箱船航海日誌 2011年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’11/11/30 (水)

ワッシャ考


 上の写真は、AT-Ti15ANVとWE-407/23の接続部分である。シェルとアーム、それぞれのコネクター接合部をどのように処理するか。それがけっこう音を変えるから面白い。

 ワッシャなしでガタなくばっちり決まれば、それが最も良いと思う。ところがそうは行かないことが、ままあるのだ。どうもシェル、アーム周りのコネクターは、わりと規格がいい加減で困るのである。5ピンコネクター然り。互換性、汎用性を高めるためには、ある程度の幅が必要になるのだろう。

 Ti15には、元々ゴム製ワッシャが付いてくる。これはAT-LHシリーズも同じだし、最も一般的とも言える。ガタは回避できるが、合わせるアームによっては結合が曖昧になることもあり、音はどちらかと言えば甘口傾向と感じている。

 長岡先生は、これを鉛薄板から切り出したものに替えることを推奨していらっしゃった。ご自身もそうしておられたと記憶する。軟らかい鉛はスキマの形に自動変形し、両者コネクターの食い付きが良くなる。僕もムカシはそれをマネしていたのだが、如何せんルックスが悪い。音は明らかに向上する。

 現在は、PH-L1000に付属している金メッキ純銅リングを使っている。0.5mmφの純銅線を「C」の字型に成形し、金メッキしたものである。これはなかなかグワイがよろしい。ルックスはスマートで、音も良くなる。ただ、ハイスピード高解像度系の方向へ振れるから、リスナーによってはNGもあり得るわけだ。個人的には最も気に入っている。

 メルセデス・ベンツのマークの中心を一部切り欠いたような形で、3点接触を実現させるリング、なるものも市販されている。小さいクセ(失敬!)に凄い値段だが、アレってどうなのかしら。

 この「何でもアリ」加減が、アナログの楽しいところである。

’11/11/29 (火)

S級


 件のお宝レコードを聴く。レコパックなし、アルジャントでの埃取りだけで、まったく問題なく再生できた。通常なら当たり前のことなのだが、普段「歴戦の勇者」みたいな中古盤ばかり扱っている身には、とても新鮮なことのように思えるのである。

 このレコードは、凄い。個人的には、曲、演奏、録音、すべての点においてA級中のA級と感じる。S級にしてもいいくらい。

 ジャケットから受ける印象そのままの、重苦しい曲である。極めて映像的というか、暗いのだけれども色彩感が豊かというか、情景がありありと目に浮かぶような曲風なのである。間違いなく現代音楽、しかし難解ではない。演奏には鬼気迫るものがあり、聴き進むうちにぐんぐんと引き込まれて行く。

 録音は壮絶である。どちらかと言えば高域寄りバランスになっているのだが、その高域が素晴らしい。歪み感皆無、透明感最高、分解能極大。ものすごく精緻でありながら、圧倒的な力感を以ってリスナーに迫る。音場感も最高抜群、広く澄み切った音場の中に、各パートが大きな実在感をもって立体的に定位する。

 A級盤300枚中、一二を争う超優秀盤と聴いた。

’11/11/28 (月)

極美盤


 図らずも未開封盤であった「Marcel Landowski / LES HAUTS DE HURLEVENT "Histoire d'une Passion"」(仏EMI C 069 73140)の封を切った。1982年10月12日録音、(P)1982だから、発売以来凡そ29年経っているわけである。

 38年モノ新盤のようなビニール焼けはまったくなく、盤は極めて美しい状態を保っている。内袋(の内張り)が軟質ビニール系ではなく、サラサラしたタイプであるのが良かったようだ。これならレコパック不要でイケそう。

 経年によるヴァージンシールの過剰収縮は少ない。ジャケットはフラットでツルツルのピカピカである。危機的な状態の中古盤をしばしば見る中、やっぱり内外ともきれいなレコードは気持ちよいのである。当たり前か。

 29年の年月を感じさせるのは、センターレーベルである。本来真っ赤であるべきが、色褪せして朱色に近くなっている。印刷の所為かとも思ったが、フチ0.5mmくらいがわずかに黄色っぽいところを見ると、やはり褪色しているのだろう。音には直接関係しないから、問題なし。歴史を感じます。

 まさに、お宝レコードである。

’11/11/27 (日)

遅めの黄葉


 24〜25日は、ずいぶんと寒かった。特に25日は最高気温が10℃程度までしか上がらず、しかも終日時雨れていたから、体感的には真冬のような日であった。

 8日の話題に具したイチョウの樹も、大急ぎで黄葉してしまった。例年に比べると、10日から2週間ほど遅い。やはりこれまでが暖かかったからだろう。27日の気温は20℃近くまで上がるというから、黄葉即落葉ということに、なるのか知らん。

 2011年もあと35日ほど。早いなあ、もう。

’11/11/26 (土)

