箱船航海日誌 2010年08月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’10/08/31 (火)

オイシイところ


 現状、HX-10000 → C-280Vを繋ぐケーブルには、ortofonのSilver Referenceを使っている。本当は自作6NCu単線ケーブルを使いたかった。ところが残念、寸足らずなのである。

 ここにどのようなケーブルを使うかで、音は随分変わると思う。ウォームアップと併せ、ある程度のサウンドコントロールは可能ではないかと。それにアームケーブルも、現状ベターではあってもベストとは言えないのである。

 アンプを替えたら音が変わった。ハイおしまい。では面白くも何ともない。ここからがオーディオの楽しいところ、オイシイところなのだ。尤も、ホッタラカシにしておくのも、一つの方法では、ある。

 しばらくはHX-10000で楽しめそうである。

’10/08/30 (月)

やや重い


 DVDプレーヤーの居場所をぶん取ってしまったところの、HX-10000である。追い出されたH-1000(型番似てる)はどーなるのか。たぶん、どーにかなるだろう。

 カートリッジはPARNASSUS D.C.tのまま、HX-10000 → C-280V(LINE 1)の信号経路で試聴する。HX-10000は、ヘッドアンプ+フォノイコライザーという構成になっているのである。機能的には、H-Z1とC-280Vのフォノイコライザーが一つの箱にまとまった形になるわけだ。

 一聴して印象的なのは、歪み感が非常に少ないことである。その点だけを比較すると、従来の組み合わせを大きく上回る。さらに、バックグラウンドノイズが少なく極めて静かである。低歪み低雑音、すごくきれいな音である。情報量も多く、繊細感抜群。

 しかし惜しいかな、音色が少々暗い。加えて独特の重さがある。別の表現をすれば、落ち着きがあり重厚な音、とも言えるわけだが、僕の好みからするともう少し明るく軽快な感じが出て欲しい。

 尤も、僕の好みは相当に明るい方向へ偏っているから、この音がニュートラルなのかもしれない。休眠期間も非常に永かった。如何に2日間通電してあったとはいえ、本領を発揮するにはウォームアップが不足しているのだろう。

 音の嗜好云々はともかくとして、このアンプは素晴らしいと思う。持つ喜び、使える喜びがある。いささか古い装置だが、今の市場にこれを大きく上回るものが、幾つあるだろうか。

 時間をかけて試聴を続けたい。

’10/08/29 (日)

試聴準備完了


 中古品としては極々上の状態であったHX-10000だが、購入から10年、しかも使用頻度が低いとなれば、入出力端子のくすみは避けられない。防塵キャップを被せてあっても、何となく埃っぽいのである。

 当然のことながら、端子クリーニング実施。グランド端子とピンジャックのアース側は、アルコールを含ませたメラミンスポンジで磨く。力をかけすぎると却って傷をつけてしまうから用心しながら。ピンジャック・ホット側は、アルコール綿棒を突っ込んで磨く。

 それだけでは心許ない。ので、たいへん便利なクリーニングツール、オーディオテクニカのAT604を併用した。スポンジの上に乗っているヤツである。

 大昔からあるクリーニングスティックで、手持ちは20年くらい前に買ったものである。今も売っているのかと、思ったら、あっ、なんということだ、立派な現行商品なのである。しかも、20年前から価格据え置き。6本800円である。ハイCPだ。テクニカだからできるンだろうなあ。

 というわけで端子クリーニング完了。ピカピカになりました。筐体も全面きれいに拭き上げ、只今単体で通電中である。

 試聴は、明日に。

’10/08/28 (土)

HX-10000登場


 友達謹製シェルリード線の音を聴いているうち、ふと思いついた。そうだ、久しぶりにHX-10000を聴いてみよう、と。

 1987年、YAMAHA創業100周年を記念して発売された「10000番シリーズ」の、フォノイコライザーアンプである。当時の定価350,000円。重量20kg。全身是アルミの塊、装甲車のような、しかしYAMAHAらしい優美なディザインのアンプだ。

 1988年に新品購入し、上手く使い切れないまま1991年に一度手放した。その後、このアンプへの想い断ち切り難く、2000年に再度中古購入したという、僕にとってはイワク付きのモデルである。

 現状、H-Z1 → C-280V(AD1入力)という再生経路であるADプレーヤー2号、これをHX-10000 → C-280V(ライン入力)に変更して使おうという魂胆である。

