箱船航海日誌 2004年07月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’04/07/ 31 (土)

光景


 ムシの類がお嫌いな方には、いささかグロテスクな写真だろうと思う。ご勘弁ください。

 朝4時、わずかに空が白んだ頃、一斉に鳴きだすのはヒグラシである。まずはどこかで1匹だけが鳴き始めると、それにつられて輪唱が広がって行く。やがてそれは大合唱となり、360度全方位ヒグラシウルトラサラウンド音場が出現する。なかなかに壮観(姿は見えないけれど)である。

 この蝉は気温に敏感で、完全に日が昇り暑くなるとピタリと鳴き止んでしまう。次の合唱は日暮れ時、正にヒグラシである。朝のほうが鳴き声に張りがあるように聴こえるのに名前はヒグラシ。ヨアカシでも良いのに、フシギである。語呂の問題かな。

 透明の羽にうすい水色模様が基調の、何だか弱々しくかそけき蝉である。今朝7時ごろ、すっかり鳴き止んだと思ったら裏庭からヒグラシの断末魔の声が聴こえる。あ、こりゃあ何かに捕まったな。蜘蛛の巣トラップにかかったか、或いは極悪猫ラクの歯牙にかかったか。

 声を頼りに見つけて驚いた。写真にご覧の通りである。カマキリは両のカマでグワシと引っ掴み、ヒグラシを頭からワシワシと齧っている。デジカメを向けたら、逆三角形の顔にある大きな目玉でこちらをギョロリと睨みつける。凄んで威嚇しているのである。ちょっと怖かった。

 よく見るとこのカマキリ、背中に羽がない。まだ若い、つまり幼虫なのである。大きさからすると成虫直前の終齢幼虫か。今の時期、一心に狩りをし、栄養を蓄えるべき時期なのだ。ヒグラシには気の毒だが、これは自然の食物連鎖なのである。カマキリだって何時鳥(モズはカマキリを好むそうだ)に捕食されるかワカランのである。余も人(蟷螂)生がかかっておる、ヒッシじゃ。

 弱々しい蝉を捕って食べるカマキリを見たニンゲン様は「まあ、蝉がかわいそう」とおっしゃる。な〜にゆってるんだか。牛や豚や鶏を、毎日毎日ぶち殺して食べているのは何処のどいつだ。あまつさえ、美味いの不味いのなどと言って。罪深さは計り知れない。カマキリは必要以上には、狩らないのである。これを悪と見るのならニンゲン様は、一体何者であるのか。

 超絶極悪凶悪残酷な存在であると、知るべきである。

’04/07/30 (金)

今欲しいものは

 webページ上で日誌を書き始めて3年9ヶ月。1,000回以上書いたのだから、少しは遅筆がマシになった。なんてことはまったくなく、相変わらず毎日生みのクルシミを味わっている。否、苦しみなどとはおこがましい。単純に能力が低いだけの話なのだが。

 何時か長岡先生が「レコード漫談」に書いていらっしゃったことを思い出す。先生は恐るべき速筆(なんて言葉があるのかな?)でいらっしゃった。編集者から電話がある。「原稿は如何でしょ」「今どこ? あそ、じゃあなたが着くまでに書いておくから」と言って1時間以内で漫談1話を書き上げてしまわれるのである。

 比較するのもまたおこがましいが、僕なんかたった1,000字足らずの日誌を書くのでも1時間ではとても無理である。まずネタを捻り出すのに1時間。書き始めれば、ああでもない、こうでもない、この表現はおかしい、語彙が貧困だ、陳腐な言い回ししかできていない、何度も同じ言葉を使っている、何を言わんとしているのか意味不明、結局最後までまとまらなかった、どーしよーもないね、と時計を見れば2時間を過ぎている、のである。

 近頃、プライベートに使える時間が少なくなって困っている。本来の業務以外に、公の役どころによる雑務が異常に増えたためである。会議と書類作成が異様に多い。「議事の7割以上は無駄である」と言った人がいるそうだが、僕もまったく同感である。3分で終わる話を30分かけている。言わんでエエことをわざわざ言う人がいる。一度見たら捨てる書類をたくさん作らせる。

 ムダと言えばこの日誌もムダの塊である。だが、非効率的な会議は我慢がならない。個人的には、ヘタクソであっても文章をヒネっているほうが、いくらか有意義な時間の使いようであるように思われるのである。

 時間が欲しいです。

’04/07/29 (木)

懐かしいレコード


 僕はサウンド・マニアである。今さら言うまでもないことである。では、音が良ければあとはどーでもいいのか、というとそうでもなくて、超優秀録音でなくとも聴きたいものだってあるわけだ。

 ADショップサイトを徘徊していて、懐かしいレコードを見つけた。写真のタイトルである。「HIROSHIMA」(米MOBILE FIDELITY SOUND LAB MFSL1-525)。これはMO-FIの復刻盤であって、オオモトは米ARISTA RECORDSの原盤である。(P)(C)1979。例によって25年前の古いレコードだ。

 「HIROSHIMA」。グループ名がそのままアルバムタイトルになっている。デビュー作である。今も活動しているのかどうか僕は知らない。一時的には日本でも人気があり、来日もしたのでご存知の方もいらっしゃるだろう。日系二世、三世が中心メンバーである。何故に「HIROSHIMA」なのかはわからない。ジャケットディザインは如何にもそれ風。

