箱船航海日誌 2010年05月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’10/05/31 (月)

10年


 この日誌を書いている月29日は、僕にとっては忘れ得ぬ日だ。長岡先生のご命日である。10年、経ってしまった。

 写真は、友達が届けてくれた方舟の近影である。今も先生ご生前の頃とほとんど変わらない状態のように見える。但し、スクリーンに向かって右手の壁にあった膨大な量のADは、すっかり撤去されている。壁にラックの痕跡を遺すのみ。

 今、1回目(2001年)から9回目(2009年)のご命日までの日誌を読み返してみた。毎回々々、同じようなことばかり書いている。そうとしか、僕には書けないのだ。

 十年一昔。既に過去のことと、少しは思い出が枯れてもよさそうなものだが、未だに心の奥の痛みは、消えない。斯様に長岡先生は、僕にとって偉大で巨大な存在だったのである。

 それは、今までもこれからも、ずっと変わらない。

’10/05/30 (日)

見立て甘し


 次のレコパック標的は、このレコードである。「JEAN BARRAQUE / SONATE POUR PIANO 1950-1952」(仏ASTREE AS36 )。ずいぶん前に中古で入手し、クリーニングをサボっていたものである。

 盤面を見たところでは、特に問題ないようだ。先日話題にしたレコードに比べれば、もう雲泥の差である。一旦はレコパック不要か、とも思ったけれども、中古盤にはすべて実施するのが僕のシキタリだ。これくらい状態が良ければ、1回で充分だろう。

 見立てが甘かった。パック完了後に聴いてみると、プチプチノイズがかなり多い。おそらく傷みではなく、目視では分からない微細な汚れが音溝に食い込んでいるのだろう。クリーニング不足である。

 国内中古ショップで買ったものである。在庫全タイトルを某社高級クリーニングマシンで処理していることを売りにしている店だが、うーむ、どーしたンだろう。処理し忘れたかな。それともマシンの調子が悪かったか。

 見た目だけでは分からないのが、中古レコードの怖いところでも、ある。

’10/05/29 (土)

中毒


 ULS-3X、クリーニング完了。小さなものだから、時間はかからない。結果はご覧の通りである。真っ黒だったコネクターピンは、きれいになった。ただ、元々そうなのか経年劣化なのか、ロジウムメッキの表面に艶がない。まあ、仕方ないのである。

 ヘッドケース(本体)、コネクター全体、リングワッシャ、取付ネジ、カーソルプレート、すべてアルコールを含ませたお掃除スポンジで磨き倒し、ハイテククロスで仕上げ拭きした。どうやっても取り切れないシミ様の汚れが僅かに残るけれども、ほぼ新品同様の美しさが戻ったと思う。

 この達成感が、偏執的クリーニングをヤメられない、最大の理由なのだ。何だかすごく得をしたような気分になるのである。「クリーニング中毒」と言ってもよいかもしれない。

 さて、このシェルに、どのカートリッジを付けようか。

’10/05/28 (金)

クリーナーズ・ハイ


 上の写真は、最近中古で入手したSAEC ULS-3Xである。基本的には無傷で、機能的にも何ら問題のない良品である。の、わりには比較的安価だったから、まあ、お買い得と言える。

 但し、である。昨日までの日誌で話題に具したレコードではないけれど、このシェルも汚れがひどい。ヘッドケース(カートリッジが取り付く部分)には黒いシミが点々とあり、特にコネクターピンはご覧の通り。本来ならロジウム銀色に輝いているべきが、スス様の汚れでマックロケである。

 尤も、このような状態であることを重々承知で買ったわけだから、文句を付けるつもりは毛頭ない。ないけれども、不思議に思うのだ。どーやったらこんなふうになるのかと。フツーに使っていれば、こんなんにはならんはずだが。

 ここは例によって、アルコールとお掃除スポンジのお世話になるのである。一般的には汚れていれば不愉快になるところだが、僕は違う。掃除できることを喜んでいるのだ。一種の期待感みたいなものが、ある。クリーナーズ・ハイとも言うべきか。

 手段が目的化しております。

’10/05/27 (木)

