箱船航海日誌 2013年01月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’13/01/31 (木)

RR大好き


 昨年11月中旬、M85さんから拙掲示板へお知らせいただいたアナログディスクである。「Exotic Dances from the Opera」(米REFERENCE RECORDINGS RM-1505)。大植英次指揮 ミネソタオーケストラ。(P)2012。録音は1996年1月18日〜20日、ミネアポリス・オーケストラホールにて。

 REFERENCE MASTERCUTSシリーズの、2012年11月時点での最新盤である。これまでの同シリーズと同様、200gヴァージンヴィニールプレス、ハーフスピードマスタリング盤である。録音はディジタルかアナログか、RRの公式webページで調べてみたがよく分らなかった。音が良けりゃ、どっちでもいいンだケド。

 A面にリムスキー・コルサコフ「雪娘〜道化師の踊り」、R.シュトラウス「サロメ〜七つのヴェールの踊り」、ムソルグスキー「ホヴァンシチナ〜ペルシャの踊り」、チャイコフスキー「マゼッパ〜コサックの踊り」。B面にラボー「マルーフ〜舞曲」、サン・サーンス「サムソンとデリラ〜バッカナール」の全6曲。

 素晴らしい音と音場である。RRに特有のワイドレンジ、ハイもローも完璧に伸び切っていて、力感と繊細感が見事に両立した、個人的には最高の音だと思う。分解能が恐ろしく高い。音場感も大変良く、前後上下左右とも極めて広く高く出る。特に距離感は目を瞳るものがあり、ホールの奥行きがありありとわかる。生々しいことこの上なし。極めて上質の、アナログサウンドである。

 昨年6月に紹介した「火の鳥」(RM-1502)と、曲以外は同じ組み合わせ、録音ホールも同じ、ついでに録音日時まで同一でありながら、音も音場感も微妙に異なっている。個人的には今回のタイトルのほうが、総合的には優れているように感じた。何が違うのだろうか。

 このシリーズ、今後も期待感大である。RR大好き。

’13/01/30 (水)

ACCORD盤


 27日の話題に具したドゥニ・デュフール「BOCALISES - GRANDE SUITE」(仏MOTUS M306011)、アナログディスクを探し回るうち、また別ヴァージョンのCDを見つけた。どうもアナログは発見できません。

 「DENIS DUFOUR / Bocalises - Suite Bleue - Messe a l'usage des vieillards」(仏ACCORD UNA CORDA 202222)。(P)1992。リリースレーベルはACCORDだが、このCDのジャケット裏にもINA-GRMのマークと「Disque publie avec le concours de l'ina-grm」という記述がある。

 先の「BOCALISES」は「GRANDE SUITE」で全19曲36分43秒。今回は「Petite Suite」で全10曲19分02秒。初演は1977年12月2日、フランス・ポーのFaculty of Artsにおいて。作曲は「Petit Suite」の方が1年早いようだから、後になって曲数を増やしたのだろう。どれを聴いても全てビンを叩き割るパターンである。但し、全曲通して聴いたわけではないので、間違いがあるかもしれない。今後、全部を聴けるのだろうか。あまり自信ないなあ。

 MOTUS盤では第5曲になっていた「BRIS」は、ACCORD盤では第4曲になっている。今回のヴァージョンはなかなか良い。超低域はカットされておらず、ちゃんと聞こえる。ハイの切れと立ち上がりはかなりのもので、恐怖感と危機感も充分である。

 しかし。改めてINA盤を聴いてみると、やはりACCORD盤を上回るのである。ものすごくパワフル。音にエネルギーが漲っている。INA盤のほうがややカッティングレベルが高いようで、その所為かと聴感上のボリュームを両者同程度にしてもみたけれど、印象は変らない。基本的に何かが違うらしい。マスターテープか、マスタリングか。INA盤>ACCORD盤>MOTUS盤、という結果である。

 解説の最後にドゥニ・デュフールのディスコグラフィーが付いていた。それに拠ると、1992年当時でBOCALISESのパッケージソフトは「Concert Imaginaire」(CD)に「BRIS」があるだけ。そーゆーことであれば、アナログディスクは存在しない可能性が極めて高いと見るべきだろう。

