箱船航海日誌 2003年08月
日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう
制限
現在使用中のWAGCは、C-280V〜P-700間とC-AX10〜B-2302間の2組である。あと、C-280V〜C-AX10の間にも使うことができれば、プリアンプ以降にWAGC経路が全線開通することになるわけだ。これは一つの夢である。 写真はC-280Vのプリアウト部である。1にはP-700へ行くWAGC302、2にはC-AX10へ行く自作ケーブルが挿してある。ご覧の通り、既にケーブルが犇めき合っていて、もう1組WAGC302を挿す余裕がない。無理矢理挿せばピンジャックが外へ押し広げられて、機械的にも電気的にもヒジョーにグワイの悪いことになるだろう。ジャックに対してケーブル(プラグ)が真っ直ぐ直角平行に入らない状況は、絶対に避けたいところである。 ものは考え様、この方が良いともいえるわけで。スペースに余裕がありいつでも交換可能、なんて状況では、どーせ僕のことだからシンボウできないに決まっている。WAGCを導入して多寡だか半年足らず。急いては事をし損じる。四六時中モノを替えていたのでは、自分の音が分からなくなってしまうのである。 物理的経済的制限も時には必要であると、言い聞かせておこう。 |
食べてはイケナイ
夏の終わりの夜、暗闇に咲く白い大きな花。直径約15cm、ほんのりと紫色を帯びた花はたおやかで妖しい。チョウセンアサガオの花である。どこからか飛んできた(運ばれてきた?)種が庭で芽を出し、そのまま大きくなって花を咲かせている。育てているわけではナイのんである。 チョウセンアサガオ。別名ダツラ。学名Datura metel。ナス科の一年草である。そう言えばナスの花をでっかくしたら、こんな感じになる。夕方から早朝にかけて開花する。人が寝てから咲き、起きる頃(朝)まで開いているので「アサガオ」の名が付いたのか、しかし、所謂「アサガオ」とは全くの別種である。 繁殖力が強く、所によっては野生化して群生する。花が落ちた後に成る実は、イガイガのいっぱい付いたグロテスクな形をしている。花と言い実と言い、何だか怪しい雰囲気の植物だと思ったら。 非常に強い毒性を持っているのだそうな。例によってアトロピン、スコポラミン等のアルカロイド系毒である。以前載せたコルチカムやヒガンバナ、トリカブトなどと同じ系統の毒である。最近園芸種で人気があるという「エンゼルス・トランペット」(キダチチョウセンアサガオ)も同じ仲間。当然有毒である。育てていらっしゃる方、ご注意を。 種、花、葉、茎、根。全草是猛毒。但し、鑑賞するだけなら全く安全である。問題になるのは口に入れてノドの穴に落とした時。要するに食べては遺憾のである。こんなもん食べるわけない、とお思いでしょう。だが、案に相違して誤食事故が後を絶たないそうだ。 ある人はハーブと間違えて花を炒めて食べ、死にそうになった。またある人は、弾けた実から取った種をゴマだと信じておヒタシにかけて喰ったら死にかけた。はたまたある人は、根っこをゴボウ(よく似ている)だと思い込んでキンピラゴンボにして食べたら極楽の入り口まで行っちゃった。さらにある人は形が似ている所為で蕾をオクラと間違えて食べ、閻魔大王さんに挨拶して帰ってきた、等々。 全くに人騒がせな植物なのである。しかし、俄かには信じられない。どーしてそーゆー正体不明なものを不用意に食べるかね。確かに蕾はオクラに似ているし、根っこはゴボウにそっくりだ。でも、僕なら食べないなァ。食糧事情が悪かった昔ならいざ知らず。アルカロイドを含んだ植物は強烈に苦いはずだし、わざわざこんなものを食べなくてはならないほど困っているとも思えない。 人間という生き物は、何にでも興味を持つらしい。興味を持ったものは、ともかく口に入れてみる、のは赤ちゃんを見ればわかるように人間の基礎プログラムなのかしら。 僕も注意せねば。 |
死語か
今日は早朝から、地域仏教会主催の「子供座禅会」があった。十年ほど前から、この時期の恒例行事になっている。小学生4〜6年生を中心に80名ほど集めて朝6時から正午まで、半日の日程である。デジカメ忘れて写真撮れませんでした。 数年前から座禅の指導役に当たっている。はっきり言って僕はこの役回りが苦手である。禅宗ボウズが座禅を苦手と言っては何が何だかわからない。苦手なのは座禅ではなく、今時のガキ、いや失敬、お子様たちをコントロールするのが、ヒジョーに苦痛なのである。 圧倒的ケジメの無さ。一言で言うならばそれに尽きる。緩と急、褻(け)と晴、把住(はじゅう)と放行(ほうぎょう)、緊張と緩和、そんなもんはどこの国の話だっちゅう感じ。試しに訊いてみた。「君ら、ガッコの先生に『ケジメをつけなさい』って言われたことないか」「言われたことない」「ケジメっちゅう言葉、知ってる?」「知らん」。う〜む、最早ケジメは死語か。 多寡が半日、しかしワタクシは疲労コンパイ致しました。ああしんど。 |
SACDで裏をかけ
久しぶりにSACDソフトを1枚紹介したい。「ストラヴィンスキー/火の鳥/ロバート・ショウ指揮
アトランタSO」(米TELARC SACD-60039)。SACDとしての(P)(C)は2000年である。 内容としては別段目新しいものではない。元ネタは1978年7月19、20日録音のAD(DG-10039)である。1986年にはCD化(CD-80039)もされているし、「長岡鉄男のレコード漫談」第一集110ページにも取り上げられている。ご存知の方、お手持ちの方も多いことと思う。 僕は数ある「火の鳥」の中で、この録音、演奏が一等好きである。と、クラシックマニアの友達に言ったら「ロバート・ショウだのアトランタSOだの、そんなもんは三流だ」などと可愛くないことを抜かしやがった。こういうヤカラが最も音楽を聴いていないのだ。んじゃテメエは一流のつもりか? だからクラシックマニアはキライなんだよっ。 そんなことはどーでもよろしい。ともかくこの録音は素晴らしいのである。深く広い音場、圧倒的な厚みとエネルギー、広大なDレンジ、どこをとっても僕には最高の音である。最初に聴いたのはCDだった。