箱船航海日誌 2010年02月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’10/02/28 (日)

愚痴


 今年は閏年ではないから、2月は今日で終わりになる。なーんだかヒジョーに早いのである。年末だ正月だとバタバタしたのは、ついこの間のような気がする。

 ここ数日、あまりに暖かい日が続くものだから、愚妻が「もう車のタイヤをノーマルにしても大丈夫じゃないか」ナドと言う。この意見、僕としては即時却下である。少なくともお彼岸が過ぎるまで、できれば3月いっぱいは冬タイヤのままのほうが安全だ。3月半ばの大雪は、間々あるのである。

 そんなに慌てなくともよい、4月になったら交換してやるから、と言うとなにやら不満げにしている。冬タイヤが磨り減ってモッタイナイ、というのだ。

 いつも(と言っては差障りがあるから)時々、僕は愚妻なるイキモノを理解できないことがある。タイヤと自分の身と、どっちが大切なのだ。度胸があるというか怖さを知らんというか、或いは独自のプライオリティを持っていて、しかもそれが最上第一の考え方だと固く信じ込んでいるというか。

 ここで「タイヤとイノチとどっちが大事やねん」などと、正論を声高に叫んだらどーなるか。いけない。そんなことをしてはいけない。敗北確定の喧嘩になること間違いなし。言うまでもなく、マケるのは僕である。こーゆーバヤイは、ヘラヘラ笑って否定も肯定もしないに限るのだ。

 最早戯言ですらない、ただの愚痴に、なってしまいました。

’10/02/27 (土)

もうすぐ3年


 気がつけば、使い始めから早3年近くが経つFE208ES-Rである。まったく以って「あっ」ちゅう間の3年間であった。

 個人的にはこのユニット、大変気に入っている。必ずしも前作FE208ESを超えているとは言えない、などの意見もあるように仄聞するし、実際ES-RからESへ先祖帰りした友達もいる。FE208SSこそ最高傑作だというムキもあるようだ。確かに鳴らし始めてしばらくは、切れがイマイチとか中域がやや引っ込む感じがあるとか、いささかの不満はあった。

 けれども今は違う。まったく違う、と言ってもオオゲサではないと思う。歪み少なく切れ味抜群、全域に渡ってスピード感が揃い、非常にリアルで生々しい音を再生している。たぶん、箱船17年間の航海の中では最良の音ではないか。もちろん、あくまでも「箱船では」という但し書き付きで。

 3年使ってエージング完了した、かどうか、現状僕には分らない。まだ伸び代があるような気がするのである。科学的根拠は、ありません。何となくそのように感じる、というだけのいい加減なお話なのだ。

 日々変わって行く音を楽しむのも、またオーディオである。

’10/02/26 (金)

騙されない


 過去、これほどの青空が見られた2月があったろうか。少なくとも、僕には憶えがない。本日の最高気温23℃。暖かさも然ることながら、空の色と陽の強さは初夏のようであった。

 午後からは雲が多くなり、青空は見られなくなった。その代わりに猛烈な南風である。生暖かい風がビュービュー吹きまくり、とても2月とは思えない様相である。日本海側は、ややフェーン現象気味だったのではないかな。

 もう冬は終わった、と思いたくなるところだが、それはいささか早計であろう。そのように油断させておいて、来月には再び猛烈に寒い日がやってくるに違いないのだ。

 僕は騙されないよ。

’10/02/25 (木)

楽しみもあり


 早くも2月は終りに近づき、3月が来ようとしている。例によって年度末はいろいろと繁忙になるわけだが、楽しみにしていることもある。

 神保さんのライブである。「神保彰ワンマンオーケストラ ドラムからくり全国行脚 2010」。今年は108ヵ所(!)公演だそうで、既に2月13日に横浜からスタートしているのだ。福知山FARMには3月14日、である。もちろん、予約済み。

 108会場ほとんどが純粋な演奏のみの公演だが、FARMでは演奏前に1時間あまりのドラムクリニックが予定されている。これは稀少な機会なのである。毎回楽しみで楽しみで。今年はどんな質問をしようかな。今から考えておこう。

