箱船航海日誌 2012年03月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’12/03/31 (土)

妄想か


 またまた5日間、日誌を書けませんでした。大変失敬。理由は一つ、睡魔に負けてしまっていたのである。言い訳にもならない。ムカシは深夜のほうが元気だったのに、やはりだんだん老人体質に変わってきているのか。イヤだなあ。

 そんなことはどーでもヨロシイ。上の写真は、最新着のA級盤である。第3集229番「Carl Davis conducts his The GLENLIVET Fireworks Music」(英EMI CFP 4542)。昨年10月にCD版は入手済み、このたびようやくにしてLPレコードを手にすることができた。

 拙システムでCDを聴く限りにおいては、クールでシャープ、鮮烈鮮明だが些か生硬く突っ張った音、という印象だった。これがLPレコードなら、しなやかさと厚みが増し、さぞいい音になるンだろうなあと、予想するわけである。

 これはもちろん手前勝手な予想であって、真実本当にそうなるかどうかなど、ワカランのである。予想ではなくて妄想かもしれない。CDを聴いているからこそなお、LPレコードの試聴が楽しみなのである。

 どうなりましょうか。

’12/03/25 (日)

修繕


 白箱「DIE KUNST DER FUGE」を開けてみたところである。裏側はシミもなくわりときれい、だが、フタにあたる側の四隅は、すべて見事に裂けてしまっている。一辺が容器側とつながっているからまだ良いようなものの、独立してかぶせる構造なら既にフタとしての用を為さない状態である。

 34年前(1978)発売の古いレコードだから、これは致し方ないところだと思う。キズモノだと文句をつけるつもりは、まったくない。しかし、このまま放置すれば、今後状態はさらに悪化するだろう。フタが自然分解してしまったら悲しいから、ちょっとばかり修繕してみよう。

 薄手のボール紙をL字型アングルのような形に切り出し、コーナー内側から貼りつけ補強しようという魂胆である。

 上手くやれるかな。

’12/03/24 (土)

黒と白


 既に手元にあるレコードでも、安いものを発見するとつい手が出てしまう。この性癖は治らない。何故なんだか。

 昨年9月に激安で買った「DIE KUNST DER FUGE」(仏ERATO STU 71121)、先日またまたローコスト盤を発見してしまった。日本円で1,100円くらい。9月盤よりは高価だが、なにしろアッチは316円ですから。

 在英国のショップで発見、実はこれ、カタログ上では英国内のみの発送で、日本へは送れない、ことになっていたのである。ダメモトでショップへ「お願いだから日本へ発送してほしい」と拝み倒しメールを送ったら、わりとあっさりOKが出た。何でも言ってみるもんだ。

 食指が激しく動いたのは安かったから、だけではない。写真左が9月盤、右が今回の盤である。ご覧の通り、箱の色が違うのである。9月盤は黒、今回は白。僕は黒箱の存在しか知らなかった。こーゆーのは、ヒジョーに気になるわけであります。

 ざっと調べてみたところ、違うのは箱の色だけで、中身(盤と解説書)はまったく同じもののようだ。少なくとも正体不明のバッタ盤ではなさそう。けれども、プレス時期が違えば音も違うのがアナログレコードの常である。実際に聴くまで確定的なことは言えない。

 このタイトルに詳しい友達によると、さらなる別バージョンも存在するという。ジャケットデザインからしてまったく異なっていて、一目で「これ」と判断するのは難しいそうだ。

 ナンギなレコードなのである。

’12/03/23 (金)

誰に感謝しようか


 4日間のお休みをさせていただきました。お彼岸行事が終わった後、愚息2号の引越しで横浜まで走ってきたのでございます。

 一泊二日、往復1,200km超。さすがにクタビレました。けれども往路ではご覧の通り、富士川SAから富士山のお姿を滅多にないほど鮮やかに見ることができて、これだけでも出かけた値打ちがあったというものだ。関西人(に限ったことではないが)は、富士山が大好きなのだ。

 愚息2号の新しい住処は、閑静な住宅地の中の小奇麗な学生向けアパートである。大学まで自転車で7〜8分、JR横浜まで地方私鉄線で2駅、条件は最良である。そこへ、昨春1号のバヤイと同様荷物をグイグイ押し込み、開梱だけ手伝い空箱とゴミをもらって帰ってきた。

 大学もちらりと見学してきたけれども、これまた良い学校である。住みたい街ランキングベスト3入りする横浜に住み、スバラシイ学校へ通えることを、誰に感謝しようか。

 そら、親ですがな。

’12/03/18 (日)

