箱船航海日誌 2012年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’12/05/31 (木)

熱くなるまで待って


 写真はC-17の天板、パンチングメタルから透けて見える2基のユニットアンプである。LR独立型。カートリッジからの微小信号を扱うヘッドアンプでありながら、この部分はかなり熱くなる。ちょっとしたパワーアンプ並みの発熱量である。

 それが良いか悪いかはさておき、ある程度熱くならないと、本当の音にはならないことだけは確かである。つまり、ウォーミングアップに時間がかかるわけだ。

 昨夜から電源を入れて24時間以上、ユニットアンプは充分に暖まっている。そこでレコードを1枚、聴いてビックリC-17。昨日とゼンゼン違う。まさに目が覚めるような音である。そう言えば2007年、もう1台のC-17が修理から帰ってきたときも、同じような感じだった。分っていても、この変わりようには驚くのである。

 あとは代替パーツによる音の違い、だが、この調子ならまったく問題ないのではないかと、思う。どんどん使ってどんどん鳴らせば、やがては自分の音になって行くだろう。

 それもまた、オーディオの楽しいところである。

’12/05/30 (水)

復帰


 C-17が復帰した。故障状況はメーカーでも無事(?)再現確認され、原因は電源部フィルターコンデンサーの容量抜けによるリップル発生と断定された。

 このアンプにはLR2本ずつ、計4本のフィルターコンデンサーが積まれているのだが、そのうちRch2本がダメになっていたそうだ。Lchにも早晩不グワイが起こるだろうということで、4本すべて交換。ただ、オリジナルパーツはメーカーにもパーツメーカーにもなく、代替品による修理である。

 このことは修理作業に入る前、メーカーから了解を求める詳しい説明があった。「音が変わる可能性がある。それでも修理してよいだろうか」と。

 今後も長く使いたい、僕にとっては極めて大切なヘッドアンプである。音色の変化は何とかなるだろう。なにより使えなくなるのはヒジョーに困る。そのように言い、修理を進めてもらったのだった。

 システムに復帰させ、ウォーミングアップほとんどゼロ、の状態から聴く。最初はなんとも寝ぼけたような音で、こらエラいこっちゃと少々焦った。けれどもLPを片面聴き終わる頃からぐんぐん目が覚め、両面聴き終わる頃には、ほぼ文句のない音になる。

 但し、故障前の音に比べると、まだまだ切れが悪く生硬い感じ。この差はおそらく新パーツのエージングが進むことで、徐々に埋まって行くはずである。代替品の使用で音が変わったかどうかは、今のところ正確な判断が難しい。少し時間をかけて聴いて行こうと思う。

 とまれ、無事システムへの復帰ができて、ヨカッタヨカッタ。

’12/05/29 (火)

十三回忌

 干支が一回りすれば、12年である。長岡先生が亡くなった年も、辰年だったのだなあ。29日は、12回目のご命日である。

 丸12年、ということは、13回忌に当るわけだ。「称名忌」(しょうみょうき)とも言う。没後12年、その間故人の名、転じて心に称(かな)うような生き方を、自分はしてきたのだろうか。我が来し方を顧みる一つの機会とすべし、というような意味を持たせてあるわけだ。

 僕は、どうであったか。長岡先生の心には、凡そ称っていないような、気がする。相変わらず先生の模倣に堕し、殊にソフトに至っては、A級盤集めに血の道を上げる。「あなたのオーディオなんだからね、あなたの好きなようにやればいいんです」。好きなようにやったらこうなっちゃったんですケド。

 「違いがわかる男になるには、まだ時間がかかるようである」

 その前に、先生と同じ処へ行ってしまいそうです。

’12/05/28 (月)

三作目


 念珠自作は快調で、写真のパーツは第三作目に向けてのものである。主珠は10mmφのアメジスト、僕には少々贅沢だ。ある人への、ちょっとした贈物とするつもり。

 念珠を贈物にするのは、あまり一般的、とは言えないのではないかと思う。僕らの業界(と言っては遺憾のかな)では比較的普通である。例えば仏前結婚式では、指輪の交換に代わって念珠を交換する。常に身近にあり、かつ使用頻度が高い、ということの証かもしれない。

