箱船航海日誌 2012年06月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’12/06/30 (土)

6番違いで大違い


 外盤A級セレクション第2集103番「Philharmonia Schrammeln Concert」(墺ALPHA MUSIC 198 701)は、毎日毎日検索するのだが、未だ発見できず。かなり詳しいところまで素性の調べはついている。ただ、見つからない。と言って、ゼッタイに諦めはしないのだが。

 「ALPHA MUSIC」をキーワードにweb徘徊しているうち、写真の如きのレコードを発見した。「CHRISTIANE HORBIGER / PETER WECK / ...AUCH EIN REIGEN...」(ALPHA MUSIC 198 707)。はっきり言って、録音も演奏も内容も、もちろん演奏者についても、なーんにもわかりません。ショップの説明文も、まったく、無し。ただ、数の少ないALPHA MUSICの、198 701とは6番違いのレコード、ということが判明しているだけである。

 試しに、このレコードのタイトルであるらしい「AUCH EIN REIGEN」を翻訳サイトにかけてみた。「また、1ラウンドは踊ります」。なんのこっちゃ。

 斯くの如くワケのわからんレコードでありながら、どうにも気になって仕方がない。ヒッシになって探しているレコードと同レーベルで番号も近いこと、ジャケットに独特の雰囲気があること。6番違いで大違い、の可能性は大である。

 高価なら見送り、しかし安いンだな、これが。

’12/06/29 (金)

がんばれ太平洋高気圧


 恰も梅雨が明けたような好天である。しかし、あくまでも梅雨の中休みなのである。その証拠に、湿気は少なく風は爽やか、真夏の空気感とは趣がまったく違う。この好天は、大陸性高気圧によるものなのだ。梅雨前線はまだ列島の南にのたうっている。

 太平洋高気圧が威力を増し、前線を北へ押し上げて初めてホンマモンの梅雨明け、クソ暑い真夏がやってくるわけだ。

 早く張り出してきてくれないと、夏が短くなっちゃうよ。

’12/06/28 (木)

もう夏


 箱船には時々妙なお客様がやってくる。先日は階段室にでっかいゲジゲジが現れて、思わずギャーと叫んでのけぞってしまった。大嫌いなのである。足の多いヤツは。

 ゲジゲジはお客様、というより、認めたくはないが住人なのだろうと思う。もっと嫌いなムカデは、箱船内では未だ見たことがない。見ないでいいケド。ゲジゲジは触っては遺憾。ハゲます。

 今日の夕方も、階段室で何か動くものがいる。またゲジゲジかとんでもねえなと、思いながらよく見たら、写真のハチュー類であった。ニホントカゲの幼体(或いは成体♀)である。これは住人ではない、正しく珍客である。どこから入ったンだか、階段で右往左往している。

 このままにしておいたらどこかで餓死すること間違いなし。装置の陰で干からびた屍骸を見るのはイヤだ。捕まえて外へ逃がそうとするのだが、これがなかなか容易ではない。

 僕はハチュー類は大好きで、素手で掴むのもヘーキである。ただ、トカゲは迂闊に触るとシッポを自切するから、できるだけそっと掴むべし。と、思うのだが、すばしこくて上手く行かない。入口ドアを開けておき、後から追い立てるようにして、ようやくご退出願えた。トカゲさん、息が切れたらしく、しばらく動けずハァハァしてはりました。

 こーゆーヤツが入ってくるとは、もう夏なのだなあ。

’12/06/27 (水)

スイスの風景


 スイスのレコードレーベル、Jecklin(イェックリン)。外盤A級セレクションに幾つかのタイトルが取り上げられている。推奨タイトルのほかにも何枚か持っていて、いずれも音の水準は高い。手持ちのタイトルの中に大ハズレは、ないのである。

 このレーベルを検索していて、少なくとも3つのシリーズがあることに気がついた。一つは、ジャケットに「Jecklin」と表記されるタイプ、一つは「Jecklin-disco」と表記されるタイプ(写真右)、もう一つは「SZENE SCHWEIZ Jecklin」と表記されるもの(写真左)。

 「Jecklin」と「Jecklin-disco」には明確な境界線がないような感じで、ジャケット上「Jecklin」中身「Jecklin-disco」というような盤もある。「SZENE SCHWEIZ Jecklin」、これは明らかなシリーズものである。

 「SZENE SCHWEIZ」とは「スイスの風景」の意で、20〜21世紀のスイス作曲家たちを紹介するシリーズだという。A級セレクション第3集240番に選ばれているタイトルも同シリーズである。実際、かなりマニアックな品揃えで、ゼンゼン聞いたこともないような作曲家名が並んでいる。単純に僕が不勉強な所為もあるわけだが。マイナーレーベルの魅力全開、実に興味深いシリーズである。

 ちょっと集めてみようかな。

’12/06/26 (火)

花言葉は「思慕」


 本堂前の芝生に、今年もネジバナが咲きました。ここに育ち始めてもう何年になるだろうか、数を大きく増やすでもなく、と言って消え去るでもなく、毎年この時期になると確実に咲いてくれる。何となく、うれしい。

