箱船航海日誌 2013年09月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’13/09/13 (金)

剥離紙1年分


 「よーじやのあぶらとり紙」を切り刻み、レコパックもどきの剥離紙を作ってみた。メンドクサイから数えてはいないけれども、6日の日誌に書いたとおりの寸法(10mm×30mm)で、計算上では540枚できた、はず。見た目にもかなりたくさんある感じだ。

 1日1枚レコパックもどきしたとして、270日間は持つ勘定になる。毎日レコパック、などという状況は絶対にあり得ないから、短く見ても1年以上はなくならないと思う。しばらくは剥離紙に困らないのである。

 思えば、別に「よーじやのあぶらとり紙」でなくても何ら問題ないのである。包装用グラシン紙を使えば元手はタダ、究極(大ゲサな)のハイCPになるのは分っている。しかし僕はどうしてもあぶらとり紙を使いたいのだ。何故か。趣味だからである。

 アホなお話ではあるけれど、僕は大いに楽しんでいる。

’13/09/12 (木)

火龍果


 何もこんな色にならなくてもいいのに、と思えるほど鮮やかな果実である。一昔前なら「なんだこれは」っちゅうお話になったのだろうけれども、近頃はさほど珍しくなくなった感のある、ドラゴンフルーツである。「火龍果」は中国名。

 縦に切りスプーンですくって食べる。皮はご覧のような色だが、中身は真っ白で細かい種が混じっている。中身も皮と同じ色のタイプもあるそうだ。ショリショリした食感で、ほんのりと甘い。ホンの少しの青臭さとエグみがあるから、好みはわかれるところだろうと思う。他では味わえない、独特の果物である。

 果実だけを見たのでは、何の実だかさっぱりワカラン。実物(特に緑色の尖った部分)を触ってみると、何となく知った植物のような気がする。棘のないサボテン、みたいな感触なのだ。

 調べてみたらやっぱりそうだった。正確にはサンカクサボテンの果実なのである。花は月下美人(これもサボテンの一種)にそっくりで、素人目には見分けがつかない。夜中に咲き始め、一晩だけでしぼんでしまうところも同じである。

 では、月下美人の実も食べられるンじゃないか。と思ったら、なんでも「食用月下美人」なんていう株が売られていて、姿も味もドラゴンフルーツに似た果実が獲れるんだそうな。花は綺麗(見方によってはブキミ)だし、果実は喰えるし、ちょっと興味のあるサボテンなんだな。

 ナンデそんなに喰いたいのだ。

’13/09/11 (水)

1年ぶり


 9日は9月に入って初めての快晴であった。何だか夏が唐突に終わってしまった感じで、空も風も完全に秋である。

 箱船2階の窓を開け放ち、これまでの雨で湿り気味だった空気を入れ換える。ヒジョーに爽やかである。夏の息苦しさ(キライじゃないケド)がウソのようだ。

 階段室のほうで音がした。「ブブブッ」と虫が羽ばたくような。ヘンなやつが入ってきたのならイヤだなあまさかゴキブリじゃないよなあ何だろう。

 恐る恐る見に行ったら、ご覧の甲虫だった。ヤマトタマムシである。おお、今年も来てくれたか、しかもわざわざ箱船の中まで。滅多にないことだ。君なら大歓迎(同じ昆虫なのに!)だいらっしゃいませと、記念撮影しておいた。

 昨年庭で出会ったのは9月23日であった。ほぼ1年ぶりである。しばらく手のひらに乗せ、美しい金属光沢を存分に鑑賞させてもらって、窓からリリースする。

 また来てね。

’13/09/10 (火)

アメリカーン!


 ちょっとヘンなレコードを手に入れた。タイトル自体はちっとも珍しくない、米M&K REALTIMEレーベルの「The Power and The Glory Vol.1」(RT-114)である。問題はそのウラ表紙。一風妙な仕掛けが施してあるのだった。

 写真をご覧いただきたい。ジャケットに意味ありげな切れ込みが入っている。最初に見たときは、破れているのかとんでもないヤツだ、と思った。しかしよーく見ると、あっ、なんということだ、切れ込みに沿って紙を起せば、ジャケットスタンドになる仕掛けなのである。

 このタイトルは今までに何枚も見てきたけれど、こんなのは初めてだ。誰が、何のために、このようなことをやったのか。

 オーディオショウなどでデモ再生し、「NOW PLAYING!」と傍らにジャケットを立ててディスプレイするためのスタンド、なのか。このレコードの内容からすると、ありそうなお話ではある。では、やったのは誰だ。M&Kでの仕様か、ディーラーが独自にやったのか、或いは販売店が勝手にやっちまったか。その辺は謎なのである。

