箱船航海日誌 2003年12月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’03/12/31 (水)

回顧と御礼


 2003年最後の日誌になった。この日を迎えて思うことは毎年同じである。1年経つのは早い。と同時に、よく無事に生き延びられたとも思うのである。おかげさまである。

 写真に見えるとおり、今年はアンプ、プレーヤー等に大きな変化はなかった。それらを繋ぐもの、ケーブルに大変化があったと言うべきである。

 FOSTEX/WAGC302の導入である。2月に試聴の機会を得、強烈圧倒的なパフォーマンスにノックアウトされた。従前の行動様式からは考えも及ばなかった超高級ケーブル導入という行為。3月、7月と計2セット仕入れ、今や3セット目に色気を出しているのだから、正に病膏肓に入る、のである。君子、否、愚人豹変す。

 驚異的トゥイーターT-300Aの導入は、思いがけない幸運によって実現した。友達の厚意によるものである。これもWAGC302と並ぶ一大事と言ってよいだろう。このトゥイーターの影響力は絶大、同時に支配力も絶大である。当然未だ使いこなせずにいるわけで、これは来年の課題となって僕を楽しませるのである。

 新しいパワーアンプ、スーパーネッシーMkIIなど、色々考えたがその後は専らソフトの充実に務めてきたのも今年である。どんなに優れた環境であっても、それを生かすも殺すもソフト次第。良いAD、CD、SACDが無ければ話にならない。優秀なソフトを増やすことができたのは、多くの友達から協力があってこそだった。「日本の自衛隊」復刻は、まさに画期的。深く感謝せねばならないのである。ありがとうございました。

 サイト運営はいささか厳しかった。日誌の年間休載数は過去最高。無断休載、更新と言うにはおこがましきに過ぎる日も多くあった。お恥ずかしい限りである。にもかかわらずこの1年でのアクセス数は184,000件超。これも過去最高である。1日あたり延べ500人以上の方にご閲覧いただいたのである。ありがたくも恐ろしいことだ。これまた心から深々の御礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

 新しく迎える2004年。僕のオーディオがどんなふうに変遷するのか予測はつかない。が、やはり今までどおり「好きな音」をより良く再生するためヒッシにもがくだろうことは間違いないのである。それがまた、楽しいわけだ。

 来年も、愚にもつかぬ「船長の戯言」とお付き合いくださいますことを、伏してお願い申し上げるのでございます。

 2004年、皆さんにとって良き年となりますように。

’03/12/30 (火)

峠越え


 終日正月準備。残りあと2日になってようやく峠を越えた感じである。ご覧に入れる写真は毎年元旦に配布する小冊子である。新年御挨拶とお知らせなどを書いたものだ。毎年これを350部余り作るのである。

 製作方法は極めて原始的。ワードで書いたものをコピーし、表紙をつけてステープラーで綴じるだけである。だが、350部となるとなかなか手間の要る仕事で、これが完成しないことには落ち着けないのだった。

 版下を印刷屋さんに持ち込めば、もっと質の良いスマートなものができるのは重々承知している。そこを曲げて自作するのは経費削減のため、もあるが、それよりもワタクシの気概を感じてもらいたいからでもある。それほどのモンじゃないね。ともかくも掲示物の張り出しは完了したし、嗚呼ヤレヤレである。

 明日(30日)は荘厳関係の仕上げをし、31日は少しく余裕をもって過ごしたい。一年最後の日くらい、少しでも良いからオーディオする時間が欲しいものである。と、思えども、これまでのテンカイを見ているとそんなに上手く行かないような気がする。

 最後まで慌しい2003年なのであった。

’03/12/29 (月)

忙中読書あり

 今日も慌しく過ぎた一日だった。年始行事に必要な事務用品を買いに出たついで、本屋に寄った。AUDIO BASIC誌最新号と、音元出版から出ているAnalogue誌を買うためである。

 以前は出版されているオーディオ/ヴィジュアル誌のほとんどを購読していた(専ら長岡先生の記事を読むために)ものだが、それも随分減ってしまった。現在毎号きちんと購読するのはA.B誌、A.A誌、MJ誌の3誌である。Analogue誌はよく買い忘れ、旧聞になってから慌てることが多い。ヴィジュアル関係誌はまったく読まなくなってしまった。

 今日読んだ2誌には、琴線に触れる記事が少なからずあった。炭山氏によるBHシステム「アンモナイト」の工作記事もそのうちの一つである。懐かしい思いで楽しく読ませていただいた。アンモナイトの初出が'89年のAV FRONT誌だったとは、早14年も経っていたのだなあ。ついこの間だと思っていたが。

 新しいカートリッジ登場の記事も興味深く読んだ。オルトフォンのコントラプンクト、何で「b」が先で「a」が後なのかと思っていたら、アルファベット順ではなかったワケね。なあるほど、そーゆーことですか。「b」「a」で終り、ではなかったのである。

 新進メーカーからも食指を動かさずには居られないようなカートリッジが出てくるようだ。少々高価ではあるが、是非とも聴いてみたいし、いっそのことエイヤと買ってしまってもよいかもしれない。HELIKON以来、新しいヤツ買ってないし。

 と、ここで詳しく書いてしまうのはルール違反だと思う。ので、この両誌、是非購読されることをお薦めしたい。って、皆さん既に読んでらっしゃるワナ。

 来年も、僕のオーディオはやはりADを中心にして動いて行きそうである。

’03/12/28 (日)

止まりかけ

 現在28日午前2時過ぎ。今日の仕事がやっと終わった。ああしんど。昨年までに比べると、今年末は異様に多忙になってしまったのである。何だコリャ。

 何をやっても段取り良く進まない時って、ありませんか。おまいは不精でナマケモノだからそうなんだ。その通りでゴザイマス。にしても上手く行かないのである。先回りしたつもりが完全に見当外れ、却って仕事を増やしてしまったり、今すぐやっておくべきことを完全にボーキャクしていたり。どうにもこうにも低能率、すべてが逆目に出るのである。ガシャガシャ動いているわりにちっとも仕事が片付かない。ヒジョーにイライラするのである。

 つまりこれはきっと多忙なのではなく、僕の情報処理能力が問題なのだろう。容量極少、CPU止まりかけ。取り敢えずは一旦リセットし、明日またがんばるべし。

 2003年もあと4日で終りである。

’03/12/27 (土)

毒ガス


 今や煙草を吸う人間は、ケムシのように(ケムシに失礼である)忌み嫌われている。全面禁煙は病院、官公庁、駅、空港などの公共施設で当たり前、レストランや喫茶店でもそういう店が増えている。以前は「禁煙席ありますか」と訊ねたものが、今では完全に逆転である。「ここは喫煙可能ですか」と訊ねてからでないと座れない。僕は、愛煙家なのである。

 他人様に大迷惑をかけてまで喫煙しようとは思わない。実際、喫煙する僕でも他人の煙草はケムたいし臭いのである。有体に言えば、あの煙は毒ガスの一種だ。非喫煙者の不快感如何ばかりか、察するに余りあるのである。禁煙エリアで堂々と喫煙している傍若無人(これを暴虐無人と思い込んでいた友達がいたな。余談です)厚顔無恥な馬鹿を見ると「オマエのような奴がいるから十把一絡げに嫌われるんだよ」と非常に苦々しく思う。秋葉原で歩き煙草、外煙草しちゃ、イケマセンゼ。

