箱船航海日誌 2011年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’11/05/31 (火)

第1集あと二つ


 外盤A級セレクション第1集は、収録100タイトル中98タイトルまで揃えることができている。あと2タイトルで、文字通り「一巻の終わり」になるわけだが、それがなかなか。

 残りのタイトルは、上の2つ。左は第10番「ガラスの響き」、右は第86番「ハーモニカの世界」である。嬉しげにジャケット写真を掲げているけれども、持っているのは画像だけ。肝心の実物は未入手である。

 どちらも、比較的近い過去にwebショップやオークションで売買された実績があることは判明している。特に右のハーモニカは先月、オークションに出品されていたものをタッチの差で取り逃がしているのだ。残念。

 またすぐに見つかる、などと楽観視はできないけれども、今後二度と入手機会は巡ってこない、とも言えない。諦めずに探し続け、チャンスさんの前髪をタイミング良く掴むことが重要なのだ。そのようにして98タイトルまで来たのだから、きっと大丈夫だろう。と、結局は楽観視するのだった。

 まずは第1集のコンプリートを、目指したい。

’11/05/30 (月)

珍客


 少し前から、駐車スペースと母屋の屋根の境目、ホンのわずかな三角形の空間に、野鳥が巣をかけている。滅多にないことだ。そこは普段、僕らが頻繁に使う出入口の真上であって、決して「閑静な住宅地」とは思えない。それが却っていいのかな。

 巣営主は写真の鳥である。巣の近くで警戒中のところを撮った。この辺りでは特に珍しい鳥ではなく、いつでも近所にいるようなヤツである。僕は今までヒヨドリだと、勝手に思い込んでいたのだが、ちゃんと調べてみたれば、イソヒヨドリという鳥であった。ゼンゼン違う鳥である。

 「イソ」の名が示す通り、海の近くを主な生息地としている鳥、のはず、何故かウチの近所にはいっぱいいる。鳥から見ればこの辺も「海の近く」になるンだろうか。確かに、遠くはないケド。

 体長25cmくらい、頭から胸にかけては金属光沢を持った青色、腹は赤褐色と、とてもきれいな姿をしている。のは、♂であって、替りばんこに餌を運ぶ♀は、無愛想な枯葉色で目立たない。鳥はたいがい♂のほうが美しくできているようだ。

 親鳥が餌を運んでくると、隙間の奥からピーピーと盛大なヒナの鳴き声が聞える。僕は特に野鳥マニアではないけれども、何となく癒されるのである。野鳥さんに巣をかけてもらえるほど、拙宅は安全なのかしらと、少々嬉しくもなる。

 だが、油断してはイケナイ。ウチには、凶悪な歯牙を持ったケダモノが、2頭もいるのだ。実際、親鳥をつけ狙う姿を目撃している。イソヒヨドリさん、そんなのがいることに気が付かなかったのだろうか。しばらくは、愚猫らの動静に気を配っておかねばなるまい。

 無事、子育てを終えられますように。

’11/05/29 (日)

抱き合せ


 写真右に見えるレコードは、これもまたA級盤である。先日話題にした、RUDOLF MAROSのタイトルと一緒に入手したものだ。米NEW WORLD RECORDS NW318。実はこれで4枚目である。

 「新規顧客の初回注文額は、15USD以上でお願いしたい」というショップの規則により、帳尻を合せるために抱き合せたものだ。価格は4USD。約328円と、これまた恐るべき低価格である。

 ヴァージンシールがボロボロに破れてはいるが、一応未開封新盤である。ジャケットそのものの損傷は、ほとんどない。盤もおそらく問題ないと思う。尤も、NEW WORLDの常として元々の盤質が良くない可能性はある。何故かこのレーベルの盤は、酷く反っていることが多いのだ。

 いずれにしても4USDなら損はないし、また、これを必要とされる方がいらっしゃるかもしれない。ご所望のバヤイは、くずてつまでご一報ください。

 本体より送料のほうが高いっちゅうのも、考えものだなあ。

’11/05/28 (土)

