箱船航海日誌 2012年10月
日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう
秋冷
今日の画像はリアルタイムではない。8月21日に撮った村の風景である。この陽の高さ、明るさで、午後3時過ぎなのだ。ホンの2ヵ月前なのに、もうずいぶんと昔のような気がする。 今朝、気温が10℃を割り込んだ。とても寒い。庭の樹も山の樹も、一気に色付き秋本番である。今のところ日中は20℃を超えているけれど、来週には10℃台まで下がってくるという。 吹く風には、幽かに冬の匂いあり。 |
秋の大法要
21日は、3年に一度の大法要であった。前回2009年は法要を引っ張る役から外れ、わりと気楽であったけれども、今回は委員長の補佐役にあたり、少々気を遣うことになった。何と言ってもお大変なのは実行委員長である。如何にもお疲れ様でありました。 とても好いお天気であった。こうなれば法要の半分以上が成功したようなもので、この季節は御日様のありがたさを、特に強く感じるのである。ヨカッタヨカッタ。 次回開催は、2015年秋である。 |
レーベル違い
A級盤集めも残り3タイトルとなって、いよいよ困難を極めている。毎日毎晩これ検索に努めても、まったく発見できず。しかしここで諦めては遺憾のだ。絶対に見つける、見つかると心の底から信じ、探し続けるほかはないのである。 そんなことをやっていると、時々ちょっと変わったレコードに当ることがある。上の写真はそう言った1枚である。 どこかで見たようなジャケットとタイトル、それに演奏者である。「TANGOS ! / I SALONISTI」(英PRO-ARTE PAD-190)。外盤A級セレクション第2集144番「TANGOS ARGENTINOS / I SALONISTI」(独harmonia mundi 19-9998-1)にそっくりなのだ。特に、ジャケット中央に描かれているダンサーのイラストはまったく同じである。これはひょっとしてレーベル違い同内容、っちゅうパターンではないのか。 収録されている曲目、曲数、演奏時間などを詳しく調べてみた。両者ぴったり一致している。ゲストミュージシャンOSCAR GUIDI(バンドネオン)の名前もちゃんとある。リリース年(1984)も同じ。これはもう間違いないだろう。 PRO-ARTEレーベルからこのようなレコードが出ていたとは、まったく知らなかった。などと大発見みたいに騒いでは遺憾。検索名人の間では、おそらく常識に近いことなのだろうから。不勉強、お恥ずかしい限りであります。 独HM盤は手元にあるけれど、この英PRO-ARTE盤は持っていない。こーゆーバヤイ、スケベ根性旺盛な輩としては、同内容であっても座視するに忍びないわけである。 是非とも聴いてみたい。 |
無駄を承知で
レコパックもどき2回目完了。見た目には1回目完了時とさほど差はない。少しばかり艶が深くなった程度である。 しかし、ノイズは大幅に減っている。激減、と言ってもよい。両面とも、特に外周部が騒がしかったものが、すっかり静かになった。やはり汚れが残っていたのである。この程度までS/Nが回復すれば、中古盤としては立派なものだと思う。 と、ここでクリーニングを終える、のがフツーの人。僕は例によって馬鹿でスケベだから、2回目でノイズ激減したのに味を占め、もう1回やってみるのである。おそらく大変わりはしないと思うけれども。 これも趣味です。 |
剥離成功
