箱船航海日誌 2012年01月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’12/01/31 (火)

一旦休憩


 久しぶりの青空である。雪は売るほど積っているけれども、空が晴れていると気持ちも晴れるというものだ。御日様の力は、ありがたい。

 雲がないと放射冷却現象が起こり、冷え込みは強烈である。写真は本堂正面の軒、1mに届こうかというツララが垂れ下がっている。なかなか綺麗だが、キケンでもある。真下にぼんやり立っていると、オツムのてっぺんにぷすっと刺さってしまうかもしれない。

 もうこれで雪は終りか。そうは行かない様子なのだ。少なくとももう1回、ひょっとしたら2回3回と山がありそうなグワイである。

 除雪作業による筋肉痛は、もうしばらく続く。

’12/01/30 (月)

恐ろしい積雪


 今年もメートル雪に、なってしまいました。

 上の写真は、昨年7月12日の日誌に付けた画像とほぼ同じ位置から撮ったものである。積った雪が軒とつながりそうになっている。季節感満点、と言いたいところだが、雪なんか無いほうが良いに決まっている。

 と、大層なことをゆっているけれども、新潟や山形方面に比べれば、まだかわいいものである。こちらはタダの「大雪」だが、北日本では完全に「雪害」という自然災害だ。生命の危険を感じるような恐ろしい積雪。

 何とか降り止んでくれんものか。

’12/01/29 (日)

After


 入室するのに20分かかりました。

’12/01/28 (土)

Before


 どーやって入れというのだ。

’12/01/27 (金)

要らん


 日誌の更新が滞っておりますそのワケは、写真に見えるような気象状況の所為でございます。

 同じ時期の積雪総量としては、昨年のほうが多かったと思う。問題は、降り方積り様なのである。単位時間あたりの降り方が猛烈であって、短い間で一気に積るのだ。一旦降りかけたらそりゃあもう壮絶なもので、1m先が見えなくなるほど。丹後に暮し始めて永いけれど、こんな降り方は見たことがない。明らかに、異常である。

 毎日毎日早朝から除雪に追われ、僕はもう疲労コンパイしています。間もなく底を打つと何度も言いながら、ちっとも降り止まない。

 ほんっとにもう、雪は要らん。大嫌いだ。

’12/01/26 (木)

701≒704?


 「PHILHARMONIA SCHRAMMELN / ORIGINAL - ORIGINELL」(墺ALPHA MUSIC LP 198 704)(以下704)のセンターレーベルである。このレーベルのレコードを手にするのは、これが初めてである。魚のように見えたロゴマークは、「α」の文字を象ったものだったのだな。

 長岡先生の紹介盤(LP 198 701)(以下701)には録音データの記載がなかったらしく、「'80年頃のスタジオ録音ではないかと思う」とある。704には「1983年、ウィーン・オーストロフォン・スタジオで録音」の記載あり。メンバーの写真も載っていて、ヴァイオリン2丁、クラリネット、アコーディオン、ギター(ダブルネックのちょっと変わったタイプ)のクインテットである。701と同じバンドらしいが、メンバーまで同一かどうかは、不明。

 先生の701評を一部抜粋する。

 「録音も凄い。ホールエコーがほとんどないし、SN比もよいところからすると、デッドなスタジオでの録音か。音像は輪郭鮮明で、定位も確か。前後上下も出る。音は壮絶に切れこんで鮮明、透明、全体に真鍮色の輝きのようなものがある。かなり鋭い音なのに歪み感ははなく、厚みとエネルギーも充分あって、決してやせた音、薄っぺらな音になっていない。デッド録音の白眉といえる」

 拙システムで聴く704の音も極めてデッドで静か、他の点についても共通するところが多いと感じた。B面の曲中、一度だけ指笛が入るのだが、これが強烈。立ち上がり鋭くものすごい伸びのある音だ。歪み感皆無。カートリッジのテストにも使えそうな音である。ギターの胴を叩いて出すビート音が、非常に生々しい。

 701の音を聴いたことがないわけだから、「共通点が多い」と言ってもそれは推測に過ぎない。701≒704、であるかどうかは別にして、個人的には704もたいへん良いレコードだと思う。明るく楽しく軽やかで、どこか懐かしく感じられる曲ばかり。シュランメルン音楽とは知らず、今に至る過去に聴いてきたのかもしれない。幸せな気持ちになれる音楽である。