聴ける幸せ


 Johann Caspar Ferdinand Fischer。レコードジャケット表記では、?(生年不祥)〜1746となっている。ネット上の情報では、1670年ごろ〜1746年、とも。ドイツ盛期バロック音楽の作曲家である。バッハの「平均律クラヴィア曲集」に少なからず影響を与えた作曲家、と言われているそうだ。

 CDを初めて聴いた日から23年を経て、今日、ADを聴いた。最高である。CDも良い音であったけれど、ADはさらにその上を行く素晴らしい音である。

 厚みと実在感がぐんと増し、音の豊かさが格段に違う。これほど芳醇なクラブサンの録音は、滅多にないのではないか。鍵盤から指が離れる瞬間の演奏ノイズが、実に切れが良く繊細微妙。柔らかくしなやかに切れる、という印象だ。部屋の響き、クラブサンの余韻、背景にある小鳥の声、そういった細かな情報が極めて鮮明、しかも不自然さがなく恐ろしいほど生々しい。

 個人的には、ASTREEレーベルのクープラン全集よりこちらのほうを好む。おそらく、オーディオ的に厳しく聴けばASTREEに分があるのだと思う。しかし、曲調、場の雰囲気、楽器の音色、演奏など、多くの点で僕が聴きたいクラブサンの音が、このレコードには詰まっている。

 今更ながら、アナログサウンドの素晴らしさに、感激するのである。斯様なことがあるから、いつまで経ってもAD再生にこだわるをやめられない。後ろ向きである、進歩がない、時代遅れだとの批判もあるように仄聞するが、現実に音が良いのだからどうにも仕方がないのである。

 ADが聴ける幸せを、しみじみと味わっている。

’11/05/27 (金)

西独プレス


 11日に載せた、J・C・F・フィッシャーのクラブサン曲集ADが、届いた。発送から到着まで16日、海外通販としてはまずまず常識的な所要日数だと思う。

 ジャケット、盤とも状態良好。NMまでは行かないものの、VG++くらいではある。盤面の傷はほとんどないけれども、埃は多め。これも中古盤の常である。早く聴きたいのをガマンしつつ、只今レコパック中。

 ジャケットには「Printed in France」の文字が見えるが、盤はご覧の通り。独(1980年当時は、西独)プレスである。ただし、ランアウト・グルーブに「DMM(Direct Metal Mastering)」の刻印がない。この技術の開発は1982年だから、当たり前か。DMMではないから「良い」のか「悪い」のか、それはケース・バイ・ケースであって、何とも言えない。僕としては、音が良ければ何でもいいのだ。

 明日の夜には、聴けるかなあ。

’11/05/26 (木)

布石


 SP-10MkIIAを載せているキャビネット、SH-10B3用の中古アームパネルを入手した。単売もされていたから、型番があるはず。検索してみたが調べ切れなかった。SH-10B5、10B7にも適合すると思う。

 中央やや左(モーター側)寄りに、φ38mmの穴が開けられている。どのようなアーム用の穴であるかは不明。少なくともWE-407/23、WE-506/30、EPA-100(MkII)などに合わないことだけは確かだ。穴開き状態での実測重量は410g。

 現状、WE-407/23を換装する予定はないし、キャビネットにSH-10B3を使っている限り、有効長286mmのWE-506/30は使えない。つまり、予備のアームパネルがあってもあまり意味はない、ということになるわけだ。

 410g。トーンアームの根っこを支える基盤としては、軽きにすぎると思う。現状、WE-407/23には1,100gのアームスタビライザーを具してあり、それを含めても約1.5kgである。どれほどの目方が理想的なのかはわからないけれども、少なくとも軽いよりは重く、脆弱よりは頑丈なほうが良いに決まっている。

 現状の音に大きな不満があるわけではない。しかし、できれば少しでも理想に近づけたい。アームパネルを入手したのは、そのための布石なのである。今のところ頭の中で妄想しているに過ぎない段階、首尾良く実行できた時は、改めて報告したいと思う。

 思い通りに行けば、よいのだが。

’11/05/25 (水)