 雑草ではない。ラン科の、立派な「花」である。決して派手ではないけれど、学名の長さでは有名だそうで。「Spiranthes sinensis (Pers.) Ames var amoena (M.Bieb) H.Hara」という。確かに長いわ。いちばん最初の「Spiranthes」(スピランテス)は、ギリシャ語で「螺旋」と「花」を表す「speira」+「anthos」から成り立った名らしいから、日本語ならこの部分だけでOKなのだな。

 湿っていて日当たりの良い、背の低い草地によく育成するという。ウチの芝生は、その条件にぴったりなのである。本堂の軒直下で、雨が降ればいつでも水浸し、しかし日当たりが良いからジメジメしない。背の高い雑草は常時駆除する。特に保護もしていないのに数を減らさないのは、たまたま好条件が揃っているからだろう。

 ほとんど放置状態で強く永く育つにもかかわらず、この花を単独で鉢植え栽培しようとすると、それは大変に困難。たちまち枯れてしまうそうだ。他の草花と共にあってこその、ネジバナなのかもしれない。

 そう言えば、花言葉は「思慕」である。

’12/06/25 (月)

「当り前」の難しさ


 どんなに素晴らしいカートリッジであっても、それに続く再生系に難があっては能力を活かし切れない。そんなことは当り前、だが、いざどこかに不グワイが出てしまうと、その「当り前」が存外簡単でないことに気付かされたりも、するのである。

 故障から復帰したC-17は、実に快調である。復帰直後は気になった低域の緩みも、徐々に改善されつつあり、ずいぶん力感と瞬発力が向上した。そうなると、音の清らかさが一層際立ってきて、現状かなりいいところまで来ている感じだ。

 故障前の音に戻る(ゲンミツに言えば同じ音にはならないだろう)までにはまだ時間がかかると思う。経験上、この時期はわりと重要で、今、音の悪い(例えば歪みの多い)ソフトなどを頻繁に再生するのは上手くない。アンプの音自体が、そのような傾向になってしまうことが、あるようなのだ。

 「当り前」に自分の好きな音を聴く。簡単なようで、実は難しいのである。

’12/06/24 (日)

気になるカートリッジ登場


 audio-technicaから、ヒジョーに気になるカートリッジが出てきた。AT-OC9/III LTDである。2012年6月15日発売、限定生産モデルである。社のwebページを調べたが、台数は表記がなかった。

 皆さん詳細は既によくよくご存知であろうから、多くは述べない。個人的には、ベースがアルミ合金から純チタンに変わっている点に、強く惹かれるわけである。

 もちろん、純チタン「だから」良い、と単純に決め付けるつもりはない。それはそれでデメリットもあるのだ。そこはそれ、馬鹿でスケベな僕のこと、こーゆーモノが出てくると、反応せずには居られないのである。

 ベース材以外の諸元を見ると、2年前にリリースされたAT-OC9/IIIとほとんど変わらない。スタイラスから振動系にかけては、まったく同じもののようだ。唯一、自重が違う。オリジナル8.0gに対して、LTDは10.5gと、2.5gも重いのである。

 アルミの比重は2.7、チタン4.5だから、ベース容積が同一と見て単純計算すれば自重は66%増の13.3g程度になるはずだが、その辺りは何らかの方法で調節してあるのだろう。13g超の自重では、使いにくくて仕様がない。10.5gでも、かなりの重量級と言える。チタンの良し悪しはともかく、この重さはある意味魅力的である。

 このカートリッジを、純チタンヘッドシェルAT-Ti15ANVと組み合わせたら、どんな音になるのだろう。そう考えると、どうにもムズムズするのだった。必ずしもオリジナルを上回るわけではないことを知りながら。

 ああ、聴いてみたいなあ。

’12/06/23 (土)

CALLIOPEはワカラン


 写真に見える2枚のレコード、ジャケットは違うが内容はまったく同じである。「OLIVIER MESSIAEN / MESSE DE LA PENTECOTE / LOUIS THIRY」(仏CALLIOPE CAL 1927)。外盤A級セレクション第1集65番に収録されている。(P)1972。

 本をお持ちの方は既にお気付きかもしれない。第1集に掲載されているジャケットもまた、上の2枚のどちらとも違うのである。しかし内容は、間違いなく同じものである。

 僕が最初に入手したのは写真左のレコードである。20年くらい前のことだ。レコード番号、内容は一致しているはずだが、何だかジャケットが違うような気がする、と訝りながら買い、ウチに帰って調べたらやっぱりゼンゼン違っていた。

 右は、web上で発見したものである。商品案内では、長岡先生が紹介された盤と同じジャケットだった。しかも激安である。大喜びで買い込み、届いてみたればまたジャケット違い。盤はとてもきれいだったし内容に誤りはない。特段にガッカリはしないけれども、先日載せたNAVARRAのセット同様、どうにもCALLIOPEはワケが分らんのである。

 紹介盤と同じジャケットが手に入るまで買うか。うーむ。

’12/06/22 (金)