 思えば昨年は、3月に福知山、4月に広島と、2回も機会を得たのだった。広島では旧友との再会もあり、深く心に残るものであった。もう1年経ってしまうのか。

 Y、4月15日広島JIVE、また一緒に行こうよ。

’10/02/24 (水)

ドラミング


 最高気温19℃。4月下旬並みの陽気である。まだ油断はできないものの、春は確実に近づいているようだ。うれしいなあ。

 午前中、箱船北側の山から普段あまり耳にしない音が聴こえてくる。木を連続して叩くような音である。最初は何のことだかワケが分らず、誰か山仕事でもしているのかと、見当外れなことを考えていた。

 繰り返し何度も何度も聴いているうち、はっと気が付いた。これはキツツキのドラミングではないか。これまでにSY-99さんの生録優秀盤や、もちろん生でも聴いたことのある音だから、すぐ分るはずなのに。近所にキツツキなんかいるわけがない、という思い込みが邪魔しているのである。

 実は前々から聴こえていたに違いない、分っていなかっただけだ。そう思うと、何だか損したような気分になるから不思議である。冷静に考えてみれば、庭の桜にコゲラが来たこともあるわけで、山に他のキツツキ類がいても不自然ではないのだ。

 盛大なドラミングの音量からして、コゲラ(スズメくらいの大きさ)よりは大型のキツツキではないかと思う。アカゲラか、或いはアオゲラか。是非ともご尊顔を拝したいところだが、未だ一度も見たことはない。これまた、実は既に見ていて気が付かないだけかも知れん。

 この鳥たち、総称では「キツツキ」と呼び、固有名では「〇〇ゲラ」と呼ぶ。「コキツツキ」(いいにくい)「アカキツツキ」では遺憾のか。子供の頃から不思議に思っている。「ゲラ」とは一体どーゆー意味なのだろうか。

 古くは「ケラツツキ」と呼んでいたという。「ケラ」は「虫」の意である。それが時代を下るにつれて「ケツツキ」→「キツツキ」と転訛し、総称となる。総称から「ケラ」は消えたが、固有名には残り「〇〇ゲラ」と呼ぶようになった、そうだ。だからして、「コゲラツツキ」「アカゲラツツキ」「アオゲラツツキ」と呼ぶのが正しい、とも言える。ああ、ヤヤコシイ。

 春には虫が動き出す。キツツキたちも忙しくなるのだろう。

’10/02/23 (火)

明るく照らす


 キーボードを打つ手元を照らすのに使っているデスクライトである。小型蛍光管使用の、たぶんインバーター式だと思う。

 デスクライトといえば昔は白熱球式が主流だった。もちろん今も製品はある。けれど、ランニングコストや寿命、最近流行の「エコ」からすると蛍光管式有利、ということになるのだろうか。個人的には、白熱球の暖かく柔かい光の方が、好みではあるのだが。

 最新式のデスクライトなら、やはりLED式だ。高輝度白色LEDの開発によって実現したものである。目に優しく(ホントかな)、消費電力が小さく、発熱が少なく、まさに「エコ」の権化みたいな照明器具だ。ただ、今のところ少々高価である。尤も、安くなるのは時間の問題だろう。

 オーディオを聴くには、やたら煌々とした照明は不要ではないか。やや暗め、或いは光の色温度が低めのほうが集中できるかもしれない。

 日常的には明るいほうがよいと思う。特に僕は、無駄なほど明るいのが好きである。家の中が薄暗いと、変なビョーキになりそうでイヤダ。夕方、薄暮が迫ってくると僕は家中の照明を点けてまわる。始末屋の愚妻があとから消してまわる。将来はすべての照明をLED化し「電気代安いから消すな」と言ってやるのだ。それでも消されそうだケド。

 今日は「明るい」お話でした。おあとがよろしいようで。

’10/02/22 (月)

頭痛


 一昨日触れた肩痛は、おかげさまで治まる様子を見せている。まだ少し引っかかる感じは残っているけれども、まあ、ヨシとしておこう。

 肩痛が軽くなった、と思ったら、今度は頭痛である。右・側頭部の偏頭痛だ。これはある意味、肩痛よりも辛い。治まるのをシンボウしていても苦しいだけだから、さっさと薬を飲んでしまった。