 701、ヒッシで探すぞ。

’12/01/25 (水)

未だ到達できず


 「KIRK NUROCK / Natural Sound」(米LABOR LAB13)を聴く。ずいぶん久しぶりである。

 埃取りのレコパックもどき実施した盤の状態は、最高である。ノイズがほとんどない。新盤以上の新盤、と言ってよいと思う。ハイCPである。

 「このレコードはオーソドックスな音楽ファン(クラシック、ジャズ、ロック、ポップス)には薦められない」。長岡先生評の一部である。早い話が、超ゲテモノ。楽器の使用なし、人声のみである。夜中に遮音の良くない部屋において実音量再生したら、警察沙汰間違いなし。深夜、死にもの狂いの叫び声が聞えてきたら、誰だって通報するだろう。そーゆーレコードである。

 以前よりはリアルに再生できている、と、思う。そこに人がいて声を出している、という生々しさも、それなりに感じられる。しかし、「ブキミ」というほどまでには、行かない。1989年時点の方舟レベルには、未だ達していないのだ。道は、遠い。

 残念であると同時に、嬉しくもあるのだった。たかだか20年ほどで、長岡先生という偉大なオーディオ評論家の音に肩を並べようなどとは、不遜極まりない。まだまだやるべきことは山のようにあるのだ。さればこそ、オーディオは楽しいのである。

 方舟のオーディオは素晴らしかったと、改めて、思う。

’12/01/24 (火)

SCHRAMMELN、ですが


 先日、海外オークションでヒジョーに気になるレコードを発見した。それが上の写真。

 商品紹介欄には、「LP / PHILHARMONIA SCHRAMMELN / ORIGINAL - ORIGINELL / ALPHA MUSIC 40406」とあった。ALPHA MUSICレーベルで、しかもPHILHARMONIA SCHRAMMELNとくれば、外盤A級セレクション第2集103番「PHILHARMONIA SCHRAMMELN CONCERT」(墺ALPHA MUSIC 198 701)だ。

 同じレーベルで、しかも同じジャンルの音楽、らしい。しかし、収録曲は違うようだし、ミュージシャンに関してはまったく不明。カタログナンバーには共通点がない。録音データやリリース年についての記述なし。要するに、似てはいるけれども正体不明なのである。

 一旦は「見」ということにしたものの、やはり気になって仕方がない。喫茶店でコーヒー飲むのを3回ガマンすれば買える程度の値で、おまけに即決なものだから、余計に気になる。ちゅうわけで、今日、手元にやってきた。木に成らなくて、ヨカッタヨカッタ。

 ジャケットには確かに「ALPHA MUSIC 40 406」と表記がある。ところがセンターレーベルには「ALPHA MUSIC 198 704」とあり、A級盤とは3番違い。これはひょっとすると面白いレコードに当ったのではないかと、今ヒソカに期待しているところ。

 聴けば、何か分るかしらん。

’12/01/23 (月)

人生は重き荷を背負いて


 またまた大ウソを吐いてしまいました。センターレーベルの表記をよく読んだら、はやりLABOR RECORDSは在米レーベルでありました。ちゃんと「New York City」と書いてある。プレスが独、ということらしい。申しわけもございません。お詫びして訂正致します。

 上の写真はセンターレーベルの部分拡大である。僕はこのレーベルロゴマークが、ブキミで仕方ないのである。「LABOR」とは「労働」の意味で、しかもこのマーク。本当のところは知らないし分らないけれども、毎日の過酷な労働に疲れ切り、半ば人生を諦めた男の姿を連想するのだ。

 或いは、シャベルかスコップで穴を掘っている姿にも見える。それでも何だか重苦しいイメージである。どーでもいいことながら、初めて見たときから気になって気になって。

 1981年録音、(C)1982の古いレコードだが、レーベルとしては現在も活動していて、webページもある。今に至ってなお純粋なマイナーレーベルらしく、カタログ数は多くないもののかなりマニアックな品揃えのようだ。CDのみのリリース、このレコードのCD版は見当たらなかった。

 「人生は重き荷を背負いて 長き道を行くが如し」

’12/01/22 (日)

ぼろは着てても心は錦


 「KIRK NUROCK / Natural Sound」(独LABOR LAB13)。このレコードを拙日誌で初めて話題にしたのは、2001年12月6日である。エラい昔。