 ドシロウトの自作だから、ディーテイルを具に検分すれば、その道のプロが仕立てたものとは歴然たる差がある。珠を紐に通し環にするだけ、とはいえ、そこにはプロにしか為し得ない技が厳然とあるのだ。

 出来はどうあれ、自作することにこそ、意味があると僕は思う。一抹の香を焚き、心のうちで経を称え念じながら、珠を一つ一つ繋ぐ。まさに「念珠」であって、作っている僕自身が、救われるような気持ちになるのである。

 念ずれば花開く。

’12/05/27 (日)

鳳凰堂


 オツトメの一環で、檀家さん80余名とともに本山妙心寺へ参拝した。午後からは宇治市にある、国宝・平等院鳳凰堂も拝し、日帰りとはいえ内容のある旅行になったと思う。ただ、ヒジョーに暑かった。あとで聞いたら宇治市の最高気温は32℃だったそうだ。そりゃ暑いはずだわ。

 写真は鳳凰堂を裏手(西側)から撮ったものである。10円玉の表にある画の裏側(ヤヤコシイなあ)、というわけだ。僕は初めての参拝である。朱塗りのお堂だったことを知り、ちょっと驚いた。無学お恥ずかしく。

 巨大な阿弥陀如来坐像が鎮座する堂内は、今やシックな古木色だが、創建当時は極彩色に輝いていたという。目を凝らしてよく見ると、その片鱗が認められるのにも感激する。何しろ天喜元年(1053年)、959年前建立のお堂なのだ。

 ご本尊様の周りには「雲中供養菩薩像」と呼ばれる浮彫りがあり、菩薩様が舞を舞ったり楽器を演奏したりしている。これらがまた実に素晴らしい。「平安時代の仏師さん、ぶっ飛びのデザイン感覚」などと、罰当りなことを考えてしまった。

 「鳳凰堂」の通称(正確には『阿弥陀堂』)由来になっている、大棟に設置された一対の鳳凰像、現在のものはレプリカであって、真物は境内の博物館「鳳翔館」に保存展示され、間近に見ることができる。この像も凄い迫力。シャープでハードでクール、これまた類稀なるデザインと感じた。何だか日本人離れしていると言うか。

 ムカシの人は、偉かった。

’12/05/26 (土)

失われたレコード


 写真のレコードは例によってA級盤、だが、最近買ったものではない。1996年5月、16年前の購入である。外盤A級セレクション第2集189番「Mozart / Violin sonaten KV 58・304・481」(独RCA-SEON RL 30335)。実はこのレコード、永らく行方不明だったのである。

 当時の手帳には購入記録が残っているし、何よりも実際に何度も聴いている。絶対にあるはずなのだ。なのに、どーやっても見つからない。レコードラックを幾度探しても、発見できないのである。そのうち、もしかしてシンキロウでも見ていたンじゃあるまいか、実は買っていないのかもしれない、などとワケのわからん不安感に襲われ始め、さらにヒッシで探すも出てこない。

 数万枚にも及ぶような膨大なライブラリーを持っているのならまだしも、高々3,000枚程度の中から発見できないとはどーゆーことか。昨日、今回は徹底的にやるぞと意を決して探索開始。やっとのことで探し当てることができた。

 何のことはない、あって然るべきところに、フツーにあった。つまり僕は、何年間にも渡って同じ見落としを繰り返していたことになる。何故だかゼンゼンわかりません。「ここは何度探してもなかった」という思い込みが、その後の注意を散漫にさせていたのかもしれない。見つかったときは、何とも形容のし難い気持ちになってしまった。

 久しぶりに聴いたら、ものすごく良い音でした。

’12/05/25 (金)

巣立ち


 14日の日誌で話題にしたイソヒヨドリ、そのヒナが24日午後、巣立っていった。写真はその直前、巣の入口に姿を現し、羽ばたき練習(まさに『習』である)しているところ。慌ててスマホで撮ったものだから、かなりピンボケている。ご容赦を。