 内容は特に変ったこともない軽いフュージョンだが、楽器の構成がちょっと変わっている。和太鼓、琴、尺八等の邦楽器が入る。自分たちのルーツに素直と言うべきか。成功かどうかは別にしても、独特の味と雰囲気(フインキ、じゃナイよ)をカモシ出していることは間違いない。

 初めて聴いたのは高校3年生の頃である。兄が買って持っていた。時はフュージョンブーム(だったと思う)、ロック小僧の兄と僕も、ちょびっと転向しかけていたのだろう。刺激のない穏やかで明るい楽曲ばかりである。当時はもちろんARISTAのレギュラー盤、システムもさほどマニアックなものではなかった。録音の良し悪しについては明確な記憶がない。

 今、20数年ぶりにMO-FI盤で聴く。現用システムで鳴らしても、やはりどうと言うことのない音である。ナニ、それで良いのダ。昔を懐かしむために買ったレコードなのである。聴いているうちに高校時代のことを思い出し、実にほのぼのした気持ちになった。そういえばあの頃は、このレコードをよく聴いたなあ。

 優秀録音でも何でもないけれど、これも僕の愛聴盤。

’04/07/28 (水)

茨の道も


 耳管狭窄は治まりつつあるようだ。いつも思うのである。グワイの悪いまま固定されてしまったらどうしようかと。死活問題である。早く治ってヨカッタヨカッタ。

 さて、トゥイーター敷板をSUSから砲金に替えてみたわけだが、やはり砲金のほうが自然な感じで鳴るようである。CDでは、大きな差が出難い。SACDならよく判る。さらにADを聴けば、これはもう一聴瞭然である。数字の上ではどうやってもディジタル・メディアに勝てないADなのに、実際に音を聴いてみると圧倒的。箱船では未だメインの座から外すわけには行かない。過去の遺物、ではないのである。

 それしかなかった昔ならいざ知らず、この時代に敢えてAD再生しようという人。音の好み、再生環境にかかわらず、マニアと呼ぶべきだろう。「プレーヤーも針も盤も売ってない」というのが一般的な認識なのである。CDショップは近所にあっても「レコード屋さん」は何処にもないのだから。

 やりだすと止まらない。僕の周りにいる友達を見ていて、思うことである。「この人は、わりとADに距離をとっているな」と思っていたら、ある日突然走り出すのである。走り出したら止まらない。茨の道もものの数かは。凄い勢いである。

 ADには、魔力があるのダ。ソフトにも、ハードにも、音にも。流離いの旅人さんノタマウところの「暗黒オーラ」というヤツである。そう言えば、彼も走り出したうちの一人かな。

 もう止まらない。止められない。

’04/07/27 (火)

ダンピング鼓膜


 症状の峠は越えたようで、今日は少しく元気が戻ってきた。昨日はまたしても休載してしまい、誠に申しわけないのである。ご容赦ください。

 気分が良くなれば、やはり音を聴きたくなるわけで、しかしまだ猛烈爆音というわけにも行かず。定位置に座って静かな音楽を静かに聴いてみた。

 何だかヘンである。随分とハイ落ちに聴こえる。低域も痩せているし人の声はカーカーする。何なんだ。ソフトや音量の所為、ではないようだ。どーしたんでしょーか。

 こういうことは以前もあった。耳管狭窄気味なのである。風邪に伴う炎症で耳管が腫れて狭くなり、いわゆる「耳抜き」ができない状態に、なっているわけだ。内耳と外耳の気圧を揃えることができないので、鼓膜がロックされているのである。たぶん外から内へ押し込まれているのだろう。自由に動けない鼓膜で音を聴けば、そりゃあ変な音になるのである。エアーダンプ鼓膜。

 むりやりアクビしてみたり、嚥下動作を繰り返してみたりするがダメ。風邪の完治を待つしかないのである。困った困った。

 余分な鳴きを止めるのはケッコウだが、鼓膜がダンプされてしまってはどうにも遺憾。もうしばらくは大人しくしておいたほうが良いみたい。

 人間も、なかなかに機械的なのである。

’04/07/25 (日)

ダウン

 申しわけございません。ついにダウンしてしまいました。正常な更新状況に戻れるまで、今しばらくお待ちください。

 クシャミ、ハナミズ、ハナヅマリで息ができねえ〜。

’04/07/24 (土)

危険なサイン

 風邪をひいたらいつも同じことを書いているような気がする。行くところまで行かないと治らない、と。これは夏風邪も冬風邪もくそもない。やはりしっかりと貰ってしまったようである。今朝方から舌の付け根の上側、ノドと鼻腔がつながったあたりが腫れぼったく、痛痒い。これは極めて危険なサインである。

 こうなると売薬では対処できない。かかりつけの医院で診察を受け、抗生物質を処方して貰った。これで大丈夫かな。家人にはいつも言われるのである。「風邪ひくのがいやなら薬呑むより煙草ヤメロ」と。

 まったくおっしゃるとーりでごぜいます。

’04/07/23 (金)

