箱船航海日誌 2009年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’09/11/30 (月)

鬼柚子


 午前中、当寺の総代宅を訪れたら、玄関に見たこともない巨大なカンキツ類が飾ってあった。写真がそれである。

 直径は優に18cmを超える巨大さである。デコボコしていてちょっとブキミな感じ。大きさはブンタン(ザボン)並み、香りもそれに近い。色と形はユズのようでもある。「コレ、ナンデスカ」と尋ねると「ああ、それはね、『オニユズ』というンです。面白いから飾ってます」と。

 「オニユズ」とは、寡聞にして不知である。調べてみると、別名「獅子柚子」ともいうらしい。「柚子」とは言えども正確にはやはりザボンの仲間で、観賞用として育てられることが多い。もちろん食用も可。

 皮が非常に肥厚で、身よりも皮をマーマレードや砂糖煮にすると美味しいと聞く。同じ仲間の晩白柚(ばんぺいゆ)の砂糖煮は食べたことがあるが、アレは美味い。食用以外では、入浴剤として使われることもある。

 総代氏も、元々は鑑賞用として鉢植えにしていたそうだ。数年前、モノは試しと路地植えにしてみたら、俄然元気が出て巨大な実をボコボコつけるようになったという。

 面白い面白いと矯めつ眇めつしていたら、「お寺の玄関にも飾りなさるかえ」と言ってくださった。大喜びでありがたく頂戴する。今、花台に載せてウヤウヤしく飾ってある。きっと今日の僕のように「コレ、ナンデスカ」という人が現れるに違いない。そうしたら僕は得々として言うのだ。

 「ああ、それはね」と。

’09/11/29 (日)

コレクターズ・アイテム


 音に多少の期待を持ったライブ盤「STILL DANGEROUS」であったが、結果は「残念でした」ということ、だ。まあ、仕方ないのである。ロックですから。音のグワイは致し方なしとしても、演奏は最高である。やはりブライアン・ダウニーのドラムはすごい。

 さて、昨日今日の写真は、やはり今年になってリリースされたTHIN LIZZY 1975年のライブ盤である。「U.K. tour 75」(米Major League Productions MLP16CD)という。(P)(C)2008。1975年11月21日、イギリス・ダービーでの録音。

 何となくアヤシイ感じのCDである。もちろん正規ルートで販売されているわけだから、海賊盤(死語か)などではない。「メジャーリーグプロダクション」と、大変おめでたいレーベル名だが少なくとも「メジャー」に非ず。立派なマイナー盤である。

 選曲がわりとマニアック、演奏はかなり荒削りで、ある意味「正真ライブ盤」とも言える。コアなファンには喜ばれるCDだと、思うけれども、音はヒドイ。有体に言えば、ラジカセ(これまた死語か)で録音したような音だ。時々音が途切れるような感じもある。

 34年前の録音だから音が悪い、のではないはず。こーゆーものを聴くと「再生装置の歪み云々DレンジうんたらF特がどーした」なんてクソクラエ、っちゅう感じだ。要するに、そんなふうに聴くものではないのである。音が出ればOK。鳴ればよい。ロックとしては、これでいいのだ。

 全20ページのきれいなオールカラーブックレットが付いていて、これはなかなか面白かった。驚いたのは、ブライアン・ダウニー自ら解説文を書いていること。自分が使っていたドラムセットの変遷や、「Cowboy Song」という曲が生まれた経緯などが詳しく述べられている。

 このCDは、コレクターズ・アイテムというべきものだろう。

’09/11/28 (土)

明日へ持ち越し


 28日はオツトメ出張版で、当地〜三重県東部を往復してきた。600kmナリ。早朝出発、ついさっき帰還したばかりである。元々運転がニガテなことに加え、復路途中に少々トラブルあり。僕はもうグニャグニャです。ああ、しんど。

 というワケで今夜は、話題に使おうと用意していた写真だけを掲げ、これにて失礼をば致します。

 また、明日。

’09/11/27 (金)

ライブ2題


 写真左は、1979年にADリリースされたTHIN LIZZYのライブアルバム「LIVE AND DANGEROUS」のCDバージョンである。1996年リリース。彼らの最高傑作として世に認められている(らしい)ところの、名盤である。僕はAD発売後すぐに買っている。高校3年生でした。

 それからちょうど30年、今年なって右のライブ盤がリリースされた。「STILL DANGEROUS」(米VH1 Classic Records VH00131)という。先のライブ盤とほぼ同時期の1977年10月20日、フィラデルフィア・タワーシアターでの演奏を収録したものだ。

 グループは解散して久しいし、あまつさえバンドリーダーだったフィル・ライノット(B)は既に故人である。何故に今頃このような音源が出てくるのか。それだけこのグループは伝説的で、ディープにしてコアなファンがたくさんいる、ということなのだろう。

 などと他人事のように言う僕もまた、このCDのリリースを知り大喜びで買ってしまったクチである。バンドとしてのファン、であるのはもちろん、ドラマーのブライアン・ダウニーは僕にとってドラムヒーローの一人である。

