箱船航海日誌 2003年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’03/11/30 (日)

ジャケも音もブキミ


 夢に出てきてウナされそうなジャケットである。なんちゅうブキミな。大体がこれは何だ。どこかのオーディオ系雑誌で見たようなカオ、と言えなくもない。イヤ、失敬。

 「Limpe Fuchs/MUUSICCIA(METAL/STONES)」(独STREAMLINE 1004)である。(C)1993。このタイトルは、長岡先生のダイナミックソフトで紹介されている。FMfan本誌'96年8号('96年3月21日発売号)。

 僕はそれよりも3年近く前に聴いている。元ネタが友達発だったからである。彼が遊びにきてくれたとき「何だかわけワカランけど音の良いCDが手に入った」と聴かせてくれたのだった。その後、彼が先生に紹介し、それがダイナミックソフトに掲載されたのである。

 ジャケット共に内容もブキミである。バラスト・ストリングスという、天井に取り付けた金属ドラムを弦で引っ張ったような楽器がフューチャーされている。「ヴォワーン」と地獄の底から湧いて出るような怪しい音である。石のマリンバ、意味不明のウナリ声叫び声も入っていよいよブキミ、奏者のリンペ・フックス(たぶんそう読むのだろう)さんはいったいナニを考えているのでしょうか。

 先生も「マジメな作品なのか悪ふざけなのか分からないディスクだが、録音はいい。一言でいえばゲテモノである」と評していらっしゃる。僕は初めて聴いたときから好きですが。

 このディスク、永く手に入らなかった。最近になって件の友達が「行方不明だったスペアが見つかったから」と送ってくれたのである。いやあ、ブキミでうれしいです。どうもありがとう。早速お題にいただきました。

 STREAMLINEというレーベルだが、国内ではなかなか見つからない。海外ではとりあえず買える店があるようだ。やはりゲテモノ中心のカタログを持っているところだった。どのジャケットも一風変わっていてやはり気色悪い。悪夢的である。こーゆーセンスなのね。当該タイトルは現在絶版中のモヨウ。フックスさんの別タイトルは入手可能である。

 ゲテモノにもいろいろあって、このタイトルは僕好みのゲテモノ。有名な「パルクール」(仏TRANSES 008)などはどうやっても最初の2分間くらいしか聴けない。もちろん音は良いのだが。

 もう1枚のフックスさんタイトル、買ってみようかしらん。

’03/11/29 (土)

役回り

 業務関係の役職任期切れに伴い、今日はその引継ぎ会があった。来年度からは僕に役が回ってくる。近辺同業の取りまとめ役である。はっきり言ってヒジョーに不得手。完遂できる自信はまったくない。が、何とかやって行くしかないだろう。4年間の任期は、永いのである。

 会議の後、前任さんを労う意味でささやかな食事会を開いた。隣町加悦町にある「リフレかやの里」。ここのレストランは、辺りに珍しくちょっと気の利いた洋風料理を出す。決して豪華ではなく高価でもないが、わりとセンスが良く美味しいのである。

 レストランお薦めの赤ワインを飲み、フニャフニャになって帰ってきた。前任さんは、任期を無事完遂して上機嫌。さぞ楽しかったことだろう。オイラも4年後が待ち遠しいよう。

 webサイトを立ち上げて3年、年を追うごと分不相応に仕事が増えて行くような。そういう巡り合わせになるのが40代ということもあるのか、一般的には「働き盛りの40代」と言われるようである。20代、30代のほうが元気なような気がするが。そうでも言ってなきゃ、やってられねえのかもしれない。

 元気で毎日働けるのも昨今ではありがたいことである。そう思って、苦手な仕事にも前向きに取り組むことにしよう。

 と、言い聞かせるのである。

’03/11/28 (金)

死ぬほど


 くだらん話です、と先に断っておくのである。言ってはナニだが読む価値まったくなし。どうぞ読み飛ばしてください。

 「トリビアの泉」という、馬鹿馬鹿しい番組が好きである。雑学と呼ぶにも憚るようなネタばかりがゾロゾロ出てくるのは実に可笑しい。タモリはこういう無意味な企画が一番向いているような気がする。

 「勝海舟は、犬にキンタマを噛まれて死にそうになったことがある」。へぇー。だが、僕が大笑いしたのは、このネタについての筒井康隆氏のコメントである。

 「キンタマといえば私もね、風呂の排水口に吸い込まれて酷い目に遭ったことがあります」。

 あっ、と思った。なんだ、あの話は自分のことだったのか。私小説だったわけね。わはは。なんちゅうバカバカしい。でも面白い。これ自体がトリビアになるンじゃないかな。

 この話のオチを知りたい方は、筒井康隆著「日本列島七曲り」(角川文庫刊)に収めらている短編「陰悩録」(!)を、是非お読みください(読まなくてもヨイ)。名作です。絶対笑えます。

 ああくだらん。

’03/11/27 (木)

C.F.Martin / D-28


 先月、A&Vフェスタと同時に開催された2003年楽器フェア。その中のオーディオ・テクニカブースで配布されていた「ACOUSTIC GUITAR MAGAZINE/銘器の音」というCD付き小冊子を、SY-99さんからいただいた。有名なギターメーカーの、中でも銘器と呼ばれるギターを集め、解説と共に音にこだわって録音したCDが付けられている。使用マイクは全てオーディオ・テクニカのモデルである。

 メーカーはマーチン、ギブソン、ギルド、テイラーの4社。僕が特に興味を持ったのは、マーチンである。

 過去に幾度か生音を聴いている、ということもあるわけだが、実は4年前、箱船で友達が弾く'70年製(だったと記憶する)マーチンD-28を録音しているのである。上はその時の写真だ。'99年2月20日だったから、正確には4年9ヶ月前。おおかた5年前になる。「銘器の音」にもD-28が収録されているのである。これで興味持たいでか。

 「自分の弾いた音を客観的に聴いてみたい」という希望で実現したものである。もちろん、録音といってもドシロウトの僕がやることだ。結果は保証の限りに非ず、ということでやってみたわけだ。

 レコーダーは毎度毎度のパイオニアD-C88、マイクは測定用テクニクスRP-3800Eという、見るからに素人録音。ちょっとこだわって96kHzサンプリングで録った。

 マイクアレンジは極めて適当。ギターから30〜40cmくらい、演奏者の右手(弦を弾く方)を狙ってセッティングした、と思う。写真からでも何となくお分かりいただけるだろうか。できるだけ鮮明に、しかも豊かな音を録りたかったから。と、これは素人考えである。正しいかどうかはまったくわからない。