後になってADを入手し、随分と音が違うのに驚いたりもした。ADのほうが数段良かったのである。 そこへこのSACDである。元々がサウンドストリーム社のサンプリング50kHzディジタルレコーダーで録音されたものである。CDではそのメリットが失われていたのかもしれない。SACDになり器が大きくなってメリット復活か。ジャケットにも「50kHz Master Transfer To DSD」と銘打ってある。全ての点、とは行かないが、ADと充分渡り合える音の良いSACDである。 pppでのS/N、繊細感はADに同等以上、ヒジョーにヨロシイ。fffでの爆発力、圧力はADに分がある。歪み感は極少で、fffの中で響くトライアングルの連打も鮮明に定位して混濁しない。打楽器の立ち上がりが良くスカッと抜けてくるのは快感である。 この他にも同シリーズを数枚聴いたが、如何に器が大きくとも録音が小さくてはどうにもイケナイ。要は大元の質が問題なのである。とは言えこういう音を聴けるのならば、SACDの前途は洋々。不正コピーに血道を挙げるトモガラの裏をかくためにも、CCCDなんかよりSACDをどんどん出しましょう。 そのほうが建設的だと、ワタクシは思うのであります。 |
DAC64×2
CHORDは独ではなく英国のメーカーでした。お詫びして訂正致します。申しわけございません。 さて、今日はDAC64×2、パラ駆動の試聴記である。DP-85のD/O信号を2つに分岐させ、2台のDAC64にパラで送り込む。そうしておいて、上段DAC64はRchのみをプリへ、下段はLchのみをプリへ送り出すという使い方である。かなり変則的。思いついた人はエラい。ディジタルケーブルは何処かで見たことのあるような、シトさん謎の青いケーブルである。 この音は凄い。1台使いを遥かに上回る低域の馬力、中高域の切れ。音離れの良さはさらに際立ち、こうなると音がスピーカーから猛スピードで噴き出してくる、と言ったほうが良いだろう。音に実在感があり、非常にリアルである。音に妙なアクセントやクセが無く、歪み感も極少。とても素直である。ので、大音量再生でも喧しくならず、却ってリアルさが増してくるのである。これは良い音だ。 DP-85単体の音に比べても、違和感はない。ただ、超低域の押し出し、空気感では一歩譲る感じ。スケール感がやや小ぶりになる印象はある。使いこなしでカバーできるかどうか。こればかりは使い続けてみないとわからない。 素晴らしい音、ではあるが投資額はバカにならない。2台で800,000円以上必要になる。それにトランスポートが加われば、おおよそ100万円は覚悟せねばならない。一体型DP-85はSACD再生可能で880,000円。さて、アナタならどちらを選ぶか。 最新のディジタル機器の音は極めてスムースで、昔よく言われた「ディジタル臭さ」はまったく感じられない。テクノロジーの進化は凄まじいのである。今のところまだ「アナログの音」「ディジタルの音」の違いは存在するのが現実だが、そういう見方が時代遅れになり始めているという感を強く持った。ディジタルがアナログを超える日。何時来るのか僕にはわからない。だが、その日は必ずやってくるだろう。DAC64。大きな刺激を与えられたのだった。 ご遠方、重くて大切な機器をキャリヤーに満載し、労苦を厭わず聴かせてくれた友達には心から感謝したい。おかげさまでとても楽しい時間をいただけました。本当にありがとうございました。 次回は身軽でお越しください。 |
DAC64
実物を見るのも触るのも、もちろん聴くのも初めてである。英CHORD/DAC64。大きさのわりにずっしりと重く、アルミ無垢材から削り出された筐体に厭な鳴きは無い。強度はヒジョーに高いと思う。少々落っことしてもキズは付くが壊れはしないかな。絶対に落としちゃダメだケド。 雑誌などに載っている写真では、イマイチ大きさが分からなかった。実際に見ると、思ったより大きいのである。DP-85の上に乗っているこの写真ならば、何とかお分かりいただけるだろうか。 ある友達はこのルックスを表して「メタル鯉のぼり」と言った。中央やや右寄りに開く窓。電源が入ると蒼く幻想的な灯がともる。ここからは分厚いガラスを透して中の基板とパーツが見え、これがまた何とも言えない高級感をカモシ出すわけである。 DP-85のD/OからDAC64のD/Iに同軸で繋ぎCDを試聴する。リヤパネルにはメモリーバッファ切換えスイッチが付いている。ジッターの低減に効果があるという。僕はこういうことの理屈がまったくワカラン、ので、ともかくは一番単純な「バッファOFF」モードで聴いてみるのである。 極めて良い音である。低歪み、高解像度、実に爽やか。低域に独特の弾力感があり、中高域は明るく散乱する。ハイの伸びも特筆もの。よく言われる「ディジタル臭さ」はまったく感じられない。繊細微妙。しかも一音一音が瑞々しく、つやつやした音の質感はまったくに素晴らしい。重量4kgと数字だけをみると軽量級だが、筐体の剛性が効いているのか音に脆弱な印象はない。音場感も極めて広い。音離れが良く、スピーカーに音がまつわりつかないのは快感である。なるほど、こういう音だったのか。評価が高いのも充分頷けるのである。 スゲエスゲエと連発して聴いていたら「それじゃ、次、行こうか」と友達は立ち上がるのだった。そう、写真では2台のDAC64が積み重ねてある。「次」とは、DAC64/2台パラ駆動で聴いてみようというわけである。 この音がまた、ヨロシイやおまへんか。 |
さらに
連日のご来客である。この三日間が僕の夏休みなのである。 ここに写っているお二人に加え、フレーム外にもうお一人いらっしゃる。例によって雑然とした部屋で、例によってヨタ話の最中である。もちろん音もちゃんと聴いているわけで、今回も面白いネタを得られた。それについてはまた後日報告したい。 それにしても汚ねえ部屋だこと。掃除はどーしたんでしょうか。お越しの皆様、本当にゴメンナサイ。 |
掃除のみならず
