箱船航海日誌 2007年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/05/31 (木)

息つく間もなく

 今日で5月もオシマイである。なーんだかものすごく速かったような気がする。行事の準備と会議にアタフタしているうち、知らん間に過ぎ去ってしまったようだ。何はともあれ、すべてを無事に終われたことが、何よりもありがたいのである。関係諸氏のおかげさまと、唯々感謝あるのみ。

 んで、来月である。またまた1,000人規模の行事を執行せねばならなく、なっているのだった。しかも、準備から何からすべて僕が統括するブロックで担当するのである。こらエラいこっちゃ。できるのだろうか。できずともやらねばならん。

 幸いにしてこのブロックには、とても頼りになる大先輩がいらっしゃるから、無学無能な僕としては大いなる救いである。教えを乞いながら、無事完遂、できるといいンだケド。

 今年の初夏は、なかなかにクルシイのであった。

’07/05/30 (水)

毀誉褒貶


 スーパーネッシーMkIIの最終形に近い図面を初めて公開したのは、昨年のこの日だった。それからちょうど1年。紙の上で二次元だったものは、ご覧の通り箱船で三次元実体となり、極めて元気に鳴りまくっている。

 MkII化の構想を初めてぶち上げたのはいつのことだったか。その頃はまさに空想するのみ。実は、よもや具現化するなどとは考えていなかったのである。言うだけなら簡単だしお金もかからない。例によってウソツキでいい加減なのである。

 それが本当に実現した今でも時々、僕はちょっと信じられないような気持ちになることがある。よくぞできたものだと。多くのアドヴァイスをくれた友達、斯かるムチャなスピーカーを実際に製作してくださった山越木工房さん、その他諸々ご縁ある方々の、お陰様というほかないのだった。

 6月に入って正式な製作依頼、11月いっぱいで製作完了し、箱船へやってきたのは12月半ば。それからほぼ6ヶ月、ユニットは早々FE208ES-Rに替わり、まだまだこれからのスピーカーシステムである。

 このシステムを使い始めて以降、あちこちからいろんなご意見を頂戴している。絶賛してくださる方がある一方で、3発なんぞバカだアホだオロカモノだ上手く行くはずがない、とおっしゃるムキもいらっしゃるようだ。

 そうおっしゃる方々を一人一人訪ね歩き折伏して廻れるほど、僕はヒマでもなければ気も長くはない。はっきり言ってヒトサマにどー言われようが、そんなことはどーでもいい。どこの誰だかワカラン御仁のゴキゲン取るためにオーディオしてるンではないのである。僕が僕のために設計した、システムなのだから。

 このシステムとの付き合いは、僕が死ぬまで続くかもしれない。

’07/05/29 (火)

今思うこと


 日が長くなり、ハナミズキが散りかけ、裏庭でモリアオガエルが鳴き始め、夕方の空に北斗七星が見える季節になれば、長岡先生のご命日である。

 僕が初めてライブ長岡先生に接したのは、方舟へ伺う日取りを決めるための電話で、である。1989年7月初めのことだ。それ以前に手紙を出したところ「電話ください」と、番号を書いた葉書が届いたのだった。どこの馬の骨だかもわからない僕なんぞに、こんなに簡単に電話番号を知らせてしまってよいのかしら、と思ったことを今も鮮明に覚えている。

 電話での先生は、はっきり言って、コワかった。ブッキラボーなのである。特に不機嫌なのではなく(これはあとから分かったことだ)、必要最低限のことしかおっしゃらないから、そのように聞こえてしまうのである。

 お邪魔する日取りを決めたあと、オーディオについて幾つか質問をし、電話を切った。実際にお会いしてみると、極めて紳士的で物静かで、どこか照れたようなふうで、実に暖かなお人柄であった。

 それから亡くなるまでの約11年間、お会いできる機会を多く持つことができたし、箱船へのお出ましもいただけた。一読者にしか過ぎない僕のような者としては、まさに夢の如き年月だったのである。

 過ぎ去ってしまえば、もっといろんなことをうかがっておくべきだったと、思う。特に、ご恩返しはまったくできず仕舞いである。没後7年経ってなお、僕はそんなことを考えてしまうのだった。

 親孝行 したい時には 親は無し。

’07/05/28 (月)

7年


 明日29日は、長岡先生7回目のご命日である。亡くなってから、すっかり7年経ってしまうわけだ。そんなに時間が経ったとは感じられないほど、長岡先生の思い出は鮮明である。しかし現実には、お会いできなくなって7年、これから先も二度と会えないお方なのである。

 写真は2000年9月、方舟で行われたミューズの方舟主催の「先生を偲ぶ会」へ参加した折に撮ったものである。亡くなって3ヶ月余りのちの方舟は、まだほとんどご生前のままだ。ほんの短い間音を聴けたが、既にこの時、本来の方舟サウンドとは言えない音になっていたと記憶する。僕が方舟へ入ったのは、これが最後である。