Lyndon Baglin's


 外盤A級セレクション第3集283番「Lyndon Baglin's Best of Brass」(英SAYDISC SDL-347)。このレコードを、なかなか見つけられずにいる。

 検索にひっかかってくるのはCDばかり、ADの姿は見えてこない。まあ、ないものは仕方ないのである。そのうちに機が熟し、入手できる時がくるだろう。

 というわけで、CDのほうを買ってみる。Amazonで送料込1,653円だった。安いのである。もちろん新品だ。音を聴きたいのが一番、ジャケットをカラーで確認しておきたかったのが二番。尤も、ジャケットはカラーでもモノクロでもあまり変わらない感じである。

 音はとても良い。柔らかく上品で、しかし金管楽器らしい切れもある、という魅力的な録音だ。ブラスも然ることながら、シンバルが非常に良い。キメが細かくきれいな音でありながら、実に生々しくリアルである。いつものことだが、CDを聴いてなおさらにADが欲しくなった。

 焦らず諦めずの気持ちで、探し続けよう。

’11/05/24 (火)

マタイ受難曲


 24日の夜、突如思い立ち、バッハ「マタイ受難曲」を聴く。手持ちは3セット、全部聴いたら12枚24面になるわけで、一晩でそんなに聴けるはずはない。死んでしまいます。

 写真左から、1973年カラヤン盤(独DGG)、1961年クレンペラー盤(英EMI)、1958年リヒター盤(独ARCHIV)。僕が好きなセットは、リヒター盤である。

 組物を聴くには、それなりの覚悟が、要る。少なくとも、僕のバヤイには。このレコードは4枚組、その枚数に聴く前から気圧されてしまうわけだ。全部聴かなくてもいいや、と思いながら第1面から再生を始めたところが、ずいぶん良い音に面白くなり、8面全て聴き通してしまった。

 ダイナミック、ハードでシャープな録音である。繊細感としなやかさも併せ持っていて、実に良い音。ただ、声は独唱、合唱とも荒れる部分がある。それも全体の力強さで押し切ってしまうような感じ。パワフルなのである。ヤバンな僕好みの録音だ。

 決して軽い曲ではないから、全て聴き終ればさすがにくたびれるのである。24日の日誌を24日に更新できなかったのは、その所為であります。

 カラヤン盤、クレンペラー盤も、聴き直さんと遺憾なあ、ナドと思いながらレコードラックを眺めていて、もう1セットあったことを思い出した。1970年アーノンクール盤(独TELEFUNKEN)である。

 いつの間に、4セットも買ったんだか。

’11/05/23 (月)

原因判明


 CMC-Na溶解不充分のカドにより、今度はこれでもかというほどしつこく攪拌して作ったレコパックもどきである。現在、塗膜乾燥度、約30%。既に結果が見え始めている。

 やはり、攪拌が足りなかったようだ。乾燥した塗膜には艶と透明感があり、感触もザラザラしない。従来見慣れた乾燥膜の様子である。これで少し気が収まりました。

 艶なし不透明感触ザラザラ、でも問題なし。と言えども、不完全である原因を明らかにしないまま放置するのはキボチ悪い。今後は、充分に攪拌できるだけの時間的余裕を持って作らねば遺憾のである。容器1本分を使い終わるたび補充調整する、くらいのこまめさが必要なのだ。

 己が不精さを、よく省みねば。

’11/05/22 (日)

なんか、ヘン


 出会い頭で静電気が起こりにくいパック液が、できてしまったレコパックもどきである。写真は乾燥し終わったところ。盤面に展開した段階では問題はなかったのに、乾燥後は何かヘンである。

 膜に艶と透明感がなく、くすんでいる。感触は少しザラザラしていて、これまでのものとは随分違う感じ。どうしたことか。

 思い当たるフシは、あるのだ。製作第一工程、PVA洗濯糊にCMC-Naを混合する段階での攪拌時間が、足りなかったのではないかと、思う。要するに、CMC-Naを溶かし切れなかったのだ。たくさん作ることに気を取られ、いささか功を焦ったのである。おおかた大丈夫だろうと、いい加減に考えた結果がこの始末。