ささやかな発見


 レコパックもどき6回目完了。5回目の後にからしても、さらにノイズの低減を見た。新盤と比較してもほとんど遜色ないくらいのレベルである。

 充分満足できる結果が得られたと、個人的には喜んでいる。しかし、このやり方をレコパックユーザーの何方にもお勧めできるかというと、それは甚だ疑問である。尋常ではなく手間がかかるうえ、どのような状態のレコードにも必ず効果が上がる保証はないのだ。下手をすれば時間とパック液の浪費、だけに終わってしまう可能性もある。

 この実験を通して、一つの発見があった。乾燥プレートを使い乾燥時間を短縮すると、自然乾燥に比べてクリーニング効果がやや弱くなる、ということだ。違いは僅かである。汚れの程度が常識的なレベルの盤ならば、分からないほどの差ではある。今回は、格別に状態の良くない盤だったから、気がついたことだ。

 何故だろうか。正確なところは、解らない。愚考するに、パック液の主溶剤であるアルコールと盤面(音溝)との接触時間の長短が、関係しているのではないか、と。

 乾燥させる、とは、早い話がパック液中の水分とアルコール分を飛ばす、という作業である。自然乾燥ならば最低でも4時間、気温が低い時期なら7〜8時間かかる。強制乾燥させると1時間以内である。盤の汚れには埃以外に、油脂分なども含まれていることを考えれば、アルコールに接触している時間は長いほうが有利なのではないか。

 尤も、今回のような状態のレコードは、特例中の特例である。常識的な環境において、乾燥プレートのメリットは圧倒的だ。クリーニング効果低減のデメリットは九牛の一毛、明らかにメリットがデメリットを上回る。乾燥プレートの有用性、価値にはいささかの瑕疵も付かない。

 未だに発見があるレコパックもどき。実に、楽しい。

’10/05/26 (水)

ノイズ激減


 パック3回 → 再生 → パック1回 → 再生 → パック1回 → 再生 → パック1回(只今実施中)。これが今日までの流れである。つまり上の写真は、都合6回目パックの最中になるわけだ。

 昨日の日誌は、パック3回目のあとに再生した時の様子である。ダメ元でやってみた4回目パック、これが案に相違して効果が高く、ノイズがかなり低減されたのだ。少なくとも離調ノイズ様ではなくなった。

 味を占めてもう1回。5回目パックを実施し、聴いてみた。なんとなんと、ノイズ激減である。傷に起因する雑音は致し方なし、それを除けば通常レベルの静かさまでに達したと思う。音もずいぶんと良くなった。致命的とも思われたノイズの嵐は、積年の汚れに拠るものがほとんどだったのである。

 それなればもう1発と、6回目をぶちかましているわけである。ここに及んで更なる改善があれば、もう1回でも2回でも、10回くらいまではやってみても良いと考えている。

 我ながらアホな所業だと、思う。世にはもっと高効率で効果的なクリーニング方法、或いはツールがあるのだろうし、有体に言って、ここまで手間をかけるほどのレコードでもない。されども、レコパック大魔王を自称する僕としては一つの実験のつもりで、どこまで行けるかこだわってみたいのだ。

 それもこれも、自作量産可能なレコパックもどきあってこそ。ナガオカオリジナルパック液をチビチビ使っていた頃なら、こんな実験は絶対にできなかっただろう。

 友達に、大感謝。

’10/05/25 (火)

致命傷か


 検聴の結果は、極めてよろしくないものであった。猛烈なノイズの嵐である。プチプチを通り越してザーザー、ピンクノイズかAMラジオの離調ノイズか。少々大げさだが、それに近い状態だ。汚れ方が史上最強なら、ノイズの多さもまた最強である。こんなの初めて聴いた。

 おそらく汚れだけの問題ではないのだろう。ろくにクリーニングしないまま再生し、埃を巻込んでしまったか、磨耗し切ったスタイラスを使ったか、或いは著しく感度の低いアームを使った所為で音溝を削ったか。

 これはひょっとして致命的ではないのか。だとしたら、レコパックで改善される見込みは、ない。もうだめかもわからん。そう思いながらも1面最後まで聴いた。一縷の望みをもって、再度レコパックしてみるのである。

 諦めがつくところまで、徹底的にやってみよう。

’10/05/24 (月)

