箱船航海日誌 2011年09月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’11/09/30 (金)

待っているのは


 本堂裏にある栗が、今年も実をつけた。ついこの間、花を咲かせたばかりだと、思っていたのに。イガと実の色は、完全に秋色である。新鮮な栗で炊いた栗ご飯は美味しい。コブ出汁と、やや強めに塩を利かせたのが僕の好みである。

 栗の実がなるのを待っているのは僕だけではなくて、山の住人も、おそらく僕より楽しみにしているはずだ。毎度おなじみのクマと、シカ、リスたちである。

 お食事場所巡回コースに入っているのか、すでに到来の形跡がある。爪跡と折れた枝。ガワを残し中身だけくりぬいたような食べガラ。樹上にある実をクマとリスが狙い、落ちたヤツはシカとヒトが狙う。なかなかに競争率は高いのである。

 これぞ自然との共存。なのでしょうか。

’11/09/29 (木)

出るときは出る


 仏ASTREE、クープラン・クラヴサン組曲全集のうち、AS21、AS33(上の写真)を発見した。ちょうど全集の頭とお尻である。もし、両者とも入手できれば、残りはAS24と29の2枚のみになるわけだが。

 残念。AS21はタッチの差で売り切れ。33は、現状連絡待ちである。望みは五分五分といったところか。何とかなれば良いのだが。

 今回はこのほかにもAS23、26、28と、5タイトルがまとまって発見できている。非常に稀なことである。滅多に出ないのに、出るときはドッと出てくる。とても不思議だ。だからこそ、検索の手は緩められない、とも言えるわけである。

 それにしてもAS29は、出てきませんなあ。

’11/09/28 (水)

月間2,000Km


 お彼岸出張から中1日おいて、今日は三重県名張市へ日帰り出張であった。往復の走行距離はご覧のとおり。524.3Kmである。

 運転が得意の方、或いはその道のプロならば、まったく問題にならない距離だと思う。僕のバヤイは、違う。普段、イナカ道ばかり走っている者としては、1日500Km以上の運転はヒジョーに堪えるのだった。

 9月はどうしたことか出張が多くあって、月間走行距離は2,000Km以上に達している。通常の3倍近く走っているわけで、疲れが澱のように溜まっている感じ。

 長距離運転は、しばらく要らんなあ。

’11/09/27 (火)

致命的損傷


 昨日届いたレコードに発見した「いささかならずのトラブル」。上の写真にご覧のとおりである。これはもう「いささかならぬ」ものではなくて、完全に致命的な損傷である。見事、割れております。

 ショップのミスではなくて、輸送中の事故だろうと思う。ダンボールの梱包材をよく観察すると、ちょうど割れの部分にあたる位置に、何かしら尖ったものが打ちつけられたような痕が認められるのである。相当激しい打突だったようだ。残念無念。これさえなければ非常に状態の良い盤だけに、余計に惜しい。

 まあ、仕方ないのである。返品手続きも面倒だし、教材の一つとしてこのまま留め置こうと思う。ただ、買い手は僕一人ではないし、これからのこともある。ので、「このような事故があった。今後は梱包にご留意願いたい」とだけ、ショップへは報告しておいた。

 割れが最外周部分だったのは、不幸中の幸い、とも言える。A-1、B-1さえ再生しなければ、あとの曲はちゃんと聴けるからだ。けれども、最も好きな曲がA-1だから、ヤッパリ惜しいかな。

 再発見できる機会があれば、買い直しましょう。

’11/09/26 (月)

疲れ×2


 25、26日は、恒例のお彼岸出張であった。毎年のことで、特にムツカシイことをやるわけではない。しかし、今年は何だかヒジョーにくたびれました。たぶんこれは、歳の所為だろうと思う。遺憾なあ。

 夜、帰り着いたらレコードが1枚届いていた。ちょっと元気が出る。喜んで開けてみたら、いささかならずのトラブル発見。またドッと疲れる。

 詳しくは、また後日。

’11/09/25 (日)