楽しい休日


 友達が帰ってしまったあとの箱船2階である。来訪前と比べれば、ずいぶんきれいに見える。おかげさまなのである。しかし、すっきりな部屋でさみしい。楽しい時間はあっという間に、過ぎてしまうものなのだ。

 付き合いが始まってから、もう11年以上にもなる旧知の友達である。比較的近在であるとは言え、今に至るまで遊びに来てくれるのは、とてもうれしい。この歳になってなお、余計な気遣いも利害関係もなしに付き合える友達がいる。ありがたいことだと、思う。

 今回は友達のお知り合いさんもご一緒であった。オーディオ以外のところで好みの共通項が発見できたりもして、マニアックに盛り上がる。アニメ映画版「銀河鉄道の夜」は、実にいいですねえ。

 充実した時間を、ありがとうございました。

’11/11/25 (金)

そーゆーわけには


 来訪予定の友達からメールが届いた。「グッチャグチャのままのほうが面白いから掃除するな」と。昨日の日誌を読んでくれたらしい。

 そりゃあまあ、ある意味面白いのかも知れんが、そーゆーわけにも行くまい。画像に写っているのは「グッチャグチャ」の、ホンの一部なのである。全容はあまりに酷くて、web上で公開なんかゼッタイにできない。友達の言を額面通りに受け取りそのまま迎えたりしたら、確実に卒倒しますよアナタ。

 ので、なんとか整理したのが上の写真。昨日より少しはマシ、くらいのものだ。何となく「面白い」感じを残しておいた、つもり。もちろんこれは、整理下手を開き直った上での言い訳だ。性質が悪いのである。

 まだ1階が、残っている。困ったなあ。

’11/11/24 (木)

油断するとこうなる


 25日は、友達の来訪がある予定。久しぶりにゆっくりとオーディオ談義にヨタ話ができそうで、とても楽しみにしている。

 それはたいへんケッコウなのだが、部屋はご覧のとおりである。レコパック作り、レコードクリーニング、シェル交換、その他モロモロ作業の所為で、もうグッチャグチャ。どう見てもお客様に入っていただけるような状況ではないのだ。エラいこっちゃ。

 ムカシは友達の訪れが比較的頻繁であった。自然、掃除の頻度も上がり、それほど大層なことにはならなかったのだ。まったくにありがたいことであったと思う。来訪の度合が減った昨今、僕は完全に油断しているわけだ。これじゃあ遺憾なあ。

 24日は、片付け掃除に専一となるべし。

’11/11/23 (水)

焼けは改善された、が


 ビニール焼け改善のため、レコパックもどきを両面3回実施したレコードを聴いた。

 見た目には、盤面の白っぽいモヤモヤはほぼ除去できている。完璧とは言い難いけれども、再生に問題ないであろうレベルまでは改善できたと見る。

 結果は、まずまずグッドであった。未開封新盤としてはややノイズが多めながら、楽曲を邪魔するほどの耳障りな雑音は出ない。新譜新盤でも、これより煩い盤はある。クリーニングは成功、と言ってよいと思う。

 大喜び、と行きたいところだが、実際に再生して初めて判明したことがある。盤をすかして見ただけでは気付き難い波長の短い反りが、外周部にあったのである。喩えて言うなら、ワウはなかったがフラッターがあった、というわけだ。

 標準的な長さのカンチレバーを備えたカートリッジなら、まず問題ないレベルである。MC-L1000のように盤面とボディ底面のクリアランスが小さいタイプでは、ちょっと危ない感じ。それくらいの反り様である。スピーカーコーンも、サブソニックで大きく揺れる。

 元々そうのような盤だったのか、或いは38年の年月が影響してこうなったのか、今となってはもうわからない。何となく、後者のような気もする。まあ、古い盤にはよくあることだと、受け容れてしまうのである。

 おおよそグッドなら、それで吉。

’11/11/22 (火)

頗る快調


 聴き始めから5日ほど経った、AT-Ti15ANVである。頗る快調。アルミ系のヘッドシェルとは一味違う、シャープで立ち上がりのよい音は、大いに僕の好むところである。

 試聴1日目に感じた音の詰まりは徐々に改善され、伸びとしなやかさも出てきた。ただ、生硬さと突っ張り感は未だ残っている。どうもこれは、リード線に因があるように思われる。確たる根拠はないのだが。

 新品おろしたてのリード線というもの、たいがい音が生硬く瑞々しさに欠けることが多い。感触が硬いものほどその傾向が強めに出るように感じている。その伝からすれば、付属リード線AT6106は音が落ち着くまでに時間がかかるタイプではないかと思う。個人的には最も信頼をおいているマイソニックのMR-1Rhに比べると、かなり硬くバネ性のある質感なのだ。

 そのようなAT6106を、やや窮屈にカールさせ繋いでいる。写真にご覧のとおりである。線にかかるストレスは少なくないだろう。であってみれば、現状音が硬いのも致し方のないところか。

