箱船航海日誌 2011年10月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’11/10/31 (月)

ホテルからの風景


 先週の水曜日から木曜日にかけては、急なオツトメあり大阪府堺市まで出かけてきた。日誌の更新が後手に回っているのは、その影響なのである。

 当地から堺市までは、全行程自動車道を使えて2時間半ほど、そんなに遠いとは言えない。ただ、土地勘ほとんどなしのストレンジャーだから、如何にカーナビがあると言えども市街地に入ってからは少々マゴついた。

 写真は宿泊したホテルの窓から撮ったものである。堺北港の近くにあり部屋は17階、ご覧のとおりヒジョーに見晴しが良く、何とも良い気持ちであった。堺北港からほぼ真西を望む。

 正面遥か遠くに、何やら巨大な吊り橋のようなものが見える。あれはひょっとして、と、スマホのナビで確認したら、思ったとおり明石海峡大橋だった。縮小版写真ではほとんど見えない。ので、よろしければ上の写真をクリックしてみてください。フルサイズ(1600×1200)画像がご覧いただけます。少々重いのは、どうかご勘弁を。

 ホテルからは直線距離でも40km以上ありそうだ。決して空気のきれいなロケーションとは言えないだろうに、よくぞ見えたものだと、ちょっと感激してしまった。毎日こんな景色を見ながら過ごせたら、冬でも鬱々とすることが少ないだろうなあと、日本海側に住むニンゲンは、羨ましく思うのだった。

 尤も、ホテルに棲み付くわけには、行かないのだケレドモ。

’11/10/30 (日)

C-280V 20周年


 50周年記念で思い出した。今年9月7日、拙システムの現用プリアンプC-280Vは、使用開始20周年を迎えたのだった。

 同じ年の10月に生れた愚息1号が20歳になるのだから、まさに使い始めから20年経ったわけである。「高いモノを買うけれども、20年使うつもりだから許してチャブダイ。80万円で20年、1日たった100円ほどだ」と、愚妻にワケのわからん言い訳をしつつ僕は、本当にそんなに長く使うンだろうか20年経ったら俺は50だぞこれから生れる子がハタチだってそんなアホな、などと考えていた。

 そして僕は50になった。C-280Vは、未だに重要な拙システムのコントロールセンターである。さすがにルックスはクラシック、最新モデルに比べると垢抜けしない感は否めない。けれども音は、今も抜群である。

 もちろん欠点はある。やや粗いとか、色付けがあるとか、滲みがあるとか。しかし僕は、そーゆーことも含めてこのアンプが大好きなのだ。

 今後の展望は。たぶん、このままだろうと思う。音に大きな不満がないことが一番、それともう一つ、経済的な問題がある。最新アンプはあまりにも高価で、今やどんなにがんばっても手が届かない。1991年当時の80万円も凄い値段だったが、例えばC-3800はプラス100万円。もうダメです。

 あと何年使えるだろうか。さらに20年使えば僕は70歳である。こうなると、アンプがダメになるのが先か僕が死ぬのが先かっちゅう話になって、これがホントの「一生モノ」だ。

 超ハイCP。

’11/10/29 (土)

創立50周年記念モデル


 2012年4月17日、audio-technicaが創立50周年を迎えるそうだ。会社のお誕生日は1962年4月17日ということになるわけで、僕とほぼ同い年だったのだな。僕の歳なンかどーでもいいけれど、テクニカさん、永く続いているのである。エラいもんだ。

 それに合わせて、多くの記念モデルがラインアップされるという。社の公式webサイトには現在時点で、ヘッドフォン4種、ヘッドフォンアンプ1種、MCカートリッジ1種、MMカートリッジ1種、ヘッドシェル1種、ケーブル3種、マイクロフォン8種、すしメーカー(!)1種、計20機種が紹介されている。そう言えばテクニカさん、すしメーカー(業務用シャリ玉成形機)や、のりまきメーカーなども作っていたのである。

 僕の興味はもちろんすしメーカー、ではなくて、のりまきメーカー、でもなくて、アナログ周辺機器、カートリッジとヘッドシェルにある。特に食指が動いたのは、写真に挙げたヘッドシェル、AT-Ti15ANVである。

 基本的な構造は、AT-LHシリーズに準じているように見える。シェルとしての構造強度は抜群だ。キモは、ヘッドケース(本体)である。型番に含まれる「Ti」の文字から連想されるとおり、純チタン削り出しなのである。上面に見える金色プレートの内部には、ハネナイト(ブチルゴム系の制振材)が内蔵されているらしい。ターミナルピンはテクニカお得意のPCOCC。ネック(コネクター)部はアルミ製、リード線を除いた自重は15g、とある。カートリッジ取り付け穴は、写真で見る限りバカ穴(ネジ切りなし)と思われる。