 収録時期が近いことからして、演奏やアレンジに大きな違いはないと思う。僕がちょっと楽しみにしているのは、音、である。「LIVE AND〜」は、如何にも音が良くないのだ。原録音は同じように古くても、新しい技術で制作されているであろう「STILL〜」には、少々期待するのであった。

 とゆーても、ハードロック(『メタル』ではナイ)ですから。

’09/11/26 (木)

色褪せても


 スピーカーも12年半使えばかなりのご老体だ。ウーファーユニット、JBL E-145である。初鳴きは1997年6月27日になる。

 新しい頃は、エッジ、コーン、センターキャップ、全部マックロケの極めて無愛想なルックスだったが、近頃はコーンだけがすっかり褪色してしまってご覧の通り。赤茶色とも黄褐色ともとれる、実にビミョーな色である。エッジとセンターキャップが浮き上がり、新品E-145とは別のユニットみたいに見えてしまうのだった。

 こんなふうになること自体は別段珍しくないのであって、他のユニットでもしばしば見かける。ただ、何故こうなるのか、僕には分らない。コーンにしみ込んでいる染料が、経年変化を起こすのだろうか。箱船は万年カーテン閉切りだし、照明は紫外線の少ない白熱球だから、日焼けが大きな原因とは考えにくい。

 如何にも古びた感じである。無理に好意的な表現をすれば「エージングが行き届いた味のあるユニット」とも。モノは言い様、である。

 変わったのは見た目だけではない。音も激変している。現状の音が最高、などと不遜なことを言うつもりはまったくないけれども、少なくとも使い始めの音に比べれば雲泥の差である。コーンは色褪せても、音は色彩感を増している。

 ご老体ながら、引退は未だ遠し。

’09/11/25 (水)

見極め困難


 現用CDプレーヤー、DP-85のリヤパネルである。アナログ出力の他に、外部DAC用にディジタル出力2系統(HS-LINK、同軸)、ディジタル入力2系統(光、同軸)が標準装備されている。

 パネルの左端にはスロットが4つあり、オプションボードを挿し込めば各種入出力を増設できる仕組みになっている。僕はここに「DIO-OC1」というボードを1枚使い、光と同軸のディジタル入出力を増やしている。

 現状、DVD、BSチューナー、LD、DATがつながっていて、それらのDACとして働かせているわけだ。こうすれば、各プレーヤーをラインでプリにつなぐ要がなくなり、結線がスッキリする。なるほど一見理に適っている、ようで、実は今やほとんど無意味である。

 まず、LDなんかほとんど(まったく、と言ってもよい)見ない。DATも滅多に聴かない。DVDとBSチューナーは、やがて導入するであろうBDレコーダー1台あれば事足りてしまう。光と同軸のディジタル入力が1つずつあれば、それで充分なのである。

 ディジタル機器の進化はとても速くて、僕はまったくついて行けない感じ。そもそもDP-85そのものが、2002年9月の導入から7年以上経つご老体である。新しいものほど良い、のがディジタル機器だと、僕は思っているけれど、そいういう考え方が最早古いのかな。

 買い時、使い方の見極めが、ヒジョーに難しいのでアリマシタ。

’09/11/24 (火)

三種同時


 写真は、昨年の10月下旬に撮ったものである。クマにカジられたあとの柿の実だ。昨年は柿が異様なほどの豊作だった所為で、クマさん足繁くお通いになっていたわけだが。

 今年はと言うと、異様なほどの不作である。ゼロに近いくらい実っていない。昨年がんばり過ぎてくたびれたのだろう。

 シカやイノシシ、タヌキたちは柿の豊作不作に関係なく、相変わらず毎晩お出ましである。昨夜も箱船の入り口ドアを開けたらすぐそこにシカがいて、お互いしばらくフリーズしてしまった。

 クマの気配は、皆無である。村内の目撃情報も、ほとんど聞かない。昨年は夜と限らず昼間でも出没し、樹上で立往生して大騒ぎになったものだが。やはり、好物が少ないと出てこないのかしら。山中の食糧事情は、なおさらに悪いのではないかな。

 その代わり、というわけでもないのだろうけれど、今秋はキツネの姿をよく見る。一昨日の深夜、草を食む鹿の脇でタヌキが地面を探り、やや離れたところからそれらの様子を伺うキツネの姿があった。三種同時に見たのは、初めてである。

 ウチの庭は、さながら野生動物園の様相を呈しているのだった。

’09/11/23 (月)

三者三様


 モノはついでと、昨日話題にしたタイトルのADも、F特を採ってみた。カートリッジはMC-Rohmannである。カッティングレベルについては、カートリッジ出力の関係で単純比較はできない。全体の形として見ていただければと思う。