いつもなら試聴中の風景を載せるのだが、今日はどういうわけかPCの前で作業するshuさんの姿である。 午前中にご到着後、少し早めのお昼ゴハンを済ませ箱船へ。ともかくはメインシステムの音を確認してもらい、その後は今日のお目当て、スーパーレアESの試聴である。shuさんの耳にはどのように響いたか、それは後日のご感想に待ちたい。「う〜む、こりゃ悩むなァ」と漏らされたことだけはお伝えしておこう。 2階で休憩中、shuさんがPCにとても強いことを思い出した。以前、より快適なPC環境を整えてくれたのも彼である。そこでちょっとご相談。 5月に導入した家庭内LAN。これが今、正常に動作していないのである。互いの共有ファイルフォルダを開くことができない。各々の中にあるものはもちろん参照できるわけだが、共有させているフォルダは表示さえされないのである。「マイネットワーク」を開き、イントラネット上のコンピューターを表示させても、見えるのはそれぞれのコンピューターだけ。これじゃ何のためにLANを組んだんだかさっぱり分からない。ルーターが無用の長物と化しているのである。 設定してくれた電気屋さんに尋ねてもイマイチ要領を得ず、こうなったら僕はもうお手上げである。仕方がないのでシクシク泣きながらそのままにしていたのだが。 彼の手にかかれば、こんなトラブルは一発解決である。赤子の手を捻るようなものだ。僕から見れば彼の手際の良さはあたかもマジックの如し。未だ嘗て開いたこともないようなウインドウをどんどん開く。暗号のような文字数列を恐ろしい速さで打ち込む。フットワークも軽快に箱船と母屋を行ったり来たり。フムフムと頷きながら設定の問題点を明らかにし、次々と解決して行く姿は頼もしきことこの上なし。あっという間(と言っても2時間くらいは作業させてしまった。ごめんなさいね)にトラブル完全解消である。 ついでに(と言ってはヒジョーに失敬である)ルーターの設定確認もしてもらい、現在、極めて快適快調に動作している。嬉しくなってしまってこの日誌も母屋のPCで書いているのダ。 掃除を手伝わせるのみならず、LANの不グワイまで直させてしまったのである。こりゃほんとに罰が当たるぞ。 shuさん、いつもながら本当にありがとう。さぞお疲れ様だったことでしょう。次回はもう少しゆっくりとお出でくださいね。って、また何をさせるか分からんくずてつなのであった。 多謝。 |
急遽ご来客
「明日、お邪魔してもよろしいですか?」。えらく突然の連絡にちょっと驚いた。これまでに数回お出でたことのある友達からの電話である。週末だがお盆直後ということもあり、僕の予定は空いている。仕事関係で関西へ出かけていらっしゃるという。滅多にない機会でもあることだし、喜んでお出でいただくことにした。 今回、彼のお目当ては、上の写真スーパーレアESであるらしい。今後、オリジナルスピーカーを自作するための参考に、是非聴いておきたいそうだ。どうやら彼はFE-168ESでのシステムを考えているようなのである。箱船がお役に立てれば、僕にとっても幸いである。 だが、急遽決まって一番困るのは、毎度のことながら部屋ソウジである。実は24日から別の来客があり、そのための掃除日が23日だったのである。部屋はメチャクチャ、さあどーしよー。だから常から綺麗にしときなさいって。 「今、部屋がメタクタにキタネエよ。明日が掃除日だったから」と言ったら、「それじゃあ聴かせていただくお礼に、お掃除を手伝いましょう」と彼は言った。こういう奇特な人も珍しい。そう言えば彼の掃除と整理は、僕より遥かに上手かった。以前、ゴミダメのようだった2階を綺麗にしてくれたっけな。 そーゆーわけで、明日の友達はスーパーレアESの試聴と、箱船掃除のために来てくれることになったのである。こういうケースは初めてである。なんちゅうバチ当たりな話なのだろうか。畏れ多くもお客様に掃除をさせる。何様のつもりか、くずてつ。 グウタラでごめんなさい。 |
長持ちするのはどちら
先月17日、修理に出したSP-10MkIIIの電源が帰ってきた。嬉しいことに故障完治してのご帰還である。ストロボライトは正常に点灯し、メカニカルブレーキも本来の効きを取り戻した。ああ、ヨカッタ。これも友達の助言があってこそ。ありがとうございました。 修理報告書には「トランジスタ不良、交換、各部動作点検致しました」とある。交換されていたのは写真のものである。松下製パワートランジスタC1846。接写したので大きさが分かりにくいと思う。実物はモールド部分が11×8×3mmの、如何にも小さなパーツである。これ1個だけ。うろ覚えながら、以前の故障も同じ型番のトランジスタを交換して完了していたような気がする。ウィークポイントなのかしらん。 最初、電源部だけを修理依頼した。後でメーカーから「モーター本体がこちら(メーカー)にないので故障状況の再現ができない。本体も送って欲しい」と連絡があった。ナルホド、メーカーも既に持っていないのだなァ、このモーター。 本音を言えばモーター本体の輸送はあまり嬉しくないのである。重いプラッタ、センターシャフトの歪みも怖い。だが、これが無ければ修理できないというのであれば致し方なし。包みに「プラッタ着脱には充分注意のこと」と大きく朱筆して送り出した。思えば失礼な話、大きなお世話である。 帰ってきたものを見て「要らんことを書いてしまった」といささか恥ずかしかった。新しいダンボール箱に再梱包し、緩衝材がこれでもかと充填してある。ご丁寧にもプラッタは防錆紙でしっかりと包まれていた。もちろん動作には何の支障もない。完治である。テクニクス、まだまだちゃんと対応してくれるのである。 今回はおかげさまで無事修理完了した。本当にありがたいことである。だが、次はわからない。時が経つにつれ修理は困難になって行くだろう。今でも故障部位によっては修理不可だという話も仄聞する。 現状スペアと合わせて2台所有する。この修理でどちらも完動品となった。この先、両方が修理不能になるのと、くずてつ本体が修理不可能になるのとどちらが早いだろうか。 モーターのほうが長持ちすれば、それで問題ないわけである。 |
徳さん結縁