 この方法で良い結果を得られる、のかどうか、今のところはまったくわからない。はっきりしているのは「音は変る」ということだけ。こればかりは実際に聴いてみるまで、何とも言えないのである。

 ちょっと、楽しみ。

’10/08/27 (金)

ぐんと成長


 昨年も同じような時期に、この樹を話題にした覚えがある。柿の木脇に自生したところの、タラの木である。

 今年も境内草刈を無事に通過した。尤も、今や誤って刈れるほどヒヨワなものではなくなっているわけだ。根元の太さは5cmに迫り、樹高は3mを超えようとしている。右下に写り込んでいる愚猫1号ラクと比較していただければ、凡その高さを実感されようか。

 というのは最も早くから生えている株であって、加えてその周囲には3本ほどのヒコバエが、これまた大きく成長しているのである。タラの木って、生命力強いです。

 来春は、芽のてんぷらをオナカいっぱい食べられるかな。

’10/08/26 (木)

「ボウシ」がメイン


 夏が終わるもう一つのシルシ。それが、この蝉の発生である。ツクツクボウシ。子供の頃、コイツが鳴き始めると夏休みの終りを実感し、とても悲しい気持ちになったことを、今もはっきりと憶えている。

 ニイニイゼミよりやや大型で、アブラゼミよりは小型である。当地では両者に比べて数が少なく、しかも警戒心が非常に強い蝉だから、実体を見られることは滅多にない。加えて羽が透明で目立ちにくく、捕まえるのはさらに至難である。

 「ツクツクボウシ」の名は、その鳴き声に由来する。要するに、「ツクツクボーシ」と鳴くわけだ。しかし僕は昔から一つの疑問がある。ホントに彼(♀は鳴けない)は「ツクツクボーシ」と鳴いているのだろうか。

 鳴き声をよく観察すると、鳴き始めに「ツクツクツクツク…」と助走期間があり、気合の乗ったところで「ボーシ」と大きく叫ぶ。そのあとに「ツクツク」が入りまた「ボーシ」と叫ぶ。この繰り返しが幾度か続き、息が切れたところで「ツクヒーヨ・ツクヒーヨ・ツクヒーヨ・ジー」と鳴き終わる。

 あくまでもメインは「ボーシ」であって、「ツクツク」は合いの手か息継ぎみたいなものではないのか。だから本当は「ボーシツクツク」、名前も「ボウシツクツク」にすべきだ。などと、どーでもええことを考えてしまうのである。語呂語感からすれば「ツクツクボウシ」のほうが、圧倒的にいいな。

 この声を聴いて寂しくなるのは、今も変わらない。

’10/08/25 (水)

毎歳忌


 当地の南隣り、福知山市にあるご縁の深いお寺に法要があり、出頭してきた。8月25日は、このお寺を開創された和尚様のご命日であって、この法要は毎年営まれるのである。

 お盆を過ぎて10日近く経っても、まだまだ暑い。はっきり言って猛暑である。これも毎年同様のこと。しかし、この法要の日を過ぎると、日中の暑さがどうであれ、朝晩はぐっと涼しくなるのだ。たから僕は、この日が夏の終りだと、毎年思う。

 7月17日の梅雨明けから数えて40日。大好きな季節が、終わる。

’10/08/24 (火)

決定


 ヒジョーに快調である。何を聴いても力強く晴れやかで、幸せな気持ちになれるリード線である。PARNASSUS D.C.tとはこんなに良い音だったのかと、これまでの使い様の甘さを思い知らされたりもしている。リード線は、大切です。

 SNまでが良くなったように感じられるのは、何故だろうか。元々静かなカートリッジだが、よりさらに静かで、とゆーことはつまり、Dレンジが広く聴こえるわけだ。シェルリード線としては例外的に大きい断面積を持つことに起因する、のかどうか、僕には分らない。この辺りは友達の上手さであって、線材や断面積には絶妙な匙加減があるのだろう。

 PARNASSUS D.C.tにはこのリード線で決定。もう元には戻せない。友達には感謝するばかりである。ありがとうございます。

 時間を忘れて聴き入ってしまう音に、困ったり喜んだり。

’10/08/23 (月)

縁の下の力持ち


 このような写真を撮ってみて、改めて思うのである。シェルリード線とは、如何にも目立たない、地味な存在だと。しかし音に与える影響は大きく、その意味では決して地味ではないのだ。縁の下の力持ち。