 リード線を交換してみるのも、一つの策だと思う。が、そう性急になることもない。高々5日くらいの試聴では、本質を見極めることなどできっこないのだ。

 もうしばらくは、このままで。

’11/11/21 (月)

シッポに続き胴体が


 2日の話題に具した「Marcel Landowski / LES HAUTS DE HURLEVENT "Histoire d'une Passion"」(仏EMI C 069 73140)。あのあと時を置かず、在仏のショップで本体を発見していたのである。シッポを掴んで引っ張ったら、上手いグワイに胴体が出てきた感じ。

 尤も、日夜ヒッシのパッチで探し回っているわけだから、フシギでも何でもないのかもしれない。とは言え、国内外を問わず、滅多に見かけないレコードであることは確かである。ご縁があって、ヨカッタヨカッタ。

 このショップを利用するのは初めてではなくて、これまでにはERATOの「L'EUROPE JOYEUSE」やASTREEの稀少タイトルなども発見している。LP専門店、ではなくて雑貨屋に近い感じで、レコード探しの本筋からすれば「外道」的な店である。

 その所為かどうか、値付けは極めて良心的である。上に挙げたものはたいへん安かったし、今回のタイトルも送料込25.30ユーロ(約2,700円)だった。しかも、梱包を解いて初めて分ったことだが、未開封新盤だったのである。これはビックリ。商品カタログにはまったく説明されていなかった。何ともアッサリしたもので、これも専門店ではないからこその好い加減さ、なのだろうか。

 開封するのがもったいない。でも、開けなきゃ聴けないわけで。

’11/11/20 (日)

虹伝説


 僕と同世代の人達には、このミュージシャンのファンが比較的多いのではないかと思う。高中正義。伝説のギタリスト、成毛滋(故人)のバンド「フライドエッグ」でデビュー(当時はベーシスト)、のち、サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスなどを経てソロ活動へ。今や超有名にして超ベテランのギタリストである。僕は30余年来の、大ファンです。

 上のレコードは、高中さんが1981年に発表した「虹伝説」(日KITTY RECORDS 36MK9101-2)である。2枚組、3,600円。発売当時、僕はビンボー学生であったから、3,600円が苦しくて買えなかった。高中さんのレコードの中ではかなり売れたほうで、同年(第23回)のレコード大賞企画賞を取ったほど。

 1986年ごろ、CDを買っている。先日、ふと思い立って中古レコードを探してみたところ、これが山のようにあるンですね。下は300円から上は9,000円まで。ピンは除外するとして、中途半端に高いものを買っても仕方ないから、ダメモトでキリの300円盤を買ってみた。

 大当たり。ジャケット、盤とも極上中の極上。ほとんど新盤である。ダメモトとは失敬な。これが300円とは、エラい時代になったものだと、感慨を深くするのである。何だかすごく得したような気分だ。

 おそらくレコパックなしでもOKだとは思うけれども、そこは30年前のレコード、一応実施しておく。楽曲は知り過ぎているほど知っていて、アナログディスクの音を聴くのは初めてなのである。

 CDより、いいのかしら。

’11/11/19 (土)

静粛


 山本音響工芸の純チタンヘッドシェル、HS-5に比べて余分な音が少なく感じたAT-Ti15ANVである。その理由の一つは、上面金色(オレンジ色?)プレートの内側にありそうな気がしている。

 このプレートの下には、ブチルゴム系制振材、ハネナイトが仕込まれているのである。「ハネナイト」は、内外ゴム株式会社の登録商標、つまり商品名である。一般的には、超低反発ゴム、或いはノーソレックスゴムなどと言われるものだ。

 素材としては、僕も2mm厚くらいのフリーカットシートを持っている。1mくらいの高さからビー玉を落しても、ペタッとくっついてまったく弾まない。衝撃吸収性は抜群である。但し、質感はかなりグニャグニャしたものだから、使い所を誤るととんでもないことになりそうだ。制振材、ダンパーとしては優秀でも、何かを支えるには不向きだと思う。尤も、グニャグニャ支えるほうがヨイ、という説も、あるわけだが。

 Ti15の上面には、どれくらいの厚さで仕込んであるのだろうか。感じとしては1mm厚程度のシートが貼り込んであるように思える。僅かなことのようだが匙加減は絶妙らしく、音を聴けば効果がわかる。このヘッドシェルは、非常に静かなのだ。

 プレートを剥して中身を確かめたい? イケナイ。そんなことをしてはイケナイ。

’11/11/18 (金)

好印象


 AT-Ti15ANV+MC-L1000、まずはADプレーヤー2号のWE-407/23で聴いた。

 いい音である。非常にスムーズで素直、耳に障る音はまったく出ない。全域に渡ってバランスが整っている印象で、クセっぽさは皆無である。MC-L1000そのままの音で鳴っている感じだ。切れとしなやかさが両立した、素晴らしいアナログサウンドだと思う。個人的には、HS-5よりも余分な音が少ないと感じる。