 結果はまずまずだった。やや低域が多めになった感じだが、鮮明にという狙いは充分達成できたと思う。歪み感も少なく、妙なクセもない。と言ってもシロウト録音丸出し、みたいな音ではある。少なくとも痩せてカスカスした音にならなかったことだけは評価できるだろう。一つの記録としてはある意味貴重、マスターテープは大切に保管し、CD-Rに焼いたものを今も時々聴いている。

 そこで今回の「銘器の音」である。先ずはともかく「マーチンD-28/アルペジオ」トラックを聴く。こちらに収録されているD-28は、比較的新しいモデルのようだ。録音エンジニアはその道のプロ、演奏もプロ、機材は高級。艶、質感など、多くの点でくずてつ録音を大きく上回る。当たり前である。

 ただ、楽器としての音は非常に良く似ている。オールドモデルと現代モデルの違いはあれど、豊かで繊細、暖かく優しい、しかし明るく明瞭な音色は正にマーチンサウンドなのだろう。唯一、くずてつ録音が優っている点があるとすれば、それはやはり鮮度である。マイクとレコーダーのみで録りっぱなし、あとは一切作為なし。その意味ではシロウト録音も捨てたものではない。

 とても楽しい小冊子をいただいたと、喜んでいる。SY-99さん、重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。

’03/11/26 (水)

アヤシイに限って


 遠方に住む友達から電話があった。新しい機器のこと、ケーブルのこと、映像のこと、DVD音声のことなど、彼と話をするといつも多くのことを学習できる。僕にとっては実にありがたい存在なのである。

 彼は最近、とあるショップサイトで入手困難なADタイトルを見つけたという。聞けば僕も知っている店だった。以前、二度ほど利用したことがある。

 但しこのショップ、ヒジョーにアヤシイのである。何がブキミと言って、クレジットカード情報を遣り取りするページが暗号化されていないことだ。暗号化されていることだけで100%安心というわけにも行かないのは重々承知している。しかし、それでも気色悪いのは否めない。

 それでもリスクを覚悟してなお欲しいタイトルがあったので、火中の栗を拾う(大袈裟だね)ような思いで利用したのだった。

 注文後、自動返信メールが一度あったきり。そのあと何の連絡もなく、10日ほど経ってイキナリ現物を送って来る。大雑把と言うか、いい加減と言うか。やっぱりアヤシイのである。幸い詐欺であるとかカード事故であるとか、そういうことはまったくなかったが、10日間はいささか不安だった。こういう店は、とても人様にお薦めできない。に限って、滅多に出ないタイトルがよく見つかるという、これもマーフィーの法則と言うのかしらん。

 さて、友達が見つけたというタイトル、確かにリスト上にある。僕が代理注文するのはまったく問題ナシ、だが1枚きりでは送料が勿体無い。一緒に注文できるような目ぼしいものはナイカイナと、話をしながら捜してみて目が点になった。

 M&K REALTIMEオルガン金さんが、あったのである。どっひゃー、これはびっくり。純然たる中古盤だが$30と、このタイトルとしては良心的価格。僕は既に1枚手持ちがあるけれど、友達は未入手だという。こりゃあ買わずばなるめえ。少々の危険もなんのその。虎穴に入らずんば虎児を得ず。即注文したのだった。

 冷静になって考えれば、これで入手確定かどうかは分からないのである。web上のリストに載ってはいても、現物は既に売れてしまっている可能性も低くないわけだ。「ご注文の品は売り切れました。在庫のあったものだけを送ります」なんて丁寧な対応は、まったくないのがこの店である。今日から10〜14日後、荷物が届くまで安心できない。開梱してみてのお楽しみ。こんなのちっともお楽しみじゃないね。

 それにしても、よくもまあ出てきたものだと感無量。しかも、この友達と話している最中というのも不思議である。よほど縁があったか。 ....などと感慨にふけるのは現物を手にしてから、のほうがヨイのである。

 ヌカヨロコビにならぬようにと、毎朝願をかけておくべし。

’03/11/25 (火)

MkIIの夢

 異様に暖かった今年の11月だが、いよいよ日本海側特有の天候になってきた。冬の到来である。昨日まで強まっていた冬型気圧配置の間、如何にも鬱陶しい空模様が続いた。

 雨が降っているかと思えば突然日が差す。晴れたかと思い空をみるとやっぱり陰気な雲がドロドロしている。雨と青空が入り混じった、実に妙な、煮え切らない空。これを以って「うらにし」と言う。ああ、僕はもう憂鬱で堪らないのでゴザイマス。少々寒くても構わないから、カラッと晴れた日が続く冬が恋しい。それは正に太平洋側の冬である。

 天候(風土としても然り)は人格への影響甚大である。これは僕の持論だ。だが、元々この地方に住む人々は然程切実に感じてはいないようである。非常に不思議である。生まれて死ぬまでずっと住んでいれば、それが当たり前で自然なことなのだろう。

 では、こちら側の人がアチラ側へ移り住んだらどう感じるのだろうか。「ばかみたいに明るすぎてヤだ」「カラカラに乾いてヒカラビそうだ」「雪が積もらんような冬は冬じゃねえ」てなことに、なるのかな。どーもそうはならんような気がするのだが。

 まあ、人間も鮭やウナギと同様、生まれついた場所が一番良いようで、結果的には溯上したがるのが自然であるらしい。それからすれば、僕が太平洋側にこだわるのは当然とも言えるわけである。

 現役リタイヤしたら太平洋側、それも富士山の見える御殿場市か裾野市、あるいは三島市あたりに移り住み、箱船MkIIを建ててやろうか。

 無理だぁね。

’03/11/24 (月)

音の風景


 SY-99さんからは3枚のCDをいただいた。そのうちの1枚が上のタイトルである。「音の風景2003」(SY-99/YO-00048)。八ヶ岳の野鳥、SL、モータースポーツなど7トラック25分51秒。2003年におけるSY-99さんの活動を1枚に収めたダイジェスト盤である。

 どこから聴いても全編SY-99サウンドてんこ盛り。清澄で鮮度の高い音と、生そのものと言ってよい音場感にはいつもながら感動する。まったく以って素晴らしい。「この音、この音場をこのように録音するのだ」という明確で強固な意思が感じられる。氏のHPでも再三語られている通り、ご自身のシステムで再生したときの音を完璧にイメージされているためだろう。言うは易し、行うは難し。実現するのは容易なことではない。