 一見したところでは、DXD-CDよりも通常CDのほうに似ている感じ。だが、つぶさに点検すると、結構な違いがあるのだ。

 25Hz〜64Hzではほとんど差がない。それ以上の帯域、80Hz〜1kHzを3〜4dB、1.25kHz〜3.2kHzを5dB、4kHz〜20kHzを8〜10dB、それぞれブーストすると、ADと通常CDの形がほぼ一致する。F特の形だけで判断すれば、CDのほうがワイドレンジだと、いうことになるわけだ。DXD-CDでは、低域においてもレベルが高く、さらにワイドと言える。

 三者三様の形となった。ではこのバヤイ、いずれがオリジナルマスターに忠実なのか。そんなことが一介のエンドユーザーにしか過ぎず、しかも専門知識に暗い僕のような者にわかろうはずもない。要するに、自分が聴いて最も良いと感じたものを、単純に選んでおけばよいのだと、思う。

 僕は根っからのADファンである。けれども、ADが本質的に優れているのかどうかなんて、ゼンゼンわかりません。わからないからヤミクモにいろんなことをやったり聴いたりしているわけである。やってみて聴いてみて、音が良ければそれで吉。アナログでもディジタルでも、基本的には何でもかまわない。

 このように言い切ってしまえるところが、ドシロウトの強さです。

’09/11/22 (日)

優秀


 「THE ALL STAR PERCUSSION ENSEMBLE」の純銀蒸着DXD-CDバージョンは、極めて優秀であった。切れの良さはもちろん、清らかな湧き水を湛えた泉の如き透明感がある。Dレンジ、情報量極大。ロー・ハイとも良く伸びている。特に高域の伸びはめざましい。pppは極めて繊細、fffは圧倒的な力感を伴ってドッと押し寄せる。

 一通り聴き終わって、従来から手持ちにあるCDも試聴した。ごくフツーのCDである。こちらも決して悪くない。低域がややスマートで、押し出し、力感が少々不足気味ではあるものの、中高域の質感は劣らない。注意深く聴くと、わずかにDレンジが狭いような感じはある。

 参考までに、F特を採った。左がDXD-CD、右は通常CD。両者とも、高域は非常によく伸びている。カッティングレベルの差(DXD-CDのほうが5〜7dB高い)を埋めて考えると、100Hz以下での違いが大きいように見られる。

 40Hzに立ったピークから見て、DXD-CDは32Hz、50〜80Hzとのレベル差がやや小さい。通常CDに比べてレベル落ちの幅が少ないのである。この辺りが、力感の差として音に出ているのかもしれない。全体的なバランスとしては、DXD-CDに分があると思う。

 久しぶりに正面からCDを聴いた。新しいものには、やはりそれだけの説得力があると、感じたのだった。

 ADばかりに呆けていては遺憾。

’09/11/21 (土)

DXD-CD


 先月29日の日誌で触れたCDが届いた。実はその前日、28日にお店まで入荷していたのである。知らせのメールを、うっかりスパムメール諸共削除してしまったのだ。到着が遅れたのは、完全に僕のミスである。

 「THE ALL STAR PERCUSSION ENSEMBLE」(米FIM GS DXD 002)。16bit / 44.1kHzのディジタルマスターを24bit / 352.8kHzにアップコンバートしリマスターされたDXD-CDである。それがどのようなものか、詳しくはワカリマセン。

 反射面は99.9999%純度の銀が蒸着されている。色目は通常のアルミ蒸着CDと大差はない。よく見ると、輝きに艶と深みがあるような、気もする。これが直ちに音質向上へ寄与するのかどうか、僕には判断できない。少なくとも悪くはないのだろう。

 いずれにしても、現状のCDフォーマット範囲で、より良い音を実現させるため、細心の注意を払ってリマスタリングされたCDであろうことだけは確かである。

 試聴がとても楽しみである。

’09/11/20 (金)

16年


 今月17日、箱船が出来上がってから、満16年を迎えることができた。写真は正式引き渡しの前日、1993年11月16日に撮ったものである。

 16年の年月は、決して短くない。その時、2歳になったばかりの愚息1号は来春大学受験を迎えようとしているし、同じ年の5月に生まれた愚息2号は、当たり前だが16歳になった。32歳だった僕は、これまた当然48歳になってしまったわけだ。

 今からさらに16年後というと、僕はなんと64歳になるのである。これまでの16年と、これからの16年。まったく違ったものになるような気がする。そもそも、存えて居られるかどうか、それすら危ぶまれるのだ。

 最近、十数年ぶりに再会した旧い友達からのメールに、こんな一節があった。

 「楽しく人生を過ごしたい。生きているというより、生かせてもらっている人生の一刻一刻が、いとおしくてたまらないのだ」

 人生は短い。苦も楽も、過ぎてしまえば泡沫の夢の如しである。そうであってみればなおのこと、友達の言葉のように、できるだけ明るく楽しい人生を送りたいと、心から願うのである。

 これまで以上にオーディオは、僕にとって重要な存在になると考えている。

’09/11/19 (木)

数字から分ること


 昨年末から聴いてきたカートリッジは、すべてシェル込み総重量を実測してある。と思っていたら、何故かMC-Rohmann+PH-L1000の組み合わせだけ、量り忘れていたのだった。実用上は何の問題もないけれども、何だか気持ち悪い。ので、測っておいた。