 現在、方舟がどのような状態になっているのか、詳しくは知らない。ハード、ソフトともほとんどが然るべく処分された、とも仄聞する。いささかならず寂しいことだが、これも時の流れだ。致し方ないのである。

 やがては方舟そのものも消えて行くことになるのだろう。有形のものは、必ず滅する時が来る。いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ。諸行無常なのである。

 だが、長岡先生が遺して行かれた無形の財産は消えない。僕はそれを大切にしながら、これからもオーディオを心から楽しんで行きたい。

 7年経ち、改めて、思う。

’07/05/27 (日)

圓成

 憲さんの晋山式は、滅多にないようなさわやかな好天の中、盛大裡に終了した。これを僕らの業界では「無事圓成」(ぶじえんじょう)という。「滞りなく円満に成し遂げられた」との意である。

 最も安堵しているのは憲さん本人と、準備に奔走してきた檀家さん(特に実行委員さん達)であろう。皆さん、本当にお疲れさまでした。

 憲さんが当該寺院に住職した当時から深くかかわってきた僕としても、如何にも感慨無量、大いに安堵したのだった。心から「おめでとう」と言いたい。いや、本当に。

 晋山式の風景を、一枚でも写真に撮り、今日の画像に掲げたかったのは山々であったが、円滑な式進行のみに集中し、その暇もなかった。残念である。

 式典から祝宴まで、すべて終わってウチへ帰ったら、どひゃーっと疲れが出てグニャグニャである。あまり役に立てたとも思えないけれど、馬鹿は馬鹿なりに気を遣っていたらしい。しかしながらともかくも、大過なく責めを果たせたようで、ヨカッタヨカッタ。

 いささか残念だったのは、もう一人の盟友であり、憲さんにとっても最も大切な存在の、徳さんに火急の要件が出来し、晋山を一緒に祝えなかったことである。後日、改めて「無事圓成」を報告せねばならない。

 憲さん、この大慶を契機に、さらなるご精進あらせられんことを、冀います。

’07/05/26 (土)

憲さん晋山

 先週の日曜は大きな行事でどたばたし、今週は我が盟友、憲さんの晋山式(しんさんしき)である。なかなかに慌しいのであった。

 晋山式。「晋」は「すすみのぼる」の意、「山」は寺院を表わす。つまり、僧が寺院にすすみのぼる式、転じて住職就任式を意味するわけである。本人にとっても寺にとっても、極めて重大で、しかも喜ばしい式典である。

 実際には4年前、既に住職となっている憲さんであるが、僕らの業界では実際の就任と晋山式が時期を違えることはさほど珍しいことではない。それだけの準備期間が必要となる、大事業なのである。

 僕は今からちょうど16年前、1991年5月29日に晋山式を行った。奇しくも長岡先生のご命日である。大勢の方々から大変なお世話をいただき、いろんな意味で大袈裟だったが、それなりに楽しかったことを覚えている。何といっても、慶事なのだから。

 明日はよいお天気になりそうだ。憲さん、よかったねえ。がんばりましょう。

’07/05/25 (金)

真夏日


 行事があった20日の日曜日は、季節に外れた寒い日で、最高気温は15℃止まりだった。外で受付していても、立っているのが辛いくらい寒かった。夕方(と言っても午後4時頃)、大江山峠のてっぺんでは8℃、まるで冬である。後で聞いたら4月上旬並の天候だったそうだ。

 それが今日(24日)はナンダ。猛烈な暑さである。この近く、京都府舞鶴市では14時27分に31.0℃の最高気温を記録している。おそらく当地でも同じくらいあったはず。一日中半袖で通せたのは今年初めてだ。八重山諸島、西表島の最高気温が30.2℃だから、もうネッタイ並みである。

 上の写真は午後7時過ぎ、境内から西の空を撮ったものである。まだまだ明るく、夜というよりは夕方の感じだ。この時間になってようやく涼しい風が吹き始め、おそらく明日は雨になるだろう。

 暑いのは一向構わない。大好きである。困るのは、短い期間内で気温が乱高下することだ。僕の体は気温の上下に対するトランジェントが劣悪であるらしく、どうも調子が狂ってしまうのである。過渡特性がワルイんだな。

 最も好きな季節に、最も体調を崩しやすいなんて、因果なことである。

’07/05/24 (木)

星の夜の音楽


 今夜は空がよく晴れていて、星が素晴らしく美しい夜である。この周辺には不夜城的繁華街がまったくないから、害光雑光が極少である。人口が少なく車も少なく、空気がきれいである。つまり、オーディオで謂うところのSNが、良いわけだ。暗い星から明るい星まで、細大漏らさずよく見える。天の川もヒジョーに鮮明である。かくもDレンジ広大な星空を楽しめるのは、イナカの特権なんだな。

 この星空をイメージしながら、僕が好んで聴くのは上のタイトルである。「GEORGE CRUMB / Music for a Summer Evening ( Makrokosmos III )」(米nonesuch H-71311)。(P)(C)1975。32年前の、旧いADである。たぶん以前にも紹介したことがあるような気がする。