厄介な夏風邪

 4日ほど前から、愚息1号2号がともに夏風邪をひいて寝込んでいる。最初に持ち込んだのは1号である。このクソ暑いのに何処で貰ってきたのやら。しっかり2号にウツし、オノレは治りかけに入った。今、2号がゼヒゼヒゆってる。

 この時期、僕も貰ってしまったら大変クルシイことになる。から、充分に気を付けていた、つもり。だが、どーもアヤシイ。クシャミ、軽い咳、それに全身倦怠感。これは危ないのである。冬の風邪もツラいが夏風邪はもっとツライ。ひどくならんうちに早く治してしまうに若くは無し。

 なんと言っても、これからの一月はキビシイのである。

’04/07/22 (木)

鳴ったです


 トゥイーター復帰である。要した時間のわりに見た目はさほど変わらない。SUS板よりもやや目立たなくなったくらいである。敷板を交換するだけの作業だが、トゥイーターが重くて大きいので何だか大儀に感じるのだった。AE86さんほどエライことにはなっていないけれど。

 音は大人しくなった感じである。トゥイーターの自己主張が少なくなった、と言うべきか。フルレンジとの繋がりが良くなったとも言える。もっと派手な鳴り方になるかと予想していただけに、ちょっと肩透かしを食らったような気分。ナルホド、こうなるわけか。

 板が薄くなった分だけ鳴きが止まり易くなったのか。厚けりゃ良い、重けりゃ良いというものでもないらしい。フルレンジとトゥイーターの距離が縮まったのにも一因あり、たった5mmの違いがモノを言うのだから、オーディオは実に面白いのである。

 好ましい変化だと思う。SUS板に比べると自然な音に近づいたと感じるから。但し、激変、というほどのことはなく、この程度の違いなら好みの範囲として両者にメリットを見出すべきである。壮絶な切れ込み、多少ハレーション気味でも明るく散乱する音が好き、というムキにはSUS板も大変ケッコウ。

 この部分に使う板の材、厚み、大きさなどで、かなり音をコントロールできそうに感じた。純銅板、超々ジュラルミン板、なんかも、試してみたくなるのである。

 タングステン板、は、1枚40万円。ムリですな。

’04/07/21 (水)

載っただけ


 段取り悪かった防錆塗装も完了、やっと定位置に載せることができた砲金トゥイーターベースである。たったこれだけのことにいつまでかかってるンでしょうか。グズである。

 天板とベースの間には1mm厚程度のフェルトを挟んで設置する。フェルト有無のメリットデメリットは色々あるが省略。ともかくウチではあるほうが良い。ご覧の通りバッフル最前部の板幅サイズ(270mm)にピッタリ決まって気持ちが良い。やっぱりこうでなくちゃあね。

 奥行きは従来のSUS板に同じ150mm、ターミナルとのクリアランスは充分ある。しかし何かの拍子にショートして火を噴いたらコワイ。ベース後縁に厚めのテフロンテープを貼って絶縁した。SUS板ではこれをやっていなかったので、実はキボチ悪かったのである。デンキ怖いです。

 単に置いただけの状態では鳴きが残っている。写真の如く、鉛ブロックを載せるとウソのように止まってしまうのである。トゥイーター本体を挟んで固定するための鉛だが、副次的効果もあるわけだ。尤も、鉛であることに必然はない。重くて鳴き難いモノなら何でもよいと思う。純金(6NAu)インゴットなんか如何でしょう。

 バカなことゆってないで早くトゥイーター載せて聴け、っちゅう話である。

’04/07/20 (火)

夏・夕暮れ


 昨夕午後7時半頃、西の空に現れた夕焼けである。やや曇り気味、多めの雲が全天真っ赤に光って街の風景もすっかり紅色である。あまりに見事だったので思わずデジカメで1枚。しかし写真に撮ると大したことはないのである。難しいものだ。

 今年の夏は暑い。中途半端な冷夏だった昨年とは大違いである。今日も早朝からすでに25℃超、日中は35℃オーバーである。東京では正午の時点で38.7℃あったそうだ。猛暑である。

 しかし僕は、夏の暑さはさほど苦にならない。どちらかと言えば好天続きの暑い夏が好きである。土用前の今が夏の最盛期だろう。8月に入るとすぐに立秋だ。目立って日が短くなり、お盆の頃ともなれば秋風らしきものが立ち始める。そうなれば僕はもう悲しいのである。夏が終わるなあ、と。

 暑い暑いとボヤきながらも、今の季節を楽しむのだ。夏はイイ。

’04/07/19 (月)

掛け声ばっかり


 ベースを交換するには、当然のことながら一旦トゥイーターを外さないとイケナイ。外せば位置合わせも一からやり直すことになるわけで、そういう作業がメンドクサイのである。でもやらなきゃ先に進めないやらねばなあ面倒だなあT-300A足の上に落としたら大変だなあ人も機械も壊れるなあ身も心も痛いだろうなあこれがホントの心身脱落かなあ、などと馬鹿なことを考えながら0506IIGM-Cuを見ていたら。

 前回のDHKから約半年、T-300Aと0506IIの内周砲金部分は未だ綺麗なものである。外周純銅部分はかなり薄汚れてきた感じ。写真ではそんなに目立たないように見えると思う。実は随分サビてます。真鍮、砲金に比べると、やはり純銅は相当錆び易いのだった。