 換装作業に手間取り(WE-407/23は、なかなかにメンドウなのだ)、今のところLP片面を聴いたのみであることをお断りしておいて。

 このリード線は、極めて優秀である。友達曰く「音に艶が乗るのが特長である」と。もちろん艶もある。しかし、僕の耳にはハイコントラスト系、鮮明かつ繊細な音の傾向と感じられた。音の粒子、一粒一粒がくっきりと描き出され、しかも妙な強調感はない。どちらかと言えばハード傾向、だが、しなやかさと瑞々しさを併せ持っていて、実に晴れやかな音である。

 これは良い音だ。PARNASSUS D.C.tとのマッチングもたいへんグッド。水を得た魚の如く、生き生きと鳴っている。

 さらに試聴を続けたい。

’10/08/22 (日)

質実剛健


 友達謹製シェルリード線、実装完了。僕の好みと友達の推奨が一致するところのカートリッジ、LYRA PANASSUS D.C.tに使う。

 このリード線は、8N銅細線を複数縒りにして実に丁寧に自作されている。一般的な市販品よりもかなり太く、硬く、重い。通常、4本で1gを上回るものは滅多にないのだが、これは実測で1.04gある。正に「質実剛健」なリード線なのである。

 凡その音質傾向は友達から聞いている。試聴システムが違えば傾向にも違いが出るはず、ここはアタマを白紙にして試聴しようと思う。

 楽しみである。

’10/08/21 (土)

イケてる


 愚息2号たちの、バンド練習風景である。ベースとドラムしか写っていない。このときギターのA君は、切れた弦の張替え作業中。ボーカル君はというと、本業に忙しく欠席と聞いた。エラいなあ。

 2回目の練習である。どの程度のものかと、少しだけ聴かせてもらった。これが、なかなかヤルのである。リズムに芯があり、思ったより安定している。もちろん高校生アマチュアレベルでのお話である。けれども、箸にも棒にもかからんようなことはゼンゼンない。本番までにあと何回練習するつもりなのかは知らないけれど、この調子なら存外イケるかも。

 と、ゆーよーなことを後で愚息2号に伝えたら、ニヒルに笑って「そう?」と言った。彼は無口でクールなのだ。誰に似たンだか。

 高校生時代は短い。存分に、楽しんでくれ。

’10/08/20 (金)

楽しみはあれども


 レコードも聴かねば遺憾し、友達が作ってくれたリード線も聴きたいし、TiNナットへの換装もしたいし、この他にもいろいろと楽しみが待っている。のだが、何やら慌しくて思うにまかせないのである。

 20〜30代のころは、多忙な時ほど寝食を惜しんででもオーディオしたものだ。それが50代を目前にした今では、ゼンゼン駄目である。夜になると昼間の疲れがドッと押し寄せ、何だかもうフニャフニャである。体力よりも気力が続かない感じ。

 お盆の疲れもあるのかな。

’10/08/19 (木)

新来その2


 「時が止まればいいのに」と書いた翌日から、更新が止まっていたのではシャレにもならない。

 さて、上の写真は新来アイテムその2である。金色と黒、まるでAT-OC9/IIIの配色みたいな立派な箱に入った、ADタイトルである。

 どんどん聴いてどんどん日誌に書きたい、のは山々。ところが俄かに忙しくなってしまい、ほとんど聴けていないのだった。ホンのさわりだけを聴いた限り、録音、演奏ともたいへん良いモヨウ。

 詳しくは、また後日。

’10/08/18 (水)

熱波再来


 台風4号の襲来前後、湿度はともかくとして暑さはやや落ち着いていた、のだが、お盆が終わった途端、またぞろ強烈な熱波である。昨日も今日も、最高気温36℃超。

 今月はやたらと空の写真が多い。ご勘弁願いたいのである。僕は、夏の空が好きで好きで仕方がありません。抜けの良い青空と入道雲を眺めていると、今この時が如何にもいとおしいものに思えてならず、風景を切り取っておきたいのだ。

 この暑さと青空、もうしばらくは続くという。しかし、季節は確実に秋へ向っている。稲穂は既に、深く頭を垂れ始めているのである。

 このまま時が止まればいいのに。

’10/08/17 (火)