 これのB-2「Music of the Starry Night」。「星の夜の音楽」と訳せばよいのだろうか。思いっきり現代曲だが、僕は大好きだ。録音ははっきり言って超々優秀、恐るべき切れ込みと透明感、極低歪みでしかも音にパワーがあり、まさに今夜の星空の如くDレンジ広大な音の大洪水を聴かせてくれる、凄いADなのである。

 現代曲がニガテ、とおっしゃる方も、この曲は是非に聴いて欲しい。実は僕も現代曲なんぞ薬にもしたくない、という手合いだったのだが、ジョージ・クラム、殊にこれを聴いて以来、アレルギーが消えてしまったクチなのである。

 星空もオーディオも、SN良好Dレンジ広大、であるのは気持ち良い。

’07/05/23 (水)

身の丈に応じて

 ようやくにして日誌日付の補正ができて安堵している。一時は1週間に近いくらいの差がつき、我がことながらどーしよーかとオロオロしてしまった。いやあ、ヨカッタヨカッタ。

 話題はそれなりに持っていた。そこで困るのが写真である。スピーカー周辺の話題だと、いつも似たようなものになってしまうし、他のオーディオネタにしても同様である。歳時記的な話題では、そんなに珍しい写真が撮れるわけでもなく、やはり困ってしまうのだった。

 不思議なもので、写真が決まれば文章もわりとスムーズに書けるのである。目から入る情報の影響はバカにならない。おそらく読んでいただいている皆さんにしても、写真があるとないとで随分印象が違うはずだ。だからできるだけ画像付きにしたい、のだが、僕の能力足らずである。

 しかしながら、話題があるにもかかわらず写真が撮れないから休載、していたのでは本末転倒である。今後は、オノレの能力に応じた「毎日更新」を心掛けたいと、思う。

 何やらチグハグした4月5月でしたが、今後とも何卒よろしくお願い致します。

’07/05/22 (火)

予定は未定

 今日は当初の予定では、時間に余裕のある日に、なるはず、だった。ので、草刈機の整備をして庭仕事でもするか、と考えていたら、次々と予定外の業務が出来し、あっという間に夜になってしまった。うーむ。なかなか思い通りには動けないものだなあ。

 自分の都合は後回しにして、急なリクエストにお応えするのも、僕の業務では極めて重要なことである。その為にお寺に住している、と言っても差し支えないくらいだ。だから遠出は出来得る限り差し控えねばならないし、何処にいる時でも電話がつながるようにしておくのも大切なことである。

 オーディオとは、斯かる業務に向いた趣味なのかもしれない。医者とボーズにはオーディオマニアが多いと仄聞するけれども、こういう環境と無関係ではないと思う。お金持ちだから、とおっしゃるムキもあるようだが、それはどうだか。

 明日はいささか繁忙になる予定である。忙が閑に転じることは、ないンだな。

’07/05/21 (月)

刈らねば


 先月メチャクチャだった体調は、ゆっくりであるけれども確実に回復しているようである。最後まで残っていた軽い眩暈感もほぼなくなり、健康体と言える状態に近づいている。体調不良の原因は、結局判然としないままだ。まあ、死ぬ時は死ぬがよろし候。

 元気になって境内を見渡せば、例年どおりの雑草だらけ、である。眩暈でふらふらしながら草刈機を振り回すのはヒジョーに危険だからと、放置してきたがもうダメだ。このままでは境内(特に箱船北側)がゲンヤになってしまうのである。

 ヨシ、刈るぞ。

’07/05/20 (日)

50年に一度


 20日は、50年に一度という一大行事を済ませてきた。僕が統括するブロックだけでも動員150人、全体では1,100人を越える集まりである。参加者の取りまとめ、バスの手配、当日は総受付担当と、イヤハヤすっかりクタビレてしまった。まあしかし、事故無く盛会裏に終われたのは何よりの幸いだった。会の全てを統括されたM寺和尚様のお蔭様である。

 次の開催は50年後、2057年〜2059年の間になる予定。僕は96〜98歳になる勘定だから、当然この世にはいない。2人の愚息でさえ60歳を大きく超えるわけで、そう考えれば稀有の機会に巡り会えたと喜ぶべき、なのである。

 ともかくも、皆さんお疲れさまでした。

’07/05/19 (土)

一月間の総括


 上の写真は一月前、208ESからES-Rへの換装作業中に撮ったものである。今日の話題とは直接関係ない。一度は載せておきたかったダケです。

 FE208ES-Rはますます絶好調である。自称「エージング第一段階終了」ということで、この1ヶ月を総括してみたい。

 当初、クールで寒色系に感じられた中高域は、エージング未了が原因だったことがわかってきた。現状、音の冷たさはほとんど感じない。艶と色気は、5年使ったESに肉迫してきたし、情報量の多さでは現状でも完全にESを凌ぐ。とにかく音数が多い感じである。圧倒的、と言ってよい。フルレンジをスルーで鳴らしていることを考えれば、これは特例中の特例である。