 この曲に関する探索は、ここまでか。

’13/01/29 (火)

難所


 朝、町道から境内へ登る坂を除雪し、オツトメへ出た。帰ってきてみたれば、除雪の後に積った雪が10cm弱。FFのサイファが登攀できるかできないかの、ちょうど境目くらいである。もう一回除雪するのもメンドクサイし、まあ、登れるところまで登ってみよう。

 写真はそのタイヤ痕である。坂の中ほどで、ひどく左右にブレている。写真では分りづらいけれども、この部分を境に傾斜がわずかに強くなっているのだ。その所為で、駆動輪(前輪)がグリップを失い、蛇行しているわけである。

 写真向って左手は高さ5m以上の土手、右手には側溝(雪に埋もれて見えない)がある。実際に運転している者として、この状況はヒジョーに恐ろしい。僕は人様に誇れるような運転技術など持ち合わせていないけれども、何とかごまかしつつ登り切ることができた。この坂に慣れていることと、四輪スタッドレスのおかげである。

 こうなった時、慣れていない人は大概右手の側溝へ脱輪する。なぜか。滑り始めたのに慌てて必要以上にアクセルをふかす。車体はさらに暴れてコントロール不能、土手の方へ行くと転がり落ちるから、無意識に側溝の方へハンドルを切る。その時突然グリップ復活、一気に脱輪。おおよそこんなグワイだと思う。

 そうなってもらわないよう、坂だけはこまめに除雪するのを心がけている。とは言え、24時間坂に張り付いているわけにも行かないから、やはり時々落っこちる人が出てしまうのだった。如何にも、申しわけない坂なのである。難所だ。

 幸い、今冬は脱輪1台もなし。だが、まだ油断は禁物である。

’13/01/28 (月)

予測ほぼ的中


 27日の朝は、こんなことになってしまいました。26日に載せた写真とほぼ同じアングル、撮った時間帯も同じである。雪降りで出現する風景の、暗さと無色彩感をお分りいただけると思う。これが何とも憂鬱なのでございます。

 「近畿北部で50cm」の予測はほぼ的中、25〜26日の2日間で40cm強の積雪を見た。27日の日中は晴れたり曇ったりで、少しばかり嵩が減る。これで終わりか。と思ったら、今(28日午前1時過ぎ)また盛大に降っている。明日の朝までにもう一段、20〜30cm積るそうだ。まあ、昨年の今頃に比べりゃ、まだマシなのだけれども。

 明日も早朝から除雪だなあ。

’13/01/27 (日)

BOCALISES


 写真左のCDは「Concert Imaginaire」(仏INA-GRM INA C 1000)である。長岡先生が1990年に紹介され、一躍有名になったタイトルだ。通称「ガラスのCD」。と言っても、昨今話題になっている「ディスク基材がガラス製のCD」ではないから念のため。

 なぜこれがそう呼ばれるようになったか、実は確かなところはわからない。ご覧の通り、ガラス細工風の手が指揮棒を持ったジャケットデザインであるから、という説。もう一つは、収録されたある曲に由来する、という説。

 全12トラック、その10番目にDenis Dufour作曲「Bocalises No.5」という曲が入っている。これ、曲といってよいのかどうか。ガラス製の広口ビンを打ち合わせたり叩き割ったりする音で構成された、ミュージック・コンクレート(楽曲のみにとらわれず、この世に存在するありとあらゆる音を録音・加工し再構成を経て創作される現代音楽の一種。具体音楽とも)なのである。

 2分36秒間、ただひたすらガラスビンをぶっ壊す音が延々と続く。それがまた壮絶な音なのだ。ガラスビンが目の前でグワシャーッと炸裂する。図ってか図らずか、破壊音が炸裂する寸前、或いは直後に、鼓膜を圧迫する超低域が付随する。ビンを振り上げた時に出たものか、はたまたビンを床へ叩き付けた時の付帯音か。こんなの音楽じゃねえ、とされるムキもあるだろうけれど、純粋に「音」として聴くにはヒジョーに面白いものだ。