 と言っても盤面への悪影響はなく、剥離後は妙な残留物もない。クリーニング能力も従来通りである。実用上は問題なし。ひょっとすると、静電気が抑えられたのはこのおかげかと、科学的根拠もなく考えてみたりもする。

 全工程の攪拌時間を大幅に増やし、もう一度作ってみよう。そうすれば、何かが分るかもしれない。

 ドシロウトのやることは、こんなモンです。

’11/05/21 (土)

最低価格記録


 見つかりそうで見つからない、というレコードはままあるもので、上の写真もそのようなもの、だった。「RUDOLF MAROS / Gemma」(洪HUNGAROTON SLPX11775)。A級盤である。第2集153番収録。

 HUNGAROTONのレコードは比較的魚影(盤影?)が濃く、どのショップであたってみても、わりとまとまった数で出てくる。ところが、このタイトルだけが、ないのである。1番違い2番違いのカタログナンバーはあるのに。カスっているけど当らない、の典型である。尤も、僕の検索がヘタクソ、ということもあるわけで。

 最近やっと当りました。このレーベルのお膝元、ハンガリーのショップにあった。ビックリしたのはその値段である。2USD。現在のレートで約164円くらい。僕が買ったA級盤中、おそらく最低価格記録ではないかと思う。ナンデこんなに安いのか、ジャケットや盤に致命的欠陥があるンじゃないかと、実物が届くまで心配で心配で。

 杞憂であった。ガワも中身も、新品同様である。特に盤は、再生した形跡がほとんどない。内袋から一度も出したことがない、ようなふうにも見えるほど、きれいだ。これは超ハイCP。送料のほうが高くついて、それでも合計1,000円程度と、お買い得である。

 これを下回る値のA級盤は、二度とないだろうなあ。

’11/05/20 (金)

出会い頭


 今回のレコパックもどき製造は、空容器5本を満たしたところでひとまず終了。空と見えた6本目の容器は、下から3cmくらいの残量があったから、次回にまわす。450ccを5回、都合2,250cc作った勘定になるわけだ。

 これだけあれば当分しのげる、と言いつつ、昨日からすでに300ccほど使ってしまった。クリーニングを要する中古盤は、まだ6枚ほど控えている。

 こたび出来あがったパック液、見た目質感は従来のものとまったく同一である。材料、割合が同じなのだから、当然だ。ところが、使用感には明らかな違いがある。

 乾燥後、膜を剥すときの静電気が、ほとんど発生しないのである。従来のパック液では盛大にパチパチして、剥離直後にはゼロスタットを一発カマすのが必須だった。その要がない。季節(湿度、温度)によるものかと、改めて同一組成の従来パック液も試してみたが、やはり違いがあるようだ。

 何故だろうか。作った本人にもまったくわからない。狙ってそうなったのならばエラいもんだが、まったくの偶然、出会い頭である。実に、不思議だ。

 悪いことではないから、喜んで使うだけ。だが、次に作ればまた違うものが出来あがってしまうのだろうな。なかなかに楽しいのである。

 自作品だから、これでいいのだ。

’11/05/19 (木)

オーディオボード風


 「工」の字型のままでは、部屋のどこに置いても蹴飛ばしそうで怖い。うっかりこれを蹴ったらさあたいへん。重くて硬くて、しかもエッジが立っているから、タダゴトでは済まない。血を見ること間違いなし。悪くすれば骨折である。キケンな物体なのだ。

 ので、3つに分解し、床に並べておく。これでも蹴るときは蹴るだろうけれど、少しはマシか。などと思いながら眺めていて、ふと気がついた。写真のようにきっちり並べて平置きすれば、600mm×427mm×30mmの、極厚アルミプレートになるではないか。

 これなら工夫次第で上手い使い道があるかもしれない。元が廃棄物、であればこそ、意地でも何処かへ、有益に使いたいと思うのである。

 エコロジスト。否、唯のケチである。

’11/05/18 (水)