 自動車も、新しいモデルには灰皿が設置されていないものが増えている。うちのサイファにもない。喫煙するなら自分で付けろ、ということなのだろう。車内での喫煙は、ハッキリ言って良い事なし。ケムたいしエアコンの風は臭くなるし、ヤニだらけになるし灰で汚れるし。前の車ではバカバカ吸っていたけれど、サイファにしてからは車内完全禁煙である。

 箱船では、1階オーディオルーム全面禁煙である。完成から10年、ここに煙草の煙が入ったことはない。オーディオ機器に煙草は大敵である。ソフトにも良くない。スクリーンには絶対ダメだろう。引っ越して最初の頃は、音楽を聴いているうちヒジョーに吸いたくなったものだが、今ではすっかり慣れてしまった。2時間3時間ヘーキである。

 自発的に禁煙エリアを設けて喫煙を制限できるくらいならさっさとヤメてしまえ。そう言った友達がいた。ご尤もでございます。ところが、やめられないんだなあ、これが。1階で我慢しても、2階へ上がってPCの前に座れば灰皿は忽ち上の絵の如し。ズバズバ吸って吸殻山となる。結局我慢できていないのである。意志薄弱。

 百害あって一利あり。僕はそう思っている。この「百害」を他者に及ぼさぬよう喫煙するのが現代喫煙者のマナー、っちゅうことになるんだろうな。愚息がペイントで書いた上の絵、これはきっと僕に対する警鐘なのだろうと、わかっちゃいるけどヤメられない。将来は20本一箱1,000円くらいになるだろうと言われている。

 税金払ってイノチ縮める。それでも毒ガス吸うか?

’03/12/26 (金)

大慌て

 毎年恒例、年末の大慌てが続いているところへ、急な業務が連続で入ってきてもうグチャグチャ。猫の手も借りたいくらいである。ウチの極悪猫は家中で一番ヌクい場所で裏返って寝ているばかり。何の役にも立たない。アンタはええなあ。

 今晩も明日の準備がまだ残っていて、ネタを見つける余裕もなく。申しわけございません、今日は言いわけのみにてシツレイ致します。これじゃ更新にも何もならないのである。

 早く1月1日の夕方に、ならないかなあ。

’03/12/25 (木)

ムチャな注文


 海外にあって拙webサイトを閲覧したという人からメールが来た。オーストラリアの人である。こちらが英語不如意であるのを察してか、平易な英文を心がけてくれたようでもあった。そのおかげで、どうやら全文理解することができた。もちろん、辞書と翻訳サイトを駆使したのは当然である。

 彼は、日本語がまったく解らないという。おそらく日本語フォントも持っていないだろうから、テキスト部分は全編文字化けしていたに違いない。画像だけは見ることができたらしく「アンタのやってることは凡そ理解できる。アホなことやったはりますな」ということだった。アホさ加減をもっと詳しく知りたいから、英語バージョンのページも作ってくれ。というのがメールの急所だったわけである。

 無茶を言ってはイケナイ。僕にそんなことができるわきゃあナイのである。申しわけないが画像だけで我慢してくれ、と(翻訳サイトを利用して)返信したら「翻訳ソフト使えばできる。やれ」とまたメールが来る。このヒト、粘着質なのかしらん。

 さてどうするか。思案投げ首である。とても辞書、翻訳サイトだけではダメだと思う。「ワタクシハ、スキダ。ソレハヒトツノオト。タカイソクドヲ、ソナエタトコロノ。トテモ」みたいな伝わり方に終わるのが関の山。否、それさえ危ないかもしれない。

 日本語文でさえ、表現力の貧困に日々のたうちまわっているようなトモガラが、どうやって英文ページを作れるというのだ。おそらく彼は多くを望んではいないと思う。望まれたって応えられないのである。

 と、かなり消極的ではあるものの、文章として読み理解したいという海外オーディエンスの存在はとても嬉しい。応え難きを応えたいとも、管理者としては考えるのである。ともかくここは一つ、英語の堪能な友達に相談してみるか。話はそれから、だ。

 仏をも恐れぬ暴挙、という印象が、ヒジョーに強いのだが。

’03/12/24 (水)

外盤密輸入の時代

 「逆輸入盤阻止法」。何を血迷ったか、という印象である。なんでもかんでも法律に訴えりゃあ良いってモンでもないだろうに。そーゆーことやるエネルギーがあるのなら、本質的な価値の高いミュージックソフト作ってください。

 まあしかし、業界だけに地盤沈下の責任を取らせるのも、気の毒と思わないでもない。次々と繰り出される拡大再生産的ソフトを有り難がって買い続けたアホなユーザーも悪いとも言えるわけだから。尤も、そう言った音楽を蔓延させ、ユーザーを骨抜きにしてしまったメーカーの責任が先だとするなら、それもそうかと納得するのである。

 中・高校生の頃から輸入盤を買い続けている。ロック小僧だったその頃は音もクソもない。ただ安いからという理由だけでの外盤ファンだったわけだ。裕福な友達は専ら国内盤を選んでいた。そのワケは。国内盤には評論家の解説、それに歌詞カードが付いているから。盤が綺麗だから。ジャケットの紙質が厚く美しく丈夫だから。

 確かにそうだった。頃はAD時代である。外盤には解説も何も無く、ビニール内袋もない。ブアイソな紙の内袋にソリの酷い埃だらけの盤がハダカで入っているだけ。ジャケットは薄くフニャフニャ、ラックから数回出し入れしたらベコベコシワだらけになる。特に米盤はひどかった。国内盤には厳然とした付加価値(価格も含めて)があったのである。高いからこそ売れた。そういう時代。

 要するところ、欧米ではレコードなどというモノ、あくまでも大量消費、日用消耗品の一種なのである。バンバン買ってバンバン聴くもの。消耗品が高くちゃ売れねえ。安くても売れないものはさらに安く叩き売る(プレミアが付くようなものは別)。日常生活中、レコード(音楽)の位置付けがまったく違うということを、その頃から何となく図り知っていたような気がする。日本ではまだまだ特別なものだった。30年近く前のビンボー学生に国内盤1枚2,500〜3,000円は、非常に高価贅沢なものだったのである。

 それが日本でも贅沢嗜好品ではなくなりつつあるのだろう。音楽も日用品へ。その意味では日本音楽市場が成熟したとも言え、文化度が上がったと見ることもできる。どうやら業界だけが、未だに30〜40年前の感覚から脱却できず「特別なもの」として売ろうと頑張っている、或いは売れると思い込んでいるらしい。そういう不可侵聖域を、ヤバンな逆輸入盤に土足で汚されたくない。ここら一帯はワシらのもんやヨソもんは入ってくるなと、前時代的感覚でがんばっていらっしゃる。そういう印象が否めない。最早幻想である。

 携帯音楽サイト禁止、レンタルコピー禁止。ここまではまだ理に適っているような(CCCDは要らんが)。輸入盤禁止。これは困る。完全に時代逆行である。こうなったら僕はもう地下に潜るしかないのであります。外盤密輸入。海賊盤よりヤバいじゃねえか。そういう時代が、現実になるかもしれない。