 文字通りの「クチバシの黄色い奴」である。ヒナのうちは♂♀とも体色が同じで、見た目では判別できない。さらに、この1羽だけかどうかも、よく分らないのである。数日前から巣の奥でバタバタ暴れる音が賑やかに聞えていて、それからすると3羽くらいいそうなふうだったが。

 昨年の巣立ちは6月中旬であった。それに比べて今年は20日以上早い。何故だろう。思うに、営巣場所に迷いがなかった所為ではないかと。昨年は良い場所を探すのに手間取り、その分子育てが遅れたのかもしれない。

 そう考えるとこのご夫婦、昨年と同じカップルと見るのが自然かと思う。であればまた来年も、このせせこましい場所に巣をかけてくれるのか知らん。家主としては、ちょっと嬉しいのである。

 イソヒヨドリの寿命がどれくらいのものか、調べてみるのだがはっきりしない。そもそも、この鳥に限らず野鳥の寿命を正確に知るのは極めて困難だという。いずれにしても、そう長くないことだけは確かなようだ。大自然の中を生き抜くのは、決して甘くないのである。

 来年、無事の帰還を待ってます。

’12/05/24 (木)

使う派使わない派


 LPレコード用ビニール外袋である。昔々、まとめて300枚買ったものが底をつき、今回新たに500枚仕入れた。色々調べて、オーディオとはまったく無関係なお店(というか、卸商?)に、信じられないような安値で発見できた。

 この袋、使う派と使わない派に分かれるようだ。どちらかと言えば、使う派のほうが多いような気がする。僕は、大昔使う派、途中使わない派に寝返って、また使う派に戻った。

 使うメリット。まずはジャケットの保護と、副次的にはラックからの出し入れが楽になること。滑りが良くなるからである。デメリットは、メリットの裏返し。加えて、袋の厚み分だけラックの収納枚数が減る、重くなる、余分なお金がかかる。さらに、風通しが悪くなりカビが発生しやすい、と言う人もいる。どうもデメリットのほうが多いな。

 実際、裸状態で頻繁に出し入れすると、ジャケットの傷みは激しい。特に米盤などでよく見られる劣悪な紙質ジャケットのバヤイ、あっと言う間にハゲチョロケ。僕はかなりキツ目にラックへ詰めているから余計にそうなるのだろうし、出し入れにも手間取ってイライラする。

 収納枚数の減少、重量増加には目を瞑り、カビに関しては現状まったく問題ない。ので、今はメリットを採っての使う派なのである。

 あまりの安さに勢い余って500枚も買ったが、使い切るのは何時のことか。

’12/05/23 (水)


 このような荷姿で、横浜へ出向いて行ったC-17である。友達がきっちりと元箱を保管しておいてくれたそのおかげさまで、荷造りに憂いは皆無である。

 通常、元箱を完全に保管しておくのは、困難なのではないかと思う。C-17くらいならある程度小ぶりだからまだしも、これがパワーアンプやスピーカーになればとんでもない大きさである。当たり前のことだが、本体よりも遥かに巨大なのだ。

 一般的な住環境で、そんなもんをどこに仕舞っておくというのだ。奥様方から盛大なクレームが付くこと必定。保管しておくほうが良いことを重々承知しながら、泣く泣く処分する。そういう方が多いことは、想像に難くない。

 その点、A社は親切である。有償ではあるが、依頼すればそのモデルの専用箱を送ってくれる。僕も1台目のC-17を修理に出したとき、その恩恵に与った。中古入手で元箱がなかったのである。安心感は絶大だ。

 とまれ、修理完了システム復帰を待ちたい。

’12/05/22 (火)

代役、というには


 C-17が入院している間、写真のアンプのご登場を願うことにした。ヘッドアンプ+フォノイコライザー、YAMAHA HX-10000である。代役、というには贅沢な。

 このアンプもまた、優秀である。音の傾向はややおとなし目と言うか、僕の耳には少々暗く感じるわけだが、それはそれで魅力的である。殊に印象的であるのは、大変に静かなこと。極めて静粛で、雑味がない。ヘッドアンプとしては特にSNに優れるものだと思う。