クレクレタコラ


 この物体がどのような用途に使われていたのか、それは誰も知らない。某所の廃棄物として打ち捨てられていたものを、友達が拾った。それを見た途端、僕はクレクレタコラに変身、「クレクレッ」と言って貰ってしまったのだった。

 「工」の字型のアルミムク構造物である。3つの部材の長さと厚みは600mm、30mmで共通。上横棒の幅は117mm、中縦棒の高さは110mm、下横棒の幅は200mm。それぞれの実測重量は、5.7kg、5.52kg、10.02kg。それにM10キャップスクリュー10本300gが加わり、総重量21.54kg。如何に軽金属アルミとはいえ、ここまでゴツくなると相当な重さである。

 いったい何をするためのものだったのだろうか。ゼンゼンわかりません。ついでに、僕自身何に使うかまったくワカリマセン。ムクモノと聞き、パブロフの犬よろしく条件反射のように貰ってしまった。さあ、どーしよーかなあ。

 見ているだけでも勇気が涌いてくるような、凄い迫力である。

’11/05/17 (火)

上手いグワイに外して


 2月に2タイトルの新着があった、クープラン・クラブサン曲集全13タイトル(AS21〜AS33)。なかなかすべてを揃えるには至れない。

 A級盤を検索していて、たまたま2タイトル発見し入手できた。カタログナンバーAS28、AS30である。前回の2タイトルは英プレス盤だったが、今回は両者とも仏プレスのようだ。現状、僕としてはプレス国にこだわりはない。

 長岡先生のイチオシ推奨盤はAS29である。実に上手いグワイに外しているのだ。何故かAS29はヒジョーに見つかりにくい。人気があるンだろうなあ。

 AS28には第13・第17・第18組曲が、AS30には第15・第16組曲が、それぞれ収録されている。録音、演奏については、最早言わずもがな。素晴らしいのである。これで13タイトルのうち、6タイトルが揃った。あと7タイトル。

 いつかは、きっと。

’11/05/16 (月)

2年ぶりの製造


 リ・レコパックのクリーニング能力は、どうもイマイチである。まあ、それは仕方ないのだ。あくまでも、パック液枯渇危機に対する緊急避難的措置である。ベストパフォーマンスは望むべくもない。というわけで、レコパックもどきを自作する。

 前回の製造は2009年5月だったから、ちょうど2年ぶりである。その折、各材料の比率、分量、製造手順をきっちりメモっておいたおかげで、まったくまごつかずに作業を進めることができた。

 只今900cc完成。空容器の数からして、プラス1800ccは作っておきたいところだ。1回の作業で出来る量は450ccだから、あと4回か。

 がんばりましょう。

’11/05/15 (日)

朧月の夜


 見事な月夜である。但し、やや朧月。黄砂の影響、少なからずあり。

 田んぼからはトノサマガエルのコーラスが響き渡り、こちらの山からモリアオガエル、向こうの山からはフクロウの声が聞こえる。風は穏やかで、何処からともなく藤の花の香りが漂う。ああ、何という好時節。

 この時を、大切にしたい。

’11/05/14 (土)

時を経て


 このアームもまた、時を経て大きな変化を見せたものの一つである。SAEC WE-407/23。

 元々、曖昧さがなく土台のガッチリした音でADを再生するアームである。ほぼ2年経った今、情報量がぐんと増え、繊細感と切れの良さが加わっている。周辺環境の整備、特に藤崎氏謹製SUS-TTに拠るところは極めて大きいわけだが、どうもそれだけではないようだ。

 音だけではなく、アームの動き(感触と言うべきか)そのものが、導入当初とはまったく違っている。盤上に針を降ろすたび、非常に動きやすくなっていることが、強く実感されるのである。明らかに感度が良くなっている感じ。

 おそらく、初動感度などの数字で明確に出てくるような差ではないだろうし、使い始めの頃、特に動きが悪かったわけでもないと思う。しかし指先には、従来なかった動きの滑らかさが、ハッキリと伝わってくるのだ。

 お世辞にも敏感とは言えない僕にでも感じ取れる違いだから、わりと大きな変化ではないかと思う。いずれにしても大変喜ばしいことである。現時点がエージングカーブの何処ら辺りにあるのか分らないけれども、今後も変わり続けることだけは確実。