 トゥイーターを下ろすこの機会に乗じ、半年ぶりにDHKやるぞ。といっても今回は楽だ。ダイヤモンドペースト#15000で一回磨くだけである。折角だからT-300Aも磨いてしまおう。

 ....その前に、クリヤラッカースプレー買って来いって。

’04/07/18 (日)

段取り悪し


 さあ今日はやるぞと気合を入れ、トゥイーターベース用の砲金板の磨きにかかった。夕方のことである。今回はDHK、というまで取り憑くことはできず、薄皮一枚舐めた程度なのはお恥ずかしいことろである。

 ともかく磨き終わって防錆塗装しようとした、ら、肝心のクリヤラッカースプレーが見つからない。あるはずなのである。イヤ、絶対にある。DFリングを塗装した残りがあるのだ。そう思って箱船中探し倒すがやっぱりない。おかしいなあ〜。

 これがなければ次の作業に進めない。そのままでも良いんじゃないか、という声も聞こえてきそうだが、個人的にはなんとしても防錆しておきたいのである。今晩中にSUS板との交換作業を完了するつもりでいたのに、完全に出鼻を挫かれたカタチだ。なんちゅうこっちゃ。

 かなしいときー。かなしいときー。あると思ってた材料が、なかったときー。

’04/07/17 (土)

散華


 この辺りでは、サルスベリの花が咲くのは8月初めから半ばにかけてである。お盆前から咲き始め、最中に満開になるという印象。昨年は冷夏だった所為か、更に遅かった、と言うよりまともに咲かなかった。

 それが今年はもう咲いてしまった。1ヶ月くらい早い咲き始めである。今月中旬に花をつけるはずのネジバナも、先月末から元気に咲いている。今年は何でもが早生になってしまった感じである。

 サルスベリ。学名Lagerstroemia indica。ミソハギ科サルスベリ属。アジア、オーストラリア原産の耐寒性落葉高木、または低木である。別名「百日紅」(ひゃくじつこう)の名の通り、花は非常に長持ちする。白花種もある。紅花種のアルビノである。

 サルスベリの名も百日紅の名も、見た目からの命名であるのが面白い。幹の表皮はあるのかないのか、ともかくツルツルしている。皮をむいて仕上げた床柱みたいだ。サルも滑って登れない、からサルスベリ。ナルホド。

 どういうわけか、お寺の庭にはこの樹が多い。山門両脇に紅白セットで植えられていたりする。ウチのは20年に満たない若木だが、200年300年という巨大老木もしばしば見られる。何故だろう。

 ちゃんとワケが、ありました。今日、庭木や街路樹に多く植栽されているサルスベリは、中国原産のインディカ種である。上記学名の如し。ウチのも例に漏れない。そのスベスベした幹肌が、釈尊由緒のシャラノキに似ていることから仏縁の花として中国から渡来した、と言われているそうな。こういうわけで、お寺に好んで植栽されるのである。恥かしながら、僕は知りませんでした。

 花の終わりになると、色を保ったままの花弁が細かく分かれて散って行く。風に吹かれて舞い落ちるその様に、古人は五天華の一つであるマンジューシャカの姿を見たのかもしれない。正に「散華」である。

 「いろはにほへとちりぬるを」。お盆に諸行無常を感じさせてくれる、なんともタイムリーな花であることも、お寺向きなんだろうなあ。

’04/07/16 (金)

Cantus Records


 所有する喜びが少ない、などとエラそうなことを言いながら、しかしそれでもCDを買うのである。新しいディジタルフォーマット、CCCD、輸入盤問題など、いろいろあってもやっぱりCDは強し。依然としてパッケージソフトの主流である。

 今日紹介するのは「cantus」(カントゥス)というレーベルのCDである。1995年、グロッサ・レーベルから独立して興されたスペインのレーベルである。グロッサに同じく古楽専門。分厚いブックレット付きでケース入り、という豪華な装丁もグロッサに負けない。創立から既に10年近く、すでにご存知の方も多いと思う。僕は今回が初めての購入である。

 写真のタイトルは「スキャラズーラ・ラマズーラ〜イタリア・ルネッサンス舞曲集/クリスティアン・マンドーズ指揮、ムジカ・アンティクワ」(cantus C9605)である。(P)(C)は1998-2000-2003となっている。1997年6月、フランス・イェール組合教会で録音。DDDである。マイク、レコーダーなどの詳細については記載がない。

 リコーダー、クルムホルン、キタローネ、リュート、ビウエラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ルネッサンス・ヴァイオリン、ダルシアン、パーカッションという、正に古楽演奏の構成である。全40トラック54分09秒、最も長い曲でも3分20秒。小曲集である。

 非常に良い録音だ。厚く豊かなアンサンブルが教会に響き渡る。エコーがとてもきれい、明るくチャーミングな曲風との相乗効果で聴いていると幸せな気持ちなる。楽器一つ一つが鮮明に定位し、音色は繊細。切れ、伸びもある。音場感も特に良く、奥行き表現が素晴らしい。とりわけカスタネットやタンバリンといった小型打楽器は秀逸。実物大でピンポイントに定位する。ヒジョーにリアルである。