 6年前の日誌に「僕は頭痛持ちではない」と書いたことがある。当時は確かにその通りだった、のだと思う。ところが今や僕は、立派な頭痛持ちになってしまった感が強い。

 昨年11月にも書いたとおり、お天気が悪いとすっかりダメだし、少し疲れただけでも頭痛が起こる。オノレの馬鹿さ加減にも頭が痛む、イヤ、これはまた別の話か。

 ここのところ、不景気な話題が多くて遺憾。明日は、明るいお話を。

’10/02/21 (日)

未開封の付属品


 MC-L1000について少々調べたいことがあり、何年かぶりに元箱を開けた。中には付属品が買った当時のまま、未開封で残っていて、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちになったのだった。未使用の本体が、一緒に入っていたらなあ。そんな馬鹿な。

 小型マイナスドライバー、掃除用ハケ、取り付けネジとナット各2本、リード線、の4種がセットになっている。取説によると、リード線は「無酸素銅リード線」とある。

 無酸素銅。いわゆるOFCである。最近のオーディオケーブル業界においては、あまり聞かなくなった言葉なような気がする。「Oxygen Free Copper」の頭文字を取った名称である。

 高級線材のハシリ、とも言えるOFCはこの後、LC-OFC(線型結晶無酸素銅)、PC-OCC(単結晶無酸素銅)へ進化する。この頃のメーカーは、銅結晶の形や大きさにこだわっていたわけだ。6N、7N、8Nの純度合戦が起きるのは、もう少し時代を下ってからである。

 話が逸れてしまった。失敬。

 MC-L1000をこよなく愛して止まない友達に拠れば、この付属リード線の音はなかなかに優秀だという。僕も一度ならず聴いているはずなのだが、いい加減なものでほとんど憶えていない。小物入れのどこかに開封未使用のものがあったはずだから、ちょっと使ってみようかしら。

 好奇心は、止まない。

’10/02/20 (土)

五十にして何を知る


 ここ数日、左肩から左肩甲骨下側にかけて、正体不明の痛みあり。腕を前に動かすのは問題なし、後方へ捻ろうとすると引き攣るような痛みが走る。

 こりゃ寝違えたか、ほっとけばそのうち治るだろう、と思ったらなかなかシツコイので困っている。ひょっとしてこれは、世に言うところの「五十肩」ではないのか。それなれば、さっさと然るべき治療を受けるべき、だが、まあおおかた大丈夫だろうと高を括っている。

 それにしても、である。僕は7月が来れば満49歳になる。数え年で言えば既に50だ。今まさに「五十路」に踏み込まんとしているわけである。五十肩を患っても、何ら不自然ではないのだ。エラいことになりました。中年期を過ぎ、いよいよ壮年期である。

 孔子、論語に曰く「五十にして天命を知る」と。五十肩を疑うくらいで、肉体は確実に老化している。だが一方で、智慧のほうは如何に、と思う。オノレの「天命」を知ることができるほど、僕は思慮深くなっているのだろうか。極めて疑わしいのである。

 「五十にして肩痛を知る」では、シャレにもなりません。

’10/02/19 (金)

組み合わせの妙


 カートリッジとシェルの組み合わせには、相性の良し悪しがある。ADファンにとっては常識だろうと思う。僕も充分認識している、つもりだ。

 あくまでもそれは「理屈」であって、実際に組み合わせる段になれば、相性OKかNGかはやってみないと分からないのである。

 写真はオルトフォン MC-RohmannとPARNASSUS D.C.tである。両者ともPH-L1000、ULS-3Xと組み合わせ試聴した。前者はULS-3XでOK、後者はPH-L1000でOKと、僕は勝手な予測を立てていたわけだが。

 実際の結果は、真逆であった。僕如きの予想なんぞこんなもんだ。それはともかくとして、カートリッジとシェルにまつわる組み合わせの妙は、実に面白いものだと、改めて感じ入るのである。

 リスナーが変わればまた違った選択になるはず。僕が採った組み合わせが万能のベストとは、絶対に言えない。そういった、ある意味極めて曖昧な部分を残しているからこそ、AD再生は魅力的なのだ。