 そこには「外セレ紹介では米MODE LAB13、原盤は米LABOR LAB13である」と書いてある。前半は真実だが、後半は大ウソである。「米LABOR」ではなく「独LABOR」が正しい。いい加減なものです。

 あれから10年、先日激安盤を見つけ、パブロフの犬よろしく手を出してしまった。送料を除けば低価格ランキング第2位くらいの値である。したがって、状態にはまったく期待していなかったわけだ。

 開封してジャケットを見て、ああやっぱりなと思った。ハゲハゲのヘナヘナである。表紙の右上にはマジックで「×」印が書き付けてある。意味不明。だが、不吉である。盤もさぞ良からぬ状態だろうと、違う意味で期待して検分したれば。

 これはビックリ、ものすごく綺麗なのである。多少の埃はあるものの、再生した形跡がない。センターレーベルはピカピカである。盤自体は、おそらく新盤だと思う。ガワはヨレヨレ、中身新品。ぼろは着てても心は錦。海外調達の中古盤によくあるケースだ。どうもよくワカラン。もちろん、どっちもボロボロ、よりはずっと良いのである。

 10年前よりは、生々しく再生できるだろうか。

’12/01/21 (土)

グッド


 オリジナル指掛けの目方は、取り付けビス込み0.47g、自作品は0.51g。交換後の総重量は26.30gと、交換前から見てぴったり0.04g増えている。この程度の重量増なら、大勢に影響はほとんどないだろう。

 再生音に大きな差はない。注意深く聴くと、スクラッチノイズが尾を引かず一瞬にして消え去る感じがある。トランジェントが僅かばかり向上しているのかもしれない。静粛感は増したように思う。少なくとも悪くはない変化である。

 ルックスは、ご覧のとおりである。同社往年の銘ヘッドシェル、AT-LS1000にちょっと似ている、と言えなくもない。LS1000の指掛けは、もっともっと高級感があるケレドモ。

 使い勝手はまずまず。丸棒そのままでは滑り易くてNG、熱収縮チューブを被せたのは正解である。長さも、個人的にはちょうど好いグワイである。ただ、手が大きい人、とりわけ指が太めの人には、ちょっと短いかもしれない。

 あれこれ総合的に見て、アサッテの方向へ行ってしまってはいないようだから、このまま採用決定である。今後、多くのLPを聴いてみて、これは遺憾、ということであれば、元へ戻せばよいのだ。それもまた、オーディオの面白いところなのだから。

 まずは、交換成功。

’12/01/20 (金)

尚更無骨


 たかだか2mmφ金属棒を切断するだけのために五ェ門さんは出張ってくれないし、斬鉄剣も借りられない。ので、10mmφ程度の金属棒までなら切断可能なカッター(ニッパーの親方みたいなヤツ)を使うことにする。

 一方向から一気に押し切るのではなく、ネジ山へのダメージが少なくなるよう周囲に少しずつ切れ目を入れ、最後は折り取るようなグワイで切断した。それでも切り口には盛大にバリが出る。切断後のヤスリによる整形は不可欠である。

 そのようにして交換完了したところが、上の写真である。HS-5のバヤイと同様、熱収縮チューブを被せ、滑り止めと鳴き止めを兼ねる。

 個人的には、スマートになって良いと思う。尚更無骨になった、とも言える。後は使い勝手と音、だがさて、どんなものだろうか。

 詳しくは、明日に。

’12/01/19 (木)

できれば一刀両断


 9日の話題に具した、AT-Ti15ANV指掛け交換の件である。望むらくはこの部分もチタンで行きたいところ。それなれば、山本音響工芸のTY-1が最適、と考えるのが自然、なのだが、イマイチ気に入らない。

 20mmは、いささか長い。必要以上の長さは音に不利だし、見た目のバランスも良くないと思う。デザインも、シンプルなほうが良い。この点については、好みの違いということになるだろうけれども。

 とゆーわけで、例によって自作する。HS-5用に精密ロングねじで作った予備品があったから、試験的にそれをネジ込んでみたのが上の写真である。

 残念。ねじ部分がはみ出てしまうのであった。ねじ部分の長さは5mm、穴の深さは2.5mm、都合2.5mmが収まり切らないわけだ。解決方法は極めて単純明快、ねじ部分をちょん切ればよいのである。