2回目の育児


 5月の末に子育てを終えた、はずのイソヒヨドリが、同じ巣を使って今年2回目の育児に勤しんでいる。昨年は1回だったのに、今年はどーしたンだ。

 と思って生態を調べてみたら、「繁殖期は2月〜8月、ほとんどの番(つがい)が年に2回、一夫一妻で繁殖する」とあった。これでフツーなのだ。年に1回、のほうが珍しいのである。

 写真は巣の近くの地面に降り、ウチの愚猫ドモを警戒牽制する♂である。彼はたいへん勇猛果敢であって、愚猫の頭上スレスレを掠め飛び、巣の近所から駆逐したりもする。極めて危険な行動だと、思うのだが猫のほうが気圧されているようだ。

 愛玩獣と野生動物の、気概の違いだな。

’12/06/21 (木)

アナログのRR、復活か


 この盤も、今年になってから買った新譜である。「STRAVINSKY / the firebird suite, the song of the nightingale / Eiji Oue / Minnesota Orchestra」(米REFERENCE RECORDINGS RM-1502)。(P)1996、(C)2011。

 昨年9月、いつも貴重な情報をくださるMYUさんから、拙掲示板にお知らせいただいたタイトルでもある。

 録音は1996年1月18日〜20日、ミネアポリス・オーケストラホール。レコーディング・エンジニアはプロフェッサー・キース・O・ジョンソンである。昔のRRが掲げていた「Pure Analog !」の表記はなく、しかし「Digital Recording」のクレジットも見えない。したがって、ディジタル録音かアナログ録音かは不明。200gヴァージンビニールプレス、ハーフスピードマスタリング。音にこだわった製盤である。

 音は素晴らしい。RRらしく、F特はムチャクチャに広い。CDではあり得ぬ、とんでもない広さである。Dレンジも広大、細大洩らさず現場にあった音を完全に記録し切っているような印象だ。音場はちょっと独特で、高さ奥行きも然ることながら、特に左右が異様に広く再生される。左右の壁を完全に突き破ってしまう感じで、最初の一音が出た瞬間、ギョッとさせられる。

 ストラヴィンスキーの「火の鳥」といえば、僕としては1978年のTELARC盤(DG-10039)が最も好きで、どうしても判断基準をそこに置くのである。それに比較すると、F特DレンジではRR盤、総合点でTELARC盤、か。

 RR盤は、中域がやや薄く感じられ、低域の締りがイマイチなのである。グランカッサの一撃は雷鳴のような圧力風圧を伴ってズドーンと来るのだが、音の塊がぶっ飛んでくる、という感じにもう一息及ばない。仮にTELARC盤を100とするならば、RR盤は98、くらい、かな。ビミョーな差、なのですが。

 優秀盤であることには、間違いなし。

’12/06/20 (水)

単売盤とセット盤


 2枚のレコード、これらはどちらも「J.S.BACH / SUITES POUR VIOLONCELLE 3 ET 4, BWV 1009 ET 1010 / Andre Navarra」(仏CALLIOPE CAL 1642)である。右下が単売盤、左上がセット盤。

 センターレーベルの色目、レイアウトなどが微妙に違う。さらに、最も重要な違いはカッティングである。見づらい写真で申しわけないのだが、ランアウトグルーブの幅に明白な差があるのをお分りいただけるだろうか。

 単売盤は幅が狭く、セット盤は広い。つまり、単売盤のほうは余裕を持たせて切ってあるわけだ。この要素だけで音のすべてが決まるわけではない。しかし、他の条件が同じであるとすれば、カッティングには余裕があるに越したことはないのである。

 実際に聴いてみると、これまたはっきりとした違いがある。まず、カッティングレベルの差。単売盤のほうが明らかに高いのである。このレベル差が、そのままカッティング幅の差につながっているのだろう。レベルが高ければ音溝の振幅も大きくなるわけで、自然音溝間は広くなるわけだ。

 しかしこの点でも、だから単売盤のほうが音が良い、と単純に決め付けることはできない。カッティング幅を広く取れば、音溝はより内周まで達することになる。角速度一定再生のADでは、内周に近くなるほど線速度が低下するから、音質的には不利である。カッティング幅、レベルとも、広ければ良い高ければ良いと、一概には言えないのだ。

 と、リクツを垂れておいてナニだが、やはり音そのものについても、単売盤の勝ち。馬力があり生気漲る凄い音だ。それに比してセット盤は、総じて音に元気がない。再生ボリュームを同じくらいにまで上げても、音離れがイマイチである。何だかもどかしい感じ。これだけを聴いていれば、文句のない音、になるのだろうけれども、単売盤の音を知ってしまうと、どうにもいけない。

 ただ、世に出ているすべてのセット盤がこうなっているのかどうかは、まったく分らないのである。僕の知る限りで少なくとも4つ、おそらくはそれ以上のバージョンがあるだろうセットだから、単売盤と変わらぬ優秀な組盤もあると見るのが自然だと思う。

 全部買って検証する。そりゃ無理だ。

’12/06/19 (火)