 キカイとしての迫力も凄い。内外すべて、驚異的な手の込み様である。やりたいことを全部やった、みたいな感じである。1987年当時350,000円。今同じものを一から作ったら、オソロシイことになるンじゃあるまいか。長岡先生をして「今後二度と出そうにないフォノ専用アンプ」と言わしめた、名機なのだ。

 拙宅では現状脇役に甘んじているものの、実は近い将来常時稼動させる計画を持っている。その絵はずいぶん前から描けているのだが、未だ実現できず。

 近い将来って、何時なんでしょーか。

’12/05/21 (月)

金環日食


 今朝方の金環日食、ご覧になった方はさぞ多かったことだろうと思う。今回の金環食帯は、モロに東海道と重なっていて、観測者の数は記録的な多さだったに違いない。こんなことは滅多にないことなのだ。

 当地は食帯から北に外れていて、金環食は観測できなかったものの、2009年7月の皆既日食時よりも食分が大きい通常日食を楽しめた。最大食時には何とも言えない暗さが風景を支配、何故か鳥の声も止み、実に幻想的であった。

 朝、比較的太陽高度が低い時間帯だった所為もあってか、写真のような不思議な光景が出現した。床に差し込んだ木漏れ日である。葉と葉の隙間がピンホールカメラの役割を果し、食の進んだ太陽の姿を隙間の数だけ映し出したわけである。大きく欠けた太陽の実像はもちろん、この光景もまた、稀なものだろう。

 次回は2030年6月1日、北海道。今回と同じ場所で観測できるのは、321年後という。300年ではお話にならないけれども、2030年なら僕は69歳。

 ギリギリイケるかな。

’12/05/20 (日)

C-17 トラブル


 一昨年9月、旧い友達から譲り受け、ADプレーヤー2号と組み合わせて使ってきたC-17に、トラブル発生。両チャンネルから盛大なハム様ノイズが出て、正常な再生ができない。

 もちろん、ハナっからこのアンプが原因と決め付けたわけではない。再生信号経路上にある装置(ケーブルなども含めて)すべてが容疑者となるわけだ。それらを一つ一つ潰した結果、行き当たったのがC-17であった。

 以前使っていたPIONEERのヘッドアンプHZ-1にも、よく似たトラブルが発生したことがある。その時の主たる故障原因は、電源部フィルターコンデンサー不良であった。それと同じ原因かどうか、僕にはもちろん分るはずもない。ここはさっさとメーカーへ修理依頼するのみ。

 26年余り、ほとんど休まず働いてきて、初めての故障である。驚異の安定性と言えるだろう。しかも、現在に至ってなお完璧な修理が可能である。この高い信頼性と大きな安心感を思えばこそ、僕はA社の大ファンなのである。

 明日、メーカーへ発送する。

’12/05/19 (土)

公称200g盤


 レコパックもどき完了。ご覧の通り、盤面はたいへんに美しい。形状は厚くフラットで、しかもかなり重い感じ。実測してみて驚いた。194gである。最近の復刻盤にしばしば見られる180g盤を大きく上回り、公称200g盤でも通る重量である。ムカシのレコードは凄かったンだなあ。

 さすがステレオフォニック、モノフォニックとは一味も二味も違う。A面ではハーモニカとハープシコード、B面ではハーモニカとピアノ、その位置関係がはっきりとわかる。まさに立体的なのである。やや控えめながらもホールエコーがきれいで、録音現場の空気感が存分に伝わってくる。

 透明感と切れがすばらしく、極めて鮮明。録音以来50年以上経っているとはとても思えない、鮮度が抜群に高い音である。長岡先生の評にある「古さを感じさせる50Hz以下の低域ノイズ」は、まったく気にならず問題なし。これよりもノイジーな新録音は、いくらもある。

 第1集最後の1枚にふさわしく、素晴らしいレコードである。

’12/05/18 (金)

Unverkaufliches Muster


 「Mundharmonika」のセンターレーベルである。1月11日の日誌に載せた米プレス・モノフォニック盤とは、どことなく風格が違うように見える、のは、僕の目が偏っているのかしら。ホンモノの貫禄があるような気がする。