 冗談ではなくなってきたのである。

’03/12/23 (火)

ムカシ何処かで


 これが本当に役に立つのかどうか。確信があって仕入れたわけでは、まったくないのである。何となく役に立ちそうな、不要な振動の遮断に効きそうな、そーゆー気がするだけ。「メモリー・フォーム」(これはたぶん商品名)という、高密度低反発発泡ウレタンシートである。「NASA開発の新世代素材」と書いてある。

 最近ちょっとハヤリの「安眠快適マクラ」によく使われている、あの素材である。グニューと凹んでグヨ〜ンと戻る、独特の質感。ビョンビョンした感じはまったくない。そこが気に入った。マクラとしての商品は山ほどあるが、シート状製品となるとあまり見かけない。低温になると固くなるので、マクラを冷凍庫で冷やして何とかスライスしてでも使うか、などと馬鹿げたことを考えていたら。

 そんなことしなくてもちゃんと存在するのである。僕が知る限りでは厚さ10mm、8mm、5mmと3種ある。できれば3mm厚くらいが欲しかった。ないものは仕方ないのである。捜せばあるような気はする。5×320×290mmサイズで1枚930円はちょっと高価である。

 この素材に魅力を感じるその理由。使う場所と厚さを上手く選べば、凹み切った時のコンプライアンスが低くなる、というところである。通常の発泡ウレタンではフカフカ弾んで使えない時にも、これならしっくりとホールドできるんじゃないかと、シロウトは考えるのだった。バネ性で振動を遮断するという考え方ではなく、不要なスリップを無くしガタを充填してしまおうという狙いである。不要振動の害悪を避けながら腰の据わったサウンドが得られ、れば儲けモン、っちゅうわけ。そんなにウマく行くのかな。

 この素材を使ったオーディオ用アクセサリーはまだ出ていないのだろうか。不勉強で僕は知らない。御存知の方がいらっしゃればご教示ください。仮にまだ無いとしても、いずれは出て来るだろうと予測できそうな素材ではある。説明書には「メモリーフォーム活用例」として、スピーカーやプレーヤーに敷くという使用法が示されている。

 しかしコレ、新素材と言うけれど、どこかで触ったことがあるとムカシの記憶が呼び覚まされるのはなぜだろう。何かの質感に似ている。何だったろうか。食べ物に関連しているような、いないような。

 う〜む、思い出そうとしても忘れられない。

’03/12/22 (月)

アナログ録/再の威力


 復刻盤「日本の自衛隊」とともにリリースされた「富士総合火力演習」(日MYU MYU-AD0001)。AE86さんによる今年の演習の録音である。NAGRA IV-SとEarthworks SRO2本でのピュア・アナログ録音。ご覧のとおり、45回転盤である。

 A面「90式戦車点検射」、B面「74式戦車点検射、89式装甲戦闘車点検射」。両面とも超強力な音が入っている。僕自身も平成12年、13年と、2年続けて録音したが、いずれもDAT録音である。うちで聴くならそのままDATか、或いはCD-Rかになる。お世辞にも良い録音とは言えない。AD、しかも45回転盤で総合演習の録音を聴くのは初めてである。

 今回の録音が優秀であることは間違いない。アナログのメリットも充分出ているようだ。生音だけにある独特の固さ(硬さではない)が、よく再現されるのである。

 その良さは特にB面で発揮されていると感じた。全域が瞬時に立ち上がる感じが、かなり生に迫っている。巨大な鉄板で体全体を張り倒されるような、或いはその場の空気すべてが点ではなく面でぶっ飛んでくるような。固く重い空気の塊が、超音速で襲いかかってくる。文章では上手くお伝えできないのがもどかしいわけだが。

 ただし、相当な大音量再生でないとこの感じは出にくい。箱船の再生環境で、ボリューム9時10時ではまだまだである。11時でもちょっと足りない。11時半でかなり良し、11時45分でほぼOK。欲を言えば12時半くらいまで上げたいところ、だが、そこまで行くとアンプもスピーカーも破壊する危険あり。調子に乗ってはイケナイのである。

 この音量は、まさに馬鹿デカいのであって、一般的な住環境でこれをやったら警察沙汰。御近所から苦情殺到必至である。タイホウの音だから尚更、特にこのご時世、妙な誤解を生む可能性大。録音そのものに歪み(マイククリップは多少あるように聴こえる)がないので喧しくはならない。生の感じが非常によく出て、これこそオーディオ的快感。音場感も大変良い。僕はとても嬉しくなってしまった。完全に変人である。音楽ファンの皆さん、どーもスビバセン。

 録音のウデが確かであることは言うまでもない。それに加えてアナログ録/再のアドバンテージが、やはりあるのだろうか。原理的にどちらが優れているのか、なんてことは僕にはまったく分からない。だが実際に音を聴くと、僕の耳はアナログに惹かれるのである。

 これもまた、サウンドマニア必聴盤である。

’03/12/21 (日)

歳時記


 11月末になっても暖かく、今月もいつになったら寒くなるのかと思っていたら、ようやくにしてご覧のとおりである。別に待っていたわけではない。降らないままでイケればそれが良い。が、やはりそうは行かねえのである。12月の雪としては順当な、15cmの積雪である。

 写真はウチの中庭である。8月4日に載せた真夏の庭とはまったくオモムキが違う。今、夏の写真を見ると懐かしく、来年の夏に今日の写真を見るとまた懐かしい。夏も冬もこれまで幾度となく繰り返し過ごして来たのに、去った季節はいつも懐かしい。不思議である。

 この雪、明日の午後くらいまで降り続くと、気象台は言う。たぶんその通りになるだろう。雨の匂いがあるように、雪にも匂いがあるのだ。今も景気良く降っている。

 航海日誌に冬と雪の文句を書くのも、もう4回目である。この時期は毎年同じよう写真を載せ、同じようなことゆってる。他に言うことないのか。ないのである。

 歳時記みたいなモンです。

’03/12/20 (土)

「炎」これにて打ち止め


 文字通り自衛隊の爆裂サウンドにぶっ飛ばされてしまった"EXTENDED"炎である。ともかくイムプレッションを書いておかないと僕も落ち着けない。

 盤がフニャフニャだとかこれで特別なビニールか、とか文句をタレながら、実はかなり期待していたのが本音である。今年の春に出た「狂気」30周年記念ADが、思ったほどではなかった所為もある。もう一つ、ケッコウ高かったのよ、コレ。ビンボー人根性丸出しなのである。

 残念でした。こりゃ期待外れ。確かに低域は伸びている。ちゃんと"EXTEND"されているわけだ。しかし、何やら全体的に埃っぽく生硬いのである。中高域に独特のピーキーな感じがある。サチったり歪んだり、というのでもなく、ただ聴きづらいのである。S/Nもあまり良くない。

 これは一体何だろう。マスターはアナログ録音のはずだが、音に黎明期CD的な硬さとトゲがある。イギリス盤通常バージョンは、少なくともこんな音ではなかった。リマスターの過程で、どこかにディジタルプロセスが入っているのだろうか。知ったようなことは言えない。

