箱船航海日誌 2008年10月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’08/10/31 (金)

UFO型


 滅多にやらんクセに、一度始めたら止まらない。僕はいつもそうなのだ。もうちっとバランス良くなれんものかと、思うけれどこれも性分だから仕様がないのだった。

 昨日までに磨き終わったものとは別の、ADスタビライザーである。友達が試験的に作ったものを、譲ってくれたのである。アダムスキー型UFOみたいな形をしている。これにはモデルがあるそうで、友達曰く「メーカー不詳、大昔あったスタビライザー」であるらしい。

 原型は、おそらく全真鍮製、だが、写真のものは砲金のガワに純銅を嵌入させてある。砲金+純銅のコンビタイプである。これも永く磨かないまま使っていたが、今回の勢いに乗じての研磨である。

 例によってピカール→ダイヤモンドペーストの工程で磨き、洗浄も終わったところ。砲金は真鍮に比べてやや赤い。磨くと表面に特有の斑紋が浮き上がり、何ともいえない質感である。非常に美しい。やっぱり、磨かな遺憾のである。

 明日は二つ揃って防錆塗装するべし。

’08/10/30 (木)

研磨完了


 全面研磨完了。ダイヤモンドペーストを使ったのは、やはり大正解だった。上面、底面は鏡のように美しくなった。側面も同様、と言いたいところだが、そうは行かない。鏡面を実現するには、切削痕に対し直角方向に磨かねばならない。側面はくびれた形状になっている上、磨くべき部分の幅が狭く、それがヒジョーに困難なのである。トチューで息切れしてしまいました。

 研磨はこれでよしとして、あとは洗浄と防錆塗装である。洗浄にはイソプロピル・アルコールと中性洗剤を、塗装にはいつもの通りアクリル系クリアラッカーを使う。

 どんなに美しく磨いてあっても、塗装でドジ踏んだら元も子もない。一からやり直しだ。ムラなく全面塗装するには、少々工夫が要るのである。さて、どうやったら上手く行くか。以前、ヒドイしくじりをやらかして、シクシク泣きながら塗装を剥がしたことがある。二度とイヤだ。

 よく考えよう。

’08/10/29 (水)

結局DP登場


 一旦は「もういいか」、と仕上げの防錆塗装にかかろうとして、思い直したのである。研磨した面にはまだまだ小さなキズがついている。これは捨て置けない。とゆーわけで、結局ダイヤモンドペースト(以下、DP)の登場と相成った。

 やはり面倒がらずにやるものだ。写真では判別し辛いけれども、さらに一皮剥けて透明感向上。これがDPの威力なのである。

 未だ底面の一部を磨いただけである。切削痕を完全に消去、するまで磨くのは不可能としても、全面DP研磨は実施したい。

 やっぱり、始めたらヤメられなくなってしまいました。

’08/10/28 (火)

名が泣く


 昨夜は早寝して充分な睡眠時間が取れ、今日は少々元気になった。多寡が500km運転したくらいでこのていたらくである。僕は運転がニガテです。

 久しぶりにADスタビライザーの研磨をした。もうずいぶん前、現用スタビライザーの別バージョンとして友達に作ってもらったものである。純銅と真鍮のコンビであることは同じだが、僅かに比率を変えてある。生成りでも充分美しい仕上がりだったことに託けて研磨せずにいたら、酸化が目立ってきたのだった。アタリマエです。

 今のところ第一段階、ピカールでの研磨が完了したところである。ここで終われば普通の研磨。このうえさらにダイヤモンドペーストで磨けば、DHK。現状でこれだけきれいになったならばもういいか、という気も、している。

 自称DHK総裁の名が泣くぞ。

’08/10/27 (月)

ディレイ

 27日は、終日タマシイが抜けたようになって過ごしてしまった。26日の疲れが、一気に出たようだ。なんとも不恰好なお話だが、帰ってきたその日よりも、翌日のほうがもっとシンドいのである。

 こういう時は、おとなしく休むに若くは無し、と。

’08/10/26 (日)