 それを眺め聴いて楽しむのも、またオーディオである。

’11/05/13 (金)

何が違うのか


 傾いている不グワイを直したり、自作指掛けに交換したり、そんなことをやりながら、使い始めて早一月半が経つHS-5である。

 可動部分はどこにもなく、ただカートリッジを支えるためだけのパーツだけれども、使っているうちに音は変わるのである。不思議である。

 余分な音が減り、雑味なくよりスムーズにレコードを再生できるようになったと感じている。指掛けを換えた所為もあると思う。しかし、その直後からしても音に違いが出ているから、やはりヘッドシェルそのものに何らかの変化があったと見るべきだろう。

 何が違うのだろうか。僕にはゼンゼンわかりません。ただ、これまでの経験から、加工直後の金属パーツは大概トゲトゲしい音を出すことを、僕は知っている。多くのバヤイ時間経過とともに落ち着くわけで、このシェルも例に漏れないのかもしれない。

 なんでもかんでも、「エージング」なる都合の良い言葉で済ませるつもりは毛頭ない。でも、音は確かに変わって行く。

 結局、エージングとしか言い様がない、のかな。

’11/05/12 (木)

怪しげな白い粉


 ビニール袋4つに分包された、怪しげな白い粉。然るところから送ってもらったものである。これがもし、税関検査を受けねばならないようなルートで送られてきたものならば、間違いなく「そのスジのブツ」と疑われそうだ。末端価格はナンボですか。

 まさかそんな。正体は、CMC-Naである。カルボキシ・メチルセルロース・ナトリウム。難しい名称だが、早い話が増粘剤だ。食品添加物としても使用が認められているくらいだから、極めて安全なものである。少量なら、ナメても大丈夫です。

 レコパックもどき製造のための薬剤である。一定のアルコール濃度を保ちながら、粘度だけを上げるために使うわけだ。

 これを添加せずとも、ある程度使えるパック液はできる。しかし、より使いやすく質感の良い仕上りを望むとき、絶対に外せないものでも、あるのだ。少なくとも僕は、CMC-Naなしのレコパックもどきを作る気も使う気も、ない。

 但し、ダマなく一様に溶かし込むにはコツが要る。手間もかかる。そこがまた、よい。簡単テキトーに作って、ちょっとユルいな効果もこんなもんか、まあいいや。そんなのは趣味でも何でもない。一見無駄とも思えるような細かい部分にこだわってこそ、趣味は趣味たり得るのだ。

 僕はそう考える。

’11/05/11 (水)

願い叶う


 8日の話題にしたレコード、無事入手できそうである。最初に見つけたフランスのショップよりは少しばかり値が張るけれども、送料が安い分、総額では同等程度になった。海外から1枚だけ買うバヤイには、送料が大きなポイントになるのだ。

 これまでナンボ探してもなかなか見つからなかったものが、ここに来てわりと容易に発見できたのはとても不思議である。縁とは、実に奇妙なものだと、思う。

 ADのジャケットを見て、CDジャケットがトリミングされていたことを初めて知った。文字と絵のレイアウトも違っている。オリジナルのほうが遥かに重厚で豪華、なんとも言えない貫禄がある。これこそ、仏HMのジャケットだ。音も然ることながら、モノとしての価値もまた、ADの魅力の一つである。

 到着まで最低2週間はかかるはず。待ち遠しいなあ。

’11/05/10 (火)

過去最高


 「コンセルヴァトワール博物館 名器シリーズ Vol.2」(仏ERATO STU71146)を聴いた。長岡先生の評にもあるとおり、グァルネリ、アマティ、ストラディヴァリの音色の違いを聴こうという狙いのレコードで、音場感よりも直接音を鮮明に捉えるを重視した録音である。

 全曲、素晴らしく良い音。今までに僕が聴いたヴァイオリンの録音中、最優秀だと思う。各楽器の音色の違いは明確で、その方面に真っ暗な僕でも極めてハッキリとわかる。こんなに違うものかと、驚いてしまった。

