箱船航海日誌 2003年06月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’03/06/30 (月)

今月は

 なにやら多忙な月だった。無断休載1回、予告付き休載1回、毎日更新の縛りはどこへやら、である。看板に偽りあり、お恥ずかしいことである。

 一昨日の土曜日、一つの節目となる大きな行事が終った。個人的にはいささか思うところはあれど、業務上では安堵の気持ちが非常に強く、肩の荷が降りた感がある。それが原因かどうか、昨日から今日にかけてどひゃーっと疲れが出、少なからずグッタリしている。オイラもトシだにゃあ。

 来月は多少なりとも時間に余裕ができるのかと言えば、今のところ一応そーゆーことになっている。だが、これがわからない。再来月はお盆でヒーヒー言うのは例年のことである。

 忙しい忙しいと、大袈裟に言うやつほどたいしたこたぁやってねえという話もあるわけで、僕もそのクチなのかしらん。要するに、時間と労力の使い方がヘタなのでございます。

 「スピーカーは高能率に限る!」とブチながら、自分のやっていることは極めて低能率、シャレにもならんのである。

 来月も、宜しくお付き合いください。

’03/06/29 (日)

発射台のような


 遂に全貌を現した、WAGC支持器3号機である。なんという不思議な造形だろうか。一目見て僕が連想したのは、アメリカのアポロ計画時に使われた、サターンロケット発射台である。こういうものを設計施工してしまう友達のオリジナリティには完全に脱帽。僕はただただ頭を垂れるばかりである。

 この3号機は、C‐AX10用にカスタマイズされたものである。汎用性には乏しい。写真中ケーブルが載る部分D、Eの間隔はC‐AX10のピンジャック間隔寸法に適合している。よって、他の機器に流用するのは困難である。

 さて、使い方だが、最初見たときは何が何だかゼンゼンわからなかった。マヌケな話、天地あべこべに置き「これじゃ使えないよなあ」とアタマを捻ったくらいである。あちこちいぢくり回し、ようやく使用法がわかったのは30分くらい後だった。これは取説が要りますぜ。

 まず、Aのツマミを回すとB、C部分が動いて全体高を上下に調整できる。ご覧の通り、ジャッキ構造になっているわけだ。D部をちょうど良い高さに調節すれば、E部は自動的に位置が決まる。D部に下側(Rch)のケーブルが載り、E部に上側(Lch)ケーブルが載る。そうしておいてF、Gのツマミを回すと、上から押さえの板が降りてきてケーブルをしっかりと挟みつけ固定できる、という構造である。D、E、F、G部分にはザグリ加工が施してあり、緩衝材(例えばタングステンシート等)を貼り込めるようになっている。ご丁寧なこと。こんなものよく考えついたものだと、感心頻りである。

 製作者であるところの友達曰く「無駄な可動部分が多いのは重々承知である。だが、敢えてそうした」と。何故か。理由は単純明快である。「面白いから」。

 僕は彼のスタンスに激しく同感するのである。実際この3号機、見ているだけでも楽しく、触るとなお楽しい。Aツマミを回すと全体がジャッキアップされる。必然性はなくとも、この動きがメカメカしく、ヒジョーに楽しいのである。子供の頃、買ってもらったミニカーのドアやボンネットが開くのが嬉しくて、意味もなく開け閉めした、そういう原初的な面白さである。オーディオという趣味に、この要素は極めて重要だと思う。

 全身厚手の真鍮部材で構成され、実測重量は1,580gある。片手で持つとズッシリと重く、鳴きはまったく無し。可動部には一つ一つロックネジが備わっているので、実装状態ではガタ皆無になる。微に入り細を穿つ心配りには恐れ入るのだった。

 これで終わりに非ず、友達は既にB‐2302用支持器4号機の設計に入っているという。「ちょっと息切れして次作はシンプルに」と言いながら、やり始めると止まらないのが彼流である。どうなることやら、申しわけなくもあり、楽しみでもある。

 ありがとうございます。僕はもう、感激してしまいました。

’03/06/28 (土)

ガクアジサイとは


 今年の梅雨は如何にも梅雨らしい。多雨である。昨今「カラ梅雨」と言われる年が多かった中では珍しいことだ。こうなると元気が出るのは、9日にも載せたアジサイ君である。

 あのアジサイは相変わらず赤のままである。が、よ〜く見ると、やや青味がかって紫に近くなったようでもある。やはり酸性土壌なのかしらん。

 今日のアジサイは、裏庭のガクアジサイである。雨に打たれて気持ち良さそうに咲いている。元々この花は、「花」に見える部分が「萼」であって(これを『装飾花』という)、花本体は中央のプツンとした部分だけ(こちらは『普通花』)、であることは皆さんよくご存知だろう。それをわざわざ「萼紫陽花」と呼ぶのもおかしな話だと、僕は思っていたわけだ。そう言うならアジサイすべて「萼」アジサイだろうに。

 などと思うのはドシロウトの浅薄な考えだったのである。

 「ガクアジサイ」とは「額紫陽花」と書く。写真にご覧の通り、ツブツブに見える普通花の周縁を装飾花が額縁(がくぶち)のように取り囲んでいることからこの名が付いたのだそうな。う〜むナルホド、そうだったのか。まったく知らなかった。僕はもう感心してしまいました。

 更に恥を曝せば、ツブツブの普通花を未だ咲き切らない装飾花だと思い込んでいたのである。思い返せば恥かしながら、このツブツブが周囲と同じ花型になったのを見たことがないと、今気が付くのである。思い込みとは恐ろしい。

 では、ガクアジサイと、見慣れたアジサイとの関係は如何に。前者が野生種、後者は人間の手が加えられた栽培種、つまりガクアジサイは原種なのである。

 随分前から毎年身近に咲いている花一つ、正しい知識をもって見ることができていなかったわけだ。恥ずべきである。そういう固定観念が、自己の向上を停滞させるのだ。この調子ではオーディオに関しても、知ったような気になっていることが多いのだろうと、我が身の狭器を省みるのだった。

 謙虚な姿勢で日々精進。これを忘却してはイケナイのである。

’03/06/27 (金)

PC三周年


 右も左もまったくわからないままイキナリ使い始めたPCも、昨日で3年経った。1,095日の間に少しはまともに使えるようになったかと問われれば、僕は自信を持って答える。まったく上達していません。どーだ、まいったか。相変わらず上っ面をちょいと撫でてみた程度の、浅薄な知識そのままである。

 ハードはまったく変動無し。この業界で3年前のハードというと、もうほとんど考古学か史学の世界である。それでも僕はまったく不都合を感じていない。お郷が知れるのである。