訃音


 古参オーディオ誌「Audio Accessory」などで活躍なさっていた、カメラマンの山本博道氏が、お亡くなりになったと聞いた。1月8日のことだった。享年53。

 氏とは直接の面識はなかったけれども、一度ならず電話でお話ししたことがある。もうずいぶん前のことで、おそらく2000年の初頭頃ではなかったかと思う。

 MICROのレコードスタビライザー、ST-10を純銅でコピーしたものを長岡先生へ贈ったところ、それを方舟でご覧になった山本氏から「是非もう1個、自分用に 作って欲しい」と電話があったのが、最初である。たいへん礼儀正しく、明朗闊達で行動力あふれる魅力的なお人柄、と感じたことを、今もはっきり憶えている。大のアナログファンでいらっしゃったことも、印象的であった。

 スタビライザーを作って差し上げたあと、詳しい試聴レポートを送ってくださったり、A・A誌上で番外的に取り上げてくださったりして、箱船へもご招待したい、ぜひ出向きたいと、比較的頻繁に連絡を取り合う時期もあった。

 そうこうしているうちに氏はどんどんご多忙となり、連絡も途絶えてしまった。僕は一読者として、氏の試聴記事を読んでは、いやあ、山本さんアナログ好きだなあ嬉しいなあがんばってほしいなあと、大いに楽しませてもらっていたのだが。

 極めて残念である。こんなことになるのなら、無理をしてでも一度はお目にかかっておくのだったと、今さら詮無いこととわかっていて、嘆くのである。53歳は、勿体無きに過ぎる。

 心よりの冥福を、祈るばかりである。ああ、悲しいなあ。

’12/03/17 (土)

条件反射


 外盤A級セレクション第1集82番「SUSUMU YOSHIDA / ENKA I & II , UTSU-SEMI」(仏PATHE MARCONI EMI C069-83037)である。(P)1981。

 このレコードは、2001年9月7日の日誌で話題にしたことがある。そのときの盤は、友達からの頂きものであった。中古盤とはいえ状態は最高、ほとんど再生されておらず、限りなく新盤に近い状態である。ファースト・オーナーの扱いが良かったのだ。もちろん現在も大切に保管してある。

 友達の厚意により、斯くの如くまったく文句のない盤を持っているのだけれども、先日webを徘徊中、同レコードの未開封新盤を発見した。しかも、驚くべき低価格である。これは極めて珍しいことだ。

 既に持っているわけだから、もう要らんだろう。通常は、そのとおりである。しかし、安い、新盤、珍しい、しかもA級盤、と三拍子も四拍子も揃ったものを目の前にして、僕のような者がガマンできるはずもない。ほとんど条件反射のように、買ってしまいました。

 在フランスのこのショップ、以前にも第2集132番「Marcel Landowski / LES HAUTS DE HURLEVENT」の未開封新盤を発見している。偶然か、レーベルが同じである。このショップだから、なのか、PATHE MARCONIにはこのような出物が多いのか。事情はどうあれ、買い手にとっては大変ありがたいのである。

 今後もチェックを欠かせない。

’12/03/16 (金)

猛威と恵み


 春分まであと4日ともなると、日脚は目立って長くなるのである。写真は15日午後6時半頃の西の空である。このような夕焼けが見え始めれば、春はホンモノだ。嬉しいなあ。

 境内の雪は、99%消えてしまった。あれほど重く、あれほど厄介だったものが、文字通り雲散霧消してしまうのだから、ある意味馬鹿馬鹿しくもあり、しかし御日様のありがたさをしみじみと味わえるわけでもある。

 自然の猛威と恵みは常に表裏一体であるとも、思う。この列島に降る大量の雪は、人の生活を脅かすと同時に、世界に類を見ない豊富で質の高い水資源を与えてもくれる。僕らの存在は、自然の中の一パーツに過ぎないのだ。そのように考えれば、「自然との共存」などというお題目が如何に的外れであるかが、自ずから悟れようというものである。

 などと分ったようなことが言えるのも、春が来たから、なのだ。また冬がやってきて雪が積れば、山のように文句をタレるに決まっている。

 どうにも仕様がないのである。

’12/03/15 (木)

前途洋々


 愚息2号とその友達が、卒業記念ライブを開催するという。例によって箱船2階は、練習場と化すのであった。片付けが、タイヘンでありました。

 愚息を含めてメンバー4人、全員無事進学をキメている。聞けば、それぞれにスバラシイ学校である。思わず「アンタらみんな親孝行やなあ。エラいなあ」と。

 4人ともクラブ活動を3年間頑張り、バンドもやり、学校生活を楽しみ、そして勉強もちゃんとしてきたわけだ。高校は楽しかったかとたずねると、異口同音に「めちゃめちゃ楽しかったですっ」と力強く語ってくれた。もしかしてこれは、ある意味理想的な高校生像ではないのか。何だか僕は、とても嬉しくなってしまいました。

