箱船航海日誌 2011年07月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’11/07/31 (日)

勝負あり


 レコパックを終わった「MUSIQUES ANCIENNES D'EUROPE」の盤面は、たいへん美しいものであった。おそらく、再生にはまったく問題ないだろう。新盤同様である。

 試聴する前に、一点新たに気づいたことがある。一昨日の写真、裏表紙左上の隅に、エンボス文字印が押してあったのだ。光に翳して判読できた内容は下記の如く。

 「VENTE INTERDITE ECHANTILLON GRATUIT」

 僕にはどう読む(発音する)のかも、意味もまったくワカリマセン。翻訳サイトにかけて直訳すると「販売禁じられた無料サンプル」と出た。

 そうだったのか。この盤は、サンプル盤だったのだ。ショップの商品情報に、その記述はまったくなかった。と言って、特に文句はない。ひょっとしたら、本番製品よりも音質的には有利であるかもしれないのだ。

 だからどうかはわからないけれども、この盤の音は、最高である。露MELODIA盤はもちろん、オリジナルであるHISPAVOX盤をも上回る音の良さだ。聴感上のレンジが非常に広く、繊細感がずば抜けている。明るく鮮明なだけでなく、瑞々しく深い艶がすばらしい。

 情報量もたいへん多く、上記2レーベル盤では聴き取れなかった細かな音も再生され、よりリアルな高解像度サウンドである。ただ、この点は盤質の良さにも因があると思う。スクラッチノイズが少ない、と言うよりも、ほとんど無音なのである。新盤も含め、これほど静かなレコードは極めて稀だ。

 勝負あった感じ。さすが仏ERATO、役者が違う。盤とプレスだけでこれほど音が違うのか、或いはERATO独自にリマスタリングしているのか、そーゆーことはまったくワカラン。一介のエンドユーザーとしては、音の良い盤が聴けたことを素直に喜ぶばかりである。

 ますますレギュラー盤「L'EUROPE JOYEUSE」を、聴きたくなってしまった。

’11/07/30 (土)

浅からぬ関係


 EFM18047の盤を検分する。状態は、極めて良し。埃は多めに付いているものの、ほとんど無傷である。センターホール周りの探り傷も目立たない。ジャケットは少々くたびれているけれども、盤はほぼ新盤と言ってよいと思う。

 ランアウトグルーブに刻印されたマトリクスナンバーを見る。「206 ERA 71098 L PL 5420 1Y 380 CIDIS DU 1」とある。「71098」は「L'EUROPE JOYEUSE」のレコードナンバー(STU71098)と合致しているが、数字を打ち消すように楕円形のマークが刻まれている。上の写真はその部分を拡大したものである。

 これが何を意味するのか、僕にはわからない。レギュラー盤との関係は、決して浅からぬものであろうと、想像できるのみである。同じプレスなのか、そうでないのか。こればかりは実際にレギュラー盤と比較せずして語れない。ただ、フランスプレスであることだけは、間違いないようだ。

 レコパック完了次第、試聴する。

’11/07/29 (金)

EFM18047 到着


 「L'EUROPE JOYEUSE」(陽気なヨーロッパ)の廉価盤、「MUSIQUES ANCIENNES D'EUROPE」(仏ERATO EFM18047)が届いた。ジャケット表は先日も掲げたから、今日は公開されることの少ない裏面をご覧に入れる。

 上半分にタイトルと曲目、下半分はFiori Musicaliシリーズのカタログになっている。ヴィヴァルディ、パッヘルベル、アルビノーニ、M・A・シャルパンティエ、フォーレ、ランパル、ギョーム・ド・マショーなどの作品が並んでいて、やはりバロック音楽中心になっているようだ。

 統一されたジャケットデザインとレイアウト、裏面のカタログなど、如何にも廉価盤シリーズらしい。ただ、ちゃんとゲートフォールド(二ツ折)ジャケットになっていて、チープな印象はない。この辺りは、フランス古参レーベルの矜持のようなものを感じる。

 さて、肝心の盤は。

’11/07/28 (木)

H/S比


 最近、話題がソフト(ほとんどAD、しかもA級盤)に偏っている。ハードのほうはどうなっているのか。

 実は、どうにもなっていないのである。どうにもなっていないから、話題にもできないと、まあ、こーゆーわけであります。主要機器のほとんどが、使用10年を超えている。アンプ系だけを見ても、C-280V 20年、P-700 14年、B-2302 17年。まだまだ新しいと思っているC-AX10ですら、10年である。

 昔は、使い始めて3〜4年もすれば新しい装置に買い換えたくて仕方がなかったものが、近頃あまりそのようには思わなくなった。何故だろうか。

 第1に、オーディオ機器が非常に高価になってしまったこと。上記アンプ系をグレードアップするには、いずれも1台あたり100万円、或いはそれ以上の投資が必要になる。現実的に考えて、絶対不可能である。

 第2に、現状の音がとても好きだから。ある程度のレベルに達しているとか、これでアガリ(双六ではないのだ)だとか、そーゆー不遜な考えはまったくない。あくまでも、僕が聴いて「快」と感じる音であるだけのこと。だが、それは極めて重要なのだ。