 こんなことをせず、イーゼルにでも掲げておけばよいものを。と考えるのは僕が日本人だから、か。細かいことは気にせず、スタンドにするならジャケットどんどん切っちまえっちゅうあたりは、如何にもアメリカーン! 大らかなのである。

 オークション出品であった。珍品として値が上がるか、傷物として完全無視されるかのどちらかだろうと踏んでウォッチしていたわけだが、結局は後者のパターンとなってスタート価格そのままで落せてしまった。みんなこんなのイヤだったンだなあ。僕としては、面白いバージョンが手に入ったと大喜びである。異様に安かったし。

 一つ心配したのは、中身の盤である。レコードが入ったまま加工をされたのでは、盤に切れ込みと同じカタチの傷が付く可能性大。アメリカーン! だけに考えられないこともない。もしそーだったら笑っちゃうぜと、盤を確認したら大丈夫だった。ああヨカッタ。

 前オーナーさん、スタンドを起そうとして途中でやめたような痕跡がある。さすがに思い切れなかったのだ。この盤に限ってはスタンド機能が動作していないわけで、ちゅうことは他に何枚か同様のものがあるとも考えられる。

 「Vol.2」(RT-113・銀ジャケット)にもあったら面白いな。

’13/09/09 (月)

選外優秀盤


 先日、親しい友達からもらったレコードである。「GIULIO CACCINI / LE NUOVE MUSICHE / SCHOLA CANTORUM BASILIENSIS-DOCUMENTA」(独harmonia mundi 1C 065 1695001)。(P)1984。

 恥ずかしながら僕はまったく不知のレコードであった。別冊FMfan第43号(1984年秋号)の外盤ジャーナルで紹介されている。そのことも友達から教えてもらって初めて知ったくらいで、見事に見過ごしていたのである。

 「SCHOLA CANTORUM〜」のメンバーには、モンセラート・フィゲーラス、ホンプキンソン・スミス、ヨルディ・サヴァールの名が見える。彼らはエスペリオンXXの中心メンバーであり、つまり超一流である。演奏に寸分のスキもない。

 録音は非常に優秀である。レコードに針を落とし最初の一音が出た瞬間、スピーカーを無視した音場がふわりと拡がり部屋の空気が一変する。一音一音がつやつやしていて、しかもしなやかで瑞々しい。とげとげしさ、キツさは皆無。もちろん歪み感もない。余韻、響きがとても美しく、厚みも充分である。聴いているうちに気持ちが豊かになってくる、素晴らしい録音である。

 A級盤を躍起になって探すのもいいけれど、選外にもこのように良いレコードがたくさんあるのだ。埋もれさせるのはあまりにも勿体無い。でき得る限り、もう一度掘り起こして行きたいと思うのである。

 友達には大感謝である。ありがとうございました。

’13/09/08 (日)

注意散漫

 今日(9月7日)は、うっかりダブルブッキングをやってしまって、朝から晩までアタフタした日であった。おかしいなあ、どちらの予定も前々からよく承知していたはずなのに。気づいたときには両方ともキャンセルできない状況になっていて、僕はもう頭が真っ白になりました。

 何年かに一度、こーゆーことがあるのだ。うっかりミスとしか言い様がない。思うに、今後歳を取るにつれ、迂闊な失敗はさらに増えてゆくのではないか。これからは今まで以上に注意を払い、予定管理をせねばならないのだろうなあ。

 いやはや何とも、疲れてしまった。

’13/09/07 (土)

どこかで誰かが


 剥離紙にまでこだわって愛用している自作レコパックもどきだが、web上に見えるレコードクリーニングについての情報をあたってみれば、パック方式は少数派らしいことがわかる。極少数派、と言ってもよいくらいだ。

 同様の方式ではボンドパック、いわゆる水性木工用ボンドを水で薄めてパックする方式のほうがメジャーなようにも見える。レコパックもどきはあまりにもマイナー、何かの拍子に存在を知り得ても、作るのがメンドクサイ、作り方がよーわからん、得体が知れない、などが極少数派になっている原因であろう。

 効果・悪影響への大きな疑問も抜き難く存在するようだ。ホンマに溝の底まできれいになるのか、アルコールを少なからず含んだドロドロの液体を盤にぶちまけて大丈夫なのか、と言ったグワイである。僕の体験からすると、どちらもまったく問題ございません、ということになる。しかし、これ以上の言葉を重ねて否定的な人を折伏するつもりはまったくないし、そのような法力(!)も持ち合わせていない。レコードクリーニングには人それぞれの「儀式」があり、他から否定されたり押し付けられたりするものではないからだ。