 3〜4kHzのピーキーな印象、これもほとんど消え失せてしまった。ソフトによっては未だわずかに残っている、ような感じはあるけれども、おそらく今後さらに落ち着いて行くだろう。問題なし。トゥイーターとのつながりは極めてスムーズになり、音色の違和感も無くなりつつある。コンデンサーはJensenのままでイケそうだ。

 SWとのマッチング、満点とは行かずともまずまず、というところ。遠い将来への展望としては、やはり作り替えねば遺憾と思う。エンクロージャー、ユニット、さらにデバイディングネットワークまで変更するのが理想的である。しかしそれは容易ならざること、だから「遠い将来」なのである。

 総合的判断として、ES-Rの導入は大正解である。一月でここまで鳴れば立派なものだ。引き続きバンバン鳴らして、ならなる覚醒を促したいと思う。

 壊さんようにせんと遺憾な。

’07/05/18 (金)

10年


 長岡先生に箱船へお出でいただいてから、ちょうど10年が経った。亡くなってからでも7年経つわけで、時が過ぎるのは本当に早いものだと、改めて感じ入るのだった。

 10年経っても僕のシステムはさほど変わらない。ADプレーヤー、パワーアンプ、プリアンプはまったく同じ物だし、スピーカーは変わったとは言え、基本的には本家方舟システムのバージョンにしか過ぎない。文字通り、十年一日の如くのシステムなのである。

 もし、先生が今も御存命であったならば、この有様をご覧になって何とおっしゃったか。やり過ぎだと言われたかもしれないし或いは、ここまでやるならもっとやれと、面白がってさらに焚き付けられたかもしれない。いずれにしても、楽しいことになっていたであろうことは間違いないのである。

 1997年5月の漫遊は、今も僕のオーディオ原動力になっている。僕は無学だから、今後もオリジナルへ進化することは到底叶わないと思う。先生の掌から飛び出すことなど、できっこないのだ。それでよい。僕は死ぬまで、長岡フォロワーであり続けるのである。

 開き直りではなく、素直にそう考えている。

’07/05/17 (木)

働け

 相変わらずの繁忙さで、ちっとも日付補正できずにいる。まあしかし考えてみれば、趣味の時間が取れないほど業務に集中している状況は、ある意味ヒジョーに健康的とも言えるわけだ。仕事もせずに道楽三昧、そんなことが可能な人は、余程のお大尽か、ホンモノの○○だけなのである。

 と、愚にもつかぬ日誌しか書けないことの言い訳をしながら、業務方面へ去る。

’07/05/16 (水)

救われてます

 大きな行事の目白押しで、何だかばたばたしている。まともに出来もしないまとめ役に就いて3年半、もうほんっとにクタビレ果てた感じだ。あと半年で任期満了となる。ヤレヤレしかし、それまで元気に生きていられるのだろうかと、思うほどこの仕事はシンドいのである。

 何かとストレスが強い中で、オーディオが極めて快調なのは大いなる救いである。24時間のうち、オーディオできるのはせいぜい1時間、或いはそれ以下、ゼンゼン聴けない日もしばしばだが、それでも僕はオーディオに救われている。

 もし、趣味を持てなかったならば、僕は即死しているだろうなあ。

’07/05/15 (火)

元気の出るオーディオ

 新しい機器を導入したとき、いつも感じることがある。機器の種類を問わず、音が突然良くなる瞬間が、あるのだった。僕はこれを自分勝手に「エージング第一段階終了」と考えている。実際には第一だか第二だか、ワカランのだが。

 FE208ES-Rが、今まさにその時である。昨日あたりから、ぐんと音が良くなった。音離れが格段に向上、当初あったやや冷たい感じ(クールさ、と言ってもよい)はすっかり影を潜め、ESを上回る瑞々しさと艶が出てきたのである。中域に豊かな色彩感が感じられ、キャラクターが消えて表現力向上、低域はさらに締まり、明瞭でしかも力強い。これはいい。

 これほどの音を出すフルレンジユニットは、そう多くないと思う。新素材、新技術テンコ盛りの名は、やはり伊達ではなかったわけだ。

 ルックスには未だ馴染めないところもある。スピーカーは顔が命です。その通りだと思うけれども、これだけの音が実現されるのならば、僕は文句無しである。自分のために自分で基本設計し、自分が厚く信頼するプロに作ってもらったものなのだから、これでいいのだ。

 音が良くなる瞬間。それにはなにものにも代え難い、大きな感激がある。大仰に言えば「オーディオやってて良かった」と実感するのも、この瞬間である。何を聴いても楽しくて楽しくて。椅子から立ち上がるのが難しくなって遺憾のだった。

 元気の出るオーディオ。やっぱりこうでなくっちゃあ、イケナイ。

’07/05/14 (月)

小学生か

 日誌の日付がメチャクチャである。今日はもう5月18日なのに日誌では14日と、これではまるで小学生時代の夏休み日記である。不精をして遡るのが大変で、親にボロクソに言われシクシク泣きながら書いたことを、思い出してしまうのである。