 ゲテモノの最たるもの、とも言える。この曲(?)こそが「ガラスのCD」という通称を与えた、という説が最も有力なのだ。まあ、どーでもいい話ですが。

 前置きが長くなってしまった。この「Bocalises」なる作品、いろいろ調べてみると、全19曲からなる「BOCALISES - GRANDE SUITE」という組曲であるらしい。1978年の作品。それなれば、完全形が収録されたパッケージソフトがどこかにないものか。と、発見したのが写真右のCDである。

 「DUFOUR / BOCALISES / LE LIS VERT」(仏MOTUS M306011)。まったく聞いたことのないレーベルである。ジャケット裏の隅っこに「ina」のマークが付いているところを見ると、INA-GRMとまったく無関係でもないのかしら。(P)2006だから、新譜とは言えない。こちらが知らなかっただけ。

 「BOCALISES - GRANDE SUITE」の第5曲「BRIS」が、「Concert Imaginaire」のトラック10に相当する。早速聴いてみた。間違いなく同じ曲だ。延々とガラスビン叩き割ってます。

 但し、音は違う。すぐに分るのは、超低域が出ないこと。リマスターか何かの段階で、ローカットしたのだろうか。さらに、高域がずいぶんと鈍って聞こえる。切れがない。ガラスが割れる瞬間の恐怖感みたいなものが希薄に感じられる。何だかフツーの音に、なっちゃってます。

 少々残念な結果ではあった。けれども僕は満足している。曲として珍しいし、このようなCDを発見できた喜びがあるからだ。いや、面白い。

 1978年の作品なら、アナログディスクがあってもおかしくないのだが。

’13/01/26 (土)

いよいよ来るか


 写真は24日午前中に撮ったものである。1月半ばの最高気温としては異例に高い13℃、陽気につられて愚猫ラクも久しぶりに狩に出てきた。樹上を見上げては小鳥を狙うが、残念ながら獲物にはできなかったようだ。残骸処理する係のモノとしては、そのほうがいいケド。

 このようなお天気も24日まで。25日の最高気温は、一気に11℃下がって2℃の予報が出ている。実際、朝から冷たい北西の風がビュービュー吹いて、ヒジョーに寒い。雪は、今のところうっすらと白くなっている程度、しかし今夜からは猛吹雪になるという。26日の朝までに50cmの積雪が予想されている。来るなら来い。俺には除雪機という強力な味方がいるのだ。

 って、イキナリ1m積ったら、イヤだな。

’13/01/25 (金)

コゲラのドラミング


 この冬は雪が少ないだけでなく、例年になく日照時間が長くて喜んでいる。と言っても太平洋側のそれとは、比べるべくもないわけだが。

 24日も昼過ぎまではとてもよいお天気であった。今のうちに少しでも陽の光を浴び、セロトニンをブンピツさせねばならんと、境内や屋根の点検(雪で傷むのであります)を兼ね、少しの間散歩をする。

 山際の道を歩いていたら、頭上の樹からフシギな音が。あっ、と思った。キツツキのドラミングだ。見上げたれば、枯れ木に小さな鳥が垂直に取りつき、一所懸命枝を突っついている。一目で正体がわかった。コゲラである。

 背格好はスズメに似ているけれども、上の写真の如く背中にはっきりとした縞模様があるから識別は容易い。比較的警戒心の強い鳥で、気配を悟られるとすぐに飛び去ってしまう。息を殺してしばし観察させてもらった。

 小さいクセに、ドラミングの音量はなかなかに盛大である。かなり遠くまで響き渡っているンじゃないかな。ただ、枯れ木の太さや乾きグワイ、或いは突っつく位置によってボリュームに違いが出るだろうと思う。今日聴いた音はたいそうな大音量、かつ切れと立ち上がりが良かった。