 かかる状況の中で「レコパックもどきを自作しクリーニング大成功を果たした」というようなお話を聞けば、僕はもう本当に嬉しくなってしまうのである。ある(個人的なつながりはまったくない)方のブログに、レコパックもどき成功体験が詳しく書いてあって、実に楽しく拝読したのであった。

 オーディオに対するスタンスにも大いに共感できるうえ、文章がたいへん上手くしかも軽妙洒脱。レコパックもどきに触れられた段のみならず、ほとんどのエントリーを一気に読んでしまった。クリーニング成功例として紹介されているレコードも、ナミダが出るほど懐かしいものが多い。

 ザ・ショッキング・ブルー「悲しき鉄道員」、スリー・ドッグ・ナイト「アン・オールド・ファッションド・ラブ・ソング」、シカゴ「長い夜」、レターメン「ミスター・ロンリー」。ってアナタ、あまりにも懐かしすぎます。

 このような方のお役に立てて、ヨカッタヨカッタ。

’13/09/06 (金)

95点


 レコパックもどきの剥離紙(剥し始めのとっかかりを作るための紙片)には、これまでいろんなものを試してきた。洋紙の付箋、半紙、一般的な和紙、障子紙、包装用グラシン紙、など。その中では、包装用グラシン紙(漆器などを包むヤツ)が最もグワイがよく、点数にして90点くらい。オツトメの関係上、廃棄物再利用できて元手がタダであるのも、高得点の要因である。

 それでOKとしてもよいのだが、僕はご存知のとおり馬鹿でスケベだから、さらに適していそうな紙を見つければ眤としていられない。そんなやつが「よーじやのあぶらとり紙」を手にしたのだから、試さないわけには行かないのである。

 オリジナルレコパックに付属しているものの寸法は幅12mm長さ40mmである。おおよそその大きさになるように鋏で切り取り、早速に試してみたのが上の写真。紙にパック液がすばやく沁み込み、瞬時に一体化するのは、ヒジョーにヨロシイ。

 乾燥後、かなり強く引っ張ってみたけれども、ちぎれそうな危機感は皆無だった。包装用グラシン紙よりも強い感じ。快適に剥離することができた。剥離紙としての機能のみを評価すれば、100点でよいと思う。

 考慮すべきはコストである。剥離紙の寸法を10mm×30mmにケチれば、90mm×93mmのあぶらとり紙から27枚取れる。1冊20枚綴りで540枚。340円÷540で1枚あたり約63銭。レコード1枚パックするに裏表で2枚必要だから、パック1回につき1円26銭。とソロバンを弾いてみても、安いンだか高いンだかよくワカラン。総合評価で、95点。

 1冊あればレコード270枚分取れるわけだし、まあ、いいか。

’13/09/05 (木)

よーじやのあぶらとり紙


 写真は、愚妻が何だかの景品にもらったという、「京都・よーじやのあぶらとり紙」である。主に女性が顔の皮脂を吸い取らせるための、紙である。僕には無用の長物だが、愚妻はえらく喜んでいる。ガマじゃあるまいし、そんなにあぶらが出るのかな。シツレイしました。

 聞けば「よーじやのあぶらとり紙」は女性の間では夙に有名だそうで、知らぬものはいないほどという。日本一のあぶらとり紙なのだ。なるほどなあ。知らんかった。

 モノは、薄茶色の極薄半透明和紙である。ツルツルで腰が強く、ちょっとやそっとでは破れない強度を持ちながら、しかもたいへん柔かい。試してみると、確かに油分・水分を一瞬にして吸い取ってしまう。ケバはまったく出ない。あぶらとりに使うにはもったいないような、実に質感の高い紙なのである。

 「ふるや紙」なるものをご存知だろうか。僕は寡聞にして不知であった。基本は金箔を打ち伸ばす時、間に挟み込む紙である。金箔と一緒に叩かれ鍛えられ、好いグワイにエージングされたものを「ふるや紙」というのである。古来、それが最高のあぶらとり紙として珍重されてきたのだ。

 よーじやでは元となる和紙を独自に厳選し、実際に箔打機(金箔を打ち伸ばす機械)で繰り返し叩き込んで繊維を鍛え「あぶらとり紙」を作っている。たかがあぶらとり紙と侮る莫れ。先人の智慧を踏まえた上、こだわりにこだわった製品なのである。