 僕個人としては、トラック3「日本SL紀行〜奥会津」がヒジョーに気に入った。JR只見線(会津若松〜小出)の只見駅(福島県南会津郡只見町)から出発するC11 325の勇姿(勇音?)を捉えたトラックである。

 冒頭、出発合図の汽笛が約10秒間鳴り響く。猛烈なエネルギーと浸透力のある音だ。ピークぎりぎりいっぱい、みたいな音だが歪み感は皆無。凄い音である。汽笛が鳴り止むと、辺りの山々に響き渡るエコーが聴こえる。約16秒もの間、天空高く舞い上がり名残を惜しむように消えてゆくエコーは圧巻。高さの出方が尋常じゃない。この音場(風景、と言ったほうが良い)は圧倒的である。

 エコーが消えると、列車はゆっくりと動き出す。同時に右手後方で花火が上がる。この音がまた実に自然である。鳴った瞬間辺りをキョロキョロしてしまった。

 列車は右奥へ進んでゆく。この時の移動感と距離感の表現も見事である。遥かに遠ざかってなお聴こえる走行音を細大漏らさず追い切って、トラックが終わる。まるで自分もその場にいて、本当に列車を見送ったような気持ちになる録音である。正に「音の風景」。滅多に聴けるものではない。

 SY-99さん、ありがとうございました。来る2004年も素晴らしい録音をされることでしょう。是非またお聴かせください。

 心から御期待申し上げます。

’03/11/23 (日)

寝たのでネタ振り

 昨晩は完全にエネルギー切れ、晩ゴハンのあと一仕事してからの記憶がありません。電源落ちました。朝起きたらフトンで寝ていたところを見ると、自分で寝室へ移動はしたらしいのだが。風呂も入らず、汚いやっちゃなあ。

 夕方SY-99さんから400,000アクセス達成のゴホウビが届き、これをネタにしようと思っていたのに。SY-99さん、いつもありがとうございます。今晩は聴かせていただきます。

 ちゅうわけで、この続きは24日の日誌で。

’03/11/22 (土)

取れないCD


 今日もまたソフトにまつわる話である。が、音や内容についてではナイ。

 写真は最近買ったCD「Yes/Close To The Edge(邦題"危機")」(米Elektra/Rhino R2 73790)である。知っている人にはワカルが知らん人にはゼンゼンわからん。当たり前か。

 Yesとは、'70年代に絶大なる人気を誇ったイギリスのプログレッシブ・ロックバンドである。プログレッシブといってもDVDではない。いわゆる前衛的ロック、である。といっても既に死語の世界だな。

 ボーナストラック4曲つきのディジタルリマスター盤である。僕は30年前に買った音の悪い国内盤ADしか持っていないので、某オーディオ雑誌上に「音が良い」と推奨されていたコレを買い直したのである。んで、音は。国内ADよりは良い。まあこんなもんでしょう。ロックだし。望為すトラックは面白かった。

 何故ディスク中央を大写しにしたか。僕はここに文句があるのだった。

 異様に取り外しにくいのである。ディスクとホルダーの嵌合が強すぎて、ヘソを押そうがディスクを持ち上げようがどうやっても外れない。ヘソを押さないままディスクをナナメに引き上げればスコッと外れるタイプか。いや、そんなことはない。なおのこと動かないのである。盤がヒン曲がりこのままじゃ折れ目がつきそうなほど引き上げ死にもの狂いのチカラでヘソを押さえ、それでもCDは取れません。♪蕪をヒッパルおじいさん〜、みたいだ。

 盤がぐにゅーとしなり、ああもう折れる、寸前でようやく外れた。僕はもう何だか腹が立ってしまいました。輸送中に落ちてしまうほどユルユルも困るけれど、これほどキツいのも如何なものか。取り外しの度に盤がヒン曲がって良いわけはない。責任者、出て来いっ。

 考えてみれば彼の訴訟天国某国のこと。開けてみたら中で外れてディスク傷ダラケ、みたいなトラブルを未然に防ぐため、か。取る時にディスクをバキッとやって損害賠償、そこまで行かなくとも「ディスクが曲がる所為で音が悪くなった」なんてゴネる奴が出て来やせんだろうか。それも困るだろうに。

 何度か着脱を繰り返すうちに、かなり外れ易くはなったもののまだシブい。もう少しグワイの良いものができないものかしら。

 嵌め込んだら容易には外れず、しかし外す意志を以ってかかると簡単に取れる。そーゆーケースをローコストで作れるパテントを取得すれば、アナタは一夜で億万長者。

 にはならんか。

’03/11/21 (金)

シェル不足


 先日、近くの親しい友達から「念願のライラ"HELIKON"を入手した」と知らせがあった。大変におめでたいことである。僕は昨年8月にY31TTプレートのDHK(久しぶりに出たね)完了以降、1年以上HELIKONでADを聴いている。極めて優秀なカートリッジである。MC-L1000の出番はすっかり減ってしまった。

 彼が今困っているのは、ヘッドシェルだと言う。HELIKONはボディの取り付け穴にネジが切ってあるタイプなので、シェル側の穴が上面へ貫通していないとグワイが悪いのである。写真はオーディオ・テクニカのAT-LH15/OCC(自重15g/5,500円)だが、これは穴が貫通していないタイプである。しかもネジが切ってあるので、取り付けはほとんど不可能。LHシリーズは全てこの仕様である。無理をすれば何とかなる、かもしれないが、神業的作業になるだろう。

 貫通穴仕様のシェルと言って、すぐに思い当たるものがあるだろうか。一昔前なら掃いて捨てるほどあった。それが今やほとんど無いのである。オーディオ・クラフトかオルトフォンか。往年の名機ビクターPH-L1000があればベスト、だが、プレミアが付いて非常に高価だと聞く。ソニーSH-500も良いがさらに稀少である。サエクULS-3Xも使えるがちょっとニギヤカになりそう。これも稀少で高価である。古いモンばっかりだ。

 V24Cさん謹製カスタムSiC(炭化珪素)シェルも優秀である。但し、相当な自重がありアーム、プレーヤーを選ぶ傾向がある。できればショートタイプが良いだろう。これも入手できるかどうか。考えてみれば本当に困るのだった。