 古楽ファンには自信を持ってお薦めできる。サウンド・マニア向けでもあると思う。これと一緒に買ったタイトル「ギョーム・ド・マショー/ナヴァル王の裁き」(C9626)も優秀だった。現在20タイトルほど入手可能なようである。

 もう少し、買ってみよう。

’04/07/15 (木)

しかし満足


 レコパックも完了し、盤は大変綺麗になった。埃に隠された傷が新たに発見されることもなく、まずまずこれなら新盤同様の美しさである。ヨカッタヨカッタ。

 早速に聴いてみる。カートリッジはここのところ使い続けているEminentである。クリーニングが功を奏し、SNは非常に良い。それのみならず、盤に本質的な良さがあるのだろう。技術は世界一、と言われる日本プレス(JVCプレスである)の威力である。

 肝心の音。少なくとも28年前の国内盤、或いはディジタルリマスターCD国内盤、よりは良い。けれど、思ったほどではない、というのが偽らざる印象である。レンジは上下とも広く、歪み感も少ない。けれど、何かしら抜けが悪く音に伸びがない。切れ味もイマイチ。枠にはまったような鳴り方になるのである。EMIからリリースされた「A Day At The Races」(華麗なるレース)の限定180g盤のような伸び、切れの良さが感じられない。

 これは致し方ないことなのかもしれない。元の国内盤で比較しても、同様の印象はあるわけだから。如何に高音質盤といっても、オリジナルマスターテープの音を凌ぐことは、不可能なのである。おおもとの音は、極めて重要。

 いささか残念ではある。しかし僕は大いに満足している。このようなレコードが世にあって、それを所有できたこと。この喜びは、ヒジョーに大きいのである。こういう嬉しさを、CDにはあまり感じられないのはどういうわけか。

 こうなると、上記「華麗なるレース」のMO-FI盤(MFSL 1-256)も欲しくなる、わけだが高価いんだな、これがまた。

’04/07/14 (水)

フンパツ


 海外ショップサイトで見つけるたび、買うべきか買わざるべきか、いつも逡巡していたレコードである。何故に。理由は簡単明快、高価いから。何処で見ても100$以上。そこまで払って買うほどのレコードか。

 フツーの中古盤ならそんなにしないはずだ。これは、MO-FIの限定盤なのである。「QUEEN/A NIGHT AT THE OPERA」(MFSL 1-067)。だから高価い。たぶん稀少価値だろう。イワユル、レアもん、というわけだ。

 プロフィールのページにも載せているように、このタイトルは僕が初めて買ったLPレコードである。'76年2月7日。28年以上前である。もちろん国内盤だ。いい加減な針で死ぬほど聴いたので盤はガタガタ、酷い音になってしまっている。'92年頃にディジタルリマスター盤CDを買ったけれど、そっちのほうが音が良いくらい。これが何だか悔しくて、音の良いADがあれば、と狙ってはいたのである。

 このたび、とうとうフンパツして買ってしまいました。純然たる中古盤である。やっぱり高価だった。しかし満足している。胸のつかえが取れたような気分。ならばさっさと買えばいいのにね。

 「ORIGINAL MASTER RECORDING」のカンムリも輝かしく、しかし盤は結構汚かった。埃だらけ。センターホール周りの探り傷も目立つ。盤面のキズは少ないようである。逸る気持ちを抑えつつ、ここは必殺レコパックをぶちかますのである。

 どんな音かな?

’04/07/13 (火)

これも学習


 リヤカノンLのユニット取り付けネジも純チタンに替えた。これも両チャンネルで32本、全交換である。鉄とチタンをテキト〜に混ぜてやろうか、なんてイタズラも考えたけれど、大して意味のあることとも思えず止しておいた。

 そんなにガンガン鳴っているわけではないリヤカノンLだが、やはり変化は感じられた。印象はスーパーネッシーに同じく、主に高域で特徴が見られる。音が涼しくなるのである。今のところ使い始めの機器によくある一種独特の生硬さも感じられ、まあこれは使っているうちに消えて行くだろう。クセっぽくなるとかピーキーになるとか、悪い方向への変化ではないので、こちらもともかく使い続けることに決定。そのうち耳が慣れちゃうだろうし。

 メインシステムのネジ交換はこれで終了。あとはスーパーレアESと2階のD-55である。これらはこのままでもいいかな。鉄ネジの音も捨て難いし。

 ネジを一気に交換したのは初めてのことである。思っていたよりも変化が大きく、なるほどこういうことになるのかと改めて学習させてもらった。まだまだ知らないことは多いのである。鳴っているのは振動板のみに非ず。ネジもフレームもリングも磁石も板も、全部一緒くたに鳴っているのだった。ついでに部屋も機器もニンゲンも鳴っているわけで、そのうちどこか一つが変われば、音も変る。はっきり言ってもう何が何だかワケワカランのである。細かいことをチマチマやっても詮無いことなのかもしれない。

 否、そう言ってしまっては立つ瀬がない。繊細さと豪快さのウェルバランス。これが最も上手い使いこなしなのである。

 昨今、豪快方面怠け気味。遺憾です。

’04/07/12 (月)