名張市へ

 オツトメにより、三重県名張市まで出かけてきた。片道230km、8割方自動車道を走って約3時間半の行程である。往復500km弱の日帰りは、さすがにシンドい。ただ、日曜日であったから、商用車が少なく渋滞が皆無だったのは大いに助かった。平日ならグチャグチャに混みまくる吹田ジャンクション(中国道・近畿道分岐点)もスイスイ通過できたのである。

 過去、何度も出かけたことのある街だし、3時間半程度ならとんでもない遠方とは言えない。だが今回は、これまでになく疲れてしまった。何故だろう。

 そりゃあアンタ、歳の所為ですがな。

’08/10/25 (土)

夕天 LIVE


 前回は何時で、どんなタイトルだったか。それさえ忘れてしまうほど、DVDを買うのは久しぶりである。

 「夕天 SUPER TAKANAKA LIVE 2005」(日LAGOON RECORDS LAGD-5)。(C)2006。2005年10月10日、東京・日比谷野外音楽堂での高中正義のコンサート映像である。全16曲、117分収録。

 僕は30年来、高中正義の大ファンである。AD、CDはたくさん持っているし、コンサートにも何度か行ったことがある。でありながら、彼の映像パッケージソフトを買うのはこれが初めてだ。曲を聴くだけで充分満足していたのである。

 それが何故突然DVDなのか。先日、偶然このDVD映像の一部を目にする機会があった。それが何とも良かったのだ。メンバー、曲、演奏、映像、全て最高。こら買わなならん、っちゅうわけである。

 その時見たのは、アンコールナンバーとしてトラック16に収録されている「BLUE LAGOON」である。「JOLLY JIVE」(1979年リリース)に含まれる、彼の大ヒット曲(曲名知らずともメロディは誰でも知ってる)だ。この演奏は素晴らしい。高中さん、ムカシより明らかにギターが上手くなっておられます。

 映像そのものの質はイマイチだが、音はなかなか良いと思う。低域がしっかりしていて力があるし、中高域の歪みや埃っぽさも少ない。48kHz/16bitリニアPCM音声の恩恵か。ご老体DVD-H1000からディジタルアウトしてDP-85のDACで聴いたら、さらに良くなった。

 僕にとっては価格(5,000円、Amazonなら4,680円)以上のネウチが、ある。

’08/10/24 (金)

爪痕


 今朝方、裏庭を歩いていたら、箱船脇にある柿の木の様子が普段と違うことに気が付いた。直径10cmほどの枝が数本、折れて落ちているのである。さらに、周りには実を食べ散らかしたような痕跡がある。樹上には生ったまま半分くらいカジられた実も見える。

 どーもアヤシイ。幹をよく観察すると、写真にご覧の通りである。これは、クマの爪痕に間違いない。昨晩(或いは未明)、この樹によじ登り甘く熟した柿を食べて行ったのである。もう1本の樹の根元には、ご丁寧に大きなウンコも残してくれた。満腹してモヨオシたのか。イヤ、おそらく縄張りマーキングのつもりだろう。ウチの裏庭は、クマさんのお食事処か。

 柿の木にクマが登るのは、ずいぶん久しぶりである。ここ数年はずっとご無沙汰で、表の庭にウンコして行ったくらいだった。やはり山の果実が不作な所為だろう。これほど盛大に召し上がったのは初めてである。

 シカやイノシシ、タヌキやキツネならまだいいけれども、クマは、怖い。箱船入り口のドアを開けたらそこにクマがいた、なんてシャレにもならん。今夜からは用心のため、高域成分たっぷりの振鈴を鳴らしながら出入りすることにした。

 とは言え勝手なもので、身の安全が保障された状況でなら、ちょっと見てみたいとも、思う。ライブ「野生のクマさん」なんか、滅多に見られるものではないのである。

 でも、階段室の窓から外を覗いて本当にクマがいたら、やっぱり怖いだろうな。

’08/10/23 (木)

重文・三重塔


 寶福寺の伽藍の一つ、三重塔である。全高18.47m、朱塗りの見事な建造物である。1376年(南北朝時代)の建立で、国の重要文化財に指定されている。昭和42年に解体修理が行われているものの、建立から632年経過しているわけで、伝統的木造建築の寿命の永さに驚くのである。