シルバーの輝き


 「J.S.Bach / Inventionen & Sinfonien / Kenneth Gilbert」(独ARCHIV 415 112-1)を聴く。

 結論から言えば、とても良いレコードであった。ただ、兄弟盤でありA級盤の「Kleine Praluden」(同 419 426-1)に厳しく比較すると、わずかに劣る感は否めない。

 「Klein Praluden」の長岡先生評には「このサウンドはシャンペンゴールドのように輝かしく、しかし、それを照らしているのが蛍光灯ではなく、ランプだという感じだ」とある。それに倣って言えば「シルバーの輝きを蛍光灯が照らしている」ような印象である。少しばかり線が細く、やや神経質な感じ。

 と言うとずいぶん劣っているように聞こえるけれども、これはこれでいい音だと、僕は思う。歪み感は皆無だし透明感もあり、何よりも鮮明であるのは素晴らしい。この点は両者に共通する良さである。

 もし、僕の推測どおり「Inventionen & Sinfonien」のほうが先に録音されていたとしたら、この結果を踏まえたうえで細部を改善し、「Klein Praluden」の音が実現された、とも言えるのではないか。そういった意味で、僕にとってはたいへん興味深い、録音の妙を感じさせる貴重なレコードとなった。

 演奏は神業の如くで、文句のあろうはずはない。

’11/09/24 (土)

台風一過


 今年は自然災害の多い年になってしまった。当地も22日まではひどい天候で、土地の低いところでは少なからず水の被害があったと聞く。ただ、東海〜関東方面で吹き荒れたような猛烈な風はほとんどなかった。皆さん、ご無事でしたでしょうか。

 23日はご覧のとおり、たいへん良いお天気であった。台風一過秋の空。気温は23℃、半袖では肌寒く感じる。台風前まではまだ聞けた蝉の声もすっかり途絶え、いよいよ秋の色が濃くなってきたようだ。村は秋の静けさに包まれている。

 庭で、繁殖行動に励むオニヤンマ♂♀を見た。このヤンマが卵から成虫になるまでには5年かかる、と日誌に書いたのは、ちょうど5年前の2006年9月24日である。今日見た二匹は、あの時のオニヤンマの子供たちであるかもしれない。何だかちょっとうれしくなってしまった。

 暑さ寒さも彼岸まで。間もなく、ヤンマもコオロギもいなくなる。寂しいなあ。

’11/09/23 (金)

兄弟盤


 録音ロケーション同一、録音日時違いのクラヴサンLP、と言えば、この2タイトルもそうである。左は「J.S.Bach / Kleine Praluden / Kenneth Gilbert」(独ARCHIV 419 426-1)。右が「J.S.Bach / Inventionen & Sinfonien / Kenneth Gilbert」(同 415 112-1)。前者は外盤A級セレクション入り(第3集203番)しているレコードでもある。

 最初から兄弟盤であることを知って買ったのではない。まず、A級盤探しで左を買い、他を検索しているうち、右を発見。うっかりすると見間違えそうなくらい似たジャケットデザインに、これはきっとシリーズものに違いないと、勝手に決め付けて買ってしまった、というわけである。

 結果的に、スケベ心丸出しドシロウトの下卑た予想は当ったわけで、両者は演奏者、楽器、録音場所、録音技師、すべて同一である。日時については、実ははっきりしないところもある。左は1984年4月録音、(P)1986のクレジットあり。右は1984年録音、(P)1985となっていて、月の記述がないのである。

 (P)表示とレコードナンバーからすると、先に右、そのあと左の順でリリースされたと推測される。右の録音は1984年1月以降同年3月以前、と考えるのが自然か。

 「Kleine Praluden」のほうは、さすがA級盤入りするだけのことはあって、実に素晴らしい録音である。最初の第一音が出た瞬間、部屋の空気がいきなりゴージャスに輝き始めるような、何とも高貴で華麗な音だ。曲はもちろん、演奏も最高である。

 と、いうようなものに先立ってリリースされた(と思われる)「Inventionen & Sinfonien」は、どんな様子だろうか。

 音も大当りなら、うれしいのだケレドモ。

’11/09/22 (木)