 価格はオープンである。あちこち調べてみると、19,800円、というのが相場のようだ。一見高価、実はそうでもないのである。高級シェルリードAT6106(4,800円)が付属されての価格だから、ヘッドシェルとしては正味15,000円。内容を考えれば、超の付くハイCPではないかと思う。

 全世界350台限定生産で、発売は11月18日。各オーディオショップでは購入予約の受付が始まっている。すでに予定数に達し締め切ったショップもある。アナログ偏執狂を以って任ずるワタクシ儀、この機を逃しては男が廃る。大急ぎで馴染みのショップに予約しておいた。

 記念モデルMCカートリッジにも、大いに心が動くのだがなあ。

’11/10/28 (金)

結論はいつも同じ


 外盤A級セレクション収録LPの入手率は95%を超え、残りタイトルの発見はいよいよ難しくなっている。先日は、特に稀少を極めるタイトルを探し当てておきながら、ギリギリのところで持って行かれてしまった。今でもクヤシイ。けれど、仕方ないのである。

 写真は、現在のところ最も新しく届いたA級盤である。「JEAN LUC MANCA / ACCORDEON de CONCERT」(仏REM 10949)。第3集278番収録。

 仏REMのLPは、僕がA級盤を集め始めた頃ならさほど珍しいものではなかった。ラックには同レーベルのレコードが結構な枚数入っている。ならば当然このタイトルもあって然るべき、なのだが、何故か押えられていなかったのだ。おそらく、いつでも買える、くらいに軽く考えていたのだろう。

 とんでもないお話である。以来、まったく見かけなくなってしまって、今では入手がかなり難しいほうのタイトルになるのだろうと思う。そもそも「REM」というレーベル名で検索をかけると、オルタナティブ・ロックの旗手「R.E.M.」とゴッチャになり、ヒジョーにグワイが悪いのである。

 今回は演奏者名「JEAN LUC MANCA」でヒット、うまく入手することができた。これまで、数え切れないくらい繰り返し試みてNGだったキーワードである。つまるところ、諦めては遺憾、っちゅうことで、毎度毎度話は同じところへ落ちるのである。

 残り、13タイトル。

’11/10/27 (木)

オリジナルの貫禄


 仏プレスAS33のセンターレーベルである。白熱球照明下で撮った所為か、何だか色目がヘン。藤色っぽくなってしまっている。実際には、紺色に近い青である。

 英仏プレスを聴き比べてみる。結果は、評判どおり仏プレスに一日の長ありと出た。より清澄で、透明感があり、聴感上のレンジが広い。音場表現もより豊かで、録音現場の空気感が十全に伝わってくる。

 英プレスがぜんぜんダメ、というわけではなく、優秀録音とするに充分な音なのである。けれども、比較試聴すると、圧倒的ではないものの明確な差があると感じた。やはりこれは、オリジナルの貫禄なのだろうか。

 仏プレスにもエディション違いが存在するとも、仄聞する。状況は複雑なのである。僕はその方面には真っ暗で、あまり細かいことは気にしない。その辺、わりといい加減なのである。手に入ったものを単純素直に喜んで聴いているだけ。

 とまれ、今回はたまたま音良しバージョンを2枚も入手できたわけで、これはもちろん大いに喜んでいる。盤もきれいだったし、ヨカッタヨカッタ。

 AS31も聴かねば。

’11/10/26 (水)

大当たり


 「ヨコシマな賭け」は、大当たり。AS31、33とも見事仏プレスを引き当てたのだった。ってまあ、大層に言うほどのことでは、ないのだケレドモ。

 英仏プレスの違いは、センターレーベルを見れば一目瞭然、すぐにわかる。英に比べて外径が大きく、色も青よりは紺色に近い。他に違う点はないのだろうかと、ジャケットを検分してみた。

 写真は英仏ジャケットを重ねて撮ったものである。下になっているのが英、上になっているのが仏である。仏に比較して、英のほうはややくすんだピンク色で、質感もやや艶っぽくなっている。仏には「harmonia mundi FRANCE diffusion HM61」のシールが貼ってあり、これはたぶん、仏HMがディストリビューターであることを意味しているのだろう。英の「AS33」表記の左脇には丸囲み「W」マークが付いている。意味不明。

 これらの違いがプレス違いを見分ける確かなよすがになるのかどうかは、まったくわからない。手元にある2枚だけに限られた違いであるかもしれないからだ。仮令確かであったとしても、実物を手に取ることのできない通販では、どちらかを狙い撃ちするのは極めて難しいのではないかと思う。鮮明な写真、詳細な説明などが付いていれば、話は別だが。

 英プレスよりも音が良いとされる仏プレス、如何なものでしょうか。

’11/10/25 (火)

ヨコシマな賭け


 写真は仏ASTREE AS31、33である。どちらもすでに過去の日誌で話題に具したレコードだ。またぞろ何故?