 話題はそれなりにあるのだが、業務繁忙でなかなか時間が取れない。僕は長岡先生とは違って(比べるのもおこがましい)恐るべき遅筆だから、3日分書こうとするとこりゃもうタイヘン。だから、溜めては遺憾のである。

 月末までには何とか矯正します。しばらくの御猶予を。

’07/05/13 (日)

価値観の相違


 まだまだ新しい、なんて思いながら乗っている我が愛車であるところのサイファだが、今年の12月には2回目の車検がやってくる。つまり、乗り始めて5年経つわけである。もうそんなになるのだなァ。

 この車検を期に新車へ乗り換える、なんてことがあるわけはない。まったくその気なし。クルマには関心が薄く、どちらかと言えば実用一点張である。

 サイファの個性的なディザイン(ブサイク、とおっしゃるムキもありましょう)は、個人的に大変気に入っている。乗り換えた当初は何だかうれしくて、ちょっとドレスアップしてみようかしら、なんてことも思いはしたが、しばらくするとすっかり冷めてしまった。つまり僕は、クルマを趣味にはできない種類のニンゲンなのである。

 その点、オーディオに関しては大手を振って「趣味です」と言える。「今回は見送り」だの「2本ダケ」だのゆってたFE208ES-Rを、例によってウソツキでいい加減に6本導入してしまうし、これから先にも欲しいものは尽きない。別にES-Rでなくても良い音が出る、他の機器だって今のままで何ら問題ない、のに、だ。これ以上何を望むと言うのだ。

 斯くの如く無駄(或いは分不相応のゼイタク))、こーゆーことをやってしまうのは、オーディオが僕にとって重要極まりない「趣味」だからである。「手段が目的となることを趣味という」。ナルホド、その通りだ。クルマは「手段」の段階で止まっているのだな。

 数百万円のクルマを次々に乗り換える人、毎年のように海外旅行へ出かける人、身のまわりを高価なブランドモノでかためる人、ナドナドを見て僕は「勿体無いなァ、廃せばいいのに」と思う。どこにそんな金があるンだなどと、我が身棚上げし卑怯下品なことを考えたりもする。

 それと同様に、僕を見た人は「馬鹿が極まってる。廃せばいいのに」と思うわけだ。「趣味」という意味においては、皆同じ穴のムジナ。他者への批判は、自分の首を締めることになるのである。「大きなお世話だ」とフンガイしながら、僕もまた「大きな世話」を焼いている。どうしようもないね、ホントに。

 価値観の違いを認め合う、とは、実に困難である。

’07/05/12 (土)

FとRの微妙な関係


 従来は同じ素材の振動板で揃っていたスーパーネッシーMkIIとリヤカノンL。フロントユニットが208ES-Rに替わり、不揃いになってしまったわけだ。「ユニット(の振動板素材)を揃えるのがスピーカーマトリクスの基本」であってみれば、決して理想的とは言えない状況である。つながりに問題は出ないのか。

 昔々、箱船以前の部屋でD-55を鳴らしていた頃、リヤスピーカー(リヤカノン/QS-101)にFF-125Nをあてがっていたことがある。部屋の事情でリヤスピーカーからリスニングポイントまでの距離が近かった所為もあって、これはもう見事なミスマッチングであった。音色の違いがモロに出て、音場に境い目ができてしまうのである。後年、FE-108使用のリヤカノンII(QS-106)に作り替えたら、とてもきれいにつながり、音色を揃えることの重要さを痛感したのだった。

 その伝からすれば、箱船の現状はあまり褒められたものではない。フロントが3発になり、相対的にリヤのレベルが下がった形になっていて、マトリクス効果はやや弱まっている。そのお蔭で強い違和感はない。けれども、ソフトによっては音色の違いを少なからず感じることがあるのも事実である。

 解決方法は極めて単純。リヤをES-R振動板ユニットに替えればよい。実に簡単だが、現在絶対不可能だ。FE168ES-Rがこの世に未だ存在しないのだから、仕様がないのである。

 それがいつ出現(!)するのか、僕は知らない。これまでのFE限定ユニット展開により手前勝手な予測を立てれば、次は10cmFE108ES-R、その次が16cmFE168ES-R、という順序になる、かな。いずれにしてもまだまだ先のことになりそうである。

 マトリクスをヤメればよい、とおっしゃるムキもあろうかと思う。御尤も、である。しかし僕は、どうしてもスピーカーマトリクス再生にこだわりたいのだ。ソフトによっては妙な音場展開になることもあるものの、上手く決まった時の広大無辺渺々たる音場感は、一度聴いたらヤメられない。極めて魅力的なのだ。

 FE168ES-Rを、気長に待ちましょう。

’07/05/11 (金)