マイルドゴーヤ


 1週間で随分成長するのである。4日の写真と見比べていただきたい。1本だけ、というのが何とも悲しいところではある。どうも雌花の付きが悪く、景気良く成らないのである。やっぱりコヤシの遣りかたかな。梅雨が明けたら突然バカスカ成り始めたりして。

 20数年前、修行時代に作ったゴーヤは、もっと臭かったような気がする。畑に近づくだけで独特の青臭さがあったものだ。今、ウチで作っているヤツはそれがないのである。あまり臭くない。葉っぱをくんくんやれば僅かに臭うのだけれど。品種改良でマイルドゴーヤになっているのかしらん。

 あまり臭いと誰も作らんのかもしれん。確かにマンション住まいの人がベランダで昔のゴーヤを作ったら「おまいがこんなモン作るから臭くてカナワン、撤去しろ」とか言って上下左右から苦情がくる。集合住宅での大音量は騒音公害だが、このバヤイ悪臭公害になるのである。

 個人的には臭いくて苦いゴーヤのほうが美味いのではないかと、思うのだがどうだろう。尤も、味の好みは音の好みと似ていて千差万別十人十色。昨今マイルドゴーヤのファンのほうが多いのかもしれない。音にもそういう傾向があるようだし。

 僕は、音も味も濃くて暑苦しいのが、好きなのである。

’04/07/11 (日)

雷怖い


 昨日は無断休載してしまいました。どうかご容赦ください。

 一昨日夕方午後5時頃ことである。ここしばらく雨が少ないと思っていたら、突然の大雨である。しかも激しい雷付き。出先で、そういえばオーディオ機器のコンセントを抜かずに出てきたなあ心配だなあたぶん大丈夫だろうなあと、ぼんやり考えていた。

 帰ってすぐ箱船へ行き、部屋の照明を点ける、と、点かない。???。エアコンも利かない。なんだこりゃ。暗闇の中で3秒考え、あっと気がついた。配電盤主ブレーカーが、落ちたな、と。

 箱船は、階段の下側に当る空間(直角三角形状)が物置になっていて外から出入りできるようになっている。そこに配電盤が設置してあるのだ。調べてみた。やっぱり主ブレーカーが落ちている。

 家にいた家族に訊くと、かなりの至近距離で落雷があったという。縁側から雷ウォッチングしていたら、ジグザグ型の太い稲妻が、隣りの家の向うに落ちるのが見えたんだそうな。タダゴトではない閃光と大音響に感激したと、オーディエンスはコウフン気味に語ってくれた。

 おそらくこれが主ブレーカーを落とした犯人だろう。電気知識に真っ暗の僕には詳しいメカニズムはさっぱりだけれど。フシギなのは、母屋のブレーカーは落ちなかったこと。何故に箱船のブレーカーだけが反応したのだろうか。よくわかりません。

 オーディオ機器のACコードをすべてコンセントから抜いたあと、主ブレーカーを再投入する。機器から変な匂い、煙などは上がっていないか注意深く点検した。どうやらOKなようであるので各機器の電源も投入、幸いにして被害はなかった。最も心配したのはトゥイーターである。特にT-300A。これがブチ切れたら後がない。無事でよかった。2階のPCも大丈夫である。

 この時期、出かける時は写真の如くコンセントからACコードを抜いておくべきだと、強く思ったのであった。

 皆さんも、お気を付けて。

’04/07/09 (金)

なかなかヨイ


 ウィルコの総合カタログによると、純チタンの組成は次の通り。水素0.015%、酸素0.20%、窒素0.05%、鉄0.25%、残り99.485%がチタンである。6N、7Nというわけには行かないが、「純」の看板に偽り無しである。

 というわけでスーパーネッシーユニット取り付けネジ換装完了。両チャンネルとも16本全部替えた。都合32本使用。ネジがちょっと目立つルックスになったが気になるほどではない。模様替えをしたようで却って新鮮でもある。個人的にはヒジョーに気に入っている。計算上では重量が24gほど減ったことになるわけだ。たぶん重さはあまりカンケイないだろう。

 質感、重量が違う以外、使い勝手は鉄ネジと何ら変わらず。ガッチリ締め付けることができる。締めグワイはできるだけ均等に、鉄ネジと同じくらいになるように気を付けたつもり。ゲンミツにトルク管理しようと思うなら、トルクレンチを使えばよい。さらに神経を使いたい人は、弾性域角度法や塑性域回転角度法で締めれば万全である。そこまで行くと神経衰弱になっちゃいそうだ。僕はいい加減にしておくのである。

 さて、肝心の音である。まずは音の違いが僕にも分かって一安心。分かんなかったらどーしよーと心配していたのである。いやいや、結構変わるものなんですねえ。

 暑苦しい感じが減る。全体的に涼やかなイメージになるのである。音の粘度が下がった感じ。サラサラしている。鉄よりも上品な印象だ。贅肉を削いだ感じとも言えるし、力感、圧力がやや後退したとも言える。この辺りはリスナー、ソフト、音量で評価が分かれそうに思った。

 高域の解像度は明らかに向上、金属打楽器などはリアルさと鮮度が増す。ボーカルなどはわずかに細身になるか。低域はスリムでハイスピード。超低域の重量感はちょっとばかり後退する。僕はどちらかといえば暑苦しくヤバンな音を好む傾向にある。ので、鉄とチタンそれぞれに良さを認めたい。