 2週間ほど前、在仏ショップで新たに発見したものである。どちらも9ユーロ(約980円)と、ASTREEのタイトル、しかもクープラン クラブサン曲全集シリーズとしては破格である。けれども、両者とも入手済み、2枚目が必要なのか。

 しかし安いなこんな値ではめったに買えないどーしよーかなあっそうだ手持ちはどっちも英プレス盤だったもしかしたら今度は仏プレスかもしれんパリの店だからその目はあるぞ980円でアタリだったら大儲けだハズしても損はないよし買おう。

 と考えること3秒、今日、届いてしまった、とゆーわけ。して、当りか外れか。

’11/10/24 (月)

音は良くとも


 CD版「THE HUMAN HOLIDAY / Sleight of mind」を聴いた。

 結論から言えば、このCDは優秀である。ADとの音の差を、ほとんど感じない。とても上手く作ってある、と言うよりは、余計なことをやっていない、と言ったほうがよいのかな。音にクセがなく非常に素直で、いわゆる「ディジタル臭」は極少。ナレーションのサ行に、ホンのわずか粗さが乗る、程度である。

 音は良くとも問題は、やはりこの内容だろうと思う。何しろ「大霊界で退屈している霊魂に、地球へ行って人間の生活を味わう、というサービスを提供する霊界企業のパックツアーのPR」を収録した体のものなのである。何が何だかわかりません。少なくとも、音楽(も入ってはいるが)ではないのだ。

 パロディか、悪ふざけか、シャレか。長岡先生の評にもあるが如く、超ゲテモノである。聴いたらゴホウビあげるから聴け、と言われても聴かない人がたくさんいるだろうと、思われるくらいの。とんでもないCDである。

 アナタ、買いますか。

’11/10/23 (日)

FRESH! from RR


 「THE HUMAN HOLIDAY / Sleight of mind」(米REFERENCE RECORDINGS FR-702)が届いた。録音は1982年11月〜1983年3月と古いが、CDとしては(P)(C)2010と新しい。

 ジャケットは、厚紙製台紙にプラスチック製ディスクホルダーを貼り付けた簡易型(今風に言うならエコ型)、あっさりしているが質感にチープさはない。簡素なジャケット、多くのショップで1,000円台で買える、などからすると、このシリーズ(FRESH! from RR)は廉価盤なのかもしれない。

 ディスク本体はきれいにカラーリングされていて、個人的にはとても気に入った。リマスター、リサウンドなどのクレジットはどこにもなく、「HDCD」の表記があるのみ。尤も、RRのCDはすべてHDCD仕様である。

 A&RレーベルのADを聴いた限りにおいて、内容はヒジョーに珍妙、しかし音は良い。このCDは、どうだろうか。音の良さでは定評あるRRからのリリースだから、それなりに期待はするのである。

 試聴は、明日に。

’11/10/22 (土)

ちょっと、違うか


 CD版「Carl Davis conducts his The GLENLIVET Fireworks Music」(英EMI CD-CFP4542)を聴く。

 長岡先生のAD評に曰く「録音は抜群、ffは爆発し、ppは繊細透明、音像は実物大で3次元定位」とある。CDでも確かにその方向の音が聴ける、のだが、いささか音が硬い感じ。特に弦楽器高域は、かなり生硬く突っ張った印象を否めない。非常に陳腐な表現をすれば、ディジタル臭が強くしなやかさに欠ける、のである。

 だからこのCDは良くない、とは言えない。拙システムのCD再生系に、大きな問題があるのかもしれないからだ。現状、ウチではこのような音になった、というに過ぎない。

 さらに加えて、僕はADを一度も聴いたことがないのである。LPを再生しても、同じような音になる可能性も充分あるわけで、そうなればもう、拙システムの完全敗退決定、なのである。

 結局いつも同じところへ行くのである。やっぱりAD聴きたい、と。このCDを発見したあともADを探し続けているのだが、これがヒジョーに難しくて。

 A級盤300タイトルコンプリートは、近いようでまだまだ遠いのである。

’11/10/21 (金)

純然たる中古盤


 11日の話題にしたCDが届いた。新古品のわりに安い、と喜んで買ったわけだが、話はそんなにウマくなかったようだ。ケース傷だらけ、ジャケットには書き込みありの、純然たる中古盤である。盤には何ら問題ないようだから、まあ、いいのである。よくあることだ。