 写真の通りである。25.26g。カウンターウエイトに錘を追加してある拙箱船のEPA-100MkIIで使うには、ちょうど好い加減の重さだと思う。eminent+PH-L1000が25.37g、HELIKON+PH-L1000は24.98gと、僕が特に好んで使う組み合わせと大差がないのも面白い。

 箱船の再生環境では、最適総重量が25g前後のところにあるのかもしれないと、気が付いた。もちろん、確信はないし決定的とも言えない。しかし、再生環境に応じた最適値は必ずあるはずで、それを知る上では、こうした数字も重要なデータの一つなのだと思う。

 もう一息音が冴えない、と感じたカートリッジでも、シェルやビスに工夫し総重量を25g程度にまとめることができれば、また違った結果を得られるかもしれない。

 などと、またぞろスケベなことを考えてしまうのである。

’09/11/18 (水)

図らずも


 ADP1号で試聴中の、オルトフォンMC-Rohmannである。この手の話題ではいつも同じような写真になってしまって、工夫のないことをどうかご容赦ください。

 やはりこのカートリッジは、PH-L1000に組み合わせるのがよいようだ。甘口な印象はすっかり消え去り、音に芯が通り骨格がハッキリする。遠慮がちに鳴っていたものが、前へ張り出す積極的なサウンドとなる。音場の展開も立体的に、実在感がぐんと増してリアル感抜群。

 こりゃあイイ、などと喜びながら聴いているうち、ハテ? と思う。以前、PH-L1000で聴いていた時よりもさらにパワフルに、何となく音量が上がり威勢が良くなったように聴こえるのは何故だろう。条件は変わっていないはず。

 過去の記録を調べてみて気が付いた。条件同一では、なかったのである。

 シェルへの取り付けビスが変わっている。前回、最後にPH-L1000で聴いた時は、SUSキャップビスだった。今回はβチタン合金ビスを使っているのである。そう言えば、MC-Rohmann+PH-L1000のコンビには、未試用のままだったのだ。それを今思い出すのだから、何ともいい加減な話である。

 けれども怪我の功名。図らずも、バイアスなしにβチタン合金ビスの効果を確認できた、とも言えるわけだ。「忘却は禅の要訣」というが如く、ニワトリ頭も時には役立つのである。

 モノスゴイ我田引水。

’09/11/17 (火)

元の鞘


 ULS-3XからPH-L1000へ付け替えなったMC-Rohmannである。結局は元の鞘に戻ったわけで、何をやってるンでしょーかというお話なのだ。まあしかし、これもオーディオ道楽のうちの一つと、勝手に納得してしまうのである。学習学習。

 甘口になってしまったULS-3Xとの組み合わせではあったが、それでもADP1号2号での違いは明確に出た。どちらかと言えば1号のほうに分があるようだ。

 思えばそれも面白い結果である。ローコンプライアンスタイプのMC-Rohmannなら、EPA-100MkIIよりもWE-407/23のほうがよく合いそうに見えるのに。机上の理論だけでは片付かないナニカが、あるのだろう。

 というワケで、このたびはADP1号に於いて試聴する。

’09/11/16 (月)

学習


 オルトフォンのMC-RohmannをULS-3Xに取り付けたのは、7月16日だった。それから4ヵ月。ADP2号で聴き、1号で聴き、いろいろやってみた結果、このカートリッジとヘッドシェルの相性は、どうにもよろしくないことが分ってきた。

 圧倒的なSNの良さ、繊細感、透明感、情報量、分解能に優れた素晴らしいカートリッジである。ただ、壮絶な切れ込み、華麗に散乱する、というよりは、どこかしら上品で落ち着いた雰囲気がある。切れの良さと柔かさとが絶妙にバランスしている感じだ。

 上記はヘッドシェルにビクターPH-L1000を使ったバヤイの印象である。それがULS-3Xとの組み合わせでは、バランスが柔かさ方向へ傾き、甘口サウンドになるのだ。個人的には、ヒジョーに面白くない音である。フツーに考えればあり得ないような話なのだが、実際にそうなるのだから仕方がない。何故だかゼンゼン分りません。

 オーディオに早合点は禁物、などと分ったようなことを書いたばかり。しかし、このケースはこれ以上の時間をかけても解決しないと判断し、PH-L1000へ戻すことにする。いささか残念な結果になってしまった。

 然るにこれもまた、一つの学習なのである。

’09/11/15 (日)

美味いものには毒がある


 一昨日の話題に具したイチョウは、オスの樹である。残念ながらギンナンはなりません。なれば大喜びで拾いに行くのだけれど。

 但し、てんてんさんからのご投稿にもあるとおり、熟して落ちたギンナンは猛烈な悪臭(はっきり言ってウ〇コ臭い)を放つし、果汁果肉が肌に付けばひどくかぶれるという、厄介なものである。