厚く豊かに輝かしく


 仏ASTREE AS22を聴く。

 何も言うことはございません。たいへん良い音である。厚く豊かで、しかも輝かしく艶があり、力強いクラヴサンだ。如何にもASTREEサウンド。実に魅力的である。

 奏者ブランディーヌ・ヴェルレが弾いているのは、リヨンのクラヴサン製作家であるピエール・ドンゼラーグ(1668〜1747)により、1716年に製作されたものである。録音は1980年1月、そのクラブサンを所蔵するリヨン装飾美術館の一室である。

 シリーズ中には楽器と場所は同一で、録音時期だけが違うタイトルがある。僕の手持ちではAS23、27、30が、それにあたる。AS30(1980年5月録音)はつい最近聴いたばかり。こんなに厚く脂っこい音だったかと、もう一度聴いてみる。

 ずいぶんと音が違うのである。AS30はかなりシャープで、切れが良く極めて鮮明である。ASTREEらしい厚みは保ちつつ、AS22の音からするとやや脂抜きしたような印象だ。もちろんこれはこれでとても良い音で、僕としては文句なし。

 何かしらわずかな条件の違いが、音を変えているのだろう。或いは、意図してそうしているのかもしれない。ことほど左様に、録音とは繊細微妙な作業なのである。いずれにしても、魅力的な音であることに変わりはないのだ。

 AS23、27も、改めて聴いてみよう。

’11/09/21 (水)

AS22


 A級盤探索と平行して、仏ASTREEレーベル、クープランのクラヴサン組曲集全13枚探しも続けている。これまでに揃ったのは8枚、今日、9枚目が在英のショップから届いた。

 第二組曲が収められた、カタログナンバーAS22である。ASTREEの、しかも人気の高いこのシリーズとしては安価で、約2,500円だった。

 安かったのはたぶん、ジャケット状態に因があるのだろう。ASTREE独特の重厚なゲートフォールド(二つ折り)ジャケットが、経年の所為かすっかり押し潰されてぺっちゃんこ、ヘナヘナである。フチとカドは擦れてハゲハゲ、ついでにレコード出し入れ口は破れかけ。紙質が厚くしっかりした造りのジャケットも、年季が入るとこうなるわけだ。

 そのわりに盤はきれいで、並の上、くらいの感じである。先日話題にしたERATOのセットもそうだったように、海外中古盤には「ガワはぼろぼろ中身きれい」というパターンが多いように思う。もちろん例外もあるわけだが。レコードを扱う上での価値観が、日本人とは基本的に違うのかもしれない。

 全集コンプリートまであと4枚。AS21、24、29、33が未入手である。いずれも容易には見つからない。特にAS29(A級盤でもある)は非常に困難だし、仮にあっても高価である。

 しかし例によって、僕は諦めない。

’11/09/20 (火)

銘柄変更


 レコパックもどき製造に必要欠くべからざるところの、PVA洗濯糊が切れてしまった。さっそくいつものホームセンターへ買いに行ったらば、これまで使っていた株式会社永久糊謹製「永久ノール」が見当たらない。

 代わりにあったのが上の写真。(株)大阪糊本舗謹製「ハイ・クリーチ」という銘柄である。750ml、120円。永久ノールよりわずかに安い。主成分は永久ノールと同様、PVAである。したがって、メーカー銘柄が違っていても実際の使用には問題ない、だろうと思う、のだが。

 先日、レコパックもどき開発者である友達から「洗濯糊の銘柄によっては、PVA濃度に差異がある」という報告があった。ヒジョーに気になる情報である。最近になって銘柄の違う糊を使ったところ、従来のものよりもPVA濃度が高く、いつもの手順で製造すると粘度がずいぶんと上がったそうだ。

 永久ノールにもハイ・クリーチにも、明確な濃度表示はない。よって、どちらがどうなのかさっぱりワカリマセン。見た目の粘りグワイからすると、おおかた同じようなもの、とも思える。仮令少なからず差があったとしても、CMC-Naの割合を調整すれば対応できるだろう。イノチにかかわるようなオオゴトでもなし、まずは実際に作ってみること、だ。

 永久ノール、通販で買えるけれども、さすがにそこまでは。

’11/09/19 (月)