 CDとしてのカタログナンバーはCD-CFP4542。(P)1988。ADも(P)1988で録音が1988年1月だから、おそらく両者同時リリースだったのだろう。1988年と言えば、すでにCDがオーディオソースの主流になりつつあった時期である。同一内容のソフトがアナログ・ディジタルで並売された最後の時代、とも言える。

 ADが見つかり難いのは、そういう状況の所為もあるのかもしれない。

’11/10/20 (木)

ARからRRへ


 夜な夜なレコード検索を続けていると、時々フシギなソフトに出会うことがある。写真のタイトルは、そのような1枚である。

 とは言ってもこのタイトル、外盤A級(第3集202番)に含まれていて、すでに僕の手持ちにもある。フシギでも珍しくもない、のだが。

 実はこれ「THE HUMAN HOLIDAY / Sleight of mind」(米A&R AR1001)のCD版である。ADジャケットでは「A&R」のロゴマークが入っているはずの左下部分に、「FRESH! from RR」の文字が見える。何故か。リリース元レーベルが、彼の有名(かな?)の米REFERENCE RECORDINGS(以下、RR)なのである。

 発売は2010年10月12日、比較的最近のリリースということになる。僕はまったく知りませんでした。RRのwebサイトでさらに詳しく調べてみたれば、カタログナンバーはFR-702、freshシリーズの2作目としてリリースされたようだ。CD化はこれが初めて。

 元々、この録音の特殊効果技師として、RRのレコーディングエンジニアであるキース・O・ジョンソン教授が参加していたこともあっての、RRによるCD化らしい。リマスタリングなどの特別なプロセスが施されているわけではないようで、しかしHDCD仕様になっているから、何かしらの作為はあるのかもしれない。

 内容は、何とも奇妙な味のものであって、何方にでも気軽にお薦めできる類のソフトではない。個人的には、面白いと思う。早速注文しておいた。

 amazon.co.jpでも買えるから、興味のある方は是非。

’11/10/19 (水)

聴けました


 英プレスASTREEの特徴(の一つ)は、センターレーベルの径が小さいことである。一般的な例に比べて半径で3mm〜4mm程度小さい。通常なら、ほぼ完全にレーベルで覆われているところの中央盛り上がり部分が、少しばかりはみ出ている。写真でおわかりいただけるだろうか。但し、全ての英プレスASTREEがこうなっている、かどうかは、わからない。

 AS33は、素晴らしいレコードであった。演奏は当然ながら文句なし、録音も非常に優秀である。柔らかく、しかし芯があって力強く、浸透力抜群。同じクラヴサン(1733年、デレク・ポルトゥス製)で録音されているAS31、32よりも、低域へのレンジが広く感じられる。

 これまでに聴いた同シリーズ(クープラン・クラヴサン曲全集)10タイトルは、それぞれとても良いレコードだが、個人的にはこのAS33が最も気に入った。

 未だ聴けていないAS21、24、29が、ますます楽しみになるのである。

’11/10/18 (火)

元気なの真夏だけ


 AS33のレコパックもどきはとっくに乾き、あとは剥して聴くだけ。なのだが、オツトメ関係繁忙と、ここのところの寒暖差が体に響き、気力減退してオーディオする元気がない。やはり僕は、秋冬がダメだ。

 考えてみれば近頃は、5月〜6月の初夏もダメなことが多く、結局元気なのは真夏の間だけ、っちゅうことに、なるのである。アカンなあ。

 しばらくは、早寝に務めようと、思う。

’11/10/17 (月)

AS33


 先月29日に発見したASTREE AS33は、願いが通じて入手叶った。ジャケット、盤とも状態良好。但し、2月に買ったAS31、32がそうであったように、オリジナル仏プレスではなく英プレス盤である。

 今回は少々高めであった。僕の個人的な感覚からすると「ゼイタクな買い物」と感じるに充分な値である。けれどもこれは致し方のないところ。何しろ、滅多に出ないAS33なのだ。

 あとはAS21、24、29の3枚である。全集13枚のうち、ようやくフタケタ10枚までこぎつけたことになるわけだが、残数が少なくなればなるほど難しくなるのは、A級外盤と同様。

 コツコツ行くしかありません。

’11/10/16 (日)

グワイ良し


 Androidへ乗り替えて1週間、アホな僕にもようやく使い方が解りかけてきた。但し、入口のドアを開けたばかり、といった程度である。

 恐ろしく多機能、しかも使い勝手が良い。これまで使っていたケータイとは雲泥の差である。webブラウジングは極めて快適、表示も驚くほど美しい。何よりもサクサク動くのがありがたいのである。前のヤツは、何をやってもモタモタしていて何とも使い難かったのだ。