掘り起こしてもう1回


 やはり手強い汚れであった。パック1回では不充分である。目立つ埃は除去できたものの、それを固着させていたらしいバインダー様物質は除き切れなかった。盤面を光に翳して検分すると、白っぽいくすみがはっきり見て取れる。

 写真は、パック3回目の乾燥膜を剥離したところである。驚くほどきれいになっている、ように見えて、実はこれでもまだ充分とは言えない。今回の汚れは、斯様にしつこく性質が悪いのである。

 この時点で、一旦再生してみることとする。盤の状態を知るため、の他に、もう一つ目的がある。いささか荒療治ではあるけれども、パックで取り切れていないかも知れない音溝の汚れを、スタイラスで掘り起こすため、である。再生したあとさらに1〜2回パックを重ねることで、ノイズが劇的に低減されるケースがあるのだ。

 埃のベールを剥がしてみると、盤そのものの傷みもヒジョーに多いことがわかった。やはり基本的なハンドリングに大きな問題があったらしい。埃や汚れはレコパックもどきである程度改善できたとしても、酷いキズや音溝の傷みは、如何ともし難いのである。

 オーディオで言うところの「再生」とは別の、「再生」作業になってしまいました。

’10/05/23 (日)

これはヒドイ


 今までにたくさんの中古盤をレコパックしてきた経験からしても、これほど汚れがヒドいレコードに出会ったのは初めてである。ジャケットから取り出した瞬間、思わず「うえ〜、きったねー」と叫んでしまった。史上最強のキタナレコードだ。

 埃っぽい環境に裸で何十年も放り出してあった、としか考えられないような汚れ方である。しかもこの埃、指でなぞってもまったく動じない。何かがバインダーとなって埃を固着させているのだ。タバコのヤニか、或いは脂のようなものか、はたまた質の悪いレコードスプレーの所為か。

 出自のはっきりしない中古盤である。ジャケットの傷みグワイからすると、飲食店などのBGM用に使われていたとも思われる。脂っぽいケムリに燻され裸でころがされ、こんなふうになっちゃったかな。何とも気の毒なレコードである。

 しかしこのようなものを見れば、なにくそ負けてなるものか意地でもきれいにしてやるぞ、という気持ちになるのである。不当な扱いを受けた上、ADはノイズが多くてダメだ、などと言われたのではレコードも浮かばれまいて。

 1回目のレコパックで、どこまで行けるか。

’10/05/22 (土)

まとめてレコパック


 手に入れた中古盤は、その都度きっちりクリーニングしている。と、胸を張って言えれば立派である。それを横着するからこーゆーことになるのだ。未だ4枚、要クリーニング盤が控えている。

 このようなバヤイには、これだ。友達謹製「レコパック強制乾燥プレート」である。本来なら2段重ねで使用するのが正しい。しかし事態はキンキューを要している(大げさな)から、むりやり4段重ねとしてみたわけだ。

 まったく問題なし。ファンの角度を少し上向きにすれば、ちゃんと4枚に風が行き渡り乾燥時間を大幅に短縮できる。最上段の上面は少々苦しそうに見えて、これが結構イケるのである。まったくの無風状態とは違い僅かでも空気に動きがあれば、乾燥はかなり促進されるようだ。

 このグワイなら、5段重ねにしてもそれなりの効果が得られるだろう。特に、5段目の裏面なら確実に乾きが速くなると思う。クリーニング必須の中古盤を溜めておいて、実験してみようかしらん。横着は得意技だし。

 図らずも、乾燥プレートの威力を再発見したのであった。

’10/05/21 (金)

Disc 8の魔力


 全11枚、試聴を終わった。非常に優秀なCDセットだと思う。優秀録音、豪華なケースとジャケット、詳細な解説付き、xrcd24仕様11枚組で33,000円はハイCPである。1枚あたり3,300円が何故ハイCPなのか。xrcd24の平均的な価格を知れば、納得できるはずだ。

 11枚中、最も印象に残ったのは、やはりAS29が収録されたDisc 8であった。1〜7、9〜11も優秀であることはもちろん、しかしDisc 8は録音でも楽曲でも一歩抜きん出ている。