 ただ、少々詰まった感じがあるのも否めない。音がドライ、或いはデッド、と言い換えてもよい。現状では、それがシェルによるものかリード線が若い所為か、ちょっと判断に苦しむところ。もう少し時間をかけて聴けば、何かが分るかもしれない。

 金属シェルにありがちな音の粘り、僕はここが引っかかってセラミック系シェルを頻用するわけだ。Ti15は、それがほとんど気にならない。この点については、HS-5と同じ印象を持った。

 今のところ、LPレコードを2〜3枚聴いたに過ぎない。あまり多くは語れないのである。第一印象としてはとても好いグワイだから、向後、例によって雑多なジャンルを聴き倒し、正体を見極めたいと思う。

 最近のテクニカさん、音作り上手いです。

’11/11/17 (木)

MC-L1000で


 AT50ANVはさすがに買えないから、あれこれ考え第一被験者にMC-L1000を選んだ。第二被験者があるかどうか、たぶんナイんじゃないか。同素材のヘッドシェル、山本音響工芸のHS-5にも同カートリッジを着けている。それとどのような音の違いが出るのかを知りたい、という思いもあるわけだ。

 リード線には、付属のAT6106をそのまま使う。見るのも触るのも初めての高級リード線である。外観はやや細身で、かなり硬めの感触。作りから受けるイメージからすると、ハイスピード系のリード線、という感じだが、実際にはどうだろうか。

 コンパクトなシェルにMC-L1000、かなり窮屈になりはしないかと心配したが、コネクターをやや後方へスライドさせればまったく問題なし。リード線の接続も比較的楽である。取り付けネジには得意のβチタン合金ビスを使う。10mm長がジャストフィットだった。

 実測重量26.04g。なかなかいいところに収まったと思う。WE-407/23はもちろん、EPA-100MkII(付加ウエイトあり)でも余裕を持ってバランスする重さである。ルックスも、考えていたよりずっとよい。木に竹を継いだような、アンバランスな感じになるかと思いきや、実にシャープでスマートにまとまっている印象だ。

 あとは肝心要の、音である。

’11/11/16 (水)

ずいぶんコンパクト


 先月29日に載せたヘッドシェルが届いた。audio-technica AT-Ti15ANV(以下、Ti15)である。

 写真は、AT-LHシリーズと並べてみたところ。左から、LH18、LH15、LH13、Ti15の順。寸法としては、LH13に最も近い。カートリッジが取り付く部分の面積は、同等である。ただ、コネクターを挟み付ける部分の肉厚が薄くなっている分、表側から見るTi15は随分と小型に感じられる。

 リード線付きの実測重量15.47g。リード線を除いても、やや大きめのLH13より重い。これは比重(アルミ2.7、チタン4.5)の差に拠るものだろう。カートリッジ取り付け穴は1対2個、ネジ切り貫通型である。テクニカのシェルとしては、珍しいタイプだ。穴が1対になった分、指掛けの位置が少しばかり手前(シェル先端方向)へスライドされている。

 全体的な寸法取り、重量、穴の位置、などからするに、同じく50周年記念モデルとしてリリースされたカートリッジ、AT50ANV(MC)、AT150ANV(MM)の専用シェル、といった感が強い。ベース寸法が大きなカートリッジ、特に奥行き方向に長いタイプは、実装が困難になりそうである。

 取り付け穴がバカ穴タイプであれば、LYRA PARNASSUS D.C.tを着け、ボディからシェルまでオールチタン、っちゅうのを狙っていたのだが、これはNG。ちょっとアテが外れて、何を着けるか只今思案中である。

 AT50ANVを買って着けるのがベスト。うーむ。

’11/11/15 (火)

大成功、だが


 レコパックもどき1回目を完了したところの、昨日と同じ部分の写真である。白いマダラ模様は見事除去できている。効果絶大である。大成功だ。

 但し、盤全体を眺めると、不充分なところもある。白くモヤモヤしたものが、部分的には残っているのである。1回では取り切れないものなのか、ひょっとしたら何度やってもきれいにはならないのかもしれない。

 今の状態で一度再生してみて、その後さらにクリーニングを重ねてみたいと思う。何回くらいが適当なのかはやってみないと分らないけれども、これまでの経験からすると、3回以上は必要になりそうなグワイ。結局ダメだったら、これはもう仕方ないのである。

 盤が焼けたら手も焼ける。こーゆーことも、楽しみの内の一つなのだ。

’11/11/14 (月)

焼けました


 38年開かずのレコードが、ついに白日の下に曝された。って、そんな大層な。正倉院の宝物じゃあるまいし。

 盤の反りは、ほとんどなかった。この点は、厚く硬いムカシの英プレスDECCAの優秀さが出ているようだ。もう一点、ビニール焼けに関しては、残念ながら写真のとおりである。