特薦盤


 「蒸気機関車」CD、まずは2000年盤から試聴する。久しぶりに聴くものだが、やはり優秀である。SLが発する音には重量感があり、非常にリアルだ。車輪が鉄路を叩く音にも切れがあり、しかし喧しくはない。距離感、移動感も抜群で、録音ロケーションが目に浮かぶような音場を再現する。

 ヤッパリ良いCDじゃないか。そう思いながら2010年xrcd24盤の音が出た瞬間,、あっと叫んでしまった。

 勝負あり。xrcd24盤の、圧勝である。レンジが圧倒的に広い。特に高域においての差が大きく、良い意味でアナログ的。素直に伸びて強調感がなく、しなやかで瑞々しい。切れは抜群、それでいてわざとらしい人工的な鋭さはまったく感じられない。鮮度、情報量がまったく違う感じである。この差は音場感の差に直結しているようで、2000年盤を大きく上回る。

 遥か遠くで鳴り響く汽笛、周囲の山にこだましディレイがかかって聞こえてくるエコー、徐々に近づいてくる機関車のドラフト音、眼前を通り走り去り遠ざかって行く列車の音、それらの距離感再現は尋常ではない。リアルという言葉では表現し切れないような実在感がある。線路周辺の鉄臭さまでが感じられるような、生々しさである。

 他にも優れている点は多くあるのだが、ありすぎて書き切れないから省略。ともかく、2000年盤とは次元の違う音、と言ってよいと思う。できればレンジの広い大型システムで、大音量(と言うよりも、実音量)再生したいCDである。相手は大艦巨砲の権化のような、SLなのである。

 源録音の良さ、xrcd24の威力、はもちろんだが、リマスターの上手さも、大きくモノを言っているような気がする。相当に注意深く、丁寧な作業がなされたであろうことは想像に難くない。

 特にお薦めしたいCDである。

’10/08/16 (月)

再びの復刻盤


 新来アイテムのうちの一つが、写真右のCDである。「The Sounds of Steam Locomotives 〜 世界の蒸気機関車の音」(日JVC JM-XR24600)。MYUさんより、拙掲示板にご案内いただいたCDである。

 8月20日の発売を前に、JVCマスタリングセンターの川口裕司プロデューサーよりサンプル盤をいただいた。僕と川口氏との間に親しい関係があったわけではない。MYUさんのお取り持ちによって、ご縁を結んでいただいたのである。両氏には、心から御礼申し上げねばならない。ご厚意、本当にありがとうございます。

 レコーディングプロであり、同時にオーディオ評論家でもある石田善之氏の録音による、蒸気機関車のサウンド・ドキュメントである。原盤はかなり古く、1983年にプライベートCD(非売品)として製作されている。

 アンダーグラウンドであるはずの盤が有名になったのは、長岡先生がstereo誌1990年5月号「長岡鉄男のディスク漫談」で紹介されたことに端を発する。単行本収録の際には「マル玉マーク」(つまり優秀録音盤)が付き、長岡ファンの多くが欲しがったけれども、プライベート盤だけに入手は困難であった。

 それを見事に復刻発売してくださったのは、MYUさんであった。2000年のことである。写真左がそのCDだ。当時僕は大喜びし、勢い余って2枚買った。長岡先生の評どおり、極めて優秀な録音である。10年以上経った今も、愛聴盤の1枚になっている。

 今回は、xrcd24でのリマスタリング再復刻である。仕掛け人は、もちろんMYUさんだ。従来復刻盤が優秀であることは間違いない、それが注意深くリマスタリングされたxrcd24バージョンではどのような音なのだろうか。期待せずには居られないのである。

 腰を据えて試聴してみたい。

’10/08/15 (日)

全日程終了


 2010お盆行事、全日程終了。僕は暑いお盆が好きだし、この達成感は格別である。しかし、さすがに疲れました。

 4日から今日まで、オーディオは開店休業状態で、まったく聴いていない。今日は少し聴きたい、と、今は思う。幾つかの新来アイテムがあるのだ。けれども日誌を書き終えたら、今夜もパワースイッチが切れそうな気がする。夜の踏ん張りが、まったく利かないのである。

 ちゃんと聴けるのは、明日以降かな。

’10/08/14 (土)

疾風怒濤の如く


 気がついてみれば、施餓鬼から早1週間経っているのだった。このようにして、8月は疾風怒濤の如くに過ぎ去って行くのである。ああ、夏は短い。

 村内が帰省の人々でにぎやかになる最後の日、村の広場では恒例の夏祭が開催された。小規模ながら花火も打ち上がり、盛会裏に終了したようだ。きっと、子供たちの心には小さからぬ結び目を作ったことだろう。