 このディスクだけがヴェルサイユ宮殿・王の第一控の間(1979年6月)で録音されていて、他のディスクに比べて明らかに響きが豊かである。瑞々しく匂い立つような美しさを持ったホールエコーである。こんな録音は滅多に聴けない。

 第14組曲「恋の夜鳴きうぐいす」(トラック1)、「ジュリエ」(同5)にはフルートが加わり、曲に色彩感を与えていることも他とは異なるところ。このフルートがまた、ヒジョーに良いのである。長岡先生の紹介記事(外盤A級セレクション第2集 36〜37項)にも見えるとおり、一種の「魔力」のようなものが感じられる。

 などと、先生の評価通りのことをそのままここに書いてみても、まったく無意味であることは重々承知している、つもり。ここは一長岡ファン、ASTREEファンが子供のように喜び戯言をタレているとして、ご容赦願えればと思う。

 今や入手極めて困難となった音源を聴けることに、心から感謝したい。

’10/05/20 (木)

Disc 1〜6


 長岡先生推奨のAS29は、Disc 8に収録されている。最初にそれから聴こうか。イヤイヤそれは遺憾と、素直にDisc 1から試聴を始めた。

 厚くこってりと脂っこい仏ASTREEの特長がそのまま生かされた、優秀なCD。それが第一印象である。このような音が、最近ほとんど聴かれなくなったのは寂しい限りだ。必ずしもHi-Fiとは言えないのかもしれないが、極めて魅力的な音である。独特の豊かさ、輝かしさがあり、聴いていて幸せな気持ちなる。

 殺風景なスタジオではなく、教会や美術館、宮殿などの一室で録音されているから、曲間には環境雑音が入る。鳥のさえずり、自動車の音、人のざわめき、風の音、など。

 このCDはSNに優れていて、それらの環境音がより鮮明に聴ける。楽音からみれば雑音になるはずの音が、生々しさと雰囲気をより一層引き立てているのである。録音現場の空気感、匂いまでもが再現されるようだ。

 現在Disc 6まで聴き進んだ。引き続き、試聴する。

’10/05/19 (水)

COUPERIN


 先月初め、MYUさんからご案内があったクープラン・クラブサン曲全集(日JVC JMXR-24510〜20)が、届いた。5月14日公式発売、それが15日の午前中に到着していたのだから、驚くべき速さと言える。まさに、出来立てのホヤホヤである。MYUさん、ありがとうございました。

 xrcd24仕様、11枚組。ハードカバーのジャケットにCDが2枚ずつ(JMXR-24520だけは1枚)入っていて、さらに上等なハードケースに収められている。詳細な解説ブックレット付き。もちろん日本語記述だから、フランス語が皆目ワカラナイ僕にはとてもありがたいのである。

 オリジナルの仏ASTREEアナログLPでは、カタログナンバーでAS21〜33の13枚に全曲が収められている。今や極めて稀少で入手困難である。たまさか発見しても非常に高価だ。悲しいことに僕は、AS23(第3・第4組曲)、AS27(第9・第10組曲)の2枚しか持っていない。

 「1枚だけ選ぶならこれだ」と長岡先生が推奨されたのは、AS29(第14・第19組曲)である。見事にハズしている。カスってもいない。いつかは手に入れたいと思いながら、今のところ縁がない。

 だからこそ今回の復刻CDには、大いに期待するわけである。注意深く丁寧にマスタリング、製盤されたxrcd24ならばなおのこと。

 全11枚、試聴が楽しみである。

’10/05/18 (火)

シロアリ禍


 発覚した問題とは。古い木造住宅にありがちな、シロアリ禍である。ご覧のとおり、床下横木が食い荒らされてボロボロだ。

 ちょうどここは手洗い場の真下にあたるところである。ほかよりも湿気が強く、シロアリさん大好きな環境が整っていたのだろう。材木の目と目の間、柔らかいところだけを好きなだけ食いまくり、今はもう退去したあとである。触っただけで崩れるほどスカスカになっている。

 このままでは工事を進められない。具体的には、新しい部材に差し替えるしかないのだろうと思うけれども、さて、手間と費用がどれほどになるのか。

 工事が進むにつれ、他にもこのような不グワイが見つかる可能性は高い。考え様によっては、今回の整備工事は良い機会、とも言える。これがなければ、対症療法的な修繕ばかりに追われ、費用の面でも大きな無駄を生む結果になったかもしれないからである。