 それにしても、よくもあれほどの高速で突っつけるもんだ。MAXでは1秒間に20回くらい突っつくという。20Hz。と言ってしまうと大したことはないように感じるけれども、20Hzの速度(周波数?)でヘッドバンキングできる人は、たぶんどこにもいないだろう。ホントにやったら、或いは強制的に揺らしたら、ノウミソ液状化します。

 して、キツツキさんのノウミソは大丈夫なのだろうか。まあ、大丈夫だからやってるンだろうケド。キツツキが木を突っついてキゼツした、っちゅう話は聞かない。

 実は、彼らの脳は十重二十重のショックアブソーバによって保護されているのである。その中で最も面白いのは舌の構造だ。人間の舌は喉の奥から始まっているけれど、キツツキのそれはずいぶん違う。上側クチバシの根元から始まり、そこから頭蓋骨を包むようにくるりと巻いて喉を通り、クチバシの中に収まっている。これが脳を衝撃から保護する、高性能ショックアブソーバとして働くわけである。

 思えば凄い鳥だな。

’13/01/24 (木)

名録音は時を超えて


 アナログレコードでは無数のヴァージョンが存在するらしい、仏CALLIOPEレーベルのアンドレ・ナヴァラ演奏、バッハ無伴奏チェロ組曲シリーズである。あれこれと検索を続けるうち、SACD版3枚組がリリースされていることを知った。

 今日CALLIOPEレーベルは活動を停止し、新しいリリースはなくなっている。同レーベルには非常に優秀な録音が多く残っている。それをあたら埋もれさせるのは惜しい、というわけで、ドイツのPhaiaというレーベルが幾許かのオリジナルマスターテープを受け継ぎ、CD、或いはSACDに復刻させているのである。

 PhaiaはすでにこのタイトルのCD版を、昨年6月にリリースしている。今回はハイブリッドSACD3枚組で、昨年の12月初旬にリリースされたものである。カタログナンバーはGKMC904。(C)(P)2012。SACD化は初めてだと思う。オリジナル録音は1977年〜1978年。

 このSACDの解説には以下のようにある。「2011年7月24日、歴史的名録音を残した偉大なレコーディング・エンジニアであるジョルジュ・キッセルホフが、77歳でこの世を去った。 〜中略〜 2012年、キッセルホフによるオリジナル・アナログテープのセットが再発見された。我々はそれを手作業で丁寧に洗浄し、細心の注意を払いながら、すべてアナログ機器を使いリマスターした。その結果、時を超えた美しい録音と、未だかつて聴いたことがないような高忠実度サウンドを提示することができたのである」。

 CD版については昨年6月、ばっかすさんから拙掲示板にリリース情報をいただいている。発売直後に注文したが何故か入荷せず、そのままになっていた。またもそうなったらクヤシイなあと思いつつHMVヘ注文しておいたら、今回は無事入手できて一安心。今、もう一度HMV ON LINEを調べてみれば「在庫あり」と表示されている。ショップによっては「限定盤」としているけれど、本当のところはどうなのかな。

 アナログレコードは死ぬほど聴いている。このSACDはどうだろうか。解説にある通りの音である。看板に偽りなし。素晴らしくよい音だ。やはり第2巻の3番4番(BWV 1009、1010)がいい。古色蒼然としたプレーヤー、DP-85で聴いてこれだから、最新の高品位SACDプレーヤーで再生すれば、ある意味アナログレコードを超えるかもしれない。

 必聴盤です。

’13/01/23 (水)

長い昔話

 先般亡くなった先代は、僕の実父ではない。実父の兄、つまり伯父である。さらに、伯父の妻(未だ健在です)は実母の姉、これまた実の伯母である。何だかヤヤコシイけれども、まあ、そーゆー深い縁があるわけだ。



 昔々あるところに、K寺とS寺という、二つのお寺がありました。K寺には二人兄弟、S寺には二人姉妹がおりました。

 時まさに太平洋戦争の末期、K寺兄弟の長男は学徒出陣で満州へ出征、間もなく現地で終戦を迎えました。満州での終戦は、たいそうグワイの悪いことでありました。条約を一方的に破棄、突如宣戦布告し侵攻してきたソヴィエット軍にとっ捕まり、そのままシベリア送りとなってしまったのです。