 ディーテイルはちっとばかり変動がある。お仕着せブラウザの調子が悪く、これはネットスケープナビゲーター7.0に替え、メーラーもAL‐mailにした。スマートメディアリーダーを追加、友達の尽力でMOドライブも付いた。当初はアナログ回線でダイヤルアップしていたネット環境はぐんと進化し、今やADSL1.5Mの高速伝送である。

 技術知識は進歩せず、環境だけが進化しているのだった。環境が良くなると使い勝手が良くなり、益々頭を使わなくなるという悪循環もあるわけだ。ただし、それはPCがご機嫌ヨロシク動いている時に限ってのことである。ひとたびヘソを曲げられたらさあ大変。僕一人でのトラブルシューティングはまったく不可能である。

 これからまた何年か経てば、少しはマトモになるのだろうか。多分ならないと思う。いつまで経っても友達電器屋さん頼みである。これからもよろしくお願い致します。

 どこまでも他力本願なのである。遺憾です。

’03/06/26 (木)

準備


 今年は10月に大きな行事を控えている。オーディオカンケイではなく業務上の話である。かなりの数の参拝があると思われるこの行事、普段のままで、というわけにも行かず。それなりに準備が必要になるのだった。

 庫裏は築75年、本堂は築48年、基本的にはまだまだしっかりした建物だが、経年劣化は避けられない。無事遂行するには修繕しなければならない部分もある。必要に応じて畳の入れ替えも考えねばならないし、人的協力の依頼も不可欠である。まだ4ヶ月ある、とはいえそれまでに完了しておくべきことは多い。既に実行委員会を設置、度重なる会議を開き準備を進めている。

 最もの幸いは、僕をバックアップしてくれる実行委員長をはじめ、委員各氏が極めて真摯協力的なことである。否、バックアップと言うよりも、僕のほうが引っ張られていると言ったほうが良いかもしれない。

 写真は本堂外装の化粧直しに専一の職人さん、でありながら実はこの人も実行委員さんの一人なのである。営繕関係を一手に引き受けての大奮闘、こうなると仕事だかボランティアだかわからなくなる。ありがとうございます。

 もちろんこの人だけでなく、委員長には総元締めとしての責任を持っていただくわけだし、各委員さんにはそれぞれ面倒な役どころをお願いしている。そのすべてが奉仕である。全くに申しわけなく、しかし非常にありがたいことでもある。

 この行事を完遂することが、僕の目下最大責務である。責任重大。分を超えているような感が強いけれど、委員諸氏の力添えで、何とか乗り切れるだろう。

 業務もオーディオも、最も重要なのは、人と人の信頼関係である。これを疎かにしては何も先行きしない。

 ご縁は大切なのである。

’03/06/25 (水)

p・u・l・s・e


 ジェイムズ・ガスリーはインタビュー中、今後どんな仕事をするかについても言及している。いろいろあるようだが、その中で興味を惹いたのは、写真に挙げたタイトルのDVD化である。

 「p・u・l・s・e」(日SMV SRLM1505〜6)。(C)1995。1994年10月、英ロンドンアールズ・コートでのピンク・フロイドのコンサートを完全収録したものである。LD2枚組145分。同タイトルのライブアルバムもリリースされている。

 このタイトルの見所(聴き所?)は、何と言っても第2面。クレジットにも「THE DARK SIDE OF THE MOON」とあるように、「狂気」をコムプリートに演奏するのである。大型トラック48台分、ステージセットを組むだけで120人がかり3日間という大仕掛けに支えられたステージングは圧巻である。

 音もこの手のものとしては比較的良いほうだと思う。歪みやDレンジなど、うるさいことを言えばキリがない。ロックなのである。マスタリングには、あのダグ・サックスが一枚噛んでいる。

 惜しいのは、やはり画である。買った当時は「綺麗だな」と思っていたが、プログレッシブやハイヴィジョンに慣れた目で見ると、LDではいささか苦しい。作品としては非常に気に入っているので、これがDVDにリマスターされたら良いのにと、思っていたのである。

 リリースが何時になるのかそれは全く未定というが、出ることだけは確からしい。ツェッペリンもDVDが出たことだし、ピンク・フロイドにもがんばってもらわなくちゃ。

 しかしながら些か悲しいのは、未だ70年代ロックに頼らねばならない音楽業界の低迷である。

’03/06/24 (火)

意図せず


 「アルバムの最後に『涙の乗車券』が聴こえますが」の質問にジェイムズ・ガスリー答えて曰く「あれはマルチトラック・テープではなく、ステレオ・マスターテープにあったものだ」と。???。どうもよーわからん。

 (今回の)リミックスの段階で混入したらしい、ということは、やっぱり大元のオリジナル・マスターには入っていない? そうであってみれば、僕手持ちのAD1993年盤、CD1985年盤には入っていなくて当然である。AE86さんからの報告も同様の結果になっている。

 ともかくも、あの「涙の乗車券」はピンク・フロイドが意図して入れた音ではないことだけははっきりしたようである。作り手が作り手だけに、聴き手は深読みしてしまうのである。「何を意図しているのだろうか」と。ピンク・フロイドですもんねえ、僕もそう思いました。正体はと言うと、何のことはないラインクロストーク、或いはRF混入だったらしい。

 「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」

’03/06/23 (月)

いつまで


 今日もまたディジタルハイヴィジョン放送でプロ野球中継を見た。大きく綺麗な映像に中毒気味である。

 先日の放送はK子園から、今回は東Kドームからの中継である。どちらも画は文句無し、極めて高精細、高解像度、非常に明るくしかも強調感のない、恐ろしく自然なものである。ハイヴィジョンの威力は凄い。特にN○KのHD放送は、一頭地を抜いて美しいのである。

 惜しいのは音声だ。場内歓声、アナウンサー、解説者の声、すべてややハイ上がりでうるさい。歓声とアナウンスのレベル差が少なく、場内のライブ感を味わうべくボリュームを上げると声がバカでかくなりグワイが悪い。音声切換えで場内歓声のみにするとかなり良くなるが、それでもまだハイ上がり。ちょっと不満が残るのだった。

 しかし、放送アナウンス無しの状態でボリュームを上げた時のサラウンド感はなかなか良い。特に場内アナウンスの音場感は快感である。ドーム内に響きわたる感じがよく出てライブ感抜群、観客に同化してしまいそうな感覚である。大画面大音量の支配力は圧倒的だと、今さらながらに感じるのである。

 音場感ではK子園を上回る。青空天井の甲S園、閉じた空間のT京ドーム、それぞれで音場感が違うのは当然のこと、だが、それがある程度再現されるのは興味深いのである。野球そのものを楽しみながら、VA的にも見所聴き所がたくさんある。これはとってもシアワセなことである。

 さて、贔屓の某球団は、同一カード連勝をキメてくれた。野球ネタで日誌を書けるなんて、ワタクシは夢にも思っていませんでした。こんなこと、いつまで続くんでしょーか。8月17日の試合が終ったその時、まだ今の位置でいたならば、少しは信用できる、かな?