 アナログ達人の友達は、LH18(自重18g/5,800円)のシェル穴を自分で貫通させて使っている。僕は実物を見て聴いているわけだが、非常にガッチリ取り付けられていた。まったく問題なしである。変則的な使い方とはいえ、今となってはこの方法がベターかもしれない。LH13(自重13g/5,200円)、15、18のいずれを使うかはアームとの相性と音の好みで選べば良いだろう。

 写真のシェルの他に、ムカシ下手を打ってネジ穴を潰してしまったLH18が手許にある。おあつらえ向き。これを実験台に、ドリルで穴掘ってみようかな。

 上手にできたら差し上げます。

’03/11/20 (木)

勘どころ


 使い始めてまだ1ヶ月くらいかと思っていたT-300A。過去日誌を繰ってみれば、はや2ヶ月も経ってしまったのである。そういえば、まだ夏の暑さが残る頃からだものなあ。

 当初から狂気驚異の解像度を示すも、どこか生硬なところがあった。音がトゲトゲしいのである。眩しいと言っても良い。振動板全部が自由に動いていないようなイメージ。永く鳴らされていなかった所為も大いにあるだろう。合わせたT-500Aもまたマトモに鳴らしていなかっただけに、鳴らし始めで音に不自由な印象があるのは致し方なしである。

 今月初めくらいから、ようやく正真能力の片鱗を見せ始めたようである。かなりこなれてきた感じ。キツさ眩しさが若干減り、鏡面仕上げ的艶と輝きが出てくる。2ヶ月にしてそろそろとお目覚めの時を迎えつつあるようだ。非常に良い傾向である。

 尤も、トゥイーター自身の変化だけでなく、コンデンサーのグワイも関係しているだろう。並外れた巨大コンデンサーである。しかもスズナリ。良し悪しは別にして、変容の度合いが大きいことは想像に難くない。現状唯々諾々と鳴らすに如くはなし。

 システムのどこかを変更したとき、その変化が我が耳に適うかどうか。判断は容易ではない。多くの場合、その違いは測定値や目に見える形として出難いのである。F特を採っても基本的にはフラットを狙うわけで、トゥイーターを換えて高域だけが5dBも10dBも上がっていたらそれはオカシイのである。

 この変更はオノレにとって良いのか悪いのか。最後にモノを言うのは「勘」であると、僕は思う。オーディオ勘。

 「勘」とは言い換えれば「経験則によって得られた照合データに基づく決定」である。豊富な経験を頭にきっちりメモっておき、瞬時に照合して決定できる人を「勘の鋭い人」と称し、そうでない人を「ニブい奴」と呼ぶ。見当外れとも。ヤミクモに経験だけがあれば良い、わけでもないのんである。

 言うまでもなく僕は後者、ニブい奴である。しばしば見当を外しもする。「早い鋭い正確」であればどんなにかよいだろう。「遅いニブい誤る」ではどーしよーもない。が、救いはある。

 それでも楽しめるのがオーディオなのである。遅くてもいつか判断できればOK、ニブくてもやがてわかる時が来る(かな?)、誤っていても誰に迷惑かけるわけじゃ無し。「オイラは何にも判っちゃいねえのだ」と自覚自認すればあとは気楽である。ほとんど開き直ってますな。

 斯様なワタクシがT-300Aとの間合いを見切るのは、早くとも1年後くらいになると、思われます。

’03/11/19 (水)

ALIA VOX


 最近出会ってヒジョーに喜んでいるレーベル。それがALIA VOXである。フランスの古楽系レーベルだ。今のところタイトル数は少なくあまり著名ではないようだけれど、音は極めて優秀である。もちろん僕が見つけたのではない。親しい友達に教えてもらった。どうもありがとう。

 今回買ったのはSACDを5タイトル、そのうち3枚が、彼の仏ASTREEで有名になったエスぺリオンXXの録音である。今日紹介するのは「TONOS HUMANOS/Jose Marin 1618〜1699」(ALIA VOX AVSA9802)。(P)1998、2003。1997年スイスのスタジオで24bit/96kHz録音からのSACDである。もちろんCDトラックも付いたハイブリッド盤だ。

 ジャケットはご覧の通り紙製三ツ折りタイプで、厚みと艶がありとても美しい。αにしろGROSSAにしろ、ヨーロッパ系のレーベルにはこういうものが多い。63ページの分厚いブックレット付き。と言ってもゼンゼン読めねえから無意味、だが、嬉しい。綺麗なピクチャーディスク仕様である。SACDのピクチャーディスクは珍しいのではないか。

 Montserrat Figueras(ボーカル)、Rolf Lislevand(バロック・ギター)、Arianna Savall(ハープ)、Pedoro Estevan(タンブール、ダラブッカ、ベル、マラカス等の打楽器)、Adela Gonzalez-Campa(カスタネット)の5人が、明るく優しい古楽を歌い演奏する。ハープのアリアンナ・サヴァルはエスペリオンXXの親方ヨルディ・サヴァルの娘さんでグループのメンバー。打楽器のペドロ・エステヴァンもメンバーの一人である。あとの3人は正確な名前の読み方がワカランのです。ゴメンナサイ。

 この日誌を書くために飛ばし聴きをしようとしたが、思わず聴き惚れてしまった。凄く良い音。厚く艶がありこってりと、しかも涼やかな音は絶品である。鬼面人を驚かせるところはまったくないのに、一旦聴き始めるとやめられなくなるような独特の魅力がある。ハルモニア・ムンディの艶とアストレの脂っこさを絶妙のバランスで融合させたような音と言えばよいか。

 ボーカルがややキツくなる部分はあるにしても、抜けは最高。弦楽器、打楽器とも切れ良く清清しく響く。スタジオと言っても、よくある吸音材だらけのデッドな空間ではないようだ。そんなロケーションではこれほどの瑞々しい音は録れないだろう。

 24bit/96kHzマスター、これをSACD化するメリットがあるのだろうか。理論に無知な僕にはわからない。が、CDトラックと聴き比べると、意外なほど大きな差が出るのである。現状のSACDは似非である、DSDとは名ばかりのもの等、批判の声もあるように仄聞する。僕はそういう知ったかぶり(ではない人もいらっしゃる)批判はキライである。良いものは良い。聴けば分かる。

 ALIA VOX。ちょっとこだわって集めてみたいレーベルである。

’03/11/18 (火)