 情報量が桁外れに多く、鮮烈、鮮明、繊細。超微粒子サウンド。僕の貧弱な文章力では、この音を十全に表現することは不可能だ。

 これまでは、どのヴァイオリン録音を聴いても心の底から「良い音だ」と感じたことがなかったように思う。しかし、このレコードは、違う。CD版ともまったく違う。これが本物の音であるかどうか、僕如きに判断できようはずもないけれども、個人的には過去最高のヴァイオリンである。

 大満足。

’11/05/09 (月)

使え


 レコパックもどきを調子よくどんどん使っていたら、いつの間にか残量わずかになってしまった。使えば減る。当たり前である。

 なくなったら作ればよい、のだがその前に、永く保存しているリ・レコパック(乾燥剥離膜から作った再生パック液)を使い切ってしまうことにする。

 再生後濾過済みで、ちょっと見には原パック液に劣らない。よーく見るとボロが出る。青色がやや薄く、僅か濁りもあるのだ。実使用に何ら問題なし。

 盤面に展開してみると、再生直後よりも明らかに粘度が上がっている。如何に密閉ボトルで保存してあるとは言え、溶剤の揮発を完全に防ぐことはできないのだ。これはホンマに早く使わねば遺憾。

 オリジナル(ゲンミツには、違う)レコパックの匂いは、とても久しぶりである。何だか懐かしい。初めて使った頃(1985〜1986)のことを、リアルに思い出してしまった。

 思えば、永く使っているのだなあ。

’11/05/08 (日)

買い直し


 レコード探しはA級盤に限ったことではなく、大昔CDで買ったタイトルをADで買い直すという、遠大(或いは、無駄)な目的もあるのだった。

 写真のCDは1988年6月に買ったものである。「ヨハン・カスパール・フェルディナンド・フィッシャー / 音楽の花束」(仏harmonia mundi HMC901026)。クラブサン曲集である。演奏はウィリアム・クリスティ。

 このタイトル、僕は大好きだ。モノスゴイ優秀録音、とは言えないけれども、厚く温かく、しかも切れのよいクラブサンの音は最高である。演奏のバックにチャーミングな小鳥のさえずりが聞こえ、何とも幸せな気持ちになる。曲、演奏とも抜群だと、思う。

 1979年録音、(C)1980だから、原盤はADである。それを聴きたくて、ヒッシになって探すわけだ。先日、フランスのショップで発見した、のだが、残念ながら日本への発送はNGだそうで。ともかく「ある」ことは分ったから、そのうちまた見つかるだろう。

 CD購入から23年、今更焦っても仕方ないのである。

’11/05/07 (土)

書店で


 このレコードもまた、永い間探し続けたA級盤である。「コンセルヴァトワール博物館 名器シリーズ Vol.2」(仏ERATO STU71146)。第1集24番収録。

 何年か前、親しい友達からCD版を貰ったのが聴き初めである。その鮮烈な音にびっくり仰天、何としてでもADを手に入れねば、と思えども、これがまた相当な入手困難盤なのである。

 それが今回、とある国内ショップで発見できた。と言ってもレコード店ではなく、音楽関係の書籍を扱う書店である。量は少ないけれどもレコード在庫もあって、その中にこれが含まれていたのだ。しかも、送料のほうが高くつきそうなほどの激安価格である。なんという奇縁だろうか。

 ジャケット内側にわずかのシミがある程度、盤はほとんど新品状態である。僕はもう大喜び。あるところには、あるのだなあ。

 これで第1集100タイトルは、残すところあと2タイトルになった。

’11/05/06 (金)

ナゾの階段式脚立


 写真の階段式脚立を買ったのは、箱船が出来て間もない頃、だったと思う。スチール製5.6kg。全高1020mm、1段の高さ230mm、踏み板200×300mm、下端幅450mm、上端幅345mm、といったようなものである。

 専ら、ラック上段からレコードを出し入れするのに重宝している。ただ、この脚立を買った当時は今ほどレコードが多くなかった。ラックはもっと低く、こんなものは必要なかったはずだ。僕は一体、何のためにこれを買ったのだろう。ナゾである。