 このライブが終われば、4人おのおの新しい学生生活が待っている。前途は洋々、広い視野を以って豊かな価値観を身につけて欲しいと、心から願うのである。若いってえのは、いいねえ。

 健闘を、祈る。

’12/03/14 (水)

新しい住処

 愚息2号の新しい住処は、神奈川県横浜市である。今日、それが確定した。学校まで徒歩7分、最寄のJR駅まで徒歩5分。家賃は、まあ、それなりである。

 愚妻と愚息が現地で決めてきたものだから、僕はまだ実際には見ていない。しかし、さぞ住みよいところであろうことは想像に難くないのである。なにしろ、横浜なのだ。入学までの引越しで、僕も一度は出向かねばならないだろうから、その時を楽しみにしておこう。

 僕は名古屋以東、東京までの間、つまり東海道メインストリートの気候風土が大好きで、それが影響してか愚息ドモは2人ともソチラ方面の学校へ行くことになった。大変ケッコウである。ウラヤマシイなあ。

 月末までには引越すという。エラいこっちゃ。

’12/03/13 (火)

キゼツ


 昨年10月からたいへんグワイ良く使っている、スマートフォンである。多くの点でケータイを上回っていると感じつつ、やはり使い難い点もある。メリットとデメリットは表裏一体、すべてが100点満点など、あり得ないのだ。

 最近困ったのは、前触れなく突然キゼツすること。ちゃんと着信音があり受信タップも動作しているのに、通話ができない。ウンともスンとも言わないのだ。こちらからの発信も同様、相手は正常に受信しているのに、お互いまったくの無音。なんだ、これは。

 どーすればよいのだ。一瞬途方に暮れかけたが3秒考えて思いついたのが、再起動である。要するにスマートフォンとは、単純な電話機ではなく電話機能付き超小型PCなのだ。「困った時の再起動」は、固まったPCを叩き起こす常套手段である。

 電源を入れ直したら、正常復帰した。僕のバヤイ初めてだが、おそらく今後もあるのだろう。小さなボディに恐るべき多機能を詰め込んだ電子機器、時々ヘンになるのも仕方ないことなのかもしれない。

 重要な電話の時に限ってこうなるのは、何故だ。

’12/03/12 (月)

寒の戻り

 7日の日誌で「14日あたりが非常に怪しい」と書いた。寒の戻りの件である。当って欲しくない予想ほど、よく当るから困る。今、外は盛大な雪降りになっているのだ。13日の朝は、除雪が必要になるかもしれない。

 先月傷めた左肘は、未だ良くならない。却って悪くなっているくらい。新聞より重いものは持てない、とは言い過ぎだが、除雪作業するにはちょっと厳しい状況だと思う。

 困ったなあ。そう呟いていたら、進学をキメて以来毎日ヘラヘラ過ごしている愚息2号が「受験終わったから、ナンボでも使ってくれていいよ」と、ちょっと可愛いことを言う。そうか。では、謹んで酷使させていただくのである。

 少しは役に立つじゃないか。

’12/03/11 (日)

1年

 恐ろしい大災害から、1年が経った。マスコミは挙って特集を組み、追悼記事、追悼番組として報道している。記憶を風化させてはならじ、の姿勢には大いに同感する。しかし、中には、被災者の筆舌に尽くし難い凄惨な体験を、薄っぺらな美談にすりかえたような番組も散見される。如何なものだろうか。

 人々の傷は未だ癒えず、復興も前途遼遠である。午後2時46分、境内の梵鐘を撞き鳴らすとともに、慰霊鎮魂のお経をあげた。僕にできることは、これくらいのものだ。

 唯、心の安寧を、仰ぎ冀うばかりである。

’12/03/10 (土)

惜しい


 近在の、オーディオマニアでもアナログマニアでもない友達から、幾枚かのレコードをもらった。もう聴かない(聴けない?)からアゲル、というわけだ。それなればと、ありがたく拝受致したのであるが。

 写真はそのうちの1枚、あるレコードの盤面である。埃っぽいのはともかくとして、この盛大な傷は一体何だ。リードインエリアから細く始まり、だんだん太く深くなりながら終曲頭のところでカーブしつつ、ほぼ完全に半径を横断している。どーやったらこうなるンだと、訊ねるが友達要領を得ない。知らん間に付いていた、と。

 意図せずして引っ掻いてしまった、としても、「知らん間」っちゅうのは腑に落ちない。「ごくフツーに扱っているンだがなあ」と彼は言う。うーむ。よーわからん。

 一般的にはこんなもの、なのかも知れないとも、思う。不用意なハンドリングで埃だらけ傷だらけにし、挙句「レコードはノイズが多くてダメだ」と断じてしまう。いちいち白手袋をし、腫れ物に触るような扱いをしろ、とは言わんけれども、もう少しばかりの丁寧さを求めたいものだと、レコードを不憫に思うのである。