 災い転じて福と為す。

’10/05/17 (月)

築82年


 写真は13日夕方時点、解体半ばの旧建屋である。今はもう土台を残すのみまでに解体が進んでいる。

 築82年の建物ともなれば、壊してみて初めてわかる不グワイが発見されるのではないかと、建設委員諸氏は心配しておられた。そのとおりである。案の定、建屋と母屋とのつなぎ目床下に、問題発覚である。

 北丹後地震(1927年3月7日 M7.3)直後、昭和初期からずっと踏ん張っている母屋である。不グワイもありなん。善後策を講じて行かねばなるまい。

 ここは、建設委員会の裁量に委ねるのである。

’10/05/16 (日)

福来る


 昨年12月1日の写真では、寒々とした冬枯れ姿だったイチョウも、今やすっかり新緑である。滴らんばかりの緑にうれしくなって、近くまで見に行った。

 ちょうど時節が良かったのだろう、珍しいイチョウの花を見ることができた。写真に見えるフサフサした黄色い物体がそれである。ちょっと不鮮明で、申しわけないのだが。

 イチョウは雌雄異株である。写真の樹にはギンナンが生らないから、♂。つまり、この花は雄花なのである。恥ずかしながら、僕はイチョウの花を初めて見ました。実が生るンだから花があるのは自明の理、しかし今まで自分の目で確認したことはなかった。

 一般的にも、ほとんど知られてはいないようだ。花が咲き始めるのは株の雌雄に限らず樹齢20年を超えてから、樹の大きさに比べて花が極めて小さく地味で目立たない、咲いている期間がヒジョーに短い。などが原因なのかもしれない。雌花はさらに小さくしかも緑色だから、発見はなおのこと困難である。

 滅多に見られないからかどうか、イチョウの花を見つけた者には福来る、という言い伝えがあるそうだ。こいつは春から縁起が良い。何かいいこと、あるかしらん。

 ご覧いただいている方々にも、福のお裾分けができれば、いいなあ。

’10/05/15 (土)

九尺藤


 寒の戻りだの何だのと言っても、お日様が顔を出せば、やはり季節は初夏である。日向はとても暖かい。

 昨年に続き、今年も藤が元気である。すぐ近くの里山で、山藤がきれいに咲いている。8日の日誌に載せた種を実らせた樹である。来年もたくさんの実を付けることだろう。

 僕は元来紫色の花が大好きで、だから藤が咲くとうれしくて仕方ないのである。しかも当寺の寺紋が「下り藤」であることも手伝い、何となく親近感を持つのである。

 兵庫県丹波市市島町にある白毫寺(びゃくごうじ)というお寺は、「九尺藤」で有名である。花房の長さが九尺もある立派な藤、というわけ。九尺というと約270cm、実際にはそれほどにはならないそうだが、それでも150cmには達するという。

 写真の山藤が、せいぜい20〜30cmほど。その5〜7.5倍の長さの花房が垂れ下がるわけだから、そりゃあもう美しいに決まっている。きっと壮観だろうなあ。当地からそんなには遠くない。一度観に行こう、と思いながら、なかなか行けないのである。

 今が見頃の真っ最中だそうです。

’10/05/14 (金)

整備工事、始まる


 5月も半ばになろうというのに、今朝の気温は10℃に届かない。連休中の好天からみれば−20℃以上の気温差である。お天気おねいさんは「寒の戻り」と言い、同時に「来週からは梅雨の走りに入る」なんてゆってる。冬なんだか夏なんだか、ワケがわかりません。

 13日の寒い朝から、工事が始まった。取っ掛かりは、母屋西側の古い古いトイレ、ではなくて「お便所」の解体からである。梯子がかかっている小さな建屋がそれ。ここは昭和の香りどころか、大正の香りすら漂うような、由緒正しき(?)お便所である。ある意味貴重な存在、とも言える。しかし実際に暮す者としては、まあ、いろいろあるわけです。

 工事は今後お寺の水周り全般に及び、7月いっぱいを以って完了する予定である。工期は約2ヶ月半。その間、建設委員諸氏にはこれまで以上にお世話にならねばならない。

 よろしくお願い申し上げます。

’10/05/13 (木)