 第3に、ハードへの投資に比べてソフトを疎かにしてきたことへの反省がある。装置だけでなく、部屋もハードの一つと考えたとき、ソフトが弱いのは明白である。長岡先生はご生前中、ことある毎にソフトの重要性を説いていらっしゃった。

 「装置はローコストでも、ソフトが充実している人の音は豊かである。逆に、豪華な装置に乏しいソフトという場合、概してそのサウンドはプアである」

 必ずしもこのとおりではないだろう。けれども、我が身を顧みて思うのである。分不相応とも言える豪華な再生装置のわりには、ソフトが貧弱であると。

 今がソフト偏重なのではなく、これまでがハードに偏っていたのだと、思う。

’11/07/27 (水)

由緒正しき名盤


 外盤A級セレクション第3集215番「J. S. BACH / SUITES POUR VIOLONCELLE 3 ET 4, BWV 1009 ET 1010 / Andre NAVARRA」(仏CALLIOPE CAL1642)。

 このタイトルを、僕は何度も発見しながら、そのたび取り逃してきた。あるときはショップで、またあるときはオークションで。何故か。

 自分が考える以上に、このレコードは高価なのである。つまり、甘く見ていたわけだ。web上で見かける頻度は比較的高く、入手はさほど難しくないように思える、それが落とし穴。

 どうやっても射止めようと思うなら、ある程度は思い切らねばならんレコードだと、本当に気付いたのは最近のことである。名曲、名演奏、名録音。三拍子も四拍子も揃った、由緒正しき名盤なのである。聡明なマニアの間では常識なのだろう。モノを知らんということは、実に恥ずかしいことである。

 今回、ようやく入手することができた。やはり、安価とは言えない。けれども、相場を逸脱した高値でもなく、まあまあというところであった。ショップの盤評価は以下の如く。「 Vinyl Condition: Near Mint. Nice and glossy and clean, no hairlines etc. a very nice copy. 」 真実このとおりであれば、高い買い物ではないと、思う。

 50USD(約4,000円)を超えると、高価と感じる僕の感覚は、正常か異常か。

’11/07/26 (火)

AS25


 仏ASTREEレーベルのクープラン・クラヴサン曲全集(AS21〜AS33)のうち、未入手タイトルが1枚買えた。第6・第11・第12組曲が収録された、カタログナンバーAS25である。

 1978年4月、オルヌ県アブロヴィル教会で録音。使用楽器は、17世紀末のD.F.製クラヴサンによる、デレク・ポルトゥス製。と、知ったように書いているけれど、ジャケットクレジットを直訳したに過ぎない。録音データはともかく、楽器についての詳細は、僕にはまったくワカリマセン。

 2月に買ったAS31、32と同様、イギリスプレス盤であった。状態はやや悪、細かな傷が多い。その所為もあってか、かなり安かった。個人的には、まったく問題なし。大いに喜んでいる。

 録音は、素晴らしい。切れと厚みが両立した、とても良い音だ。曲間には小鳥のさえずりが盛大に入る。音像は大きめだが、きれいな余韻と濃密なエコーが独特の雰囲気をカモシ出している。超優秀、とは言えない部分はあるが、実にASTREEらしい良いレコードだ。

 ちょっと残念なのは、B面の一部で左chの音が一瞬(10秒間程度?)大幅にレベルダウンすること。完全に消えるわけではなく、しかし音像は急に右へ寄る。装置側の不グワイかと肝を冷やし、もう一度再生。盤に起因することを確認した。録音時のトラブルか、製盤の問題かは、わからない。

 これで、全集13枚のうち7枚まで進んだ。残りはAS21、22、24、26、29、33の6枚である。半分は超えたけれども、コンプリートにはまだ遠い。

 楽しみながら、1枚ずつ。

’11/07/25 (月)

僕はカエル


 24日早朝からは、恒例境内草刈りであった。今年も50名以上のお手伝いをいただき、境内は剃り上げたボーズ頭のようにきれいになった。毎年のことながら、誠に以っておかげさまである。お暑い中、ありがとうございました。

 作業が済んで後片付けしていると、箱船の外壁カドに、ぺったんこになって蹲っているトノサマガエルを発見した。なかなか立派な奴である。たぶん、♂。ナンデこんなところにいるンだ。

 おそらく、箱船北側の小さな水路にいたところを、草刈作業で叩き出されてヒナンしてきたのだろう。ちょっと気の毒。初めてのことだから、いささか驚いた。

 ちっとも珍しくないカエル、のようで、実は昨今数を激減させているのだ。とりわけ、水田や小川、湿地が少なくなった都市部では、ほとんど見られない。庭先でこ奴を見られるなんて、今やゼイタクと言える、かな。

 ずいぶん長いこと蹲っていたけれども、夕方にはいなくなっていた。「僕はカエル」と言って水路へ戻ったのだろう。

 これからもずっと、居てくれていいよ。

’11/07/24 (日)

WiLCO最新カタログ


 ねじのWiLCOから、最新カタログが届いた。以前はA4判で分厚く重いものだったが、ハーフサイズA5判になりずいぶんと軽くなった。内容はよく整理され、このほうがずっと使い易いと思う。