 ねじ部分をきれいに切るのは、口で言うほど易しくない。先端の食い付き部分が潰れていると、ネジ込みに支障が出るのだ。最悪、ネジ穴を傷めるおそれもある。ニッパー様の工具で押し切る形では、上手くないだろう。ルパンIII世の盟友、十三代目石川五右ェ門がエモノ、斬鉄剣で一刀両断、できれば最高なのだが。

 切断方法には一工夫要るなあ。

’12/01/18 (水)

スタイラスとダンパー


 analog誌に連載中である、高和元彦氏の筆による「プロデューサーのこだわり街道」。僕は毎回楽しみにして読んでいる。

 高和氏は、キングレコードの「スーパー・アナログ・ディスク」を企画推進したプロデューサーとして夙に有名である。同シリーズのLPは今に至ってなお高く評価され、中古盤であっても高価で取引されている。海外での評価は特に高いようだ。

 僕も第1回発売(1986年の終り頃ではなかったかと)のうちの幾枚かを持っている。国内盤とは思えぬレンジの広さとパワフルな音で、当時日の出の勢いだったCDをぶっ飛ばすような痛快さがあった。

 あまりに音が良かったから、アンケート葉書に賞賛の言葉を書いて送ったら、その文章が第2回発売分の販促リーフレットに掲載された。文章採用のお礼にと、スーパー・アナログ・ディスクを2枚貰えてしまって、大喜び。高和氏直筆のお礼状とともに、今も大切に保管してある。

 話が横道へ逸れてしまった。

 最新号(第34号)では、スタイラスについて触れられている。現在の主流はダイヤモンドチップだが、スタイラス形状の正確さ、という点ではサファイアのほうが優れているのだそうだ。

 ダイヤモンドは硬度が高く磨耗に強いが、それだけに正確な形状に研ぎ出すのが困難である。サファイアはやや軟らかく磨耗が早い。しかし、仕上り形状が正確で音も良い。ダイヤモンド最高サファイアは安物、みたいに考えていたけれども、そんなに単純なものではなかったわけだ。

 「針先の磨耗については、近ごろ、あまり起こらないような気がする。むしろ、カンチレバーを支えるダンパの弾力の方が先に弱る傾向が感じられるが、どんなものだろうか」と高和氏はおっしゃる。まったく同感である。

 MC-L1000、或いはL10など、最も分り易い例だと思う。スタイラスは極めて健常、なのに音が変。その原因のほとんどは、ダンパー劣化である。スタイラス寿命(700〜1,000時間)に、ダンパーの寿命が追いついていないのだ。

 写真はPARNASSUS D.C.tのスタイラスである。このモデルも、同様の問題が出始めている。通常まったく健常に聴けて、しかし立ち上がりの鋭いパルシブな信号には対応し切れない部分がある。ダンパーがヘタって、追従性が悪くなっているのである。

 最新カートリッジなどは、この問題を解決できているのだろうか。

’12/01/17 (火)

贅沢


 「L'EUROPE JOYEUSE」(仏ERATO STU 71098)が2枚。贅沢なことである。

 昨年9月に入手した個体の状態は、ジャケット・盤とも並の下くらいであった。特に盤は、レコパックでは解決できない原因によるノイズが、多めである。どうやら質の良くないスタイラスで再生されていたようだ。そうであろうと推測される痕跡が、盤面に残っている。

 だからといって文句はまったくなく、僕は今も大喜びしている。ただ、もう少しでも状態のよい盤が、リーズナブルな値で買えればなお良しと、考えていたのも事実。9月以降も継続して探していたのである。

 今年になってすぐ、条件を満たした個体を発見、即座にゲットした。のが、写真右。モノは1枚目とまったく同じで、状態は良い。ジャケットはヘタりが少なくしっかりしている。但し、少々日に焼けて褪色気味。この時代のERATOは背が薄緑であるべきものが、水色になっている。

 盤は非常に良い。1枚目にあった怪しげな痕跡は認められず、レコパック後の再生はたいへん静かである。ショップの自己評価はNMだったが、NM+或いはMでも充分通る状態だと思う。もちろん、音質は最高。

 「陽気なヨーロッパ」は、これで万全。

’12/01/16 (月)