飲む


 気温差が激しい所為か、しっかり風邪をひいてしまって弱っている。冬の間は健康に過ごせたのに、今になってこうなるとは何ともマヌケな話なのだ。

 風邪に効く薬はない、ほっときゃそのうち、薬飲むより早く治る。確かにそのとおりだと思う。けれども僕は薬を飲むのである。シンドイのは「今」なのだ。特に、酷い頭痛は我慢できない。

 週末までには治さないと。

’10/05/12 (水)

要領を得ず


 町営プロバイダの不グワイは、未だ解決されない。webページ設置については、例によって浅原くんのおチカラ添えによりどうやら解決のめどがついたが、e-mailがどうにも上手く動かなくて困っている。

 受信OK、送信NG、という状況が続いている。町のサポートへ問い合わせるも、なんだかイマイチ要領を得ない。曰く「smtp設定を確かめろ」「ルーターをリブートしてみろ」「パスワードは正しいか」など。それらは既に複数回確認済みである。ポート番号の変更も試したが改善されない。困ったのである。

 尤も、このメールアドレスが使えなくとも、個人的には大きな支障は生じない。ただ、町は「契約者には家族人数分のメルアドを差し上げます」と大きくコマーシャルしているのだ。ならば、最低限正常に使える環境と、サポート体制は整えておくべきだろう。

 サービス拡張直後のこと、鷹揚に構えて待つが吉、か。

’10/05/11 (火)

長期実験


 昨年5月、レコパックもどきを再生産した時、1年後に結果を見るつもりで一つの仕込みをしておいた。

 まずは通常どおり、パック液を盤面(両面)に展開し、乾燥させる。フツーはここで膜を剥がしてクリーニング完了となる。この実験では膜を剥がさないままジャケットに仕舞い込み、ラックへ収納する。剥がすのは1年後、盤と膜の経時変化を見よう、という狙いである。

 NAGAOKAオリジナルレコパックの取説には「長期間レコードを使用しない場合は、パックしたままの状態で保存しますと、レコードにゴミやキズが付きません」とある。オリジナルでは問題ないらしい。しかしこちらは「もどき」である。トラブルの有無を確かめておくのも決して無意味ではないはず。そう考えての長期実験である。

 今日、ちょうど1年が経った。結果は、OKである。剥離作業にも、剥離後の盤面にも、何らトラブルは起きない。乾燥直後に剥がすのと、何も変わらない感じである。かなり汚れのひどい盤だったがクリーニングも完璧で、とてもきれいになっている。

 見た目グッドであっても、再生でNGとなる可能性もある。剥離後すぐに試聴した。これまたグッドである。妙なノイズが乗ることもなく、まったく問題なしである。

 レコパックもどきの乾燥膜が盤に密着した状態で1年間保管しても、問題ないことがわかった。たぶん2〜3年保管も大丈夫だろう。但し、極端に乾燥、或いは湿度の高い環境での保管は、避けたほうが賢明だと思う。次は10年間実験でもしみるか。

 まるでタイムカプセルである。

’10/05/10 (月)

ようやく試聴


 ようやっと聴けました、赤箱2号。尤も、まともに音を聴くこと自体、10日ぶりくらいだから仕方ないのである。

 「Corroboree」同様、素晴らしい音である。目の覚めるが如く冴え冴えとしてよく伸びた高域、張りと浸透力のある中域、スピード感と量感が見事に両立した低域、どこを取っても文句なし。音場は渺々として高く深く、極めて生々しい。リアルの極致である。

 ものすごくシャープでクールな音だが、繊細感としなやかさも併せ持っている。この辺り、バーニー・グランドマン氏の上手さではないか。音楽をよく知っている、という感じだ。

 通常、30cmLP1枚に充分収まり切る楽曲である。実際、オリジナルは1枚ものである。それを4枚4面にカッティングしてあるから、45回転盤とはいえ充分すぎるほどの余裕があるわけだ。その余裕は明確に音に表れていると思う。何らのストレスもなく、音が楽に噴き出してくるような印象なのだ。