 お盆の行事も、あと1日を残すのみとなった。

’10/08/13 (金)

大過なく終了


 雨こそ降らないけれども、13日も蒸し暑い日であった。今日の棚経は移動に車を使っての村外回りである。運転中は避暑できるから、まだ良い。ただし、愚息1号は自転車で村外近場回りである。帰ってみたらほとんどスッポンポンで、やっぱりヘタレていた。

 本日を以って2010棚経全日程終了。先ずはお参りをお受けくださった皆々様に感謝し、大過なく終われたことを喜びたい。

 すべてのご先祖様にも、大感謝。

’10/08/12 (木)

ヘロヘロ


 日本海を横断した、わりに、当地では思ったより平穏であった台風4号である。雨が降るには降ったけれども、歩き始めて1時間ほどで止んでくれて大助かり。午前9時ごろには、ご覧の通り晴れ間も出てきた。

 ただ、湿度が異様に高いのには弱った。かいた汗がまったく乾かないのである。暑いのは好きだがジメジメしたのは嫌いだ。ヘロヘロになって帰り着いたら、愚息1号が衣を脱いでヘタレていた。いやいや、お疲れさま。

 棚経も、残りあと1日である。

’10/08/11 (水)

明日は明日の


 心配すべきは12日のお天気だったようである。今日はご覧の通り、昨日よりも好天で、とても気分良く歩くことができた。問題は、明日、だ。

 台風4号が、このタイミングで日本海を横断する予定。ちょうど僕が歩き始める午前6時頃、最接近するという。なんちゅう間の悪さだろうか。

 まあ、こればかりは仕方がない。何がどうなろうとも棚経は中止できないのだから、雨が降ろうが風が吹こうがどんどん歩くしかないのである。

 文字通り、明日は明日の風が吹く。

’10/08/10 (火)

降らぬ間に


 2日目はやや雲が多く、しかし歩いている最中には雨なしで終わることができた。ただ、台風の影響かどうか、湿度が高くて不快感は強い。午後からは随分な雨降りになった。

 明日のお天気が、ちょっと心配。

’10/08/09 (月)

1日目は、快晴


 2010棚経1日目は、昨年とは違って快晴であった。ああ、うれしいなあ。もちろん暑いけれども、雨が降るよりずっといい。愚息1号の加担を得て、お昼過ぎに終了。

 明日も引き続き、棚経である。

’10/08/08 (日)

今日から「残暑」


 施餓鬼は無事終了した。7日午後3時の気温は35℃、しかしやはり湿度が低めだったようで、ムチャクチャな汗かきにはならなかった。おかげさまである。皆々様、本当にお疲れさま。ありがとうございました。

 立秋を過ぎた8日の夕暮れは、写真の如くとても美しいものであった。何処となく秋の気配を感じないでもない。暦はよくできているのである。今日から「暑中」ではなく「残暑」ということになるわけだ。

 残暑厳しき折柄、明日からは棚経が始まるのである。

’10/08/07 (土)

施餓鬼2010


 お手伝いお当番さん、お世話方には早朝からのお出ましを願い、施餓鬼準備完了。ありがとうございます。あとは午後3時の開式を待つばかりである。

 昨日までに比べ、今日は湿度が低いようで、気温のわりにやや過ごしやすい日になった。ありがたやありがたや。但し、これは午前中までのこと、開式時間帯にはどうなるかわからない。やっぱり暑くなるかな。

 では、法衣完全武装で、出頭して参ります。

’10/08/06 (金)

暑いのならば


 明日は、2010年の施餓鬼会である。正月の話題を書いたのはついこの間、だと思っていたら、もうお盆が始まってしまうのだ。早いなあ。

 昨年は、暑いことに違いはなかったものの、天候そのものはヒジョーに不本意。晴れるンだか降るンだか、さっぱり煮え切らない日であった。どーせ暑いのだから、カッと晴れた切れのよい日がいいに決まっている。

 今年はイケそうだ。

’10/08/05 (木)