 三重塔、五重塔など、日本の多重塔は建造物としては特異で、しかも非常に良く考えられたものだと聞く。地震にも特に強く、最先端の免震構造を研究する学者からも注目を集めているのである。

 一見、3階建て(或いは5階建て)のようだが、内部には階段が存在せず、塔の最上部へは容易に上れない。塔の中央を貫く「心柱(しんばしら)」は接地しておらず、地面からわずかに浮いた状態になっている。オーディオふうに言えば「フローティング式インシュレーター」というところか。これが一種の「柔構造」となり、高い免震効果を生み出している。というのが現在の説だが、本当のところはよく分かっていないらしい。

 この塔は実際、632年間にわたり凛として立ち続けているのである。エラいことである。時の重みを感じながら、至心に合掌したのだった。

 ムカシの人の智慧は、偉大である。

’08/10/22 (水)

寶福寺


 寶福寺は、実に素晴らしいお寺であった。絵に描いたような伝統的禅宗様式の七堂伽藍が、6,000坪の境内に美しく配置されている。見事である。維持(主に、掃除)がさぞお大変だろうなあと、下世話なことを考えてしまった。

 室町時代の水墨画家、雪舟(1420〜1506)は、幼少の頃をこの寶福寺で小僧として過ごす。その折、絵ばかり描いて修行に身が入らないことを咎められ、柱に括りつけらた。泣いて落とした涙を使い、足の指でネズミの絵を書く。あまりの上手さに驚いた師匠は、その後絵を描くことを許した、という伝説が、この寺にはある。現在「画聖」とも称えられる雪舟は、ここから生まれたのである。

 境内には楓がたくさんあり、来月初〜中旬には美しい紅葉が見られる。今回は時期が少々早くて、写真にご覧の通り、わずかに紅くなっていただけだったのは、一寸残念。

 ご丁寧なおもてなしをいただき、ありがとうございました。

’08/10/21 (火)

思ったより近い

 無事本山到着、午後から岡山県へ向けて山陽自動車道を走る。ものすごく遠い、かと思っていたら、わりあいに早く着いてしまって拍子抜けした感じである。京都― 岡山間って、案外に近いのである。

 総社の寶福寺へは、明日参拝する予定である。

’08/10/20 (月)

総社市へ


 明日は早朝から本山妙心寺へ出かけねばならない。毎年の恒例行事である。昨年まで僕は幹事役で、ヒジョーに気が重かったけれども、今年はヒラだから実に気楽である。

 本山への参拝を終えた後は、岡山県総社市にある、臨済宗東福寺派寶福寺という古刹を訪ねる予定になっている。天気予報によれば、西日本は好天になるという。

 旅行はお天気がいちばん。ヨカッタヨカッタ。

’08/10/19 (日)

いつでも


 愚息1号の本番は、無事に終わったらしい。僕は終日オツトメあり、見には行けなかった。「どうだった」と訊ねたら、「うん、楽しかった」と言うから、まずまず成功だったのだろう。ケッコウでございました。

 貸していたシンバルとスタンドが返ってきたから、クリーニングが終わったシンバルとともに再セッティングした。やはりきれいなシンバルは気持ち良いのである。今後はマメに掃除しよう。

 ご覧の通り、ヘボなクセにタイコとシンバルの数だけは矢鱈と多いセットである。これを見たある友達曰く「ナンデこんなにたくさん要るの?」。スミマセン、本当は要りません。ドラムセットは顔が命です。

 永く独りで叩くだけだったオオゲサなセットだが、近い将来、僕もバンド再始動できるかもしれないモヨウである。5日の日誌に書いた旧友Yとようやく連絡が取れ、聞けばちょっとその気になっていると言う。お互い、ヘタクソでもなんでもいい。ともかく一緒にやれるのならば、僕はとても嬉しいのである。

 待っているよ、Y。僕は、いつでもいいぞ。

’08/10/18 (土)