鷹揚に


 ソフトを話題にするのは久しぶりである。最近マトモにオーディオしていないことの証明だな。ファンの風上にも置けないのである。

 このタイトルは3年前にも紹介している。「Frampton Comes Alive!」(米A&M B0001017-26)。1978年、猛烈大ヒットして元ハンブル・パイのピーター・フランプトンを一躍有名にしたライブ・アルバムである。これはその発売25周年記念2枚組SACDバージョンだ。(P)(C)2003。

 国内盤ADはロー落ちハイ落ちでレンジが狭くイマイチ。このSACDバージョンは、レンジは広くなっているがかなりのハイ上がりである。3年前の日誌では「T-300Aのエージングが進んでかなり良くなった」と書いている。それでもエネルギーがハイに偏っていることは確かで、こりゃちょっと困ったなあと、足が遠のいていたのだが。

 そう言えばスーパーネッシーMkIIに替わってからは聴いていないはず、と思い立ち、FE208ES-Rのエージング状況を確かめたいこともあって久しぶりに鳴らしてみた。強烈猛烈壮絶サウンドに、なってしまうか知らん、と思いながら。

 アラ不思議。極めてスムーズな音である。ハイのエネルギーが強いのは相変わらず(当たり前だ)だが、非常に素直な音で、耳障りにはならない。広い会場で演奏している雰囲気も良く出る。音のスケールが大きい感じ。思いのほか気持ちよく聴けてしまった。

 FE208ES-Rのエージングは、順調に進んでいるようだ。それに伴い、際立ってきたのはこのユニットの歪みの少なさである。表題SACDはもちろん、評価の定まっている優秀録音盤を聴いてもそれは明らかだ。クールな印象、ピーキーな感じもかなり収まってきた。超高能率と極低歪み。困難な二律背反を実現させた、極めて優秀なユニッであることが、徐々に実感されてくるのである。

 やはり時間かけずにお湯かけてもダメなわけで、焦らず鷹揚に構えていることが大切なのダ。何もせずに聴いているだけ、も使いこなしのうち。と、自分勝手な言いわけをしておこう。

 今後のテンカイが、ますます楽しみになるのだった。

’07/05/10 (木)

5ヶ月


 スーパーネッシーMkIIの箱船乗船から、5ヶ月が経とうとしている。季節は冬から初夏へと遷ってしまった。冷たい雨が降る冬の日、友達からの強力なバックアップを得て搬入したのが、随分昔のことのような気がする。徳さん憲さんIさん、その節は本当にありがとうございました。

 先月、ちょうど4ヶ月経ったところでユニットを交換したから、システムとして鳴らし始めと同一条件での比較は難しくなったわけだ。だが、エンクロージャーの経時変化についてはユニットの違いにかかわりない。

 右手中指第二関節で軽く叩いてみれば、乾燥が進み材が締まってきていることがよく分かる。完成当初に比べて余分な響きが少なく、澄んだ音が返ってくるのである。製作前に充分乾燥された材とは言え、やはり木は生きものである。この変り様が再生音に無関係であるはずはない。良い傾向だと思う。

 スピーカーは時々刻々変化して行く。これを見て(聴いて)いるだけでも充分楽しめてしまって、今のところスーパーネッシーMkIIをコキ使うところまでは至っていないのがちょっとお恥ずかしいのだった。ヘボながら、僕もオーディオマニアの端くれだ。ヘラヘラ喜んでいるのもケッコウだが、今後は自由自在に操る、というくらいまで使い倒さねばならんと、思うのだった。

 ユニット、エンクロージャー、両者とも強力な支配力を持っている。それが組み合わさってシステムとなれば、なおさらである。そーゆーモノを組み伏せねば遺憾わけだから、これはもうナカナカに大変なのである。

 もう5ヶ月、まだ5ヶ月。永い付き合いに、なりそうだ。

’07/05/09 (水)

重り袋


 「毎日更新」の看板を取り下げるか否か。めぐりの悪い頭で一晩考えた。

 ヤメてしまうのは簡単である。だが、折角7年近くも続けてきて「シンドイからヤメます」では、あまりにも情けない。本当にモウダメダと感じるときまで、続けてみようと、思う。僕のやることだから、質の向上は凡そ望めないけれど、どうかよろしくお願いしたいのである。

 さて、今日の写真はトゥイーターセッティングの現状である。基本的にはTGメタルの高精度鉛インゴットFJ-02で左右から挟みつけてあるだけ。極めて単純である。FJ-02はそのままでは長すぎて使えないから、半分に切ってある。ジグソーで焦らずやれば、きれいに切れるのである。

 トゥイーターの上と、コンデンサーには10kg程度の重り袋を載せている。以前は粒状鉛をビニール袋に封じて載せていた。それを見た長岡先生曰く「音には効くンだろうけれど、ルックスは良くないね。頭にタオル載せて温泉に入ってるみたい」と。

 確かにそのとおりである。ルックスは褒められたものではないと、僕も思う。初めて鉛袋を載せた時は、不格好を承知でホンの実験程度、というつもりだった。ところが、やってみたら思いのほか効果が高く、外せなくなってしまったのである。