 新しいカタログが出るたび、新製品が掲載されるのはこれまでどおり。今回はちょっと興味深い製品があった。

 一つは、黄銅製+なべ小ねじ・金メッキタイプ、もう一つは、マグネシウム合金製+なべ小ねじ、である。どちらもカートリッジ固定に具するM2.6サイズあり。

 前者は、主にルックス重視で使ってみたい。3〜5μ厚のニッケル下地に0.05〜0.1μ厚の金メッキをかけたもので、金による音への影響は極少だと思う。M2.6×15mm、オーダー数4本〜49本@75円、50本〜499本@12円。

 後者については、巻末にある材料データ項特徴欄に以下の如くある。「振動吸収性:振動を吸収するので機械装置の寿命を長くし、騒音を減少することが出来ます」。比重は1.78で、アルミの2/3、鉄の1/4。非常に軽い。同一サイズで強度を比較した場合、βチタン合金に遠く及ばない。

 面白そうな素材だが、カートリッジ固定用にはどうだろうか。マグネシウムシェルは、イマイチ冴えなかったしなあ。M2.6×12mm(最長)、4本〜9本@192円、10本〜49本@96円、50本〜299本@32円。高価なねじである。

 いろいろと勉強できるカタログでもあります。

’11/07/23 (土)

小さな鏡の使い道


 友達から贈られた「廃棄物」の中には、小さな鏡が含まれていた。51mm×20mm、厚さは9.5mmもあり、小型ながらも非常に重厚なものである。実測重量30.8g。平面度と透明度が極めて高く、そこらの鏡とは一味違う感じだ。これまた、元々の用途は不明。

 光に翳してキラキラさせているうち、使い道を思いついた。そうだ、アームに付いたカートリッジの下に置こう。普段、確認しづらいところがよく見えるように。

 というわけで、上の写真である。ヒジョーに鮮明な鏡像が得られ、カンチレバー、針先をよく観察することができる。これはなかなかグワイがよろしい。

 そういえば大昔、まだADがオーディオメディアの主役であった頃、似たようなアクセサリーがあったような、なかったような。機械式針圧計、いや、クリーナーとセットで売られていたかなあ。

 何だか、とても、うれしい。

’11/07/22 (金)

似ているけれど違う、らしい


 17日に載せた「MUSIQUES ANCIENNES D'EUROPE」(仏ERATO EFM18047)は、まだ届かない。少なくとも、あと10日くらいはかかると思う。果報は寝て待て、っちゅうことで。

 「L'EUROPE JOYEUSE」(同 STU71098)の廉価版、内容はまったく同一、であるらしいけれども、盤そのものはどうなのだろうか。プレスから何からまったく同じ盤を、ジャケットだけ変えて廉価販売する、というケースはしばしばあるし、プレスそのものから変わっていることもある。このバヤイどちらなのか、気になって夜も寝られない。寝て待つンじゃなかったのか。

 web上で拾い集めた、かなり不確かで頼りない情報から推測するに、どうも後者であるモヨウ。センターレーベルの様子は、両者とも黒地に白(或いは銀)文字、上半分にERATOのロゴマーク、下半分に面表示と曲目、となっている。しかし、細かいところでは相違があるように見える。

 尤も、それがどうした、っちゅうお話でもあるわけで、けれども個人的にはまた一つ新たな情報が得られたと、喜んでいる。いつかSTU71098が手に入ったならば、両者をきちんと比較してみたいと思う。

 楽しみの多いレコードである。

’11/07/21 (木)

勿体無い風格


 如何にもオーディオ用、といった風情の物体。これらも実は、友達からもらった「廃棄物」のうちの一つである。

 外径50.8mm、内径22.9mm、高さ36.5mm、1個460g。非磁性SUS製である。元々の用途はまったく不明。外側面よりも内側面のほうがきれいに仕上げてあるところから、幾許かの推理をしてみるのだが、やっぱりワカラン。いずれにしても、「廃棄」するにはあまりにも勿体無い風格である。

 拙宅での用途は、まだ決めかねている。ご覧になった多くの方が想像されるであろう、装置の脚に具するのが最もの適所、とは思う。ただ、もう一息捻った使い処はないかと、思案しているのである。

 個人的には、どこにも使わず持っているだけでも充分楽しめるのだった。何しろ僕は「ムクモノマニア」ですから。飾って眺めて時々スリスリして。

 これじゃタダの変態である。

’11/07/20 (水)

意味ありげな


 先月30日の話題にしたアルミブロックは、このようなグワイになっている。パワーアンプP-700からスーパーネッシーIIへ行くケーブルを、床から浮かせてみたわけだ。

 設置場所はアンプに最も近い側。これ以後も複数の小型セラミックブロック(これまた友達にもらった廃棄物)で支えてある。

 ケーブルを床から浮かすことが良いのか悪いのか、実はよく分らないのである。ただ、これまでの印象としては、浮かせたほうがややすっきりし、透明感が向上するような気はする。もちろん、箱船ではこうなった、というだけのお話であって、環境が変われば結果も変わると思う。