普段が普段だけに


 「J.S.BACH / LES DOUZE CONCERTOS POUR CLAVECINS ET ORCHESTRE」(仏ERATO STU 70445〜8)を聴く。

 クリーニングした盤は、ノイズが少なく快適である。ただ、ちょっとソリと偏芯が多めで、スピーカーコーンの振れが大きくなる。拙環境での通常再生には、まったく支障はない。

 オケはたいへん鮮明で、響きが美しく繊細で透明感が高い。歪み感皆無で荒れがなく、明るく切れ込む弦の音は、かなり優秀である。耳障りな音はまったく出ない。贅沢を言えば、ほんのわずか厚みが足りない感じもあるけれども、これは好みの範囲ではないかと思う。

 クラヴサンも繊細微妙である。ただ、オケとの音量差は如何ともし難く、音の良し悪しとは別に、影の薄さを感じてしまう。クラブサンの生音量は、極めて小さいのである。定位は明確で音像も実物大。自然であればこその、儚いほどの頼りなさ。これがリアルな録音なのだろうと思う。

 普段、特に脂っこく味の濃いクラヴサン独奏ばかり聴いているものだから、余計に儚い音に感じるのだ。いつでもどこでもこんな音で聴けると思ったら大間違い。このレコードは「クラヴサン協奏曲」なのである。

 たまたま入手できたレコードだが、僕は大喜び。

’11/09/18 (日)

予備知識皆無


 図らずも「DIE KUNST DER FUGE」とセットで買えてしまった「J.S.BACH / LES DOUZE CONCERTOS POUR CLAVECINS ET ORCHESTRE」(仏ERATO STU 70445〜8)である。こちらもなかなかの名盤と仄聞する。クラヴサンはロベール・ヴェイロン・ラクロワ、オケはパイヤール室内オーケストラと、超一流である。

 箱はずいぶんと使い込まれているように見えて、盤には再生した形跡がほとんど認められない。埃さえなければ、充分新盤で通りそうなくらいだ。何だか不思議な感じである。どのような来歴なのか、ちょっと興味の湧くところ。

 このタイトルに関する僕の予備知識は、皆無である。恥ずかしながら、何にも知りません。録音データの記載がどこにもなく、(P)(C)も分らない。ある国内ショップの紹介記事には「1970年代録音、プレスが非常に少ないレア盤である」とあった。

 試聴が楽しみである。

’11/09/17 (土)

歳を経て


 ガワはいささか古びていても、中身は至ってきれいなSTU 71121である。添えられている解説書には、シワがほとんどない。前オーナーさん、あまり読んでないのかしら。僕は、もちろん読めないケド。

 解説読めなくても、ちゃんと聴けるし楽しめるから、音楽とは素晴らしいものだと思う。レコパックを終え、試聴した。

 いやあ、本当にいいレコードです、これ。何とも温かく、繊細で、ハーモニーが美しく、響きが麗しい。聴いていると胸の奥がほんのりと暖かくなってくるような、一種独特の優しさがある。個人的には、ジャケット写真から受けるイメージそのまま、と感じた。

 もし、A級盤を集め始めた頃(23年前)に聴いたとしたら、これほどの感激はなかったのではないかと思う。当時の装置では良さを引き出せなかっただろうから、か。いや、どうもそういうことではないような気がする。

 ある程度歳食ってから聴いて初めて、この良さが心に染みる、そういうレコードなのだろう。その意味では、長く探し続け、50歳となった今に聴けたことを、僕は大いに喜ぶのである。

 斯かるご縁を結んでくださった長岡先生には、心から感謝したい。

’11/09/16 (金)

箱番号


 「DIE KUNST DER FUGE」、さあレコパックもどきでクリーニングだと、箱から盤を取り出しセンターレーベルを見て「アレ?」と思う。

 レコード番号が連番になっているのは2枚組だから当然だが、STU 71122とSTU 71123、になっている。これはおかしいのである。このタイトルは「STU 71121」のはずで、連番になるならば71121と71122であるべきなのだ。