図らずもご馳走をいただく機会が続いてしまった。こんなことは珍しいのである。 今夜は友達の徳さんが僕を労ってくれるということで、一席設けてくれた。僕の何を労う? ま、この一年ほど、イロイロあったわけだ。6月末、全ての段取りが完了した時点で、既に計画してくれていたらしい。本来ならワタクシのほうが徳さんを労うのが正しい道だと思う、のだが。これじゃあべこべである。徳さん、今日は本当にありがとう。大変美味しくご馳走になりました。次回は僕のほうで。 昨年夏からほぼ一年に渡って取り組んできた事柄について、ひとかたならぬお世話になった大先輩のA氏、一大決心をしてくれたM君との「四人の会」である。F知山市内の、ちょっと洒落たお店で「精進懐石」をいただきながらのひとときはとても楽しかった。 A氏とは随分前からの既知である。だが、こうしてゆっくりお話しするのは初めて。業務の面でも個人的な面でも大いに感を同じくするところがあり、僕はヒジョーに嬉しかった。やはりこの業界にも、マイノリティーながらこういう方はいらっしゃるのである。ありがとうございます。オイラもぐゎんばらねば。 写真でビールを豪快に飲んでいるM君(ホントはそんなに飲めないのだそうだ)は、これからの人である。今、第一歩を踏み出したばかり。今後の活躍と手腕に心から期待し、応援するのである。一つ一つ筋を通しながら、共に歩いて行きましょう。 徳さんが中心となり結んでくれたありがたいご縁である。業務でご縁に助けられ、オーディオでも仲間のご縁に助けられ、僕はもう足を向けられるところが無くなってしまいました。立って寝ろ。全てのご縁を大切にせねばならぬ。 お三方、今後ともグウタラくずてつを宜しくお引き回しください。伏して御願い奉る次第でゴザイマス。 |
幸せ
「お盆行事完了記念大ぱーてー」である。今年は愚息達も貴重な労働力として大いに役立ってくれた。そのゴホウビの意味もあるわけだ。 典型的「ヤセの大食い」であることろの愚息1号2号は尚更に食欲全開。大量の肉と野菜をバリバリと食べてしまった。コイツら、高校生くらいになったらナンボほど食うつもりなんだろう。親芋痩せる、小芋は太る。 野外でゴハンを食べる。開放感が食欲を増進させるのかな。僕自身もこの夏初めてマトモにビールを飲んだし、滅多なことでは飲まないカミさんも缶酎ハイレモンの小さいヤツを「おいしいワー」と言って飲んでいた。 美味しいものを食べられる喜びは、いい音を聴ける喜びにも似ていて、心の底から幸せな気持ちなれるのである。美味しいもの=好きなもの、であることが多いわけだから、音についても同じことなのだろう。 良い音=好きな音。食べ物のバヤイ、好きなものばかりを食べていると健康を害するおそれもある。その点、オーディオは安心である。好きな音だけを聴いていて死んでしまった、という話はあまり聞かない。細かいことは気にせず、好きな音だけを開放的に明るく楽しめばそれで吉。外野がどう言おうと、そんなこたあ知ったこっちゃねえのである。 オーディオマニアという人種、食べ物の味にウルサイ人が多いような気がする。 |
夏、煮え切らず
今月2日の日誌には「ようやく夏らしい天気になった」と書いた。しかし本当に夏らしかったのは6日間だけだった。7日から怪しくなって8日には大崩れ、9日は台風がやって来て、10日からは台風一過の爽やか天気、にはならず梅雨に逆戻りである。今日も一日冴えない天気で、気分は滅入るばかりだ。ちっとも高揚しない。なんちゅう夏だろうか。 ご覧の写真は、特に珍しくもないアブラゼミの抜け殻である。冷夏だから数が少ないかと思いきや、そうでもない。その辺の樹を見て回ればいくらも見つかるし、庭では成虫が盛大に鳴いている。ただ、鳴き声(正確には声ではないが)には心なしか元気がなく聴こえる。切れが悪いのである。 既にお盆も過ぎ、今年の夏はこのまま煮え切らずに終わってしまうのだろう。こればかりは自然の営み、人間様の力が及ぶところではない。だが、何だかヒジョーな損をしたような気分。オイラの夏を返せと、叫びたくなるのだった。 オホーツク高気圧の勢力が強く、太平洋高気圧が張り出せない。ので、梅雨前線が北へ押し上げられないまま列島の真上にのさばっているのだそうな。今や梅雨前線はそのまま秋雨前線に名称変更、やっぱり梅雨明け宣言を撤回しそうな雰囲気になってきた。長期予報は難しいものですなあ。 ニイニイゼミが消え、アブラゼミの声に混じってミンミンゼミ、ツクツクボウシが聴こえ始めると、もう秋のかかりである。 今日、今年初めてのミンミンゼミを聴いた。 |
完全変態
この手の虫が苦手な方、たいへん申しわけございません。ムシして下さい。(座布団持ってけー!)。 庭に小さな山椒の木がある。これには毎年この虫が付くのである。そう、ご存知の方も多いだろう、アゲハチョウの幼虫である。 コイツらはどうしたことか匂いの強い葉が好きで、山椒のほか蜜柑、枳殻(カラタチ)、柚などの柑橘系の木にも付く。これのご親戚さん、キアゲハの幼虫はニンジン、セリ、セロリ、パセリなど、やはり匂いが強い系の野菜を食草にしている。セのつく野菜が多いな。アゲハチョウ一族の特徴なのかしらん? 蜜柑や野菜を育てている人たちにとっては、はっきり言って害虫である。食欲はもの凄く、大量発生すると木や野菜はあっという間に丸ボウズになってしまう。いたのはコイツの他に2匹だけ、特に山椒栽培しているわけではないので、ウチではごゆっくりお過ごしいただいて結構なのである。 大きさは3cm弱、第4齢から第5齢(終齢)に脱皮したばかりくらいだと思う。これから馬力をかけて葉を喰いまくり、5cmくらいまで太ったところで蛹に変身。おそらく来月中には成虫に羽化する予定だろう。夏型アゲハである。 丸く盛り上がった頭にある丸い茶色斑紋。まるでこれが目のように見えるが、これはただの目玉模様である。本当の目は一番先っぽ下部分の目立たないところにある。大きな目玉模様で鳥などの捕食者から身を守っているわけである。体の小さい第1齢〜第3齢までの体色は緑ではなく、暗褐色とクリーム色のツートーンカラーで鳥のフンにそっくり。これも彼らの生き残り戦略である。 第1齢から蛹化、羽化まで、合計6回の脱皮を経て蝶になる。完全変態である。脱皮毎に段階を踏んでグレードアップして行くわけだ。 僕のオーディオは、今どの段階にあるのだろうか。第1齢か、良くて第3齢か。せいぜい鳥のフンくらい。順調に脱皮を繰り返し、末は立派な完全形になりたい、とは思うのだが。 途中で脱皮に失敗し、死んでしまうヤツもいると聞く。大丈夫かな? |
問題は大きさだけ