 実験、と呼ぶほどのものでもないささやかなことだが、個人的には、大いに喜んでいる。音への影響はともかく、何やら意味ありげで面白いではないですか。

 友達には、大感謝である。ありがとうございます。

’11/07/19 (火)

MVSICQVE DE IOYE


 「MVSICQVE DE IOYE」(仏ASTREE AS37)。(P)1978の、古いレコードである。タイトルは、古いフランス語表記なのだと思う。直訳すると「喜びの音楽」。どこかのレコードと似たようなタイトルだが、単なる偶然である。

 実はこのレコード、ずいぶん前に買っておきながらA級盤を聴くのに忙しくて、永い間ラックに仕舞い込んでいたものである。ASTREEのタイトルを整理していて、聴かねばならんと思い出したのだ。

 1978年1月、スイス北西部バーゼル州ネンツリンゲンの教会で録音。16世紀(1550年)にリヨンで出版された舞曲集からの音楽である。演奏は、ヨルディ・サヴァール率いるところのHESPERION XXである。メンバーの中には、ホプキンソン・スミス(リュート、ルネッサンスギター)、トン・コープマン(スピネット)の名もある。ボーカルはモンセラート・フィゲーラス。まずは超一流、である。

 このタイトルはA級盤には取り上げられていないし、僕が知る限りでは他の長岡先生の紹介記事にも登場していなかった、ように記憶するが定かではない。誤っていたらご指摘ください。

 聴いてみてびっくり。超優秀録音である。ASTREEにはHESPERION XXの録音が他にもあるけれど、その中で最高レベルの1枚だと思う。音が良いのはもちろん、さらに素晴らしいのは、音場感と音像定位である。

 各楽器の音像は、まさに実物大で輪郭鮮明。驚異的な実在感・立体感とともに、スピーカーを完全に無視してピシッと定位する。どうしてもそこに楽器と人がいて演奏しているとしか思えないような、恐ろしいほどの生々しさがある。これは大袈裟ではない、真実本当にそう聴こえるのだ。

 (P)1987の旧版CD(E7724)も手元にあるが、そちらはもう一つパッとしない。すべての点でADの圧勝である。ASTREEの中では発見が比較的容易で価格も低めだから、もしお聴きになるのならば、絶対にADをお薦めしたい。

 「喜びの音楽」。その通りである。

’11/07/18 (月)

異様なほど、美しい


 今朝方午前4時半ごろ、東の空に見られた朝焼けである。異様なほどに、美しい。台風の影響か、雲が多い所為もあるのだろう。それにしても、不吉な予感さえ抱かせるほどの、凄い光景である。しばらくの間、目を奪われてしまった。

 日中は全天厚い曇に覆われ、午後からは雨になった。久しぶりである。梅雨明け以来続いていた猛暑日は、ちょっと中休み。明日は終日雨、30℃にはならないと予報されている。

 台風6号はずいぶんな大型で、元気なまま接近しそうなグワイである。7月の台風としては統計史上最強クラスだそうだ。夏台風の特徴で、動きが遅い。どうせ招かれざる客なのだから、来るならさっさと来て、とっとと去ればいいのに。沖縄、九州、四国地方の方々、くれぐれもご用心ください。

 願わくは、皆様ご無事であらせられんことを。

’11/07/17 (日)

あ、ビックリ


 極めて望み薄、と思っていたら、何故かすんなり入手できてしまった。とても驚いている。ERATO Fiori Musicaliシリーズの「陽気なヨーロッパ」である。こーゆーことも、あるンだなあ。

 「MUSIQUES ANCIENNES D'EUROPE / des XIIe au XVIIe Siecles / ATRIUM MUSICAE / GREGORIO PANIAGUA」(EFM18047)。タイトルを直訳すると「ヨーロッパの古い音楽 / 12世紀から17世紀」ということになって、ERATOレギュラー盤ともHISPAVOX盤とも違う。ジャケットはご覧の通り。これまた両者との共通点は全くない。何だか懐かしい感じのする、デザインである。

 同じ内容のレコードが、「MUSICA IUCUNDA」「L'EUROPE JOYEUSE」「MUSIQUE ACIENNES D'EUROPE」と、3つの違ったタイトルを持っている。しかもそれぞれジャケットデザインがバラバラ。LP探し人泣かせのレコードである。尤も、斯くの如くのヤヤコシさ(或いは、奥の深さ)が、検索そのものを趣味化させかねない所以、とも言えるか。

 HISPAVOX盤、Melodia盤は既に試聴済み。レギュラー盤には非ずとも、ERATO盤を聴けることになって、僕はとても喜んでいる。ヒジョーに楽しみだ。

 次の目標はレギュラー盤入手だが、これは相当に難しいと思う。

’11/07/16 (土)

Fiori Musicali


 仏ERATOレーベルの「陽気なヨーロッパ」は、同じくERATOから別バージョンが出ているらしい。それを知ったのは、もうずいぶん前のことである。

 「ERATO Fiori musicali」という、バロック音楽・古楽専門廉価盤シリーズからのリリースである。この一連のレコードには、多くの場合ジャケット右上に写真のようなロゴマークが付いている。但し、例外もあり、必ずしもそうなっているとは限らない。カタログナンバーはすべて「EFM」で始まっている、ような感じだが、これも絶対とは言い切れない。いい加減ですみません。