 1日の食事はパン一切れとスープ一杯、極北の流刑地で囚人番号を押され、地下数十メートルの暗黒の坑内でつるはしを持ち、数年間の苦しい苦しい重労働を強いられたのでした。いわゆる、シベリア抑留でした。

 その頃K寺では、後継住職をどうするかという問題が持ち上がっておりました。昔のことですから、長男が後継者となるのが当然、しかし、その長男は終戦後数年を経て未だ帰国せず、生死すら不明でありました。最早戦死していると考えるのが自然、というわけで、結局、次男が後継住職となったのでした。

 それからさらに数年経ったある日、死地をくぐり抜けた長男が帰国しました。しかし既に次男が住職となっていましたから、いずれ身の振り方を考えねばなりません。

 ある時、ある縁から、近県のS寺という寺が後継住職を欲している、とのお話がK寺に伝わりました。養子となることが条件だったため、長男は少し躊躇いましたが、結局そのお話を受け入れたのでした。

 K寺の長男がS寺の養子となり長女と結婚、二つのお寺に縁が生れ、深いつきやいが始まりました。当時、K寺の次男とS寺の次女は、両者とも未婚でありました。そんな中、S寺姉妹の母(尼僧でありました)がK寺の次男を気に入り、次女を嫁に遣ると勝手にどんどん決めてしまいました。一昔前の結婚とは、そーゆーものだったのでありましょう。

 こうしてK寺の長男がS寺の養子に入り、S寺の次女がK寺へ嫁に行く、という、いささかヤヤコシイ、けれども稀有な縁が二つの寺を結ぶことになったわけです。

 その後、K寺には二人兄弟が、S寺には二人姉妹が生れました。歴史は繰り返す。S寺の娘二人は長ずるに及び「養子を取ってまで寺を継ぐのなんかイヤダ」と言い、さっさと嫁に行ってしまいます。K寺の息子は学生時代、兄弟揃って猛烈洋楽に呆け倒し、凡そ僧職に就くことなどあり得ないような有様でありました。

 兄のほうはよい塩梅に足を洗いマットウな道へ戻りましたが、ことさらにアホでありチカラ加減を知らぬ弟は、抜き差しならぬところまで深入りした末見事玉砕、年貢の納め時と観念し、修行道場へ赴きます。

 数年間の修行を終えようとしている時、この愚かな弟をS寺の後継住職に、という声がかかりました。どこかで聞いたようなお話です。この頃、K寺は兄のほうが継ぐことにほぼ決まっていました。弟も、進む道を決めねばならない岐路に立っていたのであります。

 彼から見たS寺は実母の実家であり、幼少の頃から深く親しんできた寺でありましたし、迎える当時の現住職夫婦は実の伯父、伯母であるわけです。さらに言えば、自分が生れたK寺は伯父から見れば実家でもあります。

 このような奇縁はそうそうあるものではない、打ち捨ててしまっては遺憾のではないか。何か宿命のようなものを感じたのでありましょうし、己の如くの愚か者を後継住職に望んでくれることへの感謝もあったのでしょう。彼はこのお話を受け入れる決断をしたのでした。

 螺旋階段のように巡る縁に導かれながら歳月が流れ、S寺先代住職は歳を取りました。「本来ならシベリアで朽ち果つるべき者が、90にも至る長命を戴けるとは思いもよらなかった。皆さんありがとうありがとう」と言い遺し、眠るように逝ったのでした。

 先代生前には特に意識したことのなかった庇護感を、現住職は今に至って感じています。晩年は何をするでもない、ただ隠寮にあって大好きな囲碁を楽しむ先代でありましたが、その存在は決して小さなものではなかったのでありましょう。悲しさ、というよりは、何かしら背中の辺りがうすら寒いような喪失感が、ただあるのでした。



 先代の死は、僕の心に大きな結び目を作った。

’13/01/22 (火)