 えらいこっちゃ。ジャケット同一にして内容違いを買ってしまった。かと、一瞬慌てた。よく調べてみて、僕は「ナルホドなあ」と感心してしまいました。

 上の写真は裏表紙クレジットの一部である。見づらくて申しわけない。いちばん上の行に「COFFRET 71121」とあり、2行目には「Premier Disque STU 71122」、最下行には「Deuxieme Disque STU 71123」とある。

 「COFFRET」は、直訳すると「小箱」の意。意味そのままに受け取れば、STU 71121はレコードが収められている「箱」の番号である。つまりこのタイトルは、「STU 71121番の箱に、STU 71122番とSTU 71123番のレコード盤が収められていて、レーベルとしてのカタログナンバーはSTU 71121」っちゅうことに、なるわけだ。

 そうしてみると、「STU 71121」なるレコード盤は存在しないのである。ちょっと珍しい例ではないかと思うが、ERATOにはよくあるのかな。実物を手にして、初めて知ることは多い。

 これもまた、楽しみの一つなのである。

’11/09/15 (木)

杞憂


 2セット6枚で926円という、常軌を逸したような安さに却って不安になってしまったレコードが今日、オランダから届いた。最短記録には及ばないまでも、非常に速い到着である。

 心配は、杞憂であった。内容に間違いはなく、正しく4枚組と2枚組のセットである。ジャケット(今回のバヤイ両者ともボックス)は、角や稜線が擦れてハゲて、やや古びているけれど、盤は6枚ともたいへんきれいであった。但し、レコパックもどきは必須。

 僕はとても喜んでいる。安く買えたのは確かにありがたい。しかしそれ以上に、ERATOのパイヤール版「DIE KUNST DER FUGE」を聴けるのが、うれしくて仕方ないのである。探しても探しても見つからなかったレコードが、やっと聴けるのだ。

 ヤッパリ、諦めては遺憾のだなあ。

’11/09/14 (水)

残念でした


 「DON DORSEY / BACH BUSTERS」(米TELARC DG-10123)を聴いた。

 盤は全体的に細かな傷が多めで、音にはっきりと出る傷も2ヵ所ある。オークション出品者の盤質自己評価「Mint-」は、いささか甘いと思う。「G-」くらいでちょうど好い加減ではないか。尤も、盤質評価がアテにならないのは常のことで、イチイチ怒ったり悲しんだりしてはイケナイのだ。それがイヤなら中古盤買うな、っちゅうお話である。

 肝心の音、だが、TELARCのADとしては、イマイチであった。CDと同様、レンジは広く馬力もあるが、もう一息音に伸びがない。抜けが悪い、と言ったほうが良いか。高域に少なからず歪みが感じられ、これが伸びと抜けを阻害しているような印象である。

 総合的にはCDのほうが気持ち良く聴けて、ちょっと残念なAD、ということに、なってしまったのである。まあ、こーゆーこともあるわけで。「AD『だから』良い」というほど、コトは単純ではないのだ。

 但し、同タイトルのAD版すべてがこのような音であるのかどうか、それは何とも言えない。12日にも書いたように、何となく不穏な感じのする版なのだ、このレコードは。

 アヤシくない版って、あるのかな。

’11/09/13 (火)

簡単か難しいか


 レコパックもどき製造を話題にすると、いつも似たような写真になってしまう。イマジネイションのヒンコンである。どうかご容赦願いたいのである。

 いよいよ底をつこうとしてしまったから、慌てて増産する。今回はヒジョーに手際良く進み、あっという間に1.2リットルが出来あがった。前回からのインターバルが比較的短かったことに加え、工作名人である友達から贈られたカップクランパーが、大いに威力を発揮したのである。確実な固定は、極めて重要です。

 先日遊びに来てくれた友達がレコパックもどきを見て、「これって簡単にできるの」と言った。この答えはなかなかビミョーである。

 知識浅薄な僕のような者でも作れるわけだから、技術的に難しいところはないと思う。ただ、一から始めるとなると、ある程度道具を揃え、材料調達し、作業のコツを掴み、と、それなりの手間はかかる。この部分を「メンドクサイ」と感じるか「面白い」と感じるか、それが「難しい」か「簡単」かの分かれ道のような気がするのである。