いつもいつも同じような写真ばかりで恐縮である。何とか良い構図はないかと思案するのだが、いかんせんセンスが無く、ご勘弁いただきたい。 さて、二晩ほど鳴らしっぱなしにしたスーパーレアESその後である。無人で鳴らすわけだから、万が一のことを考えると無茶はできない、と言いながら、一般的な住宅で同じことをすれば家庭ホウカイを招きそうな音量ではある。スミマセン。 当然エージングはどんどん進み、鳴らし始めとは比べられないほどスムースで繊細に変身しているのである。聴感上のレンジはぐんと広がった感じ。高域のカショカショした感じはほとんどなくなった。ソフトの差もよく出る。SSよりもパワーが入り、しかも歪み感は少ない。見た目コーンは相当に振れているのにもかかわらず、中高域のモジられグワイが少ないのである。質感が高く、それでいて切れが良い。BH特有のスピード感と品位の高さが両立した、極めて優秀なスピーカーシステムである。 16cm一発とは思えないような大音量再生可能。どちらかと言えば音量を上げて本領を発揮するタイプだと思う。僕みたいに異様なほどの大音量を求める人は少ないと思うので、通常これがあれば充分イケる。却ってフルレンジ一発のメリットが生きてくるのである。 さすがに超低域、30Hz以下になると苦しい。M&Kのオルガン、カウボーイジャンキースなども聴いてみたけれど、これらの超低音を完全に再生するのは無理な話である。物理的に不可能なのダ。能力の差ではない。 しかし、このスピーカーを中心としたシステムを構築してみたくなったのもまた事実。サブスピーカーとしてアクビさせておくのは勿体無いのである。ローハイをSWとトゥイーターで補強する。上手くやれば超ハイファイ、超高品位サウンドの再生が可能になるはず。SWの設計選定には相当苦労しそうだが、やり甲斐はある。 多くの点で168SS使用時を上回るパフォーマンスを示すSレアESだが、現時点では「青空天井の爽快さ」というただ一点に於いてSSに分があると感じた。されど総合的な音のクオリティでは168SSを圧倒する168ES、208ESの時もそうだったように、将来的にはエージングと使いこなしでSSを完全に凌ぐことはまず間違いないのである。 スペースファクターだけが問題か。デカイです。 |
今だからこそ
オーディオネタは閑話休題。 今日でお盆の行事が全て無事完了した。それを祝して愚息二人とともに記念写真を一枚。テキト〜な台にカメラを置いてセルフタイマーで撮ったので、足が切れてしまいマシタ。更に、アタマをくずてつタマゴで揃えてみたら、正体不明のエイリアン家族みたいで非常にブキミである。ここは一つご勘弁願いたいのである。 愚息達が各々1人でお経を読んで回ったのは今年が初めてである。住宅地図と経本を片手に一日20軒、多くのことを学んだようだった。それもこれも頼りない小僧を快く受け容れてくださった檀家の方々のおかげさまである。心から感謝申し上げたい。 後継者の育成は宗制にも規定されている通り、住職にとって極めて重要な責務の一つである。僕自身、責任の重さを常に感じながら、愚息達に躾をするわけである。但し、如何に我が子とはいえ独立した人間である。彼らの将来をスポイルするつもりは毛頭ない。やりたいこと、なりたいものがあれば、彼らの価値観によって好きな道を歩めばそれでよいのである。 僕は唯、今この時できること、行うべきことを粛々と実行するのみである。畏れ多くも御仏飯を食んでいる今、子供と言えども日々を徒に過ごすことは許されないと考える。ここに住する者のケジメである。それが僕流の躾でもある。愚息が成人した時、彼らがそれをどのように評価するのか、そんなことは僕の知ったことではない。子育ては結果論なのである。 親と子が、同じ家で同じときを過ごせる間は思いのほか短い。殊に近辺に大規模教育機関がない当地では尚更である。19歳になる頃には家を出て行ってしまうことが多いのである。本当の会話ができる時間は長くて10年程度、そんなものは夢の如く過ぎ去ってしまう。愚息1号であと6年、2号でも8年しかない。 とっとと親離れして自活できるようになってもらうためにも、僕は今を大切に一所懸命対話し、躾するのである。できるだけ早く、一人で立っておくんなせえ。 「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」 |
ESにはESを
換装完了。スーパーレアESのヘッドに無事収まった168ESの勇姿である。なかなか格好良いのである。 さて、鳴らし始めの音や如何に。 音出し一発目は、極めて生硬い音である。これは当然である。6年近く使い込んだ168SSとは違う。特に高域にその印象が強く、伸び悩んでカショカショしている。ナニ、心配の要はまったく無い。1時間もガンガン鳴らせば見る見るうちにこなれてくることは明白である。 現在ウォーミングアップ約2時間経過。最初の30分は中音量、次の1時間は大音量、そんでもってギリギリいっぱいの大音量で30分。あっという間の大変身である。高域はシャープで繊細に、低域はより自由闊達に、グイグイと押し出してくる。ローハイのバランスが絶妙で質感も高い。ボーカルは極めて明瞭で切れが良く、しかもヒステリックさは皆無。音離れの良さはSSを上回り、音場は渺々として広大無辺である。 今晩のイムプレッションはこんなところか。まだまだ2時間、聴いたソフトは少ない。未だADを聴いていないし、あまり尤もらしいことは書けないのである。一晩二晩鳴らしっ放しにし、明日からは更に事細かな試聴をしてみたい。 ESにはESを。これだけは現状でも確信を持って言えるのである。 |
ほぼ完了、だが
お盆の行事がほぼ終わった。あとは近隣へのお手伝いを残すのみである。 今年は昨年以上に愚息二人の助力を得、余裕を持ってこなすことができた。ありがたいことである。昨晩は気が抜けたのか、晩ゴハンが終わったところで完全にスイッチ切れ。亡霊の如く歯を磨きおぼれそうになりながら風呂に入り、そこでパワーが切れてしまった。早く168ESを着けたスーパーレアESを聴きたいのだが、なかなかそこまで行けないのである。 今夜は何とか。 |
奉謝お知らせ