1000cc計量カップ


 昨日はゼイタクなものを紹介したから、今日は倹約アイテムを一つ。

 上の写真は例によって、レコパックもどきを作っているところである。これまでは500ccカップを使い、1回あたり450ccを生産してきた。それがだんだんメンドクサくなって、何とか1回でもっとたくさん作れんものか、と。歳を取ると横着をカマしたくなるらしい。

 要するにカップを大きくすればよいわけである。ところが需要が少ないのか、この辺りでは500ccより大きなものが容易には発見できない。たまに750cc容量があっても1個1,000円くらいと、ヒジョーに高い。送料払って通販で買うほどのものでもなし。ヨシ、ここは一丁100均で探すかと、出かけてみた。

 何のことはない、ちゃんとあるのだ。容量1000ccで1個105円。どーせ某国製だろうと思ったら、立派なMADE IN JAPANである。目盛もわりと正確で、レコパックもどき作り程度なら充分実用になる。2個買って210円。倹約アイテムである。

 早速これまでの倍、一気に900cc作ってみる。実に快適である。口が広いから作業もやり易く、450ccを2回作るよりもうんと楽だ。液量が増える分、攪拌時間は長めになるけれども、体感的には作業効率300%アップ。これを2回繰り返し、あっという間にボトル4本分が出来上がってしまった。

 いろんな意味で、ハイCPである。

’13/01/21 (月)

高級内袋


 白ジャケットと同じく、ディスクユニオンで見付けたのが、これ。グラシンパラフィン紙製の内袋である。10枚一組、1,029円。白ジャケットと同じ値段である。

 内袋が1枚100円以上とは、かなり高価と言わざるを得ない。永く愛用しているNAGAOKAのNo.102でも1枚20〜25円程度だから、4倍以上の高級品である。それだけの値打ちがあるのかしらと、試しに一組だけ買ってみた次第。

 以前、オーディオ雑誌で「レコード内袋にはグラシン紙が最適」という記事を読んだことがある。グラシン紙ってナンジャラホイ。恥ずかしながら僕には正体が分らない。写真では粉薬を包む紙、或いは高級漆器などの包装紙、に似た質感に見えた。

 大雑把に言えば「長い時間をかけて細かく叩解したパルプを、平滑度の高いローラーで高圧加工した紙」をグラシン紙と呼ぶそうだ。結果的には光沢、透明度の高い、滑らかな紙となる。一般的な用途としては、薬包紙、傷つきやすいものの包装紙、クッキングシート、中華まんの底紙など。昔懐かしい例を挙げると、ブックカバーやコレクション切手の包装紙、紙風船。ナルホド、これで正体は完全に判明した感じだ。

 確かにこの紙なら内袋に向いていると思う。擦れが少なく盤を傷付けないし、静電気も起こり難いだろう。ただ、やはり高級な紙であって、それにパラフィン蝋を浸透させたグラシンパラフィン紙ならばなおのことである。しかも、ディスクユニオン扱いのものは1枚1枚手作りしているという。1枚100円は、無茶な値ではないのだ。

 実際に使ってみると、これがもう実にグワイが良いのである。ツルツルピカピカでレコードもスルッと出てくる。静電気も起こり難くなった、ような気がする。特別なレコード専用として、大切に使おう。って、もう半分以上使っちゃったケド。

 問題は耐久性か。いや、超長期的には、PEより強いかもしれない。

’13/01/20 (日)

白ジャケット


 中古レコードを買っていると、いろいろと面白いことに出会えるのだった。中にはとんでもないことになっているものもあり、状態の良し悪しに関らず、大いに楽しませてもらっている。

 先日、優秀録音盤であり、しかも極めて珍しいヴァージョンの盤を発見した。値段も驚くほど安い。大喜びで飛びついた、までは良かったが、世の中そんなに甘くはない。安さにはウラがあるわけだ。ジャケットがないのである。

 どのような状態で届くのだろうか、まさか裸で送ってくるンじゃあるまいな。冗談ではない、以前、そーゆーことが本当にあったのだ。ビニール外袋に裸のレコードをボソッと入れて。どこの国だったかな。ちょっと心配していたら、まったく無関係なレコードジャケットに入った状態で送ってきた。まだマシなほうである。