3回戦で引き分け


 1回目のパックで除去できなかった指紋は、3回目でなんとか取り除くことができた。但し、完璧ではない。まだ痕跡がうっすらと残っている。楽音には影響しない部分でもあることだし、この辺で手を引いておこう。3回戦で引き分け、っちゅうところでしょうか。

 試聴結果は、まあまあである。ノイズはやや多めだが、楽音を阻害するほどではない。元の汚れ様からすれば、立派なものだと思う。カビによる侵食を心配したB面も、大きな問題はなかった。

 さて、このCAL 1643、長岡先生曰く「第5番(A面:BWV 1011)などはチェロが風邪を引いているような音がする」と、言わば酷評されたレコードである。であればこそ尚更に聴いてみたかったわけだ。風邪を引いたチェロの音、とはどんなもんかしらん、と。

 拙システムで聴く限り、そんなに悪くないのである。確かに1642と比較すれば、厚みと艶が不足気味であるとか、少しばかりギスギスするとか、僅かに埃っぽいとか、いろいろあるわけだが、一般的には優秀録音で通るンじゃないかと思う。少なくとも僕には「風邪を引いているような音」とは聴こえなかった。

 先生の評価が厳しすぎるのか、僕の耳がクサっているのか。たぶん後者だろうとは思うけれども、それだけではない可能性も、ある。試聴に具した装置の違い、特にカートリッジである。

 おそらく当時(1988〜1989年頃?)の先生は、MC-L1000で試聴されたはず。そうなると、1642と1643の差が拡大されて出てくるのかもしれない。実は既に、親しい友達からそのような報告も受けている。

 現状僕はeminentで試聴したわけだが、向後はMC-L1000でも聴いてみようと考えている。そうすればやはり、チェロは途端に風邪を引くのだろうか。

 わざわざそんな音で聴かんでもエエような、気もするが。

’12/06/18 (月)

1回戦は敗退


 レコパックもどき1回目完了。A面の盛大な指紋、特にランアウトグルーブに押された1個は強力頑固であって、しっかりと踏み止まっている。写真が不鮮明で、申しわけなく。

 B面のカビコロニーは、案に相違してわりとすんなり取れてしまった。ただし、目視した限りでのお話。カビはビニールを侵食し、目に見え難くしかし深刻な傷を残すバヤイがあるから、安心できない。ビニールどころか、コンクリートやガラスすらも、カビの種類によってはどんどん溶かして食っちゃうのだ。おそろしいのである。

 両面とも、1回のパックでは明らかに不充分である。このテンカイからすると最低3回、できれば5回くらい必要ではないかと思う。

 引き続き、レコパックもどき実施。

’12/06/17 (日)

栄えある第1位


 「J.S.BACH / SUITES POUR VIOLONCELLE 5 ET 6, BWV 1011 ET 1012 / Andre Navarra」(仏CALLIOPE CAL 1643)である。CALLIOPEの無伴奏チェロ組曲三部作(CAL 1641〜43)の最終巻になる。

 写真ではオレンジ色のように見えるが、実際にはくすんだ茶色に近く、森永ミルクキャラメルのような色である。CALLIOPEには珍しいゲートフォールド(二ツ折り)ジャケット。紙質もわりとしっかりしている。

 純然たる中古盤、しかも相当な歴戦の勇者である。傷はさほどではないものの、汚れが凄い。A面はゴテゴテの指紋だらけ、どんな扱いをしたらこーなるのか不思議なくらいだ。ケーキか何か食った手でベタベタ触ったかな。

 B面がまたおぞましい。指紋は少ないが灰白色のカビコロニーが一面に点々とへばりついている。前回再生されたのは何時のことか、何十年も放置されていたようなグワイである。ショップの評価ではジャケットNM、盤VG+ということであったが、はっきり言って過大評価だ。どう見ても、G-/P+くらい。

 まあしかし、こんなケースはままあるわけで、文句があるなら中古盤買うなっちゅうお話なのだ。さりながらこの盤には、2012年汚れの酷いレコードランキング、栄えある第1位を与えたい。現状暫定王者だが、たぶんこのまま確定するだろう。

 レコパックもどきで、クリーニングに挑む。

’12/06/16 (土)

特薦中の特薦盤


 日付が「もうムチャクチャでござりまするがな」になっている。どうかご容赦願いたいのである。何とか補正する、つもりは、あるのでございます。

 12日付けの日誌に載せたレコードが届いた。新譜(と言っても録音は古い)を買うのは久しぶりで、やっぱり新しいレコードは気分が良いのである。(C)(P)2012。

 1992年のCDにはPartita I〜III(BWV 1002、1004、1006)が収録されて75分05秒。今回のADではIとIIのみの収録である。A面(I)26分32秒、B面(II)25分11秒。IはAD、CDとも同テイクらしいが、IIはCDのほうが演奏時間が4分05秒長く29分16秒となっている。録音データそのものは一致しているから、おそらくテイク違いと思われる。