 「ST 33」(ステレオ 33回転、の意か)表記の斜め上に「Unverkaufliches Muster」という丸印が押してある。どーゆー意味かと調べてみたら、「売り物にならないパターン」と直訳された。ははあ、なるほど。この盤は、非売品見本盤扱いであるらしい。状態が良いのはその所為か。米盤もサンプル品だったし、不思議な一致である。

 基本的には美しい状態だが、埃が皆無とは言えない。ここは大事を取ってレコパックもどきを実施したあと、試聴するのである。

 功を焦っては、遺憾のだ。

’12/05/17 (木)

第1集コンプリート


 外盤A級セレクション第1集86番「JOHN SEBASTIAN / Mundharmonika」(独Deutsche Grammophon SLPEM 136 024)、今度こそホンマモンを手に入れることができた。間違いなく、独オリジナルプレス、ステレオフォニック盤である。

 1950年代のレコードだけあって、ジャケットにはそれなりの年月が刻まれた跡が見える。元々紙質が薄く、傷み易い所為もあるようだ。しかし盤は、驚くほど美しい。傷らしい傷はほとんどなく、艶々のピカピカである。センターホール周囲の探り傷も皆無、よほど大切に扱われてきたか、或いはほとんど再生されていないかのどちらかだろう。50年以上前の盤とは、とても思えない。

 米プレス、モノフォニック盤(DGM 12015)は、1月に聴いている。ステレオフォニックでないのは残念だったが、音そのものは非常に良かった。そのオリジナルステレオバージョンとなれば、期待せずには居られましょうか。

 このタイトルを以って、第1集コンプリート達成。

’12/05/16 (水)

念珠自作


 思うところあって、念珠の自作に没頭している。自分の好きな珠と紐をパーツとして買い、念珠に仕立てるわけである。

 材料はいろいろ選べる。石、木はもちろん、金属珠まで販売しているショップもある。僕の好みは石、中でも翡翠、瑪瑙、水晶などが大好きだ。いずれも珪酸系の石である。宝石としては比較的安価で、念珠向きとも言える。

 写真はその第一作目、ローズクォーツで作ったものである。親珠(房が付く珠)に15mmφ、主珠(108個ある珠)に12mmφ、二天珠(108個の主珠を7・14・66・14・7に区切る小珠)に6mmφを使ってみた。この仕立て様は、当然のことながら僕が属する宗旨向けである。

 最初にしては良く出来ている、ようで、実は失敗もある。主珠から見て親珠、二天珠が小さく、見た目のバランスが良くない。親珠16mmφ、主珠10mmφ、二天珠8mmφくらいで作れば、もっとスマートに仕上がると思う。

 「こんなのできた」と愚妻に見せたら、「まあカワイイ、わたしにちょうだい」と言って強奪されてしまった。そう言われてみれば、確かにこの色は女性にウケそうだな。単純に桜色の念珠が使いたかっただけで、そこまで考えていなかった。

 奪われたら仕方がない。反省点を生かして第二作目に取りかかるのである。もう一度ローズクォーツで作るか、ちょっと贅沢して瑪瑙を使うか。

 また持って行かれるかな。

’12/05/15 (火)

一括購入でお得


 2日の話題に具した、仏ARIONレーベルの「Les Musiciens de Provence」シリーズ、在仏ショップで6タイトルまとめて発見した。いずれも9〜10EURと比較的安価で、しかも6枚一括購入なら1枚あたりの送料も3.5EURで済む。1枚1枚チマチマやっていたら、結局高くついてしまう。っちゅうことで、ご覧の通りである。

 ショップのインフォメーションでは、すべて仏プレス盤、ということになっていた。実際の内訳は、仏プレス5枚、伊プレス1枚、である。Vol.3(ARN 34301)だけが伊プレスになっている。海外通販ではよくあることであって、イチイチ目くじらを立てていてはイケナイ。おおよそOKである。

 目視する限りでは、ジャケット・盤とも状態はまずまずのようだ。ただ、ARN 34348(写真左端の青いヤツ)は、ちょっとアヤシイ感じがする。いずれにしてもクリーニングは必須、例によってレコパックもどきを実施したあと試聴する。

 さて、どんなグワイでしょうか。

’12/05/14 (月)