 但し、ネジにもエージング(或いは耳の慣れ)はあるはずで、現状答えを出すのは性急に過ぎると思う。折角交換したわけだし、しばらくはこのまま純チタンネジを使い続けることにする。

 リヤカノンLのネジも、替えてみなくちゃね。

’04/07/08 (木)

純チタンネジ


 流離いの旅人さんのwebページ「百万円以下ホームシアター」。その掲示板「流離いの茶屋」を読んでいたら、とても興味深い投稿があった。Bubblesさんとおっしゃる方のメッセージである。

 ユニット取り付けネジを、鉄ネジから純チタン製のキャップスクリューに交換したところ、好結果が得られた、という記事である。う〜む、面白い。ヒジョーに面白い。一般的に入手可能なキャップスクリューと言えば、鉄かSUSだろう。純チタンネジなんて、聞いたこともない。何処でそんなものが手に入るのか、と思ったら、ちゃんと入手先も書いてくださっている。御親切なのである。

 「株式会社ウィルコ」という。ネジ専門の会社である。詳しくはwebページをご覧いただくとして、確かにここで純チタンネジが買えるのである。個人向けにも販売可能。こりゃあいいと、僕も早速注文した。

 対応は極めて迅速である。その日の午後4時までに注文すれば、在庫がある限り即日発送。ほとんどの場合翌日には到着する。7月5日の朝に注文したら、6日の午後には着いていた。素晴らしく速いのである。

 んで、上の写真が純チタンキャップスクリューと同スプリングワッシャである。サイズはM5×15mm。見た目はアルミのようでもあり、SUSのようでもあり、しかし明らかにそれらとは違う質感である。当たり前だが鉄ネジよりかなり軽い感じ。実際に量ってみたら、同サイズの鉄ネジが1本3.56g、チタンネジは2.04gだった。43%ほど軽量である。

 僕はフレーム穴8個のフルレンジユニットを、全部で12個使っている。スーパーネッシー4個、リヤカノンL4個、D-55が2個、スーパーレアES2個。すべてM5×15mmサイズで賄える。全交換するに必要な本数は96本。予備も考えてネジ、ワッシャとも100本買っておいた。サブウーファーにはM6×70mmサイズが必要になり、これはチタンネジに長さの規格がなく断念。

 イキナリ全交換、というのもやり過ぎかと思われる。ので、まずはスーパーネッシーから。鉄とチタンの物性差(この辺りはM85さんの領分である)が、音の差になって表れるかどうか。否、その差を僕の耳で聴き分けられるかどうか。

 それがイチバンの問題である。

’04/07/05 (月)

懲りないヤツ


 最近買ったソフトのうちの1枚である。このレコードは何度載せたろうか。プロフィールのページにも載せているし、SACDバージョンを紹介したこともある。ヒツコイのである。と言いながら、どんどん書いてしまうのだった。

 「BOSTON/More Than A Feeling」(米EPIC HE34188)。邦題「幻想飛行」、の、ハーフスピードマスタリング盤である。と言えば、以前PINK FLOYDの「炎」で痛い目に遭っているわけだが、また懲りずに買ってしまった。このタイトルのADはこれで4枚目になる。CD、SACDを含めると同一タイトル9枚。たぶん僕の手持ちソフトの中では一番多いはず。やっぱりヒツコイのである。

 PINK FLOYDのほうはいささか高価だったが、こちらは常識的な値段だった。但し、中古盤としては高いほうになるだろう。ジャケットはやや古びている。盤の状態は比較的良く、ミントコンディションマイナス、くらい。

 さて、ハーフスピードマスタリングの威力は。PINK FLOYDがそうであったように、これもまたイマイチである。やっぱり音に独特の生硬さがあり、中高域にクセが感じられる。埃っぽさもある。音のエッヂをむりやり立たせたような不自然さ。シャープネスを利かせ過ぎたデジカメ写真のようなイメージである。威勢は良いのだが聴き疲れする音だ。これならレギュラー盤のほうが自然である。う〜む、何ゆえこのシリーズはこーゆー音に、なっちゃうかなあ。

 要するに僕のシステムとの相性が悪いということか。残念である。SIMPLY VINYL盤も遺憾かったし、このタイトルはこれで買い納めにしよう。

 と言いながら、「ナントカバージョン、限定盤」なんちゅうのを見つけたら、またまた買ってしまいそうであるワケだが。

 懲りないヤツ。


 
〜閑話休題〜

 業務の都合上、7月6日、7日付けの日誌を休載します。7月8日付けから再開致しますので、またのご閲覧をお願い致します。

 よろしくご諒解ください。

’04/07/04 (日)

家庭菜園その後


 モノスゴい勢いで葉っぱが繁り、パカパカと景気良く花が咲くわりに実が付かなかったゴーヤである。

 コヤシの遣りかたがまずかったかシロウトは駄目だなこれじゃ葉っぱ育ててるようなもんじゃないか昔はもっと成ったのに苗がヘタレだったのか種から行ったほうが良かったかなさっさと成れよほんとにもう。