風邪の功名

 先日の旅行から帰ってみると、愚息二人が揃って風邪気味だった。伊勢エビ食べて馬力付けろーと喝を入れたものの、やはり行くところまで行かないと遺憾ようである。

 ゲヒョゲヒョと存分にウイルスを撒き散らした後、新陳代謝の速さを以って既に快復期に入った二人である。僕はまともに余波を喰らってしまったようだ。喉がイガイガ、微熱があり頭が重い。脳容量が急激に増えた、わけは決してなく、これはきっと感染(ウツ)されたのだろう。

 先月からやたらと多忙で、心休まる日が少なかったのも大きな原因だと思う。ここらで風邪の一つも惹いておいて、休養を取るのもまた良し。と、前向きに考えておくのである。保温保湿、充分な睡眠を心がけるべし。

 皆々様も御自愛ください。

’03/11/17 (月)

馬鹿して10年


 今日は箱船完成記念日である。'93年11月17日の完成だから、ちょうど10年が経ったわけである。システムは、進化したようでもあり基本的にまったく変わっていないようでもあり。僕というニンゲンそのものはほとんど成長していない。32歳だったのが42歳になっただけである。徒に馬齢を重ねたのみの感が強い。

 建物も10年分歳をとっている。今のところ目立った老朽化はない。昨年9月に屋上の防水塗装をやり直したくらいである。特に遮音が悪くなることもなく、未だエージング進行中と言ったほうが良いと思う。

 「十年一昔」という。昨今は情報化が進み「一年一昔」、コンピューター業界では「一月一昔」、ひょっとすると「一日一昔」くらいになってしまった感じである。最先端技術は常に進化流転し、先の技術を止むことなく陳腐化させてゆく。オーディオもその例に漏れない。10年間の進化や恐るべし。特にディジタル技術の進歩は凄まじい。諸行無常である。

 10年経った箱船は、それに同じく陳腐化してしまったのだろうか。見方によってはそうなるだろう。建てた当初から「あんなもんは時代遅れ、馬鹿のやることだ」と手痛い批判をされたこともあるくらいだから。馬鹿な所業であることに異論はない。だが、丈夫で重くて遮音の良い部屋を作る、という作業において、技術進化だけではどうにもならない部分を含んでいることも否めない事実である。

 こと、部屋に関しては物量がモノを言う。机上の理論なんぞクソクラエ。鉄筋ばこばこコンクリートどかどか、重いぞ硬いぞどうだコノヤロウ、みたいなところがあるのだった。正に箱船はそーゆー建て方をしたのであって、だから大きなデメリットを抱えながら、同時に大きなメリット得られたのである。馬鹿になり切れば活路も見える。と、思い込んでいるだけだったらハズカシイ話だが。

 10周年の今日、たまたま近在の友達がやってきた。一緒に「マトリクス・リローデッド」などを見たあと、住居の全面改築を計画中の彼は言った。

 「僕もこんなのやりたいなあ」

 馬鹿になり切れ、などとは当然薦めなかったのである。

’03/11/16 (日)

これはお薦め


 9日に書いたSACDが届いた。「La Folia de la Spagna」(仏harmonia mundi HMC801050)である。(P)1982、2003。全12トラック。先日の日誌では番号をHMSA1050としたが、それはショップのカタログナンバーだったようだ。訂正致します。

 ジャケットを一目見て、なんかヘンだなと思った。確かに「La Folia」に間違いはない。しかし違和感があるのである。コレはどうしたことかと、CDと見比べる。なるほど、上の写真の通りである。絵が左右反転し、犬が左上を向いているのだった。ナニ、こんなことはよくあることだ。

 イヤ、ちょっと待った。本当にSACDジャケが反転しているのか? この間はなんとも思わなかったけれど、ひょっとしてCDが逆なんじゃないのか。ADはどっち向きだったっけ。

 あっ、なんということだ、ADもSACDと同じ左上向きじゃないか。手持ちのAD3枚全て左向きである。ちゅうことは、それが正しいと見るべきだろう。実はCDジャケが反転していたのである。う〜む、CD買って12年、まったく気が付かなかった。なんちゅういい加減な。現在売られているCDも同じように反転したままなのだろうか。

 まあ、ジャケットのことはどーでもよろしい。肝心なのは音である。

 SACD圧勝。実にクリアで見通しが良く、ザワザワ感がぐんと減る。音にトゲトゲしさがなく極めてスムース。しなやかで、しかも切れと立ち上がりが非常に良い。S/NではADをも上回り、バックに聴こえる小鳥のさえずり(図らずも入ってしまったものである)は鮮明。低域は厚みがあり実在感が凄い。CDを凌いで、しかしADで聴く音とは一味違う、これがSACDの音なのだろう。

 曲中に電話機を床に叩きつけるような音(本当にそうしているのかワカラン)が入っている。トランジェントが良く、パーンと爆発してギョッとする。個人的には後半のトラック10〜12が好きである。玩具箱をひっくり返したような大騒ぎ。教会のカリヨン(空気感がよく出る)から果ては自動車(AD解説によると"ランドローバー"らしい。仏車じゃないのね)まで走り回る。面白いのである。

 この他、仏ALIA VOX、瑞BISなど、SACDを10枚ほど仕入れた。今月は如何にもソフトの月である。

’03/11/15 (土)

安堵


 ともかくは無事に帰ることができた。本当にもうヤレヤレである。疲労感よりも安堵感のほうが強いのである。皆さんご苦労様。

 好天だったのはヒジョーにありがたかった。特に2日目は全天雲一つない晴天、鳥羽から伊勢へ通じる「伊勢志摩スカイライン」最高点になる朝熊山展望台からの眺めは素晴らしい。写真は展望台から東を望む。海と空の境目中央辺りには富士山を見ることもできた。1280×960pixで撮ったものそのままならば微かに見えるのだが、こうして縮小してしまうとまったく分からない。残念である。

 何はともあれ事故なく皆が息災であったことに感謝したい。やっぱり晩秋〜冬にかけての旅行は太平洋側に限るのである。

 来年からは僕が幹事役だそうだ。旅行嫌いで出不精で、酒も呑めねえ雨男。そんなヤツが団体旅行の幹事をやったら、どーゆーことになるんでしょうか。

 危ねえのである。

’03/11/13 (木)

また休みます、ゴメンナサイ

 明日は未明からの出張りである。ので、今夜はもう寝なければならない。と思う。秋は公行事が多い。先日「休みが多く、ムチを入れ直さねば」と書いたばかりなのに、なかなかいつも通りの更新サイクルに戻れないのである。