 予測適中の快感よりも、はずれた時の驚きを楽しみたい。

’10/02/18 (木)

好きだから


 一昨年の秋頃から、ADに関連する話題が極めて多くなっている。しかも、やっているのは同じようなことばかり。よくもまあ飽きもせず、と、我事ながら呆れるのである。

 NHKを見ていたら、「熱中時間」という番組の宣伝をしていた。一つのことに熱中する人を詳しく紹介するもので、好んで見ている番組の一つだ。

 最近の放送では、フジツボに熱中するうら若き女性が紹介されていた。23日(火)午後3時45分からNHK総合で再放送があるから、詳しい内容は省略する。興味ある方は、ぜひご覧下さい。

 彼女は、フジツボが好きで好きでたまらん、らしい。珍しい種がいると聞けば、何処までも採取に出かけてしまうのである。「なんでフジツボやねん」と、思わず呟いてしまうのだった。

 けれども思えば、ADオーディオに血の道をあげることも、ハタから見れば「フジツボ」とたいして違わないのだ。今どきなんでLPやねん、と。好きだから仕方ないのです。きっと、彼女も同じことを言うのだろうな。

 サックス奏者の坂田明さんは、ミジンコ好きで夙に有名である。この人のバヤイは趣味の域を大きく超えていて、最早完全に「研究家」のレベルに達している。でも根っこは同じ「好きだから」。そういえばフジツボもミジンコも、同じ甲殻類だな。

 好きなことに熱中する時間は楽しい。他者の目にはどんなに馬鹿馬鹿しく映ろうとも。そういうものを持てることを、僕は幸せだと思うのである。

 ところでフジツボ、食用にも具されるのですね。美味しいのか知らん。

’10/02/17 (水)

快調至極


 31.51gの重量級組み合わせにバランスし、1.75gの針圧を加えているところの、WE-407/23カウンターウエイトである。かなり後方に位置していることが、お分かりいただけるだろうか。

 重量級とは言え、このアームの適応範囲内にある重さだから、動作に支障は出ない。ただし、ヤジロベエの原理からして、ウエイトの位置によってアームの振舞いに違いが出ることは確実だろうと思う。

 試しに反りの大きい盤を再生してみた。針がジャンプする、などの問題は特に起きなかった。さらに超低域猛烈ハイレベルカッティングされている盤も試したが、こちらもOKである。動作はもちろん、音にも何ら問題はない。

 たいへん安定感のあるアームだと思う。その点ではEPA-100MkIIを上回っているかもしれない。そりゃ感度が低いからだ、というムキもあるだろうけれど、実際の再生音から感度の低さを感じることは皆無である。

 全体的にキカイキカイしていて、やや使いにくいところは確かにある。特に、盤面とアームの水平をとるための高さ調整は、実に厄介。反面、各種設定が上手く決まれば、このアームでしか聴けない素晴らしい音が実現できるのである。

 現状、快調至極である。

’10/02/16 (火)

実践第一


 ようやく試聴までこぎつけたPARNASSUS D.C.t+ULS-3Xである。スペーサーは充分役に立ち、ご覧の通りシェル根元が盤面を擦るトラブルは回避された。これくらいのクリアランスがあれば、問題なし。ヨカッタヨカッタ。

 ゼロバランスOK、針圧(1.75g)も正常正確に印加できた、けれども、カウンターウエイト位置はかなり後方になる。今のところトラッキングに問題は出ていない。ソリの大きい盤、低域がハイレベルでカッティングされた盤などについては、今後様子見が必要になると思う。

 音に明るさと華を求めてULS-3Xに換装したわけだが、その狙いは当たったか。結論から言えば、半分当り、半分ハズレ、という感じ。暗くはならなかった、けれども、思ったほど明るくもならない。華やかさはあまり感じられず、却って高域がよりスムーズになったような印象である。

 予想外だったのは、低域の力強さが大幅に向上したこと。やや女性的で京風料理的な上品さを感じた低域が、俄然男性的に変化した。締まりとソリッド感がぐんと出てきて筋骨隆々、実に痛快な低域である。なぜこうなるのか、ゼンゼンわかりません。リード線変更と重量増も、関係しているのかもしれない。