今年も入居されました


 一週間のご無沙汰でございました。連休明け以降イロイロございまして、少々クタバっておりました。

 昨年初めて母屋屋根のスキマに巣をかけたイソヒヨドリ、今年もまたご夫婦さんでやってきて、まったく同じところで営巣している。同一個体か、或いは二代目か、それはよくわからない。ウチには彼らを常時つけ狙う凶悪なケダモノが二頭もいるというのに、何が気に入ったンだか。

 先月下旬から姿を見せ始め、しばらく♀が見えんなあと思っていたら、ここ数日は♀♂協力してせっせと餌を運んでいる。抱いていた卵が孵ったンだな。

 写真は♀、大きな獲物を咥えている。ムカデである。昨年も同じ光景を幾度か見ている。特に珍しいムシではない、とは言えどこにでもウジャウジャいるものでもない。こんなもんがウジャウジャいたらキボチ悪いのだ。どーやって獲って来るのかな。確かに栄養価は、高そうだ。

 不思議なことに、ムカデを獲ってくるのは必ず♀である。♂は専らアオムシ、時々蜂や蛾、といった感じ。それぞれに得意分野があるそうで。どうも♀のほうがヒナのことを考えているように見える、のは穿ち過ぎ。

 今年は何羽のヒナが巣立つのだろうか。

’12/05/07 (月)

TANNOYサウンド


 スマホのデジカメで撮ってしまったのが申しわけなく思えるほどの、ゴージャスなスピーカーである。TANNOY Canterbury 15/HE。何と驚いたことに、ウチから歩いてすぐのご近所さんで、出会ったものだ。このようなスピーカーのオーナーさんが近くにいたなんて、僕はまったく知りませんでした。ああ、びっくりした。

 まったくの別件でお邪魔したのだが、こんなの見せられて「ハイ左様ですか」と帰るワケには行かない。しっかり聴かせていただきました。

 エラそうに語れるほど、僕はTANNOYの音を知らない。これまでに1〜2度、ちらりと聴いたことがあるだけである。そもそも、斯くの如き超高級スピーカーである。おいそれと聴ける機会など、滅多にないのは当然なのだ。ので、以下はそのような輩の戯言とお読みください。

 ヒジョーにいい音である。穏やかで色気と艶があり、どっしりと落ち着いていて、ルックス通りの豪奢な音だ。ウーファーは38cmだが、同軸2wayになっている所為か、フルレンジに近い鳴り方、のように感じる。おそらく、38cmユニットそのものがフルレンジ的な設計になっているのではないかと思う。能率も96dB/W/mと高い。少なくとも、鈍重な印象はまったく受けなかった。

 2wayのわりに、ずいぶん高域が伸びているなあ。と思ったら、天板にはちゃんとスーパートゥイーター(たぶんST-25)が設置してある。音源分散を嫌ってのコアキシャル・ユニット仕様、それに反するようなSTの追加は如何なものかと、失敬なことを思ったが、存外違和感はない。超高域の味付け程度だからだろうか。

 音も然ることながら、スバラシイのはその威容である。圧倒的な風格と存在感。英国貴族のような気品。美術工芸品である。思わず「ウヤウヤしく拝聴させていただきます」という気分になってしまう僕は、やっぱり庶民なのだ。

 僕が箱船で鳴らしている音とは、ある意味対極にあり、しかしどこかで繋がっているようなサウンドには、大いに刺激を受けた。

 次回はソフト持参、で行ったら叱られるかな。「ケッタイなもん聴くな」と。

’12/05/06 (日)

馬鹿なマネを


 またぞろワケの分らんことをしている。上の写真、一体何をやっているのか、ニワカにはお分かりいただけないことと思う。

 剥離紙を筒状に丸め、レコパックもどきを展開した盤面に置く。設置ポイントは、汚れが強固にくっ付いているその部分である。置いたら筒の中にパック液を注ぎ込む。満杯まで注ごうとしたら、5mmくらいまで入ったところで筒が動き始めた。底から押し出されるパック液の力で、筒が浮いてしまったようだ。

 現状、パック液は盤面から3mm程度の厚みで落ち着いている。おそらく周囲から先に乾き始めるだろうから、乾燥膜のダムが出来るのを待ってから再度注入すれば、もう少し厚みを稼げるはず。