 ちゅうことで明日から2日間、またまた休ませていただきます。16日付けから再開致しますので、よろしくお願いいたします。

 無事に帰って来れれば良いのだけれど。

’03/11/12 (水)

どちらも優秀


 またまたソフトネタで恐縮である。今月はどういうわけか新しいソフトの到来が多くなったのである。これも巡り合わせだろう。

 今日のタイトルは既に一度載せている。4月11日と、13日にも。「武満徹/秋庭歌一具」である。写真にご覧の通り、もう一枚同じものを買ってしまった、という僕にありそうなマヌケ話。では残念ながらない。前回載せたのはCD、今回は9月に発売されたSACD(日SONY SIGC28)である。

 内容はまったく同じ、ご丁寧にジャケット、装丁まですべて同一である。パッと見には区別がつかない。ケースの黒い部分に質感の違いがあるくらい。それぞれのフォーマット表示マークも小さく、うっかりすると間違えそうだ。盤だけ見るといよいよ違いが分からなくなる。これ、ちょっと問題じゃないのかな。ナニ、両方買うような変人は多くないから、大丈夫なのである。

 DSD録音、CDは素晴らしい音だった。SACDで出てくることは予想できたこと、楽しみに待っていたのである。そうでありながらグズグズしていたら、関東在住の親しい友達が「はよ聴け」と送ってくれたのだった。無事拝受しました。どうもありがとう。謹んで聴かせていただきます。

 優秀なCDを更に上回る音である。全体的な印象はCDと変わらない。だが、広大な音場がさらに拡がった感じである。充分過ぎるほど広いと思った音場が、実はもっと広かった。楽器が鳴り始める寸前一瞬の気配、鳴り終わりで音が消え行くさま、音の重なりグワイが一段と鮮明になる。広大な空間に響き渡る龍笛は、冴え冴えとしてしかも艶と瑞々しさを湛えて素晴らしい。それに比してCDは、全体的にやや硬さがあることを否めない。

 但し、SACD圧勝というほどではない。このタイトルに限ってはCD大健闘、SACDに肉薄する。要するに、マジメに作られたソフトはフォーマットにかかわらず優秀であるということ。いい加減なものは何を以ってしてもそれなりでしかないのである。SACDの底力を見たと同時に、CDの潜在能力も相当なものだと再認識したのだった。

 有体に言うならば、僕にとってフォーマットはさほど重要ではない。アナログだろうがディジタルだろうが、音が良ければそれでOK。フォーマット同士でガンガン競合し、結果全体的に音が良くなればそれが理想である。

 なかなかそうは行かないンだな、これが。

’03/11/11 (火)

カメムシ予告2003

 今日は画像を自粛する。カメムシ君の勇姿は、あまり好評ではなかったためだ。そりゃそうだろう。あのルックス、キライな人も多いと思う。

 今年の予告は昨年より半月ほど遅れている。それだけ寒くなるのが遅いのである。ここ2、3日、天気が悪く寒い日が続いているが、先週末までは本当に暖かかった。土曜日は日中25℃くらいあったと思う。異常である。

 んで、カメムシ君の出現状況はどうかといえば、昨年よりもかなり多い感じである。箱船玄関ドアの隙間に入り込み、時々挟まれ潰れて酷い臭いが充満することも多い。母屋では夜になると照明の周りをブンブン飛んでいる。

 夏が暑いと秋に増える、とも言われるが、今夏は記録的冷夏だった。昨夏のほうがよほど暑かったのである。それからすると逆手を行っているわけで、これはあまりアテにはならない。少ない年は少雪。昨冬は確かにそうだった。カメムシ予告2002は的中したわけである。

 では、今年は多雪か。う〜む、これはムツカシイところである。冷夏のわりに晩秋まで暖かさが続いたことも併せて考えると、その可能性は大きいとも言える。1989年秋、11月中旬まで非常に暖かくカメムシ異常発生した時の冬は、1mを超える大雪が数回あった。今年はそれに似ている、ような気がするのだが。

 できれば予告が外れてくれることを願いたいのである。

’03/11/10 (月)

SFは好きだケド


 図らずも3日連続ソフトネタになってしまった。今日は久しぶりのDVDソフトである。映像について書いたのはいつぶりかと調べたら、今年の5月5日以来だった。

 「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」(日ポニーキャニオン PCBH-50062)。本編片面2層179分。特典ディスク片面2層153分が付いて税抜き4,700円である。

 チマタでは夙に有名なタイトル、書籍のほうもバカ売れした、らしい。残念ながら個人的にはまったく興味のない映画である。ダメなんです、こーゆーの。おとぎ噺、ファンタジーモノは苦手。SFは嫌いじゃないのに。

 ところがウチの愚妻は大好きである。何かの間違いで買った前作を見て、ハマってしまったらしい。「次は買わねえよ」と毒づく僕を無視、自分で買ってきて勝手に見ている。今、下(箱船1階)で愚息二人と一緒に見ている。2階でコレを書いていると、時々「どつどど どどうど」と超低域が漏れてくるのである。ケッコウでございます。

 話のネタに、僕も最初の30分間ほどを見た。内容についてはヤッパリダメ。見られません。「中つ国」とか「モルドール」とか「ホビット」とか、わけワカラン。主人公の男の子は勇ましくもなく可愛くもない。まったく感情移入できないのである。

 だが、映像の美しさは超S級。明るくカラフル、黒の沈みが良くDレンジが広い。解像度に優れ細かいところまでよく見える。色に作為が感じられず、質の良いナチュラルカラーである。特に風景をロングでとらえたシーンは素晴らしい。よく調整されたHTPC、最新のプロジェクターとスクリーンで見たら、さぞ綺麗なことだろう。

 最近見た「マトリクス・リローデッド」は超低域の伸びと量感が凄かったが、力感、ソリッド感イマイチ。それに比較しても明らかに上回る。全体に歪み感が少なく、喧しくないのが良い。ボリュームを上げると凄いことになる。但し、箱船ではけっして正しく再生しているとは言えない(DD5.1EXをダウンミックス2ch再生)ので、あまりアテにはならない。音についてはあくまでも「箱船絶対評価」である。

 指輪ファンなら絶対買い、映像マニアにもお薦めできる。僕のような偏向偏屈映画ファンには向かない。と、勝手に決め付けてしまうのである。

 愚妻のイムプレッションを楽しみにしよう。

’03/11/09 (日)