複数の友達から「FE-168ES、まだコイズミ無線で買えるようだ」と親切な連絡があったのは、7月15日にスーパーレアESのことを書いた直後だった。東京から遠く離れて暮らす僕にとって、こういう鮮度の高い情報は非常にありがたいのである。ああ、僕も一度くらいは首都圏で暮らしてみたかった。...そんなことはどーでもヨロシイ。 で、問い合わせてみたところが情報に間違いはなく、無事新品の168ESを2本入手することができた。おかげさまです、ありがとう。情報提供から1ヶ月、迅速な対応とは言えない。実はSSでの音を聴くまで、些かの迷いがあったのだった。 さて、入手したからには168SSに替えてこのユニットを使うべし。ES専用に進化したスーパーレアであってみれば尚更である。 ところが今日は如何せん、お盆の檀家さん廻りで身体はフニャフニャである。交換しながら居眠りをカマシてしまいそうなので、作業は明日以降に持ち越すことにしたい。 レンチでコーンをぶち破ったりしては大変なのである。 |
我が音
「ブーツ」「スーパーレアES」と、先月から続けてSネッシー以外のスピーカーシステムを聴く機会を得ることができた。久しぶりにSスワンも聴いた。これまでにはあまりなかったことである。これも仲間とのありがたいご縁の為せる業。おかげさまで多くのことを学べたのだった。 エージング(と言うよりウォームアップ)効果は極めて大、鳴らし始め直後の音で判断しては遺憾こと。セッティング状況は極めて重要なこと。部屋の影響は大きいこと、等々。全て当たり前のことである。当たり前だが、実際に様々な現象を目の当たりにすると、改めて一つ一つを実感するのだった。「一より始め十を知り、十より還る元のその一」とはよく言ったものである。 僕自身のスタンスを再確認するにも大変良い機会だった。聴いたのは現用スピーカーシステムよりも口径の小さいものばかり(現用より大きなものなんかそんなに無いケド)である。上限16cmフルレンジ一発まで。随分とシンプルなシステムでもあるわけだ。 リミッターの少なさ故、音には無作為の自然さ、鮮度の高さがあり、実に気持ち良い音で鳴るのである。だが、普段大口径大面積サウンドに慣れてしまった僕の耳には、ある種の喰い足りなさが残るのもまた事実である。一番の違いはスケール感と抑圧感の無さ。思うが侭に大音量で鳴って見せる様は、大面積でないと得られぬ世界であることを痛感するのである。 箱船の音が万人に向けて誇れるようなものであるとは一切思わない。端的に言って「くずてつ向け限定」であると言っても過言ではないと思っている。他のシステムを聴くことで、そのことを再確認できたのは、僕にとって非常な僥倖だった。 今までにやってきたことが「個人的に」間違いではなかったこと。それが判明しただけでも、僕は大いに喜びを感じるのである。 自分の音、再発見。容易ではないのんである。 |
旧き良き時代
友達が名誉回復の写真を送ってくれた。「ほとんど化粧直しの終わった007と7000の親子記念撮影です」と。どうもありがとう。何と彼はSB-7000ユーザーでもあったのである。立派なオーディオマニアではアーリマセンカ。 9日の写真ではジャンク品にも見えたSB-007は、ご覧のように綺麗な姿で復活している。うむ、お見事であります。非常に「い〜い音で鳴る」のだそうで、こういうユーザーの許へ縁付いたスピーカーは幸せである。 親子揃い踏みの写真は珍しいのではないか。それにしても7000の迫力には圧倒される。SB-7000、別名Technics7。35cmウーファー、12cmスコーカー、3.2cmドームトゥイーターの3ウェイ。480W×845H×410mmDの威容は写真からも充分伝わってくるのである。1本90,000円。当時テクニクス、カタログに謳って曰く「リニアフェイズの原器」。相当な自信が伺える。 1970年代のオーディオは面白かった。長岡先生の著書「日本オーディオ史」(音楽之友社刊)にも見える通りである。大手メーカーが次々とオーディオに参入、それによってCIの向上を狙った。狙って当たったメーカーもあれば、外し続けて早々に撤退したメーカーもあり、しかし百花繚乱でヒジョーに楽しかったのである。中〜高校生だった僕は、それを羨望しながら「いつか買ってやる」と虎視眈々だった。が、買えるようになったらオーディオブームはとっくに終わっていた。 SB-7000、007とはそういう時代のスピーカーシステムである。今や「旧き良き時代の」といっても良いと思う。 ガンガン鳴らして大切に使ってください。 |
背筋を伸ばして
忙中閑あり。お盆の間隙を縫ってスーパーレアES準備完了である。ユニットはリヤカノンLからリタイヤしたFE-168SSである。ミスマッチングを承知で早速試聴する。 いやいやどうして、決してマッチングの悪い音ではない。何処にもわだかまりのない音。入ってきた信号を何らこだわらずにそのままスポンと音に変えたような気分の良さがある。「屈託ない音」とは陳腐な表現だが、正にそう言いたくなるのである。並外れた音離れの良さと立ち上がりの鋭さ、トランジェント最高、一片の雲もない晴天サウンド。思わず背筋が伸びてしまうのである。音場感は超S級、素晴らしいのである。トゥイーターの必要は感じない。 本家方舟で聴いた時よりも低域の伸びがあるように聴こえるのは、空気室(ヘッド)内容積、スロート断面積の違いによるものか、或いはDFリングの効果も大きいと見るべきだろう。SSシリーズユニット+DFリングの組み合わせを聴くのはこれが初めてなのである。 但し、押し出しとスピード感はやや落ちている感じもある。168ESに換装すれば、伸び、量感を保ったままスピード感も出てくるだろう。トゥイーターは必要になるかも知れないが。 168SSというユニットの限界も感じた。ボーカルがちょっとカサカサし、ぐーんと声をはりあげた時にはキツさが出てくるのである。最後まで伸び切らず頭がクリップしている印象だ。この感じは208SSにもあった。やや絶叫調。この辺を解決したユニットがESシリーズであるとも言えるわけである。 この音、一聴の価値大いにアリ。そうそう聴ける音ではない。個人的にはヒジョーに好きな音である。だからこそ、168ESで聴いてみたい気持ちは抑え切れない。実は既に手当て済みなのである。止まりませんなあ。 スーパーレアES。極めて優れたキャビネットである。 |