 そもそも、何故にこのような馬鹿なマネをするのか。複数回のパック実施でも除去し切れない頑固な汚れを、ピンポイントに取り去ろうとする実験、イヤ、悪戯なのである。部分的にパック液を厚くすれば、そこだけ乾燥が遅くなる。つまり、わずかでもアルコール成分に永く浸かるわけだ。それによって汚れの貼り付きグワイを緩め、剥し取ってしまおう、という魂胆なのだが。

 但し、上記はあくまでも僕の希望的観測、である。汚れがアルコールや水分に対して感受性を持っていなければ、まったくの無意味だし、仮に効果があるにしても、厚みを稼ぐにもう少しマシな方法がありそうだ。だからこそ馬鹿なマネ、悪戯なのである。

 結果は、あまり期待できそうにもないな。

’12/05/05 (土)

最適湿度は


 カメラの保管にデシケーターを使うことは、僕でも既知の、言わば常識に近いことなのだろう。しかし、オーディオ機器、アンプやプレーヤーなどはそのサイズからして無理があっても、例えばフォノカートリッジをデシケーターで保管することは、決して常識とは言えない。と、僕は思うのだが、皆さん如何でしょうか。

 カメラ保管に最適の湿度は、40%〜50%である、らしい。それに倣って設定を40%に変更したわけだが、本当にそれで良いのだろうか。と、いろいろ調べてみるのだが、有体に言って、よく分らないのである。

 「直射日光を避け、低湿度で保管するのが望ましい」とゆーよーな記述は散見できる。しかし、カメラのように明確な数字は出てこない。一つヒントになるとすれば「半導体、電子精密機器の保管には35%〜45%が最適」という記述か。

 カートリッジは、カメラに近いか電子精密機器に近いか。僕としてはカメラに近い、ような気がする。では、同じデシケーターで保管しているトーンアームはどうか。コイツはほぼ完全に「キカイ」だから、カメラ扱いでOKかな。

 と考えて、結果的には40%程度でヨロシイんじゃないかと。さほど神経質になる要はないのかもしれない。ただ、カートリッジのデシケーター内保管が常識になれば、世にあるそれらの寿命は、相当に伸びるはずだ。

 デシケーターを贈ってくれた友達には、心から感謝するばかりである。

’12/05/04 (金)

乾いてりゃ良いってもんでも


 オートドライユニットを動作させているデシケーター2号の庫内湿度は、現在13%で安定している。30%以下の設定にしてこの湿度だから、ユニットはたいへん正常に働いていると見るべきだろう。

 13%という湿度がどれほどのものか、数字だけではピンと来ない。冬季、特に太平洋側でしばしば発せられる「乾燥注意報」、この発令基準は地域によって異なるのだが、例えば東京23区のバヤイ「最小湿度25%、実効湿度50%」と定めてあるそうだ。その伝からすれば、13%はかなり低い、ということになる。

 馬鹿な僕はそれでもまだ実感がわかないから、ちょっと悪戯。レコパックもどきの剥離膜を庫内に48時間置き、様子を観察してみた。剥離直後はシナシナのペラペラ、分厚いサランラップ、みたいな感触である。それが湿度13%の環境に48時間置かれると、どーなるか。

 カサカサのパキョパキョである。4つに折りたたんで入れたのだが、開くと崩れてしまいそうなほど、カリカリに乾燥している。直径も3cmほど小さくなって、つまり水分が飛び縮んでしまったわけだ。こんなに乾いた剥離膜は見たことがない。思わず「こりゃスゴイ」と、ここに至ってようやく実感できたのだった。

 ただ、ここまでの低湿度は、オーディオ機器の保管には却って良くないようだ。カメラを保管するバヤイの最適湿度は40〜50%程度、と仄聞する。30%以下になると、ゴム製・プラスチック製パーツなどの劣化が促進されるとも。おそらく、オーディオ機器にも当てはまることだと、僕は思う。

 早速40%安定設定に、変更しよう。

’12/05/03 (木)