時間の問題


 拙webページからリンクさせていただいている「とんぼの部屋」で、FE-208ESが既に修理不能モデルとなっていることを知った。

 思えばVer.1の第1回発売が2000年3月、Ver.2でも2002年3月と、すっかり10年選手のユニットなのである。初登場の時、長岡先生はまだお元気であったのだ。昨日のお話ではないけれど、もうそんなに経っていたのか。

 数量限定生産製品、特にこのユニットのような人気製品は、発売日≒生産完了日みたいなものだから、補修部品保有年数の満了が早い。メーカーには既に補修部品がないという。よって修理不能。幸いにも「リテイルマネジメント」という修理専門のショップがあり、事無きを得たそうだ。ヨカッタヨカッタ。

 他人事ではないのである。現用FE208ES-Rの初登場は2007年3月だから、間もなく5年である。補修部品保有年数は8年、今のところ切迫してはいないものの、時間の問題であることは確かだ。3年後4年後も同じユニットを使っているであろう僕にとっても、コトは極めて重大なのである。

 限定品も、良し悪し。

’12/01/15 (日)

時の長さ


 時間というものは、歳を重ねる毎に圧縮されて感じられるものであるらしい。

 山越木工房謹製スーパーネッシーMkIIが拙宅へやってきたのは、2006年12月だった。このwebページを立ち上げから、ほぼ6年経った時点である。今年は2012年だから、それからさらに6年が経とうとしている。

 2000年から2006年までと、2006年から2012年まで。前6年はずいぶんと長かったように感じられるのに対して、後6年の短いこと。ほんとにもう、あっちゅう間である。その間、僕は一体何をやってきたのだろうかと、我が身に進歩のないことを嘆いてみたくもなるのだった。

 しかしそうではあっても、改めてよく聴けば、使用開始当初からは考えられないくらいスムーズで、情報量の多い音(あくまでも『当社比』である)を再生しているスーパーネッシーMkIIである。僕の主観的感覚とはまったく無関係に、やはりそれだけの時間が経過しているのだ。

 人は、それまで生きてきた経験の量と時間とを比較し、時の長さを感じている、という説があると聞いた。同じ1年でも、5歳の子供にとっては人生の1/5、50歳の僕にとっては人生の1/50。

 ちゅうことは今後、さらに加速するのだな。うーむ。

’12/01/14 (土)

ヘビーユーザー


 オリジナルも使わねば、と言いながら、やっぱりモドキってしまうのだった。ケチっているつもりはなく、実はもどきをすっかり使い慣れてしまって、こちらのほうがグワイが好いのである。クリーニング能力も、オリジナルをやや上回っているようだし。

 写真は現在乾燥中のレコードたちである。すべてパック1回目だが、試聴の結果次第で2回目3回目へ進むバヤイもある。そんなことをしているから、パック液の減りが異様に速いのである。

 仮に5枚のレコードを各2回(都合4面)パックしたとする。5枚×4面=20面。1面あたりのパック液使用量は約25cc、20×25=500ccとなって、それだけでボトル1本を完全に使い切ってしまうわけだ。ヘビーユーザー、と言うべき、なのかな。

 ありがたし、レコパックもどき。

’12/01/13 (金)

ナマモノですから


 4日に作ったレコパックもどき450ccは、あっと言う間に使い切ってしまった。それほどにクリーニングバックオーダーが溜まっていたのである。あの日は予定通りにコトを運べず、今日になってやっと追加分1,800ccを作り終わった。ああ、しんど。

 これだけあってもまたすぐ消費してしまうのである。しかし心配はない。原材料はたくさんストックしてある。レコパックもどきもナマモノだから、矢鱈作り置くのは良くないのである。永く仕舞い込んでおいた未開封のオリジナルレコパックを開けてみたら、ボトルの中で半ば固まっていた、などという怖い話も聞いたことがある。

 そう言えば、僕もオリジナルパック液を幾本か持っている。然るべき様に保管していて、未だ健全ではあるものの、早晩危ないかもしれん。ビンの中でコロンコロンになる前に、使ってしまったほうがいいかな。

 宝の持ち腐れほど、馬鹿馬鹿しいことはないのだ。

’12/01/12 (木)

斜め一直線


 「Harmonica Recital」を聴く。まずは真実本当にモノフォニックかどうかを調べるため、LR信号をスペアナのXY軸入力へ導き、リサジュー曲線を描かせてみた。