クリーニング


 昨日に続いてシンバルネタである。

 愚息1号の演奏本番は明日(19日)の午後だそうで、シンバルとスタンドがちょっと足りないから貸せ、という。便利に使われているわけである。

 スタンドからシンバルを外したついでに、何年ぶりになるか、クリーニングを実施した。サビサビになっていたならば、研磨剤入りの専用クリーナーか、或いはピカール(両者基本的には同じものである)で磨く必要がある。昨日も書いたとおり、僕のシンバルは「深窓の令嬢」みたいなモンだから、ほとんど錆びていない。手垢と埃を落とすくらいで充分なのである。

 そこで使ったのは、イソプロピル・アルコール(以下、IPA)である。エチル・アルコールでも良いと思うけれども、油脂を分解する能力はIPAのほうが高いと聞いての選択である。

 高性能ワイピング・クロス「ベンコット」にIPAを含ませ、同心円状にゴシゴシ擦ったあと、さらに乾拭きする。ここまでで充分きれいになる。最後に防錆と艶出しを狙ってもう一工夫。ごく少量のスクアラン・オイルを裏表に塗布し、クリーニング完了である。

 結果は極めて良好。ご覧の通り、「K」のマークも鮮やかに、新品同様の輝きが戻った。実に気持ちが良い。

 ただ、スクアラン・オイルがシンバルに対して適か不適か、僕にはよくわからない。少なくとも、金属にも音にも害はないと思う。匂いがなく、ベタベタせず、伸びが良く、劣化が少なく、防錆剤になりそうなもの、と考えて、身近にあったのがスクアラン・オイルだった、というだけ。以前、友達からオーディオ用途として分けてもらったものが、こういうところで役に立つ。ありがたいことである。

 ピカピカになったシンバル床に並べてニヤニヤする。気色ワルイのである。

’08/10/17 (金)

ヴィンテージ・シンバル


 ある一部のブランドを除いて、ドラム本体(タイコ部分)に「ヴィンテージ・ドラム」というジャンルは、ない。僕のセットは1981年のPearl製。27年モノだが、タダの「太古のタイコ」に過ぎないのである。これがもし米LUDWIGやGRETSCH製だったならば、ちょっとした財産、だったかもしれない。

 その点、シンバルの世界には「ヴィンテージ・シンバル」市場が確立されていて、状態の良い30年40年前のシンバルが、驚くような値で取引されている。昔は製造過程がほとんど手作業であったこと、使ってある金属が現在よりも良質であること、などが主な理由である。

 実際、現代シンバルは、同じブランドで比較しても昔より耐久性に劣るように思われる。割れ、ヒビ、欠け、といったトラブルが、随分と早くやってくるのである。製造過程の所為なのか、金属の質によるものなのか。

 写真のシンバルは、僕が今使っているものの内の一部である。1992年のK.Zildjian製。16年モノである。ほとんど外部へ持ち出したことがないから、使用年数のわりにはきれいだ。相当叩き込んでいるけれども、割れやヒビは皆無。音にも問題はない。

 今のところはまだ若いようだが、あと10年もすればめでたく「ヴィンテージ」の仲間入り。トラブル無しに保存できれば、高値で売り飛ばせるかも。とゆーよーなことができるほど、僕は気が長くないから、今後も遠慮なしにバンバン叩きまくるのである。

 楽器は、鳴らしてナンボですから。

’08/10/16 (木)

再会


 好いお天気である。早朝の冷え込みは厳しくなったけれども、これくらい晴れれば日中は暖かい。境内掃除は半袖でも汗ばむほどである。こういう気温差が、風邪を呼ぶのだケレドモ。

 ウチの柿はそれなりに実をつけているけれど、今年は総じて不作だと聞いた。特に山のドングリ類は成りが悪く、その所為でクマの出没が相次いでいるらしい。幸い、僕はお出会いしない。できれば今後もそうありたいものである。