 今、便利に使っているのだから、結果的には無駄な買い物ではなかったわけだ。まあ、いいか。ラック最上段の天板に箱物を置くにも便利だし。その手の作業に一般的な脚立では、危なくって仕方ないのである。

 欠点もある。たたんだ時にガタが多く、これを室内に置いたまま大音量再生すると、盛大にビリつくのである。

 だから普段は、階段室へ追い出してある。

’11/05/05 (木)

買うべきか、買わざるべきか


 忙しい、などと言いながら、レコード検索だけは続けている。

 上の写真は、最近web上で発見したものである。仏CALLIOPE系、フランスレーベルには珍しい45回転D2D専門のAPPROCHEからリリースされていたレコードである。A級盤にはAP004、009の2タイトルが取り上げられていて、どちらもたいへん魅力的な音が聴ける。

 発見したのはAP-005、「MATHEW LOCKE / CONSORT OF FOUR PARTS / THE VIOLES OF OXENFORD」というものである。詳しいことはゼンゼンわかりません。たぶん、45回転盤だと、思う。

 ヒジョーに興味はあるのだが、如何せん、やや高価である。APPROCHEのタイトルは、音が良い上にプレス数が少なかった所為か、おしなべて高い。ごくたまに激安盤を見つけても、あっと言う間に売れてしまって入手困難。みんなよく知っているのだ。

 買おうか買うまいか、もう1週間くらい迷っております。

’11/05/04 (水)

進捗度0%


 SAEC WE-506/30用のプレーヤーキャビネット新調計画は、現在進展なし。先月は何やら落ち着けない月で、腰を据えて思案する時間がまったくなかった。連休が明ければ少しは余裕ができる、かと思ったら、どうもそうは行かない様子である。

 早く使ってみたくてムズムズしている。けれどもいい加減なことはしたくないし、僕の頼りないオツムで考えられる限りの、良い環境を整えたい。となると、やはり時間が必要なのである。

 夏が来るまでには、何とかせねば。

’11/05/03 (火)

初夏の黄桜


 連休中のオツトメはなかなかに忙しくて、夜の踏ん張りが利かないで居る。

 写真は、遅咲きの黄桜「御衣黄」である。今年も見事に咲いていて、忙中閑有りと、しばし目を奪われてしまった。

 残念なことに、年々樹勢が弱まっているのが気にかかる。或るお宅の庭先にあり、お家の事情で樹の周りをアスファルトで固めてしまった所為であろうと聞いた。差し上げてもよいのだが、植替えは極めて難しく、おそらく枯れてしまうだろう、とも。本体は無理でも、何とか二代目後継樹を育てられないかと、思う。

 出入りの植木屋さんに相談してみようかな。

’11/05/02 (月)

舌の根も乾かぬうち


 「ひとまず終了」と言った舌の根も乾かぬうち、話題に窮してまたもや指掛け登場、である。申しわけないのである。

 今度は黄銅ロングねじで作ってみた。長さはSUSとまったく同じ、見分けをつけるため、白色の熱収縮チューブを被せてある。実測重量0.53g。SUSより0.06g重い。

 ちょん切って削ってチューブ被せただけで、今のところ未聴である。ここまで来ると理屈もクソもない、ただ「やってみたい、聴いてみたい」という好奇心あるのみ。大変りはしないだろう。たぶん「どっちでもエエ」のだと、思う。

 何やってンだか。

’11/05/01 (日)

橘かおる


 5月である。年中で最も素敵な季節がやってくるわけである。天候は安定していて、夜明けは早く夕暮れは遅く、つまり日照時間が長い。僕はもう、この時期が好きで好きでたまらないのだ。

 「橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり」というわけで、彼らの季節でもある。愚息ドモが小さい頃はウチの庭でも見られたものだが、既に泳ぐことがなくなって久しい。当時は、揚げ下げがメンドクサイ、くらいに思っていたものも、今となっては懐かしい風景である。

 エアコン要らずの、オーディオに最適の季節でもある。