 それでも拾いたいと思うのは、ギンナンがとても美味しいからである。特に、新ギンナンを炒り、塩をふって食べると絶品だ。もちろんご飯に炊き込んでも格別。あんなにクサいのに、食べると美味い。初めて食った人は、エラいのである。

 美味しいからといって食べ過ぎてはイケナイ。ギンナンには「4'-メチルピリドキシン」(以下、MPN)という物質が含まれている。どことなく禍々しい感じを受けるその名のとおり、人体にとってこれは毒である。

 MPNはビタミンB6の作用を阻害し、見かけ上ビタミンB6欠乏症を惹き起こすそうだ。B6が欠乏するとどーなるか。中枢神経が異常興奮を起こし全身痙攣に至り、重篤なバヤイでは意識を失う。運が悪ければそのまま意識は戻らず呼吸が止まる。早い話が、死ぬわけだ。

 特に、小さい子供は要注意である。食べさせない方がよい。そういえば子供の頃、親から「子供は食べたらイカン」と言われていたような記憶がある。理由を訊くと「アクが強くて鼻血が出る」と。昔の人は、ギンナンの危険性を肌で知っていたのだろうなあ。

 では、大人ならどれくらい食べて危険なのか。それがよく分らないのだ。5〜6粒でグワイが悪くなる人もいれば、山のように食っても平気な人もいる。僕は修行時代、炒ったヤツをドンブリ鉢に半分くらい食べたことがあるけれど、別段何ともなかった。ただ、その夜は寝られなかったような。イジョーコーフンしていたのかな。

 もし、ギンナンを食べたあと、グワイが変であれば、すぐに病院へ行き「銀杏食べた」と医師に告げるべきである。適正な医療措置を受ければ、命に関わることはないという。

 いずれにしても、ドンブリ鉢半分も食う奴は、馬鹿である。

’09/11/14 (土)

得手不得手


 PARNASSUS D.C.tはとても良いカートリッジである。雑味がなく清らかで澄み切った音は、ちょっと他では聴けないものだ。

 ただ、eminentやHELIKONなどに比べると、スイートスポットが狭い感じもある。要するに、非常にうまく鳴るソフトと、そうでないソフトが明確に分かれるのだ。例えば写真に見える2枚のLPである。

 下敷きになっている方は「Torch Songs」(米REFERENCE RECORDINGS RR-34)、上は「VILLANCICOS」(仏Harmonia Mundi HM1025)。前者は穏やかな、しかし非常にレンジの広いジャズボーカルもの。後者は皆様お馴染(でもないか)、アトリウム・ムジケの古楽曲集だ。かなり強烈な録音である。

 さて、どちらがお得意のソフトになるのか。明らかに前者である。元々ボーカルが驚異的に美しく、伸びと透明感に優れたソフトである。その良さがさらに拡大される感じで、これはもう絶品ともいうべき美音なのだ。

 後者ソフトも、決してヘンな音になるわけではない。残念ながら、中低域にピークを持つ打楽器(たぶん小型の太鼓)の、強烈な立ち上がりに腰が砕ける感がある。有体に言えば、頭がクリップしてしまうのである。ソフトの持ち味である輝かしい高域などは、たいへん見事に再生するだけに、些か惜しい。

 だからと言って、文句をつける気はないのである。このような現象はさほど珍しいことではない。他のカートリッジでも体験したことがある。不思議なことに、特段の対策もしないまま使っていたら、知らん間に気になる部分が消えてしまったものもある。

 現時点では、得手不得手のあるカートリッジと感じられる。けれども、これが最終的なパフォーマンスかどうかは、未だ何とも言えないと思う。

 オーディオに早合点は禁物である。

’09/11/13 (金)

黄葉


 暗い冬の訪れが予感される晩秋を、僕は決して好まないけれども、楽しみにしていることもある。

 既に幾度か話題にしたことがある、イチョウの黄葉である。わりと暖かな日が多い秋だったから、今年は色変わりが遅めか、と思ったらそうでもない。過去日誌を調べてみると、黄葉時期のズレはほとんどないのである。エラいもんです。

 今の様子は写真の通りだ。僅かに緑を残し、ほぼ黄葉を終わろうとしている。とてもきれいである。この葉がすべて落ち果てたらば、当地はモノトーンの冬である。

 来春、桜が咲くまでは。

’09/11/12 (木)

今日は低気圧が


 この鬱陶しい光景をご覧ください。秋が終わり、いよいよ暗くて永い冬が始まったのである。最高気温14℃、今日の日照はほとんどないに等しかった。

 今週いっぱいはこのような空模様が続くという。憂鬱、なだけならまだいい。最近、お天気が悪いと頭痛が酷くていけないのだ。二葉亭四迷はしばしば「今日は低気圧が来ているのではありますまいか。わたくしは頭痛がしてならないのです」と言って客を断ったそうだ。僕は文豪ではないから、そうは行かないのである。

 寒いのはガマンするから、ともかく晴れてチョーダイ。

’09/11/11 (水)