 お世辞にも「狙い適中」とは言えない結果になった。けれども、この音は大変魅力的である。パワフルな低域は、個人的に大歓迎。今しばらく試聴を続け、他に大きな問題がなければこの組み合わせで固定したい。

 何事も実践が第一であることを、改めて実感した次第。

’10/02/15 (月)

31.51g


 セラミック・スペーサー取り付け完了。さすがに純正品、ULS-3Xの幅と切り欠き部分にぴったり一致する。当たり前だがちょっと嬉しくなった。

 指掛け、カーソルプレート、スペーサー、カートリッジと、4つの物体を重ね、すべてをきっちり揃えて固定するのは、なかなかホネの折れる作業だった。カートリッジさえ中心線からズレていなければ、他は多少ヒン曲がっていても問題なし、だが、見た目は非常に良くない。個人的にそーゆーのは許せないのである。何度も微調整しながら、随分時間をかけて取付を完了した。ああ、しんど。

 固定ネジは10mmから12mmへ変更する。ちょうどスペーサーの厚み分だけ長くなった勘定だ。この状態で、実測重量31.51g。ついに30gを大きく突破してしまった。こうなると、シェル変更による音の違いだけでなく、重量増の影響もかなり大きくなるンじゃなかろうか。

 試聴まで、あと一息。

’10/02/14 (日)

セラミック・スペーサー


 無愛想なボール紙の箱には「SAEC CERAMIC SPACER」とある。中には秤の上に見えるモノが1枚、入っている。

 その昔、SAECから出ていたスペーサー、らしい。以前、友達からULS-3Xを譲ってもらった折、オマケに付けてくれたものである。へえ、こんなものがあったンだと、驚いたくらいで僕は詳しいことを知らない。

 素材はおそらくULS-3Xと同じものと思う。2mm厚、幅17mm×長さ23.6mm。実測重量2.39g。厚さ、幅、ネジが通る部分の切り欠き寸法、すべてULS-3Xに同。つまり、ULS-3Xの前端から23.6mm分を切り取ったような形状になっているわけだ。

 これをPARNASSUS D.C.t に使おうというわけ。実はこれより先に、友達が作ってくれたアルミナプレートを考えたのだが、最も小型タイプでも3.54gある。今回のバヤイ、+1.15gの差はちょっと苦しい感じ。

 現状の総重量29.02g、そこへ2.39gが加わると31.41g。スペーサー厚み分だけ長いネジが必要になるからその分の重量増も考えると、おそらく31.5gくらいになるだろう。オルトフォン SPU並みの重量級だ。WE-407/23の許容上限は33g、ぎりぎりセーフである。

 カウンターウエイトはかなり後方でバランスすることになるはず。トラッキング特性に影響が出る可能性もあり、少々気にならないでもない。けれども考え様によっては重量級のメリットもあるわけで、ともかくはやってみることだろう。

 今度は上手く行くかな。

’10/02/13 (土)

狙えない


 さあ聴くぞと、WE-407/23に取り付け、調整作業を始めてトラブル発生。ULS-3Xのコネクターワッシャ固定ネジの頭が、針先よりも先に盤面に当ってしまうのである。これではヒジョーにグワイが悪い。と言うより、再生不可能である。

 なぜこーゆーことになるのか。まず、ULS-3Xは、コネクターを本体(アルミナ部分)に固定しているロックリング(写真では左手、銀色円弧状に見えるもの)の外径が大きく、下方への出っ張りが大きいことが一つ。さらに、PARNASSUS D.C.t はベースとボディがチタンのワンピース構造で、一般的なカートリッジに比べて高さ(シェル接触面から針先までの寸法)が低いこと。

 この二点が上手いグワイに(このバヤイ、上手くない)重なり、写真のような状況になってしまったわけだ。さて、どーするか。

 主な回避方法は二つ。シェルをPH-L1000に戻す。一番確実だが、面白くない。もう一つは、スペーサーを使いカートリッジ高さ寸法を稼ぐ。僕としては後者を採りたい。

 とは言え、これがまたまた難題である。どのようなスペーサーを使うか。それに伴う重量増は必至、アームが対応できるかどうか。

 何だかエラいことに、なってしまいました。

’10/02/12 (金)