 もう一点、これはたぶんプレスの問題かと思われる。B面内周部(写真の辺りから)に持続性の盛大なノイズが乗っているのである。純然たる中古盤だけに、前オーナーの扱いが悪かったことも考えられる。だが、このノイズはそういう類のものではないと思う。音の良し悪し以前の問題である。もちろん、このバージョンがすべてこうなっているわけではないはず。一種のプレス不良だろう。

 尤も、ソフトを買ってりゃこんなことはよくあるわけで、特にヘコんだりはしない。イチイチ悲観していたのでは、何も買えやしねえのである。こういうのもあり、中には聴いた瞬間ひっくり返るような優秀盤あり。だからこそ楽しいのである。今後も懲りずに、僕はヤルのである。

 でも、「炎」はもういいかな。

’03/12/19 (金)

急遽変更


 夕方、昨日のレコードにかけたレコパックを剥がそうとしているところに、大ネタが飛び込んできた。そう、MYUタカサキさんのご尽力で実現した「日本の自衛隊」完全復刻盤が届いたのである。こりゃもうレコパック剥がしてるバヤイじゃないと、ピンク・フロイド打っ遣ってバリバリと開梱する。

 出てきたのは、ジャケットは勿論、オビ、ライナーノーツまで完全完璧に復刻されたレコードである。元盤と比べても、外観からではどっちがどっちだか分からない。ワタクシは感激しました。

 盤にははっきりと相違がある。写真の通り、元盤(以下『元』)はセンターレーベルがオレンジ色、復刻盤(同『復』)は黒である。厚く重く硬い180g盤。これに比すと元は、随分と柔らかく頼りないものに感じるのである。

 オリジナルマスターテープを基に、カッティングからやり直したのは音溝の幅を見れば一目瞭然である。復のほうはかなり余裕を持って広く切ってある。内周の無音溝の幅が狭い。これは音に効くだろう。

 早速聴いてみる。初めてこのレコードを聴いた時と同じくらいワクワクするのである。なにしろ一度も針を通していない新盤で「自衛隊」が聴けるのダ。喜ばいでか。

 一聴して復に際立つのは、歪み感の少なさである。強烈に立ち上がる自動小銃の発射音も、危機感なく実にスムースである。と言って迫力が殺がれ鈍った音ではまったく無い。生命の危険を感じるようなオソロシイ音であることに間違いなし。元に比べると高品位な音、と言ってもよい。

 S/Nが非常に良く、透明感、解像度が高い。広大な演習場に響くエコーが鮮明で綺麗である。武器の音が綺麗、とは些か違和感の強い言い回しだが、純粋に「音」として聴いた時の偽らざる印象である。音場感最高、戦車砲の実弾が空気を切り裂いてブシェーッとぶっ飛んで行く様は圧巻である。生もこんな感じだ。富士総合火力演習を2年連続体験した僕が言うのだから間違いない。ホンマか。

 元を純水でクリーニングしたような復。これは絶対買いである。って、もう買ってるケド。もし、未注文未入手の方、或いは迷っている方がいらっしゃれば、早いとこ入手されることを強くお薦めする。元をお持ちでないなら尚のことである。

 タカサキさん、ありがとうございます。

 「音の形」にもチョイと載せた。ので、ご一覧くだされば幸いである。

’03/12/18 (木)

出し抜かれたよ


 昨日送り状が届いた店からはまだ現物が届かない。そのかわり、と言ってはナニだが、後に注文した店からのレコードのほうが早く届いてしまった。出し抜かれているのである。な〜にやってんだか。こういうことはままあるので、イチイチ気にしてはイケナイのである。気長に待ちましょう。

 写真は今日届いたうちの1枚である。6月21日にも載せたタイトル「PINK FLOYD / 炎」。但し、ジャケットをよくご覧頂きたい。違うのである。ジャケット写真の上に「HALF-SPEED MASTERED / EXTENDED RANGE RECORDING」と謳ってあり、右上の丸いマークには「CBS MASTER SOUND / AUDIOPHILE PRESSING」とある。1980年、音にこだわって製作された限定プレスレコード(米COLUMBIA HC33453)なのである。

 よーく見るとジャケット写真も微妙に違う。写真が小さく分かり辛いのが申しわけない。6月のものと見比べて欲しい。向って右側にいる人物の姿勢がやや胸を張ったようになっている。体を包む炎の形と量も違うようだ。カメラアングルも僅かに俯瞰気味である。「炎」は手持ちが4枚(ナンデだ?)あるが、こういうヴァージョンのジャケットがあったとは知らなかった。フロイド本人たちとヒプノシスは了解しているのだろうか。ディザインにはヒジョーにうるさいそうだが。

 さて、肝心なのは「EXTENDED RANGE RECORDING」と銘打っただけの音なのかどうか、である。ハーフスピードマスタリングは、モービル・フィデリティその他の音を大切にするレーベルが、復刻盤などでよく使う手法である。

 ただ、この「炎」。ちょっと引っかかるのは盤が薄くフニャフニャであること。厚く重い重量盤「だから」良い、そうでなきゃダメだ、とは言わないまでも、このヘロヘロさ加減は面白くない。ライナーノーツには「CBSが独自開発した、レコード盤に最適のビニールコンパウンドを使用」とある。うむむ、そうか。コレは良質のビニールなのだな。ゴチャゴチャゆってないでさっさと聴け、っちゅう話である。

 さっさと聴きたいのは山々。なのだが、残念ながら只今レコパック中である。またまた引っぱって、この続きはまた明日、ということにしたいのである。

 ゴミンナサイ。

’03/12/17 (水)

届いたのはInvoice


 遠くアメリカのボストンから一通のエアメールが届いた。差出人は、今月初めにソフトを注文した海外レコード店である。何事かと急いで封を切ってみると。

 中には発送済みのソフトと合計金額を知らせるリスト、それにカード決済のレシートが入っている。要するに送り状と領収証を届けてくれたわけである。ハァ、これはどうもご丁寧なことで。んで、肝心のブツは? それがまだ届かないのである。

 このお店を利用するのはこれが初めてである。インディーズ、超マイナーレーベル専門。有体に申せばゲテモノ御用達(失敬!)みたいな店。「仮想のコンサート」で有名なフランスINA-GRMレーベルを捜していて見つけたのである。

 未だ嘗て聞いたこともないようなレーベル目白押し、国内では入手絶対不可能と思われるソフトが山ほどある。興味深いことこの上なし、だが、内容は保証の限り非ず。皆目わからない。ヤミクモに行ってみるしかないのである。宝の山か、ゴミの山か。

 そーゆーところだから、対応はどうだろうかと些かの不安があった。こうして荷物と別便で送り状を届けるとは、まずまず丁寧な対応と言うべきだろう。あとは本体が無事届けば万々歳である。 ....ホントに大丈夫だろうな。

 「あ〜、注文してからだいぶんと時間が経つんだケド、出前まだかなあ」
 「あっ、スミマセン今出ましたんで」

 ブツは届かず声ばかり。ナルホド、だから「Invoice」か。

’03/12/16 (火)