 全日程終了まで安心できないのが、某球団ファンの性なのである。

’03/06/22 (日)

買いそびれ


 「涙の乗車券」ナゾ解きのカギになる、ジェームズ・ガスリーのインタビュー記事が載った「ストレンジ・デイズ」というロック系音楽雑誌(ムカシでいうと『ニューミュージック・マガジン』みたいな雰囲気である)の7月号を、今頃買いに行ったところであるはずもない。ことに気が付いたのは本屋さんへ行ってからである。だって、6月の下旬ですものね。

 あったのは写真の如く、8月号である。これじゃ仕方ないと一瞬思った、が、よく見るとレッド・ツェッペリンの特集が組んである。これは面白そうだと、読んでみることにした。

 未発表映像を集めたDVDと、未発表ライブCDが発売されるにあたっての特集である。ジミー・ペイジの最新インタビューや詳しいアルバム紹介などが載っていて、これはこれで非常に面白かった。

 DVDは「LED ZEPPELIN DVD」(日ワーナー WPBR-90188〜9)と題された2枚組み、CDは「HOW THE WEST WAS WON」(日ワーナー WPCR-11585〜7)の3枚組みである。それぞれ6,000円と4,200円。わりとお買い得である。たぶん海外では既に発売済み、特に珍しいものではないはずだ。だが、ファンにしてみれば内容はヒジョーに興味深いものだろう。僕はDVDだけ買ってみようかしらん。ライブ「永遠の歌」収録の演奏よりも出来の良い「天国への階段」が聴けるそうだから。

 ところで、買いそびれた7月号は? どーしても読みたいので、オンライン通販でバックナンバーを頼んだ。謎解きはそれからですな。

’03/06/21 (土)


 謎めいた「狂気」のラストシーンだが、やはりそのスジのエンスージアストはいるものである。「涙の乗車券」が入っている(入ってしまった)ものとそうでないものの2種類が存在するらしいことが分かってきた。まだ決定的とは言えないので、また改めて報告したい。

 今日の写真は「狂気」に次いで1975年9月5日にリリースされた、同じくピンク・フロイドの「炎」(原題:WISH YOU WERE HERE / 英HARVEST SHVL814)である。「狂気」は1973年3月の発表だから、2年半ぶりのニューアルバムだったわけである。

 当時既に「狂気」は大ヒットしていた。RIAAによって1973年度全米最大売上のあったアルバムに認定されたほどである。が、まさかビルボードTOP200に850週15年以上チャートインするほどの超々ロングセラーになろうとは誰も予測しなかったはずだ。

 今となってはその前に霞んでしまう「炎」も、発表当時は非常に高い評価を受けていたのである。アルバム発表に先駆け、全曲をコムプリートに演奏したライブコンサートの海賊盤が、ひと月で6万枚売れたというエピソードがあるくらいだ。売ったヤツはさぞ大儲けしたことだろう。

 個人的にはこの「炎」のほうが好きである。よく指摘される通り、効果音の使い方が凡庸で深みがないキライはある。思索的でない、示唆的でもない、フロイド(当時のエンスーはこう呼んだ)は堕落した、と。僕にはその「凡庸」さが理屈っぽくなく感じられ、より楽しめるのである。「ロック界の講釈タレ」ピンク・フロイド、僕はちょっとニガテなのである。「エコーズ」なんか全然聴けない。エンスーさんに叱られるのである。

 「狂ったダイヤモンド」の冷たく研ぎ澄まされた楽曲はすばらしい。特にデイヴ・ギルモアのギター。ロックファンなら絶対に聴いておきたい名演である。表題曲「WISH YOU WERE HERE(あなたがここにいてほしい)」は、僕にこのアルバムを買わせた名曲だ。ロイ・ハーパーの枯れたボーカルも味わい深い。

 買ったのは1978年4月7日。高校2年生になったばかりのころである。16歳。それからもう早25年、今も聴き続けているのだから、これもまた息の長いアルバムなのである。

 ジャケットデザインは「狂気」と同じくヒプノシスである。工場の通路のような場所で握手する二人の人物、向って右の男は「炎」に包まれている。裏ジャケットには砂漠で透明のレコードをこちらに示す透明人間、インナースリーブ表は風に踊る真っ赤な炎、裏には湖面に突き刺さった人の姿。スリーブに穴が開き、水が噴き出している。地、水、火、風の四大を暗示しているのだろう。

 内容はさほど暗示的でないとされながら、ジャケットは「狂気」より余程示唆的である。却ってイメージを固定化してしまう感あり、か。

 「おせっかい」に過ぎたかな?

’03/06/20 (金)

劣化

 昨日のうちから今日は何を書くか決め、ネタを仕込み、写真を撮る準備もし、これで安心。と思ったら突然スイッチが切れてしまった。気が付いたら朝だった、という笑えない話である。

 40(歳)代は働き盛り、とはよく聞く言葉である。その年代になってみると、どうやらその言葉の正体がわかってきた。「働き盛り」ではなくて「働かされ盛り」なのである。好むと好まざるとに係わりなく、否が応でもそうせざるを得ない状況に追い込まれるのが40代であるらしいのだ。

 僕の感覚からすれば、本当の働き盛りは20代後半〜30代前半くらいではないかと思う。瞬発力、トランジェント、スピード感、切れの良さ、フットワークの軽さ。40代になればすべての点で劣化し、にもかかわらず分を超えた責任や仕事を果たさねばならなくなるのはツライ。鬱状態になる人が多いのもこの年代。わからないでもない。

 ウチの先代は68歳で隠居した。僕はそれより10年早く隠居することを目標にしている。僕が58歳になれば愚息1号は28歳。うむ、ちょうど良いのである。

 そんなにウマく行くのかしらん。

’03/06/19 (木)

作品第1番


 パッチワークが人気であるという。昔の着物など、古着の生地が高値を呼んでいるという話も聞いた。これもまたマニアックな世界なのである。

 愚妻の知り合いにその筋の名人さんがいて、その人の展示会に出かけたのがきっかけになったらしい。春のかかりから夜な夜なチクチクチクチクと、な〜にをやっているのかと思っていたら、3ヶ月以上を費やし遂に完成したのが写真のパッチワークバッグ1号である。

 小さな布を縫い合わせ、裏地との間にキルト綿を挟み込み、一針一針縫って行くのだそうな。ミシンはNG、全部手縫いでないとイケナイらしい。ご苦労なことである。ああでもないこうでもないとブツブツ独りごちながら生地を縫っている愚妻の姿を見て、この風景、どこかで見たような気がした。