 CDは素晴らしい録音であったが、このADの音も、有体に言って、凄い。CD以上に豊麗で響きが美しく、艶と輝きを伴って朗々と鳴り渡るヴァイオリンには、完全に圧倒される。僕の下手くそな文章で、これ以上ゴチャゴチャ書いても屁のツッパリにもならん。ともかく、実際に聴かれることを、強くお薦めしたいADである。

 SPEAKERS CORNER RECORDSからのリリース、という点に抱いた疑念は、杞憂だった。生硬さも、厚み豊かさに欠けることも、皆無である。これは素晴らしいADだ。うっとりと聴き惚れて、両面あっという間に聴き終えてしまった。

 特薦中の特薦盤、と申し上げておきます。

’12/06/15 (金)

混迷


 昨日載せたレコードは、バッハ / 無伴奏チェロ組曲の全曲セット(日ビクター VIC-2186〜8)である。演奏者はアンドレ・ナヴァラ。原盤は仏CALLIOPE(CAL 1641〜3)、このうち1642(国内セットではVIC-2187)が外盤A級セレクション第3集215番に選ばれている。

 写真左下は全曲セットのCALLIOPE原盤(CAL 164143)、左上がCAL 1642の単売盤、右上はCAL 1643の単売盤、ということになっている。

 同じ内容のレコードを複数入手する、そのココロは。国内盤はともかくとして、いろいろ調べてみるとCALLIOPE原盤には、少なからぬバージョンがあることがわかってきたのである。そこのところを少しでも検証できればと、考えるわけである。

 ご覧の通り、1642と1643ではジャケットの色が違う。実は、同じ赤色のものも存在するし、赤茶色の1642もあるという。さらにはモノクロもあるし緑色もある。全曲セットも同様で、僕の手持ちは赤だが、紫バージョンがあるし、茶色もあるンじゃないかという説もあったりして、ヤヤコシイことこの上なし。

 尤も、ジャケットの色が違っていたって、盤・音が同じなら問題なし。好きな色を選んでおけばヨイのである。ところが、そーは行かない。プレス違い、加えて、カッティングまで違っている盤が、存在するのだ。当然のことながら、音も違う。

 しかも困ったことに、このジャケットにはこのプレス・カッティング盤、という法則性が、あるようなないような。早い話が開けてみるまでワカランのであって、これじゃまるでバクチなのである。

 今回入手した国内盤、1642に限って言えば、CALLIOPE単売盤ともセット物とも、プレス・カッティングがまったく違う盤が入っていた。法則性を見出すヨスガになればと、期待して買った国内盤だが、逆に難しくしてしまった感じ。

 好い加減のところで、よしておいたほうがいいかな。

’12/06/14 (木)

資料として


 このようなレコードを買ってみた。オビに見て取れるが如く、純然たる日本国内盤である。滅多に買わないのだけれども、このタイトルについて少々調べたいことがあり、一つの資料として入手した。

 今夜はいささか疲労深く、詳しくは後日に。

’12/06/13 (水)

DP-85 不調


 先日のC-17に続き、今度はCDプレーヤーDP-85が不調である。CDを入れてもTOCを読まず、「No Disc」の表示が出て再生できない状態である。

 少し前から予兆はあったのだ。Ejectボタンを押してもトレイが出てこなかったり、逆に閉まらなかったり、TOCの読み込みに長い時間がかかったり。その頻度が徐々に高くなり、ついにまったく読まなくなってしまった。こうなったらさっさと修理に出すのである。

 2002年9月導入。今年でちょうど10年である。先代、YAMAHA GT-CD1は10年で引退したが、DP-85にはもうしばらくがんばってもらわねばならない。経済的な理由もあるけれども、僕はこのプレーヤーの音がヒジョーに好きなのだ。

 ドライブユニット周りの不グワイが原因なのだろうと思う。メカを駆動するモーターか、ギアか、ベルトか。加えて、電気的パーツにも10年分の経年劣化があるだろうから、それも併せて点検交換を依頼しようと考えている。

 以前から5月6月は故障が多い。なぜだろう。

’12/06/12 (火)

TACET AD


 analog誌最新号(第36号)の「新譜REVIEW」ページに、写真のようなレコードが紹介されている。「J.S.BACH / Partiten / FLORIN PAUL」(独TACET L 10)。長岡先生のファンなら、よーくご存知のソフトだと思う。但し、長岡先生が紹介されたのはCD(TACET 10)である。AV FRONT誌1992年4月号「DISC HOBBY」での記事が初出のはずだから、かれこれ20年にもなるわけだ。

 先生の評価は非常に高かった。「なんといっても凄いのは録音だ。音は豊麗の二字に尽きる。この音を聴いた後は、アナログも含めて、ほかのバイオリン録音は聴けなくなる。マニア必聴盤 ! !」とある。文末にビックリマークが二つも付くのは、長岡先生の文章においては極めて異例だ。

 TACETのADは、とりたてて珍しいものではない。これまでに数タイトルのリリースがあり、現在もAmazonやHMVで買えるが、このタイトルのAD化は初めてではないかと思う。ただ、純粋なTACET盤、ではないようだ。独SPEAKERS CORNER RECORDSによる180g盤でのリリースである。