「Der Glaserne Klang」のA面に作ったパック液溜池は、それなりの効果を発揮したようだ。目論みどおり液のはじかれは回避され、健全な乾燥膜を形成している。無事汚れの塊を剥し取ることができた。アルコール、或いは水分に感受性を持つ汚れであって、ヨカッタヨカッタ。 上はその接写画像である。長寸で1mmくらいのごく小さな塊だが、音溝から見ると巨大な物体と言える。何しろ、音溝15本以上に跨っているのである。くっ付いたまま再生すれば、カートリッジにとってはかなりの強敵、スタイラスへの悪影響は大きいはずだ。もちろん、耳障りなノイズを盛大に出すだろう。 少しでも正体を知りたくて、実体顕微鏡で拡大視してみた。細かな埃様のものが寄り集まってできた塊、と判明しただけで、確かなことは分らない。何となく脂っぽいもののようにも見える。シロウトの環境において可能な検証は、この辺りまでだ。 クリーニング後の盤面は、見違えるほどきれいになった。実際の再生では、まだ少しノイズが多い感じ。音溝の傷みか、汚れが取り切れていないのか、イマイチ判然としないところがあるから、再度パックを実施する。 手間がかかっても、このレコードにはそれだけの価値が、あるのだ。 |
迷信と言えども
車庫の柱に写真の物体を発見。カマキリの卵鞘(らんしょう)である。やや小ぶりで、オオカマキリのものほどふわふわしておらず、硬くて艶がある。これはハラビロカマキリの卵鞘なのである。 柱の根元には、まさにそのハラビロカマキリ♀の屍骸がよこたわっていた。これを産み付けたあと、力尽きて落下したのだ。 気になるのはこの卵鞘の位置である。ちょうど僕の目の高さくらい。地面から150cm程度である。決して低い位置ではない。これまたブキミな現象である。「カマキリの高所産卵」は、大雪の予兆とも言えるのだ。 丹後に住して24年、体験的には的中率が高いと感じている。そのような研究をしている学者、民間研究者もあるようだ。けれども、さらに科学的に冷徹な眼で判断すれば、この説は迷信の域を出ない、というのが最近の定説でもあるらしい。まあ、そーだろーな。 科学的には誤り、或いは単なる迷信であったとしても、「カマキリ高所産卵大雪予測」「カメムシ大量発生大雪予告」、こういうのは夢があってよいと、僕は思うのだが、如何でしょうか。親方日の丸のお役所が出す長期気象予報が外れるより、罪がないンじゃないかな。 やっぱり今冬は、大雪か。 |
百日紅が永く咲く年は
9月15日の日誌で話題にした百日紅である。最早風前の灯ながら、未だ花を付けている。咲き始めから数えて75日、あと25日で名実ともに「百日紅」となるわけだが、さすがにそれは無理かな。 こんなに永く咲き続けるのを見るのは、初めてのことである。葉の紅葉と一緒に花があるとは、当地では極めて珍しい現象だ。 何故こういうことになったのか、ゼンゼンわかりません。深読みすれば、次の季節、冬の動向を予知しているとも取れて、いささかブキミでもあるのだった。 百日紅が永く咲く年の冬は厳冬か、それとも暖冬か。 |
秋の午後
午後2時過ぎ、参道石段を登りきったところから西の空を望む。秋分からほぼひとつき、太陽の南中高度はずいぶん低くなってしまった。もう早、光の色は夕方に近い雰囲気をカモシ出している。 10月中旬からの1ヵ月間くらいが、最も日を短く感じる季節ではないかと思う。「秋の日はつるべ落し」と言うが、まさにその通りである。 子供の頃、外遊びに夢中で時間を忘れ、ハッと気が付いたら日はずいぶん傾き、既に薄暗くなり始めている。慌てて家へ走るその最中、あっという間に日が落ちて辺りは真っ暗。心細さと遅い帰宅を叱られる不安で、泣きそうになってしまう。 そんなことを思い出す、秋の午後。 |
溜池作戦