超強力


 いっぺん載せちまえばもう恐いもん無しダ。完全に開き直っているのである。

 今日のF特は、T-300Aの上をJA-0506IIGMでつないだ時のものである。コンデンサー定数そのまま、位相もそのまま(FE-208ESに対して逆相)。位置関係は変わった。T-500Aのホーン前縁がT-300Aのそれから+2mmだったのに対して、0506IIは+16.5mmで上のようなF特になった。1mm以下のオーダーでF特はガラガラ変わるのである。聴感上でも充分判別できる。やはり凸凹は少ない方が良いようだ。

 一昨日(300A+500A)の写真に比べ、ややハイ上がりになったように見えるが、聴感では問題なし。音は如何にも0506IIGMらしいものである。

 T-500Aは極めて優れたトゥイーターである。クセがまったく無く、妙な強調感もない。入力信号を極めて忠実に音へ変換している感じ。良い意味で無色透明である。一聴おとなしくも聴こえるわけだが、実は「能ある鷹は爪を隠す」のである。ここぞというときにはギラリと凄みを見せる。優秀なソフトを再生した時の凄まじい切れ込みは、他ではちょっと聴けない。

 対してJA-0506IIGM。クセがあるといえばそうなのだろうと思う。スーパートゥイーター(500A)と純然たるトゥイーターとの違いもある。が、0506IIGMにあって500Aにないもの。それは、輝きと艶である。艶は瑞々しさと言い換えてもよい。

 入力信号に忠実かと問われたら、答えは否、かもしれない。しかし、この音はヒッジョーに魅力的である。明るく厚く輝き、しかも繊細で瑞々しい高域は堪えられない。これをクセと取るか個性と取るか。聴き手によっては少々ウルサイ、あるいは眩しい高域、という判断もあるはず。僕はこの音が大好きである。

 自己主張の強いT-300Aに合わせるならば、これくらい個性のあるもののほうが良いような気はする。T-500Aでは少なからず食われてしまっている感じだ。それと、改めて思うのは208ESと0506IIの相性の良さである。このフルレンジには、やや強めの輝きを持ったトゥイーターが合うと思う。

 やったら戻せなくなるだろうという予測はあった。やはりその通りに、なってしまったのである。コンデンサー定数など、今後細かい部分での追い込みは必要である。だが、どうやらこれで決まりのようだ。

 T-300Aの解像度とJA-0506IIGMの輝き。超強力ペアである。

’03/12/15 (月)

実験レベル


 を標榜する拙サイトとしては、こういうこともやってみたくなるわけである。T-300A/500Aのペアはルックス的に兄弟、しかしT-300A/JA-0506IIGMの組み合わせは完全に親子、或いはノミの夫婦である。こんなので上手くつながるのか。

 それがですねえ、堪えられないわけですよ、ええ。T-500Aは正にベストマッチング、文句も破綻も全くない。ダメモトでコンデンサーそのままにつないでみたら....。つい聴き込んでしまって遅くなったので、詳しくはまた明日。

 ネタ切れ気味につき、引っぱるのである。スミマセン。

’03/12/14 (日)

禁断の


 凄いウネり方である。公開するもお恥ずかしい、実はコレ、箱船メインシステムのF特である。三和SS-30RTのジェネレーターによるピンクノイズを再生、リスニングポイントにテクニクスRP-3800Eを据えて測定したものだ。スーパーネッシー、SWフル駆動。リヤカノンLは切ってある。

 800Hz以上はまあ許そう。どうやら±3dB以内に収まっているから。問題はそれ以下である。どうだコレ。125〜640Hz、所謂中域にU字溝のような広いディップが。こりゃもうディップというよりはチャンネルですな。100Hzから下は再び上昇に転じて大きな山を作り、25Hzのピークもエライことになっている。とんでもないF特なのである。

 T-300AとT-500Aのコンビが、かなりこなれた音を出すようになった。そこで位置関係を微調整しようとF特を採ったわけである。これが初めて、なわけは勿論なくて、僕は今までに幾度となく見ている。その度に「ひでえ形デアル」と思う。ついに禁断のネタ(大袈裟ダ)に手を出してしまったのである。

 25Hz、50Hzのピークは、定在波の影響である。これは部屋の長手方向寸法から計算するとほぼ一致するから、まず間違いない。中域のチャンネルは、ユニット本来のF特とエンクロージャーに原因がありそうだ。形から受ける印象では完全に中抜け状態(ワイドレンジドンシャリという説もある)だが、それほどにヘンな音ではないから、まあこれでヨイのである。タコ耳かな。しかし、ヒトコト言いたくなる形ではある。皆さん、あまりツッコまないでね。

 このデコボコ、C-AX10の使い方次第でかなりフラットに追い込めるのである。勿論やってみたこともあるわけで、ところが出てきたその音はちっとも面白くない。これは箱船に限ったことかもしれない。F特フラットは、極めて重要なのである。個人的に、聴感上楽しいと感じる音にして測定してみたらこーゆー形になっていたと。ヤッパリタコ耳か。

 全体の型が悪いのはそれとして、肝心のハイエンドである。先ずT-300Aと208ESがきれいにつながる位置を微調整、そこで固定。そうしておいてT-500Aを微調整する。結果的に元の位置から動かしたのはT-500Aだけ、2mmほど前進させるにとどまった。たったそれだけで、F特も音も変るのである。

 結果はご覧の通り。こんなものだろう。思っていたよりはスムースにつながった。もっとデコボコするかと心配していたのである。20kHzが少し落ちているが、リスニングポジションではマイクが軸上を外れるので致し方なし。実際の音はヒジョーに良い。まずは合格である。

 ここまで来たらあとは鳴らし込みに専一となるべし。AD中心にCD、SACD、DVD、あるものすべてガンガン行こう。一冬越えて、春の声を聞く頃が楽しみである。

 カタチ、悪いケド。

’03/12/13 (土)

DHR、はもういい

 ここのところムカシから欲しくてなかなか手に入らないソフト、友達の希望で手に入れたいソフトなどを些か偏執的に捜している。

 どちらかと言えば海外のサイトを中心に捜索中。そういうものを扱って販売している店(レコード屋さんですな)が見つかれば一番良いわけ、だが、稀少タイトルになるとなかなかそうは行かない。オヲッあったあ、と欣喜雀躍してよく見たら「ITEMS HAS BEEN SOLD」なんて書いてあってガッカリすることもしばしばである。或いは注文をかけた後に「売り切れだヨ〜ン」とメールが来たりもする。クヤシイのである。

 思いつく限りのキーワードを放り込みヤミクモに検索するわけだから、時にはわけのワカランところにヒットすることもある。ブツの写真まで載っていて、しかもヒジョーに安い。こりゃ絶対買いだと意気込んだらそれはオークションサイトだった。はたまた通販サイトだと喜んだら実はフランスの店で、ぜ〜んぶフランス語で書いてあって(当たり前です)全く解読不能。たぶん仏和辞書があってもダメだろうな。外国語力ゼロの僕としては完全にお手上げである。シクシク泣きながら白旗掲げて引っ込むしかない。これまたクヤシイのである。