念ずれば花開く
この写真を一目見て「あっ、懐かしい」と思われたアナタ。相当なヴェテランマニアである。そう、まだテクニクスがヒジョーに元気だった頃、リニアフェイズスピーカーシステムSB-7000のミニチュアモデルとしてリリースされたSB-007である。1976年発表。 1.2cmドームトゥイーター、6cmスコーカー、20cmウーファーの3ウェイ、重量9kg。ミニチュアながら正しくリニアフェイズシステムである。当時の定価は1本50,000円。はっきり言って高級機である。 遠方の友達から「25年間未開封で保存されてきたものを入手したが、傷みが酷い。片側のウーファーがぶっ壊れて鳴らない。何か方法はないか」というメールが届いた。写真に見える通り、状態は非常に悪そうである。未開封とは言えこれはキビシイ。ボイスコイル断線の可能性も高いだろう。そう思って「ちょっと無理かなあ」と役に立たない返事を出したのだが。 なんと、息を吹き返したのだそうな。このスピーカーに思い入れの深い彼は、ネット上で僕より余程詳しい人のwebページを検索、アドバイスによりターミナル部分のハンダ不良を発見し、遂に再生させたのである。御立派でございます。おめでとう。念ずれば花開く。信ずる者は救われる。役に立たねえのはくずてつである。 かつてオーディオファン、元(今も?)アマチュア無線マニア、そんでもって今後オーディオマニアのK氏。これでオーディオへの道に弾みが付こうというものですな。レストア完了の暁には、僕にもSB-007の音を聴かせてくだせえ。 ご検討を祈ります。 |
円成感謝
今年も施餓鬼供養を終えることができたのである。台風襲来前の所為か、ヒジョーにムシ暑い中での法要だったが、施餓鬼はこうでなくちゃあイケナイ。涼しいコレなんか値打ちがないのである。 ともかくも今日が終ればお盆が半分以上済んだような気分になれる。施餓鬼とは、お寺にとっても僕にとっても、それほどに厳粛で重要な行事なのである。 猛暑の中、お手伝いいただいた方々、参拝してくださった方々、全ての方々のおかげさまである。無事に終れたことを、心から感謝したい。 伏して願わくば、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを。 |
グニャグニャ
この夏で一番暑い日だったのではないか。 1年365日はあっという間に過ぎ去り、明日(8/7)は毎年恒例の施餓鬼供養である。今日は朝から晩までその準備でドタバタ、ヤレヤレ大方終ったと、カラカラ喉に缶ビール350mlをゴキュゴキュと流し込んだらもうグニャグニャである。スーパーレアを鳴らせるところまではとても行けそうにもない。毎年のことながら、この時期はなかなかキビシイのである。 今夜はこのままフトンへ直行ということで、すんずれいいたしやす。 |
スーパーレア乗船
近くにいる友達の協力を得、スーパーレア箱船乗船である。やたらと重いこのキャビネット、一人で運ぶのはとても不可能だった。憲さん、どうもありがとう。 あとはユニットを付けるだけですぐにも聴けるのである。ともかくは手許にあるFE-168SSから。168ES向きに改良されているキャビである。ベストマッチングではないのを承知で聴いてみよう。 箱船でスーパーレアを聴くのはこれが初めて、ヒジョーに楽しみなのである。 |
多雨とコンクリート
この夏、まともに朝焼けが見られるようになったのは8月に入ってからである。6月7月は圧倒的に曇天雨天が多く、ほとんどダメだった。朝焼けに透明感と力感があるのは6月下旬〜7月上旬、夏至の前後である。それに比べると8月のは、ややくすみがありどことなく秋を感じさせるのはちょっと寂しい。ホンマモンの夏は、既に終ってしまった。 今年は箱船10周年である。工事をした1993年は、記録的多雨の年。記録的悪天候の夏だったと言ってもよい。気象庁は一度出した梅雨明け宣言を秋になってから撤回、「1993年の梅雨明けはありませんでした。スンマセン、ウソついてました」と、ジミー大西(古!)みたいなことをゆった。今年はそれほどではないにしろ、先月まではよく似た感じだった。 「天明の飢饉」(1783〜1787年、浅間山の大噴火がその起こり)以来200年ぶりの大凶作と言われ、社会的には大きな不安が広がる1993年だったが、箱船建築工事にはこれ以上無いというほどの好条件であった。 コンクリートが硬化するときには、雨が降っているほうが良いのである。カンカン照りで一気に反応が進むと却って強度が出にくく、後になってクラックが多く入ったりする。適度に水で冷やされながら、徐々に硬化することで所定の強度が出るものらしい。長雨のお陰で、未だに箱船はクラックが少なく良い状態を保てることになった。何が幸いするかわからないのである。 但し、良いことばかりではない。完成後はコンクリートの水気がなかなか抜けず、'94年の夏はカビの猛威にさらされることになった。箱船全身是カビだらけ。そりゃあもうモノスゴイもので、写真に記録しておかなかったのが惜しまれるくらいである。室内のカビ臭が完全に抜けたのは最近のこと、ケチって換気扇をつけなかった階段下の物入れは、今以てカビ臭い。2階のタイルカーペットを剥がせば、裏には未だに痕跡を見ることができる。見たくないケド。 物事全て一長一短、メリットデメリットは表裏一体。何分にも人智の及ばぬ自然現象である。人間様も敵わない。 今年の6月〜7月は、コンクリート工事向きの天候だったのである。 |
俄か職人