忘れてはならないもの


 音が良い音がヨイと、馬鹿みたくPARNASSUS D.C.tに浮かれている。それはそれでたいへんケッコウ、だが、忘れてはならないことがある。藤崎氏のご厚意によりお借りしている、SUSプラッタの存在である。

 9月18日から使わせていただいている。あっという間に54日間が過ぎた。効果のほどは今さら言うまでもなく、オリジナルプラッタとは次元の違う音が実現できる、極めて優れたパーツである。

 PARNASSUS D.C.tは、真実優秀なカートリッジである。その能力を十全に発揮させるに、このSUSプラッタは不可欠のアイテムだと思う。尤も、これは件のカートリッジに限らず、すべてに言えることなのだが。

 ひとたび美味しいものを食べると、それに味を占めて舌が肥えてしまう。音にもそれと似たようなところがあり、後戻りできなくなるのである。我が身の欲深さに囚われ悩みつつ、もう一方で大喜びしている自分がいる。

 どうしようもないわたしが歩いてゐる。

’09/11/10 (火)

パイレン


 ADP2号に使っているトーンアームWE-407/23のアームベースは、それ自体にネジが切ってあり、アームボード裏から大型六角ナットで締め付け固定する方式である。

 大型、といっても大きいのは外径だけで、厚みは頼りないほど薄く、ごく軽量である。機能的には全く問題はないものの、重量でアームベースを安定させる効果は少ない。

 そこでアームスタビライザーの登場となるわけだ。SAECからちゃんとオプションパーツ(AS-500E / 鉄製500g)が用意されていたし、僕は真鍮製1.1kgのものを使っている。効果は抜群、だが、ちょっと困ってしまう部分もある。

 下部にローレット加工を施してあり、素手で締めるバヤイの滑り止めとなっている。けれどもやはり、所詮素手である。仮令、死に物狂いのチカラで締めても多寡が知れている。何とか強力に締めたい、と思えども、相手は円柱形状である。一般的なレンチ類では、滑ってしまって使い物にならないのだった。

 あれこれ考えているうちに、学生時代のバイト先で使ったことがある工具を思い出した。水道管工事、ガス管工事御用達の、パイプレンチである。業界用語で「パイレン」。写真のブツがそれだ。

 その名の通り、パイプ、つまり円柱形状のものをガッチリ挟み込んで固定、或いは回転させる特殊レンチである。これは大当り。たいへんグワイがよかった。これまでにない強力な締め付けが得られ、精神衛生上ヒジョーによろしい。実際、音も良くなったような気がする。

 何が役に立つかわからない。バイトもやっておくものです。

’09/11/09 (月)

手間をかける価値


 PARNASSUS D.C.tの取説には、スタイラスチップについての詳しい記述はない。web上にある情報を頼りに「ソリッドダイヤモンド・プレシジョンラインコンタクト」というものであるらしいことだけは、わかった。

 上のような拙い写真ではさっぱりワカランけれども、ルーペで拡大視すると確かにラインコンタクトのように見える。尤も、エンドユーザーとしては形状がどんなであれ、音が良ければそれで吉。素直に喜んでおくのがシアワセなのである。

 ただ、このスタイラスは、汚れを拾いやすいように感じている。充分にクリーニングしてあるはずの盤でも、片面を再生したあとに掃除すると、ブラシに白っぽい汚れが取れるのである。量的にはホンの僅かなものだ。これまでの手持ちにあるカートリッジスタイラスとは、少し違った形状を成しているのかも知れない。

 埃や汚れに、極めて敏感なタイプと見る。通常以上に針先をこまめに掃除することが、このカートリッジを上手く使う一つのポイントではないかと、思うのである。実際、僅かの糸くずが引っかかっただけで、高域に滲みが出ることもある。

 と言ってもやり過ぎは禁物。殊、クリーニングリキッド類の使用は、止むを得ないケースを除き、できるだけ避けたほうが無難だろう。スタイラス、カンチレバーには無害であっても、接着剤を劣化させるバヤイがある。

 斯くの如く、ある意味神経質なカートリッジだけれども、それだけの手間をかける価値は充分にある。無い智慧を絞って条件を整え、結果よい音が出た時の喜びは、格別である。

 AD再生は、実に楽しい。

’09/11/08 (日)

スタイラスクリーニングの重要性


 ジャンルを問わず、多くのLPを聴いているうち、ちょっと気になるところが出てきた。中高域に歪みが乗ることがある。

 針圧、アームの高さ、左右の傾き、ADP本体の水平、ラテラルバランス、アウトサイドフォースなどを再点検するも、問題はない。念のため、針先のグワイを再度調べてみると、スタイラスとカンチレバーとの接合部に、僅かだが汚れが残っているように見える。密集型ブラシで丹念にクリーニングしたつもりが、完璧ではなかったようである。

 手作業では除去し切れない汚れと判断し、ここは奥の手を使う。電動スタイラスクリーナー、AT637の登場である。

 頑固な汚れには効果絶大なクリーナーである。けれども、個人的にはあまり使いたくないのが本音。何となくカートリッジに良くないような、気がするのである。だからこそ「奥の手」なのであります。