 高域の歪み感が減り、スムーズになる。柔らかさと切れ、という、一見相反したものがバランス良く実現されるのだった。音像がきりりと締まる効果もある。針小棒大に語っているように感じられるムキもあろうかもしれない。試しにオーディオにまったく無関心な愚妻にあるなしで試聴させたところ、「載せたほうが良い」と言った。それくらい明確な差が出るのである。

 低域に比較して振動エネルギーが小さい高域だが、重量付加はそれなりの効果があるのだ。動いては遺憾ものは動きにくくする。帯域の高低にかかわらず、重要なのである。コンデンサーをダンプしてあるのも、効いているのだろう。

 但し、このルックスにはとても堪えらないという方、のほうが多いかな。あまりお薦めはできません。

 さて、この重り袋の中身は何か。それは、諸事情により書けないのである。

’07/05/08 (火)

体力低下

 日誌の更新が後手後手に廻ってしまって、なんだかおかしなことになっている。原因は、音を聴くのに忙しいから。換装からほぼ1ヶ月が経ったFE208ES-R、かなり目が覚めて楽しい音になってきた。あれもこれもと聴いているうちに時間はどんどん過ぎてしまうのである。

 オーディオすれば日誌書けず、日誌書けばオーディできない。両方やって深夜まで起きていられるほど、まだ体調万全ではないのである。

 復調の速度が、富みに遅くなったと感じている。このwebページを始めたのは2000年10月だから、僕はギリギリ30代だった。今やそれが40代半ばを過ぎようとしているわけである。個人差はあろうけれども、気力体力とも低下していて当たり前なのだ。

 「航海日誌毎日更新」の看板を取り下げる時が、来ているのかもしれない。

’07/05/07 (月)

園芸種カザグルマ


 ポピーとほぼ同時期に咲くのが、写真の花である。テッセン、ではなくて、園芸種のカザグルマ(一般的にはクレマティス)である。本来のカザグルマは山地に自生する落葉蔓性植物で、これが原種。写真のものに比べて花弁(に見えて実は萼片)がスマートで直径も小さい。でっかく派手に咲くように改良されたのが、園芸種カザグルマである。らしい。

 5年前にもこの花をネタに日誌を書いている。その時、テッセンとカザグルマの見分け方を「萼片6枚がテッセン、8枚がカザグルマ」としたけれど、実はそんなに単純なものではないらしい。カザグルマは極めて多様性の高い種で、萼片は6枚〜13枚とイロイロである。中には50枚、なんていうのもあるというからビックリする。

 今年は特にたくさんの花を付けている。写っているものだけで9輪、つぼみが2つ、フレーム外に5輪ほど。滅多にない暖冬だったの所為か、それともコヤシがよく効いたのか。ヒジョーに元気である。

 原種カザグルマは個体数が極めて少なく、専門家でも実物を見たことのない人が多いという。テッセンとカザグルマがしばしば混同されるのは、このあたりに原因があるわけだ。さほど注目されることもなく、ひそやかに絶滅しようとしているのである。

 日本では本州中南部、四国、九州地方に分布していて、分布各都道府県ではRDBに指定しているところが多く見られる。環境省カテゴリーでは絶滅危惧II類(絶滅の危機が増大している種)に入っている。

 そうと分かれば原種カザグルマを見てみたくなった。当然ながら、一度もお目にかかったことはないのである。

 この辺りの山野には、咲いているのだろうか。

’07/05/06 (日)

ポピー


 今年もケシの花が咲こうとしている。イヤ、このバヤイ「ケシ」と言って誤解を生じては遺憾ので、「ポピー」と言おう。

 草丈30cm程度、ご覧の通り茎と蕾には細かなトゲがびっしりである。つまり、栽培してOKな、種類なのダ。当たり前だな。これがツルツルのケシだったら、ヒジョーにヤバい。

 危ないほうのケシは次の通り。ソムニフェルム、セティゲルム(アツミゲシ)、ブラクテアツム(ハカマオニゲシ)の三種類である。これらの未熟な果実から採れる乳液が、御存知アヘンの原料になるのである。

 三種いずれも草丈が高く1m前後になるから、先ずそこで見分けが付くわけだ。ソムニフェルムは、茎葉が全体的に白っぽく、ほとんどトゲが生えていない。また、葉の付け根が茎を抱いているのが特徴である。

 ブラクテアツムは、姿も花も栽培OKのオリエンタルポピーにそっくりで始末が悪いそうだ。シロウトが見分けるのはほとんど不可能で、時々ゴチャ混ぜになってヤヤコシイことが起きるとも言う。園芸マニアが知らずにヤバいほうを育ててしまったら大変。しかし、そのスジの人がタダのオリエンタルポピーをある種の目的でヒッシになって密栽培していたら、これはとても可笑しい。そーゆーことって、ないのか知らん。

 アンパンにふりかけてあるツブツブ。実はソムニフェルム種である。うわ、ヤバい。と思うのは早計。種にアヘン成分はまったく含まれないのである。そりゃそーだろうな。アンパン食べてラリってたら、それこそシャレにならない。