お盆が近い。となれば境内の掃除刈り込みが絶対必要である。プロに任せりゃ話は早いのだが、そうとばかりも行かない。俄か植木屋職人に変身し、慣れない手つきで中庭の植え込みをガシガシ刈るのである。 ムカシは刈り込み鋏でチョキチョキやらねばならなかった。シロウトが上手くコントロールするのは大変で、しかもヒジョーな重労働。木は切れずに息が切れて(何処かで聞いたような)大変だった。サルを追いかけて植木屋になったバカボンのパパみたいには行かないのである。 今はありがたいもので、「ヘッヂ・トリマー」という電動刈り込み機がある。「hedge trimmer」。正に「生垣刈り込み機」である。お陰で作業は随分と簡便になるのだった。 ノコギリエイの鼻っ面みたいな形をしたこの機械、要するにバリカンの親方である。これで新芽が伸び放題の植え込みをさっと撫でれば大方OK。僕のようなドシロウトでもある程度格好がつくのである。しかしそれは何処まで行っても「ある程度」であって、仕上がりはご覧の通りデコボコである。まあイイ。これも自作の愛嬌である。 3時間ほどの作業で中庭は終った。最初は軽いと感じた自重がだんだんと重くなり、最後は握力が落ちてヘロヘロになってしまった。今も二の腕がビョミンビョミンしている。普段の懈怠がバレようというものである。これしきのことで、お恥ずかしいことこの上ないのである。 多少出来が悪くとも、そこそこ綺麗になった庭を見るのは気持ちが良い。この勢いで裏庭まで一気に行くか。こりゃ確かにスピーカー自作と似てるな。 ナルホド、長岡先生の快感とはここにあったわけだ。 |
自由に
システムをスクリーン側から見る。太いケーブルが錯綜し、機器はラックからはみ出てかなりゴチャゴチャしている。かつてこの光景を見て「工場みたいだ」と漏らした人がいた。確かにそうかもしれない。一般的なオーディオのイメージからすれば、馬鹿げて大袈裟なシステムだと、僕も思うのである。 最初からこうしようと思っていたわけではないのである。ここが気になるからこうしよう、あそこが気に入らんからああするかと、10年経ったらこうなっちゃっただけ。自由勝手にやってきた結果であるとも言えるわけだ。 何のためにオーディオするかと問われれば、答えは一つしかない。自分のためである。自分の好きな音楽(だけに限らず)を自分の好きな音で聴ければすべて完結、するのがオーディオである。他に比較して優劣を決めるというものではない。この10年間、箱船を訪れた人々の反応を見て痛感したことである。 ある人は「こんな音を自分でも実現したい」と激賞する。またある人は「こんな音聴いて何が面白いのか」と酷評する。大変結構、オーディオとは斯様に多様で自由であるべきなのだ。 自由さという楽しみを失ったオーディオはどうなるか。「道楽」から「楽」が取れて「道」になってしまうわけである。「オーディオ道」。それなれば不自由なのもストイックなのも他と比較して優劣を決めようとするのも頷ける。が、少なくとも僕の好みではないのんである。 僕はこれからも「道楽」として自由に楽しみたいと思う。その結果、今は工場みたいなシステムがゼンゼンそうでなくなっちゃう可能性もあるのだった。 「オールインワンが一番だよ、キミ」ってか。 |
竜神様と鯨大王
近畿地方の梅雨明け宣言以来、ホンマに明けたんかいなという天気が続いていた当地である。8月に入っての1日目は、漸くにして夏らしい好天になった。年中で一番暑い土用も過ぎ、既に夏は半分が終ってしまってからこの天気。僕はクヤシイのである。 今日は業務で舞鶴市へ出かけた。ウチから舞鶴へ出るには、海岸線を宮津市方向へ東進すること約1時間。そうすると当然海水浴場の近くを通過するわけだ。写真は宮津市奈具(なぐ)海岸の風景である。この先には宮津市由良海岸、舞鶴市神崎海岸と、海水浴場が続くのである。 写真右手奥に見える半島は、舞鶴湾の入り口東側に突き出す博奕岬である。なんちゅうネーミングだ。バクチ岬。まさかバクエキ岬ではあるまいにと、調べてみたらやはりバクチ岬だった。 こういうとんでもないネーミングには何か謂れがあるのが常である。 ≪昔々、この岬に名がついていなかった頃、竜神様と鯨の大王が岬の沖で出会った。二人とも日ごろから自分が一番強いと思っておったものやから、お互いにに自慢の言い合いを始めたそうや。 鯨大王は言った。「俺は世界の大海をまたに泳いでいる。深い海でも潜ることもできるのや。俺より大きい魚はいない」。竜神様も負けずに言う。「アタシは大空を高く飛べるのや。速さだって誰にも負けたことはない」と、どちらも自慢話は尽きなかった。互いに負けず嫌いなものやから、腕尽くで決めようということになったのやが、竜神様は女神様なのでグワイが悪い。そこで知恵比べで勝負を決めることになったのや。 近くの浜にころがっている黒と白の石を使い、鯨大王と竜神様は囲碁で勝負することになった。どちらも大変に碁が強く、勝負は長引きなかなか決まらんかった。何年も、何十年も、何百年も決まらンかった。終いにはどうなったかわからんくらい永い時間が経ち、いつの頃かこの岬は「博奕岬」と呼ばれるようになったのや≫ 博奕岬の付け根辺りには瀬崎海岸という海水浴場がある。ここは北側が白色の花崗岩質砂、南側は暗褐色の輝緑岩質砂と、線を引いたように分かれている珍しい海岸だそうだ。こういう地理的環境もあって、上のような言い伝えが出来上がったのだろう。聞けば「バクチ」のイメージからは程遠く、長閑な話である。 「随分永く勝負してるケド、もうなんどきやろ?」 「クジラ」 どっとはらい。 |
DFで決まり
スーパーレア改用のFE-168ESを入手する前に、やっておかねばならないことがある。それはDF168を用意することである。これがなくちゃあハナシにならない。男は黙ってDFリング。決まりである。 ご無理を承知でとんぼさんにお願いする。クレーマーからの言いがかりに困惑され、頒布を控えていらっしゃるのは既報の通り。誤解のないように申し上げておく。とんぼさんに一切の非は無いのである。 斯かる状況にもかかわらず、製作をご快諾いただけたのはとても嬉しかった。とんぼさん、ありがとうございます。 ご覧の通り、DHK無しで充分美しい仕上がりである。素晴らしい。ヘッドバッフルにばっちり収まった厳つい容貌は、良い音で鳴ることを予想させるに難くないのである。こうでなくちゃあね。 ここまで来ると悠長に168ESを待てなくなる感じだ。リヤカノンLからリタイヤした168SSが余っているので、ともかくそれを付けて音を聴きたくなってしまった。上手いグワイに内部配線にはファストン端子が付いている。ユニット交換は極めて容易である。う〜む、ムズムズする。 168ES用に改良されたキャビに168SSを付けて聴くことで、尚更に168ESが欲しくなる可能性大。なにはともあれ、聴いてみるに如くは無し、と。 煩悩は尽きず、オーディオ道楽。 |