狙い


 PARNASSUS D.C.tを、PH-L1000からULS-3Xへ付け替えた。もう一息、音に明るさと華が欲しいように感じての変更である。

 ついでにリード線も変えた。MR-1RhからAT6101へ。ニュートラルからやや硬めの音を狙った、つもり。実際にそうなるかどうかは、聴いてみないと何とも言えない。

 このシェルに付けても、やはりカートリッジボディが左右へ出っ張り、わずかカーソルプレートにかかってしまう。両者がバッティングすると正常な固定は望めない。極めてグワイの悪いことになるのだ。ビスを締めたあと、拡大ルーペで確認すると、文字通り「紙一重」で接触していないことがわかった。

 カーソルプレートは、ネジ穴をバカ穴へ加工したタイプを使う。そうでないと、ボディ穴にネジが切ってあるこのカートリッジは正常に取り付けられないのだ。どこかでテキトーに誤魔化せば可能かもしれないが、さすがにそんなことはできない。

 実測総重量29.02g。PH-L1000との組み合わせでは27.24gだったから、1.78gの増。手持ちの中では最大である。EPA-100MkIIでは少々苦しいかもしれない。ので、WE-407/23で試聴する。

 狙いは当るのだろうか。

’10/02/11 (木)

千里の道も


 同じような画ばかり載せている。一昨日の写真と何処がチガウのか。

 何のことはない、取り付けネジの向きが変わっているだけである。指掛け側から通していたものを、カートリッジ側からに変更してみたわけだ。例によって、βチタン合金ネジである。

 どーでもいいことのように見えて、これが実は結構音を変えるから面白い。どちらが良いか悪いか、公正な判断はもちろんできない。あくまでも個人的な好みとしては変更後、つまりカートリッジ側から通した方が、良いと感じる。

 ひっくり返るようなモノスゴイ差、ではないものの、高域の切れや滲みの少なさ、透明感、瞬発力、定位の確かさ、等の点で向上が見られるようだ。何故だかは、わからない。カートリッジベース(MC-L1000のバヤイ、ジュラルミン)とβチタン合金が直結していることに、何らかの因があるのだろうか。

 ほんの僅かの差でも、良いと感じる方策を数多く積み重ねて行くことが、結果的には大きな果実をもたらすものと、僕は信じている。

 千里の道も一歩から。

’10/02/10 (水)

油断大敵


 カートリッジをシェルにつけ外しするのは、なかなかに気苦労が要る。僕のような無精で粗忽なニンゲンには、殊に、である。かなり億劫な作業なのだ。

 けれども近頃は、その億劫さを好奇心が上回っているようだ。一旦あのカートリッジをこのシェルに、と思い立ったら眤としていられない。どんどん付け替えてしまうのである。

 こうなるとエラいもので、以前に比べて随分と手際が良くなってくるのだった。何度も繰り返し同じ作業をする、つまり、反復による修練効果が出てくるわけだ。何事もお稽古は大切です。

 だいたいが僕は馬鹿でスケベだから、ちょっと上手くなると調子に乗って大きなしくじりをやらかすのがいつもの型である。実は今日も、ヒヤリとする一瞬があった。油断しては遺憾のである。

 壊したら後の無いカートリッジが、多いのだから。

’10/02/09 (火)

針先寿命


 MC-L1000の取説には、「針の交換時期は条件により異なりますが、700〜1000時間(1日1時間使用して約2年〜2年半位です)を目安として交換してください」とある。

 写真の個体は1991年7月27日に、当時新品で入手したものである。18年以上経っているわけだ。もしその間、毎日1時間使っていたならば、針はとっくの昔に寿命を迎えていることになる。けれども現状、特に不グワイもなく鳴っている。

 それからして、僕はこのカートリッジを通算で幾時間くらい使っているのだろうかと、考え込んでしまうのである。仮に、18年間で1000時間使っていたとしたら、1日平均約9分くらいになる。月にして4.5時間。