 クマには会わないものの、シカとイノシシは、例によって毎晩の到来がある。3日ほど前の夜には、シシさんとマトモに「こんばんは」してしまった。体長1.3mほどの、大物である。よーく見ると、右前足が不自由である。どうやらこのシシ、2006年11月9日の日誌に写真を載せたものと同一個体ではないか。2年ぶりの再会である。不自由をかかえながらも無事に生き延びていたのだなあ。

 今冬も、乗り越えて欲しいと、思う。

’08/10/15 (水)

睡眠重要

 売薬の中では比較的相性の良い風邪薬を飲み、コバヤシセーヤクの「ハナノア」で鼻うがいし、熱い風呂に入ってさっさと寝たら、だいぶんと楽になった。

 基本的には、睡眠が最も効いたような気がする。猫でも体調が優れない時には、何もせずひたすら眤と眠っている。グワイの悪い時には寝る。それでもダメなら永眠する。そーゆーことなのだろう。

 今夜も早く寝るべし。

’08/10/14 (火)

10月は鬼門

 僕にとっては鬼門の10月である。しっかり風邪を惹いてしまった。急に寒くなったり、また暑くなったり、そーゆー気温変化について行けないのである。いわゆる一つの、トランジェントが悪い、ってえヤツだ。

 ひどくなる前に、薬を飲んでおとなしくしておきます。

’08/10/13 (月)

花一輪


 三連休の終り、先週に続き愚息1号ドモ練習するの図、である。イヤがるのを承知で、今日はちょっとばかり覗いてやった。こっちは部屋のオーナーである。それくらいのケンリはあろうというものだ。

 知らん間にカワイイ女の子が歌っていて、ちょっと驚いた。ヤロウばかり3人のバンドじゃなかったのか。まあ、華があっていいケレドモ。モンパチの「あなたに」を、わりと上手く歌っている。バンドアンサンブルも以前とは比べ物にならないくらい芯が通り、良い意味での重さと厚みが出たようだ。何事も、お稽古ですなあ。

 本番まで、あと1週間だそうである。

’08/10/12 (日)

少々不調


 最近、DP-85の調子がもう一つである。時々、TOCを読めずディスクを認識できないことがある。オープン/クローズを何度か繰り返せば読むし、常時こうなるわけではない。音にも問題はない(と思う)から、今のところそのまま使っている。けれども、早晩修理が必要になるだろう。

 尤も、使い始めから既に6年以上経っているわけで、その間ノートラブルだったことを思えば致し方ないのかもしれない。パーツの経年劣化によるメンテナンスと考えれば、ごく自然なこととも言える。この前のGT-CD1は10年使った。DP-85も同じくらい使いたい。だから、少なくともあと4年はがんばってもらわねばならないのである。

 4年後にはどんな素晴らしいプレーヤーが存在しているだろうか。とても楽しみである。と同時に、必要な投資額を思うと、ソラ恐ろしくもあるのだった。

 10年と言わずそれ以上、僕が死ぬまで使ってもいいンだが。

’08/10/11 (土)

立場逆転


 愚息1号のセットは、只今解体中。練習へ持ち出すためである。今組み立てても、またすぐにバラさねばならず、メンドクサイからオヤジのセットを叩かせろ、というわけで、この日誌を書いているウシロでガンガンやっている。

 叩いている本人が聴く音と、セットの前でオーディエンスとして聴く音とは、まったく異質である。自分で叩いて良い音だと思っていても、側で聴けば実はたいした音ではなかったり、或いはその逆もあり得る。これは、ドラムに限ったことではないのかもしれない。

 この伝からすれば、愚息が叩く僕のセットの音を聴くことは、大いに意味があると言える。スネアのチューニングはもう少し高くてもいい、思いのほかタムタムの抜けが良くない、バスドラムはまあまあ鳴っている、などと、いろいろ感じるところがあって面白いのである。

 ついでに最新ドラムテクを伝授してもらったりして、今や立場が逆転してしまった感じである。老いては子に従え。ナルホドなあ。

 ずいぶんと上手くなった。あとは、如何にグルーブ感を出すか、だ。

’08/10/10 (金)