プチお楽しみ会


 何となく慌しいことに変わりはないのであるが、ちょっと気分転換ということで、親しい友達二人と晩ゴハンを食べに出かけた。年に一度、多くても二度くらいの少ない機会、だからこそ、大切な時間なのである。

 おまかせ懐石コース、しかし一般的な懐石料理とはちょっと違う。一品一品に独自の工夫が凝らされていて、実に美味しくいただけた。大満足である。

 徳さん、憲さん、ありがとう。

’12/05/02 (水)

ベストアルバム


 「l'Art du Psalterion / Maurice Guis」(仏ARION ARN 36613)に関する面白い事実。まあ、別にモノスゴイ秘密が暴かれたわけでもないのである。

 実はこのレコード、ARIONレーベルにおけるプサルテリオン(サルテリオとも。サントゥールやダルシマーも同族楽器)録音の、言わばベストアルバムだったのである。複数の原盤が存在していて、それらからの抜粋曲が半数以上を占めている。

 ARIONレーベルに「Les Musiciens de Provence」というタイトルでシリーズ化されたレコード群があり、僕の調べではVol. 1〜Vol. 5、それにVol.ナンバーの付かないものが一つ、全部で6タイトルがリリースされている。

 1. Les Musiciens de Provence Vol. 1 - Musique des Trouveres et Troubadours
                                        (ARN 34217)
 2. Vol. 2 - Musique du Moyen Age et de la Renaissance(ARN 34260)
 3. Vol. 3 - Musique du Moyen Age et de la Renaissance(ARN 34301)
 4. Vol. 4 - Musique du Moyen Age et de la Renaissance(ARN 34370)
 5. Musique du Moyen Age et de la Renaissance:Noel Provencal(ARN 34348)
 6. Vol. 5 - Dance Music of the 16,17th and 18 Centuries(ARN 36451)

 「l'Art du Psalterion」(ARN 36613)に収録されている21曲のうち、上記タイトルから抜粋された曲の内訳は下記の通り。

 ARN 34217から A-1、B-2、B-4
 ARN 34260から A-6、A-8
 ARN 34301から A-7
 ARN 34370から A-5、A-10、B-6
 ARN 34348から A-2、A-4
 ARN 36451から B-5

 残り9曲(A-3、A-9、B-1、B-3、B-7〜B-11)は、ARN 36613のためのオリジナル録音、であるらしい。

 と、いうところまでは調べがついた。ここからである。馬鹿スケベが本能全開するのは。「l'Art du Psalterion」の仏プレス盤そっちのけで、このレコード群を聴いてみたくて仕方なくなったのである。

 困ったもんだ。

’12/05/01 (火)

かわりばえせず


 休みが多かった2月3月を反省し、4月は精勤に書く、つもりだったのに、終わってみれば9休。どうにも遺憾のである。過去の日誌を調べてみても、この時期に休みが集中している。春は大好きなはずなのに、どうしたというのだ。

 と、言いわけがましいことを書いているうちに、最早5月である。2012年も1/3が終わった勘定になるわけで、これまたなんともはや。

 時が経つのは速くても、僕のやっていることはちっともかわりばえしない。レコードを聴くのに一所懸命である。

 写真のレコードは「l'Art du Psalterion / Maurice Guis」(仏ARION ARN 36613)である。外盤A級セレクション第3集204番に選ばれている。特に新着ではなく、1992年2月29日に買ったものだ。

 先日、友達から「ARIONはフランスのレーベルだが、イタリアプレスがたくさんある」という話を聞いた。そら知らなんだ、このレコードはどーだろか。と、調べてみたら見事伊プレス盤である。購入以来20年経って気が付くのだから、極めていい加減なものだ。

 尤も、別段どうと言うこともない。僕はそーゆーことに暗く、しかもあまり気にしない。実際に聴いてみても、良い音である。ただ、馬鹿でスケベを自認自称する身としては、仏プレス盤が存在するのならば、それも聴いてみたいとも、思うのである。

 というわけで、検索開始。残念ながら確実に仏プレス盤であると認められるものは、今のところ発見できていない。しかし、その副産物とでも言うか、このレコードに関するちょっと面白いことが判明して喜んでいる。

 詳しくは、後日。