 先生の評価通り、この録音は極めて優秀である。初めて聴いたときは、ぶっ飛びました。そのようなものがADでリリースされるとなれば、黙って見ているわけには行かない。絶対買い。だが、一抹の不安も、あるのだ。

 これまでにSPEAKERS CORNER RECORDSの180g復刻盤は、幾つか聴いている。DECCAやMERCURY、harmonia mundiなど。そのどれもが、実はイマイチなのである。どこか生硬く、厚み豊かさ艶が不足したような音。したがって今回のTACETも、どーだろーかと思うわけである。

 では見送るのか。イヤイヤ。

’12/06/11 (月)

結果は、出ない


 もし僕がプロセス(このバヤイ、過程)を楽しむことをせず、良き結果だけを求めてオーディオしていたとしたら、間違いなくあっという間に飽きてしまっていただろうと思う。何故ならば、「良い結果が得られる」と予想して踏んだ過程のほとんどが、空振りに終わるからである。

 空振りならまだよいほうで、却って悪くなることもしばしばである。早い話が、失敗である。一所懸命やった結果がこれかと、しばしボーゼンともするわけだ。そんなことを百万遍も繰り返してなお、飽きずにいるのは、プロセスを楽しんでいるからに他ならない。

 上の写真には、僕が踏んできた「過程」の一部が見えている。失敗分は撤去、成功分はもちろん採用、これは数が少ない。ほとんどが良いンだか悪いンだかよーわからんが、とりあえずそのままにしてある、といったグワイである。一発逆転、これさえやったら超高音質間違いなし、の必殺技は、残念ながら一つもありません。

 それでも永くやっているうちに、何となく音は良くなっていくものである。要は、しくじりの過程を楽しみつつ、そこから何を学ぶかが、重要なのだと思う。

 このwebページの副題には、12年間ずっと「何時までも実験レベルを脱却できない箱船から」と掲げてある。これはシャレでも何でもない。箱船は今も実験中であって、未だ結果は得られていないのだ。そこへ至る過程の真っ最中。何時になったら結果が出るのか、それは誰にもわからない。一生出ない、という説が最も有力である。

 だから楽しめるわけだし、ナンボやっても飽きないのである。

’12/06/10 (日)

AB誌特集記事に思う

 今号のAUDIO BASIC誌には、いささか気になる記事が掲載されていた。「いい音で聴くなら『ルームチューニング』」と題して組まれた特集記事である。

 詳しい内容をここに書くわけには行かない。僕が引っかかったのは、Part 5とEpilogueの段である。個々のオーディオへのアプローチ、或いは考え方が斯様なものに変わって行くとすれば、能動的なオーディオは早晩絶滅するのではないかと、危惧してしまった次第。いや、最早絶滅しているのかもしれない。

 尤も、考え方は十人十色、それぞれの方法論を否定するつもりはまったくない。僕にしても長岡先生や友達から多くの教えを乞うてオーディオしてきたわけで、大きなことは言えないのだ。それを踏まえたうえで、なお思う。オーディオのいちばんオイシイところを他人任せにするのは、何とも勿体無いことだと。

 結果も重要だが、それ以上に僕は、プロセスをこそ楽しみたいのである。

’12/06/09 (土)

テーブルタップに


 AUDIO BASIC誌63号付録オリジナルインシュレーター、現状装置のほうは間に合っているから、写真のように使ってみる。

 このテーブルタップ、10年ほど前に友達が作ってくれたものである。以来、ヒジョーに気に入って愛用している。ロの字を構成する側板はSUS8mm厚、底板は真鍮15mm厚、天板は真鍮8mm→6mm厚、重量は、おそらく10kgを超えるという、強力な奴である。うっかり蹴飛ばしたら、血を見ます。

 床にベタ置きでも構わないのだけれども、わずかにガタが出る。コンクリートコテ仕上げ床の泣き所である。薄い鉛板をちょっと挟めば問題解決する。そこをオリジナルインシュレーターで三点支持に変更したわけである。

 ゲンミツには「三面支持」と言ったほうがよい。細かく見れば、ガタ皆無にはなっていない、と思うけれども、ベタ置きよりは安定している。ルックスは、ご覧の通り如何にもメカメカしい。大いに僕の好むところである。

 ここからはC-AX10とDP-85の電源を取っている。テーブルタップの支持方法変更が、それらの音に何らかの影響を与えるのだろうか。

 試聴してみるも、イマイチよくわかりません。ほとんど変化なし。尤も、これで音が激変したらエラいことである。少なくとも悪くなってはいないようだし、ルックスは格好ヨイからこのまま採用決定。

 オーディオは、顔がイノチです。

’12/06/08 (金)

特別付録


 AUDIO BASIC誌第63号の特別付録である。「本誌オリジナル スパイク受け型インシュレーター」というものだ。

 φ29.75mm×9.5mm、1個あたりの実測重量16.45g。アルミ合金A2017製。いわゆるジュラルミンである。アルミと銅(他に珪素、鉄、マンガン、マグネシウム、亜鉛、クロム、チタン、ジルコニウムを微量)の合金で、軽量快切削性でありながら鋼材に匹敵する強度を持つ。耐食性には劣る。汗っかきの人は、取り扱いに注意しましょう。ピカールか何かで軽く研磨し、クリアラッカーなどでコーティングしておくと良いかもしれない。