 音とは無関係にたった一つ、注文を付けるとすると、一面がヒジョーに短いこと。ああ、良い音だなあと聴き入っているうち、ストンと終わってしまう。だからこそこの音あり。わかっていても、ちょっと残念なところは、ある。

 天は二物を与えず、というところか。

’10/05/09 (日)

浅原くん


 昨夜、何年かぶりに半徹夜をしたら、今日は一日死にそうなほど眠くて弱ってしまった。眠いだけならまだしも、頭痛はひどいし歯は浮くし。歳は取りたくないものだと、独り呟くこと頻りである。

 それに付き合ってくれた浅原くんは、大学時代の同級生であるからして、僕と同じ歳。彼もしんどかっただろうなあ。どうもありがとう。

 彼はバリバリ文系のH園大学出身でありながら、現在webデザイナーを生業としている。思えば学生時代から、絵がとても上手かった。なかなか良い仕事をするようなので、ご用の折はぜひKZIP Medium, Inc.まで、よろしくお願いしたいのである。

 旧い友達とは、如何にもありがたいものである。

’10/05/08 (土)

藤の種


 これは何でしょうか。まあ、そんなに珍しい物でもないから、ご存知の方も多いと思う。円形茶褐色の小さなヤツは藤の実、螺旋状にネジれたものはそれが収まっていた鞘、である。

 昨年は藤の咲き年で、実に美しかった。花が盛大に咲けば実もたくさんできるわけだ。その実が今年になって熟し、藤の木の元には写真のようなものがいっぱい落ちている。

 藤はマメ科の植物だから、実はまさに「豆」である。長さ20cmくらいの巨大な豆鞘が、木からたくさんぶら下がる。生った直後は緑色、1年かけて熟すると茶褐色となる。豆といってもその鞘はとんでもなく頑丈にできていて、ちょっとやそっとの力では開くことができない。熟するとさらに硬くなるから、こんなもんがいったいどうやって種を世に出すのかと、不思議に思うのである。

 そこは藤さん、ちゃんと考えている。実が生ってちょうど1年後、気温が上がると鞘が乾燥し、自然に破裂するのである。破裂、というよりは、合わさっていた2枚の鞘が捻じ切れる、と言ったほうがよいかもしれない。写真のようなグワイである。

 これは相当な音と勢いで弾けるのであって、かなり遠くからでも「パッチーン」というトランジェントの良い音を聴くことができるほどである。

 その勢いで、種は遠くまで弾き飛ばされることになる。斯くして、藤は己の遺伝子を徐々に拡大再生産して行くと、まあこーゆーわけなのだ。拾ってきた種は、裏庭の垣根あたりに蒔いておきました。

 まんまと藤のインボーに、嵌っているのである。

’10/05/07 (金)

開封しただけ


 クラシック・レコーズ赤箱2号の中身は、ご覧のとおりである。「Ballet Music of Gounod and Bizet / "Faust" "Carmen" / Gibson」(米CLASSIC RECORDS LSC2449-45)。乳白色200g45回転、片面カッティング盤4枚組。

 実は、開封しただけでまだ聴けていないのである。ネット環境の整備に手間取りすぎ。早く聴きたいのは山々なのだが、近頃夜遅くの踏ん張りが、まったく利きません。

 ダメだなあ。

’10/05/06 (木)

大山鳴動鼠一匹


 もう使うことはほとんどない、あとは朽ちるだけ。そう考えていた旧PCが、思わぬところで大きな役割を果たしてくれた。

 旧PCを使い、ADSL回線でのネット接続を復帰させた。従来の民間プロバイダ、NTTとの契約ともにまだ生きているのである。ただ、実際の復帰作業は、僕にとってとんでもなく面倒で煩雑で困難であった。日誌更新が遅れているのもその所為である。

 その方面に詳しい旧知の友達がいて、ほぼ徹夜状態でレクチャーしてくれたのは幸いであった。浅原くん、エラい面倒をおかけしました。ありがとう。

 この回線が復帰したことで、これまでのホストサーバーにも接続可能になり、当面従来どおりの更新ができるようになった。移転する予定の新しいホストサーバーは現状不グワイが多いし、サポート体制も完備されていない。さすが公(町)営である。