 こりゃオイラがスピーカー工作するのと同じなのである。ブツブツ独り言を呟きながら、クギをガンガンバンバン打っている姿そのままである。自分でデザインし、自分の用途に応じたものをオリジナルに創り出す。その楽しさは、互いに相通ずるのである。出来上がったときの喜びもまた一入、多少グワイの悪い部分があってもご愛嬌。どーだ、自作の楽しさが分かったか。

 「次は夏向きのバッグを作ろうかな」と彼女は言う。ちょっと待て、完成までまた3ヶ月かかるのならば、もう秋になっちゃうよ。

 「来年」の夏向き、ね。ナルホド、計画は遠大壮大なのである。

’03/06/18 (水)

ナゾ


 である。「狂気」のラストトラック「ECLIPSE」フェイドアウト部分で聴こえる「涙の乗車券」。実は、今回ギルビーさんにご指摘いただくまで、気が付かなかったのである。ちゃんと聴いていない証拠である。お恥ずかしい。

 早速先日買ったSACD盤で確認してみた。間違いなく入っている。トラック10、1分40秒あたり、独り言をいうオジサンのバックからすでに聴こえ始め、1分58秒あたりから更に明瞭になる。CDトラックでも同様である。う〜む、何となく別の音が聴こえているような気はしていたが、これが「涙の乗車券」だったとは。

 ADのほうも聴いてみる。これが、あっ、なんということだ、聴こえないのである。SACD盤と同時に買った30周年記念盤(2003年盤)も、1993年盤も聴こえない。入っているのが聴こえない、のではなくて、元々入っていないような感じ。いや、ウチのAD環境がヘタレなのかもしれない。それなればと、もう一発確認。1985年に買ったCD国内盤である。こいつはどうだ。

 聴こえない。全く聴こえない。このCD、もとより情報量が少なくあまり褒められたものではないのだが、その所為だけとも思えない。要するに、最初から入っていないふうなのである。う〜む、よーわからん。

 盤によってフェイドアウトのタイミングがまちまちであることも気になる。SACD盤が一番緩やかで長い。CDトラックも同様である。AD2003年盤もほぼいっしょ。AD1993年盤はちょっと早めに切れる。一番早く切れるのは1985年国内盤CDである。

 オリジナルマスターテープには入っているものが、条件の違いで聴こえたり聴こえなかったりするのか、或いは入っているものとそうでないものの2種類が存在するのか、今のところ判然としない。

 ピンク・フロイドには極めてコアなマニアさんたちが存在すると聞く。そういう人たちに尋ねれば、事実が判明するかもしれない。

 実はちっともナゾじゃなかったりして。

’03/06/17 (火)

まだワカラン


 友達謹製WAGC支持器3号機の続報である。何だかずいぶんとパーツが増えているような気がする。これってどんなものになるのだろうか。空間認識能力が著しく欠けている僕には、想像するのが困難なのである。

 それでも無理矢理イメージしてみるというと、ハシゴのような形にも思える。ケド、多分違うだろーなー。このパーツの数からして、もっと複雑で楽しくなるような構造だろう。期待感が高まるのである。

 さて、斯くも複雑怪奇な3号機を作ってもらい、僕はそれをどこに使うつもりなのか。ふっふっふっ。それはナイショである。

 もうバレてるって。

’03/06/16 (月)

フラッターエコー


 ディジタルハイヴィジョン放送を見られるようになり、多少なりともプロジェクターの稼働率が上がっている。当然のことである。特にプロ野球中継は楽しい。元々大阪人の僕としては、万年最下位某球団の異様な好調が嬉し(恐ろし)い。ハイヴィジョン中継があるときは真っ暗闇の箱船で、独りニタニタ見ている。変人である。

 Vを見る時、気になるのは迷光雑光である。特に箱船は壁も天井も白なので、締まった黒の再現には極めて不利である。暗い内装は好みではなく、そうなることを承知で白にしたわけだが。

 そこでスクリーンに一番近い左右の壁だけには、写真の如く暗い色のカーテンを引けるようにしてある。理想的には真っ黒が良いのだが、これも僕の趣味で濃い赤のカーテンである。

 これを引けば、壁からスクリーンへの照り返しがぐんと減り、映像S/Nが上がり黒が締まってくる。随分と違うのである。対向する壁間でのフラッターエコーが消えるという、副次的作用もある。

 Aだけを聴くときには常時開放状態である。カーテンは引かない。つまり、フラッターエコーが出っ放しの状態である。スクリーンの直前に立ち手拍子を打てば、ビンビンとフラッターエコーの嵐。にもかかわらず、リスニング・ポイントではカーテン無しのほうが音に潤いと艶がある。カーテンを引くと、確かに静かな感じにはなるが、妙にデッドでカスカスした音になってしまうのである。

 部屋のライブ/デッドを調整するのは極めてムツカシイ。吸音材や音響トラップを多用し、響きを抑えることはできても、残したい音までネグってしまうことが多い。と言ってライブなまま打っ遣っておくのも上手くない。テキト〜に好い加減に、というのが一番だが、そこの頃合がなかなか見つからないのである。

 ○○の考え休むに似たり、僕はあまり考えないようにしている。せいぜいカーテンを開けたり閉めたりするくらいが関の山だ。以前は天井にフェルトや不定形の反射板を貼り付けようか、などと思ったこともあった、が、モウヤメタ。どうやら僕は、多少の不味さはあってもライブな音を好むのである。

 に、しては箱船はデッド気味。上手く行かないのである。

’03/06/15 (日)

蛍に何を見る


 村内の川で蛍がたくさん発生していると聞いた。歩いて5分ほどの川べりである。蛍が村の話題になるのも珍しいことである。それほど多いのかと、早速蛍狩りに出張ってきたのである。

 時間は午後8時頃から。ちょうど今日は昼からの雨が夕方になって上がり、気温はさほどではないが湿度が高く、まずまずの蛍日和だ。

 幅5mもないような小さな川の周囲に、群れをなして蛍が飛ぶ。正確な数は判然としないまでも、おそらく数百匹、あるいは千匹以上に達していると思われる。緑色とも黄色とも映る儚い光を発しながら、ふわふわと闇を飛ぶ蛍。この景観は見事である。

 デジカメで何とか撮れないかとがんばったが、とても不可能である。仮に高性能デジカメ、或いは銀塩カメラで長時間露光撮影したとしても、この景観の凄さをお伝えすることはできない。もちろん動画でも無理である。

 川の流れる音、田んぼで鳴くカエルの声、雨と土の匂い、吹いてくる風。これらが渾然一体となって蛍のステージを作っている。これはライブでしか味わうことのできない「場」である。