 1冊(写真のもの。90mm×93mm)20枚綴りで340円。このサイズで1枚あたり17円だから、ずいぶん高価な紙である。A4版に換算すれば1枚約124円。500枚1梱包のコピー用紙として買ったら62,000円である。超高級。それだけの手間が、かかっているのだろう。

 そのようなものを、僕はある用途に使おうと考えている。ひょっとするとあぶらとりに具するよりも更にもったいないかもしれないけれども、この質感を見たらガマンできなくなった。最適なンじゃないか。どーしても試してみたいのである。

 ネタばらしは、また明日。

’13/09/04 (水)

長岡鉄男の本


 既に旧聞となった「長岡鉄男の外盤A級セレクション 第1集」復刻本(共同通信社刊 ISBN978-4-7641-0663-5)である。

 僕は復刊の情報を聞いてすぐにHMVに予約しておいた。ところがここが結構いい加減で、発売日になったと同時に「出荷遅延のお知らせ」などど眠たいことを言ってくる。こりゃダメだと見切りをつけてキャンセル、Amazonへ注文したらフツーに買えてしまった。最初っからそうしときゃよかった。

 この本を望んで買うのは、おそらく百戦錬磨のオーディオマニアが多いはず。一癖も二癖もある連中である。復刊を喜んでいることは間違いないだろうけれども、客観的な評価としてはどうなるのだろう。興味深いところである。

 僕はというと、読みすぎて(というより、使いすぎて)ボロボロになったオリジナル本が、きれいになって帰ってきたことを素直に喜んでいる。オリジナル第1集にはなかった目次も付いたし、ジャケットもフルカラーで見られるし。

 ただ一点、残念だったのは、紹介盤1枚1枚に示されるスペアナ写真である。如何にも小さく、しかもグラフ下部にあるべき周波数帯域表示がカットされている。これは不親切である。

 例えば第3番に紹介されている「寒い冬を追い払うために」(英CRD crd1019)の評価には「スペアナで80Hz以下のレベルが高いのは主として足音である。6〜10kHzのピークはベルなどのパーカッション」とある。こういった評をよく理解し実感するには、周波数表示が必要不可欠と思うのだが、どうだろうか。

 この復刻が、「新たな入門者の獲得」にわずかばかりも寄与できなかった「高齢者」ばかりに読まれるのではなく、まさに「新たな入門者」を呼び込む契機になって欲しいと、切に願う。であればこそ、もう一息の親切さを望むのである。

 復刻版であっても、この本は「長岡鉄男の本」なのだ。

’13/09/03 (火)

CYPHA受難の年


 乗り始めて間もなく11年になる、我が愛車WILL CYPHAである。この車、今年は受難の年であった。

 まず、4月に福知山駅前の駐車場でフロントバンパーの下側を思いっきり削ってしまった。前方に起き上がっている車止めを下げるのを忘れ、そのまま発進してしまったのだ。アホである。ごりぷつがりぐれらと、モノスゴイ音がした。エラいこっちゃ。

 バンパーの下側が激しくエグれ、しかし割れなかったのは不幸中の幸い。一旦外して傷埋めと再塗装でン万円ナリ。まあ、細かい傷がたくさん付いていたし、きれいになってヨカッタヨカッタ。

 次はつい最近、お盆の最中である。お隣のお寺へ加担に出かけようとして、リヤバンパー右側をある物体にぶつけてしまった。出かける寸前に電話が入り、慌てていたのが災いしたのである。後はよく見て進みましょう。ぼんぐ、とこれまた大きな音がした。エラいこっちゃ。

 ボデーとバンパーのつなぎ目が右側で大きくずれ、ひどく歪んでいる。赤い反射板はヒビが入り、バンパー下側にも10cmほどの割れ目が。ふにゃー。チカラが抜けました。

 お盆休みが明けた日、ディーラーへ持ち込んで修理見積りしたところ、前回のようなワケには行かず。リヤバンパーは新換え、新塗装、それなりに手間と費用がかかるという。「いっそのこと、買い換えたら?」とも。馬鹿なことを言ってもらっちゃあ困る、俺は死ぬまでこの車に乗るんだ修理するぞと啖呵を切り、身銭で直しゃあ格好良いが、そこは息切れして保険を使ってしまった。

 ものは考えようである。廃車にするほどひどくなく、こちらの身にも何ら害がない程度の事故で、前後バンパーがピカピカになった。今さら査定を気にするものじゃなし、あまつさえ死ぬまで乗り続けるつもりである。これでいいのだ。