夏日


 この時期としては異常な暖かさ、否、暑さに驚いた10日であった。当地の最高気温29℃。立派な「夏日」である。10月10日に半袖Tシャツ1枚でちょうど好い加減とは、暑いのが好きな僕としては大助かりだが、一寸気色悪くもある。

 写真は近所にある金木犀の樹である。樹高は4mほど、この種としては大きなほうになる。今、満開。通常なら秋の爽やかな空気にそこはかとなく漂うはずの香りが、気温が高い所為かむせ返るような匂いを発している。パフュームつけ過ぎの無粋なオバハン、みたいな印象で、少々いただけない。

 この気温も今日までらしい。今夜半、寒冷前線の通過があり明日は一気に8℃以上下がるという。予想最高気温20〜21℃。今年の半袖1枚も、今日が最後になるかもしれない。

 今冬は暖冬、と長期予報は言う。ホントかな。秋の様子を見ていると、どーも厳冬大雪になりそうな気がする。記録的大雪になった2005〜2006年冬、その年の秋に似ているからである。

 あとは、カメムシ予告がどうなるか、だな。

’08/10/09 (木)

色彩感向上


 見た目は対策以前と何も変わらないサブウーファーである。して、肝心の音は、変わったか。

 さすがに「激変」、とは言えないまでも、対策前とは明らかに音が違うのがわかる。しかも、良い方向への変化である。僅かながらも深みが出て、低域の色彩感が豊かになったような印象である。

 このユニットの音には一種独特の生硬さ(好意的に表現するなら、腰の強さ)があり、しなやかさ、深みに欠ける傾向がある。11年以上酷使して未だにそうなのだから、これはもう生来のキャラクターと言うべきだろう。SR用途ユニットに特有のもの、なのかもしれない。

 その性格が、表現力や色彩感の乏しさにつながるわけだ。大雑把に言えば、威勢は良いが一本調子。38cmウーファーとしてはモタつきが少ない、というメリットの裏側に、斯くの如くのデメリットが存在する。まさに、一長一短である。

 ネリゴム対策で、ホンの僅かではあっても、デメリットを抑えることができたように感じている。ネジ頭の小さな凹みをネリゴムで充填しただけで、何故に音が変わるのか。僕にはメカニズムがまったくワカラン。実に不思議である。

 残るはリヤカノンLへの対策、である。

’08/10/08 (水)

SWにも


 サブウーファー(以下SW)ユニット取り付けネジにも「伊研のネリゴム」対策を実施してみた、の図である。

 元々このネジの頭には、ポンチで打ち抜いたfo.Qシートが貼ってある。それを一旦剥がし、凹みにネリゴムを充填したあと、また貼り付ける、という作業になった。写真はその様子である。

 さてさて、FE208ES-Rには極めて有効だったこの対策が、低域再生専門のSWユニットにも同様に効くのだろうか。低域の振動エネルギーは、中高域のそれと比べて非常に大きい。だからこそ良く効く、のか、或いは逆に九牛の一毛となってあまり効果がないのか。聴いてみないことにはわからないのである。

 ここまでスーパーネッシーMkIIで48本、SWで32本、計80本のM6ネジ頭を埋めた。それでもネリゴム1個の1/3程度を使ったに過ぎない。単純計算すれば、ネリゴム1個で240本以上のM6ネジ頭を埋めることができるわけだ。僕は10個も買ってしまいました。いったい、何本のネジに対策するつもりなのだろう。

 「ネジ対策屋」でもやるか。

’08/10/07 (火)

リ・レコパック無かりせば


 友達からの貴重なアドバイスを得、初めてレコパック再生実験をしたのは、昨年の今頃であった。あの時はまだ「レコパックもどき」の影も形もなく、何としてもレコパック枯渇を避けねばならんという切迫感があった。それを思えば、レコパックもどきをどんどん生産できる現状は、夢のようでもある。

 リ・レコパックとレコパックもどき。オリジネーターはそれぞれ別の友達である。A氏からのアドバイスを得た僕は、早速マネをして日誌にレコパック再生記事を載せた。それを読んだB氏が再生作業の涙ぐましさと面白さに共感。それなれば「もどき」を作れないかと奔走する。その実験過程は5月19日以降の日誌に書いたとおり。結果レコパックもどきが完成した、というわけである。