昨日のレコードは、只今レコパックもどきでクリーニング中。写真はその様子だが、ちょっといつもと勝手が違う。 A面に、パック液をはじいてしまう部分があるのだった。範囲は狭く、直径5〜6mmの円形を成していて、その中心にポツンと埃の塊のようなものがある。正体は不明だが、何らかの油脂(或いはワックス)成分を持った塊なのかもしれない。 これはグワイが悪いと、はじかれている範囲の上からパック液を垂らしてみた。するとまたはじかれてしまうのである。どうも遺憾。さてどうしたものか。 そういえばと、似たような汚れにアホな実験をしたことを思い出した。これである。あの時は、効果があったようななかったような、ビミョーな結果だった。しかし、少なくとも盤面上に溜池を作ることで、パック液がはじかれることは回避できそうだし、ひょっとしたらクリーニング効果増大の可能性もある。 和紙で作った溜池には、深さ5mm程度のパック液が溜まっている。はじかれは避けられたようだ。問題は乾燥時間で、注入後24時間経過した現時点でもパック池は固まっていない。 完全乾燥までには、最低3日間くらいかかるかな。 |
逆々輸入
「Bruno Hoffmann / Der Glaserne Klang」(独INTERCORD INT160.830)が届いた。異例の速さである。過去に幾度か利用したことがあるショップだから、顔パス(webのバヤイ『顔』ではないけれど)で入金確認前に発送してくれたのかもしれない。無愛想だが親切、という、ちょっと変なショップなのである。 盤・ジャケットの状態は、まあまあというところ。古いレコードだから、ある程度の傷みは致し方なしである。ショップの自己評価「VG++」は、まず適正だと思う。但し、埃と汚れは多めだ。僕としてはまったく文句なし。貴重なレコードなのである。 内袋を見てちょっと驚いた。盤もジャケットも間違いなく独盤であって、しかし内袋には写真の如く「発売元 日本コロムビア株式会社」の文字がある。なんだこれは。 想像されるルートは以下のようなものか。1.独から日本への輸入盤を日本人が買い内袋を入れ替え 2.それを在米中古ショップが買い取り 3.再度日本人(僕)が買ってまた日本へ。輸入盤を輸出して輸入する。このようなバヤイも、逆輸入というのだろうか。逆々輸入かな。どうもややこしいのである。 もしそうだとしたら、この盤はよほど日本に縁があると見える。僕は今後手放すつもりはないから、今度は日本に安住できるだろう。 大切にしましょう。 |
結構じゃない毛だらけ
最近届いた中古盤の、盤面状況である。異様に安かったから、文句を言っては遺憾と思う。思うけれども、この汚れ方はあんまりだ。埃も埃、それに混じってケダモノの毛が大量に貼り付いている。前、或いは前々オーナーさん、猫か、犬なら座敷犬を飼ってたンだな。 このようなレコードを見て、思うことはいつも同じである。どーやったらこーなるのだ。ウチにも猫がいるけれど、こんなことにはなっていないぞ。ヒドイなあ。目視する限りでは、傷が少ないのがせめてもの救いか。 相当なキャリアがあり、しかもかなり豪華な装置を使っていながら、レコードの汚れには信じ難いほど無頓着、というオーディオマニアさんが存在することを、僕は体験的に知っている。そのような人が永く使った高級カートリッジの針先写真を見たことがあるが、それはもうオゾマシイことになっていた。どんな音で鳴っていたのだろう。 上のレコードの元持ち主さんが、そのような人であったかどうかは、わからない。しかし、この盤面状況を見ると、大いなる疑義を抱いてしまうのだった。 レコパックもどき必須。音溝が健全であることを、願うばかりである。 |
不安
先日、兵庫県の友達から電話があった。西宮市での修行時代を共に過ごした、30年来の道友である。 彼の近在にはオーディオ好きのオボウサンが三人ほどいる。このことは僕も以前から知っていて、そのうちの一人であるZ氏とは面識があり、チラッと音を聴かせてもらったこともある。来月その人たちを連れてオマエのところへ行くから、よろしく頼む、ということであった。彼自身は「ちょっとオーディオに興味がある」程度だから、僕とお三方の橋渡し役、というところなのだろう。 旧い友達の頼みをムゲに断るわけには行かない。