 種があるのなら、当然どこかで栽培されているわけだ。厚生労働大臣の許可により、ソムニフェルム等の三種も栽培できる。医薬品として強力な鎮痛効果を持つモルヒネの、唯一の原料として重宝されているのである。最先端の技術を以ってしても、モルヒネを化学合成することは不可能なのだ。毒と薬は、表裏一体であることが多い。

 花言葉は「いたわり」。うむ、ナルホド。

’07/05/05 (土)

経験値総動員


 FE208ES-Rの低域は、芯が通って力強い。イメージとしては、振動板の前にある空気をガッチリ把んでロスなく音波に変換している、という感じである。軽く、しかも強度の高いコーンによるところが大きいのだろう。

 力強さと同時に、解像度の高さも印象的である。余分な音が出ない。ややフォーカスが甘かったコントラバスなどが、とても明瞭に出るのである。低域の量感と質を両立させるのは極めて困難で、これはもうD-55時代からずっと実現させようとしている、僕にとっては一大命題なのだ。ES-Rはかなり良い所まで迫っていると思う。

 FE208ES-Rは優れたユニットであることは間違いない。その能力にオンブにダッコで「音が良くなった」と喜ぶのもケッコウだが、実はそこからが本当のスタートである。ユニットの支配力に負けず、より良く鳴らせるかどうか。それは僕のウデ次第なのだ。

 人様に誇るような自信は到底ないけれど、経験値を総動員してがんばろう。

’07/05/04 (金)

苦慮

 病中、停滞していた業務が一気に押し寄せ、帳尻合わせに苦慮している。もとより先回りがヘタクソで、いつも後手後手に回るにもかかわらず、休業が長かっただけにヒドイことになっているわけだ。

 幸い、仲間内からのありがたいバックアップがあって何とかなりそうだが、それにしてもなかなかクルシイのだった。

 ともかくは、前向きに行きましょう。

’07/05/03 (木)

次の目標は


 体調はかなり戻ってきたようである。眩暈感もほとんど治まり、自分の体に実在感が出てきた。四六時中雲の上を歩いているような感じは、実に不快である。このまま完全復調すればよいのだが。

 元気になってきたところで、FE208ES-Rに換装して初めてADを聴いてみた。不思議なもので、病気でフニャフニャしている時にはADを聴きたいとはまったく思わないのだ。それなりにエネルギーが要るのだろうな。

 ヒジョーにヨロシイ。音を最終的に判断するにAD再生は欠かせないと、毎度のことながら、思う。エージング効果もCDよりずっと大きく、2時間ほど聴いただけで一気に音が生き生きとしてくる。現段階でADがこれくらいの音で鳴るのならば、ES-Rの将来は非常に明るいのである。うむ、これならイケる。

 次の目標はやはり、ハイパーエミネント、だな。

’07/05/02 (水)

ホンドキツネ


 久しぶり、おそらく3年以上は見ることのなかったキツネが、庭にやってきた。もちろん、深夜である。実際には何度も来ていたのだろう、しかし姿を目撃することはなかった。庭に来るケダモノの中では特に警戒心が強いからか、それとも個体数が少ないからか。たぶん後者だと思う。

 ホンドキツネである。イノシシやタヌキはどこかしら愛嬌のある動物だが、コイツはちょっとばかり違う。野生の凄味(ブキミさと言っても良い)を強く感じさせるケダモノである。腰を低くして忍び寄るような足の運び、細くしなやかな体つき、鋭い眼光、太くて長いシッポ。何やら油断ならぬ雰囲気である。

 一度仇為せば七度化かし返されるという「七度狐」なる上方古典落語の如く、ホントに人を化かしそうな風情だ。実際、相当に頭が良く、罠をかけてもまんまと餌だけを失敬したり、防護柵をすり抜けて家畜を奪ったりなどは朝飯前である。昔話や童話などにおいて、良い役を貰えないのはこの所為だろう。

 しかし昨今、里山の著しい減少で、彼らはヒジョーに暮らしにくい環境になっていると聞く。タヌキと同じ犬科の動物だが、食性が雑食よりもやや肉食に傾いていること、病気に弱いことなどが原因で個体数が減っているのである。環境への適応性がタヌキよりも低いのだな。そのうちRDBに記載されるかもしれない。

 ニホンオオカミやニホンカワウソみたいにならなければよいのだが。

’07/05/01 (火)

健康第一


 先月は散々な月であった。ほぼ半分を病気で寝込んでしまうなんて、何とも悲しい話である。5月は大好きな季節だし、ここはひとつ元気を出して仕切り直しと行きたいところだ。

 寝込んでいる間に、外はすっかり初夏の様相である。昨日は特に気温が上がり、当地では28℃を記録したと聞いた。夏日を通り越して真夏日寸前である。

 オーディオにとっては最も良い時期、エアコン不要の季節がまたやってきたわけだ。これから夏至くらいまでの間が、僕は大好きである。

 病気をして思い知る。何をおいても、健康が一番だと。