 結果は画像のとおりである。光点の軌道は斜いた一直線を描く。やはりモノフォニックである。商品説明文に間違いはなかったわけだ。

 そうであってもこのレコード、音は非常に良いのである。極めて古い録音だが、鮮度の高さでは群を抜いている。つやつやでピカピカ、張りと浸透力がある。モノフォニックであることを忘れ、聴き惚れてしまうほどだ。

 A面はハープシコード、B面はピアノとのデュオである。盤質の所為もあるようだが、A面のほうが良い。B面は切れ味と透明感がやや鈍る感じ。演奏は最高、ぐんぐん惹き込まれて両面あっという間に聞き終わってしまう。モノフォニックでここまで楽しめるレコードは初めてである。

 これはもう決死の覚悟でステレオフォニックバージョンを探さねばなるまい。極めて稀少なレコードだが、いつか絶対手に入れてやるぞ。

 夢は必ず実現する。但し、時間はかかる。

’12/01/11 (水)

アヤシイ奴


 昨日のレコードは、只今レコパック中。冬は乾きが非常に遅いのである。そのためだけに暖房しておくのは非効率的だし、節電必須の折柄、グワイも悪い。ナニ、ほっておけばそのうち乾くのだ。

 写真はそのセンターレーベルである。おそらくたいへん古い盤(ジャケットはかなり傷みが激しい)だと思うが、そのわりには鮮やかなレモン色を保っている。きれいだ。番号はやはり「DGM 12015」となっていて、モノフォニックに間違いないだろう。

 ちょっと面白いのは「SAMPLE COPY. NOT FOR SALE」の文字が見えること。どうやらこの盤は非売品見本盤らしい。オリジナル独盤は1959年リリースと聞くけれども、こ奴はどうなのだろうか。ある意味、来歴不明のアヤシイ奴、とも言える。

 聴けば正体が顕に、なるかな。

’12/01/10 (火)

モノフォニックでした


 2日の話題に具したレコードの正体は、上の写真のとおりである。同じレコードに見えて、実は違うのである。

 A級盤に選ばれているのは「JOHN SEBASTIAN / Mundharmonika」(独Grammophon SLPEM 136 024)である。上のレコードは「JOHN SEBASTIAN / A Harmonica Recital」(米Grammophon DGM 12015)なのだ。

 内容はまったく同一、つまり、米プレス盤DGGなのである。但し、2日に書いた「アホなしくじり」とは、米盤を独盤と取り違えてしまった、ことではない。米盤であることはハナから承知の上、失敗は別のところにある。

 独盤にも米盤にも、ステレオフォニックバージョンとモノフォニックバージョンが存在する。ステレオ録音黎明期のレコードにはよくあることだ。独盤ではSLPEM 136 024がステレオ、LPEM 19 178がモノ、米盤ではDGS 712015がステレオ、DGM 12015がモノ、となっている。早い話が米盤モノバージョンを買ってしまった、というオチなわけです。

 商品説明文には、レコード番号とともに「MONO」と明記してあった。買う前にきちんと読めばよいものを、ジャケット写真だけでヤミクモに飛び付くから、こーゆーことになるのだ。アホ丸出し。

 モノフォニック再生を否定するつもりは毛頭ないけれども、拙システムで聴くバヤイには、やはりステレオのほうが望ましいと、思う。まあ、今回は仕方ないのである。自分がアホだったということだ。しかし、これも何かの縁である。

 レコパックでキレイキレイして、ちゃんと試聴するのである。

’12/01/09 (月)

余計なことか


 お正月が過ぎて少しく時間に余裕ができ、腰を据えてPARNASSUS D.C.t+AT-Ti15ANVを聴いている。

 MC-L1000との組み合わせでも感じた「静かさ」が、使うほどに際立ってくるようだ。明らかにSNが向上する。雑味が極めて少ない。と言うと、本来あって然るべき情報までネグっているのではないかとのウタガイも出てくるわけだが、そーゆーわけでもないようで。

 再生音は極めてまっとう、眠くもユルくもならない。静謐感と先鋭感が両立した、非常に良い音である。ただ、音色はどちらかというと寒色系寄りだから、その辺りでの好き嫌いはあると思う。カートリッジベースからスペーサー、ヘッドケースまですべてチタンであることも、無関係ではないだろう。