ヨロシイですよと返事をした後、Z氏のシステムと音を思い出し、僕はニワカに不安になった。 Z氏の装置、については、詳しく書いて差し障りがあると遺憾からやめておく。とても良い音だったのは確かである。しかし、僕が鳴らしている音とは方向性がまったく逆だと感じたことも、また事実であった。誤解があっては遺憾ので、言わずもがなのことを敢えて書く。これは優劣ではなくて、好みの違いなのである。 そーゆー人が、ウチのようなシステムを聴いて大丈夫なのだろうか。ひょっとしたら、話がまったく噛み合わないかもしれない。或いは、1秒聴いて「もう帰る」ってゆーかもしれない。 エラいこっちゃなあと、思う。思うけれども受けてしまったら仕方がない。いつも通りの音をお聴きいただくしかないのである。尤も、いつも通りでない音なんか、出したくても出せないわけだが。ああ、心配だ。 「極左の左に右がいる」というから、案外だいじょーぶかしらん。 |
一抹の寂しさ
共同通信社のオーディオ専門誌「AUDIO BASIC」が、今号(64号)を以って休刊するという。誌面に大きくインフォメーションされているから、皆さんよくご存知だと思う。 既に次の展開が用意されているとは言え、創刊号から欠かさず購読してきた者としては、一抹の寂しさを禁じ得ないでいる。これも時代の流れ、なのだろうか。 60号台での休刊と聞いて思い起こすのは、同社嘗ての名オーディオ誌「別冊FMfan」である。1974年創刊、1988年60号を以って休刊。正確に言えば、60号は「別冊FMfan」であると同時に「AV FRONT」第1号でもあった。 オーディオソースとしてのFMエアチェックの衰退と、1980年代後半のAVブーム(と言ってよいかどうか)の波に抗し切れず、オーディオ・ヴィジュアル誌「AV FRONT」として再スタートしたわけである。これはこれで非常に読みごたえのある雑誌で、僕は大ファンであった。毎号発売を待ちかねるように欠かさず購読したが、残念ながら寿命は短かかった。バブル崩壊の余波をまともに食った形で、1993年1月号を最後に休刊。 その後、1996年に登場したのが「AUDIO BASIC」である。「別冊FMfan」の匂いを今に伝えるような誌面がとても嬉しく、自作記事(創刊当時は長岡先生もお元気であった)の充実もあってすぐに愛読誌になった。 「別F」の息の根を止めたのは、AVブームであった。AV機器は、今やすっかり家電製品へと成り下がってしまった。工業製品として成熟し切った、と言い換えても良い。それに代って今回の刺客は、PCオーディオである。現状趣味性が高く、今後伸びて行く新しいオーディオ形態、なのだろう。恥ずかしながら、僕はまったくの門外漢である。 別F誌は存続14年、AB誌が同16年。オーディオを取り巻く状況の変化は、15年程度の周期を持っているのかもしれない。 1974年の15年前と言えば1959年。ステレオフォニックレコードの黎明期である。 |
わかっちゃいるけど
このレコードは、今年の1月にも話題にしている。「Bruno Hoffmann / Der Glaserne Klang」(独INTERCORD INT160.830)である。 なかなかに入手困難であって、1月に買ったものはそれなりに高価であった。しかし僕は大喜び、お金には換えられない、大きな価値のあるレコードなのだ。録音も演奏も、まったく以って素晴らしいのである。 盤は極めて健全で、文句なし。だが、ジャケットがいささかクタビレ気味で、ちょっと残念。盤の出し入れ口が少し裂けている。できればもう少し状態の良いものが欲しいと思い、検索を続けてきたのである。 8月頃、海外ショップで激安盤を発見。こらエラいこっちゃと慌てて注文、しようとしたがわずかに出遅れて入手ならず。これは悔しかった。まあ仕方がないなあみんなよく知ってるなあ滅多に出ないしなあ次は何時のことだかワカランなあ。 