 ある友達に、製造方法をレクチャーした時のこと。聞き終わって一言。

 「全然簡単じゃないじゃないか」
 「製造プロセスを楽しむのも趣味だよ」
 「俺にそんな趣味はない」

 こーゆー御仁も、いるわけで。

’11/09/12 (月)

白TELARC


 「BACH BUSTERS」のセンターレーベルである。米TELARCのレコードは大概赤か、稀に金色のセンターレーベルである。白でイラスト入り、というタイプは初めて見た。このタイトルは、すべて同じディザインなのだろうか。無根拠だが、そうでもないような気もする。

 「MADE IN USA」の表記とともに、ランアウトグルーブには「dmm by europadisc n.y.」という刻印があり、米プレスなんだか欧プレスなんだかよくわからない。「SR」(スタン・リッカー)、「RD」(リチャード・ドナルドソン)、「BL」(ブルース・リーク)のサインもない。(P)(C)1985、しかもDMMならそれが当然なのかな。

 何だかアヤシイ感じ。

’11/09/11 (日)

最長記録


 海外通販に到着最短記録があれば、その逆、最長記録もあるのだった。

 写真のレコードをオークションで落札したと、話題にしたのは先月2日である。発送完了の知らせがあったのは、翌日の8月3日。これまでの常として2週間程度、遅くとも20日以内には着くだろう。と、思っていたら。

 待てど暮せど届かない。9月になっても届かない。オークション運営者からは「あなたは未だ売り手を評価していません。もし、何らかの問題が発生しているのならば、買い手保護システムを通して連絡するように」なンていうメッセージが来るし。

 こりゃもう行方不明になっちゃったかな、そろそろ然るべき次の行動へ出ようか。などと身構えたところに今日、到着した。所要日数38日。一夏待った感じだ。めでたく最長記録樹立である。

 今月に入ってからはさすがに気を揉んだけれども、輸送の不グワイに起因する破損や傷はないし、結果的にちゃんと届いたわけだから、これでいいのだ。長い旅をしてくる荷物である。こーゆーこともあるだろう。まあ、ヨカッタヨカッタ。

 只今レコパック中。試聴がとても楽しみである。

’11/09/10 (土)

再発見、したけれど


 先月29日に載せたレコードを、再発見した。今度は間違いなく「STU71121」である。写真もちゃんと付いている。上の画像はそこからひっぱってきたものである。「J.S.BACH」表記の部分に、シールのようなものが貼ってある。

 すでに注文を確定させ、発送も完了している。あとは到着を待つだけ。なのだが、実はいささかならず不安があるのだった。

 異様に安いのである。2枚組であるこのタイトルに加え、STU70445〜8(バッハのクラブサン協奏曲集)4枚組がセットで、12USDなのだ。都合枚数6で約950円。1枚あたり158円の勘定だ。

 決してお買い得自慢のつもりはなく、僕は真実本当に、心配なのである。だいじょーぶだろうか。ちゃんとしてるのかな。両タイトルとも、日本国内での相場はそれなりに高価らしいし、何だか化かされているような気がする。

 この不安、到着開梱するまで、消えないだろうなあ。

’11/09/09 (金)

秋めく


 大迷惑なノロノロ台風が通り過ぎて行ったあとは、空気が入れ替わったかの如く一気に秋めいてしまった。朝の気温は15℃前後、日中は30℃くらいまで上がるものの湿度は低く、真夏の暑さとはまったく異質である。僕は、太平洋高気圧の纏わりつくような暑さが、好きなンだけどなあ。

 近所のたんぼはすっかり黄金色、刈り取りを待つばかりである。ムカシ(僕が子供の頃)に比べ、稲刈りがひとつき以上は早くなっているような気がする。何故だろう。やはり、少しでも台風被害を避けるため、かな。

 シカが裏庭にやってくる頻度も上がってきた。秋なのだ。

’11/09/08 (木)

いつまでもあると思うな


 5月に3リットル近く作り、たくさんあるからと調子に乗ってどんどん使っていたら、知らぬ間に残量200cc程度になってしまった。いつまでもあると思うなレコパック。

 ボトルにして約6本、これがオリジナルレコパックだったら経費10,800円となって、馬鹿にならない額である。それがレコパックもどきなら3,000円にもならない。ヘビーユーザーの僕には、如何にもありがたいのである。尤も、オリジナルレコパックはもう買えないわけだが。