 今日見られた蛍は、ゲンジボタルである。学名Luciola cruciata。♂で10〜12mm、♀が18〜20mmの大型種である。幼虫はカワニナという淡水性の巻貝を餌として育つ。発光するのは成虫のみならず、幼虫はもちろん卵も孵化期に近づくと発光する。♂のほうが体は小さいが光は強い。発光器が大きいのである。

 東日本と西日本の蛍では発光点滅の間隔が違うことを、最近まで僕は知らなかった。東で4秒、西で2秒だそうである。中部日本では3秒程度のところもあるというから面白い。何故にこうなっているかはよくわからないのだそうな。実に不思議である。糸魚川−静岡構造線(フォッサマグナ)を境に50Hz帯と60Hz帯に分かれているAC電源周波数の影響、なわけはないのである。

 幼虫は極めて貪欲であるに対して、成虫は10日間ほどの短い寿命の間、水以外はほとんど何も食べない。繁殖行為のためのマーカーである発光を只管に繰り返し、パートナーを得て次の世代に命を繋ぐ。それがまっとうできれば、後は粛々と死んで行くのである。

 儚い光と儚い命。その光景に、僕は何を見るのだろうか。

’03/06/14 (土)

次作はどんなカタチ


 さて、写真は一体何でしょう? あざといことを言うまでもなく、すでにお分かりだろうと思う。またまた友達の厚意によって、只今製作中のぶらんにゅーWAGC支持器である。

 これらのパーツがどのように組み合わされ、どんなカタチの支持器が完成するのか。それは僕にも未だわからない。友達曰く「今度は前作よりさらに『使って楽しい見て楽しい』支持器にするつもり」と。その狙いはすでに成功していると言って良い。だって、この写真だけで、僕はもうすっかり嬉しくなっているのだから。これからどんなものが出来上がるのか、ヒジョーに楽しみである。

 これが支持器3号機になるわけである。回を追うごとに複雑でメカメカしくなって行く。僕個人としてはとても喜ばしいこと、だが製作者はであるところの友達は、さぞ大変だろうと思うのである。ただの真鍮板や棒から一つ一つパーツを作り出すのである。僕には到底無理だ。できることと言えば、彼に請われるままピンジャック取り付け寸法などを知らせるのみである。

 「僕自身が楽しんじゃってるからね、なんにも気にすることないよ」と彼は言う。その言葉に甘え、アホがメシを待つかの如く、僕は眤としているのである。平身低頭。ありがとうございます。

 ワクワクしながら、完成を待つのである。

’03/06/12 (木)

苦肉の策

 時を知るのは花ばかりではないようだ。昨日夕方6時半頃、ノラネコ(♂)にマーキングされた車を洗っていたら、山の彼方から「カッコー、カッコー」の声が聴こえる。そう、今年もまた渡りの羽を休めに立ち寄ったか、カッコウである。

 昨年は何時聴いたかと過去日誌を繰れば、それは6月11日早朝だった。時間帯は違えども、正に同日である。渡り鳥は正確無比な体内時計と地図情報を持つと言われる。ここは渡りのコースに決まっているらしい。

 昨年も書いたように、カッコウはホトトギスと同じ杜鵑(とけん)科の鳥である。この種は「託卵」という面白い習性を持っている。ヨソの巣に自分の卵を産みつけ、自分は一切子育てをしないという、とんでもない習性である。迷惑にも無理矢理仮親にされるのは、カッコウ(ホトトギス)のテリトリー内にいるホウジロ、モズ、オオヨシキリ、オナガなどの鳥たちである。

 無体な仮親に選ばれるだけでも充分迷惑な話だが、それだけでは済まない。産み付けられたカッコウの卵は、元々あった仮親の卵よりも先に孵化し、それらをすべて巣から押し出してしまうのである。孵化直後の雛の背中には、ご丁寧にも卵を載せ易いように窪みがあるというから徹底している。仮親より も大きく成長するカッコウにとって、餌を独占しなければ成長できないからである。

 通常託卵される卵の数は1個である。たまたま2羽のカッコウが同じ仮親を選んだりすると、同じ巣の中で2羽の雛がほぼ同時に孵化する。こうなるとたいへんだ。押し出す相手は仮親の卵のみならず。雛同士、生き残りをかけて熾烈な闘いが始まるのだ。どちらかは巣から落下し絶命することになるのである。

 人間の目で見れば如何にも傍迷惑な、或いは利己的な習性なように感じられる。一般的にも性悪な鳥だと解釈されているようだ。だが、これにはちゃんとわけがあるのだ。けっして子育てをいやがっているわけではないのんである。

 杜鵑科の鳥は、他に比べて進化の遅れた原始的な鳥である。体温調節機能が未発達で、外気温に大きく左右される。よって、抱卵しても孵化に必要な温度を維持することができない。それを補いながら種を保存してゆくために身についた、苦肉の策なのである。

 カッコウとて、好きこのんで託卵を企んでいるのではないのだった。

’03/06/11 (水)

クオリア

 ソニーがちょっと面白い製品シリーズを出すようである。掲示板にあらたにさんからメッセージをいただいた。ありがとうございます。早速ネタに頂戴してしまうのである。

 「QUALIA」と名付けるその製品群、先ずはQ004、007、014、016という4つの製品からのスタートである。

 Q004はフルHD SXRD(Silicon X-tal Reflective Display)パネル(?)搭載の高級プロジェクター(2,400,000円)、Q007はアンプ内蔵型SACDプレーヤーとスピーカーシステム(800,000円と700,000円)、Q015は高性能直視管モニター(1,300,000円)、Q016は超小型高性能デジカメ(380,000円)という内容である。

 どれも性能は良いのだろうと思う。写真を見ても高級感バリバリ、どこにでもあるモンじゃないですよといったソニーの意気込みが見える。価格設定も(上方へ向いて)破格である。

 4つの中でちょっと気になるのは004である。プロジェクター。「フルHD SXRDパネル」とは一体ナニモノだろう? 「ピュア・キセノンランプ採用」とあるところを見ると、液晶プロジェクターの仲間だろうな。「 映画ソースをシネフィルムのような画質でご覧頂くことのできるホームシアター用プロジェクター」とも書いてある。240万円とシリーズ中最高価格だが、もしこれが三管式をも遥かに凌ぐような画を見せるのならば、決して高くないと思う。1252QJ/250万円、G70/280万円、だったのだから。

 016には驚いた。写真を一見しただけでは何だか分からない。よ〜く見るとそれは69.1W×24.0H×16.8D(mm)、重さ50gの超小型200万画素デジカメである。昔々少年誌の通販にあった「スパイ・カメラ」みたいな感じである。「スパイ大作戦」にでてくるライター型カメラのようだとも言える。これが38万円。う〜む、いろんな意味でスゴイのである。