 「Fiori Musicali」とは、イタリア語で「音楽の花束」という意味だそうだ。なかなか洒落たネーミングだと思う。僕はこのシリーズをリアルタイムには知らない。おそらく1970年代から80年代頃のものだろうから、ロック一辺倒時代である。バロック・古楽は言うに及ばず、クラシックさえ無縁であった。

 レギュラー盤「陽気なヨーロッパ」をハナ差で取り逃がしたのは、先月話題にしたとおり。今回は、EFMナンバーのほうを発見した。しかし残念ながら、入手は望み薄である。

 とは言うものの、落胆はしていない。ジャケットデザインがどんな様子かよくわかったし、何よりも間違いなく実在するレコードであることが確認できたのである。ありさえすれば、何時かは必ず入手できるのだ。

 僕は諦めない。

’11/07/15 (金)

検索のための情報


 「DAHL - LESEMANN - KRAFT」のジャケット写真を載せておく。外盤A級セレクションに挙げられているものはモノクロで、解像度もあまり高くない。特にこのジャケットは第3集100枚中、見づらいほうに入ると思う。

 これまでにも書いてきたとおり、ジャケットの色・デザイン情報は、レコード検索する上で極めて重要なのである。例えば、第1集18番を正しく「The Power and The Glory Volume 1」と呼ぶ人は少ない。内容とジャケットの色から「オルガン金さん」が通り名となっているが如し。

 まだネットが今ほどの広がりを見せていなかった頃、友達の一人は本家方舟で幾枚かの実物を確認させてもらったそうだ。もちろん、検索のよすがにするためである。僕にも同様の経験は、ある。

 第1集の初版が出版されたのは、1984年7月16日。ちょうど27年前である。今やA級盤探しする人は少なくなっただろうし、ましてやコンプリートを狙うなどは極少数派だと思う。そうであっても、ジャケットカラー写真を載せておくのは、無駄にならないと考える。

 モノクロ写真から本当の色を想像するのも、楽しいけれど。

’11/07/14 (木)

問題なし


 正体不明の汚れ付きLPを聴く。レコードの正体ははっきりしている。外盤A級セレクション第3集223番「DAHL - LESEMANN - KRAFT / 打楽器と管楽器のための音楽」(米CRYSTAL S641)である。(P)1973。入手は、比較的難しいほうだと思う。

 結論から言えば、この盤はグッドである。見た目盛大な汚れ方ながら、音にはほとんど出ない。まったくの無影響、とは言えないようだが、問題なしである。このレコードよりも綺麗なクセに、遥かにノイズの多いヤツはいくらもある。やはり拡大写真に見える通り、表面のみに止まる汚れだったらしい。ヨカッタヨカッタ。

 音は、凄く良い。タムタム、スネアの強烈な立ち上がり、シンバルなど金属打楽器の壮絶な切れ込みと透明感、管楽器の輝きと切れ、特にトロンボーンの実在感は強烈である。音場感も素晴らしく良く、リアルそのものだ。

 長岡先生の評には「いかにもアナログ、いかにも女性的な、繊細感のある演奏と録音」とある。確かにこの音は、アナログでないと聴けないと思うし、繊細感も抜群である。「女性的」という点については、柔らかく曲線的なイメージを浮かべると、ちょっと違う。「ターミネーター 2」(旧作失敬)、サラ・コナー役を演じたときのリンダ・ハミルトン、そのような「女性」的な音、と個人的には感じた。

 ただ、これも「もろ現代音楽」と、いうことになって、純粋な音楽ファンへお薦めするには無理がある。ジャチント・シェルシさんの曲ほどではないけれども。ジョン・ケージ、クロード・バリフ、あたりと似た感じもあり、僕としては好きな部類の現代音楽である。

 結果オーライ。

’11/07/13 (水)

正体不明の汚れ


 「Arigatou !」のメッセージとともに、アメリカから届いたレコードであったが、盤には少々の問題があった。

 肉眼視ではっきりわかるほどの汚れが、両面とも点々と付いていたのである。しかもグワイの悪いことに、レコパックでも取り去ることができない。正体はまったく不明。拡大視すれば何かわかるかもしれないと、Digi-Scopeで撮ったのが上の写真である。

 写真は全体の一部である。どこを見てもおおよそこんなふうだ。一見したところでは、白い塗料のような感じ。すっかり乾き切っているらしく、ネバネバ感はない。汚れが付いているのは表面だけで、音溝には入り込んでいないようにも見える。したがってこの汚れ、ひょっとすると音には出ないのではないか。希望的観測だケド。

 既にレコパックもどきを3回実施しているから、ここはひとつ試聴するべし。見た目は良くないにしても、音に出なきゃ何ら問題ないのだ。

 もちろん、売り手にクレームをつけるつもりは、まったくない。

’11/07/12 (火)

生れた季節と好きな季節


 梅雨明け以来、同じような写真ばかりご覧に入れる。どうかご容赦願いたいのである。夏が、嬉しくて嬉しくて仕様がないのだ。このような風景を見ていると、心の底から幸せな気持ちになれる。このまま時が止まればいいのに。