 1個あたりの耐荷重は30kg、と説明されている。おそらくこれはピン受けとして使うバヤイだと思う。面でモノを載せるなら、30kg程度でぶっ潰れてしまうとも思えない。少なくとも倍、或いはそれ以上ヘーキでイケそう。径のわりに厚みがあるから、強度は高い。

 なかなか面白い付録である。だが、3個では使い方に限りがある、と思ったら、次号(64号)にも3個付いてくるそうだ。都合6個。それだけあれば、用途はぐんと拡大されるのである。

 折角の付録だから、ウチでもどこかに使ってみようかな。

’12/06/07 (木)

AD贔屓


 MYUタカサキさんからのご投稿には、いささか驚いた。同じような時期に、同じCDを話題にしていたとは。まったくの偶然である。不思議なご縁を感じるのであった。

 「hell freezes over」が「オーディオ・ショーの定番ソフト」であったとは、寡聞にして不知。録音の優秀さはもちろん、演奏者と曲の知名度は圧倒的である。EAGLES(殊に、ホテル・カリフォルニア)を知らん音楽ファンなんか、どこにもいないンじゃないか。二拍子も三拍子も揃った試聴ソフトとなるのは、当然とも言える。

 CDも優秀だが、今夜は英SIMPLY VINYLリリースのAD(SVLP-050)を聴いた。たぶん2004年発売、180g盤2枚組である。

 これはこれで極めて優秀。個人的にはCDを上回っていると思う。尤も、僕は偏執的にADの音が好きだから、多少ヒイキが入っているかもしれないわけだが。

 写真はDISC1-B面である。2曲目に「HOTEL CALIFORNIA」が入っている。アクースティックギターによるアンプラグド・バージョンである。ここで聴かれるバスドラムの超低域が、凄いのである。タカサキさんの記事に見える通りだ。この音も、ADのほうがより深々としていて伸びがあるように聴こえる。

 同じ面の最終曲「PRETTY MAIDS ALL IN A ROW」。ジョー・ウォルシュの曲である。僕はこれが大好きだ。ロックとしては例外的にDレンジが広く、オーディオ的にも面白い。

 ロック好きでEAGLESファンのオーディオマニアさんには、特薦のADだと思う。しかし残念ながら、現在は入手困難であるらしい。海外ショップやオークションで調べたら、とんでもない値が付いていてひっくり返ってしまった。

 もう一回発売してくれんものか。

’12/06/06 (水)

耳がいい加減


 突然EAGLESが聴きたくなって、写真のタイトルを選んだ。「hell freezes over」である。SIMPLY VINYLのアナログディスクもあるのだが、今日は気楽に飛ばし聴きしたかったから、1994年の国内盤CD(日MCA VICTOR MVCG-196)を聴いた。

 このCDの音については2005年1月3日の日誌で触れていて、曰く「中高域は明瞭で切れもあるが、やや歪みが多く伸び切らない感じ。解像度、繊細感ももう一息。ロックとしては悪くないものの、いわゆるドンシャリ系の音」とある。

 何だかあまり良くないようなふうである。今聴くと、それほど悪くはないと感じた。確かにドンシャリ傾向ではあるものの、さほど歪みが多いとも思えないし、解像度、繊細感ともそれなりにある。ロックのライブ録音としては立派なものである。7年間でシステムの音が変わったのか、僕の耳がいい加減なのか。たぶん、後者だ。

 飛ばし飛ばし再生するつもりが、楽しくなってしまって全曲を聴き通した。18年も前の古いタイトルだが、EAGLESの良さは、いささかも色褪せない。尤もこのグループ、今も現役なのだ。

 久しぶりにADも聴こうかな。

’12/06/05 (火)

蒸留水の使い方


 箱船には、かなりまとまった量の清浄な蒸留水がある。出所はワケありでナイショ、少なくとも僕が自作したわけでは、ないのである。作りたくてもできません。

 いろいろと使い道を考えてきたのだが、なかなかよい智慧が出ず。以前、再生レコパック液を作っていた頃なら、最適材料の一つになったに違いない。レコパックもどきがある現在、その用途としても出番がない。

 通常僕は、レコパックもどきをオリジナルレコパックが入っていたボトルに移し替えて使っている。空になる都度、水道水で洗浄し、新しくできたパック液を入れる。シャンプーやハンドソープを詰め替えるようなものだ。

 洗浄後のボトルは口を下にして思いっきり振り回し、水道水を切る。が、どうしても水気が残り、パック液への混入を防げない。僅かな量とは言え、なんとなくキボチ悪いのである。

 水道水は一見きれいなようで、実は少なからず問題を抱えている。殺菌剤のカルキ(次亜塩素酸ソーダ)はもちろん、鉱物質や極微小なゴミ、時には砂が混じっていることもあり得る。洗浄後、時間をおいて乾燥させても蒸発するのは水分だけ、それら異物はボトル内部に留まってしまうのである。