 今日(6/11)、QUALIA東京が銀座のソニービルにオープンする。7月下旬には心斎橋ソニータワーにQUALIA大阪が開くそうだから、いっぺん見に行ってみようかな。

 ちょっと場違いな感じも、あるわけだが。

’03/06/10 (火)

コレクターズ・アイテム


 掲載ソフトを整理する、と言いながらまたぞろ載せていたのでは自分の首を締めるようなものである。されど今日もどんどん書いてしまうのである。

 「Queen/A Day At The Races」(英EMI 7243 4 99462 1 7)である。邦題は「華麗なるレース」。優秀録音盤でもなく、話題作でもなく、しかも27年前のタイトル(1976年12月発表)。こんなものをわざわざ掲載するとは、何か重大な意味があるに違いない。

 いえ、特に意味はございません。ただ、海外ショップのwebページを覗いていたら、「EMI THE MILLENNIUM VINYL COLLECTION」と銘打ったこのタイトルが載っていて、これは面白そうだと買ってみただけのことなのである。僕はQueenのファン(ライブ・キラーズまで)です。

 「Original Packaging / Virgin Audiophile(180gm)Vinyl Pressing / Heavy Quality Sleeves / Analogue Cutting from Analogue Tapes」とステッカーに謳ってある。それなりにこだわった復刻盤、というところか。実際に持ってみてもズシリと重い。ただ、クラシック・レコーズの180g盤、200g盤とは少し質感が違う感じがする。反りが大きいのも気になるところである。

 '77年1月に買った日本盤に比べると、音はかなり良い。レンジは広いし歪みが少なく、音に実在感がある。ディジタル・リマスターされた最近のCDに比べても上回っていると感じた。但し、元が元なので優秀録音盤とは言えないと思う。

 個人的にはとても懐かしいレコードである。27年後にこうして音の良いバージョンを聴けるのは嬉しい。要するにこのレコード、Queenファンのコレクターズアイテムという色が濃い。サウンド・マニア向けでないことは確かなのである。

 「QUEEN II」も復刻してくれないかしらん。

’03/06/09 (月)

基本形は青


 ここしばらくの間、よく晴れている。今日も朝からピーカンである。しかしこの天気、今日でおしまいだそうだ。明日からはいよいよ梅雨のハシリが始まると言っている。

 そうなれば喜ぶのはこの花である。紫陽花。雨の季節を予感するように、時期が来ればちゃんと咲くのである。まだ色が薄く花も小さい。明日から雨が降れば、水を吸い上げぐんぐん大きくなるだろう。

 一昨年にも紫陽花のことを書いたはずと過去日誌を見たら、'01年5月31日だった。今年よりも10日ほど早く、しっかりと大きな花が咲いている。「下旬になって雨が多かった」というからその所為か。

 不思議なのは花の色である。一昨年は青色。今年はどう見ても紫色である。同じ株なのに、何故色が違うのだろうか。去年、チョンチョンに剪定したのが原因かなあ。

 植えられている土壌のphでも色が違うという話は有名。リトマス試験紙みたいな花だ。その伝で行けば「酸性で赤、アルカリ性で青」になるはず、だが紫陽花は逆である。酸性土壌で青、アルカリ性土壌で赤の花が咲くそうだ。ちゅうことは、ウチの庭が土壌変化を起したことになる? 多分そんなことはない。紫陽花は咲き始めから終わりまでに、色が変わるのである。

 ここは基本的に赤土の土地である。つまり酸化鉄を多く含んでいるわけで、どう考えても酸性土壌である。「紫陽花は青」が基本形、今年の花もあとで青に変わるに違いない。

 酸性の土地とアルカリ性の土地。この違いでオーディオにも影響があったりして。そのうちオーディオ店に並ぶのである。

 オーディオに適した土壌を作ります。オーディオ用土壌改良剤『ソノ・ソイラー』。

 ソナモンイラーン。

’03/06/08 (日)

大きなノッポの


 ではないけれど、古時計であることは間違いない。米イングラハム社製の柱時計である。この型は、明治8年(1875年)に初めて輸入された『四つ丸時計』というのだそうな。通称「ダルマ時計」とも。写真のものはその中でも金箔押しのタイプで、当時としては高級機にあたるらしい。

 短針長針、振り子には如何にもレトロな意匠が施してあり、実に良い雰囲気をカモシ出している。1934年頃まで(59年間!)製造が続けられたというから、これが何時頃製造の物かはよく分からない。ワンオーナー(ちゅうか家代々ちゅうか)であることは確か、おそらく明治後期から大正初期くらいではないかと。それにしても凡そ100年、正に古時計である。

 友達のN君が「とうとう動かなくなっちゃった。これの音が聞けないと、何だか寂しいんだよね〜」と言う。僕はご存知の通り古時計のリペアマン、ではなくてただのドシロウトである。ウチの精巧舎製古時計をリペアしたことがあるだけだ。精巧舎だけに成功しました。何ゆってるんでしょうか。

 そこでモノは試しと修理に挑んでみるのである。「パーツが健全であれば直る可能性大、しかし1個でも破壊していたらシロウトレベルでは諦めてくれ」と先に言い訳をしておいて、分解作業にかかった。

 針を外し、文字盤を外すと、全真鍮製の重厚なムーブメントが現れる。意外にシンプルな構造である。以前修理したヤツとほとんど変わらない。注意深く調べて行くと、パーツの破壊はないようだ。沢山ある大小のギアはまったく磨り減っていない。運針用、時報用のゼンマイも健全である。再起動の可能性は高い。

 振り子の負荷がかかっているカム様のパーツを外すと、一杯に巻かれていたゼンマイの動力が解放され一気に全歯車が動き出した。この時計は8日巻きである。それが約5分ほどで解放終了したわけだから、実に2,304倍速回転である。ヨシ、これなら動くぞ。

 カムにこびり付いていた古いグリスオイルを綺麗に拭き取り、各歯車も軸受けと共に掃除する。綿棒、アルコール、それにCRC‐556を併用するわけだ。その後改めて注油し、ゼンマイを巻いて2,304倍速回転を3〜4回繰り返す。オーディオで言うなら、ガリの来たボリュームをグルグル廻してセルフクリーニングするようなものである。

 ムーブメントむき出し状態で、振り子だけを付けて試運転。時を刻む「チクタク」の音、ゼンマイを巻く「カリカリ」の音。とても軽やかで力強くなった。数分で止まっていたという振り子は1時間経っても順調である。

 ちゅうわけで、写真は健全に動くイングラハム四つ丸時計の勇姿である。修理大成功。時を告げる音は「じぼわんじゃん、じぼわんじゃん」(by 萩原朔太郎)と響いて明治の洋館を想起させる。さすが舶来品、ウチの国産品とは一味違う。オイラも欲しくなっちゃったな。