 電話としてもたいへん優れている。通話音が明瞭で、会話が楽にできる。尤も、これまでのものの品位が低すぎた、とも言えるわけで。こんなことならさっさと替えるンだった。

 いいことばかり、のようだがそうでもない部分もある。各種表示が小さくて、老眼が進んだおっさんにはキビシイ。基本的には、若い世代向きに出来ている通信端末だと思う。ただ、新しい機種では液晶パネルを大画面化したり、表示に工夫を加えたりの改善が為されているから、スマートフォン総じての欠点とは言えない。

 現状、まずまずグワイ良く使っております。

’11/10/15 (土)

気は優しくて力持ち


 9日に載せた「Flying Home」を聴いた。何度も発見しながらそのたび買い逃し続けたタイトルである。やっと聴ける、っちゅう感じ。今に至って入手できたA級盤は、ほとんどそんなものだが。

 かなり擦り傷が目立つ盤である。程度としてはプア盤寸前くらい。もちろん買う前から承知の上だから、文句はない。それなりにノイズが多いことを覚悟していた、わりに、思いのほか静かで、これはうれしい誤算だった。

 クラリネット、サックス、ファゴットによる、木管四重奏である。これがもう実にいい音であって、演奏・曲の良さもありまったく飽きずに両面聴き通せる。スタジオではなく教会で録音されていて、響きがとても美しい。

 クラリネットによるかなり強烈な高域ピークがあるのだが、歪みも荒れることもなく、非常にスムーズである。木管楽器の暖かさがよく出ていると同時にたいへん力強い音で、気は優しくて力持ち、といった印象。

 尤も、こんなことは長岡先生の評価に明らかなわけで、今さら僕がゴチャゴチャ書く必要もないのである。ただ、評価どおりの(或いはそれに肉薄した)音で再生できるかどうか、という点では、個人的に大きな意味があるのだ。

 聴けた喜びは、非常に大きい。

’11/10/14 (金)

秋色


 今年は柿がよく出来る年回りだそうで、ウチの木にもたくさん実がついている。写真は富有(確かではない)、この横に与謝柿があり、そちらはさらに出来がよい。

 実の色に合わせるように、葉も赤くなり始めている。この風景は如何にも秋色である。冬の到来が遠くないことを予感させ、僕としては、少々憂鬱でもある。

 昔、それも大昔ならば、近所の子供が盗みに来たりもしたのだろうが、今やそんなことはあり得ない。僕もあまり食べないし、専らクマや野鳥の胃袋を満たすばかり。それでもまったくの無駄とは言えないから、まあ、よいのだ。

 秋の村は、静かである。

’11/10/13 (木)

深紫伝説


 突然ですが、DEEP PURPLEであります。

 「LAST CONCERT IN JAPAN」。ADである。1975年12月15日、日本武道館でのライブ録音である。1976年のグループ解散後、1977年になってからリリースされたタイトルである。録音当時は「LAST CONCERT」になる予定は、なかったのだ。

 僕の記憶では、日本限定リリースだったはず。なにしろ買ったのが1977年だから、ウロ覚えなのである。少なくとも発売当時は、そういうことになっていた、と思う。現在はCD化され、どこでも買える。

 このときのグループは「第4期」と言われる編成で、ギターはトミー・ボーリンである。彼の有名なリッチー・ブラックモアの後釜だ。この二人、あまりにもギターのキャラクターが違いすぎ、何ゆえトミー・ボーリンなのかと、当時15歳の僕ですら不思議に思ったものだ。このあとすぐに解散したところを見ると、はやりミスマッチングだったのだろうなあ。

 と言いつつ、僕はこの「第4期DEEP PURPLE」が大好きである。「第2期」(ボーカルにイアン・ギラン、ベースにロジャー・グローバーがいた頃)を黄金期とするディープでコアなパープルファンに言わせると、「4期なんか、あんなもんカスだカス」とゆーことに、なっているわけだが。

 トミー・ボーリンは、残念ながら1977年の解散直後に急死していて、ジャケット裏には「THIS ALBUM IS DEDICATED TO TOMMY BOLIN」というクレジットがある。追悼盤としての緊急リリースだったようだ。

 このレコード中で好きな曲は、トミーさんのオリジナル曲「WILD DOG」である。デイヴィッド・カヴァーデイルの「The first time in Japan, Tommy Bolin is gonna sing for you」というMCに誘われて始まるこの曲、ロックの格好良さ満載の、名曲である。他のメンバーも、何故かパープルの曲より楽しそうに演奏しているように聴こえる。

 今に至って思えば「LAST CONCERT」でもなんでもないわけで、グループはこの後再結成され(1984年)、来日もしている。何と現在も「第9期」として活動中、らしい。お歳は幾つになっておられるンでしょーか。エラいもんだなあ。