 そこで蒸留水登場。水道水洗浄後の、最終濯ぎに使うわけである。大量に使う必要はなく、ボトルに100ccほど入れシェイクするのを4回くらい繰り返す程度で充分。徹底するなら、まさに「湯水の如く」使うべきだが、蒸留水はタダの水ではないのダ。何だか話がヤヤコシイ。

 これは大正解で、精神衛生上ヒジョーによろしい。さらに不思議なことに、蒸留水は水切れがとても良いのである。いつものようにぶんぶん振り回さずとも、容易に水分が飛ぶのである。不純物が少ない所為だろうか。一石二鳥で得した気分である。

 よい使い道を思いついたと、独り喜んでいる。

’12/06/04 (月)

エージング促進ソフト


 C-17のエージングを進めるに適したレコード、とはどんなものが良いのだろう。できるだけ歪みが少なく、しかもレンジの広いソース、ではないかと考えた。そこで思いつくままに選んだのが、写真のレコードである。

 左から、「POMP & PIPES ! 」(米REFERENCE RECORDINGS RR-58)、「OMNIDISC」(米TELARC DG-10073〜74)、「PINIEN VON ROM, ROMISCHE FESTE」(独DECCA 6.42251 AS)の3枚。いずれも長岡先生ファンならお馴染みのタイトルである。

 RRは言うまでもなく、圧倒的に広いレンジを持っている。TELARCはどちらかと言えば低域方向の伸びと瞬発力が凄い。DECCAは、長岡先生がA級セレクションでMO-FI盤を紹介(第3集250番)されている、その原盤。MO-FI盤に比べると低域の圧力が後退するが、それでも充分レンジは広い。

 こういうものをどかーんと再生すると、やはりそれなりに効果が出るようだ。聴いているうちにも音のナリが変化して行く様を感じることができる。掲示板にご投稿くださったぷあさんの言の通り、徐々に低域が締り力感が増してくるのである。

 まず以って、初期エージングは順調なようだ。

’12/06/03 (日)

2面だけ


 今夜はレコードを2面聴けた。2枚、ではないところがちょっと悲しいわけだが、まあ、それでもともかく聴けたンだから、ヨカッタのである。

 修理後C-17の音を判断するには、あまりにも短い時間である。けれども、まったく分らないというわけでもない。現状印象的なのは、音が清らかなこと。故障前に比べると、ずいぶんと清澄さが増した感じである。歪みが減ったのかしらん。解像度、分解能も向上し、音場がたいへん広く気持ちがよい。

 低域は量感が豊かになった。反面、力感、締りがやや後退したように聴こえる。ちょっとファットな印象。解像度に問題はなく、明瞭でありながら膨らみ気味、という、少々不思議な鳴り方である。

 今のところはこんな感じである。まだ100%満足、とまでは行かないものの、今後には充分期待できる音と受けとめた。

 ヤッパリC-17でないと、遺憾わ。

’12/06/02 (土)

難物

 宗門が発行する月刊誌から原稿依頼あり。1400字ほどの短い文章である。内容は、当然のことながら仏教教義に即したもの、となるわけだが、これがなかなかの難物で。

 わかりやすく平明で、しかも品位を保った文章でなければならない。困難なのである。難解なことを難解なまま書くのは極めて簡単、極端なことを言えば経典語録をそのまま転写すればよい。それではまさに「お話」にならんわけだ。

 深い教義を自分なりに解釈し噛み砕き、何方がお読みになってもよく理解できる、しかも読者をして納得せしむる、1400字の文章。はっきり言って、無理です。ワタクシの能力を遥かに超えております書けませんと、本当のことが言えれば言うのだがそうも行かず。

 どうにか字数を埋めて提出した。ああ、苦しかった。出来がどうだか、僕には判断できない。が、これから校閲が、おそらく盛大に入るだろうと思う。要するに、上手くは書けていないのである。

 それに比べると航海日誌は、実に楽しく書いているンだなあと、妙なところで自覚するのである。それなりに生みの苦しみはあれども、おかげさまで自由に書かせていただけて、何ともありがたいことである。

 本業にかかわる文章をこそ、楽しく書けてホンモノである。本来斯くあるべし。それを四苦八苦してしまうのは何故か。理由は単純明快である。

 修行が足らんのだ。

’12/06/01 (金)

マボロシ

 6月になったら少しは余暇ができる、という考えは、マボロシであったようだ。実体は真逆である。余計に忙しくなっているのだ。こんなはずではなかったのに、と言ってみても仕様がないのである。

 などと年長の人にグチったら、「ありがたいと思え、忙しくできるうちが花だバカヤロウ」と叱られてしまった。やはり僕は、五十を超えても天命を知っていないようだ。遺憾なあ。

 とゆーよーなわけで、オーディオはまったくできておりません。完璧な修理成ったC-17を聴きまくりたいのは山々なれど、思うに任せず通電だけしてある状態。今月半ばを過ぎれば、何とかなるかしら。

 またマボロシかな。