 しかし、考え様によってはこれも明るい情報なのかもしれない。もう何処にもない絶対手に入らない、と思い込んでいたものがまだ世の中の何処かには現存するという事実。これが分かっただけでもありがたいのである。偏執的に捜し続ければいつかは手に入ると証明されたようなものだから。投げず腐らず諦めず、の精神で、オイラはどこまでも捜してやるぞ。大日本偏執的レコード捜索党。DHRの旗揚げである。

 それはもういいって。

’03/12/12 (金)

電話と来客の日

 今日は朝から電話と来客の多い日になった。どういう巡り合わせか、時々こういう日がある。業務関係の依頼事や他愛無い世間話、オーディオ仲間からの相談事や情報提供など、色々あって面白かった。

 以前からの予定ではなくとも、依頼があればすぐ動かねばならないのが僕の業務である。24時間営業、アポなし即出動が基本でゴザイマス。午後は彼方此方駆け回り、さすがにくたびれたのか眠くて仕方ない。夕方帰ってきて事務処理をし、午後10時になってようやく業務終了。それからADを1枚聴いたら最後のほうはウトウト居眠りコイてしまった。おっさんですな。大音量でも眠れるのは音に歪みの少ない証拠、じゃないって。それほど眠いだけでしょうが。

 と、言い訳のマエ振りをしておいて、今日はまともなネタも無しに日誌を終わるのである。

 また、明日。

’03/12/11 (木)

ADとエージングの微妙な関係


 この前の日曜日、まとめてドカンとADを聴いて以来、音が良くなったような気がしている。特に違いを感じるのはハイの出方である。粗さが取れスムースになり、より一層解像度が上がって細かい音が鮮明になったように聴こえる。ヒジョーに好ましい傾向である。

 エージング。ひとことで言うならばそういうことになるのだろう。加えて、AD再生による効果影響の大きさを思うのである。

 知識浅薄な僕のことである。何故そうなるのかを理路整然と説明することはできない。だが、ディジタルメディアによるエージング効果と、ADによるそれとではハッキリとした差が出るという事実。これは体験的に断言できるのである。

 ADにあってCD、SACDに無いもの、その1。盤のソリに起因するサブソニック。記録されている信号に関係なく、盤の物理的状況によってスピーカーコーンが揺さぶられる。僕のような馬鹿げた大音量派だと、時々コーンが飛び出しそうになって慌てることもある。その2。スクラッチノイズ。これまた記録信号には関係がない。針が盤をこする音、所謂プチプチノイズである。非接触型光ピックアップでは絶対にあり得ない。

 どうもこの二つがエージング効果の出方に影響していそう。どちらも純粋に音楽を楽しむためには邪魔者である。無い方が良いに決まっている。ところが実はこれが音質向上に少なからず寄与しているらしいという、非常に背反した話なのである。

 そーゆーことなら近いうちに再度まとめてADを聴かなならんなあ。そうすればどこまでも音が良くなるのである。って、ンなこたあないわけだが。

 ちょうど新しいADを少しく入手したことだし、しばらくはAD一辺倒で聴いてみることにしよう。

’03/12/10 (水)

ラクはコタツで


 長くなる。夜中屋根を徘徊するモノの正体はワカランけれど、このケダモノの正体ならわかる。既にお馴染み言わずと知れた、当家極悪猫ラクである。冬が深まり寒くなると、彼女はコタツでこういうふうにアラレもない格好となる。猫はコタツで丸くなる、なんてことは全然ないのである。なんちゅうカッコしとるんや、チミは。

 ウチへやってきて2年半、すっかり安心しきって毎日を過ごしている。警戒心皆無。だからこそこーゆー姿になるのである。喉元と腹をオープンにするなんて、ケダモノにあるまじき行為ですぞ。それほど何不自由ない生活である、と、ニンゲン様は考えるわけだが、彼女はどうだか知らない。たぶん当たり前くらいに思っているのだろう。

 猫の年齢換算はいろんな方式があるようで、調べてみてもかなりバラツキがある。凡そのところ、生後2年半なら25歳〜30歳くらいになるらしい。間を取ってラクは28歳、にしては随分と幼稚に感じられるのだが。育ち(て)方、出産子育て経験の有無などが影響しているのかもしれない。ラクは母猫になったことはないのである。

 27万頭。800万頭。前者は日本国内で年間に処分されている猫の数、後者は同じくペットとして飼われている猫の数である。飼い猫の数も凄いが、処分される数も半端じゃない。人間とは極めて自分勝手で傲慢不遜である。

 中世ヨーロッパでは「猫は魔女の使いだ」といって火炙りで根絶やしにしたそうだ。そーゆーことをすると必ずしっぺ返しを喰らうのである。おかげで天敵不在でネズミ大量発生、ペスト大流行して全ヨーロッパで約2,900万人が死ぬわけである。今も何処かの国が似たようなこと、やってる。それも人間同士で。ヒトという動物(ケダモノの一種である)、賢者なのか愚者なのか。そのうちまたバチが当たるぞ。

 ウチにはラク以外に4頭の半ノラ外ネコがいる。留守の間に忍び込んで食糧を盗んだり(これがホントのドロボウ猫)もするが、それを追い立てて蹴散らせば27万頭の仲間入りである。如何にも忍びない。罪深い人間の悪業を懺悔するつもりで、できる限り養ってやるのである。

 ラクは面白くない様子だが。

’03/12/09 (火)

コレを狙う奴は


 久しく自然ネタを書いていない。ネタがないわけではなく、目を向けるだけの精神的余裕がなかったのだと思う。年々雑事が増える一方なのは、どうしたことだろうか。

 今年の柿は、12月になっても実が落ちず樹に残ったままである。もちろん食べられるような状態ではない。が、これを狙うケダモノがいらっしゃるようで。

 熊は3年前に一度気配があったきり、近頃とんとご無沙汰である。そのほうがありがたい。では何が。それが正体不明なのである。箱船2階で夜中一人日誌を書いていると、ナニモノかが屋根を歩くのである。人間ではない。当たり前か。だったら怖い。ケダモノ来たりて屋根駆ける。

 足音の感じからしてたぶんそんなには大きくない。ネコか、小型イヌくらいの感じ。或いはもっと小さいかも。ではネコかというと、絶対違うと思う。すばしっこいのである。歩く、というよりは跳ね回っているような足音。柿の木の方(東側)から屋根に登り西側へ走り、ちょっと立ち止まってから屋根中をグルグル歩き回るのだった。突然静かになったと思うとまた走る。ヒジョーに落ち着きがないのである。

 東の窓を開けて覗くも、暗闇で何だかわからない。開けた瞬間に気配が消えるちゅうのは、やはり勘の鋭い野生動物なのかしらん?