 上手く使えば更に100年くらいは動きそう。恐るべき長寿命である。

’03/06/07 (土)

錯綜電線


 ここのところ新しい機器が増えた所為もあり、ケーブルが錯綜気味である。写真の如く、特にP‐700裏側が酷いことになっている。自分で繋いでおいて何が何だか分からない。これでは音に影響が出るのも必定。どうにか改善しなければならないのである。

 現状、プリアンプに繋がっている機器は入力で4つ(アナログヘッドアンプ、SACD、DVD、LD)、出力で2つ(パワーアンプ、チャンネルデバイダ)である。大掛かりなように見えて実はそれほど複雑ではない。なのにこの錯綜ぶり、これはもう僕の機器レイアウト能力のなさを物語っているとしか言えないのである。

 こんなヤツが、例えばAVプリなどを使用に具し、本格的なマルチチャンネルサラウンドなどに手を出そうものならどーなるか。結果は自ずから知れるのである。あっちこっちでケーブルがこんがらがり、ついでに頭の中もこんがらがって、まともな音など絶対に出ないことは間違いない。あなおそろしや。

 ラックに収まりきらず外へはみ出している機器もあることだし、ここに来て設置レイアウトの変更が必要になってきたようである。う〜む。

 あまり気が進まない理由は大きく言って二つある。一つには、馬鹿馬鹿しい話で単純にメンドクサイから。もう一つは、わりとマジメな話である。機器を動かすと音が変るから。置き場所を変えてしばらくは音が落ち着かないのである。

 永く設置変更をしていないことが、現状の音を実現させている大きなファクターの一つだと思っている。頑丈なラック、床とは言え、機器の設置面(つまり脚の裏側)との間にはかなり不確定要素が大きい。フェルトやゴム、仮にそれらがなくとも床には塗膜がありラックは木、常に不安定な介在物があるわけだ。機器構造全体に目を遣れば、話は尚更に複雑である。

 凹むべきはヘコみ、歪むべきは歪み、クタビレるべきはクタビレたとき、ストレスの少ないスムースな音が実現できる。これは僕の経験則である。

 んだば一生死ぬまでこのレイアウトで押し切るのか。そんなことはできないから、やっぱりめんどくさくても音が変っても、やらねば遺憾のだろうなあ。先ずはP‐700をラックの外へ出すことから始めるか。

 昨日に続き、今日も整理整頓ネタでありました。

’03/06/06 (木)

掲載ソフト整理

 いつも戯言を読んでくれている友達から一つのアドバイスがあった。これまでに日誌で話題にしてきたソフトの一覧ページを作ってはどうか、という提案である。いや、実は僕もそれができれば良いなあと考えながら、めんど臭えと打っ遣っていたのだった。ありがたいアドバイスである。

 何かの拍子にソフトを探そうとしたとき、今のままでは思い当たる掲載時期を辿ってゆくしかなく、ヒジョーに不便である。皆さんにできるだけ快適に閲覧いただきたい、というのが第一の目的であるのはもちろんのこと、キチンと整理しておくことは僕にとっても極めて有意義である。過去に紹介したソフトを戻りネタにする時、探し出すのにいつも一苦労するからである。自分で書いておきながら、それが何時だったか定かではない。いい加減なのである。

 そこで作業開始。まずは過去日誌を一つ一つあたって行くことからである。しまった。やり始めてすぐに後悔した。思った以上に沢山あるのダ。

 ソフト紹介第一号は'00年12月14日、「竹」(仏 shooting star CD BAMBOO)である。今のところ'01年11月28日まであたり、その総数54タイトル。全部拾い上げても30タイトルくらいで済むかと思っていたのに。先月末まであと18ヶ月分、100タイトルにもなったらページレイアウトに困るじゃないか。

 要するに、ネタに困ってソフトへ逃げているのがバレバレ、という笑えない話なのである。塵も積もれば山となる。戯言は積もれば邪魔になる。整理して初めて知る、己が安っぽさ、である。

 僕のソフト評価なんぞ屁のツッパリにもならん。が、単なる番号調べやジャケット調べ程度になら具していただけそう。もしかしたらお役に立てることもあろうかと、拾い出しが済み(何時のことでしょう)次第新しいページをアップしたいと考えている。

 問題はページデザインである。ただダラダラと羅列しても意味がない。時系列で行くのか、レーベル別にするのか。便利で瀟洒なものを作れるようなセンスなどあるはずもなく。

 取り組んでおいて、どうすべえかと頭を抱えて悩むのである。

’03/06/05 (水)

往年の名機


 昨日はまたしても無断休載してしまいました。御無礼なことで、申しわけございません。どうかご容赦のほどを。

 さて、今日の写真は、先日知り合いから貰ったLDプレーヤーである。パイオニアLD-S1。彼の有名なLD-X1以前の高級機である。いつの発売か、定価はどれくらいだったか、よく知らないので検索してみた。

 1986年発売、定価250,000円だったそうだ。この発売時期では僕が詳しいことを知らないのは当たり前。この頃はV方面への興味が皆無だったのである。

 当時としては最高の技術を投入した最新鋭機である。実際、ルックスには独特の高級感が漂っている。脚も真鍮削り出しが付いているし、持ってみると非常に重い。計ってはいないけれど、おそらく20kgくらいはあるだろう。実にしっかりできている。

 1986年といえば既に17年前、太古の昔という感じである。デザイン、レイアウト、FL表示が必要以上に明るいことなど、さすがに時代を感じさせる。ホームシアター黎明期、部屋を真っ暗にしてプロジェクターで投影するのは、まだ一般的でなかったのである。

 MDP-999(これも太古プレーヤーですな)の調子が非常に悪いので、今後はこれを使うことにする。といってもほとんど出番はないわけだが。それでも時々は古いLDを見たいことはあるわけで、その時には大いに役立ってくれるのである。

 久しぶりに見るLDは、とても懐かしかった。走査線は目立つしカラーノイズも多い。解像度もほどほど、DVDにはとても敵わない。しかし、観るに耐えないというほどでもない。これより悪いDVDソフトもある。それに、何と言っても音が良い。馬力、切れ、押し出し、透明感、全ての点で音だけはLD圧勝。かなり良くなったと思っていたDVDの音だが、この音を聴いてしまうと寂しい感は免れない。

 「アポロ13」のロケット打ち上げシーン、「逃亡者」のバスと列車が衝突する場面、「フォレスト・ガンプ」ベトナムでの戦闘シーンなど。凄い凄い。Vマニアというよりはサウンドマニアの僕にとっては最高である。DVDの映像にこの音がつけばどんなに良いだろう。