 ずいぶん久しぶりに聴いたけれど、やっぱりカッコイイわ。

’11/10/12 (水)

はちあわせ


 時刻は深夜零時半、トイレに行きたくなって箱船から出たら、だしぬけにタヌキとはちあわせしてしまった。とても驚いた。が、タヌキさんはもっと驚いたそうで、顔面蒼白(?)になって目の前でフリーズしている。

 愛嬌がある、とは言え生粋の野生動物である。捨て身でかかってこられたらマケるのは僕のほうだどうしようか動いたら危ないかなでもこのままじゃグワイが悪い早く逃げてくれ恐いのは僕も同じだぞああ目がマジになってきたような気がするだいたい僕はイヌ科のケダモノは苦手なんだ死んだフリでもしてやろうかでも相手はクマじゃないしな。

 見合っていた時間はほんの数秒だったろうか、僕が少し動いたのがきっかけで、一目散に山へ逃げていった。食いつかれなくて、ヨカッタヨカッタ。

 例によってこの秋も、箱船周辺は山のケダモノでにぎやかである。柿と栗の樹にはクマが登った跡が見えるし、シカは言うに及ばず、先日の夜は珍しくキツネの親子が庭で遊んでいた。

 深夜出入口のドアを開ける時は、鈴を振ってからに、しよう。

’11/10/11 (火)

ここはCDを


 外盤A級セレクション第3集229番「Carl Davis conducts his The GLENLIVET Fireworks Music」(英EMI CFP 4542)。紹介されているのは言うまでもなくアナログディスクだが、写真はCD版のジャケットである。

 これをリリースしているEMIと言えば、まさにメジャー中のメジャーレーベルである。多国籍企業でもある。全世界に広がっていて、カタログ数は天文学的数字になるだろう。何が何だかワカラン、っちゅう感じのレーベルである。

 そのようなレーベルであればあるほど、目指すタイトルを見つけるのが難しくなるのである、広大な浜辺の砂から、必要な一粒だけを選り出すような作業にも似ている。上のタイトルも、ADは未だ発見に至っていない。カール・デイヴィスさんはテーマ音楽や映画音楽を多く手がけている、たいへん有名な作曲家だから、ヒット数は多い。けれども、ないのだ、これが。

 CD版は、わりとまとまった数で出ている。入手は比較的容易なようだ。ほんとうはADが欲しいけれど、ここは余計な突っ張りはヤメてCDを買っておこうと思う。価格はピンキリで、上は1万円近くから、下は1,000円以下まで。Dレンジが広いのである。僕はケチだから、送料込み791円の新古盤を注文しておいた。

 CDを聴いたら、例によってなおさらにADが欲しく、なるンだろーなー。

’11/10/10 (月)

もうすぐ5年


 山越木工房さんから、季節のメールをいただいた。大変に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、折に触れお便りをくださるのである。思えば永いお付き合いである。初めてご縁をいただいたのは2002年だから、もう早10年に、なろうとしているわけだ。

 時の過ぎるのは速い、と言えば、山越木工房謹製スーパーネッシーMkIIである。2006年12月の完成導入から、もうすぐ5年だ。ウソみたい。あっちゅう間だな。

 5年経っても、古くなったという印象はまったくない。未だ新品然としている。とは言えエージングは、5年分それなりに進んでいるようで。Dレンジが大きく拡がったことを、強く感じている。

 細かな音の再現性が、大幅に向上しているのである。音と音との隙間に、さらにもう一段微小な音が存在していることを発見できたり、エコーや余韻が以前よりぐんと美しく豊かに表現されたり。余分な音がほとんど出ない。と言って、無味乾燥なギスギスした音ではない。

 現状、過去最高の音が実現できていると思う。もちろん、あくまでも当社(箱船)比でのお話である。尤も、他との比較にあまり意味があるとも思えない。再生音は、それぞれが孤高であるべきなのだ。したがって、箱船の音が向上したのならばそれで吉。僕のオーディオは、充実しているのである。

 スピーカーだけで音が決まるわけではないけれども、他の装置に比べて支配力は圧倒的に強いと言えるだろう。おそらく、部屋の次に。それだけに、心から信頼できるスピーカーと出会えた喜びは極めて大きいのだ。

 山越木工房さんの、おかげさまである。

’11/10/09 (日)

想像力の欠如


 毎日毎日レコード検索していると、仕舞にはキーワードのネタが尽きてくるのだった。キーワードが陳腐化し、検索作業が恰もルーティンワークのようになり、結果どうなるかと言えば、ネットの深層に潜む稀少盤を掘り起こせなくなるわけである。