 何かのご縁でウチへやってきたレコードである。傷は如何ともし難いが、レコパックだけはきちんとし、謹んで試聴するのである。

 やや稀少盤。それだけに、何とも惜しい。

’12/03/09 (金)

この世の春


 この1週間で、庭の雪は劇的に少なくなった。通路脇に2m以上積み上げてあった雪も、ご覧の通りである。ヒッシになって拡張工事したのは何だったのか。と言っても仕様がない。その時はそうせねばならんかったのだ。

 月夜の晩、写真を撮ろうと外歩きしても、さほど寒さが堪えなくなった。先月初めにこんなコトしたら、凍死寸前だったろうに。

 今日、大学から合格通知書が届いた。季節は春、愚息2号にもホンモノの春がやってきたようだ。受験勉強の息苦しさから解放された彼は、文字通り「この世の春」とばかりに、遊び呆けようとしている。

 大丈夫か?

’12/03/08 (木)

2号もサクラサク


 7日は、愚息2号が受験した国公立大学2次試験(前期日程)の合格発表の日であった。オツムの出来がモノ凄く良ければ、何の心配もない。そこは親の子である。合否ラインギリギリ、ヒジョーに微妙なところに居るのである。ドキドキしながら大学のwebを見たれば。

 合格であった。ああ、ヨカッタヨカッタ。2010年から始まった愚息ドモの大学受験も、これでようやく終わったわけで、親としては嬉しさよりも安堵感のほうが強いのだった。

 1号は現在、静岡県で勉学(?)に励んでいる(???)、はず。2号の行く先は神奈川県である。どちらも近在とは言えないけれども、個人的には大いに喜んでいる。若いうちに少しでも見聞を広めておくことは、極めて重要だと考えるからである。好ましい刺激は、脳が柔らかいうちに受けておくのがヨロシイ。

 向後のひとつき、ちょっと忙しくなりそうである。

’12/03/07 (水)

いきなり春暖

 昨日まで冬、今日から春、と、ある日突然季節が変わるのは、最近のシキタリであるらしい。6日はほんとうに暖かな日であった。最高気温16℃。春寒もどこへやら、イキナリの春暖である。

 こうなると、アナログレコードの再生も俄然らくちんになるのだった。先日まで強制暖気していたカートリッジも、部屋を普通に暖房するだけでちゃんと動作する。ヨカッタヨカッタ。尤も、これが正しいカタチなのであって、これまでが異常だったのである。

 とは言えまだ3月上旬である。寒の戻り、それも強烈なヤツがあるかもしれない。僕の勝手な予想では、14日あたりが非常に怪しいのだが。

 そんなもんは当らんでよろしい。

’12/03/06 (火)

遠近両用


 久方ぶりに眼鏡を新調した。ここ数年でずいぶん安く作れるようになり、永年の眼鏡ユーザーとしてはありがたいことである。

 今回は、遠近両用にしてみた。初めてである。手元を見るたび眼鏡を外さねばならない老眼禍に、とうとう抗し切れなくなったわけだ。歳ですなあ。

 上半分が近視レンズ、下半分中央部が遠視(老眼)レンズになっている。ムカシのものとは違って、一見フツーの近視用とまったく変わらない。実際に使ってみると、これが実にフシギな感覚なのである。

 正面を見ている限り、従来通りの近視眼鏡である。そのまま下目使いで手元を見ると、これまでボケボケだったものがくっきり見える。こりゃ素晴らしいと、大喜び、したいところだが、やはりデメリットもあるわけで。

 階段など、段差のあるところを歩いているバヤイ、うっかり老眼レンズ部分で足元を見ると、突然遠近感が狂ってヒジョーに危険である。特に下りが危ない。足元を見るには、しっかりアゴを引いて正面視せねば遺憾。

 車の運転も要注意。アゴを上げてボケッとハンドルを握っていると、視線が老眼レンズにかかってしまうからだ。背筋を伸ばしアゴを引き、シュッとした姿勢で運転すべし。視力だけでなく、姿勢まで矯正できてしまう、のは、メリットかデメリットか。

 もうしばらくは、自分のエージングが必要のようである。

’12/03/05 (月)

春遠からじ


 先月から公私共にやたらとコトが多く、時間がまったく足りていない。ついに日付の帳尻合せを断念した。お恥ずかしいことである。しかし、このまま行ったら夏に冬の日誌を書いたり、とんでもないことになりそうなのである。

 既に5日経っているけれども、3月である。境内はまだ雪だらけ、とは言え少しく顔を出している地面からはフキノトウが芽を出した。寒さも「厳寒」ではなく「春寒」に変わったようだ。春は遠くない。このまま無事に暖かくなることを希うのだが、さて、どうなることやら。

 今冬は、何とも強烈でありました。