Atrium Musicae de SACD


 昨年夏から始めた海外通販。初めは興味本位で怪しい店にも手を出したりした。近頃は手堅くなり、信頼のおける店でしか買わないのである。僕にも一応の学習能力があったわけだ。

 潤沢な資金があれば、手当たり次第ヤミクモに買うことも可能である。まさかそんなわけには行かない。インターバルが必要なのである。最近少しご無沙汰だったので、何か新しいタイトルが出ているかしらんと、覗いてみたら。

 たまには見てみるもので、仏ハルモニア・ムンディのSACD新譜がまとめて数枚リリースされたようである。新譜といってもSACDとしてそうなのであって、内容としては旧譜だ。それでも、SACDで出てくるのはヒジョーに嬉しいのである。

 そのうちの一枚が、上のタイトル。もうすっかりお馴染み、グレゴリオ・パニアグア指揮アトリウム・ムジケ・ド・マドリッド演奏の「La Folia de la Spagna」である。写真はCD(HMC90.1050)ジャケットだが、SACD(HMSA1050)もまったく同一である。

 1980年録音。このタイトルはAD時代に長岡先生が紹介推奨しておられるし、実際音の良さで有名になったので、知らない人は少ないだろうと思う。音楽としてとても楽しく、パニアグアさんタイトルの中でも秀作である。個人的にも大変気に入っている。

 最初にADを聴き、その後CDを入手して聴いた。はっきり言ってかなりの差がある。切れ、繊細感、音場感、艶、力感、透明感。思いつく限りのファクターに於いて、ADのほうに軍配があがるのだった。もちろんCDも水準以上の出来だから、それだけ聴いていれば特に文句はない。だが、比較試聴すれば一聴瞭然である。CDが悪いのではなく、ADが素晴らしすぎると言っても良い。

 それがSACDではどうなるか。最新のディジタル技術でDSDマスタリングされたアナログ(だろうと思う)音源SACDの音や如何に。少なくともCDは凌いでいて欲しい。サウンドマニアの僕としては非常に興味深いのである。

 試聴後、改めて報告したい。

’03/11/08 (土)

マル珍か


 ご無沙汰していた神戸のレコードショップから「1枚入りました」と連絡があった。以前から、面白そうなタイトルが入ったら知らせて欲しいと頼んであるのだった。

 米クリスタル・クリアレーベルのADである。ダイレクト・カッティングで有名(シェフィールドほどではないか)、ヴァージル・フォックスの「フォックス・タッチ」など凄いレコードもあるが駄作も多い。今回のタイトルはどうだろうか。

 「SONIC FIREWORKS/Richard Morris/Atlanta Brass Ensemble」(米Crystal Clear CCS-7010)。(C)(P)1979。「オルガン、金管楽器、打楽器のための音楽」と副題が付いている。ジャケットを見る限りでは豪快な音が連想される、ような気もする。

 が、右上なにやら金色のシールが。「dbx ENCODED DISC / use only with dbx decoder」と書いてある。「?」 これってマズいんじゃないでしょーか。

 「このディスクはdbx(ノイズ・リダクションの一種)エンコードされている。dbxデコーダーがないと聴けないよ」ということなんだろうなあ。レコード屋さんはこの点については何も言わなかった。知らんかったのかな。もちろん僕はdbxデコーダーなんか持っていないわけで、つまりマトモな音では聴けない、要するに買ってはいけないものを買ってしまったと、こういうマヌケな話なのである。何やってんだか。

 聴かずにうっちゃるのもいささか悔しいので、無理矢理デコーダー無しで聴いてみる。フツーに再生するわけだ。

 ダメです。酷いハイ上がり。特にブラスの音は厚みも艶もなくカスカスである。ノイズレベルも異様に高い。シンバルの強打で音が息を継ぐような不自然さもある。そりゃそうだ、ドル○ーだってエンコードしたものをデコードせずに聴いたら極めて不自然な音になるのだから。こんな状態では本当の音はまったく分からない。

 どうやらこれは限定dbxエンコード盤らしい。通常のダイレクト盤もあるようなので、次はそれを聴いてみたい、けれど、それほどの録音でもなさそうだ。それとも今からdbxデコーダーを捜す? そのほうが大変そうですな。

 珍品(かどうかわからんが)として、博物館行き。

’03/11/07 (金)

ハズレタ


 オーディオネタはどこ行っちゃったんでしょうか。またしても今日はパズルのお話である。

 一昨日載せた「キャスト・ニューズ」パズル。ご覧の通り、見事外れたのである。こんなモン絶対解けるわきゃねえと思っていたものが実にあっさりと。TVを見ながら手の中でグルグルもてあそんでいるうち、知らぬ間にスポンと外れてしまった。偶然とは恐ろしいものである。

 構造を子細に調べる....イヤ、これを書いてしまうとグワイが悪いのだろうな。復元するのは....これもまずいか。全国1,000万人のキャストパズルマニアから恨まれ、メーカーからは訴えられるかもしれないのでヤメておく。実に巧妙な仕掛けである、とだけ書いておこう。オーディオに一脈通じるところが、ないともいえないような。興味のある方には、解き方をお教えしないままお貸しイタシマス。

 ナニ、そんなにヒマじゃない? 失礼いたしました。

 さて、明日はようやっと本来のネタ(何のwebページだったっけか?)に戻ろうと思うのである。

’03/11/06 (木)

第1,069話


 行事だイヴェントだパズルだと騒いでいるうちに、気が付けば航海日誌三周年が来ていた。過ぎてしまうと早いものである。よくもまあこんなにも駄文をデレデレ書き連ねたもんだ、と。

 勘定してみる。'00年54話(11、12月のみ)、'01年357話、'02年360話、'03年は本日分を入れて298話。今日は第1,069話ということになる。お休みは'00年2回、'01年8回、'02年5回、'03年12回の計27回。'02年は数の上だけで見ると優秀である。'03年は未だ終わらずして既に最も休みの多い年になってしまった。極めて遺憾である。ムチを入れ直さねばならない。

 画像を毎日付けようとし始めたのが'01年1月14日。以来、952枚を載せた。なかなか毎日というわけにも行かず、画像無しの日は多い。もちろん自分で撮ったものばかりではなく、仲間の厚意によるものも沢山ある。改めて御礼申し上げるのである。