 写真のように針先をクリーナーブラシに置き、スイッチを入れる。特にクリーニングリキッドなどは不要である。たぶん、ないほうがよいと思う。10秒間程度で充分である。長すぎるのは良くない。

 再度針先をルーペで拡大してみて驚いた。ものすごくきれいになっているのである。はっきり言って、ピカピカだ。ああ、ビックリした。「スタイラスも極めて綺麗」などと、とんでもなく甘い見立てだったわけである。中古カートリッジの怖いところなのかも知れない。

 結果、歪みっぽさは雲散霧消。さらに透明感が上がり、音像の輪郭がなおいっそう鮮明になる。情報量もぐんと増えた。こりゃすごい音だ。

 針先清掃は、とても重要であると、再確認。

’09/11/07 (土)

清らか


 EPA-100MkIIで聴くか、WE-407/23で聴くか、PARNASSUS D.C.t。3秒考えてWE-407/23に決めた。マッチングが良いような気がしたからである。科学的根拠は、ありません。例によって、僕のいい加減な「勘」である。

 取説によれば、適正針圧範囲は1.6g〜1.8gとなっている。まずは無難に中を取って1.7gに設定し、早速レコードを聴いてみた。

 一聴して感じるのは、SNの良さである。非常に静か。透明感が特に高く、音場の見通しが良い。高域はクリスタルガラス細工のように繊細で精緻な印象である。シャープに伸び切っているが硬さはなく、しなやかである。解像度は極めて高い。ボーカルには張りと伸びがあり、浸透力が凄い。ヒジョーに生々しいのである。

 中高域の充実感に対して、低域は少々影が薄い。ちょっと踏ん張りが利いていない感じ。そこで針圧を1.75gに設定してみると、俄然力感が増して実在感が出てくる。HELIKONほどハードな低域ではなく、ややソフトタッチ。だが、フニャフニャした感じはなく、しっかりと腰が据わっている。

 とてもよい音である。女性的か男性的かという大雑把な分類では、どちらかと言えば前者になると思う。何処となく繊細な京風料理をイメージさせるようなところもあり、要するに、やや上品な音なのである。

 古楽、バロック音楽などは特に優秀である。瑞々しく清らかで静謐、しかも輝かしい音に、ゴージャスで幸せな気持ちになれる。この清々しさ、雑味の少なさは格別である。余分な音が極めて少ない。これがチタンブロック削り出しベースの威力なのだろうか。

 明日も引き続き、試聴記を。

’09/11/06 (金)

準備完了


 ヘッドシェルにはビクター PH-L1000、リード線にMy Sonic Lab MR-1Rhを選び、再生の準備をしたところのPARNASSUS D.C.tである。取り付けビスにはもちろん、βチタン合金製M2.6を使う。10mm長がぴったりだった。

 実測自重10.72g、写真の状態で27.24gになる。手持ちカートリッジの中では重いほうである。チタンベース相手にβチタンビスを組み合わせるのは初めてだ。ガッチリ決まって曖昧さのない締め心地は、一種の快感である。

 一般的なカートリッジに比較して、ベースの横幅が大きめに取ってある。シェルとの接触面積が広くなるのは大きなメリットである。ただ、PH-L1000はどちらかと言えば細身タイプで、僅かにベースが左右へ出っ張ってしまうのである。指掛けとの接触が危惧される。

 そこはビクターも色々なケースを想定していたのだろう。シェルの厚みよりも、指掛けの切り欠きがホンの少し(0.2mmくらい)浅く加工されていて、出っ張り部分には接触しない。バヤイによってはスペーサーが必要、とも考えたが出番はなかった。

 単体で見てもうっとりするような、実に美しいカートリッジである。このようにシェルへ取り付けると、益々格好良い。音を聴く前にルックスだけでほとんど満足、していてはイケナイのである。

 ADP1号2号、まずはどちらで聴こうかしら。

’09/11/05 (木)

憧れのカートリッジ


 今でこそ「HELIKON最高、LYRAは凄い」などと、知ったようなことを言っているけれども、初めて「LYRA」の名を聞いた時は、恥ずかしながら国内メーカーであることさえ知らなかったのである。

 その名を知ったきっかけは、もちろんMCカートリッジによって、である。1996年頃だったと思う。現行モデルのTITAN、HELIKONより一世代前、PARNASSUS D.C.tやCLAVIS D.C.などのモデルがラインアップされていた時期である。

 特に前者モデル、PARNASSUS D.C.t(名前長い)にはヒジョーな興味を持ったことを覚えている。純チタン削り出しのボディ(と言うか、ベース)が採用され、妖しく光り輝くそのルックスに、ムクマニアの僕は大いに惹きつけられたのだった。

 当時の価格は280,000円。Stereo Sound誌(No.121)では'96-'97年のベストバイ・カートリッジ部門第1位に選ばれていたし、MJ誌('97年8月号)でも相当な高評価が付いていた。だが、それだけで「買い」に走れるほどカルい値段ではない。ルックスには一発ノックアウトされたものの、さすがに買えなかった。