と、心折れそうになりながらも検索を続けた結果、昨夜別のショップで再度発見。激安とまでは言えないものの、極めてリーズナブルな値である。今回もやっぱり大慌てで注文、おかげさまで無事確定させることができた。ヨカッタヨカッタ。 それにしても中古盤の値付けなどというものは、極めていい加減なモンだと、思う。まったく同じものの値が、ピンキリで100倍以上の開きを見ることも、ままある。今ヒッシになってピンを買わずとも、待っていればやがてキリに巡り会えるのだ。果報は寝て待て。急いては事を仕損じる。 わかっちゃいるけどやめられない。 |
秋は駆け足で
夕方5時半の、西の空である。今日はとてもきれいな夕焼けが見られた。しかし、僕は寂しい。こんなにも日が短くなってしまったのだ。午後6時になれば、もうすっかり夜である。 残暑が長く続いたわりに、今年は秋の深まりが早いように感じている。桜の葉はもう紅葉し、半分くらいが落ちてしまったし、夜に聴こえる虫の声も、減るのが早いようだ。このグワイでは、初雪積雪も早く来るかもしれない。 わずかに残った百日紅の花に、夏の名残を見る。 |
神保さんの歌謡曲
先週土曜日の夜、ウスラぼんやりとTVを見ていて、たまたまNHKの「SONGS」という番組に目が止まった。その日の放送は、舘ひろしさんが石原裕次郎の歌をカバーして歌う、という企画であった。 僕は特に舘さんのファンではないし、ユージローマニアには申しわけないけれども、裕次郎さんの歌にも興味はない。「おいらはドラマ〜」の「嵐を呼ぶ男」か、吉本新喜劇の中田はじめが中途半端にマネして笑いを取る「ブランデーグラス」くらいしか知らないのだ。 「舘さんからすればユージローさんは大師匠だな」などと思いながら見ていたら、1曲目はその「嵐を呼ぶ男」だった。これなら知ってる。昔々その昔、憂歌団が「俺たちゃ憂歌団 ヤクザな憂歌団」と替え歌にして歌ってた。 と、バックバンドのドラマーを見てビックリ仰天。なんとなんと、神保彰さんである。どひゃー。神保さん、こんなのやるンだ。さらにベーシストにもう一度ビックリ。櫻井哲夫さんだった。カシオペアで永い間リズムセクションを支えた二人が、舘ひろしさんのバックで裕次郎さんの曲を演奏している。なるほどなあ、何でもできるンだ。 結局最後まで見てしまった。歌はともかく(失敬!)演奏は超一流、大いに楽しませてもらった。曲間に舘さんのロケコーナーが挟まれて、演奏は4曲だけだったのが残念。もっと聴きたかったなあ。 ドラムセットは上の写真と同じ、YD-9000AJでありました。 |
1980年3月
高校卒業以来一度も会っていない、しかし細い糸で繋がっていた友達と会う機会を得た。1980年3月以来になるから、32年半ぶりになるわけだ。 待ち合わせは、最も分り易い場所ということで、自分たちの母校前にした。ただ、ずいぶん前に廃校になり新規リスタートしている学校だから、正確には「母校」とは呼べない。ロケーションは変っていないから、まあいいか。 集まったのは4人、例によってバンド仲間である。みんな間違いなくオッサンオバハンになってはいたけれど、一目で名前と顔が一致する。エラいもんだ。明確な目的があって集まったわけではなく、ただ昔話をしただけ。それでも馬鹿みたいに面白かった。 数年前から、何故かこのような機会が増えているような気がする。人生も半ばを超えると、昔が懐かしくなるのか知らん。生れてからこれまでと同じ時間は、どう考えても生きられない。ならば、今のうちに会っておこうかと、いうことなのだろうな。 懐かしいだけで終わらず、次のテンカイがあればよいのだが。 |
3枚いろいろ