 尤も、このようなことは僕個人に限ったことでもありそうだ。お得意の「イマジネイションの貧困」である。想像力の欠如。これはもうオツムの問題でもあるから、どうしようもないと言えばどーしよーもないのである。ああ、悲しい悲しい。

 そういった状況の中で、ヤケクソ気味に打ち込んだキーワードが偶さか大当たりすることも、ある。写真のレコードは、そういう1枚である。「The Ebony Quartet / Flying Home」(英MERLIN MRF85078)。外盤A級セレクション第3集249番収録。

 普段、ほとんどアクセスしたこともないようなところで、ゼッタイ当らんだろうと思われる語句検索したら、一発ヒットしてしまった。これまでヒッシになっていたのは何だったのかと、しばし魂が抜けたような気持ちになった。

 滅多にないことである。幾千万の空振りの果て、出会い頭で場外ホームラン、みたいな感じ。これを自分の意思でコントロールし、率を上げられれば、よい。はっきり言って、無理である。

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当る。まさに、それだ。

’11/10/08 (土)

Android


 3年弱使ってきた携帯電話が、近ごろ不調である。何だか操作感がヘンなのだ。元々使い勝手が良いとは言えないほうだった。馴染みの販売店に相談したらば、経済的負担ほとんど0でスマートフォンへ乗り替えられるという。それなればと、好奇心も手伝って写真のものへ交換してきた。

 auのAndroidである。但し、今年春発売の旧製品。加えて、auでも10月14日からiPhone 4Sが発売されるわけで、そのような状況下での、言わば投売り状態なのだろう。スマートフォンビギナーの僕などには、これで充分である。

 電話機能以外の使い方は、まだゼンゼンわかりません。乗り替えが正解だったかどうか、現時点では何とも言えない。パソコン音痴のワタクシ儀、しばらく使って投げ出す可能性もある。やっぱりフツーのケータイがいいや、と。

 基本設定と機能理解に、何日かかるのだろうか。エラいこっちゃ。

’11/10/07 (金)

聴けば幸せに


 元々ジャズベーシストとして超有名なRed Mitchellさんだが、このレコードではピアノと、殊に歌の上手さ声の良さが際立っている。こんなに歌が上手かったとは。

 ベースの弾き語りはA-1のみ、あとはピアノの弾き語りである。ベースは深々としてまろやかな低音、ブーミーさはない。実にいい音だ。ただ、純粋な生音、ではないようなふうでもある。上の写真はジャケットの部分拡大だが、よく見るとピックアップ(弦楽器用の小型集音マイク)が付いているようで、右側にはスピーカー(+アンプ?)らしきものも写っている。

 ジャケット写真=録音風景、とは限らないから、本当のところは不明。音に不自然さはまったくないから、最小限の音量で補助的SRとして使われたのかもしれない。

 ピアノもいい。ふくよかで、しかも鮮明。高音域の切れと透明感も抜群である。特筆すべきは、歌だ。上手い。声がいい。ジャズヴォーカリストとしても充分食えるだろう。A-2では口笛も吹いている。これはあまり上手いとは思えないけれど、ヘタウマっちゅうかなんちゅうか、独特の味わいがあってグッド。音像が異様に小さいのが面白い。

 音の良さとは別に、全体を支配する雰囲気が最高である。リラックスの極致。楽器を演奏し歌を歌うのが楽しくて楽しくて、というRedさんの気持ちがヒシヒシと伝わってきて、何だか僕は涙が出てしまいました。音楽とゆーのは、実に実にエエもんです。

 聴けば幸せになるレコードである。

’11/10/06 (木)

146g盤


 「HOME SUITE...」は、只今レコパックもどき乾燥待ち。状態はわりと良いほうに見える。これまでの再生頻度は低そうだ。埃は、中古盤の常として、多い。パックしておくに若くはなし。

 オーディオファイル向けとか、重量盤であるとか、殊更に謳ってあるわけではない盤だが、手に持ってみると一般的な盤よりも明らかに厚く硬く重い。正確にはどれほどの重量があるのかと、秤に載せると上のとおりである。

 146g。通常盤としてはかなり重いほうに入ると思う。だから音が良い、と単純には言えないけれども、軽くてペナペナ、よりは良いはずだ。精神衛生上の点でも、たいへんヨロシイ。

 明日は、試聴できる予定。

’11/10/05 (水)

95%到達


 外盤A級セレクション第3集100タイトル中90番目、全300タイトル中では285番目の入手になるレコードである。「HOME SUITE... / Red Mitchell」(スウェーデンcaprice CAP 1313)。第3集216番収録。

 個人的には非常に見つけにくかったタイトルであって、しかしある友達に言わせると「こんなもんいくらでもある」そうで、多分僕の検索がヘボなのだ。スジ違いのショップばかりを探し回っていたに違いない。とまれ、発見できてヨカッタヨカッタ。

