって聴こえることもあるし、その逆もある。

 今後、スーパーネッシーMkIIを親しく使って行く上で、素性を的確に把んでおくことは極めて重要である。何がどう鳴るかを充分承知するまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。スピーカーも人と同じで、本当の姿を知るには永く付き合ってみないと遺憾のである。馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。

 人間もオーディオも、そんなに簡単ではないのだ。

’07/01/04 (木)

エンドレス


 中高域まで充分なレベルを保つフルレンジユニットを、複数個並列で鳴らした時のデメリット。その最たるものは、ユニットの相互干渉による中高域の歪み、滲みである。

 スーパーネッシーMkIIの計画を初めて日誌に書いた頃、メールをいただいたことがある。「フルレンジを3発並列で鳴らすなど、愚の骨頂である。中高域がひどく歪んで聴くに堪えない音になるから、即刻ヤメなさい」というものだった。大変ご親切なご意見と拝聴した。僕は馬鹿で単純だからそのまま3発を実行してしまったのである。

 結果的には、半分的中、半分ハズレ、という印象。設置直後の試聴では、確かに中高域に滲みが乗ると感じた。その帯域にエネルギーが集中するフルートやリコーダー、金管楽器などを聴くと、なるほどこれがユニットを増やした時の弊害かと、納得させられる部分もあった。

 特に上のレコードである。「AMERICAN BRASS QUINTET / PLAYS RENAISSANCE ELIZABETHAN AND BAROQUE MUSIC」(米DELOS DMS3003)。輝きと伸び、艶と切れ味抜群の金管楽器を存分に楽しめる素晴らしいタイトルだ。設置間もなくにこれを聴いた時は、少々考え込んでしまった。切れはまだしも、伸びと艶が、どうにも不足している。まさに「滲んで」聴こえるのだった。

 さてどうしようか。と、思ったけれど仕様がない。まだ鳴らし始めでもあるし、ともかく時間をおいて再度聴いてみるべし。それから3週間経った今日、再び鳴らしてみたれば。

 大変身である。驚くほどスムースだ。ややトゲトゲしくもあったものが、すっかり素直な音になっている。艶も輝きもぐんと出てきた。気になっていた滲みは、ほとんど感じない。雑味が減った所為か、音場感も良くなっている。このレコードがこういうふうに鳴れば、もう問題ナシである。たかだか3週間とは言うものの、エージングが極めて順調に進んでいることは明らかで、僕としては大満足なのである。

 こうなると俄然面白くなるのであって、片っ端からソフトを聴き倒すのである。いけいけどんどん。そうするとますますエージングが進み音が良くなり、音が良くなるともっと聴きたくなり、またエージングが進み音が良くなり。

 蓋し、オーディオとはキリなし話である。

’07/01/03 (水)

大振幅


 元日に比べて今日は少々ゆっくりした日になった。ので、昨日眠気に負けて試聴中途で終わっていたADを幾枚か聴いてみたのである。

 エージングを促進させる狙いもあり、超低域がたっぷり入ったタイトル中心の品揃えである。その際たるものはと言えば、前オルトフォン・ジャパン社長、前園利彦氏も愛聴するD2D、「The Power and The Glory Volume 1」(米M&K REALTIME RT-114)B面2曲目、「The Bells of St.Anne de Beaupre」である。

 この曲の後半部分は壮絶である。10Hz付近の超低域が猛烈ハイレベルでカッティングされていて、どれくらい凄いかと言うと、アーム全体が左右にユラユラ振り回されているのがはっきり目に見えるくらい、の凄さなのだ。

 アームのf0、バランスウェイト、シェル重量、カートリッジ、などの組み合わせによっては、アームが飛び跳ね、最悪の場合外周へうっちゃられてしまうこともあるはず。曲としては極めて穏やかで静かなもので、油断しているとエラい目に遭う恐ろしいレコードなのである。

 写真はその部分を再生している最中の、2番(センター)ユニット近影である。コーンがピンボケているように見えるがそうではない。ヒッシになって大振幅しているのである。±10mm、ひょっとしたらもっと大きく振れているかもしれない。

 これだけ振らせればエージング効果は極めて大きいだろう。実際、これを鳴らした後ほかのレコードを聴くと、音がスムースになっているのが実感できるのである。録音も優秀だし、まさにサウンドマニア必携盤だと思う。

 スーパーネッシーでは、混変調歪みがかなり多かった。ネッシーMkIIでは推して知るべしである。スーパーネッシーMkIIは、圧倒的強さを見せるのだった。これだけコーンが振れていても、聴感上の歪みは極めて低いレベルに収まっている。無影響、とはあり得ないながらも、ほとんど問題なく再生し切ってしまうのだ。

 エージングが進んで良い音が聴けて、能力のギリギリまで使い切れるソフト。良いことばっかりのようだがそうでもない。稀少なD2Dだけに、あまりバカスカ針を通したくないのである。すり減ったら勿体無い。

 CD-Rに焼いてしまうかなあ。

’07/01/02 (火)

ADから


 2007年オーディオ事始は、やはりADからである。但し、昨30日から昨日の元日まで、睡眠時間4時間程度という状態では、さすがのADもイマイチである。疲れが深い時のオーディオは、厳しい。

 3枚くらい聴いたところで、眠くて眠くて死にそうになった、ので、2階へ来て今これを書いている。目が覚めたかというとちっとも覚めず、ノウミソはおおかた眠っているようだ。まあ、僕のノウミソはいつも眠っているようなものだから、仕方ないのである。

 オーケストラばかり3枚聴いた。そうするとまた新しい発見があったりして、ヒジョーに面白いのである。もっとたくさんのソフトを聴いて行けば、スーパーネッシーMkIIのメリットデメリットがさらに明確化するだろう。まだ始まったばかりなのである。

 少しずつ進んでいきましょう、というわけで、今夜は寝ます。

’07/01/01 (月)

年頭御挨拶


 明けましておめでとうございます。

 2007年である。「船長の戯言」を始めたのは2000年秋、その年に生まれた子供たちがこの春には小学校へ上がるわけだから、何とも言えない気持ちになってしまうのだった。僕自身はちっとも進化していないような気がするのに。小芋は太る、親芋痩せる。

 さて、今年の抱負を書いておこうと思う。まずは、昨年12月13日に箱船乗船を果たしたところの、スーパーネッシーMkIIである。この大物を、如何にして使いこなして行くか。2007年箱船オーディオは、それに尽きるのである。

 もう一つ、これはかなり実現が困難と思われること、だが、言うだけならタダだから書いてしまおう。サブウーファーの新調である。エンクロージャー、ユニット、すべて変更した新しいサブウーファーを設計製作したい。現用を上回る丈夫で重いエンクロージャーと、最低共振周波数が低く、しかもハイスピードで低歪み、耐入力が大きくパワーの入る大口径強力ユニットによる、サブウーファー。そんな都合のよいものができるのか。一つの夢である。

 あとは、やはりソフトの充実である。この3年ほどで、かなり数は増えた。特にADは、良いペースで優秀なものが手に入っている。但し、まだまだ。聴きたい、欲しいレコードは山のようにある。手持ちのAD、CD、SACD、DVDを全部ひっくるめても、多寡が知れているのである。

 年頭早々、好き勝手なことを書いている。最も大切なことは、友達と仲良く、明るく朗らかにオーディオすることである。人生は、楽しくなければ遺憾。己が心の持ち様一つである。

 今年も、何卒よろしくお願い申し上げます。