 焼けが最も目立つランアウトグルーブの様子である。白っぽいマダラ模様で覆われている。典型的なビニール焼け状態だ。長い間、内袋(のビニール製内張り)に密着していた結果がこれである。盤を取り出す際、スルッと出てこないことが分った瞬間、こりゃやっちまったなあ、と思った。

 このような状況は、初めてではない。これまでにも幾度か経験したことである。改善が期待できる方策は一つだけ。クリーニングする以外にないのである。

 クリーニング方法は人によって様々だろうと思う。僕のバヤイはもちろん、レコパックもどきである。ただし、万能ではない。これまでの例では、一発解消できたもの、複数回のパック実施で改善できたもの、軽減できたが根本的解消には至らなかったもの、などイロイロであった。

 考え込んでいても仕方ない。まずは、レコパックを実施する。

’11/11/13 (日)

開かずのレコード


 写真のレコードは、2006年5月8日の日誌でも話題にしたことがある。詳しい内容はそちらをご参照願うとして。

 1973年頃録音、38年前の太古レコードである。手持ちの盤にはそれなりの年季が入っていて、盤に大きな問題はないものの、ジャケットはかなりくたびれている。

 最近web上で、同タイトルの未開封新盤を発見した。開封中古も滅多に見かけなくなった昨今、これは極めて珍しいことである。どーせ凄い値だろうと、思ったらさに非ず。至って常識的な価格設定である。これはこれはと、喜んで買ってしまった。

 ヴァージンシールそのまま、間違いなく未開封盤である。封を切られないまま、38年間保存されていたことになるわけで、一体どこから出たものかと、思う。やはり年季が入っていて、シールに収縮が有った所為か、ジャケットが波打っている。

 新盤状態だからと言って、安心はできない感じだ。ジャケットの歪みに引っ張られ盛大に反っている可能性あり。加えてこの時代の内袋は、盤に近い素材で作られているバヤイがままあるから、もしそうだったらビニール焼けの心配もある。

 開かずの扉の向こう側を覗くような、ちょっとしたスリルである。

’11/11/12 (土)

冬の夜の星座


 朝晩の冷え込みが厳しくなった。天気予報は冬型の気圧配置を伝え、北からの風が冬の匂いを運んでくる。

 この季節、夜空の主役は写真の星座である。オリオン座。冬の星座の代表格だ。これが夜空に冷たく輝くようになれば、もう完全に冬である。

 写真左端にやや赤く見えるのは、「ベテルギウス」という赤色超巨星である。この星を太陽の位置に持ってきたとすると、木星の公転軌道を超えるほどの巨大さだという。木星の平均公転半径は、約7億7800万kmだから、ベテルギウスの直径は16億kmくらいあることになる。数字が大きすぎて、よくワカリマセン。

 地球からの距離、2007年までは427光年とされていたが、2008年になって640光年と改められたそうだ。エラい違いである。これまたケタがデカすぎて実感がわかない。ともかく、新定説に拠って言えば、今見ているベテルギウスの光は、640年前にアチラさんを出発したもの、っちゅうことになるわけだ。

 赤色巨星というは、老年期に入った恒星の姿である。星としての寿命は終りに近いわけで、ひょっとしたら今ごろは、既に消滅しているかもしれないのだ。いや、ベテルギウスは太陽の10倍以上の質量をもつ赤色「超」巨星だから、超新星爆発を起こして中性子星かブラックホールになっている可能性も、ある。それが判明するのは、ええと、何時のことに、なるのかしら。

 などと馬鹿げたことを思う、冬の夜。

’11/11/11 (金)

さすが、オリジナル


 拙日誌の日付で、同じ数字が六つ並ぶのは初めて、と言うよりも、これが最初で最後である。次は100年後の2111年11月11日、僕は150歳ちゅうことで、イノチはおろかホネも残りませんな。

 そんなことはどーでもよろしい。TELARCレーベルの「EIN STRAUSSFEST」である。

 写真右下がオリジナル、左上が復刻盤である。センターレーベルの色目、ロゴマークの大きさが微妙に違う。オリジナルのほうがほんの少しピンクがかっていて、ロゴマークが大きい。基本的なデザイン、レイアウトはほぼ同じである。

 両者とも「Made in Germany」の表記が見える。あるwebサイトから拾った情報によると、復刻盤は「Made in the E.U.」表記になっているはず、らしいのだが、僕のものはそうなっていない。何故だかわかりません。ただ、復刻盤が「Made in Germany」とゆーのは、かなりアヤシイと思う。

 オリジナル実測136g、復刻盤173g。目方だけなら復刻盤の勝ちだが、音はまったく逆である。オリジナルの圧勝。特に差がつくのは弦である。オリジナルは非常にキメが細かく、しなやかで肌触りがよく、しかも切れと厚みがあり豊かである。それに比して復刻盤は、一聴切れが良いが、聴き進むうちチリチリした感じが耳についてくる。TELARCらしからぬ音と感じた一番の因は、この部分である。