「BEETHOVEN / quatre sonates pour le piano-forte / PAUL BADURA-SKODA」(仏ASTREE AS 74)である。(P)1986。CD出現以後の1985年8月録音。ASTREEのアナログ・ディスクの中では、かなり新しいほうに入るタイトルだ。外盤A級セレクション第3集207番に選ばれている。 相当早くに入手できたA級盤で、第3集が発行されて間もなくの1989年7月、秋葉原の石丸電気で新盤を買っている。彼の有名な、「Appassionata op. 57(熱情)」が含まれていて、個人的にはとても好きなレコードのうちの1枚である。 初入手から23年、その間に僕は中古盤を2枚買っている。都合3枚が手元にあるわけだ。すべて仏プレス盤でありながら、具に点検すると、それぞれジャケットやセンターレーベルの色目、盤の質感、厚み、重量などに微妙な差異が見られる。音はいずれも優秀、しかしやはり曰く言い難いような違いが聴ける。 もちろんこんなことは珍しくもない。よくあることだ。けれども僕としては、面白いものだと、思うのである。中古盤漁りの、楽しみのうちの一つなのだ。 別バージョン、まだあるのだろうか。 |
復活の日
このトゥイーターを話題にするのは、ずいぶんと久しぶりである。YAMAHA JA-0506II。1980年頃の発売である。既に30年以上前の太古製品だが、僕は今もスーパーネッシーIIの高域補強に使っている。JENSENコンデンサーと組み合わせて使った時の音色は、僕にとって麻薬的な魅力があるのだ。リアルで生々しい、という音とは、ちょっと違うのだが。 写真の個体は、これまた大昔に中古で仕入れたスペアである。大阪日本橋のジャンクショップ(今はもうない)で、店の片隅にハダカでうっちゃられていた。値段はよく憶えていないのだが、異様に安かったような気がする。 埃と汚れだらけのルックスに相違して、音はちゃんとしていた。ただ、写真の1本は−入力端子の止めネジが緩み、ぐらぐらだった。それを改善しようとした僕は、何を思ったか端子をグリグリ回転させてしまったのである。 これはもうまったく大馬鹿者の所業で、そーゆーことをするとどうなるか。結果は察しがつくだろう。ヨーク内側で端子にハンダ付けされている内部配線が、ネジ切れてしまったのである。アホ丸出し。 以来、スペアとしての用も為さず、沈黙したままである。基本的に、修理は不能。それを今回、思うところあって復活させようとしている。と言っても僕の手には負えないから、例によって工作名人の智慧と手をお借りする。 少々荒療治になるかもしれない。しかし、今のままではゴミ同然。ちゃんと鳴るようにしてやるほうが良いに決まっている。 復活なるか。 |
当らずと言えども遠からず
今日の日誌を書き始める前に、一つお詫びと訂正を。「三十弦」の「弦」、正しくは「絃」です。したがって、「三十絃」が正しい表記であります。勝手な思い込みで、完全に誤っておりました。ここにお詫びして訂正致します。 浅学を恥じ、「弦」と「絃」の違いを少しだけ調べてみた。「弦」は、もともと武器としての弓に張られた「ゆみづる」のことで、転じて楽器に張られた糸をも意味するようになった。「絃」は「いと」或いは「楽器に張られたいと」を意味する。今では同義の漢字として扱われているが、元を辿れば異義字なのである。一般的に、和楽器の「げん」は「絃」と表記するそうだ。不勉強、誠にお恥ずかしく思います。 さて、「三十絃と打楽器の為の『積』」である。結論から言うとこの曲は、パルコンCMのBGMではなかったようだ。ただ、まったくの見当違いでもないようで、非常によく似ている。ぼんやり聴いたら同じ曲、という感じ。 ならば、B面「三十絃独奏の為の『メッセージ』」はどうかいうと、これはまったく別の曲だ。そもそもの楽器構成が違っているのである。残念ながら、BGMはこのレコードからの抜粋ではなかったようである。 久しぶりにちゃんと聴いたけれども、やはりこの録音は凄い。