 全量使い切ってしまう前に、次を作っておかねばならない。材料の備蓄は充分すぎるほどある。工作名人である友達の厚意で、従来よりも使い易いタイプのCMC-Naも贈ってもらっているし、今度はそれを使ってみたいと考えている。

 レコパックもどき作りは、楽しいのだ。

’11/09/07 (水)

大きく伸びました


 この前の日曜日、友達が遊びに来てくれた。箱船ができる前からの、旧い付き合いである。もちろん、オーディオファンだ。

 彼のリクエストにより、オーディオテクニカAT-OC9/IIIをメインに据え、主にADを聴いた。しばらく休ませていたこともあり、鳴らし始めはやや寝ボケた音であったけれども、試聴が進むにつれ目が覚めてくる。最近同カートリッジを買ったという友達も、大いに満足してくれたようであった。やはりこのモデルは、非常に優秀である。

 しかし、本領を発揮したのは友達が帰ったあとだった。3回目のレコパックを終えた「陽気なヨーロッパ」を聴いてビックリ仰天。素晴らしい音である。音の陰影、力感、分解能、情報量、切れ、深み、その他諸々、申し分なし。

 買ってすぐの使い始めから、イキナリ良い音が出てしまったOC9/IIIだけれども、今に至ってさらに器が大きくなったような鳴り方をする。昨年7月の日誌で「この先伸び代がどこまであるのか」と書いた。考えていた以上に、伸び代は大きかったようだ。

 再生装置の主役を張ってなお、余りある実力だと思う。

’11/09/06 (火)

汚れにも年季が


 「陽気なヨーロッパ」、現在3回目のレコパックもどき完了。写真はその乾燥膜を剥しているところである。僕はこの感触が大好きで、レコパックを専ら愛用する理由の一つにもなっている。僕だけかと思ったら、もどき開発者である友達も同様だと言うし、彼の周辺にも同じような人がいると聞いた。カサブタ剥す快感と似ているのかしらん。

 そんなことはどーでもよろしい。3回目のパックを終わって試聴すると、ずいぶんと静かになっている。SNが良くなった分、透明感が増し聴感上のDレンジが広くなる。やればやっただけの効果はあるのだ。ジャケットと同様、盤にくっついた汚れにも年季が入っているらしい。

 調子に乗って只今4回目実施中。やはり5回目までは行きそうだ。

’11/09/05 (月)

100点満点


 先月31日、最短記録で届いた「GUY MORANCON / MUSIQUE PROVENCALE D'ORGUE」(仏Elyon EL35016)を聴いた。

 A級盤にセレクトされているわけだから当然、だが、これはまた良いレコードである。何が良いのか。僕が下手クソな文章でクドクド述べるよりも、長岡先生の紹介記事をお読みいただくのが最もヨロシイ。評価そのままの音なのである。

 けれども、ヘボを承知で少しく書いてみると。

 全編オルガンの独奏である。しかし、まったく飽きない。色彩感が尋常ではないのだ。オルガンというもの、これほど多彩な音を出せるとは、恥ずかしながら初めて知った。しかも音の混濁が皆無で、素晴らしく清澄、素晴らしく透明である。響きがきれいで音場感抜群。こんなオルガンは滅多に聴けない。

 楽曲の良さも際立っている。春の若草の匂いが香ってくるような、どこか懐かしく明るい曲が並ぶ。。これはやはり、プロヴァンス地方の風土が関係しているのだろうか。両面聴き終わって、またすぐに聴きたくなるような、一種独特の魅力あるレコードだ。

 惜しむらくは、B面最終曲の終り直前5秒間程度、深い傷による大きなノイズが出ること。中古盤だから仕方ないのである。あと数mm、傷が内周側へ寄っていればなあ。

 それでもこのレコード、減点なしの100点満点。

’11/09/04 (日)

メッセージ


 友達の依頼により、2枚目の「Concert imaginaire」(仏INA-GRM INA C 1000)を入手した。長岡先生が紹介された当時(1990年頃)、国内では買えるショップが限られていて、買い逃した人は意外に多いのである。

 フランスのショップからの購入。開封してみるとご覧の通り、保護紙に「arigato」と手書きしてある。7月にアメリカから買ったレコードにも、同様のメッセージが添えられていた。やっぱり、うれしいのである。

 事務的に支払いを済ませ、事務的に発送してもらい、無事届けばオールグリーン。取引としては何ら問題ないわけだ。しかしそこに、短くても心遣いのメッセージがあれば、「問題ない取引」が「血の通った取引」になる。

 Merci beaucoup.