 一点だけ気になっているのが、写真の指掛けである。おそらくAT-LHシリーズと同等品と思われる。SUSにビニールコーティングしたものである。決して悪くない。が、余計なことかと思いながらも、僕としてはこれを交換してみたいのだ。

 馬鹿でスケベですから。

’12/01/08 (日)

粒揃い


 仏ASTREE AS21・AS24を聴いた。レコパック後はどちらもきれいなもので、再生するに何ら問題はない。

 このシリーズ13枚、どれを聴いても大外れはない。すべて優秀録音盤と言ってよいと思う。そもそも、ASTREEレーベル全体で見ても、バラつきが少なく粒が揃っているのである。ノ○サッチやエヴェ○ストのようなバクチ的要素は少ない。尤も、カタログ数が全然違うわけだが。

 シリーズ中、AS29を除いて12枚を聴いたことになる。今回の2枚のうち、AS24は明るくチャーミングな曲が多く、個人的にはとても気に入った。演奏、録音は言うに及ばず。

 クラヴサンの独奏で、ここまで飽きずに聴けるレコードは稀なのではないかと、思う。ヴェルレの高度な演奏技術と、ASTREEの録音センスの良さによるものだろう。

 ヒッシで探すAS29は、未だ発見できず。欲しいなあ。

’12/01/07 (土)

Der glaserne Klang


 2012年入手第1号のA級盤「Bruno Hoffmann / Der glaserne Klang」(独INTERCORD INT160. 830)を聴く。

 レコパックを終えてみれば、かなり深刻そうな傷のように見えた盤面のスジが、実は汚れだったと分った。きれいさっぱり消えてしまったのである。再生にもまったく問題なし。新盤同様の静かさだ。傷のようで傷でない。汚れのようで汚れでない。中古盤の良否判定は、誠にヤヤコシイのである。

 このグラス・ハープの音を、どのように表現すればよいのだろうか。一目惚れ、ならぬ一耳惚れ、である。ものすごくいい音。A級盤に選ばれているのだから当り前、と言ってしまえばそれまでだが、それにしてもこの音は凄い。

 まさに「ガラスの響き」というタイトル通りの音である。透明で、少しハスキーで、響きがとてもきれいで。楽器が楽器だけに、F特は広くないけれども、Dレンジは広大である。か細く消え入るような音から一気立ち上がるピークまで、細大洩らさず捉えられている。

 圧倒的な実在感があるのも、大きな特徴の一つである。異様に生々しいのだ。最初の一音が出た瞬間、オーディオマニアであるか否かに関りなく、誰もがギョッとするであろうと思われるほどに。

 そりゃあみんな欲しがりますわ。

’12/01/06 (金)

クリーニング法


 これが犯罪捜査に関る押収品だったならば、あっと言う間にホシが割れそうなほど鮮明な指紋である。既に埃がくっついているから、アルミ微粉末をぽんぽんする手間も要らない。あとは転写フィルムに写し取るだけ。

 昨日の話題に具した、仏ASTREE AS21の盤面である。ものすごく汚れている、ようだが、このレベルに怯んでいたら、中古盤は買えない。

 analog誌などを読んでいると、レコードクリーニングの主流は、大雑把に分けて二つあるようだ。一つは、大掛かりな装置を使った吸い取り(バキューム)式、もう一つは手作業による拭き取り式。後者は洗い流し式と合体していることもある。

 僕がやっているパック式は、最早傍流ですら、ない。一般的には完全に絶滅したクリーニング方法なのである。尤も、パック液が市販されていない現在ではそれも当然。しかし、オークションなどでパック液が高値で取引されているのを垣間見ると、アンダーグラウンドでは、未だ生き延びているようでもある。

 いずれの方式が最良なのか、僕にはわからない。ただ、僕としては、汚れの酷い状態でブラシやクロスが盤に接触する型のクリーニング方法は、どーしても許せないのだ。これはもう理屈を超えて、生理的にイヤなのである。

 逆もまた真なり。アルコールを多く含んだ液体を盤に塗りたくるなんか絶対に許せない、という考え方もあるわけだ。それもよーく理解できる。

 だからこそ、オーディオは面白い、のかもしれない。

’12/01/05 (木)