 ネコより小さく、柿の実を狙い、夜に活動するケダモノ。ダンスのようなステップを切り、逃げ足も速いようだ。さあて、正体や如何に。

 最も有力なのは、イタチ説。アイツは何でも食う。木登りも上手いしすばしこい。リス、は柿なんか食うかな。まさかとは思うが願望も込めてモモンガかムササビ。とっくに冬眠してるか。サル、という線もあるが大き過ぎるような。第一、彼らは夜目が利いたっけ。

 雪が積もってなお実があれば、文字通り足跡からアシが付くかもしれない。とっ捕まえてみたいとは毛頭思わないが、姿くらいは是非見ておきたいのである。

 柿の実をエサに、おびき寄せてみるか。

’03/12/08 (月)

ADの日


 ゆっくり自分の時間を過ごせる日曜日は滅多とない。久しぶりに丸一日、オーディオに浸ることができた。

 終日AD三昧である。M&Kのオルガンに始まってシェフィールドのダイレクト盤へ行き、アストレ、ハルモニア・ムンディを一回りしてECMを経由する。ノンサッチとニュー・ワールドも一通りナメて、そのあとはCRDを数タイトル(寒い冬をぶっ飛ばす。今日は寒かった)。突然松任谷由実に寄り道し、最後はDECCAのオリジナルリングセットから「ラインの黄金」を全曲聴いて終了。こうして羅列してみるとジャンル、好みがメチャクチャですな。節操なし。楽しければそれで吉。こんなにADをタンノウしたのは何時ぶりだろうか。

 CDもいい。もちろんSACDも素晴らしい。だが、やはりADの音は捨て難い魅力に溢れているのである。切れ、瑞々しさ、実在感、繊細感、艶、力感、浸透力、等々。ヤメられまへんな。

 腰を据えて自分のシステムを聴いて思ったこと。このwebページを立ち上げた頃からみると、システムは随分と進化したし音も良くなった。が、それは何処かに比べてどうとか、誰よりもどうとか言うものではなく。僕が作る自分の音として、以前より良くなったというだけのこと。全ての人にお聴きくださいと、自信を持って披瀝できるようなものでは、決してないのである。

 僕自身が今日の日を幸せにオーディオするだけの音が再生できていれば、それで完結である。オーディオの良いところ。もちろん、昨日書いた通り上には上があるわけで、趣味そのものはちっとも完結しないのだが。

 ADそのものは既に過去の遺産となりつつある。一部で盛り上がりを見せてはいるが、二度と主流になることはない。これは絶対である。そうではあっても、今あるADをできるだけ良い音で聴くために向後もアレコレこだわりたいと、思うのである。

 誰のためでもなく、自分のために。

’03/12/07 (日)

際限なく


 滅多にない幸運に恵まれ手に入ったM&KオルガンVol.1。友達へ発送前に検盤、検聴している。状態は非常に良く、これならミント盤と言ってもよいだろう。1箇所だけ汚れ(キズではない)がこびり付いていたので、例によってレコパックをぶちかます。これでほぼOKである。

 このレコードは、Vol.1、2とも超低域の力が凄い。凄い、というヒトコトでは片付けられないほど、凄い。その音を聴いていて気が付いた。7月、SW経路に導入した2組目のWAGC302が、5ヶ月経っていよいよ本領を発揮し始めている、と。

 導入直後に比べて明らかに超低域の量感が豊かになり、深みを増している。しかもフヤけた感じがまったくないのである。巨大な岩石のような音の塊が、圧倒的力感を持ってドッと押し寄せる。猛烈圧力。しかし皆無鈍重感。量感絶大ソリッドでありながらヒジョーに軽いという、摩訶不思議な超低域である。この音、僕の理想。

 5ヶ月間のエージング効果は極めて明白だ。導入直後の音さえ聴いていれば、特にオーディオにこだわっていない人でも充分判り得るほどの違いである。チャンデバのセッティングか何かに変更があったかと、疑いたくなるような変化でもある。

 やればやるほど面白い。我が所業ながらやり過ぎかと思いながらやってみると、またぞろその先が見えてくる。見えるとそこへ登りたくなる。登って上を見たらまた先が見える。無限に続く階段のようなものである。

 要するに、趣味には「やり過ぎ」が無いのだろう。だからこそ趣味たり得るわけで、「ああこんなもんか」と簡単に言えてしまうようなものは、趣味でも何でもないのである。

 それはタダの、ファッション。

’03/12/06 (土)

総代がんばる


 ブリの半身を刺身に引くのは馴染みの料亭のオヤジ、ではなくてウチの筆頭総代であるところのI氏である。極めて手際良く、あっという間におろしてしまった。実に上手いものだ。歴代の総代で、自らの手で刺身を引いたのはこの人が初めてだ。先々月あった大きな行事のお疲れ様会を開くための準備風景である。

 総代総出でブリを宮津魚連まで買いに走り、野菜は自分たちの畑で育てたネギ、白菜、春菊などを持ち寄る。ついでに土鍋や大皿も持ち込んで、野菜の仕込みから盛り付け、出汁の準備まで全部やる。正に手作り慰労会である。面白いなあ。

 大きなブリを3本仕入れ、メニューは刺身とブリシャブ(薄く造って醤油味の出汁でシャブシャブして食べる)である。僕は刺身はイマイチ苦手だが、シャブ(危ないほうじゃないよ)はヒジョーに美味かった。切り身を買って来るのとは一味も二味も違う。

 野菜も特に美味しかった。さっきまで畑に生えていたものなのだから、これはウルトラダイレクト。朝採りどころか、今採りである。魚も野菜も、ついでにオーディオも、やはり鮮度がイノチなのである。

 午後3時過ぎから準備にかかり、7時スタート。お世話になった役付き23人は、無事責任を果たせた達成感もあって上機嫌だった。終わったあとはみんなで後片付け。余ったブリはそれぞれ分けてテイクアウトである。実に良い慰労会だったと喜んでいる。

 Iさん、Wさん、Aさん、今日は本当にお疲れさまでした。おかげさまでとても良い会になり、僕も大いに楽しませていただきました。

 今後とも、どうかよろしくお願いいたします。

’03/12/05 (金)

祈願成就


 先月26日の日誌に「毎朝願をかけるべし」と書いてからちょうど10日、願いは聞き届けられた。ヌカヨロコビ、ではなく、こうなるとオオヨロコビである。無事、オルガン金さんはヒットした。同時に注文した他3タイトルも落ちなく到着、100点満点の出来である。信じるものは救われる。

 但し。今度こそは45回転盤、と思いながら、心の片隅ではどーせまた33回転盤だろうなァと注文したRRの「FACADE」は、今回もやっぱり33回転盤だった。信じないものは救われない。ハスに構えていてはイケナイのである。仕方ないねどーも。このタイトル買うのはもうヤメタ。

 4枚買って$110、送料込みで約$150。\120/$レートで1枚あたり\4,500。これを高いとみるか安いとみるか、人それぞれ感じ方は違うだろう。個人的には極めてリーズナブルな価格で買えたと思う。ありがたいことである。

 これで安心して感慨に浸ることができるのだった。「それにしても、よくもまあ出てきたものだと感無量。しかも、この友達と話している最中というのも不思議である。よほど縁があったか」と。これでいつもお世話をかけてばかりの友達に、いささかながらも恩返しが出来ようというもの。いやあ、ヨカッタヨカッタ。

 いつかは必ず出会うことができる、と固く信じて捜し続けることの重要さを、今改めて思い知るのである。

 念ずれば、花開く。

’03/12/04 (木)