 毎月必ず4時間半、MC-L1000を使ってきたかと振り返ってみれば、それはゼッタイにないような気がする。他にもカートリッジがあり、CDばかりを聴いていた時期があり、映像に呆けていた時期もあり。そもそも毎月4時間半、必ず音を聴くこと自体が不可能なのだ。つまり、針先寿命は未だ尽きず、と考えるのが自然ではないかと、思うのである。

 どこまで行けるか、MC-L1000。

’10/02/08 (月)

βチタン合金ネジ1年


 早いもので、βチタン合金ネジにウツツを抜かし始めて1年が経つのである。この1年で、交換可能なカートリッジ取り付けネジは、すべてβチタン合金製に替えた。15mm以上の長さが必要なカートリッジは、残念ながら未交換である。20mm長、出してくれないかな。

 8、10、12、15mm長の4種は、それぞれ10本以上常備している。必要な時、すぐに使いたいからだ。そんなにバカスカ消費するものでも、ないのだが。

 もう一つ。アナログ好きのお客様が見えた折、話のネタに差し上げるため、である。お土産というほど大層なものではない。一度お試しになっては如何ですかと、そんなグワイである。

 これまでに数人の方に差し上げた。おしなべて良い評価を貰っている。僕は別にβチタン合金ネジ伝道師ではないし、すべての環境で良い結果が得られるとも考えていない。ただ、楽しみの幅が少しでも拡がればと、思うのである。

 選択肢は、多い方が楽しいのである。

’10/02/07 (日)

43.3度


 2月になって初めてのまともな晴天である。昨日までの天候は、グチャグチャと鬱陶しいこと極まりなし。冬だから寒いのは仕方ないけれども、陰気なのはカナワンのである。

 1月19日の日誌に付けた写真と、同じところから撮ったものである。それから約3週間経ってみれば、同じ青空でもどこか春の匂いが感じられる、ようなふうに見える。はやり立春を過ぎただけのことはあるようだ。

 お日様の南中高度もずいぶんと高くなった。北緯35.5度(正確には35.527717度)にある当地の、今日の太陽南中高度は約43.3度。ちょうど冬至と春分の中間地点くらいになるわけだ。立春から3日目だから、当たり前なのである。

 陽の高さが、空の色にも反映されているのだろう。晴れていても風はまだ冷たく、空気は真冬だけれども、暦は確実に春へ向かっている。

 待ち遠しいなあ。

’10/02/06 (土)

最早病気


 ADを再生するに具するアクセサリー類もまた、僕にとってはヒジョーに魅力的なものどもである。

 上に見える小物は、まさに「アクセサリー」である。仮にこれらが無かったとしても、基本的なAD再生に支障はないわけだ。

 例えば拡大ルーペ。写真のものは、20年以上前に宝石店で買った鑑定用18倍ルーペである。スタイラスの状態を調べるのに使っている。本当はこのように大仰なものは不要と思う、けれども、そこはそれ、一種の付加価値として奢っておきたいわけである。

 音が好きで、姿形が好きで、アクセサリーが好きで、こうなってくると最早一種の病気である。一人で勝手にやっとれ、というお話。

 趣味ですから。

’10/02/05 (金)

百年一日の如し


 僕がADに呆けるそのワケは、音が良いから、もとい、僕の好きな音が再生できるから、である。

 再生音とは関係なく、ADが好きな理由はもう一つある。ルックスである。モーターやアーム、カートリッジはもちろん、再生中の姿形に至るまでに、何とも言えない魅力を感じるのだ。

 漆黒のレコード盤上を、アームが滑らかにトレースして行く様子はとても美しい。それを眺めるだけで満足しているようなところがある。原理的にはエジソンの蝋管蓄音機(1908)とまったく同等のキカイに、僕は惹きつけられて止まない。十年一日どころか、百年一日の如し、である。

 昔は良かった、夢よ再び、などと懐古主義的なことを言うつもりはない。ただ、最近のオーディオ機器にはキカイとしての美しさを持つものが少ないように思え、少々寂しいのである。偶かそのようなものがあっても、部屋一つ家一軒買えそうなほど高価だったりして、それはそれでゲンナリしてしまうのである。