 人は、自分の生れた季節が最も好きである。とは、時々耳にする俗説である。僕のバヤイは、確かにそのとおり。間違いない。愚妻は12月生れで冬が好き、愚息1号は10月生れで秋が好き、2号は5月生れで夏が好き。愚猫1号2号は5月6月生まれで、たぶんこ奴らは、何時が好きなんだかワカラナイ。

 拙宅の人間ドモは、見事俗説にはまり切っている。極めてわかり易い人々、とも言えるわけだ。一般的にはどうなのだろう。皆さん、如何ですか。

 明日も、好天の夏が続きます。ヨカッタヨカッタ。

’11/07/11 (月)

100人中87人は


 5日の話題に具したレコード「ジャチント・シェルシ作品集」(仏fy FY103)を聴いた。

 第一音が出た瞬間、「あっ、現代音楽!」と叫んでしまった。長岡先生の評に間違いはない。確かに、メロディーもリズムもハーモニーもないのである。不協和音、というのだろうか、何とも落ち着かない音が連続するばかり。

 これはこれは。まったく聴けない、或いは聴かせないで欲しいという人が、100人中87人くらいはいそうなグワイ。僕はというと、聴けないことはないけれども、曲として楽しむには、ちょっとツラい。まさに「もろ現代曲」である。

 但し、純粋にオーディオとしてなら、充分楽しめるのである。音が良いのだ。全曲音場感にも優れている。特にB-1「Okanagon」(オカナゴン:意味不明)は、リズムがないようであるようで、音には圧倒的な厚みと力があり、理屈抜きでグイグイ押し出してくる迫力はなかなかのものだ。

 ピュアな音楽ファンは聴いちゃいけません。後悔します。現代音楽マニア、純サウンドマニアには、お薦めできる。と、思う。愛聴盤、には、いささか苦しいか。

 しかし、面白いレコードでは、ある。

’11/07/10 (日)

猫も暑い


 今日も絶好天、ヒジョーに暑かった。午後、オツトメあって1時間ほどお経を上げたら、ずいぶんな汗かきになってしまった。お参りの方々は「たいへんですなあ」と労ってくださるけれども、僕としてはこれくらいのほうが調子が良いのである。

 帰ってきて庫裏の縁側を覗いたら、ケダモノが1匹。愚猫2号、ユズである。この季節にも、もふもふ毛皮を脱げない彼女のほうが、僕なんかよりもよほど暑いのだろう。冬の3倍くらいの長さにノビている。

 平和な、夏です。

’11/07/09 (土)

夏の花


 2011年夏2日目、極めて快調である。最高気温35℃(午後3時)、昨日に続いての猛暑日である。熱中症には気をつけねばならないけれども、僕はとても元気です。先月初めの体調不良がウソのようだ。近頃は、調子が良いのは夏だけ、みたいになってきたな。

 昨年7月12日の日誌に「ネムの花が元気な年は、好天の暑い夏が来るのかもしれない」と書いた。あながち見当外れでもなかったようで、2010年の夏は酷暑続きであった。

 今年は、どうか。元気なのである、ネムの花。3日頃から咲き始め、只今満開。例外的に早い開花と言える。科学的根拠は皆無だが、梅雨明け時期・暑い夏との関連性が、あるように思えてならない。

 週間天気を見ても、御日様マークが並んでいる。たいへんケッコウであります。

’11/07/08 (金)

31日間の盛夏


 7月8日午前11時大阪管区気象台発表。「近畿地方は7月8日ごろに梅雨明けしたと見られます」。平年に比べ13日、昨年よりも9日、一昨年から見ると26日も早い。この日誌を書き始めてからでは、最も早い梅雨明けである。

 「梅雨が明け、本格的な暑さが始まる頃」と定義される二十四節気のひとつ、「小暑」が7月7日だから、暦に忠実であるとも言えるわけだ。

 僕はもう、嬉しくて嬉しくて。なにしろ、今年の盛夏は7月8日から8月7日(今年の立秋は8月8日)まで、31日間もあるのだ。過去十数年では最長である。これを喜ばずして居られましょうか。

 天気図を見ると、太平洋高気圧(良い響き!)が日本列島へぐんと張り出し、前線を北へ押し上げている。等圧線の間隔も広い。夏型の気圧配置である。事実、今日は暑かった。山の向こうには入道雲が立ち昇り始めている。最高気温35℃超。猛暑日である。

 向後31日間、一日一日を心からいとおしみながら過ごしたいと、思う。

’11/07/07 (木)

小さな心遣い、大きな感激


 4日の日誌で、アメリカは梱包がいい加減、と書いた。USAの名誉のために言っておくが、もちろん例外もある。先日、アメリカのショップから届いたレコードは、配慮の行き届いた梱包であった。

 まず、梱包。専用の丈夫な箱型パッキンに、多めの緩衝材を使ってレコードをガッチリ固定、ナイロンメッシュ入りの丈夫なガムテープで厳重に封じてある。これはもう完璧と言ってよい。それでいて送料はたいへんリーズナブル。全部がこうならいいのに。