 写真左は再生3回目に濾過を実施したオリジナルレコパック液。右はアトフィスグルー、PVA洗濯糊、エタノールを3:3:4の割合で混合し、増粘剤CMC(カルボキシメチルセルロース)を0.5%添加した「レコパックもどき」最終型である。レコードの汚れグワイに応じ、便利に使い分けている。

 リ・レコパック無かりせば、レコパックもどきはあり得なかったかもしれない。「縁」というものの大切さを、改めて思い知るのである。

 両氏には、心から感謝せねばならぬ。ありがとうございます。

’08/10/06 (月)

練習場


 昨日の日曜日、朝から愚息1号の仲間が出てきて箱船2階へ大きな荷物を運び込んでいる。ギターとベースのアンプである。

 今月末、なにやらイベントがあるそうで、そこで一発ぶちかますらしい。その練習をさせてくれ、というわけである。もちろん協力するにヤブサカではないのであって、どうぞご自由にお使いください、但し、悪いことしたら遺憾ぞと、言っておいた。

 午後から夕方まで、上手くはないがドカスカと威勢だけは良く練習し、皆すっきりした顔で帰っていった。大変ケッコウでございます。若いってこたァ、いいねえ。

 僕が30年前にやっていたのと同じようなことを愚息がまたやる。親の因果が子に報い。学生の本分、のほうがどーなっているのか僕は知らない。だが、特別に好きなこともなく勉強もせず、夜中にコンビニで無気力無意味に屯するくらいなら、タイコ叩いてギターかき鳴らすほうが余程健康的だとも思う。

 今しかできないことを、やってくれ。

’08/10/05 (日)

古い写真と旧い友


 色褪せた一枚の古い写真。フレーム外側の白フチには「MAY 80」の文字が見える。1980年5月の撮影である。場所は、当時、国鉄(現・JR)高槻駅前にあったショッピングセンターの屋上である。アマチュアバンドを集めた屋上コンサートのワンシーンだ。

 写っている4人は、その春同じ高校を卒業した同級生。写真左から、ボーカルのH、オオマタ開いて見得を切るベースのY、ドラムの僕、ギターのS。フレームから外れているがもう一人、キーボードのU(カワイイ女の子でした)がいた。

 このときの演奏は、カセットテープに録音が残っている。聴くのもオゾマシイ。Sが弾いているギターは、当時GRECOが忠実にコピーしたブライアン・メイ・モデルである。QUEENのコピーバンドだったのである。

 バンドはやがて自然消滅、以後、メンバーとの縁もすっかり切れる。だが、ベースのYとはその後も一緒に新しいバンドを立ち上げたり、お互い社会人になってからも付き合いが続いていたのだが。

 2002年ごろを境に、ぱったりと音信不通になってしまう。風の噂に、対応に苦慮するような出来事が彼の身の上に起こったとも聞いた。基本的にはゴキブリよりも逞しい(失敬!)ような男だから、生きていることだけは間違いないと、思えども気がかりな6年が過ぎて行く。

 その男が、イキナリ掲示板に投稿してくるンだから、僕はもう驚いてしまうのであった。コラY。不義理なんぞ気に病むことはないし、礼など要らぬ。電話なりメールなり、さっさと連絡よこせ。

 また、バンドやろうぜ。

’08/10/04 (土)

システム化


 2月にパイステのサウンドエッジハットを導入して以来、冷遇されていたK.ハットを、セットに復帰させた。ハイハットシンバルとしてはやや変則的な使い方である。クローズド・ハットホルダーにセットし、アタッチメントを使ってシンバルスタンドに固定する。

 クローズド・ハットホルダーとは、ハイハットを閉じた状態で固定できるホルダーである。既にハイハットが一組あるのに、なぜこんなモノが必要なのか。要らんと言えば要らんのだが、まあ、イロイロあるわけです。