 時代が求めていないのだから、仕方がないのだ。

’10/02/04 (木)

「炎」とDL-103SL


 飽きもせず、ひねもすADを聴いている。「ひねもす」とは、いささか大袈裟なのだが。

 久しぶりに、ピンク・フロイドの「炎」(WISH YOU WERE HERE)を聴いた。ロック物としては、優秀録音の部類に入ると思う。レンジはそれなりだが、歪み感が少ないところは買える。かなり人工的ではあるものの、音場感も面白い。何よりも、僕はこのタイトルの楽曲が、大好きなのである。

 DL-103SLで聴いた。悪くない、けれども、ちょっと切れが甘くなる感じ。特に、ギターの切れ味が後退してしまう印象がある。個人的には、もう一息の鋭さや緊張感が欲しくなる音なのである。

 明るく散乱する開放的な音であることに違いはないDL-103SLである。ただ、色で表現すれば「暖色系」ということに、なると思う。どこか春の穏やかな日差しを思わせるような、暖かみがあるのだ。

 「炎」を僕好みに聴くには、少々ミスマッチングだったかも、知れない。

’10/02/03 (水)

節分


 今日、2月3日は節分である。つまり明日2月4日は立春になるわけで、暦の上では春ということに、なる。

 残念ながら当地の天候は、真冬である。盛大な雪降りで、非常に寒い。今、外を見たら晴れ間が広がり、下弦の月が冷たく雪景色を照らしていた。なかなかに美しい情景である。4日未明からは、さらに雪が強くなるそうだ。

 月曜日の夜、フクロウさんの鳴き声を聴いたけれども、春はまだ遠い感じ。

’10/02/02 (火)

使えば


 使わなきゃダメになることもあれば、使いすぎてダメになるバヤイもあるわけで。

 ここ1年ほどで、僕の目は著しく劣化したように感じている。老眼がひどく進んだのである。元々強い近視を持っている。裸眼で正常に視認できる距離は、35〜40cmが限界である。それ以上になるとボケボケだ。

 以前は近視メガネをかけたままで、すべての距離をカバーしていた。ところが最近、25cm以内の距離はメガネを外さないと焦点が合わない。と言って、15cm以内にまで近づけるとまたまたボケボケ。どーすりゃいいのか。裸眼でのフォーカスレンジが、恐ろしいほどナロウになってしまったわけだ。

 この状況は夜間、特にひどくなる。光量の多寡に過敏なのだ。これはまさしく老化である。

 写真は20年ほど前、何かの記念品に貰った据え置き型拡大ルーペである。当時は無用の長物だったが、今や辞書などをあたる時には必需品となっている。こーゆーもののお世話になる時が、来てしまったのだ。

 これも自然な成り行きである。粛々と受け容れるより、ないのだろう。

’10/02/01 (月)

使え


 2月である。春が来るまで、もう少しのシンボウだ。

 永く々々寝ていたであろう中古品を入手し、箱船で使い始めて半年を過ぎたWE-407/23である。不満も不安もなく、快適に動作している。

 音は随分とこなれてきた感じは、もちろんある。けれども、フォノモーターの側にもSUS-TTによる大幅なグレードアップがあったから、アームのエージングだけがモノを言っているわけではないと思う。僕が感じているのは、音の向上よりも、常に使い続けることの大切さ、である。

 入手した直後のこのアームは、如何にも寂れ切った感じであった。汚れが酷かった所為もあったのだろう、しかし掃除してもやはりどこか生気がなく、カビ臭い雰囲気をカモシ出していたのだ。

 ほぼ毎日使うようになった今は、違う。古ぼけた印象は消え失せ、実に若々しい姿に見える。特段何も変わってはいないはず、ヒジョーに不思議なのである。

 どんなに立派な家でも、人が住まなくなればあっという間に廃墟と化す。そんな例を幾つも見ている。オーディオ機器も同じだと思うのである。どんなに優秀な機器も、使わず無為に放置すれば、たちまちポンコツだ。オーディオ機器は使ってナンボ、鳴らしてナンボ、なのである。

 ニンゲン様の体も頭も、きっと同じなのだろうなあ。