生まれつき


 立秋近しと言えども、未だ日中は真夏そのものである。2007年の夏以来3年ぶりに、光と影のコントラストがハッキリした夏を、存分に楽しんでいる。

 空には毎日見事な入道雲が現れ、だからこそ昨日書いたような気象現象が見られるわけだ。何故だろうか、僕はこのような風景を見ると決まって子供の頃を思い出し、とても懐かしい気持ちになるのである。どうやら僕の夏好きは、生まれつきのようだ。

 間もなくお盆である。

’10/08/04 (水)

雷鳴と電光


 毎日酷暑の日が続いている。猛烈な暑さ、と言ってよいと思う。何をするにも大汗かきで、メタボな僕にはダイエットになるのである。熱中症だけには、気をつけましょう。

 夕方、雲行きが不穏だと思ったら、強烈な雷と稲妻である。この辺りには珍しく、雨をほとんど伴わない、いわゆる「ドライ・サンダー」であった。こんなバヤイに外仕事をしていたら危なくて仕方ないから、縁側に避難して暫し稲妻鑑賞を決め込む。

 身の安全が確保されている状況で見るライブ稲妻と雷鳴は、実に魅力的である。こんな映像と音が、オーディオシステムでHi-Fi再生できたら、と思うけれども、絶対不可能だろう。とてもついて行けません。

 稲妻が去ったあとに驟雨が降り、お昼間の炎熱地獄がうそのように涼しくなった。思えば本物の夏は、あと2日で終わるのである。

 8月7日は、立秋です。

’10/08/03 (火)

チタンの可能性


 写真は、現用トーンアーム EPA-100MkII(以下、MkII)のアームパイプにある刻印である。「BORON TITANIUM」。基本的にはチタンパイプ、その表面にボロン層を生成させ、機械的強度を上げ共振を抑え込んでいる。大変手の込んだアームパイプである。

 このアームの前モデル、EPA-100(以下、100)では、同じくチタンパイプを採用しているのだが、表面処理が違っている。僕は残念ながら所有していない。お持ちの方ならもちろんご存知、パイプには「Titanium Nitride」の刻印がある。チタニウム・ナイトライド。TiNである。先日からのナットと同じく、表面を窒化チタンでコーティングしてあるわけだ。

 100の発売は1976年、MkIIが1982年。おおかた30年以上も前の製品をして、極めて先進性が高いと言わざるを得ない。当時のテクニクスの高い技術力、オーディオに対する気概を感じさせる製品である。

 尤も、だからと言って何者にも増してチタンが優れている、などと決め付けるつもりはない。メリットがあれば、その裏には必ずデメリットがあるのだ。ただ、今を以て高い評価を得ている両アームを思うとき、チタン素材には少なからぬ可能性を感じるのである。

 上手く使うことが、肝要か。

’10/08/02 (月)

存在感、大


 光のあたりグワイによっては、御覧のとおり「いぶし金」のようにも見える、最新版純チタンナットである。如何にも微妙な色合いであって、僕のへたくそな写真では質感を正確に表現することはできない。残念である。

 ルックスはともかくとして、その音、である。結論から言うと、やはり表面をTiN化したことは無駄ではないと感じた。「そのような加工が為されている」というバイアスの影響も、皆無とは言えないと思う。けれども、明らかに鮮明度、分解能などの点で、素のままの純チタンナットに差をつける。

 歪み感の少なさも印象的で、雑味が失せ清澄感が向上する。例によって、あっと驚く激変、ではないものの、ホンの僅かでも歪みが減るならば、僕にとっては重大事なのである。質の高い大音量再生を実現するに、歪みは大敵なのだ。

 製作者ご本人の弁では「TiN層が薄いから、さほどの効果は期待できないと思う」とのことであったが、いやいやゼンゼンそんなことはない。小さなパーツでありながら、存在感は極めて大きいと思う。

 機能的にも優れている。ある程度締めてしまうと、そこから先ナットが空転しないのである。ナットをラジペンで挟んで締める必要、なし。なぜだか分らない。真鍮やSUSではあり得なかったことである。これは、とてもありがたいことなのだ。

 素晴らしいナットである。

’10/08/01 (日)

やっと交換のみ


 8月である。先月末からいろいろと慌しく、ナット交換試聴作業は遅々として進まない。ようやっと交換のみが完了したところである。

 あとはアームに着けて聴くだけ。実に簡単明瞭、なのだがその時間がない。聴くなら心を落ち着けて聴きたいし、またそうでないと違いが益々わかり難くなるのである。

 明日は聴ける予定、のはず。