 それから幾星霜。HELIKONを所有するに至って尚、僕はこのカートリッジを諦め切れずにいた。無論、とっくの昔にディスコンである。中古を狙うほかに入手方法はない。何度か目に止まったこともあったが、高価であったり状態が良くなかったりで、止むを得ず見送ってきた。

 それが今回、得難い縁あり入手叶ったのである。出力ピンが金メッキタイプであることからして初期型、少なくとも10年は経過していると見るべきだろう。だが、状態は大変良好である。スタイラスも極めて綺麗だ。もちろん、動作に何の問題もない。どういうわけか木箱だけがCLAVIS D.C.のものになっている。その所為かどうか、極めて良心的な価格であった。

 僕にとっては、憧れのカートリッジである。その昔、ビクター MC-L1000を買った時と同じくらい、嬉しい。大喜びしている。

 どんな音が出るのかな。楽しみ楽しみ。

’09/11/04 (水)

ヤッパリ


 先月24日、レンズキャップを被せたまま投射し「すわ、また故障か」とマヌケに慌てたVPH-1252QJだが、やっぱり同じことをまたやってしまった。さすがに今回は慌てはしなかったものの、馬鹿な行いであることに違いはない。

 運転を終わる毎にレンズキャップを被せるのは、もうヤメ。無精者の僕に、そーゆーことを習慣とするなんか、どだい無理なお話なのだ。完全に企画倒れである。

 キャップしない代わりに、以前と同様頻繁にブロワーで掃除する。やがて汚れが酷くなったら、またレンズ外して大掃除すればよい。仄聞するところによると三管マニアさんたちは、年に一度は大掃除しているらしい。それに倣うべし。

 我ながら、呆れるほどの粗忽者である。

’09/11/03 (火)

急転


 「週末は冷える」の予報は少し遅れたようだ。昨日午後から、猛烈な冷え込みである。気温は一気に急降下、今現在(3日午後2時)12℃と、2日前の1/2を下回っている。完全に冬だ。1日は26℃くらいあったのに。昨夜は盛大に霰が降った。

 築81年、気密度ほとんどゼロの母屋は大慌てでコタツを設えファンヒーターを出し、1日で夏から冬の模様へ急転させた。寒がりの愚猫1号2号は、大喜びでコタツに丸くなっている。もう少し緩やかな季節変遷を望みたいところ、だが、どうも近年はこういう傾向が強まっているようだ。

 風邪をひかないようにせねば遺憾。

’09/11/02 (月)

欲しい時が買い時


 永く使わずにいたDVDプレーヤーで、久しぶりに映像を観た。今や完全に古色蒼然、ほとんど「化石」と言ってもよいような、パナソニックDVD-H1000である。

 プログレッシブDVDプレーヤーの第1号機である。もちろん再生専用機。1999年発売、定価300,000円。発売直後に大喜びで買ったものだ。キャビネットは極めて強固な造りで、実測重量16kgある。当時としては画、音とも最高であった。プログレッシブ再生時に点灯する青色LEDも、その頃はまだ珍しかった。

 10年経てばヨノナカ変わる。1万円以下のDVDプレーヤーでもプログレッシブ再生可能になったし、そもそも再生専用機などほとんど投売り状態である。酷いことに、なるものです。

 だからこのプレーヤーには何の価値もないのか。実際に使ってみると、決してそうとばかりも言えない。さすがに画は苦しいと思うけれども、音はきわめて立派なものだ。切れ良く透明感があり、パワフルで実在感が凄い。圧縮された放送ハイビジョンの音声を、遥かに上回る音の良さである。

 とは言うものの、このプレーヤーの役目が最早終わっていることは、認めざるを得ない事実である。次はBD(レコーダー)へ進むしかないのだろう。

 さりとて、どのメーカーのどんな機種を買えばよいのか、僕にはまったくわからない。尤も、その気になって調べていないから、ワカランのは当たり前。要するに、本気で欲しがっているわけではないのだな、これは。

 購買意欲が盛り上がった時、買うことにしましょう。

’09/11/01 (日)

カメムシ予告2009


 11月である。恒例により、来たるこの冬を「カメムシ予告」で予想してみたい。

 先月25日頃から、それまでまったく姿を見なかったものが、急激に増えてきた。特に、日当たりのよい母屋南向きの縁側は、はっきり言ってカメムシだらけである。家のどこかで必ずコイツのニオイが漂っている状態。洗濯物を取り込めば、100%くっ付いてくる。

 記録的大雪となった2005年ほどではないものの、昨年よりは明らかに多いのである。気象庁発表の長期予報では、暖冬少雪(毎年同じような予報を出してる)になるという。

 昨冬は、1月半ばに60cmの積雪があり、それが最大であった。カメムシ少なく雪も少ない、見事適中である。これまでの数年間は、概ね適中している。今冬は少なからぬ積雪、メートル雪もあり得るかもしれない。気象庁とカメムシ、どちらを信ずるべきか。

 いずれにしても、それなりの準備は必要なのである。