 未だにLDファンは多く、LD-X1、LD-X0などを大切に使っていると仄聞する。さもありなん。完全に捨ててしまえない魅力が、LDにはまだある。

’03/06/03 (火)

巻く、か


 FOSTEXのAGCである。写真はwebページからお借りしました。ありがとうございます。

 ご存知の通り、WAGCシリーズに使われている銅銀合金φ2.6単線だ。これを一般ユーザー向けに発売してくれたのは、英断であると思う。さすが自作のFOSTEX、面目躍如である。

 元素記号からのネーミングだろうか。「AG」はそのまま銀、「C」は銅(Cu)のC、では完成品の頭にくっつく「W」は何かと言えば、それはタングステンである。

 タングステン。原子番号74、原子量183.84、元素記号W。名前の「tungsten」は「重い石」という意味のスウェーデン語から来ている。融点は3,380℃と極めて高い。よって白熱電球のフィラメントに使われる。溶断しにくいわけである。密度は19.3g/cm
3(20℃)と単位容積での質量が非常に重く(金19.3、鉛11.342)、しかもおそろしく硬い金属である。炭化タングステン(タングステンカーバイト)はダイヤモンドに次いで硬度が高く、金属加工用の切削刃として重宝される。

 この金属を粉末様にし、樹脂に練りこみ薄く成型したのがタングステンシートである。鉛素材に代わり、遮音制振を目的とした建築素材、レントゲン写真撮影時のX線遮蔽防護素材などとして開発されたものと聞く。

 この素材に目をつけたFOSTEXは偉い。存在を知ってから捜すのは極めて簡単だが、星の数ほどある素材の中からこれだけを選び出すのは、正に天文学的作業である。遮音制振。正にオーディオ向きである。

 さて、本題に戻ってAGCである。これを仕入れて久しぶりにケーブルを自作しようかと考えている。どんな構造にするか思案投げ首、得意の6NCuコードと同じ、ではあまりにも芸がない。WAGCを聴くとタングステンシートの効果は絶大であるようだ。良いものはすぐにマネするのが僕の流儀である。それなれば、ここは一丁オイラも使ってみましょう。

 仮にそうしたとしても、WAGCのレベルには到底及びもしないことは分かっている。自作であの音を超えるのはもちろん、単に実現させるだけでも無理。残念ながら絶対不可能である。そこを承知しながら、以前から使っている自作ケーブルより良い物ができれば、それは大いなる幸い。以前の作を超えることを目標に据えるべし。

 キーパーツはタングステンシート。後は、う〜む、やはり偏執的「巻き」作業でしょうか。

’03/06/02 (月)

後悔しない人


 詳細な事前調査を行い、綿密な購入計画を立て、千思万考したうえ決めた結果、やはり別のものにしておけば良かったかと悩むタイプ。一目見ただけで購入決定、他のものには目もくれずその後も全く後悔しないタイプ。僕は完全に後者である。

 昨日の如く、琴線に触れる機器がリリースされる度、おめでたいこと甚だしいのである。買えると買えざるとにかかわらず、ピンと来る物が出てくると嬉しくて仕方ないのだった。

 思いつくままに挙げてみれば、CDX-10000、GT-CD1、DP-85、C-280V、DVD-H1000、P-700、B-2302、これら全て「見た(聴いた、ではない)瞬間欲しいと思った」ものばかりである。

 聴かずに見ただけで買ってどうだったかと言えば、まったく後悔していないのである。良いものを直感的に見抜く目がある、のならばヒジョーに格好の良いお話である。残念ながらそうではないと思う。欲しいものが手に入ったのを、ただ欣喜雀躍するばかりである。

 このノウテンキなおめでたさが、僕のオーディオ原動力になっていることは間違いない。極めて単純だが、極めて幸せな御仁である。確かに幸せ、であるが、中にはしくじりもあるのだからリスクは高い。その時はまたノウテンキに「ま、仕方ないね」と諦めるだけである。これじゃリスクになっとりませんな、実際。

 性分である。今後も改善することはできないだろう。こんなんだからこそ箱船が実現できたとも言えるわけだ。原動力は結構、だが決して自慢にはならないし、間違っても「さあ、皆さんもご一緒に」などとは言えないのである。当たり前だね。

 こういう輩の本当のリスクは、お金がちっとも貯まらんこと。極めて遺憾である。

’03/06/01 (日)

次の標的は


 コレである。と、書くだけなら自由簡単出費ナシ。夢を失いたくないので、言うだけは言わせてくだせえ。今月末発売予定の新しいパワーアンプ、アキュフェーズP-7000である。

 M-8000のステレオバージョンにしてP-1000の後継機種にあたる。型番、デザインからするとP-700のグレードアップ版とも取れそうである。8Ω負荷時125W/ch、1Ω負荷時1,000W/ch(音楽信号に限る)。208ES2発(4Ω)使用の箱船環境では250W/chの出力が得られる。ゲインは28dB、アキュフェーズのパワーアンプは全機種一定である。重量49.5kgはP-700より7.5kg重い。

 1Ω負荷では、音楽信号に限るとは言えステレオ1kw出力を保証する。モノに切り替えては2Ω/2kw保証(こちらも音楽信号に限る)。これは凄いアンプだ。本当にそこまで負荷を下げて使えば、アンプより先にAC電源のほうがヘタってしまいそうである。

 ルックスはヒジョーに僕好みである。P-1000より良いと思う。違いは僅かで、メーター窓四隅のゴールド飾りネジの有無だけである。ご覧の通りP-7000には無い。そのシンプルさが高級感を生むわけである。フロントパネルにボタン、ツマミの類が少ないのも良い。パネル左下に見えるのはメーターON/OFFボタンである。つまらないことだが、パワースイッチがセンターに配置されているのも大いに好むところである。

 さてこのアンプ、箱船メインパワーアンプP-700の後継としての標的なのか。結果的にはそういうことになりそう、しかし、事の起こりはそうではないのだった。

 現用システムの中で、次の買い替え対象機器は何といってもSW用パワーアンプである。サンスイB-2302。今年で丸9年、まだまだ使える優れたアンプ、ではあっても今後のメンテナンスを考えると不安は大きい。交換優先順位第一位である。

 ではここにP-7000を持ってくるのか? 否、あまりにも勿体無いに過ぎる。そこで一計、P-7000をSネッシードライブに据え、P-700をSWドライブに廻す。これでどうだ。そんなモン良いに決まってるじゃあねえか。

 とまあ、分も不相応に勝手なことを言うわけである。この壮大なる計画(大袈裟である)が、実現できるかどうかはまた別の問題。いつも心に太陽を、夢は大きいほうが良いのである。

 おめでたいことでゴザイマス。