寝る前には


 遅くまで業務があり、フニャフニャになって帰ってきた。夜のお付き合いは辛い。これもオシゴトなのである。

 些か高ぶった神経を抑えるときに聴くタイトルはこれ。「LULLABY JOURNEY」(米DORIAN DOR-90232)である。(P)(C)1996。ダイナミックソフトで取り上げられたので、お持ちの方も多いと思う。子守唄の旅。カスター・ラルーのボーカル、クリス・ノーマンのウッドフルート、キム・ロバートソンのケルティックハープでいろいろな国や地域の子守唄ばかり17曲演奏する。フォスターの「ビューティフル・ドリーマー」も入っている。

 一般的にLULLABY=子守唄と解釈されているが、他に「気持ちをやわらげるおだやかな歌」という意味もある。今日の僕には正にピッタリである。

 音、演奏、曲全て最高。今日は多くを語る元気がないが、ともかく聴いていただきたい音、音楽である。特にラルーさんの声は素晴らしい。これを聴いてそのままフトンに入れば、安眠絶対間違いなし。昨今、「癒し系音楽」などと銘打ったタイトルが多く出ている。そんなもんは鎧袖一触である。

 では、僕は寝ます。なんだ、やっぱり子守唄じゃんか。

’03/12/03 (水)

黙す

 今日は午後から近隣同業の寄り合いがあった。この会の進行取りまとめが、今回から僕の役どころとなったわけである。議長、というほど大層なものでもないけれど、相手は百戦錬磨の老練同業十数人。ハッキリ言って気疲れするのである。特に今日は初仕事、元々得手ではないことも手伝い徒に時間ばかり食ってしまった。だからダメなのよ、僕なんぞにこんなことやらせちゃあ。と、逃げを打っておくのである。

 まあしかし、ボンヤリ時間を過ごすに比べやり甲斐はあるわけで、引継ぎを受けた時よりは前向きになれたようでもある。アホはアホなりに、一丁やったろうかい。

 「口は禍の門」という。ついでに「沈黙は金、雄弁は銀」とも。今後のワタクシとしてはこれらを座右の銘としなければ遺憾と思う。まとめ役がでしゃばってベラベラ喋っていたのでは、それこそ話にならない。皆の話をよく聞き、沈思黙考して落とすべきところへ落とす。こうでなくちゃあイケナイ。

 「無一物を以って家珍となす 僅かに繊毫あれば便ちこれ塵」(何にも無いことこそ家宝である。細い毛わずか一本でも所有するならば、それは塵芥に等しい)という禅語が重宝される我が業界であってみれば、黙して語らぬこともまた家宝だろう。言葉ゼロ、情報量極大。スイッチONスタンバイ無音状態時、情報量極大。音を出す前のバックグラウンドノイズを聴いただけで「むっ、タダモノではない」と思われるようなアンプ、みたいになれればホンマモンですが。

 人もオーディオも、時間かけずにお湯かけてもダメ。当面は、できることだけを続けて行くだけなのである。

 ガクさんケンさん、よろしくね。

’03/12/02 (火)

遂に復活


 言わずと知れた「日本の自衛隊」(日RCA RVL-6513〜14)である。MYUタカサキさんのご尽力により、遂に陽の目を見るのである。しかも180g重量盤での復刻、さらにAE86氏録音による平成15年度総合火力演習のワンシーンが、180g45回転盤でセットされるのである。これを買わいで何を買うか。間もなく発売である。

 オリジナル盤の発売は1977年(昭和52年)である。長岡先生がstereo誌「レコード漫談」に取り上げられたのは1984年(昭和59年)のこと。その時既に廃盤となっていたのである。

 先生をして「なんとか再発できないものだろうか。他の国内盤は全部燃えないゴミとして処分してもいいから、これだけはもう一度陽の目を見せてやりたいという気持ちである」と言わしめた超優秀録音盤は、26年の歳月を経て復活する。先生、お元気でいらっしゃったなら、さぞ喜ばれたでしょうね。ご仏前にお供えしたいという気持ちである。

 AE86さんはご自身のwebサイトに、プレスしたてホヤホヤのサンプル盤試聴記事を書いておられる。詳細なスペアナ写真付きである。実に興味深い。オリジナル盤に比べ、超低域はほんの僅かにレベルが低いように見える。が、中高域のピークレベルは大きく上回っている。これから想像するに、クリップ感がなく抜けの良い、透明感の高い音が聴けそうである。いよいよ期待感が高まるのだった。

 このタイトル、一時期某オークションで正気の沙汰とは思えない値が付いていて、ビックラこいたことがある。復刻最上第一の価値が、このADを優れた音で聴けることにあるのは当然である。かてて加えて、非常識に高騰した(或いは、させた)価格を根底からぶっ壊す、という意味に於いても極めて愉快痛快なのである。よくぞやってくださいました。MYUタカサキさん、AE86さん、マスタリングエンジニア氏、カッティングエンジニア氏、関係の皆々様には拍手喝采。ありがとうございます。

 45回転盤のほうも非常に楽しみである。AE86録音をAE86謹製カスタムPEQで聴く。こんなことは滅多にあるモンじゃない。本編ディスクとはまた違った意味で期待するのである。

 スピーカーのセンターからご本人さんが64式自動小銃持って突撃してきたらどーしよー。

 ンな馬鹿な。

’03/12/01 (月)

臘月


 2003年も、早最後の月になった。12月である。別名師走、僕らの業界用語では臘月(ろうげつ)とも言う。『「臘」は「猟」に通じ、狩りをして獲物を神にささげた古代中国の祭りをいう。冬至の後、3度目の戌(いぬ)の日に行われた。そこから、陰暦12月を臘月、おおみそかを臘日というようになった』と、ものの本にはある。

 雲水修行時代、12月はオソロシイ月だった。8日はお釈迦様が悟りを開かれた記念日「成道会(じょうどうえ)」である。それに因んで道場では1日〜8日未明まで、不眠不休の座禅を組むのである。これを「臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)」という。またの名を雲水殺し。「臘八」、つまり12月8日である。

 丸8日間、横になって寝ることなく座禅するというのだから、これはもう正気の沙汰ではない。もちろんゴハンは食べるしウンコもする。お経も読むし掃除もする。それ以外の時間はひたすらに座禅三昧。特に夜の時間は苦しい。夕方からの座禅は夜中まで続き、消燈後も座を組んだままで仮眠するのだから徹底している。

 身体的疲労は相当なものである。だが、感覚は日を追うごとに鋭くなってゆく。特に聴覚は非常に鋭敏になり、かすかな音にも瞬時に反応するようになる。トランジェントが良くなるわけだ。普段は絶対聴こえないような遠くの音が聴こえたりする。自分が座っている周りの音場変化が極めて鮮明にわかる。「殺気」というものを実感したのもこの時である。

 ナンデこんなことやるのか、それを書き始めるとややこしくなるので省略。ともかく我が宗門も、こーゆームチャなことをやるわけだ。長期の断食や即身仏に比べりゃどうってこともないが。

 12月になると思い出す、辛くも苦しい臘八大接心。しかし、その体験が今の僕を支えていることだけは、確かな事実だ。業務上ではもちろん、オーディオする上でも貴重な体験だったと、思うのである。

 そんなに良いならもういっぺんやれ。そりゃ、ムタイというものでございましょう。