 ネタと同様に画像にも苦しむのであって、実は今日も随分困った。何のことはない、話数と画像を勘定するのに使ったメモ用紙の画像である。苦しいね、どうも。

 こうしてデータで見ると、三年間で結構な数字なったと思う。が、それはあくまでもただの数字であって、内容の良し悪しまでは判断できない。所謂静特性なのである。では、動特性はどうなのかと問われれば、それはお読みくださる皆さんの評価に待たねばならない。どう考えても高いとは思えないけれど。

 「継続は力なり」という。評価はどうあれ、自己記録という意味においてこれからも続けて行こうと考えている。その原動力になるのは、何と言ってもご閲覧くださる方々の存在である。

 かかる駄文をお読みくださいまして、本当にありがとうございます。今後とも何卒よろしくご愛顧のほどを、伏してお願い申し上げたいのでございます。

’03/11/05 (水)

ハズス


 ネタをオーディオのほうへ振り戻さねば、と思いながらまた今日も外しネタで打って出るのである。最近落ち着いてオーディオできていないモノですから。お許しのほどを。

 11/2、バンドリハーサルの間、愚息達は三宮東急ハンズで自由に楽しんでいたらしい。ライブのあった「CHICKIN GEORGE」から徒歩1分。すぐそこなのである。

 何を仕入れてきたかと思えば、その一つが上のブツである。御存知の方も多いだろう、「キャスト・パズル」である。金属製(亜鉛ダイキャストかな? 写真の物は銅メッキしてある)の大仰な知恵の輪だ。最近チマタで静かなブームになっていると聞いた。

 多くの種類があり、それぞれに1〜6までの難易度が付けられている。数字が大きいほどムツカシイわけだ。外すのもそうだが、それを復元するのもヒジョーに困難だそうで。二度楽しめてお得というわけ。

 お得なのは結構だが、外せないから話にも何もならないのだった。「キャスト・ニューズ」というヤツで、砂時計のような形をしたピースが2つ、中央で組み合わさって八角形の物体を構成している。裏表に「N/E/W/S」と意味ありげ(ヒッカケかもしれない)な文字があり「ニューズ」という趣向。難易度6。初めてで「6」なんぞを選んでは遺憾ではないか。正しく「愚息」である。

 2つのピースが僅かにカタカタ動くけれど、まったく外れねーよー。解き方はもちろん、ヒントさえない。「テーマは"針"」と書いてあるだけ。余りにも難しくて「こんなもん外れるかいっ!」と床に叩きつけそうになるのだった。大人げないのである。これじゃキャスト・ハズレヌだ。何方か解答をご存知でしょうか。

 なんだ、外しネタってそーゆーことか?

’03/11/04 (火)

その時そこに


 久方ぶりのタイコ叩きは、途中でキゼツしそうなほどしんどかった。混ぜてもらうことが決まった時「ナンボがんばっても3曲、それ以上はトチューで死にます」と言ったが、実は2曲が限界だったのである。タイムキープさえ覚束ないようなことで、申しわけなかったのである。しかし、個人的にはとても楽しく懐かしい時間だった。一応「ロック」しましたかねえ。

 20数年前は、毎日のようにこんなことをやっていたのである。機材を満載したボコボコのバンで京都、大阪、神戸をグルグル廻り、時には旅芸人よろしく東京、九州まで出張ったこともある。今やったら即死間違いなし。シンゾー止まります。

 それにしても、昨日集まった仲間たちはみんな元気である。ステージを見ている限り、20年前と些かも変わりはない。おっさんパワー炸裂。とんがっていた20代とは違い、肩の力が抜けたステージングは実に快かった。中路さん、皆さん、本当にありがとう。

 もし、あの世というものがあるならば、故・小向勝彦氏はどんな思いで見ていたのだろうか。一緒に歌いたかったに違いない。出てきてくれることを密かに期待していたが、残念ながら姿を見ることはできなかった。

 「今死んだ どこへも行かぬここにいる 訊ねはするな ものは言わぬぞ」

 そう、きっとそこに居てくれたのだろう。

’03/11/02 (日)

明日


 日付では今日、実際には明日「三十三間堂 ONE NIGHT STAND」がやってくる。神戸市中央区生田神社隣、「CHICKEN GEORGE」(tel/078-392-0146)で午後6時開場、6時30分開演。6年前に逝ってしまったヴォーカリスト小向勝彦氏の追悼ライブである。

 ゲストグループが2つ、ゲストパーソンが十数人。入れかわり立ちかわり三十三間堂の歴史を再現する、開場から終了まで4時間以上のロングランライブである。こんなことはおそらく最初で最後になるだろう。三十三間堂にかかわった一人として、記念すべき日に参加できるのはヒジョーに嬉しいのである。

 当日券もあるそうだから、よろしければご来場を。くずてつのヘボドラムが、聞けますぜ。

’03/11/01 (土)

初登場


 僕の記憶に間違いがなければ、一昨年も食べたはずである。ならば、ナンデ日誌に載せなかったのだろう? 横から愚妻が「写真撮る前に食べちゃったんでしょ」と言った。ナルホド。

 今年はちゃんと撮りました。今や超稀少。日誌初登場のマツタケである。昨年は夏の酷い暑さと秋の少雨で空前の凶作、影も形もなかった。今年は比較的豊作と聞いていた、が、昔ほど出るはずもない。こりゃダメだなと諦めかけていたところへ、届けてくださる方があったのだった。ご自分の山で採ってこられたそうな。まったけゴハンにして、美味しくいただきました。ありがとうございます。

 昔(30年以上前)、実家の裏山では掃いて捨てるほど出たマツタケ。一輪車に山盛りを何度も下ろしたのを覚えている。毎日毎日まったけゴハンにおヒタシ焼きマッタケ。それでも食べきれず最後は佃煮にして保存、消化が良くない所為でオナカを壊すほどだった。今それほど出たら大金持ちである。まったく出なくなりました。

 山へ柴刈りに行く人がなくなり低木が茂って日当たりが悪くなる。雑木の落ち葉が溜まって山の土が富栄養化する。水はけも悪くなり、トドメはアカマツの枯死である。こうなってしまった山にマツタケは出ない。条件を満たした山が、極めて少なくなってしまったのである。

 現在の相場は並のもので75,000円/kg、特上品になると150,000円/kgくらいだそうだ。う〜む、凄い値段。写真のヤツ、量ってみたら70gあった。並モノとしても5,250円。買ってまでは食べないだろうなあ。

 それはともかく、やっぱりマツタケはオイシイ。僕は日本人なのである。