 さらに感激したのが、上の写真である。「Arigatou Toshiya ! -J.D-」という、手書きのメッセージカードが添えてあった。これまでにはショップ独自の絵葉書や、名刺が入っていたことはあったけれども、このようなメッセージは初めてである。

 第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロII世は外国訪問の折、必ずその国の言語で演説されたと聞く。実際、1987年の「第3回東西霊性交流」で教皇と謁見した時にいただいたお言葉は、丁寧な日本語であった。

 他国の人から自国の言語で、親しい言葉をもらう。これを不愉快に思う人は、おそらくいないだろう。教皇もそのようなお考えだったのだろうと思う。今回のメッセージは短いものだが、わざわざ「Arigatou」と手書きしてくれる送り主の心遣いに、僕は大いに感じ入るのである。

 こちらこそ、Thank you very much J.D !

’11/07/06 (水)

A級盤のススメ


 深い知識も学もないクセに、好奇心だけは異様に強い。早い話が、馬鹿でスケベなのだ。外盤A級セレクション300タイトルコンプリートを目指す原動力は、その辺りにあるのだろう。良いンだか、悪いンだか。

 僕の初A級盤は第2集147番・仏harmonia mundiのCARMINA BURANA Vol.5(HM339)であった。1988年2月のことである。何時かの日誌にも書いたような気がする。

 このLPを聴いた時、僕の目(このバヤイ耳、か)からは音を立てて鱗が落ちた。こんな音楽、こんなに良い音があったのか、と。それまでロックやフュージョンばかり聴いていた耳には、極めて新鮮極めて衝撃的に響いたのだった。

 もし僕が長岡先生の評論に触れることがなかったならば、このようなレコードを聴く機会は絶対になかっただろうし、聴かなければスピーカーを自作することもなかったはずだ。まさに大きな転換点となったわけである。

 もちろん、長岡A級盤(或いは推奨盤)を初めて聴いた人すべてが、同じような印象を持つとは限らないのは当然である。音の好みは十人十色。聴いた瞬間「コリャだめだ」となる可能性もある。しかし、である。

 自らオーディオファンを以って任ずる人なら、300タイトルのうちどれでもよい、1タイトルでも試しに聴いてみて欲しいと、僕は思うのである。ひょっとしたら、新しいオーディオ世界が広がるきっかけに、なるかもしれないのだ。

 先日紹介した「La Spagna」SACDは、その意味からも極めて価値は高い。

’11/07/05 (火)

もろ現代音楽


 梱包が丁寧なフランスから、新着A級盤あり。第3集231番「Scelsi / Ensemble 2e2m / Pfaff」(仏fy FY103)である。巻中では「ジャチント・シエルシ作品集」と紹介されている。

 Giacinto Scelsi。正確な発音はどうなのだろうか。巻中の如く「ジャチント・シエルシ」か「ジャチント・シェルシ」か、はたまた「ジャシント・シェルシ」か。イタリアの人だから「ci」は「チ」か。ギョエテとは俺のことかとゲーテ云い。

 1905年生、1988年没の現代音楽作曲家である。お名前の読み方すら分らないくらいで、恥ずかしながら、まったくの不知である。貴族の末裔で大金持ちだったそうで、作曲は趣味的側面が強かったとも。今風に言えば、金持ち現代音楽オタク、かな。いや、失敬。さらに詳しくお知りになりたい方は、「ジャチント・シェルシ」でググってみてください。

 随分と探し回ったレコードである。fyレーベルは難しい。この春頃、海外オークションで見つけたのが、僕の初見であった。意気込んで入札するも、遥かに及ばずあえなく敗退。今回はフランスのショップで買うことができた。結果的にはオークション落札価格よりも安かった、けれども、一般的な水準からすると、充分高価である。

 写真はジャケット表紙である。裏表紙には作曲家名、演奏者名、曲名などのクレジットがあり、それらとは別に、大きな丸印の下に横棒を引いたフシギなマークが印刷されている。なんだこれは。実は、大の写真嫌いだったシェルシ氏の、自らを表現したシンボルマークなのだそうな。LED ZEPPELINのフォア・シンボルズみたいだな。

 長岡先生の評に曰く「メロディーもリズムもハーモニーもない、もろ現代音楽」。いささか構えてしまうわけだが、録音の良さで聴け、たらいいな。

 只今レコパック中。

’11/07/04 (月)

梱包に見るお国柄


 いろいろな国からレコードを買っている。一昔前ならば、個人輸入などと言って随分とメンドウな手続きが必要だったと仄聞する。こういったことに関しては、よい時代になったものだと感慨無量。ネットの恩恵である。

 送られてくる荷を見ていると、梱包にそれぞれのお国柄が表れていて、なかなかに楽しいのである。例外もあるけれど、凡その印象を述べてみたい。

 おしなべて丁寧な梱包をしてくれるのは、フランスである。今のところ100%二重梱包で届いている。上の写真はフランスからの荷によく使われているパッキン(おそらくLP専用)である。実に機能的にできている。宛名は大きく丁寧明瞭で、しかも正確に書き付けてあることが多い。痒いところに手が届く、という印象だ。