 棒の先にハイハットがくっ付いただけ、のようなものだから、単体ではどこにも取り付けることができない。そこで、アタッチメントの登場、である。パールの「AX-25L」という。

 写真に見える、L字型の金具がそれだ。2個のパイプクランプがL字型金具の両端に付いていて、各々が360°回転可能な構造になっている。一端をシンバルスタンドなどのパイプに固定し、もう一端にホルダーを固定する。シンバルスタンドから枝を生やしたような形になるわけである。

 相手がφ12.7mm〜φ28.6mmのパイプ(パールドラムの統一規格である)ならばどこにでも取り付けられることと、360°回転クランプのおかげで、セッティングの自由度は極めて高い。思い通りのポジションに、クローズドハットをセットすることができた。

 ドラムセットの進化は、タイコそのものよりもハードウェア(スタンド、ホルダー、アタッチメントなど)に著しく、同一メーカー内であれば完全にシステム化されていると言ってよい。各メーカー今では常識だが、日本で最初に「System Drum」を標榜し具体化実現したのは、YAMAHAであった。

 YAMAHAのオーディオにも一脈通じるところが、あるような気がするのである。

’08/10/03 (金)

八周年


 今日、10月3日は「船長の戯言」公開記念日である。今年で八周年を迎えることになる。公開以来8年も経ったとは、とても思えない。

 8年前の今日今頃、僕はワクワクしながらhtmlファイルをホストサーバーへ転送していたのである。やること為すこと、聞くもの見るものすべて初めてことばかりで、その方面に詳しい友達に手取り足取り教えてもらいながらの作業であった。

 自分のパソコン画面上に初めてトップページが表示された時、僕は嬉しいばかりで先のことはまったく考えていなかった。あまつさえ、こんなにたくさんのご閲覧をいただけることなど、夢にも思わなかったのである。

 公開以来8年間で得た最もの財産。それは言うまでもなく、多くの方々とのご縁である。片田舎でただオーディオしているだけで、これほどのご縁をいただけることは絶対に不可能であったと思われる。全ての方々に、心から御礼申し上げねばならない。本当に、ありがとうございます。

 今日の画像は、2000年当時のシステム写真である。ここから「船長の戯言」は始まったわけである。今一度初心に帰り、今後もただ、続けて行ければと考えている。

 何分にも浅学非才のトモガラではありますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

’08/10/02 (木)

対策1週間


 ユニット取り付けネジにネリケシ対策してから、ちょうど1週間である。1日の午後は、少し時間に余裕あり。AD、CDいろいろ聴いてみた。

 やはりヒジョーにグワイがよろしいようで。楽音の質が向上するのはもちろん、AD再生時ではスクラッチノイズが軽く弾け飛ぶような音に変わり、尾を引かなくなる。耳障りでなくなるわけだ。結果的には、それも楽音を際立たせることにつながっていると感じている。

 箱船のオーディオ環境で、僕という人間が聴く限りにおいては、大変好ましい結果が得られる対策だと言える。が、環境が変わりリスナーが変われば、評価が違ってくる可能性は否めない。音の好みは千差万別、十人十色なのである。

 ネリゴムで以って斯くの如くの好結果が得られた。ならば、それを上回ると言われる「ひっつき虫」への期待感は弥が上にも高まる。と同時に、「このままでも充分」と思う自分がいるのも正直なところだ。要するに僕は、無精者なのである。

 もうしばらくは、現状維持で。

’08/10/01 (水)

秋の香り


 10月である。村内には、そこはかとなく金木犀の香りが漂うようになった。オツトメ先のお齋では、地で採れたマツタケをいただいた。秋なのである。

 さらに僕が秋を強く感じるもの。それは、早生ミカンである。緑色と黄色のコントラストも鮮やかに、酸っぱい香りを身にまとった、アレである。

 早生ミカンの香りには、懐かしい思い出を呼び醒まされるのだった。それは、小学生時代の遠足であったり、運動会(体育祭、ではナイ)であったり、する。殊にそういう時ばかりに食べたわけではないのだろうけれども、何故か、遠足と運動会なのである。

 どことなく、悲しいような寂しいような、秋の香り。