 音場感にも少なからず違いがある。復刻盤は、全体的に圧縮されたような息苦しさを感じるのである。伸びと開放感がイマイチだ。それだけを聴いていれば大きな不満はないのだけれども、オリジナルと比較すると、その差歴然。深々として渺々たる音場感に、思わず「なーんだ、ホンモノはこうだったのか」と独言してしまった。

 結論。オリジナルに一日の長あり。個人的には「一日」どころか「百日」くらいの差に感じた。復刻盤は、ちょっと残念である。但し、この結果は拙システムに限定されたものである可能性が大いにある。装置、リスナーが違えば、結果も自ずから変わってくると思う。相手がADであってみれば、尚更である。

 とまれ、オリジナルが聴けて、ヨカッタヨカッタ。

’11/11/10 (木)

EIN STRAUSSFEST


 「EIN STRAUSSFEST」(米TELARC DG-10098)の180g復刻盤(写真左)を入手したのは、2008年3月であった。これはこれでとても楽しいレコードなのだが、TELARCがまったく関らない、ユニバーサル・ミュージック独自の復刻盤であること、実際に聴いてみてもどこかTELARCらしからぬ音であること、などが頭の隅にずっと引っかかっていた。

 これを払拭するには、オリジナル盤(写真右)を手に入れるしかないわけだ。買えばいいじゃん。コトはそう簡単ではないのである。極めて稀少。たまさかショップやオークションに出てきても、ヒジョーに高価である。とある海外ショップでは、未開封新盤が650USDで挙っているのを見て、卒倒しそうになったこともある。

 そもそもこのレーベルの中古盤は、おしなべて安価であることが多い。のに、「EIN STRAUSSFEST」だけが異様に高いのである。何故だかワカリマセン。プレス数が極端に少なかったのか、想像を絶する人気盤なのか、或いはその両方か。

 今回は、相場よりやや安め(それでも随分な値である)で、開封中古盤を入手することができた。ジャケットに些かの傷みが見られるものの、盤は比較的きれいである。

 写真の如く、2枚並べて見てみると、ジャケットの色目にはかなりの違いがある。復刻盤は全体的に茶色っぽく、オリジナルはクリーム色がかっている。左下に貼ってある「DMM」のシールは、オリジナルのみ。これは両者を判別する目印にもなると仄聞する。

 少なからず違和感を持った復刻盤の音である。オリジナルではどのような音が聴けるのだろうか。尤も、外盤A級セレクション入りしているわけだから、まず以って間違いはないのだが。

 試聴がとても楽しみである。

’11/11/09 (水)

スーパーマクロ


 惜しくもリタイヤしたデジカメ μ-15は、とても使いやすかった。けれどもただ一点、接写に弱かったのは大いに不満であった。マクロモードでも最短焦点距離20cmと、これではあまり意味がないのである。窮余の一策、マクロモードとズームを無理矢理組み合わせ、最大画角で撮った上でトリミングする、という方法で誤魔化してきたのだが。

 店頭のカタログで調べてみると、SZ-11 には「スーパーマクロ」という接写モードがあり、これを選択すれば最短焦点距離は0.03m(3cm)とあった。ズームは利かなくなるが、3cmまで寄れればかなりそれらしい接写ができるのではないか。少なくとも20cmよりはずっと役に立つだろう。

 上の写真は、現用MC-L1000の針先をスーパーマクロモードで撮ってみたものだ。素晴らしく鮮明、とまでは言えないものの、どうやらスタイラスの形状まで判別できる写真になっている。これなら立派なものだ。μ-15では望むべくもなかったことである。

 もっと良いデジカメがあることは重々承知、しかし僕にはこれで充分である。

’11/11/08 (火)

十年一日


 柿の樹はその葉をほとんど落し切り、爛熟した実が残るばかりになった。晩秋が初冬に遷るサインである小学校のイチョウは、やや遅めに黄葉し始めている。

 今年は近年にも増して寒暖差が激しく、昨日15℃今日23℃明日14℃明後日22℃、みたいなことになっていて、忙しいことこの上なし。イチョウもいつ黄葉すればよいのか、右往左往しているのかもしれない。

 寒かったり暖かかったりを繰り返しているうち、知らん間に春になっていた。なんてことはあり得ないわけで、やがてイチョウは黄葉落葉し、その頃には寒く暗い冬がやってくるのである。ああ、憂鬱だ。

 この季節、毎年同じことを書いている。十年一日の如し。

’11/11/07 (月)

お役御免


 2004年5月11日に購入して以来、ちょうど7年半使ってリタイヤしたOLYMPUS CAMEDIA μ-15 DIGITAL(名前長い)である。諸元は、320万画素、光学ズーム3倍、記録媒体はXDカード、使用可能容量256MBまで、など。当時の買価は26,000円ほど。ディジタルメディアにとっての7年が、如何に長いかを思い知らされるのである。