 さて、このようなバヤイどう対応するか。実用的にはこのままで何ら問題はない。個人的には、何か知らんが気に食わん。面白くない。正規盤は手元にあるから、そのジャケットをコピーしてマガイモンを自作するか。それも何だかなあ。

 3秒考えて仕入れたのが上の写真。イワユル「白ジャケット」である。10枚一組、1,029円。ディスクユニオンで買った。非常にしっかりしていて、実にグワイが良い。別段どうと言うこともないお話だが、僕はとても嬉しくなってしまいました。

 同じ白ジャケットでも、センターレーベル部分に穴が開いたタイプの品数が多いのは、どーゆーわけだろうか。穴なしタイプは、案外見つかり難いのである。

 穴開きのほうが中身を確認するに便利だから、だな。

’13/01/19 (土)

除雪機復活


 昨年12月初旬、初雪としては比較的まとまった量の積雪を見た。こりゃ今年も大雪になるか、弔問のお客様も多いのに大変なことだと、先行きを案じたのであった。

 問題は除雪である。昨冬は最も大雪になった頃、除雪機がバッドタイミングで大故障。以後は手作業での除雪を余儀なくされた。その所為で左ヒジを傷めてしまい、1年近く経った今もグワイが悪い。こんなポンコツではどーにもならんのである。

 故障した除雪機は1996年1月25日導入の、17年モノになんなんとするご老体である。新調すればよいのだが、物持ちの良い(早い話が、ケチ)僕としては修理して復活させたいと考えるのである。販売店に相談すると、17年モノでも修理は可能。但し、費用は割高になるという。あまり嵩むようなら新品を買ったほうが良いかもしれん、とも。

 見積りを取ってみると、思ったほどの掛かりでもない。実用するに不都合のない程度の修理で7万円ほどである。新調すれば確実に20万円以上必要。こうなるとケチの選択に余地はない。見事復活して帰ってきた勇姿が、上の写真である。

 所々サビが浮いたりしていて、やはり古びた感は否めない。しかし、現状極めて快調である。エンジン始動一発、ぶっ壊れていた投雪機構(オーガーと言います)も絶好調。除雪作業の効率300%アップ、っちゅう感じで、ラクチンラクチン。もっと早く修理しておけばよかった。

 ところが、である。すわ、と構えたわりに今年は雪が少ない。一昨日の予報では「この冬一番の大雪になる」とずいぶん脅かされたが、18日朝の積雪は10cmに届かなかった。ぶっ壊れると大雪、直ると少雪。これもマーフィーの法則かな。

 尤も、雪本番は、これからなのだが。

’13/01/18 (金)

更新再開

 たいへん永らくのご無沙汰をしてしまいました。53日間。その間、多くの方からメールや電話、掲示板、或いは書簡で、お心のこもったご心配のお言葉をいただいた。誠に以って申しわけなく、また心から感謝申し上げるばかりである。本当にありがとうございました。

 永く更新を休んだそのワケは。昨年11月末、先代の和尚が逝ったのである。齢90。まったく患うことなし、また病院のお世話になることもなく、永く住んだ隠寮で僕たちと近在のホームドクターに看取られ静かに逝った。まさに大往生である。何も言うことはない。

 出家の者が没したあとは、在家とは趣を異にする細かで、ある意味大仰なシキタリが無数にあり、これを段取り良くこなして行くのがなかなかの難物なのだ。去る1月14日の新忌斎(在家では満中陰・忌明にあたる)を終えるまでの間、どうにも動きが取れなかった。今日に至りようやく一息、航海日誌更新を再開する気持ちになれた、というわけである。

 さて、今後の航海日誌である。休んでいる間、いろいろ思案したけれども、やはり「毎日更新」の看板は降ろさずにいようと思う。その縛りがなければ、懈怠な僕はズルズルとフェイドアウトしてしまうに違いないのだ。13年目にしての、仕切り直しである。

 今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。