AS21・AS24


 仏ASTREE、クープラン・クラヴサン組曲全集AS21、AS24を手に入れることができた。AS21は海外、AS24は国内調達である。

 僕の頼りない記憶によれば、このシリーズは7〜8年前のほうが高価に取引されていたのではなかったかと。最近はやや落ち着き気味で、どちらも極めて常識的な値で買えた。両者ジャケットは少々くたびれているものの、盤は傷少なく健全である。但し、汚れは目立つ。もちろん、新規生産レコパックもどきのお世話になるのだ。

 これで全集13枚のうち、未入手は1枚のみになった。長岡先生選、A級盤でもあるAS29である。やっぱりコイツが残ったか。このタイトルに限っては、そうそう安く買えないし、それ以前にハード・トゥ・ファインドである。

 ひとつきほど前、海外オークションで発見。だいぶんに踏ん張ったが見事競り負けました。昨年末、今度は海外ショップで発見。30USDとバカ安で、石弓に弾かれたように飛び付いた、けれども一足遅かった。短期間に2回も発見するなどは奇跡に近く、況してやそれを射止めるのは超奇跡なのだろう。くそー。

 とまれ、12枚まで揃ったわけである。まずはそれを喜びましょう。

’12/01/04 (水)

毎度毎度の


 毎度毎度のレコパックもどき増産中、である。友達からの提案と教導によって、初めてモドキったのは2008年5月のことだったから、もう早4年にもなるのである。それから今に至るまでの間、どれくらいの量を作り、消費したのだろうか。

 剥した乾燥膜は、そのほとんどを捨てずに保管してある。何のために。いつの日かPVA糊がこの世から消え去った時、パック液を再生するためである。遠大な計画だ。たぶん、僕が消え去るほうが早いような気がする。

 剥しては重ね、重ねては剥し、堆く積った乾燥膜は厚さ10cmにも達しようとしている。塵も積れば山となる。雨垂れ石を穿つ。枚数×1回分(25cc〜30cc)と計算すれば消費量(≒生産量)が分るわけだが、メンドクサイからやらない。いずれとんでもない分量だと思う。オリジナルレコパックを買っていたら、エラいことになっているところだ。

 只今450cc完了。あと1800ccは作っておかなきゃ。

’12/01/03 (火)

パク欠


 年末に話題にしたレコードが、1日に届いた。「Bruno Hoffmann / Der glaserne Klang」(独INTERCORD INT160. 830)。年を跨いだにもかかわらず、極めて速い到着に少し驚いている。

 ジャケットは、1979年リリースのわりにきれい。ちょっとヘタっているけれども、傷やシワは少ない。それに比べて盤のほうは、汚れも傷も多めであった。致命的、とまで行かずとも、かなり深刻そうな傷も見える。

 まずはレコパックもどき、と行きたいところだが、残念只今パク欠である。作りたいのは山々、時間がない。明日4日からは少しばかり余裕ができそうだから、増産にとりかかろう。

 長岡先生をして「神々しく、魂のうめきを思わせるような音色」と言わしめたレコードである。視聴が楽しみだ。

 巨大なガラス鉢、瀬戸の火鉢、にならなきゃいいケド。

’12/01/02 (月)

オチは後日


 「あったあ!」と夜中独り大声で叫び、大急ぎで注文を確定させ、こいつぁ春から縁起が良いやと喜びに打ち震えながら(オオゲサである)もう一度説明をよーく読んだら、とんでもないことになっていた。という、上の画像に挙げたレコードである。

 このオチは後日、レコードが届いたときに。アホです僕は。

’12/01/01 (日)

年頭御挨拶


 明けましておめでとうございます。

 2012年である。2000年に始めた拙webページも、干支が一周りしたわけだ。39歳だった僕は、51歳になろうとしている。エラいこっちゃなあもう。ホンマに「めでたくもありめでたくもなし」だ。

 昨年の元旦は、70cmを越える大雪を見た。何をするにも大儀で大弱り。それに比して今年は随分と穏やかな好天に恵まれ、しかも年末からの雪がヤバいところを隠してくれて、大いに助かった。やはり晴天はいいなあ。

 今年の目標、を書くのはヤメておこうと思う。これまで実現した試しが、ほとんどないのである。ウソばっか。予想される見通しとしてはここ数年と何も変わらず、アナログオーディオ専一、ということになるのだろう。理由は単純明快。面白いからである。

 皆様、今年も何卒よろしくお願い申し上げます。