 前カバーの開閉がスイッチON-OFFとなる仕組みなのだが、2年ほど前から不調であって、電源が入ったり入らなかったり。裏面の機能ボタンも反応が悪く、今回ついにシャッターが落ちなくなってお役御免である。

 毎日1枚撮ったとして7.5年で約2,700枚、撮っておいて没にした画もヒジョーに多いから、実際には20,000枚以上撮っていると思う。よく働いた。もし、シャッターに問題がなければ、まだまだ使えるはずなのに。残念である。

 僕は飽き性で新しいもの好きのクセに、妙に物持ちのよいところがある。実用品に関してそれが顕著なようだ。デジカメ、パソコン、車、などは、新しいものにほとんど興味を持たない。いくら古くても、とりあえず使えりゃそれで吉。却って慣れ切っているから、楽なのでございます。

 オーディオ機器に関しては、そうは行かない。新しいモデルが出るたび、特にディジタル機器などにはいつもムズムズしている。ただ、先日も書いたとおり経済力がついて行かないのである。

 上手く行かないモンです。

’11/11/06 (日)

新デジカメ


 P社デジカメに見切りをつけ、使い慣れたO社のデジカメ、SZ-11を買ってしまった。近所の大型量販店へ行ったら、何だか知らんが異様に安くてビックリ仰天。件のジケンの所為で、売れてないのかな。そんなこと、ないか。

 いろいろとグワイが悪かったP社製、特に弱ったのは青系統の再現性である。どーやっても自然な発色にならないのだ。ソフトで後処理もしてみるわけだが、やっぱりヘンである。何故にこのようなおかしな色になるンだろう。

 青系統の再現性に問題があるのは、ヒジョーに困るのである。画の色温度を決定するに、青の役割が極めて大きいからである。三管式プロジェクターにおいて、B管の調整が最も重要で、しかも困難と言われるのと似ている。

 例えば仏プレスASTREEのセンターレーベル。上の写真と、先月27日の写真を見比べれば、その差をおわかりいただけるかと。レコードナンバーは違うが、レーベルそのものはまったく同色である。もちろん上の写真も実物の色そのまま、というわけには行かない。けれども、かなり良いところまで再現できていると思う。

 使い勝手もたいへんグッド。個人的には全ての点で、SZ-11のほうが圧倒的に良く感じられる。これは当然でもあって、前のデジカメ(μ-15 DIGITAL) から7年(!)経っているとはいえ、基本的な操作方法には共通点が多いのである。やっぱり慣れ親しんだメーカのヤツが、良いのでした。

 P社の名誉のために付け加えれば、いわゆる「写真機」としての性能は、どちらが上だか僕には分らない。僕の用途は、web上に画像を載せるためだけにあると言ってよいからだ。撮った写真をプリントアウトして保存することは、ほとんどないのである。web専用画像機としてはグッドでも、写真機としてはダメダメ、というバヤイも、ままあるのだ。

 とまれ、SZ-11の選択は、大正解でありました。

’11/11/05 (土)

僅差でAD


 真実の日付はすでに11月10日(只今午前1時過ぎだから、正確には11日)になってしまっている。先週末(この日誌の日付)から、コトが多すぎて弱っているのだった。「夏休みの終りに書く宿題の日記」みたい。申しわけもございません。

 「The FAIRER SAX」AD(英SAYDISC SDL-365)、やっと聴けました。まずCDを聴き、そのあとADを試聴したわけだが、結論から言うと、僅差でADの勝ち。音場感、録音現場の空気感、艶、切れ、トランジェント、Dレンジなどの点で、わずかにADが上回っている、という印象であった。CD大健闘である。

 SAYDISCレーベルは、他にもAD/CD両方揃っているタイトルが幾つかある。必ずしもそうとは言えないながらも、どちらも優秀と感じるケースが少なくないのである。このレーベルは、AD/CDでの差がおしなべて小さいように感じている。

 壮絶な切れこみとか、叩きつけるような爆裂サウンドとか、そういった大仰さはない。実に英国的な品の良さがあり、しかし決してヌルい音ではなく、生々しく透明感抜群の高品位サウンドは、一聴の価値大いにあり。現在もCDはamazon.co.jpでかなり安く買えるようだから、SAXがお好きな方は是非。

 尤も、長岡先生推奨盤だから、既にお持ちの方も多いかな。

’11/11/04 (金)

試聴お預け


 長く使ってきたO社のデジカメがぶっ壊れてしまった。シャッターボタンが反応しない。いわゆる「写真機」としての性能は低いけれども、僕如きのweb用としては実に使い勝手が良かったのである。

 仕方がないから愚妻所有のP社デジカメを使っている。これがまた使い勝手の悪いヤツであって、やたらと機能が多いクセにちっともきれいに撮れない。発色とコントラストが極めて不自然で、どう調整しても素直な色と陰影が出ないのである。個人的に、P社の家電製品はキライだ。