’11/09/03 (土)

実在感極大


 STU 71098を聴く。

 さすが本命、いい音である。EFM 18047よりもいい。たいへん鮮明で、何よりも音に力がある。決してHISPAVOX盤、或いはEFMが薄味で影が薄いわけではないのだけれども、それらを上回る陰影の深さを感じるのである。実在感極大。リアルである。

 ただ、盤質も良し、とは言えない。致命的な傷はなかったものの、これまでに入手した盤に比較すると、明らかにノイズが多い。全てが傷に起因するものかどうか、レコパック1回では判断できないところもあるから、例によってシツコクやってみるのである。少なくとも5回くらいは必要かもしれない。

 いずれにしても、良いレコードが手に入って、僕は大喜びである。なにしろ「STU 71098」である。これで僕が知る限りの同内容版違いが、すべて揃ったことになるわけだ。あとはA級盤300タイトルコンプリート、だが。

 こちらはまだまだ時間がかかるだろう。

’11/09/02 (金)

71098と18047


 STU 71098(左)とEFM 18047(右)の、センターレーベルである。上半分はほとんど同じ、下半分は曲名表示だが書式が違っている。左はセンターホールギリギリまでレーベルがかかっているが、右はホール周囲が切り抜かれたようになっているのも、異なる点である。

 ERATOをよく研究していらっしゃる方ならば、この差異がどういった意味を持つのか、一目瞭然なのだろうと思う。残念ながら僕には「違う」ことしかわかりません。機会があれば教えを乞いたいくらいである。

 盤の厚さ、断面形状、硬さ、重さなども異なっている。左のほうがやや厚くフラットで、硬く重い。明らかにプレスが違うようだ。これらが再生音にどんな影響があるのか。予想としては左のほうが良さそうに思われる、のだが、盤質にも左右されるから何とも言えない。まずは聴いてみることである。

 ところで右のレコード番号。ジャケットには「EFM 18047」と表記され、センターレーベルには「STU 18047」とある。今、気がついた。どうもよーわからん。どちらが正しいのかな。一般的には「EFM」で通っているようだ。

 試聴は明日に。

’11/09/01 (木)

本命盤


 9月である。ああ、とうとう夏が終わってしまった。台風はやってくるし、それが通りすぎればきっと一気に秋めくのだ。悲しい悲しい。

 夏が行ってしまうのは寂しいけれども、レコード探索のほうは、ヒジョーにうれしいことがあった。「L'EUROPE JOYEUSE (陽気なヨーロッパ)」(仏ERATO STU 71098)が、ついに入手叶ったのである。

 内容についてはHISPAVOX盤、ERATO Fiori Musicali盤、さらにはMelodya盤で確認済み。しかしやはり「本命盤」が聴けるのは、また格別の感慨がある。夢にまで見たジャケット。抱いて寝たいくらいだ。

 かなり年季の入った感じの個体である。ジャケットはくたびれ気味で、ゲートフォールドのわりにヘナヘナしている。盤の状態は、並の下くらい。何となく、致命的な傷が入っていそうな気配もあるが、確かなところはレコパック後に再生してみないとわからない。と、ゆーよーなものであっても、僕は大満足なのである。

 かかる状態の所為か、このタイトルとしては極めてリーズナブルな値で買えた。バカ安、と言ってもよいと思う。尤も、レコードなどというものは、損得勘定で買うものではないわけで、自分が欲しくて納得していれば、価格なんぞナンボでもよいのである。

 抱かないけれども、今夜は枕許に置いて寝よう。