 12月が来れば、5回目の車検である。もちろん、受けます。

’13/09/02 (月)

ヒトツバタゴ


 玄関脇の苔庭の一角に植えた樹に、ご覧のような実が成っている。一見黒、よく見ると濃い紫色、短径1cm長径2cmくらいのラグビーボール型。触るとプヨプヨしていて、食べると甘そうにも見える。食べてないケド。

 この実の正体は、ナンジャモンジャノキの実である。ナンジャそれは。正式名称ヒトツバタゴ、モクセイ科ヒトツバタゴ属の落葉高木である。数年前、出入りの庭師さんが厚意で植えてくださった。その頃は1mに満たないヒョロヒョロした若苗だったが、今や樹高2.5mを超えて実を付けるまでに成長したのだった。同じモクセイ科の仲間に、野球用バットの原料として有名なアオダモ、同じくトネリコ、セイヨウトネリコ(北欧神話に登場する世界樹イグドラジールのモデル)などがある。

 この樹、5月頃には真っ白な花が樹を覆うように咲き、遠目には雪を被ったように見えてとても綺麗である。欧米では「SNOW TREE」とも呼ばれるそうで、実に上手い通名だと思う。

 「落葉高木」というだけあって、成長すると樹高20mを超える大木になるという。日本では天然自生樹が絶滅危惧II類に指定されていて、岐阜県、長崎県などの自生群生地は国の天然記念物になっている。分布が極めて限定的な、珍しい樹なのである。

 尤もそれはあくまでも自然界で自生しているからこそ、であって、植樹用の苗を入手するのは比較的容易である。一旦根が付いてしまえばさほど手間はかからない。時々根元に固形肥料をやる程度で、どんどん育ってくれるのである。庭仕事が下手くそなことでは人後に落ちない僕が言うのだから、間違いない。

 写真に見える実(種)からも育てられるそうで、そのやり方がweb上に紹介されていたりもする。いっぺんやってみようかな。僕に限って上手く行くとは思えんが。

 とゆーよーなことは、この実が食べられるのかどうか知りたくて調べていて分ったことである。結局、食用OKかNGかは、ゼンゼンわからなかった。有毒植物とはどこにも書いていなかったから、大丈夫かな。勇気を出して、喰ってみるか。死んだりして。

 ナンデそんなに喰いたいのだ。

’13/09/01 (日)

一夏を終えて


 一夏まるまる休んでしまいました。決して体調が悪かったわけではなく、ただオツトメに励んでおりましたのです。既に終わってしまった今夏だけれども、当地も例に漏れず格別に暑かった。熱中症にもならず、無事乗り切れた今、心からほっとしている。おかげさま、おかげさま。

 オーディオに目立った変化・進展はなく、ただ例によってアナログレコードを検索し続けているばかりである。この2ヵ月足らずの間、旧知の友達からの強力なバックアップもあって、ずいぶんと面白いレコードを入手することができた。但し、A級盤は未だコンプリートならず。298/300のままである。

 写真はそのうちの1タイトル。「CARL ORFF / ANTIGONAE」(独DGG SLPM 138717〜19)である。(P)1961、3枚組。A級盤ではないけれど、別冊FMfan第40号「長岡鉄男の外盤ジャーナル」で紹介されている。

 その記事をご存知の方なら「ジャケットが違うじゃないか」と思われるだろう。そのとおりである。紹介盤は1980年代の新プレスセット(2740 226)なのである。上のセットは1961年のオリジナル盤である。但し、サンプル盤。と言っても通常オリジナル盤と何ら変りはない。ジャケットに「SAMPLE NOT FOR SALE」のシールが貼られ、レーベルにはスタンプが押してあるだけのことだ。盤は厚く重くフラットで、1枚平均171.3g。公称180g盤で通る目方である。

 「さあどうだとすごみをきかせた録音。これが61年とは」という先生の評どおり、なかなかに凄い音である。決して明るい曲ではないから、好みは分かれるところだと思う。しかし、サウンドマニアなら一聴の価値大いにあり。ハッとする瞬間が、たびたびあるから面白い。

 上の写真には、下側にもう1セット写っている。英DECCAなどもそうだが、独DGGにも古いタイトルには多くのエディションがあり、どうやら下に隠れているセットはED2以降のプレスらしいのである。これはこれで優秀盤。しかしED1(サンプルだケド)にはわずかに及ばない。

 これもまた、レコード探しの楽しさを倍増させる要素になるわけだ。