 それはともかく、「The FAIRER SAX」のADである。試聴するつもりにしていたところが、予定どおりにレコパックもどきを済ますことができず、片面が未だ生乾き状態。ここ数日、気温が低めで乾きが遅いのだ。

 試聴は明日までお預けであります。

’11/11/03 (木)

Diversions to AD


 現在、充実した紙面で人気のオーディオ誌「AUDIO BASIC」、そのご先祖様とも言える「別冊FMfan」に長い間連載されていた「長岡鉄男の外盤ジャーナル」(のちに『ディスクホビー』)。この連載が外盤A級セレクションの元ネタであったことは、夙に有名である。

 上の写真は、別冊FMfan第59号(1988年秋号)の「ディスクホビー」で取り上げられていたタイトルのうちの1枚である。「DIVERSIONS / The FAIRER SAX」(英SAYDISC SDL 365)。(P)1987。

 記事中では、時代の所為かCD(CD-SDL 365)が紹介されている。写真右下に写っているのがそれ。僕は1990年に買っている。先生評を一部抜粋してみると。

 「フェアラー・サックスはロンドン音大出の女性4人で結成され、'85年デビューというニューフェース。美人ぞろいだが演奏は力強く、レパートリーは16世紀から現代までと広い。-(中略)- 選曲もいいが演奏は抜群、実にきびきびとした、ピチピチとしたダイナミックでハイテクニックの演奏、アンサンブルも見事でとにかく音が美しい。音像、音場も文句なし。優秀録音盤」

 CDでこの高評価、実際にも素晴らしいサウンドである。ならばADではどうなるのだろうかと、大いに興味を持つも手に入らず。CDを買ってから20年以上経った今になって、不思議なご縁により拙宅へやってきたのである。

 もし、外盤A級セレクションが当初の予定どおり第5巻まで刊行されていたとしたら、ほぼ間違いなく収録されていたであろう盤である。僕にとっては、極めて価値あるレコードなのだ。

 改めてCDを聴き、それからADを聴いてみよう。

’11/11/02 (水)

シッポの先っちょ


 「Marcel Landowski / LES HAUTS DE HURLEVENT "Histoire d'une Passion"」(仏EMI C 069 73140)。

 外盤A級セレクション第2集132番に収録されたこのレコード、未だ手に入れることができないでいるタイトルである。悲しいことに、これまではシッポの先っちょさえ掴めない有様だった。ショップでの情報はもちろん、ジャケット写真すら発見できない。つい最近になって、ようやく画像だけは見つけることができた。それが上の写真。初めて見るフルカラージャケットである。

 仏EMIの「LA VOIX DE SON MAITRE」シリーズ、英語で謂うところの「HIS MASTER'S VOICE」シリーズである。赤い枠付きの特徴あるデザイン、同シリーズの別タイトルはよく見かけるけれども、このレコードだけは、ウチの庭でクマに出会うより難しいのである。当たり前か。

 縁とはフシギなもので、シッポの先を掴む、或いは見つけると、そのあと比較的早い段階で本体を発見できるバヤイが多いのである。どういった巡り合せかは解らないけれども、今までのレコード検索で体感している事実である。

 その例により、間もなく胴体をがっちり掴み取ることが、できるや否や。

’11/11/01 (火)

やっと11月


 拙日誌では、やっと11月に「なれた」感じである。近頃どうにも時間が足りなくて困っている。きっとこれは忙しい、のではなくて、時間の使い方がヘタクソなのだ。

 先月28日に載せた「JEAN LUC MANCA / ACCORDEON de CONCERT」(仏REM 10949)を聴いた。

 中古としては最上クラスと言ってよい盤質の良さである。もちろんレコパックもどきによるクリーニングを実施した上でのことだが、それでもこれほど状態の良い中古盤にはなかなか出会えない。

 全曲アコーディオンの独奏である。ずいぶん前のこと、このタイトルを持っている友達に「欲しいがなかなか見つからん」と言ったら、彼宣わく「わりと退屈なレコードだよ」と。そう聞いて「んじゃ要らんわ」と、放擲しないところが、僕の馬鹿でスケベな所以なのである。

 個人的には、ゼンゼン退屈しなかった。面白いのである。確かにアコーディオンに違いないのだが、聴いているうち大型パイプオルガンではないかと錯覚する瞬間がある。それほど表情豊かで、色彩感があり、スケールの大きいアコーディオンなのだ。録音が優秀であるのはもちろん、演奏はそれ以上に素晴らしい。

 奏者のMANCAさんは1961年3月26日生れ、録音は1983年だから、当時22歳である。さすが天才アコーディオン奏者と謳われただけのことはある。現在50歳、もちろん超一流として第一線で活躍中、しばしば来日もしていると仄聞する。

 機会があれば、ライブで聴いてみたいと思う。