 などと思っていたら、やっと実が付いた。現在三つが成長中である。写真はそのうちの1個、いちばん大きなヤツだ。約5cm。まだまだ小さい。このまま順調に成長してほしいものである。

 キウリ、トマトは極めて順調。特にキウリ。ちょっと採るのを忘れるとあっという間にオバケキウリになってしまう。大きくなりすぎると、キウリではなく出来の悪い瓜である。ちっともおいしくない。ナスは、無農薬無手入れの所為でニジュウヤホシテントウの襲撃に遭い、実も葉もボロボロである。かわいそうなことをしたが、農薬散布までしたら趣味ではなく仕事になってしまうからまあいいか。

 ゴーヤにはゼンゼン虫が付かない、のは、実と同じく葉もニガいからかしらん。苦味は毒を警告する味覚だと、聞いたことがある。虫は毒なんか喰わんのである。ありがたがって自ずから毒を喰らうのは人間くらいのものである。

 ゴーヤチャンプルーでキンキンに冷えたビールをゴクゴクッと。どっちも苦いね。

’04/07/03 (土)

聴いてみるものです


 早起きして東を見れば、空は朝焼けである。未だ梅雨は明けず、にしては雨が少なく、美しい朱色の空が見られることが多い。雨のキライな僕としては嬉しいことだが、農業に従事する人々はお困りなのではないか。

 日が昇る空を見ているうちに、1曲聴きたくなった。Casiopeaの「ASAYAKE」である。どうも単純なんだな。

 写真は、その曲が収録されている彼らのCD「Eyes Of The Mind」(日ALFA 38XA-11)である。番号から想像される如く、CDが1枚3,800円で売られていた時代のものだ。'86年6月21日購入。18年前ですな。今なら再発盤が安く買えるはずである。

 これを聴くのは実に久しぶりである。たぶん数年、ひょっとしたら10年ぶりくらいかもしれない。昔チョロッと聴き「こんなもんか」とラックに戻してそれっきり、だったような気がする。

 侮ってはイケナイ、のである。これがなかなか音が良い。レンジは広くないものの、全体的に低歪み、けたたましさが無くかなりの大音量でも破綻しない。というよりも、大音量向きソフトではないか。ローハイのバランスが良く取れていて、非常に素直な音で聴きやすい。優秀録音、というにはいささか物足りない。が、これくらいのクオリティがあればまずまずだろう。最近のCDに比べ、かなり低めのカッティングレベルである。SNの点では損をしている。ちょっと勿体無い。

 1980年、CD登場以前の録音だから、最初はADでの発売である。中古盤ショップでAD捜そうかしらん。

’04/07/02 (金)

やってみるべし


 写真の環っかは、何でしょう。アームボードとEPA-100MkII本体の間に挟む、ゴムワッシャである。厚さは1.5mmくらい。おそらくごくフツーのゴム製だろう。取説によれば、これは使うべきものとして説明されている。

 ボードの平面性が高く、プレーヤーを設置する場所の条件も良ければ、たぶん使わないほうがよい、ような気がする。支点の明確化、という命題からすれば、逆手の行為になるだろうから。実際に試してみたところが、どうやらウチでは使ったほうが良さそうだという結果になった。

 アームボードは鉛製である。平面性はイマイチ、イマニ。その辺りも影響しているのだろうと思う。ただ、これで満足しているわけでもなく、メリットデメリットの引き算足し算で僅かにメリットが上回ると判断したからに過ぎない。但し、強力型砲金ロックリングとキャップスクリューの組み合わせで、強固な締め付けが実現できるようになり、デメリットは極小に抑えられたと感じている。

 さりながら、もう少し工夫できないものかとも、考えるのである。そこで一計。コイツをFOSTEXの大判タングステンシートW-250で作り替えたらどうだろうか。同一形状の環っかを切り出して使うわけである。タングステンシートは、密着度を上げるほどに効果が高まるとも聞いた。

 アーム用タングステンワッシャ、風。これを使ってガッチリ締め付ければ、悪い結果にはならない、ような気がするのだが、アナタ、どう思われるか。

’04/07/01 (木)

水泡の如し

 2004年も今日から下半期に入る。7月である。今月は僕の誕生月である。もうすっかり中年のおっさんになってしまうのである。ああイヤダイヤダ。実質はアホなまま歳だけ喰うほどイヤなことは無い、何とかならんか、と言っても仕方ないのである。たぶん忌の際になっても同じことなんだろうなあ。

 一時の休眠状態からオーディオを再開してからでもすでに20年。そりゃ歳も食うはずだ。20年分の進化なり向上なりがあるかと言えば、有るような無いような。環境だけについて言えば、箱船ができているのだから大きな進歩と見るべきだろうが、内実はどうだろうか。

 20年前に初めて作ったスピーカーはD-70。今も物置でぐうぐう寝ている。時々思うのだ。コイツを引っ張り出し、当時と同じシステムで鳴らせば、ムカシの音を聴くことができる、と。現状と比較して進化のグワイを確かめることができるのである。

 やってみて、大して差が無かったら。20年水泡の如し。ワシャいったい何をやってきたんだと、ガクゼンとするのはイヤだからヤメておこう。

 オーディオなんか、そんなモンかもしれませんな。