 ドイツのレコードショップが持っていたのだが、これが困ったことに国際発送には対応していなかった。カタログに曰く「送料無料! 但し、発送はドイツ国内のみ」と。さても弱った。せっかく発見できたのに。

 国際発送に対応するショップで再度探すか。けれども次はいつ見つかるかわからない。僕は今欲しいのだ。どーしよーか。と、3秒考え買える手段をweb検索する。結果、ちょっと変則的な方法で手に入れることができた。

 このタイトルで285/300、入手率は95%に到達したわけである。残り5%15タイトル。ここからはこれまで以上に難しくなると思う。しかし、ぼんやりとではあるものの、コンプリートへのゴールが見えてきたような気は、している。

 胸突き八丁で、あります。

’11/10/04 (火)

久しぶりに「竹」


 以前、幾度か話題に具したことのあるCDである。「BAMBOO / Pierre ESTEVE」(仏Shooting Star CD-BAMBOO)。(C)(P)不詳。録音データの記述なし。リリースは、1997年か1998年だったと記憶する。

 初版は知る人ぞ知る、木と竹で作られた、どこから開ければよいのか分らん珍妙なケース入りであった。仲間内では一時、ちょっとした話題になったこともある。今となっては古いハナシだ。

 ケースの珍しさでは初版が圧倒的だが、入手は比較的容易であったらしく、一説によると今でも買えるとか買えないとか。限定盤、という噂はウソだったのか。或いは奇を衒いすぎて大量に売れ残ったか。もしかしたら不良在庫に喘いでいるのかもしれない。

 写真のほうは、少しあとにリリースされた(らしい)、プラケースバージョンである。こちらが通常盤、のはずが、実はコイツのほうが入手困難だと聞く。確かに、探してみてもなかなか見つからない。今回は、友達の依頼により海外オークションで落札したものである。

 検品を兼ねて、久しぶりに聴いてみた。いや、これは素晴らしい。CDとしては最優秀と言ってよいと思う。繊細感、透明感抜群。やや人工的だが、スピーカーを完全に無視して部屋いっぱいに拡がる音場感は圧巻である。

 旧いCDだが、一聴の価値は大いにあると思う。

’11/10/03 (月)

11年


 拙webページを公開し始めて、今日で11年が経った。ずいぶん長い時間のような、まだついこの間のような、ちょっと不思議な気持ちでいる。ただ、毎年思うのは、ご閲覧下さっている方々のおかげさまがあってこそ、ここまで続けられている、ということである。

 写真左は11年前、2000年当時の装置、右が現在2011年の状況である。11年間、基本的には何も変わらず、いささかの進歩もない。モノは大幅に増えている。その分だけ音が良くなったかと言えば、大いにアヤシイところ。ただ、僕自身の進化はなくとも装置パーツそのものの進化はあるわけで、それ分の向上はあるはず。せめてそう思いたい。

 僕はこのwebページが何かの役に立っている、などとは、まったく考えていない。オーディオを楽しむ上で、個人的に思ったこと感じたこと実行したことなどを、脈絡もなく書き連ねているだけであって、間違いなく「戯言」なのである。だからこそ、お読みいただける方々がいてくださること、得難いご縁をいただけたことに、心から感謝申し上げたいのである。本当に本当に、ありがとうございます。

 今後とも、何卒よろしくお願い申し上げる次第でございます。

’11/10/02 (日)

寒色の夕焼け


 今日は昨日にも増して寒い日で、母屋ではファンヒーターを、箱船でもエアコンを暖房に切り替えねばならなくなった。夜になって雨が降り出し、強めの北西風が冬の匂いを運んでくる。エラいこっちゃなあ。

 秋分を過ぎること10日、夕暮れは早くなり色も夏とはずいぶん違う。文字どおり「寒色」の夕焼けなのだ。南の空にあった蠍座はとっくに姿を消し、オリオン座が主役に成り代わっている。

 今年の夏は、例年以上格別に早く過ぎてしまったような気がする。何故だろうか。

’11/10/01 (土)

秋深まる


 先月28日に三重県へ出張した折は、まだ蝉の声が聞けるほどの暑さであった。29日から急に気温が下がり始め、今朝などは10℃になるかならないか。日中でも20℃前後である。例によって、夏からイキナリ晩秋になってしまいました。

 秋は爽やかで良い、というのが一般的な見方だが、僕はダメだ。このウスラ寒さがヒジョーに苦手なのである。真夏ならパンツ一丁でもOKの気楽さがあるのに、これからは重ね着せねばならない。ああもう、如何にもメンドクサく鬱陶しいのである。

 これから4月が来るまでの半年は、ツラいなあ。