ダイレクト・カッティングのメリット全開、大成功例である。生々しさ、透明感、鮮度、馬力、厚み、トランジェントにDレンジ、どこを取っても最高レベルだ。歪み感極少、大音量再生するとモノスゴイ音が飛び出してきて、思わずのけぞってしまう。 三十絃の録音は他にもあるようだから、できる限りあたってみたいと思う。ただ、コトはそう簡単に運ばないモヨウ。今やアナログ・ディスクの入手は極めて困難、あっても高価である。CDもほとんどが廃盤、普通に入手できるものは限られている。 何とか探し当てたいものである。 |
今日は聴けず
「三十絃」のレコパックもどきは、とっくに両面とも乾燥している。あとは膜を剥して聴くだけ、である。でも、まだ聴けていない。今日は少々多忙でありました。 この音源についての最新情報を、拙掲示板にMYUタカサキさんからいただいている。なんとまたタイムリーな。6月の「Hell Freezes Over」に続き、不思議なご縁を感じるのである。 34年前の録音が、最新のハイ・レゾリューションディジタル音源として配信される。痛快である。オーディオは進化しているのか退化しているのか、よーわからん。要するに、良いものは時代を超える、ということなのだろう。 明日は、試聴できる、予定。 |
これか?
先月29日の話題に具した、長岡先生ご出演「パルコン」TVCMのBGMに、僕が最も疑わしいと考えるのは、上のアナログレコードである。 「宮下伸 / 三十絃と打楽器の為の『積』・三十絃独奏の為の『メッセージ』」(日Victor SGS-21)。(P)1978。ダイレクト・カッティング盤である。「昭和53年度文化庁芸術祭参加」作品。このタイトルは「長岡鉄男のレコード漫談(赤)」に取り上げられていて、国内盤ながら優秀盤として推奨されている。 「三十絃」はその名のとおり、30本の絃を有する巨大な琴(正確には『筝』)である。演奏者である宮下伸の父、宮下秀冽によって考案された楽器だという。通常の琴は13絃だから、倍以上の絃数になるわけだ。当然ながら胴のサイズも巨大化する。全長2,355(1,805)、全幅560(248)、両端厚80(40)、中央厚165(78)。単位はいずれもmm、カッコ内は通常の琴のサイズである。 長く太い絃を強大なテンションで張るため、胴は強力に補強されている。クラフィンスピアノ Model 370の考え方にも通ずるところがあり、興味深い。材は桐だそうだが、響きを殺さず効果的に補強するのは、極めて困難だったのではないかと思う。 音は凄い。レンジが異様に広く、立ち上りが非常に鋭い。猛烈ハイスピードサウンドである。通常の琴もかなり鋭い音を出す楽器だが、それを遥かに上回っている。特に低域の馬力と圧力は強烈で、巨大とは言えこれが琴の音かと、俄かには信じ難いような音である。 このレコードのA面「三十絃と打楽器の為の『積』」が、どうもパルコンCMのBGMくさいのである。ここは一つ、確かなところを検分せねばならない。と思って聴き始めたのだが、古いレコードにしてノイズが多い。埃や汚れを巻き込んで、貴重なレコードを傷めるのは忍びない、ので。 例によって、只今レコパックもどき実施中。 |
切ない香り
9月の航海日誌は、青息吐息でごまかしつつも、30日間休まず更新することができた。って、エラそうなことをゆってるバヤイじゃない。2012年の日誌を遡ってみれば、休載ゼロは6月と9月だけなのである。極めて遺憾である。要するに、やる気だけの問題なのだ。克己心の欠如であります。 先月半ばの台風が過ぎ去って以降、当地は急激に涼しくなった。特に昨日今日などは、暖房が恋しくなるほどの低気温である。ついこの間まで夏だったのに。とうとう半袖では過ごせない季節に、なってしまった。 街を歩けば、どこからともなく金木犀の香り。僕は切ないのである。 |