 ので、移転は先送り。当webサイトはもう少しの間、今の状態で維持運営することにさせていただきます。

 お騒がせいたしまして、誠に申しわけもない次第でございます。

’10/05/05 (水)

赤箱2つ目


 米CLASSIC RECORDSの乳白色200g盤シリーズ、2組目を買ってみた。今度は4枚組、コロボリーよりも底の深い箱に入っている。大変、重いです。

 実は連休前に届いていたのだけれども、何やら慌しくて未聴である。従来の45回転200g盤からして、悪いわけはないと思う。あとは、どれくらい違いがあるか、だ。

 詳しくは試聴後にしたい。が、いつ聴けるかな。

’10/05/04 (火)

きんたさんとHUSBAND


 大学時代、音楽同好会というサークルに「きんたさん」というニックネームの先輩がいた。1学年上である。非常に体格のよい、レフティーのドラマーだった。同じパートということで、他の先輩以上に親しくお付き合いしたことを憶えている。

 この先輩、後に「おかげ様ブラザーズ」を結成し、1990年代に関西圏では大きな人気を呼んだ、きんた・ミーノさんである。と言ってもまあ、関東圏の方々には馴染みが薄いかもしれない。シャレの利いたコミックバンドで、僕は大好きだった。

 おかげ様ブラザーズ結成以前、きんたさんがドラマーとして活躍した「HUSBAND」というグループがある。同級生の女の子(今はおばちゃん)がボーカルで歌っていて、30年ぶりに再結成ライブを打つ、というので、京都市内のライブハウスまで出かけてきた。

 きんたさんに会うのも、同時に来ていた同級生たちに会うのも20〜30年ぶりである。すっかり変って一目では正体がわからん奴、ほとんど歳を取っていないように見える奴、ハゲた奴、シワシワになった奴、イロイロいて、とても楽しかった。

 おそらくドラムを叩くのは随分と久しいはずのきんたさん、しかしまったく錆び付いてはいなかった。演奏が進むにつれてウォーミングアップ完了、後半のドラムは圧巻であった。おかげ様ブラザーズではリードボーカルだったけれども、ドラマーとしても充分イケるンじゃないか。

 懐かしくも楽しい、夢のような一夜でした。

’10/05/03 (月)

イキナリ、初夏


 昨日まで、お天気は良かったけれども何となく肌寒い感じは残っていた。それが今日、突然夏になったような陽気である。気温は一気に10℃近く上昇し、なんと29℃である。

 こうなると日中は半袖でちょうどよく、昨日までありがたがっていた冬物はもう要らん。春から夏へのクロスオーバー帯域が狭く、しかもfcのスロープが急峻なのである。もう少し緩やかなスロープで受け渡ししてもらえんものか。過渡特性が劣化し始めた壮年オヤヂの体には、負荷が高いのだ。

 暑い季節は大好きだケド。

’10/05/02 (日)

万端滞りなく


 集まった人々が互いに「おめでとうございます」と挨拶を交わす。慶事ならではである。気持ちが明るくなり、とてもよいものだ。

 今日の結婚式は、二人の前途を祝福するが如くの絶好天に恵まれ、万端滞りなく無事に結ぶことができた。まったく以って、おかげさまである。媒酌人のお役目も、まず大過なく務めることができて、大いに安心している。

 幾久しく仲睦まじく、よき家庭を築かれんことを、冀うのである。

’10/05/01 (土)

好時節の慶事


 ハナミズキが咲く好時節、明日は我盟友憲さんの結婚式である。晩婚といえば確かにそうだが、結婚はタイミングが大切。今、その機が熟したわけなのだ。新婦は若くて可愛い女性である。余計なことを書いてしまったかな。

 あろうことか、僕は媒酌人なのである。お二人から請われての、イワユル「雇われ仲人」なのだが、仮令そうであっても役目を全うせねばならないことは何も変らない。

 なにしろ初めてのことである。だいぶん前から挨拶を考えるに苦しんだ。知らない間柄でもないから何とかなるか、などといい加減に思っていたら大間違い。ご存知の通り、禁句がやたらに多いのである。プロトタイプが出来上がってチェックしたら、そこらじゅう禁句だらけで使い物にならない。イヤ、なかなかに難しいものであります。

 明日は絶好天だという。憲さん、おめでとう。よかったねえ。