 アメリカは発送も到着も迅速だが、梱包はわりといい加減である。ダンボールのスキマから内容物が見えていたりすることもある。宛名書きは概して乱暴で、ハッキリ言って走り書きレベルだ。おおかた無事に届きゃいいだろ、速いンだから多少のことは目をつぶれ。なるほど、アメリカーン! である。

 香港からも買っている。ここは面白い。ダンボールではなく、古新聞を幾重にも重ねて梱包、それをビニール袋に入れ、大量のガムテープでぐるぐる巻き。ハマキかラッキョみたいにして送ってきたことがある。もちろん中身は無事だったけれども、開梱し難くて弱った。おばあちゃんから独り暮しの孫に届く荷物、みたいだ。

 ロシアはくそばか丁寧。専用ダンボール二重パッキン+古新聞四重巻き+ビニール袋、それをさらにダンボールで巻きビニール袋に入れ、ガムテープで封じて紐を十字にかけてあった。内容物はペナペナジャケットのLP2枚なのに荷姿は巨大で、ナニが届いたのかと訝しく思ったほどだ。注文後の密な連絡といい、ロシアの人って実は親切なのかな。何となく、ムカシの日本人に通じるところがあるような。

 荷姿梱包ウォッチング。楽しいです。

’11/07/03 (日)

立派な趣味


 飽きもせず、夜な夜なレコード探しを続けている。上の写真は、残念ながらジャケット画像のみである。本体は、今回も取り逃しました。クヤシイ。

 そんなにバカスカ見つかるわけではないし、前回今回の如く見つかったとしても必ず入手できるというものでもない。しかし、僕にとっては何とも楽しい時間なのである。

 最も嬉しい瞬間は、発見したそのときである。夜中パソコン画面に向って「あああ、あったあー」と独り叫ぶおっさんの姿は、誰にも見せられない。アレは一種の「アハ体験」なのだろうなあ。きっとその瞬間、脳内麻薬がダダ漏れなのだ。

 冷静に考えれば、僕はそのレコードを聴きたくて探しているわけで、見つけるのが目的ではないはずだ。「探して見つける」という「手段」で「聴く」という「目的」を達成する。これが正しい段取りである。

 だからして、本来最も嬉しい瞬間は「そのレコードを聴いた時」であるべきはず。見つけて喜んでいては遺憾のである。もちろん、聴けたときも嬉しいのに間違いはない。けれどもヤッパリ、見つけたときは狂喜乱舞(大袈裟である)するンだなあこれが。

 手段が目的化するを以って趣味と謂う。レコード探しは、立派な趣味なのだ。

’11/07/02 (土)

是非、お聴きください


 La Spagna SACDバージョンを聴く。今のところ、ADの1枚目(LP-163)両面分にあたるトラックを聴き終えたに過ぎず、その時点での感想である。

 とても良い音だ。少なくとも、ムカシのCDバージョンを遥かに凌ぐ。レンジが広く、抑圧された感じは皆無で、特に高域はきれいに伸び切り痛快至極。歪み感はまったくない。透明で清澄な当時のBIS録音の特長が、非常によく出ている。細かな情報もネグられることなく、余韻と響きがふわりと拡がり音場感抜群。

 オリジナルADに比べると、全体的にホンの僅か細身で、切れと力強さが後退している、ように感じないでもない。しかし、静かさと透明感では、ひょっとしたらADを上回っているかも。さすがフォン・バール氏入魂のSACD化と感じさせるに、充分な音である。

 アナログ再生環境を持たないオーディオマニアには、大いなる福音だと思う。SACDとしてはかなり安い(Amazonでは1,864円でした)し、買っておいて絶対損はない。

 是非、お聴きいただきたい1枚である。

’11/07/01 (金)

La Spagna SACD


 7月である。今月僕は、とうとう齢50となってしまうのである。論語に曰く「五十にして天命を知る」。エラいことである。

 上の写真は、先日からオーディオ誌上などで話題に上っていた、BISレーベル「La Spagna」のSACDバージョン(BIS-SACD-1963)である。5月中旬にAmazonで注文したものが、予定よりひとつき遅れて届いた。

 演奏者は言わずと知れた、グレゴリオ・パニアグア指揮するところのアトリウム・ムジケである。A級盤にも取り上げられている(第1集5番)、超有名盤であり超優秀録音盤だ。LPレコード(2枚組)は、中古市場でかなりの高値を付けている。

 随分前からSACD化が望まれていたタイトルである。仄聞したところでは、アナログマスターテープの経年劣化で復刻は不可能、ということであったが、最新のディジタルマスタリング技術で困難をクリアしたそうだ。

 ピュアSACD、かと思ったら、CDレイヤー付きのハイブリッド盤である。理想を言えばピュア盤のほうが音は良いと思う。そこはまあ、イロイロ事情があるのだろう。

 大昔に発売されたCDバージョンは、残念ながらイマイチであった。それから、おそらく20年以上は経っているだろう。アナログの優秀さは既に万人の知るところ。時を経て最新技術により復刻されたSACDが、どれほどの音を聴かせてくれるのか、ヒジョーに楽しみである。

 試聴は、明日に。